董秀英花月東牆記

白仁甫撰

楔子

(冲末が馬生に扮して登場)わたしは姓は馬、名は彬、字は文輔ともうし、原籍は臨陽[1]の人。先父は三原[2]県令を拝したが、不幸にも亡くなった。わたしは年は二十五歳、雪の(つくえ)に蛍の窓[3]、経史を学び、古今に通じ、名声と教養は、おのずと掩うべくもない。父は生きていた時、松江府府尹董鎣と友人だった。憶えているが、董府尹さまは酒の席で、父に尋ねた。「わたしたちは通家[4]ですから、あらゆることを相談なさるべきでしょう」。亡父は言った。「とりたてて何事もございませぬが、倅馬彬は年若く、向学心はあるものの、功名は遂げておりませぬ」。府尹はわたしが賢いと言われると、言った。「それがしには一人娘があり、字は秀英ともうしますが、ご令息の妻にしましょう」。その後、父は亡くなり、路は遥かであったため、音信は通じなくなってしまった。今回、わたしは一つには遊学のため、二つにはこの縁談のことを問うため、行くとしよう。家童よ、琴剣書箱を調えて、今日すぐに行くとしようぞ。(唱う)

【仙呂】【賞花時】文質彬彬たる一丈夫、千里に師匠を尋ぬるは学ばんがため。今日、路を踏み、ひとり歩めば、雲外に(かりがね)の声ぞ寂しき。

【幺篇】今は徒手空拳で、何もなし。父は死に、家は貧しく、そのかみと異なりて、嚢篋(ふところ)は乏しくなりぬ。路の鵬程(ながて)は存すれど、いつの日皇都に赴かん。

(言う)一月旅して、松江府に到着した。家童よ、宿屋を捜して泊まるとしよう。

(童)かしこまりました。あれは宿屋でございます。(あるじ)はいるか。

(浄が登場)どなたがお呼びでございましょう。どなたがお呼びでございましょう。

(童)ご老人。主人がこちらに泊まりにきたのだ。(会う)

(生)お尋ねするが、こちらに董府尹さまはいらっしゃるか。

(浄)府尹さまは亡くなりました。

(生)かれの屋敷はどちらにある。

(浄)隣でございます。府尹さまとはどのようなご親戚で。

(生)父が府尹さまと親しくお付き合いしていたのだ。父が亡くなってから、ずっと疎遠で、お訪ねしなかったのだ。

(浄)今からどちらへお行きになります。

(生)儒学によって立身するため、遊学してこちらに来、詔選[5]に赴くのだ。お尋ねするが、家があれば一間を借して住まわせてくれ。来春になったら試験に赴こう。

(浄)泊まろうとなさるなら、老いぼれには山寿という倅がおりますから、お預けし、書を読むことを教えていただくことにしましょう。東の塀の下に花木堂がございますから、先生は、その中で、勉強を教えられては、いかがでしょうか。

(生)それならば、おおいに感謝いたします。

(浄)じいや、いそいできれいに掃除するのだ。

(じいや)すでにきちんと掃除しました。

(浄)先生、どうか花木堂に往ってお休みください。(ともに退場)

 


第一折

(ご隠居さまが梅香を連れて登場)老いぼれは姓は劉、名は節貞、劉太守の娘、董府尹の妻。不幸にも府尹は亡くなり、秀英という一人娘がいるばかり。年は十九歳、生まれつき性質は慎重、言葉は誠実、詩詞、書法、計算、刺繍、通じていないものはない。さらに、娘が使っている梅香という小娘も、よく詩を吟じ、書を書いている。昨日梅香は、娘は体が不調だと言っていた。老いぼれが思うに、春を悲しんでいるのだろう。梅香や、今は三月、裏庭でたくさんの花が開いているから、お嬢さまと海棠亭の畔に気晴らししにおゆき。

(正旦が登場)わたしは董秀英。父上は松江府尹を拝したが、不幸にもはやくに亡くなり、老母のみが存命し、厳しく家を治めている。今は三春[6]、ほんとうに気怠く、繍房[7]でひねもす刺繍、裁縫し、とても退屈。さきほど母上は、梅香とともに後花園へ気晴らしにゆくようにお命じになった。梅香や、部屋を閉じ、二人でゆこう。(行く。旦)梅香や、きれいな春の景色だねえ。(唱う)

【仙呂】【点絳唇】万物は春のただなか、落花は陣をなし、鶯の声ぞ優しき。垂柳(しだれやなぎ)はあまねく黄となり[8]、ますます心の悶へを招けり。

【混江龍】三春の時、南園の草木はたちまちに新たなり。気候は清けく、時候は宜し。紫陌[9]なる遊人は昼の短きことを厭ひて、青閨[10]の素女[11]は黄昏をしぞ恐るる。(はな)を尋ぬる俊士があれば、(くさ)を摘みたる佳人あり。千紅万紫、春分の花と柳と。韶光[12]に対してしばらく言葉を発せず、一天の愁へはすべて心中の恨みを結べり。玉肌金粉は憔悴し[13]、窈窕とした風采は痩せ、損なはれたり。

(生が登場)わたしがまさに坐っていると、落花は簾の下に飛び、花は移ろおうとしている。まさに、

坐して落花を見て嘆き、また疑ふ春は樹の南の枝に老ゆるかと[14]

この花はきっと董府尹家の裏庭から飛んできたのだ。立ち上がり眺めにゆこう。(望む)
(梅)お嬢さま、あの桃や杏の花はほんとうに可愛らしゅうございます。

(旦が唱う)
【油葫蘆】杏や桃の花と()(あか)き唇のごとくして、柳絮は紛紛。春の光は(はらわた)を断ちたる人を避くるなり。微風細雨は花信を催し、閑愁万種は心中に印せられたり。羅幃繍被、孤寒の(たま)を断たんとす。重門は掩はれてひねもす尋ぬる人ぞなき。情を遂ぐることのなければいとど悲しむ。

(梅)お嬢さま、東の塀の上で見ているのは一人の秀才でございます。

(旦が見る。唱う)
【天下楽】楊柳は塀に横たひ春を得易し[15]。慕はしき人を喜ぶ。一見すれば心はいかで忍ぶべき。眼角(まなじり)で秋波を送れり。東の塀の近くには隣人が住む。可憎才(いとしきひと)を見るに(ゆゑ)あり。

(梅)お嬢さま。部屋に戻ってゆきましょう。こちらでぐずぐずしていて、ご隠居さまに知られたらどうなさいます。

(旦)ゆきましょう。(退場)

(生)恋の病になったのだ。さきほどの娘はまさに董秀英。今日、一目見たのだが、しらぬまに、歩いては思い、坐しては思い、本を読む気にはなれない。このようなことになり、どうしよう。(退場)

(旦が登場)本当に退屈だ。昨日、裏庭であの秀才を見たが、容貌は眉目清秀、風采は堂堂としていた。一目見た後、心と目とに記憶した。これは狂おしい心によってしたことではなく、人の大倫なのだ[16]。もともと体が不調だったのに、このような人に遇い、気も漫ろになり、いつになったら良くなるのやら。

(梅)お嬢さま、なぜあの書生を見て、そのような有様になられたのです。

(旦が唱う)
【那令】あの人を一見し、おぼえずわたしは(たま)を断ちたり。あの人を思ひ起こせば、韓の文、柳の文あり[17](うつく)しき人にして、斉論と魯論を読めり[18]。思へば忘るることを得ず、いづれの時に秦晋[19]を成し、いづれの年に一つ処に睦み合ふべき。

【鵲踏枝】悶へて昏昏、涙は紛紛、ひとへに美貌の潘安のため。仁者は仁に安んぜり[20]。しばらく心の中に考ふ。(なんぴと)かわがために殷勤(おもひ)を通ぜん。

(梅)お嬢さま、ここ数日お食事が進まず、ぐったりとして痩せられました。これ以上、お心がおかしくなれば、まずうございましょう。

(旦)わたしの病を、知ることはできないだろう。

(梅)どんなご病気なのでしょう。

(旦)わたしは未婚の娘だから、おまえに向かって一言では言い尽くせないよ。

(梅)お話がおありなら、とにかく仰って構いませぬ。

(旦が唱う)
【寄生草】恐るるは黄昏の後、羅幃に入り、愁へのますます激しくなること。孤眠独枕(ひとりね)は人をして悶へしめ、愁ふる潘と病みたる(しん)は人をして恨ましめ[21]、行くこと遅く、力は萎えて、人をして疲れしめたり。かやうに情を含みつつ象牙の牀に臥したれば[22]、いつ陽台で多才の人に遇ふを得ん。
(梅)お嬢さま、分かりましたよ。昨日の秀才とお話しなさりたいのでしょう。あのかたはあちらに、お嬢さまはこちらにいらっしゃいますから、会えませぬ。

(旦)思えばそのかみ、卓文君は、どのように相如のもとに奔ったのか。

(梅)かれら二人はどうして結婚することができたのでしょう。

(旦が唱う)
【幺篇】漢の相如は寒窓の下に坐し、卓氏の(むすめ)は連れ合ひとなる。ひとへに互ひの心の相投ぜしがため、姻縁(えにし)がありて佳期(あふせ)を求めつ。才子佳人はことごとく相(したが)ふもの。おまへは言へり、東の塀に阻まれたれば碧紗厨には会ひ難からんと[23]。わたしのごとき乾きたる(はす)の葉はなど霊犀の潤ふことを得べけんや[24]

(旦)梅香や、わたしが言わなければ、おまえも気付かなかったろう。後花園であの秀才を見てから、わたしの愁えは十倍に増し、しらぬまにこんな病になってしまった。どうしよう。

