第五十回

狄貢生が換金をして古馴染みに会うこと

臧主簿が出鱈目をいって人を騙すこと

 

身請けされても妓女は妓女

もとは娼婦だ 気をつけよ

夫婦の愛を期待すな

古馴染みとの(よしみ)あり

部屋に縛らるるを恨み

閨房(ねや)(いづ)るを当てにせり

嘘つく繍江臧主簿は

前世は住めり平康[1]

 さて、狄希陳は、一年あまり秀才をしていましたが、筋の通った文章は書けませんでした。彼はたまたま運がよくて、衣巾を被ることができたにすぎませんでした。一生懸命勉強し、子供のように程楽宇先生の教えを受けていれば、年も若く、まあまあ聡明な素質をもっていたのですから、筋の通った文章が書けるようになっていたはずです。しかし、彼は極めて愚かでしたので、秀才になれたのがほかの人のお陰だということを忘れ、自分の力で秀才になれたのだと信じて疑いませんでした。それに、程先生には、深い見識が何もなく、学生が学校に入って、謝礼を得ることができれば、それで宜しいという考えでした。ですから、狄希陳をこれ以上厳しく教育する気にはなりませんでした。そして、狄希陳が「五日魚をとり、十日網を干す」[2]のをほったらかしにしていました。

 ところが、新しい宗師が繍江にやってきて歳試を行うことになりました。狄希陳はまたうまくやれると思い、まったく意に介しませんでした。狄員外夫婦は、もともと農民でしたから、息子の能力は分かりませんでした。しかし、薛教授は狄希陳のことを心配し、狄賓梁と相談しました。

「今は、一条鞭法[3]が行われ、一切の労役がなかった昔とは違います。労役は重く、波止場の庫番、徴税吏に、少しでも目を付けられれば、すぐに家産が傾いてしまいます。狄さん、あなたは立派な秀才に家を支えてもらわなければなりません。婿どのの受験のことが大変心配です。まだ六年になりませんが、やはり心配です。今回、新たに行われる例監生の募集を利用された方がよろしいでしょう。援納のための費用は四百数両ですが、監生よりも優遇されます。うまくゆけば通判にも選ばれますし、秀才と同じような優遇もえられます。例監生の募集は、まさに喜ばしいことです。あの人のために捐納をするべきです。さらに、この省の布政司に銀子を納めれば、上京する必要もありません」

狄賓梁は昔からあまり大した見識はなく、昔から薛教授と親戚になってからというもの、薛教授を盲人用の杖のように頼りにしていました。それに、この考えは必ずしも間違ってはいませんでした。狄賓梁はまったくその通りだと思い、話に従い、食糧を売り、綿花を売り、銀子を集め、自ら狄希陳とともに省城にやってきました。そして、まず学道の文書係を訪ね、上申書を提出しました。

 文書係は黄桂吾でした。狄賓梁は狄希陳の面会を受けますと、まず一両の贈り物をしました。黄桂吾は、援例の規則を彼にくわしく話しますと、こう言いました。

「廩膳は銀百三十両、科挙は十両です。銀子は大した額ではありません。後に、役人に選ばれて人足を雇います。彼らは上官が廩膳監生であることを知れば、一目おいて見るはずです。ですから、最近国子監に入る者には、「廩増」の肩書きを借りる者がとても多いのです。私たち書吏の中にもしばしばこの肩書きを求める者がいます」

狄賓梁は尋ねました。

「私の息子のために廩生の肩書きをもらうには、大体どれだけの謝礼が必要ですか」

黄桂吾「省城の銀子をすべて集めて謝礼にするのです。学生の方々が名誉を求めるように、私たちは利益を求めるのです。外部の者の口利きは、効果がない場合が多いものです。親密な座師、昵懇の同年、要職にある権力者は、まったく頼りになりません。しかし、私たちが頼めば、絶対確実で、失敗することはないのです」

狄賓梁は尋ねました。

「私が頼ることができるのですか」

黄桂吾「できますとも。『候廩』の肩書きを得るのに百三十両、一回試験を受けるのに銀十両、全部で銀百四十両がかかります」

狄賓梁「そのお金は援例の銀の中から出すのですね。すべてご指示の通りにいたします。日が暮れたら報告をしにきましょう」

黄桂吾は、狄賓梁父子を引き止めて座らせますと、さらに言いました。

「今、当十の折子銭[4]は使うことはできません。勅命で回収が行われようとしているのです。文書を送り、この折子銭を使って捐納をするときは、私たちは九十個に換金します。私たちがお上に納める時は、八十個を一両に換算します」

