第五十三回

跡継ぎのない家を苛めて女が財産を盗むこと

強がりを言い人に縛られ殴られること

 

悪徳は数々あれど

貪欲はとりわけ(わろ)

寡婦(やもめ)を苛め、田地を奪ふ

ところが悪銭身につかず

流れる水と消えゆけり

宝石と彫刻の鞍に跨がり

乱暴者を追ひ掛けり

騾馬から降ろされ、ひつくり返り

手足を縄で縛られて

殴られてよろよろ歩く   《浪淘沙》

 さて、晁家の七人の一族の中で、晁近仁だけは誠実な人柄で、良心がありました。人々が晁夫人の財産を略奪したときも、彼だけはあまり悪さをしませんでした。彼は、人々から一緒に行くように強制されたため、人々とともに騒ぎ、悪者どもといっしょくたにされ、徐知事によって街に引き出され、人々とともに三十回ぶたれたのでした。この事件がありますと、人々は晁近仁のために不平を唱え、徐知事のように良い役人でも、不公平な罰を与えることがあるものだと言いました。

 皆さん、お聞きください。人々が略奪をしにいこうとしたときに、晁近仁が天理と人情に関する話しを持ち出し、人々の邪悪な計画をやめさせていれば、彼は第一級の善人ということになったでしょう。人々に話しをしても聞いてもらえないと考え、彼らが悪さをするに任せ、静かに家に腰掛け、彼らが蟹のように横に這うのを見ていれば[1]、彼は第二級の善人ということになったでしょう。さらにその次は、人々が争いあうのを見物し、物を略奪してきた時に、分け前に与かるというものです。これはあまり良い人間ではありませんが、悪い人間たちよりずっとましです。人々がぶったり、略奪をしにいくときに、仲間に加われば、何も指図をしていなくても、内心忸怩たるものがあるはずです。県知事は彼が略奪をしているのを見たのですから、人々と同じようにぶたないわけにはいかなかったのです。県知事は彼を不当にぶったわけではありません。彼のようにしっかりした考えがなく、付和雷同した人間は、ぶたれるのが当然なのです。しかし、彼には長所がありました。晁夫人は、七人の一族に五十畝の土地、五両の銀子、五石の食糧を分けました。六人は初めは感激しましたが、時間が経ちますと、当然のことだと思い、さらに時間が経ちますと、良心を失い、嫉妬の心を起こし、悔い改めませんでした。魏三が狄希陳の父親だと偽って名乗り出たのも、彼らのせいでした。彼らは、晁夫人の家で何か事件が起こればいいと考え、他人の不幸を喜び、素知らぬ顔をしていました。しかし、晁近仁は、このような悪い心を、少しももちませんでした。そして、晁夫人から仕事を任せられますと、一生懸命力を尽くし、いい加減なことをしようとはしませんでした。ある年、粥を煮て、貧民を救済することになったときも、彼は、少しもごまかしをしたり、偽帳簿をつけたりすることはありませんでした。晁家の善人といえば、彼一人しかいませんでした。

 彼はもともと十畝ばかりの土地を持っており、衣食も満ち足りていましたが、このような小地主にとって、五十畝の土地は身に余るものでした。五十畝の土地しかなく、元手がなければ、銀の碗を持って乞食をするようなものでした。晁夫人は、この土地以外に、工賃を請求されれば五両の銀、食事をしたいときは五石の食糧を与えました。晁近仁の人柄が良かったため、天はひそかに彼を助けました。土地からは収穫があり、ちょっとした金持ちになり、手頃な大きさの綺麗な家に、家具、日用品を揃えました。粗布ではありましたが、衣服はかなり豊富でした。たくさん並んでいるというわけではありませんでしたが、食物は足りていました。しかし、四十歳を過ぎたというのに、子供はいませんでした。ある日、彼は女房に言いました。

「わしらは数人の息子を産んだが、おまえに乳が出なかったため、よその家にやって養わせた。彼らはもう成長した。息子ができた人がいれば、わしらの息子を一人取り返してこよう」

女房「それは間違っています。よそさまが三朝から養育をし、たくさんの苦労をしたというのに、それをただで奪って、恥ずかしくないのですか。私はあなたに妾をとってあげてもいいのですよ」

