異聞総録巻四

 

方子張は、秀州[1]魏塘村[2]に住み、その田僕[3]鄒大は、刀鑷[4]をよくし、かつて人が呼んで言った。「わたしの家で客と宴するから、あなたに余興をしてもらいたい[5]。」鄒は断って言った。「わたしができるのは挽歌を唱うことだけです。何の役にたちましょう。」「主人はまさにその曲を聞こうとしているから、手厚く礼するはずだ。」鄒はもとよりその異常さを訝ったが、拒めないと思い、ひそかに鈴鐸[6]を持って懐に入れていった。すぐにゆき、家からたいへん近く、平素こんな家はなかったと思った。建物も狭く、さらに哀挽[7]は酒席の間で聞くべきものでないので、ますます訝った。鐸を鳴らして[8]歌おうとすると、座席の男女二十余人が異口同音に言った。「わたしたちはみなその音調に習熟している。それを用いて乱す必要はない。」そこで数回アカペラで歌うと、みな撃節してよいと称し、楽しく飲んでほろ酔いとなった。さらに尋ねた。「ほかにどんな芸ができる。」大悲穢跡神呪[9]を誦えることができると言うと、求めるものではないとみな言った。鄒はあきらかにかれらが鬼物であることを知り、鐸を探って杵を振り、声高に呪を誦えると、数声足らずで、陰風は肅然とし、燈燭什器はすべて見えなくなり、目の前が真っ暗になった。屋根を望めば小さな穴があり、わずかに人が通れ、月光が漏れ、なお物を見られたので、身を曲げて傾いて出、からくも免れることができた。翌日、そのところをよく見ると、榛棘[10]が生い茂っており、そもそも古墓であった。

 

昔の言い伝えでは、荊州の江亭[11]の柱に詞があって言った。「簾巻きて曲闌ひとり倚り、山()びて暮天(きは)なく、眼かつて晴れず。家は頭楚尾[12]にあり、数点の雪花乱れ()み、撲漉[13]として沙鴎驚きて起く。詩句成らんと欲する時、没して蒼煙叢里に入る。魯直はそれを読むと淒然として言った。「わたしのために作られたようだが、誰が作ったものか分からない。筆勢は娘らしいが、『眼かつて晴れず』の句は、幽鬼かと疑われる。」その晩、夢みると娘が言った。「わたしは豫章の城山[14]住み、客舟についてこちらに来、水に落ちて死に、帰れなくなりました。江亭に登り、感ずることがあって作りましたが、公がそれを理解なさるとは思いませんでした。」魯直は驚いて目ざめて言った。「これはきっと城の小龍女[15]たちだ。」時に建中靖国[16]元年であった。乾道六年、明可芾[17]は豫章の太守となり、その子は合格したが、同年生の清江[18]の朱景文は、その縁故で会いにきて、新建[19]の尉を代行することができた。たまたま府で城の龍王廟を修理することになり、監督を命じたところ、厳密を極め、さらに塑像を造る時、朱は壁に描かれている神女の顔を指し、職人に言った。「これに似ていればよい。」およそ三四回かえると、明麗艷冶でそれらしくなったので、朱はたいへん喜んだ。さらに荊州の詞を思い出したが、語意は陰鬱[20]淒婉で、龍宮の閑雅出塵[21]の趣ではなかろうと思い、『玉楼春』[22]一闋を賦し、壁に書いて言った。「玉階瓊室[23]氷壷帳[24]、地に()れて水晶簾上がらず。児家の住むところ紅塵を隔て、雲気悠揚として風淡蕩たり。時あれば(しづ)かに蘭舟を()りて[25]放ち、霧鬢煙鬟[26]翠浪[27]に乗る。夜深く明月を満載して帰り、画破す琉璃千万丈[28]。」その後、夜に旌幢羽葆[29]を夢みたが、儀衛はたいへん華やかで、一輌の輜軿[30]擁していた。美女がその中におり、龍女が会いにきたと伝えた。車を下って会い、宴が終わると寝て親しんだが、一昼夜を経たかのようで、言語は洒脱で、風采は穆然[31]としていた。ゆこうとすると、朱に言った。「昔の事をご記憶ございませんでしょうが、あなたの前身は南海広利王[32]の幼子で、世間に出遊してわたしの家の婿となられましたので、わたしはほんとうに箕帚[33]を奉ずることができるのでございます。今あなたは宿縁により、朱家に来て生まれていますが、城の思いは、忘れておりませんので、多く豫章で禄を得ましょう。あなたは南海で官となられ、陽禄が尽きようとする時、ふたたび佳偶[34]となられるはずでございます。お作りになった『玉楼春』詞は、先人の誤りを破っており、たいへん感謝しております。あなたが旧遊を思いだされたのでなければ、わたしの家のことをこのようによくご存知のはずがございません[35]」そう言うと、愴然と別れて去った。目ざめると、すぐに文を作ってそのことを記録したが、「南海」のだけ分からずもしや後日のことではないか、あるいは諌言によって放逐せられてかの地にゆくのかと思った。その後、毎晩、外から入ると、つねに室内談笑する声が聞こえ、しばらくすると病んで痩せた。家人はかれが祟られていることを疑い、辞職して帰るように頼んだ[36]。翌年、ふたたび用事で呉に来たが、公[37]はすでに去り、後任の太守の龔実之は留めて酒官[38]を代行させたが、まもなく家難[39]で去った。喪が明けると、袁州[40]分宜[41]の主簿に転任したが[42]、まもなく家居した[43]。県の士人で、昔かれに従って勉強していたものは、かれが帰郷したことを聞くと、つれだって会いにきたので、県内の風物を語り、たまたま主簿の官署の前に南海王廟[44]があることに言及したところ、朱は恍然として自失し、翌日病に罹り、助からなかった。もともと至官[45]を得たことがなく、都合二度豫章で職務を代行したが、いわゆる「禄を得ることが多い」とは、このようなことに過ぎなかった。そもそもはじめて像を造って撰文した時、方寸が妄境[46]に堕ちたため[47]、みずからその命を絶ったのであった。神女の夢での契りは、きっと狡猾な幽鬼がなりすまして悪事をなしたものだろう。楽平の人楊振は、臨江の司[48]となり、そのことを語ってたいへん詳しかった。

 

紹興三十一年、湖州の漁師一は、魚を捕らえるために舟を新城柵界[49]の民家の外に繋いだが、夜半を過ぎると、岸の上で人が語った。「わたしたちはこの家に寓してすでにひさしいから、去る計画を立てるべきだ。移ってこの舟に入ってはどうか。」ある人は答えた。「これは漁船だし、よその人だから、どうして乗れよう。明日、東南から船が来るはずで、その中に二つの朱紅の盒子及び赤泥[50]の酒数瓶があるものは[51]、ついてゆける。かれは病人の家の親戚で、様子を見に来、さらにその家はたいへん富裕で、わたしが求めているものにぴったりだ。」みなそうだと言い、言いおわると寂然としたので、生は怪しんだ。空が明けようとし、起きてそのことを探ると、その民家[52]はまさに疫病に罹っており、相談していたのは幽鬼なのであった。そこですぐに東南の数里はなれたところにいって停泊し、確かめようとした。するとほんとうに小舟が来、その中を眺めると鬼の話と同じであったので、いそいで呼んで留まらせ、夜聞いたことを告げると、たいへん驚いて言った。「わたしの婿の家で、今まさに見舞いにゆこうとしておりました。救っていただかなければ、一家は鬼籍入っていたことでしょう。」すべて持っていた酒と(あぶりにく)を贈り、礼を言って帰った(このことは景裴弟談)

 

程昌禹平国[53]は、紹興五年に鼎州から辞官帰郷する時、鄱陽[54]に来、紫極宮[55]に寓居した。家人は堂上にいたが、かれだけは北辺の一室を整理し、暑い夜にその中で寝ることが多かった。ある晩、二人の婦人が特髻[56]を頂き、竹林の中から部屋に入り、すこし進んで牀の前に来た。程は兵を率いたことがあり、胆力があったので、幽鬼であることを知っても、すこしも恐れず、呼んで尋ねた。「おまえはどこの家のもので、どうして深夜にこちらに来た。」みな笑って答えなかった。程は言った。「こちらにいても障りない。腰を摩ってくれるか。」答えた。「はい。」走って進むと、程は両足を伸ばし、するのに任せ、しばらくすると熟睡した。目ざめると、すでに明るく、何も見えず、摩ったところはすべて青黒く腫れて痛んでいたが、日をかさねて後、元に戻った(程の子禧談)

 

季元衡(南寿)は縉雲[57]の人で、合格し、台州教授に転任し、建康にいって府尹に会おうとし、家に侍妾がおり、女主人に受けいれられないことを怒り、つねに命を絶つ思いを抱いていた。ゆくに及び、季は事情を告げて妻に頼んで言った。「わたしが去った後、けっして虐待を加えるな。万一不測の事態があれば、庇うのに骨が折れよう[58]。どうしても養うことができないのなら、帰る日を待って離縁するのは、容易いことだ。」妻は言った。「とにかく安心してゆかれませ。さようなことはいたしませんから。」他郷(その地を記憶していない)に僑寓し、数日して建康にゆき、荷を卸すと、耳元で啾啾と人の声がしたが、それは妾のようで、容貌見えず、尋ねると、泣いて言った。「あなたが門を出られるとすぐに、鞭うちにあい、もはや生きられそうにありませんでしたので、自経して死んだのでございます。」季は憐れんで泣いてお祓いしてやり、車を返そうとしたが、すでに到ったと思い[59]、信じまいとしたが、我慢できなかったので、ひとまずしもべに命じていそいで帰ってそのことを尋ねさせることにし、家人のために手紙も書いた。県城を通ると、さらにいささか埋葬の費用を贈り[60]、それから毎晩悲しんで泣いた。しもべは戻ると、宅内にはもとよりまったく事件がなく、いった時、侍人[61]はみずから飯を持ってわたしに食べさせましたと言った。季は言った。「それならみだりに幽鬼がなりすましてわたしを惑わしたのだ。」その晩、また来たので、季は色を正して責めて言った。「おまえはどんな妖怪だ。すぐに去らないのなら、わたしは道士たちを集め、法術でしめつけてやろう。」「ほんとうはあのお方ではございません。あなたがゆかれた当初は、疑心をさかんに生じていらっしゃいましたので、わたしは隙に乗じて偽れました。今はただあなたから仏経数巻、ささやかな供物と紙銭を求めるだけでございます。

