第十四回

監獄の中に立派な建物を建てること

死刑囚の牢で派手に誕生祝いをすること

 

愚かなる者は思はぬ金を得たとて、

少なしと考へて、酒を貪るかのごとくせん。

網巾をかぶる猿のごと、

数多の恥を晒すべし。

怒りを喜びと見做して、

目先の物を貪りて、後のことなど考へず、

おのが背後を考へず、

脇にゐる人にさんざん謗られん。 《卜算子》

 

 晁大舎は、珍哥を監獄に送りますと、自分で保証人を捜しました。そして、汚れた顔で、あたふたと家に歩いていき、妹に会いますと、裁判について述べ、食事がだされますと、無理に少し食べました。部屋を開け、中に入りますと、埃は床に満ち、蜘蛛の巣が寝床に掛かっておりました。その日は天気もどんよりしていました。秋は深く、急に寒くなり、鉄石の像でも悲しくなる季節でしたので、思わず大声で泣き叫びました。泣き終わりますと、別れをつげて家に帰ろうとし、引き止められてもとどまろうとしませんでした。門から出ますと、まず酒、飯を監獄に送り、珍哥の食べ物とし、さらに、たくさんの寝具、着替えの衣服を送りました。また、晁住に命じて、たくさんの銀子を監獄に送らせ、刑房への付け届け五両、提牢[1]への付け届け十両、獄卒頭に二十両、獄卒に各十両、女の監獄の牢頭[2]に五両、同房の女囚にそれぞれ五銭を送りました。彼らは、おならはするは、小便はするはで、珍哥のために床を掃き、部屋を片付け、寝床に布団を敷き、帳を掛け、とても恭しくしましたので、牢獄の苦しみを、彼女は少しも感じることがありませんでした。翌朝、ふたたび牢獄に入り、たくさんの家具、器具とテーブル、椅子の類いを送りこみました。その後、一日三度の食事のたびに、茶、水、果物、(ピン)を、たえず中に運びました。

 捕班を兼任していた倉官が去り、新しい典史[3]が着任して、一か月余りがすぎました。典史は陝西の人で、姓を柘、名を之図といい、珍哥という肉の塊を、役所中の人々が食い物にしていることを聞きますと、自分もそうしてやろうと思いました。ある日、灯点し頃を過ぎてから、こっそり監獄の鍵を貰い、監獄に入りこみますと、まっすぐ女の監獄にいきました。ほかの部屋は、真っ暗な地中の洞窟で、まるで地獄のようでしたが、例の部屋だけは、窓にきちんと紙が貼られ、皓々と明りがつき、女たちが、中で談笑していました。典史は、自分で入り口を押し開けますと、中に入りました。珍哥は、頭をきちんととかし、上には深緑の綸子の小さな袷、味噌色の潞綢の小さな錦のチョッキ、下には緑の絹の合わせのズボン、空色の緞子の女靴を着けていました。彼女は、学士方椅[4]に腰掛けていましたが、椅子の上には、拱綫[5]で縁どりした青緞子の、蒲絨[6]をつめた敷物がありました。床には、さかんに燃えている火鉢があり、煮立った茶が置かれていました。二人の小間使いが床の足置き[7]に腰掛け、三四人の女囚は、小さな椅子や、腰掛け[8]に座っていました。典史は尋ねました。

「ここをどこだと思っているのだ。どうしてこんなに綺麗なのだ。その美しい女は何者だ」

獄卒は、ひたすら地面に叩頭しました。珍哥は、壁の隅に立ち、女囚たちは床に跪きました。獄卒が申し上げました。

「晁さまの女房です。晁さまが、ひどい目に遭わせないようにとおっしゃったので、野放しにしているのです」

典史「女囚だったのか。一体何者かと思ったぞ。ここは監獄ではなく、天国だ。こんな楽しい場所があれば、わしだって典史などはせず、ここにきて囚人になるだろう。こいつらは、あまりぶたないことにしよう。ひどくぶっては、法廷に送り、審問を受けさせることができなくなるからな。各人十五回の板打ちにしよう」