(梅)お嬢さま。あの書生をお気に召しましても、ご隠居さまに見付かれば、あなたは女なのですから、大変なことになります。お嬢さま、夜が更けました。お休みにならないでどうなさいます。

(旦)どうして寝つけよう。体はますます不調を覚え、とても辛い。(唱う)

【後庭花】このやうな恋の病をいかで忍ばん。しらぬまに心に浮かべば両の涙は頻りなり。老母に怪しまるることは避けられず、意中の人に恋恋とせり。魂をむなしく労し、しらぬまに羅衣は緩めり。(ふすま)は寒を生ずれどいかでかは温むべけん。みるみると身は窶れ、厭厭としていたく病みたり。梅香を呼び、門を閉ぢしめ、沈檀[25]を炉で焚きて、誠の心で神に祈らん。

【柳葉児】ああ、愁ふれば(まよね)は春の恨みに鎖ざされ[26]、心は憂へり。人は遥けく、天涯に近くして、引き寄することは難ければ、いかでかは親しむべけん。三分の鬼病(こひのやまひ)を加へぬ[27]

(梅)お嬢さま、本当はどうなさるおつもりなのです。

(旦が唱う)
【青哥児】人前で一言で尽くすは難し。ご隠居さまは厳しき教へで家をぞ治めたまひたる。雷のやうな癇癪持ちの老母を怨めり。閨門を取り締まり、昼夜見回り、坐しては守り、行きては従ひ、人倫を損ふことを恐れたり。半時も離れなば、尋ねきたらん。

(梅)お嬢さま、今春はご病気になることが多うございますから、ご自分で養生なさり、神経を磨り減らせてはなりませぬ。このように物思いして、お命を失われたら、大変でございます。病を隠して病になって、ご自身を損なわれるのはおやめください。お嬢さまはご自分でお考えください。

(旦)梅香や、わたしの心の中のことは分かるだろう。

(梅)分かりませぬが、お嬢さまのお体がご不調ですので、お諌めしているのでございます。ご養生なさるべきです。

(旦)こんな病を、どうして治すことができよう。思い出さないときはよいが、思い出せば、ほんとうに寂しくなるのだ。(唱う)

【賺煞】夜もすがら黄昏までも[28]、ひとり眠れば心は悶ふ。苦厭厭と愁へつつひとり考ふ。鉄石の心なりとも(たま)を断つべし。串香を焚き(ふすま)は冷ゆれど誰かは温むることあらん[29]、招き入るるは多情なる夢裏の人。窓外に月華(つきかげ)はまさに清けし。玉人[30]は方寸に在り、海棠の花を東君にしぞ与へん[31]

(言う)起くれば金炉に香燼は寒くして、宝釵をななめに碧雲の鬟に挿したり[32]。楊柳の梢頭(このうれ)に月の低きを愁ふれば、花は落ち、鶯は啼き、春はまた逝く。(退場)

 

第二折

(生が登場)わたしは馬文輔。あの日お嬢さまを見た後、朝は食を忘れ、夜は寝を廃し、心は蕩然として、失ったものがあるかのようだ。不測の事態が生じたら、ふだん学んでいたことが、一朝にして無駄になることだろう。今夜はこのように風は清く、月は明らか、とりあえず琴を弾き、心の憂えを雪ぐとしよう。(退場)

(旦が梅香を連れて登場)

(梅)お嬢さま、今、香を焚かないでどうなさいます。

(旦)香車をお置き[33]

(梅)もう置きました。

(旦が歩き、唱う)
【正宮】【端正好】香階を下り、芳径を踏み、蒼苔を行きたれば、月影は庭を照らせり。回廊を過ぎ、凄まじき景色を見れば、げにわれをして悲興を添へしむ。

【滾繍球】垂楊に宿れる鳥は驚けり。繍鞋は進まんとすることぞなき。香を焚き天に向かひて結婚を()[34]、誠の心で神霊(かみ)に祈れり。やうやう相思病(こひわずらひ)となり、みるみる痩せて(すがた)を損なふ。寂寞(さびしら)に耐へたるは前世の定め、佳期(あふせ)を待てる井の底の(しろがね)の瓶[35]。かばかりにぐづぐづとせば奴家(わらは)の命は損なはれなん。精神をつとめて揮ひ、斗星を拝す。いづれの日にか安らかなるべき。

(梅)お嬢さま、氷弦[36]の音をお聴きください。

(旦が唱う)
【倘秀才】半空(なかぞら)の神仙の勝境なりと思ひしが、東牆に絲桐[37]をゆるく奏でたりけり。かのひとはゆるやかに氷弦を撫したれば、()こそ清けれ。夜は闌け、人は静かに、(こころ)は悲しく、話は懇ろ、いかでかは人の(こころ)を動かさざらん。

(旦が聴く)

(生が歌う)明月は娟娟として夜は永く凉を生ぜり。花影は風に揺れ宿鳥は驚き慌てぬ。佳人はわが情腸(こころ)を牽きて、徘徊すれば見えざれど東の塀を隔つるのみなり。佳期(あふせ)は叶はぬことなればわれをして遑遑[38]たらしめ、相思(こひのおもひ)(やまひ)を致せば湯薬の処方はなからん。琴に托して憂へを消せば音韻は悠揚として、故郷(ふるさと)を千里離れて他郷にぞ在る。客邸(たびやど)孤眠(ひとりね)すれば更漏[39]()こそ長けれ。

(梅)お嬢さま、あの書生はほんとうに悲しげに弾いています。

(旦が唱う)
【滾繍球】東の塀に向かひつつ、じつくりと聴く。(おほとり)は鸞を求めど曲は成るなし[40]。いかでかは思ひて病とならざらん。本日は賢きものは賢きものに遇へるなり。この琴は陶潜の膝に横たひ、蔡邕の(かまど)に生ぜり[41](はらわた)を断ちたる人よ、こなたにて孤独(ひとりみ)なれば、一句一句はなが飄零(さすらひ)を訴へつ。いづれの時にか銷金の(とばり)にて衾と枕をともにすべけん[42](ます)に満ちたる香を焚き、誓ひを立てなば、平生の願ひは叶はん。

(生)東の塀で人が話しているようだ。人がいるのではなかろうか。垂楊(しだれやなぎ)を挽き、塀を隔てて眺めてみよう。(生が眺める)

(旦)梅香や、あの書生はほんとうに悲しげに弾いていた。琴に乗せられた言葉を聴いて、ますます悲しくなってしまった。とりあえず心の中の悲しみを、絶句にし、あの人と聯句しよう。

(梅)お作りください。

(旦)客館は閑門[43]静かに、閨房は寂寞たる春。月が来れば花は(すがた)を顕わして、(なさけ)有る人かと疑ふ。

(生が聴く)すばらしい吟詠だ。韻に従い、一首を和することにしよう。

書斎にてしばし恨めり、南園に春は老いゆく。東牆に明月は満ち、ひとへに意中の人を照らせり。

(旦が聴く)塀の角で詩を吟じているのは、あの琴を弾いていた秀才に違いない。ほんとうに優れた才だ。(唱う)

【倘秀才】東の塀で詩に和せば、亭の軒端に近づきて繍鞋をしぞ止めたる。心に掛かることあれば安らかならず。愁へに眉を顰めつつ、たちまち悲しむ。かれはいかなる人ならん。

(梅)お嬢さま、戻ってゆきましょう。夜が更けました。(ともに退場)

(生)ああ、お嬢さまは戻っていった。恋の病になってしまう。ひとまず書斎に戻ってゆこう。(退場)

(旦が登場)昨日、書生が琴を弾くのを聴いてから、病はますます重くなり、体はほんとうに不調だが、どうしよう。

(梅)お嬢さま、娘たるもの、閨門を正しく保たれるべきでございます。そのように物狂おしくなさいませぬよう。

(旦が唱う)
【呆骨朶】こなたで悶厭厭として疏狂の(さが)を押さへ得ず、ひとり悲しむことにえ耐へず。孤幃の(うち)にて翠は減じ香は消え[44]、花の()に蜂は騒ぎて蝶は並べり。少年人(わかうど)は三春の景色を見るなく、体も健やかなるにはあらず。ひとり思へどせんすべもなく、やうやう風流(こひ)の病に罹れり。

(生が登場)昨晩、月下で琴を弾いたが、思いがけなくお嬢さまが聴きにきて、塀を隔てて詩を吟じ、わたしも一首唱和した。思うに、結局、まことの気持ちは分からない。今日は山寿を遣わして、花を求めることに託け、何と言うかをみるとしよう。山寿よ、来い。

(山寿が登場)お師匠さま、いかなるご用でございましょう。

(生)隣の董家に美しい花があるから、行って一輪貰ってこい。ご隠居さまに知られるな。

(山寿)お嬢さまだけに貰いにゆくのですね。

(生)そうだ。(退場)

(山寿が登場、旦に会う)

(旦)山寿さん、どうして来ました。

(山寿)師匠がわたしを遣わして、お嬢さまにお花を求めさせているのでございます。

(旦)お師匠さまはどなたでしょうか。

(山寿)わたしの師匠は姓は馬、名は彬、字は文輔ともうします。

(旦)お年は幾つでございましょう。

(山寿)わたしの師匠は二十五歳でございます。

(旦)どんな花をお求めでしょう。

(山寿)どんな花でもご随意に。

(旦)海棠の花を差し上げますから、お持ちください。(旦が花を与える)

(山寿が辞去し、退場)

