第四回
孔、譚両家が縁結びをすること
周、陳両教諭が賢良を表彰すること
さて、碧草軒では、一人の厳しい先生と、三人の賢い学生が、毎日本を読む声が断えませんでした。譚孝移はいつも勉強部屋を覗きにゆきました。そして、婁潜斎と将棋をさしたり、のどかに詩の鬮韻[1]をしたりしました。
ある日、潜斎が言いました。
「数か月間、孔耘軒さんと会っていませんが、あの人はきっと会いたがっていることでしょうね」
孝移
「私も最近あの人のことが気になっていました」
「天気がいいですから、一緒に訪ねてみませんか。車に乗ってゆくこともないでしょう。裏道をゆっくりと回ってゆきましょう」
「それはいいですね」
二人は、小者も従えず、一緒に出発しました。そして、くねくねと道をまがり、文昌巷につきました。
孔家の表門は、半分開いていましたが、二番目の門は閉まっていました。彼らは、一つには旧くからの友人でしたので、二つには客間に女の家族が住んでいるとは思いませんでしたので、門を開けました。すると、三人の女達が、機織り機の周りで、糸繰り車を回したり、梭を通したりしていました。下女と飯炊き女は、客が来たのを見ますと、キャアキャアと言いながら逃げ去りました。しかし、十歳ばかりの娘は、糸を置きますと、ゆっくりと歩いて立ち去りました。譚、婁の二人はすぐに後戻りし、女がいなくなったのを見ますと、客間にゆき、腰を掛けました。そして、大声で、
「耘軒さんはいらっしゃいますか」
すると、ついたての陰から男が一人出てきて、二人を見ますと、
「お迎えも致しませんで、失礼いたしました」
といい、挨拶をして、席を勧めました。男は腰を掛けますと
「兄は今日は家におりません。南馬道の張類村さんのところに呼ばれたのです。『文昌陰隲文注釈』が刷り上がりましたので、今日、精算をし、刻書と装丁の費用を払うとのことです」
潜斎
「お兄さまにはしばらくお会いしておりませんでしたのに、あいにくなことです」
孝移
「明日、暇があったら、私たちのところへ来るように、おっしゃっていただけませんか」
潜斎は、庭にある機織り機を指差しながら、
「お宅はお金持ちなのに、機織りなどなさっているのですか」
孔纉経
「兄が十一歳になる姪のために、家の中の古い機織り機を修理し、機織りを教えているのです。広いおもての中庭に機織り機を運び、糸のつぎ方を習わせておりましたが、客人のお目に入るとは思いませんでした。お恥ずかしいことです」
孝移
「ご立派なことです。昨今は家で仕事をする家はなくなり、女たちは怠け者になりました。人の家が栄えるのも滅びるのも、男が原因である場合は少なく、女が原因である場合が多いのです。たとえば、ある家が没落する場合、男がふらふらしているのはみんなの目に入りますが、女が怠けているのは誰の目にも入りません。それに、女が怠けたり、家を駄目にしたりするということは、文章にも書かれていません。あなたのお兄さまがこのように深い考えをおもちなのは、世を救うための学問をなさっているからですよ」
潜斎は溜息をついて、
「城外に、今では名前をいうのも憚られる親戚がいるのです。彼らは兄弟三人で、一人は生員、二人は農民で、先祖の残したたくさんの財産をもっていました。三人の兄弟は少しも無駄金を使いませんでしたが、その後だんだんと財産を失ってゆきました。世間の人々は、彼らの運が悪いのだといいましたが、隣近所の人々は女達がでたらめだからだということを知っていました。このことからも、あなたのお兄さまがよくものを考えておられることが分かります」
茶を飲み終えますと、二人は帰ろうとしましたが、孔纉経は、彼らを帰そうとはしませんでした。孝移
「お兄さんに、明日お待ちしておりますから、必ず来てくださいとおっしゃってください」
二人はそこを去りますと、先程と同じ裏道を通って家に帰りました。帰り道で、譚孝移は褒めました。
「いい女の子でしたね。ゆったりとして落ち着いていました。どこの家に嫁に行って姑を喜ばすのでしょうか」
「明日、お子さんのために縁談を申し込まれてはいかがですか」
孝移は
「滅相もございません。孔さんも承知されないでしょう」
といい、胡同の入口にきますと、拱手して別れました。潜斎は碧草軒に入ってゆきました。
孝移が家に戻りますと、王氏は、王中の女房の趙大児に食事を並べさせていました。王氏と端福児は、テ─ブルで一緒に食事をとりました。孝移は箸を手にしながら、思わず言いました。
