劉晨阮肇誤入桃源雑劇

王子一撰

第一折

(冲末が太白星官に扮し、青衣童子を連れて登場)わたくしは天界の太白金星。上帝さまの勅命を奉り、下界に臨み、人の世の善悪を糾察している。天台山桃源洞の二仙女は、天界の玉女であったが、俗心をたまたま起こしてしまったために、人の世に落とされた。天台県の劉晨と阮肇は、日ごろから、仙人となる素質を持ち、晋が衰え、奸臣たちが権力を奪ったために、甘んじて山林で、修行をし、煉薬し、毎日を過ごしている。今日はかならず天台山に登って薬草を摘むから、白雲で、その帰り道を迷わせ、樵に化けて、かれらを桃源洞へと導き、二人の仙女と出会わせて、良縁を成就してやれば、おおいに宜しいことであろう。ただ惜しいことに、劉、阮は、俗縁がいまだ断たれておらぬため、かならず家へ帰ろうとすることだろう。そのときに、わたくしがふたたびかれらを度脱したとて、遅くはあるまい。これぞまさしく、やすやすと雲をも掴む手を伸ばし、山中に薬草を摘む人を導く。(退場)

(正末が劉晨、外が阮肇に扮し、それぞれ小道具を持って登場)それがしは姓は劉、名は晨、こちらにいるのは弟で、姓は阮、名は肇といい、ともに天台県の者。幼くして詩書を学び、長じては志をば同じうし、奸佞の朝廷にあり、天下のまさに乱れんとするさまを見て、山林に身を潜め、功名を得ることを望まなかった。このたびは、天台山に、草庵を建て、弟と修行している。聖人も「天下に道があらば(あらは)れ、道なくばすなはち隠る」[1]とのたもうているではないか。大いに時宜をわきまえているというわけだ。(唱う)

【仙呂点絳唇】煙霞に嘯き、功名を心に掛くることなかれ。ひそかに年は過ぎゆきて、青鏡に白髪を添ふ。

【混江龍】山間林下で薬炉に伴ひ、経巻を読みつつ老いたり。眼には車塵と馬足を見ず、夢は蟻陣と蜂衙に到らず[2]、閑な時には白雲を静かに払ひ、瑞草を探し求めて、悲しき時には明月を鋤き[3]、梅花を植ゑたり。北闕[4]に上奏し、東華[5]に待機するを求めず。(おほとり)[6]のかやうに翅を畳めるは、狼虎[7]の牙を研ぐによるなり。恐るるは、身を斬る鋼剣、愁ふるは(あたま)を砕く金瓜なり。湘水の屈原と、長沙の賈誼にいかでか学ばん。願はくは、湖に帰りたる范蠡か、酒を吹きたる欒巴[8]とならん。閑客を連れ、山に登りて、薬草を摘み、村童を呼び、水を汲み、茶を湧かすべし。戦争を恐れ、征伐に怯え、俗世を逃れ、繁華を遠ざけ、富貴を抛ち、貧乏に就く。聖賢に学んで是非の心[9]を洗ひ、漁樵[10]とともに興亡の話を論ぜん。曹゙は、禍福を知りし、馬を失ひたる塞翁。笑ふべきは、蛙を聞いて公私を問ひたる晋恵[11]なり。

(阮肇)兄じゃ、晩春ですから、いっしょに天台山に登って、薬草を摘みましょう。かような景色は、ほんとうに観賞するにたえるものです。

(正末が唱う)

【油葫蘆】天台に一たび登れば、石の(こみち)は滑らかにして、翠の霞をぞ踏める。ただ見るは、竹の籬に(ちがや)(いへ)が二三軒。聴くは夕陽にいたく啼く杜宇(ほととぎす)。今や春風桃李の花は咲きをへて、長沮に就きて耕を事として、厳陵[12]に倣ひて釣槎(てうさ)[13]を操らんとす。杖頭につねに青銭[14]三百文を掛けたるは[15]、県衙に三日坐するに勝れり。

【天下楽】そぞろに春の風を追ひ、落つる花をぞ数へたる。栄華を誰か恋ふべけん。瓦盆[16]の脇で幾たびも沈酔し、快き清風に(うはぎ)の袖を膨らましたり。紅塵に倦み、径は狭く、相逢ふも馬を下らず。

(言う)高いところに登り、険しいところを踏み、もう疲れたから、この松陰(まつかげ)で、石を払って、腰掛けて、しばらく休むことにしよう。(腰掛ける)

(阮肇)わたしはあなたと山林で修行しておりますが、貧しい家に住み、高いところへ上り、遠いところを眺めているだけ。朝廷の役人は、恩沢を天下に施し、名声は後世に伝わりますが、いずれが勝っているのでしょう。兄上のお考えはいかがでしょうか。

(正末)弟よ、役人暮らしは、所詮われらの侘び住まいには及ばぬぞ。(唱う)

【那】朝廷で賢を薦めし叔牙は憎まれ[17]、林泉で琴を弾く伯牙[18]は誇りて[19]、磻溪[20](うを)を釣る子牙[21]は老いたり[22]。人の心は馬の肝[23]をば食らふがごとく、世の味は蜂の蝋をば噛めるがごとし。嘆けるは、世の事どもの紛紛として沙を丸めしごときなり[24]

【鵲踏枝】繁華より遠ざかり、清佳に近づき、火をもて丹砂をば鍛へ、水をもて黄芽[25]を煮たり。心猿意馬[26]をしつかり縛り、利鎖名枷[27]をばただちに解かん。

(阮肇)この幾年か天下は乱れ、戦乱はならび起こって、風塵[28]は収まりませぬ。英雄が今生まれれば、事業を成すのは、(あくた)を拾うかのようなものでしょう。

(正末)「賢者は世を避け、次に地を避け、次に色を避け、次に言葉を避ける[29]」のだ。弟よ、やはりわれらの考えのほうがきわめて優れているのだ。(唱う)

【寄生草】願はくは、軒冕[30]を棄て、俗世を離れ、泉石に傍ひて過ごさん。英雄は並び起こりて霸を唱へんとし、煙塵は並び起こりて戈甲を起こし、異端は並び起こりて風化を損なへば、御身とともに韜晦し、山中に老いんとぞせる。斉家治国や平天下よりはるかに勝れり。

(太白が老人に扮して登場)劉、阮の二人が来たから、あらかじめ白雲で、かれらの帰る道を遮り、樵に化けて、路傍に立とう。かれら二人はかならず道を尋ねてくるから、桃源洞に導いて、宿を借りさせ、二人の仙女と会わせよう。

(正末が阮とともに歩く)弟よ、日はだんだんと暮れてきた、薬草はもう摘んだから、山を下って家に帰ろう。(唱う)

【幺篇】行き行けば山は尽くることなく、行き行けば路はますます(わろ)し。白雲のやうやう高き低きに立ち籠めたるがため、心はひそかに驚けり。村の翁は遠きより迎へ来たれり。山路に迷へば樵に尋ねん。竹院[31]を訪れて、僧に逢ひ、話すがごとし[32]

(会う、太白)賢者どの、なにゆえにこちらに来られた。

(正末)兄弟二人で山に登って、薬草を摘み、足に任せて遊覧し、こちらへ来たのでございます。(唱う)

【酔中天】足に任する山の(もと)、耳をば洗ふ水の(きし)。路に迷ひてあたふたとせり。

(言う)ご老人に会うことができ、

(唱う)占ひをしていただくがごときなり

(太白)お二方、お名前とお住まいをお話しください。

(正末が唱う)二人はもとより東荘の貧乏書生

(太白)お二人は顔立ちが整っていて、出仕している方々とお見受けしますが。

(正末が唱う)科甲[33]に名を記されたると思し召さるな

(太白)ほかにお連れはいらっしゃいますか。

(正末)連れならば、

(唱う)麋鹿(びろく)魚蝦(ぎよか)のあるのみぞ。[34]

(言う)わたくしは姓は劉、名は晨といい、弟は姓は阮、名は肇といい、今、天台山に閑居して、修行しているのです。

(太白)修行してらっしゃるのなら、毎日山でどのような仕事をし、過ごしていらっしゃるのです。

(正末が唱う)

【金盞児】われらに素性と、仕事をば訊ねられたり。わが(いへ)の番をする(ましら)と鶴は年ふりて、門に生へたる松と桧の樹は槎たり[35]。道書[36]はつねに玉案[37]に満ち、仙帔は青霞を畳みたり[38]。これこそは山中の閑宰相、林下なる野人の家なり。

