孟徳耀挙案斉眉雑劇

第一折

(外が孟府尹に扮し、老旦の王夫人とともに童僕を連れて登場、詩)白髪は刁騒[1]として両の鬢をぞ侵したる。老いぬれば少年の心は冷めたり。これよりは皇家の禄を請ふに忍びず、ただ身の安きことを得ば万金にしぞ(あた)るべき。

老いぼれは、姓は孟、名は従叔といい、原籍は汴梁扶溝県の者。三人家族で、女房は王氏、生まれた娘は、名は孟光、字は徳耀。老いぼれは若いとき、府尹の職に就いていたが、年老いたために致仕、閑居して数年になる。わたしには、同堂の友の梁公弼がおり、指腹婚したことがある。梁公弼が生んだ男子は梁鴻という。公弼夫妻は思いがけなく、どちらもはやくに亡くなった。今、梁鴻は満腹の文章を学んでいるが、いかんせん一身の貧しいさまは洗うが如く、家を回って字を書くことを仕事としている。この縁談を破棄すれば、前言を忘れたことになってしまうし、娘をかれに嫁入りさせれば、梁鴻は自分の身さえ養えぬから、うちの娘は婿入りした後、苦しみに耐えられぬだろう。女房よ、どうしたらよいだろう。

(夫人)亭主どの。もう一度相談をいたしましょう。

(孟)女房よ、今この地には張小員外さまがおり、大金持ちだ。さらに馬良甫さまがおり、官員さまの坊ちゃまで、ゆくゆくは官員さまになられよう。今すぐに梁鴻を呼んできて、三人をうちの前庁へ来させて、酒席を設け、かれらをもてなすことにしよう。斑竹の簾を下げて、娘を簾の中に呼び、かれら三人を見させて、娘の心に随って、一人を選ばせることにすれば、娘はながくわれら夫婦を怨まないことだろう。どう思う。

(夫人)亭主どのの仰る通りにございます。(退場)

(孟)しもべたち。人を遣わし、張小員外、馬舎人と梁秀才を呼んでこさせよ。到着したら、わしに知らせよ。

(童僕)かしこまりました。

(二浄が張小員外、馬舎に扮して登場、張の詩)このものは舎人馬良甫、わたしは富豪の張員外。一気に泥で蓋をした酒を飲み[2]、肉鮓[3](かじ)るのみにて野菜を食らはず。

わたしは張小員外で、こちらはわたしの従弟の馬良甫。孟相公の家でわれわれ二人を招いた。何事だろうか。ゆかねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。呼ばれた客がまいりましたと。

(童僕が報せる)

(孟)お通ししてくれ。

(童僕)お入りください。(会う)

(張)老醤棚(ラオジャンポン)[4]、われら二人をお呼びになって、どのようなお話にございましょう。お酒があるなら、はやく出されて、三杯飲ませていただけませぬか[5]

(孟)しばらくお待ちくださいまし。梁鴻を呼びにゆかせましたが、そろそろやってまいりましょう。

(末が梁鴻に扮して登場。詩)三十の男児なれどもいまだに時に恵まれず、腹の中には万言の詩を()り尽くしたり。一朝にして風雷の()[6]を遂げば、蟾宮(せんきゆう)の第一の()を敢へて折るべし[7]

わたしは姓は梁といい、名は鴻、字は伯鸞という。父母(ちちはは)が生きていたときは、多くの厳しい教えを受けて、満腹の文章を学んだが、まだ功名を得ていない。わが父は、そのむかし、孟府尹家と指腹婚した。父母が世を去った後、わたしはしばしば人を遣わし、結婚話を持ち掛けたのだが、あのひとはわたしの一貧洗うが如きありさまを見て、かたくなに承知しなかった。本日は人を遣わし呼びにきた。どうしてなのかは分からぬが、ゆかねばならぬ。門番よ、取り次いでくれ、梁鴻がまいりましたと。

(童僕が取り次ぎ、見える)

(梁鴻)老旦那さま、わたくしを呼ばれましたは、どのようなお話にございましょう。

(孟)掛けられよ。しもべたち、果卓を担いでまいるのだ。

(童僕が果卓を担いでくる)

(孟が小声で命じる)酒を出し、繍房[8]に報告し、娘を呼び出してきてくれ。

(童僕)かしこまりました。

(正旦が孟光に扮し、梅香を連れて登場)わらわは孟光。繍房で針仕事していると、お父さまとお母さまが前庁で呼んでらっしゃる。どういうことかは分からないが、お会いしにゆかねばなるまい。

(梅香)お嬢さま、まだご存知ないのでしょうか。老旦那さまはこのたび、お嬢さまが成人したのに、婿取りや嫁入りをされていないのをご覧になって、前庁に三人の客人をお招きしたのでございます。一人は富豪の張小員外、一人は官員さまの舎人(ぼっちゃま)馬良甫、一人は貧乏秀才の梁鴻とかいうものにございます。お嬢さまには、三人のなかから相手をみずから選んでいただいて、婿としてお招きしましょう。お嬢さま、たといおんみが喜ばれても、わたしは悲しゅうございます。

(正旦)ひょっとして指腹婚した梁秀才さまではないか。

(梅香)そうかどうかは存じませぬが、貧乏人でも、あれほどひどい貧乏人はおりませぬ。お嬢さま、富貴なかたを婿に選べば、体裁も良く、お幸せにもなれましょう。

(正旦)梅香や、おまえの言うことは間違っています。

(梅香)お嬢さま、わたしがどうして間違ったことを申しているのでございましょう。

(正旦が嘆く)梅香や。晩春の気候はまことに懶いもの。(唱う)

【仙路点絳唇】看よ春は皇都(みやこ)に満ちて、散る花は限りなく、香はしき雨を飄へしたり。蝶の(はね)、蜂の(ひげ)には、なほ春を留めたれども。

(梅香)お嬢さま、この三春[9]の季節には、鶯は倦み、燕は懶く、蝶は疲れて、蜂は慌てておりまする。わたくしは、心の中で、一睡りしたいとひたすら考えておりますが、いかが思し召されますか[10]

(正旦が唱う)

【混江龍】蘭堂の深き処を離るれば、東風(はるかぜ)に疲れたるわが身を扶けんことを()ひたり。倦みたれば設設として雲を梳き、月を(なでつ)[11]、意は遅遅として(おしろい)を塗り、朱を施せり。春の(ねむり)は啼く鳥の()ぶに耐へずとおみはいへども、わたくしは長き日にひそかに古人の(ふみ)を看んとす。

(梅香)老旦那さまがお呼びですから、もうすこし身なりを整えられてください。

(正旦が唱う)わたしはこちらで香はしき塵を(たゆた)はせ、あはてて扇もて(おほ)ひ、残んの紅を軟らかく靴に踏みゆく。ふたたび綺羅の衣袂(たもと)を整へ、ふたたび珠翠の冠梳(かぶり)[12]を整ふ。

(梅香)わたくしが見ましたところ。お嬢さまはあの貧乏な秀才に嫁がれぬのがよろしいでしょう。

(正旦が唱う)

【油葫蘆】これはもとより五百年(いほとせ)前の天の対付(はからひ)

(梅香)お嬢さまがお一人でそう考えてらっしゃるだけで、天縁などはございませぬ、

(正旦が唱う)などかわが思ひのままにするを得ん[13]

(言う)この三人の中では、

(唱う)梁鴻さまよりほかはみな小人ならん。

(梅香)お嬢さまは間違っていらっしゃいます。あの梁鴻はおそろしく貧しいものにございます。

(正旦が唱う)かのひとは今、貧窮すれば、貧窮の苦を受くべしと、おみは言へども、かのひとは、文章あれば文章の福なかるべけんや[14]

(梅香)教養はお腹の中にあるものですのに、お嬢さまはなぜそれがすぐお分かりになるのでしょうか。

(正旦が唱う)諺に言ふ。賢き者はもとより賢く、愚かしき者はもとより愚かしければ、あたかも薫蕕なるがごとくに、おのおの別れて、ともに()ることこそ難けれ[15](まなこ)はあれど珠のなきおみにいかでか比ぶべき

(梅香)この世の多くの貧乏な秀才たちは、一生貧しく、出世することができませぬ。あのものに嫁がれようとなさるのは、まことに運が悪いということ。

(正旦が唱う)

【天下楽】ああ。三尺の龍泉と万巻の書を埋もれしめんとは、いかなることぞ。秀才たちの秀でて実らざることあるは、浪語(そらごと)にならねど、想ふに天はかのひとに十分(じふぶ)の才を与へたまひて、かのひとに一分の禄を賜ふべければ、青雲に上るも易きことならん。

(梅香が報せる)老旦那さま、お嬢さまが来られました。

(孟)奥方を娘とともに簾の中へ見にゆかせ、そなたはかれに詳しいことを尋ねるがよい。

(梅香)かしこまりました。(夫人を呼ぶ)

