山神廟裴度還帯

第一折
(冲末の王員外が旦児、浄の家童とともに登場)(王員外)耕す牛に宵越しの食料はなく、倉の鼠にあり余る食糧があり。万事はすでに定められ、浮生はむなしく忙はし[1]

わたしは汴梁の人、姓は王、名は栄、字は彦実。二人家族で、女房は劉氏。汴梁城で質屋を開き、家にはすこぶる資産があるため、人々は王員外と呼んでいる。こちらには、姓は裴、名は度、字は中立というものがいる。かれの母親はわが女房の実の姉、かれら夫婦は亡くなったのだが、かれは商いしようとはせず、毎日ひたすら書を読んで、家にも住まず、城外の山神廟に泊まっていると言っている。妻よ。

(旦児)員外さま、何のお話しにございましょう。

(員外)幾たびか人を遣わし、裴度を来させ、いささかのお金を与え、いささかの商売をさせようとしたのだが、かたくなに来ようとしない。

(旦児)あのひとは傲慢でございます。構われてどうなさいます。

(員外)かれの両親の顔を立てているのだ。かれが来たら、多かれ少なかれお金をやれ。人を遣わし、かれを訪ねにゆかせたが、今日来ると言っていた。来たら、おのずと考えがある。

(正末が登場)わたしは姓は裴、名は度、字は中立といい、原籍は河東聞喜県の人。幼くして儒学を習い、すこぶる詩書を読んではいるが、一貧は洗うかのよう。洛陽に王員外という人がいる。このひとの女房はわたしの母の実の妹。おじはしばしば人を遣わし、呼んでいるのだが、わたしは行ったことはない。わたしは故郷を離れ、洛陽に来て数日捜した。今日は行かなければならない。思うにわれらは志を得ないときには、時を待ち、分を守るべきだろう。いつになったら出世するやら。(唱う)

【仙呂】【点絳唇】今、匣の(つるぎ)は塵に埋もれて、壁の(をごと)は土に蓋はれ、三十路となれり。髭、鬢の斑白(ごましほ)なるを憂へども、窮途の(かり)を返しつくせず[2]

【混江龍】いづれのときにか否の極まりて泰を生ずることを得ん[3]。他の人は青雲に独歩して瑶階[4]に立ち、三千の珠履を並べて[5]、十二の金釵を列ねたれども[6]、わたしは丹鳳楼前で春に合格するを得ず[7]蒺藜(はまびし)沙上(かはべ)に野花の開くに伴ふ[8]。幸運は至らざれども、ひたすら心を安らかにして耐ふるほかなし。ひさしく桑枢甕牖[9]に留まれば、いつ画閣楼台に住むを得ん。

(正末)ある人は言う。「裴中立どの、満腹の教養がおありですから、苦しい時は、数人の知り合いに身を寄せて、何句かの詩を作れば、いささかのお恵みを得ることができましょう」と。おんみはご存じないのです。(唱う)

【油葫蘆】安楽の(ねぐら)にひとまず避けんとす、便時(よきとき)の訪れざるをいかんせん。思へば紅塵万丈は賢才を困しめたるなり。なんぴとか魯大夫のごとくみづからかれの千斛の麦を贈らん[10]。なんぴとか龐居士のごとく来生債を貸すべけん[11]。田孟嘗の逝きてより、(なんぴと)か剣客を養ふべけん[12]。腰を折り、脊を曲げ、詩を売り、旧友を()ひ、仲間を捜さん。

【天下楽】「十たび朱門に謁するも九たび開かず」、あのやうな朽木の材に耐ふるは難し、耐ふるは難し[13]。ことごとく知らんぷりして体裁をいささか繕ふ。かのものたちは肚腸(はらわた)は細く、胸次(こころ)は狭く、眼皮(まぶた)は薄く、度量は(せま)し。

(言う)このような人々は、本性が変わるのは難しく、

(唱う)「山河(やまかは)は容易に改まりたれど」とぞいはれたる[14]

(正末)もう着いた。取り次いでくれ。裴中立が入り口におりますと。

(家童)こちらにいらっしゃってください。お取り次ぎいたしましょう。員外さま、裴中立さまが入り口にいらっしゃいます。

(員外)通せ。

(家童)かしこまりました。員外さま、どうぞ。

(正末が見える)おじさん、おばさん、お掛けください。わたくしの拝礼をお受けください。

(旦児)裴度や、ご両親が亡くなった後、おまえは半人前にもならず、いささかの商売もしようとはせず、毎日ひたすら読書している。わたしは思う。本を読む貧乏書生にどのような良いことがあり、いつ出世できるのだろうと。

(正末)おばさまはご存じないのでございます。聖人はのたもうています。「富家は美田を買ふを須ゐず、書中におのづと千鍾の(ぞく)があれば」と[15]。わたくしは貧賎ではありますが、身は貧しくても志は貧しくはございませぬ。

(員外)妻よ、人々はかれは気位が高いと言っているが、その通りだわい。わたしは古今のことに通じていないが、おまえは書を読む人だから、人たるものの道理を話せ。聴いてみようぞ。

(旦児)誰がおまえの説教を聴くものか[16]

(正末が唱う)
【那
令】人倫を正し、道統を伝へしは、偉大なる堯。綱常を(をさ)め、典謨[17](をし)へしは、賢明なる孔[18]。邦君のごと反坫を持ち、(じゆ)して門をば塞ぎしは、管仲の器量の小さきためならん[19]。風俗を整へ、後人に遺し、洪範を立て、先代を承け、情性を養ひ、徳を抱き、才を(いだ)けり。

(旦児)「才を(いだ)く」か。「才を(いだ)く」か。それよりもお腹一杯食事をおしよ。

(正末が唱う)
【鵲踏枝】虀塩[20](さだめ)にいかでかは耐へん。時運と興廃、(はか)るは難し。四聖[21]十哲[22]をば配し、七政三才[23]をば定む。君王は聖明にして四海を威伏し、廟堂の臣は八輔[24]と三台[25]なるべし。

(旦児)満腹の教養を持っていたとて無駄なこと。商人の楽しいのには及びませぬ。このように気位が高く、わたしたちの家に来ようとせぬとは。頻繁にやってきても、わたしも追いはらいはしないよ。

(正末が唱う)
【寄生草】わが運命は薄きこと紙のやう、なが侯門は深きこと海のごと[26]十年(ととせ)むなしく青灯に耐ふ。黄虀の(かり)を半生返さざれども[27]、かならずや一身は紅塵の外に跳び出ん。

(員外)このように貧しい顔で、いつ出世できるやら。

(正末が唱う)な笑ひそ孤寒の裴度の閭檐(むらざと)に困しみたるを、

(言う)苦しみを受けたのはわたしだけではなく、

(唱う)孔聖さへも陳、蔡に食糧を絶たれしことあり[28]

(員外)妻よ、聴け。口を開けば古今のことを引っ張ってくる。

(旦児)裴度や、おじさんに倣って商売するのだよ。元手がないなら、元手をやろう。利益を得れば、ほんとうに見栄えがよかろう。本を読むよりましだろう。本を読むのにどのような良いことがあるのだえ。

(正末が唱う)
【後庭花】書を読みそ、商売せよと仰れり。貧乏臭さを除きさり、いささか見栄えよくせんとしたまへり。あなたはまさに道を得て経紀(なりはひ)を誇りたるなり、わたしはまさに「人となるのは易からず[29]」。

(旦児)貧しいには貧しいが、気位は高い。

(正末が唱う)わが胸に江淮は巻き、(こころ)はすでに青霄雲外にしぞある。窮途に嘆く年少の客、たちまちに運勢は悪しくなりたり。いつの日か威風を示し、浅埃を出で、雲雷を起こし、気色を変へん[30]

【青哥児】かならずや壇に登りて、壇に登りて、帥となり、妖氛を掃ひ、蛮貊をしぞ鎮めてん。見よわれは国を安んじ、相となるべし。その時は、日に千級を昇進し、喜びの笑みは(ほほ)に盈ち、印を懸け、牌を掛け、金鼎蓮花碧油幢に坐し[31]、ひらひらと繍旗を列ねん。その時は、見よわれは青史にぞ名を載すべけん。

(旦児)ほんとうは食事をさせてやろうと思っていたのだが、そのように大口を叩くなら、食事もお金もやらないよ。出ていってくれ。

(正末)一片の雲が頭を蔽ふのみにて、他の人の下には居らじ。

(旦児)そんな顔では、一生出世できないだろう。出ていってくれ。

(正末)ほんとうに無礼だな。あなたがしばしば人を遣わし、呼んでいたから、こちらに来たのに、こんな言葉で侮辱するとは。仕方ない。凍えて死のうと餓えて死のうと、二度とあなたのお家には参りませぬ。(唱う)

【尾声】かれはひたすら紫羅襴と黄金帯に期待したまへり。「吾はあに匏瓜ならんや[32]」。くはふるにわたしがあなたの門前の下馬台を辱むるを恐れたまへり[33]。いつの日か簪纓[34]に列なりて画戟[35]は門に(なら)ぶべし、瓊林宴[36]に花は(かぶり)の檐を圧して歪めしめ、天香は宮錦の襟懐に染むべし。見よやわたしは春風に半ば酔ひ、笑まひは(ほほ)に満つべけん。紫絲の(たづな)をゆつくり揺らし、三檐傘と雲蓋を添ふ[37]。安心すべし。満頭に風雪を帯び戻りきたらんはずはなし。(退場)

(員外)妻よ、裴度は行ってしまった。

(旦児)行きました。

(員外)あれはいささかわたしを咎めているだろう。

(旦児)もちろんでございます。

(員外)妻よ、おまえは分からぬだろうが、さきほど裴度を見たところ、あのものは尋常のものではなく、将来きっと出世しよう。わたしはおのずと考えがある。今はわたしを咎めているが、やがてわたしに遅まきながら感謝しようぞ。今日はする事もないから、白馬寺へ行こう。(退場)

(旦)食事を調え、員外さまが食べにくるのを待つとしよう。とりあえず奥の間に戻ってゆこう。(退場)

第二折
(長老が浄の行者を連れて登場)老いぬれば禅僧は階を下ることなく、両の(まよね)は雪のごとくに分かれたり。年は幾ばくなると尋ぬる人ぞある、(たにがは)の枯れたる松はわたしが栽ゑしものぞかし。

拙僧は汴梁白馬寺の長老。幼いときから俗世を捨てて出家して、白馬寺で修行している。四方の客人は、みな寺に遊覧しにくる。こちらには秀才がおり、姓は裴、名は度、字は中立という。この人は文武両道ではあるが、いかんせん時運に恵まれてはいない。この人は毎日寺に来、拙僧は三度の斎食(とき)で持てなしている。今日は何事もないから、方丈に閑坐している。行者よ、入り口で見張りせよ。誰かが来たぞ。

(浄の行者)阿弥陀仏。阿弥陀仏。南無こなごなの(にんにく)で羊頭を食べ、娑婆娑婆、抹奶抹奶(モナイモナイ)[38]。かしこまりました。

(王員外が登場)わたしは王彦実、この白馬寺にやってきた。行者よ、お師匠さまはいらっしゃるか。

(浄の行者)師匠は居りませぬ[39]

(員外)どちらへ行かれた。

(浄の行者)尼寺へ満月のお祝いにゆきました。

(員外)取り次いでくれ。王員外が入り口におりますと。

(浄の行者)冗談を申しあげました。お師匠さま、王員外さまが入り口にいらっしゃいます。

(長老)お通ししろ。

(浄の行者)どうぞ。(会う)

(長老)員外さまはなにゆえに来られましたか。お掛け下さい。

(員外)用がなければ参りませぬ。お尋ねしますが、長者さま、裴中立がここ幾日か来ておりますか。毎日会ってらっしゃいますか。

(長老)一日中、この寺にいらっしゃいます。

(員外)長老さま、一つお頼みすることがございます。二つの銀子を置いてゆきます。裴度が来ましたら……(耳打ちする)

(長老)員外さま、ご安心ください。すべて拙僧が引き受けました。お茶を飲みにゆかれませ。

(浄の行者)ぺこぺこと茶を入れてくる[40]

(員外)お茶を頂くには及びませぬ。長老さま、失礼しました。門を出た。わたしはどうして裴度をわが家に住まわせないのか。あのものが功名を得られないのを恐れているのだ。

胸中の志気は虹霓(にじ)を吐けども、文才はあるものの福分はなし。一朝にして遥かな雲路に飛びあがり、白襴を脱ぎ、紫衣に換ふべし。(退場)

(長老)員外さまは行ってしまった。拙僧は毎日斎食(とき)を用意しているが、そろそろ裴中立が来るだろう。

(正末が登場)わたしは裴度。おば、おじに辱められ、怨みを抱き、忘れはしない。白馬寺の長老の世話になり、一日三度の斎食を、欠かされたことはなく、清談するたび、清らかな趣に接している。毎日、寺で三度の斎食をとり、晩になると城南の山神廟に泊まっている。今は冬、今朝起きて、廟を出た時はまだ晴れていたが、城に入ってきたときは一天の風と雪、紛紛と国家祥瑞(ゆき)が降っている。ほんとうに激しい雪だ。(唱う)

【南呂】【一枝花】あたかも梅花があまねく開き、柳絮が風に舞へるがごとし。山はみな痩嶺[41]にして、花の飛ばざる処なし。凛冽として風は吹き、風は雪へと纏はりて銀鵝[42]は戯れ、雪は風へと纏はりて玉馬[43]は垂れたり。(そまびと)(しよいこ)を荷ひてむなしく戻り、釣する叟は蓑を()て起くるに懶し。

【梁州】道路に歩む人は絶え、園林に凍ゆる鳥はしば啼けり。今、袁安[44]は高臥して門を閉づらん。今、梅を見んとする(こころ)は懶く[45]、戴を訪ぬる心は冷めて[46]、茶を湧かすものは楽しみを得て、雪に(ふみ)読むものは悲しむ[47]。氷雪堂に凍ゆる蘇秦は張儀に見ゆることに倦み[48]、藍関に孝韓湘は昌黎に遇ふを喜ぶ[49]。わたしは、わたしは、飄り、(まなこ)は眩めき、来しかたと行くすゑを認めえず、まことに、まことに、心は恍惚(ぼんやり)、東西と南北を辨じ得ず、ああ、ああ、ああ、この路に満ちたれば[50]、遠近と高低を判じ得ず。瓊姫[51]の素衣は、紛紛として巧みに剪れば鵝毛の細かさ。八百万の玉龍と戦ひて退かしむれば、鱗甲は縦横に上下に飛べり[52]。げにこそ馮夷はましけれ[53]

(正末)雪はますますはげしく降っている。(唱う)

【隔尾】今まさに、僧舍に乱れ飄り茶煙は湿り、歌楼に密に灑げば酒力は微なるなり[54]、青山も白頭となり塵世に老ゆ。一時半刻に及ばざるうち、周囲四壁は、氷壺の画図の(うち)に在り。