「立派だ。立派だ」
王氏は食事がうまいのを褒めているのだろうと思いました。孝移は、暫くするとまた
「立派だ。立派だ」
といいました。王氏はいぶかしく思い、
「一体何が気に入られたのですか。そんなに褒められるなんて」
「待ってくれ。今、話すから」
孝移は、紹聞が食事を終えて勉強部屋へゆきますと、王氏に向かって言いました。
「孔耘軒さんに良い娘さんがいるのだ。端福児のために、縁談をもちかけようと思うのだが」
「その娘と会われたのですか」
「今日、先生と孔耘軒さんを訪ねたのだ。孔耘軒さんはいなかったが、その娘がおもての中庭の機織り機のところで布を織っていたのだ。本当に美人で、しかもゆったりとして落ち着いていた」
「私もあなたにお話ししようと思っていたのですが、ここ二三日忙しかったので、お話しすることができませんでした。実家のある曲米街の東に巫さんという家があって、いい娘さんがいるのです。弟が、山陝廟[2]のお芝居のとき、回廊の西側にいた沢山の女達の中で、巫家の女の子の器量が抜群だったと言っていました。十一、二歳になったはずですから、端福児の縁談をもちかけてはいかがでしょう。弟は『つまらない縁結びはするべきではない』とも言っていました。私たちの裏の薛家の娘は、針仕事がうまく、お役人でお金持ちのお家のために靴底、枕かけ、鏡台掛、順袋[3]を縫っています。私は裏の家で、薛家の嫁が幾つかの小靴を作っているのを見ました。それらを持って来させて模様を見ますと、その中に、とても良い模様のものがありました。私がどこの家のものかと尋ねますと、彼女は巫家の娘のものだと答えました。娘が模様を自分で描き、自分で刺繍したものだそうです。その靴は小さくて可愛らしいものでしたから、足の大きさも問題はありません。薛家の嫁は、巫家の娘は刺繍がうまく、器量もいいと言っていました。巫家の女は、みなかるた遊びができましたが、巫さんが厳しく禁じていたため、誰も牌を売ろうとはしませんでした。古い牌はありましたが、一枚破れていました。そこで、この娘は厚紙でもと通りのものを描いたそうです。賢い子ではありませんか。それに彼女の家は大金持ちです。彼女と縁結びした方がいいでしょう。きっと持参金も多いことでしょうよ」
孝移は王氏がとんでもないことを言いましたので、顔を厳しくして
「勝手なことを言わないでくれ。山陝廟など、娘の行くところではないではないか」
「その娘は小さな子供なのですから、構わないでしょう。もし十七、八歳なら、勿論いけないことですけれど」
「女が靴底をよその家の人に作らせるとは、どういうことなのだ」
「最近はお役人、お金持ちの家には、どこでも刺繍や洗濯をする下女がいるものです。巫さんの家を責められなくてもいいじゃありませんか」
「巫家には下女や飯炊き女がいるのだろう」
「下女は、布団を敷いたり、灯を点したり、奥さんや娘さんたちのかるた遊びの相手をしたり、所場代をもらったりする[4]のに忙しいのです」
「家中がそのような振る舞いをしていたら、裕福でも長続きはしないだろう」
「自分の家のことだけを心配なさればよろしいじゃありませんか」
孝移は溜息をつきました。
「我が家は霊宝公から私まで五代になるが、私は嫁のことだけが心配なのだ」
「縁結びするかしないかは、あなたがお決め下さい。私はいい娘さんのことをちょっと話してみただけですから、無理強いなど致しません」
「お前は巫家の娘に会ったことがないが、私は孔家の娘を見てきた。ただ孔耘軒さんが承知するかどうかが問題だ」
いい終わりますと、閻相公と話をするために、おもての中庭の帳房へゆきました。
次の日、孝移は食事をおえますと、碧草軒へゆき、婁潜斎と一緒に孔耘軒を待っていました。まもなく、程嵩淑、孔耘軒がやってきました。小者の手巾の中には、七八冊の真新しい本が包まれていました。孝移と潜斎は立ち上がって出迎え、廂房に腰を掛けました。耘軒
「昨日は不在で失礼致しました。今日は程さんをよび、執り成しをしていただき、無礼を許して頂こうと思っております」
潜斎
「長いこと御無沙汰しており、お会いしたくてたまらなかったのですが、お会いできないとは思いませんでした」
孝移
「一体何のご用で外出されていたのですか」
程嵩淑がいいました。
