第七十九回

希陳が武陵源で誤認をすること

寄姐が葡萄棚で大騒ぎをすること

 

酔ふて帰れば夜は更けて

疲れし(まなこ)はよく見えず

緑の雲のやうな髷

すきをみてする接吻(くちづけ)

美しき花 我がものと

体を着けて手を伸ばす

ところが女は偽者で

百の口 ありとも言ひ訳できはせず  《武陵春》

 世の中の様々な食器、家畜、小さな草花、山、川のような場所は、人との間に必ず定められた縁をもっており、その縁は人の力でどうこうできるものではありません。例えば、宋朝の邵堯夫康節[1]先生は、易学にくわしく、噬竹で占いをしますと、何でも的中し、後でその通りになり、まるで目で見ているかのようでした。ある日、この康節先生が門の前でぼんやりしておりますと、ちょうど甥の宋承庠が通り掛かり、揖をしました。康節が彼を家に座らせようとしますと、

宋承庠「横丁の骨董屋で、匕首が売られています。値段は銀子三銭です。すぐに買いにいきたいので、座っているわけには参りません」

康節はしばらく唸っていましたが、こう言いました。

「その匕首は買わなくてもいい。おまえにとっていいことはない。そんなものを買ってどうするのだ」

宋承庠は彼のおじの話を聞かず、三銭の銀子で買ってきて、康節に見せました。花梨の木の鞘に、白銅の象眼で、実に細かい細工がしてありました。

宋承庠「買うなとおっしゃいますが、きっと占いをされたのでしょう。話しをしてくだされば、用心をすることができます」

康節「匕首は小さな物だが、運命はすでに定まっている。用心しても無駄だ。ここに書きつけをおいておくから、匕首に何かが起こったら、取り出して見てみよ」

宋承庠はしばらく無駄話をして、去っていきました。暫くしますと、宋承庠はやってきて、邵康節にいいました。

「先日買った匕首は、急に行方知れずになりました。多分縁がなかったのでしょう」

康節が小者に命じて、書物を入れる笈箱の中から文を取り出させますと、そこにはこう書かれていました。

某年某月、宋某は三銭の銀、幾つかの品物と引き替えに、匕首を一振り買う。某月某日某時にこれで左手の爪を切っているとき、中指を切って血を流す。某年月日に水中丞が蠅の糞を削るために使い、中丞が地面に落として砕けてしまう。某年月日、『檀弓』を破ってしまい、本の修繕をしなければならなくなる。某月某日某時に、歯垢を削っていて、下唇を切る。某年月日、人に盗まれて周六秀才に、銅銭二百文で売られ、子孫を幸福にする。

 さて、楊司徒は仕事を命じられて家に戻るとき、二人の回教徒に会いました。回教徒は百十匹の太った牛を北京の湯鍋里に送るところでした。牛の群れの中に、歯が生え揃ったばかりの牛がおり、楊司徒の轎の前に走ってきて、跪くと動かなくなりました。楊司徒は轎を止めますと、二人の回教徒を呼び、事情を尋ねました。

「この牛は歯がまだ小さいし、元気もあるのに、どうして売って、殺してしまうのだ」

回教徒「この牛は、今年、阜城の金持ちの家の雌牛が生んだものですが、農作業をまったく行わず、人に逆らいますので、六両八銭の銀子で、屠殺屋に売ってしまうのです」

楊司徒「わしの轎の前にきて跪いたということは、明らかにわしに救われることを望んでいるのだ。あなたに八両の銀子をあげよう。わしの荘園で飼うことにするから」

回教徒も気前良く承知しました。楊司徒は牛を付き添いの者に引き渡しました。そして、晩には牧草を買って食べさせ、昼間は牛を引いていきました。家に着きますと、荘園の番をしている下男に預け、世話をさせました。下男は田を耕し、種を植えさせようとしましたが、牛は性格が少しも変わらず、餌を与えますと、ほかの牛を左右に遠ざけ、餌を独り占めしてしまうのでした。一うねの土地を耕させたり、一升の種を蒔いたり、脱穀を行わせたり、空の車を引かせたりしようとしても、半歩も動こうとしませんでした。ぶたれて怒りますと、突っ掛かってきて、しばしば人を傷付けました。荘園の番人は、楊司徒に報告をしました。