晁近仁「妾を娶るのはたやすいことではない。一つには、夫婦の仲を損なう恐れがある。二つにはわしらは年をとっており、若い娘が残された場合、誰も面倒をみてはくれん。晁為仁の息子を養子にとるのがいいだろう。甥は子供のようなものだから、何もおかしなことはあるまい」

考えを決め、妾をとって子を生ませる考えは棄ててしまいました。

 ところが、善人は長生きしないものです。晁近仁は四十九歳になったばかりで、急病に罹って死にました。晁為仁は彼の弟でしたが、あまり良い人間ではなく、普段から難癖をつけたり、大騒ぎをしたり、悪いことばかりしていました。晁近仁が生前彼の息子を養子にとろうとしたのは、至極当然のことでした。ところが、晁思才と晁無晏の二人の悪人は、分家の遠い親戚であることにも、していることが不当であることにもお構いなく、晁無晏は自分が強いことを、晁思才は自分が一族の年長者であることを頼りにし、狼が狽を背負うように一緒になり、晁近仁には子がないのだから、残された財産は一族で分けあうべきだと言いました。晁為仁はここまできますと、『小悪人は大悪人を恐れる』で、晁無晏、晁思才に逆らおうとはせず、晁夫人を呼びました。晁夫人は、晁為仁の次男の小長住を晁近仁の養子にするつもりでした。すると、晁無晏は晁思才を唆しました。彼は晁思才が出てきて騒ぎ、小長が跡を継ぐのを妨害し、晁近仁の財産を分け、晁夫人に逆らおうと思っていました。

 晁夫人「老七、あなたは、今では晁家の当主の叔父さんですが、私は晁家の当主の母親です。あなただけが事を取りしきり、私が取りしきるのは許されないというのですか。晁近仁の財産は誰のものですか。私の土地は晁近仁に与えたものです。晁近仁が生きていれば、晁近仁が管理し、晁近仁が死に、息子がなければ、晁近仁の女房が耕作をするのです。晁近仁の女房に耕作をさせるなとおっしゃるなら、土地は回収すべきでしょう。何を根拠にこの土地を分けろというのですか。この土地が私と関係なく、すべて晁近仁自身の土地だったとしても、晁為仁の実のおじや兄弟がいます。あなた方は『オニグルミ−一段格が落ちる[2]』のです。老七、もう一つお尋ねしましょう。あなたは今年七十数歳になりましたが、お子さん、娘さんを何人お持ちですか。物の分かった人なら、このような事態をみれば、悔悟し、賞賛し、立派に振る舞い、人に善いことをしてやるはずです。こうしてこそ族長であるといえるというのに、人に唆されるとは、どういうことですか。私に言わせれば、あなたは貰った土地を、他人にとられないように守っていさえすればいいのです。これ以上他人の財産を分けることを望んではいけません」

晁思才は、話しを聞き終わりますと、大泣きし始めました。

「いいことをおっしゃいますね。私はまったく減らず口を叩いていました。息子、娘の前で、このようなことをしては、人の模範とは言えませんね。皆さん、私は家に帰ります。晁近仁の財産を、分けられるお積もりですか。養子をとっていようがいまいが、私は今後この件には関わりません。これ以上、人の財産を分けようなどとはおっしゃらないでください」

さらに晁夫人に揖を返すと、言いました。

「ねえさん、ありがとうございました。私晁思才は、夢から覚めたかのような気分です」

言い終わりますと、帰っていきました。

 その他の一族は、晁思才がいってしまったのを見ますと、「瓜で驢馬をぶつ−半分に折れる」という有様になり、十分のうち、九分九厘は興ざめしてしまいました。晁無晏は、晁思才を唆して悪事をさせ、自分は甘い汁を吸おうと思っていました。しかし、晁思才は、晁夫人の話をきくと退散してしまいました[3]。人々は晁思才がいなくなったため、どうしようもなくなり、次々に去っていきました。しかし、晁無晏だけは、養子をとることは許さない、どうしても跡取りが欲しければ、自分の一人息子小l哥と小長住の二人に継がせる必要がある、小長住だけを跡取りにし、晁近仁の土地二十畝と城内の住宅を彼に譲渡しようものなら、川や海をひっくりかえすように騒いでやる、晁思才はすでに去り、そのほかの悪い一族もみな退散した、晁為仁も息子を養子に出そうとはしないだろうから、一人で晁近仁の二十五畝の土地を手に入れ、二つの家を独り占めし、たくさんの財産を奪い、土地をふやし、たくさんの穀物を収穫し、綺麗な服を着、うまいものを食べ、妻や息子とともに、八洞神仙より楽しく暮らしたい、と言いました。

