第十三齣 発配

【水底魚児】(外が登場)五馬[1]は州に臨み、賢き太守なることをみづから誇れり。郡人はみな言へり、龔黄[2]も敵し難しと。訴訟(いさかひ)はなく、詩酒を楽しむ。清昼に簾を垂れて、唐民は自由を得たり[3]

【前腔】(旦)怨みを抱き、怨みを含む。訴状をば、投ぜんとして馬前に来れり。鞭鐙を停め[4]、わたしの訴ふることを聴きたまへかし。

(外)役所に着いた。

(旦)役所の上下のものたちは、みな隠蔽し、吏人(したやく)は悪事をなせば、案前へ得行かざるべし。

(外)地方よ。女を連れてともにこさせよ。

(丑が総甲[5]に扮して登場する仕草。衆)門を開けろ。

(外)総甲を呼べ。(丑が見える仕草)わたしはすでにおまえに命じて通りを静粛にさせ、関わりのない人が喚くを許さないようにさせたが、女が訴え事にございますと叫ぶのをどうして許した。

(丑)知事さま。わたくしは人を追いはらい静粛にさせましたのに、どこから出てきたのでございましょう。

(外)このように憎らしいとは。しっかりと打ってくれ。

(丑を打つ仕草。外)女を連れてこい。

(旦が見える仕草。外)女よ。訴訟を受理する期日があるのに、なぜ街で叫ぶ。

(旦)知事さま。冤罪でございます。知事さまが救済してくださることをお願いします。(外)訴状を持ってまいれ。(衆が動作する。外)女よ。おまえはどこの県の人だ。どのような冤罪がある。訴状に照らして正直に言え。(旦)

【鎖南枝】封丘県の民家なり。

(外)おまえの亭主は何という名か。

(旦)周羽の嫁が訴状を投ぜり。

(外)おまえの亭主は黄徳にどんな怨みがある。

(旦)黄徳と平素何らの諍ひもなし。

(外)この屍骸はどこからきた[6]

(旦)誰が屍骸を棄てたかは存じませぬ。

(外)棄てた後どうなった。

(旦)お上に誣告し夫が(いら)へすることを許したまはず。

(外)屍骸でおまえの亭主を陥れたのなら、役所はどのように尋ねた。

(旦)役人は審理せずみなかれに味方して、殺人の罪案を定めにき。

(外)人命事件は重大なのに、おまえの亭主はなぜすぐに認めたのだ。

(旦)拷問せられ、偽りの自供をしたりき。

(外)白状したのに、さらに何を訴えにきた。

(旦)剛刀は鋭かれども、無罪の人を斬ることはなし。冤罪は甘んじ難し。

(外)このことはすでに県がきちんと尋問した。尋問が不当であったはずがあるまい。

(旦)下々の苦しみは、上達し難し。日月の明るきも、伏せたる盆の下を照らせず。

(外)日月は明るいが、どうして伏せた盆の下を照らせよう。その時おまえの亭主は家にいたか家にいなかったか。(旦)

【玉交枝】おりしも天は寒くして雪の降りたり。わたしの夫は遠きに出て家に来りき。

(外)いつ戻ってきた。

(旦)帰りきたれば、路は暗く燈火はなかりき。

(外)燈火がないなら、どうして人が家の入り口にいることが分かった。

(旦)その時は躓き、転び、一物が倒れて道を塞げることに気付きたり。謫仙が酔ひて芳草坡[7]()ぬるかと思ひたり。

その時、夫はわたしを呼び、燈で照らさせましたが、

そもこれは霸王が烏江の渡しで自刎したるなり[8]

(外)屍骸だったのなら、その後どうした。

(旦)いそいで担ぎすぐに散ぜり。

(外)屍骸を移動したのだな。

(旦)ところがかれは鹿を指し馬としました。

(外)鹿を指し馬としたのは、趙高の故事だ。まさか役所が誤っておまえを捕らえたわけでもあるまい。(旦)