「我々は、会えば話をする仲なのですから、堅苦しい言葉を使うのはやめましょう。むずむずしてきます」
耘軒
「張類村さんがわが街の文昌廟の総代になり、皆で金を出し合い、三年がかりで、『文昌陰隲文注釈』の版木を作ったのです。昨日は刻字と印刷にかかった費用を精算し、一つの家に十部ずつ配りました。印刷したいと思えば、紙をもっていって刷ることができます。今、二冊もってきましたから、お二人にお贈り致します」
そして、二冊の本を取り出しますと、机に置きました。孝移と潜斎はそれぞれ本を手にもち、凡例、紙や刷り具合を見ますと、いい本だと言いました。孝移
「この『一十七世士大夫の身となる』の句[5]は、少し奇妙で難解です。『経を印し寺を修む』の句は、すべて僧侶や道士の偽託です。耘軒さんはどうしてこの本をそんなに深く信じてらっしゃるのですか」
「孝移さんのご意見はご尤もですが、少し堅く考えすぎではありませんか。この本を机においておけば、子供がきてパラパラとめくります。そして、子供が、書いてある言葉を、早くからしっかりと心に刻み込めば、将来、道に落ちているお金や、暗い部屋にいる美人を見たときでも、ふと因果応報の理を思いだすことでしょう。そして、多くの人の命や、名節が救われるわけです。目くじらを立てられることもないと思いますが」
程嵩淑
「それもそうですね」
潜斎
「張さんの生涯かけてたどりついた考えを、一概に否定することはできませんよ」
皆は大笑いしました。
孝移は部屋から出ますと、徳喜児に料理人のケ祥を呼んでこさせ、こっそりと尋ねました。
「先生はお昼は何を召し上られたかな」
「精進料理を召し上がりました」
孝移は徳喜児を呼びました。
「わしと一緒にきてくれ。それから、食べ物を幾つか持ってきてくれ。お昼は廂房でお客さまをおもてなしすることにしよう」
そもそも、孝移は客をもてなすとき、普通の付き合いの友人の場合はおもての広間で、親友の場合は書斎のある廂房でもてなすのがきまりだったのでした。
孝移が家に戻りますと、潜斎が耘軒に尋ねました。
「耘軒さんは娘さん、息子さんを幾人おもちですか」
「あなたはご存じでしょう。四歳の息子が一人に、今年十一歳の娘が一人です」
「娘さんはもう婚約されましたか」
「まだです」
「厚かましいことですが、娘さんに縁談があるのですが」
耘軒は
「潜斎さんの媒酌ならきっと間違いはないでしょう」
といい、相手が誰かとたずねました。
「耘軒さんと孝移さんはどの様な仲なのですか」
「親友です。わたしと程さんもみんな親友です」
「孝移さんと縁結びをなさいませんか」
「孝移さんは丹徒の名族で、祥符でも声望のある方です。私どもなどには勿体ない方です」
潜斎は笑って
「この媒酌は私でもつとまります。あなたは勿体ないとおっしゃいますし、先方はあなたが承知なさらないのではないかといっているのですから、私が仲をとりもてば、お二人とも何も文句をおっしゃらないでしょう」
話が終わらないうちに、孝移が入り口から入ってきて、こう尋ねました。
「お二人とも何を笑ってらっしゃるのですか」
潜斎
「教師がしていることに、家の主が口を出されてはいけません。もう少ししたらお話し致しましょう」
孝移はもう大体見当が着いていましたので、それ以上尋ねようとはしませんでした。
暫くしますと、食事が並べられました。食事が終わりますと、杯を濯いで酒が注がれ、世間話が始まりました。潜斎は孝移に尋ねました。
「昔、譚さんの帰宅祝いをしたとき、私を家庭教師に迎えることを、どうしてその場でおっしゃらなかったのですか。程嵩淑さんがからかっていましたよ」
「先生をお招きする時、自分の家で家庭教師の話をもちかけるのは、失礼にあたるからです」
程嵩淑は孝移に向かって笑いながら
「くよくよしては酒も茶もまずくなってしまいます。お二人が縁結びをするために、潜斎さんが双方にしっかりと話しをし、更に私が面と向かってお願いしているのです。婚約の杯を交わすのをこれ以上待つわけにはゆきません」
孔、譚の二人は声を揃えていいました。
「勿体ないことです」
潜斎は大笑いして
「お二人とも、どうか私の言う通りになさって下さい」
耘軒
「明日になって私の結納品が少ないために、先方の奥さんが文句を言ったら、程嵩淑さん、責任逃れをして、婁先生一人をひどい目に遭わせてはいけませんよ」
潜斎