(夫人)娘や、おまえは簾の中へ見にゆくがいい。お父さまは三人の客人を呼んでこられた。一人は官員、一人は富豪、一人は貧乏秀才で、われわれの広間でお酒を飲んでいる。おまえが一人を選ぶのに任せよう。

(正旦)お母さま。わたくしはあの貧乏な秀才に嫁ごうと思います。

(夫人)ああ。娘は官員、富豪に嫁ごうとはせずに、あの貧乏な秀才に嫁ごうとしております。老旦那さま、おんみは無駄なことをなされた[16]

(孟)二人の若さま。粗末な食事で、お持て成しがゆきとどきませんでしたが、お引き取りくださいまし。またお会いいたしましょう。

(張)ご老人、おんみはわれらを呼んでお酒を飲ませたが、お酒にも酔っていないし、ご飯もたらふく食べてはおらぬに、ゆけと言うとは、われらは攔門鍾[17]を飲んだらゆくとしよう。

(馬)君子はすこしく滋味を嘗めるが、小人はひどく喰らって飽きることがない。あのひとに家に戻ってゆけといわれて、怒りのあまりはやくも四つの句を作ったぞ。

(詩)孟爺さんはまことに頑固、酒には酔はず食には飽かず[18]。これよりは誰か家をば(おとな)はん、かのものは孟嘗君の片脚にさへ成るを得ず。(ともに退場)

(孟)二人は行ってしまいました。梁秀才どの、しばらく隠れていらっしゃい。

(梁鴻)わたしは失礼いたしましょう。(退場)

(孟)梅香よ、娘を呼んできておくれ。老いぼれはみずから尋ねることにしよう。

(正旦が見える)

(孟)娘よ。官員、富豪、秀才のうち、おまえはだれに嫁ぎたいのだ。

(正旦)お父さま、わたくしはあの秀才に嫁ぎましょう。

(孟)あのものはすなわち梁鴻、毎日、街で文字を書くのを生業としているものだ。二人の官員、富豪とは比べものにもならぬわい。あのものに嫁いでも幸せになれるというのか。

(正旦)お父さま、秀才は草むらの中の幡竿(はたざお)にございます。倒せば人より低くなり、立てれば人より高くなります。あのかたに嫁いでもわたくしは不幸せにはなりませぬ。(唱う)

【村里迓鼓】人たるものは、貧しきときも富むときもあり、役人となるものは、栄えたり辱められたりするもの。

(孟)役人となるものに、どのような辱めがある。

(正旦が唱う)かれらは皇家の俸禄を受け、軍民[19]の銭物を取り立てぬ。官職を削られて、田地を売りて、奴僕を散じて、はじめて足るを知らざりしことを悔ゆべし。

(孟)あの梁鴻は貧乏な秀才で、いつになっても出世はできぬ。なぜかたくなにあのものに嫁ごうとする。

(正旦が唱う)

【元和令】かのものは一介の儒者にして、千鍾の(ぞく)に値せず、生涯窮途に苦しみて、嫁がばむざむざ苦しみを受けんとぞいひたまふ。いつの日か万言の長策を鸞輿に献ぜば、かのもののまことの丈夫(ますらを)たるをはじめて信ぜらるべし。

(孟)あのものの文章は、このわしも見たことがある。今あのようなありさまでは、年をとっても出世はできまい。

(正旦が唱う)

【上馬嬌】これぞまさしく、時運に恵まれざるものにして、かのひとの文学[20](うす)きにあらず。知るべし、天は詩書[21]に負かず、渭水の(ほとり)に、呂望の文王に遇ひしを。ああ。いかでか霜、雪にも似たる頭顱(かうべ)をば笑ひ得べけん[22]

(孟)馬家の倅は官員で、張家の倅は金持だから、梁鴻とは大違いだ。

(正旦)お父さま。

(唱う)

【勝葫蘆】かれらはいづれも父親のお蔭を蒙り、驕りたる溌頼徒(ごろつき)にして、(いつは)りの規模(すがた)をぞ装へる。眼をり、眉を顰めて、鬚を捻りて、一頂の包巾[23]を帯び、一本の包縧[24]を締む。いかで知るべき、かのものの一丁字さへ識らざらんとは。

(孟)張小員外はまあいいが、馬舍さまの官職は荷包の中に入っているから[25]、あのかたに嫁いでよくないことはあるまい。

(正旦が唱う)

【幺篇】ああ。宿直(とのゐ)せる峨冠(たかきかぶり)の士大夫を[26]、さらに(たた)ふることはなし。娘のわれは父母(ちちはは)にあへて逆らふにはあらず。富みたる時は結婚を約したまへど、貧しき時は結婚を拒みたまへり。「君子はその初めを断つ」[27]といふを聞かれしことなきや。

(孟)娘が梁鴻に嫁ぎたいなら、わしは今からあのものに二つの宝を要求し、あればあいつ[28]に嫁がせよう。

(正旦)お父さま、二つの宝はいったい何でございましょう。

(孟)秋色を帯びた羊脂玉[29]、明月に勝る照夜珠を求めよう。

(正旦が唱う)

【後庭花】かのひとは青氈を守る一腐儒にして[30]、黄齏[31]()へ餓ゑを忍べる(をのこ)なり。秋色を帯ぶる羊脂玉[32]、明月に賽る照夜珠をいづこにか得ん。お父さまは、風俗を(そこな)はれ[33]、清廉の名を徒にしたまへり。他の人の正しからざる処を断たれたまへかし[34]。結納金をたつぷり払ふことを求めて[35]、一分一文たりとも欠けなば娘を嫁にゆかせることなく[36]法度(きまり)に違ふことぞなき[37]

(孟)「家にありては父に従え」というではないか。

(正旦が唱う)

【柳葉児】わたくしは今、家にありては父に従ひ、むざむざと貧乏書生を生涯孤独たらしめたり。かのひとの家は貧しく、とりたてて物はなければ[38]、日々家を巡りつつ詩句を題して、いささかのお金を集めり[39]

(言う)お父さま、お考え下さいまし。

(唱う)かの秀才はかならずや「者也之乎(しややしこ)」を研究し尽くしたるべし[40]

(孟)わしはおまえを官員、富豪に嫁がせようと思ったが、かたくなに承知せず、梁鴻に嫁ごうというのだな。やがて苦しむことになっても、わしを怨むな。

(正旦が唱う)

【賺煞】かのものは豊かなれども、豊かさはわたくしの志誠の心に叶ふことなし。この秀才は貧しかれども、貧しさはわが姻縁簿を汚すことなし[41]。わたくしが楽しむべくば、苦しみを受くるなからん。わたくしが苦しみを受くべくば、むりに栄耀(ええう)(もと)むとも、(さち)を受けざることならん。この悪しき(をのこ)(をみな)は、衣を着けたる牛、馬にすぎずと人にいはるべし。

(孟)娘よ、金があるのはよいことぞ。

(正旦が唱う)お父さま、おんみはそもそも、書生をば敬ひたまふことはなく、金持ちを敬ひたまへり。わたくしは臨卬県にて車を御したることもなく[42]、かのひとは昇仙橋の柱に題したることもなかりしかども[43]、わたくしはすでに卓文君に倣ひて相如にぞ嫁がんとせる。(梅香とともに退場)

(孟)女房よ。この件は、前に約束していたことだし、娘も頑固にかれに嫁ごうとしている。これも娘の定めというもの。明日は吉日、梁鴻を婿入りさせよう。

(夫人)亭主どのの仰る通りにございます。

(孟)しもべたち、後花園の書房をきれいに掃除して、梁鴻が結婚した後、あのものを勉強させることにしよう。梅香だけに食事を運ばせ、けっして娘をあのものと対面させてはならないぞ。いずれ老いぼれに考えがある。

(詩)娘はひどく頑ななれば、これ以上考ふることはなし。かのものの志をば得し後に、老いぼれの心を示さん。(ともに退場)

 

第二折

(梁鴻が登場)わたしは梁鴻、老旦那さまに婿として招かれてから、七日になるが、お嬢さんの顔を見ておらず、梅香がお茶やご飯を運んでくるだけ。今日、来た時に、わたしがわざと腹を立て、話しかければ、梅香はお嬢さんに話をしにゆくことだろう。あのお嬢さんは(ふみ)を読む人だから、まさかわたしに会いにこぬはずはあるまい。梅香がそろそろやってくるはずだ。

(正旦が梅香を連れて登場)わらわは孟光、お父さまが梁秀才を婿にしてから、七日になるが、会ってはいない。今日、お父さま、お母さまは家にはいらっしゃらぬから、梅香や、わたしはおまえといっしょに書房へ梁秀才を訪ねてゆこう。

