須賈大夫誶范叔

 

楔子

(浄が魏斉に扮し、卒子を連れて登場、詩)晋を分かちて列侯と為りてより、天が下なる雄兵は汴州をしぞ数へたる。はからずも馬陵にて敗れし後は、今に至るもこれを語れば羞づるなり。

それがしは魏斉、魏国を輔佐し、丞相の職にある。思うにわたしの先祖の魏斯は、趙籍、韓虔とともに晋の大夫となり、その地を三分し、わが魏は都を大梁に建てている。今や天下は合わさって七国となっている。秦、斉、燕、趙、韓、楚とわが魏だ。それぞれが疆土に拠って、強きを恃み、弱きを凌ぎ、下風に立とうとはしない。わが魏と斉は積世の仇がある。先年、斉は孫臏に兵馬を率いさせ、おもてむきは韓を救うと称しつつ、その実、魏へと来襲した。かれらは負けを装って、兵を増やして、竈を減らして、馬陵山麓で木を削り、印とし、たくさんの弩をすべて発射し、大将の龐涓を射殺して、長兄の公子申を虜にし、斉に帰った。わが魏国はそれから振るわず、三年に一度かれらに進貢することを約束した。指を折り数えれば、もう三年だ。近頃、われらが惠王さまは病に罹られ、ご不例であるために、わたしに国務を代行するよう命ぜられ、文武兼備の能弁の士を遣わして、斉国に往かせようとしている[1]。一つには三年の貢物を送るため[2]、二つには公子申さまを解放、帰朝させ、かさねて両国の誼を修め、ながく唇歯の邦となるのを求めるためだ。わが国は中大夫須賈が、使者となるのに堪えるので、わが君に上奏し、かれを行かせることにした。かれは今日出発するとのことだから、きっと別れにくるであろうが、どうして今になってもやってこないのか。左右の者よ、入り口で見張りせよ。須賈が来た時は、わたしに報せよ。

(卒子)かしこまりました。

(冲末が須賈に扮して登場)わたしは魏国の中大夫須賈。わが君の惠王さまはご不例であるために、魏斉が国務を代行し、わたしを斉への使者とした。いかんせん、わたしは生まれながらの訥弁、応対ができないために、両国の誼を損なうことだろう。わが家に一人の辯士が居り、范雎と申す。この人は妙策を(いだ)き、群書を博覧し、一を問えば十を答える人だから、任を充たすに堪えるであろう。この人を推薦し、ともに行かせれば、わが魏には人材が多いことを示せようから、何の良くないことがあろうか。こちらはまさに丞相さまのお屋敷の入り口だ。門番、取り次げ、須賈が来たとな。

(卒子が報せる)

(魏斉)通せ。

(卒子)どうぞ。(見える)

(魏斉)大夫どの、来られましたな。今日はなぜまだ出発なされぬ。

(須賈)須賈(わたくし)は荷物はすでに送りましたが、さらに一件、勝手に決められないことがございますため、わざわざお知らせするのです。

(魏斉)大夫どの、どのような事がおありか。仰って構いませぬぞ。

(須賈)須賈(わたし)はふだん口下手ですので、応対に誤りがあることでしょう。家に一人の范雎と申す辯士が居ります。この人とともに行き、あらゆる事を相談できれば、万に一つの失敗もございますまい。須賈(わたくし)は勝手なことをいたすわけにはまいりませぬから、相国さまの裁定をお願いします。

(魏斉)范雎がどこに居るのか仰られよ。

(須賈)今、家に居りまする。

(魏斉)それならば、そのものをわたしに会いにこさせてはいかがかな。

(須賈)左右の者よ、范先生をお呼びしてこい。

(卒子が呼ぶ)范先生はどちらでしょうか。

(正末が范雎に扮して登場)わたしは姓は范、名は雎、字は叔といい、本貫は魏国の人。幼くして儒学を習い、くわえて兵書を読んでいる。不幸にも、父母(ちちはは)ははやくに亡くなり、この中大夫須賈さまの家で、門館先生[3]をしている。今日は人が呼びにきたが、何事だろうか、行かねばならぬ。(須賈に見える)大夫さまが呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(須賈)こたび、わたしは命を奉じて斉国に往きますが、先生をわざわざ推挙し、副使としました。万一、魏申公子さまをご帰国させることができれば、先生はきっと重用されましょう。わたしはさきほど、魏丞相さまに申し上げましたから、いっしょに会いにゆきましょう。

