第六十九回

商人宿で素姐が弟子になること

蒿里山で希陳が母親に哭すること

 

顔を出し

男と女 入りまじり

いともたやすく部屋を出づ

賑やかな街 ぶらぶらし

野末の仮寝

鎮を過ぎ 村を歩けり

婆さんに長跪[1]して妙義を求む

つけたす銀子は二十両

師匠に恭しく捧げ

母のため、夫が泣くのに腹を立て

火を放ち 明かりをかきたてるを禁ず 《少年游》

 狄希陳は頭巾を被り、長衣を着、たくさんの女たちのいる中を、驢馬を牽いて進みました。しかし、彼は金持ちの子弟でしたし、甘やかされて育った坊っちゃんでしたので、道を歩き慣れておりませんでした。そして、二十里も行かぬうちに、道袍を脱ぎ、丸め、脇に挟みました。さらに、両足に水膨れができてきますと、痛くて耐えられなくなり、首を伸ばし、両足を引き摺りました。素姐は驢馬を叩き、飛ぶように走らせました。作男の常功は、狄希陳の脇で、ひたすら騾馬を追いましたが、これはもともと狄希陳が乗るためのものでした。常功は狄希陳がつまづき、気息奄々とし、足に力が籠っていないのを見ますと、前に歩いていき、素姐の驢馬の轡を引き止め、言いました。

「奥さま、旦那さまはもう歩くことができません。私が奥さまのために驢馬を牽き、旦那さまを騾馬に乗せることにいたしましょう。」

素姐は常功の肩を二回鞭で打ちますと、罵りました。

「あいつが歩こうが歩くまいが、おまえとは関係ないだろう。私は痛くないよ。私のために尽くしておくれ。早く先に進んでおくれ。」

狄希陳は、今まで通り驢馬を引き、先に進みました。

 中に一人、四十数歳で、深緑の染め直しの絹の紬の袷と蘇芳の木綿布の覃衣[2]を着けた女が、素姐の後ろに従っておりましたが、彼女は目隠しをとりますと、常功に向かって言いました。

「前にいらっしゃるご婦人はどなたですか。」

「狄さんです。」

「あの若い方は驢馬を引き、ずいぶん疲れたご様子ですが、どういうことでしょうか。あの方は痛くないのですか。」

「多分二人は家で喧嘩をし、男が罰せられているのでしょう。」

「こんな懲罰は見たことがありません。」

自分の驢馬をぶち、素姐に追い付きますと、叫びました。

「前にいらっしゃるのは狄さんですか。」

素姐は振り向いて答えました。

「そうです。」

女は尋ねました。

「頭巾を被り、驢馬を牽いている若い方はどなたですか。」

「うちの亭主ですよ。」

女はさらに尋ねました。

「脇で騾馬を牽いているのもあなたのお供ですか。」

「私たちの作男ですよ。」

「作男には驢馬を牽かせず、ご主人に驢馬を牽かせるのですか。ご主人は足を引き摺ってらっしゃり、もう動くことができません。頭巾を被ってらっしゃるのですから、立派な家のお坊ちゃまでしょう。これは良くありません。ご主人に驢馬を牽かせてはなりません。私たちがお参りにきたのは、女神さまに幸福を求めるためで、悪いことをするためではございませんでしょう。」

「私がお参りにいこうとしたのに、こいつは父親とぐるになって、私を来させませんでした。私が線香を焚いても、こいつは私についてこようともせず、私の意気地なしの弟と一緒に、私が彼らの面子を潰していると言いました。ですから、私はこの人に驢馬を牽かせ、騾馬に乗せず、作男を乗せているのです。」

「奥さま、私の言うことを聞かれてください。これは良くありません。夫は天です。馬鹿な男は妻を恐れますが、賢い女は夫を敬うものです。夫を苛める人に善人がいるはずがございません。私の執り成しを聞かれ、ご主人を騾馬に乗せ、作男に驢馬をお牽かせなさい。」

「仕方ないねえ。この方がお話をなさらなければ、私はあんたに行き帰り騾馬を牽かせていただろうよ。あなたは、ご姓は何とおっしゃいますか。」

「劉と申します。息子は劉尚仁といい、県の礼房です。私は東に住んでおりますから、私たちは同じ街の人間です。私は貧乏人ですが、仕事がないときは街には出ませんので、狄さんのことは存じませんでした。」