(正末)もう着いた。方丈に入った。取り次ぐ人がいないから、そのまま行こう。

(長老に見える)

(浄の行者)裴秀才さまが来た。取り次ごう。裴秀才さまが入り口にいらっしゃいます。

(長老)さきほど話をしたのだが、裴秀才がやってきた。お掛けください。行者よ、茶を持て。斎食も持ってこい。裴秀才さまはまだお食事をしてらっしゃらぬ。

(浄の行者)お斎食をお持ちしました。小葱鍋焼肝白腸[55]でございます。

(正末)お師匠さまには手厚いお持てなしを受けまして。このご恩は終生忘れはいたしませぬ。後日、かならず手厚くお礼いたしましょう。

(長老)中立どの、ご遠慮なく。お気になさらないでください。お持てなしするものがなく、ひとまず微意を尽くしたまででございます。

(正末が唱う)
【牧羊関】念へばわたしは白屋に居り、布衣にし居れば、長老さまのご慈悲におほいに感謝せん。縁は薄きに、お師匠さまの手厚きおもてなしを承け、一日もむなしく過ごすことはなく、まるまる三度(みたび)の斎食に飽く。患難にあるわたしを憐れみたまひたれども、ゆくゆく出世するを得ばおんみに報いん。

(長老)先生、ちかごろは村里や市井の徒がにわか成金となっていますが、人柄は尊大で、富者に従い、貧者に驕っておりまする。先生は満腹の才学があり、人柄は誠実ですのに、無位無冠です。善と悪とは別々ですのに、嘆かずにいられましょうか。

(正末)お師匠さまはご存じないのでございます。今、軽薄才子が、容色を重んじ、賢者を軽んじているのは、いわゆる井の中の蛙にすぎず、歯牙に掛けるに足りませぬ。(唱う)

【罵玉郎】貧者を嫌ひ、富者を愛するこわつぱどもは、貧しきわたしに傲り高ぶり、富みたるかれに付き従へり。鰥寡孤独を憐れみて仁義を存することぞなき。富貴を恃み、千万の悪行をなし、強きを誇れり。

(長老)秀才さまはほんとうに英才で、他人とは異なっていらっしゃいます。

(正末が唱う)
【感皇恩】かのものたちは、暖衣飽食なることと、聡明伶俐なることをひけらかしたり。かのものたちの偽りの文談と、でたらめの受け答へ、強引なごまかしをいかで聴くべき。市井より出で、雄威を誇り、いささかの名誉を得、いささかの恩恵を施して、いささかの利益を求めやうとせり。

(長老)まことに君子と小人は、異なっているものでございます。

(正末が唱う)
【採茶歌】才学のなきものが権勢を持ち、教養のあるものが使役せられたり。長老さま、これこそは「鶴の長きと鳧の短きは斉しくしえず[56]」。わたくしに比ぶれば、浮財を集めてみづから潤し、お師匠さまに比ぶれば、身に幾着かの
虼蜋(ふんころがし)の皮を穿てり[57]

(長老)行者よ、斎食を持ってきて、裴秀才さまに召し上がっていただけ。一日いっしょにお話ししたから、お腹が空いた。

(浄の行者が斎食を並べる)

(正末)毎日ご馳走になり、申し訳ございませぬ。

(長老)先生はなぜそのように仰るのです。おんみは不遇であるだけでございます。いずれかならず雲路に登ることでしょう。行者よ、入り口で見張りせよ。誰かが来たぞ。わたしに取り次げ。

(外が趙野鶴に扮して登場)物を睹、(かほ)を見、禍福を悟り、(すがた)を見、(かたち)を観、高下を辨ぜり。道号をみな無虚子とぞ称したる。肉眼通神趙野鶴[58]

貧道は姓は趙、名は野鶴、道号は無虚道人。幼いときから観相を学んでいる。貧道は人の生死を占えば間違いはなく、人の貴賎を占えば正確で、この汴梁の人である。白馬寺に一人の僧がいる。恵明長老といい、同門の旧友だ。この人は幼いときから俗世を捨てて出家しており、貧道はこちらで占いして暮らし、日々寺に行き、閑坐している。今日は寺に、長老を訪ねてゆこう。もう着いた。行者よ、お師匠さまは方丈にいらっしゃるか。

(浄の行者)師匠は方丈におります。

(野鶴)取り次いでくれ。

(浄の行者)かしこまりました。お師匠さま、趙野鶴さまが入り口にいらっしゃいます。

(長老)お通ししろ。

(浄の行者)先生。師匠が呼んでおります。(会う)

(長老)先生、数日お会いしませんでした。お掛けください。

(野鶴)長老さまがお掛けください。

(長老)裴中立どの、先生とお会いなされ。このかたは趙野鶴といい、観相をするのに優れ、人々の生死富貴を占えば、神のようです。

(正末)足下とは面識がございませぬが、禍福を占ってください。

(野鶴が驚く)この秀才はどなたでしょうか。

(長老)先生、この人は姓は裴、名は度、字は中立といい、満腹の教養を持ちながら、功名を得ていないのでございます。いつ役人になるのかを占ってくださいまし。

(野鶴)秀才どの、申し訳ございません。わたしの占いは正確で、人の禍福を占えば間違いはございませぬ。お気の毒に。ご覧なさい。あなたは凍餓紋[59]が口に入り、横死紋[60]が鬢から眼に連なっています。

魚尾[61]は相牽き太陰[62]に入り、遊魂に宅はなく死は臨まんとす。下のかた口を侵して煙霧のごとく、即日形躯(むくろ)は土に入ること深からん。

お可哀想に。明日の午前中、お命は冥土に埋もれることでしょう。明日巳の刻の前後に、瓦礫の下でぺしゃんこになって死にましょう。お可哀想に。

(正末)この人はわたしが藍縷を着ているのを見て、このように言い、ことさらに馬鹿にしているのだな。ほんとうに世知辛いわい。

(野鶴)秀才どの、お咎めになりますな。わたしは肉眼通神相、お顔には一つも見るべき処がございませぬ。ご覧なさい。あなたは五露、三尖、六極でございます。五露とは、眼が突きで、耳が反り、鼻が仰むき、唇が捲れ、喉が出ていることでございます。経に曰わく。「一露二露あらば、衫はあれども袴なからん。露五に至らば、短命孤苦なり。五露なきは、福寿の相なり」と[63]。六極とは、頭が小さいのが一極で、夫妻が睦むことはなく、額が小さいのが二極で、父母(ちちはは)は温情少なく、目が小さいのが三極で、平素より知識が少なく、鼻が小さいのが四極で、耕作し休息はなく、口が小さいのが五極で、身に余る衣食はなく、耳が小さいのが六極で、寿命は短うございます。じっくりと占ってさしあげましょう。

(正末が唱う)
【賀新郎】通神(かみわざ)の許負[64]はつぶさに占へり。地閣[65]天倉[66]、蘭台[67]廷尉[68]、かれの山根[69]印堂[70]人中[71]は貴く[72]、五露、三停[73]、六極、龍角[74]、魚尾、伏犀[75]、肉眼に蔵す天地の理、観相に秘むる鬼神の機。禍福を断じ、気色を見、吉凶をしぞ占へる。こいつはまことに「世情は冷暖を見、人面は高低を逐ふ[76]」。

(野鶴)秀才どの、お咎めになりますな。人の生死を占えば間違うことはございませぬ。生きるならば生き、死ぬならば死に、人相見すれば当たらぬことはございませぬ。世間では肉眼通神相を皆知っています。人はみなわたしのことを無虚道人と呼びなしているのです。

(正末が唱う)
【哭皇天】黙れかし。こいつは道を得、経紀(なりはひ)を誇り、観相を学び、でたらめを説き、少しもまことの行ひはなく、ひたすらに兵機[77]を説けり。

(正末)怨んでどうする。

(唱う)時と(さだめ)に過ぎざらん。わたしは閭閻の下、眉睫の間にあるものなれど[78]、斗筲の器[79]、疥癬の疾[80]にぞ異なれる。身は貧しきも、身は貧しきも志は変はることなく、心は天地を経綸し、志は社稷を扶持せん。

【烏夜啼】かならず禹門三級[81]の鰲背[82]に乗り、天関[83]を振はす平地一声の雷[84]あるべし。堂堂と図像を麒麟[85]の内に描かれ、いつの日か、鼎を列ねつつ食らひ、錦を()つつ戻るべし。その時は、青霄に独歩し、天梯に上り、姓名は先輩に相並び[86]、龍鱗に攀ぢ、鳳翼に附し[87]、五陵の豪気を顕はして、万丈の虹霓(にじ)を吐くべし。

(野鶴)人相見の占いに、どうして激怒なさるのでしょう。

(長老)裴中立どの、人相見はこのように占っていますが、人は心掛け次第です[88]。「人も寿命を延ばせる[89]」ともうします。

(野鶴)わたしは嘘は申しませぬ。

(正末が唱う)
【煞】黙れかし。わたしは「先王の道(これ)を美と為す[90]」ことを知るのみ。「人の己を知らざるを患へず[91]」とぞいふ。おまへは巧言令色の打家賊(ぬすびと)にして、貴賎高下を辨ずることなし。浩然の気は抑へ得ず。見よや、わたしは科甲に登り、及第すべし。金榜に名がなくば誓つて帰らじ。いづれの日にか丹墀に独歩することあらん。

(長老)秀才どの、さらに話をしてから行かれよ。

(正末が別れを告げずに門を出る)仕方ない。(唱う)

【尾声】わたしは十年(ととせ)窓下にありて人に()はるることなきも[92]、かならず一挙に名を成して天下に知られん。

(野鶴)惜しむらくは、この人は、文才はあるものの福分はございませぬ。

(正末が唱う)文才有りて福分なくば、白襴[93]を脱ぎ、紫衣に換ふべし。虞侯[94]を列ね、公吏を並べば、威厳あり、英気あり、精彩あり、威勢あり、胸脯(むね)をつきだし、髭鬁(ひげ)を捻らん。宝雕の鞍[95]にななめに坐り、鑌鉄(はがね)の鐙をななめに抬げ、翠藤の鞭をゆるく振り、縷金の轡をかるく揺らして、にこにこと春風に喜べば驟馬は驕り嘶けり[96]。紫衫銀帯をば列ね、繍帽宮花をば並べ、朱幢p蓋[97]は群がりて、黄鉞白旄をしぞ擁せん。その時は(ねがひ)は叶ひ、(いさをし)を遂げ、故郷に還らん。(退場)

(長老)裴中立は怒りを抱いて行ってしまった。

(野鶴)お気の毒に。裴秀才は、明日の午前中、きっと冥土に埋もれることでしょう。あの人は瓦礫の下で、ぺしゃんこになって死ぬでしょう。長老さま、わたしは帰ります。

(長老)先生、もうしばらくお掛けになってゆかれませ。

(野鶴)それには及びませぬ。明日また訪ねてきます。寺の門を出、ひとまずわが家に戻ってゆこう。(退場)

(長老)裴中立がこのような運勢だとは。

(浄の行者)可哀想に。

(長老)拙僧はとりあえず方丈に戻るとしよう。明日になり、午後、裴中立が来たら、万々歳だが、午後、ほんとうに来なかったら、拙僧は行者を連れ、ただちに城外の山神廟へ、裴秀才を見にゆこう。(退場)

(浄の行者)阿弥陀仏。今は瓦礫の下で潰れていらっしゃるでしょう。可哀想に。可哀想に。(退場)

(韓夫人が韓瓊英とともに登場)花にまた咲く日はあれど、人にふたたび(わか)き年なし。黄金(こがね)は貴しとな言ひそ、安楽こそはもつとも価値あれ。

老いぼれは姓を李といい、夫は姓を韓という。夫は洛陽の太守で、頼りになる息子はおらず、字は瓊英という一人娘があるばかり。三人家族だ。お上は国舅傅彬を遣わし、河南府の銭糧を検査させたもうたが、傅彬はこの洛陽に来ると、主人に下馬銭千貫を要求した。主人はこの洛陽で、すこしも不正しなかったので、家には蓄えがなく、苛斂誅求することもなかった。主人は饗応しなかったため、傅彬に恨みを抱かれた。傅彬は公金一万貫を使い込み、その後、事が露顕して役所に連行され、罰金を追徴された、ところが傅彬は夫が三千貫を横領したと指摘した。都省[98]には奏聞する良いお役人がおらず[99]、行移[100]がこちらの役所に送られ、主人は捕らえられ、獄に下され、罰金三千貫を払うことになった。事情は曖昧であるため、上告をすることは難しかった。事情を上申できないため、弁明することはできなかった。朝廷の法律に逆らわず[101]、いさぎよく罰金を納めることにした。家の蓄えは日々の食事を運ぶのに足りるだけ[102]。われら夫婦の顔を立て、親戚たちは千貫を援助した。老いぼれにはこの娘があるばかり。父祖が名家であるため、老いぼれは厳しく教育を加え、娘に書を読ませ、詩を吟じさせ、字を書かせている。城の内外で、娘は恥を忍びつつ、筆を執り、詩を作り、父の難を救い、市民農民の同情を得た。一つにはかれの父が清廉であったため、二つには娘が孝行であるため、半年で募ったお金は千貫に達した。続々とお上に納め、前後して二千貫を納めたが、まだ千貫を納めておらず、夫は出獄できていない。娘や、このようなありさまをどうしたらよいだろう。

(瓊英)お母さま、今朝、街に行きますと、ある人が言いました。「お嬢さま、城中(まちなか)関裏(まちはずれ)では人も多うございます[103]。ちかごろ朝廷は一人の公子を遣わしました。かれはこちらに来て泊まり、今日は城東へ行きました。郵亭で雪を賞で、酒を飲み、梅を見ているのを見た人がいます。あちらへ行って、いささかのお恵みを受けさえすれば、十分でしょう」。わたしも尤もだと思いましたが、母上にお知らせをしておりませぬから、勝手なことをいたすわけにはまいりませぬ。

(卜児)それならば、今日すぐに城東に出て、郵亭へ行き、その公子を訪ねるべきだ。娘や、はやく行き、はやく戻って、わたしを心配させないでおくれ。(退場)

(瓊英)かしこまりました。灰罐(すみつぼ)と筆を調え、郵亭へ李公子を訪ねてゆきましょう。(退場)

(外が李公子に扮して登場)父祖は苦辛し功業(いさをし)を立て、子孫は代々皇恩を受く。臣は輔弼し股肱となりて、皇朝を助け、太平を享く。

それがしは姓は李、名は文俊、字は邦彦。このたびは、聖上の御諚を受けた。各地では貪官汚吏が良民を苦しめ、山間林下では、才を懐き、徳を抱きながら、名を知られず、下流に埋もれているものがいるため、それがしを遣わして、あちこちを査察探訪させているのだ。それがしは洛陽に来て、宿泊したが、紛紛と国家祥瑞(ゆき)が降っているので、従者を連れ、紅乾臘肉[104]、酒、果物、杯盤を持ち、この城東の郵亭に来た。見よ。雪は飄り、梅は開いて、気晴らしするにはちょうどよい。