「程さんは、手に杯をもっているときは、罵られても平気なのですよ」
四人は手を打って大笑いしました。日は西に傾き、人々は少し酔ってきました。程嵩淑と孔耘軒が帰ろうとしましたので、孝移は彼らを胡同の入口まで送って別れました。
その後、譚孝移が酒を用意して婁潜斎、程嵩淑を主賓としてもてなしたこと、王中に命じて新郎新婦の装身具を買わせたこと、自分で駢文の草稿を書いたこと、潜斎が一二の対句の添削をしたこと、会計の閻相公に小文字の楷書で書いてもらったこと、吉日を選んで孔家へ一緒に行き、孔家では盛大な宴を催してそれに応えたこと。孔耘軒が吉日を選んで経書と文房具を買い、駢文の手紙で譚家へ答礼をしたことなどは、細かくは申し上げません。これぞまさに、
かつて結べる管鮑の情、
あらたに約する朱陳の盟[6]。
さて、孔耘軒は、その日、譚家に答礼をして、夜遅く帰宅しました。弟の孔纉経が言いました。
「今日、新任の正学[7]の周先生がやってこられ、兄上の同年であると言って、長いこと帰らずに待ってらっしゃいました。周先生は、結婚の話しをしているのでなければ、兄上を呼び戻して貰えないかと思っていたようです。帰るときはひどく残念そうにしてらっしゃいました」
「明日の朝、すぐに返事をしにゆこう」
そもそも、この周先生は名を応房、字を東宿といい、南陽のケ州の人、鉄尚書[8]の五世甥孫[9]でした。昔、鉄尚書には二人の娘がおりましたが、この周東宿は鉄尚書の長女の四代後の子孫だったのです。彼は孔耘軒とは副車[10]の同年で、京師に上って国子監生となり、祥符県の学校の教諭になりました。彼は普段から孔耘軒が真面目な読書人で、しかも同年であるということを知っておりましたので、心の中で孔耘軒のことをとても慕っていました。そこで、着任してすぐに訪問しようと思ったのですが、耘軒に用事があったため、がっかりして帰ったのでした。
次の日、役所の門番が年家[11]の帖子をもって挨拶にきますと、いいました。
「文昌巷の孔さまが挨拶にこられました」
周東宿は慌てて正装して出迎え、手をとって招き入れました。挨拶が終わり、席に着きますと、耘軒
「昨日はご光臨を賜りましたのに、不在で失礼致しました」
「合格発表があってからというもの、お会いすることができませんでした。昨日は是非ともお会いしたいと思ったのですが、外出されていたので会えませんでした。私は一日千秋の思いでした」
「あなたは才能も高く、出世も早く、すでに国家のために力を尽くされていらっしゃいますから、私のような志を得ない者とは違いますね」
「あなたは大器晩成で、いつかは雄飛されることでしょう。私のように蓿盤をはむ者[12]はむしろ恥ずかしい気が致します」
二人があれこれ話をしていますと、東宿
「今日は役所で昼食をおとり下さい。帰るなどとおっしゃらないでください」
「私は、まだあなたをおもてなししていません。それに、あなたは着任されたばかりでお忙しいでしょう」
「昨日、あなたは家にいらっしゃいませんでしたが、あなたに『月を戴いて帰』っていただく[13]準備をしてしまいました。私とあなたは年兄年弟なのですから、遠慮なさらないで下さい。私は県令さまから頂いた酒をもっています。年兄年弟同士で、一杯飲もうではありませんか」
孔耘軒は断るわけにもゆかず、仕方なく
「ご馳走になりましょう」
東宿が言い付けました。
「皿を明倫堂[14]の裏の小部屋に並べてくれ。客がきたら、奥で県知事さまと会っているといい、帖子を号簿に記録しておいてくれ」
そして、手を引きながら小部屋にゆきました。耘軒は皿や杯がたくさんあるのを見ますと、いいました。
「『蓿盤』とはこのようなものだったのですか」
東宿は笑って
「食器は門番が借りてきたものですし、食べ物は贈られた品です。後日あなたをお呼びするときには、『菜根亭』へゆくことに致しましょう[15]
二人は大笑いしました。東宿は更に下僕に酒の肴を出すように言い付け、門番を立ち去らせますと、国子監のしきたりや、都の華やかな有様、旅館に滞在しているときの苦しみ、旅費が足りなくて難儀したことなどを話し、更には祥符県の人民の気風や、様々な役人の性格について話しました。東宿は尹公他[16]がかならず正しい友人と交わったという話をふと思いだし、昨日孔耘軒と縁結びした譚孝移のことを尋ねました。孔耘軒はもともと性格の善良な人で、ほろ酔い加減でもありましたので、譚孝移の品行方正な様、平素の長所を、心を込めて、かなり詳しく話しました。東宿はそれを聞きますと、すっかり感心しました。食事が終わりますと、日は西に沈みましたので、二人は別れを告げて帰りました。東宿は耘軒の手を引いて送りました。そして、言うには、