二人が知り合いになり、旅の間中おしゃべりをしたことはお話し致しません。狄希陳は二十七八里の道を走らされ、体がへとへとになっておりましたが、劉嫂子の執り成しで、騾馬に乗ることができました。八人がきの轎もこれほど快適ではないと思われました。狄希陳は劉嫂子が生みの親であるかのように感謝しました。この日は、百里を歩き、済南府の東関にある周少岡の宿屋に泊まりました。

 素姐はたくさんの人々と一緒に歩きましたが、多くは知らない人ばかりでした。引率者の老侯と老張も、素姐の相手をしにくるだけの暇がありませんでした。そこで、素姐は劉嫂子にくっつきました。狄希陳も彼女に感謝しておりましたので、二人の荷物を同じ場所に置きました。老侯、老張が、正面に聖母さまを安置しますと、女たちは地面に跪きました。一人が仏偈を唱えますと、人々は声を揃え、大声で叫びました。

「南無救苦観世音菩薩。阿弥陀仏。」

声を揃えて叫びましたので、声は数里に響きました。大声で念仏を唱えるのが終わりますと、主人が水をもってきて顔を洗い、菜種油で揚げた[食散]枝、毛耳朶[3]、煮た赤棗、黒棗などの、四つの小皿に入れた茶菓を並べ、お茶を飲みました。食事代は一人二分とし、油餅、豆腐湯、スープを掛けたご飯を腹一杯食べさせました。人々はご飯を食べ終えますと、口を濯ぎ、小便をし、布団を敷き、眠りました。

 老侯、老張は、素姐が仲間になったばかりでしたので、彼女を呼び、劉嫂子とともに四人で一緒に休みました。狄希陳と他の家の男は、別のところに泊まりました。老侯、老張と素姐たちは、炕の上で眠り、一晩中精進物を食べて念仏をあげることや、北斗星を拝してお経をあげること、修行をしている人は、人の世にいるときは、どんなに悪いことをしても、牛頭、馬面に捕まることはないこと、閻魔さまも彼らを正視することはできず、富貴なところを選び、生まれ変わらせるということを話しました。素姐は尋ねました。

「冥途には神鷹急脚がおり、どんなに強い人でも、連れていってしまうのでしょう。」

老侯「ふん。何が神鷹急脚ですか。私たちの教団に入れば、神鷹などはもちろん、神虎、神龍でさえもやってこようとはしないでしょう。生きたいのなら、千年でも長生きできます。生きたくなければ、自分で閻魔さまのところへいかれ、生まれ変わられた方がよろしいですよ。」

「あなたの教団はどのようなものなのですか。」

「私たちの教団では、入信する人はすべて、まず銀二十両を払います。この二十両の銀子と、そこから生じた利息で、橋や道路を修理し、老人や貧民を養います。三十諸天[4]の誕生日、八金剛[5]、四菩薩[6]の誕生日、諸神の巡察の日には、法事を行い、お経を唱え、夜に集まり、朝には別れます。この他には、課業はありません。生臭物や酒、房事を禁じられたりすることはなく、俗人と同じです。」

素姐は尋ねました。

「この教団の師匠はどなたですか。」

老侯婆「私と張師父です。私が教団長で、彼女は副教団長です。」

 素姐は尋ねました。

「私も入信したいのですが、入るのをお許しいただけますか。」

「年が若いのですから、修行をなさるべきです。年をとった人々は、長くは生きられませんから、修行をしても意味がありません。彼らは罪を免れることができるだけで、正果を得ることはできません。あなたのお舅さんは石頭ですし、あなたの弟さんは和尚や仏の悪口をおっしゃいました。頂上奶奶は、私の夢に現れ、あなたがお参りにくるので、あなたのご兄弟がかげで恨み言をいっているとおっしゃっていました。」

「舅は私を押さえることはできません。夫も私を押さえることはできません、実家の弟などは論外です。私はあいつが邪魔をしたので、罰としてたっぷり三十里驢馬を牽かせたのです。劉嫂子が執り成しをしなければ、私はあの人を行き帰り歩かせ、あの人は足が細くなっていたことでしょう。」

