玉清庵錯送鴛鴦被雑劇
楔子
（冲末が李府尹に扮し、従者を連れて登場）
（詩）白髪は刁騒として、両の鬢をぞ侵したる。老いぬれば若き心は冷めはてぬ。やすやすと天朝の禄を食み[1]、身の安きことさへ得なば万金にしぞ抵るべき。
老いぼれは姓は李といい、名は彦実、官は府尹の職に在る。夫人は劉氏、もうとうに亡くなった。一女を生んだが、字は玉英、年は十八。他人と婚約していない。このたび左司[2]はでたらめな劾奏をした。お上は讒言をお信じになり、金牌校尉を遣わして、わたしを捕らえて都へと赴かせ、罪に問うこととなされた。ああ、朝廷の多くの貪官汚吏たちは、一生楽しみ、栄華は尽きない。老いぼれだけは忠勤廉正、朝廷のために働いたのに、弾劾を受けてしまった。正しい道はどこにあるのか。わたしが想うに、この旅は、道が遠いのはもちろんのこと、京師に到ることができても、さらに多くの費えがあろう。いかんせん懐は乏しく、路銀は不足し、為す術もない。人を天清廟[3]に遣わし、劉道姑を呼ばせたが、そろそろやってくるだろう。
（丑が道姑に扮し登場）「道と道ふべきは、常の道に非ず、名と名づくべきは、常の名に非ず」。貧道は玉清庵の劉道姑。道堂で、まさに看経していると、李府尹さまが人を遣わし、お招きだ。何事だろうか、行かねばならない。もう着いた。取り次ぎは必要ない、そのまま入ってゆくとしよう。（会う）老旦那さまが貧姑を呼ばれましたのは、いかなる御用にございましょうや。
（李府尹）劉道姑よ、来たな。わたしはこたび罪を得て、都に赴き、取り調べを受けるのだが、いかんせん、路銀が不足しているために、まっすぐおんみを呼びにきたのだ。どこでもよいから、旅費にする十個の銀子を借りてきておくれ。老いぼれは家で待っていよう。細心にして、はやく行き、はやく戻ってきておくれ。
（道姑）ございます。ございます。劉員外の家ではひろく金貸しをしておりますから、十個はもちろん、二十個もございましょう。わたしはすぐに参りましょう。
（李府尹の詩）憐れやな、わが嚢蠹は乏しければ、おんみに貸りて発たんことをぞ望むなる。
（道姑の詩）劉員外は金銀をたくさん持っておりまする。決められた日に、誠実にお返しになりさえすればよろしいのです。（ともに退場）
（浄が劉員外に扮して登場）わたしは姓は劉といい、名は彦明、家にはすこぶる財産があり、人はみな員外と称している。今日はこの質屋を開き、誰が来るかを見るとしよう。
（道姑が登場）こちらはまさに劉員外の家の入り口。わたしはみずから行くとしよう。員外さま、ご機嫌よう。
（劉員外）道姑どの、わたしの家に来られたは何事にございましょうや。
（道姑）用事がなければ参りませぬ。この土地の李府尹さまが都に行こうとされていますが、路銀が不足しているために、員外さまから十個の銀子をお借りして、戻ってきたら元本利息をまとめて返すと仰るのです。
（劉員外）あのひとの家にはどんな人がいるのだ。
（道姑）あのかたの家にはとくに親戚はなく、お嬢さまが一人いらっしゃるだけにございます。
（劉員外）それならば、十個の銀子を貸すとしよう。そのひとに証文を立てさせて、おんみは保証人となり、そのひとの娘にも署名させ、やがてわたしに借金を返させることにしよう。おんみに銀子を持ってゆかせることにしよう。
（道姑）かしこまりました。はやく銀子を持ってきてくださいまし。李府尹さまに報告をしにゆきますから。（退場）
（劉員外）十個の銀子はすべて道姑に渡したぞ。わたしは何事もないから、城内と城外に
お金を取り立てにゆこう。（退場）
（李府尹が登場）劉道姑にお金を借りにゆかせたが、今になってもどうして返事がないのだろうか。ほんとうにひどくいらいらするわい。
（道姑が登場）銀子を持って旦那さまにご報告しにゆこう。（会う）老旦那さま、劉員外から十個の銀子を借りました。証文を立て、お嬢さまにもご署名いただき、わたくしが保証人となりましょう。
（李府尹）それならば、繍房から娘を呼び出してくるのだ。
（道姑）梅香や、後堂からお嬢さまを呼び出してきておくれ。
（梅香）お嬢さま、お出でください。
（正旦が玉英に扮して登場）わらわは李府尹の娘、字は玉英、年は十八。他人と婚約していない。今、父上が前堂で呼ばれているが、何事だろうか、お会いしにゆかねばならぬ。（会う）父上、わたくしを呼ばれましたは、いかなる御用にございましょうや。
（李府尹）おまえを呼んだはほかでもない。わたしはこたび、左司により、劾奏されて、都に赴き、訊問されるが、いかんせん、路銀が不足しているために、劉道姑に、劉員外から、銀子を借りるように頼んだ。あのものが証文を立てようとしたために、道姑は保証人となり、そなたにも署名させ、やがてそなたにお金を返させようとしたのだ。
（正旦）父上。わたしは娘にございますから、恥かしく、署名することはできませぬ。
（李府尹）娘よ、わたしに従って、署名するのだ。
（道姑）筆を持ってまいりました。お嬢さま、ご署名ください。（署名する）
（李府尹が会う）道姑よ、証文に署名したから、持ってゆくのだ。
（道姑）証文ができましたから、わたしが持ってゆきましょう。（退場）
（正旦）父上、どうかはやくにお戻りください。
（李府尹）娘よ、悲しむな。わたしがはやめに戻るのを、望まないはずがあろうか。ただ今回は、わたしは生きるか死ぬかさえ、定かではない。わたしは生来、忠直無私であるために、朝廷に、一人もわたしに味方しようとするものがない。公道が明らかでありさえすれば、生きて還る日があるかも知れない。さもなければ、長安で死に、怨霊となることであろうぞ。（嘆く）娘よ、おまえは今年十八歳。もう子供ではないのだぞ。一生のこと[4]は自分で決めろ。もはやおまえを顧みることはできぬぞ。
（旦）父上、何を仰います。（悲しむ）
（唱う）
【仙呂端正好】渭城の歌、陽関の恨、別れを罷へて、路に紅塵をぞ践める。憐れやな娘はひとりで問ふ人ぞなき。父上、どうか平安を告ぐる信をしきりに届けたまへかし。（退場）
（李府尹）娘は奥の間へ戻っていった。左右のものよ、馬を牽け。今日は都に赴こう。
（詩）別れの涙は弾くに勝へず、悲しき歌に行路は難し。浮雲は日をし蔽ひて、何処か長安なるらん。（退場）
第一折
（劉員外が登場）わたしは劉員外。李府尹がわたしの十個の銀子を借りて、はやくも一年、元本利息はいずれも返されてはおらぬ。聞けば、あのひとには娘があって、生まれつき、たいへんに器量よく、おおいに美人だということだ。思うに、かれの父親もわたしに返すお金はなかろう。娘を娶り、女房としようと思うが、ほんとうに良いことだろう。人を遣わし、劉道姑を呼びにゆかせたが、そろそろやってくるだろう。
