鉄拐李度金童玉女
第一折
（老旦が王母に扮し、外が扮した鉄拐李を連れて登場）
（王母の詩）閬苑[1]仙家、白錦袍[2]、海中[3]銀闕[4]、蟠桃宴[5]。三更月下、鸞声遠く、万里風頭、鶴背高し[6]。
子童は九霊大妙金母[7]。蟠桃会で、金童玉女が、俗世のことを思うたために、罰として下界へ往かせ、転生させて、配して夫婦となさしめた。かれらは今や、業縁[8]を十分に味わった。鉄拐李よ、ただちに人の世に到り、かれらを導き、仙界へ戻らせるのだ。ぐずぐずとしてはならぬぞ。
（鉄拐）貧道はすでに仙旨を受けましたから、下界へ二人を導きにゆきましょう。
（詩）仙旨を受けて、雲を落として、女直に到り、凡流[9]を度脱せんとす。わが拐の神通変化を用ゐなば、かれらはわれに従ひて、丹丘[10]にともに還らん。（ともに退場）
（正末が金安寿に扮し、旦児の童氏、家僮、梅香とともに登場）わたしは女直の人、金安寿といい、二人家族で、ほかになんらの子はおらぬ。わが妻は、夾谷[11]の人、童家の娘、幼名は嬌蘭というのだが、娶って妻とし、十年とても仲良くしている。これは先祖の福徳によるもので、まさしく「夫妻の福は齊し」[12]ということだ。本日は妻の誕生日、妻といっしょに天地のもとで、香を焼き、燭を点し、祖宗のもとで、祭祀しようぞ。しもべたち、羊を殺し、管絃を奏で、大いに吹き、大いに叩き、ゆるゆる筵席といたそうぞ。見れば笙歌は列なって、まことに楽しい。（唱う）
【仙呂】【八声甘州】花は遮ひ、翠は擁し、香はしき靄は霞を飄へし、燭の影は紅に揺るるなり。月梁雲棟[13]、金鈎に掲げられたる十二簾櫳[14]。金雀の屏に玳瑁の筵を開き、緑蟻[15]の光は白玉の鍾にしぞ浮かびたる。爽気は胸に透みとほり、春風は面に満ちたり。
（鉄拐が登場）貧道は雲を落として、女直の地に来た。こちらが金安寿の家だ。あのもののもとへ行き、寿を祝い、お斎食を乞えば、あのものは何と言うことだろう。（会う）稽首。貧道はわざわざお斎食を乞い、お誕生日のお祝いにまいったのです。
（正末）先生が一人、お斎食を乞い、お布施を求めに来られたぞ。先生はどちらから来られましたか。
（鉄拐）三島[16]から参りました。
（正末）どちらへ行かれるのでしょうか。
（鉄拐）おんみを度して、神仙として、蓬莱へ行かせるためにわざわざやってきたのです。
（正末）でたらめを仰いますな。
（唱う）
【寄生草】われは珠翠と氷綃[17]の内に囲まれ、蓬莱や閬苑の中に勝れり。かれは淡昏昏として半窓の明月に梨花の夢、われは謾匆匆として満溪の流水に天台[18]の夢、なれは嘆空空として一襟の清露に遊仙の夢。
（鉄拐）貧道は、昨日、蕊珠宮で酔うて倒れて、今日はこちらにいるのです。
（正末が笑う）
（唱う）昨宵は夜沈沈[19]として、酔はれて蕊珠宮[20]に臥し、今日は暖融融[21]として、あやまちて桃源洞に入りたまふ。
（鉄拐）金安寿どの、嬌蘭どの、おんみら二人はわたしに従い、出家されれば、長生きし、滅びることはございますまい。
（正末）でたらめを仰いますな。わたしはかように楽しんでいるのですから、おんみに従い、出家して、菜根を食べるわけにはまいりませぬ。わが歌児舞女を来させることにいたしましょう。
（歌児に扮し、細楽[22]を連れて登場、舞う[23]）（唱う）
【満堂紅】鳳凰台よ鳳凰台。鳳凰台に鳳凰は来る。天籟、地籟、人籟を聞く。八音[24]は諧ひて、緑雲は裁たれ、翠煙は開かれて、月明は吹かるれば海山こそは白きなれ。
【大徳歌】碧泠泠、玉鏗鏗、七政[25]は匏[26]をもて定められたり。紫霞を攅めて、暁星を嵌め[27]、箜簧[28]は点点[29]としてみな相応ぜり[30]。よく吹くは子晋[31]董双成[32]。
【魚遊春水】嶰谷[33]より遺風[34]は起こり、雌雄[35]を定めり。十二筒[36]、律は黄鍾[37]に応ぜり。梅は落ち、江は清く、三弄[38]を吹き、声は関山[39]を動かし、帰夢[40]に感ぜり。漁翁に伴ひ、牧童を引く。
【芭蕉延寿】韻は清微[41]、高山流水[42]、野猿は嘶けり、楚雨湘雲、塞雁は飛び、清風明月、孤鶴は唳けり。春は融和、鶯は乱れ啼きたり。（退場）
（正末）わたしがまことに楽しんでいるのを見られよ。（唱う）
【村里迓鼓】擺ぬるは、窈窕な翠娥紅袖、出だせるは、蒲萄、紫駝[43]、銀甕ぞかし。嘹亮たる笙簧の耳に聒し、仙音のひとしく奏でらるるを聴く。見よやかの梅香小玉、丫鬟使数[44]の相従ふを。鸞簫を吹き、象板[45]を敲き、皓歯の歌、細腰の舞、琉璃の鍾、琥珀の醲。ああ。取り巻くは愛しき娘、風流は万種あるなり。