(梅香)お嬢さま、老旦那さまに知られましたら、まずうございましょう。

(正旦)知られたときは、わたしがいるから、大丈夫です。

(梅香)それならば、お嬢さまにお供してまいりましょう。

(正旦が唱う)

【正宮端正好】卓文君が琴を撫でつつ悲しむでもなく、秦弄玉[44]が簫を吹きつつ恨むでもなし。などてか家の事どもに日夜(こころ)を傷まする。いまだに出世することのなき婿をば招き入れたれば、いかで愁へを収むべき。

(言う)わたしも人がわたしのことを話すのを聴きました。

(梅香)お嬢さまの何を話しているのでしょうか。

(正旦が唱う)

【滾繍球】人はみな、孟コ耀(わたくし)が文句を言ひて[45]、梁秀才ははなはだ怒れりとぞいへる。このたびは娘がひそかに芳訊(こひぶみ)を伝へんとするにはあらず。お父さま、おんみは人を瞞きたまへど、いかでか天の神さまを瞞き得べき。そのかみは結婚を約したまへど、かのひとは返礼をしにくることなければ[46]、考へのなき父母(ちちはは)は約を違へぬ。父母(ちちはは)は、ほかにやんごとなき家を選ばんとしたれども、わたくしは、雲鬢を乱すとも、貧しきひとの(つま)となるべし[47]。巧みに蛾眉を描きつつ他家に嫁ぎて、燕爾(えんじ)新婚(しんこん)[48]せんとせず。

(言う)はやくも書房の入り口にやってきた。梅香や、あのかたが何と仰るかききにゆくのだ。

(梅香が見える)旦那さま。

(梁鴻が怒る)

(梅香が外に出る)お嬢さま、旦那さまは喋られませぬ。あのかたはほんとうに怒っていらっしゃいますが、どうしてなのかは存じませぬ。

(正旦)わたしが自分でゆくとしよう。(見える)秀才さま、おんみは婿入りされて七日になりますが、誰がおんみにお茶と食事を運んでいるのでございましょう。

(梁鴻は喋らない)

(正旦)すでにわかっておりますよ。(唱う)

【笑歌賞】もしや婆やが持て成しの勤めを欠きしや、もしや小梅香がいささかの愚かしきことを言ひしや、もしや大奥さまがおんみを(おとな)はざりしや、もしやわらはがしばしば避けしことなどありや、もしや老旦那さまが近頃ほかの処遇をなされしや。なれ、なれ、なれは、ひたすらかやうにぷんぷんと怒りを含みたまひたり。

(梁鴻が背をむけて嘆く)このように気掛かりになることを知っていたらば、はじめから知り合いにならねばよかった。

(正旦が唱う)

【酔春風】おんみはわれらの百年の恩[49]を悔い、二人の乗り気になりたることを憤りたまひたれども、おんみに逼り婚姻を結ばしめたることもなし。わたしがおんみを来らしめ[50]五載十年(いつとせととせ)にもあらず、二日三日に過ぎざるに、かばかりに万の愁へと千の恨みのあらんとは。

(言う)秀才さま、おんみが喋られないのでしたら、わたくしは跪き、おんみにお尋ねいたしましょう。(跪く)秀才さま。婿入りされて七日たちましたのに、お尋ねしても一言もお答えをしていただけないとは。わらわの罪を責めてらっしゃるのでしょうか。

(梁鴻)「ふだん豊かであるならば、豊かに振る舞え。ふだん貧しくしていれば、貧しく振る舞え」というではないか。見たところ、おんみはわたしの連れ合いではない。おんみは頭に真珠、翡翠を戴いて、顔に朱粉(べにおしろい)を施し、身に錦繍(にしき)を着け、あたかも夫人[51]であるかのようだ。わたしは襤楼を身につけて、衣服は破れて、どうしておんみと釣り合おう。わたしに従い、衣服、髪飾りを取って、(もめん)(あわせ)を着けて、(いばら)(かんざし)を戴けば、そのときはじめておんみと夫婦となれるであろう。

(正旦)どういうことかと思っていました。これらのものをわたくしはとっくに用意しております。これからはおんみといっしょの衣服に換えるといたしましょう。

(梁鴻)(よそおい)を改めて、衣を換えれば。それでこそわたしの妻だ。

(正旦が装いを改め、唱う)

【石榴花】そのむかし、画堂にて、甘やかされて、幾年(いくとせ)か春をば経にし。錦繍(にしき)四時(しいじ)新たにて、波を凌げる(うすぎぬ)(したうづ)は塵を生ぜしことぞなき[52]

(梅香)お嬢さん、なんという装いでしょう。むかしあの金持ちに嫁いだほうが、よかったのではございませんか。

(正旦が唱う)ひそかに想ふに、はじめの二人はめかしこみ、見目は良かりき。かのもの[53]は官員富豪にわれの順ふことを望めど、あまんじて寒門に嫁がんとしたるを知らず。

(梁鴻)わたくしのように衣服がぼろぼろでは、おんみも悲しいことでしょう。

(正旦が唱う)おんみはわたしの親男児(せのきみ)なれば、身の貧しきをいかで怨まん。

(梁鴻)お嬢さん。あなたはむかし、なぜ金持ちに嫁がれなかったのでしょうか。

(正旦が唱う)わたくしは顔色(うはべ)をもとに他の人に嫁がんとはせず[54]

【闘鵪鶉】(もめん)(あはせ)(いばら)(かざし)をふたたび整へ、嬌紅[55]、膩粉[56]を整へつ。

(梁鴻)わたくしはこの幾日かほんとうに悲しいのです。

(正旦が唱う)おみは言はれり、昔は憐れなりしかど、今になり、さらに(ちか)しと。一夜の夫妻は百夜の恩といふを聞かずや。いとまじめなるおみなれば、妻に優しく、父母に孝行なさるべし。

(孟がこっそり登場)(かべ)を隔ててかならず耳あり、窓の外にはあに人なからん。

あの小娘はけしからん。老いぼれに内証で、梅香を連れ、書房へと梁鴻を看にいった。実に腹立たしいことだ。あちらにいってかれら二人を追い出そう。(見える)ほんとうに大胆な小娘だな。

(正旦が唱う)

【上小楼】言ひ争ひをするにもあらず、ただ難癖をつけんとぞせる。

(孟)小娘め、わたしに恥をかかせたな。

(正旦が唱う)わたくしは風紀を損ひ、父母(ちちはは)を辱しめ、家門(いへ)を汚ししことはなし。父上は赤き金、白き銀をば貪り尽くし、娘が槽を背にしつつ、糞を(いだ)せりとぞ言へる[57]

(孟)そなたはなんと大胆な。わたしの前でまだ口答えするというのか。

(正旦が唱う)

【幺篇】こはわたくしの言葉の野卑なるにはあらず、おんみの情性(こころ)の疏忽なるなり。わたくしは家の奴僕を殴り罵り、良人(をつと)を虐げ、家尊(ちち)に逆らひたることぞなき。

(孟)小娘め、この髪飾り、衣服を着けず、なにゆえかように装うておる。

(正旦が唱う)われはこの珠翠の衣、錦繍の(もすそ)を収め、蛾眉、緑鬢を飾らんことを怕れたり。

(言う)お父さま、わたくしは話すわけにはまいりませぬから、お考えくださいますよう。

(唱う)かのひとの破れたる襴衫といかで釣り合ふことを得ん。

(孟)ほんとうに腹立たしいこと。

(正旦が唱う)

【十二月】お父さま、おんみはかやうに怒りたまへば、わたくしもすこしも弁明せざるわけにはゆかざらん。かの秀才は書は万巻を読まるれば、いつの日か筆をもて千軍を掃はれん[58]。かのひとはかならずや黄閣の宰臣となりつべければ、白屋の窮民とおもひなさるることなかれ。

(孟)あの貧乏な秀才は一千年出世できまい。女は他家に嫁ぐものだが、ほんとうに腹立たしいこと。

(正旦が唱う)

【堯民歌】おんみは言はれり、儒人[59]は生涯ものにはならず、齏塩[60]の歳月に、自ら貧に甘んずべしと。鳳凰池にて絲綸[61]を聴きて、緑羅の新たなる宮袍を賜はりて、青雲[62]に、男児が出仕せしときは、お父さま、そのときは逢ひにきたまふことなかれ。

(孟)今日すぐに出ていってくれ。

(正旦)お父さま、いずれにしても、わたくしにいささか結納品[63]を与えて追い出されますように。

(孟)一文もない。今すぐに出てゆくがよい。

(正旦)秀才さま、今、父はわれらを外へ追い出しましたが、どういたしましょう。

(梁鴻)諺に「よい男は結婚の時の飯を食べない。よい女は結婚の時の衣を着ない」[64]といわれています。お嬢さん、ご安心あれ。わたくしは出てゆきましたら、懸命に路銀を求め、すぐ上京し、官職を得るために受験することにしましょう。

(正旦が唱う)