（道姑が登場）わたしは劉道姑。劉員外が人を遣わし、招きにきたから、行かねばならない。（会う）員外さまがわたくしを呼ばれましたは、いかなる御用にございましょうや。
（劉員外）呼んだのは、ほかでもない。李府尹がわたしの十個の銀子を借りてから、今まで一年経ったのに、戻ってこない。元本利息、二十個の銀子をわたしに返すべきだ。取り立てにいってくれ。
（道姑）員外さまには、さらにしばらく待たれますよう。老旦那さまが戻ってこられましたら、銀子をお返しいたしましょう。
（劉員外）道姑よ、おまえの話はおなら…
（道姑）おなら。
（劉員外）おならのようなものだというのだ。旦那さまが一年戻ってこなければ、わしに一年待てといい、十年戻ってこなければ、わしに十年待てというのか。まったく物の道理を知らぬ。ありていに言うが、おまえは今から、あのひとのお嬢さまのところに銀子を取り立てにゆき、あるならば、わたしに返させ、ないならば－こちらには誰もおらぬな[5]－わしは員外といわれているが、このような年であるのに、まだ女房がおらぬのだ。あのひとがわしの女房に成ろうとするなら、元本利息を返すのを求めない。おまえが取り持ちしてくれるなら、ねんごろにお礼をしよう。取り持ちをしておくれ。
（道姑）員外さま、いかなる道理にございましょう。あのかたはおんみのお金をお借りしただけ。あのかたは役人の家のお嬢さま、どうしておんみの奥さまとなりましょう。
（劉員外）道姑どの、わたしのために取り持ちをしておくれ。わたしは喏を唱えるとしよう[6]。
（道姑）喏を唱えられますならば、わたしは跪きまする。
（劉員外）おんみが跪くならば、わたしは叩頭いたしましょう。取り持ちをしてくださいますよう。
（道姑）員外さま、お金を取り立てられるのならば、それだけになさいまし。この件はお約束するわけにまいりませぬ。
（劉員外）頼んでも承知せぬのだな。むかし銀子を借りた時には、おまえが借りにきたのだから、おまえは保証人なのだ。わしが今からおまえを引いて、役所に行けば、出家した人が保証人になったとて、刑具を掛けられるであろう。このあまめ、おまえの尻を打ち落としてやる。
（道姑）嫁を取ろうとするものはかように勝手なことはしませぬ。
（劉員外）道姑よ、わしの結婚を取り持つのなら、ねんごろにお礼をしよう。いずれにしても、はやめに返事しにこいよ。（退場）
（道姑）何ということ[7]。わたしは出家した者なのに、わけもなく、このような事に関わるわけにはゆかない。あのものに、従いたくはないのだが、あのものは口八丁、手八丁。わたしは羞ずかし気な顔を懐にしまい込み[8]、いますぐに李府尹さまのお屋敷に行き、この事を尋ねよう。
（詩）是非は、おしなべて、しきりに口を開けるがため、悲しみは、ことごとく、つとめて顔を出せるがために生ぜん。道姑のわれが員外に従はずんば、後日、冤仇を抱かん[9]ことを防がめや。（退場）
（正旦が梅香を連れて登場）わらわは李府尹の娘、父上が都に赴き、はやくも一年余りになるが、音信はまったくない。日々繍房で針仕事しているが、ほんとうに悲しいことだ。
（梅香）お嬢さま、老旦那さまは、帰ってくる日があると仰っていました。とりあえず、悲しまれるのはおやめください。
（正旦が唱う）
【仙呂点絳唇】父が京師に往きたまひしより、わらははひとりでいたく憂へり。数多の財を持ちたれど、一人の仕ふる人ぞなき。
【混江龍】二十一二までぐづぐづし、良き結婚の心に称ふ時を見ず。日々、鬢鬟を整ふるを羞ぢ、粉黛を施すことこそ慵けれ。永き夜に耐へ、花の模様をそぞろに描き、長き日に耐へ、わが繍針をしきりに拈れり。日ごとかさねて相思ひ、また相思ふ。情は脈脈、意は孜孜たり。いづれの時にか琴瑟に效ひ、雄雌を配し、比翼と成りて、連枝を接ぐべき。俊しき男児を得てば、この時はじめて、わが平生の志をぞ遂ぐべけん。われら夫妻は恨を感ずることを免れ、かの天地の無私なるを見ん。
（道姑が登場）話していると、はやくも李旦那さまの家に来た。梅香や、取り次いでおくれ。劉道姑が入り口におりますと。
（梅香が報せる）お嬢さま。劉道姑さまが入り口にいらっしゃいます。
（正旦）お呼びしてくれ。
（梅香）お入りください。（会う）
（道姑）お嬢さま、ご機嫌よう。
（正旦が唱う）
【油葫蘆】いかなる風の吹き回しにて、おみはこなたへ来たまへる。
（道姑）貧姑はまっすぐお嬢さまを尋ねてきたのでございます。
（正旦）道姑どの、お掛けください。
（唱う）あたふたと礼数を施せり。
（道姑）お嬢さま。老旦那さまが行かれた後、毎日いかなるお仕事をなさっているのでございましょう。
（正旦）一牀の錦の被を刺繍しておりまする。
（唱う）鴛鴦を繍せしより、繍牀[10]を離れし時なし。われはこの金の糸もて、鴛鴦の字を飾り、われはこの緑の絨もて、鴛鴦の翅を縫ひたり[11]。君見よや、かの枝は花に纏ひて、花は枝にぞ纏ふなる。
（道姑）お嬢さま、これはいかなるご存念[12]。
（正旦が唱う）百歳の姻縁[13]を成就せば、その時に、はじめて二つの眼を添ふべし。
（道姑）お嬢さまは、多くの手間を費やされたのですね。
（正旦が唱う）
【天下楽】この鴛鴦の被こそわれら夫妻のものとはならめ[14]。
（道姑）お嬢さま、富豪や秀才たちを選んで、婿入りさせるか、嫁入りされれば、まことに宜しゅうございましょう。
（正旦）道姑どの、なにゆえ左様なことを仰る。
（唱う）ああ、これはいかなる存念。わが父が家を離れたまひしため、結婚の事に関はることぞなかりし。これを語れば寝も安からず、涕は噴きて止まらず。おんみはわれをうたてくも窶れしめ、死なしめんとす。
（道姑）お嬢さま。おんみはお若いのですから、今のうちに、わたしといっしょに、衣食に恵まれた人をお捜しになれば宜しいでしょう[15]。
（正旦が話そうとするがやめる）
（道姑）お嬢さま、こちらには、ほかに誰もおりませぬ。わたしはおんみとじかにお話ししておりますのに、何を恐れてらっしゃるのでしょう。
（正旦）このことを気に掛けていましたが、いかんせん、取り持つ人がいなかったのです。思えば世間は「男子に妻がないならば、家に主なく、婦人に夫がないならば、身に主なし」です。
（道姑）お嬢さま、どうりで窶れていらっしゃいます。
（正旦が唱う）
【後庭花】わが痩せし身は四肢を削りて、小腰の身は半指を競へり[16]。羅の裙摺をばゆるく掩ひて、わが摟帯[17]をすべて緩めり。
（言う）父上は、
（唱う）去りて久しくなりぬれど、杳として音信の至ることぞなき。われは棄てられ、冷清清たる涙は絲のごとくして、悶懨懨と日をぞ過ぐせる。一首の詩を刺繍することを学びて、かの両句の詞に和せんとしたり。むなしく花様紙[18]を開き、簡帖をしぞ折り成せる。親戚や隣人を呼び、酒宴するにもあらざれば、小梅香をみだりに使はん。