（鉄拐）金安寿どの、それはおんみら俗世の快楽、われら仙家の楽しみに及びませぬわい。
（正末）さらにわが楽しみを御覧あれ。わたしの話を聴かれるがよい。（唱う）
【元和令】繍幕を張り、翠靄は濛として、錦堂は晃らかにして、暁雲は籠む。わが妻は繊繊と春葱の十指を露はし、宝釵は横たひ、螺髻は聳えり。腮は桃、眉は柳、額は芙蓉、星の眸を点ずれば、秋の水にぞ似たるなる。
【上馬嬌】日は高く、花影は重くして、風は香りて酒力[46]は涌けり。宝篆[47]は博山銅[48]に裊ひて、羅裙をば軽く払ひて湘紋[49]を動かすは、わが半札の鳳頭弓[50]。
【勝葫蘆】あたかも銀河に星の回りて、一すぢの道の通ずるかのごとし。素華宮[51]を嫦娥は出でて、弦管の声の中、更漏は永くして[52]、千般婉転[53]、万般調弄[54]、夜のまさに終はらんとするを覚えず。
【幺篇】まさに「歌は尽く桃花扇底の風」[55]、人面は花の紅なるに映え、双方の春心はおのづと懂るべし。香を憐れみ、玉を惜しみ[56]、顛ぶ鸞、倒るる鳳[57]、人は在るなり錦衚衕[58]。
（鉄拐）今からわたしに従って、出家して、俗世を離れ、仙界に登られよ。蒼鸞に乗り、彩鳳に跨って、瑶池[59]紫府にてしかと坐し、三茅[60]太華[61]を見下ろせば、まことに宜しゅうございましょう。
（正末が唱う）
【後庭花】従へば、天花は墜ちて、太空に満ち、璚香[62]は飄ひて、九重に散じたるなり。登るは隠隠たる金霞殿、遊ぶは巍巍たる碧落宮。蒼穹に上り、鸞驂鶴駕を把れるなり[63]。三茅太華の峰を俯し、千年長寿の松に伴ふ。鍾離を逐ひ、呂公に従ひ、安期[64]を尋ね、葛洪[65]を訪ふ。蟠桃の仙界の中に赴き、塵寰凡世の冗はしきを脱るべし。
（鉄拐）金安寿どの、こなたにいれば快楽は尽きるであろうが、わたしに従い、出家するなら、楽しみの窮まることはなかろうぞ。
（正末）おんみはわたしの楽しいところを御覧になっていないのです。寝室の門を推し開けましたから、先生、ご覧なさいまし。（唱う）
【青歌児】などや似らめ、わが花の濃く、花の濃く、柳の重きに[66]。雨の魂、雨の魂、雲の夢[67]。曲閣[68]層軒[69]、錦繍は擁けり。香は温かく、玉は軟らかく、叢叢として、珠は囲み、翠は繞り、重重たるなり。鼉皮の鼓は咚咚[70]として、剌古[71]の笛は喁喁[72]たるなり。ゆるやかに琵琶を捻りて、かるく攏へり。歌声は、羽を換へて、宮を移せば、人をばいとど笑まはしめ、容をばいとど歓ばしめたり。密意幽悰は数多あり、朝な夕なに、楽しみは窮まることなく、なが白雲の洞にはるかに勝らん。
（鉄拐）おんみの俗世の快楽は、大したものではございませぬ。わたくしのもとでひけらかされるとは。
（正末）もう一遍、語るとしましょう。（唱う）
【金盞児】珠の琭簌[73]、玉は玲瓏、金の蹀躞[74]、翠は籠惚[75]、錦は斑斕、画堂の富貴を人はともにす。光は燦爛、碧天に月色は溶溶たるなり。麝蘭の香は縹緲として、環珮の玉は丁東[76]たるなり。酒は斟ぐ金錯落[77]、花は列ねり繍蒙茸[78]。
（鉄拐）金安寿どの、とにかくわたしに従って、出家なされば、生も死もなく、楽しいでしょうぞ。
（正末が唱う）
【賺煞尾】なが精力を費やしたるを徒にせん。ひたすら阻むことなかれ[79]、風流な愛寵の玉天仙[80]をいかで棄て得ん。
（鉄拐）この尤物はいらぬものです。
（正末が唱う）げにやげに、魚水の夫妻は両つの意を同じうし、少年人の興味はひとへに濃きなり。繍幃の中に春風はあはく蕩ひ、紅浪[81]はかるく翻り、翠被[82]は重し。玉縄[83]は遥天半空に拽き、銀漏[84]は梅花三弄を逐ふ[85]、斗杓[86]の回り、月影の梧桐を転るまで飲めり。（旦とともに退場）
（鉄拐）これら二人の業畜[87]は、まさに不省の郷[88]にいるから、さらにじっくり点化するべきだろう。ただちに海角天涯[89]の路を指し示し、迷える人を導いて、大道を行くことにしようぞ。（退場）
第二折
（正末が旦、家僮、梅香とともに登場）それがしは金安寿。一人の風魔道士が、毎日、家に来て、かれに従い出家することを求めている。時は春、一つには、妻といっしょに郊外へ行き、踏青[90]し、気晴らしし、二つには、あの先生を避けるとしよう。（行く）この郊外にやってきた。すばらしい春ののどかな景色だわい。（唱う）
【南呂】【一枝花】花の溪に楽はとよもし、竹の塢に家は小さし。香車[91]は上苑にて遊び、宝馬は東郊に満ちて、雑雑嘈嘈[92]。一程程、錦繍のごと、花枝は繞りて、一処処、管弦のごと、鳥語は調ふ。垂楊の院に花売る人は、一声声、叫びつつ紅楼を過ぎ、杏花の村[93]に詩を題したる客は、一個個酔ひて、芳はしき草に眠れり。