【耍孩児】見よや、(かふべ)を抬ぐれば、日は遠くして長安は近ければ[65]、読みたまひたる経書をさらひたまへかし。今の天子は賢臣を重んじて、海にも似たる賢門[66]を大いに開きたまひたり。龍虎に従ふ風雲の気を遂げば、かならずや草花を潤す雨露の恩を受くべし。これはわれらの時運に逢ふなり。お父さま、(かはづ)(いど)の底に鳴き、(あしたづ)(にはとり)の群に立てると見誤りたまふことなかれ。

(孟)わしの見たところでは、あの梁鴻は、(くさむら)の中の土や埃にすぎないな。

(正旦が唱う)

【煞尾】おんみが見るに、かのひとは篷蒿(くさむら)の中の塵なれど、わたしが見るに、かのひとは麒麟閣の()の人ならん。

(言う)本日は、お父さまにお別れし、出てゆきますが、出世しなかったときには、お顔を拝見することもございますまい。

(唱う)かならずやいつの日か、御簾の前にて高々と三台[67]の印を捧げて、都省[68](うち)にて身は正一品に安んぜん。(ともに退場)

(孟)かれら二人はいってしまった。かれらはこれから、皋伯通の荘園にゆき、住むことだろう。あの秀才はまだいいが、うちの娘は豊かな家で生長したから、このような苦しみに耐えられまい。婆やに命じて、一日三度の食事を運ばせ、娘だけに食べさせ、梁鴻に食べさせぬことにしよう。しばらくしたら老いぼれに考えがある。婆やはどこだ。

(婆やが登場)堂上で呼ばるれば、階下にて一諾す。

老いぼれは孟さまのお屋敷の婆や。老旦那さまがお呼びだから、お会いしにゆかねばならぬ。老旦那さま、老いぼれをお呼びになって、どのようなお話しにございましょう。

(孟)わしがおまえを呼んだのは、ほかでもない。わしは今日、娘と梁鴻の二人を追い出したのだ。こちらに来てくれ。このようにするのだぞ。(耳打ちする)

(婆や)かしこまりました。老旦那さま、ご安心くださいまし。みなわたくしがお引き受けいたしましょう。老旦那さま、お二人は去られたときに、すこしおんみをお咎めでしたが、やがては感謝しても遅いということになりましょう。わたくしは、衣服、金銭、鞍つきの馬を手にして、長居しようとはいたしませぬ。今すぐに皋大公の荘園へ、お嬢さまをお訪ねしにゆくことにしましょう。(退場)

(孟)婆やは行ってしまった。これぞまさしく、眼には見ん旌捷旗[69]、耳には聴かん良き消息(しらせ)(退場)

 

第三折

(梁鴻が正旦とともに登場、詩)孟従叔のもとを去り、皋伯通に身を寄せつ。何をして朝夕を(わた)りたる。ひとまずともに傭工(やとひ)となれり。

わたしは梁鴻、孟さまがわれら二人を追い出してから、皋大公の荘園に来て住んでいる。われら二人は、人さまのため、米を舂くのを仕事としている。お嬢さん、おんみはどうしてこのような苦しみに耐えられましょう。

(正旦)秀才さま、なにゆえさように仰るのです。「(おっと)は唱い、(つま)は随う」ともうしましょう。(唱う)

【越調闘鵪鶉】われはもとより仕女図の中に生ひ立ちて[70]、今日になり、とりあへず傭工(やとひ)の群れに身を置けり。いましがた(もめん)(あはせ)(いばら)(かんざし)をば備へ、さらにこの(はばき)()をば加へたり。

(梁鴻)そのむかし、わたしに嫁がれなかったほうが、ほんとうに宜しかったに。

(正旦)わたくしがおんみに嫁ぎましたのはほかでもない、

(唱う)おんみの書剣[71]の才ゆゑに、甘んじてこの糟糠[72]気息(にほひ)に耐へたり。わたしは人に嘲られ、人のとやかくいふを避け得ず。

(梁鴻)われわれが住んでいるこの家を看てください、

(正旦が唱う)住みたるは灰色の茅の丸屋(まろや)[73]、敷きたるは乾ける葦の(むしろ)なり。

【紫花児序】壊れし碗を捧げつつ、いささかの淡き白粥をば呷り、数本の喉に(つか)ふる黄齏をしぞ食らひたる[74]

(婆やが登場)老いぼれは孟さまの家の婆やだ。このたびは、お嬢さまが追い出され、皋大公の荘園に住まわれたため、日々梅香に食べものを送らせている。梅香が老旦那さまにした話では、お嬢さまは高々と食膳を眉まで捧げ、秀才さまに仕えているとのことだった。老旦那さまは信じられずに、今日はわたしに食事を送らせ、あのかたに会いにゆかせることとなされた。老旦那さまはこっそりとあのかたに綿の団襖一領、白銀二錠、鞍つきの馬一副を援助することとなされた。老いぼれのものということにして、あのかたにお贈りし、路銀にさせて、官職を求めにゆかせることしよう。はやくも着いた。お嬢さまはおうちにいらっしゃいますか。

(梁鴻)お嬢さん、戸口でだれかが呼んでいます。

(正旦)秀才さま、わたくしが見てまいりましょう。

(唱う)他の人が来たりなば避くるに及ばず、怕るるはわが父母(ちちはは)のすべてを知るなり。父母(ちちはは)はおんみの(こころ)を奮はしめ、首席を奪はしめんとせど、なにゆゑぞ、こちらで粗き糧を舂き、細き米をば篩ひたる。問はれし時はいかにして(いら)へすべけん。おんみの七歩の文才を徒にして、一生かやうに衣食せんとや。

(梁鴻が退場)

(婆や)お嬢さま、ご機嫌よう。

(正旦)だれかと思えば、婆やでしたか。むかしは梅香が食事を運んできましたが、今日は婆やが来たのですね。

(婆や)梅香は役に立ちませぬので、わたしがみずから食事を運んでまいりました。

(正旦)わたしがあなたと話しをすれば、唾が食事のなかに飛び、夫への礼を失することでしょう。食膳を高々と眉まで捧げ、秀才さまにまず食べていただくことといたしましょう。

(婆や)高位高官ではございませぬのに、なにゆえさようにあのかたを敬われるのでございましょう。

(正旦)「夫は(つま)の天なり」[75]といいましょう。婆や、あなたの言うことは間違っています。(唱う)

【金蕉葉】かのひとがいかなる高官重職なりやといひたれど、かのひとを喜ばしめざるわけにはゆかず。夫の貴く妻の栄ゆることなきも、われはただ男の尊く、女の卑しきことを知るのみ。

(婆や)わたくしが看たところ、梁さまはもう三十を過ぎられましたに、まだあのようありさまで、いつになったらご出世あそばされるやら。

(正旦が唱う)

【調笑令】かのひとはすでに出世の望みなく、すでにむなしく三四十をば過ぎたりといふ。

(婆や)あのかたは大したかたではございませぬ。

(正旦が唱う)かのひとに尊卑の礼など尽くすべきにはあらずとおんみは申せども、諺に「夫が唱はば(つま)は随ふ」とぞ言へる。男児(をのこ)の死ぬるにわれらが孝衣[76]を掛くるのはなにゆゑぞ。このわれの食膳を眉まで捧ぐることなからめや。

(婆や)あのものに智慧などはございませんのに、そのように敬われるとは。

(正旦が唱う)

【禿厮児】おんみは言へり。かのひとに智慧なしと。かのひとが愚かしくとも、諺に「鶏に嫁ぎなばともに飛ぶべし」とぞ言へる。梁鴻の妻となりぬれば、睦まじうせり。

(婆や)あのものは毎日食べる食事さえございませぬ。

(正旦が唱う)

【聖薬王】かのひとは(あした)に起きて、(ゆふべ)に到るも、食事に飢ゑを充たされて、口を安らかにするを得ず。運は悪しきも、かのひとの(こころ)の冷むることはなし。ひたすらに桃花の浪の暖かく蟄龍の飛び、平地に一声(ひとこゑ)雷の鳴ることを待ちたまひたり[77]

(婆や)わたくしは、梁さまが人のため傭工(やとい)となられ、毎日米を舂くことを生業となさっていると聞きました。米搗きをする場所[78]はどちらでしょうか。わたくしが見にゆくことといたしましょう。

(張小員外、馬舍が登場、張)幼きときより遊びを好み、家には(こがね)(しろがね)があり。兄弟は歪廝纏(ワイスチャン)、わたくしは胡廝鬧(フウスナオ)とぞ呼びなさる[79]

わたしは張小員外で、こちらは馬良甫。われら二人は孟光が父親に追い出され、皋大公の荘園に住み、よそさまのために傭工(やとい)となって、米を舂くのを生業(なりわい)としていることを耳にした。われらは今からわざとあのひとのところへ行って、あのひとをからかおう。(見える)だれかと思えば、孟光お嬢さまでしたか。さあ、さあ、さあ、わたしのためにちょっとお米を舂いてください。お米を舂いたら、糠皮はみなあなたのものです。わたしのためにあと何回か舂いてください。