(太白)お二人は書を読む立派な方々とお見受けします。今、朝廷は賢良方正の士を募っておりますが、功名を求められずに、山林に隠遁されているのは、いったいなぜなのでしょう。

(正末)わたくしは弟と山林の幽雅を慕い、生涯を終えようとしておりますので、役人のまねなどはいたさぬのです。(唱う)

【後庭花】軒車と駟馬を望むことなく、根椽片瓦(こんえんへんぐわ)[39]もなきことを願ひたり。一品の職、千鍾の禄を得たとて、いづこにか六韜の書と三略の法のあるべき。かれらはいづれも井の中の蛙にて、みだりに驕り高ぶれり。周公のやうに髪を握らず[40]、陳蕃のやうに(しぢ)を下さず[41]、空しく実を結べる木瓜[42]か、彫琢を費やせる水晶塔[43]なり。斗筲の器[44]は誇るに足らず、糞土の(かべ)[45]は脆くも崩れん。子供らが見ば、いたく驚き訝らん。

【青歌児】江山の絵のごときこともあだなり。ただ飯囊と衣架にぞすぎざる[46]。長安に満ち、乱れたること麻に似て、大いなる(はた)高き(はた)[47]、冠蓋に儀仗を日ごとつらねたり。風采は醜悪なるも、服装はみな豪華なり。性根は奸悪、物腰は謙遜を欠き、がやがやと勝手に騒ぎ、さんざんにわれらを虐げ、いろいろな言葉を浴びせ、さまざまな諍ひを起こしたり。ゆゑにわれらは王侯に仕ふることなく、名をば知らるることを求めず。名を隠し、農民となり、耕作を学びたり。

(太白)お二方、ここから山まで、さらに何里かございます。日はすでに暮れましたから、もし戻られれば、狼や虎に殺されましょう。緑の山の彼方には、紅い日がまっすぐに沈んでいきます。桃源洞には人家がございますから、一晩お泊まりになられるべきです。

(正末が手を擧げて謝する)ご案内いただきまして、ありがとうございます。(唱う)

【賺煞】山に行き、()を摘みて帰らんとしたれども、(かは)にて青き草を踏むとは異なれり。路は遥かに、芒鞋(わらじ)は破れ、西風(あきかぜ)の吹く古き道にて、痩せ馬を鞭もて打つがごときなり。嘆けるは、明日の朝、天涯に(かうべ)(めぐ)らせんことぞ。悲しむなかれ、必ずや道は通ぜん[48]。枯れし木と、寒き煙に、晩の鴉はうち騒ぎ、き山をば眺むれば、き日はただちに沈みゆきたれど、雲の深きところに人家あり。

(阮とともに退場)

(太白)かれら二人を桃源洞へ導いたから、別に青衣の童子を遣わし、二人の仙女に告げ知らせ、この夙縁を成就しよう。

(詩)真を求めて、路の遠きを覚ゆることなし。はやくも見たり、斜陽の樹々の梢をめぐるを。咫尺の洞天、風景は異りて、碧桃の花の下、鳳鸞は相交はれり。

(退場)

 

第二折

(二旦が仙女に扮し、侍女を連れて登場)われら二人は天界の玉女だったが、たまたま罪を犯したために、人の世に堕とされて、天台山は桃源洞に住まいして、もう久しくなる。太白星官が青衣の童子を遣わして、知らせてきたが、天台県の劉晨と阮肇は、われらとは五百年(いおとせ)の宿縁があり、薬草を摘みにくるので、かならず出会うだろうとのことだ。侍女たちに、お酒と果物を用意させ、洞を出て、みずから迎えにゆかねばなるまい。

(正末が阮肇とともに登場)山に入り、薬草を摘み、ぐずぐずとして、日は暮れて、白雲に帰りの路を阻まれてしまったが、憔に逢って導かれ、桃源洞の人家に行って、一晩泊まることにした。数里進んだが、まだ着かない。弟よ、かような路で、高いところに登ったり、険しいところを踏んだりし、苦しい思いをしつくしたぞ。(唱う)

【正宮端正好】風は激しく、羽衣(うい)は軽やか、露は湿りて、烏巾は重し。わたしはもともと紅塵に倦み、樊籠(とりかご)を跳び出でて、雲霧を掻き分け、丘隴に登らんとせり。世外に身をおきて、擒はるることぞなき[49]

【滾繍球】香はしき松花(まつかさ)は落ち、山路に迷へり。密なる苔の痕長く、野の径をば封じたり。静かに煙霞に鎖さるる、古崖深洞。高々と星河に接する、峭壁峰。騒がしく塒に帰る鴉は暮の空に鳴き、悲しげに玄き(ましら)(ゆふべ)の風に嘯けり。幾たびも鷓鴣は啼き、ますます進むことはかなはず。ごつごつとした虎豹は蹲り、龍に跨りて[50]、白茫茫たる山麓の雲の深みをあまねく見、黄滾滾たる咫尺の人間、路の通ずることはなし。眼を見張れども、東も西も知るすべはなし。

【倘秀才】九転の丹砂を鍛へし葛洪と[51]、万丈の昆侖に登りたる赤松に学ばんとせり。ゆゑに風雲変態の(うち)に入らんとぞせる[52]

(言う)弟よ、(たにがわ)の流れる水に、花びらが幾つか落ちているから、きっとこの山に人家があろう。

(唱う)ただ見たり、(たにがは)をゆく水の青、数片の落花の赤の、春を送るを

(言う)弟よ。かような景色は、ほんとうに美しいもの、ひとまず何句か詠むとしよう。

(阮)兄上が何句かお詠みになられましたら、拝聴させていただきましょう。

(正末が唱う)

【滾繍球】水は、黄河の天より来たるにあらずや。花は、碧桃の天に植ゑられたるにあらずや。水は、翠の岩に三千丈の玉泉の迸るにぞまさりたる。花は、西の園をば騒がせし一群れの蜜を醸せる蜂を無情に捨て去れり[53]。水は、ひたすらに立ち籠むる弥生の雨。花は、憐れにも一夜の風に散らされぬ。水は、碧き波へと近づきて、世のしがらみを洗ひ流せば、(たにがは)は一面光り輝けり。花は、その性軽薄にして乱れ落ち、春工[54]を費やしたるもあだなりき。水は、長江に後ろの浪の前の浪をば促すがごと。花は、はや一片は西に飛び、一片は東に飛びて、歳月は匆匆として流れたり。

(倘秀才)長嘯すれば草木は揺れ動き、悵望すれば風涛は怒り涌きたり。悄然と悲しみて、悚然と恐れたり。

(阮肇)流れる水に沿って訪ねてゆきましょう。この先にきっと漁師の家があり、泊まれましょう。

(正末が唱う)漁師の家と春水に掛けたる橋を見るを得ず。

(阮肇)この山におそらく寺があるのでしょう。

(正末が唱う)寺の(ゆふべ)の鐘を聞き得ず。

(言う)弟よ、

(唱う)われらは樵に騙されたのではあるまいな。

【滾繍球】危ふげな橋を渡りて、か細き(つゑ)に縋りつつ、清き流れを下に見て、古き松にぞ凭れたる。

(言う)弟よ、川上からご飯が一碗流れてくるぞ。

(唱う)一碗の胡麻飯は緑の波に浮かび動けり

(取り、分けて食べる)

(唱う)想ふに(くりや)はただ雲の峰を隔つるのみならん。一二里進めば、楼台三四層を見る。嵯峨として鸞鳳は走り飛び、煌きて金碧は玲瓏たり。

(内が奏楽する)

(正末)これは何の音だろう。

(唱う)仙犬の天に鳴きたるにもあらず、樵歌(そまうた)の谷に起これるにもあらず。

(言う)聴いてみることにしよう。(聴く)

(唱う)ただ聴くは、環珮(おびだま)丁冬(ティントン)たる。

(二人の仙女が侍女を連れ小道具を持って登場)劉晨と阮肇がもうやってきた。侍女を連れ、酒礼[55]、楽器を手にして迎えにゆかねばならぬ。

(正末が会う)

(詩)天と樹の色は蒼蒼、霞は深く、路は遥けし。雲竇[56]は山に満ち、鳥雀なく、水音は(たにがわ)に沿い、笙簧あり[57]。碧紗洞中、乾坤は異なりて、紅杏枝頭、日月長し。願わくは花間に行人の出で、仙犬の劉郎に吠ゆるを免れしめんことを。弟よ、霞光鳳馭、羽蓋霓旌、笙歌の繚繞、珠翠の妖撓たるを見よ、これらはいずこより来しものぞ。

