第十齣 枉招

【紫蘇丸】(小生が登場)不才は絃歌の政に乏しきことを恥づ[1]。簾を垂らして平穏を得ざるを嘆けり[2]。河陽[3]の桃李万家の春となるを得ず、閭閻(むらざと)の小人たちの諍ひを招きたるなり。

両袖の天香は九重を下りたるなり[4]。牛刀はいささか試す宰華[5]の風。民草をみな安楽にせしめなば、にはかに覚えん仁風の百里にわたり同じきを。

本官は封丘の県宰。法に従い奉公し、犯罪あらば私心を抱かず[6]。左右のものよ、放告牌[7]を持って出てゆけ。(衆が訴訟を受理する仕草。丑が登場)訴え事にございます。訴え事にございます。

(小生)何を訴える。

(丑)人命事件を訴えます。

(小生)訴状を持ってまいれ。(渡されて見る仕草。小生)どうして人に殺された。

(丑が以前の通りに話す仕草。小生)左右のものよ。とりあえず黄文を収監し、裁きを待たせろ。はやく周羽と妻の郭氏を捕らえてこい。

(衆が返事して退場。生旦を縛って登場)

【武林花】吉凶はなほ明らかならず。みな囚はれて公庁へ到りたるなり。

(見える仕草。点呼する仕草。小生)周羽よ。おまえは(ふみ)を読む人だ。本分を守ってはどうか。黄徳にどんな怨みがあって、かれを殺した。正直に白状すれば、刑罰を受けるのを免れようぞ。

(生)城門が失火して、殃は池魚に及べり。楚国は猿を(うしな)ひて、禍は林木に(およ)びたり[8]周羽(わたし)は道を守る曽参でございます。人を殺める周処になろうとはいたしませぬ[9]。知事さまの筆先で許してくださりますようにお願いします。

(小生)こら。人命事件は打たねば白状せぬものだ。左右のものよ、二十回打ってくれ。(打つ仕草。小生)女を捕らえてこい。おまえの亭主はこちらで白状したぞ。刀はどこに蔵した。はやく取りにゆけ。

(旦)ございませぬ。知事さま。

(小生)拶子に掛けろ。(拶子に掛ける仕草。小生)周羽よ、はやく白状しろ。(生)

【梁州令】陋巷に箪瓢して[10]、貧に居り静を守れり[11]。半歩もみだりに行かんとはせず。くはへて普段儒を生業となしたれば、物を害して生を傷ふこともなかりき。

(小生)黄徳はおまえに人夫となるように命じた。そのために怨みを抱き、かれを殺したのであろう。

(生)徭役を命ずるは恒例のこと。父母を殺せし仇にもあらず。いかでかあへて人の命を傷はん。

(小生)今、現に証人がいる。

(生)かれの言葉はいかでかは証拠たるべき。みな謀議してなしたることぞ。

知事さま

ご注意めされませ。実情を調査せられんことを望まん。

(小生)白状せぬならさらに打て。

(生)その日、わたくしは家におらず、外出して戻ってきました。

(小生)おまえが戻ってきたのはいつだ。

(生)

【前腔】気候は寒く晩なりき。帰りきたればはや暝く、黒朣朣と門戸はすべて閉ざされたりき。

わたくしは家の入り口に行き、躓いて転び、

一物が路を塞ぐを覚ゆれば、脅えて戦戦兢兢たりき。

わたくしが手で触りますと、それは一人の男でした。

誰かが泥酔したるかと思ひなし、街頭にて凍死せんことを恐るれど、姓名は審らかならざりき。

わたくしは女房に灯りを点けてこさせ、かれを扶けて暖かい所へゆき、かれの命を救おうとしたのです。

灯りで照らせば[12]

