朱太守風雪漁樵記
第一折
(冲末が王安道に扮し登場、詩)一葉の扁舟は柳の梢に繋ぐなり、酒は新たなる甕を開け鮓[1]は包みを開くなり。江上に漁父となりてより、二十年来腕組みをせしことぞなき[2]。
老いぼれは会稽郡の人、姓は王、名は安道という。特別な商売は何もせず、毎日この曹娥江の堤の岸の近くで、魚を捕らえて暮らしている。わたしには二人の弟がおり、一人は朱買臣、一人は楊孝先という。かれら二人は毎日柴刈りして暮らしている。わが弟の朱買臣は、満腹の才学があるのだが、いかんせん文才はあるものの福分はなく、功名は得られずに、この地の劉二公の家で婿となっている。本日は晩冬の天候で、紛紛揚揚、このような大雪が降っている。二人の弟は山へ柴刈りしにいった。老いぼれは一壺の新酒を買って、二人の弟が来たときに、かれらに寒さを凌がせよう。ひとまず風を避ける処で待つとしよう。そろそろ二人の弟が来るだろう。
(正末が朱買臣に扮し、外が扮した楊孝先とともに登場)
(楊孝先)兄じゃ、このような大雪で、どうして柴が刈れましょう。戻っていったほうが宜しゅうございましょう。
(正末)わたしはこの会稽郡集賢荘の人、姓は朱、名は買臣という。若いときにはすこぶる儒学を習ったが、今はこの村の劉二公の家に婿入りしている。妻は劉家の娘、人々はかれの器量が幾分美しいために、みなかれを玉天仙と呼びなしている。この女はすこぶる愚かで、しばしばわたしと喧嘩している。わたしはやむなく我慢して、かれにいささか譲っているのだ。わたしはこの村で、二人の友人と結義している。兄は王安道、弟は楊孝先だ。兄じゃは魚を捕らえる漁師、弟の楊孝先はわたしと同じく薪を負って暮らしている。わたしたち兄弟は毎日堤の近くで、しばらく閑談をしている。今日は紛紛揚揚とこのような大雪が降っており、手は凍え、すっかりかじかみ、柴を刈ることはできない。(嘆く)(言う)朱買臣よ、おまえは今や四十九歳、功名は遂げることなく、いずれの年に出世するやら。
(楊孝先)兄じゃ、思うにわたしは毎日柴刈りしておりますが、いつになったら終わりますやら。
(正末が唱う)
【仙呂】【点絳唇】十載書を読み、半生埋もる。禄を干むることを学べど、この者也之乎[3]にかかずらひ、苦労して貧しき骨と皮になりたり。
【混江龍】老いぬれば不遇なり。満腹の文章をあだにして、いかにぞすべき。われは謙謙たる君子[4]にて、泛泛[5]たる庸徒にあらず。われもかつては三冬に書を貪りて、積もれる雪に寄り添ひしことありしかば[6]、鵬程万里、風の扶けに任すべし[7]。
(言う)孔子曰く「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑はず、五十にして天命を知る[8]」。天よ。天よ。
(唱う)わたしは今はかく豊かなる天才を徒にしたれど、身の置き処なかるべからず。功名を得て翰林院に出仕すべきに、などてわたしを柴の市にぞ除したまふ。
(楊孝先)兄じゃ、楊孝先などは学問は深くないので、これでも宜しゅうございます。兄じゃ、あなたは今日も書き、明日も書きして、万言の長策をお作りになり、たいへんな学問がおありですのに、功名を得られないのは、まさに運命にございます。
(正末)諺に「皇天は書を読む人に負かず[9]」という。天よ。朱買臣は苦しみを十分に受けました。(唱う)
【油葫蘆】若くして一万巻余の書を開けど、日々長く溜息をつく。思ふに陰陽造化は誣ならざらん[10]。諺に、「小富は人のなすものなり」と申せども、わたしの大富はしよせんは天の数なり[11]。七歩の才を学びしことは徒にして、六尺の身となりたることも徒なりき。人はみな、書中におのづと千鍾の粟あり[12]と言ひたれど、などてわたしを風雪のなか樵漁[13]にぞ混じはらしめたる。
【天下楽】わたしはしばらく灯を点し、古の書を見るなり。わたしは思へり、官職はありやなしやと。あるときは飢寒に耐へて、活地獄にぞ似たるなる。朱買臣は、真の宰輔にはあらざれど、
(言う)わたしは役人ではないが、役人であるものと同じだ。
(楊孝先)兄じゃ、どうして役人であるものと同じなのです。
(正末が唱う)かれらとともに清名を万古に伝へん。
(楊孝先)兄じゃの仰るとおりです。
(正末)岸辺にあるのは兄じゃの漁船ではないか。一声呼ぼう。
(呼ぶ)兄じゃ。
(王安道)二人の弟たちが来た。はやく船に乗れ。(船に乗る)
(王安道)おまえたち二人の弟は掛けよ。老いぼれは一壺の新酒を買い、おまえたちが寒さを凌ぎにくることを待っていたのだ。こちらで無駄話をしよう。
(楊孝先)雪ははげしく降っていますのに、長いことお待たせしました。
(王安道が酒を注ぐ)弟よ、一杯干せ。
(正末)兄じゃがさきにお飲みください。
(王安道)弟が飲め。
(正末が酒を飲む)
(王安道がさらに酒を注ぐ)孝先よ、一杯干せ。
(孝先が飲む)
(王安道)弟よ、無駄話をしよう。この会稽城の富豪たちがどのように楽しているかを、弟よ、くわしく話せ。わたしは聴いてみるとしようぞ。
(正末)兄じゃ、「風雪は酒家の天[14]」とはよく言ったもの。兄じゃに言わせれば、苦しみを受けている人々があるということですが、わたしに言わせれば、楽をしている人々もございます。
(王安道)弟よ、いったいいかなる人々が楽をしている。
(正末)兄じゃ、ほかの処はさておいて、会稽城には仕戸[15]富豪たちがおり、ひどく熱い時にも、熱くなく、ひどく寒い時にも、寒くないのでございます。お信じにならないのなら、わたしの話をお聴きください。
(王安道)弟よ、おまえは富豪たちが冬に寒くなく、夏に熱くないと言うが、おまえの話は間違っている。ほんとうは寒いのはみんな寒いし、熱いのはみんな熱いのだ。かれらはどのように楽をしている。言うがよい。言うがよい。
(正末が唱う)
【村裏迓鼓】かれらは言へり、降るは国家の祥瑞なりと、
(言う)兄じゃ、この雪は、
(唱う)かの富豪らに興を添へたり[16]、
(王安道)富貴な人は、どのように楽しんでいる。
(正末が唱う)かれらは紅壚[17]暖閣[18]で、獣炭[19]を添へ、羊羔[20]をちびちびと注ぐ。
(王安道)紅壚暖閣、獣炭銀瓶、羊羔の美酒を飲むのなら、このような大雪に遇うことは、たしかに楽しいことだなあ。
(正末)兄じゃ、かれらは一つには楽しむことができますし、二つにはこのような[21]良い景色に遇うことができるのです。
(唱う)門外に雪は飄飄、耳元に風は颯颯、氈簾をひくく垂らせり、
(王安道)このような凛冽たる寒空に、氈簾をひくく垂らして、羊羔の美酒を飲んでいるとき、ほかにどのような人がかれらの世話をするのだ。
(正末が唱う)あちらでは各剌剌と象板[22]が敲かれて、聴けば韻悠悠と佳人は唱ひ、酔ひたれば笑吟吟と美酒を買はんとしたり。
(王安道)弟よ、雪は激しく、風は強く、ますます寒くなってきた。
(正末が唱う)ああ、兄ぢや、かれらはまことにわれら漁樵が苦しみを受くるを知らず。
(王安道)弟よ、思うにおまえは満腹の文章を学んでいるが、このような極貧に耐えている。いつがおまえの出世の時やら。
(正末が唱う)
【元和令】たとひあなたが馬相如のごとく『子虚』を賦すとも、いかでかは石崇の家の金谷を誇るに及ばん。
(王安道)金持ちは学問のあるおまえには及ばない。
(正末が唱う)氷炭は壚をともにせずといふことを聞かずや、われらも賢愚の並び居ることのなきなり。
(王安道)弟よ、見たところ、この会稽城の人には、寛衫[23]大袖[24]を着た似非文人がおり、「詩云はく」「子曰はく」と言っているが、かれらは書物を読んでいるのだろうか。
(正末が唱う)かれらはひたすら人前でいささかの良き装ひをひけらかし、峨冠の士大夫にしぞ扮したる。
(王安道)かれらはかように贅沢で、楽をして、儒士を装ってはいるが、かれらを見破る人がいぬはずはない。
(正末が唱う)
【上馬嬌】かのものたちはもとより下愚にて、儒を装ひて、ともすればひたすらにでたらめを言ひ、人に会ひなば、三十句閑言長語せん、
(王安道)かれらは外見は良いだろうが、腹の中の教養は偽ることはできないはずだ。
(正末が唱う)かれらは腹に九経の書を隠せりと嘘をつきたり。
【勝葫蘆】これこそは天の人皮を降したまひて草の躯を包むなれ、
(王安道)かれらもかつて書を読んだことはあるのでしょうか。
(正末が唱う)法螺吹きを学びたれども書を読みしことはなからん。かれらはなべて「賢を見て斉しからんと思ふ」[25]と言へどもそは謬語を語るなり。いづこかは温良恭倹ならん。
(王安道)かれらは礼節を弁えていないが、人に遇い、詩詞歌賦を話題にするとき、どのように受け答えしている。
(正末が唱う)いづこにか詩詞歌賦あらん。ほんたうに半分の星ほどもなし。
(王安道)弟よ、わたしは今日も魚が捕れず、二人の弟も柴を刈れないから、わしらはそれぞれ家に還ってゆくとしよう。孝先よ、おまえの家で一担ぎの柴を兄さん[26]に貸し、家に持ってゆかせてあげろ。奥さんはすこし愚かだが、あのひとがまた騒がぬようにさせるとしよう。
(正末が唱う)
【寄生草】見れば兄ぢやは漁船を繋げり。わが手は凍え、などか伸ばさん。
(王安道)弟よ、ほんとうに大雪だ。
(正末が唱う)今まさに風は揚がり、雪は攪れて、停まり難し。あなたは綸を収め、釣を止め、家に還ってゆかんとしたまふ。ああ、兄ぢや。あなたは蓑を披、笠を頂き、帰路に迷ひたまはん。かやうに戦欽欽[27]として口はありとも語り得ず、
(言う)兄じゃと弟の様子を見れば、
(唱う)この夜さり江の上は描くに堪へりなどと言はめや[28]。
(正末が孝先とともに退場)
(王安道)二人の弟は行ってしまった。老いぼれも船に棹さし、家に還ってゆくとしよう。(退場)
(外が孤に扮し、従者を連れて登場、詩)寒窓書剣[29]十年の客、智勇干戈百戦の場。万里雷霆号令を駆り、一天星斗文章を煥かす。
わたしは大司徒厳助。儒学によって家を起こし、しばしば抜擢を蒙り、今は大司徒の職を拝している。聖上の御諚を奉じ、あまねく天下を巡りつつ、文学の士を探している。今この会稽城外に来た。風も強いし、雪も烈しい。左右のものよ、儀仗を列ね、ゆっくりと行け。(応える)
(正末が孝先とともに突然登場)
(従者が打つ)こら。誰だ。路をあけろ。
(孝先が退場)
(孤)待て。二人の男がわたしの馬に当たり、従者は一人を打って去らせた。この一人だけが縄と天秤棒を置き、道端に立っている。あきらかに柴刈りだが、なぜ一冊の書を帯びているのだ。きっと書を読む者だろう。尋ねてみよう。これ柴刈り、大雪の中、どうしてわたしの馬に当たった。
(正末)わたしは貧しい書生です。頭を垂れて、風雪に逆らって、はやめに歩いていましたところ、知らぬ間にお馬に当たってしまいました。大人、どうかご寛恕ください。
(孤)書を読む者なら、なにゆえに功名を得ず、布衣の中で薪を負って暮らしている。間違っているのではないか。
(正末)大人、古より、わたし一人のみならず、いかほどの前賢が、貧しさに耐えたでしょうか。
(孤)この者は貧しいことは貧しいが、古今のことを引き合いに出し、学問があるようだ。わたしはあなたに尋ねよう。前賢でどのような人が貧しさに耐えたのか、言ってみよ。つつしんで聴くとしようぞ。
(正末)大人がくだくだしいのを厭われぬなら、わたしがゆっくり話すのをお聴きください。(唱う)
【後庭花】思へばそのかみ傅説は板築したりけり[30]、
(孤)傅説が板築していたときに、殷の高宗はかれを太宰に封じた。ほかには誰がいる。
(正末が唱う)さらにかの倪寛[31]は鋤を抱けり。
(孤)倪寛はわが武帝の時の御史大夫、ほかには誰がいる。
(正末が唱う)寧戚は牛角に歌ひしことあり、
(孤)寧戚が角を叩いて歌っていたとき、斉桓公はかれを選んで上卿にした。ほかには誰がいる。
(正末が唱う)韓侯も魚釣りにゆきしことあり[32]。
(孤)韓侯とはあの三斉王韓信だが、魚を釣ったことがあったな。ほかには誰がいる。
(正末が唱う)秦の白起は兵卒なりき、
(孤)白起は秦の将軍だが、卒伍の中から起こった[33]。ほかには。
(正末が唱う)凍えし蘇秦は半畝の田さへ持たざりき[34]。
(孤)蘇秦はその後六国で相となった。どうしてかれが凍え死ぬことがあろうか。ほかには。
(正末が唱う)公孫弘は豚を飼ひたり[35]、