あっという間に、珍哥を足枷にのせました。ほかの女囚は、牢獄に戻しました。典史はさらに尋ねました。

「その二人の小娘も女囚か」

小柳青「私たちは、珍ねえさまにお仕えしているものです」

典史「大したものだ。こんなおかしなことがあるとはな」

二人の小間使いを、珍哥が入れられている房の中で縛り、表に封印をはりました。さらに、珍哥の足枷にも封印をはり、叫んでも出られないようにしました。

 典史は、監獄から出ますと、すぐに馬に乗り、表門を出、城内の夜回りに出掛けようとしました。獄卒は、腹心を使い、典史が監獄にきたことを、急いで晁大舎に知らせ、賄賂を届けさせることにしました。

「法廷に送られ、審問を受けることになれば、まずいことになります」

晁大舎は、秋の夜がだんだん長くなってきましたので、眠ることができず、一人で酒を飲んでいました。男が入り口を叩いて開け、この事を知らせますと、晁大舎は、びっくりしてぴったりと腿を合わせ、尻の穴から心臓が飛び出してしまいそうになりました。賄賂を贈ろうにも、こんな真夜中に中に入ることはできませんでした。しかし、明朝門が開くのを待っている間に、彼女が法廷に送られ、審問を受ければ、救うことができなくなってしまうのでした。話を伝えにきた下男はいいました。

「賄賂を贈られるのでしたら、典史さまが外で夜回りをしていて、表門が閉められていない間に、急いで行かれれば宜しいでしょう」

晁大舎は、典史が外で夜回りをしていることを聞きますと、珍哥が赦免状を貰ったかのように喜びました。さらに、典史が役所からやってこようとしていることを知りますと、ますますよい機会だと思い、下男に、テーブル、盒子、熱燗を準備させ、六十両の真っ白な銀子と、十両の予備の銀子を包み、下男に命じ、広間に皓々と明りを点し、火を起こし、とても熱い酒を置き、菓子、酒肴の攅盒[9]を綺麗に並べました。さらに倒庁[10]にも火を起こし、明りをつけ、酒を温め、下男をもてなしました。そして、監生の地位を剥奪されたとはいえ、役人の息子でしたので、以前と同じように頭巾を被り、道袍を着け、表門で待機しました。

 果たして暫くしますと、前方に一対の提灯、板子が現れました。一人の地方が一本の柳の棍棒を持ち、先払いをしていました。典史は、紗帽、古い青の絹の道袍を着け、馬に乗っていました。晁家の三四人の下男は、目の前に走ってきますと、二人は馬を止めました。一人が跪いて申し上げました。

「主人の晁相公は、典史さまが寒い中を夜回りをされていることを聞き、心が落ち着きませんので、一杯の温かい酒を用意し、典史さまが寒さを防がれるのにお相伴致します。こちらは、主人の家の入り口で、主人は道端に立ってお待ちしております」

典史「夜回りは公務だし、夜も更けたから、ご馳走になるわけにはいかん。昼間会うことにしよう」

先に進もうとしました、晁大舎は、道端で深々とお辞儀をしますと、

「ずっとお待ちしていたのですから、典史さま、しばらくとどまられてください。長く引き止めは致しません」

典史は、晁大舎が慇懃なのをみますと、だまされた振りをして、言いました。

「大変申し訳ありません。晁さんがここにいらっしゃるといって下さればよかったのに」

そう言いながら、馬から飛び下り、晁大舎に恭しく揖をし、少しお礼を言いますと、晁大舎とともに広間に入りました。すでに十月、夜中の三更に、冷たい風に吹かれながら、人気のない道をかなり歩いておりましたので、明りと火と酒の他にもさらにいいもののある天国に着きますと、とても好もしく感じました。彼の従者たちも、照庁[11]で酒を飲み、火に当たり、晁大舎は、典史に酒を注ぎ、杯を受けました。すぐにたくさんの温かい食事が出されました。二三種類のスープとご飯もありました。

 晁大舎は、典史さまがどうだこうだ、典史さまは清廉で、上司の方々から重んじられています、典史さまは人民を愛され、人々から信頼されています、朝廷が破格の採用をすれば、行取をうけ、すぐに科道官になれるでしょう、これらはすべて私の心からの言葉です、内容のないお世辞であれば、私は本当に禽獣、畜生のようなもので、人でなしです、などと言いました。これは、まさに誠意のないお世辞だったのですが、典史は頭を掻き、体中に虱が湧いたかのようにむずむずし、晁源が口を開けば、いつでも言うことをきいてやろうとしました。しかし、晁源は、決して話しをしようとはしませんでした。そこで、典史は自分から口を開きました。