 ある日、楊司徒は、別の用事で荘園に行ったとき、この牛のことをふと思いだし、人に命じて目の前に引いてこさせました。

楊司徒「おまえという奴は、何と憎たらしいのだ。回教徒はおまえを屠殺場に売ろうとしていたが、おまえがわしの轎の前にきて命乞いをしたから、金を多めに払っておまえを買ってやったのだ。おまえはわしに八両の銀子を使わせた上、ただでたくさんの草を食べ、少しも仕事をしようとしない。おまえを養うわけにはいかん」

人を呼びました。

「引いていって、こいつに仕事をさせてくれ。これ以上悪いことをしたら、最初は二百回鞭で打ち、それでも改めなかったら、三百回の鞭打ちだ。それでも改まらなければ、五百回鞭で打つことにしよう。五百回鞭で売っても改まらなければ、皮を剥いで殺して食べてしまおう」

命令をしますと、この牛はおとなしく去っていきました。ある日、脱穀をしているとき、彼に軸を着けますと、牛は以前のように蹴ったり飛び跳ねたりはせず、ほかの牛と並んで進みました。作男は楊司徒に知らせに行きました。司徒は嘆いて言いました。

「畜生でさえも人の忠告を聞き、彼らの良心を動かすことができる。善悪を弁えず、良心を失った人間は、畜生にも劣るものだ」

牛はそれからというもの、田を耕すとき、彼はすぐに軛を受けました。車を引くときは、彼は轅に身を寄せました。脱穀場では、彼は軛を着け、たっぷり十年仕事をし、一生を終えました。司徒父子は人に命じ、牛を葦のむしろにくるんで埋めました。

 さて、天下の名山名水は、あなたと縁があれば、数千百里離れたところにあろうと、すぐに辿り着くことができるものです。あなたは人々と連れ立って、それらを見にいくことができます。しかし、あなたと縁がなければ、あなたが彼の目の前を歩いても、風雨であったり、夜であったり、あなたの心が焦っていたり、体が病気であったりするものです。あれこれ手を打っても、まるで鬼神が邪魔をしているかのように、辿り着くことはできないものです。ですから、「飲み物も食べ物も、あらかじめ定められていないものはない」[2]というのです。

 このようなつまらぬものでさえも縁でむすばれているものです。いわんや、万物の霊長たる人間においてをやです。人間同士は、縁がなければ、一刻も一緒になることはできないものです。たまたま出会うことがあっても、仲間にならない者たちは、いうまでもなく、まったく縁がないのです。たとえ縁があっても、縁が尽きれば、以前の誼は水に流され、恨みに変わってしまうのです。弥子瑕と衛の霊公の二人は、君臣の間柄でありながら、愛情は夫婦に勝りました。弥子瑕が食べ残しの桃を、衛の霊公に食べさせますと、衛の霊公は、弥子瑕が失礼なことをしたとはいいませんでした。そして、彼は主君を愛していたのだ、桃がおいしかったので、一人だけで食べようとせず、残しておいて君主に食べさせたのだと言いました。国の法律では、朝廷で使う車に、身分を越えて乗れば、どんな人であろうと、両足を切られることになっていました。ある晩、弥子瑕は朝廷に泊まっていたところ、真夜中に母親が急病であることを知らされ、自分の車がなかったので、霊公の車に乗って家に行きました。法官は霊公に上奏し、弥子瑕が主君の車に乗ったから、足切りの刑に処せられるべきだといいました。

霊公「彼は、母親が病気だったので、家に帰って見舞いをしたくてたまらず、法を犯して身に危険が及ぶことすら顧みなかったのだ。彼は真の孝子だから、法律を適用してはならん」

ところが、後に弥子瑕が成長し、髭がはえてきますと、縁は尽きてしまい、霊公は彼を見ると針の筵に座っているような気分になりました。霊公は彼を殺したくてたまらず、残り物の桃を君主に捧げたり、朝廷の車に乗ったのはけしからんといって追及しました。このように、君臣、父子、兄弟、夫妻、朋友、下男、下女は、すべて縁で結び付いているものなのです。