狄賓梁は尋ねました。

「折子銭はどこで換金できるのだ」

黄桂吾「東門にある秦敬宇の質屋にたくさんございます。上質の細絲の銀子ならば、一両の銀子で九十二三個に換えることができます」

狄賓梁は黄桂吾に別れを告げ、宿屋に戻り、百四十両の銀子を包み、灯点し頃に、さらに狄希陳とともに黄桂吾を呼んできて、謝礼を送りました。黄桂吾はそれを受けとりますと、狄希陳のために上申書を書き、狄希陳は「候廩」[5]の肩書きになりました。そして、科挙を一度受けたことがあるといい、狄希陳に文書を自ら持ってゆかせるようなことはせず、彼のために袖にいれて役所に入りました。書吏たちは、学道にお情けを掛けるように頼みました。学道は言われるままに、上申書を承認し、布政司に咨文を送りました。狄賓梁は、主人の鼻なしの高とともに、あらかじめ事例房[6]、倉役人、倉庫の書吏に礼物を送り、賄賂を贈ることにしました。あとは三八の日[7]に銀子を贈るのをまつばかりでした。

 狄希陳は考えました。

「孫蘭姫を娶った質屋は、東門里の秦敬宇で、浙江義烏の人だ。彼の家に当十の折銭があるのなら、銅銭を換えるときに、孫蘭姫と会うことができるかもしれない。それに、尼の李白雲も、三年たてば、また会うことができるといっていた。多分会うことができるのだろう」

狄希陳は一人で秦敬宇の店の帳場の外に行き、腰を掛け、拱手をしました。秦敬宇は彼が若くて美しく、さらに衣服が綺麗なのを見ますと、飾り立てただけの人ではないと思いました。

 秦敬宇は尋ねました。

「ご姓は。何のご用でしょうか」

狄希陳は彼の本当の姓を隠し、返事をしました。

「私は宋という名字で、繍江県の者です。お店に当十の折子銭があると伺ったので、換金をしにきたのですが、まだございますでしょうか」

秦敬宇「少しございます。どれだけ換えられるのですか」

狄希陳「約三百両です」

秦敬宇「まあ大丈夫でしょう。足りなければ、あるところを探してさしあげましょう。しかし、最近は折子銭も高くなりました。朝廷は折子銭を回収しようとし、援納の時に折子銭を使うことになりました。折子銭を持っている家は、この報せを聞きますと、一気に使ってしまおうと考えました。折子銭が使われなくなると思ったのでしょう。そのときは、銀一両で九十文に換えることができました。換える金額が多く、銀の質も良ければ、九十一、二文でも換えてくれました。しかし、最近では折子銭は少なくなり、役所は相変わらず、銀で援納をさせようとはしませんので、折子銭は銀一両で七十七文になってしまいました」

狄希陳「銀一両で九十三文に換えてもらえると聞いていましたが、どうして数がそんなに違うのですか」

秦敬宇「さっきお話ししたでしょう。今は店にまだ少しございますが、ほかの方が換えていってしまったのです」

狄希陳「一両九十文でいかがでしょうか」

秦敬宇「私は嘘をついたりはしておりませんよ。ほかの方なら多くても七十八文以下ですよ。私の店は一般の市場価格に従います。純度の高い紋銀なら、一両八十文にしましょう。ほかの店にゆかれて聞いてごらんさい。八十文以上だったときはもちろん、八十文だったときでも、またこられる必要はありません。その人の店で換金されてください」

狄希陳「それが一般の市場価格ですね。あなたは私を騙してはいないでしょう。一錠の元宝を受けとってください。残りをとってまいりますから」

 秦敬宇は天秤でそれを計りますと、五十両でした。そこで、領収書を書き、狄希陳に渡し、こう言いました。

「銅銭は家にあります。店にはおいてありません。すぐに必要なら、今日の夕方、家に両替しにゆきましょう。お急ぎでなければ、明日の朝に拙宅においでください。お待ちしております」