(給仕)大人、一杯干されませ。(お酌する)

(公子)今、雪はますますはげしく降っているから、ゆっくりと何杯か飲むとしよう。

(瓊英が登場)わたしは韓瓊英、城を出てきたが、一天の風と雪。このように苦しみを受けるのも、父母のため、仕方のないこと。話していると、郵亭に到着だ。一群の人馬がいて、郵亭で公子がお酒を飲んでいる。頭の雪を払い、郵亭に上ってゆこう。

(李公子が見る)大雪の中、一人の娘が灰罐(すみつぼ)を提げ、郵亭に上ってきたが、きっと詩を題するのだろう。

(給仕)娘よ。どこへ行く。

(公子)給仕よ、かれを驚かすな。娘をこちらへ。

(給仕)娘よ、こちらへ来い。礼儀正しくするのだぞ。

(瓊英が灰罐(すみつぼ)を置く)

(李公子)娘よ、どこの家のものか。姓と名は。なにゆえに、大雪の中、灰罐(すみつぼ)を提げ、郵亭に来た。何事だ。話してみろ。

(瓊英)洛陽太守韓廷幹の娘でございます。朝廷は国舅傅彬を遣わし、河南各府の銭糧を検査させました。傅彬は洛陽に来ますと、父に下馬銭[105]起馬銭[106]を要求しました。父は役人ぶりが廉潔で、すこしも不正をしておりませんでした。家に蓄えはなく、苛斂誅求もしにくかったため、正しい道に従って、饗応をせず、傅彬に恨みを抱かれました。傅彬は心根が悪く、公金を一万貫横領し、後に事が露顕したため、罰金を追徴されました。ところが傅彬は以前のことに怨みを抱いていたために、父が三千貫を横領したと指摘しました。都省には奏聞をする良いお役人がおらず、行移の文書は上級官庁に送られ、父は捕らわれ獄に下され、罰金を三千貫払うことになりました。事情は曖昧であったため、上告をすることは難しく、事情を上申できなかったため、弁明できませんでした。朝廷の法律に逆らわず、いさぎよく罰金を納めることとなりました。家の蓄えは日々の食事を運ぶのに足りるだけ。父と母の顔を立て、親戚たちは千貫を援助しました。父と母にはわたし一人があるばかり、父祖は名家であるため、老母はわたしを教育し、書を読ませ、詩を吟じさせ、字を書かせました。城内や城外で、わたしは恥を忍びつつ、仕方なく、筆を執り、詩を作り、父の難を救おうとし、市民農民の同情を得ました。一つには父が清廉であったため、二つにはわたしが孝行であるため、半年で募ったお金は千貫に達しました。続々と官府に納入し、前後して二千貫を納めましたが、今はまだ千貫を納めておらず、父を出獄させられておりませぬ。大人が郵亭で雪を賞で、梅を見ていることを聴き、わざわざ大人の処に来て、詩を献じるのでございます。

(公子)逆賊傅彬の巻き添えで、累が善人に及び、ゆえなく獄に繋がれていたのだな。これでは天理がどこにあろうか。日月は明るいが、伏せた盆の下は照らさぬものだ[107]。話に拠れば、韓公は実は濡れ衣なのだな。娘よ、お父さまがそのようなありさまならば、お父さまの濡れ衣を訴え、朝廷にこの事を弁明してはどうだ。

(瓊英)朝廷の法律でございますし、賊子と弁論しようとも思いませぬ。いさぎよく罰金を納めることを願います。

(公子)朝廷にこのような廉良の臣がいながら、こちらに埋もれているとは。娘よ、今、お父さまは三千貫の罰金を納めなければならないが、二千貫は納めたものの、千貫を納めていない。このような孝行娘は得難いもので、天地神明はかならず照覧していられよう。李邦彦よ、「義を見て為さざるは勇なきなり[108]」という。わたしは二本の玉帯を持っている。値は三千貫。娘よ、お父さまを救い、罰金を払い、殊勝な行いを成就させてやろう。娘よ、詩を吟じられるなら、この雪を題とし、詩を一首作れば良かろう。詩が作れるなら、この玉帯を与えるが、詩が作れぬなら、この玉帯は与えない。

(瓊英が拝する)

(公子)おい給仕、文房四宝を持っているが、あの娘に紙と筆を与え、書かせろ。

(給仕)かしこまりました。(給仕が旦に紙と筆を与える)娘よ、紙と筆をやろう。

(瓊英が考えて書く)詩ができましたから、この紙に書きましょう。(書く)

(公子)うまい字だ。見てみよう。

詩にはこうある。

今年は新たな喜びあるべし、皇天は玉麒麟をぞ輔くべき[109]。太平なれば雲連の麦の(しるし)あり[110]、禎祥[111]はありて万民をあまねく救はん。

(公子)ああ。この詩の趣旨は、雪を詠み、褒め称え、はなはだ比喩に富んでいる。この娘は凡人ではない。さらに一首を吟じさせれば、ほかにどのように考えているのかが分かるだろう。お嬢さま[112]、このような大才がおありなら、雪を題にし、さらに一首を吟ぜられよ。

(瓊英)公子さまがお命じになるのでしたら、さらに一首をお作りしましょう。(書く)

(公子が見る)

詩にはこうある。

祥を呈し天に(ひろご)り瓊鳳は飛び、瑞を表し空に騰り素鸞は墜つ[113]。国のためにし民のためにしよく物を潤せり、樹稼[114]を等閑に見るなかれ。

ああ。この詩には、世間への教化があり、機見があり、志気があり、思いやりがあり[115]、詩人の興を得ている。しつこくするわけではないが、煩わしいのがお嫌でなければ、梅花を題にし、さらに一首を詠まれよ。

(旦)公子さまがお命じになるのでしたら、さらに一首を作りましょう。(さらに書く)

(公子)

詩にはこうある。

性格は孤高なるものなれば幽谷に栽ゑられて、清香は独歩して繊埃に染む。歳寒の一点まことに(かく)の如し、春の戻るを待ち暖に向かひて開く。

この詩の志気は小さくない。この詩は白梅を詠んだものだ。見られよ。あの窓の外に一本の臘梅がある。臘梅を題にして一首作られてはどうか。

(旦がさらに書く)

(公子)詩にはこうある。

(かんばせ)の臘のごときを世の人は識ることなきも、清きこと氷に似たるをわれのみは心に知れり。志は中央にあり正気を得[116]、暗香[117]はとりわけ清し。

この娘は天才だ。四首の絶句を、構想せずに、即興で筆を走らせ、作り上げたのは、尋常ではない。四首の絶句を詠んだが、まことに清雅で、浅からぬ大志がある。この娘には丈夫(ますらお)の剛毅さがある。くわえて父は清廉、母は厳格、娘は孝行、この一家は古今に稀なものだ。お父さまの冤罪のことは了解した。それがしは命を奉じて、もっぱら不正を探察している。この一件は、わたしみずから文書を送り、京師へ奏上するとしよう。娘よ、この帯を持ってゆけ。この帯は値は千貫、父を救い、罰金を完納させ、出獄させよ。(帯を与える)

(旦が感謝する)大人の深恩と厚意に感謝いたします。

(公子)そのように仰いますな。お父さまを救いにゆかれよ。洛陽でのこのような事を知ったからには、ぐずぐずせずに、今日すぐに京師へ行きましょう。

復命せんため身は洛陽を離れたり、一門は忠孝にして綱常あるなり。孝行な娘、清廉な父は危難に遭へり、英賢を抜擢し、帝王に奏すべきなり。(退場)

(旦)ご先祖さま、ありがとうございます。思いがけなく公子に遇い、一本の玉帯を得た。値は千貫。父の難を救い、縄目の災を逃れさせることができよう。ぐずぐずせずに、玉帯を持ち、母上に知らせにゆこう。(退場)


第三折
(山神が登場)霹靂が響き山河を震はせば、蒼生は拱手して青天に告ぐ。雨が過ぎ雲が去りなば、悪党凶徒は元の通りとなりぬべし。

わたしはこちらの山神だ。洛陽に裴度というものがいる。この人は満腹の教養があるのだが、文才はあるものの幸福は訪れず、毎晩こちらに泊まっている。この人は短命でもある。可哀想な裴度。明日の午前に、この廟の煉瓦の下で死ぬだろう。この廟は崩れることになっているのだ。廟でしずかに坐っていると、このような大雪が降っているが、誰かが来たぞ。

(瓊英が登場)門を出た。雪はますますはげしく降っているが、どうしたらよいだろう。道端に山神廟があるから、とりあえず廟に入り、すこし休み、雪が収まったらすぐ行こう。藁の蓆があるから、とりあえずこちらに坐ろう。一日歩き、体がすこし疲れたから、ひとまず休もう。玉帯を藁の蓆の下に置き、壁の側に置き、すこし眼を閉じるとしよう。(旦が休み、ふと目覚める)ああ。おもわず眠ってしまった。日が暮れてしまう。城門が閉ざされれば、母上がご心配なさるだろう。ああ。雪はすこし小降りになっている。廟を出た。日が暮れてしまうだろうから、城門に急いでゆこう。(退場)

(正末が登場)わたしは裴度。今朝、寺で不愉快な目に遭おうとは思わなかった。日が暮れようとしているが、雪が小降りになったから、山神廟へ戻ってゆこう。裴中立よ、思うに儒冠はしばしば身を誤るものだ。このような貧しい日々は、いつ終わるやら[118]。(唱う)

【正宮】【端正好】愁へつつ見る古松の林、こなたにて崩るる廟に到るを恐れ、蓬蒿[119]にひさしく困しみたるを嘆けり。他の人は「青霄に路あればかならず到」れど[120]、わたしはいずれの日にか「朝に道を聞く[121]」べき。

【滾繍球】今日は趙野鶴に会へり。わが相貌(かほ)を見て、凍餓紋が耳より口に連なりて、横死紋が鬢より眉に接せりと語りにき。わが福禄は薄くして、くはへて短命なりと言ひにき。かのものの人相見にはいささかも間違ひはなし。かれは言ひにき。「わが占ひは正確にして少しも誤ることなし」と。わたしは平生正直にして私曲なければ、天公の取り計らひに一任すべし。これこそは「善く人と交はる」ぞかし[122]

(正末)山神廟に着いた。わたしは頭の雪を払って[123]、廟に入った。廟はこんなに穴だらけで、倒れようとしているが、どうしよう。(唱う)

【酔太平】泥は抑托より落ちて、水は籬を浸したり[124]。梁は朽ち、椽は腐り、柱は壊れ、九割方は損なはれ、倒れんとせり。いたく漏りたる山神廟は、いたく破れし寒き氷室のごとくして、いたく崩れし藁の団瓢(まろや)のごとくして、漏星堂よりさらにいぶせし。

(正末)陰は昼に克ち[125]、日が暮れたから、休むとしよう。頭巾を干し、泥靴を脱ぎ、衣服を体で暖めて乾かそう[126]。(唱う)

【倘秀才】濡れし頭巾を供卓[127]の上に投げ、汚れし靴を土牆(つちかべ)(ほとり)に干せり。

(正末)裴中立よ。

(唱う)「商ひし帰りきたれば汗は消えず」といふにはあらず[128]。今夜は寂しきことを愁へて、なほも明日のことを思へり。藁の蓆に、服を着たまま、倒れて眠れり。

(正末)脚が冷たいから、とりあえず起きあがり、あぐらをかいて、暖かくなったら眠ろう。(蓆を敷く)ほんとうにおかしいぞ。(唱う)

【呆骨朶】あぐらをかきて亭の柱に寄らんとす。藁の蓆の下に置かれしものあれば盛り上がりたり。こなたにてひそかに考ふ。ひそかに考ふ。

(正末)藁の蓆の下をさすってみると。(帯を取り上げる)一本の帯があったぞ。

(唱う)小胆なれば心は恐れ、脅えて小鹿は胸に跳ぶ。いづこの富豪が忘れたる。天よ。天よ。わたしの貧しき魂は怯えんとせり。

(正末)身を起こし、靴を穿き、門を開ければ、雪が明るく煌めいている。見てみよう。一本の玉帯だ。(唱う)

【倘秀才】しかと知りたり、一場の煩悶を招かんことを。今晩は万条の計を考ふべきなり。人が捜しにくることあらば−とりあへずそのもののため保管して−両の手をもて捧ぐべし。

(正末)ああ、一本の玉帯だ。梅見するお役人たちが通り掛かり、供のものたちがこちらで雪を避け、うっかり忘れたのだろう。お役人が家に着き、玉帯のことを尋ねたら、どう返事するのだろう。命が危うくなるではないか。わたしは貧しいが、このような金品は貪らないのだ。明日、人が捜しにきたら、山神さま、あなたが証人でございます。両の手で返すのも、良いことでございましょう。玉帯のために一晩眠れず、もう夜が明けた。寒いのを我慢して、玉帯を持ち、とりあえずこの廟の裏手に隠れることにしよう。誰かが来たぞ。

(韓瓊英が夫人とともに登場、夫人)夜に娘は郵亭で詩を売り、李公子に遇い、一本の玉帯を与えられた。値は千貫だったという。娘は家に戻ってくるとき、山神廟で脚を休め、雪を避けていたときに、玉帯を廟に忘れたと言っていた。われら母娘は一晩眠らず、今日の早朝、城を出て、玉帯を捜しにきた。娘や、どこの廟だえ。

(旦児)お母さま、あの廟でございます。こちらで雪を避けました。廟に入ってゆきましょう。この藁の蓆の下に置きました。ああ、玉帯がなくなっている。父が入獄したために詩を作り、罰金を千貫だけ納めおわっていなかった。思いがけなく李公子に遇い、玉帯を手に入れた。値は千貫。それを売れば、父を救い、出獄させることができたが、こちらに忘れ、なくしてしまった。千貫銭をいつまた手に入れられようか。父を獄から救えず、孝を尽くすこともできず、どの面下げて天地の間に立てようか。母上、もうお世話することはできませぬ。生きていたとて何になりましょう。胸元の胸帯[129]を解き、自尽しましょう。

(夫人)主人が出獄できないのなら、生きていたとて何になろう。胸帯を解き、自尽した方がよかろう。

(正末があわてて廟に入る)お待ちなされ。お待ちなされ。なにゆえに死のうとなさる。(唱う)