(正末)それならば、大人は先に行かれませ。わたしは後に従いましょう。

(須賈が入り、会う)相国さまに申し上げます。この人が范雎です。

(正末が拝する)

(魏斉)辯士どの、挨拶はよい。さきほど、須賈大夫どのはおんみを推挙し、ともに斉に入り、使者となろうとなさっているのだ。わが長兄の公子を守って本国へ無事に還らせるなら、そのときは、おのずから、手厚い褒美が与えられ、官職を加えられよう。

(正末)大人、ご安心ください。わたしは今日から斉に入り、使者となり、公子さまを無事にご帰国させましょう。(唱う)

【仙呂】【端正好】仲尼の書、蒼頡の文字、周公の礼、子産の文辞を頼りとすべし。いかんせん、家は貧しく、人に駆られしことなきも、才思は役に立たずと言ふをがえんぜず[4]

(魏斉)公子を守り、帰国させれば、きっと重用されましょう。

(正末が唱う)

【幺篇】半生つねに忙しく、わが平生の志をば遂ぐることなく、陋巷に居り、分に甘んじ、時に従ふ。今日は使臣の冠蓋[5]に相従ひて、魏国を離れ、臨淄に到り、喉舌に拠り、雌雄を決し、戦陣を()め、師を興す[6]ことをしぞ免れん、

(言う)大人、ご安心ください。范雎(わたくし)の三寸の舌に拠り、かならずやわれらが公子さまをご帰国させましょう。

(唱う)かならずやこの公務をぞ成就せん。(退場)

(須賈)須賈(わたくし)はこれでおいとまいたしましょう。上は宗廟の霊、君主の福に(たよ)り、下は公子さまの徳、相国さまの威に頼り、かならずや両国を和睦させ、こたびの使命に負きませぬ。(拝して別れる)

(魏斉)大夫どの、お気を付けあれ。

(須賈が門を出る)左右の者よ、どこにいる。旅装を調え、軽車一輌、従者六七人で、范雎先生とともに斉国に往き、使者となろうぞ。今日すぐに行くとしようぞ。

(詩)かねてより、使命はもとより軽からざれど、なほも相知のこの旅を共にすることを喜ぶ。三寸の舌は安国の剣、一函の書は固辺の城たり[7]。(退場)

(魏斉)給仕よ、酒果を調え、十里の長亭に行き、須賈大夫どのの送別をするとしようぞ。(退場)

 

第一折

(外が鄒衍に扮し、張千を連れて登場、詩)琅琊の勝れし地を占めて、渤海の(ゆた)かなる財に頼れり[8]。七雄は誰か第一ならん。什の二は東斉に在り[9]

わたしは斉国の中大夫鄒衍だ。今、周室はすでに衰え、列国諸侯は、並び立ち、七雄と号している。秦、斉、燕、趙、韓、楚、魏がそれだ。先年、わが国は魏の国と仲違いした。これはひとえに魏が龐涓の勢いを頼りにし、わが国をしばしば侵犯したためだ。その後、卜商[10]大夫を魏に遣わして茶を献じさせたが、孫子が大いに賢いことを聞いたので、茶車にひそかにかれを蔵して帰国させ、わが君はかれを拝して軍師となされた。この時に、龐涓は韓を伐ったが、孫子は韓を救うと称し、兵を率いてすみやかに魏を襲い、負けを装い、兵を増やし、竈を減らした。龐涓は大いに喜び、こう言った。「わたしはもとより斉軍が怯えているのが分かっていたが、わが国に入り、兵卒の逃げた者は半分以上だ」。しかし、孫子は龐涓を馬陵山麓におびき出し、誅殺し、公子申をも虜にした。このため、魏国は、われわれに三年進貢することを約束し、今年は三年目になるのだ。魏国の使臣は須賈。范雎という、一人の副使を帯びている。この范雎は能弁の士で、わが君はかれに会い、席上、話をなさったところ、大変に喜ばれ、公子申を解放、帰国させ、両国は修好し、ながく唇歯の国となることにした。わが君は、わざわざわたしを遣わして、駅亭で筵宴(うたげ)を設け、范雎を持てなし、さらにかように多くの褒美、礼物で、わが君が賢者を敬う意を示される。張千、入り口で見張りせよ。賢士どのが来られた時は、それがしに知らせるように。