【梁州第七】春江の鴨の頭の緑の浪をなせるを見[94]、行雲の雁の翅の紅く嬌やかなるを接へり。酒旗は青杏[95]の園林に向かひて挑げ、佳人は闘草して、公子は妝幺へるなり。秋千は料峭として、鼓吹遊遨[96]。新黄に染まりたる、柳は金条を曳き[97]、嫣紅[98]を綻ばせ、花は氷綃と簇れり。芳叢の内に嫩らかき蕊を採り、粉蝶は對對として身は軽きなり。回塘[99]の畔に香れる芹を点じて、紫燕は翩翩として翅を裊らせり。碧陰の中に清音を弄び、流鶯は恰恰として声を交はせり。挑するは難くして、いかで描かん。たとひかの女娘の心思のいと巧みならんとも、げにげに刺繍し得ざらん。丹青の手が百倍高からんとも、この重畳たる四方の景色を描き得ざらん。
（言う）思うにわれら一對の仲良い夫妻も、今生の姻縁ではなく、前生で決められたものなのだろう。（唱う）
【四塊玉】かのひとは、香輪[100]を碾がして[101]、芳径[102]を穿ちたり。われは駿馬を催して、絲鞭を裊へり。われら仲睦まじき夫妻は、宿縁の招きたるものにして、俊はしき顔は落雁沈魚[103]の貌。われら二人は、あたかも地に長じたる並蒂の花[104]、水に育ちし交頸[105]の鴛、天の生みたる比翼の鳥の似きなり。
（鉄拐が登場、馬を阻む）金安寿どの、うまくわたしを避けたものだな。
（正末が唱う）
【罵玉郎】かのものはわが馬頭を阻み、声高に叫びたるなり。轡は黄金の勒を引きとめ、鞭は紫藤の梢を挽きとむ。
（鉄拐が手を叩いて大いに笑う）おんみは愚眉肉眼[106]なのに、なにゆえに貧道をご存知なのです。
（正末が唱う）かのものは、くるほしく手を掴み、佯りの笑みを作れり。
（鉄拐）財産を棄て、すみやかに逃れれば、生も死もございませぬ。わたしに従い、出家なされよ。
（正末が唱う）われをして、財産を抛ちて、逃れしめんとす。これこそは「朝に道を聞く」ならめ[107]。
（鉄拐）青鸞に跨り、彩鳳に乗り、丹霄に上り、神仙に成られればまことによろしゅうございましょう。
（正末が唱う）
【感皇恩】花枝のごと淹潤妖嬈たるを見よ、われもまた、笋条のごと風流年少なるぞかし。なはわれをして、青鸞に乗り、彩鳳に跨りて、丹霄に上らしめんとしたれども、柔らかき花、嫩べる柳、滑らかな玉、嬌なる香になにかは如かめ。心に置き、手に擎げ、眼に閣くを得ざるを恨めり。
（鉄拐）なが欲心はいと重けれど、すみやかに財を棄て、われに従ひ、出家せば、なれをして大羅[108]の神仙たらしめん。
（正末が唱う）
【採茶歌】われをして、仙瓢に戯れて、金橋に過ぎらしめんとしたれども、などかはあへて生きながら碧桃花下の鳳鸞の交はりを引き裂かん。鐵拐に伴ひ、雲遊し、ともに行きなば、棄てられし、わが玉人は、何処に簫を吹きぬべき。
（鉄拐）金安寿どの、馬を下りられよ。おんみに申し上げましょう。わたしに従い、出家なされよ。おんみを十洲三島に行かせ、蟠桃の宴にともに赴けば、まことに楽しゅうございましょう。
（正末）行くことはできませぬ。（唱う）
【側磚児】などかはあへて、真を尋ねて蓬莱島にあやまちて入り、群仙の隊裏に向かひ、蟠桃の会をせめや。はや言ひ難し、「好き者はそがために楽しむ」[109]と、
（鉄拐）財産を棄て、貧道に従って、出家なされよ。
（正末が唱う）いかでわが銅斗[110]のごとき錦窠巣[111]をば得捨つべき。
【竹枝歌】わが胸と背の絨をもて攙したる宮錦袍を眼にすれば[112]、
（鉄拐）出家したものは、藤冠[113]衲襖[114]、草履[115]麻縧[116]、長生不老で、おんみより、さらに楽しゅうございます。
（正末が唱う）などかかやうな続断の濫麻[117]の縧を結ぶべき。なはかのひとの江梅[118]の風韻と海棠の標しさ、桜桃の樊素[119]の口、楊柳の小蛮[120]の腰を見よかし。なはいたづらに労したり。蘭蕙[121]の性をいかでか、蓬蒿にみだりに比べん。
（鉄拐）出家したものは祖師を拝して、径道[122]に遵いますが、その清らかな味わいは、玄中の玄。大羅の神仙と做られて、正道を失われませぬよう。
（正末が唱う）
【玄鶴鳴】径道に遵ひ、玄妙に達し、祖師を拝して、鴻宝[123]を習へとや。青牛[124]に駕し、赤鯉[125]に乗り、白鹿を驂として[126]、黄鶴に騎れりとおんみがいたく言ふとも、わが宝馬雕鞍のいと好しきになどや如くべき。
（鉄拐）おんみにいかなる楽しみがございますのか。はやくわたしに従って、出家なされよ。