 晁近仁の女房は、独りぼっちで、三十数畝の土地を耕していました。人々は彼女の面倒を見てくれ、小言をいったりはしませんでしたが、生活は苦しいものでした。晁為仁は、財を軽んじ義を重んじる男ではありませんでしたし、少しも晁近仁から良いことをされていませんでしたから、晁近仁の女房の面倒などみるはずもありませんでした。彼は晁無晏に咎められるのを恐れていたので、面倒をみようとはしませんでしたし、晁無晏も彼が面倒をみにいくことを許しませんでした。そして、晁近仁の女房が節を守ることができずに嫁にいけば、彼女の財産をすべて手にいれることができると考え、彼女のすぐ隣に住み、耕作をするときに、晁近仁の土地を少しずつ占領していきました。水が多いときは、土地に溝を掘り、水を流しました。日照りになりますと、自分の田に溝を掘り、水を引きました。蝗がきますと、彼女の土地に追いやりました。自分の田の、昔からの道を掘って分断し、晁近仁の土地を歩くようにしました。さらに、自分の土地の、晁近仁の女房が必ず通るところに、たくさんの木を植え、深い堀を掘り、彼女に遠回りをさせました。また、里老[4]や書吏とぐるになり、彼女にかける租税を増やし、馬戸[5]に選び、税を課しました。やもめはもちろんのこと、金の頭、目をもっていたとしても、八卦炉の中で鍛えられるのには耐えられなかったでしょう。晁近仁の女房は二畝、三畝と土地を売り払いました。人々は数斗の雑穀でも、時価で売ってはくれませんでした。また、数銭の銀子を貸したときは、利息を多めに計算しました。二年足らずで、晁寡婦は丸裸になってしまいました。さいわい善人がおりました。彼は、晁近仁の息子を養っていたところ、自分も二人の息子を生みましたが、晁寡婦が独り身で拠り所がないことを哀れみ、養ってやりました。

 晁無晏は、風向きがよく、流れに沿った場所で、帆にいっぱい風を孕ませ、飛ぶように走っていく船のようなものでした。彼はとても大きな牛を飼っていましたが、畑を耕しているとき、起き上がろうとしませんでしたので、数回鞭で打ったところ、すぐに死んでしまいました。そこで、家に担いで行き、皮を剥ぎ、肉を煮、家で食べ、よそで売りました。ところが、肉を食べますと、女房の孫氏には腫れ物ができ、あれこれ治療をしましたが、たったの三日で、死んでしまいました。簡単に葬式を出し、三七を過ぎたばかりで、郭氏を娶りました。

 郭氏は年が三十以上で、京軍[6]の奚篤の女房でした。夫は都に赴任し、都で死にました。郭氏は、九歳の息子小葛条、七歳の娘小嬌姐を連れ、尻を窄め、二つの乳房を垂らして、晁無晏に嫁ぎました。晁無晏が見てみますと、彼女は下品に白粉、臙脂を塗り、べとべとに綿の種の油をつけ、下に垂れた雁尾[7]を結い、黒い木綿糸で結び、纒足をした一双の大きな足をし、頭をくねくねと動かしておりました。晁無晏は、飢えた人が瓜の皮を見たときのように、彼女に飛びつきました。まもなく、晁無晏は、上の瞼を下の瞼にくっつけて居眠りをしたり、鼾、咳をしたりし始めました。やがて、あくびが加わり、顔は青ざめ、さらには黒ずみ、痰が加わり、咳が出、痰は血となり、咳は喘息となりました。歩くことができなくなり、やがて座っていられなくなり、さらには起き上がることができなくなりました。また、食事をとることができず、薬を飲んでいましたが、やがて、薬も飲むことができなくなりました。閻魔さまは、使者を遣わして催促状を送り、やがて迎えの使者をよこしましたので、彼は断ることができないと思い、冥土に赴く準備をしました。この時、小l哥は、八歳になったばかりで、何も知りませんでした。