「今は新任で忙しいのですが、いずれ晩にあなたのところへ伺って、楽しいお話しをしたいものです」
「もちろん歓迎致します」
二人は拱手の礼をして別れました。
東宿が明倫堂にもどりますと、一人の老門番が控えていました。東宿は席に着きますと尋ねました。
「この城内に譚という郷紳がいるそうだが、おまえたちは知っているか」
老門番は答えました。
「譚さまといえば、蕭墻街の大金持ちで、私たちの新年の祝い、誕生祝いなど、あの方がすべて面倒をみてくださいます。学校へ無心をしにゆきますと、譚さまだけは挨拶状付きの箱にいれて送って下さるのです。ですから前任の知事さまはあの方をとても可愛がってらっしゃいました」
東宿は門番が卑しい話をしましたので、黙って、立ち上がりますと、奥へ入ってゆきました。これぞ正に、世間で言う、
知己と語れば千斛の酒も飲めるが、
意気が合わねば半句も長く感ぜらる。
次の日になりますと、周東宿は副学[17]の陳喬齡から酒宴に招待されましたので、ご馳走になりにゆきました。二人は会いますと挨拶をし、それぞれの席に着きました。東宿がいいました。
「手厚いおもてなしをして頂き、ありがとうございます」
陳喬齡は六十歳を過ぎており、真面目で素朴な人柄でした。彼は
「何も差し上げるものはございませんが、どうかお笑いにならないでください」
と答え、門番に酒を持ってこさせますと、すぐに酒と皿を並べさせました。喬齡
「私は酒が飲めません。一杯飲んだだけでむせ返ってしまうのです。どうかあなたがご自由にお飲みください」
東宿は
「私もあまり多く飲むことはできません」
といい、こう尋ねました。
「ここで何年も教えてらっしゃいますが、学校の学生の中で、文才、品行ともに優れた人は誰でしょうか」
「祥符は大きな県で、誰が一番優れているかとおっしゃられても、私には決めようがありません」
「品行方正な人は誰でしょうか」
「みんな礼を守る人達です。それに城内には大金持ちが多いのですが、彼らも間違ったことはしておりません」
「蕭墻街に譚孝移という人がいますが、どの様な人ですか」
「あの人は私のもとで何年も学生をした後、貢生に抜擢されました。孔子廟の碑の台座、回廊、壁が去年の大雨ですっかり壊れてしまったときに、百十両の銀をもってきて補修を行わせた人は、あの人以外にはいませんでした。私はあの人の善行を石碑に記そうといったのですが、あの人は決して承知しませんでした。私はあの人に額を贈ろうとも考えたのですが、まだ贈っておりません。私はこの件についてあなたと相談しようと思っていたのです」
東宿が黙っていますと、あの急須持ちの老門番が口を挟みました。
「先日、張さまが、自分の母親に節孝額[18]を贈るため、二両の銀を頂いたが、大工の費用にしかならない、塗装屋にやるお金がもっと必要だとおっしゃっていました。譚さまに額を贈られるのでしたら、金額を最初にはっきりと決めておかれる必要があります」
東宿は激怒し、声を荒げて叱り付けました。
「何と卑しいことをいうのだ。ひっぱたくぞ。今度そのようなことをいったら、板で打ち据えてクビにしてやる。さっさと出てうせろ」
この門番は、東宿の前では卑しいことを言ってはいけないということにようやく気付きますと、顔を真っ赤にして、恥じ入りながら退出しました。周東宿は、のちに知府にまでなりましたが、それは心根が違っていたからです。しかし、これは後の話ですから、お話し致しません。
さて、二人が酒を飲んでいますと、下働きの門番が、あたふたと走ってきて言いました。
「県知事さまからのお知らせです。朝廷の詔勅が、今晩、封丘[19]にとどまっているから、明日の朝、黄河の岸辺に集まって詔勅を受け取るようにとのことです」
東宿は
「酒など飲んではいられませんな。明日の明け方、詔勅を受け取るのですからね」
といいますと、席を立って去ってゆきました。喬齡も引き止めようとはしませんでした。