狄希陳は少し考えて、言いました。

「明日の朝は用事があります。待たれる必要はありません。明日の晩にしましょう」

秦敬宇と約束をしますと、別れて去ってゆきました。宿屋に戻りますと、折子銭が値上がりした事情を狄賓梁に話しました。

狄員外「その男はわしらを騙したのだろう。一両につき十二三文少なくなれば、三百両ならかなり少なくなってしまうぞ」

狄希陳「ほかのところへ聞きにゆきましょう。あの人が私たちをだましたのなら、私たちは銀子をたくさん両替してくれるところに両替しにゆきましょう」

 昼食を食べますと、鼻なしの高が歩いてきて、尋ねました。

「折子銭を両替されましたか。それともご自分でお持ちなのですか」

狄員外「うちにはないから、銅銭を両替しようと思っているのだが、どこで両替できるんだ」

鼻なしの高が言いました。

「十日前に両替したときは、一両九十二三文でした。しかし、今では高くなり、良い銀子なら七十八九個に換えられますが、良くないときは七十七八個です。今は銅銭がないので、換えることができません。東門里の秦家の質屋にはまだあるでしょう。彼は金持ちですから、まあ大丈夫でしょう。西門外の汪家の質屋にもまだございますが、奴は欲が深く[8]、とても悪辣です。この二軒以外にはまったく銅銭がありません」

 狄員外はそれを聞きますと、狄希陳とともに、城内城外の店を一軒一軒訪ねました。しかし、どこもないという返事でした。西門外剪子巷の汪質店に行き、尋ねますと、居丈高な態度で、どれだけ換えたいのだと尋ねました。狄希陳は相手が偉そうにしているのをみますと、一千両換えたいのだといいました。

汪朝奉「折子銭は捐納のときに使うだけなのに、どうしてそんなに必要なのだ」

狄希陳「二人の家来がおり、とても気が利くので、彼らのために捐納をして監生の地位を与えてやるのだ」

汪朝奉「そんなにたくさんはない。多くても二三百両ぐらいだ」

狄員外「二三百両でもいい。端数はわしが別のところで換えることにしよう。一両につきどれだけ換えてくれるんだ」

汪朝奉「銀子を持ってきたのか。取り出して見せてみてくれ。銀子の品質を見てから、銅銭の数を交渉しよう」

狄員外は一錠の元宝を取り出しました。汪朝奉は受けとりますと、それを見て、尋ねました。

「銀子はみんな同じか」

狄員外「すべて紋銀です」

汪朝奉「紋銀なら、一両につき七十八文だな」

狄員外「八十二文にしてくれ」

汪朝奉「俺は嘘をついているわけではないぞ」

狄員外「八十一文ではどうだ」

汪朝奉は相手にせず、帳場に腰を掛けました。

狄員外「八十きっかりにしてくれ」

汪朝奉「今は銅銭が高くなっている。だが、しばらくすれば安くなるだろう。そうすれば、家来を監生にすることができるぜ」

狄希陳「銅銭を換えることができないなら、とりあえず彼に質屋を開かせよう。金を稼いでから、国子監に入ることにすればいい」

互いに目を見合わせて去ってゆきました。宿屋に戻りますと、秦敬宇がいったことが間違っておらず、鼻なしの高がいっていたことも本当のことだったことがわかりました。

 翌朝、狄希陳はさらに二百両の銀子を持ち、狄周を付き従え、秦敬宇が店に行った頃を見計らい、秦敬宇の家へ行き、中に入り、客用の席に腰掛けました。すると、十一二歳の小間使いが出てきて、言いました。

「質屋に行かれてください。家にはまったく人はおりません。お話しがおありでしたら質屋に行かれてください」

狄希陳「奥に話しをしにいってくれ。僕は明水鎮の狄だが、おまえの主人が銅銭を換えると約束したんだ。奥に行って家の人にしらせてくれ」

小間使いは奥に戻って話をしました。孫蘭姫はそれを聞きますと、半信半疑で、こっそりと客間の奥に行って様子を見ました。すると、正真正銘の狄希陳がそこにおりましたので、奥で軽く咳払いしました。狄希陳は、狄周を外に出しました。孫蘭姫がおもてに走りでてきますと、狄希陳はすぐに揖をしました。孫蘭姫は拝礼をし、目から涙を流しました。狄希陳は尋ねました。

