邯鄲道省悟黄粱夢雑劇
馬致遠撰
第一折
(冲末が東華帝君に扮して登場、詩)閬苑[1]の仙人は白錦の袍、海山の銀闕[2]に蟠桃の宴をなせり[3]。三峰[4]の月に鸞声遠く、万里の風に鶴背[5]高し。
貧道は東華帝君、群仙の籍録を管理している。天斎[6]に赴いて戻ってくるとき、下界の一筋の青気が、九霄に届くのを見た。そもそも河南府には、呂岩というものがおり、神仙となる定めにあるのだ。正陽子を遣わして、この人を点化して、すみやかに正道に帰させるべきだ。そうすれば、寒暑は体を侵すことなく、日月は顔を老いさせることはない。神炉仙鼎で、玄霜[7]と絳雪[8]を焼成し、玉戸金関[9]で、[女宅]女[10]と嬰児[11]を配合させる。身は紫府[12]に登り、三清[13]に朝し、位は真君に列なり、その名は丹書[14]に記されて、九族が下鬼となるのを免れている[15]。閻王の帳簿の上から生死を除き[16]、仙吏の班に姓名を列ねている。海角天涯への路を指し示し[17]、迷った人を導いて大道を進ませている。(退場)
(正旦が王婆に扮して登場)老いぼれは黄化店の人、王婆ともうす。飯炊きの店を開いて、スープの鍋を温めて、誰が来るのか看るとしよう。
(外が呂洞賓に扮し、驢馬に騎り、剣を背負って登場、詩)びつこの驢馬に鞭打ちて長安に上らんとして、日夕休むことぞなき。ただ見るは、槐花の黄なる。いかでか焦らざるを得ん。
わたくしは姓は呂、名は岩、字は洞賓、本貫は河南府のもの。幼いときから儒学を習い、このたびは上京し、功名を得ようとし、この邯鄲道黄化店へとやって来た。お腹は空いて喉は渇いた。食事を作って食べねばならない。この店の入り口に着き、これなるびっこの驢馬を繋いで、この二百文の長銭[18]で、黄粱をいささか買った。飯炊きのお婆さん、食事を作って食べさせてくれ。旅人は路を急ぐもの。はやくしてくれ。
(王婆)お客さまは、まことにせっかちなお方じゃ。一束の火を加えるといたしましょう。
(洞賓)試験場にゆきたくてたまらないのだ。
(正末が登場)貧道は、復姓は鍾離、名は権、字は雲房といい、道号は正陽子、京兆は咸陽の人。幼いときから学問し、文武両全、漢朝で征西大元帥を拝して、その後で、家族を棄てて、終南山に隠遁し、東華真人さまに遇い、正道を授かって、髪の毛を双髻にして、太極真人の号を賜わり、つねに世に頌を遺している。
(頌)「わたしの生かす門はわたしを殺す戸」[19]ぞ。これを悟るは幾人ぞ。夜、鉄漢[20]はみづから考ふ。長生不死は人次第なり。
このたびは帝君の御諚を奉じ、貧道は下界におりて呂岩を度脱することと相成った。この邯鄲道黄化店へと来たところ、紫気が天を衝いているのが見えるから、きっとこちらにいるのであろう。想うに世間の人々は、まことに賢愚を識らぬわい。(唱う)
【仙呂点絳唇】混沌は初めて分かれ、人々は相乱れたり。誰か主宰し[21]、乾坤を動かしめたる。こはすべて太上の心印[22]を伝へたるなり。
【混江龍】そのむかし、関尹に逢ひ、今も五千の文を遺せり。おおむね玄虚を旨となし、清浄を門となしたり。草舍茅庵の道士なれども、清風明月両閑人に伴へり[23]。何が秋、何が春、何が漢、何が秦なるかも知らず。常日頃、疏狂に習ひ、懶惰に耽り、愚鈍を装ふ。人の世の富貴をば、ことごとく眼底の浮雲と見なせり。
(言う)世人は名利を争っているが、あのようにすることはない。
(唱う)
【油葫蘆】厭ふなかれ、楽しみを追ひ、しきりに笑ひ語らふを。ひたすら心を開いて客に会ふがよし。離乱を思へば、まことに心を傷ません。わたしは閑かにただひとり林泉に引退し、おんみは虚しく半枚の紙ほどの功名を求められたり。看よやかの紫塞[24]の兵士、黄閣の大臣らは、いづれの時にか安閑の分を得んや。わたしのやうに物外に自由の身となる方がよし。
【天下楽】かれらのうちに清平を得るものの幾人かある。なにゆゑぞはやく身を引き、世塵を出でざる。白雲はことごとく溪に満ち、洞門を鎖したるなり。一函の経を手づから捲り、一炉の香を手づから焚けり。これこそまさしく、清閑は真の道本[25]なるなれ。
(笑う)神仙はここにいたのか。(店に入って会う)
(洞賓)この先生はすばらしい道貌[26]をしていらっしゃる。
(正末)お尋ねしますが、足下のご姓は。
(洞賓)わたくしは姓は呂、名は岩、字は洞賓。
(正末)どちらへゆかれるのでしょうか。
(洞賓)上京し、受験いたします。
(正末)おんみはひたすら功名富貴を気に掛けて、生死事大、無常迅速であることをまったくお考えでない。貧道に従って出家した方がよいでしょう。
(洞賓)先生は、痴れ者にございましょう。満腹の文章を学び、上京し、官位を求め、受験しにゆくというのに、おんみに従い、出家するなどとんでもないこと。出家した人にいかなるよいことがございましょうや。
(正末)出家したものにはおのずと楽しいことがあるものでございます。おんみには分かりますまい。(唱う)
【金盞児】昆侖に上り、星辰を摘む。東海はただ一掬の寒泉の湧けるのみ、泰山は一捻の細かき塵ぞ。天は高きこと三二寸、地は厚きこと一魚鱗。頭を擡げ、天外を見たれども、わたしのやうな人はなからん。
(洞賓)この先生は大法螺を吹いている。おんみのような出家の人に、いかなる仙方妙訣があり、いかなる神鬼を駆ることができるのだ。
(正末)出家のものは長生きし、老いることなく、煉薬し、修行して、龍と虎とを降伏させて[27]、おおむね悠然たるものにございます。
(唱う)
【後庭花】わたしが駆るのは六丁と六甲神、七星と七曜君。紫芝草[28]を食ひ千年の命は長く、碧桃花を看て幾度の春をか経にし。つねに酔ふこと醺醺として、高談闊論、交際するはことごとく天上の人。
(洞賓)官となることにも、楽しいことがある。
(正末)役人となることに、どれほどの楽しみがありましょう。神仙であるわれわれの楽しみは、俗人であるおんみたちとは異なっているのです。楽しいことを話すのをお聴きくだされ。
(唱う)
【酔中天】わたしはみづから村醪の旨きを傾け[29]、みづから野花の新らしきを折る。青山に独り向かひて酒一尊、閑あらば丹頂の仙鶴をしぞ招きたる。酔ひて帰れば松陰は身に満ちて、風韻は冷然として、鉄笛の音は雲を吹きて断ちたり。
(言う)わたしに従い、出家なされよ。
(洞賓)わたくしは役人となり、蘭堂画閣[30]に住みましょう。おんみは出家した人で、草の衣に木の食べもので、苦しみをむざむざ受けるに過ぎませぬのに、どのような楽しいことがあるのでしょうか。
(正末が唱う)
【金盞児】わたくしのいる土地に塵はなく、草は長へに春にして、四時に花咲き、つねにうるはしくみづみづし、翡翠の屏に似る山の色、柴の門にぞ向かひたる。棕櫚の葉を雨は潤し、芍薬の苗を露は養ひ新たならしむ。野の猿の古き樹に啼きたるを聴き、流るる水の侘しき村を繞れるを看る。
(洞賓)わたくしは、学んで文武両全となり、受験して、役人となり、富貴を得られることでしょう。出家をしろと仰いますが、やすやすと神仙となることはできませぬ。
(正末)ご存知ございますまいが、おんみは役人となられる方ではございませぬ。生まれながらにこのような道貌をお持ちですから、神仙となられる方です。諺にこう申します。「一子道を悟らば、九族天に昇らん。」と[31]。みすみす機会を失われてはなりませぬ。
(唱う)
【酔雁児】おんみには出世超凡[32]神仙の分があれば、一条の一抹縧[33]を締め、一頂の九陽巾[34]を帯びたまふべし。ああ君よ、おんみを真人たらしめん。
(洞賓)役人となれば、身に着けるのは錦緞軽紗、口に入れるのは香しく甜い美味。おんみら出家したものたちは、草の履、麻の縧、松を食べ、柏を啖い、どのようなよいことがあるというのだ。