 さて、童家の寄姐は、幼いときから狄希陳と一緒で、仲良くしていました。後に、彼らは夫婦となり、愛し合いましたから、仲が良かったということができるでしょう。寄姐は北京の女の中では、それほど凶暴な方ではありませんでした。ところが、どういう訳か、寄姐は小間使いの小珍珠に会いますと、まるで先祖代々の恨みがあるかのような態度をとりました。さいわいなことに、それほどぶったり罵ったりはしませんでしたが、衣食に関しては、決して面倒をみず、臭い糞の様に扱いました。童奶奶は、娘がこの小間使いを気に入っていないのを見ますと、付和雷同して面倒を見ませんでした。さらに、この小間使いが澄んだ大きな瞳をし、色白で整った顔をしているのを見ますと、狄希陳が目を掛けるのを心配し、汚い言葉を吐いて彼の娘とともに嫉妬しました。調羮は善人ではありましたが、小間使いを目の中の釘のように考えている主人に対しては、「言葉を加えても金を加えず」[3]、何の役にも立ちませんでした。狄希陳はとても彼女を可愛がり、小珍珠が食事、衣服を十分に与えられず、飢えと寒さと心配で病気になることを恐れました。しかし、彼は外にいることが多かったため、細かい世話をすることができませんでした。それに、寄姐が疑って怒りの矛先を自分に向けることを恐れていましたので、こっそり付き添って慰めることしかできませんでした。そして、寄姐の前では、小珍珠に食物、衣服がないことを、口にすることもできませんでした。寄姐と狄希陳は、とても仲が良かったのですが、この小間使いの件で、狄希陳は、心がしばしば憂鬱になりました。そして、何度も彼女を救おうとしましたが、寄姐にむかっ腹を立てられることを恐れ、仕方なく我慢をしていました。寄姐もこの小間使いのことで、いつも心が穏やかでなく、口を開けば棘のあることを言い、狄希陳がかげで彼女と関係を持っている、淫婦がどうの、妓夫がこうのといって罵りました。また、臭い妓夫と言ったり、汚らわしい淫婦と言ったりしました。

 北京の近辺は、南方の倍は寒いものです。十月の終わり頃でも、ほかの場所の数九の頃のように寒かったため、老いも若きも、木綿の袷やズボンを穿き、火鉢や炕のあるところにいました。ところが、小珍珠だけは袷すらもたず、二着の新しくも古くもない木綿の衫、一着の破けかかった単衣のズボンしか着けていませんでした。さいわい彼女は弱い女ではありませんでしたので、ぶるぶると凍えながら我慢していました。狄希陳は見ていられなくなり、童奶奶に言いました。

「とても寒いのに、小珍珠は木綿の衣装をもっていません」

童奶奶「私もみていられないのだよ。寒そうにしているね。寄姐に何度か話しをしたのだが、相手にしようとしなかったのだよ」

 話をしていますと、ちょうど寄姐が目の前に歩いてきました。

童奶奶「木綿の衣裳を、あの娘に着せておやり。さっき狄さんがそう言っていたよ」

寄姐「みんなで、私が袷を着るのが勿体ないと言うのですね。私がこの袷を脱げば、何も言うことはないでしょう」

部屋に入り、自分の鸚哥緑の潞紬の綿の袷、深緑の綸子のチョッキ、紫綾の木綿のズボンを、すべて脱ぎ、狄希陳の前に行きますと、言いました。

「これは私のものです。脱ぎましたので、あの人に着せてください」

狄希陳はびっくりして顔が土気色になってしまいました。さいわい、童奶奶が言いました。

「木綿の服をあの娘にやろうがやるまいがおまえの勝手だ。おまえがどうしようと誰も構わないよ。それなのに、こんなことをするなんて」

寄姐「どうということはありません。本当に寒くないのです。今、家には本当に何もありません。木綿布の切れ端[4]も一斤の綿花もありません。木綿布や綿花があっても、すぐには服を作ることはできません。私が脱いであの人に着せてあげなければ、主人の愛している人が凍えてしまいます。私は服を着ていても心が落着きません。賭けましょうか。私が木綿の服をもっていなければ、あの人は前はあったと嘘をつくでしょうよ」

狄希陳「そんなに人を罵っては駄目だ。僕たちの小間使いはもちろん、僕たちと関係のない人だって、彼女が十一月だというのに二つの単衣の衫しか着ていないのを見れば、可愛そうだと思うだろう。僕とあの人に何かいかがわしい関係があるというのか。口を開けば人を攻撃ばかりして」