【脱布衫】ぼんやりとして心の痛みを癒すは難く、悲しみて雨の涙に叫ぶなり。一人は哭きつつ命を棄てて死せんとし、一人は焦りいたく心に悲しめり。

(正末)螻蟻さえ命を貪るのに、人たるものがどうして命を惜しまれぬ。どうしてこちらで死のうとなさる。

(夫人)おにいさん、おんみはご存じないのです。

(正末が唱う)
【小梁州】老嫗のおんみに事情を尋ねん。女艶嬌(たをやめ)よ、いかなる事かくはしく事情を語れかし。

(言う)どのような濡れ衣があり、こちらで死のうとなさっているのか、始めから終わりまでお話しください。

(旦児)見たところ、この人は儒人秀士に違いない。おにいさん、くだくだしいのがお嫌でなければ、始めから終わりまでお話しするのをお聴きください。わたしは洛陽韓太守の娘、こちらはわたしの母親で、三人家族でございます。父親はこちらで知事をし、いささかも不正がございませんでした。お上が傅彬を遣わし、河南に銭糧を点検しにこさせたため、傅彬は洛陽にやってきました。父に上馬銭[130]、下馬銭を要求したとき、父は与えようとしませんでした。その後、傅彬は公金を横領したため、罰金を追徴されることになりました。ところが傅彬のやつは以前のことに怨みを抱き、父が三千貫を横領したと指摘しました。行移は上級官庁に送られ、父は捕らえられ、獄に下され、三千貫の罰金を払うことになりました。事情は曖昧であったため、上告をすることは難しく、事情を上申できなかったため、弁明できませんでした。朝廷の法律に逆らわず、いさぎよく罰金を納めることになりました。家の蓄えは日々の食事を運ぶのに足りるだけです。父と母の顔を立て、親戚たちは千貫を援助しました。父と母にはわたし一人があるばかり、父祖が名家であるため、老母はわたしを教育し、書を読ませ、詩を吟じさせ、字を書かせました。城の内外で、わたしは恥を忍んで筆を執り、詩を作り、父の難を救おうとし、市民農民の同情を得ました。一つには父が清廉であったため、二つにはわたしが孝行であるため、半年で千貫のお金を募りました。続々とお上に納め、前後して二千貫を納めましたが、まだ千貫を納めていないため、父親は出獄できておりませぬ。ある日、城内の人がわたしに言いました。「お嬢さん、城中(まちなか)や関廂[131]の内と外では、も煩わしゅうございます。ちかごろ朝廷が一人の公子を遣わしましたが、こちらに宿泊しにきています。今日は城東へ行くそうです。郵亭で雪を賞で、酒を飲んでいるのを見た人がいます。あちらに行ったら、一つには筆を提げて詩を売り、二つにはお父さんの濡れ衣を訴え、いささかのお恵みを得れば、罰金を払うのに十分でしょう」。話を聴き、いそいで城を出、郵亭に来ますと、まさに公子が雪を賞で、酒を飲んでいました。わたしを見ると、事情を尋ねましたので、以前のことをすべて訴えますと、公子はとても憐れみました。さらに詩を作れと命じましたので、わたしはすぐに詩を数首作りました。公子はとても喜び、腰の玉帯一本を賜いました。値は千金、父を出獄させるため、わたしに下さったのでした。わたしは城内に戻ろうとしましたが、こちらに来ると風雪が激しくなったため、この廟で脚を休め、雪を避けました。体が疲れ、こちらで休み、玉帯を藁の蓆の下に置きました。ふと目覚めますと、日が暮れて母が家で心配することを恐れ、あわてて廟を出ました。城門が閉ざされる恐れもありましたため、いそいで家に行きました。老母が事情を尋ねますと、ふと玉帯のことを思い出し、いそいで取りにこようとしましたが、城門はすでに閉ざされていました。わたしたち母娘二人は一晩眠らず、今朝城門を出、廟に入って捜しましたが、玉帯はなくなっていました。玉帯で父を出獄させようとしていましたが、父を救えず、孝も尽くせなくなりましたので、自尽しようとしたのです。

(夫人)おにいさん、わたしはこの娘だけが頼りです。かれが自尽し、夫も出獄できませぬなら、生きていたとて詮無いことでございます。わたしが自尽しようとしたのも、やむにやまれぬことなのでございます。

(正末)ほんとうに可哀想に。

(唱う)尊君(ちちぎみ)が濡れ衣のため囚牢(ひとや)におはせば、詩を売りて父母の恩義に報いんとせり。お嬢さま、おんみは「家が豊けくば子はわがまま」なるにはあらず。

(旦児)「哀哀たる父母、我を生み劬労したまふ[132]」。子を養ひて老後に備へ、穀物を蓄へて、飢ゑを防げり。わたくしは娘なれども、孝を尽くせり。

(正末が唱う)
【幺篇】おんみは言へり、昔より子を養ひて老後に備ふと。いづれも同じ哀哀たる父母の劬労ぞ。

(言う)先聖がのたもうています。「身体髪膚は、之を父母に受く。あへて毀傷せざるは、孝の始めなり[133]」と。

(唱う)なにゆゑぞ命を捨てて自縊せんとする。

(言う)「後世に名を揚げ、父母を顕はすは、孝の終はりなり[134]」。

(唱う)かくしなばはじめて全き孝たりつべし。

(言う)「父母は全くして生めば、子は全くして帰す。孝と為すべし」。

(唱う)これこそは人の子の立つ所以なり。

(夫人)先生の仰ることも、ご尤もですが、主人は無実でありながら囚われて、難を逃れておりませぬ。玉帯で主人を救おうとしておりましたが、なくなってしまいました。このようなことでは、千貫の罰金をいつ納められましょう。

(正末)ご夫人、娘さん、玉帯があるなら、

(夫人)玉帯がございますなら、われら一家の命は救われることでしょう。

(正末)玉帯がないなら、

(夫人)われら一家は死に、生きられぬことでしょう。

(正末)ご夫人、娘さん、ご安心なさい。玉帯は保管しておりますよ。

(旦児)先生ご冗談を。

(正末)孔子の門徒でございますから、冗談は申しませぬ。

(正末が帯を取る)娘さん、これでしょう。お返ししましょう。

(旦児が受け取る)まさにこの帯でございます。先生に感謝いたします。

(夫人)娘や、われら母娘は先生に拝謝しよう。

(正末)滅相もございません。滅相もございません。

(夫人)先生はわれら一家を救ってくださいましたが、このご恩は軽くはございませぬ。世間には先生のようなお方は珍しゅうございます。布衣の中に居り、千金をもってしてもその志を変えられないのは、ほんとうに仁人君子でございます。

(正末)滅相もございません。滅相もございません。世間には娘さんのような孝女は−昔から孝子は多く、孝女は少のうございますが−二三人いるだけでございます。

(夫人)二三人とは。先生、仰ってみてください。老いぼれは耳を洗ってお聞きしましょう。

(正末が唱う)
【叨叨令】そのかみ賈氏は父のため龍を屠りし孝ありき[135]。楊香は父のため、虎に跨り孝行したりき[136]。曹娥は父のため江に哭きたる孝ありき[137]。今、瓊英は父のため、詩を作り、孝行し、まことに天地を感動させたり。まことに天地を感動させたり。父母のため、男女はいづれも孝行を尽くすべきなり。

(夫人)先生は本籍はどちらでございましょう。ご姓とお名は。

(正末)わたしは姓は裴、名は度、字は中立といい、原籍は河東聞喜県の人、父母ははやくに亡くなりました。懐が乏しいために、仕進を求めず、こちらに滞在しております。

(夫人)先生にお遇いしたのはさいわいでした。ほかの人に遇っていたなら、どうなっていたことでしょう。秀才さまが保管していらしたのなら、ないと仰ってもよかったのに、なぜいさぎよくこの帯を返されたのでございましょう。先生はほんとうに古の君子の気風がございます。

(正末)ご夫人、それは違います。(唱う)
【塞鴻秋】粗衣淡飯してわが楽しみに従はん。一心に「(もと)より窮」し、分を守らんとすることが、天の道なり[138]。謹んで先王の教へを守らん。

(旦児)先生がさきほど帯を下さらなければ、万事休しておりました。

(正末が唱う)「君子は人の好むを奪はず」といふ[139]

(夫人)老いぼれ一家は難儀して、先生も窮迫していらしたために、先生はわれら一家の命を救われたのですね[140]

(正末が唱う)ご夫人は患難に()り、わたしは貧苦に甘んぜり。笑ふなかれ、われらがまさに鞭を振り、棹を挙ぐるを[141]

(夫人)老いぼれは娘といっしょに帰ります。

(正末)ご夫人、娘さん、お咎めになりませぬよう。貧しいために、お茶をお出しすることもできませぬ。ほんとうに恐縮でございます。お送りしましょう。

(夫人)先生、それには及びませぬ。

(正末が唱う)
【倘秀才】廟を出で、渋道[142]に送り、行径(こみち)に近づき、塀の角をぞ回りたる。これこそは「貧しくして憂へず富みて驕らず[143]」。

(旦児)秀才さまを拝見しましたが、古の君子でなければ、このような度量はございませぬ。帯を還してくださったご恩には.後日かならず手厚くお礼いたしましょう。『毛詩』に曰く。「之に投ずるに木桃を以てすれば、瓊瑶を報ゆ[144]」と。恩人の大徳を忘れましょうや。

(正末が唱う)おんみは言へり。「之に投ずるに木桃を以てすれば、報ゆるに瓊瑶を以てす」と、わたしはいかでか古人の度量に比ぶべき。

(旦児)今の世は、先生だけに、礼義廉恥道徳の気風がございますが、そのほかは俗物でございます。不義の財貨を得ているものが、幾人ございますことか。

(正末)「皇天は私なく、ただ徳を(これ)輔く[145]」。(唱う)

【滾繍球】われわれは福禄の増す定めなるべし、

(言う)暗室の疚しきことを、神は見ること電のよう。

(唱う)定めなき時は災禍を招くべし。

(言う)「之を近づくれば遜らず、之を遠ざくれば又怨む[146]」。

(唱う)不義の財貨を受くるは神の道に叶はず、

(言う)「不義にして富みかつ貴きは、我に於いて浮雲のごとし[147]」。

(唱う)不義の財貨は享受し難し。

(旦児)先生のように大きな度量があれば、かならず出世なさいましょう。ほんとうにすばらしいことでございます。

(正末が唱う)いつの日か、蟄龍は頭角を奮ひ、風雲は碧桃に酔ふ[148]。願ひを達せり五陵の年少、軒昂として英豪は出世すべけん。旌旗に伴ひ日は暖かく龍蛇[149]は動き、宮殿に風は微かに燕雀は高く、雁塔に名は(しる)されん[150]

(夫人)先生、お戻り下さい。

(正末)さらに二歩お送りしましょう。(廟が倒れる)

(旦児)ああ。山神廟が倒れた。

(夫人)秀才さまが中にいらっしゃらなかったのはさいわいでした。

(正末が驚く)占いが正確で、禍福に間違いがないというのは、ほんとうだった。

【煞】占ひは正確にして嘘はなし。すばらしや肉眼通神趙野鶴。禍福は逃れ難くして、吉凶はいかで避くべき。意地を張り、むなしく労ふことなかれ。占ひは昨日のことなれど、すでに前世で定められたることにして、本日はたして(しるし)あるなり。瓦礫のうちに命を終へて(わかじに)をせましかば、白骨は荒野(あれの)に臥さまし。

(夫人)先生はなぜこのように驚き嘆いていらっしゃる。きっと事情がおありでしょう。お話しください。

(正末)ご夫人はご存じございますまい。昨日、白馬寺で人相見に遇ったのですが、わたしのことを、今日の午前に冥土に埋もれる、今日の午前に瓦礫の下で死ぬであろうと言っていました。今日はその言葉の通りになりました。帯を返し、ご夫人とお嬢さまを送り出さねば、まさに死んでいたことでしょう。

(夫人)先生の陰徳が大きく、われら一家の命を救ってくださったため、大難に遇っても死ななかったのでございます。前途は洋洋、かならずご出世なさいましょう。

(正末が唱う)
【尾声】いつの日か冠蓋の長安の道へと向かふことを得ば、万里の風頭鶴背の高きに乗ぜん[151]。いつの日か栄華を享け、官爵を受け、「居は安からず、食は飽きず」てふことはなからん[152]

(旦児)この恩とこの徳は、つねに忘れはいたしませぬ。

(夫人)先生のお顔を記憶し、良工を呼び、像を描かせ、ひねもす拝み、香を焚き、先生をお祀りしましょう。

(正末が唱う)おんみは言はれり、恩にはかならず報ゆべし、つねに記憶し忘るることなし、良工に命じて像を描かしめ、燭を点し、香を焚き、わたしを祀り、老年に到らんと。(退場)

(夫人)夫は出獄できましょう。このような善人は得難いものだ。

(旦児)お母さま、家に戻ってこの帯を千貫で売り、お父さまを出獄させましょう。その時に裴秀才さまのご恩に報いても、遅くはございませんでしょう。

(夫人)黄金(こがね)にも英雄(をのこ)(こころ)は変はることなく、白馬はなどかはおのが体を汚すべき。この秀才は教養があり忠孝の行ひあれば、かならず皇家の禄を享くべし。(ともに退場)


楔子
(長老が浄の行者を連れて登場)心に掛くることなくばそれまでなれど、心に掛くれば焦がるべし。

拙僧は白馬寺の長老。昨日、趙野鶴はたまたま裴中立に遇い、今日の午前中に、命は冥土に埋もれるだろうと占った。趙野鶴は生死のことを占えば間違いがない。

(浄の行者)裴秀才は可哀想。ぺしゃんこになって死んでいましょう。

(長老)惜しいことだ。裴秀才は、満腹の教養がありながら、寿命は永くなかった。今になっても裴秀才が来ないな。

(浄の行者)今頃はかならずや瓦礫の下で死んでいましょう。悲しいことでございます。

(趙野鶴が登場)貧道は趙野鶴、今日はする事もないから、白馬寺へ恵明長老を訪ねてゆこう。もう着いた。(行者に見える)行者よ、取り次げ。趙野鶴が入り口におりますと。

(浄の行者)またいらっしゃいましたね。

(浄の行者が報せる)お師匠さま、趙野猫さまが入り口にいらっしゃいます。

(長老)趙野鶴だろう。

(浄の行者)趙野鶴さまでございます。

(長老)お通ししろ。(会う)

(長老)先生、お掛けなさいませ。

(野鶴)昨日、裴中立さまを見ましたが、今日の午前中、かならずや瓦礫の下で、ぺしゃんこになって死にましょう。

(長老)あの人は満腹の教養があったのに惜しいことだ

(野鶴)長老さま、これも運命(さだめ)によるものでございます。

(長老)行者よ、茶をもて。

(浄の行者)かしこまりました。ぺこぺこしながら茶を湧かす。

(長老)誰かが来たぞ。

(正末が登場)わたしは裴中立。趙野鶴はほんとうに肉眼通神相だ。はたしてかれの言葉通りに、瓦礫の下で死ぬところであった。さりながら、今日は白馬寺へ、趙野鶴を訪ねてゆこう。もう着いた。行者よ。