(孤)あの公孫弘もわが漢朝の宰相で、東海で豚を飼っていた。ほかには。
(正末が唱う)灌将軍は屨を売りたりき。
(孤)灌嬰がを売っていたことだけは知っていたが[36]、屨を売っていたとは知らなかった。
(正末が唱う)朱買臣は逐一列挙いたしました。どうぞ知事さま申しあげるのをお聴きください。
【青哥児】ああ、わたしはこちらでねんごろに、ねんごろに訴へたるなり。これらはすべてはじめ貧しく、はじめ貧しく、つひには富みしものなりき。
(言う)ほかはさておき、一人の古人は、わたしに喩えることができます。
(孤)いかなる古人だ。
(正末が唱う)かの姜子牙は、まさにわたしに喩ふべし。かれもかつては朝歌[37]の市に屠戸となり、蟠溪[38]の水に漁師となりしかど、満頭の霜雪、八旬余りとなりてはじめて、文王に遇ふことを得たりき。
(孤)この人は飽学の人だ。賢士どの、一日話しをなされたが、お名前は。
(正末)わたしは姓は朱、名は買臣ともうします。
(孤)どなたが朱買臣どのか。
(正末)わたしです。
(孤)左右のものよ、はやく馬を繋げ。わたしは賢士を捜し、賢士を求めていたのだが、あやうく見過ごすところであった。賢士どののご高名は、雷が耳を貫くかのようにひさしく承っていました。今日はさいわいにご尊顔に遇うことができ、ほんとうにさいわいにございます。
(正末)とんでもございませぬ。とんでもございませぬ。
(孤)賢士どの、あなたはふだん、どのような勉強をなさっていますか。
(正末)万言の長策を作っていますが、今までは布衣でしたので、上奏できませんでした。大人がいささか斧正をお加えください。
(孤)持ってきて、お見せください。(見る)ああ。ほんとうに龍蛇の体[39]、金石の句だ[40]。賢士どの、この万言の長策を聖上に献じましょう。来年になり春の試験が行われ、試験場が開かれれば、わたしがあなたを推挙して役人にすることにしましょう。お考えはいかがでしょうか。
(正末)そうしていただけるのならば、大人、大変ありがとうございます。(唱う)
【賺煞】まもなく科場は開かれん。来年行きて、ただちに長安帝都に至らん、
(孤)賢士どのの錦繍の文章をもってすれば、合格なさらぬことはございませんでしょう。
(正末が唱う)わたしの錦繍にも似たる文章により受験せん。
(孤)来年お行きになるのも遅うございます。
(正末)大人、この幾年かなぜ功名を得なかったのだとお思いですか。
(孤)それはいったいなぜでしょう。
(正末が唱う)これもまたわたしが時に恵まれず、「韞櫝に諸を蔵」したるなり[41]。わたしがもしも鰲魚を釣らば、群儒を圧倒せぬことのあらめやは。
(孤)賢士どの、功名を得にゆかれれば、他人の下にあることはございますまい。
(正末が唱う)天下の文人たちをして、拱手して平伏せしめん。
(孤)賢士どのは琴剣書箱[42]を調えて、来年受験しにゆかれませ。
(正末)大人、ほかの書生は琴剣書箱を用いますが、わたしは身辺の普通の物を用いて、皇家の富貴を奪い取りましょう[43]。
(孤)賢士どの、どんな普通の物でしょう。
(正末が唱う)黄桑[44]を伐る巨斧に拠り、青霄に上りひとり歩まん、
(言う)ほかの書生は月中の丹桂のことを語っていますが、あちらに行ったら、一枝を折って戻ってきて、一生の願いを満たすことにしましょう。わたし朱買臣は大言壮語しているのではございません。
(唱う)かの月中の仙桂を根こそぎ除かん。(退場)
(孤)賢士どのは行ってしまわれた。わたしはぐずぐずしようとはせず、この万言の長策を持ち、聖上に献じにゆこう。
(詩)相逢ふことはなかりしも、すでにその名を知りたれば、長策を持ち朝廷にしぞ献ずべき。買臣が厳助に遭ふことなからましかば、むざむざと樵夫となり一生を過ごしたらまし。(退場)
第二折
(外が劉二公に扮し、旦児が扮した劉家の娘とともに登場、詩)段段たる田の苗は遠き村にぞ接したる、太公は村で児孫に戯れぬ。農民は鋤刨[45]の力を得るのみで、天公の雨露の恩にぞ答へたる。
老いぼれは姓は劉、排行は第二、人々はわたしを劉二公と呼びなしている。三人家族で、一人の妻、一人の娘がいたのだが、妻ははやくに亡くなった。娘は幾分器量良し、人々は玉天仙と呼びなしている。以前娘に婿を招いた。朱買臣だ。このものは満腹の文章があるのだが、恨むらくは妻に頼って、功名を得ようとしない。かくなる上はどうしたらよいだろう。(考える)ああ、こうするしかない。娘よ、おまえは朱買臣に一枚の去り状を求めてこい。
(旦児)父上、老いてますます道理に暗くなられましたね。思えばわたしはあのひとと二十年間夫婦でしたのに、なぜ去り状を求めることができましょう。
(劉二公)娘よ、去り状を求めるなら、官員、士戸[46]、富豪の家を選び、別の男を招いてやるが、去り状を求めないなら、黄桑棍で五十回打ち、決しておまえを許さない。はやく行き、求めてくるのだ。(退場)
(旦児が嘆く)去り状を求めようとしても、わたしと朱買臣どのは二十年間夫婦だった。求めまいとしても、父の言葉に従わぬわけにはゆかない。仕方がない。とりあえずこの門を閉じるとしよう。朱買臣どのが来るだろう。
(正末が縄、天秤棒を持って登場)風雪はますます激しくなってきた。ああ。おまえにも収まる時があるのだろうか。(唱う)
【正宮】【端正好】ただ見るは、舞ふこと飄飄六花の飛びたる、かててくはへて昏きこと惨惨として彤雲は濃し、あたかも粉もて妝ひしごとき殿閣楼台。裂かれし綿の風のまにまに灑ぐがごとし。さなくばなどか白きこと茫茫として果てしなきことのあるべき。
【滾繍球】頭上には乱紛紛と雪は篩ふがごとくして、耳元では颯剌剌と風も吹きたり、
(言う)どうしてこんなに寒いのだ、
(唱う)ああ、ぶる、ぶる、ぶる。げにこそひどき寒さなれ、
(言う)天よ、天よ。
(唱う)貧乏人らは一月に一年の災に遭ふ定めなり。
(言う)かような雪では、
(唱う)われら樵夫はなどてかは柴刈りすべけん。かの漁翁さへ釣りを止むべし[47]、
(言う)かような雪では、
(唱う)ただ問はん、かの映雪の書生はいづれのかたにかはある[48]、凍ゆる蘇秦もなどてかは筆を執り街を巡らん[49]。この地の町屋は千軒が閉ざされて、十たび朱門に謁するも九たび開かぬかのごとし、
(言う)かような雪には、
(唱う)わたしはまことに耐へ難し。
(言う)入り口に着いた。劉家の娘よ、開けてくれ。開けてくれ。
(旦児)門で呼ぶのはまさしくうちの貧乏人だ。わたしはあいつが門で呼ぶのを聴かないときは、万事何事もなかったが、あいつが門で呼ぶのを聴くと、怒りがどこからかやってきた。この門を開けるとしよう。(見えると打つ)死に損ない、貧乏人。一日外に行っていて、刈った柴はどこにあります。
(正末)この女はほんとうにむちゃくちゃだ。わたしは誰だ[50]。殴るつもりか。(唱う)
【倘秀才】やうやく門に入りきたりしに、おまへは黒白さへも分かたず、
(旦児)殴らぬとでもお思いですか。
(正末が唱う)おまへはわたしの凍えたる顔に向かへり。なにゆゑぞ左に掴み右に掴める。
(旦児)あなたを打っても、大したことはありません。
(正末が唱う)ああ。おまへはまことに凶悪なる妻、
(言う)打たないとでも思っているのか。
(旦児)わたしをお打ちになりますか。お打ちになるのは、こちらでしょうか。あちらでしょうか。顔を出してあげましょう。お打ちなさい。お打ちなさい。わたしの子[51]、心はあっても胆はないから[52]、打てないでしょう。
(正末が唱う)おまへは凶悪なる妻でひどく恐ろし。雪はわたしの項を圧せば、頭こそ抬げ難けれ。氷はわたしの髭に結べば、口こそは開き難けれ。
(旦児)あなたとは口論しません。
(正末が唱う)劉家の娘よ、一束の火を貰ってきてくれ。
(旦児)ああ。連児、盼児、憨頭、哈叭、剌梅、鳥嘴[53]、知事さまが家にいらっしゃったから、知事さまを接待しよう。炭火を起こし、あの熱い酒を注ぎ、知事さまに寒さを凌いでいただこう。わたしに火をご所望ですが、火がない時はもちろんのこと、あったとしても、瓢の水を掛けて消し、水がなければ、屁をひって消しましょう。あなたのような貧乏人に与える火などはございませぬ。
(正末)おい溌婦、おまえは罰当たりなことはやめるのだ[54]。
(旦児)いかなる福でございましょう。前が一幅、後が一幅、五軍都督府[55]、あなたの父は豆腐を売り、あなたの母は轎夫になる。いったいどんな福でしょう[56]。
(正末が唱う)
【滾繍球】おまへは毎日いかなることもせんとせず、
(旦児)持ってきてください。大綾[57]大羅[58]、洗白[59]復生[60]、高麗の氁絲布[61]、大紅[62]の通袖[63]膝襴[64]、仙鶴獅子の胸背[65]などがありますか。持ってきてください。わたしは裁つことができず、剪ることができず、作ることができないのです。
(正末)おまえにやる大綾大羅はないが、わたしは、
(唱う)おまへをさんざん勝手気儘にせしめたり。
(旦児)あなたはこのように貧乏なのですから、勝手気儘にさせなければ、若いときに男といっしょに逃げていました。死に損ない、貧乏人、貧乏書生。
(正末が唱う)貧しさに耐へたれど、わたしは人に銭債などをせしことぞなき、
(旦児)貧しいのに、人から借金していれば、あなたの貧しい耳を切り、あなたの貧しい眼を抉り、あなたの皮をも剥いでいたことでしょう。わたしの子、自慢するのはおやめなさい。しばらくすれば鍋に入れる米さえもなくなってしまいます。
(正末)劉家の娘よ、わが家には白米はないが、おまえは見にゆけ[66]、
(唱う)わたしはほかの人よりも多くの柴を貯へつ。
(旦児)おやおや、わたしはお米を求めているのに、柴のことを答えてらっしゃる。柴を食べ、柴を着、柴を呑めと仰るのでしょうか。一束の柴を焼くことができるだけです。
(正末が唱う)おまへは人倫を壊なふ死像胎、
(旦児)死に損ない、皮を剥がれて、肉を切られて、背骨を断たれてしまう奴。
(正末が唱う)おまへのやうに夫を謗るはまことに宜しきことにはあらず。
(旦児)わたしの子。鼓楼の上の琉璃瓦は、日々風に吹かれ、日に晒され、雹に打たれて、どれほどの雷を見たことか[67]。清い風、細かい雨が灑ぐのを恐れはしません[68]。わたしはあなたと磚頭を頂き、供述しあうことになっても[69]、あなたを恐れはしませんよ。
(正末)お金がないだけだろう。良い人間、良い家法を知っていように、このように悪い人間、悪い家法に倣うのか[70]。
(唱う)ああ。劉家の娘よ、おまへはなどてかやうに騒ぐことを学べる。
(旦児)貧乏人、貧乏な死に損ない、一生出世できない男。
(正末)勝手に罵れ。勝手に罵れ。貧乏という言葉のほかに、
(唱う)おまへはさらに何をもてわたしを罵る[71]。
(旦児)それで十分でございましょう。
(正末)いささかの熱い怒りを抑え、ひとまず腹を温めよう。
(唱う)わたしは土坑にななめに坐り、このやうに膝の上で頬杖をつくにしくなし、
(旦児)このように貧しい暮らしに、いつまで耐えることができましょう。
(正末)このあばずれめ、人を酷い目に遭わせて。天よ、天よ。
(唱う)かれはあちらでななめに門に寄りかかり、頬杖を突き、ひたすら狂ほしきさまを逞しうせり。
(旦児)朱買臣どの、巧言は直言するに如かぬもの。馬を買うには秣を買わねばなりませぬ。耳は胡帽[72]になりえませぬ。塀は雨を避ける場所ではございませぬ。わたしを養うことができなくおなりなら、去り状を一枚ください。わたしが高い門楼、大きな糞堆を選べば[73]、占いをしてもらい食べ物を得たり、一年中乞食をしたりする必要はございませぬ[74]。ほかの人に嫁いでゆきます。
(正末)劉家の娘よ、そのようなことをもう言うな。わたしが来年官職を得ると占っている人がいる。官職を得れば、おまえは夫人、県君、娘子[75]なのだから、まことに良かろう。
