呂洞賓三度城南柳雑劇
谷子敬撰
楔子
（正末が呂洞賓に扮して登場）貧道は姓は呂、名は岩、字は洞賓、道号は純陽子。終南山に隠れていたとき、鍾離師父に遇い、長生の術を授かり、得道し、仙人となった。そのむかし、師父は、この岳州城の南に一株の柳樹があって、樹齢は百余年、仙風道骨があるので、わたしにかれを度脱させると仰っていた。このたびは、岳州の地に来たが、一人の墨を売る先生に扮して、訪ねてゆかねばならぬ。ああ。遠くには城南の一片の緑陰が望まれる。まさにあの樹だ。岳陽楼の辺にあったか。とりあえず楼に行き、見てみよう。（楼に行き、叫ぶ）酒保よ、どこにいる。
（丑が酒保に扮して登場）老いぼれは姓は楊、岳陽楼で飲み屋を開いているのだが、今日はだれも客がなく、一人の先生が楼にいるだけ。わたしは尋ねてみるとしよう。
（会う）師父さま、幾らのお酒になさいましょうか。
（正末）五十文銭の酒を買うから、すこしつまみをおまけしてくれ。
（酒保）この先生は、ほんとうに乞食だわい。五十文銭の酒を買うのに、つまみまでつけろとはどういうことだ[1]。お酒はこちらにございます。まことに遅くなりました。つまみは何もございませぬ。
（正末）酒はあるのに肴がないなら、飲むことはできぬわい。わたしの墨籃[2]の中には、王母さまから賜わった蟠桃が一つあるから、つまみにしよう。（酒を飲み、桃を啖う）欄に寄りかかり、柳樹を看れば、はたして仙風道骨がある。いかんせん、かれは土木の物[3]なので、神仙となることはできないだろう。妖怪となった後、はじめて人となることができ、人となった後、はじめて成道できるであろう。わたしはさきほど桃を食べたが、もともとは仙種[4]であるから、桃の核を東の塀の下に抛ち、生長した後、かれと柳樹をともに花月の妖怪として、夫婦とさせよう[5]。そのときに、また来てかれらを度脱したとて、遅くはあるまい。（楼を下りる）この桃はやはり仙種だ。たちまちに花が咲いたぞ。そなたはわたしの言いつけを聴け。（唱う）
【仙呂賞花時】本日は、嫩らかき蕊はなほ粉臉[6]の羞を含みて、茂る葉はむなしくも翠黛の愁を攢めり。艶冶を誇り、風流を逞しうして、いささかの鶯燕の朋友と結びて、すみやかに抜け出でよかし[7]。
【幺篇】春風のやむことなきにな悩みそね。いましはほどなく秋霜に憔悴すべし[8]。紅雨が散じ、緑雲が收まらば、われはそのとき、花を尋ねて、柳を問ひて、岳陽楼にまた到るべし。（退場）
第一折
（旦が桃花精に扮し、浄が柳樹の精に扮してともに登場、桃）わらわは天上の仙桃、こちらは城南の柳樹、そのかみ、呂洞賓師父は、こちらに到り、この老柳を度脱させようとして、わたしを隣の塀に種え、老柳に配して夫婦としたために、精霊となったのだ。われら二人はいずれも妖物、昼間は出てこようとせず、深山に行って潜んで、夕方にこの楼に来て休んでいるのだ。このように風に吹かれ、日に晒され、雪に圧され、霜に侵され、いつ度脱できるやら。夜が明けたから、われら二人はまた深山へ潜みにゆこう。（退場）
（正末が登場）貧道は呂岩、天上の仙桃は城南の老柳の妻となったが、貧道がみずからかれを点化しにゆかないならば、どうして人となることができようか。仙府を離れ、また人の世にゆかねばならぬ。（唱う）
【仙呂点絳唇】蓬壺に別れ、坦然として、ただひとり、塵寰にしぞ歩みゆく。仙居をし見返れば、縹緲として雲深き処にぞ在る。
【混江龍】仙凡に路ありて、みな足底の一双の鳬に頼れり[9]。天地に翱翔し、江湖にし放浪るなり。東は丹丘[10]、西は太華[11]を訪れて、朝には北海に、夕には蒼梧に游べり[12]。真境[13]をしばし離れて、塵俗に来て混じはれり。四百年の浮世は、一夢の華胥にぞ似たる。げにも壺中の乾坤は広うして、人の世の甲子[14]の短きことを嘆けり。瞬く間に白石はすでに爛りて[15]、振り向きしとき、滄海はかさねて枯れり。箭の似く走りたる玉兔は倦みて、梭の似く飛びたる金烏は疲れたり。この短き光陰を見る。ひとまず無何に入りゆかん方がよし。詩懐は浩蕩、醉眼は模糊とぞなれる[16]。
（言う）はやくも岳陽楼に来た。とりあえず幾杯か酒を買い、飲むとしよう。酒保よ、どこにいるのだ。
（酒保が登場）師父さま、幾らのお酒をご所望でしょうか。
（正末）百銭の酒をくれ。
（酒保）お酒はこちらにございます。
（正末）ほんとうに高い楼だな。ひとまず景色を見るとしよう。
（唱う）