【沈酔東風】誰か思はんお上にみだりに捕らへられんとは。ことの真偽はまつたく分からず。

(外)目撃者はいるか。

(旦)人を殺せしことについては、目撃をせし者は一人もをらず。わたしの亭主は、飢ゑ凍え、日もすがら辛き目に遭ひたりき。

(外)目撃者もなく、凶器もないなら、どうして死罪に問えようか。

(旦)迫られて、やむを得ずでたらめの自供をなしたり。

(外)死罪とは大変なことなのに、どうしてすぐに白状した。

(旦)乱暴を加へられ、千万の拷問に耐へられざりき。簷下にて、頭を垂れざることを得ざりき[9]

(外)この訴状はみな嘘だろう。(旦)

【玉胞肚】訴状には偽りはなし。

(外)偽りならどうする。

(旦)偽りならば、いかで府庁へ至るべき。

(外)この女はなかなか口が達者だわい。

(旦)これこそは苦しき真情。達者な口は役には立たず。

聞きでしょう。賎人寇薪[10]。飛霜は燕地を撃ちました[11]。庶女が天に告げますと、振風(はやて)は斉台を襲いました[12]

東海に孝婦が出づれば、三年の旱魃となり天より雨の落つるなし[13]。いかでかは誤りの判断をせし蒲丞相となりぬべき[14]

(外)この訴状はわたしのところでは受理しない。

(旦)訴状を受理していただけないとのことですが、

いかでかは亭主を曹伯明[15]にして、不当にも天涯で死せしめん。

(外)仕方ない。わたしはおまえの供述を受理しよう。ひとまずおもてで待機せよ。

(旦が出る仕草。外)皁隸を封丘県に行かせ、周羽らを連れてこさせよ。もとの書類を求めてきて審理を受けさせよう[16]

(衆が返事して退場。浄が主簿に扮して登場)民快(とりて)に周羽を連れてこさせろ。

(衆が生を護送して登場)

【玩仙燈】周羽(わたくし)の名を呼ぶを聴く。天が憐れみたまひたるらん。

(浄)周羽。知事さまが着任されて、おまえの一件をお尋ねになる。知事さまに目通りしにゆけ。余計なことを言うな。

(生)はい。お役人さまが便宜を図ってくださることを望みます。

(浄)よかろう。おまえのために便宜を図ることにしよう。(門で報せる仕草)封丘県の役人が入ります。(浄が見える仕草)封丘県の主簿が知事さまに拝礼いたします。

(外)挨拶はよい。ひとまず尋ねる。周羽たちを護送してきたか。

(浄)すでに護送され、おもてでお裁きを待っております。

(外)周羽のことは尋ねたか。

(浄)知県さまが朝覲なさっているとき、主簿(わたし)は職務を代行しておりましたから、尋ねました。

(外)どのように尋ねた。

(浄)主簿(わたし)はかくかくしかじかとかれに尋ね、かれはかくかくしかじかと答えました。

(外)他人を殺した凶器はあったか。

(浄)かれには弟はいませぬ[17]

(外)そうではない。刀はあったか。

(浄)(ずる)くもございませぬ[18]

(外)おまえはどこの人間だ。

(浄)福建でございます。福州虎門前、大老府でございます[19]

(外)この主簿は本当に愚かだわい。ひとまず出てゆき、周羽たちを連れて入ってこい。

(浄が生に対する仕草)周羽よ来い。わたしは再三おまえに代わって申しあげたぞ。知事さまに目通りしにいったら、余計なことを言わず、不運を認めろ。

(生)別の事なら不運を認めましょうが、この人命事件では、わたくしはどうして不運を認めましょう。

(浄)こ、こ、この狗畜生め。これ以上話をしたら、敲き殺すぞ。(退場。門で報せる)犯人が入ってきました。

(見える仕草。外)周羽。

(生)はい。

(外)郭氏。

(旦)はい。

(外)黄文。

(衆)病気でございます[20]