(正末が登場)わたしは范雎、須賈大夫に従い、この斉国に使者としてやってきた。斉君に会い、わたしの言葉がかれの心を歓ばせたため、すぐにわれらの公子申さまを釈放し、無事帰還させることとした。今日は斉国の中大夫鄒衍が、駅亭で招いているから、行かねばならぬ。思うにわたしは学問し、文と武の才は全く、半世、むなしく埋もれているが、いつになったら出世するやら。(唱う)

【仙呂】【点絳唇】日月に苦しめられて、名利に牽かれ、人はむなしく老ゆるなり。今日、明日と、われの愁思(うれへ)は幾許やらん。

【混江龍】先王のお教へに従ふならば、貧にして諂ふことなく、富みて驕らず。そもなにゆゑぞわが身は流落(さすら)ひ、半世苦労したるなる。白首なれどもつねに(つるぎ)を按ずるを知り、朱門に先に出世せし同袍のあるぞ空しき[11]。ふと見返ればかすかに笑へり。ぼんやりとして、あまんじて陋巷の箪瓢を守るに如かず[12]

(言う)もう駅亭に到着だ。下役、取り次げ、范雎が入り口に居りますと。

(張千が報せる)大人にお知らせします、范雎さまが来られました。

(鄒衍)通せ。

(張千)どうぞ。(見える)

(鄒衍)賢士どの、わたしは主君の命令を奉り、ながいことお待ちもうしておりました。賢士どの、お掛けください。

(正末)わたしにどんな取り柄があって、大王さまにはかくも手厚く持てなしていただけるのでございましょう。

(鄒衍)賢士どのはこのような大才をお持ちですから、やがてかならずご立派な働きをなさいましょう。

(正末が唱う)

【油葫蘆】古来、書生に薄命なるもの多ければ、げに事を成すものぞ少なき。見よ幾人(いくたり)かやすやすと雲霄を踏みたりし。たとひ十年(ととせ)書物(ふみ)を読むとも、十年の暴虐を受くるのみ。たとひ十分(じふぶ)の事を知るとも、十分の飽くるにしからめや。われの如きは学びて老いて、いよよ(まず)しく老ゆるなり。思ふに詩書は身を護る宝にあらず。なにゆゑぞ、われをして白屋[13]児曹(こどもら)を教へしめたる。

(鄒衍)賢士どの、近頃の秀才たちは、書物をすこし読んだだけで、官位を求め、受験しにゆきまする。賢士どのは、このような大才をお持ちですのに、なぜ功名を得られないのでございましょう。

(正末が唱う)

【天下楽】かのものたちは労役を避けんがための影身草(かくれみの)をぞ求めたる。古より、文章は、なべての人を誤れり[14]

(鄒衍)思うに古人は文章に拠り、身を立てましたに、どうして人を誤ったと考えるのでございましょう。

(正末が唱う)先輩に学ぶなかれと今人(きんじん)に勧むべし。

(鄒衍)学ぶとどうなるのでしょうか。

(正末が唱う)卞荘[15]の虎を斬りしに学べるものは虎穴に入り、呂望の魚を釣りたるに学べるものは池沼に近づき、太康[16]に学べるものは鷹鶻を放ち、燕雀を捕らへたるなり。

(鄒衍)賢士どの、古人を学ばれないのなら、どうなさる。

(正末が唱う)