(旦が唱う)
【脱布衫】美しき書生のことを思ひ起こせり。本日は姓と名を知らせきたれり。海棠の花をひとまず(たより)と為さん。姻縁は前もつて定められたることならん。

【小梁州】誰か思はん旧日(いにしひ)の劉郎が武陵に来んとは[45]。話を聴けばいかでかは悲しまざるべき。孤鸞寡鳳[46]はいつ結ばれん。人は寂しく、長嘆すること二三声なり。

【幺篇】黄昏に一盞の孤灯は輝き、困騰騰と悶へつつ幃屏[47]に寄れり。二更となれば、人ははじめて静まれど、愁へはいとど加はりて、夜明けまで照ることぞなき[48]

(言う)わたしはいつも記憶しているのだが、父上が生きていた時、母上に仰っていた。朝廷にいたとき、三原県令馬昂と交わり、その後、わたしをかれの息子の馬文輔と婚約させたと。わたしはその時幼かったので、結婚はしなかった。その後音信が通じなくなったため、この結婚は成就していないのだ。あの日、後花園にいたとき、山寿の家の東の塀の上で、一人の秀才が、こちらを眺めていた。その書生を一目見たが、髪は黒く、眉は青く、唇は紅く、歯は白かった。わたしは心が落ち着かない。一昨日、海棠亭で、夜、香を焚いていたとき、今度は琴を弾いているのに出会ったが、佳い連れ合いがないことを訴えていた。昨日は山寿を遣わし、わたしに花を貰いにこさせた。師匠は誰かと尋ねると、山寿は、姓は馬、名は彬、字は文輔だと言っていた。わたしはすぐに父上の言葉を思い出した。もしやこの書生ではあるまいか。数日前に手紙を書いたが、今日、梅香に命じて届けにゆかせよう。梅香や、この手紙をあの秀才に届けにおゆき。

(梅)持ってきてください。お届けしましょう。

(旦が手紙を与える)
(梅)手紙を届けにゆきましょう。(ともに退場)

(生が登場)秀英お嬢さまを見てから、心は落ち着かず、食欲はない。昨日、山寿を遣わして、花を貰いにゆかせたところ、お嬢さまは一輪の海棠の花をくれたが、どういう考えなのだろう。このように音信が通じていないが、どうしたらよいだろう。

(梅)先生、ご機嫌よう。

(生)娘さん、何事でしょう。

(梅)ご存じないなら、申しあげることをお聴きください。(唱う)

【上小楼】おんみは若き方なれば、お嬢さまは心を優しくしたまへり。思へば(さき)の夜、月下にて琴を鳴らして、新詩を唱和したまひにき。(さち)が至れば心は(さと)[49]音韻()は軽く、声律(ふし)は清けし。理性に精通し[50]、二人の(こころ)をひそかに伝へたまひたるらん。

(言う)お嬢さまは、この手紙を、先生に届けるように命じました。どんな言葉が書かれているかは存じませぬ。

(生)持ってきて、お見せください。

(生が見る)娘さん、この詩は誰が書いたのですか。

(梅)お嬢さまの直筆でございます。読みあげてお聴かせください。

(生)「瀟灑なる月明の中、身を潜む牆角(かきほ)の東。琴を鳴らせば離恨は積もり、()に入りたれば繍幃は空し。夢は繞れり三千界[51]、雲は籠めたり十二峰[52]。仙郎よ、な負きそ、わが意は春のごとく濃やか」。ほんとうに優れた才だ。お嬢さまにわたしを思う心があるなら、今から礼物を調え、媒酌を遣わし、話しにゆかせるが、どうだろう。

(梅が唱う)
【幺篇】媒酌を遣はして結婚せんとしたまへど、ご隠居さまは生まれつき激しきご気性。消息が漏れ、風聞が漏れたるときは、前途を誤りたまひなん。お嬢さまは昔の(ちかひ)と、昔の(なさけ)を思ひたまへば、媒酌をなどか要せん。わづかな絳き(うすぎぬ)さへも結納と為したまふ必要はなし。

(生)お嬢さまがわたしを思ってくださっているのなら、わたしも一通手紙を書いて、娘さんに届けにいっていただきましょう。

(梅)お書きください。

(生が書く)娘さん。お嬢さまにはくれぐれもよろしくと申していたとお伝えください。

(梅が退場)

(生)お嬢さまがこの手紙をご覧になれば、かならずうまくゆきましょう。(退場)

(旦が登場)梅香は、長いこと、どうして戻ってこないのだろう。

(梅が登場、旦に会う)

(旦)どうだったかえ。

(梅)あのかたの返事がこちらにございます。

(旦)持ってきて見せておくれ。

(梅香が手紙を渡し、旦が受け取って見、読み上げる)「客館に枕は寂しく、孤眠(ひとりね)すれば春夜は長し。瑶琴を一たび弾けば、春色は東牆にあり。尋ぬるなかれ詩中の意[53]相思病(こひのやまひ)(とこ)にあり。情人(こひびと)は咫尺にあれど、いずれの日にか高唐に赴かん」。すばらしい才学だ。(唱う)

【満庭芳】あたかも龍蛇が(すがた)を顕はすかのごとし[54]。才は子建に過ぎ[55]、筆は千兵を掃ふ[56]。温柔にして才気は豊けく、いとも賢し。相貌は整ひて、教養は世に名を伝へ、人に敬はるるに堪へたり。夜の永きため、悲しみの涙は盈ちたり。

(言う)これではどうして会うことができようか。(唱う)

【耍孩児】空房はかくも静かに人は寂しく、金鼎に香は消えたり。いつかは相思病(こひのやまひ)に果てなん。金銭をもて卜し神霊(かみ)に祈れり[57]。生前の星禽をしかと判じて[58]、八卦もて占へど思ひ通りになることはなし。四柱を並べ、すべてを増せば[59]、禍福はしるくなりぬべし。

【四煞】画檐[60]に鉄馬[61]は喧しく、紗窓に夢は成ることなく、佳人才子はいつ結ばれん。かれは異郷を飄零(さすら)(たびびと)、われは孤枕に独眠(しらね)する董秀英。いづれも幸は薄くして、一方は東牆の(もと)に悲しみ、一方は錦帳の(うち)に悲しむ。

【三煞】鴛鴦の(ぬひとり)したる(ふすま)の空しきことを嘆けり。満懐の愁へのあるはかの書生ゆゑ。かのひとは新詩を和して、瑶琴(たまのおごと)をもて艱難(くるしみ)の調べを奏でつ。彩鳳が凰を求めて指で鳴らすは、おしなべて相思令(こひのうた)なり。そを聴けばいとも悲しく、寸歩も進み難くなりたり。

【二煞】婚姻が遅るれば、夜の永きに耐へ難く、蛾眉を画けば、妝鏡[62]に臨むに懶し。老天(かみさま)は人の憔悴するに構はず。一派(ひとすぢ)の黄河が九遍(くたび)清くなるとも、(こころ)は貞烈[63]。一枚の白壁に過ぎざれど、連なれる百座の城に隔てらるるがごときなり。

【尾煞】相思(こひ)の愁へはますます加はり、悪夢の境こそ寂しけれ。鉄石のごとく心が硬からんとも、ことごとく愁ふる(こころ)に注ぎ込み、呼べども気付かず[64]。(退場)


第三折

(生が登場)昨日、お嬢さまが梅香を遣わして、一首の詩を届けてこさせたので、わたしも一首を返し、持ってゆかせたが、今になっても音信(たより)が来ない。わたしは病のために牀に枕し、まもなく死んでしまうだろう。万一事がうまくいったら、病が良くなる時もあろうが、隔たったままであったら、どうしよう。(唱う)

【中呂】【粉蝶児】睡眼を開くは難く、愁眉を鎖ざしていかで耐ふべき。相思(こひのおもひ)の昼も夜も耐へ難きことを恨めり。わたしは異郷の人にして、風絮のごとく、他郷を飄零(さすら)ふ。愁心(むね)に満ち、否の極まりて泰の生ずることをいづれの時にかは得ん[65]

【酔春風】可憎才(いとしきひと)に遇ひたれば、焦燥は深き海にぞ似たるなる。たちまちに病となりて咫尺なれども近づき難し。()はげに悪しき、悪しきなり。しばしのあひだ枕に倒れ、(とこ)を打ち、長吁短嘆したれども、いかんともすることを得ず。

(言う)とりあえず門を閉じ、しばらく静座するとしよう。

(旦が梅香とともに登場)昨日、梅香を遣わしてあの書生を訪ねにゆかせたが、一首の詩を返してきた。すべて読んだが、本気のようだ。今回、また手紙を書いた。梅香や、またあの書生に届けにおゆき。

(梅)持ってきてくださいまし。

(旦が手紙を与える)はやくお行き。(退場)

(梅)何が書かれているのやら。届けにゆこう。(唱う)

【脱布衫】病潘安は痩せて形骸(からだ)を損なひて[66]、杜韋娘[67]は香腮を憔悴せしめぬ。おんみら二人は恩愛は海のやう、ゆゑなくわたしに指図したまふ。

【小梁州】摟帯の同心結の解けざることを望みたまへり[68]。水魚のごとく睦まんとしたまへり。曠夫怨女の定めなれども、心を抑ふるかたもなく、いたく楚の陽台を待ち望みたまひたり[69]

【幺篇】これこそは、才郎に情けがあれば佳人は愛することならめ。双方はいかでかは悲しまざらん。好意もて近づきて、気を晴らさんと思へども[70]、白壁は(へだて)と為りて、鏡は破れ、(かんざし)は分かたれぬ。

(言う)もう着いた。窓を隔てて見てみよう。(唱う)