「県庁には、長いこと長官がおらず、あらゆる事が、ほったらかしにされているので、わたしが自分で監獄に行き、夜回りをしなければならないのです。ところが、話しきれないほどたくさんのおかしなことがあるのです。先ほど北城に行ったところ、大きな髭を生やした男が、尼寺から出てきました。わたしは、尼がいる所から、どうして髭面の男が出てきたのだといい、彼を掴まえさせました。彼がおとなしくやってきて申し開きをしていれば、かえって彼にごまかされていたことでしょう。しかし、彼は掴まえろという声を聞くと、走って逃げ、追い付かれて掴まえられ、頬に生えた髭をすっかり抜かれてしまっていました。わしはp隷はけしからんと思ったので『彼を掴まえるとき、どうして髭を全部引き抜いたのだ。』と尋ねると、実は髭は本物ではなく、役者の使うつけ髭だったのです。男の帽子をとってみると、頭髪はありませんでした。調べてみると、関帝廟の住持の和尚だったのです。監獄では、もっと珍しいことがありました。女の監獄にいる一人の女囚は、年はまだ二十歳前ですが、なかなかの美人で、その房の中は洞天のように飾り付けがされています。彼女は全身に絹をつけ、二三人の小間使いにかしづかれていますが、どういう事情で中に入ったのかは分りませんでした。先ほど、獄卒たちは十五回板でぶたれました。女囚は足枷をはめられました。拶子に掛けられ、殴られれば、明日は法廷に出られなくなってしまいますからね」

晁大舎はわざと驚いて、

「それは恐らく私の妾でしょう。不当な裁判のため、絞首刑に問われ、監獄に入れられましたので、二人の小間使いを彼女に付き添わせているのです。お話しになったのは、きっと彼女のことに違いありません。実は、典史さまに、いろいろ面倒をみていただきたいと思っていたのです。実を申しますと、連日贈物を準備しているのですが、まだ全部揃っておらず、差し上げておりませんでした。明朝、差し上げましょう。もし先ほどお話しになられたのが妾であれば、典史さま、どうかご嘉納してくださいまし」

典史は、二つ返事で承諾しますと、言いました。

「戻って調査をしましょう。もしもお妾さんなら、私が手を打つことにしましょう」

典史は出発しようとしましたが、晁家は、さらに酒を出そうとしました。

典史「酒がとてもおいしいので、酔ってしまいました」

晁家「典史さまのお褒めにあずかりましたから、明朝は、典史さまだけにお酒を差し上げましょう。自分で開けて、お飲みになってください。下男に開けさせ、酒を悪くされてはなりません」

 典史は、その意味を理解しますと、別れを告げ、帰っていきました。果たして、大門に入りますと、馬を止め、夜回りの獄卒を呼びだし、言い付けました。

「女囚の足枷を解き、部屋に戻らせよ。綺麗な女はぶってはならん。ぶって怪我をさせたら、出廷できなくなるからな」

そういいますと、馬に乗り、西の角門に入りました。役所の人々は、恨み言を言いました。

「典史さまは、あの女を釈放されるべきではありませんでした。あれはとてもいいカモでしたよ。晁大舎は、この城内で最も有名な薄情者です。あの男は、いつも『喉元過ぎれば熱さを忘れる』金持ちなのです」

典史「安心しろ。俺はあいつに、喉元過ぎれば熱さを忘れるような真似はさせない。あいつが戻ってきたら橋を修理させ、おまえたちのために小さな橋まで作らせてやろう。わしは、あの女に、足枷を嵌めておくわけにはいかないのだ」