(外)そのほかは誰か。

(衆)護送の民快(とりて)でございます。

(外)ともにおもてで待機しろ。

(衆が退場。外)周羽。おまえが人を殺した事は真実だし、罪は妥当だ。すでに白状したのに、なぜまたおまえの女房を訴えにこさせた。

(生)知事さま、冤罪でございます。

(外)とりあえず正直に供述しろ。(生)

【五供養】家は貧しき儒者にして、食糧を絶たれしために道途(みち)を奔走したるなり。

(外)事件のあった時、おまえはいつ戻ってきた。

(生)帰りきたれば、日はすでに暮れたりき。

その時躓いて転び、

一物が道を塞ぎて倒れたることに気付きて、誰かが物を棄てたるものと思ひなしたり。骸が道に横たはれるとは思ひもよらぬことなりき。このことは誠実に訴へたるなり。審問し冤罪を覆したまふことを望まん。

(外)人を殺していないなら、県庁でどうしてすぐに罪を認めた。(生)

【月上海棠】冤罪に遭ひ、殺人罪を認めざることを得ざりき。くはふるに請託をする金はなく、口はあれども訴ふることは難かりき。知事さま。わたしは法を犯すを恐るる儒生なり。いかでかは人を殺むる周処[21]とならん。

(外)その時、目撃者はあったか。

(生)目撃者などはございませぬ。

(外)凶器はあるか。

(生)いかでかは刀を持ちて人を殺しし。

(外)ちょっと待て。周羽の供述は、女の供述と同じだ。それに証人もいないし、凶器もない。なぜ県庁はかれを死罪に問うたのだろう。本当に愚かだ。かれが人を殺そうとするなら、どうしてほかの場所で殺さず、自分の家の入り口で殺すのか。昔から「罪は軽く推定しろ。功は重く推定しろ。無辜を殺すよりは、寧ろ不経に失せよ[22]。」という。「五刑の疑はしきは赦せ。五罰の疑はしきは赦せ[23]。」ともいう。古人には憐憫の心があった。本官は許さないわけにはゆかぬ[24]。左右のものよ、枷を壊せ。

(生旦)知事さま駄目でございます。

(外)おまえの死罪を許すのだ。

(生旦)知事さまに感謝いたします。

(外)今回はおまえを軽く処罰しよう。おまえを広南雝州で人民とする[25]

(生旦)知事さま、すこし近くにしてくださいまし。

(外)死罪を許したのに、まだ路が遠いと言うか。護送人張文を呼んでまいれ。

(末が見える仕草。外)おまえは長解か短解か[26]

(末)わたくしは短解でございます。

(外)おまえを長解にしよう。

(末)わたくしは短解でございます。県庁には長解がおります。

(外)おまえが短解であることは知っているが、県へ行き長解を迎えていては、日数が掛かる。おまえゆかせよう。

(末)知事さま。わたくしは短解でございます。行けませぬ。

(外)何と憎らしいのだ。連れてゆき打て。

(末)行きましょう。ただ路は遠く、路銀がございません。

(外)仕方ない。県庁から十両の銀子を持ってきて路銀にしよう。

(末)知事さまに感謝いたします。

(外)女は屍骸を移動した罪があるが、夫が罪を受けたから、不問にしよう。保正を呼べ。

(丑が見える仕草。外)おまえは女を連れて出てゆき、十両の埋葬費を徴収し、遺族黄文に与えろ。受け取り状をもらってこいよ[27]

(生旦)わたくしは家が貧しく、一寸の草さえもございませぬ。知事さま、憐れと思われませ。

(外)追いだしてゆけ。

(外)かのものの命を許し他郷に流せり。(生旦)恩官のはからひをなしたまひしに感謝せん。

(衆)冤罪を郭氏が晴らすことなくば、周生が禍殃(わざはひ)を脱することはかなふまじ。

(外が退場。生旦末丑が弔場する。末)わたしは死んでしまうだろう。このような不運があるとは。もともと短解だったのに、長解に換えられた。まっすぐ広南雝州に護送してゆかねばならない。遠い路ですぐに着くことはできない。