【那令】われに言はせば、かの虎を斬りたるものは、蛟を斬りにゆくには如かず、

(鄒衍)魚を釣るのは、いかがでしょう。

(正末が唱う)魚を釣りしは、(おほがめ)を釣りにゆくには如かず、

(鄒衍)鷹を放つのは、いかがでしょう。

(正末が唱う)鷹を放つは、(わし)を放ちにゆくには如かず。(おほうそ)()き上へ(はし)りて、粗腿(ふともも)を抱き前へ跳びなば[17]、禄重く、官高きことを得ん。

(鄒衍)賢士どの、今の世の人々はみな衣衫を敬い、人を敬いませぬから、やはりきれいな衣帽を着けて、きちんと装われるほうがよいでしょう。

(正末が唱う)

【鵲踏枝】良き衣服、良き履物で、出でくれば格好を付け、みな体裁を繕へり。今時(こんじ)は嘘を()くぞ宜しき。天よ、誠実なるわれはかならずや蓬蒿に老死すべけん。

(鄒衍)賢士どの、幾人か識り合いを尋ねられ、援助を求められてはいかがか。

(正末が唱う)

【寄生草】もともとは知契を尋ね、故交に会はんとしたれども、十家に会ふに九家は門を鎖ざしたり。三陣(みたび)五陣(いつたび)(ひさし)に風は()きたれば、千片万片梨花は落ちたり。一頃か半頃の洛陽の田地を得なば、誰かは七月八月の長安の道を思ふべき。

(鄒衍)張千よ、酒を持て。

(張千)お酒にございます。

(鄒衍)賢士どの、わたしは命を奉り、牛肉と酒でおんみを持てなすのです。この杯を干されませ。(酒を斟ぐ)

(正末)大人、どうぞ。

(鄒衍)賢士どの、どうぞ。

(正末)「恭敬は命に従うに如かず」、この酒を頂きましょう。(酒を飲む)

(鄒衍)わたしは主君の命を奉じて、この駅亭で賢士どのを持てなすのです。酔いを尽くしてはじめて帰るといたしましょう。張千よ、歌児舞女を呼んできて、席上の賢士どのに侍らせよ。

(張千)歌児舞女よ、急ぐのだ。

(二旦が登場、楽を奏でる)

(鄒衍)賢士どの、今は暮冬、紛紛揚揚と降っているのは国家の祥瑞[18]、さらにこの歌児舞女を迎えましたが、(あで)やかな(こえ)細細(さいさい)(くれない)の袖は翩翩。賢士どのは、ごゆるりと、一杯干されよ。

(正末)大人、まことに楽しゅうございます。(唱う)

【金盞児】われはただ見る瑞雪は鵝毛と舞ひて、美酒(うまざけ)は羊羔を(うか)ぶるを。この陰風は重なれる簾幕(とほ)ることなく、両行の管弦に(たをやめ)は列ねられたり。せはしなく白象の(はん)を敲きて、かるく紫鸞の簫を(かな)でり。

(鄒衍)賢士どの、こちらは門の外とは別の気候です。

(正末が唱う)地の寒く氈帳の冷え、殺気陣雲高きに勝れり。

(鄒衍がさらに酒を斟ぐ)思いみますに、賢士どのは経綸済世の才、天地を補完する手を持たれ、文は『三略』に通じ、武は『六韜』を解していらっしゃいますから、すみやかに功名栄華を得られるべきでございますのに、なにゆえ窮途に困しんでいらっしゃる。ほんとうに不当なことです。

(正末)大人、范雎(わたくし)は幼いときに教育を受けてはおらず、経史を諳んじておりませぬ。思うに役人たる者は、忠勤廉正、暴を去り、貪を除かねばなりませぬ。范雎(わたくし)は一愚瞽の夫で、時を待ち、分を守り、命を知り、身を安んじるしかございますまい。功名をあえて望みはいたしませぬ。(唱う)

【酔扶帰】われは手に厳陵[19](つりざを)を持ち、耳は許由の瓢もて洗はんとせり[20](かぶり)を頂き帯を結びて朝廷に立つを図らず、ただ身の安楽なるを得んのみ。