 

邢大尉(孝揚)ははじめて南渡した時、湖州徳清駅に寓居したが、狭隘で人を収容するに十分でなかったので、臨安に住むことを求めることがたいへん切実であった。薦橋門[62]内の王(王燮)大尉の宅を得たが、わずか銭三千緡[63]であった。あるひとが言った。「都城のこのような邸宅は、五万緡に値するはずだが、今回は十分の一もしなかった。話をしっているか。この宅はひさしく妖怪に占拠され、人がこれ以上いるのに堪えられなかったので、引き渡したのだ。」邢の及び姑の慶国夫人は、いずれも用いられないと言った。邢は心配し、に語った。「人の言うことの真偽は、もとより定かではないから、わたしがさきに調べよう。しかし、わたしがないと言っても、おまえは結局本当だと思わず、篤実な二人の下女を選んでともにゆかせてはどうか。そうすれば、真実を証明できよう。」そして行った。およそとどまること半月、内外の人気のないところは、すべて直接調べた。夜に正堂に寝ても、寂として一つの恐れもなく、家に帰るとくわしく語り、さらにつよく前のでたらめを謗った。二人の下女も屋舎の美しいことを讃えたので、はじめて一家で引っ越した。引っ越す日、物怪が現れ、家人が閨幃の中でひそかに語ると、かならず屋上で答え、侮って[64]、間断することがなく、側室を蠱惑し、恬然として人を避けなくなるに到ったので、みな来たことを悔いた。時に宋安国が徳清[65]にいたので、すぐに招いて法術を施させ、一鬼を捕らえ[66](かせ)に掛けて北の日陰に閉じ込めた。その後さらに一鬼が出たので、やはり捕えて懲らしめ、まもなくまた同じことが起こった。幽鬼がみずから述べるには、兄弟は四人おり、さらに他の眷属がおり、仲間はたいへん多いということであった。宋は施す法術がすでに尽き、疲れもしていたので、邢氏に告げて言った。「この地は兵乱を経、殺された人は無数で、今日は鎮めるにたえません。籙大醮を行って[67]済度する[68]ほうがようございます。わたしはご主人のために行い、超然と転生させましょう。鬼の怨みの的とならないのが、やはり上計でございます。」邢はその戒めの通りにし、銭二百万を出して[69]て醮を行わせた。筵[70]の夕、甕を架上に置き、布で覆い、すべて滯魄[71]を召して中に集め、宋は邢にみずから担いで前に来ることを約していたが、力を尽くしても挙げられず、ただ甕の中で索索[72]と蟹がゆくような音がするのを覚えた。事を終えると八人の健卒[73]を用いて負って門を出させたが、みな肩が圧されてたいへん重い、それぞれ百斤を担っているようだと言った。竹園の深い穴の下に埋めたが、家は今まで平安である。(このことは趙談)

 

李氷の子永は、平生、尊勝陀羅尼幡を印刷し、焚いて鬼道[74]に施していた。淳熙六年、坑冶[75]司幹官[76]となり、信州を掌っていた。翌年十二月、命を受けて弋陽[77]にゆくと、県知事が宴に招いた。帰った時はすでに夜になっていた。駅舎に臥し、寝つかないでいると、二人の婦人を見たが、一人は冠、一人は髻で、堂中を徘徊往来していた。妖物であることを悟ったが、尋ねなかった。まもなくかすかに目醒めれば[78]、すでに牀の下に迫っていた。李は祈った。「もし言うことがあれば、はっきりわたしに告げろ。そうでないならわたしの夢を乱さなければよい。」寝返りを打っているうちにまた眠り、夢みると二人が拝しにきて言った。「公にお会いして求めるものはございませんが、つねに陀羅尼幡を印刷なさることを望みます。」李は言った。「わたしは旅の途中で、もとより持ってきていないが、どうしようか。」「公が信州に帰られてから贈られて遅くございません。」姓氏を尋ねると、言った。「尋ねる必要はございません、おのずと分かるはずでございます。」翌朝、人々に尋ねると、その随行する虞侯[79]がこう語ることができた。「近年、広州盧彝通判の妾が、お産のためにこの部屋で亡くなりました。今、髻を頂いているものがそれで、冠のものは誰か分かりません。」李は駅舎に帰ると、数十冊を印刷して焚いてやった。

 

州の教授の官舎には、小さな楼があり、鬼物に占拠されていた。鬼物はつねに瓦礫を抛ち、嘆息して歌い、しばしば小さな紙を書いて外に抛ち、人は上ろうとしなかった。紹興二十九年、婺源[80]の李知己智仲は、教授となり、その怪異を究めようとし、几案筆硯、聯紙[81]二幅を楼の中に設け、その上に題して言った。「あなたは何物か。あるいは死者の遺魄[82]で、済度を得ていないのか。字を書けるなら、生前のことをくわしくわたしに告げるべきだ、わたしは僧徒を呼んで経を誦えて追善してあげるから、こちらに逗留して[83]主人に殃をもたらすな。」その日の、みずからその戸を閉ざした。翌日、生徒たちを学校で試験した時、そのおいは帰ろうとせず、にわかに開くと、返事がすでに紙に満ちており、こうあった。「わたしは姓を陳氏といい、衢州西安の人で、甲子の年に父に従って処州に来ましたが、大水に押し流され、一家は溺死し、屍は州北門外に流れてゆき、魂魄は留まるところがなく、煢煢と城内に入り、この庁の門の外を過ぎ、土地神に迎えられて侍妾となり、荏苒として[84]十五年になります。近ごろ城南の洪秀才が媒妁を遣わして縁談を持ちかけさせてきますと、土地は自由にさせることを承諾しましたが、朝晩、嫁に出て、二度とこの家を顧みなくなることを恐れています。」述べていることは大略このようであった。字体は纖弱で、ほんとうに女の筆跡で、智仲を枢密と呼び、学内の士人はみなそれを見た。智仲はおいが事実を漏らしたことを怒り、でたらめだとして人々に謝し、そのことを秘した。一月後、はじめて僧を招き、金光明経を誦えて陳氏を追善させ、さらに別に経を誦え、疏を調えて土地を回向し、はやく嫁がせたところ、それから一楼は帖然とした。後日、郡の士人に尋ねると、語るには、洪秀才は、福州の人で、温州に遊学し、やはりその年に溺死した(智仲が語るには、郭彖『暌車志』もこのことを載せているが[85]、誤って陳氏を石氏としているそうである。)。

 

宣和省都督[86]康国は、声妓[87]を貯えることがいたって多かった。琵琶の上手なものがいたが、突然所在を失い、探しても見つからなかった。その家の戸締りは宮廷のようであったが、杳としてその場所は知れなかった。旬日を経ると、あたふたと家廟の中から出てきた。黄が尋ねると、老人と老婆に呼ばれて去っていた、琵琶を弾かされ、市井の間でつねに食事していたと言った。それからこの妓女は病んで痩せたが、月を重ねるとはじめて元に戻った。

 

京師の風俗では、除夜のたびにかならず燈を厨や廟等のところで明るくするが、これを照[88]という。趙再というものがおり、二人の小間使いにそれを行わせたところ、一人は麻油が髪に光沢を出すことを利とし、厠の燈油を桐膏[89]にかえた。夜分、他の下女が厠で婦人を見たが、身長は三尺ばかり、披髪絳裙で、厠から出てきたが、小箱を持ち、雑色[90]の新しい衣を入れてあり、塀の角で畳んでいたので、下女は驚いて叫んで帰り、その仲間に告げた。みな見にいったが、ゆけば何も見えず、油を換えたものだけが大声で叫んで地に倒れた。人々が扶けて帰り、湯薬で救うと、まもなく蘇り、語るには、桐膏を燈油と換えるべきではなかった、こちらに来るとすぐ、幽鬼に撃たれたが、幽鬼は「わたしは人によって厠にゆかされ、声を出さず[91]、瘍を生じ、たいへん痛く、今晩の油を借りて塗ろうとしていたのに[92]、おまえにひそかに換えられた。」と言っていた、殴られていると、家人たちが大勢来たので、許されたとのことであった。

 

南恩州[93]陽春県[94]は、まさに古の春州[95]で、異鬼[96]が主簿の官署に住み、白昼姿を現すことができ、飲食談笑して生きた人間のようであったが、人がそのありさまを語ることをもっとも嫌い、語るとすぐに乱暴していた。主簿の家はそれを苦とし、朝にかならず拝礼し、食事の時はかならず祭り、仕えてひたすらつつしんでいた。ある班直が[97]巡検となり、はじめて役所にゆくと、主簿はかれを招いて飲み、奇事に言及したので、それはどんな(あやかし)かと尋ねると、答える前に、幽鬼はすでに巡検の後に立っていた。主簿は顔色を変えて起立したので、巡検は異常があるのを覚え、手を引いて掴んだところ、幽鬼はおもわず地に倒れた。巡検は掴んだり殴ったりした。幽鬼は主簿を振り返って哀しげに鳴いて救いを求めたので、主簿がつとめてお願いしてやったところ、逃れられた。その夜、その八つ当たりされるのを恐れ、夜通し寝ようとしなかったが、晩になると寂然として音がしなくなった。戸を開いてみると壁に大書してあった。「巡検に辱められたが、争うに足りないから[98]、ひとまず去る。」それから絶えた。

 

姑蘇の余仁甫は、その父が宣城通判となるのに従っていた。かつてひとりで庁にゆき、ぼんやりとしていると、輿馬[99]が群がり、金紫[100]の人が門に入ってきた。仁甫が避けようとすると、一人の吏がすでに書状を持って前に広げて言った。「五道将軍[101]が参謁交代いたします。」仁甫はなすすべもなく、すぐに左右を呼ぶと、この吏は告げた。「まだ数十年後なので、恐れる必要はない。」忽然として消えた。

 

