第二十一回

和尚が転生して恩義に報いること

春鶯が出産して晁家が保たれること

 

人には情けを掛くるもの

陰徳あらばなほ安全

欲望、嫉妬がなかりせば

心は楽で

憂へなく

福禄寿をぞ授からん

死すとも構はぬどら息子

産着ですぐれた子をくるみ

育て上げなば父をも凌がん

理に従はば

家は保たれ

老いたる母に奉仕せん《天仙子》

 さて、家財を略奪した暴徒と、彼らに付き従った六人の男、十四人のあばずれ女たちは、すぐに監獄に送られました。晁思才と晁無晏は、夾棍でぶたれますと、監獄に送られ、一か月治療をした後、引き出され、道路で枷に掛けられ、二か月で釈放されました。その後、これらの人々は、決して晁家に行こうとはしませんでした。知事は、晁家が寡婦の家でしたので、一切の賦役を免除しました。土地の有力者や隣近所は、知事が彼女を守っていることを知っていましたので、家にきて乱暴しようとはしませんでした。晁夫人は、夫と息子を亡くしたとはいえ、むしろ心安らかにすごし、春鶯を千百万の黄金のように可愛がり、朝晩天地に祈り、彼女が男の子を産むことを望みました。

 九月二十八日、門番が入ってきて言いました。

「梁片雲と胡無翳が通州からやってきて、大奥さまに会いたいと申しております」

晁夫人「彼ら二人が遠くからやってくるとは、何があったのだろう広間に招いて腰掛けさせておくれ。出ていって会うことにしよう」

晁夫人は、彼ら二人に会い、人に命じて精進料理を準備させました。二人は、栗色の紬織りの袷の道袍、黒い麻の瓢帽、僧鞋と綺麗な靴下を着け、晁夫人に会いますと、身を低くして拝礼し、恩徳に感謝するのをやめませんでした。さらに、晁老人親子が相次いで死んだので、二人もとても悲しいと言いました。また、六百三十両の銀子で米を買い、新しいものを入れ古いものを出すやり方で貧民に貸し与え、ここ二年で、一万石近くなったとも言いました。さらに、十月一日は晁夫人の六十歳の誕生日だから、大奥さまのためにお祝いしにきて、大旦那さまにも会おうと思っていたのに、大旦那さまと若さまがともに亡くなってしまっていたとも言いました。晁夫人が彼らの宿屋を尋ねますと、彼らは真空寺の法厳長老の家に泊まっていると言い、精進料理を食べますと、寺に帰ってゆきました。

 一日になりますと、二人は広間にやってきて、幾つかの礼物を送り、晁夫人の誕生祝いをしようとしました。晁夫人はふたたび表へ出て会いました。晁夫人は三人の喪に服していましたので、親戚たちの礼物を受けとりませんでした。この日は片雲、無翳をもてなしました。翌日二人は別れを告げて出発しようとしました。晁夫人は彼らを二日引き止め、深緑の道袍、瓢帽、僧鞋、ネルの靴下を作ってやり、それぞれに十両の銀子を与えました。さらに、精進料理を並べて餞別し、二人を送りました。

 二人は朝に起き、晩には休んで、途中ずっと話をしました。

無翳「晁大舎はとても薄情だったし、晁老人も温厚ではなかったから、腹の中の子はきっと男の子ではあるまい」

片雲「晁老人と大舎は薄情だったが、すでに死んでしまい、残ったのは大奥さまだけだ。大奥さまは女菩薩で、あの方がこの世に残った以上は、息子が生まれてあの方を養わないはずがない。あの妊婦はきっと男の子を産み、女の子は産まないだろう。ご老人の顔にも福と寿の相が残っていたようだ。俺たちはあの方に良くしていただいた。俺は何とか転生してあの方の息子になり、恩徳に報いることができればいいのだが」

 一日足らずで、通州に着きますと、師弟は相見え、とても喜びました。ところが、数日たちますと、片雲はだんだんと元気がなくなり、病気になりました。ある晩、韋駄尊者が夢に現れてこう言いました。