【油葫蘆】高く聳ゆる雕闌は十二曲にして太虚に接し、層梯[17]は百尺にして雲衢を歩めり。斉州[18]をしばし望めば、頭を垂れて数ふべし[19]。天宮に近ければ、声高に語らんとせず。この楼は三江を襟、五湖を帯とし、さらに君山千仞のかくも青きに対したり。ここで飲まずばいかがせんずる。
【天下楽】醉ひを尽くして、黄公の旧き酒炉に倒れて[20]、三閭楚大夫[21]を笑ひたり。今やこの汨羅江にて誰か古を弔はん。鯨に騎りたるものは、天へと飛び上がり[22]、鍤をし荷ひたるものは埋められ、土に入りたり[23]。おんみに問はん。ひとり醒めたるものは今、ありやなしやと[24]。
（酒保）この先生は百銭の酒を買ったが、ひたすらつまみをつけさせようとしているわい。この貧乏道士は、お金を払わぬことだろう。酒はもうございませぬ。
（正末）このものはわたしに銭がないのを怕れ、酒がなくなったと言っておる。酒興がまさに酣なのに、どうしたらいいだろう。
（酒保）お酒を求める先にお金を数えられませ。
（正末）わたしはほんとうにお金がなくなった。
（酒保）お金がなくとも、なにか身の回りの品を質草になさいませ。
（正末）道人は何も持ってはおらぬ。（唱う）
【金盞児】われら道士は、身一つで江湖を歩めば、身の回りには珍しき物はなく、墨籃、琴譜、薬葫蘆[25]のあるのみぞ。おんみの尊に緑蟻[26]のなきは、わが嚢中に青蚨[27]を缺くがためならん。神仙の玉珮を留め、卿相の金魚[28]を解くをなどか得べけん。
（剣をはずし、言う）この剣を質草にするのはどうだ。
（酒保）要りませぬ。
（正末）わたしの剣は並大抵のものではないぞ。（唱う）
【幺篇】この剣は六合を積み、炉となして、二気を鋳て、模となし、風を呼び、雨を喚び、雲霧を駆り、龍を屠り、虎を誅して、[鬼生][鬼吾][29]を滅ぼすことを得ん。霜鋒は巨闕[30]の如く、氷刃は昆吾[31]に勝り、光は牛斗を揺らして暗くし、気は鬼神を圧して伏せしむ。
（言う）質草にしたこの剣は、役に立つことであろうぞ。
（酒保が剣を受けとり、背に掛ける）この剣は役に立ちますし、野菜を切るにもよいでしょう。先生、お酒は大したことはございませぬが、日が暮れてしまいました。この楼の上には二妖怪がおり、晩になりますと、出てきて人を惑わしますので、お客さまは、晩には楼でお酒を飲もうとなさいませぬ。
（正末）どのような妖怪がいようとわたしは恐れぬぞ。
（酒保）どのような術をお持ちで、かれらを恐れないのでしょうか。
（正末が唱う）
【醉中天】われはおんみのごとく惧るることぞなき。おんみはわれにいかなる術を持てるやと問ひたれど、（剣を指さす）この袖の内なる青蛇[32]の胆気は粗きものなれば、妖怪なぞを怕るることのあらめやは。もし拔きて尊前に起ちて舞ひなば、手の到る処、百霊はみな助け、山鬼が揶揄する[33]ことをしぞ許さざるべき。
（酒保）恐れられないのでしたら、ご自分で斟ぎ、ご自分で飲まれてください。わたしは楼を下りましょう。（退場）
（桃、柳の精）われら二人はさきほど山から出てきたが、日が暮れたから、楼へ休みにゆくとしよう。（楼に上り、驚き、拜礼をする）上仙さまがこちらにいらっしゃるとは思いませんでした。大変失礼いたしました。
（正末が唱う）
【後庭花】そもこれは、妖嬈を逞しうする嬌艶姝と、気遣ひをせる老匹夫、玄都観[34]の筆頭の樹と、彭沢荘[35]の第一の木なりけり。
（言う）尋ねよう。
（唱う）おんみはいかがせんとせる。ふたたび人を惑はして、物を害せんことありや。
（柳）滅相もないことにございます。
（正末が唱う）栄と枯を問ふことのあらめやは[36]。無知なる衰朽木は、花解語に勝ることなし。
（言う）桃よ、
（唱う）
【醉扶帰】汝が一点の芳心は苦しめり。
（柳）わたくしはいつ度脱できるのでしょう。
（正末）柳よ、
（唱う）いづれの時にか万にし結ぼれし、翠の眉を得舒ぶべき。（桃、柳が長嘆する）
（正末が唱う）なんぢら二人は月に対ひ、風に臨みて、みづから嘆けり。これぞまさしく緑は惨しみ、紅は愁ふる処ならん。
（桃）わたくしのような仙種を、師父はどうして柳樹に配せられたのでございましょう。
（正末が唱う）妖桃とのみ共に居るべし。天生の連枝の樹なり。
（柳）師父さま、わたくしはほんとうにいつになったら転生できるのでしょうか。
（正末）転生したいのであれば、楊さんの家で人となるのだ。
（桃）わたくしはいかがでしょうか。
（正末）そなたもかれに従ってゆかねばならぬ。
（柳）師父さま、ほかに遺されるお言葉はございましょうか。
（正末）わたしの話を聴くがよい。
（詩）ひとりで行きて、ひとりで坐せり。限りなき世の人はわれを知るなし。城南の柳樹の精の、神仙の過りしことをあきらかに知れるのみなり。