(正旦)どういうつもりなのですか。おんみらは、聴かれるがよい。

(唱う)

【鬼三台】われらとおみらは(ともがら)ならず。かねてより会はざりけるに、やつてきて減らず口をばたたきたり。

(張)おい兄弟、あの女は、このように苦しんでいるというのに、われわれが減らず口をたたいていると言っている。

(正旦が唱う)笑みを浮かべて査梨を売りたり[80]

(馬)お嬢さん、わたしに嫁げば、他の人よりもずっとましでしたのに。

(正旦が唱う)巧みな言葉でからかへり。このものはかやうに野暮な性格(こころ)を持てり。われらは貧しとはいへど、志気を損ひたることぞなき。

(張)お嬢さん、わたしに嫁げば、ほんとうに宜しかったに。

(正旦が唱う)ことさらに悪しき振る舞ひをぞなせる。

(張が正旦の衣服を引く)お嬢さん、いらっしゃい。わたしはあなたと話をしましょう。

(正旦が推し、唱う)おゆきください。纏わりついてどうなさいます。

(張が転げ出て、起ち上がり、門を蹴る)おまえはいずれ『蓮花落(こじきうた)』を歌うものの識り合いになるだろう。

(馬)わしらはゆこう。あんたは一回転んだが、あのひとに手ずから推してもらえたな。おれは言葉もかわさないのに、あのひとに罵られたよ。

(詩)われら二人は金があり、生まれつき男前。孟光をからかへど、よきことはなく、むざむざと(かたへ)の人の一笑をしぞ招きたる。(退場)

(梁鴻が登場)妻よ、なぜ大騒ぎしているのだ。

(正旦)まことに運が悪うございます。二人の溌男女(ろくでなし)どもに辱しめられたのでございます。(唱う)

【麻郎児】わたしは貧しとはいへど秀才の妻、おんみは貧しとはいへど府尹の(いへがら)。いささかもかれら二人の溌皮(わるもの)にひけはとらねど、むざむざひどき苛めを受けぬ。

(梁鴻)お嬢さん。あのようなものたちを構われてどうするのです。

(正旦が唱う)

【幺篇】くはしきことを想ひ起こせり。

(言う)あのものたちと争おうと思いましたが、

(唱う)あのものたちとつまらない諍ひをするわけにはゆかず。

(言う)争うまいと思いましたが、

(唱う)わたくしは恥知らずとなるわけにもゆかず。ああ、天よ、いかにせば、科挙に及第するを得ん。

(婆や)それならば、なぜ梁さまを上京させて、功名を得にゆかせられぬのでしょう。官職を得られれば、人からかように辱しめられますまいに。

(正旦)婆やさん、それは違うでしょう。わたしだけでも三度のお粥やご飯さえ、満足に食べられないのに、路銀をどこから出しましょう。婆やはふだん私房(へそくり)を貯めていますか。多い少いに関わらず、秀才さまに援助してくれるなら、その恩にいずれかならず手厚く報いることにしましょう。(唱う)

【絡絲娘】かの人を援助して皇都へとゆかしめたまはば、われはおんみの深き御恩と大いなる御徳を忘るるものかは。一倍を十倍になさんとも[81]、このわれの酬ゆる(こころ)を示し得ず。

(婆やが退場し、小道具を取って登場)お嬢さま、老いぼれはなにもお贈りするものがなく、綿の団襖一着と、白銀二錠と、鞍つきの馬一頭があるのみにございます。梁さまが旅に出られて、官職を得られた時は、老いぼれをお忘れになりませぬよう。

(詩)嘆くに堪へたり、梁鴻さまの骨の髄まで貧しきは。今日ははるかに洛陽(みやこ)の塵を践まんとしたまふ。金榜[82]にお名とご姓を掲ぐることを得られなば、儒冠の人を裏切らざるを始めて信ぜん[83]。(退場)

(正旦)婆やはいってしまった。あのひとはこんなに多くのものを送ってくれました。秀才さま、お気をつけて。

(梁鴻)お嬢さん、ご安心あれ。帝都にゆけば、わたしはきっと役人となりましょう。

(正旦が唱う)

【収尾】ただ願はくは、丹墀にて千言を対へられ、男児の壮き気を逞しくうせられんことを。金榜に名なければ帰ることなく、われをしてむなしくななめに柴の()に倚り、おんみを待たしむるなかれ。

(退場)

(梁鴻)婆やよ、鞍つき馬と路銀を援助してくれてありがとう。今日は吉日、上京し、受験しにゆくことにしよう。

(詩)そのかみ『五噫歌』[84]を作り、いま万言の策を成す。誰か知るべき器を(すす)ぎたる人の、橋に題しし客なるを[85](退場)

 

第四折

(孟が登場)老いぼれは孟従叔だ。わたしの娘と梁鴻を追い出したのだが、「木は(うが)たずば穴が空かず、人は激せずば奮ひ立たず」とはよくいったもの。あの梁鴻は上京し、受験して、一挙状元に及第し、この土地の県令を授かった。わたしは今から羊を牽いて、酒を担いで、娘にお祝いしにゆこう。(退場)

(梁鴻が冠帯を着け、従者を連れて登場、詩)去にし日は一束の書物を携へ、帰り来たれば玉帯と金魚[86]を掛けたり。文章[87]があらんともかくなるを()とは限らず、おそらくは家に余慶を積みたるならん。

わたしは梁鴻。帝都に到り、一挙状元に及第し、扶溝県県令の職を授かった。今朝着任し、駟馬の高車[88]で、従者に夫人を迎えにゆかせた。そろそろやってくるはずだ。

(正旦が梅香、従者を連れて登場)わたしは孟光。今日(こんにち)があるとは思いもしませんでした。(唱う)

【双調新水令】霊鵲(かささぎ)の花の枝に(かまびす)しきを怪しめど、そもこれは状元を授かりて来たまへるなり。蛍窓[89]に文史[90]が足らずば、虎榜[91]には姓名を掲ぐるを得ず。はからずも今日、天は(まなこ)を開かれて報いたまへり。

(従者が報せる)旦那さまにお知らせもうしあげまする。ご夫人が来られました。

(梁鴻が出迎える)夫人よ、大いに喜ぶがよい。左右のものよ、持ってまいれ。

(従者が小道具を捧げもって登場)

(梁鴻)夫人よ、五花官誥[92]と金冠霞帔[93]を、受けるがよいぞ。

(正旦が唱う)

【沈酔東風】見ればこなたで捧ぐるものは輝ける金花の紫誥[94]、あなたにて捧ぐるものは麗しき珠翠と鮫鮹[95]

(梁鴻)夫人よ、今日ははじめておんみが清い心を持っていることを表彰することができたぞ。

(正旦が唱う)おんみは言はれり。はじめてわたしの清らかな心をば表彰せりと。

(梁鴻)おんみの雲錦[96]、花の()(かんばせ)に釣り合おう[97]

(正旦が唱う)わたしの雲錦、花の枝の貌に釣り合へりともいひたまふ。わたしは本日、夫人となれど、(よそほ)ひをとしやうとはせず。

(梁鴻)夫人よ、どうか着ておくれ。

(正旦)亭主どの、わたくしは着ようとはいたしませぬ。

(梁鴻)それはいったいどういうことだ。

(正旦が唱う)二度三度着るを拒めり。(いばら)(かざし)(もめん)(あはせ)ほどは似つかはしからざるべし。

(梁鴻)夫人よ、これは天子さまの賜わりものだ。身に着けて、宮居に向かって聖恩に感謝するのだ。

(正旦が着、唱う)

【慶宣和】象簡烏紗[98]はそも聖朝に出でしものにて、(さち)なくば受け難きもの。読書人たるわれは貧窮に耐へしかど、栄達すべきものなれば、儒衣に換ふなり、儒衣に換ふなり。

(ともに聖恩に謝す)

(張小員外、馬舍が登場、張)わたしは張小員外で、こちらは馬良甫。県庁はわれら二人を遣わして、新しい官員さまを迎えさせたが、孟さまの家の婿である梁鴻が、この土地の県令になったとは思わなかった。われわれは皋大公の荘園であのかたの女房をからかったのだが、昔のことを蒸し返されたら、どうしよう。

(馬)大丈夫だ。あいつは思い出しはしまい。われわれは胆を据え、あいつに会いにゆくとしよう。(会い、跪く)

(梁鴻)このものはどうして頭を抬げぬのだ。

(張)二月二日まで待ちましょう[99]

(梁鴻)二人の弟子孩児(ろくでなし)だったのか、おまえたちはこのわしを存じておるか。

(張、馬が慌てる)