【上小楼】この窓を濡らして破り、一目見るとも障りなからん。かのひとは東に倒れ、西に傾き、(とこ)に寄り、枕に寄りて、体を斜めにしたまへり。一声馬秀才さまと叫べども[71]、頭は抬げず、恋煩ひをしたまふがごと。(いたつき)の襄王さまに尋ねてん、おはしますやと[72]

(梅が見る)先生、ご機嫌よう。

(生が起ち、跪く)ああ、ああ、ああ。娘さん、どうしてすぐに来なかった。

(梅)ご隠居さまが厳しいために、やすやすと出ようとはしなかったのでございます。

(生)娘さん、今日お嬢さまは何と仰っていましたか。

(梅)お嬢さまは一通の手紙を書き、届けてこさせたのでございます。何が書かれているのかは存じませぬ。

(生)持ってきて見せてください。(受け取る)

(梅が唱う)
【幺篇】お嬢さまはみづから手紙を封じたまひき。東君のおんみに向かひて叩拝いたさん[73]。かのひとがどのやうな衷腸(こころ)を持ちて、どのやうな言葉を語り、どのやうな情懐(こころ)を訴へたるかを知らず。こころみに取り、開きたまはば、才情を見ん。その梗概(あらまし)は、かの嚇蛮書に比べて勝るや[74]

(生が読み上げる)画閣[75]銷金帳、翻つて離恨天となる[76]。東の塀で会ひし後、武陵源かと疑へり。

娘さんに一言お話しすることがございます。

(梅)先生、とにかく仰って構いませぬ。

(生が跪く)思えば亡父が生きていたとき、府尹さまはお嬢さまをわたしと婚約させました。その後、隔たっていたため、結婚をしていないのです。わたしが来たのは、結婚のことを尋ねるため、媒酌を遣わしてご隠居さまに尋ねるためです。いかんせん、貧しい儒生であるために、事を叶えることができません。あの日、後花園でお嬢さまを見てから、このような病になってしまったのです。娘さんだけがお嬢さまの側近くにいますから、どうか便宜を図り、この事を成就してくだされば、よいでしょう。

(梅)足下は丈夫(ますらお)でございますから、天地の間に立ち、功名を思い、芳名を残し、祖宗を輝かせるべきでございます。聖人はのたもうています。「血気の勇、戒むるは色に在り」と[77]。足下は賢いお方ですから、どうして一人の娘のためにその本分を喪うことがございましょう。先生、お考えください。

(生が跪く)娘さんが憐れと思われ、一言を通じてくださりさえすれば、この事はかならずうまくゆきましょう。

(梅)先生、立たれませ。お嬢さまの様子を見、(すき)があれば、ゆるゆると一声掛けることにしましょう。承知するのかしないのかを、ふたたび足下にご報告しにまいりましょう。

(生)さらに一通の手紙を、届けていただきたいのですが、宜しいでしょうか。
(梅)持ってきてください。届けにゆきましょう。

(生が手紙を与える)

(梅)わたしは戻ってゆきましょう。(ともに退場)

(旦が登場)さきほど梅香を行かせたが、今になっても戻ってこない。ほんとうに悲しいことだ。

(梅が登場)お嬢さま、戻りました。

(旦)どうなったかえ。
(梅)お嬢さま。あの書生をひどく弄ばれましたね。

(旦)何と言ったかえ。

(梅)以前の事を一遍訴えてらっしゃいました。

(旦)以前の事とは。

(梅)あの方は仰いました。父親が生きていたとき、先代さまと交際し、お嬢さまを婚約させたが、その後隔たっていたために、結婚をしなかったのだと。今千里の道をやってきたのも、その縁談のためなのだと。あの日、お嬢さまにお会いし、今は書斎で恋の病に罹っていますと。

(旦)ほかには何と言っていた。

(梅)わたしがまいります時に、あのかたは手紙を下さり、お嬢さまに届けさせたのでございます。

(旦)持ってきて見せておくれ。(見る。旦が読み上げる)相思病(こひのやまひ)はいとど加はり、眉は愁へに鎖ざされぬ。経書を読まんとする意なく、恋の思ひはかきたてられぬ。たちまち可憎才(いとしきひと)にし会へば、嫦娥の降りたるかと疑ふ。待ち望めども、いずれの日にか鴛帳(をしのとばり)をともにせん。(旦が唱う)

【快活三】悶昏昏と(まなこ)を開くことはものうく、困騰騰と鴛枕(をしのまくら)に寄りそひて、いかで耐ふべき、物を思ひてやるかたなきに[78]。いづれの時に雲雨陽台に会するを得ん。わたしはおんみととともに親しむ。美しき書生、なよびかな秀才のおんみを愛せり。われら二人が相思(いろこひ)の債務を負ふは、身から出た錆[79]。いずれの日にか同心帯をともに結ばん。

【賀聖朝】かやうな子建の才学が、書斎に埋没したるとは。愁腸(うれへ)は東の海のやう。相貌は堂堂として、会はば心は晴れぬべし。心の中でひとり思へり。いかでかはかのひとをして昼夜往来せしむべき。

(梅)お嬢さま、このようなことになり、どうなさいます。

(旦)わたしは今から会うことを約束する手紙を書くから、持っていっておくれ。そうしなければ、あのかたは来ようとなさらないだろう。(旦が手紙を渡す)あのかたがこの詩を見れば、わたしの考えがお分かりになるだろう。(退場)(梅とともに退場)

(生が登場)一通の手紙を書いて、梅香に届けにゆかせたが、今になっても戻ってこない。事がうまくゆかなかったのだろう。体が疲れてきたから、とりあえずすこし眠ろう。

(梅が登場、会う)先生、ご機嫌よう。

(生)娘さん、例の件はどうなりました。

(梅)大変おめでとうございます。うまくゆきました。

(生)どんな吉報があるのかをお報せください。
(梅)手紙がこちらにございます。

(生が受け取り、読み上げる)月を待つ東牆の下、花陰にて大才を待つ。明宵歓会を成し、ともに楚の陽台に赴かん。

(生は跪いて謝する)今日、事がうまくいったのは、ひとえに娘さんのお力があったからです。後日、犬馬となって報いましょう。

(梅)立たれませ。きっとですよ。わたしは戻ってゆきましょう。(退場)

(生)病気になった甲斐があった[80]。(唱う)

【満庭芳】姻縁(えにし)ある定めなりけり。今日は相寄り、魚と水のごとく睦まん。かくなれば病となりしも徒にはあらず。苦は尽きて甘は来れり。古人は言へり。過ちを知ればかならず改むべしと[81]。しらぬまに心懐(こころ)に掛かり、一見すれば相愛したり。「賢を賢とし色に易ふ」とな語りそね[82]。わたしは狂ひたるにはあらず。(退場)

(旦、梅が登場、梅)お嬢さま、日が暮れました。あの書生はきっと待っていることでしょう。行かれませ。

(旦)わたしは処女だから、こっそりと閨房を出て、若者と密会するのは、礼に適っていないだろう。

(梅)お嬢さま、「男女の室に居るは、人の大倫なり」[83]、礼に適っていないことなどございませぬ。

(旦)母上はお休みだろうか。

(梅)ゆきましょう。構いませぬ。(退場)
(生が登場)朝、梅香が来、海棠亭でお嬢さまと会うことを約束した。夜も更けたから、書斎を閉じて、行くとしよう。はやくも塀の(ほとり)に来たから、飛び越えてゆき、海棠亭に身を潜めよう。

(旦が登場)梅香や、東の塀の下に人影があるようだ。秀才さまが来たのではないか。見におゆき。

(梅が望む)

(生が梅に会う)娘さん、お嬢さまが来たのでしょうか。

(梅)はい。

(生が旦に会う)お嬢さま、わたしを密会しにこさせましたね。

(旦)角門で見張りをし、人が来たら報せておくれ。

(梅が仮に退場)(生、旦が手を携え、海棠亭に行き、契る)

(生が唱う)

【耍孩児】桃の(ほほ)、杏の(かほ)は花さへ勝らず、星眼は朦朧として開くことなし。魂霊(たま)は五雲の端に飛び、この玉体を近づけつ。ともに宿らん鴛鴦枕を調へて、ともに飛ぶ鸞鳳台を備へたり。今日ともに親しむを得て、湘裙[84]は皺み、宝髻はななめに歪めり。

【五煞】衫の扭扣は(ゆる)[85]、裙の摟帯は解け、酥胸粉腕天然の(すがた)なり[86]。楚腰は柳のごとくして、美しくかつ軟らかく[87]、いまだ開かぬ桃花(ももばな)は、露に潤ひ開きたり。恩愛を完くし、本日は良縁(よきえにし)もて結ばれて、死なば一つの穴にしぞ(うづ)められてん。

【四煞】温かく優しき(こころ)、佳人はいとも艶やかに、春風は穏やかにして心身は快きなり。薄らかな蝉鬢は()れ、烏雲(くろかみ)は乱れ[88]、宝髻[89]は傾きて鳳釵は落ちたり。多嬌(たをやめ)(すがた)をますます露はにし、心の中に留恋し、才多きひとを愛せり。

【三煞】羞ぢらひて力なく、(うなじ)を低く垂れながら抬ぐることを恐れたり。優雅さは骨に徹して遺香在り。玉体に寄りそと押さふれば、粉汗[90]は溶溶として杏腮(あんずのほほ)湿(うるほ)せり。かく偸香窃玉(しのびあひ)したれども、いつ明らかにするを得ん。