(旦児)娘子、娘子、尻の穴の下には秣があります[76]。夫人、夫人は、磨の穴にあります[77]。あなたは砂地で屁を放ち、お口がじゃりじゃりすることはないでしょう[78]。ややもすれば役人となると仰いますが、あなたが役人となる時は、あなたは桑木官、柳木官となり、こちらを踏めばあちらが跳ねることでしょう[79]。河に落ちれば水判官[80]、部屋に置いても乾きません。あなたが役人となる時は、日は紅くなく、月は黒ずみ、星宿はまばたきし、北斗はあくびするでしょう。蛇は三声叫び、狗は車を引き、蚊は兀剌靴[81]を穿き、蟻は煙氈帽[82]を戴き、王母娘娘[83]は餅を売ることでしょう。あなたが役人となる時は、炕が頷き、人が尾を振り、鼠が足踏みして笑い、駱駝が棚に上り、雀が鵝の卵を抱き、木偶が赤子を生むでしょう。その時あなたはまだ役人となれないでしょう[84]。あなたの顔を見たところ、口の角の餓紋[85]は、驢も跳びこえられぬほど、あなたは一生出世できないことでしょう。去り状を持ってきてください。去り状を持ってきてください。
(正末)劉家の娘よ、先賢の女人におまえも学ぶのだ。
(旦児)こいつは貧しいには貧しいが、古今のことを引き合いに出す。どんな古人に学べと仰るのでしょうか。お話しください。あなたの奥さまは聴いてみましょう[86]。
(正末が唱う)
【快活三】おまへはなどて賈氏の妻にぞ学ばざる。如皋に雉を射しために笑靨を作れり[87]。
(旦児)喜びなどはございませぬのに、わたしに笑えと仰いますか。
(正末)おまえが笑わず、哭こうとするなら、哭いた女のことを話そう。
(唱う)おまへはなどて孟姜女にぞ学ばざる。長城を哭きて倒すもただ一声の哀しきがため。
(旦児)朱買臣どの、貧しい乞食。もう無駄話を聴く暇はありません。去り状を持ってきてください。去り状を。
(正末が唱う)おまへはひたすらでたらめを言ひ、嫌味を言ひて、わたしを挙案斉眉[88]のごとく持てなすことなし。
(旦児)はやく去り状を持ってきてください。
(正末が唱う)
【朝天子】ああ、われは憎きおまへを罵らん、
(旦児)わたしの何が憎いのですか。
(正末が唱う)賤しきおまへを憎むなり、
(旦児)去り状を持ってきてください。去り状を。
(正末)このあばずれは人を酷い目に遭わせている。天よ、天よ。
(唱う)誰か勝らんおまへの離縁を求むる舌の鋭きに。
(旦児)村中の老人たちは、劉家の娘は三従四徳[89]があると言います。
(正末)誰がそのように言ったのだ。
(旦児)わたしがそのように言ったのです。
(正末が唱う)みづからが三従四徳なりと言へるや、
(旦児)その通りです[90]。わたしが言ったのでございます。わたしが言ったのでございます。
(正末が唱う)おまへは一つを欠きたるべし[91]、
(言う)劉家の娘よ、おまえには一つ良いことがあり、村中のほかの女はおまえの真似はできないだろう。
(旦児)まだお話があるのでしょうか[92]。わたしにもどのような良いことがあるのでしょうか。お聴かせください。
(正末が唱う)劉家の娘よ、おまへはほかの人に比べて富貴を愛し、わが貧しさをいたく嫌へり。
(旦児)あなたのぼろ家は、東からは風が吹いて来、西からは雪が吹いて来、あたかも漏星堂[93]のよう、あなたのおかげで住むことはできません。
(正末)劉家の娘よ、このぼろ家にはおまえは住めぬが、われら貧乏秀才が住むにはうってつけのだ。
(唱う)昔より寒儒は氷雪堂にありとも妨げなしといふを聞かずや[94]。
(旦児)あなたは人が咎めることも恐れぬのですか。
(正末)ああ、天よ、天よ。
(唱う)わたしはもとより棟梁の人材なれば、人の咎めをいかで恐れん。
(旦児)あなたは一人前の男で、天を頂き、地に立って[95]、眼や眉もあり、皮や骨もあり、骨や筋もあるのですから、もうすこし頑張りなされ。
(正末)かれと一日口論したが、この二つの言葉はわたしの心を傷つけた[96]。おい劉家の娘よ、これはみなわたしの時、運、命なのだ。「命を知らざれば以て君子と為す無し[97]」ということを聞いていぬのか。天が人に従わないのだ。
(唱う)などてわたしに頑張れと言ふ。
(旦児)すこし工夫をなさいまし。
(正末が唱う)などてわたしに工夫せよと言ふ。
(旦児が天秤棒を持ち、縄を前に置く)これがすなわちあなたの商売。
(正末)天よ、天よ。
(唱う)わたしはまさにやむをえず相も変わらず柴を担ぎて売れるなり。
(旦児)さきほど申しませんでしたか。去り状を一枚ください。わたしはほかの人に嫁ぎます。あなたを慕ってどうするのです。わたしがあなたの南北の荘園や、東西の楼閣や、陸上の田や、水路の船や、人の持つお金を恋うのでございましょうか[98]。わたしは姿が良く[99]、顔が良く、裁縫がうまく、刺繍がうまく、足枷となる子もございませんから、大官に嫁がぬはずがございません。天に向かって誓ったことがございます。鬼となり、冥土に行っても、わたしはあなたと麻綫道[100]で会わぬと。あなたのために餓え凍えること二十年、まさにあなたの奥さまは心は堅く石をも穿たん。貧乏人、お聴きなさい。わたしはひたすらあなたのもとで布襖荊釵[101]を恋いはしませぬ。
(正末が唱う)
【脱布衫】ああ、わたしのもとで布襖荊釵を恋はぬなら、
(旦児)ご近所の皆さん、聴いてください。朱買臣は嫁を養えず、打ちかかってきました。
(正末)そのように叫んでどうする。去り状を書き与えよう。
(旦児)それなら、はやく書いてください。はやく書いてください。
(正末が唱う)街にて騒ぐ必要はなし。
(旦児)手をお洗いになりましたか。
(正末が唱う)おまへのために拇印を捺すのみ、
(言う)おい、劉家の娘よ、去り状を求めているが、このように書き与えればよいだろう。
(旦児)ご自由にお書きください。塀を越えた、圈を越えた、きりとり泥棒をした[102]、すりかえ泥棒をした[103]、馬賊になって白昼に掠奪した、道士と知り合い、和尚と知り合い、間男を養った、とにかく書いて構いませぬ。
(正末)劉家の娘よ、この紙に、おまえの今までの行いをすっかり悪く書いてやる[104]。
(唱う)去り状にしかと載すべし。
(言う)劉家の娘よ、紙、墨、筆、硯はまったくないのに、どのように書けというのだ。
(旦児)ございますよ。ございますよ。三日前に、鞋の型紙、模様を描く筆を用意しました。すべてこちらにございます。はやく書いてください。はやく書いてください。
(正末)劉家の娘よ、卓も必要だ。
(旦児)これは卓でございましょう。
(正末)劉家の娘よ、卓を運んでこい。おまえは古人に似ているが、わたしも古人に似ているのだ。
(旦児)大勢の古人のことを語ってばかり。もうすこし話すのをお控えなさい。
(正末が唱う)
【酔太平】卓文君よ、書卓をはやく抬げよ、
(旦児)あなたはいったい誰に似ているのでしょうか。
(正末が唱う)馬相如ぞ。わたしはおまへがいかにしてかのひとをあしらふかを見ん、
(旦児)紙、筆はこちらにあります。はやく書いてください。
(正末が唱う)おまへは、おまへは、文房四宝をすみやかに調へたり。
(言う)劉家の娘よ、書くには書くが、ただ一つ、人はみなわたしが来年官職を得ると占っている。官職を得たときは、夫人の称号はほかの人に与えられ、おまえはむなしく二十年苦労を受けたことになる。
(旦児)わたしは苦労も十分に受け、ほんとうに耐えられませぬ。わたしがあなたに要求したのでございますから、あなたとは関わりはございません。
(正末)どうか、どうか[105]、
(唱う)みづからを反省すべし、
(旦児)わたしが何を反省しましょう。わたしがあなたに去り状を求めたのです。あなたとは関わりはございません。
(正末が唱う)朱買臣がおまへを糟糠の妻として扱はぬわけにはあらず。玉天仙はげにこそ心悪しきなれ。
(言う)仕方ない。
(唱う)梁山伯も祝英台のおまへを恋はじ[106]、
(言う)再婚しても、争わぬ。左手の拇印を捺した。持ってゆけ。
(唱う)わたしははやくも賤しき女に書き与へたり。
(旦児)賤しき女、賤しき女、一二日に一足の刺繍靴[107]。わたしはあなたの家の奥さま。持ってきて去り状を見せてください。「たとい再婚しても、争わない」か。左手の拇印がある。ほんとうに去り状ですね。
(正末)劉家の娘よ、去り状の字を、どうしてすべて知っているのだ。
(旦児)この去り状はわが家には七八箱はございますから[108]。
(正末)劉家の娘よ、風雪はますます激しくなってきて、もう日が暮れて、今はほかに行く処がない。蓆を一枚貸してくれ。おもてに宿り、夜明けになったら去ってゆくから。
(旦児)朱買臣どの、思えばわたしたちは二十年間夫婦でしたから、どうしてあなたを追い出すことができましょう。あなたが来た時、わたしは一斤の肉を量りとり、一壺の酒を入れていました。わたしは取りにゆきましょう。(門を出る)門を出てきた。ちょっと待て。あいつは狡い。わたしに去り状を与えたのに、わが家に宿ろうとするとは。こうするしかない。ああ。誰かと思えば、安道伯父さんだったのですか。お入りください。朱買臣は家におります。伯父さん、中にお掛けください。朱買臣を呼び出してまいりましょう。(さらに門に入る)朱買臣どの、王安道伯父さんが入り口にいらっしゃいます。出ていって招き入れ、腰掛けていただきましょう。
(正末)兄じゃはどちらにいらっしゃいます。お入りください。
(旦児が末を推して門から出す)出てゆきなされ。この門を閉じるとしよう。朱買臣どの、入り口で聴きなされ。あなたははじめ去り状を下さらず、わたしはあなたと夫婦でしたが、去り状を下さったからには、わたしはあなたと赤の他人でございます。「疾風暴雨、寡婦の門に入らず[109]」ということをご存じですか。ふたたびわたしの家に来るなら、あなたの顔を引っ掻きますよ。
(正末)かれはわたしを欺いて門を出てこさせ、この門を閉じ、わたしがかれの家にいることを望んでいない。劉家の娘よ、開けぬなら、わたしの縄、天秤棒を持ってきてわたしに返せ。
(旦児)開けましょう。ああ。このような策略か。砂地の井戸はすべてわたしが浚いました[110]。あなたはわたしを欺いて門を開けさせるのですね。あのひとは男ですから、中へ押し入り、たといわたしが外へ推しても、あのひとは力が強く、十八頭の水牛が引いても出てゆかないでしょう。縄、天秤棒をご所望でしたら、ご覧なさい。わたしはこの猫道[111]から投げ出しましょう。
(正末)おい女、おまえは門の中で聴け。おまえがさきほど離縁を求めたときの言葉は、わたしの心の中にあり、印刷されているかのように記憶されている。後日官職を得た時は、劉家の娘よ、後悔するな。
(旦児)去り状を求めましたから、悔やみはしませぬ。
(正末)劉家の娘よ、わたしたち二人は口論しているが、喩えがあるぞ。
(旦児)何に喩えるのでしょうか。
(正末が唱う)
【三煞】碔砆石を玉と並べて驚くことなく、魚目を珠と並べて選ぶことぞなき[112]。わたしは翅の生えたる金雕[113]、おまへは眼のなき燕雀にして、もともとは両処に分かれて飛ぶべきものなれば、百歳睦むことを得めやは。霊芝を折りて草として牛に食らはせ、麒麟を打ちて羊として売り、瑶琴を壊して柴として焼けり。おまへは沈香木を毀ちて、臭楡[114]を栽ゑたり。
【二煞】「歳寒くしてしかる後松柏を知る[115]」ことを知らめや。おまへはわたしを糞土の牆、朽木の材のごとくに見なしたり[116]。まつたく飢寒に耐へきれず、憤懣を堪へきることぞなき。わたしが心を変ふることなく、身を留むるをいかでかは知る[117]。いづれの日にか八座[118]に居り、三台[119]に列なりて、日に千階級昇進し[120]、頭上には一輪のp蓋[121]を差さるべき。その時は誰かわたしが薪を負ひしことありと言ふべき。
【隨煞尾】わたしはただちに九龍殿[122]に赴きて長策を書き、五鳳楼[123]にて壮懐[124]を逞しうせん。わたしは官を得ることなくば姓さへも改むべけん。わが白き襤衫[125]を玉階に脱ぎ、金榜[126]にみづから姓氏を記すべし。宮花[127]を勅賜せられなば、頭にそれを戴きて、瓊林[128]に宴がおはればかすかに酔ふべし。狼虎のごとき弓兵は両脇に並み、水罐[129]と銀盆は一字に連なり、その時はじめて朱秀才なることを知るべし[130]。おまへは簪を挿しながらわたしを訪ね、哭きの涙は腮に満ち、かく哀れげに叩頭すべけん。
(言う)おい馬前に跪いているのは劉家の娘か。従者よ、打って追い払ってくれ[131]。
(唱う)その時わたしは馬上にて、酔眼朦朧、おまへに構ふことはなからん。(退場)