(生)おにいさん。憐れと思しめされまし。夫妻が別れるのですから、一時(いっとき)だけでも、幾つか話をすることをお許しください。これもまたおにいさんの恩徳でございます。

(末)結構な面の皮だな。もうすぐ出発するというのに、なおも話をしようとするか。まことに勝手な性格だ。

(丑)おにいさん。かれら夫妻が分かれることを憐れんで、一声言い含めさせてやりましょう。

(生)どうしようもございませぬ[28]。わたくしの手枷を緩めてください。

(末)手枷も緩めろというか。

(丑)よいではございませんか。

(末が手枷を緩める仕草。丑)かれらが話している間に、わたしはあなたとあの店へ白酒を飲みにゆこう。

(丑が末を引いて退場。生)わが妻よ。今日はおまえと生き別れだ。

(旦)亭主どの。行くのならかならず行かねばなりませぬ。留まろうとしても留まることはできませぬ。わたしは七ヶ月の身重で、男か女かは分かりませぬ。生まれれば、きっと父なし子となりましょう。

(生)妻よ。わたしは死ぬべきものだから、これからはおまえのことを世話できない。(旦)

【小桃紅】あなたと甘苦をともにして、飢ゑと寒さを受け尽くしたり。誰か思はん災難に遭はんとは。旅路を行かば、誰か憐れむことあらん。くはふるに山川を渉るとき、枷鎖を帯び、風霜に耐へたまふべし。この苦しみはわたくしも見るに由なし。わたくしの孤独にかれはなすすべなかるべし。

(合唱)一朝にして恩情は断たれたり。また会ふはいづれの年ぞ。ただ望むらくは来世にて未了の縁を結ばんことぞ[29]

【前腔】(生)尩羸の身はすでに山川を跋渉す。思ふにわたしはかならず死すべし。わが骨を瘴江の(ほとり)に誰か収むべき。たとひ生還するを得んとも、路は遥けく、路銀はなければ、戻るは難きことならん。

女房よ。現世では二度と会えないことだろう。

死後魂魄がおまへに会ひにくるよりほかなし。

(前腔を合唱。末が登場)はやく行け。はやく行け。

【望歌児】(旦)艱難(あなくるし)わたしはかれについてゆかんとしたれども、役所に引かれたまひたり。わたしは必死で従はんとす。おのが身も身二つにならんとすることをいかんせん。子が生まるとも、とこしへに父親の顔を知るまじ。

(合唱)生きては(まみ)えてたがひに暖衣飽食するを得ず。死しては魂魄(たま)がたがひに慕ひあふを得ず。

【前腔】(生)言ひ難きことなれど、

女房よ。

再婚せんと思ふなら、わたしもおまへを拘束しはせじ。

(旦)亭主どの。何を仰る。

(生)おまえは今、七ヶ月の身重だ。女児を生んだら、過ぎたことを考えるな。男児を生んだら、瑞隆と名づけろ。わが妻よ。

(拝する仕草)かれを導き人と成らしめ、終世の怨みを説くべし。

(背を向ける仕草)わたし周羽はまことに愚かだ。旅に出れば、生死さえ知れない。遺腹の子供はなおさらだ。かれはほかの人を父上と呼び、その時は維翰(わたし)を忘れることだろう。

(倒れる仕草。旦)亭主どの、しっかりなさってください。(目醒める仕草。前腔を合唱。旦)