人々は、何も言わずに退きましたが、陰ではぶつぶつと言いました。

「迂闊だった。典史は、晁大舎から何杯かの酒を飲まされ、彼にいい加減な話しをきき、カモを逃してしまった、いいカモだったのに、惜しいことをしたわい」

さらに、こういう者もありました。

「何も言うな。小さな幽霊だって閻魔様に嘘をつくものさ」

 ところが、翌日の朝になりますと、晁大舎は、典史が心配しているだろうと思い、朝早く起きますと、二つのまん丸い大きな甕を選び、極上の老酒を詰めました。昨晩の六十両の銀子は、彼が勿体をつけた場合、買収するためのものでしたが、人目がありましたので、面と向かって献上するわけにはいきませんでした。彼はすぐに封を開け、さらに二十両を付け足し、それぞれの甕に四十両入れました。さらに、人のご機嫌をとるときは、その妻を喜ばせることが必要だと思い、一つの甕には、五両の重さのある腕輪を、もう一つの甕の中には、一銭二分の金の指輪十個を、赤い糸で結んでいれました。さらに、二石の米も送りました。そして、通家治生[12]の礼帖をかき、晁住を遣わし、酒用の米を送らせました。さらに、そのほかにも、従者を労うための銀十両を送ることにしました。晁住に命じ、典史の前で、役所の人々を労わせますと、人々はとても喜びました。典史はそれを見ますと、酒を別の甕に入れさせ、そこからたくさんの物を出しました。四人の女たちは、銀子をみても、あまり喜びませんでしたが、徽州の職人が作った、とても精巧な腕輪と十の金の指輪を見ますと、尻まで笑い出しそうな有様となり、典史に、晁住を奥の役所へ行かせ、酒、飯でもてなすように唆し、一両の紋銀を褒美として与え、何度も言いました。

「昨日、監獄では、事情がよく分かりませんでしたので、間違って失礼なことをしてしまいました。昨晩、牢に戻ってから、すぐに枷を解き、房に送り、休ませました。若さま、これからは何なりと私におっしゃってください。お世話致しますから」

何度も礼を言い、晁住を追い出しました。役所の人々は、晁住を酒屋に連れていき、酒を飲ませ、これから何かあったら、役に立とうといいました。

 それからというもの、典史は、晁大舎ととても仲良くしました。典史は、監獄に行くたびに、珍哥の房の入り口にいって立ち、彼女を出しました。そして、優しい言葉で慰めました。さらに、他の女囚に、彼らをよく面倒を見るように、勝手なことをしないようにと命じ、わしは施氏の面子を立てているから、おまえたちも野放しにしているのだ、不心得者がいれば、今まで通り枷にかけるぞ、といいました。

 珍哥にはたいへんな力がありました。彼女が監獄に入ってからというもの、彼女が残す茶や飯は、女囚たちが食べ切れないほどあり、黄疸の老婆などは、食事をしてすっかり太ってしまいました。四人の女たちも、常に食べ物を運び、彼女に食べさせました。提牢[13]の刑房、書吏の張瑞風は、珍哥が綺麗なのを見ますと、毎日慇懃な振りをしました。かれらは、本当は危害を加えてやろうと思っていたのですが、たくさんの人が見ていましたので、手の下しようがありませんでした。

 年が変わり、気候はだんだんと暑くなりました。珍哥が住んでいる房は、きちんと掃除がされていましたが、結局、人々と同じ獄舎にありましたので、南京虫、蚤は、日一日と多くなりました。彼女は、空き地に別に家を建てて住みたくなりました。晁家は典史と相談をしました。

典史「それは簡単なことです」

そして、

「獄卒を呼んでこい」

と命じ、彼にかくかくしかじかと命令しました。獄卒は命を受けると、去っていきました。そして、県知事が出勤しますと、上申書を送り、女囚の房が壊れそうなので、修理の計画を許可してほしいといいました。典史は、工房をつれ、逐一見積もりをし、新たに塀を築き、家を建てようとしました。そして、機会をみて、まず珍哥のために、中ぐらいの大きさの南向きの房を作ってやりました。一つの部屋を二つに分け、一方を住宅にし、もう一方に前後の入り口を開け、過道[14]を作り、涼めるようにしました。さらに、部屋の後ろに小さな厨房を作り、天井に紙を貼り、前後に精巧な明り窓をつけ、北の壁は磨いた煉瓦で隙間を塞ぎ、塀の外で火を焚く暖かい炕を作りました。さらに帳、寝具、テーブル、椅子、器の類いを換えました。南京虫がついてくる恐れがありましたので、古びた物は、すべて人々に分け与えました。部屋の周囲には、ぐるりと塀を積み、一つの屋敷にしました。世話をする小間使いは、常に交代で出たり入ったりしましたが、自分の庭園に行くのとまったく同じで、まったく束縛はありませんでした。

 さて、晁大舎は、典史と知り合ってからというもの、三日に二回、自ら監獄にいき、珍哥に会い、朝に入って昼に出てきたり、昼に入って夕方出てきたりしました。獄卒は、すでに彼の手厚い賄賂を受け、常に礼物を受けていましたが、節句には、肥えた豚、大きな甕の酒、各人三斗の麦、五百銭を与えられました。刑房の書吏も、付け届けを受けました。晁大舎が出入りする時は、駅丞が知事さまを迎えるときもこれほどではないだろうと思われるほどのご機嫌取りをしました。新しい房は、とても綺麗で、はなれの屋敷でしたし、女囚たちも邪魔をしにきませんでしたので、晁大舎は数日出てこないこともありました。家はほったらかされ、全くみっともない有様になってしまいました。