次の日の夜明けになりますと、大官も微官も、続々と黄河の南岸に集まりました。そしてテントを張り、大官はその中で、下っぱのものは、地べたに座布団を敷き、座って話をしながら、聖旨の到着をひたすら待ちました。昼近くになりますと、黄河の上を、一隻の大きな官船がやってくるのが見えました。帆柱には大きな黄色い旗が翻っていました。船が南岸に近付きますと、一人の役人がテントに入ってきて、跪いて報告しました。
「詔勅を乗せた船が岸に近付いております」
五六人の大官が、立ち上がってテントを出ますと、大勢の役人たちは一斉に立ち上がり、大官に付き従い、黄河の岸に立ち、待機しました。詔勅をお迎えする彩楼[20]では、すっかり準備がととのっていました。船が岸に着きますと、詔勅を授ける役人が、両手で聖旨を捧げ持ちながら、船から降りてきました。そして、うやうやしく聖旨を彩楼の中におきました。詔勅を受けとる役人は、位順に整列し、礼生[21]が高らかに号令を掛けていました。三跪九叩頭がすみますと、彩楼が担ぎ上げられ、管弦が先を進み、大官、微官が後に続きました。轎に乗る者、馬に乗る者、それに付き従う兵卒、胥吏など、まことに大人数でありました。
日が西に傾く頃、北門に入りました。馬に乗った官員たちは、裏道を馬で飛ばし、龍亭[22]の前で馬をおりて待機していました。彩楼が到着しますと、詔勅を授ける役人が聖旨を捧げ持ち、龍亭に上がりました。礼生が号令をかけますと、ふたたび三跪九叩頭が行われ、聖旨が読み上げられました。これは献皇帝に睿宗[23]の称号を与える旨天下に布告する詔勅でした。更に滞納されている年貢を免除したり、官員を昇級させたり、天下の賢人を推挙したり、罪人は罪を軽くして釈放したりするなど、様々な恩徳が施されました。官員の謝恩が終わる頃には、日はすでに西に傾いておりましたので、人々は役所に帰りました。詔勅を授けた役人を接待し、詔を刊刻して各府、州、県に頒布するのは、布政司の役目でした。布政司は、徹夜で刻工に清書をさせ、版木に彫らせ。龍辺[24]をつけ、数百枚の謄黄[25]を印刷しました。そして学校の礼生に配り、旧くからのしきたりに従って各府に分け与え、壁や四方の門にも張り出しました。
さて、この詔が祥符の学校に配られますと、周東宿と陳喬齡は沐浴して朗読を行いました。天子の下された恩徳の中には、次のような一条がありました。
「府、州、県の賢良方正の士を、しっかりと調べて上奏せよ。礼部に送って、選抜を行う時に参考とする」
東宿が喬齡に向かって
「これは学校の仕事です。慎重に調査をしなければなりません」
「難しいことですね。いつぞや、優等生を推挙せよという学院[26]さまの触れ文が学校に送られてきたとき、私達の学校では三名を推薦しました。そのうち譚忠弼に関しては誰も文句を言いませんでしたが、残りの二人の優等生に関しては、彼らが役所に出入りして、訴訟の仲立ちをしている[27]などと言うものがありました」
「譚忠弼は行いの正しい人ですから、推挙することにしましょう。やはりこの人しかいないでしょう」
「あの人はもう拔貢生[28]になったので、私たちがあの人の面倒をみることはできません」
「優れた人々を褒めたたえるのは、学校の大切な仕事です。学生であるかないかなどということは問題ではありません。あなたは昨日、あの人に額を贈るとおっしゃっていたではありませんか」
「私はあの人に額を贈る件について相談しようと思っていたのです。今、奎楼[29]のところに額がおいてあります。どういうわけか、県知事さまが掛ける必要はないとおっしゃったので、そのままにしてあるのです。後はあなたに、額に書く四文字を考えて頂くだけです」
「それは素晴らしい」
実は、これはあの門番の差し金でした。彼は学校で三十年間、住み込みの門番をしていましたが、昨日、酒席で余計な事を言い、東宿に怒鳴りつけられたため、東宿に話をもちかける事ができなくなってしまいました。しかし、彼は譚孝移から小遣い銭を貰いたくてたまりませんでしたので、先日の晩に周東宿に話したことを、しつこく喬齡に吹き込み、奎楼に放置してあった額を、蘇霖臣に書いてもらおうと考えたのでした。しかし、額に書く四文字は思い浮かびませんでした。喬齡が今日話したことは、昨日の門番の話しだったのですが、東宿はそのことを知りませんでした。