（正末）行くことはできませぬ。
（唱う）春風の桃李、夏月の葵榴[127]、秋天の金菊、冬雪の江梅、一年中、景物は饒かなり。なが茅庵と草舎は、いかでわが蘭堂と画閣に似らん。
（鉄拐）盧生の故事をご存じないのか。一餐に満たないうちに、黄粱の飯は炊け、どれほどの時間があったというのでしょうか[128]。
（正末が唱う）
【烏夜啼】われは平生、邯鄲の道を知るなし。黄粱はなど羊羔[129]に比ぶべけんや。
（鉄拐）わがもとで、「香風は動くことなく松花は老いたり[130]」。わたしに従い、出家なされば、まことに楽しゅうございましょうぞ。
（正末が唱う）な誇りそ、「香風は動くことなく松花は老ゆ」と、わが月の夜と花の朝、媚やかな雨、嬌やかな雲[131]にいかで如くべき。
（鉄拐）わたしに従い、蟠桃会に赴くほうが、ずっと宜しゅうございましょう。
（正末が唱う）なとともに行き、九重の春色のなか、仙桃に酔ふことは、われが一生花柳し、おのが好みに従ふになどやは如かめ。白玉の池、瓊花[132]の島、われを度し、道友と為すことこそは、なのよく人と交はれるなれ[133]。
（鉄拐の詩）われのすまひは、洞門に鎖鑰なきも、白雲のおのづと封ずることぞある。かの天地とともに老ゆれば、容顔は童の似くして、なれよりも好きこと多し。
（正末が唱う）
【黄鍾尾】ながもとで、白雲は洞を封じて、丹竈は焼かれたれども、このわれの錦水に香を流し、碧桃を泛ぶるになどか似らん[134]。わが頭巾の上に、珍珠は文藻を砌り成し、玉兔鶻[135]をば金廂[136]の繍袍に締む。紫の絲繮、金の鞍、駿馬は驕り、葵花の鐙に、靴尖はななめにゆるく挑げたり[137]。虞候親隨[138]は護衛して、茶褐の羅傘は雲のごとくに繞きて、絳蝋の紗灯は月のごとくに皎し。裀を重ねて臥ひて、鋪陳は一式を換へて交はり[139]、鼎食珍羞をば列ね、選んで炰けり。なは黄精[140]を掘り、土とともに斫り[141]、青松を伐り、葉とともに焼き、雲腴[142]を蒸し、藜藿[143]を煮て、澗泉を飲み、仙薬を食ふに過ぎず。これら二つのいづれか好しき。
（鉄拐）このようにしてもあのものは承知せぬ。仙術を用いてふたたびあのものを点化しよう。金安寿どの、わが手の中の鉄拐を御覧あれ。わたしはそっと揺り動かして、金光に化して去りましょう。疾。（退場）
（正末が唱う）かのものは、神通を顕はして、鉄拐をかるく揺らして、はや一道の金光と化し、見えずなりにき。（退場）
第三折
（鉄拐が登場、詩）一足をわづかに蹺ぐれば一足軽く、数茎の頭髪は乱鬅鬙[144]たり。世人は知らず蒼蒼たる拐、黄河をば撹ぜば底まで清からしめん[145]。
貧道は金安寿を点化しようとしたのだが、回心させることを得ず、こたびは三度目。もしもふたたび悟らなければ、貧道におのずから考えがある。（退場）
（正末が旦、梅香とともに登場）妻よ、あの先生はわたしに纏いついているから、前後の門をしっかりと閉じてくれ。わたしが寝屋に行って坐れば、あのひとは入ってこられぬだろうから、ゆっくりと幾杯か酒を飲むことにしようぞ。天地祖宗のお蔭を蒙り、まことに楽しい。この清らかな夏の景色に、暑さを避ければ、まことに楽しいことであろうぞ。（唱う）
【商調】【集賢賓】黄梅細絲、江上の雨、碧沼の内に翠荷は舒びたり。楽しきは、瑪瑙盤、蔗漿、酪粉、珊瑚枕、藤簟、紗厨。黍は新たに包めば黄金を裹むが似く、蒲は細く剉けば白玉を攅むるが如きなり。『離騒』を詠み、楚些[146]を歌ひて、誰か古を弔はん。錦標[147]を奪ひ、画槳[148]を擢げば、飛ぶ鳬に似る。同心[149]の長命縷[150]を結び、辟悪の赤霊符[151]を佩べり。
【逍遥楽】蘭湯[152]に浴を試み、水閣の微涼を納め、風亭に避け、午に倦みたり。竹陰に乗ずれば、槐と桐の影は疏らに[153]、氷山を畳はす素羽青奴[154]。綵で仙人を剪り、艾虎[155]を懸けて[156]、南軒を開けば奇峰は雲と布きたり。瓜は金子を分かち[157]、鱠は銀絲を切り、茶は雲腴を煮る。
【春帰怨】夫は貴く、妻は栄えて、大いなる福は、あまた来たれり。画堂に列なる錦は模糊たり。妻に才あり、子に禄あるは、前世にて定められたる。慶は余あり、圓満に歓娯せり。鳳友に配せられ、鸞雛に對したり[158]。
（梅香）若旦那さま、おんみはお洒落な浪子、賢い美男におわしますから、どうしてご出家できましょう。
（正末が唱う）
【雁児落】新声を賦し、楽府を詠み、古調を歌ひ、音律に達したり。一朶の欠点なき嬌柔な解語花、一塊の瑕釁なき温潤な生香玉なり。