(正末)功名を得ることは、百尺の高い竿の上で曲芸をするようなもの。命は保証できませぬ。酒色財気[35]を逃れられずに、笛はぴいひゃら、鼓はてんつく、人は騒いで、空中にいるのです。平らな土地を行ったり来たりした方が、災はなく、ずっと気儘にございます。
(唱う)
【後庭花】酒の清香に恋するは疾病の因、色の荒淫を愛するは患難の根ぞ。財の富貴を貪るは残んの命を傷ひて、気の剛強を競へるは陥りし身を損はん。これら四つは人を許さず、おんみがこれらを断ち切らば、幾分かは神仙たるべし[36]。
(洞賓)わたしは十年苦心したから、一時に名を成すことは、巾着の中にあるものを取るように確実なこと。神仙のことは漠然として、しっかりとした道筋はないというのに、神仙になれというとは。
(正末が唱う)
【酔中天】たとひおんみの力量が韓信を欺きて、辯舌が蘇秦に勝るものならんとも、功名はしよせん命によるものにして、人によるものにはあらず。しかと得らるるものとも限らず。ひたすらに苦心し、修行し、謹慎し、すみやかに霊丹を孕まんとなさらん方が、青驢に跨り、風塵にぐづぐづとなさるに勝らん。
(洞賓)話を聴いているうちに、心が疲れてしまったから、しばらく睡ることにしよう。(眠る)
(正末)話をしている最中に、眠ってしまった。まことに愚かな人間だ。
(唱う)
【一半児】今、人はいつはりを宜しとし、まことを宜しとすることはなく、衣衫を敬ひ、人を敬ふことぞなき。修行のことを持ち出せば、耳に聞くことを恐れて、このやうに気力なく、半ば応へし、半ば居眠り。
(言う)このものは俗縁が断たれておらぬ。呂岩よ、眠りたいのなら、わしはそなたを長く眠らせるとしよう。六道輪廻の中をゆき、目覚めた時には、十八年を過ぎておろうぞ。酒色財気と、他人と自分の諍いを目にすれば、その時はじめて成道できよう。
(詩)気には強きと弱きがあれど志こそ第一ならめ[37]。努力して担ふべく[38]、肩代はりせしむることはなかるべし。この苦しみの境涯を抜け出でて、更に辛苦を添へば仙人とぞならん。
(唱う)
【金盞児】おんみが米の塵を洗ひて、水を煮て沸かす時には、われはこの一粒の米に時運を収め、半升の鍋に乾坤を煮ん。黄粱は炊けども未だ熟することなし。かのものはうまき夢みて、思ひはなほも昏ければ、江山[39]を重ねて改め、日月[40]を一新せしめん。
(言う)そなたは眠ってしまったから、貧道は蟠桃会に赴こう。
(唱う)
【賺煞】羽衣軽く、霓旌迅く、十二金童が迎へたり。万里の天風、帰路は穏やか、蓬莱の頂きで真人にしぞ朝すべき。笑ふこと欣欣として、袖は白雲をば拂ひ、宴は果てて瑶池の酒に半ば酔ひたり。いかんせん、唐の呂岩の性は蠢かなりしかば、漢の鍾離の教へを受けんとすることはなし。また蒼鸞に跨がりて、九天門に飛び上がらざることを得ず。(退場)
(洞賓が夢で登場)王婆さん、あの先生は行ってしまったか。
(王婆)とっくに行ってしまわれました。
(洞賓)ご飯は炊けたか。
(王婆)さらに一束の火を加えましょう。
(洞賓)王婆さん、おんみのご飯はもう待てない。わたしの旅が遅れてしまう。わたしはびっこの驢馬に乗り、長旅に出なければならぬのだ。(退場)
(王婆)呂岩は行ってしまった。かれはわたしが俗人ではなく、驪山老母が姿を変えたものであるのが分かっていない。上仙さまの命により、呂岩に酒色財気と、人我の諍いを看破させれば、その時はじめて根本に立ち戻り、正道にふたたび戻ることができよう。
(詩)漢の鍾離は玄機[41]をば指し示し、呂岩を度脱し、悟らしむべし。この人の修行の成就するを待ち、ともに閬苑瑶池へと赴かん。(退場)
楔子
(正末が高太尉に装いを改め、旦児、二人の子役とともに登場)老いぼれは殿前[42]高太尉。三人家族で、夫人ははやくに亡くなって、翠娥ともうす娘がいるのみ。十七年前、呂岩は受験し、兵馬大元帥を拝命したが、老いぼれはかれが武藝を好むのを見て、かれを招いて婿として、一男一女を授かった。今、蔡州で、呉元済が謀反を起こし、その勢いはとても盛んだ。朝廷は呂岩に命じて兵を率いて征討させることとなされた。呂岩は今から老いぼれに別れを告げてゆこうとしている。呂岩に幾つかのことをねんごろに言い含めねばならぬわい。そろそろやってくるはずだ。
(洞賓が元帥に扮して登場、詩)平素より気概に溢れ、陰符を習ひ、鉞を秉り、従軍し、帝都を出でり。男児は三十路なれども志をば得ることはなく、むなしく堂堂たる大丈夫と相成りぬ。
某は呂岩。都に来てから、文を棄て、武に就いて、兵馬大元帥に任ぜられ、高太尉どのの婿になり、はや十八年、二人の子供を授かった。このたびは、蔡州の呉元済が反乱したため、聖上の命により、某は兵を率いて征討をすることと相成った。本日は舅に別れ、長旅に出ねばならない。(見える)わたくしは人馬を点呼し、本日すぐに参りますから、父上は二人の子供をしっかりと世話してください。
(高太尉)婿どの、おんみはこれからゆかれるが、娘のことは、わたしがこちらにいるのだから、これ以上、心配なさることはない。み国のためにしっかりと尽力なされよ。さまざまな経典は、忠孝を第一義としているのだから、おんみは軍を憐れんで、民を愛して、不義の財貨を、貪らぬようになされよ。「金玉が堂に満つるも、未だ之を能く守らず。富貴にして驕らば、自らその咎を遺る」[43]ということを聞かれたことがございませぬか。わたしがかように申すのも、軍権を掌握し、利を重んじて、義を軽んじ、道心を失うことを恐れるからです。しっかりと覚えておかれよ。左右のものよ、酒をもて。わたしは手ずから一杯の酒で婿どのを送別しよう。(酒を斟ぎ、唱う)
【仙呂賞花時】わたしは皓首蒼顔の高太尉、ほかにおんみの世話をする親戚はなし。子は頑是なく、娘はか弱し。人として世にありて、もつとも苦しきものは生離ぞ。
(言う)婿どの、もう一杯飲まれるがよい。
(洞賓)もういただけませぬ。
(高太尉が唱う)
【幺篇】満飲するは陽関の酒一杯。
(洞賓が吐く)いただけませぬ。胸が少々不快になって、二回血を吐きました。酒はそもそも人を損うものですから、わたくしはもういただきませぬ。
(高太尉)おんみの胸を損ったのなら、もう酒を召されますな。
(洞賓)父上、ご安心ください。わたくしはいただきませぬ。父上にお別れし、長旅に出なければなりませぬ。
(高太尉)わたしの言葉を忘れずに、しっかりと覚えておかれよ。
(唱う)ともかくも、しつかりと唐の社稷を扶くべし。言ひ含め、さらに語れり。ただ願はくは功を成し、敵を破りて、すみやかに凱歌を唱ひて帰らんことを。(退場)
(洞賓)本日、本部の人馬を率いて、呉元済を捕らえにゆくといたしましょう。
(詩)賊寇ははしなくも凶悪を逞しうして、喊声は地を振るはせて、天関をしぞ撼がせる。聖上の洪福の大なるを頼りとし、功を成すことなくば誓つて還らじ。(退場)
第二折
(旦児が登場)わらわは翠娥、高太尉の娘。父上が呂岩を招いて婿としてから、もう十八年。二人の子供を授かった。こたび呂岩は呉元済を捕らえにいった。わたしは魏尚書の息子魏舍さまと、訳ありの関係にある。本日は会うことを約束したが、どうして来られないのだろう。
(浄が魏舍に扮して登場)湛湛たる青天は欺くを得ず、二羽の碓嘴[44]は天を飛びたり。ただ一羽では飛ぶことなきも、いかんせん身に着くるものはなし[45]。
わたしは姓は魏、父上は魏尚書で、人はみなわたしを魏舍と呼んでいる。わたしは呂岩の女房と、訳ありの関係にある。呂岩が西へ征伐に行ったので、その女房は、今日家に来てくださいと言っていた。入り口に来たが、辺りには人もおらぬから、叫ぶとしよう。高大姐、開けてください。(見える)
(旦児)来られましたね。お待ちしていたところです。二人で家で何杯か飲みましょう。吊窓を開けましょう。もし人が来たときは、こちらの窓から出てゆかれませ。
(浄)そうしよう。ひとまずゆっくりお酒を飲もう。