【二煞】澄澄と夜気は清けく、低低と月は階をば(めぐ)り、枝枝の花影は窓の()に横たはりたり。灯前にこころみに香羅[91]を見れば、点点と猩紅(くれなゐ)は瑩白に映じたるなり[92]。かのひとは羞ぢらひて詮方もなく、ぐつたりと塀に寄り、壁に寄り、あはててふたたび金釵を整ふ。

【尾煞】相思(こひわづらひ)はことごとく帳消しとなる[93]。姻縁は前世の定め。げに人をして恩愛を得棄てざらしむ。いづれの時にかまた同心帯を解くを得ん。

(ご隠居さまが登場)一昨日梅香が話すのを聴いたところ、娘は体が不調であるということだったが、会うことができなかった。今夜は寝つけないから、娘を見にいってみよう。(行く)繍房に来たが、どうして娘が見えぬのだ。悪いことをしでかしているのではないか。後花園へ見にいってみよう。ああ。この角門はなぜ開いている。(ばったり会う。生、旦が慌てる)

(梅)お嬢さま、大丈夫です。ご隠居さまにはわたしがお話しいたしましょう。

(夫人が罵る)ろくでなし。おまえたち三人はみなおいで。

(生、旦、梅香が跪く)

(夫人)良い娘だね、このようなことをしでかして。「席正しからざれば坐せず、(きりめ)正しからざれば食せず[94]」というだろう。わたしは董家に入り、妻となったが、針先ほどの大きさの落ち度もなかった。おまえは今は嫁入り盛り、母の教えに遵わず、婦徳を修めず、このような才能のない、醜い書生と密会するとは、とても恥ずべきことではないかえ。すべてこの小娘が唆したのだろう。

(梅)ご隠居さま、雷霆の怒りをお収めになり、事情を申しあげるのをお聴きください。思えばむかし先代さまがご存命だった時、お嬢さまを三原県尹馬昂さまの子馬文輔さまの妻とすることをお約束なさいましたが、先代さまが亡くなったため、結婚はしませんでした。ところが馬さまは、縁談のことを尋ねるためにこちらに来、山寿の家の花木堂に泊まりました。佳人才子が、風に臨み、月に対すれば、心は木石ではございませんから、どうして恋をせぬことがございましょう。ご隠居さまは家を治める道を誤り、骨肉の恥を覆えませぬ。過ちがあるのはどなたでございましょう。

(夫人が考える)おまえ。姓と名は何というかえ。どこの人だえ。

(生が跪く)ご隠居さまに正直に申しあげます。姓は馬、名は彬、字は文輔といい、先父は三原県令を拝し、原籍は臨陽の人でございます。

(夫人)無礼な小禽獣(けだもの)。こちらに来たのに、どうしてわたしに会いにこず、このようなことをしでかした。ほかの人なら、殴っているよ。おまえは孔孟の書を読みながら、周公の礼に達していない。このようにろくでなしだとは。うちから離れさせたいのだが、おまえの亡くなった父上と母上の顔を立てよう。わが家は三代、白衣の人を婿にしていないが、今はひとまずおまえたち二人を結婚させ、明日上京受験しにゆかせよう。合格したら、その時に来ても遅くはなかろう。

(生)ご隠居さまに自慢するのではございませぬが、わたしは六歳で書を読み、八歳で文を書き、十一歳で六経に通じたのです。教養を持ちながら、状元を奪わずに戻ってきたら、永遠にご隠居さまにお会いしませぬ。

(夫人)思うにおまえの父上も、優れたお方であった。諺に言う。「その父あればかならずその子あり[95]」と。息子や[96]、気を付けるのだ。秀英や、旅装を調え、文輔どのをお送りし、上京受験しにゆかせるのだ。

(旦)逢ったばかりで、また別れ、まことに悲しゅうございます。

今日ともに把る一杯の酒、後の夜は酔ひていづこの楼に眠らん。今送別して(たにがは)の水に臨めど、後の日に水の(ほとり)で逢ひつべし。(ともに退場)

 

第四折

(旦、生がともに登場、旦)梅香や、酒と果物を持ってきてくれ。秀才さまを餞別しよう。(盞を執る)

(旦)今日は連れ合いとなることができましたが、あえて長居はいたしませぬ。功名を思い、進取を旨となさるべきです。おんみの才をもってすれば、きっと台輔の職に就くことでしょう。京師に着いたら、はやく科挙に合格し、すぐにご帰還なさるべきです。

(生)旅立ちましたら、「青霄に路あらばかならず到り、金榜に名がなくば誓ひて帰らじ[97]」。ご隠居さまにお別れ申しあげましょう。

(夫人が登場)息子や、気を付けて、はやめに戻ってくるのだよ。

(生が夫人を拝する)

(旦)今は暮春で、まことに悲しゅうございます。(唱う)

【越調】【闘鵪鶉】枕衾の空しく残るを眼のあたりに見、更漏の長きにえ耐へざるべけん[98]。桃蕊は霞と飄ひ、楊花は風を弄ぶ。翠袖は寒を生じて、烏雲(くろかみ)(ととの)ふることぞなき。鸞鳳の交はりをなししばかりで、それぞれは西と東に。離恨は千般、閑愁は万種なるなり。

【紫花児序】今、亭前に袂を分かち、離別せり。おそらくは夢の(うち)にて逢ふべけん。思はず長吁短嘆し、離るることは難くして、意は重く、情は濃く、むなしく天公(かみ)を怨むなり。美はしき姻縁(えにし)をえ遂げざらんにや。げに人をして悲しましめたり。たちまちに馬は去り車は転じ、ことごとく往く雁、帰る(おほとり)となる[99]

(言う)文輔さまが去られて、今まで半年あまり、杳として音信はなく、身も心も落ち着かない。ほんとうに悲しいことだ。(唱う)

【小桃紅】腰肢(こし)は痩せ、芳容(かほ)は窶れて、雨を帯びたる梨花の重きがごときなり。翠被[100]()は消え、(なんぴと)かともにすべけん。思ひの窮まることはなく、音書(たより)を書けども送る人なし。魚雁は見えず、枕衾は空しく残れば、涙は滴り酥胸に満ちたり。

(梅)お嬢さま、なぜこのようにお痩せになった。

(旦が唱う)
【天浄紗】病厭厭と形容(かほ)は痩せ、寛綽綽と衣帯は(ゆる)み、(うるは)しき身は往にし日と異なりたるなり。悲しみはいとど加はり、幃屏に寄りて星眼は朦朧たるなり。

【調笑令】怒りを発し、天公(かみ)を怨めり。置き去りにされ、孤眠(しらね)する錦帳の(うち)。珠簾は巻かず金鈎は垂れ、南楼の画鼓の冬冬[101]たるを恐れぬ。良き夢が成りてまもなく、また塀の東となれり[102]。なにゆゑぞ夢の(うち)にも魚と水とはともにし難き。

【禿厮児】恨めしきは、画檐に鉄馬の丁東[103]たる、恨めしきは、寒山野寺に鐘の鳴りたる。恨めしきは、美はしき幽歓と好夢の覚むる。恨めしきは、花の枝の窓下に茂れる。

【聖薬王】昔を思へば、一夢の中、海棠亭に歓びはまさに濃きなり。宝髻は(ゆる)み、繍被は重かれど、覚めぬればなほも画屏の東にぞ在る。語るなく涙は溶溶。

【麻郎児】相思病(こひのやまひ)の重きを恨み、いやましに思へば涙はしとどなり。(まよね)を蹙め、憂へたる春山[104]を損なひて、凄凉(かなしみ)示したるなり。

【幺篇】(いたつき)に苛まれ、涙の多く、(もだへ)の重きは、満腹の愁衷(うれへ)ゆゑなり。ひとへに魚水がともになり難きため、ひとへに孤鸞寡鳳なるため。

【絡絲娘】粉花の箋を書きたれば更漏長く[105]、香肌玉容の痩せたるをもつぱら訴ふ。眉を描けば、人をぞいとど悲しましむる。

(言う)馬生が行った後、朝に思い暮に思い、病はますます重くなったが、どうしよう。梅香や、おいで。

(梅)お嬢さま、何のご用でございましょう。

(旦)ここ幾日か体が不調だから、医者を呼んで治療してもらいたいのだ。母上を呼んできて相談しよう。

(梅)ご隠居さま、いらっしゃってください。

(卜が登場)娘や、どうしたのだえ。

(旦)母上さま、体が不調でございます。どのように治しましょう。

(卜)娘や、はやく良医を呼んできて、すこし薬を呑めばよい。梅香や、はやく呼びにおゆき。

(梅が背を向ける)馬秀才さまがいらっしゃれば、わたしはすぐに良くなりましょう[106]。(呼ぶ)李郎中さま、いらっしゃいますか。

(浄が登場)わたしは李郎中[107]。とりたてて商売はせず、もっぱら薬でお金を稼いでいるものだ。わたしの優れた働きは、神仙の術によるもので、たちまち病は除かれる。家に一つの妙薬が伝わっており、もっぱら男女の恋の病を治している。さきほど董府尹さまのお家からお呼びがかかった。行かねばならぬ。(行き、梅に会う)娘さん、取り次いでくれ。

(梅が報せる)ご隠居さま、お医者さまをお呼びしました。

(卜)お通ししてくれ。(会う。卜)娘はすこし不調ですので、わざわざ先生をお招きして治療していただくのです。

(浄)呼び出してきて脈を診させてくださいまし。

(旦が出て会う)

(脈を診る。浄)この脈は重くて細うございます[108]

(卜)どのように治療しますか。

(浄)わたしはもっぱら恋の病を治しています。どうして薬がないことがございましょう。ご隠居さまに正直に申しあげます。わたしの薬は高うございます。

(卜)薬代は必ずお支払いします。

(浄)薬を集めましょう。

(旦)このお薬は何という名でございましょう。

(浄)撮病芙蓉散[109]でございます。(薬を与える)