【得勝令】簾は低く碧蝦の鬚を簌れ[159]、沈[160]は細く紫金の炉に爇く。霜瓦[161]は密なり鴛鴦の甃[162]、雲軒[163]高く、翡翠[164]は鋪けり。われらはともに香車に坐して、地に長じたる連枝樹に似る。驊駒[165]を並べて、膠もて貼り合はせたる比目魚に似る。
（旦）梅香や、重なりあった門を閉じ、ゆっくりとお酒を飲もう。
（鉄拐が登場）金安寿と、嬌蘭たちは、重なりあった門を閉じ、わたしは入ってゆくことができなくなった。こちらがいささか神通を顕わして、空から下りれば、あのものはなんと言うことだろう。（会う）稽首。
（正末が驚く）ああ。おまえはどこからやってきたのだ。
（鉄拐）まっすぐにおんみを尋ねてきたのです。わたしに従い、出家されれば、おんみは不老長生ですぞ。
（正末）出家する必要はない。わたしと妻の装いを見ろ。俗ではあるまい。（唱う）
【賢聖吉】縷金の鞓、玉兔鶻、七宝嵌[166]、紫珊瑚。墨錠の髭髯、絨の縄を捻りし鬢と鬚[167]。皂紗巾、珠の琭簌[168]、錦の襖子、金の較輅[169]。花は比び難く、玉は如かず。卷雲の靴[170]、跟は抹緑[171]、銀盆の面、膩粉[172]に団酥[173]。
（言う）わが妻の装いは、（唱う）
【河西後庭花】翠娉婷[174]、げに俗ならず。美はしき嬋娟[175]にして、嬌ける艶姝[176]なり。月に對せる嫦娥の似く、溪に臨める洛浦[177]の如きなり。
（鉄拐）金安寿どの、すみやかにわたしに従い、出家なされよ。
（正末）おおむねおまえは瘋薬を飲んだのだろう。（唱う）
【幺篇】かのものは笑ひなば、秋蓮のあたかもなかば開けるに似る。かのものは悲しまば、梨花の春雨を帯ぶるに似たり。進みなば、新雁[178]の雲に落つるが似くにて、話しなば、雛鶯の枝に語るに似、酔ひたらば、晩風に垂柳の翠の扶疏[179]たるに似て、浴したらば、海棠の露を擎くるに似たるなり。立ちたらば、丹青をもて渲きたる仕女図にて、坐したらば、観世音自在の居し、眠りなば、羊脂のやうに臥したる美玉。吹きたらば、清音は韻き、碧虚を射、弾きたれば、氷弦[180]を払ひ、断ちてまた続ぎ、歌ひたらば、さながら白苧[181]、意は余りあり、舞ひたらば、彩雲は旋る掌上の珠[182]。
【双雁児】団衫[183]の纓絡は珍珠を綴り、繍の包髻[184]は鸂鶒袱。翠鸞翹[185]は内妝束[186]。玉搔頭[187]、鬢を掩ふ梳[188]、喜相逢[189]、蝉對舞[190]。
（鉄拐）このものはこたびも悟らぬ。このようなありさまを見て、どうして放っておけようか。さきに嬌蘭をば救い、しかるのち、金安寿をやすやすと点化しようぞ。（指さす）嬌蘭、来ないでどうするつもりだ。
（旦）師父さま、稽首、弟子は悟りました。
（正末が驚く）（唱う）
【望遠行】憎むべし、この禄でもなき鉄拐は、機謀をほしいままにし、なじかは知らねど、いささかの道術をもて、われを香車にともに坐せしめ、いくたびも惑はして玄都に赴かしめたりき[191]。ぴり、ぴり、ぴりと、わが姻縁簿を引き裂きて、忽剌八[192]、わが前程路[193]を掘りて断ち、空没乱、胸を椎ち、足を跌み、腮を揉み、目を瞪らしむ。一輪の並頭蓮をむごたらしくも両処に分かち、むざむざと燕鶯を引き裂きて、孤たらしめ、連環玉を吉丁当と摔げて砕きたり。
【梧葉児】情理に拠れば、恕すは難く、為したることを論ずれば、いたく凶悪、わが怒気の胸に夯つるに得忍びず。片手もて執袋[194]を引き、片手もて道服を揝りしめたり。かのものをきつく引き、明鏡のごとき官府へ行きて訴へん。
（正末が旦を引く）どこへ行くのだ。
（旦は相手にしない）
（正末）どうして急にだるくなり、動けなくなったのだろう。（眠る）
（鉄拐）金安寿は眠ってしまった。（旦を連れてかりそめに退場）
（正末が夢見る）まことにおかしい。いましがた、妻とお酒を飲んでいたとき、前後の門は鉄の桶のように閉じられていたというのに、あの先生はどこかから来て、妻を迷わし、行ってしまった。妻と先生は見えず、ここはいったいどこなのだろう。高い山、遥かな澗があるばかり、老樹は横たい、橋となり[195]、ひっそりとして人一人なく、ほんとうに恐ろしい。（唱う）
【賀聖朝】陡しき澗、高き山、険峻にして崎嶇なれば、われは手脚を慌乱し、措き所なし。流るる水、横たふ橋、眼は暈み、心は虚え、巨いなる蟒は蟠り、老いたる樹は枯れ、滲金[196]の睛の猛虎は伏せり。ひとまず避けて林莽に在り、わが身を隠せり。
（正末が慌てる）
（鉄拐が叫ぶ）金安寿どの。
（正末が疑う）誰が叫んでいるのだ。（唱う）