 郭氏は晁無晏に会いますと、わざと目をこすり、目を真っ赤にして、言いました。

「この世の人々は、必ず病気に罹るものです。病気はすぐに良くなり、何事もないでしょう。しかし、私はあなたが好きでたまりませんので、心の中で恐れているのです」

晁無晏「体はきかないし、労咳、中気で、腹が膨れ、息が詰まるのだ。閻魔さまに呼ばれているのだから、病気が良くなる見込みはない。俺はもうすぐ死んでしまうだろう。死装束などは、何とか用意してくれ。棺なども、準備してくれ。おろそかにしては駄目だぞ。俺は四十数歳まで生きたが、一生凍えたり飢えたりしたことはなかった。そして、晁近仁の財産を手に入れ、ますます豊かになり、楽な暮らしをし、おまえのような綺麗な女を娶ったが、幾らもいい思いをすることができなかった。俺は腹が立って仕方がない。一番気掛かりなのは七爺だ。あいつは七八十歳だというのに、いつになったらくたばるんだろう。俺は、晁近仁の財産の十分の八を手に入れたが、俺が死んだら、この財産は不意になってしまう。おまえたち孤児とやもめは、だれにも面倒をみてもらえないだろう。まったく口惜しいことだ。俺はおまえと夫婦だった時間は長くはないが、愛情は数十年間夫婦だった者たち以上だ。俺はおまえを愛したからこそ病気になってしまったのだ。俺たちには千万貫の財産はないが、おまえが暮らしていくには十分だし、おまえの子供たち四五人が食っていくにも十分だ。普段から愛情を注いでやったのだから、この数人の子供たちと一緒に過ごしてくれ。他の人に嫁いでは駄目だぞ。さらに言うことがあるが、聞いてくれるか」

郭氏「何でもお聞きしますとも。ここでおならをされても、私は手で受け止めるでしょう。とにかくお話しになってください」

晁無晏「俺が一生掛けて生んだのはあの子だけだ。おまえはあの子の面倒をみてやらなければならん。これは言い含めるまでもないことだ。小嬌姐を小l哥の女房にし、おまえたち母と息子が一緒に仲良く暮らせば、俺も安心だが、どう思う」

郭氏「それはとてもいいことです。そのようなことをする家はたくさんありますから、あなたのやり方に従いましょう。ただ、小l哥は今年八歳ではありませんか。あの子が十六歳になったら、私は小嬌姐をあの子と結婚させましょう。小葛条は奚家に戻らせましょう」

晁無晏「何を言っているんだ。おまえの息子はわしの子で、わしの子はおまえの息子だ。幾らも掛かるわけではないのだから、あの子を戻してはだめだ。あの子のために嫁をとり、おまえと一緒に住まわせても、邪魔だとは思わないよ」

 郭氏「ああ。何をおっしゃるのです。あの子が小さいので、私は仕方なくあの子をつれてきたのです。あの子は晁家とは関係がありません。あの子を晁家に住まわせたら。晁家の人々は怒ることでしょう」

晁無晏「大丈夫だ。老七は少し厄介だが、七十六七歳の老人になり、『老和尚が杖をなくす−話すことはできても進むことはできない』有様になってしまった。おまえに頼みたいことがある。老七があと数年生きても、小l哥が大きく、立派になれば、物、財産を奪いにいくことができるだろう。これは言うまでもないことだ。だが、老七が死んだとき、小l哥がまだ小さかったら、あの子について奴の家へいき、物を奪うなり、分け合うなり、喧嘩をするなりするのだ。一族の中で一番力があるのは俺で、次が老七だ。俺と老七以外の男や女は、役立たずの能無しだから、恐れる必要はない。三番目に力があるのは三奶奶だが、あの人も八十じゃないか。老いぼれが死ねば、俺たちはここでも大儲けできる。だが、あの人の舅の姜郷宦は厄介だぞ。姜郷宦が死んだとしても、彼の二人の息子たちは手強い奴らだから、急がず、様子を窺うんだ。以前、晁邦邦は趙平陽から二十両の銀子を借りた。元本と利息をすべて完済したとき、俺は証人になり、証文を皮の箱にしまった。晁邦邦が俺に証文を請求したとき、俺はこう言った。『趙平陽はあなたの証文をなくしてしまいました』。俺は人に領収書を書かせてあいつに渡し、証文を与えなかった。俺が死んだら、まず晁邦邦のところに話しをしにいけ。そして『趙平陽が人を遣わし、あなたが彼から二十両を借りて六七年間、元本と利息をまったく返していない、私が証人だと言いました。あの人は告訴をしようとしています。あなたが私たちに数両の銀子をくれるなら、私たちは役所で知らない振りをしましょう。あなたが私たちに数両の銀子を分けてくれなければ、私たちは証人になり、銀子を借りたのは真実です、私の夫が証人でした、この人は私の夫が死んだので、ごまかそうとしているのです、と言いましょう』と言うのだ。晁邦邦は小心者だから、きっと怖がって、少なくとも俺たちに十数両の銀をくれるだろう。晁邦邦が怖がらなかったら、晁平陽の家に行き、こう言うのだ。『晁邦邦が銀子を受け取ったときの証文が、私たちの家にありますから、あの人に銀子を請求することができますよ。私とあなたで半分ずつ分けあっても、四対六で分けあってもいいでしょう』とな」