【黒麻令】おんみはわたしが再婚するを疑ひたまへり。

亭主どの。

この遺腹子がなからましかば、今すぐあなたの目前で死なまし。

亭主どの。あなたはわたしに再婚の心があるのを慮っていらっしゃいます。

わたしは飢寒に耐へられず、まもなく死して、子を教へ怨みに報いしむることを得じ。

(合唱)夫妻は涙は漣[30]として、千万の心配事あり。

(丑末が迫る仕草)いと苦しきは出発を促さるること。わたしも言葉を尽くさざること。

【前腔】(生)悩みていたく怨むべからず。ひたすらにこの遺腹子を守るべし。

女房よ。

寄る辺なしとも、ひたすらおまへの心の堅きことを望まん。子は孝にして妻は賢たることを得ば、わたし周羽は、死すとも九泉(よみぢ)で瞑目すべけん。(前腔を合唱)

【尾声】生離死別は嘆くに足らず。双方の愁へは千万。さらに逢へるは、いづれの年ぞ。

【哭相思】ただ願はくは夫妻の情の断たれざること。後の世で再会を図るべし。

(末が生を引き退場。旦丑が弔場する。)郭氏よ。知事さまはわたしに命じ、おまえから十両の埋葬費を徴収させることになった。はやく払って、役所に報告できるようにしてくれ。

(旦)保正どの。

【玉胞肚】わたしは荊釵裙布(まづしきをみな)なり[31]。飢寒に耐へて明日をも知れず。くはへて夫は遠く辺地に流されて、わづかな援助さへもなし。埋葬費用を徴収せんとしたまへどいかでかは対応すべけん。

わたしと夫はたとい死んでも、

誰かは夫と(つま)(はふ)らん。

【前腔】(丑)ごまかすなかれ。運拙ければ、このやうな目に逢へるなり。われらは迫りたるにはあらず。おまへはごまかすことを得じ。刀下に夫が亡ぶるを免れしめなば、幾錠か埋葬費用を納むることはいかほどの負担なるべき

(丑)かれに勧めん涙漣漣たることはなし。お上はかならず銀銭を求むるものぞ。
(旦)
保正さま二三日猶予したまへ、工面してお上に払はん。

 

最終更新日:2008年1月2日

尋親記

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[1]知事をいう。漢代、太守が五頭立ての馬車に乗ったからかくいう。

[2]漢代の循吏、龔遂と黄覇をいう。

[3] 原文「唐民得自由」。「唐民」が未詳。唐虞の民のことか。唐虞は尭舜のこと。尭舜の時代の人民のように自由であるという趣旨か。

[4] 原文「望停鞭凳」。「」は「鐙」の誤字であろう。「鞭鐙」はむちとあぶみ、馬のこと。

[5]百戸の長。

[6] 原文「這屍首在那裏來的」。「在」が未詳。とりあえずこう訳す。

[7] 原文「只道是謫仙醉眠芳草坡」。謫仙」はいうまでもなく李白のこと。芳草坡は香しい草の生えた丘。なお、李白の詩には「芳草坡」という言葉は見えない。

[8] 原文「卻原來是霸王自刎烏江渡」。霸王」はいうまでもなく項羽のこと。烏江は安徽省の地名。項羽が自刎した場所。この句、血まみれの屍骸を自刎した項羽に喩えたもの。

[9]原文「怎不低頭。在他簷下。」。簷下は役所の軒下のことであろう。第十齣【哭相思】にも「在他簷下過。怎敢不低頭。」の句あり。

[10] 原文同じ。まったく未詳。

[11]原文「飛霜激於燕地」。「飛霜撃於燕地」の誤り。燕の恵王が讒言を信じて鄒衍の忠誠を疑った時、鄒衍が天を仰いで哭し、天がそれを憐れんで盛夏に霜を降らせた故事にちなむ言葉。江淹「詣建平王上書」「昔者賤臣叩心、飛霜撃於燕地。(注)善曰、淮南子曰、鄒衍尽忠於燕恵王、恵王信讒而繋之、鄒子仰天而哭、正夏而天為之降霜」。ここでは、自分の夫が受けた罪が冤罪であることを訴えている。