【鳳鸞吟】金安寿の名を呼ぶを聴く。われはこなたで頭を垂れて拝伏す。
（鉄拐）金安寿どの。なにゆえにわがもとに来られましたか。
（正末が唱う）こなたの雲水林巒[197]は、いかなる所ぞ。
（鉄拐）こちらは洞天福地[198]です。こちらに来れば、仙桃を食べ、甘露を飲み、猿、鶴に伴って、亀、鹿と寿命を齊しくすることができまする。
（正末が唱う）ああ。この琳宮[199]紺宇[200]は、仙居洞府なりしか。仙桃を食べ、瓊漿と甘露を飲めり。朱頂の鶴、果を献ずる猿、緑毛の亀、花を銜める鹿に、長生を寿ぐ玉篆丹書[201]あり。
（言う）わたしの妻を連れてきてくれ。
（鉄拐）この業畜は鈍愚にて、悟るのが難しいから、こうするしかない、かれの体の嬰児[202]姹女[203]、心猿意馬に、形を現し、点化させれば、いささか手間を省けるだろう。疾。
（嬰児、姹女、猿馬が登場、追う）
（正末が慌てる）
（鉄拐）金安寿どの、白雪[204]黄芽[205]を養われ、金枷玉鎖[206]を疏んじて、おんみが当初来られた路径を悟られて、正道を失われますな。
（正末が唱う）
【牡丹春】嬰児と姹女は趣きて、白雪と黄芽は枯れり[207]。金枷玉鎖にかたく拘はれ、心猿意馬をしかと縛れり[208]。悟りを得れども、なれは振り向き、そのかみを認むべし[209]。
（鉄拐）疾。嬰児姹女、心猿意馬よ、追い掛けて捕まえるのだ。
（正末）天に連なる峻しい嶺、万丈の懸崖の前に来た。どうしたらいいだろう。（目覚める）まことにおかしい。妻とお酒を飲んでいたとき、あの先生が来て、妻を惑わした。わたしは夢を見、その中のありさまをすべて見た。澗に転げ落ちたが、目覚めればもとの処だ。すっかり変わってしまったわい。頽れた垣、壊れた屋、枯れた木に、昏の鴉。檐の楹のところには、先生が立っている、誰だろう、呼んで事情を尋ねよう。先生。先生。
（鉄拐）金安寿どの、悟られましたか。さきほどの、蓬莱の一夢は、俗世では、はや四十年にございます。おんみには、もともと仙風道骨[210]がございますから、おんみの本来面目[211]を尋ねられ、正道を失われませぬよう。
（正末が唱う）
【涼亭楽】迅速なる光陰は、隙を過ぐる駒[212]、一夢の華胥[213]ぞ。走れる兔、飛べる烏はひたと相逐ひ[214]、昼夜寒暑を催せり。たとひなが本来面目、仙風道骨ならんとも、わが鼉鼓と、笛と、者剌古[215]と、鸚鵡[216]を歌ひ、鷓鴣[217]を舞へるになどやは如かめ。
（鉄拐）かれはなお俗縁が尽きておらぬから、ふたたび手を打つことにしよう。金安寿どの、御覧あれ。百花は爛熳、春の景色は穏やかですぞ。
（正末）よい景色だなあ。
（鉄拐）はや炎天は火のごとく、暑気は蒸したり。
（正末）まことに熱い。
（鉄拐）見よ黄花は野に遍く、紅葉はみだれ飛ぶなり。
（正末）まことに惨しい。
（鉄拐）はや朔風は凛冽として、瑞雪は飄るなり。
（正末）まことに寒い。
（鉄拐）金安寿どの、悟られましたか。
（正末）げにわれをいたく惑はす。まさに春なりけるに、また夏の暑さに臨み、たちまち秋の霜となり、冬の雪にぞ逡巡れる。天地の造化は、暁るは難くして、参るは難し、
（詩）はつかに垂楊の緑を見れば、にはかに麦はまた黄となれり。蝉の音はなほ尽きざるに、寒雁ははやくも列を成したり。（唱う）
【小梁州】いましがた、東風四友[218]はことごとく喧しくし、まさに青春、紫翠[219]は模糊としたりしに、はやくも碧池緑水に芙蕖は映えたり。炎暑を承くれば、はやくも落つる葉に暁の霜は鋪くなり。
【幺篇】蛩はまさに吟き、黄菊は清露に滋ひたりけるに、なにゆゑぞ水晶の寒雪は氷壺に瑩き、しらぬまに流年は度るなる。なにゆゑぞ根に帰る処を思はず、死に臨みても工夫を做す。
（鉄拐）悟ったか。
（正末）弟子は悟りました。師父さま、わたくしをどちらへ行かせるお積りですか。
（鉄拐）金安寿どの、憶えておかれよ。おんみが来る処から来て、行く処へと行くことを望んでおります。考えを誤って、正道を失われませぬよう。
（正末）稽首、弟子は悟りました。（唱う）
【啄木児尾】翠裙と紅袖の簇がりて、朱唇と皓歯の扶くるに拝辞せん。夢より醒むれば明月は南浦[220]に生じ、無何[221]の深処に向かひつつ、瑶池に歩み、閬苑に遊び、蓬壺[222]に到らん。（退場）
第四折
（王母が衆仙を連れて登場、詩）暁は瑶池に入りて霧気は清しく、たちまちに天籟、歩虚[223]の声を聞く。雲衢では簫を吹く侶を須ゐず、ただひとり青鸞に駕し、玉京[224]に朝ひたるなり。