老侯たち二人は言いました。

「あなたのなさったことは当然のことです。夫というものは、あなたがひどいことをし、彼らが私たちを恐れているときは、針の穴のように小さいことでも、かげで邪魔をするのです。私はあの方の哀れな有様を見ましたが、執り成しはしませんでした。そのあと、あの方が騾馬に乗っているのを見ましたが、劉さんがあの方を執り成していたのですね。」

「私は五更に起き、髪を梳かし、劉嫂子に立ち会い人になるように頼み、お二人を師と仰ぐことにいたしましょう。家に行ったら、二十両の銀子をお送りしましょう。一分も少なくする積もりはございません。」

老侯たち二人は、言われた通りにしました。

 素姐は五更まで眠りました。彼女は人々よりも早く起きましたが、狄希陳はすでに待機しておりました。素姐は髪梳きと洗顔をおえ、老侯婆たち二人も準備をおえました。素姐は、老侯たち二人を上座に案内し、二つの椅子に腰掛けさせ、下座で八拝し、十六回叩頭しました。老侯たち二人は、きちんと座りながら叩頭を受けました。人々は師弟、師兄と言いあい、年齢を述べ、挨拶をして相見えました。狄希陳は脇で呆然と見ておりましたが、何だか分かりませんでした。

素姐「私は二人のお師匠さまの弟子になったのだよ。私のお師匠さまはあんたのお師匠さまのようなものだから、あんたも二人のお師匠さまに叩頭しにきておくれ。」

老侯たち二人「入信されていない方からは、挨拶を受けるわけには参りません。」

狄希陳は、もともと挨拶をしにくる積もりはありませんでしたが、素姐に逆らうわけにもいきませんでしたので、下座に行き、四回叩頭しました。二人の婆さんはいい加減に挨拶を受けました。素姐はそれからというもの老侯を「侯師父」、老張を「張師父」と呼びました。この二人の道姑は、面と向かって素姐の事を「徒弟」と呼び、人に向かって「狄家の徒弟」と呼びました。狄希陳には面と向かって「狄さま」といい、人に対しては彼のことを「狄徒弟のお婿さん」といいました。

 素姐は、信者の人々と知り合い、一緒に長旅をしましたので、だんだんと彼らと打ち解けました。ところが、信者たちの中には、楊尚書の奥方などはおらず、いるのは楊尚書の家の小作人や雇われ人ばかりでした。孟奶奶、耿奶奶などはおらず、実は孟家のお払い箱になった乳母と耿家から嫁に出された小間使いがいるばかりでした。士大夫の家のきちんとした夫人は素姐だけでした。素姐は喜んで他の人々と仲間になり、まったく侮辱しようとはしませんでした。さらに一日進み、百里の道を歩き、弯徳[7]に泊まりました。宿屋に乗り物を落ち着け、偈を唱え、念仏を唱えたことは、くわしくお話しする必要はございますまい。

 さて、さらに数十里を進み、火炉街を通り掛かりました。火炉街はどこもかしこも油条を売る人ばかりでした。参拝客が通り掛かりますと、宿屋の使用人が、わいわいと通りの真ん中に走ってきて、参拝客の驢馬を一生懸命引っ張り、宿に迎え入れ、果物を勧め、金を儲けようとしました。その嫌らしい有様は、まるで北京の東江米巷で毛織りの絨毯を売っている陝西人、北京の西瓦廠[8]で客をひく妓女のようでした。素姐たちが、そこを通り掛かりますと、使用人たちが、虎のように走り出てきて、老侯たち二人の驢馬を大勢で引き止め、宿の中に引き摺り込もうとしました。

「揚げたての油条ですよ。純粋の胡麻油で揚げたものです。香ばしくてさくさくしています。中に入って一本お召し上がりください。ここから宿屋まではまだ一日かかりますから、おなかが空いてしまいますよ。」

老侯たち二人の道士はいいました。

「結構ですよ。私たちはさっき弯徳でご飯を食べてきたばかりです。宿屋に行ったら、登録をし、[9]轎を雇わなければなりません。」

老侯たちは、どうしても泊まろうとしませんでした。使用人たちが仕方なく手を放しますと、老侯たちは行ってしまいました。

 素姐は初めてのお参りでしたので、すべての旅人がこのようにしつこく引き止められること、旅をする者が引き止められて物を食べれば、その分お金をとられるものとは知りませんでした。素姐は宿屋の人々が老侯たち二人を引っ張るのを見て、みんな老侯たちの知り合いなのだと思い、尋ねました。