(洞賓が登場)某は呂岩、聖上の御諚を奉じ、三軍を率い、呉元済を捕らえることとなっていたが、陣中に到着すると、敵方に買収されて、三斗の珍珠[46]、一提[47]の黄金を送られて、軍を率いて帰還した。家の入り口にやってきた。馬を繋げ。爺やも見えぬし、辺りには誰もいないし、女房もどこにいるのだろう。寝室に入ってゆくと、男が中で話しているぞ。聴いてみることにしよう。
(旦児)わたしたち二人はお酒を飲むことができますね。
(浄)呂岩が戦死したときは、すぐにおんみを娶りましよう。
(旦児)呂岩が死んだら、わたしがおんみに嫁がずに、誰に嫁ぐというのでしょう。
(洞賓)間男がいる。この門を踏み破ろう。(門を踏み破る)
(浄)まずい。人が来た。吊窓から跳び出てゆこう。逃げろや逃げろ。
(洞賓)間男は逃げてしまった。おまえに訊くが、酒を飲んでいたのは誰だ。
(旦児)人はおりませぬ。
(洞賓)おまえは人がいないと言うが、この帽子は、誰が落としたものなのだ。
(浄が登場)お兄さん、わたしのものでございます。(退場)
(洞賓)結構なことだなあ。わたしは現に大元帥の職を授かり、おまえは太尉の娘であるのに、かようにわたしを辱めるとは。いずれにしても淫婦のおまえを殺すとしよう。
(正末が爺やに装いを改めて、杖を持ち、慌てて登場)老いぼれは、高太尉さまの家の爺やだ。わたしの主人の呂岩さまは、征西大元帥となり、逆賊を捕らえにゆかれて一年になる。今しがた、小者たちが呂旦那さまが戻ってきたと言っていた。老いぼれは信じぬぞ。こっそりとお戻りならば、疚しいことをなさったに違いない。そうでないなら、大将軍がお戻りなのに、一人も報せにくるものがなく、人を遣わし、お迎えをすることもないとはどういうわけだ。小者たちはあきらかに嘘をつき、わたしのことをからかっているのだろう。真か嘘かはさておいて[48]、わたしは看にゆくことにしよう。(唱う)
【商調集賢賓】前庁で旦那さまの折しもやつて来られたることを報せり。
(言う)来られたのなら、
(唱う)なにゆゑぞ玳筵[49]を並べよと言ふを聴かざる。
(洞賓)この女はとても無礼だ。わたしを瞞き、このようことをするとは。
(正末が聴く)ほんとうに戻ってこられた。
(唱う)何ごとぞ口喧嘩せる。
(旦児が哭く)眼を悪くしたために、願掛けをしていたのです。[50]
(正末が唱う)わけもなく怨み哀しむ。わたしはここでこつそり庭の槐を転り、ゆつくり庁の階を通り過ぎ、ただ一人、明るき格子[51]に寄りかかる。
(洞賓)結構な女房だなあ。わたしが家にいないとき、間男を養って、酒を飲むとは。爺やはどこだ。
(正末が唱う)話を聴きて、耳を拽き、腮を揉めり。
(洞賓)この女を殺すとしよう。
(正末)どうしたらよいだろう。
(唱う)わたしはここで悲しみて、むなしく地団太を踏みて、うなだれて、ひとり驚く。
【逍遥楽】奥方さま、百年恩愛[52]、半世夫妻なりけるに、宜しきことをなされたり[53]。おんみはかやうに醜きことをなされたり。
(洞賓)この女はまことに腹立たしいやつだ。
(正末が唱う)濁骨と凡胎はもちろんのこと、釈迦仏さへも憤り、蓮座より下りたまふべし。「侯門は深きこと海に似る」とははや言ひ難く[54]、二歩を一歩にしつつ進めり。(門を推し、唱う)わたしはここに両の手を着け、半ば身を押し込めたれば、はやくも両の扉は開けり。
(洞賓)この老いぼれめ、ここに来てどうするつもりだ。
(正末)旦那さまが出征されていった後、老旦那さまは亡くなられ、もう半年が過ぎました。旦那さまは、本日、家に来られましたが、なぜこのようにお怒りなのでございましょう。
(洞賓)わたしの心の中のことを、おまえはどうして知っているのだ。おまえとは関わりはない。はやくゆけ。
(正末)お話しになっていたことを、老いぼれはもうお聴きしました。旦那さま、お怒りをお鎮めください。老いぼれに罪がないはずはございませぬ。旦那さまがゆかれた時に、老旦那さまが言い含められ、わたくしに花園の掃除だけを司らせたことをご記憶でございましょう。わたくしは裏の花園が前庁からは遠いので、たとい仕事がないときも、おもてにまいりませんでしたので、どうすることもできなかったのでございます。旦那さまは、はじめ二人のお子さまとご夫人を、老いぼれの身に托されました。今日、このような諍いが起こりましたが、老いぼれは八十五歳でございますから、死ぬことも、甘んじていたしましょう。
(洞賓が剣を抜く)おまえとは関わりはない。わたしはこの女を殺すのだ。
(正末が唱う)
【金菊香】このかたは怒りをば烈しうし、三尺の剣を胸に当てたまふ、
(旦児)ほんとうに濡れ衣にございます。
(正末が唱う)結構なこと。かのひと[55]は門に倚り、手で頬を支へたり[56]。かくなる上は、手と腕をもていかでか解くべき[57]、米と柴が足らぬわけでもなかりしに、奥方さまはご自分で舍身崖より跳び下りたまへり[58]。
(旦児)爺やさん、あなたは知らないのでしょうが、この人が眼を患っていたために、わたしが願を掛けていたのに、この人はわたしが間男を養い、悪事をしたと言うのです。爺やさん、わたしの命を救ってください。
(正末)老いぼれは奥方さまを救えませぬ。
(唱う)
【醋葫蘆】他の人が脅したり、ごまかしたりしたるにはあらず。旦那さまがご自分で飛び込んできたまひしなり。奥方さまは総身が口とならんとも弁明し難きことならん。これぞまさしく、「贓物と盗賊が並べて押さへられた。」というもの[59]。かのひと[60]は死に逼られて、頭を抬げやうとせず。
(旦児が跪く)まことに悪うございました。二人の子供の顔に免じて、わたしの命をお許しください。
(正末が唱う)
【幺篇】奥方さま、おんみに隨何、陸賈の舌と、張儀、蘇秦の才がありとも、この災はしよせん免れ難からん。おんみの家を辱しめしは、もとより悪しきことなりき。間抜けなことをなさりしに[61]、巧みなる言葉をむなしく並べたまへり。
(洞賓)わたしは天下兵馬大元帥になったのに、おまえは男と私通して、このわしをこけにするとは、実に腹立たしいことだ。
(正末)奥方さま、元帥さまのお話しをお聴きください。想いみますに、元帥さまは堂々として、もったいぶった顔をされ、兵馬大元帥になられましたのに、奥さまがかようなことをなさるとは、いかなることにございましょう。(唱う)
【幺篇】ご主人さまは八面の威[62]と七歩の才を抱かれて、現に征西大元帥の金印と虎頭牌[63]をば帯びたまふ。ご主人さまは殿前の班部に並ばれたりけるに[64]、おんみはかれに尿瓶をば頂かしめたり[65]。拝将の壇台[66]を築きしも徒とはなりぬ。
(言う)老いぼれは、たいした顔ではございませぬが、旦那さま、二人のお子を憐れと思われ、ご夫人をお許しください。
(唱う)
【幺篇】旦那さまは義を見て為され[67]、奥さまが過ちを知られて改められよかし。老いぼれは仲を取り持つにはあらず。よそさまがこれを知り[68]、−このやうに大騒ぎすることなかれ。−醜聞が広まらば、いかでか拭ひ去るを得ん。
(洞賓が剣を持ち、旦を殺そうとする)
(正末が跪く)慈悲の心を起こされて、奥さまをお許しください。
(唱う)
【幺篇】ご夫婦の善と悪などどうでもよし。羸弱にして頑是なきお子さまをご覧あれ。血だまりにいかで骸を横たへしめん。男はすべて嫉妬するもの[69]。
(言う)奥方さまが亡くなれば、
(唱う)むざむざと二人のお子を悲しませ、寂しき日々を忍ばれなければなりませぬ。
(言う)旦那さま、奥さまの命をお許しになれば、七重の塔を造るに勝りましょうぞ。
(唱う)
【幺篇】旦那さまはいつも気前が宜しきに、一声「よし」と仰ることなし。三尺の剣光を水晶牌に揮はんとなされたり[70]。とりあへず南海岸の救苦難観自在菩薩となられますやうに。わたしはここで叩頭し、礼拝いたさん。
(洞賓)爺やの顔に免じて、そなたの命を許そう。