(梁鴻)おまえたちはどのような役目なのだ。

(張)われらは儒戸[100]でございますので、県庁に選ばれて、新しい官員さまをお迎えにまいったのです。

(梁鴻)本日はおまえがわたしを迎えにきたが、わたしがおまえを迎えよう[101]。儒戸ならば、詩を吟じてくれ。もし吟じるのがうまければ、おまえを許し、吟じるのがうまくなければ、百回大きな毛板[102]で打つとしよう。

(馬)詩はわたくしが先に吟ずることにしましょう。

(誦える、詩)わたしは秀才、冷たき酒や熱き(さけ)。一気に一碗飲み干せば[103]、ふらふらとして口は歪めり。

(梁鴻)このものはでたらめなことを申しておるわい。左右のものよ、連れてゆき、打て。(打つ)

(張)あんた[104]はだめだ。わたくしが吟じますのをお聴きください。

(詩)わたくしは秀才にしてすみやかに飯を喰らへり、五経四書には親しまず。葉のある青き(にんにく)を二本(かじ)りて、泥もて封ぜし酒を半瓶(くら)ひたり。

(梁鴻)ますますでたらめを申しておるわい。左右のものよ、連れてゆき、打て。(打つ)

(正旦が唱う)

【雁児落】かのものは古聖の学を習ひしことなく、むざむざ儒人の笑ひを(まね)けり。本日は丹桂を折りたるや[105]

(梁鴻)そなたはむかし申したであろう。

(張)わたくしは何も申しておりませぬ。

(正旦が唱う)われわれが『蓮花落(こじきうた)』をば歌ひ得るのみならんとぞいひたりし。

(張)ああ。奥方は一句も忘れてらっしゃらぬ。われらと争われないでください。どうかわれらをお許しください。

(正旦が唱う)

【得勝令】今やわれらが行くところ、馬の頭は高うして、人の(おもて)(たけ)きさまをぞ逞しうせる。美はしき玉のわれらはまことに(すぐ)れ、花木瓜(はなぼけ)のなんぢらの外見(そとみ)()きに似ることぞなき[106]。ああ。なんぢらよ、なんぴとかなんぢらに無道をば行はしむべき。

(張)奥方さま、憐れと思し召されまし。これはみな旧い話にございますから、仰らないでくださいまし。

(正旦)左右のものよ、どこにいる。

(唱う)荊の杖を用意して、このものを扣庁[107]の階で打つがよい。

(梁鴻)このものは接待がゆきとどかぬから、まことに無礼だ。県庁に護送してゆき、それぞれ百回杖で打ち、一か月枷に掛け、儒戸をやめさせ、永遠に農夫としよう。

(従者)かしこまりました。

(張)ほんとうに運が悪いな。あいつがわたしに詩を吟じるのを求めたときは、まったく作れなかったのに、今は怒って四句が出来たぞ。

(詩)あいつにひどく弄ばれて、お尻はひどくきびしく打たれぬ。焼酎を三瓶買ひて、家に行き、ひとり痛みを和らげん。(ともに退場)

(婆やが登場)門番よ、取り次いでくれ。孟さまの家の婆やが入り口におりますと。

(従者が報せる)

(正旦)亭主どの、大恩人が入り口にいますから、われらは迎えにゆきましょう。婆やさん、お入りください。

(婆やが見える)お二人はお喜びでございましょう。

(正旦が唱う)

【喬牌児】そのかみはひとり焦れど、いまやみんなで楽しめり。

(言う)想えば皋大公の荘園にいたときは、

(唱う)かのときは、(かふべ)(おも)に糠が飛べども、今日(こんにち)(ぎよく)玲瓏(れいろう)[108]、金鳳翹[109]

(婆や)お嬢さま、その昔、あのような苦しみを受けられたのを、今でもご記憶なのですか。

(正旦が唱う)

【掛玉鈎】これこそまさに食膳を眉まで捧げし結果なれ。

(婆や)お嬢さま、今でもむかしの操を守ってらっしゃいますね。

(正旦が唱う)おんみは言はれぬ。わたくしはむかしの操を改むることなしと。わたくしは、かねてより、貧しきも憂ふることなく、富むとも驕ることはなく、閨門の教へを損はんとせず。

(言う)婆やさん、上座に着かれ、われら夫妻の拝礼をお受けください。

(唱う)おんみの昔のご恩に、今日ぞ報いたる。おんみが浮雲を散らさざりせば、青霄(あをぞら)にいかでか上ることを得ん[110]

(婆や)お嬢さま、さようなことをなさいませぬよう[111]。老旦那さまが大奥さまとともに入り口にいらっしゃいます。お迎えにゆかれませ。

(正旦)わたしには、本日訪ねてくるような老旦那さま、大奥さまはおりませぬ。(唱う)

【甜水令】画閣、蘭堂、錦茵、繍褥、囲める真珠、(めぐ)れる翡翠を追はれて離れ、わたしは帰る処なし。

(言う)あの時のことを想い起こせば、

(唱う)住まへるは、草舍、茅庵、蓬戸、柴門、陋巷、箪瓢[112]、わたしはまことに辛かりき。

(孟、夫人がいっしょに入って見えるが、無視する)

(婆や)老旦那さま、お嬢さまはかたくなに無視されています。

(孟)あれはわれらを無視しているのか。婆や、今になっても話をしないで、いつになったら話をするのだ。

(婆や)旦那さま、いましばし、雷雷の怒りを鎮め、すこしく虎狼の威を収めなさりませ。そのむかし、ご父君と老旦那さまは、指腹婚されたのですが、ご父君は亡くなられ、旦那さま、おんみは流落されました。老旦那さまはおんみを婿にしようと思っていましたが、おんみが富貴栄華を貪り、功名を得ようとなさらぬことを恐れて、ことさらに、お二人を追い出したのでございます。ところが春の試験が行なわれ、試験場が開かれたため、老旦那さまはこっそりとわたくしにお命じになり、おんみに路銀と鞍つき馬を援助させ、上京、受験させたのでございます。ご覧下さい。まさか婆あのわたくしがかようなものを持っていたわけがございますまい。おんみは今や、上は功名を成就され、下は夫婦で団円なさったのでございます。わたくしにこのようなことを言わせてどうなさいます。

(詩)幾とせか寒窓を苦しく守れど、一朝にしてやすやすと金鑾にしぞ上りたる。わたくしが援助いたせしにはあらず、(しろ)(かうべ)に蒼き(ひげ)なる老泰山[113]を拝したまへかし。

(正旦)婆や、あなたがはやく話さないから、あなたにすっかり騙されてしまいました。(唱う)

【折桂令】そもこれは晏平仲の善く人と交はりしなり[114]

(梁鴻)ほんとうは婆やがわれらを援助していたのだろう。

(正旦が唱う)かのひとは耳を掩ひて鈴を偸みて、目先の恩恵のみを見たまふわけにもあらじ[115]

(言う)亭主どの、父と母とをお認めください。

(唱う)われはおんみと夫婦して相談いたさん。外人(よそびと)にわれらを咎めしむるなかれ。君子のおんみは旧悪を念ひたまはず[116]、哀哀たる父母の劬労を想ひたまへかし[117]。かのひと[118]はすこしも相手になさらねど、われははや父母を辱しめんとせず。

(言う)お父さま、お母さま、上座にお着きくださいまし。わたしが父母と認めることにいたしましょう。

(唱う)とりあへず謙り、これよりは父上さまのひとまずわれらを許したまはんことを望めり。

(梁鴻、正旦が跪く。梁)おんみにすっかり騙されておりました。お義父さま。

(孟)ずいぶんと傲慢に振る舞われましたな。婿どの。

(使者が登場)号令は万里のかなたに雷霆(いかづち)と駆け、文章は一天の星斗(ほし)(かがや)く。

わたくしは天朝の使者。聖上の御諚を奉じ、梁鴻が貧に甘んじ、志を守り[119]、孟光が食膳を眉まで捧げているために、わたくしみずから丹詔をもたらして、あのものに官位を加え、恩賞を賜わりにゆかねばならない。はやくも県衙の入り口にやってきた。(見える)聖旨が到着しましたぞ。梁県尹どの、おんみら夫婦は跪き、聴くがよい。

(梁鴻)張千よ、はやくお香を用意するのだ。

(正旦とともに跪く)

(使者)朕は大漢孝章皇帝、今まさに乾坤万里に塵なきも、惓惓[120]として治世に励み、風俗の淳朴に還らんことをひたすら願へり。喜ぶは義夫節婦、愛するは孝子順孫。おみ梁鴻はもともとは世家の子弟なりしかば、志をば守りつつ、清貧を厭ふことなし。妻孟光はいとも賢く、食膳を捧げもち、相敬ふこと賓客にしぞ似たるなる。もし天朝が褒賞を加へずば、何を以てか斯人(たみくさ)を励ますべけん。この土地の府尹より昇進せしめ、さらに黄金百斤をしぞ賜はらん。その妻の父はよく令徳を成し遂げしむれば、これもまた耆旧の臣と称するに堪ふ。ならびに史冊に名を題せしめん。一家のものよ、宮城に向かひつつ、聖恩に謝せよかし。