「ここ数年、元気だったかい」

孫蘭姫は返事をせず、手で奥を指差しますと、急いで中に入ってゆき、小間使いに茶を出させました。狄希陳が茶を飲みますと、小間使いは茶碗を受け取って中に入りました。孫蘭姫は小間使いを奥にゆかせました。そして、ふたたび客間の奥に行き、他に人がいないのを確かめますと、体を半分乗り出し、袖から物を取り出し、狄希陳の懐に入れました。狄希陳はそれを急いで袖に入れ、おもてに人が入ってこないのを見ますと、急いで広間の奥に行き、孫蘭姫を抱きかかえ、接吻をしました。狄希陳は表に行って腰を掛け、玉のかんざしと袖の中の汗巾、楊枝を、汗巾でくるみ、孫蘭姫の懐に入れました。そこへ、狄周が入ってきました。

狄希陳「帰るよ。夕方になったらまた来るからね」

孫蘭姫は奥で狄希陳が去ってゆくのを見ておりました。

 狄希陳は、袖の中で孫蘭姫が投げてよこした物をつまんでみました。柔らかい物もあれば、固い物もあり、どんな物か分かりませんでした。宿屋の人気のないところに戻り、取り出して見てみますと、おもてには月白の綢紗の汗巾、金三事[9]の楊枝、小さな赤い綾の巾着[10]、包みの中には、湖広趙府の香茶[11]、一双の赤い絹の靴が詰まっていました。狄希陳はそれを見ると、靴を汗巾で包み、中にしまい、狄賓梁に向かって言いました。

「秦敬宇は店にいっていました。夕方にまた行くことにしましょう」

 孫蘭姫は人を遣わして秦敬宇に昼食を送り、客が来たことを知らせました。

「銅銭を両替したいという男がきましたが、帰らせました」

秦敬宇「夕方店を閉めるときに戻ると約束していたのに、どうして早く来たのだろう。家に酒を準備しておいてくれ。三四百両のやりとりを、何もせずにするわけにはゆかない」

使いの者は帰って話しをしました。孫蘭姫はとても喜び、酒を飲んでいる間にすきをみて会おうと考え、高郵の鶏卵[12]、金華の火腿、湖広の糟漬け魚[13]、寧波のミル貝、天津の蟹、福建のゲンゴロウ[14]、杭州の酒漬け蝦、陝西の葡萄[15]、青州の蜜餞、天目山の干し筍[16]、登州の小蝦、大同の酥花[17]、杭州の塩味の木犀、雲南の馬金嚢[18]、北京の琥珀糖[19]を、綺麗な攅盒[20]に並べました。さらに、四つの小皿にいれた果物、一つの小皿にいれた茘枝、一つの小皿にいれた干し栗、一つの小皿にいれた炒り銀杏、一つの小皿にいれた羊尾笋[21]、嵌桃仁[22]、四つの小皿にいれた料理、一つの小皿にいれた生姜の芽、一つの小皿らにいれた香豆豉、カキチシャ、椿の芽を並べ、用意万端を調えました。狄希陳があまり酒を飲まないことを知りますと、古酒をあけました。彼女は狄希陳が早めにやってきて、秦敬宇が遅く帰ってくれば、また会うことができると期待していました。

 ところが、出会いというものは、前世で定められているもの、人が無理に変えることはできないものです。狄希陳も孫蘭姫と同じ考えをもっておりましたので、夕方に昼食をとりますと、狄周に銀子を持たせ、秦敬宇の家にやってきました。秦敬宇は昼間は店におり、家にくるはずがありませんでした。ところが、秦敬宇は狄希陳をもてなそうと考えておりました。そして、家で準備が行き届かないことを恐れ、食事をとりますと、店を番頭に任せ、家に帰って準備をすることにしました。狄希陳が秦敬宇の家に入りますと、秦敬宇が迎えに出てきましたので、狄希陳はがっかりして、腰を掛けました。二回茶を飲みますと、狄希陳は二百両の銀子を取り出して交換しました。秦敬宇は人にテーブルを拭かせ、料理を持ってこさせました。狄希陳は何度も断りましたが、秦敬宇は何度も勧めました。狄希陳はまだ死なないつもりでしたので、だまされた振りをして、腰を掛けました。ところが、秦敬宇が家におりましたので、孫蘭姫は彼の見たのはもちろん、彼女の咳払いの声すら聞くことができませんでした。狄希陳は乗じるすきはない、「三十六計逃げるに如かず」だと思い、口実を設けて席を立ちました。秦敬宇は尋ねました。