「あの宿屋の人々は、お師匠さまたちとお知り合いなのですか。」

老侯たち二人はすぐに答えました。

「彼らはすべて私たち二人の弟子で、争って私を招き入れようとするのですが、全員のところへ行くことはできませんから、中には入らないのです。」

 泰安州の盛り場に行きますと、以前泊まった馴染みの宿屋の宋魁吾が、人を遣わして参拝客を待っておりました。老侯たち二人がたくさんの信者を連れてきますと、宋魁吾の使いはそれを遠くから見て、大喜びし、飛ぶように出迎え、老侯たち二人の驢馬を引き止め、こう言いました。

「宿主は私たちを遣わし、何日か待っておりましたが、まったく来られませんでしたね。十五日に出発されたのでしょう。途中、雨には降られませんでしたか。お体の調子はいかがですか。」

驢馬を牽きながら、一緒に宿屋に行きました。宋魁吾はそれを見ますと、肩を窄め、諂い笑いを浮かべて出迎え、心にもない時候の挨拶をしました。洗顔をして茶を飲み、驢馬轎を雇い、大声で念仏を唱え、まず天斉廟[10]に参拝しにいくことにしました。人々は、宿屋に戻り、晩ご飯を食べ、三更まで眠り、起きて髪梳き洗顔をおえますと、香を焚き、大声で念仏を唱え、一緒に食事をとりました。老侯たち二人は、人々が山轎に乗るのを見てから、轎に乗りました。道には乞食、占い師、街灯を奉納する者がおり、どこにいっても明りがありましたので、まるで昼間のようでした。

 素姐は、薛教授の家に生まれ、金持ちの狄家に嫁ぎ、遅く起き、早く眠り、暖轎[11]、安車[12]に乗っておりました。宴席に出ることができず、薪を切っているような女たちと、真夜中に起き、眠たいうちから、生煮えの塩辛い饅頭を食べ、汚らしい野菜を食べ、振動で片方の踏み台のなくなった柳の椅子の山轎に座りますと、紅門[13]まで行かないうちに、頭がくらくらして目が霞み、悪心がして吐いてしまいました。最初に吐いたのは、真夜中に起きて食べた羮や肴でした。後から吐いたのは、焦げ茶色をした糞のような液体で、ひどい臭気でした。振動で頭はぼさぼさになり、白粉を塗った顔は、青や黄の菜っ葉のようになりました。老侯は人々に言いました。

「これは若い人々の心が誠実でないので、女神さまが罰を下されたのです。」

劉嫂子「私は、一昨日、この方がご主人を苛めているのを見ました、ご主人に驢馬を牽かせていたので、私はこの方が善人ではないと思いました。果たしてその通りでした。女神さまの罰が当たったのです。私たちの中で、この人が女神さまを不愉快にさせたばっかりに、みんなが面目ない思いをすることになってしまいました。」

老侯たち二人は言いました。

「あなたが善悪を弁えず、女神さまを怒らせたために、私たちは女神さまに嫌われてしまいました。女神さまは私たちがこの人のために許しを請うのをお許しにならないでしょう。」

ほかの参拝客が大勢で、びっしりと取り囲み、女神さまが人に罰を下したと言い、しきりに尋ねました。

「どちらからのお参りですか。どうして女神さまがひどい罰を与えたのですか。」

さらにある者はこう言いました。

「この参拝客はまだ年が若く、綺麗な服を着ていますから、きっとお金持ちでしょう。」

「こちらは明水の狄さんで、狄貢生の奥さんです。脇に従ってらっしゃるのは狄さまではありませんか。」

周りの人々は、ある者が喋れば別の者が喋るという具合に、勝手なことを言いました。

 素姐は青褪めた顔で、うなだれて、地面に座りましたが、一つには人々が話をしているのを聞いたため、二つには轎からおり、地面に腰を掛けてしばらく休んだため、頭がくらくらするのと胸がどきどきするのはほとんど治まりました。素姐は人々が勝手なことを喋っているのを聞くや否や、「ふん」と叫びました。

「轎に酔って、悪心と眩暈がして吐いたので、座って休んだら、減らず口を叩く奴がいる。何が女神さまが私に罰を与えただ。私があんたたちの子を井戸に棄てたとでもいうのかい。みんなで私の悪口をいうなんてね。立ち去っておくれ。私は是非とも土を掴み、あのろくでなしどもの顔に撒いてやりたいものだよ。」