(卜)梅香や、郎中さまに五銭の銀子を差し上げるのだ。

(浄)結構でございます。わたしは戻ってゆきましょう。(退場)

(卜)梅香や、娘をしばらく休ませるのだ。わたしは戻ってゆくとしよう。(退場)

(梅)お嬢さま、このお薬をお飲みになれば良くなりましょう。

(旦が唱う)
【東原楽】あのものは人を欺くことに長け、言ふことは筋が通らず、ますます人を重態にせり。でたらめはすべて空しく、いささかの効果さへなきものなれど、まことの処方なりと言ひ、われらを弄びたるなり。

【綿打絮】深き(とばり)は静かにて、寂しき庭こそ空しけれ。月輪(つきかげ)は紙と敷き[110]、幾つかの屏風(ついたて)のある。海棠の半ば酔ひ春睡の深きがごとく、鮫で緑鬢を隠したるなり[111]。情有る人はいづれの日にか逢ふべき。いつ高唐の夢に赴くことを得ん。

【拙魯速】花は落ち、緑は叢叢、いかでかは人をして涙盈盈たらしめざらん。万種の愁へに(まよね)を鎖ざし、清き夜は悠悠として、誰かはともにすることあらん。画檐の下に簾[112]は揺れ、はからずも離人[113]を葬らんとせり。鷓鴣は啼き、巫山の夢を覚ましたり。

【尾声】魚は沈み(かりがね)は杳としたれば、(たより)こそ送り難けれ[114]。千里の関山万重に隔てられたり。わが凶悪な母上の、鸞鳳を引き裂きたるを怨みたり。(退場)


第五折

(生が衣冠を着けて登場)わたしは馬文輔。京師に来て、受験して、一挙に状元に及第し、恩を蒙り、彩緞と官誥を賜わった。本日は聖恩に謝し、松江に戻り、夫人秀英を迎えよう。

駿歩[115]高騫[116]して紫宸に謁し、詞賦を学びて天を貫く人となる。丈夫(ますらを)は平生の志をば遂げんとし、年若くして引き立てを受帝里(みやこ)は春なり[117]

ほんとうに満足だ。(唱う)

【双調】【新水令】春雷は地を翻し青天(そら)を震はし[118]、平歩して広寒宮に上りたり[119]。風は烏帽[120]の整へるに吹き、日は錦袍の鮮やかなるを照らしたり。宴を開けば、この時はじめて丈夫(ますらを)の願ひは叶ひぬ。

【駐馬聴】十載(ととせ)心は堅ければ、金屋銀屏紫府仙にしぞ酬いたる[121]。その昔、貧賎にして、箪瓢陋巷[122]窮檐[123]に在りしをいかで忘るべき。官は高きもなほも憶ふは武陵源、身は栄ゆともそのかみの眷属をいかで忘れん。やうやくに合格すれど、今朝はまた旅路を踏めり。

(言う)歩くこと数日で、もう松江府に到着だ。馬を走らせ、すぐに屋敷へ行くとしよう。(到る)左右の者よ、ご隠居さまにお報せするのだ。(報せる)

(夫人が登場)馬文輔どのは首席状元となられ、今日戻ってこられたから、迎え入れなければならぬ。

(生が見る)

(卜)息子や、馬で疲れただろう。梅香や、娘を呼んできて学士どのに会わせるのだ。

(梅が走って登場)お嬢さまはどちらにいらっしゃいますか。

(旦が登場)小娘め、何の用事だえ。

(梅)ご主人さまが役人になって戻ってこられ、堂上にいらっしゃいます。ご隠居さまはわたしを遣わし、お嬢さまをお呼びなのでございます。

(旦)ほんとうかえ。

(梅)会われないおつもりですか。

(旦)今日があろうとは想わなかった。(会って挨拶する)

(旦)及第なさり、どのような官位を拝命なさいましたか。

(生)先祖の福徳により、状元に合格し、喜びにたえませぬ。

(旦が唱う)
【雁児落】誰か思はん、科場に入りて文藝の冠絶せんとは。金榜に名を載せたるは羨むに堪ふ。旧びたる布衣を脱ぎすて、金鑾殿[124]にただちに上りたまひたり。

【得勝令】今、束帯して朝廷に立ち、志を得て皇宣[125]を受く。翰苑[126]に列なり学士となり、金花を挿して玉筵[127]に飲む。凌煙に描かれて[128]、宝匣ははじめて出せり龍泉剣[129]。綿綿と富貴を享けて、芳名を立て大賢にしぞ見えたる。

(生)別れて一年あまり、さいわいにお嬢さまには家を維持していただきました。
(旦が唱う)

【水仙子】今日笑声(ゑみごゑ)は賑やかに、才郎は旧き(えにし)を述ぶるを得たり。相逢へば心の怨みは訴へ尽くせず[130]。かの時は(こころ)は惨然、別れてからは一年を経なんとしたり。恩愛の断たれんことをひたすら恐れ、帰りを待てども天のごとくに遠かりき。誰か知るべき今日になり団円(まどゐ)せんとは。

【折桂令】さひはひに今日はまた団円(まどゐ)することをぞ得たる。夫婦が逢ふは、前世の姻縁(えにし)あればなり。手を携へて、花前月下に、甜き(ことば)で笑ひさざめく。旧日(いにしひ)の恩愛は浅からず、海棠亭で嬋娟(たをやめ)に誓ひしことをなほ憶えたまひしや。黄榜に名を掲げられ、翰苑に抜擢せられ、平生の願ひを叶へたまひしは、ひとへに神天(かみ)のご差配ならん。

(使臣が登場)雷霆の号令を駆り、星斗の文章を(かがや)かせたり。

わたしは使命官。朝命を奉り、馬状元に官秩を加えにきた。はやくも着いた。状元よ、香を焚き、勅旨を受け取りにまいれ。

(生が跪く)

(使臣)勅旨である。「状元馬彬は、文武両全、博学宏詞であるために、翰林学士を授ける。その妻董氏は、操を変えなかったため、学士夫人に封じる。すみやかに馬を走らせ赴任して、朕の命に負かぬように。ゆえに勅する」。

(生が拝する)聖恩に感謝いたします。(唱う)
【沽美酒】香を焚き[131]、詔宣を受け取り、天使を拝し、喜びに顔は晴れたり。聖主の恩波は九天に遍く、金鑾宝殿に坐し、四海はなべて朝見す。

【太平令】幸ひに皇朝の文官は聡くして武官は余り[132]、徳性を養ひ(ことば)は重く名は伝はれり。姓は金章宝篆に列なりて、天下の黎民(たみ)は心地よくせり。ただ願はくは万年(よろづとせ)永遠(とことは)に、聖賢が天恩をお守りし、威光の四方八面を鎮めんことぞ。

(生)使臣さま、どうかお飲みください。

(使臣)結構でございます。これで失礼いたします。(退場)

(生が登場)賢い妻よ、今、聖旨が来て、すみやかに都に赴任せよとのことだが、どう思う。

(旦)わたしがどうして拒みましょう。

(生)それならば、弓兵よ、すみやかに車馬を調え、赴任しようぞ。(唱う)

【川撥棹】儀仗をば馬前に列ね、香車の簾を半ば巻きたり[133]。官誥は新たにて[134]、翠袖花鈿[135]、宝髻は雲と傾き[136]、天仙なるかと疑へり。嬉しげな(うつく)しき顔に笑まひを浮かべつつ、紫羅袍を身に着くるわれを見るなり。

【七弟兄】こなたにて進み出で、再会するぞ有り難き。本日、夫妻は平素の願ひを叶へたり。身は栄ゆとも海棠軒をな忘れそね。東牆に密会し、姻眷(めをと)となりき。

【梅花酒】われらは今ぞ旅路に登り、路を辿らん。いづれの時に到るべき、八水三川、西洛中原[137]。ぐづぐづとすることなかれ。絲鞭をば揮ひて砕き、馬の蹄は香塵を踏み、(らでん)の車は古道を穿てり。本日は、選任を受け、選任を受け、金鑾に行き、金鑾に行き、日月[138]の傍らで、日月の傍らで、皇宣を受け、皇宣を受け、古今にぞ伝へられなん[139]

(言う)思えば今は、このように、夫は栄え、妻は貴くなったが、あの時のことを忘れるわけにはゆかない。(唱う)

【収江南】思へばむかし五言詩を和し、句を連ね、七条(ななすぢ)の弦をもて旧き姻縁(えにし)のことを弾きてき。思へば海棠亭下にて盟言(ちかひ)を立てき。本日は二人は揃ひ、夫と妻は(みことのり)にてふたたび団円(まどゐ)することを得つ。

【鴛鴦煞】佳人才子は恋恋として、東牆の花の下にて姻眷となる。青編に記されて[140]、一挙に登科し、姓と名をしぞ顕はせる。男児は志を得て、瓊林宴をともに楽しみ[141]、玉堂に千古の名賢とぞならん。かく金榜に名を題し、万代(よろづよ)にしぞ顕はれん。

 

題目 老夫人急配好姻縁 小梅香暗把詩詞逓
正名 馬文輔平歩上鰲頭 董秀英花月東牆記

 