（梅香）お嬢さまは、このところ、毎日憂え、お眠りも安らかではなく、ますますお痩せになりました。わたくしに言わせれば、なよやかで、うるわしいご亭主さまを捜されるのを、わたしに手伝わせてくだされば、まことに宜しゅうございましょう。
（道姑）その通り。その通り。お嬢さま、おんみずからがご決定なさいまし。青春を徒にされてはなりませぬ。
（正旦が唱う）
【柳葉児】誰をして伝へしむべき。顔上の臙脂は痩せり。この姻縁は誰に落つべき。わたくしは閨中の女にて、おんみ道姑は出家せし人なれど、げにもむなしくおんみの神思を費やさしめたり。
（道姑）お嬢さま、さきほど仰いませんでしたか。「婦人に夫がないならば、身に主なし」と。老旦那さまがお家にいらっしゃらぬからとて、十年戻られないときは、あのかたを十年待たれ、二十年戻られないときは、あのかたを二十年待たれるわけでもございますまい。ほんとうに待たれていたら、年老いてしまわれましょう。
（正旦が唱う）
【青哥児】われはぐづぐづせるにはあらず。この事は、にはかにするは難からん。男と女の結婚は、時宜を得たるを貴ぶといひたれど、われはまさしく、嬌滴滴たる美玉の疵のなきにして、敗草残枝[19]の比にあらず。あつき相思して、ひたすらに男を求め、塀を逾え、穴を鑚たんことさへ辞せず、でたらめに振る舞ふことのあらめやは。
（道姑）お嬢さま、それも問題ございませぬ。人をきちんと捜しさえすればよいのです。
（正旦）人はどちらにいるのです。
（道姑）その人は、そのむかし、老旦那さまが銀子を借りた劉員外さま。あのかたは名門で、百万の財産をお持ちです。たいへん良くはございませぬか。
（正旦が唱う）
【寄生草】かのひとは、名門の子なりと言ひて、富は計り知れずとも道へり。
（道姑）老旦那さまは、あのかたから、十個の銀子を借りられましたが、今では元本利息で二十個のはずにございます。あのかたに返さなければなりませぬ。
（正旦）父上が戻られて、あのかたに返されましょう。わたしとは関わりはありませぬ。
（唱う）かのひとは、財産を持ちたれど、守銭奴なるのみ。
（道姑）あのかたは、老旦那さまが銀子を借りた証文に、お嬢さまも署名されたと言われています。
（正旦が唱う）結婚のことをいふなら、結婚の証文に署名せしことはなかりき。
（道姑）あの日、銀子を借りましたとき、わたしが保証人であるむね、書きましたのでございます。あのかたは、わたしを連れて、お役所へ訴えにゆこうとしました。わたしは出家しました者で、借金の保証人となるわけにまいりませぬ。ほんとうに迷惑なことにございます。おんみのために裁判沙汰に巻き込まれるとは。
（正旦が唱う）裁判沙汰とならんとも、わたくしは命を懸けて、おんみのために役所に死なん。かのものが銅山百座、鄧通[20]の家ならんとも、琴心一曲、臨邛の氏をいかでか動かすことあらん[21]。
（道姑）お嬢さま、ほんとうに訴訟なさるなら、醜態を晒すことになり、ますます宜しゅうございませぬ。
（正旦が嘆く）わたしの家は、あのものの銀子を借りるべきではありませんでした。どうしてあなたを巻き添えにできましょう。劉員外は今年何歳なのですか。
（道姑）員外さまは、本年二十三歳にございます。多くの家があのかたに、縁談を持ちかけましたが、とにかく気に入る人がないため、奥さまがいまだにいらっしゃらぬのでございます。
（正旦）風采はいかがでしょうか。
（道姑）生まれつき、いっぱしの男前、お嬢さまにはお似合いにございます。
（正旦）それならば、道姑どのに従いましょう。
（道姑）お嬢さまが従おうとなさるなら、今晩、わたしの尼寺にお越しください。わたしは劉員外さまを呼んできて、この縁談を成就しましょう。十個の銀子はもちろんのこと、たとい百個の銀子でも話題にはされないでしょう。
（正旦）道姑どの、わたくしの鴛鴦の被を持ってゆかれてください。被が到る処がすなわち、わたくしの嫁ぎ先です。おんみは先に行ってください。わたくしはみずからおんみの尼寺に参りましょう。（刺繍をした被を渡す）
（道姑）お嬢さま、おはやめにいらっしゃいまし。約束を違えられてはなりませぬ。
（梅香）わたしは今晩、お嬢さまに従ってまいりましょう。劉員外さまと夫婦に成られれば、わたしも芽が出る日がございましょう[22]。
（正旦）梅香や、かような事に、どうしてそなたを連れてゆくことができましょう。
（唱う）
【賺煞】汝が修行せる玉清庵は、詩を題したる金山寺にぞ勝るらん[23]。羅幃の裏にて新婚燕爾[24]、鴛鴦の錦の被を布きのべり。われは羞答答[25]として、何の言葉を語るべき。今、われは素質氷姿にして、東君を待つ第一の枝となるべきにはあらざらん[26]。かの多情なる秀士[27]に言ひて、ひそかに心事を伝ふべし。夜が明けなば、どうかこの娘をな棄てたまひそね。（梅香とともに退場）
（道姑）お嬢さまは承知しないと思ったが、まことに逢瀬を約束された。被を持って、劉員外の家に吉報を届けにゆこう。（退場）
（劉員外）劉道姑に証文を持たせ、李府尹の家のお嬢さまに、縁談を持ちかけにゆかせたが、そろそろやってくるだろう。
（道姑が登場し、会う）員外さま、とりあえず、お喜びくださいまし。とりあえず、お喜びくださいまし。お嬢さまは、今晩玉清庵でおんみと逢引することを約束し、わたしに先に鴛鴦の被を持ってこさせました。
（劉員外）ほんとうか。道姑どのにはおおいに感謝するとしようぞ。今宵この縁談を成就したなら、ねんごろにお礼しようぞ。
（詩）心機をすべて砕かんとして、今宵は鴛鴦の被を得たり。
（道姑が笑う、詩）これぞまさしく、「縁なくば対面すれども相逢はず、縁あらば千里なりとも会ふを得ん」なり。（ともに退場）
第二折
（道姑が小姑を連れて登場）わたしは劉員外さまに、今晩わたしの庵に来れば、お嬢さまに逢わせてあげると約束したが、ある施主さまがわたしを招いて法事をなされる。行かなければ、お布施を不意にしてしまうだろう。弟子よ、わたしはおまえに命じよう。その鴛鴦の被は、李府尹さまのお家のお嬢さまのもの。お嬢さまは、今日の晩、劉員外とこちらで逢引しに来られるのだ。お嬢さまは、先に来られることだろう。門を敲いたら、あのかたをお入れするのだ。わたしは施主さまのお家へ法事しにゆこう。（退場）
（丑が小姑に扮して登場）師父さまは、行ってしまった。日はもう暮れた。李家のお嬢さまは、いつ来られるか分からない。とりあえず、この門を閉ざすとしよう。これぞまさしく「門を閉ざして窓前の月に構はず、梅花のみづから開くに任せん[28]」。（退場）
（劉員外が登場）「事が心に掛かねばそれまでなれど、心に掛からば人ぞ乱るる」。日が暮れた、お嬢さまは玉清庵で逢引をすることを約束したから、行かねばならない。