「晁宜人は通州にいた三年間に、彼女の夫に刑罰を少なくするように勧めた。夫は彼女の忠言を聞かなかったが、彼女は良い心を尽くした。この六百両の米で、ここ二年間にたくさんの人が救われたし、将来への蓄えもたくさんある、あの方に仕える息子がないなどということになってはいけない。おまえはあの方の息子になって恩に報いようという願いを立てたが、良い心掛けだ。出家した者はいい加減なことは言わないものだ、おまえがもしそれを実行しなければ、犂舌地獄から逃れることはできないぞ。十二月十六日の子の刻、おまえは一度いってくるがいい。戻ってきてもおまえの修行の完成が遅れることはない。しかし、本来[1]を失って、輪廻に陥ってはいかんぞ」

片雲は目を覚ましますと、この夢を思い出し、長老と無翳に知らせました、それ以来、気息奄々として二度と元気になることはありませんでしたが、眠ることはせず、毎日今まで通り服を着、顔を洗いました。十二月十五日の晩になりますと、人に命じてスープを温めさせ、暖房で湯浴みをし、新しい服に着替え、菩薩韋駄の目の前で浄香を摘み、叩頭して別れを告げました。さらに、長老と無翳にも叩頭して別れを告げ、何度も頼んで、叫びました。

「穀物を蓄え、貧民を救う仕事は、最後まで行わなければなりません。あなたが年をとって仕事をするのが億劫になれば、私があなたの手助けを致しましょう。私の死体は埋葬せず、龕に煉瓦を積んで収めてください、私は自分で戻ってきて埋葬を行います」

さらに四句の偈を書きました。

恩返しせば

心は和やか

命短し

泣くのはやめよ

 長老と無翳は言いました。

「奇妙な夢を見たからといって、どうしてこんなに本気にするのだろう。天寿を全うして死ぬのを待つべきなのに、まさか自殺するのではあるまいな」

片雲は準備を終えました。自分の部屋に戻り、香に火を点け、座禅をする席に上がりますと、膝を組み、座りました。

長老と無翳「邪魔してはいけない、どのように死ぬか見てみよう。遠くから用心をして、自殺させないようにしよう」

空が明け、太陽が赤い姿をみせました。

人々「十六日の子の刻を過ぎましたから、心配はなくなりました」

中に入り、彼を見てみますと、二つの玉柱[2]が膝の上に垂れており、いつ円寂を遂げたのかは分かりませんでした。寺中の和尚はびっくりし、都中に噂が広まり、功臣の親戚、宦官たちは蟻のように通州にやってきました。布施をする者は山や海のようにたくさんいました。彼の言葉に従い、寺の後ろの庭に龕を造り、中に入れて煉瓦を積みました。太后は宦官を遣わし、彼のために香を焚き、とても綺麗に飾り付けをしました。

 さて、十一月も半ば過ぎになりますと、晁夫人は春鶯が出産するのを毎日待ち望み、以前知事が推薦した産婆の徐さんがいなくなることを恐れ、彼女を毎日家でじっとさせ、外に行かせませんでした。さらに、晁夫人は、裏間に暖房を準備し、炕を作り、あらかじめ二人の乳母を待機させました。春鶯がまだ若く、息子の面倒を見ることができない恐れがあるからでした。十一月十五日から待ち始め、一日一日と時が経ってゆきましたが、何の動きもありませんでした。晁夫人は産み月を過ぎ、人に疑われるのを恐れました。十二月十五日の晩、ようやく陣痛が始まりました。晁夫人は眠っていませんでした。さらに常に出入りしている占いをする瞽女を呼び、三人は暖かい炕の上に座って待ちました。

 春鶯はだんだんと痛みが激しくなりました。更鼓をよく聞きますと、二更でした。瞽女は言いました。

「縁起のいい戌の刻に産まれなければ、十六日の子の刻まで我慢してもらいましょう。子の刻は戌の刻よりもずっといいのです」

さらに春鶯に冗談を言って

「お嬢さま、どうかしっかり閉じて、亥の刻に子供が産まれないようにしてください」

人々は笑って

「何をきちんと閉じろというんだい」

 晁夫人があくびしますと、徐婆さんは枕を持ってきて、言いました。

「大奥さま、とりあえずお眠りになって、私が番をし、お子さんが産まれたてからお呼びしても遅くはないでしょう」

晁夫人は横になりますと、すぐに、ぐうぐうと寝てしまい、口の中で大きな声で言いました。

「出家をした人がどうして寝室に来るのだね。はやく出ていっておくれ」

徐婆さんは夫人を起こしました。

晁夫人「片雲は出ていったかい」

人々「真夜中ですから、片雲がここに入ってきたりはしませんよ」

晁夫人「私が夢を見ていたのかい。私はこの目で彼が油緑の袷を着てこの部屋に入ってくるのを見たのだよ。私に二回叩頭までしたのだよ。彼はこう言った。『大奥さまにお仕えする人がいないので、私が大奥さまにお仕えいたしましょう』。私が『出家をした人がどうして私の寝室に入って世話をすることができるんだね』というと。彼は答えず、悠然と裏間に行ってしまったよ」