(旦児)朱買臣どの、行かれませ。入り口でひたすらぶつぶつ何をお言いか。(聴く)ああ、言葉が聞こえなくなった。(門を開ける)この門を開けるとしよう。朱買臣どの、お戻りください。わたしはあなたをからかったのです。ああ、ほんとうに行ってしまった。行ってしまって、心の中でわたしをすこし咎めていらっしゃるだろう。去り状を貰ったから、ぐずぐずせずに、父上にご報告しにゆくとしよう。(退場)
楔子
(王安道が登場)老いぼれは王安道、連日の大雪のため、魚を捕りに出てゆかず、ただ家で静座している。わたしの二人の弟はいったいどうなったのだろう。
(劉二公が登場)氷は握ることなくば冷たくはなく、木は鑽つことなくば貫かれず[132]。馬は打つことなくば奔らず、人は激することなくば立つことぞなき。
劉二公はどうしてこうした言葉を語るのか。朱買臣がうちの娘の玉天仙に恋々として、功名を得にゆこうとしないからなのだ。昨日は娘に命令し、朱買臣に去り状を書くことを強要させた。わたしはひそかに十両の白銀と一套の綿衣を王安道に送って、朱買臣を援助させ、上京、受験しにゆかせた。官職を得て、家柄を改めるなら、まことに良かろう。わたしは今から王安道に会いにゆく。はやくもかれの家の入り口に到着だ。安道兄じゃはご在宅ですか。
(王安道)誰かが門で呼んでいる。この門を開けるとしよう。誰かと思えば、劉二公どのだったか。ご老人、どちらにいらっしゃいましたか。
(劉二公)安道兄じゃ、ほかでもございませぬ。うちの娘が朱買臣に去り状を求めたのです。
(王安道)ご老人、それは間違っています。思うに弟朱買臣は満腹の文章を学んでおり、後日役人となったときには、他人の下にはおりますまい。なぜ去り状を求めたのです。
(劉二公)ほんとうに去り状を求めたのではございません。かれは妻に頼っているため、功名を得ようとはせず、ひたすら山で柴刈りをして暮らしているため、いつ出世するのやら分かりませぬ。玉天仙に命じて、おもてむき、去り状を求めさせたのですが、老いぼれはひそかにこの十両の白銀、一套の綿衣を用意し、兄じゃのもとにお預けするのでございます。あなたの弟[133]があなたに別れにきたときに、かれを援助し、上京受験させてください。官職を得て、家柄を改めたとき、かれがわたしを舅と認めるにしても認めぬにしても、兄じゃ、あなたはきちんとした証人となってください。
(王安道)ご老人、それはよいお考えです。かれがわたしに別れにくる時、わたしはおのずと考えがございます。ご老人、ご安心してお行きください。かれがあなたを舅と認めない時は、老いぼれにすべてをお任せくださいまし。
(劉二公)それならば、老いぼれは戻ってゆくといたしましょう。(退場)
(王安道が送る)劉二公は行ってしまった。朱買臣は、そろそろやってくるだろう。
(正末が登場)わたしは朱買臣。劉家の娘に去り状を与えてからは、上京、受験しようとしている。王安道兄じゃに別れにゆかねばならぬ。(見る)ああ。入り口にいらっしゃるのは兄じゃではございませんか。
(王安道)弟よ、来たな。中に掛けてくれ。
(楊孝先が登場)さいわい今日は雪が晴れ、柴刈りに行こうとし、道すがら安道兄じゃに会いにゆく。(見える)
(王安道)弟よ、ちょうど良いところへ来た。いっしょに入ってゆくとしよう。買臣よ、今日はなぜ顔に憂えを帯びているのだ。
(正末)兄じゃ、わたしはあの女と別れたのです。
(王安道)おまえは嫁を離縁したのか。弟よ、おまえは今からどこへ行く。
(正末)わたしは上京、受験しにゆくために、兄じゃにお別れしにきたのです。
(王安道)良い弟よ、京師に行って、官職を得て、家柄を改めるなら、柴刈りをして暮らすよりずっと良い。ただ、今から受験しにゆくのに、路銀などはあるのか。
(正末)そのことをまさに心配していたのです。わたしには路銀などございませぬ。
(楊孝先)わたしが思うに、兄じゃは満腹の文章を学んでらっしゃいます。受験しにゆかなければ、どうして出世できましょう。しかしわたしは貧しいために、自分自身も養えないので、一厘の路銀をお送りすることもできません。どうしたらよいでしょう。
(王安道)弟よ、わたしはこちらの川辺で魚を捕まえること二十年、十両の白銀を貯えて、さらにあらたに一揃の綿衣を作った。これらはいずれもわたしの遺産にするものだった。弟よ、おまえは今から上京し、官位を求め、受験しにゆく。わたしはすべておまえにやるから、旅路で路銀にするがよい。やがて官位を得た時は、わたしを忘れないでくれ。
(楊孝先)これは路銀に十分でございます。
(正末)そうしていただけるのならば、兄じゃにお礼をしなければなりませぬ。わたしが数回拝礼するのをお受けください。(拝する)
(王安道)弟よ、挨拶はよい。
(正末)兄じゃ、わたしは今年も朱買臣、来年になっても朱買臣です。兄じゃ、わたしが出発する時に言う、二つの言葉をご記憶ください。
(王安道)弟よ、いったいどんな二つの言葉だ。
(正末)兄じゃ、「恩を受け、恩に報いるのは、立派な儒者、恩を受け、報いないのは、人ではない」と申しませぬか。
(王安道)弟よ、わたしは書物を読まぬ者だが、おまえが言ったことは、わたしの心に印刷されたかのように、記憶しておくことにしよう。「恩を受け、恩に報いるのは、立派な儒者、恩を受け、報いないのは、人ではない」か。弟よ、旅路では、気を付けるのだぞ。
(正末)兄じゃ、ご安心ください。(唱う)
【仙呂】【賞花時】十年詩書を朝晩習へり、
(楊孝先)兄じゃは行かれれば、かならずや役人になられましょう。
(正末が唱う)一挙に名を成し天下に知られん、
(王安道)弟よ、吉報を待っておるぞ。
(正末が唱う)かならずや耳に良き消息を聴かん。(拝して別れる)
(王安道)弟よ、気を付けろ。
(正末が唱う)気を付けろとな言ひ含めそね、わたしはかならず錦衣を奪ひて帰るべし。(退場)
(王安道)買臣は行ってしまった。行けばかならず名を成すことができるであろう。眼には望まん旌捷旗[134]、
(楊孝先)耳には聴かん良き消息。(ともに退場)
第三折
(劉二公が登場)前もつて考ふることあらば、後に悔ゆるを免れん。
朱買臣が官職を得て、まさにわが会稽郡の太守に任命されるとは思わなかった。わたしは思う。朱買臣が以前のことを話題にしたら、どうしよう。とりあえず娘に命じて、家で疙疸茶[135]を入れさせ、椽頭焼餅[136]をいささか焼かせ、張憋古爺さんが来るのを待って、かれに一声尋ねれば、事情が知れよう。そろそろあの張憋古が来るだろう。
(正末が張憋古に扮し登場、叫ぶ)笊籬馬杓、壊れていれば換えますよ。
(詩)月は十五を過ぎぬれば光明少なく、人は中年に到りなば万事休せん。児孫にはおのづと児孫の福あれば、児孫のために馬牛となるなかれ。
老いぼれはこの会稽郡集賢荘の人、姓は張、草を手に取り、行商している[137]。人々はわたしの性格が偏屈なので、わたしを張憋古と呼びなしている。三日か五日、会稽城の中に行き、いささかの品物を売買したが、あの城の人々が、三々五々集まって、新たな太守さまをお迎えすると言っていた。わたしは、わたしも見てみよう、恐れることはないと思った。一時足らずで西門ががらがらと開いたが、骨朶衙仗[138]、水罐、銀盆、茶褐羅傘の下、五明馬[139]の上に、端然と知事さまが坐っていらした。人々が見にゆこうと言っていたので、老いぼれも人混みを掻き分けたのだが、無礼にも、知事さまのお馬の前に立ってしまった。知事さまを見ない時には、万事何事もなかったが、知事さまを見た時は、わたしの眼はおもわずぴくぴくと動いた。誰だったと思う。わが村の甥朱買臣だったのだ。かれは今日官職を得た。わたしはかれと同郷の伯父だから、かれを一声呼ぶことに、何も恐れることはなかった。わたしは言った。「朱買臣どの」。呼ばない時は、万事何事もなかったが、一声呼ぶと、背中にも縋れぬほどの大男が、老いぼれをあたかも鷹が燕雀を掴むかのようにして、あの知事さまの馬前へと連れてゆき、「面を上げよ」と怒鳴ったのだ。わたしはがばっと跪いた。知事さま、老いぼれは死ぬべきでございます[140]。わたしは知事さまがどれほどわたしを打つものか分からなかった。しかしあの知事さまは度量が広く、わたしに頭を抬げるようにと仰った。わたしは言った。「老いぼれは頭を抬げようとはいたしませぬ」。かれは言った。「どうして頭を抬げない」。わたしは言った。「二月二日は龍抬頭[141]でございますから、それまでは、わたしも頭を抬げようとはいたしませぬ」。あの知事さまは言った。「おまえが頭を抬げることを許すとしよう」。老いぼれはやむなく頭を抬げた。あの知事さまはわたしが張憋古であることに気付くと、鞍から転がり落ち、道の脇に栲栳圈銀交椅[142]を置き、二人の役人に命じて老いぼれを栲栳圈銀交椅に押さえつけさせた。あの知事さまは頭を下げてわたしに再拝し、米を量る栲栳ほどの大きさになりわたしを拝した[143]。わたしは言った。「知事さまは老いぼれに拝礼をなさりすぎです」。あの知事さまは言った。「伯父さん、御酒をお飲みになりますか」。わたしは言った。「老いぼれは酒は飲みますが、御酒などは飲みませぬ」。かれは言った。「御酒とは朝廷が賜う黄封の御酒でございます」。つづけざまに老いぼれに何杯か飲むことを勧めた。かれは言った。「伯父さん、公務が忙しいため、お訪ねいたしませんでしたが、お咎めになりませぬよう」。老いぼれは言った。「とんでもございませぬ。とんでもございませぬ」。あの知事さまは馬に乗っていった。老いぼれが荷物を担ぎ、あたかも行こうとしたところ、あの知事さまはぱかぱかと馬を返してきて、尋ねた。「伯父さん、王安道兄じゃはお元気ですか」。わたしは言った。「元気です」。「弟の楊孝先は元気でしょうか」。わたしが「元気です」と言うと、かれの村の、姑姑[144]姨姨[145]、嬸子[146]伯娘[147]、弟、妹のことを、すべて「元気か」と尋ねた。わたしは言った。「みなお元気です」。あの知事さまは馬を返していった。老いぼれは荷物を担ぎ、あたかも行こうとしたところ、知事さまがぱかぱかとまた馬を返してきて、尋ねた。「あの劉二公家の娘はまだいるか」。わたしは言った。「知事さま、なぜお尋ねになるのでしょう」。あの知事さまは言った。「伯父さんはご存じございますまいが、かれに会った時は、わたしがこのように立派だったと仰ってください」。わたしは言った。「かしこまりました」。あの知事さまは馬に乗ってゆき、わたしはこの荷物を担いで村へ売りにきた。老いぼれには平生三つの戒めがある。一つは人のために保証人とならないこと、二つは人のために媒酌人とならないこと、三つは人のために便りを寄せないことだ。わたしは便りを寄せたくないが、思えばあの知事さまは再拝し、語りに語り、話すに話した。どうしたらよいだろう。馬鹿野郎め、だらだら坂で人もいないのに[148]、幽霊を見たかのようにくどくどひとりごちるとは。便りを寄せるも便りを寄せぬも、おまえ次第だ。張憋古よ、商売が遅れてしまうぞ。(歩き、呼ぶ)笊籬馬杓、壊れていれば換えますよ。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】わたしは毎日村々を経巡りたれば、この張憋古を話題にすれば、一人としてわたしを知らざるものぞなき。
(歩き、呼ぶ)笊籬馬杓、壊れていれば換えますよ。
(唱う)わたしは蛇皮鼓[149]を揺らしつつまつすぐ村の入り口に行く。子供らは銅貨を握り、米豆を盛り[150]、
(言う)三々五々、集まって、みな遊んでいる。わたしの蛇皮鼓の響きを聴くと、「張憋古爺さんが来た。砂糖魚児[151]を買って食べよう」と言う。
(唱う)かれらはわたしを噂を聞きたるかのやうに追ひ掛けり[152]。朱太守の夫人に遇はば、届くべき風信を寄すべし[153]。
【酔春風】わたしは老いたる精神をば奮ひ立たせて、賤しき女のおまへをぞ罵らん。思へばおまへは二十載の夫婦なりしになにゆゑぞ離縁を求めし。女よおまへはまことに、まことに凶悪なりき。一夫一婦、一家一計[154]とは言へず。などかは一親一近ならん[155]。
(言う)こちらは劉二公の家の入り口だ。この不琅鼓[156]を振り、あの爺さんが出てきたら、わたしは幾つか言葉を掛けて、あの爺さんをひどく悲しませるとしよう。(太鼓を振り、呼ぶ)笊籬馬杓、壊れていれば換えますよ。爺さんが出てきたぞ。