(阮肇)まことに不思議、まことに不思議。

(正末が唱う)

【呆骨朶】鐵石の人さへも凡心を動かさん。青鸞に騎る天上の飛瓊[58]にあらずや。かやうなる麗しき神仙は、文章巨公[59]を動かせり。(相見える)

(旦)劉さま、阮さま、いっしょにわが家にいらっしゃいませ。

(正末)この人はどうしてわれらの姓名を知っているのだ。劉さま、阮さまと呼ぶとは。弟よ、われらは夢を見ているのではあるまいか。

(唱う)はしなくも。風流陣に突き当たり、花胡同へ導かる[60]。並ぶは金釵十二行、夢にて巫山十二峰へと上るらん。(歩いて倒れる)

(正末)この場所は、とりわけゆかしく、出塵の想いを人に抱かせる。われらは何の縁あって、この地に辿りついたのだろう。(唱う)

【脱布衫】輝ける貝闕珠宮[61]、整へる碧瓦朱甍、広々とした羅幃繍[62]、高々とした画梁雕棟。

【酔太平】碧筒[63]に金波[64]を注ぎ、紗籠[65]にて銀燭を焼く。笙歌は画堂へと至り、紅と翠に覆はれり。人心は今まさに相重んずべし、人情は今宵はじめて相共にせり。人生はいづこにか相逢はざらん。はやくも夜の永きを忘れり。

(旦が思わせぶりに杯を手に取る)粗末な宴で、賢者をお持て成しするのには十分でございませぬ、まことに恐れ多いことです。

(正末が謝する)われらは不才の身でありながら、分外のお持て成しを受け、申し訳なく思うております。(唱う)

【倘秀才】ただ見る。かれはすすんで歓会し、いそいそと逢引をしたるに似たり。われはいかでか受くるを得ん。翠袖の殷勤に玉鍾を捧げもち、屏風(ついたて)に金の孔雀は羽開き、(しとね)は刺繍の芙蓉を隠し、まことに快きことを。

(小旦が金童玉女に扮して登場)われら二人は、王母さまの命を奉じて、この仙桃を桃源澗の二人の仙女に捧げにきました。くわえて、婿を得られたことを寿ぐこととなっております。

(正末)弟よ、この話はどこからふってわいてきたのだ。

(阮肇)兄じゃ、「酒の中にて道を悟り、花の中にて仙に遇う」[66]と申しましょう。これもまた普通のことにございます。

(正末が唱う)

【滾繍球】げにこれは、羅綺の叢、錦繍の中、紅妝は出で、主人の情の厚きなり。玳筵は開かれて、鳳を()き、龍を烹て[67]、細腰の舞、皓歯の歌、琉璃の(さかづき)、琥珀の(さけ)[68]を楽しめり。一杯を飲むごとに吟ずればいくばくの文字とやならん。仙桃を捧げもちたる金童玉女は両脇に並びたり。知らぬ間に、舞は低し楊柳楼心の月、歌は尽く桃花扇底の風[69]。宴はまさに終はらんとせり。

【叨叨令】軒轅の華胥の夢など憶えておらず[70]、淳于の南柯の夢に倣はず[71]、文王の非熊(ひいう)の夢を望むことなく[72]、荘周の蝴蝶の夢を成すことはなし[73]。福分といふものは、福分といふものは、襄王の高唐の夢[74]を見ることに違ひなし。

【三煞】帽の檐は傾きて、簪花(かざし)は重く、(うはぎ)の袖は濡れそぼち、汚酒は濃し[75]。絲竹を奏で、(しやう)を移して()を換へて[76](おしろい)(あぶら)を塗りて、()[77]を走らせて(くわう)[78]を飛ばせり。それぞれが艶やかに装ひて、一対一対、美しく舞ひ、優しく歌ひ、一声一声、ゆつくりと(つまはじ)き、かるく(おさ)へて[79]、兄弟のことも忘れて、酔顔は紅くなりたり。

【二煞】杯はいまだ尽きずして、笙歌は流れ、意はやうやく打ち解けて、話は合へり。文君のごとくひそかに相如のもとへ走りゆき、巫娥[80]のごと宋玉に従はんとす。鶯鶯[81]のごとくひそかに張生と逢はんとし、孟光[82]のごとくみづから梁鴻と婚約をせんとせり。いづれは鶴に騎らずば[83]、鰲に登るべし[84]。今夜はあたかも龍に乗る[85]。鸞鳳の一羽なりとは誰かいふべき。天は雌雄を配せられたり。

【随煞尾】色は籠葱(あをあを)、光は瀲。山河はめぐる天台洞。(すがた)周旋(うねうね)、形は曲折(くねくね)虎踞龍盤(こきよりゆうばん)の仙子宮[86]。もともとは薬草をそぞろに摘める翁なりしも、誰か想はん、桃源に径の通じたらんとは。人生の転蓬[87]のごときをむなしくうち嘆き、相逢ふも夢中なるかとなほも恐れり。月影は、夜にも鎖すことのなき蘭房に満ち、かの人は幾重の珠簾の彼方にかある。同心[88]を結べば心はすでに同じく、合歓[89]を結べば楽しみまさに濃し。金炉を焚き終へ、宝篆(けむり)[90]は空しく、銀台[91]を焼き罷わり、燭影(ほかげ)は紅し。おのが身は、天台花樹の茂みにありて、夢は陽台雲雨の道に入りゆけり。(おほとり)の枕と(をし)(ふすま)を整へ、玉人[92]と共にして、若く美しき、志誠の(ひと)[93]を結び合はせり。(ともに退場)

 

楔子

(小旦が登場)わたくしは桃源洞の仙女の侍従。劉晨さまと阮肇さまは、わが仙女さまと五百年(いおとせ)の夙世の縁があったため、去年の春に結婚されて、もう一年になろうとしている。ところが二人は俗縁が断たれぬために、もう帰ろうとされている。本日は、あらかじめ酒、果物を持ってゆき、十里の長亭[94]に伺候し、わが仙女さまが劉さまと阮さまを送別するのを待っているのだ。

(正末が阮肇、二旦とともに車に乗って登場)われら二人は去年の春から桃源洞にやってきて、お二人の持て成しを受け、もう一年になりました。香、玉のごとく心地よい、懇ろなご厚意は申すに及ばず、繍閣や蘭房も、みな快いものでした。いかんせん、心の中ではひたすらに故郷(ふるさと)へ帰ろうと思っております。今やふたたび晩春の季節となって、さまざまな鳥は野に鳴き、帰ろうと思う心は、いよいよ激しくなりましたので、ひとまずお別れ申し上げ、帰ろうと思います。お怪めになられませぬよう。

(二旦が悲しむ)われら二人は一生を托そうと思いましたに、たった一年で、お別れでしょうか。諺に「心が去れば留まることは難し」といいます。お送りしましょう。みずから十里の長亭にゆき、一杯を餞別といたしましょう。(酒を斟ぐ)

(正末が返杯をする)

(旦)ひとまず一首の詩を作り、お贈りしましょう。

(詩)殷勤にお送りし、天台を出でたれば、仙境になどかふたたび来るを得ん。雲液[95]は、帰らるるなら、つとめて飲むべし。玉書[96]は用のなき時は、しきりにな開きたまひそ。花は洞にはとこしへにあるべきも、水は俗世に到らばまさに返らざるべし。(たにがは)のほとりにて、うち嘆き、これより別れん。碧山の明月は、蒼苔をしぞ照らしたる。

(正末)ご厚意ありがとうございます。このように、お心遣いいただきますとは。ただこの別れは長くはなく、十日足らずで、また会うことができましょう。(唱う)

【仙呂賞花時】なにゆゑぞ三畳の陽關[97]を愁へて聴かざる。悲しみを描くこと難ければなり[98]。人はたやすき別離を嘆き、流鶯は樹の頂で、はや啼き出だす断腸の声。

【幺篇】緑は暗く、紅は稀に、鳳城を出づるがごとし。岸辺にて並べたる玉瓶を傾け尽くせり。十里の長亭に到りて、険しき嶺を登るを避け得ず、すべからく(かうべ)(めぐ)らし、行方を問ふべし。(正末が阮とともに退場)