寄姐「あの女が木綿の服を持っていないとおっしゃるのでしたら、私はすぐに綿のズボンと綿の袷を脱ぎ、両手であなたの目の前にもっていきますから、あの人に着せてやってください。そうすれば宜しいのでしょう」

小珍珠に向かって跪き、慌てて叩頭をすると、言いました。

「珍姐ねえさま。珍姐お嬢さま。珍姐奥さま。私めは身の程を弁えず、珍姐奥さまのために木綿の袷やズボンを作らず、自分が先に作ってしまいました。私が間違っていました。珍姐奥さま。狄旦那さま。どうか哀れと思し召して私を許され、泥棒のように責めるのはやめてください。あなたがたのお家には、綺麗で、きちんとした、すっきりした眉に大きな目、高い鼻をした奥さまや、絵にも描けぬようなお妾さまがいらっしゃいます。糞を集める犬のように、私などを呼ばれてどうなさるお積もりですか。すぐに離婚してください。年が若いうちならば、私を貰ってくれる人もいるでしょうからね。あなたは前世、今生の奥さまと楽しくお暮らしください」

童奶奶は怒鳴りつけて

「つまらないことばかりいって。夫婦で喧嘩するんじゃないよ。ほかにも古い腹掛けを持っているのだから、とりあえずあの人に着せておやり。それから、木綿布を買ってきて、あの娘に新しい服を作ってあげればいい」

寄姐「私はあの人がひとの古い腹掛けを着けるのも、新しく作った服を着るのも承知しません。あの人には私の木綿のズボンと袷しか着せないでください。私に服を着せるのなら、あの人に着せる必要はありません。あの人に着せるのなら、わたしに着せる必要はありません。新しく服を作ることはありません。冬ですが、一糸纏わぬ姿で十分です。二つの木綿の衫があって凍え死なないのですから、あなたがつまらないことで心配される必要はありません」

 二人は片方が喋れば、片方が喋りして、大喧嘩をしました。以前もしばしば啀み合いましたが、これほど激しくはありませんでした。それからというもの、寄姐は心が変わり、愛情がなくなり、小珍珠を探しては、狄希陳と同じように罵ろうとしました。昼間に腹を立てるときは、狄希陳にはまだ逃げ場がありました。しかし、一緒に眠ったときに、大騒ぎをされますと、狄希陳には逃げ場がなく、寄姐に引っ掻かれて血を流すのでした。

 十月が過ぎ、冬至になりましたが、小珍珠は、今まで通り、二着の木綿の衫、単衣のズボンで、寒さを避けて台所にいました。すると、寄姐がまたも口を極めて罵りました。狄希陳は小珍珠の寒そうなようすを見ますと、もともとかわいそうに思っていましたし、さらにとても愛らしく思っていましたので、心臓を刀で切られるかのような気分でした。そこで、一計を案じて、小選子を遣わし、こっそり小珍珠の母親を呼んできました。狄希陳は彼女に話しをしました。

 さて、小珍珠の父親は、姓を韓、名を蘆といい、東城の兵馬司のp隷でした。母親は戴氏といい、女の髪梳きで、夏姫[5]のような顔、衛霊公夫人[6]のような行いをしていました。韓蘆は、兵馬司の罰金の銀子を使い込み、厳しい追及を受けたため、娘を売って罪をあがなうことになりました。小選子は戴氏を訪ね、狄希陳に会わせ、話しをさせました。狄希陳は彼女に言いました。

「娘さんはどういう訳か、女主人とうまくいきません。ぶたれてはいませんが、寒くなったというのに、まだ木綿のズボンと袷を与えられていません。私が少し文句を言うと、妻は私に腹を立てました。私に呼ばれたと言ってはいけません。自分で来たとだけいい、娘さんが木綿の服を持っていないのを見たら、ちょっと説教をしてください。銀子をあげますから、綿の服を作っておやりなさい。自分で作ったのだと言ってください」

 戴氏は承知しました。狄希陳は彼女に二両の銀子を与え、わざとほかのところに隠れ、家を留守にしました。戴氏は、盒子に入れたサトイモ、クワイを買い、寄姐、童奶奶、調羮などの人々に会いにきました。小珍珠は厨房から出てきましたが、首を縮め、肩を怒らせ、ぎゅっと腕を組んでおり、顔は凍えて紫色になり、目から涙を流していました。

