状元堂陳母教子

楔子

(冲末外が寇莱公に扮して従者を連れて登場[1]

(寇莱公)白髪は刁騒[2]として両の鬢をぞ侵したる。老いぬれば少年の心は冷めはつ。やすやすと天禄を食むを得つ。身の安きことさへ得なば万金にしぞ抵るべき。

老夫(おいぼれ)は姓は寇、名は準、字は平仲といい、莱国公の職に封ぜられている。今、聖上は位におわし、八方は無事、四海は平穏。当今の明君はひろく学校を設け、賢良を選ぼうとなさり、三年ごとに試験を行われている。今では聖主が仁慈寛厚であるために、一年に一度の試験が行われ、天下が秀士はやってきて、受験し、官位を求めている。こたびは聖上の御諚を受けた。山間林下に、姿を隠し、名を埋め、才を持ち、徳を抱き、戸を閉ざし、書を読みながら、仕進しようとせぬものがいるのを恐れ、聖上は老夫(おいぼれ)にお命じになり、五南路[3]に賢士を探訪しにゆかせるのだ。

鼎鼐を調和して陰陽を(をさ)むれば[4]、万里の山河は大邦に属したるなり。天下の文士はひとしく仰ぎ(ことほ)ぎて、赤心をもて国に報いて忠誠を尽くさんとせり。(退場)

(正旦が大末、二末、三末、旦児を連れて雑当とともに登場)

(正旦)老身(おいぼれ)は姓は馮、夫は姓は陳といい、漢の丞相陳平の後裔だ。老身(おいぼれ)は三人の息子を生んだ。一番目は陳良資、二番目は陳良叟、三番目は陳良佐。一人娘は字は梅英。老身(おいぼれ)は厳しく教え、子供に書物を読ませている。書堂を建てて「状元堂」と名づけようとしているが、完成はしていない。息子たち、この大騒ぎは何事か。見におゆき。

(大末)どこで大騒ぎしている。

(雑当)塀を造っていましたところ、金銀が掘り出されたのでございます。

(大末)なぜはやく言わぬ。母上に話しにゆこう。

(正旦に見える)母上、塀を造っていたところ、金銀が掘り出されました。

(正旦)ほんとうに、塀を造っていたときに、金銀が掘り出されたのか。動かさず、その場所に埋めておくれ。

(大末)母上、これこそは、天がわれらに賜うた財貨でございますのに、どうしてお埋めになるのでしょうか。

(正旦)息子たち、分からないか。邵堯夫が子の伯温に教えたことは聞いていよう。「わたしはおまえを教育し、偉大な賢者にしたいのだが、天の(こころ)が従うかどうかはわからぬ」[5]。「(かご)いっぱいの黄金(こがね)を子供に遺すより、一つの経書を子供に教えた方がよい」と。わたしに従い、その場所に埋めておくれ。

(大末)かしこまりました。三哥よ、母上のお言葉に従って、埋めるのだ。

(三末)しもべたち、その金銀をみな埋めろ。金元宝は四つ残して、網巾[6]の環を作って被るとしよう。

(正旦)昔は三年に一度試験が行われていたが、今は一年に一度試験が行われている。今春の試験が行われているから、大哥を受験しにゆかせ、官職を得させ、家柄を改めさせれば、良いではないか。

(大末)母上の仰る通りでございます。今年は春の試験が行われていますから、上京、受験し、官職を求めましょう。官職を得、家柄を改め、先祖を輝かすことにしましょう。

(三末)母上、春榜が掲げられ、試験が行われていますから、受験しにゆきましょう。

(正旦)三哥。大哥を行かせるのだ。おまえは官となる日があろう。

(三末)母上の仰る通りでございます。大哥は教養が低く、役立たずですから、大哥をさきに行かせましょう。

(大末が正旦に拝礼する)今日は吉日、母上に別れを告げて、長旅をせねばならない。二弟よ、しっかり家で母上をお世話し、三哥には家でしっかり書物を読ませろ。ご覧ください。わたしがかれに拝礼をしておりますのに、かれはわたしに拝礼を返しませぬ。

(三末)拝礼はいたしませぬ。拝礼すればひどい負い目を与えますから。

(正旦)息子や、とにかく気を付けて、はやめに戻ってくるのだよ。酒を持て。大哥、この酒を飲んだらゆくのだ。

(大末)かしこまりました。(酒を飲む)

(正旦が唱う)

【仙呂】【賞花時】万言の策と詩書もて首席を奪へ。八韻の賦の教養は誰かなんぢにしくべけん[7]。五言詩は天へと上る(かけはし)たらん。望むらくは皇家の富貴[8]、金殿に白衣を脱ぐこと。

(大末)ふだん勉強しておりますから、かならずや高官を得ることでしょう。

【幺篇】ああ、息子や。「金榜に名がなくば誓ひて帰らじ[9]」とぞいへる。兄弟の中でまずはおまえを見るとしよう。

(正旦)酒を持て。

(唱う)こなたにて、金杯の満々たるを捧げつつ、心よりなんぢを祝ひ、状元を奪ひて帰らんことを望めり。

(二末、三末、旦児とともに退場)

(大末)今日は琴剣書箱を調え、上京し、官位を求め、受験しよう。「一挙に登る龍虎榜[10]、十年にして身は到るべし鳳凰池[11]」。(退場)

 

第一折

(正旦が二末、三末、旦児を連れてともに登場)

(二末)母上、大哥が上京、受験しにゆかれてから、母上は毎晩お香を焼いていますが、どうしてでしょうか。

(正旦)大哥は受験しにいったが、かならず役人になるだろう。毎晩香を焚いているが、おまえは知るまい。わたしは

金玉の貴きを求むることなく、児孫のすべて賢きをひとへに願へり。(唱う)

【仙呂】【点絳唇】なにゆゑ夜ごと香を焚きたる。子孫の繁栄、天のご加護を博せんとすればなり。自慢するにはあらざれど、礼記』、『詩』、『書』をぞ講ぜんとせる。

(二末)母上。大哥は行けば、七言詩、八韻賦により、かならず官となりましょう。

(正旦が唱う)

【混江龍】才能あれども謙譲にして、祖先は賢明。教化を承け、三綱を立て、仁義礼智に従ひて、恭倹温良をしぞ習へる。万代を定めて孔子の模範に従ひ[12]、一生を論ずれば学業は文章[13]を好みたるなり。『周易』に言はく、「謙謙たる君子[14]」と。天の教へのありし後、文章は起こりたるなり。『毛詩』に云はく『国風』『雅』『頌』と。『関雎』に云はく、「大道は揚揚たり」と[15]。『春秋』は素常の徳を説きたれば、堯舜と夏禹商湯を訪ねたり[16]。『周礼』が行はれたれば、儒風は典雅、衣冠を正し環珮は鏘鏘たるなり。『中庸』は作られ天理は明らかとなり、性と道とは万代に宣揚せられぬ。『大学』の功は明明徳に在り、家を斉へ、国を治めて邦を安んず。『論語』は聖賢が作りたまひき。『礼記』は善くせり、行蔵を問答するを[17]。『孟子』は浩然の気を養ひ、正道を伝へ、王綱をひそかに助けつ[18]。儒学を習ひ、灯窓を守り、名声を一挙に揚ぐることを望まん。袍袖に染む、桂花の香。瓊林の宴にて[19]、霞觴[20]を飲むべし。状元郎をみづから奪はば、威は凛凛、志は昂昂たるべし。一身が出世せば万人は知り、五陵の豪気三千丈に勝るべし[21]。金印を腰にして紫衣を着るべき日はあらん。息子たち、琴剣書箱を忘るるなかれ。

(正旦)三哥、入り口で見張るのだ。誰かが来た。

(三末)入り口で見張りましょう。誰かが来た。

(合格通知人が登場)自家(わたし)は合格通知人。このたび陳大官人が首席の状元となったから、合格を知らせにゆこう。はやくも着いた。(三末に見える)陳三哥、ご機嫌よう。

(三末)どのようなお話しにございましょう。

(合格通知人)お宅の大哥さまが首席の状元におなりですので、小人(わたし)はわざわざ吉報を届けにきたのでございます。三哥さまはご隠居さまに一言仰ってください。

(三末)何だって。大哥が役人になられただって。それは確かか。

(合格通知人)ほんとうに大哥さまでございます。

(三末)こちらにいてくれ。母上に取り次ごう。

(三末が正旦に見える)母上。長男坊が官職を得ました[22]。合格通知人が入り口にいます。

(正旦)合格通知人に二両の銀子をおやり。

(三末)かしこまりました。合格通知人どの、二両の銀子を差し上げるから、行かれよ。

(合格通知人)大変ありがとうございます。三哥さま、失礼いたします。(退場)

(大末が官人に扮し、馬に乗る仕草をし、従者を連れて登場)志は雲をも凌ぎ碧霄(みそら)に徹し、蟾宮に攀ぢ、月桂を折り、英豪を顕はしたるなり。昨夜の布衣はなほ身にぞ在る、誰か思はん本日紫袍に換へんとは。

小官(わたし)は陳良資。帝都闕下に来てから、すぐれた答案を提出し[23]、たちまちに、たくさんの詩を作り、首席の状元となった。宰相の儀仗を借り、三日間誇官[24]している。入り口に着いた。左右のものよ、馬を牽け。(三末に見える)三哥、わたしは首席の状元となったから、母上に取り次ぎにゆけ。

(三末)大哥、官職を得たのですね。喩え話をしましょう。風に向かって穀物を簸ると、あなたは(しいな)のようにさきに飛びます。瓶に茶を入れると、わたしのように濃いものは後になります[25]

(大末)弟よ、母上に取り次ぎにゆけ。

(三末)取り次ぎましょう。

(正旦に見える)母上、大変おめでとうございます。大哥は官職を得て、今、入り口にいます。

(正旦)それはよい。それはよい。通しておくれ。

(三末)かしこまりました。大哥、母上がお呼びです。

(大末が正旦に見え、拝する)母上、わたしは首席の状元となりました。

(正旦)良い子だ。

(大末が二末を拝する)二弟、わたしは首席の状元となった。

(二末が拝する)兄さん、良い官職を得ておめでとうございます。

(大末が三末を拝する)三哥よ、わたしは首席の状元となったぞ。こら、三哥、官職を得て拝礼したのに、どうして礼を返さない。

(三末)礼を返したいのですが、わたしの教養はあなたより勝っていますから。

(大末)母上の厳しい教えがなければ、今日はございませんでした。

(正旦が唱う)