平江[102]の盤門[103]の外に僧庵があり、僧侶数人がともにいた。淳熙己酉八月の夜、戸を叩く音がたいへん急であったので、扉を開けて見れば、一人の娘がおり、銀で包んだ柱壘[104]、及び数百銭を持ち、言うには、家はわずか数里離れたところにあり、両親のもとに帰省しようとしているが、おりしも風雨で進めないので、宿泊を許すことを願う、さもなければ、おそらく不慮の命の禍があろう、仏法は慈悲なのだから、どうか憐憫を垂れてくださいということであった。僧はやむをえず中に入れ、一室を掃除してやった。まもなく女は笑みを浮かべて近づいてき、どうしても僧を促して榻をともにしようとし、さらに脅しの言葉で恐れさせ、わたしを泊めなければ、こちらで死ぬと言ったので、僧はさらにむりに従った。夜が明けると、銭を取って僧に渡し、絹数尺及び脂粉の類を買うことを求め、抱いて去り、某夜にまた来ることを約した。後に(まち)の住人祝秀才が、女の墓が庵の側にあるので、いそいで僧を訪ねると、妝壘[105]がその部屋にあったので、柩の中の物かと疑い、しもべをやってその子を呼んで調べさせると、ほんとうにそうであった。どこから得たかを尋ねたが、言おうとしなかったので、県に訴えた。県が僧侶を捕らえて懲らしめると、はじめて以前のことを言った。祝氏の父兄は信じず、塚を開き、棺を開くと、女は目を側めて生きているようで、手は傍らにある買った絹と脂粉を持っており、塚の外には破損はなく、わずかに子供の拳が入れられるほどの、一つの穴があるばかりだったので、驚嘆に勝えず、衣でその上を覆い、祈った。「おまえがまた仰臥できれば、ふたたび葬儀を行おう。」まもなく衣を掲げると、すでに仰臥していた。所詮は家の恥であると考え、結局すべて焼いた。

 

銭聞礼子立[106]は、乾道年間、建康溧陽[107]の主簿となったが、官舎しばしば見えるものがあり、婢妾は擾擾[108]として安らかでなかった。占い師[109]に尋ねると、屍体が堂の側にあると言ったので、その言葉にしたがって地を掘ったところ、一尺ばかりで、ほんとうに髑髏と砕けた骨を見つけたので、匣に入れ、夜を待って漏沢園[110]に渡そうとした。その日の昏、園[111]を守る僧は一人の黒衣の婦人が外から入るのを見、もしや盗賊かと疑い、童行[112]をやり、松明を燃やして訪ねさせた。まもなく、簿庁[113]の人が骨匣を持ってきたので、先ほど見たのは、そもそもこの鬼であったことをはじめて悟った。

 

乾道[114]丁亥、沈唯之は湖州から家族を連れて都下で郊礼[115]を見、薦橋門[116]内のある空家の楼上に寓居した。下女がいて迎寿といい、夢みて幽鬼に魘され、自殺しようとした。翌晩、沈の子は壁にぼんやりと画像のようなものが見えたので、もしや神かと思った。まもなく馬[117]の兵[118]が前に満ち、旗幟は備わっていたが、一人の兵士が隊から出て立ち、報告することがあるようであった。沈はかつて至人[119]に会い、天枢法[120]を授かっていたので、すぐに香を焚いて透視すると[121]、みな声喏して[122]言った。「本官は神将を集め、ご報告することがございます。」尋ねれば、迎寿の祟りをどこそこで治めたということであった[123]。まもなく、火の塊が楼から下ってまた上り、火の光の中で披髪の婦人を連れていた。婦人は白い衫に紅い(えり)で、縄を繋いで項に巡らせており、告げた。「衣を洗ってゆくことを願います[124]。」沈は従い、土地神を呼んだ。土地神は来た時、帽を被り、袍を着ていたが、地に伏して恐懼した。杖うつこと十たびで、去らせた。沈は黙って祈った。「帰ったら成功を天枢[125]に奏するべきだが、王の名は誰か分からない。」鉄騎を人々から躍り出させて旗を広げさせたが、旗には「天枢院尉遲猛将」の字が書かれていた。沈は慰労して帰らせると、まもなくいっせいに揖して隊を整えて帰った。後日、その隣の媼に尋ねると、近年、ある帖山の官人が[126]、婢を連れてこちらにおり、階段の第二層で縊れ、十一年になるとのことであった。ひさしく住む人はいず、そもそも祟りをなしていたのは、その(もののけ)であった。

 

臨安の農園を耕す人が、菜を白亀池[127]で洗っていると、水中で人が会話していた。その一人は言った。「明日、沙河塘[128]で綵帛[129]店を開いている王家の掌事[130]が、こちらで死ぬはずで、わたしの代わりになれよう。」もう一人は言った。「おまえは遠からず去るのだな。どうしよう。」農園の人は掌事を知っていたので、すぐに走って知らせると、その人は感謝し、終日門を出ないことを誓った。朝になり、暮れようとする時[131]、天府の快卒[132]が来、商店に縑帛[133]を供することを求めたので、やむを得ずゆき、清湖橋[134]を過ぎ、快卒は引いて亀池の路からゆき、つとめて争ったがきかず、両脇にいるものはこの人が踽踽[135]としてひとり歩き、ひとりで掴んで争論する動作をしているのを見た。やはりかれを知っているものがおり、助けて帰り、ぼんやりして語れず、口の中はすべて青い泥で、蘇合香丸[136]を飲ませ、しばらくすると意識が戻り、いわゆる快卒は、そもそも幽鬼であった。さらに翌日、農園の人はまた菜を洗いにゆき、溺死した。

 

朱宋卿は、無為軍[137]を治めていた時、突然、匿名の手紙を得たが、郡将の首をとろうとしているとあった。朱はたいへん恐れ、毎晩壮兵を集め、寝室を囲んで宿直させ、太鼓を叩いて時を伝えさせ、朝までそうさせた。ある日、夜が明けると所在を失っていたので、城を挙げて惶惶[138]とし、ともに捜索したところ、裏庭の酴[139]下で見つけたが、昏昏として酔っているようで、そこに来た理由を言えなかった。数年後、海陵[140]で亡くなった。

 

華亭の衛ェ夫はその妻を失い、年を越えないうちに劉氏の娘を娶ったので、妻はしばしば側室に憑き、言葉を発して怨み罵った。室内ではつねに怪しいことがあり、ある時は爪弾きして嘆息する声が聞こえ、家人は白昼妻が堂下に坐しているのを見、近づけば消えた。櫃に銭帛を貯え、たいへん堅く閉ざすと、突然蛙の声が中で群れ騒ぎ、しばらくしてもやまず、にわかに開いて見ると、空しくて一物もなく、千銭は抛って出されており、地から聳え立ち、人に支えられているようで、しばらくすると倒れた。劉がは子を生むと、まもなく病になったので、巫は本妻が祟りをなしていると言い、祈ってあれこれ謝ったが、すこしも癒えなかった。ェ夫は怒り、影堂[141]の位牌を取って斧で砕いたが、刃を一度加えるたび、子はかならず大声で叫び、およそ三たび斬って三たび叫ぶと、子は死に、怪しいことも収まった。

 

余干県[142]洪崖[143]民は、暁に酒を飲み、たいへん酔い、傍らに他の人がなく、ひとり倒れて路傍の水車小屋の下に臥していた。五更になってはじめてすこし醒めたが、たいへん喉が渇いていたので、起きて水を探して飲もうとしていると、突然、数十人が連れだって前に来、まったく争うことがないのに、すぐに拳を揮ってほしいままに打った。民は心の中でそれが鬼物であることを悟り、敵することができず、みずからかならず死ぬと思った。まもなく近村の洪塘院[144]の明けの鐘の音が聞こえると、人々はみな合掌し、だんだん引いて去ったので、はじめて免れられた。朝に帰って人に言い、なお奄奄とし、病は日を重ねてはじめて癒えた。

 

致和[145]年間、鎮江府丹徒県の李主簿は、転運[146]の檄を受けて湖州方田[147]にゆくことになり、府は徐璋、蔡禋という二人の吏を遣わし、ともに行かせた。その土地にゆくと、近郊の観音院の僧房に泊まったが、その傍らの小部屋は、たいへんかたく閉ざされ、二人の吏がひそかに窺うと、壁には美女の像が掛けられ、前には香火が設けられていたので、殯宮であることを知り、ひそかにみずから言った。「わたしたちは旅をしていて寂しいが、このような人が伴いにきて一笑すれば、なんと幸いなことだろう。」おもむろに僧に尋ねると、僧は言った。「郡の人張文林さまは、今、明州象山の知事をなさっていますが、そのご長男の奥さまが亡くなられ、あの部屋の浅い土中に仮埋葬され、わたしに折々の祭祀を委ねていられます。これは奥さまの画像でございます。」その晩、璋は寝たが、禋は熟睡しないでいると、娘が幃を掲げて入ってき、笑って言った。「あなたは朝も昼もわたしを慕っていらっしゃいますので、近づいてきて、つきあってさしあげるのです。けっして人に語らず、(あやかし)と思って疑って恐れを生じないでください。」は欣然として満足し、留めて親しんだ。それから璋と榻を異にし、毎晩かならず来、月を越えた。二人の吏は旅費[148]尽きそうになっていたので、主簿に話してしばらく帰ることを求めると、主簿は言った。「璋は筆札をよくし、わたしは欠かせないから、禋だけが帰れば十分だ。」夜になり、娘が来て帰ろうとするわけを尋ね、禋が告げると、女は言った。「わたしは金釵がございますのでお贈りします。あなたが品物をいささかの足しになさり、西にゆく旅をやめられることを願います[149]。」すぐに頭上の釵を抜いて禋に授けた。翌日、店で売ると、銭を一万六千得たので、璋を欺いて言った。「最近、城に入ったら、たまたま郷里の人遇ったが、これを貸してくれた。今いっしょに用いるべきで、帰る必要はない。」璋はわたしはかれと里巷をともにしているのだから、郷里の人が来たのにそれを知らないはずがあろうかとひそかに思った。さらに、禋が毎晩人とひそかに語っているかのようにしているのを聞き、後日露顕すれば[150]、自分に累が及ぼうと恐れ、注意して窺った。ある日、天が明けようとすると、娘が禋の榻から下りてくるのにでくわしたので、いそいで襲うと、地に倒れたが、さながら死んだばかりのもののようで、衣冠は儼然としていた。みな驚き恐れてなすことを知らず、真実を主僧[151]に告げ、見守るように頼み、二人の吏を役所で捕らえ、獄に渡して取り調べさせた。さらに象山の張知事に移文[152]を送り、老嫗を寺にゆかせて墓を開かせたところ、すでに空しかったので、免れられた。まもなく丹徒に帰ったが、結局、心配と驚愕によって病になり、禋と璋はともに亡くなった。