(正末)まことにありがたいことにございます。
(唱う)話を聴きて、わたしはははと笑ひたり。
(旦児が拝礼をする)爺やさんがいなければ、誰もわたしの命を救ってくれませんでした。厚いご恩に心から感謝いたしましょう。
(正末が唱う)
【幺篇】わたしはかれが涙の眼を拭き、顔色を改めて、旱蓮[71]の頬に靨を浮かぶるを見る。針の孔より命を救ひたることは、あたかも九霄雲外より、赦免状がくるくると降りきたるがごときなり。
(末が使者に扮して登場)わたくしは天朝の使者。元帥呂岩が、敵の賄賂を受け、金を受けとり、ひそかに家に帰ったために、聖上の御諚を奉じ、あいつの首級を取りにきたのだ。はやくも着いたぞ。(見える)某は聖上の御諚を奉じ、そなたが敵に買収されて、財貨を受けとり、ひそかに家に帰ったために、そなたの首級を取りにきたのだ。
(洞賓)本日は、誰がわたしを救ってくれよう。
(正末)どうしたらよろしいのでしょう。(唱う)
【幺篇】朝廷は使者を遣はし、前庁で聖旨を開き、西つ方にて敵の賄賂を受け、戻れりと仰せられたり。なにゆゑぞ、貪れる心もて、敵の不義の財貨を愛したまへる。本日は事は敗れて、かやうなる恐ろしき罪を得たまふ。
(旦児)呂岩どの、おんみはわたしを殺そうとなさいましたが、どうして敵に買収されて、金を受けとり、ひそかに家に帰られたのです。結構なことをなさったものですね。(隣人を呼ぶ)
(洞賓)ああ。金銭というものは、まことに人を害するものだ。本日、わたしは天にむかって誓いを立てよう。金銭はすこしもいらない。呂岩よ、そなたはどうして読書人だといえようか。顔子もかつては一簟の食と一瓢の飲で、陋巷に住んでいたのだ[72]。この幾貫かの銅銭に、どれほどの値打ちがあろうか。今日は誰がわたしを救ってくれよう。想えば昔、わたしが旅に出る時に、舅どのはわたしのために送別をした。わたしは天に誓いを立てて、酒を断ったが、本日は財を断つことにしよう。呂岩よ、そなたにどのような恥ずかしいことがあろうか[73]。わたしが家に戻ったところ、わたしの妻は間男を養って、堂々と自首してきたのだ。いいだろう。紙と筆とを持ってきて、去り状を書き、再婚をするに任せて、争わぬことにしよう。去り状を書こう。去り状を書こう。わたしは本日、色も断つことにしよう。
(旦児)ああ、おんみは本日、わたしを離縁されましたから、おんみはもはやわたしを束縛することはできませぬ。おんみはまもなく殺されることでしょう。
(さらに使者が登場)呂岩はもともと斬首するはずだったのだが、聖上の命により、上天の好生の徳[74]を体して、そなたの首を斬るのを免じ、遠く離れて劣悪な軍[75]、州に流罪にするのだ。護送官はどこにいる。
(丑が護送官に扮して登場)わたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。
(使者)そなたは呂岩を護送して、沙門島へと流罪にするのだ。
(使者が退場)
(旦児)護送官どの、呂岩は罪を犯したものでございますのに、どうしてかれを自由にさせて、刑具に掛けられないのでしょうか。
(護送官)それもそうだな。行枷[76]を持ってまいるのだ。(枷を掛ける)
(旦児)呂岩どの、おんみは今でもわたしを殺すことができますか。ほんとうに喜ばしいこと。
(正末)奥さま、どうしてすこしも夫妻の情を持たれませぬのか。かようなことを仰ってどうなさいます。
(唱う)
【幺篇】これもまた、患ひを生ぜしことへの憐れみか[77]、ご主人さまは死のほかに、大いなる災はあらざれば[78]、大声で叫ばれて、こけにせらるることはなし。
(旦児)わたしは高太尉の娘。間男を養いました。間男を養いました。今やおんみはわたしを離縁されましたから、誰もわたしを束縛しませぬ。
(正末が唱う)十字路でがやがや喚き、
(言う)奥さまは今日、幾たびも、間男を養いましたと仰った。
(唱う)かやうに騒ぎ立つるとは、婦人の心はかくこそ悪しけれ。
(護送官)ゆくのだ。出発をいつまで遅らせるつもりだ。
(正末が唱う)
【幺篇】昨日、任官せしときは、花の咲きたるごとくにて、本日、流罪となるときは、風の乱れて吹けるがごとし。すべて年月日時を犯せり[79]。
(言う)わたしたちしがなき民はもちろんのこと、
(唱う)隋の山河がむざむざと唐の世界となりたるも、興亡成敗。かの役人の凶悪なること狼豺に勝るに得耐へず。
(旦児)呂岩どの、おんみは殺される人なのですから、わたしの子供を残されて、連れてゆかないでください。
(洞賓)わたしの子供を、わたしが連れてゆかないで、誰に残せともうすのだ。
(旦児)おんみが罪を犯したのです。わたしの子供と関わりはございませぬ。(奪う)
(洞賓が引っぱる)護送官どの、お待ちくだされ。賊婦はわたしを送っておりまする。わたしは二人の子供らと、一つ処で死ぬとしましょう。
(正末が洞賓と子役を顧みる)護送官どの、どうか憐れと思われて、主人と子供が一二日とどまってからゆくことをお許しください。大したことではございますまい。
(護送官)期限に遅れるから駄目だ。(洞賓と子役を打つ。正末が宥め、唱う)
【後庭花】ただ見るは颼颼と枷棒を揮へる[80]。主人は打たれて、紛紛として皮肉は裂けり。かのもの[81]がぐいぐい引きずりゆくを見て、わたしはおんみにあたふたと追ひすがる。ああ哀しいかな。身は損はれたりしかど、主人はいかでかもがき得ん。わたしはまことにせんすべもなく、むざむざと罪を招けり。今日よりはお屋敷を離るべし。
【双雁児】旦那さま、おんみはあたかも「趙杲の灯台を送る」[82]がごとし。「山河は改まり易し」[83]とは言ひ難し。今となりては「和尚もいれば鉢盂もあり」[84]、本日は、福気は衰へ、いづれの時にか、冤業[85]の解くべきや。
(護送官が洞賓と子役を推して進む)
(末が引き止める)
(護送官が末を推し倒す)老いぼれめ、ゆくのだ。
(正末が唱う)
【高過浪里来】わたしは今や、鬢髪は蒼白にして、身は衰ふれば、このやうによたよたとして、脳天を転んで破らんところなり。
(護送官が二人の子役を打つ)
(正末)お兄さん、怒りをお鎮めください。
(唱う)わたしはここで老いし命を抛ちて、これら二人の子供を救へり。怒気はむなしく胸を衝き、雨の涙は頬に満ち、両の手をしぞ持ち上ぐる[86]。(護送官が洞賓と子役を護送して退場)
(正末が唱う)両の目を擦り開け、身を起こせども[87]、婿どのを望み得ず。
(旦児)呂岩は行ってしまったから、寝室を片付けて[88]、魏舎さまに嫁いでゆこう。(退場)
(正末)旦那さまは、遠くへゆかれてしまったわい。(叫ぶ。洞賓が奥で応える)
(正末が唱う)さらにこの半ば凋める垂楊の樹に隔てらる。
【隨調煞】われをして帰りゆくこと難からしめり。おんみのごとくはやく歩けるものはなし。望みても見えざれば、望高台に上れども、一天の残照の暗きを眺むるのみなりき。わが旦那さまはいづこにかおはしたる。
(叫ぶ)旦那さま。
(洞賓が遠くで応える)
(正末が唱う)看れば疏林を隔てて風は哭き声を送りきたれり。(退場)
第三折
(洞賓が枷を帯び、二人の子役を連れ,護送官に隨って登場)
(護送官)呂岩よ、急げ。
(洞賓)念えばわたしは敵の賄賂を受けたため、遠く離れた牢城[89]に流罪となった。わたしは死んでも構わぬが[90]、二人の子供は可哀想だ。三人はまもなく死んでしまうだろう。護送官どの、どうか憐れと思われて、一二の便宜を図ってくだされ。
(護送官)呂岩どの、わたくしも義を好むもの。深山曠野[91]に着きましたから、わたくしは帰ってゆくといたしましょう。おんみら三人は、自分の力で逃げなされ。(枷を外す)
(洞賓)兄じゃに感謝いたします。わたしは口に鉄を銜んで、背に鞍を置かれても[92]、このご恩にはかならず厚くお礼しましょう。
(護送官)逃げなされ。わたくしは帰ってゆくといたしましょう。(退場)