(浄の行者)人ですか鬼ですか。

(正末)人だ。鬼ではないぞ。お師匠さまは方丈にいらっしゃるか。

(浄の行者)こちらにいらっしゃってください。お師匠さま。裴秀才さまが入り口にいらっしゃいます。

(野鶴)見間違えたのだろう。今頃は瓦礫の下で、ぺしゃんこになって死んでいよう。裴秀才がふたたびやってくるはずがない。

(浄の行者)入り口にいらっしゃいます。

(長老)呼んできてくれ。

(浄の行者が正末に見える)秀才どの、師匠がお呼びしております。

(正末が長老に見える)長老さま、ご機嫌よう。

(長老が驚く)

(正末)趙野鶴さまではございませぬか。無虚道とおっしゃるのでしょう。あなたはわたしが今日の午前に、冥土に埋もれるであろう、瓦礫の下でぺしゃんこになって死ぬであろうと仰った。今は午後ですが、どうして死んでおらぬのでしょう。

(野鶴)お待ちなされ。お待ちなされ。ほんとうにおかしなことだ。裴秀才どの、今日は顔色が昨日と違っていらっしゃる。長老さま、ご覧ください。福禄紋は眉から鬢を侵し、陰徳紋は耳から口に入っており、富貴の顔色が、四面にひとしく発しています。裴秀才どの、いずれかならず大臣の位を拝することでしょう。

(浄の行者)あなたの占いは当たらない。あてずっぽうをしているだけです。

(長老)先生、どうして昨日とまったく違っているのでございましょう。

(野鶴)長老さまはご存じございますまいが、この秀才には、かならずや三四人の命を救った陰徳があることでしょう。そうでなければ、顔色が昨日とまったく異なっているはずがございません。顔色がすっかり良くなっておりまする。

(正末)一介の貧儒ですから、陰徳を施すことなどできませぬ。

(野鶴)秀才どの、嘘をついてはいけませぬ。人を活かした陰徳がございましょう。正直に仰い。

(正末)仕方ない。わたしは書を読む人間ですから、良心に背くべきではございませぬ。昨日、こちらで先生にお遇いして、今日の午前に、かならずや瓦礫の下で死ぬであろうと占われたため、恨みを抱いて去りました。大雪の中、山神廟に行き、藁の蓆で休もうとしましたが、藁の蓆の下に一本の玉帯がありました。わたしはそれを見、山神の前で誓いを立てました。この玉帯は、梅見、雪見をするお役人のお供のものが、こちらで脚を休め、雪を避けたときに、忘れたものに違いない。家に着き、お役人が玉帯を求めたら、命が危うくなるではないか。わたしは言いました。明日、人がこの帯を捜しにきたら、両手で捧げてこの帯を返そうと。夜明けになると、玉帯を持ち、山神廟の裏手に隠れました。一時足らずで、母娘二人が、すぐに廟に来ました。帯を捜しましたがなくなっていましたので、母娘二人は悲しんでやめず、胸帯を解き、梁に懸かって自縊しようとしました。わたしはあわてて進み出て、二人を救い、そのわけを尋ねたところ、娘はくわしく事情を語りました。かれは洛陽の韓太守の娘で、その父親は傅彬に三千貫を横領したと指摘され−韓公は平素公務に勤め、法律を守り、清廉勤勉だったのですが−お上は行移を上級官庁に送り、太守はかれを捕らえ、罰金を追徴することにしました。韓公は朝廷の法律に逆らうことを恐れ、いさぎよく罰金を納めることにしました。その家はとても窮迫しましたので、親戚たちは千貫を援助しました。太守には一人娘、字は瓊英というものがございましたが、罰金を払えないため、みずから灰罐(すみつぼ)を提げ、街で筆を執りました。城内や関廂の市民農民は、その父が清廉で、娘が孝行なのを憐れみ、千貫を援助しました。まだ千貫を納めていないため、韓公は出獄できていませんでした。ある日、人が指示しました。「近々李公子が、上命により遣わされ、こちらに来て逗留し、民情を査察するから、公子の処へ会いにいってはどうか。お恵みを得さえすれば、お父さまの罰金を払うには十分だろう」。娘は話を聴きますと、いそいで城東の郵亭に訪ねてゆきました。李公子は雪を賞で、酒を飲んでおり、娘を見ますと、事情を尋ねました。娘は事情をすべて訴え、公子はとても憐れみました。娘に命じて詩を吟じさせますと、ところが娘はつづけて詩を数首作り、大儒の才がありました。李公子はおおいに喜び、腰の玉帯を解きました。値は千貫、娘に与え、父を救わせ、罰金を払わせることにしました。この娘は玉帯を得、路で大雪に逢い、わたしが泊まっている山神廟に来て脚を休め、玉帯を藁の蓆の下に置きました。娘は体が疲れていたので、居眠りしました。ふと目覚めますと、日が暮れて城門が閉ざされるのを恐れ、玉帯を忘れ、城に入りました。家に着き、母親に事情を尋ねられますと、ふと玉帯を思い出し、いそいで捜しにゆこうとしましたが、城門は閉ざされていました。翌日門を出、山神廟に行き、帯を捜しましたが、なくなっていました。娘は言いました。「ようやく値が千貫の玉帯を得て、父を出獄させようとしていましたのに、帯を失ってしまいました。生きていたとて何になりましょう。梁に懸かって自縊した方がよいでしょう」。かれの母親は言いました。「お父さまは今、災難に見まわれていらっしゃる。おまえも自尽してしまったら、生きていたとて何になろう。わたしも自尽した方がよい」。わたしはそれを聴きますと、あわててこの帯を韓瓊英に返しました。母娘二人は恩義に感激し、再三わたしに拝謝しました。姓名を尋ねられたので、それを告げ、二人を山神廟から送り出しました。母娘二人は拝謝し、わたしも何歩か送り、廟を出ましたが、まさに歩いているときに、音が響いて、山神廟は突然倒れたのでした。わたしは突然、先生の占いの言葉を思い出しました。わたしは今日の午前に、冥土に埋もれるだろうということでした。帯を返し、かれら母娘二人を廟から送りださなかったら、わたしの命はなかったでしょう。先生。わたしはこのようにして死ななかったのでございます。

(野鶴)どうです。わたしの人相見に誤りはございませぬ。今日はすっかり顔色が変わってらっしゃる。なぜかといえば、これこそが、「天地を瞞くことなかれ神を瞞くことなかれ、心が人を瞞かずんば禍は侵すことなし。十二時中良きことを行はば、災星は福星に変はりて臨まん」ということなのでございます。

(長老)裴中立どの、趙野鶴さまの人相見には間違いはございませぬ。ひとえにおんみの陰徳が大きかったため、今日、禍は転じて福となったのでございます。

(野鶴)長老さま、たくさんの人相を見ましたが、このような事はございませんでした。長老さまの方丈をお借りして、酒を買い、裴中立さまをお祝いするのに、何の良くないことがございましょう。

(長老)先生、それはよい。それはよい。拙僧が斎食を用意しましょう。誰かが来たぞ。

(野鶴が酒を斟ぐ)

(夫人が登場)老いぼれは韓夫人。昨日、裴中立さまはわれら一家の命を救ってくださったが、今日、食事を運ぶとき、そのことを主人に話した。主人は愚女瓊英を裴中立さまに娶せ、妻にするように命じた。老いぼれは人に尋ねたが、裴中立さまは白馬寺にいらっしゃるということだ。こちらに尋ねてき、方丈に着いた。そのまま行こう。(会う)

(夫人)長老さま、ご機嫌よう。秀才さまの大恩は忘れはしませぬ。今日、主人に食事を運びましたとき、くわしくこの事を話しますと、主人はたいへん喜びました。

(野鶴)さきほど中立さまが仰っていたことは、まさにこのこと。

(夫人)先生。主人は深く中立さまのご恩に感じておりますが、お礼しておりませぬ。愚女瓊英を、中立さまが醜いことをお厭いになりませぬなら、中立さまの妻にしたいと思います。夫が出獄しましたら、結婚を成就したいのですが、お二方にはお笑いになりませぬよう。

(野鶴)これは夙縁。淑女は君子に娶せるべきでございます。

(長老)ご夫人、まずは中立さまのため、結婚をお約束していただいたことに感謝いたします。

(野鶴)ご夫人、さりながら、中立さまは功名を重んじるべきでございます。功名を先にし、妻室を後にしなければなりませぬ。

(正末)先生のこのようなご厚意は得難いものでございます。わたしにもその意思がございますが、懐が乏しいために、旅立つことができませぬ。

(野鶴)馬一頭を持っておりますから、先生にお送りしましょう。とりあえずおみ足の代わりにし、京師へ行かれよ。

(長老)野鶴さまが馬を援助なさるなら、拙僧は路銀を調えましょう。白銀二錠を、ひとまず路銀といたしましょう。

(正末)申し訳ございませぬ。

(夫人)中立さまは文武両道、皇朝を輔佐なさることでしょう。男児は四方の志[153]を持つものであり、文[154]、行[155]、忠、信は、人の大本でございます[156]。お気を付けて。

(正末)ご夫人、ご安心ください。(唱う)

【仙呂】【賞花時】忠信を立て男児は四方の志あり、王佐[157]に居れば丹扆(たんい)[158]は八荒をば定め、万姓を撫し、辺疆をしぞ定むべき。都堂となり、相と為りなば、その時は錦を()つつ帰郷すべけん。(退場)

(夫人)長老さま、先生、失礼いたします。老いぼれは戻ってゆきます。

(長老)ご夫人。裴秀才さまは行かれれば、かならずや役人になられましょう。

(夫人)裴中立さまが官位を得られたら、長老さま、先生のご恩を忘れぬことでしょう。老いぼれはぐずぐずせずに、この事を主人に話しにゆきましょう。(退場)

(野鶴)裴中立さまのお顔を拝見しましたが、行けばかならず重用せられることでしょう。

(長老)拙僧はいささかの酒、果物を用意しました。われら二人はただちに十里の長亭に行き、中立さまを送別すれば宜しいでしょう。

(野鶴)それはよい。それはよい。われら二人は送別しにゆきましょう。(ともに退場)

第四折
(太守が登場)王法はさまざまありて貪官を誅し、刑名はくさぐさありて不正を(をさ)む。法正しければ天の心は順ひて、官清ければ民はおのづと安からん。

老いぼれは韓廷幹。先任の洛陽太守。傅彬は公金一万貫を横領し、事が露顕し、役所に連行され、罰金を追徴されることになった。ところが傅彬は恨みを抱き、老いぼれが三千貫を横領したと指摘したため、無実の罪で牢に囚われ、命令通りに、罰金を払うことになった。家には夫人と、娘瓊英がいるばかり。老いぼれは暮らしが窮迫していたため、親戚たちは千貫を援助し、娘は詩を作り、千貫のお金を集めた。さらに李邦彦さまは、洛陽に逗留し、賢良を探訪し、奸党を偵察なさっていたのだが、娘が詩を作り、冤罪を訴えているのを見ると、値は千貫の玉帯一本をお与えになった。罰金を完納し、ようやくに縄目を脱した。さいわいに李公子は、老いぼれが濡れ衣であることを知り、文書を都省に送り、駅馬を馳せて報告し、聖上ははじめて事情を悟られた。聖上は憐れと思し召され、老いぼれが払った罰金三千貫をすべて老いぼれに返された。一つには上は朝廷の法律に(たが)わず、二つには民草を疲弊させていなかったからだ。さらにそれがしの家が、父は清廉、母は厳格、娘は孝行であったので、ありがたい聖恩により、老いぼれを都省参知政事に昇任させた。娘は公子の玉帯を得、山神廟に忘れたが、裴度に帯を還してもらい、一家の命は救われたので、老いぼれは囚われていたとき、娘を裴度に娶すことを約束した。今回、裴度は受験したが、文武両道であったため、聖上はおおいに喜び、重用せられ、都省の儀仗を貸し、三日間誇官させている。老いぼれがこの事を奏上すると、ますますお喜びになった。聖上の御諚を奉じ、老いぼれは裴度を招いて婿にする。今、官媒は絲鞭を掲げ、肖像を掛け、左右にいる紅い裙、翠の袖のものたちは[159]、娘を楼に担ぎあげ、繍球を抛たせ、状元を招き、婿にさせる。老いぼれは官媒と左右のものに命じよう。韓さまの家だとはひとまず言うな。裴度さまが承知なさるか否かを見てから、事実を明かしても遅くはない。結婚した後、老いぼれは報告し、聖恩に謝するとしよう。深きご恩を蒙りてたちまちに昇進し、恩を承くれば拝舞[160]する御階(きざはし)の前。彩楼に婿をとり、佳配(つれあひ)となる。当今の聖上は英賢を重んじたまへり。(退場)

(張千が登場)わたしは張千、旦那さまのご命を受けて、彩楼を組み立てて、婿選びしようとしている。なぜ媒酌が来ないのだ。

(媒酌が登場)わたしは官媒。韓さまは婿をお選びになる。今日は彩楼を組み立てて、婿を招こうとなさっている。張千さん、ご機嫌よう。

(張千)この官媒婆め。ご隠居さまが人を遣り、おまえを訪ねさせたのに、どこにいたのだ。

(媒酌)「吉日はいずこも同じ」ということをご存じですか[161]。さきほど七八十か処で縁談を持ちかけていたのです。わたしはすべて断って、こちらに来たのでございます。

(張千)ご隠居さまのご命令だ。今、彩楼が組み立てられて、お嬢さまは彩楼で新しい状元を待ってらっしゃる。絲鞭を持って、道を遮り、お嬢さまに繍球を抛たせ、新しい状元を招かせるのだ。状元がどちらの家で婿を招いているのですかと尋ねたら、韓さまの家だとはひとまず言うな。絲鞭を受け取り、馬を下り、相見えるのがおわったら、その時はじめてお知らせするのだ。

(媒酌)かしこまりました。すっかり準備は調った。お嬢さまに彩楼に上っていただこう。

(張千)山人[162]を呼んだのに、今になっても来ないわい。

(山人が登場[163]

(瓊英が登場)わたしは韓瓊英。父が出獄してから、李公子さまが聖上に奏上し、聖上は父を京師にお召しになった。ありがたい聖恩により、父は都省参知政事に昇任した。父裴中立は帯を還された一件を奏上したが、裴中立さまも状元に及第し、本日は誇官していらっしゃる。わが父は彩楼を組み立てて裴状元さまをお招きしようとしているが、そろそろいらっしゃるだろう。

(正末が登場)わたしは裴度。帝都に到り、文武両道であるため、一挙に状元に及第した。本日は、宰相さまの儀仗をお借りし、誇官して三日になる。今日があろうとは思わなかった。(唱う)