門番は「素晴らしい」という言葉を聞きますと、奎楼の額を早速明倫堂に運び、金を塗る職人を呼び、工費を説明しました。あとは周東宿が字を考え、蘇霖臣が揮毫するのをまつばかりでした。門番は周東宿、陳喬齡を呼んで相談をしました。周東宿は額を見ますと、言いました。
「なかなか立派ですね」
「四文字をお考え下さい」
「あなたがお考えになった方が宜しいでしょう」
「わたしは八股文の勉強をしているだけですから、考え付きません。あなたがお考えになるのが宜しいでしょう」
そして少し考えますと
「四文字を考え付きました。必ずしも譚さんの良さを言い尽くしているとは言えませんが、『品卓れ行ひ方し』というのは、いかがでしょうか」
「それは良い。それは良い」
そして、門番に言い付けました。
「帖子をもって蘇さんを呼んできてくれ」
「私で宜しければ書いてさしあげましょう」
「あなたに書いていただければ、以前のように何度も人に頼まなくてすみます」
そこで、門番に墨をすらせ。墨汁を作りますと、紙を一面に糊付けしました。東宿は普段使っている大筆を取り出し、左右を見定めますと、あっという間に書き上げました。まことに竜が踊り、虎の伏せるがごとく、山が聳え、淵の静かなるがごとくでありました。喬齡
「とてもお上手ですね。それに、書くのもお速い」
「お恥ずかしいことです」
そして、小筆で官名と年月を二行に分けて書き、世間話をしますと、それぞれ家に帰りました。金漆屋が塗装を行い、老門番は譚家へ知らせに行きました。
譚孝移はその時、裏庭の廂房で、婁潜斎と世間話をしていました。門番が入ってきますと、婁潜斎
「今日はどんなご用事ですか。手にもってらっしゃるのは何の書面ですか」
門番は書面をテーブルの上におきました。婁潜斎と譚孝移が広げてみますと、額の図面でした。孝移
「昨年、陳先生が私に額を贈られるとおっしゃっていましたが、何度もお断り申し上げました。どうして今日になって急にこんな事をなさるのですか」
潜斎は額が綺麗に書けているのを見ますと、尋ねました。
「どなたが書かれたのですか」
門番「周さまが書かれたのです。陳さまが周さまに、譚さまが一人で孔子廟の修理をされたことを話されると、周さまはとても喜ばれたのです。私も譚さまの良いところをすべてお話ししました。そこで、周さまは、職人に額を作らせるようにいったのです。塗装屋は私が探してきました。字は額の上に書かれ、額はもうほとんどできているでしょう。私は、譚さまがご存じないのではないかと思い、今日、暇を見付けて、こうしてお知らせにきたのです。まずは祝い酒を一杯頂きたいものです」
譚孝移
「これはお恥ずかしい。潜斎さん、辞退する方法はないものでしょうか。私は周先生と会ったこともありませんし、親しいわけでもないのですから」
「実があって名が表われのですから、辞退する必要もありますまい」
門番
「私にはどうすることもできないのです。額はもう彫られてしまいましたから、辞退するなどとんでもないことです。どうか祝い酒を頂きたいのですが」
孝移は三百銭を与えました。門番は孝移がまだ浮かぬ顔をしているのを見ますと、きっぱりと断られるのではないかと考えました。そして、ぐずぐずしていては大変だと考え、金を受け取りますと、慌てて
「ああ忙しい。周さまは今日中にこの額を彫られる筈です。私はおいとま致します」
といい、図面を手にとり、門を出て行ってしまいました。
額を送る日の朝になりますと、門番が二枚の帖子を持ち、大工、鍛治屋、塗装屋、銅鑼、旗、喇叭、爆竹係[30]を付き従え、四人の学校の小使いが額を担いで、譚家の表門へ額を掛けにきました。閻相公と王中は宴席の準備をしたり、お祝儀を配ったりで、一日中忙しくしました。
次の日、周東宿、陳喬齡の二人の先生がやって来ました。譚孝移は婁潜斎、孔耘軒に同席するように頼み、周、陳を客間に迎え入れますと、挨拶をして着席しました。孝移
「先生方お二人のお褒めに預かったことは、拙宅にとって光栄なことですが、身に余ることですので、恥ずかしさが増すばかりです」
東宿
「私は着任して日も浅いのですが、貴兄の立派な徳行は、すでに様々な人から伺っております。立派な人格者というものは、まことに得難いものです」
陳喬齡
「要するに、あなたの人格が優れていたので、お慕いしたというわけです」
孝移は身を低くして礼をいいました。東宿は潜斎に質問しました。
「あなたのご姓は」
耘軒
「あなたの学校の生徒で、婁さんといいます。名前は昭で、別号は潜斎です」