(洞賓)ほんとうに苦しいことだ。紛紛と降る雪はますます烈しくなってきた。道に迷って、どちらへ行けばよいのやら。道案内をする人が来ればよいのだが。
(正末が樵に装いを改めて登場)わたしは樵。柴を刈り、戻ってきたが、吹雪に遇ってしまったわい。ほんとうに寒いなあ。
(唱う)
【大石調六国朗】風は羊角[93]を吹き、雪は鵝毛[94]を剪り、六出を飛ばして海山は白くして、一壺[95]を凍らせ天地は老いたり[96]。巧みなる丹青があらんとも、絵筆もて描くは難し。われはこなたで千山の表をはるかに望めども、なんぴとか粉黛を掃ふべき[97]。幽窓の下、寒さは竹の葉を敲き、前村の裏、冷たさは梅の梢を圧したり。撩乱として野雲は低く、渺茫として江樹は杳し。
【帰塞北】などてか春のすみやかに帰りくることのあるべき。さなくば、蝶翅は舞ふこと飄飄、梅花の粉[98]は長安の道を埋めて、柳花の綿は灞陵の橋に迷りて、山館に酒旗は遥かなるべし。
【初問口】魚を捕らふる蓑笠綸竿[99]の叟は、かの寒潭で独り釣りして、樵のわたしとともに帰りの道に迷ひたるめり。凍えたる雀の飛びて、寒雅[100]の噪ぎたるを見るのみ。古木の林にたちまちに山猿の叫べるを聴く。
【怨別離】園林はいづこも蕭条、春の帰るもいまだ覚えず。満地の梨花[101]を、掃ふ人なく、寒さは料峭。一点の青山をはるかに望めば、はやくも見えず相成りぬ。
【帰塞北】白雲の島[102]、ただ聴くは孤鬼の荒郊に吼ゆるのみ。九天玄女は風を鼓し、造化を駆りて、六丁神[103]は剣を揮ひて長蛟を斬る。さなくば、などて地に風涛の巻くことあるべき。
【幺篇】侘しき村は暁けぬれど、幼子は、月はなほ明るく高しとぞ言へる[104]。青女[105]は氷を剪りたれば、寒さの散ずることはなく[106]、黒雲は雨を噴き、凍の消ゆることはなく、漁樵を覓むる処なし。
(洞賓)急ぐのだ。かような大風、大雪で、そのうえ道に迷っては、死んでしまうのはあきらかだ。(胸を打つ)忌々しいこの雪は、すこしの間、止めばよいのに、ますます烈しく降ってきたわい。
(正末)やってきたのは呂岩だな。きっと悟っているはずだ。(唱う)
【雁過南楼】ただ見るは、凍えたる老いと若きと、
(洞賓)ああ寒い。
(正末が唱う)ぶるぶると四体をしきりに震はせり。こちらの一人は肩を窄ませ、あちらの一人は脚を曲げたり。これぞまさしく風を揚げ、雪を攪せる空模様なり。
(子役)お父さま、とてもお腹が空きました。
(洞賓)おまえも急げ。あちらに着いたら、食事があるぞ。
(正末が唱う)子供は老父を引きて悲しみ、父親は子供に告げり。食事する処にまもなく到らんと。
【六国朝】朔風はすでに烈しく、路は遥けし。
(二人の子役が凍えて倒れ、洞賓が護る)三人がすべて凍えて倒れれば、誰が子供を救ってくれよう。
(正末が唱う)三人のものがやつてきて、たちまちにばたりと倒れたるを見る。
(叫ぶ)男の方、目を醒まされよ。目を醒まされよ。どうしたらよいだろう。
(唱う)わたしはこちらでいそいで扶け、髪の毛をかたく握れり。こちらの一人はすでに体をぴんと延ばして、あちらの一人も手と脚をだらりとさせたり。わたしがこちらでゆつくりと衣襟をば緩むるに[107]、ぼんやりと気を失ひたり。
(二人の子役が目覚める)
(洞賓)ありがたい、意識が戻った。
(正末が唱う)わたしは二人を救ひたり。胸はあたかも温かし。(さらに洞賓を救い、唱う)ああ、かの人は、顎をかたく噤みたり。
(洞賓が目覚める)あやうく凍死するところだった。二人の子供は目覚めているが、誰がわたしを救ったのだろう。
(正末)わたしがおんみを救ったのです。
(洞賓が跪く)兄じゃがわれら父子を救ってくださらなければ、命はございませんでした。
(正末)呂岩どの、いずこへゆかれる。
(洞賓が背を向ける)ほんとうにおかしなことだ。この人はどうしてわたしが呂岩であるのを知っているのだ。(返事をする)正直に申しあげます。わたしはこのたび枷と鎖を掛けられて、沙門島へと流罪になるのでございます。このような大雪に遇い、凍えてこちらに倒れていたのでございます。兄じゃがわれら三人を救われなければ、わたしの命はなかったでしょう。今やわたしは、身には着るものがなく、肚には食べるものがなく、そのうえ道に迷っております。兄じゃ、この道はどちらにゆくのでございましょう[108]。
(正末)おんみはとうにこの道をご存知で、ずっとむかしに歩いたことがおありなのです[109]。男の方、おんみは道に迷われたのです。わたしはおんみに道を語って、道を伝えて、道を示すといたしましょう。
(洞賓)兄じゃが言われていることは、わたしには分かりませぬ。
(正末)男の方、この道をわたくしは知りませぬ。この山の南に草の丸屋があって、その中に先生がおりますが、あのかたならばご存じのはず。
(洞賓)兄じゃ、わたしに話しをなさってください。
(正末が唱う)
【帰塞北】近道を過ぎたれば、澗に橋を渡せり。白く茫茫たる雪は、山に迷り、足を曳き、淡く濛濛たる霧は、草の丸屋を鎖したり。松と檜はぐるりと並べり。
(洞賓)その先生の善し悪しを、兄じゃ、わたくしにお聴かせください。
(正末)男の方、先生に会われたいのなら、おんみにお話しするとしましょう。
(唱う)
【擂鼓体】その先生は、浩歌[110]して、手を叩き、黄鶴を舞はしめて、瑶池閬苑、十洲三島[111]にぞ住める。一曲の横笛に秋気は高く、残棋[112]をし数ふれば江月こそは暁るけれ。
(洞賓)兄じゃ、その先生は出家した人なのに、なぜそのような能力があるのでしょうか。
(正末が唱う)
【帰塞北】その先生が服せるは長生薬。よそものが学ぶを許さず。三たび奏づる琴の音は落葉に弾き、九重の春色は仙桃に酔ひ、白日に青霄へ上りたまへり。
(洞賓)兄じゃにお尋ねいたしますが、その先生がどのようなお顔であるのか、もう一度、お話しください。
(正末が唱う)
【浄瓶児】その先生は両の手で山岳を揺るがせて、一対の眼は妖邪を見たり。剣は星斗にむかひて揮ひ[113]胸に江涛をば巻けり。天により悪しき貌となりしかど[114]、龍虎をば降伏し[115]、徳行こそは高きなれ。その先生はすなはち活神。蒼鸞に跨りて、玉皇にみづから朝せしこともあり。
(言う)男の方、山のくぼみを通り過ぎれば、草の丸屋が望まれますから、先生に路をお尋ねなされ。
(唱う)
【玉翼蝉煞】その先生はみづから舞はれ、みづから歌はれ、喰らへるは仙酒仙桃、住まへるは草舍茅庵、龍楼鳳閣にぞ勝る。白雲を掃ふことなく、蒼松はおのづから老い、青山に囲まれて、淡煙は籠め、黄精[116]にみづから飽きて、霊丹をみづから焼けり。崎嶇とした峪の道、凹答とした岩の壑。門辺には綽楔[117]はなく、洞窟に鎖鑰こそなけれ。石の卓にて香を焚き、古き調べを笛に吹く。雲は黯黯、水は迢迢、風は凛凛、雪は飄飄、柴の門は閑静にして、竹の籬は堅固なり。峻嶺尖峰、曲澗寒泉、長林茂草を通り過ぎ、かの幽雅なる仙荘の道を望めり。
(言う)男の方、正しい道を失われてはなりませぬ。お聴きなされ。
(唱う)ゆめ過ちてゆくなかれ。(退場)
(洞賓)子供たち、今、お兄さんが話すのを聴いたろう。あの山のくぼみには、一軒の家があり、食べるものも、着るものも、宿るところもあるそうだ。まっすぐにそこへゆき、一夜の宿を求めよう。(ともに退場)
第四折
(旦が卜児に扮し登場)老いぼれは終南山の人、この地で在家の尼をしている。一軒の丸屋を建てて、辺りに人の家はない。わたしには息子があって、出家しているが、性格はとても凶暴、日ごとに山で狩りをすることが生業。息子は行ってしまった。わたしは食事を調えて、息子が戻ってきて食べるのを待つとしよう。