【賺煞】なにゆゑぞ桃臉は紅顔を破り、柳眼は青顧を垂れたる。このわれが東君なることを知りたればなり[37]。笑ふに堪へたり、時人は目を持てるも徒にして、盲のごとく賢と愚を辨ずることなし。凡夫らは、おしなべて愚昧の輩。回りゆく仙人のもともとの姓は呂なるを知ることぞなき[38]。紅塵を跳び出でて、白雲を袖に孕みて帰りゆく方がよからん。朗吟し、洞庭湖をば飛び過ぎんとす。（退場）
（柳）師父はわれらを度脱させようとなさらずに行ってしまった。思えば師父はわれわれに楊さんの家で人となるように言っていた。楊さんは師父を唆し、われら二人を度脱させようとさせなかったに違いない。楊さんが楼に上ってきたら、あのひとを迷わして、殺してしまえばよいだろう。楊さんが来たぞ。
（酒保が剣を負って登場）日が暮れたから、楼に上って、片づけをするとしよう。（会い、叫ぶ）幽霊だ。幽霊だ。
（桃、柳が進み出る）
（酒保）わしはかれらを恐れぬぞ。師父が質草にした剣を、持ってきて、この妖怪を斬るとしよう。（剣を抜き、斬る。柳に中り、柳は逃げて退場）（さらに桃を斬り、桃は逃げて退場）
（酒保）空は真っ暗、何を斬ったか分からぬが、がちがちと響いていたな。火を点し、照らしてみよう。（照らす）門前の古い柳の樹、塀のほとりの桃の樹を斬っていたのか。ああ。二つの物が変化していたのだな。明日、柳の樹を截って、馬を繋ぐ杭にして、門前に埋め、桃の樹を鋸引きにし、桃符[39]を作り、門に打ちつけ、わたしにかわって家を守らせるとしよう。この剣を楼に掛け、家を鎮めることにしよう。剣を質入れした先生はなかなか優れた人物だ。この剣は役に立とうと言われたが、はたしてその通りであった。あのかたが剣を贖いにきた時に、酒を勧めて泥酔させれば、わたしの謝意ということになるだろう。（退場）
第二折
（正末が登場）光陰はまことに疾い。岳陽楼を離れてから、山中に来て、一二日、止まったのだが、世上では、もう二十年経っている。城南の桃と柳が精霊となったとき、貧道はことさらに宝剣を楊さんに遺し、あのひとに手ずから土木の形骸[40]を斬らせ、柳樹を楊家に転生させて倅とし、桃を隣家の李家に転生させて娘となさしめた。かれら二人は人となり、夫婦となった。とりあえずあのものを酒色財気の中で過ごさせてから、度脱して仙人にすれば、道を悟らせることができよう。なんじら花と柳のために、わたしは三度行かねばならぬ。（唱う）
【正宮端正好】わたしが三たび岳陽城に入るときは、また蓬莱洞を出でずばならず。黄鶴に跨りて、両袖の天つ風をぞ拂ひたる。世間に到るはわが塵縁の冗きにあらず。花と柳に弄ばれたるのみなり。
【滾繍球】おんみ柳の色は濃く、花の影こそ深きなれ。色は深きも、暮煙はあやにくに濃く、影は扶疏とし、暁日はまさに穏やか[41]。柳よ、半樹は枯れて、半樹は栄えねばならず。桃よ、一片は西、一片は東へとゆかずばならず[42]。燕が乱るる絲を剪るともあだにして、鶯が碎くる錦を擲つもむなしかるべし[43]。柳に千年の緑のあるを見しことぞなき。みな言へり。花に百日の紅なるはあらざれば、春の工を費すも徒ならんとぞ。
（言う）神仙たちもわたしのことを何を急いでいるだと笑っている。（唱う）
【倘秀才】半空の清陰はいづこにありや、万種の紅芳はいづこにありや[44]。そもそも昨日と今日の事とは異なれり。旧迹を尋ね、遺踪を覓めども、むなしく故冢を遺したり。
（言う）楼に上って見てみよう。（腰掛ける）どうして人が来ないのだろう。（桃、柳の精が装いを改めてともに登場）
（浄）わたしは岳陽楼で酒を売る楊の倅だ。生まれつき髪の毛が白かったので、人はみなわたしのことを老柳と呼んでいる。わたしは今年二十歳。女房を娶ったが、東隣の李家の娘で、小桃といい、わたしと同年同月同日の生まれ。わたしの父は亡くなって久しいが、わたしはひとりでこの酒楼を切り盛りしている。どういうわけか、わたしの妻はいつも話さず、ほんとうに唖のようだ。わたしはとても妻を愛しているのだが、妻はわたしを愛しておらず、財産にまったく構わぬ。いましがた、お客が楼へ上っていった。あのひとに尋ねにゆこう。妻よ、よく留守番をするのだぞ。（楼に上り、正末に会う）
（正末）老柳よ、こちらにいたのか。そなたはわたしを存じておるか。
（浄）存じませぬ。
（正末）二十年前、わたしはそなたと会ったのだ。
（浄）先生は勘違いしてらっしゃいましょう。わたしはちょうど二十歳。二十年前、わたしはおりませんでした。ご存知なのは、わたしの父の楊でしょう。死んで久しくなりまする。