(旦)かれら二人は行ってしまった。われらはかれらと琴瑟のごとく和し、松蘿のごとくともに倚ろうと思ったが、かれらは俗縁を断たずに、たちまちに帰ろうとした。夙世の縁があるといっても、悲しみを感じないわけにはゆかない。もし天が幸いをわれらに与えてくださるのなら、ふたたびかれらと会うことも、あるかもしれない。

(詩)人の世に路はなく、水は茫茫、玉洞の桃花はむなしく香るなり。ただ恐る、韶光[99]の衰へやすきを。いつの日かまた劉さまに会ふを得ん。(ともに退場)

 

 

第三折

(浄が劉コに扮し、沙三、王留らを連れ、小道具を持って登場)それがしは姓は劉、名はコといい、今、天台県十里荘に住んでいる。時は春社[100]にあたり、わたしが牛王社の会首[101]をすることになった。今日はこの村の父老、沙三、王留らを招き、わたしの家で祭りをしている。豚と羊はすでにみな屠殺して、人々とともに平安紙[102]を焚いて、瓜棚で供物を分け、胙を受け、酒を飲んでいる。牛表、伴哥よ、柴の戸をきっちり閉めて、宴に誰かが入り込もうとしたときは、中に入れるな。

(衆が太鼓を打ち、紙銭を焚き、酒を飲む)

(正末が阮肇とともに登場)桃源洞の中に行き、二人の娘と結婚したが、知らぬ間に、一年がたってしまった。鳥たちが春に鳴くのを聞いて、たちまち故郷に帰ろうと考えて、ふたたびもときた道を辿って、家に帰ろうとしているのだが、弟よ、おまえも気付いているのだろうが、眼の前の景色はすっかり変わってしまって、ほんとうに悲しいことだ。(唱う)

【中呂粉蝶児】免は走り、烏は飛びて[103]、古今の興廃、尽くることなく[104]。急ぎ戻れば、物は換はりて、星は移れり。鳳鸞の(まじはり)[105]、鶯燕の(とも)[106]五百年(いほとせ)の夙縁を成就せり。ほどなく手を執り、相別れ、むなしき恋慕と憔悴をしぞ招きたる。

【酔春風】ただ紅きこと灼灼たる(いはむろ)の花、碧きこと澄澄た(たにがは)の水により、劉、阮は桃源に入る。げにも麗し[107]。繁華を楽しみ、人物をじつくりと眺むれば、これは一つの別天地なり。

(道を歩く)

(阮肇)兄じゃ、この路はまったく昔と違っていますが、なぜなのでしょう。

(正末が唱う)

【迎仙客】(さか)を下るは地の(あな)に落つるがごとく、険しき嶺は天の(かけはし)を上るがごとし。これぞまさしく、蝴蝶の夢に、故郷は万里。やうやく雨が收まれば、たちまち風はまた起こり、かやうに風雨は淒淒たれば、江山が麗しとははや言ひ難し。

【紅繍鞋】三五軒、人家のまばらにあるを見る。百千里を過ぎ、路はくねくね。新郎は馬を飛ばすがごとくして帰りゆくとは言ひ難く、林の深く、鳥の音の小さきをしぞ愁へたる。怕るるは路の遥けく、客の歩みの遅きなり。ああ。そもこれは鷓鴣の煙樹の(うち)に啼くなり。

(言う)はやくもここにやってきた。あの古い寺を見ながら、小橋を渡れば、そこが我が家だ。(唱う)

【酔高歌】かの蕭蕭たる古寺を見ながら西へ行き、この泛泛たる危橋を渡りて北に曲がれば。はやくも寂しき村里の、遊びなれたる場所に至れり、ここははつきり覚えてゐるぞ。

(正末が仕草をし、びっくりして会う)これはおかしい。この二株の松の樹は、わたしが行く時、手ずから栽えたものなのだ。天台山へ薬草を摘みにいき、たった一年だというのに、二株の樹はどうしてこんなに大きくなってしまったのだろう。おかしなことだ。

(阮肇)わたくしも覚えております。こんなにはやく大きくなるとは。おそらくは地が肥えているのでしょう。

(正末が唱う)

【普天楽】幾星霜を過ごしたわけでもあるまいに、なにゆゑ松は(うろ)をなし、木は(こみち)をば成したるや。往きし時には、嫩らかき苗木を土を踏み固めつつ栽ゑしかど、今日は、老いし樹の天を衝きつつ立つを見る。この景物のいにし日と異なるを見て、思はず心にくさぐさの疑ひをしぞ抱きたる。頽れし塀や壁は直され、明るき窗に浄き机は整へられて、(ちがや)(いへ)と疏らな籬は改まりたり。

(門を叩く)開けてくれ。戻ったぞ。

(浄)宴を邪魔するやつが来た。開けないでくれ。

(正末が唱う)

【石榴花】ただ見る、野の風の紙銭の灰を吹き起こし、冬冬(トントン)と雷のごと太鼓を敲くを。そもこれは村の父老と大勢の知り合ひたちが、牛王の社日を祀り、尊罍(さかだる)を並べたるなり。(叫ぶ)劉弘よ、開けてくれ。開けてくれ。

(唱う)この柴の()の前に来て、わが子の諱を呼ばへども、かのものたちは(もだ)しつつ杯を手に執れるなり。それぞれが頭を垂れて、目もくれず、酔ひしふりをす。はじめて信ぜり、人の情の定めのなきを[108]

【闘鵪鶉】本日は錦の衣で故郷に帰れば、息子よ、おまへも急ぎて門を開くべし。

(言う)劉弘よ、はやく開けてくれ。

(唱う)おまえはただの宴に踏み込む食いしん坊。なぜ劉弘と叫ぶのだ。打たれたいのか。

(正末が唱う)わたしがここで名を呼べば、かれはあちらでつべこべと言ひ、餔啜(ほてつ)の人[109]の宴に踏み込み、酒食を貪らんとせるかと思ひなしたり。かやうに勝手なことをして、旅をせしわれらをば虐ぐるとは。

(浄)本日、村の父老たちは、わが家で牛王社を祀り、紙銭を焼いて、それぞれの家の平安を祈願している。どこから二人の恥知らずどもが、酒と肉とを喰らいにきたのだ。一年中、縁起が悪くなってしまうぞ。

(正末が唱う)

【上小楼】ただ見る、かれはわづかな間に、あらゆる手立てを使ひ尽くせり。げに理は人を従はしめず、(ことば)(のり)を諳んじず、話は合はず[110]。悪しき行ひ、悪しき考へ、乱暴は見るにぞ堪へざる。意気軒昂なる畏るべき後生(わかもの)とははや言ひ難し。

(浄)こいつは宴に踏み込んで、言いたい放題抜かしておる。牛表、沙三よ、すぐに追い出せ。

(衆が打つ)

(正末が唱う)

【幺篇】まことに色を重んじて、賢を尊び、自らを救はずに人を救へることぞなき。牛表、沙三、伴哥、王留は、大声を揚げながら、やつてきて、手に棒を持ち、脚で蹴り、われらに逆らふ。これこそは、子供らの孝行に力を尽くしたるならめ[111]

(言う)わしは劉晨、弟の阮肇と、昨春、天台山に上って薬草を摘み、今年、家へと帰ってきたのだ。おまえは誰だ。わしを打つとは。

(浄)おまえら二人は見慣れない、怪しい奴らだ。わしはおまえらなど知らぬ。はやく行け。はやく行け。

(正末が唱う)

【満庭芳】見慣れぬ怪しき奴らだと言ひ、乱暴せんとしたれども、姓名を尋ぬべきなり。三千丈の虹霓と英雄の気を吐く者はなく、長幼尊卑にまつたく構はず。

(浄)わが父親の劉弘は生きていたとき、祖父劉晨が、天台山に薬草を摘みに上って帰らなかったと言っていた。もう百余年たっているから、狼か豹に食われてしまったのだろう。祖父のことなど話してどうする。

(正末が唱う)おまえはわしが天台山で狼か豹に食われただろうと申すが、わたしは桃源へと入り、雲雨の約を交わしたのだぞ。虚勢を張って、鬼神を欺くのはやめよ。「人が善ければ人に欺かる」とはこのこと。

(浄)かれら二人は馬鹿か阿呆だ。親父は生きていたときに、祖父劉晨が天台へ薬草を摘みに上ったと言っていた。その年に手ずから植えた門前の二本の松が、今では百余年たって、こんなに大きく育っているのだ。わしの親父の劉弘も亡くなって何年にもなる。去年の春に薬草を摘みに行ったとおまえは言うが、この樹を見てみろ。一年でこのように大きく育つわけがあるまい。