(洞賓が子役を連れて登場)わたしは呂岩、敵の賄賂を受けたため、遠く離れた牢城に流罪となって、この深山にやってきた。時は冬、大風と大雪でわれら三人はあやうく凍死するところ。さいわいに、柴を刈る樵に命を救われて、山のくぼみに草庵があると言われた。そこへゆき、いささかの食事を求め、二人の子供と食べるとしよう。運悪く[118]、日も暮れてきた。丸木橋があるが、このように深くて広い澗を、どうして渡ることができよう。二人の子供たちのうち、さきに息子を送ってゆけば、狼や虎が娘を傷つけるだろう。さきに娘を送ってゆけば、息子が傷つけられるだろう。仕方ない。とりあえず娘を置いて、さきに息子を送ってゆこう。(男の子役を送る)
(女の子役)お父さま、虎がわたしを咬みにきました。
(洞賓が悲しむ)娘や、わたしはおまえを迎えにゆこう。息子を置いて、橋を渡って、娘を迎えにゆくとしよう。(澗を渡る)
(息子役)お父さま、虎がわたしを咬みにきました。
(洞賓)いったいわたしは誰を世話したらいいのだ。(さらに澗を渡る)ほんとうに草の丸屋があるぞ。ついてこい。いささかの食事を求め、食べさせてやろう。(尋ねる)どなたかいらっしゃいますか。
(卜児が登場)誰がわたしを呼んでいるのだ。この門を開けるとしよう。ああ、呂岩どのだったのですか。二人のお子さんたちを連れ、こんな時刻に、なにゆえこちらに来られましたか。
(洞賓が背を向ける)ほんとうにおかしなことだ。この尼もどうしてわたしを知っているのだ。尼がわたしを知っているなら、ちょうどいい。尼さん、わたしは敵の賄賂を受けたため、われら三人は遠く離れた牢城に流罪になるのでございます。もう日が暮れてしまいました。なにか残りの食事があれば、わたしの二人の子供に食べさせてください。一晩の宿を求めて、夜が明けたら、長旅に出ることといたしましょう。
(卜児)男の方、なりませぬ。わたしはおんみをこちらにお泊めいたしましょうが、いかんせん、わたしの息子の性格は凶暴で、毎日、山で狩りをするのを生業としているのです。息子は素面のときはまだよろしいのですが、酒を飲みますと、人を殺そうとするのです。
(洞賓)尼さんはご存知ないのでございます。むかしわたしが征西したとき、わたしの舅が送別をしてくれたのですが、わたしは三杯酒を飲み、二回血を吐きましたので、その日のうちに酒を断ったのでございます。その後、陣地に赴いて、敵の賄賂を受けたのを、聖上に知られましたが、命を許され、遠く離れた牢城へ流罪に処せられましたので、わたしは財を断ったのでございます。家に着きますと、妻はわたしを瞞いて、間男を養っておりましたので、わたしはみずから妻を捕らえて、離縁して、色を断ったのでございます。本日はこちらにやってまいりましたが、師父が来られて、わたしのことを打たれても、わたしは我慢いたしましょう。これからは、わたしは気も競わぬことといたしましょう。
(卜児)呂岩どの、おんみは我慢できますか。
(洞賓)我慢できます。
(卜児)それならば、おんみはひとまずわたしの家に入ってこられないでください。息子が参りましたとき、ふたたび相談いたしましょう。
(正末が邦老に装いを改めて登場)さきほどわたしは、よけいに幾杯かの酒を買い、酔うたから、家に戻って母上に会うことにしよう。われらの山の中はまことに楽しいわい。
(唱う)
【正宮端正好】路はごつごつ、人は寂しく、山勢は悪しくして、険峻嵯峨たり。玉堂の大臣らの鼎食を列ねつつ、茵を重ねて臥すことを羨まず、猩猩[119]の血の頭巾を染むることを願へり。
【滾繍球】思へば、楽しきことなりき。最近半月あまりのあひだ、官員どもが通るのに遇ひ、いささかの金銀、緞疋、綾羅をぞ奪ひたる。昨日はあちらの者たちと、今日はこちらのものたちと共にして、かねてより傍らの坐を離るることなく、天を仰いで呵呵大笑せり。原酒をばごくごくと槽ごと呑みて、人をば殺めたる剣を、ぎしぎしと血を帯びしまま磨きあげ、つねに無何[120]にて泥酔したり。
(二人の子役)お父さま、ひどくお腹が空きました。
(洞賓)尼さん、なにか食事があれば、子供に食べさせてくだされ。
(卜児)食べさせるものはございませぬ。
(正末が進み出て、手で洞賓を引き、洞賓が振り向く)ああ。とても驚いた。人間か。それとも幽鬼か。
(正末が唱う)
【倘秀才】くどくどとひたすら尋ぬることはなし。わしこそが、人殺しをするご主人さまだ。
(洞賓)ほんとうに悪い人相だ。
(正末が唱う)おまえはひたすらわたしの母に纏わりついてどうするつもりだ。
(洞賓)師父さま、わたしは子供に食べさせるものを求めていたのです。
(正末が唱う)懐に僅かばかりの食べものさへなく、子供らのため、婆さんに物乞ひをせり。
(末が男の子役を捕らえ、唱う)こわつぱの首筋[121]を掴みたり。
(洞賓が救う)
(正末が怒る)無礼な奴だ。(洞賓を打ち、唱う)
【叨叨令】一拳にて汝が顎の関節を打ち挫きたり。(男の子役を澗に棄てる)
(洞賓)可哀想に。
(正末が唱う)こいつの骸も狼の餓ゑを済はん。(女の子役を引きずる)
(洞賓)この子は残してくださいまし。
(正末が唱う)小娘を育て上げたとて、父母を害ふ、甲斐性なしの金食い虫にすぎざらん。打ち殺さずして何とする。打ち殺さずして何とする。そなたのしがなき残んの命のわが手より逃がるることこそ難からめ。
(洞賓)おんみは出家した人なのに、どうしてわたしの二人の子供を打ち殺したのです。わたしはおんみとお白洲にゆきましょう。
(正末が唱う)
【倘秀才】わたしは盗賊、人を殺して火をば放てり。そなたのやうに財を貪り、枷と鎖を掛けられしものにはあらず。そなたは斗のやうに大きな、黄金の印を得て、元帥となり、山河を守り、大いに栄達したるなり。
(言う)呂岩よ、そなたは財を貪り、酒を好んで、軍務をば誤った。(唱う)
【滾繍球】そなたは罪がありしかば、いかでか生くることを得ん。なしたることを収むることは難くして、千丈の風波をみづから招きたり。なにゆゑぞ界河[122]にて、財貨を受けて、わが大軍を挫きたる[123]。かやうに不義の財貨をば貪りたるはなにゆゑぞ。まめに過ごして、災はなしと言ふこそ難からめ。さいわひに家を成せども、禍はかならずや多うして、心配りをせしことも徒とぞならん。
(洞賓)まずい。どこへなりとも逃げてゆくことにしよう。
(正末が剣を持って追いかけ、洞賓は逃れる)
(正末が唱う)
【笑和尚】わたしは、わたしは、たちまちに猿臂で捕らへ、うう、うう、うう、口を噤んで応ふることなし[124]、さあ、さあ、さあ、宝剣は吹毛[125]に似る。
(洞賓)わたしの命をどなたか救ってくださいまし。
(正末が唱う)これで終はりぞ。いかで逃るることを得ん。決して活くることは叶はじ。やあ、やあ、やあと、項の上に鋼の刀で斬りつけり[126]。
(洞賓を殺す)
(正末が退場、鍾離に装いを改める)
(卜児が退場、王婆に装いを改めて登場)
(洞賓が目覚める)人殺し。(頚を摩る)
(正末が唱う)
【叨叨令】わたしはこれなる土坑[127]の上にぼんやりと坐し、婆さんは古米をさらさらと簸る。びつこの驢馬は、柳の陰で、足を伸ばして、でれでれと臥し、男は項をもぞもぞと触りたり。
(洞賓)よく眠ったわい。
(正末が洞賓を引っぱって見る)洞賓どの、
(唱う)おんみははやくも目覚められたり。
(洞賓)どのくらい眠ったのだろう。
(正末)十八年にございます。
(洞賓)一眠り十八年とはどういうことでございましょう。
(正末が唱う)おんみははやくも目覚められたり。これぞまさしく「窓前弾指時光過ぐ」[128]なり。
(洞賓)ご飯は炊けましたか。
(王婆)さらに一束の火を加えましょう。
(洞賓)よく眠ったなあ。
(正末)呂岩どの、お尋ねしますが、おんみの舅の高太尉どのはおんみに何か勧めましたか。
(洞賓)わたしに酒を飲むなと勧められました。
(正末)あれは高太尉ではなく、貧道が姿を変えたものなのです。おんみが出征された時、爺やは何か勧めましたか。
(洞賓)かれもわたしに勧めました。