最終更新日:201113

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[1]未詳。

[2]陝西省の県名。

[3]原文「雪案蛍窓」。いうまでもなく、晋の孫康が雪の光で、車胤が蛍の光で書を読んだという、『晋書』孫康伝、車胤伝の故事に基づく言葉で、苦学の喩え。

[4]子供同士が夫婦である間柄。

[5]皇帝がみずから行う殿試。

[6]春の三ヶ月のこと。春。

[7]婦女が刺繍をする部屋。

[8]原文「垂柳黄」。柳の黄色い新芽がびっしり出てきたことを言ったもの。

[9]都の郊外の道路。

[10]処女のいる部屋。

[11]素女は神女の名だが、ここでは文脈からして処女のことであろう。張衡『思玄賦』「素女撫絃而餘音兮」注「高誘淮南子注曰、素女、黄帝時方術之女也」。

[12]うららかな春の光。

[13]原文「憔悴了玉肌金粉」。「金粉」は白粉のこと。ここでは、それを塗った人のこと。『古今注』「紂焼鉛為粉、名曰胡粉、又名鉛粉、蕭史錬飛雪丹、与弄玉塗之、後因曰鉛華曰金粉、今水銀膩粉是也」。

[14]原文「又疑春老樹南枝」。未詳。

[15]原文「我只見楊柳横牆易得春」。『佩文韻府』引戴復古詩「杏花時節偏饒雨、楊柳門牆易得春」。

[16]原文「非為狂心所使、乃人之大倫」。狂おしい心からこうしているのではなく、男女の結婚は人にとって大切な道徳であるからこうするのだということであろう。後注参照。

[17]原文「有韓文柳文」。韓は韓愈、柳は柳宗元。いうまでもなく、いずれも唐宋八大家の一人であり、文章家として著名。「韓文柳文」はここでは馬文輔の優れた文章の喩え。

[18]原文「読斉論魯論」。「斉論」は斉人の伝えた論語の別本のこと。「魯論」は魯人の伝えた論語で、現在の論語に当たる。漢代、論語に斉論、古論、魯論があった。

[19]原文「幾時得成秦晉」。「秦晉」は春秋時代、秦と晉が代々婚姻を成していたことから、婚姻のこと。

[20]原文「都只為美貌潘安、仁者能仁」。潘安は潘岳。晋の文人。美男であったことで有名。ここでは馬文輔の喩え。「仁者能仁」は「仁者安仁」の誤りであろう。『論語』里仁にこの句が見える。また、潘岳の字を安仁という。

[21]原文「愁潘病沈教人恨」。「潘」は潘岳、「沈」は沈約。いずれも美男として名高い。ここでは馬文輔の喩え。

[22]原文「似這等含情掩臥象牙床」。「象牙床」は象牙の蓆を敷いた牀。象牙の蓆の写真は、西武美術館等編『北京故宮博物院展図録』。

[23]原文「你道是阻東牆難会碧紗厨」。「碧紗厨」は「碧紗籠」に同じいか。「碧紗籠」は寺に寄食していた王播が諸僧に厭悪されたが、後にかれが出世すると、寺に書き付けてあったかれの詩が碧紗で掩われていたという、『唐摭言』の故事に基づく言葉。「難会碧紗厨」のの「碧紗厨」は、将来出世する書生の喩えか。唐摭言』巻七「王播少孤貧、嘗客揚州恵昭寺木蘭院、随僧斎餐。諸僧厭怠、播至、已飯矣。後二紀、播自重位出鎮是邦、因訪旧遊、向之題已皆碧紗幕其上。播継以二絶句曰、二十年前此院遊、木蘭花発院新修。而今再到経行処、樹老無花僧白頭。上堂已了各西東、慚愧闍黎飯後鐘。二十年来塵撲面、如今始得碧紗籠」。

[24]原文「似俺這乾荷葉那討霊犀潤」。乾荷葉」は「似俺這」とあることからして、董秀英や梅香を喩えていること間違いないが、含意は未詳。「霊犀潤」は「霊犀通」に同じ。霊犀の角には根元から先端まで白い筋が通じているといわれることから、心が通じ合うことの喩え。李商隠『無題』「身無彩鳳双飛翼、心有霊犀一点通」。『漢書』西域伝「自是之後、明珠、文甲、通犀、翠羽之珍盈於後宮」注「如淳曰…通犀、中央色白、通両頭」。「霊犀通」と言わずに「霊犀潤」としているのは押韻のためと、直前で、「荷葉」という言葉を使っているため。

[25]沈香と白檀。

[26]原文「鎖定眉尖春恨」。春恨は春の物思い。ここでは恋愛の感情であろう。

[27]原文「越加上鬼病三分」。「三分」は三割。この句、恋の病がますます重くなったという趣旨。

[28]原文「合晩至黄昏」。「合晩」が未詳。とりあえずこう解釈する。

[29]原文「串香焚被冷誰温」。「串香」は未詳。

[30]玉のように美しい人。恋人。ここでは馬文輔をさす。

[31]原文「我将這海棠花分付与東君」。「東君」は文脈からして明らかに馬文輔を指しているのだが、なぜかれを「東君」というのかが未詳。「東君」は普通は、春の神、また主人のこと。

[32]原文「宝釵斜挿碧雲鬟」。鬟はまげ。雲に喩えられ、雲鬟という言葉もある。

[33]原文「你放下香車者」。「香車」が未詳。普通は七香車のことで、香木で作った婦人用の車だが、ここでは場違いであろう。「香几」などの誤字ではないか。

[34]原文「降明香問天求聘」。「降明香」が未詳。後ろにも出てくる。「問」は「向」に同じ。

[35]原文「盼佳期井底銀瓶」。白居易に『井底引銀瓶(止淫奔也)』という詩があり、「井底引銀瓶、銀瓶欲上絲縄絶。石上磨玉簪、玉簪欲成中央折」という句から始まって、私奔する女性の憐れな結末を述べる。「盼佳期井底銀瓶」は董秀英が私奔を臨んでいることを述べたもの。

[36]琴。弦を氷蚕糸で作ったもの。『拾遺記』員興山「有氷蚕、長七寸、黒色有角有鱗、以霜雪覆之、然後作蠒、長一尺、其色五彩、織為文錦、入水不濡、以之投火、経宿不燎」。

[37]琴。

[38]精神不安定のさま。

[39]夜に時を報じる漏刻。

[40]原文「鳳求鸞曲未成」。「鳳」「鸞」は才子佳人の喩え。

[41]蔡邕は呉人が桐を焼いている音を聞き、それが良木であることを知り、焦尾琴という琴を作った。『後漢書』蔡邕呉人有焼桐以爨者、邕聞火烈之声、知其良木、因請而裁為琴、果有美音、而其尾猶焦、故時人名曰焦尾琴焉」。

[42]原文「幾時得同衾共枕銷金帳」。「銷金帳」は金の顔料を散らした美しい帳。銷金については周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』六百七十頁参照。

[43]人気のない門。

[44]原文「孤幃裏翠減香消」。孤幃は独り寝のとばり。「翠減香消」は容色の衰えることと思われるが未詳。

[45]原文「誰想是旧日劉郎到武陵」。劉郎は劉晨のこと。天台山の桃源で仙女に見えた話が『幽明録』に見える。ここでは馬文輔の喩え。

[46]独り身の鸞や鳳。「鸞」「鳳」は才子佳人の喩え。

[47]垂れ幕の仕切り。

[48]原文「照不到天明」。未詳。

[49]『佩文韻府』引『古逸詩』「福至心霊、禍来神昧」。

[50]原文「精通理性」。未詳。

[51]未詳。三千世界のことか。

[52]巫山十二峰。望霞、翠屏、朝雲、松巒、集仙、聚鶴、浄壇、上昇、起雲、飛鳳、登龍、龍泉。巫山の神女と楚の襄王の契りを述べる『高唐賦』を連想させる句。前注参照。

[53]原文「勿問詩中意」。前後とのつながりが未詳。

[54]原文「恰便似龍蛇弄影」。「龍蛇」は草書の喩え。

[55]子建は曹子建。曹植のこと。文才があったことで有名。

[56]原文「筆掃千兵」。典故がありそうだが未詳。

[57]原文「卜金銭祷告神霊」。「金銭」は銅銭のこと。「卜金銭」は銅銭を用いて占いすること。

[58]原文「生前禽演分明判」。占いの一種である演禽について述べた句。演禽は禽星によって人の吉凶を占うこと。陳永正主編『中国方術大辞典』三百四十三頁参照。禽星は星禽ともいい、二十八宿、五行に動物を配したもの。陳永正主編『中国方術大辞典』三百三十九頁参照。

[59]原文「都来増下」。まったく未詳。

[60]彩色したひさし。

[61]風鈴。

[62]化粧鏡。

[63]原文「一派黄河九遍清、貞烈性」。「貞烈性」は前と繋がっていて、自分の節操は永遠に変わらないことを述べた句であると解す。

[64]原文「便做道鉄石般只恁心腸硬、都写入愁懐喚不省」。「喚不省」が未詳。

[65]原文「何時得否極生泰」。「否極生泰」は凶が去り、吉が訪れることをいう常套句。「否」「泰」ともに易の卦の名で、「否」は天地が交わらず、万物が通じない卦。「泰」は乾坤交和し、百事通じ、安泰の象。

[66]潘安は晋の潘岳のこと。字が安仁。美男であったことで有名。ただ、かれが痩せていたという話の典拠は未詳。同じく美男であった沈約と混同しているか。沈約は徐勉に送った手紙の中で、痩せたために革帯の孔を移さなければならないと述べていることが、『梁書』沈約伝に記されている。