 

紹興十年、両淮[153]の兵乱が収まってまもなく、避難して南渡したものは、すこしまた帰郷していた。山陽の二人の士人の子は帰ってもとの財産を管理しようとし、維揚を通り、北門外に泊まったが、日はすでに暮れていた。主人は慰めて綢繆とし、言った。「わたしはこの邸の主で、お泊りが久しくないことだけを恐れておりますが、お二人の前では、本当のことをお告げせぬわけにはまいりません。こちらはまったく清らかでございません。さらに盗賊がおり、宿れません。ここから十里の呂氏荘は、ェ雅[154]幽静で、賊を防ぐ備えもございますから、投宿しにゆくことをお望みなら、僕馬[155]でお送りいたしましょう。」士人はその忠告を受け、さらにもともと呂荘をよく知っていたので、頷いて去ることにした。主人は慇勤に別れを惜しみ、さらに帰途お訪ねくださいと頼み、二人の健僕[156]に馬を引かせ[157]、その旅はたいへん平穏であった。夜半前に荘に着くと、荘幹[158]が出迎え、この地には鬼物が多いのに、どうして夜歩きなさいましたかと言った。士人はくわしく理由を言い、まさに鞍を外そうとすると、僕馬は屹立して動かなくなった。すぐに飛び降り、火を執って見ると、ただ大きな枯竹二竿、木橙[159]二本があるばかりで、すぐに砕いて焼いたが、その後も恙なかった。数か月を経てふたたびその場所にゆくと、北門は寂然とし、いわゆる主人はいなかった。

 

鄒直清は饒州[160]の上巷[161]に住んでいた、その妹は姻戚の宴会に赴き、真夜中に帰ったが、二人の轎僕[162]は外に宿っていた。その一人鄭四は、人がきてともに出遊しようと招くと、退けて言った。「今しがた轎を担いで帰り、たいへん疲れているし、夜はすでに半ばを過ぎているのに、さらにどこに遊ぶか。」客はしいることができず、怒り罵って去った。鄒はなお寝ず、その騒ぎを訝り、出て見たが、何も見えなかった。まもなく、籬の上を越えて騒ぐ音が聞こえたので、そのしもべが水に溺れたのかと疑い、いそいで引いて救った。するとすぐに蘇り、言うには、壮年の幽鬼がわたしを呼び出し、怒ってゆこうとしなかったところ、むりに引いていった、手には鱗の皺があり、太い松の樹の皮のようで、しばらく逃れられなかった、水辺に引いてゆくと、わたしの両脚を持って投げ落とした、もし救うものが来なければ、きっと免れなかったということであった。鄒は守るように命じ、夜通し寝なかった。翌晩、また十余人が家を囲んで叫んだが、幽鬼が胸を打って泣いて言った。「またわたしの十二年が台無しになった[163]。ひどい。ひどい。」鄭のしもべも恙なかった。

 

彪父が袁州[164]を治めていた時のこと、客に会って夜に散じたので、虞侯[165]の退勤するべきものは、三更過ぎにはじめて家に帰った。ある虞侯は沿路ひとりでだれかと語り、嘖嘖としてやまず、さらに喜色をうかべ、仲間が事情を尋ねても、答えようとしなかった。百歩を過ぎると、はじめて言った。「娘が宅堂から出てきて遇ったが、こう言った。『知府の侍妾で、人々に受けいれられず、逃げようとして久しゅうございました、たまたま今晩主人が酔って眠り、下女たちも眠っていましたので、逃れてくることができました。どうかわたしを負っていってください。』すぐに金の(かんざし)(くしろ)それぞれ一隻をわたしに与え、饅頭を数個出し、席上の余りものだと言った。ついでわたしの家の所在を尋ね、ゆくことを求めたので、今からゆくのだ。」そして釵と釧を取って示すと、いずれも竹片で、いわゆる饅頭は、薜[166]で、俗に木饅頭と称しているものであった。その人は悟ったが、結局みずから免れられず、翌月に亡くなった。郡兵がともにその(あやかし)を調べたところ、それは二代前の郡守の妾で、子を生んだが、女主人に嫉まれ、その虐待に堪えず、子を抱いて水に身を投げて死んだもので、これはその幽鬼であった。

 

蔡亨謙将仕は、臨川の人で、もともと村落に住んで、彪父の娘を娶り、城下に引っ越し、軍営の前の空地を買って宅を建て、一家でそこへいった。その裏は小さな庭で、芭蕉が一叢あり、茎と葉は深くひそかに、しばしば物怪が見られ、ある時は歌唱談笑する声が聞こえた。ある妾がその傍らを通り、婦人が出てくるのに遇ってともに語ったが、容色はたいへん秀れていた。まもなく別れたが、幽鬼であることは疑いなかった。末っ子はわずか数歳であったが、白昼草叢で遊んでいると、婦人が中から走って出てき、すぐに髻を掴んで苦しめた。子の叫びは外に達し、蔡はいそいで杖を持って救いにいった。近づこうとすると、はじめて手を放し、舌を伸ばしたが五尺の紅綃[167]のようで、まっすぐ地に達してその後見えなくなった。蔡父子はみな驚いて倒れた。まもなく家人がすべて集まり、水を注ぎ、まもなく蘇った。主僕はその林を空しくするように命じ、それからまた動きはなかった。おもむろにそのことを尋ねると、そもそも前後の家はかつて侍児を縊り殺し、穴を掘って骨を埋めて、蕉を植えて覆い、数十年になろうとしているということであった。

 

呂文靖公[168]の宅は京師の林巷[169]あり、群従は[170]数十人、時節が朔望に遇えば、朝まだきにともに一つところに集まり、尊者[171]の出てくるのを待った。文穆公[172]の孫の雅は、年は十八、元日の謹礼[173]の時、身分が低く若いのでおきるのがたいへんはやく、小妾[174]に命じて提灯を持ってゆかせたところ、前方に数人が闇の中に立っているのがぼんやりと見えた。奇形異服で、たいへん世間の瘟神に似ており、ともに言った。「待制が来た。」だんだん壁に身を隠した。妾は驚いて倒れたが提灯は消えず、呂は助け起こし、みずから提灯を持っていった。幽鬼たちは慌て、すべて壁に走って消えた。その年、一家はみな疫病に罹ったが、呂だけは恙なかった、後に徽酋閣待制[175]で亡くなったが、鬼はそもそもさきにそれを知っていたのであった(その曽孫必中談)

 

呂叔炤は、淳熙甲寅年に安国府太平県の知事となり、一家は正堂の東の部屋にいた。長子必中、仲子会中は、年長だったので西の部屋にいて榻をともにしていたが、夏の夜に熟睡していると、榻牀[176]の下で人が語るような声がした。会中が誰かと尋ねると、答えて(はい)と言ったが[177]、その声は細く低かった。手を伸ばして尿瓶を探すと、その人は捧げて授けてくれたが、身長はわずか三尺ばかり、夢うつつの中で、「小婢でございます。」と言った。(ゆばり)しおわると、必中がそれについだが、また外で渡そうとし、やはり受け取って元のところに置くと、突然見えなくなった。時に二人の乳母が後閣[178]に臥し、呼ぶと何も気づかなかったといったので、はじめて(あやかし)であることを悟った。会中は病に罹り、数か月して癒えた(会中談)

 

安仁[179]県庁の老僕の輔は、紹熙癸丑、年は八十であった。片目を失明していたが、つねに語るには、三十年前、丞庁[180]で働き、茶と酒を管理していた。丞翁[181]は政務を執って客に会った。席が終わるとすでに夜半で、二升が余っていたので、残しておいて働いていたものを労おうとしたが、輔は人々に分け与えないでひとりそれを飲み、酔い、なお燭を持って器皿を片づけていた。まもなく三人の婦人が中から出てきたが、一人は冠を頂いていて官員の家の娘のようで、二人はばあやであった。輔は告げた。「夜三更を過ぎ、本官は帰宅しますのに、お嬢さまがどうしてこちらに来られました。かならず人に禍をなすのでしょう。」三人の女は恐れ、鉄の燭台を取って追われ、いそいで走って壁の下に逃げていった。時に夜間でぼんやりしていると、頭面に突然痛みを覚えたので、声を放って叫んだところ、宿直が走って入ってきたが、何も見えず、右目は出て地に落ち、流血は傾けるかのようで、さいわい死んでいなかった。そもそも前任の県丞の坊ちゃまは段知県の娘を娶ったが、まもなく、娘と乳母及び媵婢が相ついで死んだので、この(あやかし)が出たのであった。

 

乾道戊子、房州の司理汪尹師に男子がおり、年は弱冠にちかく、挙子の業を習い[182]、家の外に宿り、講学勤苦し、つねに夜半になって寝ていた。突然、病になり、飲食をすべて廃し、書も読まないで、痛みに耐えて言おうとせず、一月を経て死んだ。しばらくするとかれの乳母も急死したが、三日してまた蘇り、言った。「交代した前任者の未婚の娘[183]がこちらで亡くなり、わたしの子はその娘と会い[184]、今、夫婦となり、楽しみは人の世に勝っており、わたしをつれてゆき、普段どおりに扱おうとなさいました。わたしは責めて言いました。『坊ちゃまは冥土でご結婚なさり、愛情は魚と水のようでございますが、もしやご両親が追悼していらっしゃるのを忘れられたのですか。わたしがさらに留まれば、誰がお世話するのです。』坊ちゃまは感泣して語らず、わたしははじめて帰られたのでございます。」わたしの一族仁光基は時に房陵[185]の尉をしていて[186]、みずからこのことを見た。

 