【双調】【新水令】思へば二十年(はたとせ)、洛陽の(ちりひぢ)(うづ)もれしかど、本日は蟄龍[164]は起ち、一声の(いかづち)は轟けり。一つには教養あれば立身をするに宜しく、二つには聖上は賢臣を重んじたまひたればなり。徳を好み、仁に親しみ、束帯冠巾、演武修文、温故知新し、われわれは天爵[165]を修め、方寸を正すべきなり。

(張千)媒婆よ、儀仗と傘蓋(きぬがさ)ではないか。状元さまがいらっしゃったぞ。

(媒酌)香風は淡淡として天花墜ち、天花は点点として香風軽し。馬前では状元さまのお成りぞと高く叫べり。今宵はいとも風流(なよびか)な婿となるべし。韓相[166]は今朝、彩楼を組み立てて、状元は志を得、優雅さを示したるなり。夫妻は本日姻眷(めをと)と成らん。げに一対の恥知らずなり。

(正末が唱う)
【慶東原】廊廟[167]に居り、縉紳となり、『詩』『書』を習ひ、『礼』『易』を学び、先進、君子に従ひて、本務に励めり。忘食し、発憤し、その身を正せり。白玉帯、紫朝服、茶褐傘[168]、黄金印の願ひを達せり。

(媒酌)瑶池[169]より降りたる玉天仙[170]は、この(ゆふべ)、高門に状元を招きたるなり。瓊醸[171]金杯長寿の酒、新郎は手を伸ばし絲鞭を受くべし。状元さま、絲鞭を受け取りたまへかし。

(正末が唱う)
【川撥棹】図像を延べて、高門に掛く。彩楼は新らしく、絳雲に接したるなり。皓き歯と朱き唇、翠の袖と紅き(もすそ)のものたちは、霧鬢雲鬟[172]の美人を取り巻く。官媒は案内し、状元さまをお招きし、婿にせんと言ひ、媒酌を邀へしことも、求婚をせしこともなかりしに、絲鞭を掲げ、玉樽を捧げたるなり。

(正末は相手にしない)

(媒酌)状元さま、絲鞭を受け取り、馬を下り、状元酒をお飲みください。

(正末)給仕よ、儀仗を並べてゆくとしよう。

(媒酌)天外の紅雲に彩楼は接したるなり、状元は誇職[173]して御街に遊べり。月宮を出たるは仙人の群、見れば嫦娥は繍球を抛ちたるなり。

状元さま、馬を下り、絲鞭をお受け取りください。

(旦)繍球を持ってきておくれ。

(小旦が繍球を渡す)

(媒酌)繍球は状元さまに当たりました。状元さま、馬を下り、絲鞭を受け取り、ご結婚なさってください。

年若くなよびかな美状元、心優しくしたはしき女嬋娟。今宵は洞房花燭の夜、こころみに見よ状元の一筋の鞭。

(正末が唱う)
【殿前歓】新郎を選ぶと言へり。今宵は花濁洞房の春。繍球を抛てばすんなりと、まさにわが身に中たりたり。

(媒酌)状元さま、馬を下り、ご結婚なさいまし。

(正末が唱う)結婚せよとむりに逼れり。

(媒酌)状元さま、馬を下り、ご結婚なさいまし。洞房花燭[174]、燕爾新婚[175]とゆきましょう。

(正末が唱う)黙れかし。なんぢにも謙遜の心はあるべし。

(媒酌)『毛詩』は言へり、淑女は君子に配すべきなりと[176]

(正末が唱う)『毛詩』の韻を踏むとはいへず。なんぢは風化を傷へり[177]。誰かはなんぢに従ひて燕爾新婚すべけんや。

(媒酌)状元さま、馬を下り、ご結婚なさいまし。

(正末)妻がいるので、結婚するのは難しい。

(媒酌)状元さまがご結婚していらっしゃろうと、この家には聖旨がございます。

(正末が慌てる)聖旨があるなら、左右のものよ、馬を繋げ。

(媒酌)状元さま、彩楼に上り、お掛けください。(東西に分かれて坐する)

(媒酌)霧鬢雲鬟窈窕の娘、繍球は状元郎に中たりたり。夫妻は交杯酒(かためのさかづき)を飲み終はり、今宵寝所で(たたか)ふことに備へたり。

(山人が撒帳[178]する)状元は紫驊騮[179]にしかと坐し、褐羅の傘下に優雅さを示したるなり。新婦は繍球を状元に投げ、永遠(とことは)に相守りつつ白頭(しらがあたま)となりぬべし。

(大声を出して平伏す)状元さま、彩楼に上り、お掛けください。五穀と銅銭を持ってきてください。

夫妻一対は帳中に坐し、仙音一派の(おと)は軽やか。洞房花燭の夜に備へ、今日はいと良き思ひをすべし。東方甲乙木[180]に撒く、娘を産むとも哭くなかれ[181]。状元は香はしき(ほほ)をしかと(をさ)へて、新婦を咬むべし。西方庚辛金[182]に撒く、娘を産めば針を売る[183]。状元は新婦をばしかと守りて、夫婦は一晩心臓の胸を離るることなきがごと[184]。さらに南方丙丁火[185]に撒く、娘を産めばわたしにそつくり[186]。状元は部屋に入りゆき、新婦を追ひて隠るる処なからしむ。北方壬癸水[187]に撒く、娘を産めば悪巧みせり[188]。状元は(くれなゐ)の羅帳に到り、新婦の片方の(あし)を引くべし。中央戊己土[189]に撒く、娘を産めば鼓を打つべし[190]上下(うへした)の唇を一口咬みて、両の手で胸元を握るべし。奥さま、若さま、ご隠居さま、状元新婦は対と成るべし。山人はとりたてて褒美を求むることなきも、散じおはらば梅香をしぞ捉ふべき。

(正末が唱う)
【喬牌児】たちまちに二人の妻を得しものを見しことぞなき[191]

(媒酌)結ぶは五百年前の宿縁仙契。

(正末が唱う)なんぢは言へり、五百年(いほとせ)の宿縁なりと、

(媒酌)状元さま。岳父さま岳母さまに拝礼なさり、対面の挨拶がおわりましたら、ご結婚なさいまし。聖旨がこちらにございます。

(正末が唱う)かれは言ひたり、君王の聖旨を奉じて盟約を為さんとしたりと。決して思はず、嫁のため丈人(しうと)をば拝せんと[192]

(旦児)あの状元に、前妻の姓と名は何というのか、どこの家の娘なのかと尋ねるのだ。

(媒酌)状元さまは結婚をなさっていると仰いましたが、お相手のご姓とお名は。

(正末が唱う)
【水仙子】思ひ起こせば、かのひとは芙蓉の美貌、尢魔フ(たま)、楊柳の繊腰(ほそごし)と紅杏の春[193]、海棠の顔色と江梅の韻[194]、かのひとは青山に上りて化身しえざることを恨みたり[195]。今は登科を売りたれば返事を求む[196]裴中立(わたくし)は身は栄え、韓瓊英は操を守れり。いかでかは他の人を夫人にすべけん。

(媒酌)状元さまはお嬢さまの名を仰ったから、お嬢さまに話しにゆこう。

(旦児に見えて拝する)お嬢さま、さきほど裴状元さまは、お嬢さまのお名前を仰いました。あのかたは仰いました。「裴中立(わたくし)は身は栄え、韓瓊英は操を守れり。いかでかは他の人を夫人にすべけん」と。

(旦児)裴中立さまがかように昔のことを思っていらっしゃるのなら、ほんとうにすぐれた君子だ。状元さま。わたくしをご存じでしょうか。わたくしこそは韓瓊英でございます。

(正末)瓊英お嬢さまだったのですか。

(正末が唱う)
【雁児落】誰か思はん、楚の陽台[197]眷姻(めをと)となり、藍橋駅[198]に睦み合ひ、武陵溪[199]に配偶を尋ね、桃源洞に秦晋[200]と成らんとは。

(韓公が登場)下役よ、祝賀の宴を調えろ。

(正末)官媒よ、舅どのに坐っていただけ。ご挨拶しよう。

(媒酌)状元さま、はじめはご承知なされなかったのに、今は慌ててどうなさいます。

(正末が唱う)
【得勝令】「親を敬ふ者はあへて人を(あなど)らず」。

(韓公)状元どの、本日は願いを達せられましたな。このようにご立派になられて。

(正末が唱う)富貴を享くればかならず人に異なりたるべし。

(旦児)帯を還ししご恩があれば、夫婦(めをと)となれり。両人の願ひは叶ひ、それぞれが思ひを遂げたり。

(正末が唱う)わたしは旧き誼を(おも)ひ、私心なかりき。お嬢さまは白玉帯の恩を知り、かならず恩に報いんとしたまひき。

(韓公)老いぼれはご恩を蒙り、たちまちに昇進したりき。夫人は三月の齏塩[201]に、娘は貧苦に甘んじて孝行したりき。この日一家は富貴となりぬ。

今日があろうとは思わなかった。

(正末が唱う)岳丈[202]は勤勉なれば、都省三台の印を掌り、ご夫人は操正しく、お嬢さまは百日の齏塩と清貧に耐へたりき。

(韓公)妻を呼べ。

(夫人が登場、正末に見える)裴中立さま、結構な官位を得られ、おめでとうございます。

(正末)ご夫人、お掛け下さい。(拝する)

(夫人)挨拶はご無用でございます。挨拶はご無用でございます。

(韓公)果卓を調え、酒を持て。裴中立さまに一杯お注ぎするから。

(趙野鶴が長老とともに登場)

(長老)野鶴どの、裴中立さまが一挙に名を成し、韓公が上奏し、聖上が韓公の婿にさせるとは思わなかった。われら二人は京師に来、今日は裴中立さまにお祝いしにゆく。

(野鶴)韓さまのお屋敷に来た。裴中立さまにお祝いしにゆこう。もう着いた。取り次いでくれ。洛陽白馬寺の長老が趙野鶴とともに若さまにお会いしにまいりましたと。

(張千)若さま、入り口に、洛陽白馬寺の長老さまと趙野鶴さまが若さまにお目通りしにきています。

(正末)迎えにゆきましょう。(会う)長老さま、失礼いたしました。

(長老)若さまはご出世なさいましたな。

(正末)お通ししろ。どうぞ。お二人はご隠居さまに会いにゆかれませ。

(二人が韓公に見える)

(正末)ご隠居さま、こちらが趙野鶴さま、こちらが白馬寺の長老さまでございます。

(野鶴)ご隠居さま、今日はたいへんおめでとうございます。

(正末)長老さまと野鶴さまが馬や銀子を援助してくださらなければ、裴度(わたくし)の今日はなかったでしょう。

(韓公)お二人とも、お掛けください。酒を持て。裴状元さまに一杯お注ぎしましょう。

(王員外が旦児とともに登場)わたしは王員外、裴度が官位を得、韓さまの家の婿になったと聴いたから、われら二人は韓さまの家の入り口に来た。裴中立さまにお祝いしにゆこう。

(旦)王員外どの。裴中立はわれわれを認めようとはしないでしょう。

(員外)構わない。わたしがいる。もう着いた。張千、取り次いでくれ。洛陽の王員外夫婦がわざわざ祝いにまいりましたと。

(張千)若さま、入り口に洛陽の王員外さまご夫妻がわざわざお祝いしにきています。

(正末)言いにゆけ。こちらに来ずに、出迎えさせるつもりかと。

(張千)若さまは仰いました。あちらに行かずに、若さまに出迎えさせるつもりかと。

(員外)はやくも嫌味を言っているわい。妻よ、行こう。

(正末に見える)裴状元さま、わたしはあなたが貧しさに耐える人でないものと思っていました。

(正末)酒を持て。岳父(しゅうと)どのに一杯お注ぎしよう。

(韓公)裴どの、今日があろうとは思わなかった。(酒を飲む)

(正末)酒を持て。野鶴さまに一杯お注ぎいたしましょう。

(野鶴)若さま、わたしの人相見は正確でしたか。

(正末)多い蒙る先生の観相していただいたのはありがたいことでした。左右のものよ、果卓を調えてこい。

(王員外)裴状元どの、ますます尊大になられましたな。あなたはどんなに偉くてもわたしの外甥に過ぎず、われらは腐ってもあなたのおじおばなのですぞ。ほかの人に酒を斟ぎ、どうしてわれらに酒を斟がれぬ。遠くから来たのは、酒食のためではない。「親を敬ふ者はあへて人を慢らず」といいますぞ。

(正末)酔って管を巻いておるわい。

(員外)酒など飲んでおりませぬ。

(正末)左右のものよ、四つの銀子を持ってこい。(銀子を与える)長老さま、思えば不遇だった時、いつも寺にいて、長老さまからたくさんのお持てなしを受けましたから、さらに二錠の銀子を沿えて、本日は元本利息四錠をお返ししましょう。

(長老)若さまにおおいに感謝いたします。

(正末)左右のものよ、さらに二つの銀子を持ってき、鞍馬を持ってき、春衣[203]二套を、野鶴先生に差し上げろ。一つにはその以前の借りを返すため、二つには先生の占い代にするためだ。

(員外)そうだったのか。長老さま、今になっても仰らなければ、いつ仰るのです。

(長老)待たれよ。待たれよ。今日はご隠居さまがこちらにいらっしゃいます。裴さま、怒りをお鎮めください。この人はお話しせねば気付きますまい。木は穿たねば穴があかず、氷は持たねば冷たくなく、胆は嘗めねば苦くないもの。拙僧がねんごろにお話しし、若さまにくわしくお知らせいたしましょう。裴状元どの、あなたはお若いときから身寄りがなかったため、貧しさに耐え、満腹の詩書経綸を持っていらした。長者さまがご親戚であったため、あなたは会って、身を寄せようとなさいました。王員外さまはあなたの浩然たる鴻鵠の志を見たため、ことさらに傲慢に振る舞いました。若さま、あなたは悶々として恨みを抱き、屋敷を離れ、寺に来て拙僧に会いました。わたしが斎食で持てなしますと、王員外さまはひそかに二錠の銀を送ってきました。あなたは上京、受験し、官位を求めようとなさいましたが、懐は乏しく、出発できませんでした。野鶴さまは駿馬をみずから送りましたが、二錠の銀はあなたのおじさまがあなたに贈らせたものなのです。あなたは今や

夫婦して栄達し、俸禄は多く、官位は高く、皇恩を受けたまひたり。そのかみは才学と徳行あれど願ひを達することこそ難けれ。「親戚はやはり親戚」なることをはじめて信ぜり[204]