 四月七日は、珍哥の誕生日でしたので、晁大舎は、外から二甕の酒を担いできますと、二石の麦の饃饃を蒸し、たくさんのおかずを作り、監獄に運び、監獄中の囚人を大いにねぎらい、獄卒を呼び、酒を飲もうとしました。山に日が沈む頃、典史が漕院の出迎えから戻ってきますと、監獄の中では歌を歌い、猜枚[15]をし、大騒ぎをしていました。急いで鍵を貰い、門を開け、中に入ってみますと、獄卒、囚人が、皆ぐてんぐてんに酔っ払い、典史が中に入っても、まったく気がつきませんでした。晁大舎は、房の中に隠れ、出てきて顔を合わせようとしませんでした。そこで、珍哥を中庭の入り口に呼び、優しい言葉をかけました。

「酒があるときは、ちびちびと飲ませるべきだ。酔っ払って、放火か、脱獄が起こったら、まずいことになる」

p隷たちに、飲み終わっていない酒を片付けさせ、囚人たちを見張らせ、獄卒が目を覚ますのを待ちました。

 県知事は、監獄の中の様子を、抜き打ちに−客に挨拶をして戻ってきたときとか、客を送って出ていくときとか、出勤して腰を掛けていないときとか、仕事を終えて退出するときなどに−調べるべきでした。獄卒や看守は、賄賂を受け、囚人を勝手に野放しにしたり、賄賂を求め、囚人をあれこれ辱めたりしていました。武城県の正印官[16]がしばしば監獄に行き、すべてに目を通していれば、だれも修理する必要のない女の監獄を、新たに立て替えたり、必要もないのに、家を築いたり、外部の罪のない人を、勝手に出入りさせたりすることはなかったでしょう。しかし、背中に出来物のある老胡は、罰銀と罰紙、罰穀、罰磚のことしか頭になく、そのほかのことには、まったくお構いなしでした。その後、孟通判[17]が職務代行をしたときは、夜でも昼のようなありさまで、訴訟を受理したり、裁判をしたりする時間も足らず、監獄の中のことにまで構うことはできませんでした。今日、何事も起こらなかったのは、牢獄の神さまが守ってくれたお陰でした。職務代行をしている孟通判は、府役所に戻り、県庁はひっそりとして誰もいなかったため、何事も起こりませんでした。晁大舎は監獄の中で夜を過ごすことができました。

 翌日、食事の後、曲九州が晁鳳をつれ、外から入ってきて、晁大舎に叩頭し、言いました。

「大旦那さま、大奥さまは、このところまったく手紙がなく、故郷でどうしているのか分からないので、様子をみるために下男を遣わしてこられました。裁判が結審したら、すぐに任地に来てくれ、重要なことを相談したいからといわれました」

「手紙があるなら俺に見せてくれ」

「手紙は家に置いてございます。持ってくるわけには参りませんでした」

晁大舎は尋ねました。

「お父さま、お母さまは、最近はお元気か」

「大旦那さまは、このところそわそわなさってらっしゃいます。家が裁判に巻き込まれたため、心配して一晩中眠れず、髪の毛、髭はすっかり白くなってしまわれました。三四日に一遍、白髪染めをなさっています。今では、髭が真っ黒に染められていて、とてもみっともない有様です。大奥さまもひどく痩せてしまわれ、昼も夜も泣いてらっしゃいます。梁相公、胡相公は、外で厳しく捜査が行われており、隠れつづけることはできないだろうから、旦那さまと相談したいといってらっしゃいます」

「親父は、少しも事態を処理することができないのだな。よくも役人をしていられるものだ。我々のような人間が、裁判に勝てないはずはない。心配してどうするのだ。大したことでもないのに心配したり、泣いたりして、どうするのだ。彼ら二人に関しては、よく考えながら行動することだ。彼らの面倒をみることができるのなら、面倒をみ、彼らの面倒をみることができなければ、我々は自分のことを考え、彼らの面倒をみる必要はないのだ」