臨安の倡女(うたいめ)[187]は、二十二で、名をといい、性質はたいへん凶暴で、その目下のものを統御するさまはもっとも残虐であった。小間使いが指示に沿わないことを怒れば、鞭うつこと百たび、さらに鉄を焼いて炙って死にいたらせたので、近隣に訴えられた。娼家は下女を養うすべがなくなったが[188]獄吏に贈賄し、申告した。「車駕が朝に徳寿宮[189]を過ぎました時、小間使いが炭を熾して用心していませんでしたので、戒めましたが、反抗しましたので、鞭うちを加えました。たまたま火箸が側にございましたので、取ってその背を打ちましたところ、誤って急所に中たってこうなったのでございます。」そして情理に従って奏上したところ、死刑を減免して杖脊[190]にし、鄱陽に編隸[191]されることになった。中途で逃げて帰ったが、また杖を受け、縛られて流された。鄱にゆくと、楽部[192]に参与させられた。容貌はきわめて不器量であったが、たいへん聡明で、すぐに詩詞を作れた。わたしは席上で紙筆を与えたことがあるが、すぐに詞を賦した。大略はわたしたち兄弟を賛美するもので、「鄱江の英気三秀に(あつ)まる」の言葉があった。塩商太は、その家に遊び、金銭で買収して落籍してやり、舟中に置いてやり、妻とした。凶悪な心は改まらず、太には先に妾がいたが、日夜殴り罵り、結局殺してしまい、屍を江に投じた。その晩、すぐに物が舷側を蹴り、枕席の間に往来し、燭を点して見たが、何も見えなかった。輾転して寝られず、その良人に告げて言った。「情況はたいへん悪く、現在、たいへん人間らしさがございませんので[193]、きっと免れないでしょう。わたしはふたたび牢獄に入れられ、拷問されて悲惨なありさま、今どうしてまた耐えられましょう。」太はかれが自殺することを恐れ、色よい言葉で慰めた[194]。翌日、防備を[195]尽くしていたところ、(とま)に登り、すぐに水を取ろうとした、大声で叫んで哀れみを乞うたが、その頭を引くものがいるかのように、すぐに水に身を投げ、船頭が入って救えば、すでに死んでおり、さらに前の妾と抱きあっていた。太はみずからお上に言い、屍を調べて傷がなく、みずから数百千[196]を抛っておしまいにした。

 

宣和[197]七年春、相州[198]の士人が京師に来、転任して帰り、封丘門[199]を出たが、見ると婦人が紅い背子[200]を着け、紫の冪首[201]を戴き、馬前をゆき、距離は十余、後につく従僕がいなかったので、たいへんおかしいと思い、馬に鞭うって追ったが、婦人は歩みは加速しないのに、結局追いつけなかった。陳橋鎮[202]にゆき、突然すこしたって振りかえって言った。「どうして追いかけられます。どうか妄想を起こされないでください。さらに大禍を得られましょう。わたしは大社の神で、上帝の命を奉じて汴都の五百の神々を率い、東岳に赴いて引き渡すのですが、それをご覧になろうとは思いませんでした。」まもなく風が冪を吹いて落としたので、士人は喜んで近づいて見ると、大きな顔は盤のようで、口と鼻はなく、ただ縦横に数十の眼があり、光は閃いては炯然としていた。士人は絶叫して地に落ち、しばらくしてはじめて正気づき、知るものに、神が棄てて去ったのは、国の福でないと疑われるとひそかに言った。翌年ほんとうに兵を率い、城は陥り、このことは徐端立から聞いた。呂察問[203]が言うには、かれの叔曽祖[204]文靖公[205]が栄達する前、かつて夜に月影を踏んで、婦人に会ったが、紅い冪首で側に立った。公子は振り返らないでいると、婦人は、官人、わたしを一目ごらんなさいといったが、やはり答えなかった。再三にいたり、ゆっくりとその冪を掲げれば、満面すべて眼であったので、怒鳴った。「こんな(つら)なのに人が見ることを求めるのか。」婦人は語らないで、立って動かなかった。まもなく、公がまた前を過ぎると、謝して言った。「官人はほんとうに宰相の器量がございます。」そして見えなくなったが、そもそもそれもこの類で、出て人を試したのであった。

 

饒州[206]の薦福寺[207]は、東南はすべて湖に臨み、西北の裏山には、塚墓丘亭が多く、崩れた垣が岌岌[208]として相臨み、人々の祭祀が終わると、僧僕[209]の見回りのものが往来するばかりで、このほかには通行するものはいなかった。医士雍友文は、仲間三人と、晩秋に酒を永平監の岳家で買い、みなよく酔った。密造酒を飲んだために、邏務[210]に捕らわれるのを恐れ、飲み屋の裏門から帰った。まさにその時、時間は晩に迫っており、陰雲は四方に垂れ、松風は淒然とし、景物は恐ろしかった。見ると一人の白衣の男子が路上の草叢に坐し、顔を中に向け、呼んでも答えなかったので、さらに語った。郷親(シャンチン)(民間でおたがいを呼ぶ称である。)、こちらは穢れたところで、昏れようとしていますから、こちらにいるのは難しゅうございます。」やはり答えず、怪しいことに、衣の中に縮んで収まり、体はだんだん低くなり、突然消えて見えなくなった。人々は熊氏の墳屋[211]に入り、(おばしま)に倚って分かれて臥したが[212]、夜通し泣いて歌って笑う声が聞こえ、さらに言った。「ほんとうに強情で、経紀[213]にぴったりだが、いかんせんかれは生気がたいへん盛んだ。」馬に跨って通るものがおり[214]、酒が醒め、鶏が鳴くと、はじめて動悸を覚え、すぐに城に入った(支文談)

 

最終更新日:201524

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[1]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1927208.htm&sa=U&ei=txVPUJDEGYnzmAWwloDIBA&ved=0CCEQFjAA&usg=AFQjCNGiL26Q6si4oYhhLa8AbAyIfNdvHQ

[2]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%A1%98%E9%95%87

[3]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic94ZdicB0181207.htm&sa=U&ei=59syUPWqNYOdmQWK6YGYBw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNGJS3cdzsfdWfIyZGuzprV7jwuJhAもっぱら農業を事とする奴僕。

[4]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE5Zdic88Zdic8026146.htm&sa=U&ei=x480UID6Gs-ImQXRpoHICA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHjA0xKwuyOshnnN5wJWsPSTWcDDg理髪整容。

[5]原文「須汝為戲。」。「為戲」が未詳。とりあえずこう訳す。

[6]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic93Zdic83341193.htm&sa=U&ei=C5A0UNaXBOeimQXDl4DAAg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHsXQGjDbj8AODkCmNHpOqjtmQ_sA金属の響器名。大は、小は

[7]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5Zdic93Zdic8059918.htm&sa=U&ei=fJA0UIKkGs7tmAW95YHwAg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFdNTuEWIXYY1sBLTPe4QDkhkM0Fw挽歌。

[8]原文「將鼓鐸而歌」。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9ZdicBCZdic9380305.htm&sa=U&ei=ppA0UKipMezUmAW9toGQAw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF1Ry5L2q5LcS1DjJ9z_JHHJHfYcA「鼓鐸」に関して漢典に適当な語釈なし。訳文の意であろう。

[9]未詳。

[10]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6ZdicA6Zdic9B140543.htm&sa=U&ei=EZI0ULjTAdHtmAWvgoGoCQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHeOUuhOPNPy5iQROIH6jYR0OC87Q

[11]未詳だが、であろう。

[12]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic90ZdicB4104685.htm&sa=U&ei=ZMNWULeQLK6ZiAeOiIC4Cg&ved=0CCQQFjAD&usg=AFQjCNHjHl9HIfOj4pUOL41ahJGfOI6WqA豫章(今の江西省)

[13]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6Zdic89Zdic91165380.htm&sa=U&ei=PpM0ULuyN6b-mAWexoCoBA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGhz8MUK2_EBPUlHo4PtRnzQ2AHlg撲鹿http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6Zdic89Zdic91138910.htm&sa=U&ei=uys7UKC1C6neigfL14HQDQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEcC_3RqZQ-oSOkMJB5UuK25-WZMA「撲漉」とも。擬音語。はばたく音。ぱたぱた。

[14]http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k77/image/03/k77s0157.html 

[15]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2692236.htm&sa=U&ei=fcVVUO6BL7ChiAeVoIGwAg&ved=0CB8QFjAD&usg=AFQjCNF6DjL9bB7oFXb5nVIiPs6hfjtgPQ

[16]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1101908.htm&sa=U&ei=LoNWUL6AFcaPiAfAw4GABA&ved=0CBcQFjAA&usg=AFQjCNGJ-TV6rZZPbJWXxSEO_A5_aWlPNw

[17]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/233784.htm&sa=U&ei=SYNWUNGmGbGTiAfdz4DgCQ&ved=0CBkQFjAB&usg=AFQjCNHdPg7FOQwwFYUnbbokntYcOyBpaw

[18]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/178317.htm&sa=U&ei=WoNWUIzONaeuiAf_4oDQDQ&ved=0CCAQFjAA&usg=AFQjCNG1-MQj7--Lyq_8QkoHWoaHwVMTnw

[19]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/331754.htm&sa=U&ei=NGJVUKKcJuiViAfysYDACg&ved=0CCgQFjAB&usg=AFQjCNEtYY28d3Lz60hUqYAg5pHcZWeung

[20]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic84ZdicA4152966.htm&sa=U&ei=eqE0UOiMJZGZmQXikIGYDA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFL_QwqP10KaY7DFOvvgHwwnlOMvw抑鬱。

[21]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic87ZdicBA27136.htm世俗を超出すること。

[22]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/74273.htm&sa=U&ei=3xhPUI7_HfH3mAXszIGwBg&ved=0CCEQFjAA&usg=AFQjCNG22QzA8vZkGXtOfUwpD1voRZJOnA

[23]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7Zdic90ZdicBC134783.htm&sa=U&ei=gdRVUMSaFYSriAfhr4GQAw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNENrFHT56QZRwMyM2R-sYjJEJbXlw仙人が居る室。

[24]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic86ZdicB081802.htm&sa=U&ei=qdRVULq1KIa6iQeJpYHYCA&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNHT1TGDOig-Fr-S4TNG85nUrVzbIg氷を盛った玉。品徳が清白廉潔であることの月あるいは月光をも指す。

[25]この「把」は「〜を」の意。

[26]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic83Zdic9F172437.htm&sa=U&ei=IBlPUJ72Ic2KmQWF_4CoBw&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNE879c2IYz6BCq61aTnkjTfWkkBRg女の鬢髪。また鬢髪のしさの形容。

[27]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicBFZdicA0202296.htm&sa=U&ei=FHVEUJy3NMzwmAX-0YDoBA&ved=0CBkQFjAB&usg=AFQjCNGX_W_q8pf_EM6Qmjv2aH0nCoDYig碧波。