[67]唐代の名妓。ここでは董秀英の喩え。

[68]原文「你只要摟帯同心結不開」。「摟帯」は裙の帯。同心結は結び方の一種写真

[69]原文「盼殺楚陽台」。陽台は、楚の襄王が高唐に遊んだとき、陽台の下で、朝には雲となり、夕べには雨となるという巫山の神女を夢みて、これとちぎったことを述べる宋玉『高唐賦』にちなみ、男女が交情をする場所のこと。

[70]原文「好意挨、舒心害」。未詳。とりあえずこう訳す。

[71]主語は梅香。

[72]原文「問你個病襄王在也不在」。「襄王」は『高唐賦』に出てくる楚の襄王のこと。ここでは馬文輔の喩え。前注参照。

[73]主語は梅香であろう。

[74]原文「中間梗概、比那嚇蛮書賽也不賽」。「嚇蛮書」は李白が蛮族を威嚇するために送ったとされる書信。元曲には用例が多いが、典拠は未詳。後世の『警世通言』にも「李謫仙酔草嚇蛮書」あり。

[75]彩色を施した楼閣。

[76]仏教語。須弥山の最も高いところをいう。中国の戯曲小説では、男女の生別死別の状況をたとえるためにしばしば用いられる。

[77]『論語』季子「孔子曰、君子有三戒、少之時、血気未定、戒之在色」。

[78]原文「怎[門坐」思量的無聊ョ」。未詳。とりあえずこう訳す。

[79] 原文「俺両個少欠下相思債、自裁自改」。「自裁自改」は「自栽自該」に同じ。自業自得、身から出た錆。

[80]原文「小生這病害的著了」。「害的著」が未詳。とりあえずこう訳す。

[81]原文「古人言知過必改」。「知過必改」は『千字文』に出てくる言葉。

[82]原文「便休道賢賢易色」。「賢賢易色」は賢者を敬い、色欲に易えること。『論語』学而。

[83]男女の結婚は人にとって大切な道徳であるということ。「居室」は男女が結婚して同じ家にいること。結婚すること。この句、万章に、舜はどうして父母に告げずに妻を娶ったかと尋ねられた孟子が言ったこと。『孟子』万章上「万章問曰、詩云、娶妻如之何。必告父母。信斯言也、宜莫如舜。舜之不告而娶、何也。孟子曰、告則不得娶。男女居室、人之大倫也。如告、則廃人之大倫、以懟父母、是以不告也」。

[84]長い裙。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百七十八頁参照。

[85]原文「衫児扭扣松」。「扭扣」は布で作った釦。

[86]原文「酥胸粉腕天然態」。「酥胸」は白く滑らかな胸。「粉腕」は未詳だが、白粉を塗った、あるいは白粉を塗ったように白い腕であろう。

[87]原文「楚腰似柳嬌尤軟」。「楚腰」は楚の霊王が細腰を好んだことから、細腰のこと。『韓非子』二柄「霊王好細、而国中多餓人」。

[88]原文「軽蝉鬢軃烏雲乱」。

[89]高く結い上げたまげ。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』三百三十七頁参照。

[90]白粉の溶けた汗。

[91]紗羅。うすぎぬ。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』四百九十四頁参照。

[92]原文「点点猩紅映瑩白」。「猩紅」はここでは性交によって女が流した血。「瑩白」は牀に敷かれた香羅のことと解す。

[93]原文「相思一筆勾」。恋煩いはすべて解消されたということであろう。

[94]『論語』郷党。

[95]原文「常言道有其父必有其子」。『孔叢子』居衛「有此父斯有此子、道之常也」。

[96]原文「孩児」。婿にしたので、こう呼びかけている。

[97]科挙に臨む書生の意気盛んなことを示す、元曲の常套句。『凍蘇秦』『対玉梳』『金鳳釵』などに用例あり。

[98]原文「眼見的枕剰衾空、怎挨這更長漏永」。「更長漏永」は「更漏」が「長」であり「永」であるということ。更漏は時を報じる漏刻。転じて時間。

[99]原文「霎時間去馬回車、都做了往雁帰鴻」。「去馬」「回車」いずれも馬文輔が自分のもとを去ってゆくことを述べたもの。「往雁」「帰鴻」も馬文輔の喩え。

[100]カワセミの模様のある掛け布団。

[101]擬音。とんとん。

[102]原文「我這裏好夢初成、又成牆東」。夢の中で馬文輔と会ったが、夢の中でも塀で隔てられたことを述べていると解す。

[103]擬音語。ティントン。

[104]眉のこと。

[105]原文「粉花箋写下更長漏永」。「粉花箋」は模様つきの詩箋かと思われるが未詳。

[106]原文「除是馬秀才来、我就好了」。「我」の後に「姐姐」などが脱けているか。

[107]「郎中」は固有名詞ではなく医者のこと。宋代、医官を郎中と称したことから。

[108]原文「此脈沈細」。医学の用語で「沈脈」「細脈」というものがある。謝観等編著『中国医学大辞典』六百一、八百八十頁参照。

[109]撮病芙蓉散は未詳。芙蓉散という薬は、謝観等編著『中国医学大辞典』六百三十九頁に見える。

[110]原文「月輪展紙」。未詳。白い月影が一面に布かれた紙のようだといっているものと解す。

[111]原文「鮫綃上緑鬢擁」。どういう情況を述べているのか未詳。とりあえずこう訳す。「鮫綃」は人魚のうすぎぬ。水に入っても濡れないという。『述異記』巻上「南海出鮫綃紗、泉室潜織、一名龍紗。其価百余金、以為服、入水不濡」。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』四百九十頁参照。

[112]すだれ。

[113]夫と別れた妻。

[114]原文「魚沈雁杳音難送」。「魚」「雁」いずれも手紙を届けるとされる。「魚書」「雁札」といえば手紙のこと。「魚書」は『飲馬長城窟行』「客従遠方来、遺我双鯉魚。呼児烹鯉魚、中有尺素書」に基づく言葉。「雁札」はいうまでもなく、蘇武が匈奴に捕らわれたとき、雁に手紙をつけて漢に送った『漢書』蘇武伝の故事に基づく言葉。

[115]聡明の士をいう。

[116]高く上がること。ここでは科挙の合格を喩えるか。

[117]原文「年少先栽帝裏春」。「栽」が未詳。とりあえずこう訳す。

[118]原文「春雷掲地震青天」。「掲地震青天」は「掲地掀天」「翻天覆地」に同じ。きわめて大きな変化の喩え。ここでは馬文輔の科挙合格の喩え。「平地一声雷」という言い回しもあり、科挙合格の喩えとして、元曲ではしばしば用いられる言葉だが、「春雷掲地震青天」はこれとも同趣旨であろう。

[119]原文「平歩上広寒宮殿」。「広寒宮」は月宮のこと。「上広寒宮殿」は科挙合格の喩え。科挙合格を「折桂」と称するが、これは月宮の桂を折ること。

[120]烏巾。黒い頭巾。

[121]原文「酬志了金屋銀屏紫府仙」。「金屋銀屏紫府仙」は董秀英の喩えであると解す。「金屋」は『漢武故事』に見える言葉で、漢の武帝が阿嬌を住まわせた建物。「銀屏」は特に典故はないと思われる。「金屋」の対の言葉として用いられているのであろう。「紫府」は「紫府宮」のことで、『海内十洲記』に見え、仙女が遊ぶ地という。『海内十洲記』長洲「長洲一名青邱、有風山、山恒震声、有紫府宮、天真仙女遊於此地」。

[122]『論語』雍也「子曰、賢哉回也。一食、一飲、在陋巷」。

[123]貧家。

[124]翰林院。

[125]宣旨。

[126]翰林院。

[127]瓊筵に同じいであろう。謝朓『始出尚書省』「既通金閨籍、復酌瓊筵醴」注「瓊筵、謂天子宴群臣之席、言瓊者、珍美言之」。

[128]原文「標写在凌煙」。「凌煙」は凌煙閣のことで、唐の太宗が功臣二十四名の画像を描かせた楼閣。

[129]豫章の雷煥が石函の中から掘り出した龍泉剣のこと。『晋書』張華伝に見える。

[130]原文「相逢訴不尽心中怨」。今までの辛い思いは言い尽くせないほどであるという趣旨に解す。

[131]原文「降明香」。未詳。とりあえずこう訳す。

[132]原文「托皇朝文能武羨」。「武羨」は未詳。この句、大平の世、文官はよく働くが、武官は働く機会がないので余り気味だという趣旨と解す。

[133]原文「把香車簾半巻」。「香車」は七香車に同じ。さまざまな香木で作つた車という。

[134]官吏を任命する辞令。

[135]翠袖は緑色の袖。花鈿は額飾り。写真

[136]原文「宝髻雲偏」。「宝髻」は高く結い上げたまげ。この句、雲のようなまげが傾いているさまをのべたものであろう。「雲髻」という言葉もある。

[137]原文「幾時到八水三川、西洛中原」。「八水」は関中地方を流れる八つの河。八川。司馬相如『上林賦』「蕩蕩乎八川分流」注「善曰、潘岳関中記曰、、渭、灞、滻、、鄗、潦、潏、凡八川」。「三川」は関中地方を流れる三つの川。水、渭水、洛水。西洛は河南省西部。中原は、黄河流域、河南省一帯。

[138]皇帝と皇后のこと。

[139]原文「古今伝」。永遠に伝えられるということであろう。視点が作者白仁甫の時代に置かれているのであろう。

[140]原文「標写青編」。「青編」は青史。

[141]宋代、進士合格者に、天子が瓊林苑で賜わった宴のこと。『宋史』選挙志一科目上「八年、進士、諸科始試律義十道、進士免帖経。明年、惟諸科試律、進士復帖経。進士始分三甲。自是錫宴就瓊林苑」。

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