話をしていますと、春鶯が痛がって泣きました。徐婆さんは走り込むとすぐに、ぽとんと音がして、男の子が生まれました。徐婆さんは手に受け取ると、言いました。

「大奥さま、おめでとうございます。とても立派な男の子ですよ」

瞽女は更鼓が二更三点を打ったのを聞きました。ぴったり子の刻でした。晁夫人は喜んで、おならがでるかと思うほどでした。明かりの下でじっとしばらく見てみますと、言いました。

「この子はどうして片雲そっくりなんだろう」

小間使い、下女は片雲の顔と同じだと言いました。臍の緒を切り、えなを埋め、春鶯に定心湯を飲ませ、炕の上の枕に寄り掛からせました。

 子供は生まれたばかりでしたので、明かりを嫌がることを知らず、二つの目を見開いてくるくると辺りを見ました。人々はとても喜びました。人々は徐婆さんとともに食事をとり、晁夫人は徐婆さんに祝い酒を送りました。二両のお祝儀、一匹の赤い緞子、一対の銀花を送りました。徐婆さんも晁夫人に祝い酒を返しました。瞽女にも三銭の銀子を与えました。食事が終わりますと、すぐに五更になりましたので、人々はしばらく休みました。ところが、喜んでいる人は眠ることができないものです。晁夫人は何度も寝返りをうち、心の中でこう思いました。

「天が子供を授け、晁家に跡取りができたが、天地にどう報いたらいいだろう」

どのように善行を積み、どのように貧民を救おうかと考えました。さらに今回子供ができたので、一族を家に出入りさせよう、たったの七八人だから、各人に五十畝の土地を与え、彼ら全員が食べてゆけるようにすることを約束しようと考えました。夜中にそのことを考え、まだ明るくならないうちに、飛び起きて、春鶯を見ますと、粥を煮、彼女が食べるのを見守りました。さらにゆっくりと掛け蒲団を捲り、赤ん坊を見ますと、晁夫人は喜んで口をとじることができなくなってしまいました。

晁夫人「以前、徐知事さまが自分で、出産のときは、知らせるようにと仰っていた。さらに徐婆さんに取り上げをさせるようにと言っていた」

人に命じてすぐに徐婆さんに朝飯を食べさせ、晁宝とともに、県庁に吉報を届けました。ちょうどその日、学校では明倫堂を修理したため、徐知事は朝から棟上げ式に出掛けており、まだ戻っていませんでした。徐婆さんと晁宝は表門の中で待ちました。

 珍哥は晁鳳が表門の中にいることを聞きますと、走ってゆき、飯運びの小方孔に晁鳳を呼ぶように命じました。晁鳳は尋ねました。

「珍ねえさん、最近は楽しいですか」

珍哥「何が楽しいものかね。若さまが亡くなってから、だれも面倒をみてくれる人がいないんだよ。晁住は以前とはうって違って、食糧、薪をまったく送ってくれないのだよ。おまえがこの前若さまの首をもってきたのを、私はこの入り口から見ていたが、一つには怖かったし、二つには腹が立っていたから、おまえを呼び止めて、首を一目見ることはしなかった。おまえは今度は何をしにきたんだい」

晁鳳「今日坊っちゃんがお生まれになったので、徐知事さまに知らせにきたのです」

珍哥「誰が生んだんだい」

晁鳳「春鶯ねえさんが産んだのです」

珍哥「春鶯は大奥さまの小間使いだったのに、いつ妾になったんだい」

晁鳳「大旦那さまが妾にし、二月二日に結婚されたのです」

珍哥「まあよかったよ。晁家に主人ができたのだからね。昨日晁思才と晁無晏は、監獄で『徐知事だって百年知事を勤められるはずはないんだ。徐知事が出ていったら、覚えていろよ』と怒っていたからね」