[28]

[29]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE7ZdicBEZdicBD204579.htm&sa=U&ei=ohlPUJ-XDY2HmQXmm4HwBg&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNH5zNUq7jBMkYyDY5jmknUhnJ7t8g帝王の仗の中で鳥の羽を綴って飾りとした華蓋。ひろく簿をもさす、天子の代称にもなる。

[30]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicBEZdic8E210357.htm&sa=U&ei=96E0UK_nEKXYmAWfmICoAg&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNGzpoSW0gqAkCD0NPMAmGMBgG8JUg輜車軿の併称。後にひろく蔽いのあるをさす。

[31]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE7ZdicA9Zdic86186323.htm&sa=U&ei=yOUyULe_Bc_tmAWf_IC4Cg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHCGl_GvZYcmEUjEAbt7mfVCfA56A静思のさま。和敬のさま。

[32]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/875597.htm&sa=U&ei=vNhPUJOjOITumAX62oCIDQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF1ZBvHGhkHg8NCAtp5P-H2slegSw

[33]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicAEZdic95232937.htm&sa=U&ei=ZKI0UKmmMtGcmQW484G4Bg&ved=0CCkQFjAI&usg=AFQjCNE99apHsSCGcfmWDZQERxi86otPUQ箕箒http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicAEZdic95192689.htm&sa=U&ei=EtlPUOCaHZGImQX_joHYBw&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNE4A_dSdHPKmV99nVD2iFk4n3QNig妻妾をさす。

[34]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBDZdicB3100497.htm&sa=U&ei=bJ5VUPbWI6eRigf-qYCQAw&ved=0CBkQFjAB&usg=AFQjCNFNTrWLVR5T72W8oaeOUMGLciugmAよい配偶、意に叶った配偶。美しく幸福な夫妻。

[35]原文「非君憶舊遊、亦無因知我家如此其熟也。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[36]原文「挽使罷歸」。「挽」が未詳。「挽」は「浼」の誤字か。

[37]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/233784.htm&sa=U&ei=09VVUKK9JYetiQfhsYHYAw&ved=0CBkQFjAB&usg=AFQjCNGVcav6d9rw0AVM8GbBILHBsGu95w

[38]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic85Zdic92210671.htm&sa=U&ei=JzVTUMW6DaeKmQX3_4H4BQ&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNFeN-NDM_8vVi671kYEPAlymFpSlQ造酒およびそれにかかわる政令を掌する官

[39]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicAEZdicB6295296.htm&sa=U&ei=uqM0UKnwM4LHmQWPlIGAAg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHpoZxiu2dEPQ_Sn_dAvDSev63GdA家中で遭遇した重大な不幸。ここでは肉親の死。

[40]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/51452.htm&sa=U&ei=maFVUIvVD8bUigf8oIH4Dw&ved=0CCgQFjAB&usg=AFQjCNFmi1vSIzL6iM-4hnPh1l6BVLqxPA

[41]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/36376.htm&sa=U&ei=qqFVUIe1ONGbiQeW9IGICQ&ved=0CCgQFjAB&usg=AFQjCNHsvyroRSDfotJnDp5u-Zq14N8exQ

[42]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/36376.htm&sa=U&ei=Q9ZVUL73E8WgiQe6noDoCA&ved=0CCgQFjAB&usg=AFQjCNFYVSzfYzfhBBZXb8ly6NICgJ7rxw

[43]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicAEZdicB6318599.htm職を辞去することあるいは職業がなく、家で閑居することを指す

[44]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/58736.htm&sa=U&ei=WdlPUN6wAoWimQWW1ICQDA&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNHSq4Gf31QugbhJlisIyYi2Pj00AQ

[45]原文同じ。まったく未詳。「正官」の誤りか。

[46]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicA6Zdic84131131.htm&sa=U&ei=MugyUNbKFqHZmAWi74DIDQ&ved=0CBgQFjAB&usg=AFQjCNEv0TJxBOt8TuJBw2Rym33t29ahIQ妄心が現した虚妄不実の境界。

[47]原文「蓋初治像及撰詞時、方寸墜妄境。」。未詳。とりあえずこう訳す。撰文したとき、すでに魔物に魅入られていたということか。

[48]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8FZdicB8110845.htm&sa=U&ei=HaU0UPuWAefqmAWS04DQBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGiCG4QFBhHRLLF-cuB5KlxcfQiCQ官名。

[49]原文同じ。まったく未詳。

[50]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE8ZdicB5ZdicA4233905.htm色をする泥土。酒甕の封に用いた。

[51]原文「其中有兩朱紅合及赤泥酒數瓶者」。「合」が未詳。とりあえずこう訳す。

[52]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6ZdicB0Zdic91171001.htm&sa=U&ei=UXU3ULrmCoeaiAfTl4CYDQ&ved=0CBcQFjAA&usg=AFQjCNE-HHSag_Bj9JSQOa-P_FrfWzaaXg民家。

[53]未詳

[54] http://baike.baidu.com/view/102772.htm 

[55] http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k77/image/20/k77s1452.html 

[56]未詳。かつらのようなものか。グーグル検索結果 

[57]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/331296.htm&sa=U&ei=Qt5PULfbOKn2mAWhr4DoBQ&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNFQLIbWeJcos1h6HEV0Vkb9BXlByg

[58]原文「恐費經護。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[59]原文「念業已至」。未詳。とりあえずこう訳す。

[60]原文「仍略疏葬埋之費」。「疏」が未詳。とりあえずこう訳す。

[61]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBEZdic8D87678.htm&sa=U&ei=96lAUOyXEITKmAX72YHoCQ&ved=0CBcQFjAB&usg=AFQjCNEZJ8eiQet6ycFlh4_FwerFuAEDJw随身の奴僕。後におおく侍女をさす。

[62]さまざまな文献に見える。グーグル検索結果

[63]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7ZdicBCZdic97.htm&sa=U&ei=ZdhVUPTjK6qViAeJjIDoBw&ved=0CBgQFjAB&usg=AFQjCNEfGz7UEyuI56vWx5WQIQWYeDzntQ緡」は一千文。

[64]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE4ZdicBAZdicB5247310.htm&sa=U&ei=4qg0UID-As_0mAWoyoBQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGS_Psx6uWdzwo9GjEV2HxEbIWgMQ侮り戯れること

[65]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/145437.htm&sa=U&ei=Vd9PUL_SGeHrmAWk7YGoAw&ved=0CCkQFjAB&usg=AFQjCNG2wZmKabWO2RukZgAtDZvmu1tg0w

[66]原文「考攝獲一鬼」。「考攝」が未詳。とりあえずこう訳す。

[67]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA733966.htm&sa=U&ei=WkRTUJl25pOJB9qBgfgD&ved=0CB8QFjAC&usg=AFQjCNHhyCjDHqNDjwoe337Eko2jdYvjBw道教で行する盛大な祭天式。

[68]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic8BZdicAF141855.htm&sa=U&ei=Tt8-UPK6JJGXmQXepYCADQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHTR3BlvnvYQ5sJdwpLazIBelL0ew窮境の中から救うあるいは解脱すること。

[69]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE6Zdic8DZdic90.htm

[70]原文同じ。まったく未詳。儀式の一種か。

[71]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicBBZdic9E142858.htm&sa=U&ei=J6o0UI32F--hmQWQrIHYBQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGBDKnV_WoV2cnTk0YWqaJIm1RPUA遊蕩してどころのない魂魄。

[72]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicB4ZdicA2236889.htm&sa=U&ei=CUQ7UM_pL4eziQeSiICoCA&ved=0CCIQFjAB&usg=AFQjCNHqt7Z6Q11ZRp2x931EC4QwJifGLQ擬音語

[73]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic81ZdicA518067.htm&sa=U&ei=V-Y9UPjHEqL3mAWahYCYBQ&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNHPt4rI_fazFUEpgDniTpdk5c1tmw健壮の卒。

[74]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicACZdicBC257255.htm&sa=U&ei=h0Q7UKSDKq-wiQetwoH4DA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGkTHt083cNXi2-WYO1ktAA1dpJFA鬼道

[75]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic9DZdic91100056.htm&sa=U&ei=-6o0UJ2cPIKPmQXQ7YCgBw&ved=0CBcQFjAB&usg=AFQjCNH42-vJDbjXfVoT5llr_85k8o8vBg金属採掘と精錬。

[76]『宋史』に「司幹官」の用例が多数あるが「坑冶司幹官」はなく、未詳。鉱山関係の官であろうが。

[77]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/65061.htm&sa=U&ei=VOBPUPOyFM_ymAWN1ICIDQ&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNFl_HBF5kW9ZQzi_tQpEjdcJZYNyg

[78]原文「少焉微寤」。叙述が舌足らずのようである。一旦寝ていたのであろう。

[79]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic99Zdic9E196021.htm&sa=U&ei=2DA2UKa3Es_rmAXoxICgDw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEm2difonH5av7i3iJnNYCKAdVMpA官僚が雇用している侍従。

[80]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/8339.htm&sa=U&ei=zOBPUPe6KKXwmAXF-ID4Dw&ved=0CCEQFjAA&usg=AFQjCNH1MeuW4LCXzD8MZAdEXTaEWv4Rrw

[81]未詳だが、対聯を書くための紙であろう。

[82]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE9Zdic81Zdic97242100.htm&sa=U&ei=HzE2UJ6sCoHWmAWb34HACg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEKIpMlYCBWUE-jc7vBDv39n4EGDw人の死後る魂魄。

[83]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicA0Zdic96109732.htm&sa=U&ei=z600UNu-IsfNmgXct4HoBg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEX-2HZSpfXj-D4PEYg4nCuqPB8mw滞留。

[84]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8Zdic8DZdic8F64234.htm&sa=U&ei=YLg0ULzDKKj3mAX934GoAQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGZl2-0gaf3mrgoYukk1TSMhGaKUw時間が知らず知らずの間にだんだん過ぎ去ること

[85]車志』巻一に見える。

[86]宣和省都督。原文同じ。まったく未詳。

[87]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicA3ZdicB0194717.htm&sa=U&ei=h-RPUMaTOqnzmAXn_oD4Bw&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNHtn90LszD5uz0gM5LI7cDLvBE5aw声伎http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicA3ZdicB0194703.htm廷および族の家の歌舞女。