「銅銭はどのように運ばれますか」

狄希陳は狄周を宿屋に戻らせ、二三頭の騾馬に幾つかの布袋を積んで、受け取りにこさせました。秦敬宇は奥から銅銭を運んできますと、一つ一つ数を確認し、縄で繋ぎとめ、一纏めにしました。狄周は馬を引き、銅銭を運んでゆきました。狄希陳も別れを告げて外に出ますと、顔をあげ、辺りを見回しましたが、玉のような人の姿は見えませんでしたので、とても辛く思いました。秦敬宇は何度も彼に名を告げるように頼みました。

狄希陳「私は相于廷といい、府学の廩膳貢生です。今回、府にやってきたのは、捐納をして例監生になるためです」

秦敬宇は彼の(あざな)を聞こうとしました。彼は言いました。

「字は覲皇です」

すべて彼の従弟の履歴を使いました。

 秦敬宇は狄希陳を送りますと、家に戻りました。孫蘭姫はわざと尋ねました。

「銅銭を両替しにきた人を、ご存じでしょうか」

秦敬宇「知らないよ。話をしたら、繍江の人で、明水鎮に住んでいる、府学の廩膳貢員で、名前は相于廷、号は覲皇だといっていた」

孫蘭姫「ぺっ、何てことでしょう。お知り合いだとばかり思っていましたよ。こんなに綺麗な攅盒を並べてもてなされるなんて。知らない人なのに、どうして引き止めたのですか」

秦敬宇「三百両のやりとりだから、何のもてなしもしないわけにもゆかないだろう。若い秀才だし、金持ちでもある。人はどこでも会えるものだ。二回会えば友人だ。それに、俺はよく繍江県に借金の催促に行くが、明水は必ず通るところだ。雨を避けたりすることもできるから、いいじゃないか。あの人はおまえの攅盒を持ってゆかなかったし、酒も十杯ほどしか飲んでいないのに、何てみみっちいことをいうんだ」

 しばらく談笑しますと、秦敬宇はふたたび店に行ってしまいました。狄希陳は、相于廷の名を騙ったことが露見するのを恐れ、彼の家にふたたび行こうとはしませんでした。そして、この一別以来、二人が再会することは難しくなってしまいました。

 狄希陳は折銭を換えて帰りましたが、心は猿や馬のようで、とても辛い思いでした。三日に銀を納めるはずでしたが、布政司が誥命を受けるため、八日に変わりました。ところが、八日には右布政司が着任し、挨拶をし、宴会に出席したため、十三日に銀子を受け取り、領収書を出し、県に文書を送り、両隣の里老[23]とともに府学の保証書をとることになりました。父子は省城でまるまる一か月とどまった後、家に帰りました。

 捐納によって例監生になるのは、生員が最後に行き着く場所なのです。ところが、愚かな生員にとっては、捐納は出世をするための踏み台なのです。狄希陳が例監生になって戻りますと、薛教授は家から五里離れたところまで、楽隊をととのえ、青い絹の円領を作り、果酒を用意して、お祝いをいいにきました。連春元父子、相于廷父子、崔近塘、薛如卞兄弟は、祝い品を準備し、狄員外のために旗や額を掲げていました。狄員外の家では、学校に入ったときと同じように、たくさんの酒席を設け、賓客友人をもてなしました。首席に腰掛けていた、九十一歳になる老秀才張雲翔は、『五子登科記』[24]を選び、大々的な鳴り物入りで、一日お祝いをしました。

 翌日、城内へ行き、県知事に会い、「八大十二小」の手厚い贈物をおくりました。県知事は二つの絨毯、犀の杯、姑絨[25]一匹、蜜臘の金念珠を査収し、狄希陳に茶を飲ませました。狄希陳は下役にも一両の銀子を送り、県知事に口利きをしてくれ、旗や額を掛けてもらえるようにしてくれ、旗や額を掛けることが許されれば、手厚いお礼をしようと約束しました。下役が口利きをしますと、県知事は嫌がりました。下役はいいました。

「朝廷が例監生の募集を行っているのです。お金を稼ぐことにしましょう。今、あの男を表彰しなければいけません」

県知事は承知し、すぐに「成均升秀[26]」の額、「貢元」[27]の旗、彩亭[28]、贈り物を作るように命じ、明水に人を遣わし、狄希陳にお祝いをしました。狄賓梁はあらかじめ当直の役人に頼み、佐貳官を城外に遣わしてもらい、見栄えをよくしようとしました。県知事は糧衙[29]の臧主簿に頼みました。狄賓梁は酒席を準備し、主簿をもてなし、隣の宿屋に酒席を設け、二人の当直の役人をもてなし、表の宿屋でもてなしました。主簿、当直の役人の酒席には役者、楽人がつきました。宴会が終わる時に、二人の当直の役人が、それぞれ二両、すべての使者に手厚く礼をしました。