 話しをしていますと、銅鑼の音が聞こえ、徐知事が棟上げ式を終え、真紅の円領を着け、轎に乗りながら、県庁に戻ってきました。晁鳳と徐婆さんは一緒に中に入りました。知事が轎から降りますと、二人は前に跪きました。徐知事は、人を一回見ますと、生まれ変わっても忘れることがありませんでした。二人が口を開かないでおりますと、知事はまず尋ねました。

「息子が産まれたのか」

二人「はい」

知事「いつ産まれたのだ」

徐婆さん「今日の子の刻です」

知事「この子は幸せだ。わしがちょうど礼服を着ているときにおまえたちから吉報を得ることができたのだからな」

庫吏に二両の銀を包ませ、赤い覆いをかけますと、表に「二両」と書き、門番に赤い便箋を持ってこさせました。そして、自ら「命名晁梁」の文字を書き、言い付けました。

「この二両は粥代だ。他には人を遣わさないから、持ってゆき、宜人様にお祝いを申し上げてくれ。わしは棟上げ式から戻ってきたばかりだから、晁梁と名付けたのだ」

さらに徐婆さんに尋ねました。

「おまえが手に持っているものは何だ」

徐婆さん「これは晁の大奥さまがくださった祝い品とお祝儀です」

徐知事「おまえに褒美をやろう」

庫吏に命じてそれぞれにお祝儀百文を与えました。

 二人は手厚くお礼を言って戻りますと、晁夫人に報告をして、言いました。

「徐知事は棟上げ式をし、礼服を着て戻られたところでしたので、晁梁と命名されました」

晁夫人「これは不思議だ。梁和尚が寝室に入ってくる夢を見たときに、この子が産まれたものだから、私はこの子を晁梁と呼ぼうと思っていたのだよ。知事さまがその名前をつけてくださるとは。これは偶然ではあるまい。この子はきっと幸せになるだろう」

親戚に噂が広まりますと、一人として晁夫人のために天地に感謝しない者はありませんでした。

 三日になりますと、粥を炊く米を送ってくる者が押し掛けましたので、あらかじめ料理人を雇っておき、酒を並べ、客をもてなしました。荘園の女たちを呼んで手伝いをさせ、小麦粉を発酵させて饃饃を作り、その日は貧民たちに食べさせることにしました。さらにおもてに酒席を並べ、晁思才ら八人の親戚を、奥には略奪をした十四人のあばずれ女たちを呼ぼうとしました。一日前に人を呼びにゆかせました。十八日になりますと、徐婆さんを呼びました。粥を炊く米を送った親戚たちがだんだんと集まり、子供がよもぎ湯に入るのを見ました。東昌の風俗では、子供の生まれた家では鶏の卵を赤い糀で殻ごと煮て、麺をのし、すべての親戚、友人の家に配るのでした。子供がよもぎ湯に入るのを見にきた親戚たちは、銀子を贈ったり、銅銭を贈ったりしました。手厚い場合もあれば、そうでない場合もありますが、盆の中に入れられたお金は、「添盆」といい、最後は全部産婆が持っていくことができるのでした。その日、晁夫人は自分で盆の中に二両の銀塊、三銭の金の耳掻き、棗、栗、葱、大蒜をいれ、後からさらに五両の謝礼、二匹の絹布、首帕、四本の手巾を入れました。その日、徐婆さんが添盆で得た銀子、銅銭は十五、六両ほどでした。

 さて、その日、晁夫人は百個のよく煮た赤い卵、二つの大きな盒子に入れた、よくのした麺を徐知事に送り、受け取ってもらい、下男に二百文の銅銭を与えました。さらに親戚、友人、隣人にも分け与えました。一族の八人にも送りました。首帕、汗巾を返すものもあれば、幾束かの糸を返すものもありました。

 この日、一族の八つの家の男女のうち七つの家はやってきましたが、晁思才の一家だけは来ませんでした、彼は言いました。

「我々は、先日、あの人に息子がいないと言い、あの人の財産を分けようとした。あの人には今回息子ができたが、これは我々をあの家に呼び、我々の口を封じようとしているのだ。それに、先日ひどい目に遭ったのに、まだ仕返しをしていない。どの面下げてゆけるというのだ」

人々「たとえ我々の口を封じようとしているにせよ、家に呼んだ以上は、酒席も用意してあるはずです。まさか我々をただで外に出すわけではないでしょう。それにあの日はもともと我々が悪かったのです。あの人の物を分けるのならまだしも、どうしてあの人を追い出そうとしたのですかあの人が自分で私たちを告訴したわけではなく、神さまが役人を遣わし、ひどい目に遭わせたのに、どうしてあの人を恨むのですかあの人が私たちを呼んでいるのですから、行かないわけにはゆかないでしょう」