晁無晏は話しながら、手で何回か寝床をたたきますと、言いました。

「神さま。神さま。あと五年長生きさせてくだされば、さらにたくさんの大仕事をし、小l哥のために、もっとたくさんの財産を稼ぐことができましたのに。すこしもお味方してくださらないなんて。ああ。ああ」

郭氏「話がおありなら、続けておっしゃってください。そうすれば気が晴れるでしょう。お話しは、しっかり記憶しておきます。少しでも背けば、お碗大の雹が私の頭にぶつかることでしょう」

晁無晏は話しをやめてしまいました。一晩を過ごし、夜が明けるまで横になっていましたが、声のかすれは、日に日にひどくなり、やがて話すことが一言も聞き取れなくなってしまいました。

 数日横になっていますと、閻魔さまが迎えにきました、晁無晏は牛のように何回か唸りますと、使いに従い、行ってしまいました。郭氏も思わず号泣し、粗布の衣装を着せてやりました。彼女は新たに紫花布の道袍、月白布の木綿のズボン、青い土布[8]の袷を作りましたが、これは着せてやりませんでした。そして、二両一銭の銀で、二本の松の木を買い、五百両の工賃で、薄っぺらい棺を作りました。三日間安置し、閂で墓に運んでいき、埋葬しました。晁夫人が自ら野辺の送りに行ったため、ほかの一族の男女も、行かないわけにはいきませんでした。

 晁思才は葬式がとても簡単で、棺がひどい有様なのを見ますと、不平に思い、言いました。

「小二官は財産を築き、女房も財産を作ったのに、十数両の棺も買うことができず、お経もあげず、紙旛もろくに作らず、楽隊も呼ばず、まるで死んだ犬を引きずっているかのようだ。郭という奴はどういう積もりなのだろう。わしはおまえのために、あいつの毛を毟ってやるぞ。わしの孫の世代の者が死んだのに、みんなに話しもせず、すぐに葬式を出すとはな。さっさとあいつを売ってしまおう。小l哥はわしが養ってやろう」

墓の上で糞味噌に罵りました。すると、郭氏が悠然と進み出て、人々に尋ねました。

「罵っている爺さんは私たちの何なのですか」

人々はいいました。

「七爺です。私たちの家の族長です」

郭氏「晁家に嫁いで一年近くになりますが、この七爺が私たちの家にきたことなど見たこともありません。私たちも七爺の家に行ったことはなく、七爺、七奶奶などという人がいるのを聞いたこともありませんでした。棺がよくないとおっしゃいますが、これは死んだ人が生きているときに自分で買ったものです。葬式が立派でないのが嫌だとおっしゃいますが、貧乏なので金がないのですよ。わが一族にこんなに人がいたことなど知りませんでしたし、お爺さまだかおじさまだかお兄さまだか弟だかも分かりません。しかし、三奶奶だけは一両の銀子を下さいました。私はそれを銅銭に両替し、葬式を出したのです。七爺たちがいることを知っていたら、私は家ごとに助けを求めにいっていたでしょう。三奶奶のように、一つの家が一両だせば、七八両の銀子があつまり、葬式を出し、お経をあげることができたでしょう。このような夫の葬儀をしたりはしませんでしたよ」

晁思才「おまえがいうことは筋が通っていないぞ。おまえの家で人が死んだのに、俺たちにおまえの援助をしろというのか」

郭氏「私の家で人が死んで、あなたとは関係ないのに、郭の奴、郭の奴といって罵るとはね。何を根拠に私を売るのですか。あなたは鐚一文も援助せず、あの孫のために紙銭を一枚も焼いてやらなかったくせに、葬式がよくない、お経もあげていないと文句を言うとは、とんでもないたわごとではありませんか。ひどいことはなさらない方がいいですよ。あの人が死に、あなたといっしょに人の悪口を言う人がいなくなったので、みんなもあなたを恐れなくなるでしょう。私たちの葬式がきちんとしていないことに文句をつけても駄目です。あなたはいずれ私たち以下になるでしょうよ」