(小生)思った通りだ。ほかの者なら、おまえも救おうとするであろうが、黄徳であったため、にわかに以前の怨みを思い、殺したのだろう。

(生)屍骸(しかばね)なりき。この供述は真実(まこと)なり。

(小生)誰が手を下して殺したのだ。

(生)誰が手を下したのかは、周羽(わたくし)も存じませぬ。

(小生)おまえの家は奥深い屋敷でもないのに、どうしておもてのことが分からぬ。それに屍骸がおまえの家の門前にあったのだから、悪事をしたのは明らかだ。まだ白状しないか。左右のものよ、拶子に掛けてくれ。(拶子に掛ける仕草。生)

【前腔】でたらめをしてはつきりと弁ずることなし。なにゆゑぞわたしに白状せしめんとせる。かばかりに虐げらるれば、口はあれども弁明し難し。わたしは打たれて死なんとし、さまざまな拷問に耐へられず。むざむざと白状するに甘んぜん[13]

(旦)亭主どの。寧ろ棍下に死せんとも、刀上に亡ぶべからず。

(生)残疾(かたわ)の鬼となるよりも、はやく白状した方がよい。

(旦)それならば、ほんとうにあなたが人を殺したことになってしまいます。

(生)曽参さへも人を殺ししことなしと言ふを得ず[14]。君子は刑を(おも)ふとははや言ひ難し[15]

(小生)このあばずれは本当に無礼だな。おまえの亭主は白状しようとしているのに、おまえが白状させようとせぬとはな。左右のものよ、さらに敲いてくれ。(敲く仕草。生)

【前腔】力を込めて黄荊[16]をもてしきりに打てり。是非を辯ずる高台明鏡にはあらず[17]。くはふるに拘留せられてこちらにあれば、いかで不平を訴へん。

(小生)まだ供述しようとしないな。

(生)わたくしは白状しようと思います。

死別生離は、あらかじめ定められけん。

(旦)どうして白状なさるのです。

(生)さらに耐ふべきにはあらず。黄徳殺しは、周羽(わたし)が正犯。

(小生)拷問やめ。紙と筆を取り、下がって供述書に書き判しろ[18]。(衆が動作する。生)

【尾声】本日は白状し罪科は軽きものにはあらず。仕置場で怨みをいかで晴らすべき。夫婦が会へば珠の涙は零れたり。

(小生)女は屍骸を移動した罪があるが、夫を罪することにしよう[19]。女を追いだせ。(生旦)

【哭相思】万苦千辛をことごとく受け尽くし、はからずもまた囚人となる。夫妻は裂かれ、留まることを許されず。かのものの簷の下に過るとき、いかでかあへて頭を垂れざる[20]

(旦が退場。小生)刑房の下役よ。はやく文書を上司へ届けよ。左右のものよ。枷と鎖を掛けるのだ。(衆が動作する。小生)

【四辺静】牛馬が不当に儒衣を着けたり[21]。人を殺むる心はいとも悪しきなり。人情に従ふなかれ。条例に従ひて拘束すべし。

(合唱)殺人の罪をはやくも認めたり。天恩を拝せずば、牢獄(ひとや)を離るることを得じ。

【前腔】(生)縲絏の罪に偏曲(かたておち)なし。誅戮を受くるを恨まず。身が喪び家が亡びば、宗支(ちすぢ)は誰か()ぐべけん。(前腔を合唱)

(小生)牢獄(ひとや)の警備に勤むべし。(生)無辜のわたしを囚人とせり。
(衆)
馬前にむなしく三千の兵はあれども、今日(こんにち)はじめて獄吏の尊きことを知りたり[22]

 

最終更新日:2008年1月2日

尋親記

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[1]原文「不才愧乏絃歌政」。絃歌政」は、礼楽をもって人民を治めること。『論語』陽貨「子之武城聞絃歌之声、夫子莞爾而笑曰、割鶏焉用牛刀。」疏「武城、魯邑名。時子游為武城宰、意欲以礼楽化導於民。故絃歌」。