盒子に入れた麺を送る者もあり、盒子に入れた胡麻、塩を送る者もあり、十数個の卵を送る者もあり、豚の胃を一つと猪の足二つを送る者もありました。晁夫人は一つ一つ受け取りました。

 一族の女たちは早く行けば、子供がよもぎ湯につかるときに、「添盆」のお金を払わなければならなくなると思い、全員で示し合わせて昼にやってきました。男女は、晁思才を除いて、すべて晁夫人より下の世代でしたので、みんな晁夫人に叩頭してお祝いをしました。晁夫人はにこにこと彼らをもてなしました。人々は、晁夫人に先日のことを詫びようとしました。

晁夫人「先日はあなた方をひどい目に遭わせてしまいました。私こそあなた方にお詫びをしていませんのに、私に詫びられるのですか。今、私たちはみんな喜んでいるのですから、以前のことを話すのはやめ、いいところだけ見ることにしましょう。一族同士で、人数も多くはないのですから、万事長い目で見て、つまらないことに拘ってはいけません」

あばずれ女たちには、ある者は大娘(タァニァン)[3](シェンヅ)[4]と呼び、ある者は(ナイナイ)[5](チンムゥ)[6]と呼びながら、叩頭するのをやめず、こう言いました。

「あの日、もしあなたが善行を積まれ、二回人を遣わして私たちのためにとりなしをしてくださらなければ、大通りに引き出され、たくさんの人々の前で三四十回の板打ちになり、今では世間に合わす顔がなくなっていました」

晁無晏の女房「あの日産婆が呼ばれたので、私たちは大騒ぎして、『何が行われるのだろう』と思いました。七奶奶は言いました。『とんでもないことだよ。どうしてこんなことを思い付いたんだろう。きっと私たちの例の所に物が隠されていると思って、産婆に手で取り出させるに違いないよ』。私『あれ、あんなところを、人に探らせるわけにはゆきませんよ』。後で、春鶯ねえさんをみるということが分かりました」

晁夫人と女の親戚達は一しきり笑いました。

 談笑していますと、小間使いが走ってきて言いました。

「大奥さま、坊っちゃまがたくさんの黒くて粘りのある便をされたので、春鶯ねえさんが大奥さまに見にきてくださいと言っております」

晁夫人「子供が出す蟹糞はみんな黒いものだよ」

晁夫人が中に入りますと、人々も見にゆきました。晁夫人が片手で赤ん坊の腿を擦ってやりますと、彼はくりくりと目を見開き、きょろきょろと人々を見、晁夫人の顔と鼻に向かって、尿をひっかけました。人々は笑ってどうしていいか分からなくなってしまいました。

 親戚たちは酒を飲みおわりますと、ある者は轎に、ある者は車に、ある者は驢馬に乗り、相前後して、別れを告げて去ってゆきました。先日ぶたれなかった女たちも家に帰ろうとしました。晁夫人は粥を炊くための米を送ってきた者たちの盒子の中に点心、肉料理の類をたくさんつめ、各人に三尺の青い木綿の靴の甲、脚半、首帕を贈りました。女たちはろくでなしではありましたが、優しくされますと、四つの井戸で水を汲んでいるときのように、ある者が話しおえますと、別の者が話しをしました。ある者は「私はいい靴底を作ることができます」と言い、ある者は「私は良い靴の周りを作ることができます」と言い、ある者は「私は衣服をとてもうまく洗い張りすることができます」と言い、ある者は「私はとてもうまく衣装を作ることができます」と言いました。「大奥さま、大娘、嬸子、妗母、何かを作られるときは、私たちがあなたのお手伝いをいたしましょう」。外の七人の親戚たちは、口卑しい和尚のように、入ってきて晁夫人に別れを告げ、家に帰って行きました。