（雑が夜回りに扮して登場）わたしは夜回り。今は真夜中、一人の男が歩いてゆくぞ。あいつはきっと賊だろう。連れてゆき、巡鋪[29]にて吊るし上げ、夜明けに役所に送っていって、恩賞を請うことにしよう。（捕らえる）
（劉員外）どうしたらよいだろう。天よ、わが運命を御覧あれ。（退場）
（外が張瑞卿に扮して登場、詩）高岳は天都に近く、連山は断蕪[30]に入れり。人のもとへと身を寄せて、宿らんとして、水を隔てて樵夫に問ふ。
わたくしは姓は張、名は瑞卿、原籍は姑蘇の人。このたびは、上京し、受験するため、洛陽にやってきた。日はすでに暮れたから、一夜の宿を捜すとしよう。行く手に玉清庵という尼寺があるというから、一夜の宿を求めよう。明日の朝、出発すれば、何の良くないことがあろうか。門で叫ぼう。どなたかいらっしゃいますか。
（小姑が登場）この門を開けるとしよう。劉員外さま、いらっしゃいまし。
（張瑞卿）これはおかしい。この庵では私情が行われているに違いない。こうするしかない。ああ、来たよ。道姑どの、灯を点さないでくれ。
（小姑）とりあえず灯を点さず、お嬢さまが来られた時に、お世話して差し上げよう[31]。そろそろいらっしゃるだろう。（ともに退場）
（正旦が登場）わらわは李玉英。今晩は、劉員外と玉清庵で逢引をする約束をした。わたしは娘、恥かしく、どうして行くことができよう。（唱う）
【正宮端正好】わが意はそぞろに落ち着かず、心は驚く、巷を歩みたることはかつてなかりき。夜を深み、ひたと軒端に身を寄せて、色胆[32]の天ほどに大なることをはじめて信ぜり。
【滾繍球】なんたる勢沙、なんたる礼法。天に問ひ、卦を買ふことを須ゐめや[33]。わたくしは劉員外の女房と成るべきなるにや。かのひとはわたくしゆゑに、わたくしはかのひとゆゑに、まことに心は落ち着かず。真心をもてわれら夫婦を睦ましむ[34]。そもなどて黒洞洞たる卓面に灯火を絶やし、雲黯黯たる碧天に月華を閉ざし、あまたの人のさざめくことなき[35]。
（言う）はやくも庵の入り口に来た。叫ぶとしよう。道姑どの、お開けください。
（小姑）お嬢さまが来られたから、この門を開けるとしよう。お嬢さま、いそいでいらっしゃってください。ながいことお待ちしておりました。臘月であれば、わたしの脚は凍えてしまっていたことでしょう。
（正旦）小姑どの、員外さまはどちらにいらっしゃるのでしょうか。
（小姑）部屋でお待ちでございます。鴛鴦の被をきちんと敷いてさしあげ、お嬢さまがいらっしゃり、逢瀬を成就されるのをお待ちしておりました。わたくしをお忘れなきよう。
（正旦）忘れようとはいたしませぬ。
（小姑）わたくしは今日、お二人を逢わせてさしあげましたから、わたくしにもいずれ立派な亭主をお捜しくださいまし。
（正旦が唱う）
【脱布衫】おんみは階下でくどくど話し、門外でわあわあ叫ぶことを須ゐず。われはおんみに尋ぬべし。羅の幃の裏に書生はありや。ああ、おんみ、庵の中の道童よ、脅かすことなかれ[36]。
（小姑）員外さまは、こちらでずっとお待ちです。嘘ではございませぬ。お急ぎください。
（正旦が唱う）
【小梁州】道姑にいたく頼みたり。世話せらるることなき嬌娃のわれこそは憐れなれ[37]。驚きて、手と脚は軟剌答とし。などかは抬げ、踏むべけん。げにわが心は熱き油に炸げられたるがごときなり。
（小姑）お嬢さま、慌てられてはなりませぬ。わたくしたちは、心も腹も知り合った仲間なのです。
（正旦が唱う）
【幺篇】かのものに逢ひしばかりで、胸の思ひを言ひ難ければ、羞答答と手を門歯に当てずばならず。
（小姑）お急ぎください。員外さまがこちらで待っていらっしゃいます。
（正旦が唱う）われをな推しそ。われはまことに恐れたり。鐘の音はやうやく罷めば、何事もなくすみやかに家に帰らんことのあらめや。
（小姑）わたしが先に報せにゆくといたしましょう。員外さま、お嬢さまがお越しです。お迎えにゆかれませ。
（張瑞卿）ほんとうにお嬢さまがいらっしゃった。お嬢さまが来られると知っていたなら、お迎えいたすべきでした。お迎えいたしませんでしたが、お咎めになりませぬよう。お嬢さま、お掛けください。（背を向ける）お嬢さまが来たのなら、こうするしかない。（振り返る）お嬢さまの真心は、得難いものにございます。
（正旦）すえながく、わたくしを裏切られませぬよう。
（張瑞卿）裏切れば、小姑の頭上にお碗大の療瘡[38]が生じましょう。わたしとは何の関わりもございませぬ。
（正旦が唱う）
【伴読書】釵が墜つとも挿す心なく、眉は薄るとも誰にしぞ画かせん。わが軟怯怯たる柔腸は、われをして、汗浸浸たる涙を搵ふ香羅[39]の帕を得棄てざらしむ。
（言う）人が来るでしょう。
（張瑞卿）お嬢さま、今は深夜にございますから、誰もおりませぬ。わたしがこちらにいるのみにございます。
（正旦が唱う）わたしはまさに歓びて、門を閉ざすを忘れたり。がさごそと人の来たるかのごときなり。
（張瑞卿）お嬢さま、慌てられますな。もう人は参りませぬから、大丈夫です。
（正旦が唱う）
【笑和尚】[玉吉]璫璫[40]と画檐の前に鉄馬[41]を敲きたりけるか、赤力力[42]と草堂の中に風の画幅を吹きたりけるか、忒楞楞[43]と巣を立つ鳥[44]の荼蘼架[45]を貫きたりけるか、各支支[46]と琅玕竹を敲きたる音なりけるか、明晃晃と月の小さき紗の窓に射したりけるか。われははやくも驚きて、戦欽欽[47]と心頭の怕れを抑へ得ず。
（張瑞卿）わたしがやがて、官職を得たときは、金冠、霞帔[48]、駟馬、高車[49]、おんみは夫人県君[50]ですぞ。
（正旦）どうか裏切られませぬよう。（唱う）
【倘秀才】かのひとは、大法螺を吹き、われを鎮めり。われは小さき胆なれば、さきほど、いたく驚かんとす。ああ、纏ひつく先生よ、もし人に見られなば、もし人に捕らへられなば、たちまち事は顕はれん。
（張瑞卿）お嬢さま、夜が明けますから、戻ってゆかれますように。この恩とこの情には、後日かならず手厚くお礼いたしましょう。
（正旦が唱う）
【滾繍球】劉解元さま、ひとまず住まりたまへかし。われはおんみに言問はん、
（張瑞卿）わたしは姓は劉ではなく、張瑞卿ともうします。
（正旦が怒る）
（唱う）おんみはわれにいささかもまことのことを言はざりき。
（張瑞卿）わたくしは嘘をついたりいたしませぬ。
（正旦が唱う）おんみはわれをあたかも浪蕊浮花のごとくに見たまへり。
（張瑞卿）お嬢さま、わたくしはほんとうに張瑞卿にございます。
（正旦が唱う）かのものの語りたる姓名は偽りにして、話は誤り。われをしてゆゑもなく心配を担はしめたり。この恥知らず、そなたは何者。