(劉二公が登場)来たぞ。不琅鼓を鳴らしているのはあの爺さんだ。出ていって尋ねよう。(見える)ごきげんよう。
(張)ごきげんよう。ごきげんよう。わたしはあなたにごきげんようの借りがある[157]。
(劉二公)お元気ですか。
(張)元気であろうとなかろうと、あなたとは関わりはない。
(劉二公)どうしてお怒りなのですか。
(張)怒っていない。
(劉二公)ご老人、ここ数日、お見かけしなかったのですが、どちらへお行きだったのでしょうか。
(張)城内へ行っていたのだ。
(劉二公)ご老人、城内ではどんな新しいことがございましたか。
(張)何も新しいことはない。一貫鈔で大きな焼餅を買ったが、そのほかには何もない。
(劉二公)そのような新しいことではございませぬ。新しい役人が着任し、旧い役人が転任したのが新しいことでございます。
(張)見たぞ。見たぞ。新しい太守さまをお迎えしたのだ。お話ししたいが、わたしの商売が遅れてしまう。日を改めてお話ししよう。
(劉二公)今日仰ってください。
(張)ほんとうに話してもらいたいのか。あなたがあなたの先祖にむかって頂礼すれば、お話ししよう。
(劉二公)ご老人、仰ってください。
(張)老いぼれめ、あなたが頂礼しないのに、わたしが話せばあなたに罰が当たってしまうではないか[158]。頂礼すればお話ししよう。(唱う)
【迎仙客】わたしは見たり、かの公吏らが一字に並び、父老らが両脇に分かるるを。
(言う)一時足らずで西門はがらがら開き、骨朶衙仗、水罐、銀盆、茶褐羅傘[159]を目にしたぞ。かの五明馬に坐っていたのは、
(劉二公)誰でしたか。
(張)商売が忙しいので、見なかった。忘れてしまった。
(劉二公)お願いします。役人となったのはいったい誰でございましょう。
(張)考えよう。ああ、思い出したぞ。
(唱う)おまへが前年離縁を求めし朱買臣てふものなりき。
(劉二公)ありがたい、わが家の婿は役人になったのだ。
(張)老いぼれめ。都合の良いことを言うな。去年はおまえの婿だと言わず、今日官職を得た途端、おまえの家の婿だと言うとは。ご立派な知事さまは、
(唱う)ほんたうに貴きを恃むことなく、貧しきを厭ふことなし、
(言う)あのかたはわたしをご覧にならないときは、万事何事もなかったが、わたしを見、わたしが村の張伯父さんであるのを知ると、あわてて鞍から転がり落ち、わたしを銀の交椅に据えて、頭を下げて再拝したのだ。
(唱う)かれはまづ拝礼をなししかば、人々はおほいに驚かんとせり。拝礼すればさらに時候の挨拶を述べたりき、
(言う)あの知事さまはお尋ねだった。王安道兄じゃはお元気でしょうか。弟の楊孝先は元気でしょうか。村にいる、姑姑、姨姨、嬸子、伯娘、弟、妹は、元気でしょうかと。わたしは言った。お元気です、お元気ですと。
(唱う)かれは昔の連れ合ひのことなどもすべて問ひたり。
(劉二公)わたしのことを尋ねましたか。
(張)あなたのことは尋ねなかった。あなたが良い人だからだろう[160]。
(劉二公)娘を呼び出してこよう。玉天仙や、朱買臣が役人になったぞ。出てこい。張憋古どのがこちらにいるから、お会いしろ。
(旦児が登場)ああ、有り難い。あのひとのことを尋ねにゆこう。
(張)娘が出てきたぞ。幾つかの言葉を掛けて、娘をひどく怒らせよう。
(旦児)伯父さん万福。
(張が拝する)ああ、ああ、ああ。夫人[161]さまがいらっしゃることを存じていれば、お迎えいたすべきでした。あちらはお若いとはもうせ、五花官誥、駟馬高車[162]、太守さまの奥方さまだ。こちらは老いてはいるとはもうせ、ただの農家の爺さんだ。奥方さま、挨拶は結構でございます。勿体のうございます。
(旦児)わたしは夫人ではありません。わたしは朱買臣どのに去り状を求めたのです。
(張)奥さま、ご冗談はおやめください。
(旦児)あなたをからかってはおりませぬ。ほんとうに去り状を求めたのです。
(張)奥さまはそのように愚かな方ではございません。
(旦児)ほんとうに去り状を求めたのです。
(張)ほんとうに去り状を求めたのですか。
(旦児)ほんとうです。
(張)小娘め、おまえがはやく言わぬから、数回拝礼してしまったわい。
(旦児)誰もあなたに拝礼をさせてはいません。ご老人、朱買臣どのにお会いになったとき、どのように仰っていましたか。
(張)わたしは見たぞ。
(旦児)どのように仰っていましたか。
(張が唱う)
【喜春児】わづかに話をなさりしも、
(張が表情を作る[163])
(旦児)ご老人、どうしてそんなお顔をなさる。
(張が唱う)かれはおんみをいたく恨めり、
(旦児)わたしの何をお恨みでしたか。
(張が唱う)かのひとは「一夜の夫婦に百夜の恩」のあることを思ひたるのみ[164]。
(旦児)ほかにはどのように言っていましたか。
(張が唱う)かれは言ひたり、漢の相如[165]は卓文君のおんみに思ひを述ぶべしと、
(旦児)どんな思いを述べていましたか。
(張)かれは言ひたり、あなたは車にしかと駕せよと、
(旦児)わたしを迎えにくるのでしょうか。
(張が唱う)他の人に嫁がしめじと。
(旦児)思えば、あいつはわたしの家で二十年間婿だったのだが、毎日怠けて、仕事しなかった。ところが今日、役人になった途端に、人のことを見下している。人の大きな恩を忘れて、小さな恨みを記憶して、常識がなく、早死にすべき、馬鹿野郎だったのだ[166]。
(張)この娘はほんとうに無礼だな。(唱う)
【上小楼】おまへは言へり、かのひとは大恩を忘れりと、また言へり、かのひとは小さき恨みを記憶したりと。誰かおまへに命じてかのひとに迫らしめたる。生きては衾を同じうし、死しては墳をともにすべきに[167]。
(旦児)あのひとは毎日わたしを頼りにし、四十九歳になっても、功名をまったく望みませんでした。あのひとにつよく迫って官職を求めにゆかせたのであって、悪意はなかったのですよ。
(張が唱う)おまへは言へり、かれは四旬を過ぎぬれど、功名を求むることをせざりきと、
(言う)ご老人、村の東の王学究が言った言葉をご記憶か[168]。
(劉二公)どんな言葉でございましょう。
(張が唱う)かのひとは、君子はもとより窮すれど本分をかたく守ると言ひたりき[169]。
(劉二公)あのひとは、わが家にいること二十年、冷たい水を温めて熱い水とし、熱い水を沸かして煮え湯にし、飲ませてあげたことをまったく忘れている。今は役人になり、玄米、古米、昔のことを思わずに[170]、どうして悪いことだけを記憶しているのでしょうか。
(張が唱う)
【幺篇】かの娘はかれに離婚を強要し、この爺さんもかれとの縁を絶ちたりき。あきらかに、身に衣るものなく、腹に食らふものなかりしに、
(言う)大雪の中にかれを追い出し、
(唱う)かれをして進むにも退くにも門戸なからしめたり。
(劉二公)娘はほかに嫁いでおらず、あのひとに冗談を言ったのに、なぜこのように真に受けて、あれこれと言い、槽に背を向け糞するのでしょう[171]。
(張が唱う)あなたは言へり、かれは出世し、向きになり、われわれ[172]と口論せりと、
(言う)あのひとはあなたの家で二十年間婿となり、柴刈りを生業にして、楽しいことはすこしもございませんでした。ところがあなたは最後には、娘に命じて、大風と大雪の中、去り状を求めさせ、あのひとを追い出しました。仰ってください、
(唱う)槽を背にして糞せしは誰そ[173]。
(劉二公)ああ、かれは今回役人になり、わたしの家を親戚と認めないとは。あきらかに恩を忘れて義に背いている。
(張が唱う)
【満庭芳】これこそは恩を受け恩に報ゆることならめ[174]、
(旦児)ほかには何と言っていましたか。
(張が唱う)かのひとはあなたはほかに婿を取れ、ほかの男に嫁げとぞ言ひたりし。
(旦児)ほかには何と言っていましたか。
(張が唱う)かれは言ひたり、あなたは蛾眉と螓首[175]にて、鴉鬢[176]を高くしたれども、なにゆゑぞ喜び少なく怒り多きと。かれは言ひたり、あなたは木乳餅[177]にして、銭に親しみ口は緊しと[178]、かれは言ひたり、あなたは鉄の箒[179]にて、かれの家門を掃ひて壊ひたるなりと。
(旦児)ほかには何と言っていましたか。
(張が唱う)かれは言ひたり、あなたはすこしも温和ならずと。また言へり、六親と親しまず、げに雌太歳、母凶神ぞと[180]。
(言う)わたしの商売が遅れてしまう。
(太鼓を振って去る)
(旦児)ご老人、ほかにはどんな話がございましたか。すべて仰ってください。
(張)かれは言ひたり、かれは言ひたり。(唱う)
【耍孩児】肩には柴の束を担ひて、口ではたえず書賦を温へり、日ごと林を貫きて澗を過ぎたれば誰か訪ふことあらん。青松と翠柏を交友として、野草と閑花を隣人とせり。行く処には八つのものが従へり、
(劉二公)どのような八つのものでございましょう。
(張が唱う)斧、鎌、縄、担[181]、琴、剣、書、文でございます。
(旦児)あのひとは今回役人になりましたが、昔に比べて、いかがでしょうか。
(張が唱う)
【一煞】かれはこのたび当地の官を得、まことにほかの人に換はれり。あれこそは「貌は福に従ひて転ず」なれ。すぐに気付くは難からん。かれはそのかみ、黄に乾き、黒く痩せ、衣衫は破れたりしかど、
(言う)見にゆかれませ、
(唱う)今となりては白馬紅纓[182]、彩色こそは新たなれ。おしなべて豪華にて、列ぬるは骨朶衙仗、水罐[183]、銀盆。
(劉二公)この話はあのひとが言ったのではなく、すべてあなたが言っているのでございましょう。
(旦児)一日中話しましたが、すべてはあなたの年老いた苘麻の口で[184]、ないことをあると言い[185]、嘘をつき、口と舌とで、でっち上げたものですね[186]。
(張が唱う)
【煞尾】これこそはかのひとが言ひ、かのひとが言ひ、わたしに伝言、わたしに伝言せしめたるなれ。
(劉二公)あのひとは役人になり、わたしをどうするのでしょうか。
(張)あなたをどうするかといえば、
(唱う)かれはあなたを縛り、吊り、打つことをほしいままにぞするべけん。
(旦児)ぺっ。わたしはあのひとの夫人ですから、あのひとはわたしをどうすることもできません。
(張)商売が遅れてしまう。(太鼓を振って呼ぶ)笊籬馬杓、壊れていれば換えますよ。
(唱う)あなたに離縁を求められたる怨みをかれは雪がんとせり。(退場)
(劉二公)娘よ、大丈夫だ。わたしがついている。王安道伯父さんのところへ行こう。
第四折
(王安道が登場)老いぼれは王安道。弟の朱買臣と別れた後、朱買臣は気を奮い、帝都闕下に赴いて、一挙に及第し、わが会稽郡に除せられて、大守の職となったから、まさにわたしの父母官[187]だ。わたしはこの曹娥川のほとり、堤近くで、酒肴を調え、朱買臣をこちらに招いて酒宴させる。それはなぜか。むかし弟が不遇であった時、弟の楊孝先と毎日こちらで談話していたからだ。昔を忘れていなければ、きっとこちらに来るだろう。そろそろ弟が来るだろう。
(劉二公が旦児とともに登場)老いぼれは劉二公。今日朱買臣は当地の太守となったが、かれは去り状のことがあるから、きっと身内と認めようとはせぬだろう。今さきに王安道老人にお知らせし、取りなしてもらうとしよう。こちらはかれの家の入り口。娘や、いっしょに行くとしよう。(見える)
(王安道)こちらはご令嬢ですか。ご老人、いっしょに来られて何のお話にございましょう。
(劉二公)婿の朱買臣が官職を得ましたが、かれがわたしを身内と認めなかったら、どういたしましょう。
(王安道)ご老人、ご安心なさい。この件は老いぼれが証人になりますと申していました。今日はみな老いぼれが引き受けました。
(劉二公)それならば、わたくしはあちらで控え、ご報告をお待ちしましょう。
(旦児とともに退場)
(正末が張千を連れて登場)わたしは朱買臣。帝都闕下に来てから、一挙に及第し、会稽郡太守に除せられた。王安道兄じゃは、人に命じてわたしを呼ばせ、この江の堤の近くで、酒肴を調えていらっしゃる。それはなぜだと思われる[188]。兄じゃはわたしが昔のことを忘れることを恐れていらっしゃるからだ。従者よ、ゆっくりと儀仗を列ねてゆけ。朱買臣よ[189]、今日があろうとは思わなかった。(唱う)