潜斎
「先日はお会いしようと思いましたが、先生がお出掛けでしたので、お会いすることができませんでした」
東宿
「これは失礼いたしました。いずれお教えを承りましょう」
耘軒
「昨日は手厚いおもてなしを受けながら、お礼も致しませんで、失礼いたしました」
東宿
「この間の晩のお約束は、暇ができたら実行させて頂きます」
暫くしますと、二つのテ─ブルに料理が並べられました。周、陳が特等席に座り、婁、孔が下座でお相伴をし、山海の珍味が並びました。従者たちもすべて接待を受けました。夕方になりますと宴会も終わり、二人の先生は去ってゆきました。孝移たちは、周、陳が表門で車に乗るときまで見送り、拱手して別れました。
孝移は耘軒を碧草軒の廂房に残し、茶を沸かして清談をし、夜になりますと耘軒に提灯を持たせて送り返しました。まさに、
正しき人は必ずや道義に従ひ友を選ばん、
正しき者は必ずやまじめに役人勤めせん。
最終更新日:2010年11月3日
[1] 籤を引いて詩の韻を決め、詩を作ること。
[2]山陝会館(開封にある山西、陝西商人の会館。現存)にある関帝廟のこと。(写真)(山陝会館舞台の写真を見る)
[3]腰帯の上に掛ける小さな袋。
[4]原文「好抽頭」。「抽頭」。とは、賭博のとき、賭事をした場所の主人や召し使いに払う金のこと。勝ち取った金の一部をそれに充てる。
[5] 『文昌陰隲文』の最初の句。
[6]徐州古豊県に、朱陳村という村があり、その村の朱家と陳家は、代々通婚していたことから、朱陳の盟とは、婚姻のこと。白居易「朱陳村」詩「徐州古豊県、有村曰朱陳。…一村唯両姓、世世為婚姻」。
[7]県学の教諭
[8]鉄鉉(一三六六〜一四〇二)のこと。河南ケ州出身の兵部尚書。建文帝に従い、燕王と戦って敗れ、磔刑となる
[9]五世代後の子孫で、本家でない者
[10]明、清の制度で、科挙の第一試である郷試に合格しても、挙人の員数に制限があるため、挙人の資格を与えられないもの。その中から国子監に入るものを副榜貢生、略して副貢生、又、副貢、副車という。
[11]科挙に同じ年に及第したもの。
[12]原文「象弟這咀嚼蓿盤」。「蓿盤」は正確には「苜蓿盤」といい、うまごやしを盛った盆のこと。『書言故事』倹薄類、苜蓿盤に「唐薛令之為東宮侍読時、官署簡淡、以詩者悼云、『朝日上団円、照見先生盤、盤中何所有、苜蓿長欄干…』」(「唐の薛令之が東宮の侍読だったとき、役所は簡素であった、詩を作るものが憐れんで『まん丸い朝日が昇って、先生の盆を照らす。盆の中には何があるか、馬ごやしがごちゃごちゃになって入っている…』」)とあり、役人の粗末な食事をいう。「蓿盤をはむ者」とは、しがない役人のこと
[13]原文「弟已安排戴月而帰」。葉夢得『避暑録話』「欧陽公作平山堂、毎暑時輙凌晨攜客往游、…則飲酒往往侵夜、戴月而帰」(「欧陽公は平山堂を造り、暑い時にはいつも夜明けに客を連れて遊びにいき、…夜になるまで酒を飲んで、月を戴いて帰ることもよくあった」に典故のある言葉)。ここでは、「あなたに夜遅くまで酒を飲んでいただく準備をしてしまいました」の意。
[14]清代、各地の学校に設けられた、孔子をまつる堂。
[15] 「菜根」は野菜の根。粗末な食事の意。「『菜根亭』へいくことに致しましょう」とは「粗末な食事をすることにしましょう」という意。
[16]原文「東宿忽然想起尹公他取友必端」。『孟子』離婁下「夫尹公之他端人也。其取友必端矣」をふまえる。
[17]学校の副教諭。
[18]若くして夫を失い、再嫁しないで姑に仕えた婦女をたたえる額。
[19]河南省開封府。
[20]五色の絹で作ったアーチ型のもの、吉事の時に用いる。
[21]儀式進行係。
[23]献皇帝とは明の世宗朱厚璁の生父で興献王の朱祐杭。朱厚璁は即位後の嘉靖十七年、父に睿宗という諡号を贈り、太廟に合祀した。
[24]龍の図案のついた縁取り。
[25]天子の詔勅は、黄色い紙に書き写したり印刷したりしたが、これを謄黄とよんだ。
[26]提督学政のこと。清の中期以後、各省に派遣され、童生、生員の試験を行った。
[27]明清代においては、生員が役所に出入りして訴訟をとりもつことは厳禁されていた。
[29]奎星楼のこと。奎とは星の名で、二十八宿の一つ。形が屈曲していて、文字に似ているので、「奎は文昌を司る」と言われる。