【油葫蘆】わたしの息子は、試験に赴き、一挙に合格。学問は深ければ、群儒を一掃し尽くして屈服せしめつ。鯤が鵬となり志を得、秋雲の長きがごとく[26]、魚が龍に姿を変へて、春雷の響くがごと[27]

(大末)母上。わたしは十年の苦しみに耐え、喜びを得ました。

(正旦)大哥、

(唱う)なは才藝は高くして、学芸こそは広きなれ。これぞまさしく禹門三月桃花の浪[28]、わたしの息子はやすやすと状元郎を奪ひたる[29]

(大末)「十年窓下に問ふ人なきも、一挙に名を成し天下に知らる[30]」。

(正旦が唱う)

【天下楽】かれの馬前に朱衣は二列に列なりて、人は噂し、こなたにて四方に満てり。これぞまさしく、「霊椿[31]は老いぬれど丹桂[32]は芳しき」なる。父を辱むることもなく、母を辱むることもなし。

(正旦)良い子だ、

(唱う)おまへはまさに「男児は自強すべきなり[33]

(正旦)今年は二年目。二番目の息子を上京、受験しにゆかせよう。

(三末)お待ちください。母上、最初の年は大哥を行かせましたから、今年はわたしが行くべきでございます。

(二末)三哥よ、わたしを行かせろ。

(正旦)三哥や、二哥を行かせるのだ。おまえが官となる日はあろう。

(三末)母上。二哥は教養がありません。『百家姓』[34]さえわたしが教えたのですよ。わたしの教養は二哥に勝っておりまする。わたしが行きます。

(二末)三哥、おまえの教養が高いことは分かっているが、家でしっかり母上をお世話するのだ。今日は吉日、母上に別れを告げ、上京、受験し、官職を求めよう。(正旦を拝する)

(正旦)息子や、気を付けなされ。

(二末が大末を拝する)大哥、家で母上を世話なさいまし。

(大末)弟よ、行けばかならず皇家の財貨を賜るだろう。

(二末が三末を拝する)三哥。わたしは受験しにゆく。家でしっかり母上をお世話するのだ。

(三末は挨拶を返さない)

(二末)三哥よ、拝礼したのに、なぜ礼を返さない。

(三末)拝礼しませぬ。わたしの教養はあなたに勝っておりまする。拝礼すればひどい負い目を与えましょう。

(二末)こら。今日は琴剣書箱を調え、上京し、功名を得るとしよう。

青霄に路あらばかならず到り、金榜に名がなくば誓ひて帰らず。(退場)

(三末)母上。わたしは二哥を行かせました。お喜びください。

(正旦)三哥や、おまえは知らぬのだ。(唱う)

【酔扶帰】蛍火(ほたる)を聚め、書幌[35]に臨め。瑞雪を積み、寒窓に映えしめよかし。昆仲(はらから)が睦みあふのは礼として当然のこと、おまへは弟、かれは兄なり。陳良佐(おまへ)をさきに挙場へと登らせば、人々はわたしがもつとも下の児を贔屓にせりと言ひつべし。

(三末)母上の仰る通りでございます。

(正旦)三哥、入り口で見張りするのだ。誰かが来た。

(三末)かしこまりました。誰かが来たぞ。

(合格通知人が登場)自家(わたし)は合格通知人。こたび陳媽媽の家の陳二哥が首席の状元となったから、ただちに家へ合格を報せにゆこう。はやくも着いた。(三末に見える)三哥、ご機嫌よう。

(三末)どのようなお話しにございましょう。

(合格通知人)お宅の二哥が首席の状元となりましたので、小人(わたし)はわざわざ吉報を届けにきたのでございます。

(三末)合格通知人よ、二哥も官職を得たのか。それは確かか。

(合格通知人)まさにお宅の二哥さまでございます。

(三末)こちらにいろ。母上にご報告しにゆこう。

(正旦に見える)母上。二哥が官職を得ました。合格通知人が入り口におります。

(正旦)ほんとうかえ。合格通知人に二両の銀子をおやり。

(三末)かしこまりました。合格通知人どの、二両の銀子を差し上げよう。少ないことを厭われますな。わたしが将来官職を得ましたら、あなたは貢院から手を叩き、叫んでわたしの家に来て、こう仰い。「陳家の三哥が官職を得られました」と。五十両の銀子を差し上げましょう。

(合格通知人)かしこまりました。三哥、大変ありがとうございます。わたしは戻ってゆきましょう。(退場)

(二末が官人に扮し、儀仗を並べ、馬に乗る動作をして登場)黄巻青灯一介の腐儒、九経三史は腹中にあり[36]。学而第一は記憶すべきなり、子を産まば(ふみ)を読ましめざるなかれ。

小官(わたし)は陳良叟。帝都闕下に来て、答案を提出し、聖上に見え、たちまちに、たくさんの詩を作ったら、聖上は喜ばれ、小官(わたし)を首席の状元になさった。宰相の儀仗を借りて、三日間誇官している。はやくも入り口に着いた。左右のものよ、馬を牽け。三哥が入り口にいるな。(三末に見える)三哥、わたしは官位を得たぞ。

(三末)二哥、官職を得られましたね。喩え話をいたしましょう。わたしのような霊鳥は後になり、あなたのような坌鳥(ばかどり)がさきに飛ぶのでございます。母上に話しにゆきましょう。

(正旦に見える)母上。二哥はほんとうに官職を得ました。今、入り口にいます。

(正旦)通しておくれ。

(三末)かしこまりました。二哥。母上があなたを咎めていらっしゃいます。

(二末)官職を得たのだから、母上はお喜びになればよいのに、どうしてわたしをお咎めになる。

(三末)どうしてあなたも役人になったのだろうと仰っています。行かれませ。

(二末が正旦に見え、拝礼する)母上の厳しいご教育のお陰で、本日、首席の状元となりました。(拝する)

(正旦)良い子だ。

(二末が大末を拝する)大哥、わたしは官職を得ました。

(大末)弟よ、よい官職を得ておめでとう。

(二末が三末を拝する)三哥、わたしは官職を得た。

(三末は挨拶を返さない)

(二末)三哥。わたしは役人になり、拝礼したのに、どうして礼を返さない。

(三末)わたしの教養はあなたに勝っていますから、わたしが挨拶を返すには値しませぬ。

(正旦)良い子だ。酒を持て。息子や、一杯干すのだよ。

(二末)この一杯の酒を飲む。(酒を飲む)

(隣人たちが登場)老漢(おいぼれ)は陳婆婆の隣人だ。かれの二人の息子たちが首席の状元になったから、われら隣人たちは、羊を牽き、酒を担ぎ、言祝ぎにゆく。はやくも着いた。取り次ぎは必要ない。そのまま行こう。(隣人たちが正旦に見える)陳婆婆、わたしたち隣人は、ほかでもござらぬ。羊を牽き、酒を担ぎ、状元さまをわざわざ言祝ぎにきたのです。

(正旦)お疲れさまでございます。ご近所の皆さま。

(隣人)滅相もございません。

(正旦が唱う)

【金盞児】ご隠居はいたく喜び、隣人たちは騒ぎたり。わが家は三年足らずにて、二人の倅が一斉に金榜に登りたるなり。

(隣人)ご隠居さまは善行を施すお方でございますので、二人の状元を出されたのです。

(正旦が唱う)わが家では状元堂に二人が並べり。一人は李太白のごとく才調は高くして、一人は杜工部のごとく教養は優れたるなり。一方は天を支ふる白玉柱、一方は海に掛けたる紫金梁。

(正旦)大哥や、お受けするのだよ。三哥が役人になったら、近所のご老人たちにまとめてお礼を返すとしよう。

(大末)ご近所の皆さま、お咎めになりますな。日を改めて宴を設け、挨拶をお返ししましょう。

(隣人たち)滅相もございません。滅相もございません。ご隠居さま、失礼いたします。われら近所のものたちは戻ってゆくといたしましょう。(退場)

(正旦)老身(おいぼれ)はとても嬉しい。(唱う)

【後庭花】今日はわが二人の子らが合格すれば、千万両の黄金(こがね)を得るにぞ勝りたる。金玉の貴きことはさておかん。願はくはわが子孫らがことごとく優れんことぞ。なんぢらはまことに尋常にはあらず、母親が贔屓して、人前で強弁したるにはあらず。なんぢらは心のなかで思へかし。実弟は有様を異にしたれど[37]、なんぢらは優れた(こころ)を示せかし。

(二末)わたしは白衣の人であったが、思いがけなく今日出世した。

(正旦が唱う)

【柳葉児】かれのみが寒門の卿相なれど[38]、青年にして血気はまさに(つよ)ければ、虹霓(にじ)を擁して三千丈の気を吐くべけん。息子らよ、驕りそ。慌てそ。かれのみが紫綬金章を得てをらず。

(正旦)息子や、今年は三年目だから、おまえが受験しにおゆき。

(三末)大哥を行かせなさいまし。

(大末)われら二人はどちらも役人になったのだから、おまえが行くべきだ。

(三末)二哥が行かれませ。

(二末)われらはすでに官職を得たのだから、おまえが行くべきだ。

(三末)それならば、母上が行かれませ。

(正旦)これ。

(三末)みな行かないなら、わたしも行きませぬ。

(大末)おまえが行くべきだ。

(三末)どうしてひたすらわたしに行けと促すのです。しもべたち。紙、墨、筆、硯を持ってきてくれ。手紙を書き、今回の試験の貢主[39]に送り、こう言おう。陳三哥は家で忙しくしているから、状元を家に届けてきてくれと。

(正旦)息子や、おまえが行くべきだ。

(三末)行きましょう。仕方ない。仕方ない。行きましょう。母上。わたしは受験しにゆきましょう。わたしには気概を示す言葉が三つございます。

(正旦)三つとは。

(三末)「手のひらの紋を見る」、「懐の物を取る」、「お碗から靶児(パル)つきの蒸餅(チョンピン)を取る[40]」です。本日は母上に別れを告げて、長旅するといたしましょう。

(正旦を拝する)

(大末)弟よ、どうしてわれら二人の兄に拝礼しない。

(三末)二人の兄じゃ、拝礼はいたしませぬ。わたしの教養はあなたがたに勝っております。

(正旦)息子や、とにかく気を付けるのだ。

(三末)母上、お大事に。官職を得ましたらすぐまいります。

(正旦が唱う)