そう言いながら立ち上がりますと

「とりあえず轎には乗らず、自分で歩きますよ。」

と言い、先へ進みました。人々は彼女がしっかりと歩くのを見ますと、轎に乗って進みました。

 素姐が歩いていたため、狄希陳は轎に乗るわけにもいかず、ぴったり付き従いました。素姐は狐の生まれ変わりで、泰山は通い慣れておりましたから、山に登るのは、平地を歩くように簡単なことでした。曲がりくねった山道を歩くのは、歩き慣れた道を行くようなもので、苦しいとは思いませんでした。狄希陳は疲れて全身から汗を流し、こき使われた牛のように喘ぎ、足が動かなくなり、萎えてしまいました。有り難いことに、劉嫂子がこう言ってくれました。

「狄の奥さま、歩いてお疲れにならないのですか。狄さまと一緒に轎に乗られ、頭がくらくらしたら、降りて歩かれれば宜しいでしょう。」

そこで、素姐と狄希陳は二台の轎に乗りました。担がれて十数歩も進まないうちに、狄希陳は楽になりましたが、素姐は「駄目だ」と叫びました。顔はふたたび青褪め、今まで通り悪心が始まり、頭がくらくらしました。そこで、ふたたび轎から降り、一人で歩きました。狄希陳は、素姐の介添えをしながら頂上に上るしかありませんでした。

 参拝料を管理しているのは歴城県の県丞[14]で、参拝客の名を一人一人呼び、中に入れました。聖母殿の前にきますと、入り口は閉じられておりました。中には奉納された銀子、銅銭、袍、金銀の人形の類いがありましたので、人々は入ることができませんでした。女神さまの顔を見たい人は、何かを踏み台にして、入り口の格子の隙間から中を見ていました。素姐が狄希陳の両肩を踏み、狄希陳が両手で素姐の両足を掴みますと、はっきりと中が見えました。彼らはお堂の中に行き、銀子をお布施しました。焼香を終えますと、人々はあちこちに見物にいき、それぞれ轎に乗り、山から下りました。素姐は相変わらず轎に乗ろうとはせず、狄希陳に介添えをしてもらいながら、山から下り、紅廟[15]に行きました。宋魁吾は盒子に入れた酒を買い、あらかじめそこで待機し、人々を頂上で迎えました。女たちは一斉に轎から降り、男女入り乱れ、まずいつまみや、酸っぱくて薄い酒を、あっという間に平らげ、轎に乗り、宿屋に戻りました。素姐は自分の騾馬に乗って一緒に行き、ようやく狄希陳は人々とともに轎に乗ることができました。宿屋に着きますと、その日、頂上から下ってきた参拝客を、小屋掛けの中で、男女別々の席に、ずらりと腰掛けさせ、酒を並べ、劇を演じ、みんなで送別を行いました。その中で首席に座っていたものは『荊釵記』[16]を選び、『月下に貂蝉を斬る』[17]、『独り千里を行く』[18]を一幕頼み、宴席が終わってから部屋に帰りました。素姐は尋ねました。

「候さま、先ほど演じられたのは何の劇ですか。どうして銭玉蓮[19]は川から救い出され、関羽さまに殺されたのですか[20]。関羽さまが彼女を殺して、二人の女房を連れて逃げたのはどうしてですか」

