第九齣 唆訟

【普賢歌】(浄が登場)張千は一たび去りて夜更けとなりぬ。などてか今朝は音信のなき。かれが心機を用ゐれば、事の成らざることはなからん。をかしや周家、周家には災禍が侵せり。

鸞鳳の青絲(あをいと)の網を作りて、鴛鴦の碧玉の籠を堅くす[1]

昨晩、張千宋清に黄徳を殺しにゆかせたが、なぜ今になっても報告がない。(末が登場)

【前腔】人を殺せばおもはず戦戦兢兢として、忙しく走り帰りて事情を話さん。周家には災禍が侵し、員外に吉事は臨めり。かならずや君をして、君をしてこの縁を成就せしめん。

(見える仕草。浄)張千よ、どうだった。

(末)員外さま、申しあげるのをお聴きください。見れば瀟瀟疎雨の夜、惨淡としてまさに黄昏。夜は更けて人は静かに、宝刀の光は照らす雪霜の痕。たちまち黄徳保正を殺し、屍骸を周家の裏門へ担ぎゆきたり。

わたくしはすぐに計略を用い、ひそかに身を隠しました。周羽はたちまちやってきて、躓き、転び、胆を潰して、女房に燈で照らさせました。見れば屍骸が道に倒れてまさに門を塞いでいました。脅えて夫妻は驚き、戦き、屍骸を移動し、雲のように逃げようとしましたが、張千(わたくし)がすぐに隣人を呼びました。今日、事は明るみになり、申し開きはできませぬ。わたくしは剣で不義の(おとこ)を誅することはできませんでしたが、員外さまも恩がある人にお金を贈るべきでございます。

(浄)褒美をやろう。宋清はどこへ行った。

(末)かれは黄徳の兄黄文に報せにゆきました。黄文はかならずや員外さまを訪ねてきましょう。員外さまは最初は相手にせぬ振りをして、ゆるゆると相手になされば宜しいでしょう。

(浄)分かった。(丑が登場)

【前腔】夜、弟はすでに死にたり。気が付けば四隣に報せにきたるなり。聞かすることが叶はずば、怨みはいかで晴らすべき。わざわざ張家、張家へ行きて事情を言はん。

老いぼれは黄文。黄徳はわたしの弟。以前、堤を築くため、周羽を人夫としたことがある。いささかのお金を騙しとったのだが、あのものは怨みを抱き、弟を昨晩殺した。聞けば張員外はもっぱら訴訟を幇助教唆しているとか[2]。わたしは今からかれを訪ねて味方してもらうとしよう。こちらはかれの家の入り口。どなたかいらっしゃいますか。

(末)黄文どの、どうしてこちらに来られました。

(丑)弟が周羽に殺されましたので、員外さまにわざわざお会いしにきたのです。

(末)員外さま。黄文が来ました。

(浄)かれに言え。員外さまは慈悲深い。苦しむなとな。

(末が丑に対する)員外さまは慈悲深い。お会いなさい。苦しまれますな。

(丑)わたしはこの苦しみをこちらに預け、入ってゆくことにしましょう。

(末)苦しみは預けることはできますまい[3]

(丑)苦しみの中の苦しみを記憶して、はじめて人の上の人となる[4]

(会って哭く仕草。浄)どうして来たのだ。

(丑)弟が周羽に殺されました。

(浄)なぜ殺された。

(丑)黄河が決潰したため、わたしの弟はかれを人夫にすることにし、かれから幾貫かのお金を得ました。かれは昨日言いにきました。わたしの名前はなかったのに、どうしてわたしの銀子を騙し取った。返すならよし、返さなければ一刀のもとにかれを殺すと。昨晩ほんとうに殺されようとは思いませんでした。今かれを訴えるため、員外さまに身を寄せてきたのです。わたくしにお味方ください。

(浄)おまえは間違っている。両脇はすべて隣人[5]。世話するわけにはゆかぬ。世話はせぬ。

(丑)員外さまがお世話してくださらないなら、わたしはこちらで死にましょう。

(浄)世話してやろう。

(丑が跪く。浄)立て。一枚の訴状を書いてやろう。訴えにゆけ。役所でのすべての費用はすべてわたしが世話してやろう。

(丑)員外さま。いっそわたしに代わって告訴してください。

(浄)わたしがおまえの誰だというのか。訴えにゆくわけにはゆかぬ。(丑が仕草をする。浄)おまえは年老いて頭が鈍くなったのだろう。わたしはおまえと(わたくし)の場で練習し、(おおやけ)の場で行動しよう。わたしが役人に、張千は皁隸になるから、おまえは入ってきて訴えろ。

(末が叫ぶ仕草。浄)何を訴える。

(丑)何を訴える。

(末)おまえが言うな。

(丑)言うなと仰るのであれば、唖になりましょう。

(浄)「怨恨による殺人事件でございます。弟黄徳は、生前、お上の権威を笠に着て周羽から銀錠を脅し取るべきではございませんでした[6]。周羽は今、事が収まったのを見ますと、もとの銀子を求めました。かれに返せないでいますと、昨夜わたしの弟を殺しましたので、わざわざくわしく告げにきたのでございます。」と言え。

(丑が浄に従って誦える仕草。浄)誰がおまえを告げにこさせた。

(丑)張員外が告げにこさせました。

(浄)わたしのことを言うな。

(丑)あなたのことを話さなければ、ご厚意を明らかにすることができませぬ。

(浄)あちらへ行ったら絶対にわたしのことを話してはならぬ。

(丑)かしこまりました。(浄)

【双鸂】今やわたしの心は喜ぶ。この人の命は周羽が奪ひたるなり。屍はかのものの家の入り口にあり。かのものは白状すること疑ひなし。おまへははやく訴状を整へ、お上へ行きて事情を説くべし。人命に関はれば逃るることは難からん。

(合唱)お上に訴へ検屍せしめば、周羽の故殺は事実なりとぞ思ふべき。

【前腔】(丑)わが弟も憐れなり。保正に充てられ方隅に住む[7]。周羽を人夫となさんとし、金銭を愛すればこの(げき)を生じたるなり。かのものは謀略を設けたるなり。人命を奪ひしは周家の罪なり。(前腔を合唱)

平人(つみなきひと)を殺害し禍ははやくも来れり。お上はかならず屍骸を調べん。
天上の無窮の計を施さんとも、今朝(こんてう)目下の(わざはひ)は免れ難し。

 

最終更新日:2008年1月3日

尋親記

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[1] 原文「做成鸞鳳絲網。牢卻鴛鴦碧玉籠」。未詳。とりあえずこう訳す。

[2] 原文「聞得張員外專一扛幫教唆」。未詳。とりあえずこう訳す。

[3]未詳。とりあえずこう訳す。

[4]原文「〔丑〕我把這苦寄在這裏。進去。〔末〕苦怎麼寄得。〔丑〕記得苦中苦。方爲人上人。」。「記得苦中苦。方爲人上人」は、普通は「吃得苦中苦。方爲人上人」とか「受得苦中苦。方爲人上人」とかいう。非常な苦しみを嘗めてはじめて人の上に立つ人になれるという趣旨の諺。なお「記」と「寄」は同音。黄文が「記得苦中苦」の「記(記憶する)」を「寄(預ける)」と勘違いしているところに面白味があるのであろう。

[5] 原文「兩邊都是隣里」。未詳。とりあえずこう訳す。諺のようにも見える。両隣の人に味方を頼めということか。

[6] 原文「不合生前指官勒詐周羽銀兩錠。」。「指官」が未詳。

[7]保正は一保の長。「保」は『尋親記』が時代設定している宋代では十戸のこと。

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