【尾声】おまへはしきりに旧書を(さら)ひ、ゆつくりと新詩を講じ、自慢することなかるべし。わたしはいささか老い惚けた言葉を語らん[41]。裏庭に花と木は芳しく、われわれは蘭堂[42]に住み、魏紫姚黄あり[43]。名花を指しつつ喩へ話をするとせん。三哥よ、おまへは第三名の襯榜[44]となることなかれ。わたしを門に寄らしめて待ちこがれしむることなかれ。ああ、息子や、状元紅が状元堂に開きつくさんことを願へり。(退場)

(大末)弟よ、さきほどは三つの気概を示す言葉を語っていたが、「懐から物を取る」、「手のひらの紋を見る」、「お碗から靶児(パル)つきの蒸餅(チョンピン)を取る」とはどういうことだ。

(三末)今から向こうに行き、今度の試験の貢主に会えば、わたしが任官することは、懐に一つのものが置かれているのと同じこと、手を伸ばし、取り出すことは、容易いということでございます。

(大末)「手のひらの紋を見る」とはどういうことだ。

(三末)「手のひらの紋を見る」とは、手のひらの紋が手を開けばすぐに見えるのと同じこと、官位を得るのは容易いということでございます。

(大末)「お碗から靶児(パル)つきの蒸餅(チョンピン)を取る」とはどういうことなのだ。

(三末)わたしが任官することは、碗に置かれた靶児(パル)つきの蒸餅(チョンピン)と同じこと、走っていって、取り上げて、一口で食べてしまうのは、容易いということでございます。大哥、あなたは役人になったら、どのくらい高い門楼を建てますか。

(大末)丈二の高さだ。

(三末)低すぎます。わたしは役人になりましたら、三丈八寸の高さのものを建てましょう。

(大末)高すぎる。

(三末)ご存じございますまいが、わたしは役人になりましたら、馬に騎り、傘をさし、馬を下りずに家へ行きます。あなたは役人になったら幾つの馬台[45]が必要ですか。

(大末)二つだな。

(三末)少のうございます。わたしは役人になりましたら、七十二の馬台を置きましょう。

(大末)どうしてそんなにたくさん必要なのだ。

(三末)わたしを送ってきた人々が、入り口に来たときに、一人一人が一つの馬台で、一斉に馬から下りれば良いでしょう。あなたは役人になったら何をかぶりますか。

(大末)烏紗帽だ。

(三末)わたしは役人になりましたら、前漏塵羊肝漆一定墨烏紗帽[46]を戴きましょう。あなたは何を身に着けますか。

(大末)紫羅襴だ。

(三末)わたしは役人になりましたら、通袖膝襴閃色罩青暗花麻布上蓋紫羅襴[47]を着ましょう。あなたは腰に何を締めますか。

(大末)通犀帯[48]だ。

(三末)わたしは役人になりましたら、羊脂玉茅山石透金犀瑪瑙嵌八宝荔枝金帯[49]を締めましょう。脚には何を穿かれます。

(大末)乾p履[50]だ。

(三末)わたしは役人になりましたら、靴を棄て、換えましょう。

(大末)何に換える。

(三末)靴屋で頭底に換えましょう[51]。(ともに退場)

 

第二折

(正旦が大末、二末とともに登場、正旦)老身(おいぼれ)は陳婆婆。今、大哥、二哥が役人になり、三哥だけが上京、受験し、官職を求めようとしているが、かならず役人になるだろう。(唱う)

【南呂】【一枝花】なにゆゑぞ児孫らは志気高き。先祖らの陰功の厚ければなり。一人は一昨年虎榜[52]に登り、一人は去年鰲頭を占む[53]。わが家に富貴は並びきて、不幸を受くるは難きなり。われらは財貨を不当に求めず、金銀と珠翠を見ること、参辰と卯酉のごときなり[54]

【梁州】愛するは『孝経』、『論語』、『孟子』にて、好むは『毛詩』、『礼記』、『春秋』。裏庭に土地あれば松竹を栽ゑ、書堂、書舍、書院、書楼を立つるなり。願はくは子孫の繁栄、門戸の清幽ならんこと。わたしの家は先祖の遺したまひたるもの。役人となれば富貴となるは請け合ひ。なんぢらは、なんぢらは、黄巻と青灯を離るるなかれ。なんぢは、なんぢは金章紫綬を得てをらず。ああ、ああ、ああ、なんぢは心機を用ゐば出世するを得ん。なんぢはかならず肥馬軽裘を得ることあらん[55]。古人はかくして父母を顕はす。身が栄ゆれば、八位に入りて、苦しまず[56]。思へばそのかみ常何は馬周を薦むれば[57]、古今に名を留むるを得つ。

(正旦)大哥や、入り口で見張るのだ。誰かが来た。

(大末)かしこまりました。

(合格通知人が登場)自家(わたし)は合格通知人。陳三哥は首席の状元となったから、陳媽媽の家へ吉報を届けにゆこう。はやくも入り口に着いた。大哥が入り口にいる。大哥、ご機嫌よう。

(大末)どこから来たのだ。

(合格通知人)三哥が首席の状元となりましたので、小人(わたし)はわざわざ吉報を届けにきたのでございます。

(大末)こちらにいろ。母上にお知らせしよう。母上、三哥が首席の状元となりました。

(正旦)誰が言った。

(大末)合格通知人が入り口におりまする。

(正旦)お通し。

(大末)かしこまりました。行かれませ。

(合格通知人が見える)ご隠居さまにお報せします。三哥が首席の状元となりましたので、小人(わたし)はわざわざ吉報をお届けにまいりました。

(正旦)息子や、合格通知人に五両の銀子をおやり。

(大末)かしこまりました。二弟、わたしが官職を得た時は、合格通知人に二両の銀子しか与えなかった。三哥が役人になったら、五両の銀子を与えるのか。

(二末)大哥。母上は三哥を贔屓しています。

(大末)合格通知人どの、五両の銀子を差し上げましょう。(合格通知人)大変ありがとうございます、小人(わたし)は戻ってゆきましょう。(退場)

(王拱辰が馬に乗る動作をし、給仕を連れて登場)龍楼鳳閣九重の城、あらたに沙堤は築かれて宰相は行く。わたしが貴く栄ゆとも羨むなかれ、十年前は一書生なりしかば。

小官(わたし)は王拱辰、西川[58]綿州の人。幼くして儒学を習い、すこぶる詩書を読んでいる。帝都闕下に来てからは、答案を提出し、宮殿で策問に答え、たちまちに、たくさんの詩を作った。文は錦繍のよう、字は龍蛇のよう、一挙に状元に及第した。宰相の儀仗を借りて、三日間、誇官している。張千よ、儀仗を列ね、ゆっくりと行け。

(正旦)大哥、二哥、いっしょに息子を迎えにゆこう。(唱う)

【紅芍薬】にこにこと看街楼[59]に赴けば、わが児女たちは従へり。こなたにてゆるゆると紫驊騮[60]を止め、玉勒[61]をいそいで引かん。

(王拱辰)婆さん、下がれ。小官(わたし)の馬を驚かすな。

(大末)三哥よ、ほんとうに立派だな。

(二末)母上、しっかりご確認ください。

(正旦)良い子だね。努力は無駄ではなかったね[62]

(唱う)これぞまさしく男児の願ひの叶ふ(とき)、かれは馬上にありて大いに雅やかにせり。

(大末)三哥を見ろ。あいつは母上に見えているのに、どうして馬を下りてこない。

(二末)大哥。三哥ではございますまい。

(正旦)息子や、馬を下りてくるのだ。

(王拱辰)この婆さんは甘い汁を吸おうとしているな[63]

(正旦が唱う)こちらにて話を聴けば、たちまちに(かうべ)を垂れたり。脅ゆればわが魂魄(たま)はふらふらとせり。

(王拱辰)おい婆さん、勘違いするな。

(正旦が唱う)

【菩薩梁州】怒りに喉は塞がれて、(まよね)は曇り、身は捩れたり。恥ぢたれば(かうべ)を担げやうとせず、涙はうるうる両の眼の眸を凝らし、じつくりと見てむなしく頭を垂るるなり。

(正旦)お尋ねしますが状元さまのご姓とお名は。

(王拱辰)今春の首席の状元で、王拱辰ともうすのだ。

(正旦が唱う)こつそりと問ひ、しつかりと口を閉ざして、悶へつつ言葉なく、ひとり悲しむ。老身(おいぼれ)は官人を見ることぞなき[64]

(正旦)息子たち、一言言うのだ、

(唱う)大いに恥づかし。

(正旦が走る)

(二末)兄じゃ、母上をご覧ください。

(正旦)大哥。状元さまなら、馬から下りていただこう。

(大末)かしこまりました。状元さま、馬からお下りくださいまし。状元堂で、状元酒をお飲みになって、お戻りください。

(王拱辰が馬を下りる)左右のものよ、馬を牽け。

(給仕)かしこまりました。

(大末)さきほど老母が状元さまにぶつかりましたが、お咎めになりませぬよう。

(王拱辰)さきほどは小官(わたし)の馬が状元さまのご母堂にぶつかりましたが、どうかお許しくださいまし。

(大末)状元さま、どうぞ。

(王拱辰が正旦に見える)さきほどは小官(わたし)の馬がご隠居さまにぶつかりましたが、どうかお許しくださいまし。

(正旦)さきほどは状元さまをなぜ勘違いしたのでしょう。老身(おいぼれ)の家には三人(みたり)の息子がおり、みな受験しにゆきました。二人の息子は状元になり、戻りましたが、三哥だけが戻ってきませぬ。さきほどは合格通知人が間違って報せたのでしょう。状元さま、どうかお咎めになりませぬよう。

(王拱辰)滅相もございませぬ。

(二末が挨拶する)さきほど老母がぶつかりましたが、お咎めになりませぬよう。

(王拱辰)滅相もございませぬ。

(正旦)酒を持て。(盞を執る)

(正旦)状元さま、この杯を飲まれませ。

(王拱辰が酒を飲む)

(正旦)大哥。状元さまに、結婚しているかどうかを尋ねるのだ。

(大末)母上、結婚していればどうなさいます。結婚していなければどうなさいます。

(正旦)結婚していれば、状元さまには状元堂で状元酒[65]をお飲みいただき、状元紅を掛けてお戻りいただく[66]。結婚していないなら、大哥や、状元さまをおまえの妹の婿に招こう。考えはどうだえ。