 翌朝、狄希陳は礼物を買い、県知事、主簿に礼を言いました。県知事は銀の杯二つ、銀の急須一つ、縐紗二匹を受け取りました。主簿は二匹の潞綢、二匹の山繭の絹、一揃いの杯、二つの絨毯、十両の折席を受け取りますと、狄希陳に席をすすめ、茶を飲ませました。主簿は自分は例監生の出で廩膳だった、三回試験を受けたが、合格しなかったといい、

「甲子年の試験では試験官の推薦を受けましたが、二次試験の表の問題で、二つ余計に対句を作ってしまいました。試験官が答案を張り出し、合格発表を行いましたが、副榜に合格しただけでした。丁卯の試験では、もっとひどい目に遭いました。私は解元に合格していたのです。大主考は私の答案にたくさん圏点をつけ、昼も夜もそれを見ていました。ところが、彼は答案を袖にいれたまま忘れてしまい、他の人が解元に合格してしまいました。後に私はその男の答案に打たれた圏点が、私の二篇に打たれた圏点より少ないことに気が付きました。『孟子』の文章は、何か所も抹消されていました。三篇の経の文章も、まったく起講がありませんでした。私にいわせれば『こんな文章では解元に合格などできるものか』というものでした。私が代巡[30]に会おうとしますと、大主考は天子様に知られるのを恐れ、何度も私に頼みました。『合格はすべて運命で定められています。次の試験で解元に合格することでしょう。牌房[31]の銀子をあなたに使わせましょう』。私はいいました。『とんでもないことです。そう仰るのなら、私は屁をひることもできません』。つらつらおもんみますに、最初の試験は合格するはずでしたが、余計に二つの対句を作ったため、合格することができず、後の試験では解元に合格するはずだったのに、人に奪われてしまったのです。私は挙人にはなれない運命なのです。今回、新たに例監生が募集されたので、応募することにしました。わが県の県知事と宗師は私のことを褒めたたえ、合格しないのは惜しいことだと仰り、私のことを『斎長』[32]と言ったり、『俊秀才』[33]と言ったりしました。この俊秀才の肩書きは以前なかったものです。後に上京して会試を受け、吏部でさらに試験を受けることになりました。自分で試験を受ければよかったのですが、長班の奴が『例監生は、試験の成績が良ければ、知州、知県、推官、通判に選ばれるはずです。ご自分で試験を受けられる必要はありません。このような苦しい目に遭われてどうなさるのですか。代わりに試験を受ける人がおりますよ。数両の銀子を与えれば、私たちのために試験を受けてくれます』といいました。ところが、運悪く、その男は筋の通った文章を書けませんでした。彼は『四書』の本文をまったく記憶しておりませんでした。出された『孟子』の問題は『政事は冉有、季路』[34]でした。彼が何を書いたものやらわかりませんが、私はめでたく主簿に選ばれてしまいました。合格発表がなされましたが、私は腹が立ちました。私はいいました。『仕方がない。仕方がない。ろくでなしにひどい目にあわされた』。こうして現在の職に任ぜられたのです。しかし、うちの県知事さまは英雄を見分けることができました。私が着任した最初の日、あの方は役所から退く前に、小姓、書吏にむかって、私のことを褒められました。『あの主簿は真の豪傑だというのに、このような役人になっているのは惜しいことだ。これはあの人にとって不当なことだ。わしはあの者を引き立て、知県に昇任させることにしよう』。毎日批准する訴状十枚のうち、八枚を私に任せました。私ども読書人は心が澄みきっており、何でもよく知っておりますので、人々は私のことを『臧青天』といっています。私たちが文書係に自供書を作らせ、筆をとって評語を書き、ある者はこれこれこうだから、刑に処すべきである、ある者はかくかくしかじかだから、杖刑に処すべきであると書けば、たいていはその通りになります。私たちは彼らからは少しも貪らず、ありのままを役所に上申するのです。裁きが行われますと、[35]役所は私たちが有能なことを、人民は私たちが清廉なことを喜びました。この間、私が昇任したときには、私のために脱靴の儀式を行おうとしました。この間、童生の答案を試験したときは、[36]私は十人の童生の名を書き、お上に送りましたが、一人残らず、すべて合格いたしました。昨日、私はあなたのために額を掛けるように頼みましたが、これは県知事さまが私に目を掛けてくださったのです。県知事さまが私に仕事を任せていなければ、あなたが私にこの礼物を送られるはずもございませんでしょう。有り体に申し上げますと、あなたの県は、私がきてからというもの、『国は安らかで、天の心は正しく、役人は清廉で、人民は安泰』なのです。あなたのような若い方が例監生の募集に応じられれば、歳試のとき、宗師に怒られずにすみます。都で国子監に入りますと、さかんに試験が行われます。よく勉強をしていれば、自分で試験を受け、試験を受けるのが恐ろしいときは、人を雇い、代わりに試験を受けさせるのです。[37]人を雇うことができればいいですが、私などは人からひどい目にあわされています。しくじれば、出世コースを歩もうと思ってもうまくゆかないでしょう。県知事さまは、自分が去ったあとは、私をここの知県にしようと約束してくださいましたが、運命などどうなるか分かりませんよ。上京なさるときは、あなたの荘園にゆき、送別をし、さらにたくさんの秘訣を伝授してさしあげましょう。これこそ『山の下の道を知りたければ、やってきた人に聞け』というものです」