（正末が背を向ける）このものは分かっておらぬ。わざと幾つか話しをし、このものが気が付くか、気が付かぬかをみるとしよう。（唱う）
【滾繍球】そのかみ死にしなれの老太公は、などてかなれのごとき小業種を生みしなる。樗散の材はなど棟梁となるを得ん[45]。なれの歳寒の心は、松柏のごとく得ならじ[46]。一枝を遺し、なれの祖宗を継がしめど、いかでか五株のなれの兄弟となるを得ん[47]。槁木のやうに病みし形骸は、いささかの重みさへなし。乾柴のごとく痩せし体は、かやうによぼよぼ。むなしくなれの翠の眉を顰め、損なひ、つまらぬ愁はいと茂し。青き眼を見開きたるも徒にして、儂を認むることぞなき。わたしはまさにそのかみの仙翁ぞかし
（言う）見よ。掛けてあるこの剣は、わたしがむかし、質草にしたもので、今日はわざわざ請け戻しにきたのだぞ。
（浄）先生、でたらめはおやめください。この剣は、わたしが生まれていなかった時、神仙が遺されたもの。わが父は、この剣は楼上の二妖怪を除いたので、家を鎮めるために掛けると申していました。どうしておんみのものだと仰るのでしょうか。おんみはその神仙よりも何歳か年上なのだと仰いますか。
（正末）わたしはおんみと話しはせぬ。おんみの女房を呼んでくれば、わたしを知っているだろう。
（浄）おかしなことを。女房はかねてから、お酒を売りに出てきたことがございませぬから、おんみのことを存じませぬ。呼び出してきて、おんみを知っているかどうかをみるとしましょう。（呼ぶ）
（旦が登場、正末に会い、拝礼する）
（正末）小桃、そなたもこちらにいたのか。（唱う）
【脱布衫】かのひとは、烏雲は墜れ、蝉鬢はぼさぼさとして、秋波は疲れ、醉眼は朦朧とせり。酒の力は透みたれば氷の肌の色は濃く[48]、枕の痕を印せし粉の腮の香は深し[49]。
【小梁州】なにゆゑぞ両朶の桃花は紅き臉にし上りたる。こはまさにいましの真の容ならむ。思ひ起こせば、去年の今日、この門中に、いましはわれを送りしかども[50]、ここにふたたび相逢へり。
（旦）師父さま、どうしてしばらくお酒を飲みにこられなかったのでしょうか。
（正末が唱う）
【幺篇】あたかも漢の劉郎の、あやまちて桃源洞を訪ねたりしがごときなり。花をば惜しみたる人の信はあれども通じ難きをいかにせん。
（浄が旦を看て笑う）
（正末が唱う）かのものはしきりに柳の眼を窺ひ、なんぢは花の心をぞ動かせる。年の高く、德の重きがためならん。人はただ老いに臨みて花の叢に入れりと言へり。
（浄）ほんとうにおかしい、女房は先生に会い、すぐに話せるようになったし、先生のことを知ってもいるようだ。
（正末）老柳よ、もっとお酒を持ってきてくれ。お金は払うから｡
（浄が酒を持って登場）本日は師父にお会いし、女房も話せるようになりましたので、とても嬉しゅうございます。われら夫婦は師父を持て成し、ひたすら飲んで酔うていただくことにしましょう。酒代は要りませぬ。
（正末が唱う）
【滾繍球】悠然と巨觥を飲まんとすれば、かのものはいと殷勤に玉鍾を捧げたり。紅妝を出だしたる主人の情は厚くして、珍羞を列ね、鳳を炮き、龍を烹るにぞ勝るべき。
（浄）師父さま、わたしは舞うことができまする。女房にも一曲唱わせ、師父さまのため、お酒をお出しするのはいかがでございましょう。（舞い、唱う）
（正末が唱う）見よ尊中に酒の空しきことはなく、筵前に曲は終はらず。賢しき夫婦のかやうに持てなす必要のあらめやは。
（浄）師父さま、われら夫婦は、このように歌い舞い、一対となるに堪えましょう。
（正末が唱う）汝が小蛮[51]の腰は樊素[52]の喉にしぞ釣り合はざらん。「舞は低し楊柳楼心の月」[53]を見るなかれ。とりあへず「歌は尽く桃花扇底の風」を聴き、翠に倚り、紅に偎るなり。
（言う）おんみら二人の好意には感激したぞ。醉うてはいるが、おんみら二人に言うことがある。想うに人生青春は過ぎ易く、白髪は免れ難い。おんみら二人は年若く、酒色財気に惑わされ、修行辧道[54]しようとせぬが、これからどうするつもりなのだ。（唱う）
【白鶴子】年光は指を弾けばうち過ぎて[55]、世事は頭を転らせばむなしくなりぬ。ひたぶるに両枝は春を恋ひたれど[56]、そもなにゆゑぞ三生の夢なるを悟らざる。
（言う）わたしに従い、出家するのだ。
（浄）従ってゆけば、どうなるのでしょう。
（正末）従ってゆけば、（唱う）
【幺】とこしへに生ふる千歳の柏、老ゆることなき万年の松にしぞ学ぶべき。柳のおんみを玉堂に栽ゑ、花は瑶池に傍ひて種うべし。