(大末)つつしんで母上のお言葉に従いましょう。(大末が王拱辰に見える)状元さま、さきほど母が申したのですが、状元さまが結婚なさっているのかをお尋ねしろとのことでした。

(王拱辰)結婚していればどうなさいます。結婚していなければどうなさいます。

(大末)結婚していらっしゃるなら、状元酒を飲み、状元紅を掛け、お戻りください。結婚していらっしゃらないなら、小官(わたし)には妹がございますので、状元さまを婿にしますが、お考えはいかがでしょうか。

(王拱辰)結婚してはおりませぬ。お指図に従いたいと思います。

(大末)お願いしたら承知なされた[67]

(正旦)状元さま、衣服を換えてゆかれませ。

(王拱辰)かしこまりました。衣服を換えてゆきましょう。(退場)

(正旦)今年の状元は王拱辰さま。うちの陳良佐はどこにいる。

(大末)今年の首席の状元は王拱辰どの。うちの三哥はどこにいる。

(三末が登場)世の人に勧めよう。大口を叩くものではない。わたしは帝都闕下に行き、今度の試験の貢主に見えた。「陳三哥どの、いらっしゃい。あなたの文章を見る前に、『天下太平』の四字を書いていただきましょう」。わたしは筆を取り、「天」の字を書いたが、「下」の字を書くときに点を忘れ、誤字になった[68]。三回間違うまでもなく、二回間違うまでもなく、ただ一回の間違いでぼろをだし[69]、第三名の探花郎になり、緑の袍と槐の笏で、花を幞頭に挿している。行く時は大口を叩いたが、今日は探花郎になり、母上と二人の兄にどうして見えることができよう。二人の兄が門前にいなければ、部屋に入ってゆき、かれらがどんなに騒ごうが、一生出てこぬことにしよう。はやくも入り口に着いた。(見る)これはひどい。大哥が入り口にいる。大哥、ただいま。

(大末)ああ、ああ、ああ、弟が来た。どんな官職を得た。

(三末)探花郎になりました[70]

(大末)探花郎になっていたか。母上に話しにゆこう。

(正旦に見える)母上。三哥は探花郎になりました。

(正旦)あれは来ないで、出迎えをさせるつもりか。

(大末)かしこまりました。

(三末に見える)三哥。母上のお言葉だ。おまえは行かずに、母上に出迎えをさせるつもりか。

(三末)兄上。母が息子を迎えることなどありえません。行きましょう。母上がわたしを打ったら、お二人は宥めてください。

(大末)弟よ、承知した。

(三末が正旦に見えて拝する)母上、官職を得ました。拝礼をいたします。

(正旦)これ、おまえ。拝礼はやめるのだ。どんな官職を得たのかえ。

(三末)探花郎を得ました。

(正旦)どんな官職だって。

(三末)探花郎でございます。

(正旦)おまえが話したばかりでなく、人が話しにきてくれたよ。

(三末)どこですか。

(正旦が打ち、唱う)

【牧羊関】眼を閉ぢて、人なき場所をぶらつくがよし。顔を厚くし、街へ行くなどとんでもなし。怒ればわたしは全身に、冷たき汗を流したり。

(正旦)持っているのは何だえ。

(三末)槐の笏でございます。

(正旦が唱う)槐の笏をへし折りて、緑の羅襴を手で引けり。紅漆通[71]などは問題にせず、花をp幞頭に挿す。わたしは柱杖(つゑ)でやみくもに打つ。ぺつ。おまへは恥づることなきや。

(三末)翰林はみな編修[72]に入ります。

(正旦)お黙りなされ。(唱う)

【賀新郎】おまへは言へり、翰林はみな編修に入るべしと。探花郎の名声はよく知れり、

(正旦)これおまえ、

(唱う)おまへはわれらが状元を授かりたるをなどかは知らん。兄弟でおまへが最も若ければ、おまへにいたく心を掛けき。わたしは自由に悠悠とせしことはなかりき。

(正旦)お師匠さまはおまえをたくさん教えていらした。

(唱う)お師匠さまには幾たびかお詫びして[73]、勉強しすらすら読めるやうになることを求めき。三更過ぎまで(ふみ)を読めども満足せざりき。

(三末)母上、お打ちになるのは、教育費が惜しいからなのですね。

(正旦が唱う)教育費をば使ひしことはさておかん。ああ、(ぬすつと)よ、いかほどの灯油を燃やしし。

(三末)母上。わたしは状元になれませんでしたが、街の人は母上を罵ってはおりませぬ。

(正旦)どうしてわたしを罵る。

(三末)うちの大哥が最初の年に役人になり、儀仗を並べて街に来たとき、老人たちは言いました。「あれは誰だ」。「陳媽媽の家の長男だ」。「ああ。鴉の巣から鳳凰が出た」。

(大末)それは褒めているのだ。

(三末)褒めているものですか。母上は黒い鴉で、あなたは鳳凰なのですよ。二年目に二哥も役人になったとき、また母上を罵っていました。儀仗を並べますと、街の人は言いました。「あれは誰だ」。「陳媽媽の次男です」。「ああ、ああ、ああ、糞の山に霊芝が生えた」。

(二末)それは褒めているのだ。

(三末)お黙りなされ。母上は糞の山、あなたは霊芝なのですよ。わたしは探花郎になりましたが、母上に迷惑を掛けていませぬ。わたしが街を通りますと、老人たちは言いました。「あれは誰だ」。「陳媽媽の三男です」。人々は言いました。「ああ、ああ、ああ、立派な親からあのような馬鹿者が産まれるとは」。

(正旦が棒を求める)棒を持ってきておくれ。(唱う)

【絮蝦蟆】おまへとむなしく言ひ争はじ。老いたれば恥づかしくもあり[74]。父母の教へに目もくれず、「苗にして秀でず[75]」となれるこやつを打たん。深き村にて牛を飼ひ、村学究につくよりほかなし。思へばあの日、状元たらんと、行く時は大法螺を吹き、別れに臨みたる時は、うまき言葉を並べたりにき。言葉なく、頭を垂れて、口を突きだし、あたかも弾に当たりたる斑鳩(いかる)のごとし。

(三末)母上、一品から九品まで、すべて国家の臣でございます。

(正旦)お黙り。

(唱う)巧みに語ることなかれ[76]。一千の筆がありとも描きえず[77]。おまへとは会ひ難し。寄り添ふもむなしかるべし。やめよかし。やめよかし。はやくわが視界を離れ、わたしのもとにゐるなかれ。

(正旦)これからは、陳良佐夫婦を追い出し、二度とわが家に来させるな。

(大末が跪く)母上、わたしの顔に免じて、三哥夫婦を家に留めてくだされば、宜しいのですが。

(正旦が唱う)

【尾声】大哥や、珠玉を噴ける達者な口は惜しむべし[78]

(二末が跪く)母上、わたしの顔に免じて、三哥夫婦を家に留めてくだされば、宜しいのですが。

(正旦が唱う)二哥よ、おまへの月桂を折り、蟾宮に攀ぢ、鰲魚を釣る手をむなしく汚さん[79]。大哥はむなしく苦しみて、二哥はしばらく後れたり。陳良佐は、これよりは、行く処を行き、走る処を走るべし。とにもかくにも勝手気儘に振る舞はば、探花郎には何らの怨みも抱くまじ。

(三末)母上は一杯の祝い酒を飲まれませ。

(正旦)下げなされ。

(唱う)状元の及第祝いの酒を受くるに値せず。(退場)

(大末)母上、母上。ぺっ。三哥よ、恥ずかしいか。行く時は大口をさんざん叩いていたが、戻ってきたら探花郎になっていただけ。たいへんいまいましいことだ。「手のひらの紋を見る」と言わなかったか。

(三末)手に瘡ができて見えませぬ。

(大末)「懐から物を取る」と言っていたが。

(三末)衣服は破れて脱げました。

(大末)「お碗から靶児(パル)つきの蒸餅(チョンピン)を取る」と言っていたが。

(三末)どこかの馬鹿者が、わたしのものを盗んで食べてしまったのです。

(大末)孔子の門徒でありながら、なぜそのようなことを言う。わが家はもとより白屋[80]ではなく、代々の簪纓[81]で、陳平の末裔だ。今日は探花郎になったが、まことに恥ずかしいことだ。人たる者は斉家治国、修身正心せねばならぬ。人の心が正しくなければ、事を成すことはできない。人は徳行を第一にする。徳は本で、才は末だ。「徳の才に勝るは君子と為し、才の徳に勝るは小人と為す[82]」。おまえのような人間には、何も言うことはない。わたしはおまえと

同腹で乳を共にし父母は同じく、幼少にして学堂に(ふみ)を読みたり。寒窓に十載の苦を受け尽くし、龍門を一跳びし君王(きみ)に見えつ。

行く時は

人前で大口を叩きたりしも、家に帰ればただ探花郎となりしのみ。鳳凰は飛ぶ梧桐の樹、ぺつ。おのづと(かたへ)の人々があれこれ言ふべし。(退場)

(三末)大哥はわたしをお責めになった。

(二末)ぺっ。三哥、恥ずかしいか。

(三末)兄さん、どういうことですか。

(二末)行く時は、大口をさんざん叩いていたが、帰ってくれば探花郎になっている。まことに恥ずかしいことだ。わが家はもとより白屋ではなく、代々の簪纓、漢の陳平の玄孫で、先祖は秦国公の職を拝していたのだ。子孫たる者は、金印を腰にし、紫衣を着なければならぬ。われら二人は状元に及第したが、おまえだけ及第せぬのはどうしてだ。おまえの才が軽く、徳が薄ければ、わたしは何も言うことはない。おまえは受験する前は志気は雲をも凌ぎ、口を開けば傍若無人のありさまだった。詩才は李白や杜甫より勝れ、弁舌は張儀や蘇秦のようだと自慢していたな。大哥は泥の中にある芥のよう、二哥は通りの上にある塵のようだと言っていたな。孔子さまは郷党におわしたときは、長幼の礼法に恂恂[83]としてらっしゃった。状元郎は「懐から物を取る」ようなもの、富貴になるのは「手のひらの紋を見る」ようなものだと言わなかったか。話す時には晴れ晴れとした顔をしていたな。おまえは今日は落ちぶれて、首を縮め、身を潜めている。われら状元郎はご先祖さまを自慢できる。ぺっ。探花郎のおまえのように、家を辱めたりはしないぞ。(退場)