(正末)爺やではなく、あれも貧道が姿を変えたものなのです。樵から道案内を受けられましたか。
(洞賓)樵はわたしに道案内をしてくれました。
(正末)あの樵も、貧道が姿を変えたものなのです。わたしはおんみが正しい路に迷われるのを恐れていました。さきほどおんみを殺した壮士も、貧道が姿を変えたものなのです。ここにいる王婆と山中の道姑は、驪山老母[129]にございます。この十八年間で、酒色財気を、おんみはすべて目にされたのです。(唱う)
【倘秀才】おんみはすでに浮世の風灯石火なることを悟れば、これよりは、子のことを神珠玉顆と恋ふなかれ。わたしたち人間の百歳の光陰は幾何ぞ。げに日月のゆくさまは、飛ぶ梭のごときものなれば、おんみの受けし坎坷を想ひたまへかし。
【滾繍球】おんみは夢に見られしか。心にて悟られたりしか。一眠りにて、はや二十年の兵火を経、覚めぬればまた生きたまふ。瓢はなほも厨[130]に置かれ、驢馬はなほ樹に隠れたり。眠ること朦朧として幾ばくも経ることなきに、にはかに山河は改まり、黄粱は未だ熟することなきに、栄華は尽きて、世の態をやうやく知れば鬢髪は白うして、人事[131]は蹉跎[132]たり。
(言う)呂岩どの、悟られましたか。
(洞賓)師父さま、わたくしは悟りました。
(正末の詩)漢朝の道を得し一将軍、ことさらに塵世に来たりて凡人を度す。十八年の夢は覚め、唐朝の呂洞賓は点化せられぬ。
(唱う)
【煞尾】おんみの正果[133]はまさに修行の賜物ぞ。おんみの災禍はみなわれが度脱せしめり。愁へをばはやくも絶ちて、妨げはなく、行く時は行き、坐する時は坐し、閑なる時には閑にして、忙しき時には忙しくしたり。指を折りつつ、みづから数ふ。真仙は、七人なりしも、おんみを加へ、都合八人。貴兄に言はん。われは痴れ者にはあらず。酒を飲むことを愛せる鍾離がすなはちわれぞかし。
(東華帝君が群仙を連れて登場)呂岩よ、そなたは悟ったか。
(洞賓)悟りました。
(東華)悟ったのなら、夢の中での十八年に、酒色財気と、人我の諍い、貪嗔痴愛と、風霜雨雪を見たのだな。前世のことをはっきりと見たのなら、本日はともに大道に帰し、仙班に位を列ね、純陽子という号を賜わることにしよう。
(詩)そなたは凡胎濁骨ならず。本性を迷はせたれば、人の世に苦しみを受けたりしなり。正陽に点化せしめて俗世をば離れしめ、くはへて驪山老母をば遣はせり。一夢の中にことごとく栄枯を見れば、覚めし時、たちまち悟れり。本日は証果[134]朝元[135]し、三清に拝礼し、もろともに紫府に帰したり。
最終更新日:2010年11月10日
[1] 「閬風之苑」のこと。仙界の意。「閬風」は昆侖の上にある山の名。『楚辞』離騒の王逸注参照。
[2]仙宮をいう。
[3]西王母が催す、蟠桃を食べる宴。蟠桃会、蟠桃勝会。
[4]華山の三つの峰。蓮華、毛女、松檜峰。
[5]鶴の背。仙人が騎乗する場所。
[6]天上の宴。
[7]鉛霜。酢酸鉛。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千三百七十五頁参照。
[8]具体的にどのような物質か未詳だが、『漢語大詞典』は玄霜と対になって出てくる用例多数を載せる。
[9]未詳。「玉戸」は内丹学の用語で、「玉門」といわれる部位か。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千百七十一頁参照。「金関」は内丹学の用語で、「金闕」別名を「絳宮」「絳関」という部位か。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千百七十八頁参照。
[10]汞のこと。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千三百六十四頁参照。
[11]丹砂。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千三百六十五頁参照。
[12]漠然と仙人の住まいをいう。
[13]道教で尊崇される三つの神。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百四十六頁参照。
[14]本来煉丹の書。また広く道家の書を指す。
[15]原文「免九族不為下鬼」。「下鬼」がまったく未詳。俗界に生きる人のことか。
[16]閻魔の帳簿から死ぬ日に関する記載を抹消してもらう。すなわち、死ぬことがないという趣旨であろう。「生死」はここでは偏義詞で、「死」に重点があろう。
[17]原文「指開海角天涯路」。未詳。「海角天涯」は仙界の喩えか。
[18]一定の数にまとまった銅銭。『金史』食貨志三には銅銭百枚を長銭というとある。
[19]原文「生我之門死我戸」。典故がありそうだが未詳。趣旨は、幸福は不幸をまねく諸刃の剣ということか。
[20]強健な男子。
[21]原文「誰持論」。「持論」が未詳。「主持」の意に解す。「論」は押韻箇所。
[22]本来仏教語。言葉によらず、心で了悟できる真理。
[23]清風明月を二人の友人に喩えることの典故は『南史』謝ォ伝にある。
[24]万里の長城をいう。秦が築いた長城の土の色が紫だったからという。晋崔豹『古今注』都邑参照。
[25]道家思想の根本。
[26]道を修めたものの顔。
[27]原文「降龍伏虎」。龍は汞、虎は鉛のこと。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千二百十頁参照。「降龍伏虎」は汞と鉛を煉り合せることの喩え。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千二百五十六頁参照。
[28]紫芝は実は草ではなく、霊芝に似たキノコの仲間。
[29]原文「俺那裏自溌村醪嫩」。「溌」「嫩」が未詳。とりあえず、こう訳す。『元曲選校注』「溌」につき、「醸造」の意味とするが根拠を示さず。
[30] 「蘭堂」は芳しい堂。「画閣」は彩色を施した閣。ここではいずれも豪奢な屋敷もしくは役所といった意味であろう。
[31]温端政主編『中国俗語大辞典』千八十八頁は用例を多数載せる。「九族」が「七族」となった例もある。用例はいずれも俗文学書のもので、典籍に由来する言葉ではなさそう。
[32] 「出世」「超凡」いずれも俗世を離れること。
[35]四つの悪徳。酒を嗜み、色を好み、罪を貪り、怒りを逞しくすること。
[36]原文「便神仙有幾分」。未詳。とりあえず、こう訳す。
[37]原文「気為強弱志為先」。まったく未詳。仙人の気が強いものもいれば弱いものもいるが、何よりも大事なのは仙人になる志を持っていることだという趣旨か。
[38]目的語は「修行」であろう。
[39]天下のこと。
[40]天地のこと。
[41]玄妙な道理。
[42]殿前司。宮禁の護衛を司る。
[43]典故未詳。
[44]未詳。『漢語大詞典』、この例を引き小鳥の意とする。とりあえずこれに従う。翠娥と魏舍の喩えであろう。
[45]原文「則有一个飛不動、争奈身上没穿的」。未詳。二人でいるときはいつも裸だということか。
[46]真珠。
[47]「提」は量詞だが、具体的にどのくらいの分量なのかは未詳。通俗文学には用例が多い。
[48]原文「休問有無」。未詳。とりあえず、こう訳す。
[49]玳瑁筵。豪華な宴席をいう。
[50]原文「我是為害眼、許下的願心来」。意味はこれでよいと思われるが、なぜここでこのような発言をするのかまったく未詳。眼病平癒の願掛けをするときに、帽子を用いる風習があったのか。
[51]原文「明亮隔」。未詳。『漢語大詞典』はここの例を引き、光を通す窓、扉のこととする。ただ、「隔」は「槅」「格子」のことであろう。「明るい格子」か「明亮隔」といわれる格子があるのかは未詳だが、前者の意味に解す。