戴氏「どうして、そんな格好をしているんだい。どうして木綿の袷とズボンを着ないんだい」

小珍珠は何も言いませんでした。

童奶奶「このところひどく忙しいのです。木綿と木綿布を買ったのですが、服を作る時間がなく、自分で服を作ることができないのです」

戴氏「木綿と木綿布があるのなら、作るのは簡単です。家に持っていき、娘のために服を作ってもってきましょう」

寄姐「嘘だよ。木綿もないし、木綿布もないよ。その娘のために木綿のズボンと袷をやる積もりはないからね。私はその娘を凍えさせて、喜んでいるんだよ」

戴氏「何ですって。私たちの家は貧しかったので、子供が飢えたり凍えたりする心配がありました。一つには母親が銀子を得るため、二つには娘が腹一杯食べ、暖かく過ごせるようにするためにこの娘を売ったのです。数九の時期だというに、単衣の衫、破けた単衣のズボンを着けたままでは、お金持ちの家に身を寄せている意味がありません。娘がどんな悪いことをしたのですか。折檻は結構ですが、子供が凍えて病気になったら−私はこの子を売り渡したわけですが−奥さま、あなたはご自分が払われたお金が惜しくないのですか」

寄姐「おっしゃる通りです。私は金など惜しくありません。けれど、あなたは売り渡した娘さんが惜しいのでしょう」

寄姐はそう言いながら、悠然と部屋に入っていきました。

 童奶奶は、酒とご飯を用意し、戴氏に食べさせました。

戴氏「子供が刑罰を受けているのを見ているようで、食べることはできません。お酒とご飯は頂きません。すぐに家に行って父親に会い、別の場所で袷を買ってきて、この娘に着せ、我慢させることにしましょう」

童奶奶は、彼女の空の盒子に、白い古米、いっぱいの漬物を入れ、六十文の成化銭を与えようとしました。しかし、戴氏は少しも受けとろうとせず、空の盒子を持ち、顔を曇らせ、口を尖らせながら去っていってしまいました。

 戴氏は家に着きますと、銀子を韓蘆に渡し、古着屋に行き、四銭五分の銀子で明青の木綿の袷、三銭二分の銀で、綽藍[7]の木綿布の袷のズボン、四銭八分の銀で三斤の綿花、四銭五分の銀子で一匹の油緑の土布、四銭八分の銀子で一匹の平機[8]の白い木綿布を買い、腹掛けを一つ、チョッキを一つ作り、袷の上着とズボンを新たにばらして洗い、綿を入れ、風呂敷で包み、自らそれを持って、狄希陳の宿屋に行き、小珍珠に着せました。

 童奶奶と調羮はその服を見ましたが、銀二両余りの品物で、貧しいp隷の家で作れるものではありませんでしたので、狄希陳が作らせたものだということが分かりました。これで寄姐をだますことができれば、しめたものでした。しかし、寄姐は狐の精で、何もかもお見通しでしたから、人に騙されることはありませんでした。彼女は冷笑すると、言いました。

「何て裕福な人でしょうね。いとも簡単にこのような衣装をもってくるなんて。たくさんの衣装をもってこれる人が、娘を売るとはおかしなことですね。信じられませんよ。子供だって騙すことができないような嘘で、大人の私をだまそうとするとはね。嘘をつかないでください」

戴氏は首を伸ばし、顔中真っ赤になって言いました。

「ろくでもないことをおっしゃって。人の子供を買って、数九の時期だというのに綿の服を着せないものだから、私は見ていられなくなって、あの子のために一生懸命衣装を作ってやったのですよ。それなのに、恥ずかし気もなく、あれこれおっしゃるとは。私はあの娘を捨てたのですから、あの娘を生かすも殺すもあなた次第です。あなたがあの娘を生かせば、私は何も言うことはありません。しかし、もしもいびり殺したら、察院に訴えますからね。朝廷には太鼓が掛かっているでしょう[9]。私はもちろん文句を言ってやりますよ。私が子供を売ったというのに、私に衣装を買わせるとはね。これらの衣装には、全部で二両四五銭の銀子を使いましたから、もちろん金額通り返さなければなりませんよ。返してくれなければ、私たちは通りにいって人に話しをしますよ」

寄姐は、人から責め立てられて黙っているような女ではありませんでした。二人は、一方が喋れば一方が喋るという具合に、お互い張り合いました。童奶奶は脅したり宥めたりして、戴氏を去らせると、言いました。