（張瑞卿）お嬢さま、おんみを辱めることはございませぬ。官職を得ましたら、おんみは夫人県君になられましょうぞ。
（正旦が唱う）おんみと逢ふは今日限り。これよりわれは庵の門をふたたび踏まじ。げにげにいたくぞ恥かしき。
（言う）お尋ねしますが、秀才どのは、どちらのお方で。姓と名は何と仰るのでしょうか。なにゆえこちらに来られましたか。
（張瑞卿）お嬢さま、われら二人は本日夫婦となったのですから、これ以上、言うことはございませぬ。わたくしは姑蘇の人、姓は張、名は瑞卿。上京し、受験するため、洛陽を通り掛かって、日が暮れたため、この庵に来て、一夜の宿を求めたのです。天地に謝したてまつらん。さいわいお嬢さまに遇い、逢瀬を成就することができました。お嬢さま、おんみはいったいどちらの娘さんでしょう。事情をお話しくだされば、わたしは後日、お迎えにまいりましょう。
（正旦）わらわはこの地の李府尹の娘にて、字は玉英。そのむかし、父は他人に弾劾されて、都に赴き、取り調べられることとなり、劉員外に十個の銀子を借りました。今では、元本利息が二十個となって、劉員外は銀子を取り立てるためにやってきました。この尼寺の劉道姑さんは保証人だったのですが、わたくしがお金を返さなかったため、劉員外は宮中に行き、劉道姑さんを訴えて、銀子を取り立てようとしました。わたくしは、あのひと[51]は何の関わりもないのに、あのひとを裁判沙汰に巻き込んでしまうだろうと考えました。劉道姑さんも員外が、わたくしを妻にしようとしていると言いましたので、あのものと玉清庵で逢引をすることを約束しました。わたくしは、今晩、こちらにやってきて、待っていましたが、はからずも、秀才さまにお遇いして、逢瀬を成就したのでございます。わたくしが秀才さまに従いますなら、あのものに嫁ぐわけにはまいりませぬ。わたくしは一途におんみをお待ちしましょう。
（張瑞卿）さようでしたか。お嬢さま、わたくしも妻を娶っておりませぬ。都に行って、官職を得ようとも、お情を忘れようとはいたしませぬ。夫人県君はかならずやおんみのものとなりましょう。わたくしは今から受験しに行きましょう。お嬢さま、なにか証拠の品物をお持ちでしたら、わたくしに一つ下さい。ひとまず結納品にしましょう。
（正旦）仰ることもご尤もです。秀才さま、この鴛鴦の被がお分かりになりますか[52]。これはわたしが手ずから刺繍したもので、頚を交える鴛鴦を二羽刺繍してございます。今、これをお収めください。この鴛鴦の被をやがて見るときが、われら夫妻がまた会うときにございます。
（張瑞卿）お嬢さまにおおいに感謝いたします。被を受け取ることにしましょう。夜がだんだん明けてきました。ひとまず戻ってゆかれませ。わたくしは出発せねばなりませぬ。お嬢さま、とにかく堅いお心で、操を守られますように。
（正旦）秀才さま、どうか裏切られませぬように。官職を得られようとも得られまいともはやめに戻ってこられまし。
（張瑞卿）お嬢さま、ご安心なさいまし。わたしの心は、天のみがご存知にございます。
（正旦が唱う）
【黄鍾尾】これよりは、丹墀にて千言の策試をおへて、彩筆をもて五色の霞[53]を題し成すべし。一挙に鰲頭科甲[54]を占めて、笏を秉り、胸に当て、朝下[55]に立つべし。烏帽に宮花[56]数枝を挿して、瓊林の御宴[57]に酔ひて、家に行くべし。官職を授かりて、勅札[58]を賜はりて、夫人県君を与へらるべし。その時、吾は香車に坐り、汝は馬に乗り、われら二人は穏穏安安、げにげに楽しきこととなるべし。（退場）
（張瑞卿）張瑞卿よ、これは夢ではなかろうか。この尼寺にやってきて、逢瀬を遂げて、さらにこの鴛鴦の被を得ようとは思わなかった。官職を得て、姻縁を成就すれば、あのひとの厚意に負くことにはなるまい。長居はせずに、上京し、受験することにしよう。
（詩）宿縁は前生に定められ、姻縁は今日ぞ招ける。鶯燕の侶と成り、鳳鸞の交をしぞ結ぶなる。（退場）
（小姑が登場）お嬢さまが、劉員外と、尼寺で逢引し、一晩話をなされようとは思わなかった。わたしは残され、孤眠し、そぞろに心が落ち着かぬ。もう師父さまが戻ってくるのを待てぬから、勝手に、庵の表や裏へ、精壮い男を捜しにゆこう。
（詩）劉員外の為すことはでたらめなれど、李のお嬢さまはひそかに密会したまへり。わたくしは、和尚を捜し、そのものと夫妻と成らん。（退場）
（劉員外が登場）なんという運の悪さよ。このようなことになるとは。あの夜回りの馬鹿野郎めに、捕らえられ、巡鋪に連れてゆかれたわい。楽しい事は遂げられず、一晩逆さ吊りにされたわ。人を遣わし、劉道姑を呼ばせたのだが、いったいどうして今になっても戻ってこぬのだ。
（道姑が登場）昨晩、劉員外さまは、李のお嬢さまと逢瀬を遂げられ、本日は、人を遣わし、わたしを招いていらっしゃる。はやくも着いた。そのまま入ってゆくとしよう。（会う）員外さま、お喜びくださいまし。帽子はてかてか、本日は新郎となられましたね。帽子はきつきつ、本日は嬌客となられましたね。貧姑のために上蓋[59]と道服を買い換えてくださいまし。
（劉員外）馬鹿をぬかすな。わたしはあいつと会っていないぞ。
（道姑）なにゆえに白を切られる。おんみが会われなかったのならば、わたしが会ったと仰いますか。
（劉員外）ほんとうに酷いことだな。誰があいつに触れたのだ。
（道姑）目の前に立ち、頭を抬げ、口を開いて、舌を出されませ。いったいどうしてじめじめとしているのでございましょう[60]。
（劉員外）わたしの口をこいつの尻の穴とみなしたな[61]。
（道姑）わたしは昨晩、よそへ法事をしにゆきましたが、弟子を待たせておりましたのに、どうして来られなかったのでしょう。
（劉員外）わたしは途中まで来たが、夜回りの馬鹿野郎めがわたしを阻み、夜に外出していると言い、わたしを捕らえて巡鋪に行って、まるまる一晩、吊り下げたのだ。ほんとうに行ってはいないぞ。
（道姑）この尼寺にお越しになっていないなら、お嬢さまと逢引したのは、いったい何者だったのでございましょう。員外さま、わたしは昨日、弟子にこう命じたのです。員外さまが来られた時は、貧姑の部屋にお連れして、お掛けいただき、お嬢さまが来られた時に、お二人に夫婦と成っていただくようにと。お越しになっていないなら、どこからろくでなしが来て、奪っていってしまったのでしょう。
（劉員外）道姑どの、昨晩、李のお嬢さまが来て、ほかの男と逢瀬を遂げてしまったのなら、いずれにしても破罐子[62]だ。今から行って、お嬢さまをわたしの家へ迎えて来、永の夫婦となるとしよう。この事を取り持つならば、わたしはふたたびねんごろにおんみにお礼するとしよう。はやく行き、はやく戻ってきておくれ。