[52] 「百年之好」「百年偕老」などと同じ。百年続く夫婦の情誼。
[53] これはもちろん皮肉。
[54] 「侯門は深きこと海に似る」は当時の諺。金持ちの屋敷が広く奥深いことをいう常套句。この句、趣旨は「屋敷が広くても何のその」ということ。
[55]翠娥をさしているか。
[56]原文「手托腮」。なぜこのような場面で頬杖を衝くのか未詳。
[57]原文「似恁地怎生将手腕解」。未詳。爺やが腕ずくで夫婦喧嘩を仲裁するのは難しいという趣旨か。
[58]生活に困っていたわけでもないのに、間男を養い、窮地に立ったということを喩えたものか。
[59]原文「赤緊的並贓拿賊」。「拿賊拿贓、捉姦須捉双」という諺があり、それを踏まえた句。言いたいことはむしろ「捉姦須捉双」の方。
[60]翠娥のこと。
[61]原文「做的来漏齏搭菜」。「漏齏搭菜」に関して『漢語大詞典』はここの例を引き、「做事不周密、有破綻」とする。
[62]八面威風とも。八方を服せしめるような威風。
[63]虎符。虎の形をした割符。
[64]原文「他在那長朝殿前班部裏擺」。「長朝」が未詳。衍字と解す。「班部」は朝臣の行列。
[65] 「面子を台無しにした」ということであろう。
[66]拜将台。将軍を任命する時の台。通俗文学にしばしば出てくる。
[67]奥方を大目に見ろということであろう。
[68] この言葉、後ろの「醜聞が広まらば」に繋がる。
[69]原文「男子漢那一个不妬色」。未詳。訳はこれでいいと思われるが、文脈に合わない。また、男が「妬色」するというのもおかしい。
[70]原文「只待剣光揮三尺水晶牌」。未詳。「水晶牌」は翠娥を喩えるか。「三尺」は剣のこと。
[72] 『論語』雍也。
[73]原文「呂岩也、你有甚麼難見処」。「難見」が未詳。この句、自分は妻に対して顔向けできないようなことはしていないという意味に解す。
[74]命を憐れむ徳。『書経』大禹謨に典故のある言葉。
[75]宋代の行政区画。路の下、州、府などと同格。
[76]犯罪人を護送する時に使う枷。
[77]原文「也是你慈悲生患害」。未詳。とりあえず、こう訳す。
[78]原文「俺哥哥除死無大災」。未詳。呂岩はもう死ぬよりほかないということを述べたものか。
[79]原文「都是犯着年月日時該」。未詳だが、現在の星回りがまったくもって悪いということを言った句であろう。
[80]「枷棒」は枷と棒。「枷を揮う」というのはいかにもおかしいが、「枷棒」はここでは偏義詞で、意味は「棒」ということであろう。
[81]護送官。
[82]原文「趙杲送灯台」。歇後語。「趙老送灯台」とも。「一去再不来」と続き、行ったきり帰ってこないこと。「趙老」は古の名工魯班の弟子趙巧のことであるといわれ、温端政主編『中国俗語大辞典』千百八十八頁では、この歇後語の由来となった民間伝説を紹介している。
[83] これも諺。「本性難移」「稟性難移」などと続く。この句、翠娥が夫への操を失ったことを述べたもの。
[84] これも諺。諺本来の意味は、あるものがあり、それに関連するものも揃っているという趣旨。ここでは、翠娥は心変わりしているし、彼女の態度や行動もそのことを示しているという趣旨であろう。
[85]仏教語。前世の罪業による悪報。ここでは「災難」というぐらいの意味。
[86]原文「将両只手扛抬」。「扛抬」が未詳だが、子供を打っている護送官の手を執って、差し上げて、殴らないようにするということであろう。
[87]原文「趁起身来」。未詳。とりあえず、こう訳す。
[88]原文「我収拾一房一臥」。「一房一臥」が未詳。「臥房」の意味に解して訳す。
[89]原文「無影牢城」。『漢語大詞典』はこの例を引き、きわめて遠い流刑地とする。これに従う。「牢城」は流刑地。
[90]原文「我死不争」。未詳。とりあえず、こう訳す。
[91]原文同じ。「深山曠野」とはいかにもおかしいが、これは偏義詞でここでは「深山」に重点があるのであろう。
[92] 「馬のように扱われても」ということ。「口に鉄を銜んで」はもちろん轡を咬まされること。
[93]羊の角で作った笛。ここでは烈しい風の音の喩え。
[94]鵝鳥の羽。ここでは雪の喩え。
[95]一つの壺。ここでは天地の喩え。
[96]原文「凍一壺天地老」。「天地老」は未詳。「老」は押韻箇所。
[97]中国の詩歌では、遠くの碧く霞んだ山を黛に喩えるが、ここでは雪が降っているため、山が碧く見える状態にはないことをいう。
[98] ここでは花びらの喩え。
[99] みの、かさ、釣糸、釣竿。
[100]寒鴉。コクマルカラス。ただ、ここでは「寒さに耐えている鴉」という含みも持たせていよう。
[101]ここでは梨の花ではなく、雪の喩え。
[102]未詳。雪野原を喩えるか。
[103]道教の神。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百五十七頁参照。
[104]原文「孤村暁、稚子道、猶自月明高」。未詳。あまりの寒さと烈しい雪で、太陽が月のように見えるということか。
[105]霜の女神をいう。『淮南子』天文訓の高誘柱を参照。
[106]原文「青女剪氷寒不散」。未詳だが、「剪氷」は霜を降らすということであろう。『佩文韻府』引『楊万里詩』「剪氷作花吹朔風、揉雲為粉散寒空」。
[107]原文「我這裏款款的把衣襟解放」。訳はこれでよいのだろうが、寒中なぜこのような動作をするのか未詳。
[108]原文「哥哥、這裏往那里去」。「這裏」がすこしおかしい感じもするが、「この道」の意に解す。
[109]原文「早知這道、你去了多時了也」。未詳。とりあえず、こう訳す。
[110]高歌に同じ。
[111] いずれも仙人が住むとされる島。具体的な内容については、『雲笈七籤』巻二十六に記載がある。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千六百四十四頁参照。
[112] 『漢語大詞典』は中断した、あるいは終わらんとしている棋局をいうとあるが、ここでは夜空の星の喩え。『劉行首』第一折【一半児】「星撒残棋月掛輪」も同様の用例。どちらかというと、月が出ているためにまばらに見える星の喩えではないか。
[114]原文「天教悪相貌」。未詳。とりあえず、こう訳す。
[115]原文「伏的虎、降的龍」。第一折の「降龍伏虎」に関する注を参照。
[117]孝義を表彰するための木柱。正史にも見える。『新五代史』李自倫伝参照。は
[118]原文「你看我那命」。未詳だが、「わたしの(ひどい)運命を看よ」という方向であろう。
[119]猩猩緋の色。
[120]無何有郷のこと。ユートピア。ここでは眠りの世界の喩え。
[121]原文「領窩」。未詳だが、字義からして首の後ろのくぼんだ部分のことであろう。
[122]河北省の川の名。
[123]敵の賄賂を受けて敵を攻めなかったことをいう。
[124]原文「斡、斡、斡、禁声的休回和」。まったく未詳。
[125]吹毛の剣のこと。吹きつけた毛が切れるほど鋭利な剣。干将の剣がそうであったと『呉越春秋』に見える。
[126]原文「脖項上鋼刀銼」。「銼」は現代の中国各地の方言などから類推して、「斬る」という意味であろう。許宝華等主編『漢語方言大詞典』六千百六十五頁参照。
[127]土で作った床下暖炉。
[128]典故がありそうだが未詳。
[129]胡孚琛主編『中華道教大辞典』二千九十九頁に驪山老君及び老母に関する項目を三つ載せる。
[130]原文「竃窩」。厨房のこと。許宝華等主編『漢語方言大詞典』二千八百七十二頁参照。
[131]自分のやることなすこと。
[132]衰えたさま。うまくゆかないさま。不遇なさま。
[133]証果。悟り。
[134]仏教語。修行により道を悟ること。
[135] 老子を拝すること。