晁思才は怒って飛び上がり、いいました。

「まったく腹が立つな。こんなに腹が立ったのは初めてだ。こいつは俺がこいつら以下の葬式を出すことになると言ったぞ。俺はこいつよりずっとましな葬式を出してもらえるからな」

郭氏「よっぽどましであるはずがありませんよ。あなたは泥を捏ねて八九歳の子供を作り出すことができるのですか」

晁思才「わしに息子がないという積もりか。俺は息子など必要ない。わしは自分で墓、棺、紙銭を作るぞ」

郭氏「墓、棺を作ったって、あなたをそこに担いでいく人がいなければなりませんよ。死んだあなたが自分で這っていくわけにもいかないでしょう」

晁思才「何だと。わしの女房が俺を担いでいくにきまっているだろう」

郭氏「馬鹿ですね。あなたは生死簿[9]をもっているのですか。奥さんが先に亡くなれば、あなたは独りぼっちになるじゃありませんか。あなたが先に死んでも、今まで他人の財産を奪い、他人の女房を売ってばかりいたのですから、奥さんはすぐに売られるか、財産を奪われてびっくりして逃げていくかでしょう。あなたを担いでいけるはずがありませんよ」

晁思才「何を言うか。でたらめを抜かすな。きちんとしようがしまいが、わしとは関係ない。この女め、減らず口を叩いてわしを罵るとは」

人々に向かって言いました。

「もう行きましょう。ここでこいつに構っている必要はありません。こんな女房は見たことがありませんよ」

さらに、晁夫人の轎の前に歩いていき、言いました。

「墓まで送ったのですから、嫂子も帰ってください」

晁夫人「先にいかれてください。私もすぐに参りますから」

晁思才は、晁夫人のために轎かきを雇い、郭氏は小l哥とともに轎の前にいき、晁夫人に礼を言いました。その後で、晁夫人は轎に乗って出発しました。晁梁は一族とともに、三人の下男を従え、歩いて城内に入りました。郭氏だけは、墓で晁無晏の葬式を見届けますと、小l哥とともに家に帰りました。

 郭氏は、晁無晏の衣装を、単衣や袷は畳んで箱に入れ、綿入れは分解して綿袋に収納しました。穀物は食べるのに十分な量を残し、そのほかのものは売りはらって銀子と銅銭にし、懐に入れました。錫の器は塊にし、テーブル、椅子、木の器の類いは、家では使わないといい、すべて銅銭にかえました。さらに、家に食べるものがないといい、城外の土地を一畝一両で、五十畝抵当に入れ、銀を懐に入れました。暫くしますと、食べる物がないといい、城内の家を五十両で他人に貸しました。家をきれいさっぱり掃除し、媒婆に口利きをしてもらい、葛布を売る江西の客商に嫁ぎ、銀子、衣装を持ち逃げしました。それらには三百両の価値がありましたが、郭氏は風のように持ち逃げしてしまいました。

 小l哥は、騙されて外に行き、家に戻りましたが、家には壊れた寝床、テーブル、甕、瓶しか残っていませんでした、小葛条、小嬌姐、郭氏は、姿が見えませんでした。小l哥は、日が暮れたのに、郭氏の親子三人が戻ってきませんでしたので、入り口にいって待ちながら、悲しげに泣くばかりでした。隣で臙脂と白粉を売っている朱さんが、事情を尋ね、郭氏がすでに逃げてしまったことを知ると、小l哥に食事を与えました。そして、小l哥とともに家にいきました。辺りを見回しましたが、まったく物がなく、竈や鍋は冷えきり、とても侘しい有様でした。朱さんは尋ねました。