(正末がはっと悟る)分かったぞ。さきほどは門口に来て、この二株の樹を見たが、すこし変だと思ったのだ。ほんとうに百余年たってしまったようだわい。孫よ、これはおまえが悪いのではなく、わたしが愚かだったのだ。山中の七日は、人の世の千年なのだということがはじめて分かった。ほんとうにこのようなことがあるのだなあ。

(唱う)

【十二月】急急たる歳月の水のごときを悲しみて、紛紛たる世の事どもの(ごいし)のごときを目にしたり。振り向けば、昔より今に到るまで、悲しきことは、物はあれども人のなきこと。もしも嫦娥の月窟に遊びたりしにあらずんば、かならずや王母の瑶池に到りしならん。

【堯民歌】ああ。碧桃の花の下、鳳鸞の棲みたるを、むごたらしくも離れしめたり。げに人生でいとも苦しきものは別れぞ。伯労と飛燕となりて、それぞれ東と西へ飛ぶ[112]。はや言ひ難し、情あらば年を隔てて会ふことを怕れずと。悲しみて、高きに登り、沈みゆく日を怨み、幾粒か青衫の泪を添へり。

(正末が悲しむ)おまえの父の劉弘がすでに死に、おまえがかれの息子であるなら、おまえはわたしの骨肉だ。わたしは昔、弟の阮肇と、天台山へ薬草を摘みにいき、日暮れに帰り道に迷って、樵に会って、桃源洞へと導かれ、投宿したのだ。数里進むと、たちまちに金鋲のうたれた朱門を目にしたが、王者の住まいのようだった。笙の音がながれると、二人の娘が取り巻かれながら現れて、わたしたち二人を迎え、家に行き、宴して、夫婦となった。一年近くたってから、鳥たちが春に鳴くのを聞いたため、故郷(ふるさと)へ帰ろうと思ったのだが、物は換わって、星は移って、百数年が過ぎていた。あの場所は神仙の郷であったのがよくわかったよ。

(阮肇)兄じゃ、こうしてみると、わたしはあなたと故郷に帰らなくもよかったというわけですね。

(正末が唱う)

【耍孩児】はじめて信ぜり。洞天の深きところは人の世にあらずして、雲踪と雨迹に包み藏れしを[113]

(言う)想えば去ろうとした時に、

(唱う)なにゆゑに、断腸の詩を贈り、別れたりしか。あきらかに肉眼愚眉[114]に秘密をば漏らしたるなり。かの人の「花は洞にはとこしへにあるべきも、水は俗世に到らばまさに返らざるべし」と言ひしは、内情を漏らしたるなり。神仙の世界なりしに、誤ちて裙帯の衣食[115]とぞ思ひなしたる。

(浄)お話を伺いますと、あなたはおそらくほんとうにわたしのお祖父さまでしょう。神仙となり、家に帰ってこられたのでしょう。お祖父さま、あなたは今までどこで過ごしてらっしゃったのです。

(正末)

【五煞】氤氳と香を噴く鵲尾炉(じやくびろ)[116]と、瀲灔と酒を傾くる蕉葉杯[117]を楽しめり。よちよちと歩く佳人は錦瑟[118]の脇に立ちたり。酔へば狂ひてそぞろに夜月の詩千首を詠み、ぼんやりとした眼でじつと春風の玉一囲(ぎよくいちゐ)[119]を看る。今日はいづれの地に行かん。龍肝と鳳髓[120]を懐かしみ、螓首と蛾眉[121]に悩まさる。

【四煞】かつては頸を交へて睡り、手を繋ぎつつ歩きたり。かつては(しとね)を重ねて坐して、鼎を並べつつ食らひたり。百年三万六千日[122]をあだにせず、匣中の宝剣を背負ひつつ行き、(せつ)()をば逆さに被り、花の下にて迷へることは二度となからん[123]。垢抜けしたる婿となり、鸞鳳の連れ合ひとなり、蝶蜂の仲立ちを遣はさん。

【三煞】かれのいる天地は寛く、両輪の日月は遅うして、彩雲の散りやすく、琉璃の脆きと異なれり。ただ知らず。別れし仙女は今いづこ。これよりは、仙翁に逢ひ、碁を見ることのなかるべし[124]。見返れば人の世は変はり、泰山の石は(くさ)りて、滄海の塵は飛ぶべし。

【二煞】今、桃源は結婚をするに宜しく、瓜田に履を入れぬなどとは誰も言ふまじ[125]。わたしはかれと武陵溪にて相識りたれど、十二闌瑶台[126]仙女、簫を吹く(ともがら)を寂しからしめ[127]、遥かなる五百里の芳草に王孫は路に迷ひて[128]、三千年を経し後に、王母は蟠桃会をせん[129]。日辺に飛ぶ翠鸞と丹鳳に遠ざかり、雲外に鳴く玉犬と金鶏と離れたり[130]

【煞尾】たとひ百千(ももち)の山を歩きて、万里の路を進むとも構ふことなし。春の去り、訪ね難きをわれは怕れり。[131]

(言う)弟よ、いっしょに行こう。

(唱う)溪の水の半ばを覆ひたる桃花を辿らん。

(阮肇とともに退場)

(浄)わが祖父の劉晨は、仙人に会い、戻ってきたが、すでに世が変わっていたため、はじめてかの地が人の世でないのを悟り、いそいで阮肇さんといっしょに、また山に入ってゆかれた。しかし、わたしはあの人たちを知らぬから、本当か嘘かは分からない。あの人たちを追いかけることはあるまい。牛王のお祭りをする父老にお酒を勧めていないが、これはまずいぞ。

(衆)本日はお日柄もよく、酒席も賑やか。二人の男に踏み込まれ、しばらく邪魔をされたとはいえ、酔うてお腹もいっぱいになりましたから、わたくしたちはみな帰り、年が明けたら、わたくしがお礼の宴を設けることにいたしましょう。(ともに退場)

(浄)父老たちはみな行ってしまった。かれら二人はいったい誰だったのだろう。われらはぺちゃくちゃ話しをしていたわけではないが、いかんせん、かれらは見慣れぬ顔だった。あの劉晨はわたしの祖父だったのかも知れぬし、あの阮肇はほんとうにわたしの叔父だったのかも知れぬが、本当か嘘かは判断できぬから、行くに任せて、追いかけることもあるまい。桃源洞で丹薬を焼いたとて、牛王社にて酒に酔い、肉をたらふく食らうには及ぶまい。(退場)

 

第四折

(太白が青衣童子を連れて登場)むかし劉晨、阮肇が、天台山に入り込み、薬草を摘んだとき、白雲でその帰り道を迷わせて、樵に化けて、案内し、桃源洞に入らせて、二人の仙女と良縁を成就させたが、惜しむらくは、二人は俗縁を断たずに、それぞれが望郷の念を起こした。家に戻ってきたときは、もう別の世になっており、仙界と俗界の異なることをはじめて悟った。かれらはふたたび山に入り、桃源を探したものの、渺として跡形もない。本当の姿を現し、かれらを洞に導いて、ふたたび二人の仙女と会わせてやらねばなるまい。これもまた、かれらを俗世から救う善行であろう。あらかじめ青衣小童を洞に行かせて、仙女に知らせ、かれらを出迎えさせるとしよう。話していると、劉、阮の二人がはやくもやってきた。

(正末が阮肇とともに登場)弟といっしょに急いで山に行き、桃源洞を訪ねたが、往ったり来たりしたものの、むかしの道は見当たらない。どうしたら二人の仙女と会うことができるのだろう。(えにし)が薄いわけでもないのに、今日のようなことになるとは。(唱う)

【双調新水令】襟に満ちたる情の泪は青き(うはぎ)を潤して、離人(たびびと)に伴ふは一竿[132]の残照のみぞ。(たにがは)に臨める(いはほ)に上り得ず、天にも届く仙宮は眺め得ず。旅路の景色は蕭条として、仙界に遊びし夢のたちまちに覚むるに似たり。

【駐馬聴】四顧すれば寂寥として、緑樹は依依とし、雲は緲緲。長嘯すれば、青山は隠隠として、水は迢迢。花を見て長く洛陽橋にあり、官を辞し長安道にとどまらず。帰りの道は杳として、これもまたわたくしが道を求めて誤ちて蓬莱島に入れるなり。