(王拱辰が登場)ぺっ。恥ずかしいですか。

(三末)どなたです。

(王拱辰)お宅の嬌客(むこ)、妹御の婿王拱辰、今春の首席の状元でございます。

(三末)おまえが王拱辰か。この馬鹿野郎。靶児(パル)つきの蒸餅(チョンピン)はおまえが横取りしたのだな。

(王拱辰)さきほど小官(わたし)は大舅二舅の仰ることを聴きました。三舅は行く時に大口をさんざん叩いていたものの、戻ってくれば探花郎だったとは、まことに恥ずかしいことでございます。人たるものは治国斉家、修身正心なさるべきです。人心が正しくなければ、事を成すことはできませぬ。『中庸』に曰く。「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂ふ。発してみな節に中たる者、之を和と謂ふ。中なる者は、天下の大本なり。和なる者は、天下の達道なり」と。『論語』に曰く。「君子は重からざれば則ち威あらず[84]」と。外見を軽くする者は、内実を堅くすることができないのです。それゆえに、重厚でなければ威厳がなく、学んだことも堅固ではないのです。幾つかの諺が尊舅(にいさん)の喩えになりましょう。ご存知でしょう。「草虫は草を食めども、あに重味[85]の甘きを知らんや。蚯蚓は(ほり)に啼けども、汪洋たる海を解せず。甕に蠓蟻[86]を生ずれども、あに化外の清風を知らんや。蛍火は明るしと雖も、蟾光の照るを解せず。樹の高くして曲がるは、短くして直きに如かず。水の深くして濁るは、浅くして清きに如かず。蜘蛛は絲あり、人を損なひ己を利す。蚕腹に絲あり、民を(ゆたか)にし国を潤す」。人たるものは三思して、さらに考えるべきものでございます。堂堂たる七尺の躯をお持ちですが、胸中に志気はすこしもございませぬ。緑の袍と槐の笏で故郷にお帰りになるとは。ぺっ。男児であっても無駄なこと。(退場)

(給仕)ぺっ。

(三末が打つ)おまえまでどうするつもりだ。(ともに退場)

 

第三折

(正旦が大末、二末、王拱辰とともに雑当を連れて登場)

(正旦)老身(おいぼれ)は陳婆婆。今日は老身(おいぼれ)の誕生日、息子たち、

(大末)はい。

(正旦)状元堂に宴を調えよ。陳良佐夫婦が来た時は、通すな。酒を持て。

(大末)かしこまりました。

(正旦が唱う)

【中呂】【粉蝶児】人はみな孟母の三遷するを語れり。今日の陳婆婆は十倍勝り、児孫らに孔聖の文籍(ふみ)を読ましむ。かれは『孝経』を読み、『論』、『孟』を講じ、後に『詩』、『書』、『礼記』を習へり。幼少にして温習し、それぞれが孝行を尽くすべし。

【酔春風】陳良叟は鰲頭を占め、わが陳良資は第一位をば奪ひたりにき。あらたに招きたる婿も、状元郎。われら一家は大いに、大いに喜べり。郎舅[87]が出世して、兄弟が出世したるは、ご先祖さまの福徳によるものぞ。

(二末が壺を執る)

(大末が酒を斟ぐ)母上、一杯干されませ。

(正旦が酒を飲む)ゆっくり酒を飲んでいると、誰かが来た。

(三末が旦児とともに登場)

(三末)今日は母上の誕生日、何の礼物もないが、嫁といっしょに母上に再拝しよう。これもわたしの孝順の心というもの。はやくも入り口に着いた。大哥。母上に一言仰ってください。わたしが入り口におりますと。

(大末)弟よ、入り口にいろ。母上に取り次ごう。

(大末が正旦に見える)母上。三哥夫婦が入り口におりまする。

(正旦)通してはならぬ。

(大末が二末、王拱辰とともに告げる)

(大末)母上、わたしの顔に免じて、三哥夫婦を通し、母上に一杯の酒を斟がせてください。これもまた子たるものの道でございます。

(正旦)おまえたちの顔を立て、あいつを通そう。ぼんやりとさせてはならぬ。かれらに火を焚かせ、葱を剥かせ、すべて言う通りにしたら、通すのだ。言う通りにしないなら、すぐにかれらを帰らせるのだ。

(大末)かしこまりました。三哥、母上のお言葉だ。火を焚き、葱を剥き、田を掃い、地を掘り、卓を担ぎ、湯を運ぶのだ。言う通りにしたら通せ。言う通りにしないなら通すなということだ。

(三末)母上はわたしをぼんやりさせるのを恐れていらっしゃるのですね。

(三末が三旦とともに見える)

(三末)母上、わたしと嫁は礼物を持っておりませぬが、母上に拝礼をいたします。

(正旦)これおまえ。拝礼をしないでくれ。誕生祝いしにきてくれとは言っていないよ。

(三末)母上に拝礼しにまいりました。これも子たるものの孝行でございます。

(正旦)これおまえ。見ているか。

(三末)何でございましょう。

(正旦が唱う)

【紅繍鞋】われらはすべて紫綬金章の官位を持てり。いづくにか緑の袍と槐の笏の鍾馗を送らん[88]。ああ。おまへは探花郎にして、状元よりも賎しきものぞ。われらはこなたでにこにこと酒令を行ひ、穏やかに宴するなり、

(言う)言ってごらん。

(唱う)いづくにおまへを送るべき。

(言う)大哥よ、酒令を行おう。一人が四句の気概を示す詩を求め、「状元郎」の三文字を末尾にするのだ。「状元郎」があるものは酒を飲み、「状元郎」がないものは冷や水を罰として与えよう。あいつには盞を執らせよう。さきに大哥が盞を取り、酒を飲んでいるのは誰か、盞を執っているのは誰かと尋ね、それぞれが呼びあい、官位がある者に、酒を飲ませ、あいつには拝礼をさせるのだ。まずは大哥から始めよう。

(三末)かしこまりました。(酒を斟ぐ)まずは母上から。

(正旦)まずは大哥から。

(三末が大末に酒を斟ぐ)

(大末)母上、詩を吟じましょう。詩はこのようなものでございます。

今の天子は賢良を重んじたまひ、四海に事なく刀槍(いくさ)は収まる。紫袍象簡は金闕に朝し[89]、聖上は勅賜したまふ状元郎。

(三末)お待ちください。

白馬紅纓麾蓋[90]の下、紫袍金帯気は昂昂たり。月中に失却す蟾宮に攀ぢたる手、高枝は留めて状元郎に与ふべし。

(大末が酒を飲む)尋ねよ。

(三末)お酒を飲んでいらっしゃるのはどなたでしょう。

(大末)状元郎だ。尋ねよう。盞を執っているのは誰か。

(三末)盞を執っているのは楊六郎[91]でございます。(三末が拝する)(二末に酒を斟ぐ)

(二末)母上、詩を吟じましょう。詩はこのようなものです。

文章は一天の星斗(ほし)(かがや)き、戦ひて群儒を退けひとり場を占む。龍虎榜上に名姓を(しる)し、首席に顕はる状元郎。

(三末)お待ちください。

時は(さか)らひ運は(くる)しみ科場に赴き、命福の高低は量るべからず。八韻の賦は及第の本と成り、今春かならず状元郎を奪ふべし。

(二末が酒を飲む)尋ねよ。

(三末)お酒を飲んでいらっしゃるのはどなたでしょうか。

(二末)状元郎だ。尋ねよう。盞を執っているのは誰か。

(三末)酥麻糖[92]でございます。(拝する)(王洪辰に酒を斟ぐ)

(王拱辰)母上、大舅、二舅、詩を吟じましょう。詩はこのようなものです。

淋漓たる御酒は羅裳を汚し、瓊林に宴おはれば未央を出たり[93]。酔裏たちまち聞く人語の騒ぐを、馬頭では状元郎ぞと高く叫べり。

(三末)お待ちください。

筆頭に刷刷たり三千字、胸次に盤盤たり七歩章。笑ふなかれ緑袍の官職の小さきを、才高ければ状元郎を圧し尽くさん。

(王拱辰が酒を飲む)尋ねよ。

(三末)お酒を飲んでいらっしゃるのはどなたでしょうか。

(王洪辰)状元郎だ。盞を執っているのは誰か。

(三末)盞を執っているのは耍三郎[94]。(拝する)(三旦に酒を斟ぐ)

(三旦)母上、詩を吟じましょう。詩はこのようなものです。

貞烈な佳人が閨房(ねや)を守れるは、男児(おつと)の甲斐性なきがためなり。国家が婦女を試験せば、今春かならず状元郎を奪ふべし。

(三末)お待ちください。

鉄硯を磨りつぶすともなんぢが優るることはなからん、鸞を描きて繍房を守るべきなり[95]。燕鵲は雕鶚の(こころ)をいかでかは知らん、紅裙よ状元郎をな笑ひそね。

(旦児が酒を飲む)尋ねよ。

(三末)お酒を飲んでいらっしゃるのはどなたでしょうか。

(旦児)状元郎だ。盞を執っているのは誰か。

(三末)盞を執っているのはおまえの夫だ。(正旦に酒を斟ぐ)

(正旦)宮闕(みやゐ)に到れど新たな雨露に(うるほ)はず、家に帰るもなほ旧き風霜を帯ぶ[96]。緑の袍と槐の笏は、人に状元郎なりと言ふ価値もなし。

(三末)お待ちください。

親戚(うから)らに拝別し試験に赴き、緑袍はご隠居さまに見ゆるを恥づ。台を捧げて盞を執り(ひろま)の前に跪く、紅塵に状元郎は埋没したり。

(正旦)詩はこのようなものだ。

黄金(こがね)を惜しむことなくば教養は(かがや)くべけん、子を教ふれば廟堂に入らしむべきなり。むかしより賢愚は並び難きなり、状元郎は探花郎をな笑ひそね。

(三末)お待ちください。

おんみらは馬牛の襟裾糞土の牆[97]、海水はいかでかは斗もて量らん[98]。網を漏れたる魚は跳ねて[99]、なにゆゑぞ状元郎を置き去りにせる。

仕方ない。母上は人前でわたしを辱めることはございませぬ。わたしは天地を支え、歯もあり、髪もあり、眼もあり、眉もある[100]。男子である以上、官位を得なければ、母上や兄上に辱められるだろう。今日は吉日、母上に別れを告げ、ふたたび上京、受験し、官職を求めよう。官位を得なければ、深い山に行き、剃髪し、僧となり、永遠に母上に会うことはないだろう。役人となれば、かれら三人の下にはいまい。一輪のp蓋は頭上に翻り、二列の朱衣は馬前に並ぶことであろう。佳人は腕を捧げ、壮士は鞭を捧げるだろう。礼部侍郎が乗る馬に乗り、翰林院学士の使用人を借りるとしよう。わたしは三分の御酒を帯び、両袖に天香[101]を払い、三尺の絲鞭を春風に揺らし、袍の袖には半潭の秋水が染みる[102]。両街の仕女[103]は歩みを早め、簾を掲げ、三市[104]の住民はみな拱手することだろう。