(鄒衍)賢士どの、おんみはどうしてこのように意気地ないことを仰る。人生の功名富貴は、すべてみずから取るもので、すべてが天の(さだめ)なのではございませぬ。

(正末が唱う)これこそがわが一斟一酌[21]、富貴も巡り来ることありとまた言ふなかれ。

(鄒衍)賢士どの、われら役人たるものは、堂食[22]を食べ、御酒を飲み、佳人(たおやめ)(うで)を取り、壮士(ますらお)は鞭を(ささ)げて、出るのは高牙(こうが)大纛(だいとう)[23]で、入るのは峻宇(しゅんう)雕梁(ちょうりょう)[24]、堂上で一人が呼べば、階下では百人がはいと言い、とても楽しい。おんみのような侘び住まい、粗衣淡飯、草履(そうり)(まとう)に、いかなる良い処があろう。

(正末)大人。役人の暮らしがどうしてわたくしの清閑な快楽(たのしみ)に勝りましょう。(唱う)

【金盞児】役人をするものは、今日を思へば、はやくも明日を思ふなり[25]。おんみはいづれの時にかは、このわれの(ぐうぐう)(いぬ)る枕辺に(くだかけ)の叫べるに学び得ん[26]

(鄒衍)閑居するおんみの方が良いのだな。

(正末が唱う)閑居して無事にして逍遥し、濁醪(どぶろく)を飲み一酔し、紅き日の半竿[27]の高さのときまでひたすら眠れり。憂愁(うれへ)なきわが青き衲襖[28]は、恐懼せるなが紫の羅袍に勝らん。

(鄒衍)賢士どの、さらに一杯飲まれよ。

(正末が酔う)大人、お酒は十分にございます。(眠る)

(鄒衍)賢士どのはお酒を召され、眠ってしまった。左右の者よ、大騒ぎするな、賢士どのが目醒めた時は、さらに幾杯か飲むとしようぞ。

(須賈が登場)意に沿はぬことはつねに八九、人と話せることは二三もなきものぞ[29]

わたしは須賈、斉国に至り、范雎の力に頼り、斉王の宴席でくりかえし辯論したが、范雎は応対は流れるかのよう、言葉には淀みがなかった。斉王は大いに喜び、あつく返しの礼物を賜い[30]、さらにわれらが公子申さまを解放し、帰国させ、ながく唇歯の邦となったは、まことに喜ぶべきことだ。今朝、斉王に別れたが、中大夫鄒衍どのにはまだお別れをしていない。聞けばあのひとは駅亭で客を持てなしているとか。その場所で別れを告げれば良いだろう。給仕よ、鄒大夫どのはこちらに居られるか。

(張千)大夫さまはこちらで客を持てなしていらっしゃいます。

(須賈)取り次いでくれ。魏の須賈が帰国するため、わざわざ別れを告げにきたとな。

(張千が報せる)

(鄒衍)賢士どのを持てなしていると言い、戻ってゆかせ、明日別れにこさせるのだ。

(張千が戻る)大夫さまは賢士を持てなされています。明日、別れにこられませ。

(須賈)公子と荷物はもうさきに行ってしまった。どうしたら良いだろう。給仕よ、すまないが、もう一度言ってくれ。須賈は長居はできないと。

(張千)大夫さまは、明日別れにくるように仰いました。もう行きませぬ。

(須賈)どうすることもできぬのだ。もう一度、話しにいってくれ。

(張千)まあいいでしょう。しばらく待たれよ。おんみのために、ふたたび言上いたしましょう。(張千が申し上げる)須賈さまはすぐにお別れしたいのだ、長居はできぬと言われています。

(鄒衍が怒る)こいつめ殴るぞ。賢士どのを持てなしていると言い、あのものを明日来させろ。わたしに私宅がないというのか。こちらはあのものが別れを告げる処ではない。出てゆくな。あちらに居ろ。

(張千が侍立する)