 話が終わりますと、狄希陳は別れを告げて家に戻り、臧糧衙の話の一部始終を伝えました。狄員外は顔中を綻ばせました。薛教授もあまり不思議がりませんでした。後に、連挙人の耳に噂が届きますと、連挙人の歯は、笑って抜け落ちてしまいそうになり、何度も『ろくでなしの畜生め』と罵りました。まさに、

知己とは千杯でも飲める

知音に会へば話は弾む

 狄希陳がどのように上京し、どのように国子監に入りましたかは、とりあえず次回をお聞きください。

 



[1]唐代、長安の花柳街。転じて花柳街の雅称。

[2] 「三日坊主をする」の意。

[3]明末清初期の税制。田賦、徭役に代えて、税金を銀で納めるようにしたもの。

[4]一つ十文の価値のある銅銭。

[5]明代、生員には廩生、増生、附生、青衣、発社という五等級があった。歳試の成績が優秀な生員は廩生、廩生の空きがない場合は増生になることができたが、増生に空きがない場合は、附生の地位で廩生になるのを待つことになり、これを候廩といった。『清史稿』選舉一・學校一・府、州、縣學「六等黜陟法、視明為繁密。考列一等、掾A附、青、社倶補廩。無廩缺、附、青、社補掾B無昴栫A青、社復附、各候廩。原廩、搨竝~者收復」。

[6]地方官署に事例房という部署はない。未詳。

[7] 二十四日のことと思われるが未詳。

[8]原文「按着葫蘆摳子児(瓢箪を押さえつけて種をほじくる)」。

[9]三事は旧時、中国人が携帯した三つの衛生用品で、楊枝、耳掻き、毛抜きをいう。

[10]原文「綾合」。「合」は「荷」と同音で、荷包(巾着)をさすものと思われる。

[11]木犀、茉莉、豆豉、冰片などの粉末を餅状にしたもの。眠気覚ましなどに用いた。

[12]高郵の鶏はきわめて巨大で、四五尺の高さがあるという。嘉慶重修『揚州府志』巻六十一、物産、羽之属「鶏。高郵博支有巨鶏。高四五尺。与人鬥。土人以守戸」。

[13]原文「糟魚」。沔陽、復州の名物。雑魚で作ったもので、塩辛いが生臭くはないという。民国十年影印『湖北通志』巻二十四・物産・飲饌類「[魚建」魚。唐本草、[魚建」魚沔陽復州人作之。以塩[魚邑]成。味鹹不腥臭。与鮑魚不同。以有塩故也。雑魚皆可為之。案文献通攷、開宝五年、詔罷荊襄道貢魚臘。寰宇記云、襄州土産鹹乾魚。今貢皆本草所謂[魚建]魚者、与魚鮓微別。即俗呼為[魚邑]魚者也」。

[14]原文「福建龍蝨」。同治七年『福建通志』巻五十九・物産・福州府に「龍蝨」を載せる。油と塩で味付けするという。「『五雑俎』閩有龍蝨者、飛水田中、与竈虫分毫無異。○海錯疏龍蝨秋風暴起、従海上飛来、落水田中、人撈取油塩製蔵珍之、閩人言是龍身上蝨、或然耳」。