(衆が拝謝する)

(正旦が唱う)

【鴛鴦煞】わざわざ黄麻[121](みことのり)をば降されて君のご恩を()けたれば、はろばろと紅塵の道を践まれし天臣[122]に謝す。一介の書生ははやくも、極品の随朝[123]となる。まことに頓首恐惶し、天を仰ぎて表を拝せん[124]。犬馬の微労をもつてしたれば、いづれの日にか報ゆるを得ん[125]。ひとまず愉快に自由にし、二人の夫妻はともに老ゆべし。

 

最終更新日:20101110

中国文学

トップページ

 



[1] まばらなさま。

[2] 原文「一氣吃瓶泥頭酒」。「泥頭酒」は泥で蓋をした酒甕に入った酒。

[3] 肉鮓は、宋代の食品で、『呉氏中饋録』に詳しい製法を載せる。

[4] 老相公(ラオシャンコン)(老旦那さま)」というべきところをこう言っている。「醤棚」は未詳。字義からして味噌を置く棚か。「相公」を「醤棚」と発音しているところにおかしみがあるのであろう。

[5] 原文「打三鍾」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[6] 風雷は猛烈な変化をいう。ここでは書生から官になること。

[7] 蟾宮は月宮。「〜の枝を折る」とは月宮の桂樹を折ることで、科挙に合格することの喩え。

[8] 女子の居室をいうが、ここでは実際に針仕事をする部屋のようである。

[9] ここでは晩春の意。

[10] 原文「可是怎麼説那」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[11] 原文「懶設設梳雲掠月」。『漢語大詞典』は「設設」につき『牡丹亭』診祟の例を引き、「痴迷状」とする。「梳雲掠月」、「雲」は「雲鬢」のことであろうが、「月」は未詳。脈望館抄本はこの箇所を「梳雲掠鬢」に作る。いずれにしても髪を梳いたり撫でつけたりして身繕いするという方向で間違いあるまい。

[12] まったく未詳だが、かぶりものといった方向であろう。

[13] この句、まえの【油葫蘆】の歌を受けている。

[14] 原文「他有文章怕沒文章福」。「文章」は教養のこと。あの人は教養があるから、それによる幸いを得られないはずがあろうかということ。

[15] 『孔子家語』致思「薫蕕不同器而蔵」。

[16] 原文「你可枉著了也」。未詳だが、わざわざ三人も客を呼んだわりにはむなしい結果になってしまったということであろう。

[17] 『漢語大詞典』は「攔門鍾」の項で、「攔門」のときに飲む酒とする。「攔門」に関して、『漢語大詞典』は『東京夢華録』娶婦を引くが、それによれば、結婚式の際、従者、下男が金品などをねだることのようである。ただ、張小員外、馬舎人は従者や下男ではないので、『東京夢華録』にいう攔門」とは関係がないのではないか。一方、葉大兵主編『中国風俗辞典』百四十八頁には「攔門酒」という項目があり、これによれば、漢族の風習で、結婚の賓客を送る際に、酒を飲ませることという。むしろこちらの方が『挙案斉眉』にいう「攔門鍾」に近いのではないか。

[18] 主語は自分たち。

[19] 兵士や人民。

[20] 教養のこと。

[21] 『詩経』『書経』、それに代表される、儒教の経典。ただ、ここではそれを学ぶ儒士のことであろう。

[22] 「梁鴻が年をとっているのに出世していないからといって馬鹿にするべきではない」という趣旨。

[23] 頭巾の一種。周汛『中国衣冠服飾大辞典』百八頁参照。

[24] まったく未詳。縧は絹製の、ふさ飾りのついた腰帯。

[25] 原文「這馬舍的官是他荷包兒裏盛著的」。未詳だが、荷包兒は携帯品を入れる巾着状のもの。「荷包兒裏盛著」はすぐさま手に入る状態にあることを喩えたもので、「瓮中捉鱉」と同じ意味であろう。

[26] 原文「兀的是豹子峨冠士大夫、何必更稱譽」。「豹子」に関して『元曲釈詞』八十四頁は「伏豹」の誤りとする。とりあえずこれに従う。

[27] 温端政主編『中国俗語大辞典』四百四十七頁は『西廂記』『来世債』の用例を挙げ、「有道コ修養的人總是把矛盾、問題解決在開端」と説くが、ここではしっくりしない。ここでは「君子は初心を貫く」くらいの意味で使っているのではないか。そう解す。

[28] 梁鴻をさす。

[29] 白玉の一種。明宋応星『天工開物』珠玉「朝鮮西北大尉山、有千年璞、中蔵羊脂玉、与葱嶺美者無殊異」。

[30] 『晋書』王羲之伝斎中、而有人入其室、盗物都尽。献之徐曰、偸児、青氈我家旧物、可特置之。群偸驚走。」

[31] 黄ばんだ粗末な漬け物。

[32] 白玉の一種。明宋応星『天工開物』珠玉「朝鮮西北大尉山、有千年璞、中蔵羊脂玉、与葱嶺美者無殊異」。

[33] 原文「你壞風俗」。未詳だが、羊脂玉、照夜珠などを結婚相手に要求するのは風俗に反するといっているのであろう。

[34] 原文「你斷別人家不是處」。未詳。他人のように悪いことをするのはやめるようにと言っているものと解す。このあとの三句は、他人の悪行の具体的内容をさしているものと解す。

[35] 原文「下財錢要等足」。「財錢」は「財礼」のことであろう。結納金。「等足」は未詳だが「等」は秤ではかることであろう。

[36] 原文「少分文不放出」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[37] 原文「敢如何違法度」。未詳。自分のやり方を変えようとしないという趣旨に解す。

[38] 原文「他家寒冷落無他物」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[39] 原文「投至的攢下些須」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[40] 原文「那秀才少不的搜索盡者也之乎」。「搜索」は探求するといった方向であろう。「者也之乎」は典籍などでよく使用される虚詞。転じて典籍をいう。

[41]「姻縁簿」という言葉は、『秋胡戯妻』第三折『竹塢聴琴』第三折などに見えるが、ここでは「婚姻」といったくらいの意味であろう。

[42] 原文「我又不曾臨卬縣駕車」。王学奇主編『元曲選校注』は、司馬相如が卓文君と私奔するとき、みずから車を駆ったという、明・朱権『卓文君私奔相如』の情節を紹介し、卓文君のことを指すという。これに従う。

[43] 梁鴻を司馬相如に喩えた句。『成都記』「司馬相如初西去過昇仙橋、題柱曰、不乗後車駟馬、不過此橋」。

[44]秦穆公の娘弄玉のこと。簫を吹き、鳳凰がやってくると、夫の蕭史とともにそれに乗り、昇天した話が、『列仙伝』に見える。

[45] 原文「人都道孟コ耀有議論」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[46] 原文「他不曾來謝肯」。「謝肯」につき、『漢語大詞典』はこの箇所を引き、「謝允」の意なりとする。それでよい。「謝允」は婚約をした際、男の家から女の家へ結納品を送ること。明顧起元『客座贅語』礼制参照。『元曲選校注』「謝肯」につき、肯酒を断る意なりとするが、根拠を示さず。謬見なりというべし。

[47] 原文「依著我寧可亂鋪著雲鬢為貧婦」。「鋪」が未詳。とりあえず、こう訳す。

[48] 結婚をいう。『詩経』邶風谷風に典故のある言葉。

[49] 「百年之好」「百年好事」に同じ。結婚をいう。

[50] 原文「我當初將你來盡」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[51] 婦人の封号。『漢語大詞典』によれば、宋元時代は、執政以上の官員の妻に与えられた封号という。

[52]曹植『洛神賦』「凌波微歩、羅襪生塵」に典故のある句。

[53] 梅香をさす。

[54] 原文「我怎肯將顏色嫁他人」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[55] 鮮やかな紅。

[56] 脂粉。

[57] 原文「又道是女孩兒背槽抛糞」。「背槽抛糞」は驢馬が飼葉桶に糞をするということで、忘恩負義の喩え。

[58] 原文「有一日筆掃千軍」。「筆掃千軍」は典故がありそうだが未詳。ただ、筆力が非常に強いということであろう。

[59] 儒士。ここでは梁鴻のこと。

[60] 齏塩」という言葉は未詳だが、元曲中に屡見する「黄」と同義であると解す。「黄」は黄ばんだ漬け物で、粗末な食事の代名詞。「齏塩」という言葉自体、元曲中に用例多く。『秋胡戯妻』第一折『凍蘇秦』などに見える。