人々は言いました。

「まったく、あのような良い人を、関羽さまが守らず、殺してしまうなんて、本当に不公平ですよ」

そう言いながら、眠りました。

 翌朝、ご飯を食べ、出発の準備をしました。宋魁吾は老侯と老張に傘、藤の扇、塩漬けの死んだ豚の肉、一つ十二両の重さの小さな銅のお盆を送りました。すべて片付けますと、驢馬に乗り、帰途につきました。そして、ついでに蒿里山[21]にいき、紙銭を燃そうとしました。蒿里山は泰安州から六七里離れており、あまり高くはありませんが、やはり大きな廟がありました。回廊には十殿閻君の塑像があり、十八層地獄の有様がすべて示されていました。世の中の死んだ人は、すべてそこに行くということでした。ですから、参拝客はそこに行きますと、法事を行ったり、紙銭を焼いたりしました。廟の番をしている和尚や道士は、金儲けが上手でした。廟にはおみくじの筒が置いてあり、おみくじには、死んだ親はどこそこの役所の何々閻魔王のもとにいるという字が書いてありました。紙銭を焼く人々は、あらかじめおみくじを引いてからそこへいき、おみくじに書かれた役所が良い場所で、何の苦しみも受けない場所であることを知りますと喜びました。刀の山に上ったり、苦海に沈んだり、臼でつかれたり、石臼でひかれたりしている場合は、まるでそこで苦しみを受けている死人のように泣き、その声が地を揺るがし、まことに哀れな有様でした。「人の心が雰囲気を作りだす」と申しますが、凄惨な泣き声に満ちたところでは、空気が清々しく、日の光や風が穏やかだということは絶対になく、天地は暗く、日や月は照らず、陰気な風が吹き、空気は冷えきっているのが普通です。泣く人々が増えるにつれ、蒿里山はまるで本当の地獄のような有様になってしまいました。

 さて、狄希陳の母親の狄夫人は、生前、舅、姑をぶったり、罵ったり、天地を恨んだり、下女、下男を苛めたり、米や小麦を捨てたり、人を唆したり、物を盗んだり、嘘をついたりすることはありませんでした。このような人はたとえ死んでも、この世の婦人たちの中にある、正しい気となるものです。閻魔王がいなければ、彼女の正しい気は消え去ることはなく、必ず良い所に生まれ変わることができるはずです。また、閻魔王がいたとしても、このような善人をみれば、必ず尊敬し、金童、玉女を遣わし、金橋へと導き、生まれ変わらせ、三四年間も蒿里山にいさせることはないはずです。しかし、人の子は、地獄があると考えてしまい、ないと考えることはできないのです。狄希陳は仏前で籤をひきましたが、そこには母親が五閻王[22]の役所にいると書かれていました。五閻王とは十王の中でも厳しいことで名高い閻魔王のことでした。

 狄希陳は籤を引きますと、とても悲しくなり、紙銭を買い、酒を提げ、五閻王の役所に行き、泥で作った像を見てみました。そこでは一人の女が、柱に縛られ、鉄の鉤で舌を引っ張り出され、刀で切られていました。狄希陳はそれを見ますと、思わず声をあげて大泣きし、まるで母親が舌を切られているかのように思い、刑罰を受けている泥人形を抱きかかえますと、鬼が手に持っている刀をすべて折ってしまいました。そして、石像も涙を流し、人々の心をも悲しませんばかりに泣きました。教団の人々は宥めました。

「これはただの泥人形で、世の中の人を戒めるためのものですのに、何で本気になさるのですか。お母さまは、生前はとても良いご性格でしたから、このような重い罪を受けられているはずがございません。」

素姐が口を挾みました。

「そうとは限りませんよ。姑は生きていたとき、言うことは調子が外れており、人のことを悪く言っておりました。他の人はともかく、私などは、あの人に何度叱られたか分かりません。あの人は、私のことを、何度も、賢くない、舅姑をぶったり、罵ったりし、夫を苛めている、と言いました。善人のことを悪く言ったのですから、舌を切られないはずがないじゃございませんか。」

劉嫂子「お黙りなさい。嫁を悪く言って舌を切られるのなら、姑を悪く言ったらどうなるか、知れたものではございませんよ。」

 人々は話をしましたが、狄希陳はまだ泣いておりました。

素姐「いつまで叫んでいる積もりだい。あんたが泣いたって閻魔さまが舌を切るのを許してくれるはずがないじゃないか。お父さまが亡くなってから泣いても遅くはないだろう。」

人々も素姐は良くないといい、腹を立てました。狄希陳もそれ以上泣こうとはせず、素姐について廟を出、驢馬に乗りました。

 七日間旅をし、八月二十一日の夕方、家に戻りました。彼女は舅に会おうともせず、すぐに部屋に入りました。調羮と狄周の女房は彼女に会いにいきました。龍氏は一テーブル分の酒と料理を用意し、巧姐にお参りから帰った素姐を労うように命じました。彼女は装身具を身に着けますと、狄希陳と小玉蘭を、人々と一緒に、娘娘廟にお参りに行かせました。そして、二十両の銀子をこっそり侯、張の二人の道士に送り、入会の費用にしました。侯、張の二人は言いました。