「おまえは一族の中で誰と親しいのだ。わしが家の見張りをしてやるから、おまえは知らせにおいき。その人に人を探してもらい、面倒をみてもらうがいい」

小l哥「誰と親しいのか分かりません。老三奶奶の家によく行くだけです」

朱さんは尋ねました。

「本家の老三奶奶か」

小l哥は答えました。

「そうです」

朱さん「小槿子におまえを送らせよう。迷子にならないようにな」

小槿子は小l哥をつれていき、晁夫人に会いました。小l哥は晁夫人に何回か叩頭しますと、涙ながらに、母親が小葛条、小嬌姐を連れて消えてしまったことを訴えました。晁夫人は尋ねました。

「お母さんは何か持っていったのかえ」

小l哥は泣きながらいいました。

「すっかり持っていってしまい、何も残ってはいません」

晁夫人はさらに尋ねました。

「おまえはどこにいっていたんだい。お母さんがいってしまったことに気が付かなかったのかい」

小l哥「母さんが『街へいき、桃を売る人がいたら、呼んできておくれ。数銭買って食べるから』といったので、見にいったのです。桃売りがいなかったので、家に戻りますと、いなくなっていたのです」

晁夫人「今はいつだと思っているんだい。桃売りなどいないよ。子供を騙して外に行かせている間に、ゆっくり準備をして逃げたんだね。あの女は残酷で、まるで首切り役人のようだ。あの日、墓で、減らず口を叩いたときは、老七でさえあの女を言い負かすことができず、降伏状を出して逃げていったからね。どうしたらいいだろう。やはり、老七を呼んできて、相談しなければいけないね」

晁鸞に晁思才を呼んでくるように、晁書の女房に物を買ってくるように命じ、小l哥に食事をさせました。

 間もなく、晁鸞は晁思才を連れてやってきました。晁思才は晁夫人に会いますと、揖もせずに、言いました。

「晁無晏の女房は男と一緒に逃げてしまったのですか」

晁夫人「小l哥の話しでは、逃げてしまったようです」

晁思才「あの女め。私は、犬も遭わぬようなひどい目に遭ってしまいました。しかし、あいつが天に逃げても、この私なら引き戻すことができます。安心してください。大丈夫です。すべて私が引き受けました。葛布を売る南方人にくっついていったということですが、一人ならもちろん、十人でも掴まえてきましょう。ねえさん、あの茶色の雌騾馬に鞍を置いてください。徹夜であいつを追い掛けましょう。それから首飾りを下さい。身につければ格好いいでしょう」

晁夫人はすべて準備してやりました。晁思才は、晁鳳に、銀の頂珠のついた大きな帽子を借りて盛装させてくれと頼み、坐馬子[10]を着け、皮帯を結び、首飾りを掛け、騾馬に乗り、行ってしまいました。五更までに、八十里ほど進みますと、江西の客商が見えました。彼らは、長距離用の騾馬に乗っていました。郭氏は頭巾を被り、白いネルの靴下を穿き、黒い木綿の大きな綿入れ、青い土布の裙を着けていました。騾馬の上には、大きな搭Jが置かれていました。小葛条、小嬌姐は同じ荷かごに腰掛け、一頭の騾馬がそれを担いでいました。晁思才は、二三十歩離れた所から、それをはっきり見ますと、怒鳴りつけました。

「人さらいの女房め。どこへ行くんだ」

郭氏はいいました。

「うちの晁老七がきましたよ」

江西人たちは、郭氏の夫の家から追っ手がきたことを知りますと、一斉に叫びました。

「地方、保甲さま。お助けください。強盗です」

晁思才は取り囲まれました。荒野の中でしたので、地方、保甲などいるはずもありませんでした。江西人たちは、晁思才を騾馬から下ろし、殴って半殺しにし、騾馬の手綱を解き、手足を縛りました。晁思才は気絶してしまいました。江西人たちは、騾馬も四本の足を縛りますと、鉄鎖とともに、彼の傍らに置きました。そして、石灰を拾い上げ、路傍の大きな石の上に書きました。

「強盗を掴まえた。先を急ぐので、役所に送る暇がない。とりあえず縛り、人々に示す」

書き終わりますと、晁思才を残し、鞭を当て、飛ぶように逃げてしまいました。晁老七は、殴られ、犬が喉を詰まらせたときのように、うんうんと唸り、縛られた手足を動かすことができませんでした。騾馬は彼の顔と鼻の匂いを嗅ぎましたが、彼を救ってくれる通り掛かりの人はいませんでした。日が昇る頃になりますと、数人の行商人が通り掛かりました。そして、彼が縛られているのを見ますと、近付いて事情を尋ねました。彼は事情を話しましたが、人々は壁の上の白い字を見ますと、言いました。