[2]原文「嘆垂簾未能安靜」。善政を施すことができないのを悲しむ、の意。顧覬之が山陰の令となったとき、善政を施したため、訴訟がなく、役所は昼間から簾を垂らしていたという故事にちなむ言葉。『南史』顧覬之「覬之為山陰令…御繁以約、県用無事、昼日垂簾、門階閑寂。」。

[3]河南省の地名。晋代、潘岳がここの令となり、県中に桃李を植えたことで有名。

[4]原文「兩袖天香下九重」。天香は、宮中で焚く香のこと。九重は、朝廷のこと。この句、自分が中央より赴任してきたことをいうか。

[5]原文「牛刀小試宰華風」。「牛刀小試」は礼楽をもって小県を治めることをいっているものと思われる。「絃歌の政」の注を参照。「宰華風」は未詳。

[6]原文「有犯無私」。未詳。犯罪が起これば情実を加えることなく裁きをするという趣旨に解す。

[7][訴状を受け付けることを告知する札。

[8]原文「城門失火。殃及池魚。楚國亡猿。禍延林木。」。「城門失火。殃及池魚。」は、宋の国の城門が火事になり、消火のために池の水を汲んだため、魚が死んだという、『芸文類聚』巻九十六や『太平広記』巻四百六十六に見える故事に基づく句楚國亡猿。禍延林木。」は『淮南子』説山訓「楚王亡其猿、而林木為之殘。」に基づく句。なお『文苑英華』巻六百四十五『為東魏檄粱文』に「但恐楚國亡猨。禍延林木。城門失火。殃及池魚。」。

[9]原文「周羽是守道曾參。豈肯做殺人周處。」。「曾參」はいうまでもなく孔子の高弟。「守道曾參」という言葉は典拠があるかも知れないが未詳。「周處」は晋の人。若いとき粗暴だったが、後に学問に励んだことで有名。「周處三害」は蒙求の標題。『晋書』巻五十八などに伝がある。

[10]『論語』雍也「子曰、賢哉回也。一食、一飲、在陋巷。」。

[11]原文「居貧守靜」。守靜」は『老子』に出典のある言葉。

[12]原文「比及將燈照」。後ろの「屍骸(しかばね)なりき(原是個死屍形)。」に繋がる。

[13]原文「枉了甘執證」。未詳。とりあえずこう訳す。

[14]原文「難保曾參不殺人。」。『戦国策』秦二「昔者曾子處費、費人有與曾子同名族者而殺人、人告曾子母曰、曾參殺人。曾子之母曰、吾子不殺人。織自若。有頃焉、人又曰、曾參殺人。其母尚織自若也。頃之、一人又告之曰、曾參殺人。其母懼、投杼踰牆而走。夫以曾參之賢、與母之信也、而三人疑之、則慈母不能信也。」。

[15]原文「早難道君子的會懷刑」。『論語』里仁「子曰、君子懷コ、小人懷土、君子懷刑、小人懷惠。」。「懷刑」は刑を恐れて法を守ること。

[16]『夢渓補筆談』薬議「欒有二種…叢生、可為杖棰者、謂之牡欒、又名黄荊、即本草牡荊是也。」。

[17]原文「那里是辯是非高臺明鏡」。」は「辨」と通用する。。

[18]原文「取紙筆下去畫招。」。「下去」が未詳。拷問されていた場所から下げることか。

[19]原文「罪坐夫男。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[20]原文「在他簷下過。怎敢不低頭。」。役所では頭を低くせざるを得ないという趣旨に解す。

[21]原文「牛馬枉穿儒衣服。」。周羽のことを儒者の衣を纏った牛馬と悪く言ったもの。悪い心を持った知識人を「牛馬襟裾」という。

[22]原文「馬前空有三千卒。今日方知獄吏尊。」。『史記』周亜夫伝「吾嘗將百萬軍、然安知獄吏之貴乎。」。

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