[88]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7Zdic85ZdicA7147385.htm&sa=U&ei=2F07UN3MHbGUiQfMh4GwAQ&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNGRiFdv-8_IeyBaufhe-lO6JZ7HMA十二月二十四日あるいは除夕に点灯して牀の下を照らし、邪鬼怪を除し、これを「照虚耗」といった。宋孟元老『京夢華録·十二月』「二十四日交年……夜於牀底点灯、照虚耗。」

[89]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicA1Zdic90126223.htm&sa=U&ei=qwozUJTpLsSimQW96YHgBg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEvjw73_Kpjl5UPiUsn_Gv6JLAdTw桐油からした膏、製墨原料。

[90]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic9DZdic82257210.htm&sa=U&ei=pLo0UNPfOMTkmAXD2IGYCw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNG7goacuMtGpY8YSXlRoGnwkA5Wbg多種の色。

[91]原文「我為人登溷不作聲」。未詳。とりあえずこう訳す。

[92]麻油は瘍の薬の素材として用いられるようである。「麻油」は「瘍」のグーグル検索結果

[93]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%2581%25A9%25E5%25B7%259E&sa=U&ei=GuZPUMC2I8nEmAXV44HwCQ&ved=0CBwQFjAB&usg=AFQjCNFACb4B5Q21O_1DpqfMKv1Ed-1jZw

[94]http://baike.baidu.com/view/184759.htm

[95]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/983648.htm&sa=U&ei=Z-ZPUL77IaKOmQWm3YHICg&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNFi2e5vV8F14z_MsYA68oeqmsltSg

[96]未詳だが、怪しい幽鬼であろう。

[97]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic8FZdicAD126192.htm&sa=U&ei=Jb00UMb9GKqKmQX2loCQDQ&ved=0CB0QFjAB&usg=AFQjCNGB8Lm4kgI8K0po_Om2KULL6GnmXw御前に当する禁衛軍

[98]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE8ZdicBCZdic83.htm&sa=U&ei=A740ULfbIs-gmQWV7YGAAw&ved=0CBcQFjAB&usg=AFQjCNEE-Q60We_Dboako07fqG4EinmXfg原文「不足較」。訳はこれでよいのであろうが、目語が未詳。巡検とも主簿とも考えられる。また「(巡検・主簿を)咎める価値がない」という意味にも、「「(巡検・主簿を)咎める力が(自分に)ない」という意味にも解釈できるように思う。

[99]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE8Zdic88Zdic86208295.htm&sa=U&ei=L740UL22DY-XmQWt94GwDQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEegmNIIxlkmToXm-cbH2tw2XDOdw車馬

[100]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9Zdic87Zdic91273975.htm袋および紫衣。唐宋官服顕官をもさす

[101]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2553661.htm&sa=U&ei=YelPUK2JFauJmQWEiYHAAw&ved=0CCMQFjAB&usg=AFQjCNF8jph1lIORVQwCuC1JiGgdjUeecg

[102]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/218532.htm&sa=U&ei=5rVWUK67C_CUiAee1YCIAg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGDEmCYFkQHBOiNGAmXSLoUCARicQ今の蘇州

[103]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/33591.htm&sa=U&ei=p7VWUP7TAqSviQe5koDQAQ&ved=0CCoQFjAE&usg=AFQjCNGbkftKitrFl6UKRlg_fMqrYHzmeA

[104]原文「銀裹柱壘」。まったく未詳。「柱壘」は後ろに出てくるやはり意味不明の「妝壘」に同じいと思われる。文脈からすると、手で持てるほどのもので、副葬品のようである。

[105]原文同じ。まったく未詳。前注参照。

[106]未詳

[107]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/17178.htm&sa=U&ei=JupPULPUKsnEmAXV44HwCQ&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNEu5CFRXQUjqqnS7L8pERH1RQEaJg

[108]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6Zdic89ZdicB0285105.htm&sa=U&ei=JcA0UKXAFqPsmAXJs4HQCg&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNFPC-W7zK7UmCp2iXpSkH-PoP8QWQ乱のさま、乱のさま。

[109]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8DZdicA0331645.htm漢典に適当な語釈なし。訳文の意であろう。

[110]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6ZdicBCZdic8F145541.htm&sa=U&ei=ZepPUO2QA8_0mAWg6oHIDw&ved=0CCQQFjAB&usg=AFQjCNEM661ZL3Wg2VlrcuxWpCoj5s4Q0Q合葬地。およそ主のない屍骸および家が貧しく葬地がない者は、官家によって合葬せられ、その地「漏園」と称した。制度は宋代に始まる

[111]漏沢園

[112]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicABZdicA5174426.htm&sa=U&ei=PxEzUK6fAY2imQWo8YG4Ag&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEdaq5PByHtCHNN4YKAIIaI9SjT2g出家して寺に入り、まだ度牒を取得していない少年。

[113]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/19/ZdicE7ZdicB0ZdicBF231553.htm&sa=U&ei=aREzUNGzKafNmAXH7YGQDA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHX6s4z0j8jM_6_90x7YiqkFm9HFw主簿が執務する官署。

[114]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/719783.htm&sa=U&ei=0upPUMq9Dqn0mAXUkoDgBQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNE6-j95bKqPvz2ZHI0Cj4MicmSlFg

[115]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9Zdic83Zdic8A245403.htm&sa=U&ei=FRIzUNfUK6_nmAXL8IHABg&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNGikcftIFJJ8UQa53PBbbi0Oisogg天子が天地を祭る大礼。

[116]さまざまな文献に見える。グーグル検索結果

[117]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE9ZdicA9ZdicAC66706.htm&sa=U&ei=iKw4UPfjHqawiQeU8IHQCA&ved=0CB0QFjAB&usg=AFQjCNFFRlFzubW0rCDRA2e6sAnpueht6Q兵と兵。

[118]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic85ZdicB598379.htm&sa=U&ei=baw4UKTmJciViQeUx4HICQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGcID0putRmvBwD_vuT0Ps7IpWHxw士兵、軍隊

[119]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8Zdic87ZdicB3186203.htm&sa=U&ei=k8E0UOrqIcejmQXZh4DYCg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGJ77IcCmMr2UR6tqSpmKGawrEKCA道家で脱俗し、無我の境界に到達した人を指す。

[120]呪術のように思われるが未詳。 天枢は星名。北斗の第一星。 

[121] 原文「即焚香洞視」。未詳。とりあえずこう訳す。「洞視」は透視。

[122]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicA3ZdicB0176538.htm&sa=U&ei=xRIzUPzfOPCUmQWvpYHQAg&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNFwtSVh653RNhOIXXHflevy4dEV-whttp://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicA3ZdicB0193190.htm官長に謁見したり賓客に会見したりする時に拱手して挨拶し、同時に声を揚げて敬意を示すことをいう。

[123] 原文「叩之,則治迎壽之祟何在。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[124] 原文「付乞浣衣去。」。「付」が未詳。おそらく「伏」の誤字であろう。

[125]前注参照。

[126]原文「頃一帖山官人」。未詳。とりあえずこう訳す。

[127]さまざまな文献に見える。「白龜池」「臨安」のグーグル検索結果

[128]グーグル検索結果 『咸淳臨安志』などに見える。

[129]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicBDZdicA948053.htm&sa=U&ei=MsM0UP-oCqfcmAWXuoGoDw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGj8IOZ_g_DXDI38R3Ap-DM-fwstA彩色の絲綢

[130]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic8EZdic8C162461.htm務を掌管すること。ここではそれをする人であろう。執事。

[131]原文「逮旦且晡」。未詳。とりあえずこう訳す。

[132]未詳だが、捕り手のようなものであろう。

[133]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicBCZdicA3337475.htm&sa=U&ei=ssM0UOyNKOHamAXL3YG4DA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFeqGAAkQNjWx_zIQsBLbfrCR3_vA絹類物。賞賜謝礼の物とし、また貨幣とする。

[134]さまざまな古籍に見える。グーグル検索結果

[135]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE8ZdicB8ZdicBD244570.htm&sa=U&ei=ORUzUKX2LfCUmQWvpYHQAg&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNGp1CkYy6JqmZe8tQcjUk3QtvWmjw独行のさま。小徐行のさま。

[136]http://www.google.com/url?q=http://big5.wiki8.com/suhexiangwan_23185/&sa=U&ei=Xt9VUJ3yAaSjiAeGsoHgBA&ved=0CBgQFjAB&usg=AFQjCNFdCQ_Tz-HVdgM7XhFb-EArHKrWsw

[137]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2976232.htm&sa=U&ei=dxczUNOuGI3omAWWx4DADw&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNEDz7XgTjFqI_NhVcVNOurs3UhU4w

[138]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic83ZdicB6307721.htm&sa=U&ei=U8Q0UOS4MaaNmQWZkICYBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNG3rYQn3AhgkRre8_DypSLrKwTBrQ恐懼不安のさま。

[139]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/541666.htm&sa=U&ei=jPRPUOX6HobwmAWlnoG4BQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFvnE_SnjHClodwdh0TfutarT8_Jw画像検索結果

[140]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/940068.htm&sa=U&ei=wPRPUMfRFsv2mAXclIDIBg&ved=0CCkQFjAB&usg=AFQjCNFldYNu1ESCZA1BdAXZNtwtIRACxw

[141]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE5ZdicBDZdicB1109499.htm&sa=U&ei=J8U0UMvVGe2cmQXA4ICgCg&ved=0CCAQFjAA&usg=AFQjCNE_fhmqxikVhI4QjeeQBTdqrsx0hw。その中に祖先の像を祭る。

[142]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/10046.htm&sa=U&ei=evVPUIK-No3kmAXCi4C4Bg&ved=0CCkQFjAB&usg=AFQjCNGgg4DMb-1kGd79OIDcJm-tTwDS7Q

[143]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1941668.htm&sa=U&ei=CLxWUNbWG4KsiAe_7oCIAw&ved=0CCEQFjAB&usg=AFQjCNGz5bUdtFBsjV8fhUvYQbdJium6hA瑞洪鎮

[144]http://www.google.com/url?q=http://218.64.165.196:90/bm/content/2012/05/13/14188.htm&sa=U&ei=MrxWUOvlEoqaiQegioHgBQ&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNE800nb7c0Sn6wuJ_9qSdFOsKGuvw洪崖寺、洪塘寺とも。