(正末)長老さまが仰らなければ、裴度(わたし)は気付きませんでした。おじさん、おばさん、お掛けください。あなたにひどく瞞されておりました、おじさん。

(員外)おまえにひどく傲慢にされたわい。甥っこよ。

(韓公)祝賀の宴を調えろ。

(李邦彦が登場)九重の天より君のご恩は至り、四海はすべて雨露の恩をぞ蒙れる。

わたしは李邦彦、京師に行き、洛陽の韓太守一家の忠節孝行の事を奏上すると、聖上はたいへんお喜びになり、ふたたび韓公を入朝させ、重用せられた。韓公は裴度が帯を還した一件を聖上に奏上し、後に裴度は上京し、合格したので、命を奉じて韓廷幹の娘を裴度に娶せて、妻にすることとなった。今日は命を受け、ただちに韓廷幹の邸宅に行き、官位を加え、恩賞を賜う。もう着いた。韓廷幹よ、裴度よ、聖上の御諚を聴け。聖明の君主は至徳寛仁で、わたしを遣わし、民情を査察させたもうた。傅彬は財貨を貪り、賄賂を好み、法を犯し、忠臣に累を及ぼした。そなたは、妻は賢く、娘は孝であったため、京師へ迎えたのだ。韓廷幹は無実の罪で罰金を払い、公務に勤め、法律を守ったから、都堂に坐して省を統べさせ、名を揚げさせることにする。そなたの妻は志節を守り、清貧のなか、苦しみに甘んじたので、賢徳夫人とする。韓瓊英よ、そなたは孝行し、文を売り、筆を執った。裴中立よ、そなたは玉帯を返し、命を救った恩がある。裴中立は吏部冢宰とし、韓瓊英と結婚させる。国家が喜ぶのは義夫節婦、愛するのは孝子順孫。聖明の君主は官位を加え、恩賞を賜った。ともに宮居を望みつつ聖恩に謝せ。


題目 郵亭上瓊英売詩
正名 山神廟裴度還帯

 

最終更新日:2007年8月20日

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[1]元曲でよく用いられる登場詩。『凍蘇秦』『燕青博魚』『両団円』『看銭奴』などに用例がある。

[2]原文「尚兀自還不徹他這窮途債」。自分が窮途にあることを述べた句。貧乏暮らしを債務に喩えたもの。

[3]原文「幾時得否極生泰」。否と泰はいずれも易の卦の名。否は凶、泰は吉で、「否極生泰」は不運が極まって幸運に転じるという意味で常用される。「否終生泰」とも。

[4]玉の階。

[5]原文「擺三千珠履」。「珠履」は真珠の飾りの付いた履。この句、『史記』春申君伝「春申君客三千余人、其上客皆躡珠履以見趙使、趙使大慚」を踏まえ、家に多くの食客を抱えることを指していよう。

[6]金釵をつけた十二美人。白居易『酬思黯戯贈同用狂字』「鍾乳三千両、金釵十二行。妬他心似火、欺我鬢如霜。慰老資歌笑、銷愁仰酒漿。眼看狂不得、狂得且須狂」。

[7]原文「我不能勾丹鳳楼前春中選」。「丹鳳楼」は帝都、朝廷のこと。

[8]原文「伴著這蒺藜沙上野花開」。典拠がありそうだが未詳。いずれにしても、落第してわびしい情況を喩えているのであろう。

[9]くわのとぼそとかめのまど。貧しい家屋をいう。『荘子』譲王に見える言葉。

[10]原文「那個似那魯大夫親贈他這千斛麦」。「魯大夫」は未詳。

[11]原文「那個似那龐居士可便肯放做来生債」。「龐居士」は龐蘊。唐の人で、財産をすべて船に載せて沈め、修業したことで有名。『指月録』などに見える。元雑劇『龐居士誤放来生債』の主人公。「放做来生債」は「来世へ向けて金を貸す」という意味だが、来世へ向けて功徳を積むことの喩え。この句、龐居士のように功徳を積むことなどどうしてできようということ。

[12]原文「自無了田孟嘗、有誰人養剣客」。「田孟嘗」は孟嘗君田文。多くの食客を養っていたことで有名。食客の一人であった馮驩は長鋏の剣を弾じて「長鋏帰来」の歌を歌ったことで有名。

[13]原文「好教我十謁朱門九不開、我可便難也波禁、難禁那等朽木材」。「十謁朱門九不開」は偉い人になかなか会ってもらえないことをいう常套句。「也波」は襯字。「朽木材」は『論語』公冶長「宰予昼寝。子曰、朽木不可雕也、糞土之牆不可杇也、於予与何誅」に基づく言葉で、ここでは自分と面会しようとしない貴人を指しているものと解す。

[14]原文「可不道他山河容易改」。「山河易改、本性難移」という諺を踏まえた句。

[15]原文「聖人云、富家不用買良田、書中自有千鍾粟」。「聖人云」とあるが、「富家不用買良田、書中自有千鍾粟」は宋真宗『勧学文』に見える言葉。なお、裴度は唐の時代の人であるから、宋真宗『勧学文』を引用するのは本当はおかしい。

[16]原文「誰聴你那之乎者也的」。「之乎者也」は「説教」と訳したが、正確には文人臭のある話をいう。「之乎者也」は経書などでよく使われる虚字。

[17]本来『書経』をいうが、幅広く経籍をもさす。

[18]孔子。

[19]原文「邦反坫、樹塞門、敢管之器小哉」。この句、『論語』八佾「子曰、管仲之器小哉。或曰、管仲倹乎。曰、管氏有三帰、官事不摂、焉得倹。然則管仲知礼乎。曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、邦君為両君之好、有反坫、管氏亦有反坫。管氏而知礼、孰不知礼」を踏まえている。「反坫」は諸侯が会見し、酒を酌み交わした後、返す杯を置く台。「樹塞門」は目隠し塀を立てること。

[20]齏は野菜の膾。粗末な食事。

[21]四人の聖人をさすが、諸説ある。ここでは漠然と多くの聖人たちという意味。

[22]十人のすぐれた人をさすが、諸説ある。ここでは漠然と多くのすぐれた人たちという意味。

[23]「七政」は天、地、人、四時。「三才」は天、地、人。「七政三才」は森羅万象という意味であろう。

[24]八座の誤りであろう。六部の尚書と左右の僕射。三台八座と熟する。

[25]大尉、司徒、司空。

[26]原文「您侯門深似海」。「侯門深似海」は貴人の屋敷の奥深いことをいう常套句。

[27]原文「我若是半生還不徹黄虀債」。「黄虀」は黄ばんだ漬け物。粗末な食事の代名詞。「黄虀債」は粗末な食事をする運命を債務に喩えたもの。

[28]原文「尚兀自絶糧孔聖居陳蔡」。「孔聖」はいうまでもなく孔子のこと。かれが陳、蔡の大夫に包囲され、食糧を絶たれたことは『論語』衛霊公に見える。

[29]原文「你正是那得道誇経紀、我正是成人不自在」。「成人不自在」は一人前の人間になるのは容易ではないという趣旨の諺。したがって、前の句の「得道誇経紀」も諺かと思われるが未詳。

[30]原文「有一日顕威風出浅埃、起雲雷変気色」。「浅埃」は未詳。ただ、いずれにしても「出浅埃」は「出世する」などという方向であろう。

[31]原文「坐金鼎蓮花碧油幢」。「碧油幢」は緑色の油幕。陣幕や車の覆いに用いる。「金鼎蓮花」は未詳。

[32]『論語』陽貨「吾豈匏瓜也哉。焉能繋而不食」。匏瓜はなりひさご。食用でない瓜。転じて人に用いられることのない人材。

[33]原文「更怕我辱沒了您門前下馬台」。「下馬台」は未詳だが、字義からして、馬から下りるときの踏み台であろう。

[34]かんざしと冠の紐。転じて高位高官のこと。

[35]色彩や飾りを施したほこ。『東京夢華録』駕行儀衛「次日五更、摂大宗伯執牌奏中厳外辦、鉄騎前導番袞。自三更時相続而行、象七頭、各以文錦被其身、金蓮花座安其背、金轡籠絡其脳、錦衣人跨其頸、次第高旗大扇、画戟長矛、五色介冑」。

[36]宋代、科挙合格者に対し、皇帝が瓊林苑で催した宴。『宋史』選挙志一科目上「八年、進士、諸科始試律義十道、進士免帖経。明年、惟諸科試律、進士復帖経。進士始分三甲。自是錫宴就瓊林苑」。

[37]原文「我将那紫絲韁慢擺、更和那三簷傘雲蓋」。「三簷傘」は三つのひさしのついた傘。「雲蓋」は雲の模様の描かれた傘。

[38]原文「南無爛蒜吃羊頭、娑婆娑婆、抹奶抹奶」。「南無爛蒜吃羊頭」は経文か仏の名をもじった句と思われるが未詳。「娑婆娑婆、抹奶抹奶」も未詳。

[39]原文「撲之師父不在家」。「撲之」が未詳。衍字か。

[40]原文「搗蒜泡茶来」。「搗蒜」はニンニクを搗くこと、また、そうする時のようにぺこぺこすること。

[41]蘇軾『戎州詩』「痩嶺春耕少、孤城夜漏閑」。

[42]原文「風纏雪銀鵝戯」。「銀鵝」は白い鵝鳥。ここでは雪を喩えるか。

[43]軒からさげた玉片。風に揺れると音を立て、鳥を驚かす。

[44]後漢の人。雪に閉ざされた家の中で寝ていたことで有名。『後漢書』袁安伝「後挙孝廉」注引「汝南先賢伝曰、時大雪積地丈余、洛陽令身出案行、見人家皆除雪出、有乞食者。至袁安門、無有行路。謂安己死、令人除雪入戸、見安僵臥。問何以不出。安曰、大雪人皆餓、不宜干人。令以為賢、挙為孝廉也」。

[45]原文「這其間尋梅的意懶」。元雑劇『蘇子瞻風雪貶黄州』第二折に「生扭做踏雪尋梅孟浩然」という言葉がある。また、すでに逸した明代の雑劇に『孟浩然踏雪尋梅』がある。荘一払編著『古典戯曲存目彙考』四百六頁参照。孟浩然が雪の中、梅見をするという物語が劇にされて演じられていたことが分かるが、この劇が何を典拠にして作られたのかは未詳。

[46]原文「訪戴的心灰」。王子猷が雪の日の夜に、戴安道を訪ねようとし、その門前まで行ったが、引き返したという、『世説新語』任誕「王子猷居山陰、夜大雪、眠覚、開室、命酌酒。四望皎然、因起仿偟、詠左思招隠詩。忽憶戴安道、時戴在剡、即便夜乗小船就之。経宿方至、造門不前而返。人問其故、王曰、吾本乗興而行、興尽而返、何必見戴」を踏まえた句。

[47]原文「映雪的傷悲」。いうまでもなく、雪明かりで本を読んだ孫康の映雪読書の故事にちなむ句。『初学記』巻二引『宋斉語』に見える。

[48]原文「氷雪堂凍蘇秦懶謁張儀」。元雑劇に『凍蘇秦衣錦還郷』があり、張儀のもとに身を寄せた蘇秦が氷雪堂で凍えさせられる場面があるが、正史にはこのような物語はない。

[49]原文「藍関下孝韓湘喜遇昌黎」。「藍関」は藍田関のこと。陝西省にある関の名。韓愈がここで詠んだ詩『左遷至藍関示姪韓湘』「一封朝奏九重天、夕貶潮州路八千。欲為聖朝除弊事、肯将衰朽惜残年。云横秦嶺家何在、雪擁藍関馬不前。知汝遠来応有意、好収吾骨瘴江辺」は有名。「孝韓湘」はこの詩の題名にある「姪孫湘」、韓湘のこと。

[50]原文「屯的這路弥漫」。主語は「雪」であろう。

[51]『漢語大詞典』は『裴度還帯』のこの例を引き青女の意とする。青女は霜雪を司る神。

[52]原文「戦八百万玉龍退敗、鱗甲縦横上下飛」。この句、宋の張元の詩『雪』に見える。乱れ飛ぶ雪を玉龍の鱗に喩えたもの。

[53]原文「可端的羨殺馮夷」。前とのつながりが未詳。馮夷は黄河の水神。

[54]原文「乱飄僧舍茶煙湿、密灑歌楼酒力微」。「茶煙」は茶を湧かす煙。「酒力」は酒が人を酔わせる力。この句、鄭谷『雪中偶題』。

[55]料理の名前かと思われるがまったく未詳。また、一つの物であるかどうかも未詳。ただ、斎食というにはほど遠い、生臭物のようである。

[56]原文「這的是鶴長鳧短不能斉」。『荘子』駢拇「長者不為有余、短者不為不足。是故鳧脛雖短、続之則憂、鶴脛雖長、断之則悲」に基づく句。

[57]原文「比吾師身穿幾件蜋皮」。蜋はふんころがし。「蜋皮」は汚らわしい人間の綺麗な服装。

[58]「肉眼通神」は趙野鶴の綽名であろう。俗人でありながら眼識は神のように優れているということであろう。

[59]相術家の用語と思われるが未詳。

[60]相術家の用語と思われるが未詳。

[61]まなじり。

[62]右目。

[63]原文「一露二露、有衫無褲、露若至五、夭寿孤苦、五露倶無、福寿之模」。出典があるかも知れないが未詳。

[64]漢代の老嫗。周亜夫が餓死することを占ったことで有名。『史記』巻五十七に伝がある。

[65]相術家の用語で顎のこと。陳永正主編『中国方術大辞典』三百六十四頁参照。

[66]相術家の用語でまなじりの外側のこと。陳永正主編『中国方術大辞典』三百五十頁参照。

[67]相術家の用語で左の小鼻をいう。陳永正主編『中国方術大辞典』三百六十三頁参照。

[68]相術家の用語で右の小鼻をいう。陳永正主編『中国方術大辞典』三百六十五頁参照。

[69]相術家の用語で鼻梁をいう。陳永正主編『中国方術大辞典』三百五十頁参照。

[70]相術家の用語で眉間をいう。陳永正主編『中国方術大辞典』三百六十二頁参照。

[71]相術家の用語で上唇の中央の窪みをいう。陳永正主編『中国方術大辞典』三百四十六頁参照。

[72]原文「測他那山根印堂人中貴」。「貴」が未詳。

[73]相術家が人体及び顔を三つに分け、上中下三停という。三停の釣り合いがとれているのを吉相とする。陳永正主編『中国方術大辞典』三百四十九頁参照。

[74]龍角骨。輔角骨。両眉から隆起して生え際に伸びる骨。吉相とされる。陳永正主編『中国方術大辞典』三百六十頁参照。

[75]相術家の用語で印堂(眉間)から天中(鼻)あたりが盛り上がっている相をいう。貴人の相とされる。陳永正主編『中国方術大辞典』三百六十五頁参照。

[76]原文「這廝好世情看冷暖、人面逐高低」。「世情看冷暖、人面逐高低」は「世人の感情や表情は(相手の暮らし向きや地位の)によって変化する」ということ。世知辛いことをいう常套句。