(須賈)この入り口で、ながいこと待っているのに、返事がないが、あの門番が取り次ぎをしようとせぬのか。だんだんと日が暮れてきて、程途(たび)が遅れてしまうだろう。別れを告げねば、やはり大夫はお咎めになるだろう。賢士をもてなしているというが、持てなしているのはどんな賢士だろう。わたしはひとりで行くとしよう。何の良くないことがあろうか(門に入る)こちらは儀門の前、しばらく行かずに、見てみよう。(正末を見、驚く)大夫がどんな賢士を款待しているのかと思ったが、わが范雎だわい。この席はなぜ設けられたのだろう。あのものに会いにゆき、何と言うかを見るとしよう。(入って会う)

(正末が驚き、起つ)ああ、大夫さまがこちらに来られた。

(須賈)范雎どの、おんみもこちらに居られましたか。

(正末)わたしはこちらに召されたのです。

(須賈)須賈(わたくし)は使者となりましたが、大夫さまのお心遣いにおおいに感謝いたします。本日は帰国するため、わざわざ別れを告げにきました。

(鄒衍)須賈どの、別れに来られたか、それとも宴を乱されるために来られたか。わたしが私宅を持っていないと仰るか。この駅亭はおんみが別れる場所ではない。賢士どののお顔を立てねば、わたしはおんみを斉国で擒にし、終生戻ってゆけないようにいたしましょうぞ。

(須賈が恐れる)失礼しました。門外で待機いたします。

(鄒衍)待たれよ。須賈どの、大雪の中、別れにこられたのだから、一杯のお酒を飲んでいただかなければならぬ。賢士どのの顔を立てましょう。給仕よ、酒を持て。

(張千が酒を斟ぐ。鄒衍がそれを渡す)須賈どの、一杯干されよ。

(須賈)つつしんで頂きましょう。

(鄒衍)待たれよ。賢士どのが飲まれていない。須賈どの、おんみはさきに飲んではならぬ。

(須賈が頭を垂れる)仰るとおりにございます。

(鄒衍)賢士どの、この杯を干されよ。

(正末)さきに飲ませていただくわけにはまいりませぬ。

(鄒衍)賢士どの、「恭敬は命に従うに如かず」、賢士どのが飲まれよ。

(正末)頂きましょう。(酒を飲む)

(鄒衍)給仕よ、酒を持て、須賈どの、おんみは一杯干されよ。

(須賈が酒を受け取る)

(鄒衍)待たれよ。慌ててどうなさる。大甕で醸した酒を、おんみがいかほど飲めるとおっしゃる。下がられよ。賢士どの、「片足が来れば、両脚が来る」[31]ものにございます。賢士どのは二杯飲まれよ。

(正末が酒を飲む)頂きましょう。

(鄒衍)給仕よ、酒を持て。須賈どの、おんみはこの酒を飲まれよ。

(須賈が酒を受け取る)

(鄒衍)待て、幾年、酒を見ていられぬのか。両手は鈴を振るかのようじゃ。下がられよ。賢士どの、「三杯は万事を和し、一酔は千愁を解く」[32]と申しませぬか。

(正末)わたしはお酒は十分にございます。

(鄒衍)賢士どのがお酒を召されないのなら、左右の者に、礼物を持ってこさせよう。

(卒子が小道具を捧げて登場)

(鄒衍)賢士どの、主君の命を奉り、黄金千両を持ってきました。とりあえず路銀にし、わずかな足しといたしましょう。少ないことを嫌われますな。

(正末)大夫どの。大王さまには、手厚い贈り物を賜わり、このように牛肉と酒で持てなされることさえも、勿体ないのに、さらに黄金千両を賜わりますとは。断じてお受けいたすわけにはまいりませぬ。

(鄒衍)賢士どの、わが君の賜わり物を受けられぬとは、軽いのを嫌われているのでしょうか。

(正末が唱う)