（浄）従ってゆかなければ、どうなるのでしょう。
（正末が唱う）
【快活三】葉の凋み、翠の幕の傾きて、花の落ち、錦の機の空しうなるを免れず。かならずやなんぢらはともに淋しき月明の中にあり、鸞と鳳とは棲むを得ざらん[57]。
【鮑老児】そのときは、白雲は、灞岸の東に飄飄として、飛絮は斜陽に揺らぐべし[58]。紅の雨は漢苑の中に霏霏として、残んの英は春の光を送るべし。錦の鶯は老いて、粉の蝶は愁へて、游べる蜂はいたく怨まん。芳菲は渺渺、韶光は苒苒、歳月は匆匆たるべし。
（浄）師父さま、そのように仰られても、わたくしはこの財産と、夫婦の恩愛を捨て、おんみに従ってゆくことはできませぬ。
（旦）このかたはゆこうとはなさいませぬが、小桃は師父さまに従って、出家することを願いましょう。
（正末が唱う）
【啄木児尾】いましは霜の凝る時に、秋に得耐ふるのみにして、雪が舞ひなば、いかでか冬を過ぐすべき。悪しき末路の枯れたる楊の役立つことのあらめやは[59]。いましは南柯の一夢を見るにぞすぎざらん。われの桃花のまた春風に笑はんことにしかめやは。（旦とともに退場）
（浄）溌婦は、ほんとうに、あの先生に従って、行ってしまった。わたくしも財産、仕事を顧みず、剣を取り、身に着けて、追ってゆくことにしよう。道士めが、ただではすまさぬ。（退場）
第三折
（正末が漁師に装いを改めて登場）老いぼれは漁師にござる。一葉の扁舟に乗ることが、われらのふだんの仕事だが、われら漁夫ほど楽しいものはござるまい。（唱う）
【南呂一枝花】蠅頭の利を貪らず、蝸角の名をば恋ひ難し。行藏はみなわれに在り、得失はみな天に由りたり。江の辺に老ゆるに甘んじ、富貴はおのが願にあらず、清閑にして自然を守れり。子陵に学びて遁迹し、厳灘[60]に在り、呂望の似く韜光し[61]、渭川にぞ在る。
【梁州第七】字を知らぬ、煙波に釣する叟なれども、俗世を思ふことのなき、風月[62]の神仙となる。世の事の千たび変はらんともままよ。実丕丕として林泉に分あり、虚飄飄として鐘鼎[63]に縁なし。鬧吵吵たる東華門の外を思ひて、静巉巉たる西塞山の前にしなどか得敵はん[64]。足跡は凌煙[65]に上ることなく、夢魂はひたすら江堧を想へり。見ればかの命知らずの将軍は、虎豹関中をば過ぎて、恐れ慎む朝臣は、麒麟殿前に押し合へり。われらのやうに憂慮なく、鸚鵡洲[66]の辺に住みて、数年を渡らん方がよし。われはまことに紅塵の面を見るを怕れり。雲林は深くして、市朝は遠し。たとひ天子が呼びに来んとも船に上らず、酒興は陶然たるならん。
【隔尾】村酒を沽へばいづこも賤く、みづから鱸魚を釣らばみな鮮けし。醉ひたれば樵夫と経伝のことを語れり。春秋は幾年ぞ。漢唐の事は幾篇ぞ。誰か是にして誰か非ならん。われら二人でつぶさに述ぶべし。かの樵夫とともに数杯の酒を飲み、おもはず酔へり。わたしは蓑を脱ぎて敷き、磯頭に寝ねり。（眠る）
（浄が登場）思いがけなく、女房は、先生に従っていってしまったが、わたしは後に従って入ってきたぞ。この渡し場に来たのだが、行き止まりだわい。一艘の漁船が流れを下ってきたぞ、この船を繋ぎとめ、人が探しにきた時に、渡してもらうことにしよう。（舟を繋ぐ）
（正末が目覚める）どうして漁船が見えなくなってしまったのだ。（唱う）
【牧羊関】さきほどは、野老とともに朝酒を飲みしかば、沙鴎に伴ひ、白昼に寝ねり。覚めし時、なにゆゑぞ魚を釣る船の見えざる。こちらでは黄蘆の岸に潮は平らか[67]、白蘋の渡に水こそ浅けれ。紅蓼の花の新しき灘の下に在るにや、緑楊の樹の古き堤の辺に在るにや。人影の回りの棹を牽くを見るのみ[68]。そもこれは、柳の陰に船をぞ纜ぎたりしなる。
（背を向ける）わたしは漁師などではないのだ。わたしはわざと変化して、あのものにさとられぬようにしたのだ。（叫ぶ）男の方、その漁船は老いぼれのものですぞ。
（浄）この船はあの漁師のものだったのか。船をお還しいたしましょう。お尋ねしますが、漁師どのは、出家した先生が、年若い婦人を連れて、こちらを通り過ぎるのを見られましたか。
（正末）はい、二人が通り過ぎるのを見ました。（唱う）
【隔尾】太き眉の老叟が前を進みて、絶世の佳人が後に従ふを見き。さきほど芳洲へと渡し[69]、はや見えずなりにしも、竹林寺[70]の辺か桃花塢[71]の前にしぞ居りぬらん[72]。東風に吹かるとも、遠くへゆきたることはあるまじ。
（浄）ほんとうにどちらへいってしまったのだ。
（正末が唱う）