馬前にて状元さまのお成りぞと高く叫ばば、香街[105]十里はみな敬はん。

一朝にして出世すれば、十年の辛苦はただちに報いられよう。こんなことを話してどうする。今回行けば、

身を翻し禹門を一跳び[106]、胸中の冠世の才に拠るべし。言ふなかれ桂枝は攀折し難しと[107]

母上、ご安心ください。

今春は月ごと抱ききたるべし[108](退場)

(大末)母上。三哥は今度は、かならずや役人となりましょう。

(正旦)息子は行ってしまった。(唱う)

【酔高歌】わたしはおまへと口喧嘩せしにはあらず、誰かはおまへと言い争ひし。わたしはひたすら門に寄り、合格通知人を待つ、状元郎は雲の中やら霧の中やら。

(合格通知人が登場)自家(わたし)は合格通知人。陳婆婆の三番目の息子は、今春首席の状元となったから、合格通知しにゆこう。はやくも入り口に着いた。(大末に見える)大官人。三官人が今春首席の状元となりましたので、小人(わたし)はわざわざ吉報を届けにきました。

(大末)こちらにいろ。母上に取り次ごう。(見える)母上、三哥が今春首席の状元になりました。合格通知人が門前におりまする。

(正旦)十両の銀子を与えろ。

(大末)かしこまりました。十両の銀子をやろう。

(合格通知人)ありがとうございます。小人(わたし)は戻ってゆきましょう。(退場)

(三末が馬に乗る動作をし、給仕を連れて登場)

(給仕)お気を付けなさいまし。

(三末)状元になるのは難しいことではない。頭を下げて衣服を着れば、状元だ[109]。今日は首席の状元となり、儀仗を列ね、ゆっくり行こう。

(正旦)大哥、二哥、婿どの、みなで息子を迎えにゆこう。

(大末)母上に従って弟を迎えにゆこう。

(正旦が唱う)

【普天楽】ぱかぱかと馬に騎り、ひらひらと三檐の傘こそ低けれ[110]。こなたにて、いそいで左右のものに叫べり。すみやかに仕度をせよと。

(三末)給仕よ、馬を繋げ。

(給仕)しっかり鐙をお下ろししました[111]

(三末)母上がいらっしゃった。

(正旦が唱う)わたしを見ればすぐにあはてて馬を下りたり。

(三末)給仕よ、並べ。(三末がお辞儀して立ち止まる)

(正旦が唱う)あちらにてお辞儀して立つ。

(三末)母上、官職を得ましたので、こちらで母上に拝礼いたします。(拝する)

(正旦が唱う)礼儀正しくあなたにていそいそと挨拶したり。(哭く、唱う)われら母子(おやこ)は離ればなれになりなんとせり。

(三末)母上の厳しい教えがございませねば、今日、役人となることはできなかったことでしょう。

(正旦)おまえは役人となり、

(唱う)孝順なること王祥の氷に臥すがごときにて[112]、伯兪の杖に泣きしがごとし[113]。ああ、息子や、なは老莱子の斑衣にぞ勝るべき[114]

(三末が来る)大哥、二哥、あなたがたには拝礼しませぬ。わたしの教養はあなたがたより勝っています。母上、わたしは西川の綿州に行ったのですが、あちらの老人が一反の孩児錦[115]をくれましたので、持ってきて母上に衣服を作ってさしあげましょう。

(正旦)大哥、鑑定屋に持ってゆき[116]、どれほどのお金になるか調べておくれ。

(大末)値はいかほどだ[117]。母上、価値は千貫でございます。

(正旦)馬鹿者め。役人となっていないのに、はやくも民から賄賂(まいない)を受けるとは。横におなり。打ってやるから。

(大末)弟よ。おまえが孩児錦を受けとったものだから、母上はおまえを横にし、打とうとしていらっしゃるぞ。

(三末)母上がわたしを打とうとしているですって。いつもじっとしてらっしゃいませんね[118]

(正旦が打つ)

(大末)母上は金魚[119]を地に打ち落とされた。

(雑当が報せる)寇莱公大人がいらっしゃり、お招きでございます。

(正旦)構わない。大人に見えたら、おのずから言うことがある。

(大末)しもべたち、馬を用意してくれ。

(正旦)息子や、馬を用意するな。兜轎[120]を用意し、四人の息子に老身(おいぼれ)を担がせて、みずから大人に会いにゆこう。(唱う)

【啄木魚煞】青春は限りがあればふたたび来らず、金榜に名がなくば誓ひて帰らじ。願ひを遂ぐるも昇進を容易きことと見るなかれ。古人の詩にあり、なんぢは「文才高くとも状元の賎しきを笑ひそね[121]」。(衆とともに退場)

 

第四折

(外が寇莱公に扮し、従者を連れて登場)

(寇莱公)三千の礼楽唐虞[122]の治、万巻の詩書孔孟の伝。

老夫(おいぼれ)は寇莱公。聖上の御諚を奉じ、試験を行った。今回、首席の状元は陳良佐、かれの出自を尋ねたが、漢の陳平の後裔であった。かれの父は前朝の相国となり、若くして亡くなった。母の馮氏はたいへん賢く、しっかりと家庭を治め、きちんと子供を教育した。陳良佐が西川で孩児錦を受けとった一件で、母上はかれの金魚を地に打ち落とした。聖上はそのことをすでにご存じで、わたしに命じて官位を加え、褒美を与えることとなされた。事情を調べ、人を遣り、賢母を呼びにゆかせたが、そろそろやってくるだろう。

(大末、二末、三末、王拱辰が正旦を担いで登場)

(三末)賽銭がございましたらお布施してくださいまし[123]

(正旦)大人にお会いしにゆこう。

(唱う)

【双調】【新水令】香車に坐り、宝馬に跨り、絲鞭を振るにはあらねども、轎の上で大いに安楽。前後に傾くことはなく、左右に偏ることもなし。なんぢらは肩を並べて、姓名を翰林院に列ねたり。

(言う)はやくも着いた。門番どの、お取り次ぎください。陳婆婆が四人の状元とともに参りましたと。

(従者が報せる)陳婆婆が四人の状元とともに来ました。

(寇莱公)お通ししろ。

(従者)どうぞ。

(正旦が官人に見える)

(寇莱公)賢母どの、老夫(おいぼれ)は聖上の御諚を奉じている。おんみ一家は母は賢明、子は孝行、子を教えれば綱紀のように権威があり、家に在っては氷霜のように厳正なので、老夫(おいぼれ)にその詳細を尋ねよということだった。賢母どのは四人の状元に兜轎を担がせてらっしゃるが、理に叶っていないのではあるまいか。

(正旦)大人、憐れと思し召されませ。四人の息子が老身(おいぼれ)を担いでいるのはもちろんのこと、その昔、荷担僧は片方に母、片方にお経を担ぎましたが、お経が前に来れば母は後ろになり、母が前に来ればお経が後ろになるため、天秤棒を横にして担がなければなりませんでした。園林は感動し、二手に分かれ、その後かれは悟りを得て羅漢となりましたが、それでも父母の養育の恩には報いられませぬ[124]。(唱う)

【水仙子】学べば仁義孝心は天にも届くほどなれど、無岸無辺の教育費をぞ費やしし。喜んでわたしを担ぎ朝見すれど、わが身はいささか疲れたり。眼の霞み、頭の(まは)るを抑へ得ず。兜轎を担ぎ、駿馬には跨らざれど、三年(みとせ)乳もて育みたるに報いえず。

(寇莱公)賢母どのは、陳良佐どのが昇進し、財貨を貪り、蜀錦を受け、王法を犯したのなら、有司に裁かせるべきなのに、なにゆえにみずから罰し、金魚を地に打ち落とされた。

(正旦)大人はご存じございますまいが、この子は国を治めていないのに、人民の財貨を受け、先祖を辱めましたので、家法に従い、教育したのでございます。(唱う)

【沽美酒】月ごとに俸給を受けたれば、昼夜を分かたず財物を集めさせたることはなし。わが家の先祖は役人となり、しばしば宣旨を受けたりき。人々にかたじけなくも慕はたれば、われら一家は安然たるべし。

(寇莱公)賢母どの、三状元[125]が財貨を受けた一件の、詳細は審らかではございませぬ。

(正旦が唱う)

【太平令】かれはみづから孩児錦をぞ献じたる。これこそは徒手空拳の人民を苦しむるなれ。わたしは家法に従ひてみづから責めたり。わたしはかれが裁判や刑罰を受くるを免れさせたりき。俸給をわれらに与へ、すみやかに昇進せしめたまひたる、聖恩こそは有り難きなれ。万代(よろづよ)に名は揚がり羨まれなん。

(寇莱公)すべて分かった。おんみら一家は宮居を望んで跪け。官位を加え、褒美を賜うことにする。わたしはみずから今上の聖旨を奉じ、天下の賢士を探訪している。おんみらは母は賢明、子は孝行であるために、老夫(おいぼれ)は褒美を届けるようにと命ぜられたのだ。陳婆婆は賢徳夫人、陳良資は翰林承旨、陳良叟は国子祭酒、陳良佐は太常博士、王拱辰は博学広文[126]であるから、参知政事にするとしよう。一人一人が鼎を列ね、茵を重ね、一人一人が金印を腰にし、紫衣を着るのだ。今日は待漏院で褒美を賜い、官職に封じ、状元堂で陳母が子を教育したことを言祝ごう。

 

題目 待漏院招賢納士
正名 状元堂陳母教子 

 

最終更新日:2007年8月17日

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[1]原文「冲末外扮寇莱公引祗従上」。「冲末外」が未詳。寇莱公は後ろでは外が演じているので、ここでの「冲末」は衍字か。