「でたらめを言うんじゃない。おまえは馬賊だと書いてあるぞ。本当はそうなのだろう」

晁思才「馬賊、馬賊ですって。騾賊じゃありませんか」

中のある者が言いました。

「こいつは馬鹿な奴で、馬賊などできはしない。縄を解いてやれ。県庁へ行くことにしよう」

馬から降りますと、晁思才の縄、騾馬の脚の縄を解いてやり、彼を騾馬に乗せてやりました。晁思才は、人々とともに県庁の前にいき、縄を解いてくれた人々を、料理屋でもてなしました。酒を飲んでいますと、二人の男が入ってきました。彼らは晁思才と知り合いで、拱手をしました。晁思才は彼らを座らせました。二人の男はいいました。

「晁さん、昨日の夕方は、騾馬に乗り、首飾りを掛け、帽子をかぶり、あんなに強そうにしていたのに、今日はどうしてそんなによたよたしているんだい」

晁思才「やめろ。人を笑い者にするのは。こちらの方々がいなければ、今頃はまだ縛られていたぞ」

人々は、二人の男の話を聞きますと、晁思才が本当に武城県の人で、馬賊でないことを知り、食事を終えると去っていきました。

 晁思才は、騾馬に乗り、晁夫人の家に戻りますと、事情を話しました。

晁夫人「武芸ができる、十人の男でも適わないとおっしゃったのは、本当だと思っていたのに、南方人たちにこんな目に遭わされるとは思いませんでしたよ。でたらめだと分かっていれば、数人の小者を一緒に行かせたのに。はやく酒を温め、表に席を準備し、書房に行って晁梁を呼んできておくれ。七爺を慰めてあげましょう」

晁思才「ひどい目に遭いましたよ。晁梁を呼びにいかれる必要はありません。酒は一瓶私の家にお送りください。あの女房の件は、日を改めて相談しましょう。私は絶対に許しません。あの女がさらに十日逃げても、あいつを掴まえて戻ってきてみせますよ」

晁書の女房は脇から口を挟んでいいました。

「あの女を掴まえるときは、刀を一振り持っていかれるべきです」

晁思才「刀をもっていってどうするんだ」

晁書の女房「また縛られたら、縄を切って逃げるのですよ」

晁思才と晁夫人は笑いました。

晁夫人「この人ったら。七爺は殴られて、歯を剥きだしにし、口を歪めているというのに、まだ馬鹿にするつもりかい。はやく大きな瓶に酒を入れて、七爺の家に送りなさい」

晁無晏がどうなったかは、まだお話ししておりませんが、とりあえず次回を御覧になれば、結末がお分かりになるやも知れません。

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「看他們像螃蟹一般的横跑」。「横跑」は「横行」に同じく、「横に進む」「したい放題のことをする」の意。

[2]原文「山核桃差着一格子」。「比べてみると少し劣っている」の意。山核桃は、普通のクルミに比べ、殻が厚く、食用部が少ない。『本草綱目』胡桃「案劉恂『嶺表録』云『南方有山胡桃、底平如檳榔、皮厚而大堅。多肉少穣。其殻甚厚、須椎之方破』。然則南方亦有、但不佳耳」。

[3]原文「一頓楚歌吹得去了(楚歌によって吹き飛ばされてしまった)」。楚歌は『史記』項羽本紀にある、楚の項羽が漢軍に包囲されたとき、周囲から楚の歌が聞こえてくるのをきき、味方が敵に寝返ったと思い、敗走したという故事に基づく言葉。『史記』項羽本紀「項羽卒聞漢軍之楚歌、以為漢尽得楚地、項羽乃敗而走、是以兵大敗」。

[4]原文「里老」。村の中で、文字が分かり、事務を処理する能力のある者。鈕e『觚賸』月中仙楽「郷人以其善書、能会事、推以里老」。

[5]官馬を育成する農民。

[6]京師の警備に当たる軍隊。京軍三大営。『明史』兵志・京營「京軍三大營、一曰五軍、一曰三千、一曰神機。其制皆備於永樂時」。

[7]髪型の一種。髪を後ろで束ね、少し持ち上げて雁の尾羽のような形にしたもの。

[8]手織の木綿布。

[9]冥府の役人が持っているといわれる、人の生死について記した帳簿。

[10]騎射用の袖なし服。

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