[15]乾隆四十四年『西安府志』巻十七、物産に「蒲萄」を載せる。

[16]原文「天目山笋鮝」。天目笋干、扁尖とも栞いう。浙江省天目山区に産する、若竹を原料とした加工食品。筍を煮たあと、炙ったもの。肉は厚く柔らかく、黄緑色、香りがあり、繊維のないものが尊ばれる。蕭帆主編『中国烹飪辞典』(中国商業出版社)「【扁尖】也称「天目笋干」、烹飪原料。以産于浙江天目山区的嫩青竹為原料、経煮笋、供焙後制成。以肉厚而嫩、緑中透黄、聞有清香、無粗老繊維者為佳」。

[17]菓子の一種と思われるが未詳。

[18]馬檳榔ともいう。雲南省に産し、葡萄の実に似た紫色の甘い果実を結ぶ。『本草綱目』果三・馬檳榔「馬檳榔生滇南金歯、沅江諸夷地、蔓生。結実大如葡萄、紫色味甘、内有核、頗似大楓子而殻稍薄、団長斜扁不等。核内有仁、亦甜」。。

[19]砂糖を煮て小球にしたもの。薬用にする。謝觀等編著『中国医学大詞典』千三百四十四頁参照。

[20]酒肴、菓子を盛りつける、漆塗りの盒子。

[21]羊尾笋干。浙江省奉化県に産する龍笋を加工したもの。形が羊の尾に似るのでこういう。薄黄色で透き通っており、香りが高い。スープなどに用いるという。蕭帆主編『中国烹飪辞典』(中国商業出版社)「【羊尾笋干】烹飪原料。為浙江奉化特産。以当地龍笋精工制成、因形似羊尾、故名。肉色清白黄亮、鮮嫩芬芳可口。可供烹煮作湯」。

[22]桃仁は胡桃のこと。胡桃を入れた菓子かと思われるが未詳。

[23]里長に同じ。第二十八回の注参照。

[24]明の竇禹鈞の五子が科挙に合格したことを題材にした戯曲。同じ物語を題材にしたものに明王稚登『全徳記』がある。

[25]姑姑絨ともいう。陝西省で生産される毛織物。明代は珍重された。劉廷璣『在園雑志』巻一「陝西以羊絨織成者謂之姑絨、制錦衣取其暖也」。葉夢珠『閲世編』巻七「大絨、前朝最貴。細而精者、謂之姑絨、毎匹長十余丈、価値百金、惟富貴之家用之、以項重厚綾為里、一袍可服数十年、或伝干子孫者。…今最細姑絨、所値不過一、二十金一匹。次者八、九分一尺、下者五、六分而已。年来売者絶少、販客亦不復至、価日競而絨亦日悪矣。

[26] 「成均」は国子監のこと、「升秀」は地方の学校から国子監に送られた生員、すなわち貢生のこと。

[27] 「貢生の中でもっとも成績優秀な者」の意。

[28]赤布で飾り付けをしたあずまや。清高静亭『正音撮要』巻三「華彩」に「彩亭」を載せる。

[29]県庁の、穀物を管理する部署。

[30]代巡という官職はない。学政官のことか。未詳。

[31]機関名と思われるが未詳。

[32]科挙の受験者を斎生といった。馮夢龍『古今譚概』文戯「広東二貢士争名。至相殴。友人用旧詩更易誚之曰『南北斎生多発顛、春来争榜各紛然』」。斎長はその長ということ。

[33]明代、捐納をして監生の資格を得た者をいった。『明史』選挙志一「迨開納粟之例、即流品漸淆、且庶民亦得援生員之例以入監、謂之民生、亦謂之俊秀、而監生益軽」。

[34] この言葉は『論語』泰伯に見える、『孟子』にあるとするのは作者の誤り。

[35]原文ではこの後に「咱収他加二三」という句があるが、義未詳。

[36]原文ではこの後に「二衙裏倒是个恩貢、只分了三百通卷子与他、四衙裏一通也没有。這七八百没取的卷子、通常都叫我拆号」。とあるが義未詳。

[37]原文「京里坐了監、就熱気考他下子。勤力自己進去、怕是進去、雇个人進去替考」。未詳。とりあえず上のように訳す。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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