「私の家の小間使いなのですから、あなたに衣装を買っていただくわけにはまいりません。狄さまが帰ってきたら、銀子を金額通り返させましょう」

戴氏も騙された振りをして去っていきました。

 狄希陳が午後に家に戻りますと、寄姐は彼を罵り、頭突きを食らわせて、言いました。

「あんたが母さんのために龍の袍や鳳の袷を作ろうとしたときも、私は邪魔をしなかったのに、どうしてこっそり衣装を作り、淫婦の母親を連れてきて、私を罵らせたんだい。悪党、妓夫のあんたが淫婦と関係をもっていることは知っているよ。私を激怒させようとするなんて。このろくでなし。目にできものができればいいんだ。私のことを考えないとはね。私は熱い火箸で、あの売女の例のところを突き刺し、麻の糸で縫い合わせてやる。浮気男のあんたを、夢も希望もないような目にあわせてやる」

狄希陳のことをあれやこれやと、糞味噌に罵り、珍珠の木綿の袷の衣裳を剥ぎとろうとしました。調羮は彼女を恐れていましたので、言葉を発しようとしませんでした。童奶奶は言いました。

「やめておくれ。若くて善悪を弁えていないのだね。この北京城内で、理由もなく小間使いをいびり殺したら、ただでは済まされないよ。おまえはあの女の母親がp隷頭の女房であることを知らないのかい」

寄姐「大丈夫ですよ。売女をぶち殺したら、私は死んで償いをしますから、あなたがたに迷惑は掛かりませんよ」

童奶奶「迷惑は掛からないというが、おまえが死んで償いをしたら、狄さんには妻がいなくなり、私には娘がいなくなるのだから、私たちと関係がないはずがないだろう」

寄姐「やめてください。減らず口を叩かないでください。この世の中で、婿の肩をもって争う姑など見たことがありませんよ」

童奶奶は罵りました。

「変なことを言わないでおくれ。見ていられなくなったんだよ。善意で話をしたのに、おまえに減らず口を叩かれるなんて。おまえを娘とは考えないことにするよ。明日になってから、大きな口を開けて、お母さんと叫ばないようにおしよ。都の怖さを知らないのだね」

調羮が何度も宥めますと、彼らは口喧嘩をやめました。

 それからというもの、寄姐は、小珍珠とますます敵対するようになりました。そして、理由もなく何度も罵り、満足な食事も与えず、狄希陳が彼女と関係を持つことを警戒しました。狄希陳は、色っぽくて綺麗な小珍珠を見ますと、無双小姐が王仙客に話しをしたときのように、「どんなに苛められても、美しさは消えきっていな」かったので[10]、密通したくてたまらなくなりました。しかし、寄姐が用心をし、喧嘩をする機会を窺っていましたので、このような心を抱いても、「大きな象が瓜子を齧る−目はいっぱいでも腹の中は飢えている」だけで、手の下しようがありませんでした。彼は実際に関係を持ったわけではありませんでしたので、体を指差して誓いを立てることもできましたが、寄姐は信じようとしませんでした。

 三月十六日、相棟宇の誕生日に、狄希陳は宴席に赴きました。寄姐は早く帰ってくることはできないだろうと思いました。起更をすぎ、人々が寝てしまいますと、寄姐は、小珍珠のような髷を結い、耳飾りを垂らし、毛青の木綿の衫に着替えました。狄希陳が外で門を叩きますと、寄姐は厨房の敷居のところに行き、月を背にし、頭を垂れ、敷居に座り、居眠りをするふりをしました。やがて、狄希陳が目の前に歩いてきました。彼は、青い木綿の衫を着、髷を結っているのを見ますと、珍珠だと思い、そっとしゃがみ、接吻し、尋ねました。

「女房は寝たかい」

寄姐はふんと叫ぶと、言いました。

「ぐちゃぐちゃにしてやる。目くらの馬鹿野郎。もうごまかすことはできないよ。毎日嘘の誓いを立て、さらに誓いを立てるつもりかえ」

狄希陳の道袍の袖を引っ張りながら、狄希陳の顔に往復びんたを食らわせました。狄希陳は穴があったら入りたい気持ちになりました。

 寄姐が殴ったり、罵ったりしはじめましたので、童奶奶、小調羮はびっくりしました。彼らは服を羽織り、起きてくると寄姐を宥めました。寄姐は事情を話しながら責め立てました。童奶奶は笑いました。