【双調】【新水令】むかしわたしは破れた綢衫[190]、粗き布襖を着けたりしかど、本日は紫羅襴[191]をはじめて着けたり。煙波と漁父の国[192]に向かへば、今もなほ「風雪は酒家の天」といふことを思ひ起こせり。いささかの靄靄とした雲煙を目にすれば、わたしはひたすら堤の辺に隠れつつ、両肩を聳やかし、なほ身震ひす。
(言う)左右のものよ、馬を繋げ。(見える)兄じゃ、お別れしてからお元気でしたか。
(王安道)知事さまがいらっしゃった。知事さまはご出世なさいましたね。お掛けください。
(正末)兄じゃがいらっしゃらなければ、今日のわたしはなかったことでしょう。わたしが出発する時に申したことをご記憶でしょうか。去年の朱買臣は、今年になっても朱買臣、恩を受け、恩に報いるのは、立派な儒者、恩を受け、報いないのは、人ではないと申しませんでしたか。兄じゃ、上座に着かれ、わたしが数回拝礼するのをお受けください。(拝する)
(王安道が拝礼を返す)知事さま、挨拶は結構でございます。勿体のうございます。知事さま、お掛けになってください。酒を持て。(酒を注ぐ)知事さま、よい官職を手に入れられておめでとうございます。十杯を干してください。
(正末)兄じゃがさきにどうぞ。
(王安道)とんでもございませぬ。知事さまがどうぞ。
(正末が酒を飲む)
(王安道)知事さま、ゆっくりと何杯かお飲みください。
(正末)張千、われら兄弟が話しているとき、関わりのない者が邪魔しにこないようにせよ。
(張千)かしこまりました。(怒鳴る)知事さまがお酒をお召しになっているから、関わりのない者は下がるのだ。
(楊孝先が登場)わたしは楊孝先。聴けば朱買臣兄じゃが官職を得て、こちらで酒を飲んでいるとか。兄じゃに会いにゆくとしよう。ああ。このように警備が厳重であるなら、行くわけにゆかぬわい。大声で一声叫ぶことにしよう。恐れることはない。朱買臣兄じゃ。
(張千が怒鳴る)こら。何奴だ。わが知事さまの諱を呼ぶとは。(打つ)
(正末)張千よ、ほんとうにとんでもないな。わたしの言葉を受けないうちに、みだりに馬を打つ棍棒で民を打つとは。おまえは多くの罪があるから、打つとしよう。(唱う)
【川撥棹】張千を打たんとす、
(言う)尋ねるが、打たれた者は誰なのだ。
(楊孝先)兄じゃ、弟の楊孝先にございます。
(正末が唱う)生業をともにせし楊孝先なりけるか。
(孝先が拝礼し、酒瓶を蹴り倒す)
(正末が挨拶を返す)弟よ、挨拶はいい。
(楊孝先)兄じゃ、よい官職を手に入れられておめでとうございます。
(王安道)弟よ、おまえも来たか。
(正末)弟よ、元気か。
(楊孝先)兄じゃ、わたしは元気でございます。
(正末が唱う)われらはかつて仲間となりて、お金を分けて、ともに起き、ともに眠りしことありしかど、別れてからは年を経にけり。
(言う)弟よ、おまえは今どんな商売をしている。
(楊孝先)兄じゃ、あいかわらず柴刈りをしております。
(正末が唱う)なほ柴刈りに頼りつつ暮らしたりしか、などかくも運の苦しき。
(劉二公が旦児とともに登場)娘よ、いっしょに朱買臣に会いにゆこう。
(旦児)父上、わたしがさきに行きましょう。
(劉二公)娘よ、おまえがさきに行き、かれがおまえを女房と認めるかどうかを見るのだ。
(旦児が見えて跪く)知事さま、よい官職を手に入れられておめでとうございます。わたしはあなたが貧乏にならないものと思っていました。
(正末)友人同士がお酒を飲んでいるのだぞ。張千よ、誰がおまえにこの女を来させろと言った。追い出せ。(唱う)
【七弟兄】どちらの家のご婦人か。下がられよ。
(王安道)ご夫人がいらっしゃいました。
(正末が見え、怒り、唱う)立て玉天仙。去にし年、なにゆゑぞ怨みを抱きし[193]。見ゆれば、知らぬまに、怒りは天を衝きたれど、今日われら二人は再び見えたり。
(旦児)すべてわたしが悪かったのでございます。
(正末が唱う)
【梅花酒】ああ、何としをらしくせることよ。われらはまさに夙世の姻縁ありしかば、今世に纏綿たりしかど、来る年をなど待つことのなかりしや。
(旦児)知事さま、旧い話を持ち出されませぬよう。
(正末が唱う)昔おまへが離縁を求めたりければ、わたしは離縁したるなり。おまへは今日団円せんとしたれども、わたしは団円することなからん。
(言う)劉家の娘よ、おまえはこう言わなかったか。
(旦児)わたしが何と申しましたか。
(正末が唱う)おまへは言へり、おまへはまさに年は若しと。おまへは言へり、おまへは姿麗しく、顔美しく、裁縫に長け、刺繍を善くし、子のしがらみもあらざれば、他の大官に嫁がんと。
【喜江南】行け、おまへはわたしの銅斗[194]の財を得捨てざるべし、
(旦児が悲しむ)おにいさま[195]、認めてくださらないならば、誰に身を寄せてゆきましょう。
(正末が唱う)孟姜女どの、涙の漣漣たることは必要なし。人の情に絡みつく野狐涎[196]を用ゐるべからず。
(旦児)あなたは今日役人におなりですので、とてもわがままでございます。
(正末が唱う)わたしがわがままなるにはあらず、長城を哭きて倒せと聖上は宣ひたりき[197]。
(旦児)妻とお認めくださいまし。
(正末)張千、追い出してゆかぬか。何をしている。
(張千が突く)はやく出てゆけ。
(旦児が門を出る)
(劉二公が問う)娘よ、あのかたはおまえを妻と認めたか。
(旦児)認めようとはしませんでした。
(劉二公)娘よ、わたしたち二人で行こう。(見える)朱買臣どの、わたしはおんみが貧乏になる人ではないと申したであろう。
(正末)あの爺さんは何ものだ。
(王安道)知事さまの舅どのです。
(正末)知らないな。
(王安道)知事さまの舅どのの劉二公です。
(正末)兄じゃ、あのひとは卓王孫ではないか[198]。(唱う)
【雁児落】卓王孫どの、なにゆゑぞ賢人を重んぜざりし。
(王安道)あのひとは劉二公です。卓王孫ではございません。
(正末)卓王孫でないのなら、
(唱う)なにゆゑぞ、文君女をば唆し、貧賤を厭はしめたる。お尋ねいたさん、相如に迫り離縁を求め、あなたはむかし蒼天に誓ひを立てしや[199]。
(言う)今日の座上の人々を、ご存じか。
(旦児)存じております。こちらは王安道伯父さんで、こちらは楊孝先叔父さんでございます。
(正末が唱う)
【得勝令】おまへははつきり人々に言ひ、さらにつとめて留まらんとす。
(旦児)本日は富貴となってふたたび団円したのですから、良うございましょう。
(正末が唱う)おまへは思へり、今日は富貴となりぬればまた団円すべきなりと、
(言う)劉家の娘よ、
(唱う)おまへはむかし、なにゆゑぞ飢寒のなかで自然を守ることを得ざりし[200]。
(言う)おまえはこう言わなかったか。
(旦児)わたしが何と申しましたか。
(正末が唱う)おまへは言へり、鬼となり冥土に行くとも、われら二人は麻綫道で会はじと。それぞれ堅き心を抱き、心は堅きものなれば石をも穿つべしと言はずや[201]。
(王安道)知事さま。奥さまをお認めなされ。
(正末)兄じゃ、認めることは難しゅうございます。
(劉二公)わたしは舅だ。わたしを舅と認めないのか。
(正末)認めませぬ。
(劉二公)親家どの、ちょっと宥めてください。
(王安道)知事さま、舅どのをお認めになりますか。
(正末)認めませぬ。
(王安道)お認めにならないのなら、わたしは魚を捕らえにゆきます。
(楊孝先)知事さま、お認めになりますか。
(正末)認めませぬ。
(楊孝先)お認めにならないのなら、わたしは柴刈りにゆきましょう。
(旦児)朱買臣さま、あなたはわたしをお認めになりますか。
(正末)認めない。
(旦児が別れを告げる[202])お認めにならないのなら、わたしは人に嫁いでゆきます。
(王安道)知事さま、とにかくお認めなさい。
(正末)断じて認めませぬ。
(旦児)朱買臣さま、お認めにならないのなら、どこであろうと、河に身を投げ、井に飛び込み、命を絶つといたしましょう。
(正末)黙れ。(唱う)
【甜水令】よしやおまへが井に飛び込み、河に身を投げんとも、それこそは、みづから推して、みづから転び、みづから埋め、みづから怨むことならめ[203]。
(旦児)王伯父さん、すこし宥めてくださいまし。
(正末が唱う)わたしにさんざん頼むとも憐れむことはなかるべし。行きつ来つ、上りつ下りつ、宥むとも[204]、おまへの以前の罪は消し得じ。
(王安道)知事さま。奥さまとお認めなさい。
(正末)兄じゃ、(唱う)
【折桂令】かねてより漁師のおんみは水に順ひ船を進めり[205]。思へば凛冽たる寒風、大雪は天に漲りたりしなり。思へばわが身に衣なく、腹に食なく、懐に銭はなかりき。
(言う)劉家の娘よ、おまえはこう言わなかったか。
(旦児)わたしが何と申しましたか。
(正末が唱う)おまへはわたしの南北の荘園を捨て得ざることはなく、東西の楼閣を棄て得ざることもなからん[206]。わたしは今でも陸地に田なく、水路に船なし。この紫綬金章よりほかは、今もなほ徒手空拳なり。
(言う)劉家の娘よ、おまえを妻と認めることを求めるのなら、盆の水を持ってこい。
(張千)水はこちらにございます。
(王安道)知事さま、奥さまをお認めなさい。
(正末が唱う)
【落梅風】わたしを宥むることを須ゐず、おんみもわたしの言葉を聴くべし。おんみは盆の水を持ち、目の前に置きたまへかし。
(王安道)水があるではございませんか。
(正末が唱う)玉天仙よ、どこへなりとも零すべし。
(旦児が水を零す)零しました。
(正末が唱う)おまへが収めおはりし時に、ふたたび姻眷と成りぬべし。
(王安道)知事さま、これは覆水盆に返らずということで、良くないことでございます。
(劉二公)親家どの、今日になっても、なぜお話しにならぬのか。
(王安道)お待ちください。お待ちください。どうぞ知事さま、お怒りをお鎮めになり、老いぼれがゆっくりとお話しするのをお聴きください。わたしは我慢しきれなくなったのでもなく、結託をしているわけでもございません[207]。あなたは四十九歳になられても、奥さまに頼ろうと思うばかりで、功名を得ようとなさらなかったので、舅どのは奥さまを唆し、わざと離縁を求めさせ、大雪の中であなたを追い出したのでございます。男子は刺激しなければ発憤しないものだからです。思えば、あなたは功名を得ようにも、路銀はございませんでした。老いぼれに別れにきても、わたしも貧しかったため、あなたに援助するものは何もございませんでした。お考えあれ。この白銀十両、綿衣一套を、わたしは漁師でございますのに、どこで得ることができましょう。これは舅どのがわたしにひそかに送ってきたのを、おもてむき、わたしがあなたに援助したものなのですよ。あなたは科場に赴いて、一挙に及第、御酒を飲み、宮花を挿し、会稽の太守におなりになりました。むかし貧しさに耐えていたときは、三人で貧しさに耐えていたのに、今日栄華を享けるときには、ひとりで栄華をお享けになるとは。知事さま、はやくもお忘れですか。恩を知り恩に報いるのは、立派な儒者、恩を受け、報いないのは、人ではないということを。
(正末)ああ。そのようなことがあったのか。兄じゃが事情を明かさなければ、わたしは気付きませんでした。舅どの、あなたにすっかり騙されました。
(劉二公)婿どの、ひどくびっくりさせられました。
(旦児)旦那さま、ひどくびっくりさせられました。
(正末が唱う)
【沽美酒】わたしは、あなたがごろつきで、心がいたく頑ななりと思ひしが、そもこれは姜太公[208]が機略を用ゐ、魚を釣らず、賢しき人を釣りたるなりき。あなたはわたしに恩を施し、ひそかに路銀を援助したまへり。
【太平令】かねてより漁師の言葉は釣糸のやう[209]、言はれてわたしは恥づかしく口を閉ざして言葉なし。関節は明らかにして何の見がたきことやある。あやふく一家の多くの恩を怨みと思はんところなり。わたしは今や心が変はり、かれらの運も変はりたり。ああ、おみのみが面目を施したるにはあらざりき[210]。
(孤が従者を連れて登場、詩)漢家の七代聖明の君、軍功を尚ばず文藝のみを尚べり。こころみに問ふ会稽の朱太守は、誰が青雲に吹き上げたりし。