（詩）展転し、みづから思ふ、かならずや嬌姿をしぞ娶るべき。
（道姑の詩）夜回りに遇ひ、尻を支支打たれんことを恐れたり。（ともに退場）
第三折
（劉員外が棍棒を持って、正旦とともに登場）この女は、ほんとうに悪いわい。あの日、わたしは玉清庵でおまえと逢う約束をした。わたしが庵に行かないうちに、どこからか一人の男がやってきて、おまえはそいつと逢瀬を遂げた。とりあえず、尋ねるが、おまえはわたしと会う時に、一言も質問をしないのか。話された姓名がわたしでないなら、おまえはそいつに従うべきでなかっただろう。食べものを口元に持っていったら、口卑しい馬鹿者が、奪っていって、食べてしまった。これはまあいい。わたしはおまえを娶って家に来たのだが、わたしがおまえに頼んでも、いっこうにわたしに従おうとせず、わたしが話しさえすれば、うなだれている。あの憎らしい顔を見ろ。わたしはかように綺麗な姿なのだから、おまえはわたしの妻となっても、恥にはなるまい。ほんとうに承知せぬなら、わたしは今からおまえを跪かせよう。承知するのかしないのか。
（正旦が跪き、悲しむ）父上、ほんとうにひどく悲しゅうございます。
（劉員外）あいつは娘なのだから、わたしが手にこの太い棍棒を持っているのを目にすれば、脅えてしまい、従おうとはせぬだろう。まあよかろう。この棍棒を棄てるとしよう。お嬢さん、立ちなされ。わたしはおんみを打ちませぬ。わたしはおんみをからかったのです。
（正旦が起つ）
（劉員外）お嬢さん、わたしの顔は、見るに堪えるもの。わたしに従われても良いのに、ほんとうに従われないお積りか。また跪きなされ。
（旦が跪く）
（劉員外）この歪剌骨め。わたしが千たび万たび頼めば、おまえはもちろん、劉道姑でも従うだろう。まだ一言も返事せぬのか。従うならば従うと、従わぬなら従わぬと言え。かならずや殴られようぞ。
（正旦）わたしは死んでもおんみには従いませぬ。
（劉員外）よくも言ったな。わたしがおまえに跪き、さらにおまえに叩頭しよう。わたしの実のお母さま[63]、一声応えてくださりませ。ああ、ほんとうに従おうとはせぬのだな。わたしが跪いてどうする。こうするしかない。とりあえず起き上がるのだ。
（旦が起つ）
（劉員外）わたしに従おうとせぬなら、わたしは飲み屋を開いているから、わたしのために燗番をしろ。酒を飲む人が来たらば、酒を温め、料理を作り、卓を拭き、凳を拭き、酒を飲む人を世話しろ。世話をして喜んでもらえればそれでよし、世話をして喜んでもらえぬならば、わたしはおまえの一本の脚を打ち、二本の脚にしてやろう。わたしはどうしておまえを殴るか。本分に従わず、罪のない人を騙して、道理に外れた馬鹿者を殴るのだ。（退場）
（正旦）わたしはもともと役人の家の娘で、とても楽しくしていましたに、今日、このようなところに陥り、このような苦しみを受けるとは。（唱う）
【越調闘鵪鶉】そのかみわれは画閣蘭堂、牙牀[64]翠屏にぞありし。銀台に燭は暗くして、宝鼎に香を焚きしなり。百色の衣冠、諸般の器皿。にはかに普救寺[65]をば離れ、この酒を漉す亭に潜り込みたり。なれはげに性悪しき夫人か、荒き心の鄭恒[66]ぞかし。
【紫花児序】今日、君瑞[67]は遠くに在りて、紅娘[68]は逃げ、鶯鶯のみが残されり。財産の少なきがため[69]、われはやむなく堪へ忍ぶのみ。
（言う）これもまた父上の落ち度なり。
（唱う）あきらかに、白紙の上に、われをして黒き字を署名させたり。なにゆゑぞかのものの家に留めて証拠となさしめたまひたる。屋敷の良人[70]たるわれを、むざむざ飲み屋の駆丁[71]となせり。
（言う）わたしは飲み屋の入り口に立ち、誰が来るかを見るとしよう。
（張瑞卿が登場）
（詩）そのかみは、一束の書を携ふるのみなりしかど、帰りきたれば、玉帯金魚を掛くるなり。才あるものもかならずかく成るものとは限らず。家にて善を積みたることの余慶なるべし。
わたしは張瑞卿。都に到り、一挙状元に及第し、洛陽の知事に除せられた。李のお嬢さまの消息を尋ねようとし、衣服を換えて、こなたでお忍びしているところ。これは飲み屋だ。一杯の酒を買い、飲むとしよう。（店に入る）おい、酒屋、二百長銭[72]の酒を漉してきてくれ。
（正旦）お酒はございます。官人、お掛けになって、ゆっくりとお飲みください。官人。お酒をご所望になる時は、一声お呼びくださりますよう。わたしはほかのところから、お酒を運んでまいりますので。（退場）
（張瑞卿）こんなに大きな飲み屋であるのに、男がおらず、どうして一人の婦人がお酒を売っているのだ。見たところ、あの婦人は、たいへんに見目麗しく、下賤な者ではないだろう。わたしは今から、酒を所望する振りをして、呼び寄せて、尋ねよう。酒屋よ、また酒を漉してきてくれ。
（正旦が登場）官人は、さらにいかほどご所望でしょうか。
（張瑞卿）酒も飲みたいが、娘さんにお尋ねしましょう。酒を売る人ではございませんでしょう。
（正旦）官人はなぜお分かりになったのでしょう。わたしは酒を売るものではございませぬ。
（張瑞卿）娘さんは美しいお顔をなさっていますから、貧しさに耐えている人ではないと思ったのです。なぜこの飲み屋であのもののために酒を売り、往き来する人々の世話をしてらっしゃるのでしょう。ゆっくりと一遍お話しくださいまし。わたしがお聴きいたしましょう。
（正旦が唱う）
【小桃紅】わが祖宗には積世の名声あり、三代参政とぞ成れる。
（張瑞卿）ああ、お役人さまだったのですか。父上は今、どちらへ行かれているのでしょうか。
（正旦が唱う）家君は一生正直にして邪佞なければ、人に憎まれ、こたび捕らはれ、尚書省にぞ赴ける。
（張瑞卿）ご父君は今も役人をされていますか。
（正旦が唱う）官は左丞に封ぜられしも、老病により、辞したりき。
（張瑞卿）ご父君が去られてどのくらいになりますか。
（正旦）数年戻ってまいりませぬ。
（張瑞卿）娘さん、ご父君も間違っていらっしゃいます。はじめから、おんみを人に嫁ぐがせるべきでしたのに、なにゆえおんみに酒を売らせているのでしょうか。
（正旦）官人、くだくだしいのがお嫌でなければ、わらわがふたたびお話しするのをお聴きください。（唱う）
【調笑令】語りなば、いかで聴くべき[73]。あの溌書生、ああ、世の中にかれほど誠なきものぞなき。
（張瑞卿）秀才にも良い者はおりますでしょうに[74]。
（正旦が唱う）今やこの秀才たちは、一人一人が伝槽病[75]に罹るべきなる。これよりは、娘らは、かの酸丁[76]の気をな惹きそね。
（張瑞卿）娘さんにもご亭主がおありでしたか。
（正旦が唱う）之乎者也[77]をもて口説きたりしかば、われは思へり、七代の先祖の霊かと[78]。