【沈酔東風】[133]となり、持て成されたり。西王母[134]さまは宴をし、奉仕したまふ。雲雨の心を動かして、月も隠れて、花も恥ぢらふ(かんばせ)を想ひ起こせり。棄てられて、朱門を巡り、燕の巣を探せるがごと、理由なく北へ南へ、行き来せり。あきらかに別れは多く、会ふは少なし。

(進む)弟よ、おまえと半日歩いたが、高い山、流れる川があるばかり。桃源洞がどこにあるかはまったく分からぬ。

(阮肇)桃源洞も、竹林寺[135]に似て影はあっても形はないものなのでしょう。

(正末が唱う)

【殿前歓】五魂は覚えずして消えて、この(なかだち)のなき路に草は蕭蕭。蚰蜒(げじげじ)のあたふたとして道に上るがごときなり。たちまちに心は痒くなりたれど掻き難く、武陵溪にて、いかでかひそかに会ふを得ん。桃の花瓣は空しく落ちて、胡麻飯は音信を絶やしたり。雲は楚岫に立ち籠めて[136]、水は藍橋を浸したり[137]

(嘆く)このように行ったり来たりしているが、杳として跡形もない。後にも先にも行くことができないが、どうしよう。弟よ、わたしとともに詩を作り、ひとまず気晴らしするとしよう。

(阮肇)兄じゃ、おさきにお詠みください。

(正末の詩)天台にふたたび到り、玉真[138]を訪ぬれば、青苔と白石ははや塵となりたり。笙の音は寂寞として、奥深き洞は閑たり。雲壑は蕭条として、旧隣を絶つ。

(阮肇の詩)草木は昔の色ならず、煙霞は昔の春ならず。桃花流水なほあれど、そのかみの酒を勧めし人を見ず。

(正末が唱う)

【雁児落】これもまた一つの事を(あやま)ちて百の事をば(あやま)てるなり。千人の罵りと万人の笑ひをむなしく招きたり。もともとは晩に天子の堂へと登るべかりしも、ゆゑなく夜に神の廟に宿れり[139]

【得勝令】これぞまさしく、人は怨めば声音は高し。命があるとも仕方なし。連環の玉を打ち砕き、比翼の鳥を分かちたり。夢は断たれて、(たま)は疲れて、身はいまだ到らねど、心は先に到りたり、(えにし)は薄く、初めはあれど終はりなし。

(二末が崖から身を投げる)

(太白が現れて、急いで怒鳴る)劉晨よ、阮肇よ、馬鹿な考えを起こすでないぞ。わしは天界の太白金星。おまえたちは桃源の仙女と夙世の縁があるから、おまえたちがその昔、薬草を摘み、路に迷っていたときに、わしは樵に姿を変えて、洞窟へ導いたのだ。今またここにやってきて、昔の道に迷っているなら、わしの導きに従うがよい。

(正末が阮とともに礼を言う)愚かな者の眼は節穴で、あなたが立派な仙人であったとは気付きませなんだ。どうか憐れと思われて、行く道をお教えください。(唱う)

【沽美酒】いかで学ばん。(おほとり)の飛び、燕雀に交はりて、芝蘭の長じて、蓬蒿に混じはるを。これぞまさしく、忙しき処に人は多うして、閑かな処に少なきならん。はやくもわたしは道に迷ひて、そのかみの(そまびと)を訪ぬるを得ず。

【太平令】天公[140]の導きを受けたるは、晏平仲のよく人と交はるがごと[141]。御身がもしも弱きを助けば、われの嗔りは笑まひに変はらん。たちまちに記憶して、懐かしみ、念ふべし[142]

(言う)人はもちろん

(唱う)馬にさへ(たづな)を垂らしし報いあり。[143]

(太白)この先の、桃花が咲いている場所は、洞窟の入り口だろう。おまえたち二人はこれから、大道を忘れることなく、修行の完成する日を待って、ともに天府に登るがよいぞ。

(正末が阮とともに謝する)(唱う)

【落梅風】蒼苔の径、独木の橋、崎嶇たる路は寂として、人は到らず。劉郎は帰りゆき[144]、乱山に鳴くのをやめよ(ほととぎす)[145]

【甜水令】路は曲がりて、峰は(めぐ)りて、林は深く、樹は密に、猿は啼き、虎は嘯きをりたれど、いづちともなく簫を吹きたる音すなり。

(旦が侍従、仙楽を連れて登場)

(正末が唱う)たちまちに、濛濛としたかぐはしき霧、遥かなるめでたき雲と、立ち籠むるめでたき煙を見たれども、われらはこれらを楽しむ福のなきことを怕れたり。

(二旦)今日またお会いできるとは思いもよりませんでした。

(正末が唱う)

【折桂令】桃源洞に、(ぎよく)の軟かく(かをり)の床しく[146]、美貌の迎へ、笑顔をば浮かぶるを、ふたたび見たり。この日また水魚は相和し、燕鶯は対を成し、琴瑟は相調へり[147]。玉炉には宝篆[148]を焚き、沈香の煙は細く繞りたり。絳台[149]に、紅妝[150]を輝かす、銀蝋[151]は高く焼かれり。人は立つこと妖嬈として、楽は簫韶[152]をば奏で、翡翠と真珠に囲まれて、鳳友と鸞交[153]を成就せり。

(太白)みな近く寄り、わたしの話を聴くがよい。

(詞)天の仙女は人の世に堕とされて、桃源洞にて修行せり。劉、阮ともに情虚[154]を慕ひ。浮栄[155]を厭ひ、甘んじて韜晦したりき。晩春に薬草を摘み、山に入り、二人の仙女と宿世の契りを叶へたり。白雲により、帰りの路に迷ひたれども、導かれ、たちまちに相会へり。両姓の姻縁を成就して、百年の伉儷を結びたれども、一年で、二人の男は故郷を思へり。俗縁重く、凡心いまだ退かず。急ぎ帰れば、物は換はりて、星は移れり。子や孫を訪ぬれば、すでに百年(ももとせ)をぞ経たる。小樹の天を衝きたるを見て、仙凡の異なるをはじめて悟れり。ふたたび来し時、路はまつたく異なりたれば、いづこにか旧遊の地を認むべき。またもわたしが導きて、帰らしむれば、神仙はふたたび連れ合ひとぞなれる。三年の後、行は満ち、功は成り、蓬莱に赴きて、ともに仙位に還りたり。

 

最終更新日:20101110

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[1] 『論語』泰伯。

[2] 「蟻陣」「蜂衙」。蟻の陣、蜂の役所。ともにつまらぬ役人生活の暗喩。

[3]原文「鋤明月」。典拠がありそうだが未詳。

[4]宮廷。

[5]宮城の東門。『夢渓筆談』故事一「今學士初拜、自東華門入」。

[6]大人物の隠喩。ここでは自分たちをいう。

[7]小人の隠喩。

[8]蜀郡の人で、遠く離れた成都の火事を、酒を吹いて鎮めたという話が、『太平広記』巻十一に見える。

[9]人と争う心。

[10]漁師や樵。隠者のことを指す。

[11]晋の惠帝。庭園で蛙が鳴いていたところ、この鳴き声は公か私かと尋ねたという話が『晋書』恵帝紀に見える。

[12]後漢の人。光武帝の招きを断り、釣りをしていたことで有名。『後漢書』逸民伝参照。

[13]釣り舟。

[14]銅銭。

[15]晋の阮修が、つねに杖の先に銅銭をさげ、酒代にしていたという『世説新語』任誕の故事に基く句。ただし、『世説新語』では、銅銭は「百銭」となっている。

[16]素焼きの甕。ここでは酒甕。

[17]叔牙は鮑叔牙。斉の桓公に管仲を推薦した。ただし、かれが憎まれたことの典拠は未詳。

[18] 『列子』湯問に見える琴の名手。

[19]原文「林泉下傲煞操琴的伯牙」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[20]陝西省にある川の名。

[21]太公望呂尚。

[22]以上の三句。朝廷に仕えるよりも、山野に隠棲したほうがいいという趣旨であろう。最後の太公望呂尚の句、谷川で釣りをしていたから、長くまで生きていることができたという趣旨に解釈しておく。