晁夫人「家にお帰りください。正月に時間があるかどうか分かりませんが、年が明ければ、あなた方にお話ししたいことがあります」

人々は言いました。

「大奥さま、何かお言い付けがありましたら、人に命じてお伝えくだされば、私たちはすぐに参ります。ぐずぐずしたりはいたしません」

晁夫人「正月にはお金が足りないのに、あなた方に礼物まで贈っていただくなんて」

人々は去ってゆきました。晁夫人は春鶯の部屋に入り、炕に座り、晁書、晁鳳の女房を遣わし、部屋で産婆の面倒をみさせました。そしてこう言い付けました。

「おまえたちがきちんと応対できれば、息子の満月のとき、おまえたちに褒美をやろう。応対が良くなければ、口に犬の糞を塗ってやろう」

 十二月は昼が短いため、すぐに過ぎてしまい、あっという間に正月になりました。晁老人と晁大舎が死んだばかりでしたが、おめでたがありましたので、晁夫人はあまり寂しくはありませんでした。あっという間に正月は過ぎ、子供の満月で忙しかったため、元宵節にも構っていられませんでした。十六日、春鶯は起き上がって髪梳き、洗顔をし、産室を出ました。晁夫人もとっくに髪梳き、洗顔を終えており、天地に向かって紙銭を燃やし、家の廟にいって祭祀を行い、春鶯も後に付き従って叩頭し、人々は晁夫人にお祝いを言いました。春鶯はまず晁夫人に叩頭し、晁夫人は人々に春鶯を沈ねえさんと呼ばせました、彼女がもともと沈裁の娘でしたので、彼女の実家の本姓で呼んだのでした。さらに子供に小和尚という幼名をつけました。朝食をとりますと、ちょうど十六日の吉日で、「煞貢」「八専」「明堂」「黄道」「天貴」「鳳輦」[7]がすべてこの一日の中にありました。この日は、ちょうど頭を剃る日で、晴れて暖かかったため、普段いつも頭を剃ってもらっている人を呼び、小和尚の頭を剃りました。まず五百文の銅銭、首帕、大きな花模様の手巾を褒美として与え、頭を剃り終わると彼を酒、飯でもてなしました。一族の女たちや親戚の男たちの女房がやってきて、小和尚の満月のために礼物を贈りました。本家の女たちも五六分の重さの銀銭、銀の鈴を贈りました。

 晁思才は、晁夫人が彼を招いたのは、彼をおとなしくさせるためだと思っていました。しかし、晁夫人は彼らがやってきますと、とても手厚くもてなし、帰るときは女たちに礼物を返しました。晁思才はとても後悔し、今日は呼ばれもしないのに、二つの盒子に入った茶餅を買い、銀の鈴を作り、ろくでなしの女房をつれてやってきました。晁思才の女房は、中に入るとまず晁夫人に会い、口を蜜の盆のようにして、あたふたと

「私の叩頭をお受けください。一万回叩頭しても構いません。あの日もし救ってくださらなければ、大通りに引き出されて板打ちになり、糞もすることができなくなっていたでしょう。嘘は申しません。晁無晏の奴が悪いのです、あいつは今日は煽り立て、明日は唆して、うちの老いぼれを動かし、見張りの犬のように吠え立てさせたのです」

ところが、晁無晏の女房は先に部屋の中にきており、一句一句をはっきり聞きますと、悪魔のように走り出てきました。晁思才の女房はそれを見ると、慌てて言いました。

「あれおまえはいつ来ていたんだえ」

晁無晏の女房は答えず、一言

「ああ。胸によく手を当てて考えてください。晁無晏の奴が悪いですってあなたたちは一日二三回やってきて、すべてを指揮し、事件が起きればあなた方が責任をとるといっていました。後にあなた方は百回しか杠子でぶたれなかったのに、私たちは二百回ぶたれました。それなのに主人があのろくでなしを唆したというのですか。神さまが聴いていられますよ。人の悪口を言うと、また同じ目に遭いますよ」

晁夫人「今日は子供が生まれた吉日です。あなた方を呼んだのはお祝いをするためなのに、あなたは口喧嘩しています。口喧嘩するなら、お尻を窄めて明日あなた方の家でなさってください。私のところで人が口喧嘩するのはもうたくさんです」