（張瑞卿）むかしは三媒六証[79]と花紅[80]羊酒[81]で、娘さんを娶ってきたのに、どうしてこちらへ会いにこぬのでございましょう。
（正旦が唱う）
【耍三台】そのかみも結納と媒妁はなし。
（張瑞卿）それならどうして逢瀬を遂げられたのでしょう。
（正旦が唱う）做したることは中途半端で、今生かはた前生か[82]。われはひとへに紅顔薄命、まことの心で劉彦明に嫁がんとしたりしに、たまたま張瑞卿に遇ひたり。
（張瑞卿が背を向ける）おかしいぞ。わたしの諱を口にしている。このことは、きっと隠れた事情があろう。ふたたび尋ねることにしよう。（振り返る）そのむかし、いったい誰がおんみを取り持ったのでしょう。
（正旦が唱う）そのむかし、撮合山せしは道姑どの。
（張瑞卿）娘さんはいったいどなたにおわしましょう。
（正旦が唱う）夫を送りし望夫石[83]、玉英ぞかし。
（張瑞卿が背を向ける）このひとが言っているのはまさにわたしだ。わたしは今からはっきりとこのひとに尋ねよう。娘さん、そのむかし逢われたかたの姓と名は、何というのでございましょう。その人は今はどちらへ行かれたのでしょう。
（正旦が唱う）
【聖薬王】行きしわが悪しき書生は、幸薄きわれに出くはせり。
（張瑞卿）この飲み屋は、誰のものなのでしょう。
（正旦が唱う）かのものは、金貸しをする守銭奴なりき。
（張瑞卿）いったいどうしてこちらに来られたのでしょうか。
（正旦が唱う）かのものは、悪行をほしいままにし、気性をばたくましうして、お金のなきを目にすれば、道を踏みゆき[84]、われを推し、この坑に陥れたり。
（張瑞卿）娘さん、そのひとは、おんみを手に入れようとして、従われなかったために、このように、おんみを苛めているのでしょう。
（正旦が唱う）
【麻郎児】ともすれば、わが腿をへし折らんとし、ともすれば、わが脳天を打ち砕かんとす。行く処へと従ひゆかしめ、酒を漉さしめ、鞭と鐙に従はしめんことを願へり。
（張瑞卿）お嬢さまは、そのひとから、このような辱めを受けられたのなら、そのひとに従われてもよろしゅうございましたのに。
（正旦が唱う）
【幺篇】わたしはすこしも情を動かすことはなく、ただかのものの無法なる仕打ちに任せり。
（張瑞卿）なぜそのひとに従われないのでしょうか。
（正旦が唱う）たとひ死すとも、張家の婦の名があれば、劉家の門を踏まんとはせず。
（張瑞卿）ああ、こちらでかような苦しみを受けられていましたか。娘さん、李府尹どのの娘御の玉英どのにおわしましょうか。
（正旦）わたくしは李府尹の娘です。なにゆえにわたくしをご存知なのでございましょう。
（張瑞卿）妹よ、そなたはむかし、幼かったが、わたしはずっと遊学し、二十年近く家に戻らなかったのだ。今日はようやくそなたに会えた。妹よ、いったいどうしてこちらでかような苦しみを受けているのだ。
（正旦）兄上はご存知ございますまいが、そのむかし、父上は都に赴こうとされ、路銀が不足していたために、玉清庵の劉道姑さんに頼んで、劉員外から十個の銀子を借りうけて、わたしにも証文に署名させたのでございます。父上はながいこと戻られず、元本利息二十個の銀子を返すことになり、劉員外は催促をしたのです。道姑は保証人でした。わたしが銀を劉員外に返さないため、劉員外は役所に行って、劉道姑さんを告訴して、銀子を取り立てようとしました。劉員外は道姑さんに、わたしを妻にしたいのだと言い、二十個の銀子を結納金にしたため、わたしはやむなく、あのものと、玉清庵で逢引をすることを約束しました。その晩、すぐに行ったのですが、員外に遇うことはなく、秀才の張瑞卿と遇って夫婦と成りました。張瑞卿は上京し、功名を得にゆきました。劉員外はわたしを迎え、家にゆきました。思うに馬は二つの鞍を背負うことなく、二つの車輪は四つの轍を転がらぬもの。わたしは死んでもあのものに従わず、それゆえに罰せられ、飲み屋で酒を売っているのでございます。お兄さま、妹をお救いください。
（張瑞卿）そうだったのか、安心するのだ。すべてわたしに任せるがよい。劉員外を呼び出してきてくれ。
（正旦）員外さま、来られてください。兄がこちらにおりまする。
（劉員外が登場）誰がわたしを呼んでいるのだ。（会う）どうだ。苦しみに耐えられず、あいつはきっとわたしに従うことだろう。わたしは歓喜団[85]を買い、食べさせてやろう。
（正旦）兄が会おうとしておりまする。
（劉員外）兄上はどこにいるのだ。
（正旦）こちらが兄にございます。
（劉員外）どうりで二人は似ているな。二人の鼻は瓜二つだな。
（張瑞卿）こちらが劉員外どのか。妹はおんみの家から、銀子をいかほど借りたのだ。
（劉員外）十個の銀子を借りました。今では、元本利息で二十個の銀子を返すことになっています。
（張瑞卿）二十個の銀子は大したことではござらぬ。すべてわたしが妹に成り代わり、お還ししましょう。
（劉員外）お義兄さん、ご存知でしょうか、お父さまは、妹さんをわたくしの妻とする約束をなされたのです。
（張瑞卿）それならば、羊酒花紅[86]を調えて、三日後に、また妹を娶りにくるのが、筋道にございましょう。
（劉員外）そうしていただけるのならば、おんみはわたしのお義兄さん。この銀子二十個は、返されなくて結構です。小者たち、酒を調え、お義兄さんに三杯飲んでいただこう。
（張瑞卿）酒を飲むことはございませぬ。妹よ、ひとまずわたしに従って、家に戻ってゆくがよい。
（正旦）ありがたい。今日があろうとは思わなかった。（唱う）
【收尾】わが兄は元本の銀十錠を還したまへり。わが敵は危険に臨み、みづからを省みたりき[87]。一つには、わが兄長をしつかりとお世話して、二つには、わが俊夫をじつくりと待つとせん[88]。（ともに退場）
（劉員外）お義兄さんとは思わなかった。あの人は善い人だ。三日経ったら、羊を牽いて、酒を担いで、あの人の家へ問親しにゆこう。その時に、娶って家にゆくならば、まさかわたしに従わぬこともあるまい。
（詩）夫と妻となるに備へて、狗と田鶏を殺すなり。洞房花燭の夕には、大いなる槌にひとへに頼るなり[89]。（退場）
第四折
（張瑞卿が正旦とともに登場）飲み屋で妹を認めようとは思わなかった。尋ねよう。妹よ、ほんとうに劉員外から多くの銀子を借りたのか。
（正旦が唱う）
【双調新水令】洛陽城の劉員外は、守銭奴なれば、銀子を返しさへせば、はじめて心を鎮めん。かのものは、眉を顰めば、巧みなる計を生じて、口を開かば、利を求むべし。たとひおんみが溌骨頑皮ならんとも、かのものに、元本利息を還さざることを得ざらん。
（張瑞卿）妹よ、父上があのものの銀子を借りられたのならば、父上が返しにくるのを待つべきだ。あのものに嫁ごうとしないのも、そなたの自由だ。