[145]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%2587%25B4%25E5%2592%258C&sa=U&ei=gd5TUOiZC6qhiAfzu4HABA&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNHCH7eV71YsT3qo_vXQTqOn3RQ9pA

[146]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/47330.htm&sa=U&ei=2vVPUNzyGMfkmAXwoID4CQ&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNESjte7fFiplpZ2F6fDlWFlQJzoyQ官名

[147]未詳。現在の湖州市に方田河という地名があるがこれと関係あるか。

[148]原文「」。未詳。とりあえずこう訳す。

[149]湖州から鎮江に戻ること。

[150]物語が舌足らずなのでわかりにくいが、璋は禋が一万六千銭を持っているのは盗みをしたからだと疑っているのであろう。

[151]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicB8ZdicBB8824.htm&sa=U&ei=DIg7UMaKGMyjiAfcyIGYAQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHznCYn3MIsk4n7b0axD5z1sZc2gA仏寺の住持。

[152]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicA7ZdicBB180847.htm&sa=U&ei=Ra44UMKWEoSiiAeEqYCgAg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF-nQAceejZMXfckAQ5fWOm9_tX6Q属関係にない官署のでやりとりされる公文。

[153]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE4ZdicB8ZdicA47290.htm&sa=U&ei=iPhPUIGsEOiOmQXQ0oCADQ&ved=0CCEQFjAC&usg=AFQjCNF37C_78zUsemNEVbOBj0O0ExE_zQ宋の熙寧以後、淮南路を分けて東、西二路にし、、淮西と称し、後にその地「両淮」と合称した

[154]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicAEZdicBD126264.htm&sa=U&ei=TTQzULPuPPChmQXszYDYCA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFZPgWkjHikAWx_cOUrnPRaRMtaww漢典に適当な語釈なし。ゆったりして雅なことであろう。

[155]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBBZdic86105513.htm&sa=U&ei=3644UI_8NomkiQesw4GgBQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHaG7W5cDE_D29g85rdzkkDcsPDHQ従僕と乗馬

[156]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic81ZdicA518078.htm&sa=U&ei=GK84UKDEGaqaiQeonYG4Aw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEUepG5Ixk5Jxlis4wbXiCixFUgqQ健壮の僕人。

[157]原文「遣兩健僕控馬」。控馬」に関して漢典に適当な語釈なし。訳文の意であろう。

[158]未詳だが、荘園の幹部であろう。

[159]原文同じ。未詳。ダイダイの木なのか。

[160]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/804651.htm&sa=U&ei=4fpPUILCAY3zmAWcyIHoCg&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNHXZ-dS0vKITz-CM2pSz9f_fvDx-A

[161]未詳

[162]未詳だが、轎を担ぐ人々であろう。

[163]原文「又壞我十二年矣」。未詳。とりあえずこう訳す。

[164]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/51452.htm&sa=U&ei=qP5PUOq3A-WgmQWJ8IDIDg&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNE4TavqjztE3StMpdvyn9szNXcX1A

[165]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic99Zdic9E196021.htm&sa=U&ei=y_5PUIvBCeWDmQW13YGQDw&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNGWaKDObUa0MLut18Av5kMuLa7wxQ官僚が雇用する侍従。

[166]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE8Zdic96Zdic9C331717.htm&sa=U&ei=Ef9PUJb5CoihmQXmj4DADg&ved=0CDUQFjAH&usg=AFQjCNHpB3rp1U34anDzkrDtArDhErybdw。植物名。画像検索結果

[167]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE7ZdicBAZdicA2203997.htm&sa=U&ei=ics0UJjKJInmmAXUoIBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGd_dfvn62_qZjuV8Pm1mevubWBVA色の薄い

[168]呂夷簡

[169]街巷名こちらを参照。

[170]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicBEZdicA4201562.htm&sa=U&ei=ODwzUNLtIs_jmAXVo4HYCQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGPI7LXKGOv4GlDbcifGUEC0e8jTQ同世代および一世代下の一族

[171]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5ZdicB0Zdic8A86618.htm&sa=U&ei=1lc4UN35NtGXiAeXlIFw&ved=0CB8QFjAC&usg=AFQjCNE6ZgOJIbzuPhXm8fnjlsj2-IB4bg世代あるいは地位が高い人。

[172]宋代、文穆と謚された人物は多いが、ここでは呂蒙正のことであろう。

[173]原文同じ。未詳。儀式の一種か。

[174]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicB0Zdic8F109567.htm&sa=U&ei=4zwzUIDELubgmAXw04HgCg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFZh9GobpvDldvnJrSfYcIBRDVq4g若い女奴。

[175]徽猷閣に置かれた待制

[176]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6ZdicA6ZdicBB140797.htm&sa=U&ei=Ax08UKnsFIGdmQXduIHQCw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNFPTO1coT6HTtnefkabntIoDkPdrQ臥にする小さい牀。

[177]原文「」。会話がかみあっていないがこれはこれでよいのであろう。

[178]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic90Zdic8E305555.htm&sa=U&ei=LtA0UPXmLu_JmAWlpIGoCw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF04uZPt1ZSAo_2zHTkc8sUb4JD5A漢典に適当な語釈なし。奥の間のことであろう。

[179]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/367677.htm&sa=U&ei=SeNVULC2LO2OiAen0IAo&ved=0CDMQFjAD&usg=AFQjCNFjcqy8HDQHMeRRWuKksqxGUW0qMQ

[180]未詳だが、県丞の役所であろう。

[181]未詳だが、県丞のことであろう。

[182]「受験勉強し」ということ。

[183]原文「前政交代之室女死於此」。「交代」が未詳。とりあえずこう訳す。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5ZdicAEZdicA4326901.htm&sa=U&ei=YjM8UP3DEcrXmAXko4CQDA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHbpUBE48t2Uqgl7VYXareVHSTmQQ未婚の娘。

[184] 原文「吾兒蓋與之相遇」。乳母が自分が乳を飲ませた子を「吾兒」と称することがあるのか未詳。とりあえずこう訳す。

[185]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/816999.htm&sa=U&ei=kFJWUJ3pOoS6iQeBy4GgAQ&ved=0CBoQFjAA&usg=AFQjCNH0LHCGg9MjmcFWWsMymKkS7SCqlw

[186]原文「予宗仁光基時為房陵尉」。「予宗仁光基」が未詳。とりあえずこう訳す。仁という姓はあるようである。

[187]「儀」は姓と思われる。

[188]が下女を虐待するのでだれも下女になろうとするものがいなくなったということであろう。

[189]http://baike.baidu.com/view/270697.htm#1

[190]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6Zdic9DZdic96135972.htm&sa=U&ei=ldM0UMqRCZCbmQWU_YBQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF9Qi-twlEpabhka9jtuBpg4lPIyQ杖で背を鞭うつこと。杖刑の中で最も重い。

[191]原文同じ。未詳。奴隷の戸籍に編入されることか。『宋史』にも用例が若干見える。一例を挙げる。『宋史』劉彝伝「又除名為民、編隸涪州、徙襄州。」

[192]原文同じ。未詳だが、楽籍に同じいであろう。

[193]原文「眼見極非人趣」。人趣」が未詳。とりあえずこう訳す。獄吏が無慈悲であることをいうか。

[194]原文「以好言ェ釋」。ェ釋」に関して漢典に適当な語釈なし。訳文の意であろう。

[195]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE9Zdic98ZdicB2268680.htm&sa=U&ei=p1UzUJqRFuXAmQWhl4HgDw&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNGE_21yglUFyn8CH_vwZEdRTxiyHg察禁止、伺察防備すること

[196]単位は「銭」であろう。

[197]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/719745.htm&sa=U&ei=fVdWUKm-HMfdigeD34DQDg&ved=0CCAQFjAA&usg=AFQjCNGksw_HYnEmmoUvO9vP2A1piigS5A

[198]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/473590.htm&sa=U&ei=j1dWUKvxEbG8iAfIrIDICw&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNHC_AUxq6Z5J7NTWGfER19ylMx4vQ

[199]グーグル検索結果

[200]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8Zdic83Zdic8C17121.htm&sa=U&ei=j1YzUNicNcvmmAW-7ICACQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF0fsWy8UsTfwKqUh5799n_7UtE5w『事物原·衣裘服·背子』引『実録』「秦二世詔衫子上朝服加背子、其制袖短於衫、身与衫而大袖。今又与裙、而袖纔於衫。」

[201]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5ZdicB9Zdic82344122.htm巾。

[202]http://www.google.com/url?q=http://www.gg-art.com/dictionary/dcontent_b.php%3Fbookid%3D33%26name%3D%25B3%25AF%26columns%3D2%26bookdetailid%3D32497&sa=U&ei=HFhWUKGpF6SpiAe88oHQBg&ved=0CCMQFjAD&usg=AFQjCNGWRce5Pju-TKT4Hy_BBkfFr6GCYQ

[203]察問は固有名詞か。

[204]未詳だが、曽祖父の世代で曽祖父より年下のものであろう。

[205]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%2590%2595%25E7%25AB%25AF&sa=U&ei=Hl1WUNWHGPGviQeL7IAo&ved=0CBwQFjAB&usg=AFQjCNG5lJzgdRtkBw3T0-64cKII0o96gg

[206]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/804651.htm&sa=U&ei=kV1WUKVxzKOIB_yugLAJ&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNEdcxgBEZSYFWvOBokNQ4Kh0CelUw

[207]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%258D%2590%25E7%25A6%258F%25E5%25AF%25BA&sa=U&ei=jmZWULrJDciQiAfHi4HoCg&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNGzz8dy3rOqUsGZAmEG2MrgfSYaNw

[208]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicB2Zdic8C334234.htm高いさま。

[209]未詳だが、奴隷僧であろう。

[210]原文同じ。未詳だが、邏卒のことであろう。

[211]未詳だが、墓守などの家であろう。

[212]原文「諸人趣入熊氏墳屋、據檻分臥」。「據檻分臥」が未詳。とりあえずこう訳す。

[213]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7ZdicBBZdic8F337351.htm&sa=U&ei=aNw0UJS_Ca-HmQXziYHoCQ&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNGb3lVhSdsIxoYdvyZnuEX70NO8Ag仲買人

[214]原文「好強項、相當經紀」。未詳。とりあえずこう訳す。

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