「おまえはまったくずる賢いね。狄さんの話を聞いただけでは、何事もないように思えるよ。真夜中に、この人をぶってどうするんだい」

何度も引っ張りますと、寄姐はようやく手を離し、ぶつのをやめました。狄希陳が部屋に入りますと、寄姐は、狄希陳の背中や胸を引っ掻いたり、太腿の内側を抓ったり、腕を針で刺したり、乳を噛んだり、あらゆる虐待を、一晩中加えました。そして、小珍珠を奥の空き部屋に閉じ込め、毎日彼女に二碗の粥しか与えず、大小便は部屋の中でさせました。狄希陳は、ひどい目に遭い、三分は人、七分は幽霊という有様になりました。寄姐は、自分がつけている寿の字のかんざしを印鑑にし、墨をすり、狄希陳の陽物の先に押しつけました。毎日、朝に印を押し、晩に寝るときに、念入りに検査をし、擦れていなければ、何ごともありませんでしたが、擦れていれば、必ず拷問が加えられました。寄姐の性格は、だんだんと素姐のようになりました。狄希陳は、素姐と一緒にいた時よりもひどい目に遭いました。

 調羮はかわいそうに思い、童奶奶に言いました。

「希陳さんは、故郷では、たくさんの田地を持ち、米や麦は倉庫に満ち、家は広く、大きく、下男、下女を使われていました。そのような暮らし、財産を捨て、故郷を離れ、ここにやってきて住んだのは、家での苦しみに耐えきれず、うちの寄姐と、自由な生活をしようとしたからです。しかし、今では、家にいたときと同じように、朝晩、ぶたれ、罵られ、十二時間のうち一時間も、自由な時間がありません。男というものは、こちらが愛していても逃げる恐れがあるものです。これ以上希陳さんをぶてば、希陳さんは逃げていってしまうでしょうよ」

童奶奶は、調羮の言うことが正しいと思い、こっそり娘を宥めますと、寄姐は返事をしました。

「あんな浮気な男は、いない方がましです。私は花のように美しいのですから、私を欲しがる男がいないはずはありませんよ。あいつを故郷に帰らせましょう」

果たして、狄希陳に昼夜付き纏いました。狄希陳は痩せ衰えていき、頬はこけ、口は尖り、みるみる人間らしさがなくなってしまいました。

 ところが、狄希陳は五行に救われました。寄姐は月経が二か月とまり、頭はくらくら、胸はどきどき、口はからから、舌はざらざらになりました。彼女は目がだるくなり、心は疲れ、手足は萎えてしまいました。そして、明るい所を恐れ、暗い所を喜び、眠るのを好みました。動くのを嫌がり、干し飯、漬物のスープ、水煮肉、炒め鶏、白い麺餅、棗、栗、胡桃、うまい酒を欲しがり、粟の粥、野菜、黒い麺餅、安物の茶、ご飯を嫌い、さらに甘酸っぱい果物を食べようとしました。狄希陳は、刑部街に探しにいき、蜜梅[11]を買って与えました。人々が四川の蜜喞[12]、福建の蝌蚪湯、平陰[13]の全蝎[14]、湖広の蘄蛇[15]、霍山[16]の竹狸[17]、蘇州の河豚[18]、大同の黄鼠[19]、固始[20]の鵝鳥、莱陽[21]の鶏、天津の蟹[22]、高郵の鴨の卵[23]、雲南の象の鼻、交趾[24]の獅子の足、宝鶏県[25]の鳳凰の肉、登州[26]の孩児魚[27]が名物だというのを聞くと、何でも食べたがりました。狄希陳はこれらの物を探しにいき、髪はざんばらになり、身を寄せるべき家もなく、見付かったときはよいのですが、見付からなければひどい目に遭いました。寄姐は相変わらずよく小言を言いましたが、狄希陳を苛める手を緩めました。

 童奶奶と調羮は、寄姐が病気になり、部屋を出ることがでなくなりましたので、彼女に内緒で、小珍珠を部屋からだし、今まで通りご飯を食べさせ、服を着せ、童奶奶の部屋で眠らせました。小珍珠は感激しましたし、狄希陳もとても感謝しました。ところが、時間は瞬く間に経過し、寄姐の病気はほどなく良くなってしまいました。小珍珠はそれからどうなりましたか。次回の続きをお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]北宋の学者邵雍のこと。字は堯夫、諡は康節。『宋史』巻四百二十七に伝がある。