「旦那さまが困ってらっしゃるのは、彼らが我々に良いことをしてくれたからなのです。そのようなお考えはもってのほかです」

「馬鹿をぬかせ。おまえが彼らに銀子を与え、彼らがお前に良いことをしてくれたというのか。わしの考えでは、彼らから銀子を取り戻さなければならん」

晁鳳は黙ってしまい、小さな厨房に歩いていきますと、自分で冷酒を入れ、二つのおかずを選んで食べました。晁大舎は、服を着ますと、晁鳳と一緒に出ていこうとしました。珍哥は晁大舎を引っ張り、甘えた振りをして言いました。

「あなたを任地にはいかせませんわ。あなたが私のいう通りになさらなければ、あなたが去ってから、すぐに首を吊りますよ。あいつらは、あなたの幼名をいって罵っていましたよ」

「俺はとりあえず外に出て手紙を読む、それからまた相談しよう」

珍哥はさらに尋ねました。

「いつになったら戻ってこられるのです」

「外にいき、今日がだめなら、明日戻ってこよう」

 晁大舎は、家に入りますと、晁鳳が手紙を渡しました。ほかに、引っ張っても動かすことのできない、何だか分からない重たいものがありました。晁老人は、息子があまり字を知らないことを知っていましたので、手紙はすべて有り触れた俗語で書かれていました。さらに句読が打ってありましたので、晁源も一句一句読んでいくことができました。脇にいた下男、下女、小間使い、小者は、彼が手紙を読むのを聞きました。父母が心配していること、寝られないでいること、母親が目をすっかり腫らして泣いていることを聞きますと、一人として溜め息をつかないものはありませんでした。しかし、晁大舎は、馬耳東風で、こういいました。

「故郷では、人と裁判沙汰になっているのだ。銀子をほしがっていることが分からないわけでもなかろうに、たったの一千両など、何の積もりなのだろう。俺のことを思っているとは思えないな」

そういいながら、心の中で出発のことを考えようとしましたが、珍哥を置いていくわけにはいきませんでした。下男と下男の女房に世話を頼もうとも考えましたが、彼らが注意を怠るのが心配でもありました。行くのをやめようと思いましたが、良心が許しませんでした。あれこれ考えたすえ、やはり行くのがいいと思い、都にコネがあれば、人情を説いて珍哥を救ってもらおうとしました。

 翌日、たくさんの食物を持ち、監獄へ行き、珍哥と相談をしました。珍哥はなかなか別れようとしませんでした。都へいき、コネを探すことを話しますと、珍哥も、晁大舎がいくのを許しました。つぎに、世話をする人を残すことについて相談しました。晁大舎は、李成名ら二人を残そうとしました。

珍哥「李成名は、私はまったく知りません。彼とは馴染みがないので、使うのには慣れていません。何でしたら、晁住ら二人を残すことにしましょう」

晁大舎「では彼ら二人を残すしかないな。俺が旅をするときは、あいつを欠くことはできないのだがな」

晁大舎は監獄にとどまり、出てきませんでした。晁鳳は、その日は城外の尹家にいる晁大舎の妹に会いに行き、三日たってから戻ってきました。

 晁大舎は、四月十三日に出発することをきめました。陸路では気候がだんだん暑くなり、旅をするのに都合が悪くなる恐れがありましたので、民座船、楽隊を借り、船の上で演奏をさせることにしました。費用は全部で二十八両、二両の褒賞を与えるということで交渉を纏めました。さらに、携帯する荷物を準備した上、繁華街の娼婦小斑鳩を船に付き添わせ、日給は五銭、衣装代は別、帰りの客をとらない日の分も、給料を払うことを、きちんと決めました。数日間、晁大舎は昼には外に出て準備をし、晩には牢に入って泊まりました。十二日、自分で四衙[18]に行き、典史に別れを告げました。そして、十両の餞別を送り、典史に世話を頼みました。さらに、捕衙の下役に、二両の銀子で酒、ご飯を振る舞い、典史の奥方に、一対の玉花、玉結、玉瓶、一樹梅南京緞子[19]を一匹送りました。典史は、とても喜んで承諾しました。さらに、晁住の女房を中に入れ、晁住には昼は監獄で珍哥の世話を、晩は家の番をさせました。

 十三日の朝になりますと、晁大舎と珍哥は名残惜しげに別れました。珍哥は、晁大舎を送り、監獄の入り口まで行きました。晁大舎は、獄卒たちを目の前に呼び、珍哥の面倒をみるようにと頼みました。さらに、袖の中から銀子を取り出し、言いました。