[12]原文「庶女吿天。振風襲於齊唐」。庶女は斉の寡婦。姑によく仕えたが、姑の娘が、母を殺し、その罪を庶女にきせた。庶女は自分の無実を明かにすることができず、泣いて天に訴え、天がそれに感じて風を吹き起したという故事が、『淮南子』覧冥訓にみえる。振風は疾風のこと。『淮南子』覧冥訓「庶女叫天、雷電下撃景公台隕、支体傷折、海水大出。〔注〕庶賤之女、斉之寡婦、無子不嫁、事姑謹敬、姑無男有女、女利母財、令母嫁婦、婦益不肯、女殺母以誣寡婦、婦不能自明、寃結叫天、天為作雷電下撃。」。『蒙求』の標題にも、「庶女振風」がある。「振風襲於齊唐」、「唐」の字は「台」の字の誤りと思われる。江淹『詣建平王上書』に、「振風襲於斉台」の句が見える。「斉台」は上に引いた『淮南子』に見える景公台のこと。

[13] 原文「東海出孝婦。旱三年天無雨墮」。東海孝婦」は『捜神記』に見える話。嫁が姑に孝養を尽くしたが、姑は嫁に迷惑を掛けるのを苦にして自殺した。小姑は嫁が姑を殺したと訴え、嫁は処刑されたが、その後三年雨が降らなかったという内容。

[14] 原文「怎做得蒲丞相錯斷了賊波査」。蒲丞相」「錯斷了賊波査」が未詳。

[15] 『雨窓集』に「曹伯明錯勘贓記」がある。元の人曹伯明が、不倫をしている妻によって誣告されるが、最後には冤罪が雪がれるという内容。

[16] 原文「就弔原卷來聽審」。「弔」は求めるという意味。役所の用語。『客座贅語』辧訛「弔、問終也。而官府取文書曰弔巻、或曰弔銭糧。」「原卷」は未詳だが、裁判記録の原本であろう。

[17] 原文「〔外〕他殺人可有凶器。〔淨〕他沒有兄弟。」。「凶器(xiōngqì)」と「兄弟(xiōngdì)」は音が似る。

[18] 原文「〔外〕不是。可有刀麼。〔淨〕也不刁。」。「刀(dāo)」と「刁(diāo)」は音が似る。

[19] 原文「福州虎門前。一個大老府。」。未詳。

[20] 第九齣では黄文を丑が演じていたが、この齣では丑が総甲を演じているので、黄文を登場させることができない。

[21] 「周處」は晋の人。若いとき粗暴だったが、後に学問に励んだことで有名。「周處三害」は蒙求の標題。『晋書』巻五十八などに伝がある。

[22] 原文「與其殺不辜。寧失不矜。」。「矜」は「経」の誤字であろう。『書』大禹謨「與其殺不辜。寧失不経。」。無辜のものを殺すよりは、法を適用せず、疑わしい人を罰しない方がよいということ。

[23] 原文「五刑之疑有赦。五罰之疑有赦。」。『尚書』呂刑。疑わしきは罰せずということ。

[24] 原文「下官豈無出罪之條」。「出罪之條」がまったく未詳。とりあえず、こう訳す。

[25] 原文「問你在廣南雝州爲民」。「廣南雝州」が未詳。「廣南」は雲南省の府名にある。「雝州」は「雍州」に同じで陝西、甘粛、青海省一帯をいう。「廣南雝州」と並び称しているのがよく分からない。「とおいところ」ということなのか。

[26] 原文「你是長解短解」。「長解」は長距離の護送官、「短解」は短距離の護送官。

[27] 原文「補領状來」。未詳。とりあえずこう訳す。

[28] 原文「沒奈何。」。前後とのつながりが未詳。

[29] 原文「只指望結來生未了縁」。未了縁」はこの世で添い遂げられなかった夫婦の縁のことであろう。

[30] 涙が絶えず流れるさま。

[31] 原文「奴是荊釵裙布」。荊釵裙布」はいばらのかんざしと木綿のもすそ。それを着けた貧しい婦人。

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