 人が入ってきて伝えました。

「七爺が大奥さまに会いたいといっています」

晁夫人「お通ししてくれ」

晁思才は中に入らず、中庭に跪いて叩頭しました。晁夫人も礼を返しました。

晁思才「おめでとうございます。私は、あの日、甥が生まれたことを聞いて、夫婦で狂ったように喜び、八尺の高さまで飛び上がりました。私たちが住んでいる部屋は狭いので、私は部屋の天辺にぶつかってしまいました。その後で、頭の天辺が痛くなりましたが、部屋の天辺にぶつかったということを忘れていました。さいわい女房はまだ覚えていて、こう言いました。『忘れたのかい。あんたは夜に喜んで上に飛び跳ねて、部屋の天辺にぶつかったんだよ』。よかった。よかった。神さまは私たちの願いを適えてくださいました。この子さえいれば、私たちに数千数万両の財産があっても、世間は目で私たちをちらりと見ることしかできず、まともに私たちをみることもできないでしょう。この前はろくでなしどもが私の話しをきかなかったため、私はむざむざ巻き添えを食い、あんなにひどい目に遭ってしまいました」

晁夫人「過ぎた事はいいですから、表にお座りください。あなたには礼物を買っていただいた上に、子供のために物まで作っていただきまして」

晁思才「何も仰らないでください、貧乏なおじの恥隠しですよ。昨日はあの子の『洗三』でしたが、私たち二人が準備をしてこようとしたとき、客がやってきて、彼を引き止めなければならなかったため、あの子の生後三日目のお祝いをしにくることができなかったのです」

女房「あれまあ。あんただって子供じゃないのに、どうして物忘れをするんだい。あんたは喜んで上に跳びはね、頭をぶつけたんだよ。熟した柿のように腫れて、私があんたのために揉んでやっていたから、くることができなかったんだろう。それを、客がきたなどと言って」

晁思才「そうだ。そうだ。おまえの記憶が正しいよ」

晁夫人「正しかろうがなかろうが結構ですから、表にお座りください」

小者に

「表にすぐに果物をもっていっておくれ。腰掛けるから」

晁思才が表に行きますと、晁無晏の女房は表に行き、彼女の夫と話をしようとしました。

晁夫人「出ていくのはやめましょう。あなたは晁思才がさっき言っていたことを告げ口するだけでしょう。私たちは奥に腰を掛けましょう」

女の客をすべて宴席に呼び、晁夫人は一人一人に酒を注ぎ、席を整え、順番に席に着きました。十数人の瞽女たちが琵琶、琥珀詞[8]を弾き、喇叭を吹き鳴らし、互いに競い合い、首を伸ばして歌いました。徐婆さんは、小和尚を抱いてやってきますと、言いました。

「ちょっと歌をやめてください。私たちの若さまがきましたよ」

徐婆さんが小和尚を抱いてきました。頭の上には、真っ白な瓢帽をかぶり、浅い月白の袷を着け、下は青い木綿の敷物でくるんでありました。よく見てみますと子供は

赤き頬

黒き髪

二つの目玉は秋の水

体はまるで春の山

紫の筋

陰嚢(ふぐり)肛門(しり)を結びたり

伏犀骨[9]

鼻から額に通りたり

耳は肩まで垂れざるも

いとも分厚きその形

両手は膝を過ぎざるも

まことに長き指の先

この顔は

俗世に下りし御仏か

善人の生まれ変はりに違ひなし

一家の人は喜んで耳、頬を掻きました。晁思才がとびはねて部屋の天辺にぶつかったのも尤もなことでした。

 その日は、月が明るく、道一杯の飾り提灯もありましたので、晁夫人はつよく引き止めました。女たちは、二更まで腰を掛けてから帰りました。

 「一人が幸福であれば、家中が幸福になる」とはまさにこのことです。もしも晁夫人に善知識[10]がなければ、衰えた家の命脈をさらに引き伸ばすことはできなかったでしょう。満月になったばかりの男の子ではありましたが、それから成長することができたのでしょうか。彼の母親のすることを見れば、息子がどうなるかを想像することができます。さらに次回を御覧になれば、結果がお分りになるかも知れません。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]仏教語。人間がもともと持っている心性。

[2]鼻水のこと。

[3]父母と同輩で父母よりは年長の女性に対する呼称。

[4]叔父の妻に対する呼称。

[5]外祖母に対する呼称。

[6]母方のおじの妻に対する呼称。

[7]以上の六つは、占いの用語と思われるが、未詳。

[8]琵琶に似た楽器。火不思ともいう。山西、陝西、河南で弾かれたという。清方以智『通雅』楽器「火不思、即今之琥珀詞也。」「火不思製如琵琶……今山、陝西、中州皆弾琥珀詞。」。

[9]額の中央から頭頂に至る骨の盛り上がり。

[10]仏教語で、よい友人をいう。

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