【牧羊関】かのものたちのところでは、七十二福地[73]、三十六洞天[74]をしぞ管轄せるなる。この河は弱水[75]と相連なれり。山号は昆侖といひ、地名は閬苑[76]、馬を繋げる郵亭の畔、客を送れる渭城の辺にはあらず。なんぢらの汴河の堤を離ること三百程、なんぢらの霸陵の橋を隔つること八千路なり[77]。
（浄）あのものがさように遠くにいようとも、わたしは追い付くことでしょう。漁師どの、どうかわたしを渡してください。
（正末）お渡しするのは簡単なことですが、おんみが心の無明火を鎮められれば、お渡ししましょう。
（浄）おやすいことです。わたしがあのものに追い付いたとき、あのものを傷つけなければよいのでしょう。
（正末）剣を帯びてどうなさるのです。
（浄）この剣はあの先生が質草にされたもの。わたしは今からあのひとに送り返しにゆくのです。
（正末）それならば、おんみを渡してさしあげましょう。
（浄が船に乗り、正末は蓑を取り、船を出す）風雪はかばかりに天に満てども、わりなくもおみを渡さん。（唱う）
【罵玉郎】見れば瓊花はたちまち飄揚すること遍く、銀の海島、玉の山川、滄波は万頃、明るきさまは練の如きなり。龍鱗のやうに雲外に飄り、鵝毛のやうに江の上に漂ひて[78]、蝶翅のやうに風の中にぞ旋りたる。
【感皇恩】はやくも天と地に漫り、さらに頭と面を撲ちたり。雪は押し寄せ、浪は千堆、雪は六出[79]の花を裁り成し、雪は柳三を圧して寝ねしむ[80]。
（浄）この雪は、みるみる降りて、まことに冷たし。
（正末が唱う）おんみはかやうに風を愁へて、雪を怕れり。雨を帯び、煙を拖けることぞなき。おんみは両の足を曲げ、両の目を暝ぢ、両の肩をぞ聳やかすべき。
（浄）わたしは立って櫓を漕ぎますから、おんみの蓑を貸してください。（蓑を借りる）
（正末が唱う）
【采茶歌】かのものはわが緑蓑を着けて、かのものは櫓縄を牽けり。柳の絲は晩風に揺れ、彼方では雪片は紛紛として、大いなること手の如く、まさに楊花[81]は滾滾として、乱れたること綿にぞ似たる。
（言う）岸に着きました。蓑を脱ぎ、わたしに還し、岸に上ってゆかれませ。
（浄が蓑を脱ぎ、言う）漁師どの、わたしはこれから、女房を探し当てられるでしょうか、探し当てられぬでしょうか。
（正末が唱う）
【哭皇天】なにゆゑぞ鴛鴦を鎖ざすに垂楊の綫をばかたく繋がざる。これよりは鸞の膠を覓めて、断たれたる弦を続ぐべし[82]。よしやそなたが碧霄に上りゆき、黄泉に下りゆくとも、げにげに天は高くして、地こそ遠けれ。そなたがわれの正しき道に従はずんば、われがそなたに迷へる途を導かずんば、柳よ、そなたは柔腸は百に結ぼれ、巧計は千般にして、全身は眼なりとも、花枝のやうな美少年[83]を見ることはなかるべし。むなしくそなたの腰肢を振れども、そなたの眉は得やは開かん[84]。
（浄）わたくしはゆく路を知りませぬ。漁師どの、わたくしを導いてゆかれてください。
（正末が唱う）
【烏夜啼】目の前にある一本の捷径は、疾きこと箭の如ければ、路を指す金鞭を索むべきやは。かならずや汝が春風の面を見しめん[85]。行く処はぐづぐづとするなかれ。坐する処は恋々とするなかれ。問はんとする時、昔年の劉阮の洞中の猿に問へかし。尋ねんとせば、旧時の王謝の堂前の燕に尋ぬるなかれ。いづかたも白玉楼、黄金殿なり。亜夫の陣中[86]、陶令[87]の門前とな見なしそ。
（浄）あちらはどんな場所でしょう。わたくしの女房はいるのでしょうか。
（正末が唱う）
【賀新郎】彼方は別の一重の天にして、なべて翠柏[88]林巒[89]なれば、いづこにか緑楊の庭院を得べき。数声の鶴唳は、かの二羽の黄鸝の囀りたるに異なれり。かの俗客を驚かす、雲間に吠ゆる犬のありとも、かの行人に聒しき、風外に鳴く蝉はなかるべし[90]。あやまちて章台の路とな見なしそ[91]。なれはかならずあやまちて武陵源にし入りぬべし。彼方では碧桃千樹のあまねく開くことあらん。なれがかの茂みにゆきて、配偶を尋むるは、これぞすなはち花の裏にて神仙に遇へるなる。
（浄）お導きに大いに感謝いたしましょう。わが女房を探し当て、戻ってまいりましたときには、ふたたびおんみにお礼を申し上げましょう。
（正末）正道は遠くない。こちらにいればそれでよいのだ。（唱う）
【煞尾】天を寛み、青鸞の便に遇はんすべはなく[92]、海を闊み、信はあれども錦鯉の伝を通ぜんことこそ難からめ[93]。長空に登り、巨淵に臨み、畳なはる山を過ぎ、大いなる川を渉らん要はなく、ただ一片の白雲を隔つるのみにて相見ゆべし。天涯は汝が目前に在り、海角は汝が足元に在り[94]。送別し、西のかた陽関を出づれば路の遠きにぞ異なれる。（退場）