わたしは西池金母。金童玉女が俗世のことを思うたために、下界に流して人とした。こたび、かれらは業債[225]をすべて償い、仙界に還ってくるのだ。かれらを来させよ。
（正末が旦とともに登場）妻よ、今日、悟りを得たから、西池金母に会いにゆこう。（唱う）
【双調】【新水令】なれは今、丹霄に上り、絳闕[226]に赴きて、瑶台[227]を歩みたり。紅塵の中に比ぶれば、別世界なり。わが霊光[228]は閬苑に戻り、かのひとの慧性[229]は蓬莱にしぞ到りたる。そのかみは、凡胎に染みたれば、誰か思はんこの債を返済せんとは。
（金母）金童玉女よ、なんじらが俗世のことを思うたために、鉄拐をみずから俗世に往かしめて、なんじらを度し、また仙界に還らせたのだ。これからは、俗心を動かすな。
（正末、旦が拝する）もう二度といたしませぬ。
（正末が唱う）
【慶宣和】われがいと疏狂にて、性格が乖たるにはあらざれど、これもまた業縁の然らしめたるところなり。今日は二人して金階に跪き、仙真[230]の痛責を乞ふ。
（金母）なんじら二人は、俗世のことを思うたために、女直の地へと転生し、結婚し、夫婦となった。女直のものは、多くは歌舞に巧みであるから、なんじら二人は舞いつつ歌え。わたしが見てみることにしようぞ。
（正末が旦とともに舞い、唱う）
【早郷詞】塵埃に墜ち、貴客となりて、転生し、大院深宅にぞ在る。ことごとく奢侈、まことに豪儀、いたく聡明、さらに精彩、われらが撒敦[231]の家に向かひて、いささかの威厳を示せり。
【掛搭沽】われの頭巾の上の珍珠は、界を砌り成し[232]、画は四葉飛霞帯に拖く[233]。胸と背を絨をもて繍し、げに体裁く、玉兔鶻は人の愛するに堪へたり。翠葉を貼り、奇花を摘む。この緑鬢と朱顔をば以てせば、杏臉と桃腮に負くことなし[234]。
【石竹子】鼉鼓は冬冬[235]、声は和し[236]、縷管[237]は軽軽、音韻は諧へり。女直の家の筵会はげにも賽るものなし。梨の花に月の上りくるまでひたすらに飲む。
（金母）さらにいかなる良いことがある。聴かせておくれ。
（正末が唱う）
【山石榴】紫雲の娘は、嬌色多く、腰肢は一搦[238]、東風に擺ぐなり。謫せられたる仙女は凡界にしぞ臨める。
【幺篇】佩ぶるは雲肩[239]、玉項牌[240]。鳳頭の鞋[241]、花は羞ぢらひ、月は隠るる、天然の態。香串[242]は結ぶ同心帯[243]。
【酔也摩挲】われはなんぢと瑶台をともに離れり、瑶台をともに離れり。楊柳の形骸に、海棠の顔色は、げに憎らしや[244]。
【相公愛】並蒂の池の蓮の一処に栽ゑられ、春水に遊ぶ魚の両つながらに睦まじきに似る。疑へり、春光のふたたび来ざることあらば、いかなる時光を待つべきと。
【胡十八】花はとこしなへに咲きて、月はつねに在るなり。人の老いなんことはなく、酒はしきりに釃げるなり。はや定まりし栄華と富貴。金安寿は俊才にして、嬌蘭もまた美愛[245]なり。われはすなはち天上に居る者にして、人の世に決して賽る者ぞなからん。
（金母が笑う）人の世の光陰は、眼を瞬くようなもの。なんじら二人は一念を誤ったため、塵凡に流されたのだが、まだすみやかに回心せず、歓楽を求めているのか。このように迷うているとは。とりあえず、さらにわたしに話しておくれ。
（正末が唱う）
【一錠銀】千樹の桃花の雲錦[246]と咲くを辿りて、流るる水を天台にしぞ向かひたる。奏づるは簫韶[247]の仙音一派[248]、げに前世にて修むるを得しものならん。
【阿納忽】酒は金台[249]にて捧げ、春は瑶階にぞ満てる。鬱巃蓯[250]、翠微[251]仙界、祥雲は籠め、浮埃[252]を断てり。
【不拝門】天銭[253]はあまねく舞ひて、眼に満ちて、霞彩[254]は飄飄、幢幡は蓋ふなり。金釵、金釵は左右に擺びて、ともに雲璈[255]天籟を奏でたり。
【慢金盞】たちまち思ひ起こしたり、香階[256]を歩みしときに、弓鞋[257]を露の湿したることを。宿世の定、前生の縁[258]。淡やかに塗りたる花額[259]、翠黛をもて描きたる眉。玉簪は鳳釵を着けて、粉を塗る蓮の腮。この画堂金谷の豪華の客は、優しき情、温かき態あり。
【大拝門】これこそは、美しき女と才ある郎の、睦みあひ、愛しあふなれ。この一段の風流の意脈は、緑苔に詩を題し[260]、鳳台に簫を吹き[261]、牽牛織女の銀漢の辺に排ぶに似たるなり。
（金母）なんじら二人は、かように多くの楽しみがあり、あきらかに迷っているから、悟りを得るのが難しいのだ。
（正末）今になり、悟りました。（唱う）
【也不囉】これよりは、碧雲の斎、開く道心、障隔なく、遮碍ぞなき。紅塵は黄金界[262]に到ることなく、弱水を去れること三千の外にあり[263]。