「どうぞご随意になさってください。あなたの銀子は、品質が低かったり贋物であったりということはございませんでしょう。額は足りていますか。会に入られた以上は、以後何か行事に呼ばれたときは、すぐにいらっしゃらねばいけません。少しでも遅れれば、今まで積んだ功徳はすっかりなくなってしまいます。しかし、あなたのお義父さまは私たちを家に入れようとなさいません、あなたにはどうやって連絡をしたら宜しいでしょうか。」

「以後、行事をするべきときは、私の実家に行き、話しをなさってください。そうすれば、誰かが私に話しを伝えてくれますから。」

侯、張の二人は了解しました。

 物事というものは、最初が難しいものです。素姐は泰安州へ行ってからというもの、野放図に、二人の泥棒女に騙されてしまいました。お参りがあるときはいつも、薬に甘草が必ず入れられるように、彼女だけは必ず呼ばれました。次回を御覧になれば、このような話は幾らでもございます。さらに続きを御覧になれば、そのことがお分かりになることでしょう。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]膝から上を地面に垂直にしてひざまずくこと。

[2]袖、襟がない、綿入り、コート状の防寒服。

[3] 「猫耳朶。」ともかく。中国風マカロニ、小指の先ほどの大きさで、猫の耳の形をしている。

[4]三十仏と同じ。一ヶ月三十日は毎日が三十種の仏の縁日となっている。一日、定光仏。二日、撚燈仏。三日、多宝仏。四日、阿閦仏。五日、彌勒菩薩。六日、二万燈仏。七日、三万燈仏。八日、薬師如来。九日、大通智勝仏。十日、日月燈明仏。十一日、歓喜仏。十二日、難勝如来。十三日、虚空蔵菩薩。十四日、普賢菩薩。十五日、阿彌陀仏。十六日、陀羅尼菩薩。十七日、龍樹菩薩。十八日、観世音菩薩。十九日、日光菩薩。二十日、月光菩薩。二十一日、無尽意菩薩。二十二日、施無畏菩薩。二十三日、得大勢至菩薩。二十四日、地蔵菩薩。二十五日、文殊師利菩薩。二十六日、薬上菩薩。二十七日、盧遮那如来。二十八日、大日如来。二十九日、薬王菩薩。三十日、釈迦如来。

[5]八大金剛、八大明王のこと。降三世、大威徳、大笑、大輪、馬頭、無能勝、不動、歩擲各明王を指す。

[6]四大菩薩のこと。弥勒、文殊、観音、普賢。

[7]河北省の地名と思われるが未詳。

[8]北京城内の歓楽街と思われるが未詳。

[9]原文「報名。」。どこに、何を登録するのか不明だが、あとで県丞が参拝者一人一人の名を読み上げ、参拝料をとる記述があるので、県庁に参拝者の名を登録するものか。

[10]天斉は、泰山の神のこと。唐の玄宗が泰山の神を天斉王に封じたことによる。

[11]幔幕のつけられた轎。

[12]腰掛けることができる車。

[13]泰山の登山口にある赤い門。

[14]県知事の属官。

[15]岱嶽廟のこと。泰山の麓にあり、建物が赤を基調に彩色されているのでこう呼ばれる。

[16]戯曲名。寧献王朱権撰。離ればなれになった王十朋、銭玉蓮夫妻が、紆余曲折の末、団円することを描く。

[17]関羽が貂蝉を斬ることを題材とした戯曲と思われる。清銭曽『也是園蔵書目』に『関大王月夜斬貂蝉』が著録されているが、すでに佚。

[18]闕名氏撰の雑劇に『関雲長千里独行』があり、現存する。これと同内容の戯曲と思われる。関羽が曹操のもとを離れ、劉備の夫人を守りながら、劉備のもとに辿り着く物語。

[19] 『荊釵記』の主人公の一人。夫王十朋と離散した後、悪人に結婚を迫られ、川に身を投げる。

[20] この部分、無知な女たちが、『荊釵記』などの三つの劇を一続きと考えているところが面白い。

[21]泰山の南にある山。 死者が集まる山とされる。

[22]閻魔王のこと。冥土の十王のうち、五番目だからこういう。ちなみに十王とは、一、秦広王、二、初江王、三、宋帝王、四、伍官王、五、閻羅王、六、変成王、七、泰山府君、八、平等王、九、都市王、十、転輪王、をいう。

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