（浄）さいわい漁師がわたしを渡し、さらにわたしを正しい道へ導いた。言われた通りに進んでゆかなければならぬ。ながいこと歩いたが、四方の雲入る山々は、重畳として、女房はどこにいるやら。松の木陰に洞門がある。中にはきっと人がいよう。一声尋ねてみずばなるまい。
（門を敲く。旦が登場し、門を開け、問う）どなたでしょうか。
（浄が会う）わたしはあらゆるところを尋ね、あらゆるところを探したが、こちらにいたのか。そなたとともに戻ってゆこうぞ。
（旦）こちらが家にございますから、どちらへもまいりませぬ。師父さまが中でわたしを待たれています。
（浄）この歪刺骨め、無礼だぞ。わたしがこんなに遠くまでそなたを追ってきたというのに、戻ってゆこうとはせずに、あの先生を慕うとは、どういうことだ。このような溌賤を、殺さなければ何としょう。（剣を抜き、旦を殺す）死骸は洞門の前にある川に棄て、流してしまおう。剣は蔵し、あの先生が出てきたときに、やはり殺せば、はじめてわたしの怒りを晴らすことができよう。
（外が公人に扮して登場）人殺しめが、どこへゆくのだ。
（浄が慌てて逃げる。公人が追い付いて捕らえる）人殺しを捕まえた。役所に訴えにゆこう。
（左右が取り次ぐ）
（外が孤に扮して登場）本日は登庁したが、誰がかように騒いでおるのだ。
（公人）人殺しをこちらに捕らえておりまする。犯人よ、面を上げよ。
（孤）こいつはどうして白昼人を殺したのだ。
（浄）わたくしは人を殺しておりませぬ。わたくしの女房は、一人の先生によってこちらへ連れてこられたのです。わたくしは女房に会い、わたしとともに帰らせようとしましたが、その先生に女房を殺されたのです。わたくしと関わりはございませぬ。
（孤）その先生を存じておるのか。
（浄）存じております。
（孤）左右のものよ、このものを護送してゆき、その先生を捜してきて、取り調べるのだ。（浄を護送して退場）
第四折
（正末が登場）貧道は呂岩。小桃を連れてこちらに来なければ、老柳を賺いて、やはりこちらに来させることはできなかったろう。小桃に洞を出て迎えさせたが、あきらかに老柳が小桃を殺したのだ。あのもの[95]は、今はもう、長生の境[96]に入っているから、どうして殺すことができよう。老柳はかならず逃げることだろう。そなたがどこへ逃げてゆこうと、貧道がそなたを探し出すことは、難しいことではないぞ。（唱う）
【双調新水令】今しがた、半堤の煙雨を携へ、瀟湘を過ぎ、九重の天上に栽ゑんとす。誰か思はん、朝に影を見ることなきに、晩になり凉けさを要めんと[97]。むなしく斜陽に立ち尽くし、臨吱処で、漫ろに眸を凝らしたり。
（柳が登場）あの先生だ。
（公人）今しがた、この賊を捕らえたのだが、このものは婦人はかれの女房で、そのほうが殺したと申しておるのだ。
（正末が唱う）
【駐馬聴】ひとへにいましの性の狂ほしきがために、柳絮は風に隨ひて、むなしく忙はしくしたり。憐れやな、芳しき魂は蕩ひ、散りし桃花は水を逐ひ、誰が為にしぞ香りたる。いましは天台にし入りて、大胆を逞しうせるがさつな劉郎[98]、蛾眉を掃き、毒手を下せる悪しき張敞[99]。神女を賺く楚の襄王のまねをして、巫峡より下らしめ、陽台の上にしぞ在る[100]。
（公人）いっしょに役所に訴えにゆき、おんみら二人で弁論すべし。（進む、孤が登場して会う）
（正末）貧道が稽首いたします。
（孤）道士よ、あのものはそのほうが女房を殺したと申しておるが、ほんとうは誰が殺したのだ。
（正末）あのものの女房は、わたしに従い、修行辧道していましたが、このものが探し出し、殺したのです。貧道と関わりはございませぬ。
（浄）そのものが殺したのです。
（正末）凶器を持っているものがすなわち人を殺したものにございます。
（孤）その通りだな。左右のものよ、捜索するのだ。（公人が浄を検査し、剣を見る）
（正末が唱う）
【喬牌児】昔よりかく言へり。盗賊を捉ふるに、まづ贓物を見ることあらば、役所にて供述するは必要なしと。この数点の残紅の龍泉の上に在るを見る[101]。あきらかに、小桃花は、剣の下にぞ亡びたるなる。
（孤）このものは、白昼、人を殺したのだから、命を償うべきだろう。無実の人をみだりに関わり合いにするべきでもない。この先生に手ずからかれを殺させよう。
（正末が剣を指さす）わたしに剣を還されよ。
（浄が哭く）今日、死ぬものとは思っておりませんでした。
（正末が唱う）
【雁児落】なは千条の翠帯の長き、万縷の青絲の揚がれるを徒にせり[102]。意馬を縛らず、心猿をしぞ放ちたる。