「端午には、私は家におらず、家にもあなた方の面倒を見る人はいませんから、この五両の銀子をお納めください、節句になったら、酒を買って飲まれてください」

人々は何度も感謝して、言いました。

「晁さま、どうか安心なさってください、奥さまは、私どもがお世話いたします。若さまが家におられれば、奥さまの面倒をみる人がいるので、私たちは安心です。若さまが旅立たれても、奥さまは私たちの女主人のようなものですから、みんなでお世話いたします。もしも奥さまを不当な目に遭わせれば、戻ってこられて、私たちを犬畜生、人でなしだと思われてください」

晁大舎は、晁住の女房に、おまえと珍姉さんは中に入れと命じました。

 晁大舎は、両目に一杯の涙を飲んで、外に出ました。家に着きますと、船に荷物を運ぶのを監督しました。そして、前後の入り口に鍵を掛け、封印を張り、家の番人に頼みごとをしました。轎に乗り、河岸にいき、船に乗り、船のへさきで紙を焼き、神福[20]を投げ、船の人々を酒、ご飯で労いました。送ってきた下男たちは別れていきました。彼らは、岸に上がり、立ちながら、彼の船が動くのを見ていました。楽隊の小屋では演奏が行われ、太鼓が叩かれ、三つの大きな徽州吉砲[21]が鳴らされました。その日は、さいわい追い風でしたので、帆を上げ、船を進ませました。晁大舎は、小斑鳩の肩に手を掛け、船艙の門の外に立ち、赤い竹の簾を掛け、沿岸の野菜を洗うもの、衣服を洗うもの、米を研ぐものを眺めました。醜い者もあれば美しい者もあり、老いた者もあれば若い者もありましたが、川岸に住んでいる村の女たちは、なかなか野生味があり、刺激的でした。さらに三四里進みますと、岸にある豪華な廟の前に二人の若い女が立っていました。一人は天藍の広袖の衫を着け、もう一人は上下に白い服を着けていました。晁大舎の船がきたのを見ますと、二人は手をとりあって、ゆっくりと迎えにきました。そして、船艙の入り口に向かって、いいました。

「わたしたち姉妹二人は、これから先へはお送り致しません。後日あなたが戻られてから、歓迎の宴を設けてさしあげましょう」

晁大舎がよく見てみますと、ほかでもない、天藍の広袖をきているのは計氏、真っ白な服を着ているのは昔雍山で狩りをしたときに会った狐の精でした。晁大舎はびっくりして髪の毛が一本一本逆立ち、鳥肌が一粒一粒浮き立つ有様となり、斑鳩に尋ねました。

「今、誰かいなかったか」

斑鳩「私は誰も見ませんでした」

晁大舎は自分が幽霊を見たことに気が付き、ひどく不愉快でしたが、度胸を据えて、先に進みました。まさに、

青龍、白虎は連れ合ふも、

吉と凶とを知る術ぞなき。

 とりあえず、これからどうなりましたかを御覧ください。

 

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

中国文学

トップページ

 



[1]官名。刑部提牢主事のこと。監獄の管理を司る。

[2]囚人を管理する獄卒。

[3]官名。県に属し、捕縛、監獄を司る。

[4]四角い椅子と思われるが未詳。

[5] キルティング。

[6]蒲の雌花の穂にはえる白い毛。敷物や枕に入れる。

[7]原文「脚踏」。「脚踏板」ともいい、椅子、寝台などとともに用いる足をのせる板。

[8]原文「草」。木の根っこの部分で作った腰掛け。

[9]果物、菓子、酒肴を分けて入れるしきりのある箱。

[10]母屋に向かい合った建物。

[11]表座敷の真向かいの大広間。

[12]明代、部下が上司に対して用いた呼称。黄瑜『双槐歳鈔』名事象呼「書簡称人以閣下、明公、自称不過侍生而已…相去不久乃有治生、晩生与門下、台下諸称。」。

[13]官名。提牢主事のこと。

[14]中庭と中庭をつなぐ通路。

[15] なんこ遊び。小石などのものを手の中に握り、何個あるのか当てる遊び。

[16]正官とも。県では、知県、県丞、主簿をいう。

[17]府知事の補佐役。

[18]典史の役所。

[19]緞子の一種と思われるが未詳。

[20]航海、航行の安全を祈って神に捧げる供物。

[21]徽州産の花火、爆竹のたぐいと思われるが未詳。

inserted by FC2 system