（正旦が唱う）
【歩歩嬌】かの借金の証文に、直筆で書き判せしため、妻となることを逼らる。この真心は、誓ひて移らず。万たび打たれて、千たび敲かれて、かのものの虐げを最後まで受けんことをぞ願ふなる。今日、一身を留めて帰らば、兄上が、実の妹のわたくしを、救はれしことに謝すべし。
（張瑞卿）妹よ、いささかのお茶を持ってきて、飲ませておくれ。
（正旦）かしこまりました。（退場）
（張瑞卿）鴛鴦の被を寝床に敷くとしよう。わたしは酒を飲みにゆく振りをしよう。あのひとは鴛鴦の被を見れば、おのずと悟ることだろう。
（被を敷く）
（正旦が茶を捧げて登場）兄上、お茶をお飲みください。
（張瑞卿）妹よ、わたしは今からお酒を飲みにゆくことにする。わたしが戻ってくるまでに、この被を敷いてくれ。わたしは酔ったら休まねばならないからな。憶えておけよ。（退場）
（正旦）兄上は、お酒を飲みに行かれたが、お戻りになるまでに、被を敷いてさしあげよう。（被を敷く）（唱う）
【雁児落】かのひとの旅装はとりわけ整ひて、書斎には俗なる気なし。瑶琴を壁上に懸け、宝剣を牀頭に立つ。
【得勝令】ああ、われはおんみのために、緑羅の衣を掛け、紫藤の席を敷きのべり。繍枕は頭に置きて、香衾は手に提げり。などか疑ふことのあるべき。こはわれが繍したる鴛鴦の被ぞ。げにやをかしき。こなたにて、おんみに見ゆることを得んとは。
（言う）ほんとうにおかしなことだ。この被は、もともとわたしが刺繍して、張瑞卿さまに差し上げたもの。いったいどうして兄上の手に入ったのだろう。あのかたが家に来た時、尋ねてみよう。
（張瑞卿が酔うて登場）わたしは酔った。妹はどこにいるのだ。
（正旦が末を扶ける）兄上、お酒はございます。どのようなお食事を召されましょうか。
（張瑞卿）妹よ、食事はまったく食べられない。わたしは酔ったぞ。
（正旦が唱う）
【沽美酒】かのひとは酸えて黄ばみし齏をいかで食らふべき。粗きご飯はただ飢ゑを充たさんのみぞ。兄上は渇かるる時、氷に冷たき蜜水を混ぜたまふらん。わたくしはお話しをして宜しきや。
（張瑞卿）妹よ、話があるなら、言うがよい。
（正旦が唱う）わたしは問ふに、笑みを浮かべて査梨を売るなり[90]。
（旦が笑う）
（張瑞卿）言うのなら言ってくれ。どうして笑ってばかりいるのだ。
（正旦が唱う）
【太平令】兄上に問ひなば隠したまふなかれ。この鴛鴦の被はまことに誰のものなりや。
（張瑞卿）妹がわたしに呉れたものなのだ。
（正旦が唱う）妹よりほか、妹はなく、兄よりほかに、兄弟はなし。こは玉英が作りたるもの[91]。こなたにて、跪き、鴛鴦の被の来歴を知らんとしたり。
（張瑞卿）被について問うのはなぜだ。
（正旦）兄上、この被は、もともとわたしのものでした。
（張瑞卿）そう仰っても、わたくしをご存知ですか。
（正旦）存じませぬ。
（張瑞卿）わたくしは張瑞卿です。
（正旦）たいへんお懐かしゅうございます。むざむざと三日間、兄上とお呼びしました。
（張瑞卿）わたしはおんみを十日間、姉上と呼びましょう[92]。この門を閉ざし、おんみとお話しいたししましょう。（酒を飲む）
（正旦）張瑞卿さま、今日はおんみとお会いして、ほんとうにとても嬉しゅうございます。
（劉員外が登場）今日で三日だ。李家に行き、縁談につき、尋ねよう。いったいどうしてこの門が閉ざされているのだろう。門を蹴破ることにしよう。ああ、おまえら二人は結構なことをしているな。これはわたしの女房だぞ。
（張瑞卿）これはわたしの女房だ。
（劉員外）おまえの女房だと。おまえは実の兄だと偽称し、人妻をむりやり騙し取るのだな。おまえと裁判しにゆこう。（ともに退場）
（李府尹が張千を連れて登場）
（詩）三年、漢の西京に罪を待ち、洛城に衣冠にて還るをかさねて許されり。言寄せん。侍臣[93]は寵幸せられんことをな望みそね。はや冤気は雪がれて、長平[94]にしぞ到りたる。
老いぼれは李彦実、左司により、弾劾されて、罪を待つこと三年であったが、さいわいに主上は仁聖、公道は大明であったため、左司はその弾劾を偽りであるとされ、すでに遠くへ流された。老いぼれはふたたび河南の府尹となって、勢剣と令牌を勅賜され、すべての貪官汚吏たちを、さきに斬り、のちに上奏することを許されている。このたびは、洛陽の地に来たが、張千よ、誰が騒いでおるのだ。捕らえてまいれ。
（張千）かしこまりました。捕らえてまいりました。（跪く）
（劉員外）知事さま、憐れと思し召されませ。わたしにお味方してください。
（李府尹）ほんとうにわたしの娘の玉英だ。
（正旦）父上ではございませぬか。
（李府尹）なにゆえにこちらにいるのだ。
（正旦）父上は行かれる時に、劉員外から銀子十個をお借りになり、元本利息は、銀子二十個となったのですが、あのものにお返しになりませんでした。あのものは、わたくしを強迫し、妻にしようとしたのです。父上、わたくしに味方してくださりますよう。
（李府尹が入る）こちらはどなたか。
（正旦）父上が家を去られた後に、わたしはみずから婚約し、このかたの妻となったのでございます。
（張瑞卿）わたくしは張瑞卿、あらたに当地の県尹を授かったのでございます。
（劉員外）結構なことだなあ。おまえら二人は、役人同士で庇いあうとは。わたしは死んでしまうわい。
（李府尹）このような事があるとは。張千よ、大きな棒を取ってきて、劉員外を四十回責めてから、有司に送り、罪に問うのだ。
（張千が打つ）
（正旦が唱う）
【錦上花】こやつは財産をば恃み、空威張りして、むりやりに媒妁を立て[95]、われを虐げたりしなり。重ければ鞭うちて、軽ければ罵りしなり。あに河の澄むことのあり、人の意を得ることのなかるべけんや。
【幺篇】そのかみ酷き目に遭へば、今日は仕返しするとせん。大小の荊の条を、まづは四十たび。しかるのち、有司に送り、公正に罪に擬すべし。銭が神に通ずとも、法のなんぢを縦すは難きことならん。
（李府尹）張瑞卿どの、老いぼれとともに屋敷に来られよ。本日は吉日だから、娘とながく夫妻となられよ。羊を殺し、酒を造り、祝賀の宴といたしましょうぞ。（屋敷に行き、張瑞卿が正旦とともに拝礼する）
（正旦が唱う）
【清江引】人生は百年にして、幾ばくかあり得べき。顔を晴らさん日もがもな。父子のともに団円して、夫婦のかさねて会ふことこそは、常ならぬ、天のごとくに大いなる喜ならめ。
（李府尹の詩）賊徒は脅迫し、良縁を結ばんとしにければ、いと重き枷に掛け、市廛にしぞ在らしめん。借金と取立は常の事なりといへども、富を恃みて貧を虐げたることに天理あらめや。新郎は今日、令尹となり、老いぼれはふたたび生きて旋るを得たり。羊を殺し、酒を造りて、筵宴を設けん。夫は栄え、妻は貴く、団円をしぞ喜ばん。