[2]原文「一飲一食、莫非前定」。『讕言長語』「人之一飲一食、莫非前定」。

[3]原文「添的言添不的銭」。「(童寄姐は)忠告はするが(小珍珠の)力にはなってやれない」の意。

[4]原文「有指布呀」。「指」は指ほどの幅のある物を数える量詞。

[5]夏徴舒の母。夏姫。第三十六回の注参照。

[6]南子のこと。第三十六回の注参照。

[7]深藍と浅藍の中間色という。

[8]手織布をいう。

[9]登聞鼓のこと。紫禁城午門外に置かれ、冤罪を訴える者が鳴らした。『明史』刑法志二「登聞鼓、洪武元年置於午門外、一御史日監之、非大冤及機密重情不得撃、撃即引奏」。

[10]無双小姐は、劉無双。王仙客は彼女のいいなづけ。ともに唐代伝奇『無双伝』の登場人物。二人は戦乱で離ればなれになるが、最後はめでたく結ばれるという物語。『無双伝』は明代に、陸采によって『明珠記』として戯曲化された。

[11]梅の蜜漬けと思われるが未詳。

[12]蜜を飲ませた鼠の子を生食する料理。『朝野僉載』「獠民為蜜喞、鼠胎未瞬、飼之以蜜飣之、筵上囁囁而行、箸挟咬之、其声喞喞」。

[13]山東省兗州府の県名。

[14]蠍のうち、全身を薬用とするもの。『本草綱目』「入薬有全用者、謂之全蠍、有用尾者、謂之蠍梢」。

[15]白花蛇ともいう。湖広蘄州に産する蛇で、瘋疾を治すという。清陳鼎『蛇譜』白花蛇「頂有方勝、尾有指甲、長尺許、能治風疾、産蘄州為道地良材、河南南陽者次之」。民国十年『湖州府志』巻二十四「物産」「白花蛇。『明一統志』蘄州出、能愈大風」。(図:「本草綱目」

[16]霍山という山は、河南省臨汝県、山西省霍県、安徽省霍山県、湖北省竹山県、広東省龍川県などに有るが、竹狸が何をさすか分からないため、どこの霍山か確定することができない。未詳。

[17]未詳。竹[鼠留]の誤りか?竹[鼠留]は竹[犬屯]ともいい、竹の根を食べる鼠の一種。兔ほどの大きさがあり、鴨に似て大変美味という。『本草綱目』「竹[鼠留」、食竹根之鼠也。出南方、居土穴中、大如兔。人多食之。味如鴨肉」。また、『太平御覧』巻九百十三引『山海経』に「霍山有獣如狸、白尾有鬣、名朏、畜之忘憂」とあり、あるいはこれのことか。

[18] 『同治蘇州府志』巻二十・物産「河豚魚。春初従海中来、呉人甚珍之。其[月率]尤腴美、俗名西施乳」。

[19]内蒙古及びその周辺に産する鼠の一種。学名Citellusdauricus。豚に似た味で、大変美味という。『本草綱目』「黄鼠出太原、大同、延綏及沙漠諸地皆有之、遼人尤為珍奇、状類大鼠、黄色…味極肥美、如豚子而脆」。図:「本草綱目」

[20]河南省汝寧府の県名。

[21]山東省登州府の県名。

[22]同治十年『畿輔通志』巻七十四・輿地二十九・物産二・蟹「滄州土貢。糖蟹」。

[23]高郵は江蘇省の州名。ただし、ここの名物である鴨の卵がどのようなものであるかは未詳。

[24]現在のベトナムをいう。

[25]陝西省鳳翔府の県名。

[26]山東省の州名。

[27] 『本草綱目』[魚帝]魚によれば、別名を[魚帝]魚、人魚ともいう。サンショウウオの一種。子供のような声で鳴くという。「孩児魚有二種、生江湖中、形色皆如鮎鮠。腹下翅形似足、其顋頬軋軋音如児啼、則[魚帝」魚也。一種生渓澗中、形声皆同、但能上樹、乃鯢魚也」。

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