[2]まばらなさま。

[3]江南、湖南、嶺南、海南、雲南の合称。南方。

[4]原文「調和鼎鼐理陰陽」。「調和鼎鼐」「理陰陽」ともに天下を治めること。

[5]原文「豈不聞邵堯夫教子伯温曰、我汝教汝為大賢、未知天意肯従否」。邵堯夫は北宋の邵雍のこと。「我汝教汝為大賢、未知天意肯従否」は出典未詳。この言葉、元雑劇では『東堂老』、『劉弘嫁婢』にも見える。

[6]:『三才図会』。

[7]原文「八韻賦文章誰似你」。温庭筠が八回腕組みをする間に八韻の詩を作ったという故事をふまえた言葉。ここでは、陳良資が温庭筠のように豊かな才能を持っていると言うこと。『北夢瑣言』「温庭筠才思艶麗、工為小賦、毎入試押官韻作賦、凡八叉手而八韻成」。

[8]原文「望皇家的這富貴」。「皇家的這富貴」が未詳。皇室のような富貴ということか。とりあえず、そう解す。

[9]科挙に臨む書生の意気盛んなことを示す、元曲の常套句。『凍蘇秦』『対玉梳』『金鳳釵』『東牆記』などに用例あり。

[10]科挙の合格掲示板。

[11]中書省をいう。『通典』職官典「魏晋以来、中書監、令掌賛詔命、記会時事、典作文書。以其地在枢近、多承寵任、是以人固其位、謂之『鳳凰池』焉」。

[12]原文「定万代規模遵孔聖」。未詳。とりあえずこう訳す。

[13]礼楽制度。

[14]『易』謙。

[15]原文「関雎云大道揚揚」。「関雎」は『詩経』の篇名であろうが、『詩経』関雎にこの句なし。

[16]原文「春秋説素常之徳、訪堯舜夏禹商湯」。まったく未詳。

[17]原文「礼記善問答行蔵」。まったく未詳。

[18]原文「伝正道暗助王綱」。「王綱」は天子の綱紀。

[19]宋代、科挙合格者に対し、皇帝が瓊林苑で催した宴。『宋史』選挙志一科目上「八年、進士、諸科始試律義十道、進士免帖経。明年、惟諸科試律、進士復帖経。進士始分三甲。自是錫宴就瓊林苑」。

[20]「霞觴」の「霞」は「流霞」、美酒のこと。「霞觴」は美酒のさかずき。

[21]原文「抵多少五陵豪気三千丈」。「五陵豪気」は豪遊の気風をいう。五陵は漢の高祖以下五代の陵墓があるところで、豪遊の人が多かった。

[22]原文「母親、大廝得了官也」。「大廝」は未詳。見慣れない言葉だが、訳文の趣旨であろう。「大きいやつ」というぐらいの意味で、あまり丁寧な言葉ではないであろう。

[23]原文「攛過文華手巻」。「文華手巻」が未詳。とりあえずこう訳す。

[24]科挙合格者のパレード。

[25]原文「瓶内釃茶、俺這濃者在後」。瓶に茶をつぐとき、後のものほど濃くなることをいった句であろう。

[26]原文「您端的似鯤鵬得志秋雲長」。「鯤鵬得志」はいうまでもなく、『荘子』逍遥遊「北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。化而為鳥、其名為鵬」を踏まえた句。ここでは科挙の合格の喩え。「鯤鵬得志」と「秋雲長」の関係は未詳だが、「得志秋」という言葉はあり、「志を得る(とき)」の意。「雲長」には実際上の意味はほとんどないであろう。

[27]原文「您端的似魚龍変化春雷響」。「魚龍変化」は、龍門を遡った鯉が龍に化するといういわゆる「登竜門」の故事を踏まえた句。やはり科挙の合格の喩え。『後漢書』李膺伝「膺以声名自高、士有被其容接者、名為登竜門」注「三秦記曰、河津、一名龍門、水険不通、魚鼈之属莫能上、江海大魚薄集龍門之下、数千不得上、上則為龍也」。なお、龍門は禹門ともいい、元雑劇『裴度還帯』第二折【烏夜啼】に「穩情取禹門三級登鼇背振天平地一」、施仁義劉弘嫁婢』第三折の李遜の台詞に「禹門三級浪、平地一声雷の句がある。『陳母教子』「魚龍変化春雷響」もこれらと同趣旨。また『万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録』に「魚躍禹門三級。雷電焼尾成龍」とあり。

[28]原文「可正是禹門三月桃花浪」。禹門は龍門に同じ。ここを遡った鯉は龍になるとされるので、科挙の関門に喩えられる。「三月桃花の浪」は、春闈と呼ばれる会試を喩える。「禹門三月桃花浪」という言葉は『玉壺春』にも見える。

[29]原文「俺孩児他平奪得一個状元郎」。「平」は「平白地」ということであろう。

[30]うだつの上がらなかった人間が出世し、有名になったことをいう、元曲の常套句。『玉壺春』『王粲登楼』に見える。

[31]命長いもの、老人の喩えで、ここでは陳婆婆を指しているのであろうが、典故は未詳。『宋史』志第九十三・楽十五・鼓吹上に「聖寿比霊椿」の句が見える。「丹桂」と対にした用例が『城南柳』に見える。

[32]子息をいう。旧時、他人の子を「桂子」といった。胡継宗『書言故事』子孫参照。

[33]原文「你正是男児当自強」。「男児当自強」は李頎『緩歌行』「男児立身須自強、十年閉戸潁水陽」に基づく諺。

[34]幼児用教科書の一つ。苗字を四字句にしてある。

[35]『佩文韻府』引『北戸録』「簡文答徐摛書曰、特設書幌、乍置筆牀」。未詳だが、読書をするための、帳で覆われた空間であろう。

[36]原文「黄巻青燈一腐儒、九経三史腹中居」。勉学に励む貧乏書生の境遇をいう常套句。『瀟湘雨』第一折に用例あり。

[37]原文「親兄弟別気象」。未詳。とりあえずこう訳す。

[38]原文「他終則是寒門卿相」。「寒門卿相」は「白衣卿相」に同じいであろう。将来出世するであろう貧乏人。ここでは三男陳良佐をさす。

[39]主考官。試験官の長。

[40]原文「碗裏拿帯靶児的蒸餅」。以下、何回か出てくるが「靶児」が未詳。調理器具か。蒸餅はマントウのこと。「碗内拿蒸餅」は「甕中捉鼈」などと同じく、容易いことの喩え。『気英布』に「漢乾坤也做不得碗内拿蒸餅(漢の天下を碗内の蒸餅(チョンピン)を取るがごとくにすることはなかるべし)」という句がある。

[41]原文「我説的言詞有些老混忘」。「老混忘」は未詳。とりあえずこう訳す。

[42]美しい広間をいう。

[43]「魏紫」「姚黄」ともに、宋代、洛陽の魏仁浦の家と姚家にあったという牡丹の品種。欧陽脩『洛陽牡丹記』花釈名参照。

[44]未詳だが、文脈からして探花のことであろう。科挙の第三位合格者。喬吉【越調】小桃紅・桂花に、「一枝丹桂倚西風、扇影天香動。酔裏清虚広寒夢、月明中。紫金粟煉朱砂汞、緑衣襯榜、黄麻供奉、不似状元紅」とあり。

[45]下馬台。馬から下りるときの踏み台。

[46]烏紗帽は官帽。写真:上海市戯曲学校中国服装史研究組編著『中国歴代服飾』二百三十八頁。「前漏塵羊肝漆一定墨」は未詳。ただ「羊肝漆」は羊の肝のような色をした漆であろう。この言葉、『朴通事』上 にも見える。また、後世の文献だが、『清史稿』に「親王明轎一、木質、灑金、不施幰。蓋、轅、杆皆魨硃飾金。暖轎一、銀頂、金黄蓋幨、紅幃、緞、氈各惟其時。初制、親王明轎広三尺三寸、地平広与轎面同。倶施羊肝漆灑金、上下雕玲瓏花卉」という句が見える。「一定墨」は「一錠墨」ということであろう。

[47]原文同じ。一物であるかどうかも未詳。通袖は筒袖。膝襴は顕官の礼服。これは「通袖膝襴」でまとまっているかも知れない。「通袖膝襴」という言葉は正史に見える。『明史』満剌加伝「瀕行、賜宴奉天門、再賜玉帯、儀仗、鞍馬、黄金百、白金五百、鈔四十万貫、銭二千六百貫、錦綺紗羅三百匹、帛千匹、渾金文綺二、金織通袖膝襴二」。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百八頁参照。「閃色」は縦糸と横糸にさまざまな色を使った織物。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』四百八十五頁参照。「罩青」は未詳。「暗花」は横糸で模様を、縦糸で地紋を織り上げたもの。「明花」の対。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』五百四頁参照。「上蓋」は上蓋衣、上っ張り。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百十七頁参照。「紫羅襴」は紫の羅の襴衫。襴衫の:『三才図会』。

[48]犀帯、通犀、通天犀帯。犀角で飾った革帯。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』四百四十七頁参照。『元史』焦養直伝「大徳元年、成宗幸柳林、命養直進講資治通鑑、因陳規諌之言、詔賜酒及鈔万七千五百貫。二年、賜金帯、象笏。三年、遷集賢侍講学士、賜通犀帯」。

[49]「羊脂玉」は葱嶺に産する白玉の一種。『天工開物』珠玉「朝鮮西北大尉山、有千年璞、中蔵羊脂玉、与葱嶺美者無殊異」。「茅山石」は南京茅山に産する石。『太平寰宇記』「生州土産茅山石、光白如玉」。『清一統志』「金壇県茅山出茅山石、如玉石鐘乳」。清乾隆元年『江南通志』「句容県茅山出石墨、茅山石」。「透金犀」は未詳だが、正史に「金犀帯」というものが見える。『宋史』張闡伝「諭以秋涼復召、加賜金犀帯、特許佩魚」。