【得勝令】ああ。老いたる孤木を推し倒し、小さき池に横たへり。天を擎ふる柱とならず、海に架けたる梁となりたり。見よ一寸の春の光に、幾日か柔らかき枝の旺んなる[103]。わが三尺の秋の霜にし犯されば[104]、たちまちに落つる葉は黄となりぬべし。
（浄は殺されて目を閉じる）
（正末が剣を負い、漁鼓、簡子を打ち、孤、公人が仙人たちに装いを改めて登場）
（正末）今、悟ったぞ。
（浄が目を開く）さきほどは殺されたのに、どうして生き返ったのだろう。ああ。わたくしは城南の柳樹の精であったのだ。どうりで頭に柳の枝が生えてきたわけだ。（稽首する）師父さま、役所の役人はすべて神仙だったのですね。いったいどなたにございましょう。
（正末）この七人は漢鍾離、鉄拐李、張果老、藍采和、徐神翁、韓湘子、曹国舅。
（唱う）
【水仙子】このものは一本の鉄拐を携へて、仙郷に入れるなり[105]。このものは三巻の金書を袖に建章を出づるなり[106]。このものは数声の檀板を敲きつつ方丈に游ぶなり[107]。このものはさかさに驢に騎り上蒼に登るなり[108]。このものは笊籬を提げ椒房を認むるなきなり[109]。このものは葫蘆を負ひ、神通は大いなり[110]。このものは牡丹を種ゑて姓名は香りたり[111]。
（浄）七人の神仙をわたしはすべて知りました。師父はいったいどなたなのです。
（正末が唱う）貧道は柳を度脱せしために、道号を純陽といふ。
（浄）わたくしは今しがた気が付きました。師父は呂真人、わたくしは城南の柳樹の精にございます。
（正末）そなたが本来面目[112]を悟ったのなら、わたしはこたびそなたを度脱成道させよう。今からわれら群仙に従って、ともに瑶池の西王母さまの蟠桃会に赴こう。桃花仙女は、どうしてこちらへ桃を献じにこないのだろう。
（旦が桃を捧げて登場）師父さまのため、度脱して仙人となり、自分が結んだ仙桃を、王母さまへ差し上げて、誕生祝いをするとしよう。（会う）
（正末）さきほど殺したのはあのものの幻の身ぞ。あのものは瑶池の仙種で、すでに長生不死の郷へと入っているのだ。ひとえにおんみ老柳が土木の物[113]で、入道するのが難しいため、あのものを塵の世に遣わしたのだ。（唱う）
【落梅風】ひとへにおんみが官路に臨み、粉牆を出で、たちまちに花の移ろひ、花の咲きたるがため、愚かな崔護の洞門の前に来て、漿を求むることを招けり[114]。とりあへず桃源の故人[115]のおんみの恙無かりしを喜べり。
（仙人たちが進む）
（旦が王母に扮し、金童、玉女を連れて登場）わたくしは西池金母だ。本日は蟠桃宴を設けたために、諸八洞の神仙たちはみな会に赴いてくる。
（仙人たちが会う）
（正末）今日、呂岩は老柳と小桃を度脱して、娘娘の前に連れてきて、誕生祝いをさせまする。おんみら二人はやってきて、娘娘に参見するのだ。（会う）
（旦が桃を献じ、浄が酒を献じ、仙人たちは楽を奏でる）
（正末が唱う）
【滴滴金】見ればこの仙袂は飄飄、仙姿は綽約、仙音は嘹喨として、人は五雲の郷に在り。くはふるに、かの宝殿は参差とし、蓬山[116]は掩映し[117]、瑶池は揺漾ぎ[118]、げにげに半畝の方塘[119]に異なれり。
【折桂令】げに紅塵を隔つれば、景物は常ならず。天つ方には彩鳳のこもごも飛びて、青鳥は翱翔るなり。かの瑶草[120]と隣と為りて、霊椿[121]は共に茂りて、丹桂は同に芳し。なれをして風の清けく、月の朗るきを占断せしめり。根を張れば、地は老いて、天は荒れたり[122]。なにせんに垂楊を折り取りて、扶桑に移せる。五千歳の遐齢を得なば、九十日の韶光[123]に勝るべきなればなり。
（王母）蟠桃宴は終わったぞ。老柳よ、仙人となったのだから、洞賓に隨ってゆくがよい。小桃はわたくしの左右にいるのだ。仙人たちよ、わたくしがかれら二人を解説するのを聴くがよい。
（詞）柳と桃は、このたびは度脱したれば、妖嬈婀娜をまた逞しうすることはなかるべし。金縷千条のいましに言はん。紅雲一朶のいましに言はん。いましは灞岸にゆきて煙を拖くなかれ。いましは玄都[124]にゆきて火を噴くことなかれ。柳絲は意馬をかたく繋ぎて、桃樹は心猿をぞかたく鎖したる。いましは酒色財気をなして、いましは是非人我にぞ別るる。本日は、老柳は仙風に染み、小桃とともに正果を成せり[125]。
（旦、浄が謝する）
（正末が唱う）
【随尾】これよりは、溪花[126]は人の相傍ふことを喜びて、岩枝[127]は風に揺蕩んことを恐れざるべし。本日は繁華の夢はまさに醒むれば、翠紅の郷をなふたたび想ひそね[128]。