[77]原文「衠一剗説兵機」。「兵機」は兵略、戦略のことだが、ここでは自分の知っている相手の運命のことであろう。

[78]原文「我雖在人閭閻之下、眉睫之間」。「閭閻」は里巷。「眉睫之間」は微少なものの喩え。

[79]一斗を入れるますと一斗二升を入れる竹器をいう。度量の小さいものの喩え。『論語』子路「子曰、噫。斗筲之人、何足算也」。

[80]微少な病の喩え。『国語』呉語「今王非越是図、而斉魯以為憂、夫斉魯譬諸疾、疥癬也」注「疥癬、在外為害微也」。

[81]禹門は龍門に同じ。ここにある三段の滝が「禹門三級」で、これを遡った鯉は龍になるとされるので、科挙の関門に喩えられる。「禹門三級」という言葉は『碧巌録』をはじめ多くの仏書に見える。『碧巌録』巻一「禹門三級浪。孟津即是龍門。禹帝鑿為三級」。『万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録』「魚躍禹門三級。雷電焼尾成龍」。元雑劇では『蘇子瞻酔写赤壁賦』第一折【油葫蘆】に「奪這翰林両字標金榜、便是那禹門三級桃花浪」、『施仁義劉弘嫁婢』第三折の李遜の台詞に「禹門三級浪、平地一声雷」という句が見える。

[82]原文同じ。鰲魚の背で、これに乗るということは、科挙合格という壮挙の喩えであろうが、鰲魚と禹門とは関係ないはず。

[83]天の門。葉適『贈祈雨妙闍梨』「傍捜潭洞攪龍蟄、鞭雷走電開天関」。

[84]「平地一声雷」は突然の雷。一挙に出世したり、意外なことが起こったりすることの喩え。

[85]麒麟閣。麟閣。中国漢代、長安の宮中にあつた高殿で、宣帝の時、功臣の肖像が飾られた。

[86]原文「看姓名亜等呼先輩」。「亜等」が未詳。

[87]原文「攀龍鱗、附鳳翼」。『法言』淵騫に見える言葉で、聖人に従うことの喩え。

[88]原文「雖然相法中如此断、也看人心上所積」。「也看人心上所積」が未詳。とりあえずこう解釈する。

[89]原文「人有可延之寿也」。「亦有可折之寿」と続き、寿命は行い次第で長くなったり短くなったりするということを述べた諺。

[90]『論語』学而。

[91]『論語』学而。

[92]原文「雖是我十年窓下無人比」。「比」が未詳。とりあえずこう解釈する。

[93]白い襴衫。生員の服装。襴衫の:『三才図会』

[94]本来官名だが、ここでは従者のこと。

[95]珍宝で装飾し、彫刻を施した鞍。

[96]原文「笑吟吟喜春風驟馬嬌嘶」。「嬌嘶」は「驕嘶」の誤字。杜甫『驄馬行』「雄姿逸態何崒、顧影驕嘶自矜寵」。

[97]朱幢はあかいはた、p蓋はくろいかさ。

[98]尚書省。

[99]原文「都省無好官長奏聞」。「奏聞」が未詳。衍字か。後ろの「行移がこちらの役所に送られ(行移至本府)」に繋げても落ち着きが悪い。

[100]公文書。

[101]原文「休越朝廷法例」。「休越」が未詳。とりあえずこう解釈する。

[102]原文「家中収拾只勾送飯日用而已」。「収拾」が未詳。とりあえずこう解釈する。

[103]原文「城中関裏人事上也絮繁了」。「関裏」は後ろに「城中(まちなか)関廂の内と外では(這城中関廂裏外)」とあることから考えて、「関廂」のことであろう。城門内の大通りとその付近。「人事上也絮繁了」は未詳、とりあえずこう解釈する。

[104]料理名と思われるが未詳。臘肉は塩漬け肉。

[105]未詳だが、文脈からして、中央から役人が派遣されてきたときに、派遣先の地方官が贈る賄賂の類であろう。

[106]未詳だが、文脈からして、中央から派遣された役人が派遣先を離れるときに、派遣先の地方官が餞別として贈る賄賂の類であろう。

[107]原文「日月雖明、不照覆盆之下」。「覆盆」は雪がれていない冤罪の喩え。

[108]『論語』為政。

[109]原文「皇天輔得玉麒麟」。「玉麒麟」は勝れた人物の喩えと思われるが未詳。

[110]原文「太平有象雲連麦」。「雲連」は雲に連なること。この句、大平の世にたくさんの麦が実るきざしが見えているという趣旨であると解す。雪は豊作の験。

[111]瑞祥。

[112]原文「兀那小姐」。今までは「娘よ(兀那女子)」と呼んでいたのに、言い方が改まっている。

[113]原文「呈祥遍迥飛瓊鳳、表瑞騰空墮素鸞」。「遍迥」が未詳。「騰空」と対になっているので、動詞目的語構造なのであろう。「迥」は「迥空」という言葉もあるので、「そら」の意と解す。「瓊鳳(宝玉の鳳凰)」「素鸞(白い鸞鳥)」はいずれも雪の喩えであろう。

[114]樹木、穀物。

[115]原文「此詩中意、有世教、有機見、有志気、有彼此」。「彼此」が未詳。とりあえずこう解釈する。

[116]原文「志在中央得正気」。含意未詳。典拠がありそうだが未詳。

[117]どこからともなく漂ってくる梅の香り。転じて梅そのものもいう。

[118]原文「似這般齏塩的日月、幾時是了也呵」。「齏塩」は前注参照。

[119]草むら。草莽。

[120]原文「看別人青霄有路終須到」。「青霄有路終須到」は、いつかかならず出世、具体的には科挙に合格することをいう元曲の常套句。『曲江池』にも見える。

[121]原文「知他我何日朝聞道」。「朝聞道」はいうまでもなく、『論語』里仁「朝聞道、夕死可矣」に基づく言葉。有道の世となったことを聞くこと。「知他我何日朝聞道」は「いつになったら有道の世になって、自分が合格するだろうか」ということであろう。

[122]原文「這的是善与人交」。「善与人交」は『論語』公冶長「晏平中善与人交」に基づく言葉。ただ、前の部分とのつながりが未詳。

[123]原文「我与你払了這頭上雪」。「与你」が未詳。衍字か。

[124]原文「我則見泥脱下些抑托。更和這水浸過這笆箔」。「抑托」は「笆箔」と対になっていることからして、建造物の一部であろうと思われるが未詳。

[125]原文「陰能克昼」。典拠がありそうだが未詳。

[126]原文「衣服就身上偎」。「偎」は「煨」の誤字であろうが、「身上偎乾」とはどういうことなのか未詳。とりあえず、訳文のように解す。

[127]供物机。

[128]原文「買売帰来汗未消、上床猶自想来朝。為甚当家頭先白、暁夜思量計万条」。「買売帰来汗未消」は商売に勤しむさまをいう、元曲の常套句。『東堂老』『范張鶏黍』『趙礼譲肥』『生金閣』『黒旋風』『金鳳釵』『遇上皇』などに用例あり。

[129]婦人の胸を覆う布。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百三十六頁参照。

[130]先に出てきた起馬銭に同じいであろう。

[131]前注参照。

[132]『詩経』蓼莪。

[133]『孝経』開宗明義。

[134]『孝経』開宗明義。

[135]原文「当日個賈氏為父屠龍孝」。「賈氏為父屠龍孝」は典拠未詳。

[136]『太平御覧』巻八百九十二引『孝子伝』「楊香其父為虎噬、忿憤搏之、父免害」。

[137]曹娥は後漢の孝女。父が川で溺死し、死体が見つからなかったため、十七日間川のほとりで泣き続け、入水したという。『後漢書』巻百十四「孝女曹娥」参照。

[138]原文「我一心待要固窮守分天之道」。「固窮」は『論語』衛霊公「子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣」に基づく言葉。

[139]原文「可不道君子不奪人之好」。「君子不奪人之好」は立派な人は他人が好むものを奪わないものだという諺。現在でも用いる。

[140]原文「老身一家処於患難、先生也在窘迫、故使先生救我一家性命」。未詳。とりあえずこう訳す。

[141]原文「咱正是揺鞭挙棹休相笑」。「揺鞭挙棹」の含意が未詳。とりあえずこう訳す。

[142]滑り止めのついた階段。

[143]原文「這的是貧不憂愁富不驕」。「貧不憂愁富不驕」は「貧不怨来富不誇」とも。当時の諺。

[144]原文「投之以木桃、報之以瓊瑶」。『詩経』木瓜。なお「木桃」はくさぼけ。「瓊瑶」は美しい佩玉。

[145]『書経』蔡仲之命「皇天無親、惟徳是輔」。

[146]『論語』陽貨。

[147]『論語』述而。

[148]原文「風雲酔碧桃」。未詳。とりあえずこう訳す。

[149]矛、戟などの武器。

[150]原文「雁塔名標」。雁塔は長安の大雁塔。ここに科挙の合格者が名を記したことから、「雁塔名標」「雁塔題名」は科挙に合格すること。

[151]原文「趁著這万里風頭鶴背高」。元好問『歩虚詞』「三更月底鸞声急、万里風頭鶴背高」。

[152]原文「有一日享栄華、受官爵、早則不居無安、食無飽」。「居無安、食無飽」は『論語』学而「居無求安、食無求飽」に基づく言葉。

[153]天下を経営しようとする遠大な志。

[154]文章。教養。

[155]徳行。

[156]原文「文、行、忠、信、人之大本也」。「文、行、忠、信」という言葉は『論語』述而「子以四教、文、行、忠、信」に見える。

[157]天子を輔佐する地位。

[158]天子が諸侯に対するとき、後ろに立てる赤い屏風。また、天子のこと。

[159]原文「左右紅裙翠袖」。侍女たちのこと。

[160]拝礼の舞踏。叙位、任官などの時に、礼を述べ、舞う礼。

[161]原文「你知道好日多同麼」。「好日多同」は諺と思われるが未詳。禅僧の語録に頻出するようである。『嘉泰普燈録』巻一、『円悟仏果禅師語録』巻七、『古林清茂禅師語録』巻一、『瞎堂慧遠禅師広録』巻一、『偃溪広聞禅師語録』巻一、『密菴和尚語録』などに用例がある。

[162]山人は本来は隠者のことだが、元曲では、占い師や、ここでの例のように、結婚式の時に撒帳の儀式を行うものを指す。撒帳の儀式については葉大兵等主編『中国風俗辞典』百九十八頁参照。『東京夢華録』巻五・娶婦「男掛於笏、女搭於手、男倒行出、面皆相向、至家廟前参拝畢、女復倒行、扶入房講拝、男女各争先後対拝畢、就牀女向左、男向右坐、婦女以金銭彩果散擲、謂之撒帳」。

[163]原文「山人上云科了住」。「科了住」が未詳。衍字か。

[164]雌伏している龍。出世していない優れた人物の喩え。

[165]天から受ける爵位。徳があって、自然に尊いこと。

[166]韓廷幹をさす。

[167]朝廷。

[168]褐色の傘であろう。『水滸伝』第十三回、『金瓶梅』第六十五回に用例がある。

[169]『穆天子伝』巻三「乙丑、天子觴西王母於瑶池之上」。

[170]仙女。また、そのような美人。ここでは韓瓊英の喩え。

[171]未詳だが、瓊漿と同じで、美酒のことであろう。

[172]女子の細密で柔らかい頭髪をいう。『佩文韻府』引劉迎詩「霧鬢雲鬟窈窕娘」。

[173]原文同じ。未詳だが、元曲によく出てくる「誇官」に同じいであろう。科挙合格者や昇進した役人がパレードすること。

[174]結婚式、華燭の典をいう。

[175]結婚して間もない新婚の状態をいう。この言葉自体は『詩経』谷風に出てくる言葉。

[176]原文「毛詩云淑女可配君子」。『詩経』関雎「窈窕淑女。君子好逑」を踏まえた句であろう。

[177]原文「你道做了有傷風化」。未詳。とりあえずこう訳す。

[178]前注参照。

[179]驊騮は秦穆王の八駿の一つ。また、幅広く、駿馬のこと。

[180](きのえ)(きのと)は木に関連する。また、木は五行説では東に相当する。

[181]原文「養的孩児不要哭」。「養的孩児」が未詳。とりあえずこう訳す。以下、「養的孩児〜」という句が五つあるが、すべてこう訳す。

[182]五行説では(かのえ)(かのと)は金に関連し、金は西に相当する。

[183]原文「養的孩児会売針」。「会売針」が未詳。とりあえずこう訳す。

[184]原文「両個一夜胸脯不離心」。「一夜胸脯不離心」が未詳。とりあえずこう訳す。

[185]五行説では(ひのえ)(ひのと)は火に関連し、火は南に相当する。

[186]原文「養的孩児恰似我」。未詳。とりあえずこう訳す。

[187]五行説では(みずのえ)(みずのと)は水に関連し、水は北に相当する。

[188]原文「養的孩児会調鬼」。未詳。とりあえずこう訳す。

[189]五行説では(つちのえ)(つちのと)は土に関連し、土は中央に相当する。

[190]原文「養的孩児会擂鼓」。未詳。とりあえずこう訳す。

[191]原文「幾曾見酩子裏両対門」。「両対門」が未詳。とりあえずこう訳す。

[192]原文「終不我為媳婦拝丈人」。未詳。とりあえずこう訳す。嫁と結婚して舅に挨拶したりはしないという趣旨か。

[193]原文「楊柳纖腰紅杏春」。「紅杏春」が未詳。とりあえずこう訳す。韓瓊英の美しさを春の紅杏に喩えているか。紅杏は女性の紅い頬の喩えとして用いられている例がある。『佩文韻府』引周憲王竹枝歌「春衫女児紅杏顋」。『裴度還帯』のこの箇所も、本当は「紅杏顋」としたいのだが、韻字の関係で「紅杏春」としているのではないか。

[194]原文「海棠顔色江梅韻」。江梅は梅の一種。野梅。「韻」は風韻。

[195]原文「他恨不的上青山変化身」。未詳。とりあえずこう訳す。『初学記』巻五引『幽明録』に見える、夫を待ちこがれる妻が山に登り、石に化したという故事にちなんだ句か。

[196]原文「這其間売登科尋覓回文」。未詳。とりあえずこう訳す。「登科」は「登科記」か。科挙の合格者名簿。

[197]楚の襄王が高唐に遊んだとき、陽台のもとで朝には雲となり、夕べには雨となるという巫山の神女を夢みて、これとちぎつたという、『高唐賦』の故事を踏まえ、男女情交の場。

[198]陝西省の地名。裴航が仙窟で雲英に逢ったという伝説のある地。『太平広記』巻五十「裴航」参照。

[199]いうまでもなく、陶淵明『桃花源記』で述べられている、桃源郷のある渓谷の名。

[200]結婚、また、結婚したもの同士をいう。春秋時代、秦と晋がしばしば婚姻関係を結んでいたことから

[201]虀塩に同じ。前注参照。

[202]しゅうと。ここでは韓廷幹をさす。

[203]春用のひとえの服。

[204]原文「方信道親的原来則是親」。未詳。とりあえずこう訳す。

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