わたしは大司徒厳助、かつて賢士を探すため、この会稽にやってきて、朱買臣に遇い、かれの万言の長策を持ち、朝廷に推挙したところ、はたして重用せられ、会稽太守の職を授かった。聞けばかれの妻劉氏は、大雪の中、むりに去り状を求め、かれを追い出したことがあるとか。朱買臣はこの以前の怨みを記憶していて、妻を認めようとしない。ところがこれもかれの妻の罪ではなく、舅の劉二公がからくりを設け、かれを励まし、功名を得させようとしていたものなのだ。わたしはすでにはっきり調べ、お上に上奏した。今わたしはみずから勅をもたらして、かれら夫婦を団円させよう。王命を帯びたからには、跋渉するのを憚ることなく、駅を馳せ、行くとしよう。はやくも着いた。左右のものよ、馬を繋げ。(入って見える)朱買臣どの、おんみが前妻を離縁した一件につき、聖上はことごとく来歴をご存じだ。今回、わたしは勅をもたらしてこちらに来た。皆の者、宮居を望んで跪き、聖上の御諚を聴け。朱買臣は辛苦してもとより貧しく、薪を担いで自活していたのだが、道路でも、吟哦[211]を廃さなかったから、特別に一年に二千石を加え、俸禄に充てるとしよう。妻の劉氏はその貌は玉のよう、その口は達者であった[212]。すでに離縁されたのだから、もとより棄ておかれるべきだが、父命に従い、機略を用い、夫の名を成さしめたのだから、とりあえず元通り団円させることにする。王安道、楊孝先、劉二公らは、いずれも隠居し、栄達を慕わないから、それぞれ百畝の田を賜わり、労役を終生免れさせるとしよう。聖恩に謝せ。
(正末が衆とともに謝する)(唱う)
【鴛鴦煞尾】はじめて知れり、皇明に比し、日月の光は遍からずして、天恩に比し、雨露の潤はなほも浅きを[213]。わたしは禄は薄くして、官は卑しきものなるに、一年に二千石をば加へられ、昔日の貧しき友は、おしなべて田を賜はれり。妻さへもいかなる縁のありしにや、はや団円の願ひを遂げぬ。かれとともに後世に流伝せられて、風雪漁樵も一場の故事として演ぜらるべし。
(劉二公)天下の吉事で、夫と妻の団円に勝るものはない。今日、妻と認めたのなら、羊を殺し、酒を造って、祝賀の宴を催すべきだ。
(詞)玉天仙の容貌はいと麗しく、恩愛を恋ひ、仕進を望むことはなかりき[214]。強情を装ひて、ことさらに去り状を書くを迫れば、長安に行き、高第に登る[215]を得たり。太守に除せられ、会稽城にて、威風を示せば、誰かは驚き避けざらん。旧恨を懐き夫婦はともに参商となり、盆の水を覆し判例となさんとしたり。厳司徒が勅をもたらしまた来ることのなからましかば、朱買臣風雪漁樵記をいかでかは終はらしむべき。
題目 厳司徒薦達万言書
正名 朱太守風雪漁樵記
最終更新日:2007年9月29日
[1]なれ鮨。『釈名』釈飲食「鮓、菹也、以塩米醸魚、以為葅、熟而食之也」。
[2]原文「二十年来手不抄」。「抄手」は腕組みをすること。この句、王安道が二十年来忙しかったことを述べた句と解す。
[3]いずれも経書でよく使われる虚字。ここでは経書、もしくは受験勉強のこと。
[4]『易』謙。
[5]泛泛という言葉はありそうでない。ただ、字義や文脈からして、「軽薄な」ということであろう。
[6]原文「俺也曾蠹簡三冬依雪聚」。未詳。とりあえずこう訳す。『蒙求』「孫康映雪、車胤聚蛍」に基づく句であろう。「蠹簡」は紙魚に蝕まれた書物だが、ここでは紙魚が書物を蝕むかのように、書物を貪り読むこと。
[7]『荘子』逍遥遊「鵬之徙於南冥也、水撃三千里、摶扶揺而上者九万里」。
[8]『論語』為政。
[9]原文「皇天不負読書人」。天は読書人に味方する。「皇天不負好心人」「皇天不負苦心人」などとも。
[10]原文「想他這陰陽造化果非誣」。「陰陽造化」は陰陽の転変。ここでは運命のこと。
[11]原文「常言道是小富由人做、咱人這大富總是天之數」。小さな富は人の力で得ることができるが、大きな富は運命で得ることしかできない。
[12]宋真宗『勧学文』。
[13]樵、漁師。
[14]寒い日は酒が飲みたくなるので、飲み屋は商売繁盛だという趣旨の諺。
[15]『漢語大詞典』はこの例を引き、役人の家の意とする。
[16]原文「則是与那富家毎添助」。「添助」が未詳。とりあえず訳文のように解釈する。
[17]紅炉。紅く燃えた炉。
[18]暖閣は小部屋。
[19]動物の形をした炭。『晋書』羊e伝「e性豪侈、費用無復斉限、而屑炭和作獣形以温酒、洛下豪貴咸競效之」。
[20]山西省産の酒の名。元王伯仁『酒小史』参照。
[21]指示内容は後ろの「門外に雪は飄飄…」。
[22]象牙のカスタネット。
[23]官吏、士人のゆったりとした服。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百十一頁参照。
[24]広い袖の服。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百五十一頁参照。
[25]『論語』里仁。
[26]朱買臣のこと。
[27]戦慄するさま。
[28]原文「還説甚這晩来江上堪図処」。「堪図」は絵にするに堪えるほど美しいということであろう。
[29]書剣は遊学する書生の必携品。
[30]『史記』殷本紀「武丁夜夢得聖人、名曰説。以夢所見視群臣百吏、皆非也。於是迺使百工営求之野、得説於傅険中。是時説為胥靡、築於傅険」。
[31]『漢書』倪寛伝「倪ェ、千乗人也。治尚書、事欧陽生。以郡国選詣博士、受業孔安国。貧無資用、嘗為弟子都養。時行賃作、帯経而鉏、休息輒読誦、其精如此」。
[32]『史記』淮陰侯列伝「信釣於城下、諸母漂、有一母見信飢、飯信」。
[33]『史記』白起伝「白起者、郿人也。善用兵、事秦昭王。昭王十三年、而白起為左庶長」。
[35]『漢書』公孫弘伝「公孫弘、菑川薛人也。少時為獄吏、有罪、免。家貧、牧豕海上」。
[36]『史記』「潁陰侯灌嬰者、睢陽販庶メ也」。
[37]河南省の古地名。紂が都を置いたところ。
[38]陝西省宝鶏県東南にある渓谷の名。「蟠」は「磻」「嶓」などとも表記される。
[39]草書。
[40]原文「金石之句」。典故がありそうだが未詳。文脈からしてすぐれた文ということであろう。
[41]美玉を箱に収めているように、才能を発揮しないでいること。『論語』子罕「子貢曰、有美玉於斯、韞匱而蔵諸。求善賈而沽諸」。
[42]琴、剣、書物、それらを入れる箱。書生の旅装。
[43]原文「小生則用著身邊一般児物件、奪取皇家富貴」。「皇家富貴」は未詳だが、皇室ほどの富貴ということと解す。
[44]桑のこと。
[45]未詳だが、農具のことであろう。
[46]未詳。士人の家か。あるいは仕戸に同じいか。
[47]原文「便有那漁翁也索罷了釣台」。「台」には深い意味はないであろう。韻字。
[49]原文「便是凍蘇秦也怎生去搠筆巡街」。「搠筆巡街」は街で売文すること。
[50]わたしはおまえの亭主だぞという口吻。
[51]原文「我的児」。夫のことを一世代下の者扱いにして馬鹿にしているのであろう。
[52]「打とうという考えはあっても打つ勇気はないから」ということであろう。
[53]いずれも下女の名。もちろん、こんなにたくさんの下女がいようはずもなく、劉家女が朱買臣に対して嫌味を言っているもの。
[54]原文「你休不知福」。「不知福」が未詳。とりあえずこう解す。
[55]明代の最高統帥機関。洪武十三年に設置。元代の枢密院に相当。
[56]原文「甚麼福。是、是、是、前一幅、後一幅、五軍都督府。你老子賣豆腐、你奶奶当轎夫、可是甚麼福」。すぐ前の「你休不知福」を受けた発言。「幅」「府」「腐」「夫」はすべて「福」と同音。
[57]大きな模様のついた綾。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』四百九十八頁参照。
[58]未詳。
[59]布の一種。『明史』西域伝四・米昔児に「洗白布二十匹」を米昔児に賜ったとあり、外国伝七・榜葛剌には「洗白苾布」を榜葛剌に賜ったとある。
[61]未詳だが、『明史』西域伝四・米昔児に、「白氁絲布五匹」を米昔児王の使者に賜ったという記事が見える。「米昔児、一名密思児。永楽中遣使朝貢。既宴賚、命五日一給酒饌、果餌、所経地皆置宴。正統六年、王鎖魯檀阿失剌福復来貢。礼官言、其地極遠、未有賜例。昔撒馬児罕初貢時、賜予過優、今宜稍損。賜王綵幣十表裏、紗、羅各三匹、白氁絲布、白将楽布各五匹、洗白布二十匹、王妻及使臣遞減」。
[62]深紅。
[63]背面から袖の上部にかけて施された紋様という。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』五百八十五頁参照。
[64]明代の礼服。曳撒という長袍に似、袖が広く、蟒の補子がつき、乗馬に適している。皇帝に扈従する宦官が着用した。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百八頁参照。『明史』輿服志三・内使冠服「按大政記、永楽以後、宦官在帝左右、必蟒服、製如曳撒、繍蟒於左右、繋以鸞帯、此燕閑之服也。次則飛魚、惟入侍用之。貴而用事者、賜蟒、文武一品官所不易得也。単蟒面皆斜向、坐蟒則面正向、尤貴。又有膝襴者、亦如曳撒、上有蟒補、当膝処横織細雲蟒、蓋南郊及山陵扈従、便於乗馬也」。
[66]見にゆく目的語は後ろの曲で唱われている柴。
[67]原文「見過多少振冬振」。「振冬振」はまったく未詳。王学奇主編『元曲選校注』は雷であろうとする。とりあえず、それに従う。
[68]原文「倒怕你清風細雨灑」。「你清風細雨」と言っていることからも分かるように、「清風細雨」は朱買臣の喩え。自分は数々の辛い目に遭ってきたのだから、懦弱な朱買臣など恐ろしくはないということ。
[69]原文「我和你頂磚頭對口詞」。「頂磚頭」は未詳。『漢語大詞典』はこの例を引き「旧時跪著發誓的一種方法」とする。
[70]原文「你理會的好人家好家法、你這等惡人家惡家法」。未詳。とりあえずこう訳す。
[71]原文「你可便再有甚麼将我来栽排」。「栽排」は「安排」の意だが、ここでは罵るということ。
[72]胡人の帽子。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』八十六頁参照。
[73]原文「我揀那高門樓大糞堆」。「大糞堆」は「高門樓」と句中対にしたもので意味はない。
[74]原文「不索買卦有飯吃、一年出一個叫化的」。「買卦有飯吃」が未詳。とりあえずこう訳す。
[75]奥方のこと。
[76]原文「娘子、娘子、倒做著屁眼底下穰子」。「屁眼底下穰子」が未詳。ただし「娘子」と「穰子」は同音。
[77]原文「夫人、夫人、磨眼児裏」。王学奇主編『元曲選校注』は「夫人」は「麩仁」のこととするが、「麩仁」とはいかなるものなのか未詳。「麩」と「仁」の二物のつもりなのか。「麩」は小麦を挽いたときの表皮の屑、「仁」は小麦の核の部分ということなのか。
[78]原文「你砂子地裏放屁、不害你那口磣」。未詳。とりあえずこう訳す。
[79]原文「投到你做官、你做那桑木官、柳木官、這頭踹著那頭掀」。未詳。とりあえずこう訳す。
[80]水死体のこと。
[81]烏拉草(ヌマクロボスケ)を入れた防寒用の革靴。靰鞡靴とも。
[82]未詳だが、清代の小説『粉妝楼』五十六回に「煙氈大帽」という言葉が見え、大きな帽子なのであろう。
[83]西王母。娘娘は女神さまの意。
[84]原文「那其間你還不得做官哩」。すぐ前のところで「あなたが役人となる時は(投到你做官)」と言っているのと矛盾している。
[85]縦理入口。口の横の縦皺の端が口に入り込んでいるもので、餓死の相とされる。
[86]原文「你奶奶試聽咱」。「奶奶」はここでは既婚の女性に対する尊称。玉天仙が自分で自分のことを「奶奶」と呼んでいるのは人を食っている。
[87]『左伝』昭公二十八年「昔賈大夫惡、娶妻而美、三年不言不笑。御以如皋、射雉獲之、其妻始笑而言」
[89]婦人の守るべき徳目。三従は父、夫、子に従うこと。四徳は、婦徳(貞順)・婦言(辞令)・婦容(婉娩)・婦功(糸麻)。
[90]原文「你説去」。未詳。とりあえずこう訳す。
[91]原文「你敢少他一畫」。未詳。とりあえずこう訳す。
[92]原文「可又来」。未詳。とりあえずこう訳す。
[93]あばら屋をいう。夜に家の中から星が見えるから。
[94]原文「豈不聞自古寒儒在這氷雪堂何礙」。氷雪堂はあばら屋のこと。