[23]馬の肝は有毒であるとされる。『史記』轅固伝顔師古注「馬肝有毒、食之[喜心]殺人」。

[24]原文「嘆紛紛塵事摶沙」。「摶沙」は砂団子を作ること。手を離すとばらばらになってしまうので、まとまりのないものの喩え。

[25]黄金の異称。また、硫黄の異称。

[26]性欲の暗喩。

[27]名利のしがらみ。

[28]戦乱。

[29] 『論語』憲問。なお、「避地」とは乱れた地を避けること、「避言」とは悪い言葉を避けることと解釈されている。『論語』何晏集解参照。

[30]高々とした冕冠。役人生活の暗喩。

[31]竹の植わった中庭。

[32]原文「因過竹院逢僧話」。李渉『題鶴林寺』に同様の句が見える。

[33]科挙合格者。

[34]蘇軾『前赤壁賦』「漁樵于江渚之上、侶魚蝦而友麋鹿」。

[35]さまざまな種類のものがあって不揃いなさま。

[36]道教の書。

[37]玉の机。

[38] この二句は劉長卿『尋洪尊師不遇』の句を用いたもの。仙帔は道士の着る被布。これを畳んだものを青霞に喩えているのであろう。

[39]一本の椽、一片の瓦。わずかばかりの財産の隠喩。

[40]周公が洗髪の際にも、髪を握りながら賢者と会見したという、周公握髪の故事にちなんだ句。

[41]陳蕃が特別に榻を設けて賢者を礼遇した、いわゆる「陳蕃下榻」の故事にちなんだ句。

[42]原文「空結実花木瓜」。花木瓜は木瓜のこと。『本草綱目』木瓜「木瓜処処有之、而宣城者為佳…故有宣城花木瓜之称」。角川書店『中国語大辞典』は「花木瓜空好看」の項で、「ボケの花は花を見るだけで、実が食べられないので、ただきれいなだけ、転じて、見るだけで食べられない、みかけ倒し」と説明する。

[43]花木瓜と同じく、みかけ倒しの意。塔は「浮図」ともいい、愚かなことを意味する「糊塗」と音通するという。

[44]斗筲は一斗の水桶。度量の狭いことをいう。

[45] 『論語』公冶長「朽木不可雕也、糞土之牆不可杇也」。

[46]飯囊はご飯を入れる袋。穀潰し、役立たずの暗喩。衣架は衣桁。やはり穀潰しの暗喩。

[47] いわゆる牙旗。竿の先に象牙を飾った旗をいう。

[48]原文「謾嗟呀、那里也出入通達」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[49]原文「身世外、無擒縱」。「身世外」を「身・世外」と区切り、「身」を動詞に解釈した。「擒縱」は捕らえられたり放たれたりすることだが、ここでは「擒」に重点がある偏義詞であろう。

[50]虎豹、虬龍は、ここではごつごつとした岩の暗喩。蘇軾『後赤壁賦』「予乃攝衣而上、履巉巖、披蒙茸、踞虎豹、登虬龍」。

[51]九転は九回きたえること。葛洪『抱朴子』金丹「九転之丹服之、三日得仙」。

[52]原文「因此上思入風雲変態中」。「風雲変態中」が未詳。ただ、おそらく、刻々と姿を変える雲の中ということであろう。唐司空図『二十四詩品』形容「風雲変態、花草精神、海之波瀾、山之嶙峋」。

[53]原文「干閃下鬧西園一隊隊課蜜游蜂」。「閃」は後に残して去っていってしまうこと。花が蜂を後にして散っていってしまうことをいう。

[54]春の造化の作用。

[55]酒につまみをつけて礼物としたもの。

[56]雲が出入りするといわれている洞窟。ここではそこから出てくる雲をいっているのであろう。

[57]笙簧は笙。また、管楽器全般をいう。谷川の水音を、管楽器の音に喩えたもの。

[58] 『漢武内伝』に出てくる仙女の名。

[59]立派な文人。ここでは自分たちのことであろう。

[60]風流陣、花胡同ともに美人の居場所。胡同は裏路地。

[61]貝や真珠で飾り立てた宮殿。『楚辞』九歌・河伯「魚鱗屋兮龍堂、紫貝闕兮朱宮」。

[62]薄絹の帳、彫刻を施された窓格子。

[63]蓮の葉で作った酒器。『酉陽雑俎』前集巻七・酒食に見える。

[64]河間府の名酒。朱弁『曲洧旧聞』巻七に名が見える。

[65]薄絹を貼った提灯。

[66]原文「酒中得道、花裏遇仙」。出典未詳。

[67]原文「炮鳳烹龍」。炮は包み焼きにすること。

[68]濃い酒。

[69]晏幾道『鷓鴣天』。夜が更けて、歌舞が低調になっていくさまをいったもの。

[70]軒轅は黄帝のこと。かれが夢で華胥国に遊んだことは『列子』黄帝に見える。

[71]淳于は淳于棼。『南柯太守伝』の主人公。

[72]周の文王が、狩りをするにあたって占いをしたところ、得るものは熊ではなく、覇王の補佐をする人物だといわれ、太公望呂尚を得たという『史記』斉太公世家の故事を踏まえた句。ただし、原文は「非熊」ではなく「非羆」。

[73]荘周は荘子。夢を見て蝴蝶になった話しは『荘子』斉物論に見える。

[74]楚の襄王が高唐に遊んだとき、夢で神女と契ったという故事を踏まえた句。宋玉『高唐賦』参照。

[75]原文「衫袖淋漓汚酒濃」。前の句と対句になっているから、「衫袖・淋漓・汚酒・濃」と区切れるのであろうが、「汚酒」とは何のことか分からない。濁酒のことか。

[76]商、羽ともに音階の名。これらを移したり換えたりするということは、さまざまな音楽を奏でること。

[77]三本足の酒器。

[78]酒器の一種。

[79]「攏」は琵琶の奏でる際、手を上下させて言を押さえること。

[80]巫山の神女をいう。ただ、巫山の神女と交わったのは、楚の懐王、そのことを『高唐賦』に記したのが宋玉。

[81] 『会真記』の主人公崔鶯鶯。張生との逢瀬で名高い。

[82]後漢の人。梁鴻の妻。色黒で、太った醜女だったが、三十歳にして、梁鴻のような賢者に嫁ぎたいといい、梁鴻に嫁した。『後漢書』巻百十三梁鴻伝参照。

[83]登仙すること。周の霊王の太子王子喬が鶴に乗って昇天したという、『太平広記』巻四引『列仙伝』王子喬に基く句。

[84]典拠未詳。『元曲選校注』は、鰲山に登って修行することというが、とらない。「騎鶴」という言葉と対にするために作られた言葉で、文字通り鰲魚に乗るということであろう。

[85]嫁になること。黄尚と李元礼が桓温の娘を娶ったとき、時人が二人の娘は龍に乗ったと称したという、『初学記』巻三十「鱗介部」の引く『魏志』に基づく句。

[86]虎が蹲り、龍が蟠る。堅固な地形をいう。ここでは、仙宮が堅固な山河の中にあることをいっていよう。

[87]転がる蓬。浮き草のような人生の喩えとしてしばしば用いられる。

[88]同心結。結び方の一種。「〜を結ぶ」は男女が絆を固くすることの喩え。

[89]合歓結。同心結と同じく、男女の絆の喩え。梁武帝『秋歌』一「繍帯合歓結、錦衣連理文」。

[90]篆は香炉から立ち昇る煙を篆字に喩えたもの、宝は美称。

[91]銀の燭台。

[92]玉のような人。恋人をいう。

[93]情種のこと。情の濃い人。恋人同士。

[94]十里ごとに設けられる休憩所。

[95]雲母の別名。

[96]仙界の書物。

[97]陽關は陽關曲。王維の『送元二使安西』のことで、三叠はこれを三回唱うこと。

[98]原文「也只為一段傷心画怎成」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[99] 春の光、春の日をいう。

[100]立春後五番目の戊の日に行われる、春祭り。

[101]祭りの主催者。

[102]平安を祈願して焼く紙銭であろう。

[103]兔は月、鴉は日の象徴。月日がすみやかに流れることをいう。

[104]原文「搬不尽古今興廃」。「搬」が未詳。ただ、「うつろう」の意味であろう。「搬不尽」は、うつろって尽きることがないの意であろう。

[105]鳳鸞はともに霊鳥。優れた男女の喩え。

[106]仲睦まじい連れ合いの喩え。

[107]主語は桃源。

[108]原文「人面逐高低」。相手の地位の高低によって態度を変えること。「人面逐高低、世上看冷暖」という諺があり、それを踏まえた句。

[109]場所を選ばず、いたずらに飲食をする人。『孟子』離婁上「孟子謂楽正子曰、子之従於子敖来、徒餔啜也」朱熹集注「餔、食也。啜、飲也。言其不択所従、但求食耳」。