[61] 勅書をいう。

[62] 宮中を喩えていよう。

[63] 原文「奩房」。未詳だが、結納の金品であろう。許宝華等主編『漢語方言大詞典』二千五百五頁「奩房」条に「陪嫁的家具」。

[64] 原文「好男不吃婚時飯、好女不穿嫁時衣」。甲斐性のある男女は、父母の財産にたよらないものだという諺。

[65]『世説新語』夙恵「晉明帝數歳、坐元帝膝上。有人從長安來、元帝問洛下消息、潸然流涕。明帝問何以致泣。具以東渡意告之。因問明帝、汝意謂長安何如日遠。答曰、日遠。不聞人從日邊來、居然可知。元帝異之。」。

[66]賢者の仕官の道。

[67]本来、大尉、司徒、司空のことだが。ここでは漠然と高官のこと。

[68] 中央官庁。

[69] 『漢語大詞典』、この箇所を引き、勝利を告げる旗なりとする。具体的には科挙の合格を告げる旗であろう。

[70] 原文「我本生長在仕女圖中」。「仕女圖」は美人画。『元曲選校注』は「圖」は「圏」に改めるべきとするがその要なし。『漢語大詞典』はこの例を引き、「舊時比喩大家閨秀安閑舒適的生活環境」とするが、これは行き過ぎではないか。この句は「自分はもともと下女たちに囲まれて生い立ち」という趣旨であり、「仕女圖」の「圖」には、ほとんど実際の意味はないのであろう。

[71] 文武のこと。

[72] 酒糟や糠などの貧しい食事。

[73] 原文「住的是灰不答的茅團」。「茅團」は未詳。ただ、「團」は「團標」ではないか。「團標」は丸屋のこと。

[74] 原文「吃了幾根兒哽支殺黄齏」。「哽支殺」が未詳。ただ、字義からして訳文の意であろう。許宝華等主編『漢語方言大詞典』四千七百八十六頁に「哽煞了」という項目があり、「噎住了」の意。『元曲選校注』「哽支殺」に関し、「形容菜未用鹽淹透,伸展、直挺的樣子」とするが、根拠は未詳。「黄齏」は黄ばんだ粗末な漬物。

[75]潘岳『寡婦賦』「少喪父母、適人而所天又殞」注引『喪服傳』「父者子之天、夫者婦之天。」

[76] 喪服。

[77] 原文「只等待桃花浪暖蟄龍飛、平地一聲雷」。「蟄龍」は潜んでいる龍。出世する前の優れた人物の喩え。「平地一聲雷」は現在でも用いられる、急に出世することの喩え。

[78] 原文「碓場」。碓」が置いてある場所ということであろう。「碓」は米舂き用の器械。図:『三才図会』。

[79] 原文「兄弟換做歪廝纏、則我叫做胡廝鬧」。「歪廝纏」「胡廝鬧」ともにかれら二人につけられた綽名であろう。「歪廝纏」は「みだりに纏いつく」、「胡廝鬧」は「みだりに騒ぐ」の意。

[80]原文「陪著笑賣査梨」。『元曲釈詞』賣査梨によれば、「査梨」は梨に似て渋い果物という。「陪著笑賣査梨」はここでは笑みを浮かべながら陰険なことをすること、具体的には馬舎人たちが孟光に米を搗かせにやってきたことの喩えであろう。

[81] 原文「直將你一倍加攪十倍」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[82] 科挙の合格掲示板。

[83] 「あなたが期待通りの人物であったことをはじめて確信することができる」ということ。「儒冠」は読書人、ここでは梁鴻をさす。

[84] 『後漢書』梁鴻傳「因東出關、過京師、作五噫之歌曰、陟彼北芒兮、噫。顧覽帝京兮、噫。宮室崔嵬兮、噫。人之劬勞兮、噫。遼遼未央兮、噫。」

[85]原文「誰知滌器人、即是題橋客」。「滌器人」「題橋客」ともに司馬相如のこと。『漢書』司馬相如伝「相如身自著犢鼻褌、與庸保雜作、滌器於市中。」。『成都記』「司馬相如初西去過昇仙橋、題柱曰、不乗後車駟馬、不過此橋」。

[86] 金製の魚の形をした装飾品。高位高官の持ち物。

[87] 教養のこと。

[88] 車蓋が高く、立って乗れる車。

[89] 蛍の飛び交う窓。苦学する書生の学窓。

[90] 学識、教養。

[91] 虎榜。科挙の合格掲示板。

[92] 勅書をいう。五色の金花綾紙でできているのでこういう。

[93] の図

[94] 「金花誥」という言葉が『竹塢聴琴』第四折などに出てくる。これと同じいであろう。「金花誥」は『漢語大詞典』によれば金花綾羅紙に書かれた詔書。「紫誥」も詔書のこと。紫泥で封をしたためかくいう。

[95] 綃のこと。はうすぎぬをいう。

[96] 錦の一種。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』五百八頁参照。ここでは孟光の美しい顔のたとえであろう。

[97] 主語は【沈醉東風】で歌われている珠翠」「鮫鮹」であろう。

[98] 象牙の笏と烏紗帽。烏紗帽の図:『三才図会』

[99] 二月二日を龍抬頭節という。これと引っ掛けた駄洒落。葉大兵主編『中国風俗辞典』五頁参照。

[100] 元代、徭役などを免除された知識人をいう。『元史』に用例が多数見える。

[101] 原文「今日你接我、可是我接你」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[102] 『漢語大詞典』は毛竹の板とする。毛竹は孟宗竹。

[103] 原文「一気一碗」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[104]馬良甫をさす。

[105]「丹桂」はキンモクセイ。ここではもちろん月中の桂樹のことで、これを折るとは、科挙に合格することの喩え。

[106]原文「不似花木瓜外看好」。花木瓜は木瓜のこと。『本草綱目』木瓜「木瓜処処有之、而宣城者為佳…故有宣城花木瓜之称」。角川書店『中国語大辞典』は「花木瓜空好看」の項で、「ボケの花は花を見るだけで、実が食べられないので、ただきれいなだけ、転じて、見るだけで食べられない、みかけ倒し」と説明する。

[107]「扣」は叩くという意味。「扣庁」は刑罰を施す広間であろう。

[108] 原文「玉玲瓏」。玉瓏璁の誤りか。「金鳳翹」と対になっているのだから、その方が良い。玉瓏璁は夫人の頭飾り。周汛『中国衣冠服飾大辞典』四百六頁参照。

[109] 「鳳翹」は鳳凰の形をした簪釵。

[110] 含意は、あなたが援助してくれなかったら、主人は出世することはできなかったということであろう。

[111] 原文「穩重」。未詳。「穩重」は気をつける、慎重にするなどの意。ここでは、婆やが、自分を上座に据えるような軽率なことはなさらないで下さいましと、卑下して言っているのであろう。

[112]『論語』雍也「子曰、賢哉回也。 食、一飲、在陋巷」。粗末な食事のこと。「住まへるは」と言ったあと、「草舍、茅庵、蓬戸、柴門、陋巷」とともに「箪瓢」を並べるのはやや不釣り合いだが、「陋巷」からの連想による措辞であろう。

[113] 岳父。ここでは孟従叔のこと。

[114]晏平仲は晏嬰のこと。越石父の罪を、自分の馬で贖ったという話が、『史記』管嬰列伝に見える。この句、ここでは梁鴻を援助した孟従叔を晏平仲に喩えたもの。

[115] 原文「難道他掩耳偸鈴、則待要見世生苗」。「掩耳偸鈴」はみずからを瞞くことをいう常套句。「見世生苗」は『漢語大詞典』の語釈では、いますぐ利益を得ようとすることとあるが、ここでは文脈に合わない。この二句、梁鴻が、自分に直接恩恵を施した婆やが恩人であると信じ込み、婆やの背後で孟従叔が援助をしていた事実をかたくなに認めようとしないことをいっているのであろう。

[116] 『論語』公冶長「子曰、伯夷、叔齊不念舊惡,怨是用希。」。

[117]「劬労」は『詩経』邶風凱風「有子七人、母子劬労」に典故のある言葉で、子を養う苦労をいう。

[118] 梁鴻をさしている。はじめは二人称で呼びかけていたが、三人称に変わっている。この時点では父母に向かって話し掛けているので、人称が変化しているのであろう。

[119] 原文「因為你梁鴻甘貧守志」。「你」は衍字であろう。「守志」は挙業を廃しないことであろう。

[120] 懇切なさま。

[121] 黄麻紙のこと。唐代、詔書に用いた。

[122] 天朝の臣。ここでは使者を指す。

[123] 未詳だが、朝廷に出仕する臣下のことであろう。

[124] 「拝表」は上奏文を奉ること。

[125] 自分たちの微力では、いつまでたっても君恩に報いきれないことを述べた句。

 

 

inserted by FC2 system