【喜人心】松雲[264]の靄に掩はれたるを見て、瀟灑なる桂風[265]を聞く。竹の影、藤の花、月の色、紫府金壇[266]は毫彩[267]を放ちたり。酔ひて舞ひ、狂ひて歌ひ、長く笑ひて、高く吟き、情懐を晴らせり。壺内の天[268]は壊るることなく、われらは静裏[269]で神はつねに泰きなり。
【風流体】清流に臨み、一帯に臨みなば、心は楽し。明月を賞で、一輪を賞でなば、情は舒びやかなり。黄石に枕して、一塊に枕したれば、意は開けり。白雲に臥し、一片に臥したれば、身は自在なり。
【忽都白】翠壁丹崖、玉殿金階、ふたたび猜ふことを須ゐず。われは今、丫髻[270]環縧[271]、椰瓢[272]執袋、麻袍[273]は快適[274]、布襪[275]芒鞋[276]。飢ゑなば松柏をば餐ひ、渇きなば清泉もて解く。
【唐兀歹】安楽の窠にて修真[277]しなば、乖を避くるに好し。翠の林巒、金碧[278]の楼台に、納頭[279]し、回光[280]し、一たび覚らば、玄界[281]に入り、まことに清し。
（金母）金童玉女よ、なんじらは瑶池をながく離れていた。なんじらは女直のものが歌舞をよくすることを知るのみ。八仙をしばらく舞わせ、なんじらに見せるとしよう。
（八仙が登場、歌い舞う）（ともに唱う）
【青天歌】真仙は瑶池に聚ひ、仙楽は和鳴して鸞鳳は降るなり。鸞鳳はともに飛び、紫霄を下り、仙鶴はともに舞ひ、仙童は唱ひたるなり。仙童は歌を唱ひて、太平を頌ふれば、かつて得り、蟠桃の万齢の寿を。瑞靄と祥光は天地に満ち、群仙会に長生を説く。長生はおのづと微妙の訣を知れども、口を開くも言ひ難かるべし[282]。玄機を漏らすを妨げず、驚けば虚空にて長舌を吐く。舌端に玉毫の光[283]をば放ち出だして、輝輝朗朗と十方を照らしたり。春風はただ花梢の上に在り、園林は何処か艶陽ならざらん。艶陽の時、霊苗[284]を採り、中秋の月色の高きを待つなかれ。離男は坎女にいくたびも逢ひ[285]、黄婆[286]は手を拍ち、喜びて相招きたり。相招き、相呼びて陰陽を配し、密雨濃雲[287]、洞房に入る。十載霊胎、子を生みて、白鹿にさかさまに騎り、穹蒼に上りたり。穹蒼の顥気[288]罡風[289]は健やかにして、吹きたれば璇璣[290]は左に転りたり。三辰[291]は万象と森羅を総べて、三界の仙官は玉殿に朝ひたり。玉殿と金階に衆仙を列ね、蟠桃を高く捧げて華筵に献ぜり。仙酒仙花に仙果は映えて、長生不老、億千年。
（正末が唱う）
【川撥棹】今日は情懐を暢にして、神遊[292]を九垓[293]に縦にす。慧眼を見開きて、道性[294]は明白なるなり。あひもかはらず風魂月魄[295]、春の天より来たるを悟れり。
【七弟兄】銀槐[296]翠柏、洞天開き、法鼓を撃てば、雷は滄瀛海[297]を動かせり。金鐘を扣けば、霞は閬風[298]の台に散じ、碧磬[299]を敲けば、雲は松花の蓋を繞れり[300]。
【梅花酒】ああ。われは今すぐ行かん。はや骨を換へ、胎を抽き、はやくも福をば降し、災を消す。戒を守り、斎を持することも須ゐず、昨日の過ちは今日改めり。玉面の猿は丹沢[301]に戯れ、緑毛の亀は碧苔に枕し、銀斑[302]の鹿は香埃を践み、朱頂の鶴は仙宅を守り、金睛の獣は蒼崖を護り、毛女[303]らは喜びの顔を開けり。道侶とともに笑ふこと咍咍[304]として、蟠桃を献じ、筵会を排べり。金童を度し、丹台[305]に上り、玉女を連れて仙階に列ならん。
【收江南】ああ。まさに「月明千里故人は来たる」[306]、一場の春夢より呼び戻されしが如きなり。本日は満堂の和気、酔ひより帰りきたるなり。「賢を賢とし色に易へ」[307]、「洛陽の花酒一齊に来たる」[308]をまたな語りそね。
（金母）今日、金童玉女は、正道に帰したから、聴くがよい。
（詞）なれはもと大羅の神仙なりしかど、人の世に在りしこと三十年余り。本日は、功は成り、行は満つれば、群仙に従ひて証果朝元[309]すべきなり。
（正末が旦とともに拝謝する）
（正末が唱う）
【鴛鴦煞】かねてより、天堂は俗世より隔たれるものなれば、誰か思はん、凡人のまた神仙を拝すべしとは。金母の提携たまひしに感謝して、群真[310]の風彩を識認す。げに漢鍾離[311]の緑蟻に酔ひて、唐呂公[312]の紅顔を改めず、韓湘子[313]のたちまち花を開かしめ、張果老[314]のさかさまに驢に騎ることはやくして[315]、藍采和[316]の達道[317]詼諧し、李先生[318]の四海に雲遊したりしは、すべてこの拐に拠るなり。
最終更新日：2010年11月10日