「嵌八宝」は未詳だが、帯にはめこんだ八宝の装飾であろうか。八宝は金珠、銀錠、方勝、如意、犀角、古銭、珊瑚、石磬、宝書、毛筆、艾葉、芭蕉葉、菱鏡などのうちの八つ。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』五百八十九頁参照。「荔枝金帯」は未生だが、「荔枝帯」という言葉はある。宋岳珂『愧郯録』巻十二、「太平興国七年正月九日、翰林学士承旨李言、准詔詳定車服制度、其荔枝帯。本是内出以賜将相、在於庶僚、豈合僭服。望非恩賜者、官至三品乃得服。詔可」。宇文懋昭『大金国志』巻三十四三品至四、品謂文臣、資徳大夫至中順大夫、武臣、龍虎衛上将軍至定遠大将軍、并服紫羅袍、象簡、荔枝金帯、文臣則加佩金魚」。『元典章』巻二十九「偏帯倶系紅、一品玉帯、二品花犀、三品、四品荔枝金帯」。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』四百五十頁参照。

[50]「p履」は黒いくつであろう。「乾」が未詳だが、「乾黄靴」という言葉が『金瓶梅』第六十六回、『水滸伝』第三回に見える。「乾黄」は、白維国編『金瓶梅詞典』によれば、深い黄色という。

[51]原文「我皮匠家換了頭底来」。「頭底」がまったく未詳。とりあえずこう訳す。

[52]龍虎榜に同じ。前注参照。

[53]原文「一個便去歳可兀的占了鼇頭」。「占鼇頭」は科挙に首席合格することの喩え。

[54]原文「我覷著那珠翠金銀、我可便渾如似参辰卯酉」。「参辰卯酉」は正反対のものの喩え。「参」「辰」はいずれも星の名で、「参」は酉の刻に西に出、「辰」は卯の刻に東に出るという。この句、陳家が清廉で、珠翠金銀には目もくれないことを述べたものと解す。

[55]原文「你可也漸漸的穩情取個肥馬軽裘」。未詳。とりあえずこう訳す。『論語』公冶長「願車馬、衣軽裘」。

[56]原文「身栄後、入八位、不生受」。「八位」は「八座」と同じで高官をいう。六部の尚書と左右の僕射。『誶范叔』に用例あり。

[57]原文「想当日常何薦馬周」。馬周は唐代の人。新豊の逆旅で、主人に顧みられず、酒一斗八升を悠然として独酌した。後、長安の常何のもとに身を寄せ、常何に代わって皇帝の得失を述べた二十余条が皇帝の目にとまり、監察御史に任ぜられた。『唐書』巻九十七、『旧唐書』巻七十四に伝がある。かれらの故事は『薦福碑』にも見える。

[58]四川省をいう。

[59]通りを見ることができるように、家に設置された楼。バルコニーの類。『曲江池』に用例あり。

[60]驊騮は秦穆王の八駿の一つ。また、幅広く、駿馬のこと。

[61]玉の轡。

[62]原文「好児也、不枉了」。「不枉了」は未詳だが、訳文の趣旨に解す。

[63]原文「這個婆婆児好要便宜也」。「要便宜」は、ここでは地位のある人にすり寄って、甘い汁を吸おうとすること。

[64]原文「老身向官人行無去秋」。「秋」は「」であると解す。

[65]原文同じ。未詳だが、状元への祝い酒であろう。

[66]原文「掛了状元紅回去」。「状元紅」は未詳だが、状元のを祝うために掛ける紅色の布ではないか。

[67]原文「一譲一個肯」。未詳。とりあえずこう訳す。

[68]原文「做了個拐字」。「拐字」は未詳だが、訳文の意味であろう。「拐」には「錯」の意味がある。許宝華主編『漢語方言大詞典』三千二百二十五頁参照。

[69]原文「則一拐就把我拐出来了」。未詳。とりあえずこう訳す。

[70]原文「我得了探花郎」。「探花郎」は科挙の第三位合格者をいう。したがって、官名ではない。

[71]原文同じ。「帯」は布で覆った革帯。「紅漆通」は未詳。

[72]国史編修に当たる官。

[73]原文「我去那師父行陪了些下情」。「陪了些下情」が未詳。とりあえずこう訳す。

[74]原文「我年紀大也慚羞」。未詳。とりあえずこう訳す。

[75]素質が優れているのに大成できないこと。『論語』子罕「子曰、苗而不秀者有矣夫。秀而不實者有矣夫」。

[76]原文「休那裏一口裏巧舌頭」。未詳。とりあえずこう訳す。後ろとのつながりも未詳。

[77]原文「便有那一千筆画不成描不就」。訳文はこれで良いのであろうが前後とのつながりが未詳。とりあえずこう訳す。

[78]原文「枉可惜了你噴珠噀玉談天口」。陳良佐を家におけなどというつまらなことを言うなという趣旨であろう。

[79]原文「枉展汙了你折桂攀蟾的釣鼇手」。折桂」は月中の桂樹を折ること。科挙合格の喩え。「攀蟾」は蟾宮によじ上ること。蟾宮は月で、そこによじ上るのも、やはり科挙合格の喩え。「釣鼇」は本来『列子』湯問「一釣而連六鼇」に典故のある言葉で、科挙とは関係ないが、ここではやはり科挙合格の喩えであろう。

[80]庶民の家をいう。『漢書』王莽伝上・顔師古注「白屋、謂庶人以白茅覆屋者也」。

[81]高官のこと。

[82]岳飛『御書屯田三事跋』「臣聞先正司馬光有言、徳勝才謂之君子、才勝徳謂之小人」。

[83]恭順のさま。

[84]『論語』学而。

[85]二品以上の料理。

[86]未詳。「蠓蟻」という言葉なし。「蠓」「蟻」の二物か。蠓はヌカカ。

[87]夫とその妻の兄弟の合称。義理の兄弟同士。ここでは陳良資、陳良叟と王拱辰。

[88]原文「那裏発付你個緑袍槐簡的鍾馗」。鍾馗が陳良佐を喩えているこというまでもない。ただ、どうして鍾馗が無位無冠の陳良佐の喩えになるのかが未詳。鍾馗は『事物紀原』歳時風俗部・鍾馗に見え、終南山の進士と称している。

[89]原文「紫袍象簡朝金闕」。「紫袍」は紫の朝服。「象簡」は象牙の笏。「金闕」は宮門。

[90]麾蓋は旗や傘。

[91]楊六郎は北宋の忠臣楊継業の第六子、楊延昭。明代の『楊家府通俗演義』などの主要登場人物の一人。

[92]食品名であろうが未詳。

[93]原文「宴罷瓊林出未央」。「瓊林」は前注参照。「未央」は漢の宮殿名。ここでは「宮殿」ぐらいの意味で使っていよう。

[94]原文「把盞的是耍三郎」。「耍三郎」は孫悟空の弟とされる「耍耍三郎」か。元雑劇『西遊記』第九折に「小聖通天大聖、三弟耍耍三郎」とあり。

[95]原文「只可描鸞守繍房」。「描鸞」は鸞鳥を刺繍すること。「守」はじっとしていること。

[96]原文「這廝他到闕不沾新雨露、還家猶帯旧風霜」。「雨露」は天子の恩徳の喩え。「到闕不沾新雨露」は天子の恩徳にあずかれない、科挙に合格できないということ。「風霜」は逆境の喩え。「還家猶帯旧風霜」は相変わらず貧乏書生のままだということ。

[97]原文「你這些馬牛襟裾糞土牆」。「馬牛襟裾」は服を着た牛馬ということで、禽獣のような人間のこと。「糞土牆」は『論語』公冶長「子曰、朽木不可雕也、糞土之牆不可杇也」。

[98]原文「我這海水如何看斗量」。度量の小さい人間に大物の自分の価値が分かりはしないという趣旨。

[99]原文「你這漏網之魚都跳過」。網を逃れる雑魚のような小者ばかりが出世しているという趣旨。

[100]原文「歯帯髪、帯眼安眉」。きちんとした人間だということ。

[101]宮中で焚く香。

[102]原文「袍袖惹半潭秋水」。未詳。「半潭秋水」という言葉は、李洞『山居喜友人見訪』「入雲晴劚茯苓還、日暮逢迎木石間。看待詩人無別物、半潭秋水一房山」に見える。

[103]官吏の家の女。

[104]繁華な街をいう。

[105]繁華な街をいう。

[106]前注参照。

[107]前注参照。

[108]原文「今春和月抱将来」。未詳。とりあえずこう訳す。

[109]原文「下頭穿了衣服、便是状元」。未詳。とりあえずこう訳す。

[110]原文「急颭颭的三簷傘低」。「三簷傘」は三つのひさしのついた傘。『明史』輿服一・傘蓋「二十六年定一品、二品傘用銀浮屠頂、三品、四品用紅浮屠頂、倶用黒色茶褐羅表、紅絹裏、三簷」。

[111]原文「牢墜鐙」。「墜鐙」は、主人が馬から下りるとき、従者が鐙を整える動作。

[112]晋の人。母親に鯉を食べさせるため、冬期、氷の上に臥したことで有名。

[113]伯兪は漢の人。母に杖で打たれたが鋳たくなかったので、母の力が衰えたことを悲しんだという。『説苑』建本「伯兪有過、其母笞之泣、其母曰、他日笞子未嘗見泣、今泣何也。對曰、他日兪得罪笞嘗痛、今母力不能使痛、是以泣」。「伯兪泣杖」は『蒙求』の標題。

[114]『佩文韻府』引『高士伝』「老莱子年七十作嬰児誼、著五色斑斕衣、取水上堂、跌仆臥地、為小児啼、欲母喜」。

[115]まったく未詳。

[116]原文「将的去估価行裏」。「估価行」は未詳。とりあえずこう訳す。

[117]これは店の人に語りかけているのであろう。

[118]原文「番番不曽静扮」。未詳。とりあえずこう訳す。

[119]金製の魚の形をした装飾品。高位高官の持ち物。

[120]兜子とも。椅子の横に棒を渡した轎。

[121]原文「古人詩内、則你那文高休笑状元低」。未詳。とりあえずこう訳す。

[122]「唐」は「陶唐氏」の略で尭、「虞」は「有虞氏」の略で舜のこと。

[123]原文「有香銭布施些児」。訳文はこれでよいのであろうが、なぜ陳良佐がこのようなことをこの場面で言うのかが未詳。轎に乗った母親を神仏のように見なしているか。

[124]原文「我昔日曽聞荷担僧、一頭担母一頭経、経向前来背卻母、母向前来背卻経、不免把担横担定、感得園林両処分、後来証果為羅漢、尚兀自報答不的爺娘養育恩」。出典がありそうだが未詳。とりあえずこう訳す。

[125]ここでは状元となった三男陳良佐のこと。

[126]広文は文徳が篤いこと。

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