[95]原文「頂天立地」。世界を背負って立つほどの気概のあることをいう常套句。現在でも用いる。
[96]原文「我和他唱叫了一日、則這兩句話傷著我的心」。「兩句話」が何を指しているのかが未詳。「兩句話」が「数句の言葉」という意味であるとすれば、すぐ前の劉家女の発言であろう。
[97]『論語』堯曰。
[98]原文「我恋你南荘北園、東閣西軒、旱地上田、水路上船、人頭上銭」。無一物の朱買臣に対する嫌味。
[99]原文「憑著我好描条」。「描条」は「苗条」のこと。痩せていてスタイルがよいこと。
[100]麻綫道は冥府への道。麻は喪服の素材。
[101]木綿のあわせ、荊のかんざし。婦女の粗末な装い。
[102]原文「剪柳」。巾着切り。
[103]原文「搠包児」。他人の荷物と自分の荷物をすり替える泥棒。
[104]原文「将你那一世児的行止都教廢盡了也」。未詳。とりあえずこう訳す。
[105]後ろの曲に繋がってゆく。
[106]梁山伯は晋の会稽の人。祝英台は男装して梁山伯とともに学んだが、やがて梁山伯は病死し、祝英台は嫁ぐことになった。祝英台が嫁ぐ途中で梁山伯の墓で哭したところ、墓が裂けて祝英台は墓に埋まった。『宣室志』参照。ここでは朱買臣がみずからを梁山伯に、妻を祝英台に喩えたもの。
[107]原文「賤才、賤才、一二日一双繍鞋」。未詳。王学奇主編『元曲選校注』は「賤才」は「剪裁」と同音なので、「靴を裁断する」ということと掛けているのだとする。
[108]原文「這休書我家裏七八板箱哩」。未詳。とりあえずこう訳す。
[109]戯曲小説でしばしば用いられる諺。どんなひどい状況でも密通やそれと疑われるようなことはしてはならないということであろう。
[110]原文「沙地裏井都是俺淘過的」。未詳。とりあえずこう訳す。
[111]原文同じ。猫の出入りのために開けてある小さな門。
[112]原文「你似那碔砆石比玉何驚駭、魚目如珠不揀擇」。石と玉との区別もつかない、魚目と真珠の区別もつかない、人を見る目がないと言ったもの。「碔砆」は「武夫」「[玉武][玉夫]」とも。玉につぐもの。『四子講徳論』「故美玉蘊於碔砆」注「戰国策曰、白骨疑象、武夫類玉。張揖漢書注曰、武夫、石之次玉者」。
[113]ワシの美称であろう。
[114]王学奇主編『元曲選校注』は臭椿のこととするが根拠は未詳。
[115]苦しいときに本当に節操のあるものが誰であるかが分かるということ。『論語』子罕。
[116]『論語』公冶長「宰予晝寢。子曰、朽木不可雕也、糞土之牆不可杇也」。
[117]原文「怎知我守定心腸、留下形骸」。未詳。とりあえずこう訳す。
[118]八つの高級官僚をいい、何を八座とするかは歴代の王朝によつて異なる。ここでは、高級官僚という程度の意味。
[119]本来大尉、司徒、司空。
[120]原文「日轉千階」。昇進のはやいことをいう常套句。
[121]黒い傘。
[122]宮殿名。『三国志』魏志・明帝紀などに見える。ここでは宮殿のこと。
[123]唐代、洛陽に築かれた楼。玄宗が宴を催したことで有名。
[124]盛んな思い。
[126]科挙の合格掲示板。
[127]進士及第者のうち、上位三人に天子が賜う金の帽子飾り。
[128]宋代、皇帝が新たに合格した進士に対し、瓊林苑で宴会を賜っていた。『宋史』選挙志一科目上「八年、進士、諸科始試律義十道、進士免帖経。明年、惟諸科試律、進士復帖経。進士始分三甲。自是錫宴就瓊林苑」。
[130]主語は劉家女であると解す。
[131] この句、朱買臣の妄想。
[132]原文「木不鑽不著」。「木不鑽不透」とも。
[133]朱買臣のこと。
[134]原文「眼観旌捷旗」。「耳听好消息」と続き、明るい未来を予測しているときに唱われる、元曲の常套句。「旌捷旗」は「旌節旗」などとも表記される。「節」と「捷」は同音。「旌節旗」は節を表彰する旗、「旌捷旗」は勝利を表彰する旗。
[135]未詳だが、疙疸とは小麦粉を糊状にしたものなので、それに茶を加えたものか。蕭帆主編『中国烹飪辞典』三百一頁参照。
[136]『漢語大詞典』はこの例を引き、椽に似た形の焼餅とする。
[137]原文「做著撚靶児的貨郎」。靶は草靶、草標。商品であることを示すために品物に付ける草。
[139]良馬の名。元湯垕『画鑑』唐画「又見一巻、朱衣白帽人騎五明馬、四蹄破碎、如行水中、乃李伯時旧蔵」。
[140]原文「我老漢死也」。未詳。とりあえずこう訳す。
[141]中和節。この日龍が頭を抬げるとされる。葉大兵等主編『中国風俗辞典』二十三頁参照。
[142]原文「栲栳圏銀交椅」。「交椅」は「校椅」とも。床几のこと。「栲栳圏銀」は「栲栳・圏銀」と句切れるのか「栲栳圏・銀」と句切れるのか。元雑劇『玉鏡台』第三折に「亡き父の銀の栲栳圈の交椅に坐られ(在俺先父銀栲栳圏交椅上坐著)」とあるので、「栲栳圏・銀」と句切れるのであろう。「栲栳圏」「栲栳圏銀交椅」がどのような形状の座具なのかは未詳だが、許宝華等主編『漢語方言大詞典』四千五百七十九頁に、「栲栳椅」という項目があり、呉語で手すりと背もたれのついた旧式の椅子のことで、またの名を「太師椅」というものだという。同書には「栲栳圏」という項目もあり、呉語で「圓圏」のことであるという。「栲栳圏銀交椅」とは銀製の、背もたれの部分が丸い、手すりのついた椅子であろう。
[143]原文「拝的我個頭恰便似那量米的栲栳来大小」。未詳。とりあえず、叩頭して丸く縮こまったことを指していると解す。
[144]父方の実のおば。
[145]母方の実のおば。
[146]義理の叔母。
[147]義理の伯母。
[148]原文「漫坡裏又無人」。未詳。とりあえずこう訳す。
[149]蛇の皮で作ったでんでん太鼓。撥浪鼓。
[150]原文「小孩児毎掿著銅銭兜著米豆」。未詳。とりあえずこう訳す。
[151]砂糖で作った魚状の菓子と思われるが未詳。
[152]原文「則他把我似聞風児尋趁」。「聞風児」が未詳。とりあえずこう訳す。
[153]原文「索与他寄一個燒的著燎的著風信」。「燒」は「捎(届ける)」と同音。「燒的著」の実際の意味は「捎的著」ということ。「燎」は「燒」と同義。「燎的著」は「燒的著」と句中対にするための措辞で、実際上の意味はない。
[154]家と財産を共有することであろう。「一夫一婦」としばしば連用される。
[155]原文「你可甚麼一親一近」。「一親一近」は身内ということであろう。
[156]撥浪鼓。蛇皮鼓。
[157]原文「拝揖。拝揖。我少你那拝揖」。未詳。とりあえずこう訳す。
[158]原文「你若不頂礼呵、我説了不折殺你」。「折殺」は罰を与えること。ここでは劉二公に先祖が罰を与えるということ。
[159]茶褐色の羅の傘。
[160]これは皮肉。
[161]もとは諸侯の妻への尊称。ここでは太守の妻への尊称。
[162]五花官誥は勅書をいう。五色の金花綾紙でできているのでこういう。駟馬は四頭だての馬車。高車は車の美称。「駟馬香車」となることもある。「五花官誥、駟馬高(香)車」は元曲ではしばしば対にして、しかも「夫人」「県君」などという言葉とともに用いられる。そうした用例が『風光好』、『秋胡戯妻』第四折、『挙案斉眉』、『竹塢聴琴』第三折、『両世姻縁』など多数見られる。
[163]原文「張做嘴臉科」。ここでは恨めしい顔真似をするのであろう。
[164]原文「他無非想著你一夜夫妻有那百夜恩」。「一夜夫妻百夜恩」という諺があり、それを踏まえた句。一夜を過ごしたでも夫婦の愛は厚いということ。
[165]司馬相如。
[166]原文「這廝原来是個忘人大恩、記人小恨、改常早死的歹弟子孩児」。「改常」が未詳。とりあえずこう訳す。
[167]原文「誰著你生勒開他、生則同衾、死則同墳」。「生則同衾、死則同墳」の前との繋がりが未詳。とりあえずこう訳す。
[168]原文「你記的俺荘東頭王学究説的那一句書児麼」。「書児」が未詳。とりあえずこう訳す。
[169]『論語』衛霊公「子曰、君子固窮」。
[170]原文「糙老米不想旧了」。言いたいことは「不想旧」という部分。王学奇主編『元曲選校注』は「旧」は同音の「臼」と掛けてあると説く。「糙老米」は「臼」の縁語。
[172]劉二公父娘をさす。
[174]これは皮肉。これこそ自業自得ですと言っている。
[175]螓は蝉の一種。やや小さく、色は緑、四角い頭で額が広く、身に彩紋があるという。螓首はその蝉のように美しい頭。「螓首蛾眉」という言葉自体は『詩経』碩人に出てくる言葉。
[176]黒い鬢。
[177]貯金箱。乳餅という食べ物があり、これに形が似ているのかも知れない。乳餅については蕭帆主編『中国烹飪辞典』三百六十二頁参照。
[178]原文「道你是個木乳餅銭親也那口緊」。「口緊」は貯金箱がお金を漏らさないということと、玉天仙の口が悪いということことを掛けてある。
[179]『漢語大詞典』はこの例を引き「詈詞。猶言掃帚星。指能招致災禍的人」とする。
[180]原文「端的是雌太歳、母凶神」。「太歳」は木星のことで、これがある方角は不吉とされる。「母」は「雌」に同じ。
[181]天秤棒で担ぐ荷物。
[182]官吏の境涯を表す元曲の常套句。紅纓は紅い冠ひも。
[184]原文「都是你這老檾麻嘴」。「檾麻嘴」とはいかなる口か未詳。イチビは火口として用いられるので、火事のような災厄を引き起こす口ということか。
[185]原文「沒空生有」。未詳。とりあえずこう訳す。
[186]原文「説謊吊皮、片口張舌、釦出来的」。「釦出来」が未詳。とりあえずこう訳す。
[187]地方官。
[188]観客に対する呼びかけ。
[189]自分で自分に呼びかけている。
[190]粗い絹で作ったひとえ。
[191]紫の羅襴。羅襴は襴袍。士人の着ける袍。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』百九十五頁「襴袍」参照。
[192]典故がある言葉かとも思われるが未詳。煙波は水面に立ちこめる靄。
[193]主語は朱買臣、玉天仙いずれにもとれる。
[194]「銅斗」は本来量器。元雑劇で、しばしば「家縁」「家私」‐財産‐という言葉と連用して用いられ、豊かな財産の意に解釈されている。
[195]原文「我那親哥哥」。夫に対する呼びかけとしては破格であろう。極端に親昵な感じか。
[196]人を惑わす言葉。
[197]原文「你把那長城哭倒聖人宣」。未詳。とりあえずこう訳す。
[198]卓王孫は卓文君の父親。卓文君と司馬相如の結婚に反対したが、やがてかれらを娶せた。
[199]原文「你当初可也對蒼天曾罰願」。未詳。とりあえずこう訳す。
[200]原文「你当初何不的饑寒守自然」。「守自然」は未詳だが、夫婦の関係を保つことであろう。
[202]原文「旦児請謝科」。「請謝」が未詳。とりあえずこう訳す。
[203]原文「折莫你便奔井投河、自推自跌、自埋自怨」。自殺してもそれは自業自得だということ。
[204]原文「折莫便一来一往、一上一下、将咱解勧」。「一上一下」が未詳だが、「一来一往」と同義であろう。近寄ったり遠ざかったり。
[205]原文「従来你這打漁人順水推船」。「順水推船」は普通は「順水推舟」といい、表面上の意味のほか、成りゆきに従ってことを進める喩え。ここでは王安道が、玉天仙の言いなりになって朱買臣を宥めていることを喩えている。
[207]原文「也非是我忍耐不禁、也非是我牽牽搭搭」。「牽牽搭搭」が未詳。とりあえずこう訳す。
[208]太公望呂尚。
[209]原文「従来個打漁人言如鉤線」。「鉤線」が未詳。とりあえずこう訳す。
[210]原文「不獨是為尊兄做些顏面」。未詳。とりあえずこう訳し、王安道だけが恩徳を施したわけではなかったのだという趣旨に解す。
[211]詩を吟じたり文を誦えたりすること。
[212]原文「其舌則長」。「長舌」とは余計なことを言い、禍を引き起こす舌。出典は古く『詩』瞻卬「婦有長舌、維飼V階」。鄭玄箋に「長舌、喩多言語」とある。
[213]原文「方知是皇明日月光非遍、天恩雨露沾還浅」。未詳。とりあえずこう訳す。「皇明」は天子の明らかな徳。
[214]原文「恋恩情進取偏無意」。夫の愛情を求めることはあっても、夫の功名を望むことはなかったということであろう。
[215]上位で合格する。