[110] ほんとうに、かれらの理屈には説得力がないし、言葉は古典に基かぬ、粗野なもので、話は合わない。

[111] これは皮肉。

[112] 『玉台新詠』所収『東飛伯労歌』「東飛伯労西飛燕、黄姑織女時相見」。

[113]「雲踪」は雲に隠れた、「雨迹」は雨に濡れた道であろう。また、雲、雨という言葉から、神女や男女の逢瀬をも連想させる。

[114] ものを見る目のない、愚かな人間。自分たちをいう。『忍字記』『竹葉舟』『黒旋風』にも用例あり。

[115]裙帯はスカートの紐。転じて妻の実家でよい待遇を受ける男のこと。「裙帯衣食」は夫が妻の実家の世話になって生活すること。

[116]柄のついた香炉。佩文韻府引『法苑珠林』「香炉有柄者曰鵲尾炉」。

[117]佩文韻府引李賀詩「瀉酒木蘭蕉葉盞」。

[118]瑟の美称。

[119]玉一囲は未詳。ただ、囲は腰囲のことで、腰帯のこと。春風の中、玉をあしらった、一本の腰帯をじっと見ることをいった句であろう。李賀『貴公子夜闌曲』「腰囲白玉冷」。

[120] ともに珍味の喩え。

[121] ともに美人の意。「螓」は蝉。

[122]人の寿命をいう。

[123]原文「再也不倒着接籬花下迷」。接籬は接[四離]の誤字。接[四離]は白鷺の羽で作った白い帽子。「倒着接籬」はこれを逆さに被ること。竹林の七賢の一人山涛が、襄陽にいたとき、酒を飲んではこのような身なりをしていたことが、『世説新語』任誕に見える。襄陽は陶淵明の『桃花源記』に記された、桃源郷のあるところ。したがって、「花下」の花は当然桃の花を指す。この句の意味は、もう二度と、桃源郷で、酒に酔ったり、道に迷うことはないだろうということ。

[124]晋の王質が、木を伐るため、石室山に入ったところ、童子数人が碁を打っていたのでそれを見た、やがて童子に帰れと言われて帰ったところ、自分の持ってきていた斧の柄が腐りはて、すでに長い時間が経過していたという『述異記』に基く句。『述異記』では碁を打っていたのは仙翁ではなく童子だが、おそらく作者王子一の記憶違いであろう。

[125]原文「問什麼瓜田不納履」。「問」は「問題にする」ということであろう。「瓜田…」ということをだれが問題にしようか。「瓜田不納履」の「瓜田」は、前の句「現如今桃源好結縭」の「桃源」と対にするための措辞で、深い意味はなかろう。「不納履」に意味があり、ここでは、桃源郷に踏み込むことの暗喩。

[126]未詳。瑶台十二層のことか。李商隠『無題』「如何雪月交光夜、更在瑶台十二層」。『拾遺記』「崑崙山傍有瑶台十二、各広千歩、皆五色玉為台基」。

[127]原文「寂寞了十二闌瑶台仙子吹簫伴」。「十二闌瑶台仙子」と「吹簫伴」は同格。「吹簫伴」は伴侶のこと。『列仙伝』蕭史の故事に因む。ここでは、自分が桃源郷を離れて、仙女に寂しい思いをさせたことをいうのであろう。

[128]王維『山居秋暝』「随意春芳歇、王孫自可留」。『楚辞』招隠士「王孫遊兮不帰、春草生兮萋萋」。「五百里」の典拠は未詳。王孫は自分の喩え。ここでは、春の山で、自分が仙女と遥かに隔たっていることをいったものであろう。

[129]蟠桃は『漢武内伝』で、西王母が武帝に与えたとされる仙桃。三千年に一度実を結ぶという。蟠桃会はそれを食べる宴。西王母は桃源郷の仙女を喩える。この句は、仙女と当分会えないことをいったものであろう。

[130]翠鸞、丹鳳、玉犬、金鶏いずれも仙界のもの。二句は、仙界と自分が遠ざかっていることをいう。

[131]前回桃源郷を訪ねたときは、川に浮かぶ桃の花を頼りにしたが、桃の季節が過ぎてしまうと、訪ねることもかなわなくなる。

[132] 「一竿」という言葉については未詳。ただ、三竿が、三つの竿を継ぎ足したくらいの高さの意味で、日が高く上っているさまをいうことから推して、日が沈もうとして、きわめて低い位置にあることを指しているのであろう。

[133]東牀は婿のこと。

[134]崑崙山にいるとされる仙女。ここでは桃源洞の仙女の暗喩。

[135]金代から明代に掛けて、北京にあった寺。廼易之『竹林寺』原注「金煕宗駙馬宮也。寺僧云、一塔無影」。

[136]楚岫は楚地方の山。楚の懐王が巫山の神女と契った高唐をいう。山に雲が立ち籠めているさまを、神女や雲雨を連想させる楚岫という言葉を使って表現したもの。

[137]藍橋は唐代の伝奇小説「裴航」で、裴航が仙女雲英と逢った場所。また、『荘子』盗跖で、尾生が恋人と待ち合わせをし、水に流されて死んだとされる場所でもある。川に水が漲っているさまを、仙女や洪水を連想させる藍橋という言葉を使って表現したもの。

[138]仙女。曹唐『劉阮再到天台不復見仙子』「再到天台訪玉真、青苔白石石已成塵」。

[139]原文「本則合暮登天子堂、没来由夜宿祆神廟」。未詳。「天子堂」は仙女のいる場所をいうか。未詳。「夜宿祆神廟」は、『淵鑑類函』巻五十八引『蜀志』の故事を踏まえた句。物語は、蜀帝の公主がその乳母の子と、成人後、祆神廟で密会を約するが、公主が訪ねたとき、乳母の子は眠っていたため、公主はそのまま帰る、乳母の子は目が覚めてからそれを怒り、怨気で、廟が燃えたというもの。ここでは、劉晨が独り寝しているわが身を蜀帝公主の乳母の子に喩えている。祆神廟は男女の密会場所の隠喩として、元曲にはしばしば出てくる。『竹塢聴琴』第四折『倩女離魂』第四折『争報恩』第一折など。

[140]天の神。ここでは太白金星を指す。

[141]原文「晏平仲善与人交」。『論語』公冶長。何晏の論語正義によれば、晏平仲は、友情を長く保ち、変えることがなかったという。:「此章言斉大夫晏平仲之徳。凡人軽交易絶、平仲則久而愈敬。所以為善。」。ここでは、それを踏まえ、太白金星が現れて昔と同じように自分たちを導いたことをいっているか。

[142] わたしは太白金星さまのことを忘れませんということ。

[143]苻堅が谷川に落ちたとき、乗馬が手綱を垂らしたために救われたという、『太平御覧』巻八百九十七引『異苑』の故事に基く句。馬さえ世話になった主君に報恩したのですから、私はあなたのご恩は忘れはしませんよということ。

[144]目的語は仙女のいる桃源。

[145]原文「乱山頭杜鵑休叫」。乱山は字面からいうと、怪岩乱石のある山か。用例あり。:『佩文韻府』引杜荀鶴詩「客程蛇遶乱山中」。ただ、この「乱」は文法的にはともかくとして、「山」とともに「叫」も修飾しているように思われる。乱れ鳴くのをやめよ、というように。なお、杜鵑は「不如帰去」:帰るにしかず、と鳴くとされる。句全体の意味は、ホトトギスよ、わたしに帰れなどといわないでくれということ。

[146]原文「玉軟香嬌」。美人の隠喩。

[147]水魚、燕鶯、琴瑟ともに仲睦まじい男女の隠喩。

[148]第一折の注参照。

[149]燭台。

[150]紅い服装。婦人の出で立ち。また、婦人を指す。

[151]銀燭。明るい灯りをいう。

[152]『書』益稷「簫韶九成、鳳凰来儀」。

[153]鳳、鸞はいずれも霊鳥。優れた男女の隠喩。鳳友、鸞交は優れた男女が連れ合いとなること。

[154] 「情虚」という言葉については未詳。ただ、道家で尊ばれる、無のことであろう。

[155]浮世の栄華。

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