【賺煞】などてかは軽きを嫌はん。

(鄒衍)少ないからでしょうか。

(正末が唱う)少なきがためにはあらず、

(鄒衍)賢士どのが受けられないのは、いったいなぜにございましょう。

(正末が唱う)わたくしの(まず)しき(さだめ)はこれらのものに値せず。

(鄒衍)まずい料理で、お持てなしに成りませんでした。

(正末が唱う)百味(くさぐさ)の珍羞は食らへどもまた飽くべきなり、

(鄒衍)賢士どの、酒がございますから、さらに幾杯か飲まれませ。

(正末が唱う)たとひ酒腸は寛くとも泥酔すること陶陶たり。われはこなたで階を下り、

(進んでまた立つ)范雎どの、別れを告げずに帰られるとは、いかなる礼儀ぞ。

(挨拶を返し、唱う)脊を屈げて、腰を低うし、持てなされたる深きご恩にいづれのときにか報ゆべき。

(鄒衍)賢士どの、この黄金は主君が賜ったものですから、収められよ。

(正末が唱う)この千金をなどてかは(かたじけな)うせん。

(須賈)大夫さまの賜わりものを、どうして断ることができよう。

(正末が唱う)断じて頂くわけにはまいらじ、

(須賈)「富と貴は、人の欲する所なり」と申すであろう。

(正末)「不義にして富み、かつ貴きは、われにおいて浮雲の如し」[33]

(唱う)われは粗衣淡飯をもて、しばらく日を渡らんとせり。(退場)

(鄒衍)賢士どのは行かれたか。

(張千)行かれました。

(鄒衍)須賈どの、おんみは罪を認めるか。

(須賈)わたしは罪を認めませぬ。

(鄒衍)須賈どの、おんみは「賢に任せば則ち(さか)へ、賢を失はば則ち亡ぶ」[34]ということをご存じないのか。それゆえに、秦は百里奚を用いて霸となり、鄭は子産を用いて強くなり、呉は子胥が去って衰え、越は范蠡が去って滅んだ。おんみら魏国のごときは、賢者を失ったと言うべきだ。そのかみは、孟子を用いて丞相とせず、龐涓を用いて将帥とされたので、馬陵の戦で、おんみの国の公子申どのは虜にされたのだ。今は范雎がいるものの、こたびも用いて相とすることはなく、おんみを用いて大夫にした。わが君が公子申どのを釈放、帰国させたのは、もっぱら范雎が賢明であったためなのだ。これ須賈どの、本国に到着され、辞職、謝罪し、位を范雎に譲られるなら、何も咎め立てはせぬが、怨みを抱かれるのならば、須賈どの、われらの国の百万の雄兵と、千員の将軍を御覧あれ。いずれの日にか兵士らは城下に臨み、将帥は濠端に行き、四方を囲み[35]、八方に(おおづつ)き、人々はおんみの屋敷を平らにし、馬はおんみの庭堂を践み、おんみの魏国を蹂躙し、粉砕しようぞ。その時は、おんみは悔いても遅いであろう。須賈どのよ、

(詩)おんみもかつては古聖の文章(ふみ)を読みたれば、「賢き人を邪魔するものは不詳」[36]と謂ふを存じたるらん。兵が城下に臨むを待たず、殃をみづから招きしことを悔ゆべし。(退場)

(須賈)わたしは范雎が今日旅に臨んで姿を見せないことをおかしく思っていたが、こちらで酒を飲んでいたのか。わたしは魏国の中大夫。命を受け、使いとなったが、この宴会に加われなかった。范雎は従者の一人であるのに、牛肉、酒の持てなしを受け、さらに黄金千両を賜わった。わたしがみずからこちらにやって来なければ、このような事があるのは分からなかった。わたしが思うに、范雎はもともと一貧士だが、わたしがこちらに来たために、千金の賜わりものを受けようとしなかったのだ。わたしが来なければ、あの金はきっと受け取っていただろう。ますます疑わしいことだ。裏にはきっと疚しいことがあるのだろう。(考える)事情を知るのは簡単だ。思うに范雎はわたしに隠れて、魏国の秘密を斉に告げ、手厚い褒美を得たのであろう。范雎め、まことに無礼な奴だ。おまえが堂上に坐していたとき、わたしは階下に立っていたのに、すこしも不安の色がなかった。今日の出来事を、しばらく腹の中に蔵して、帰国した後、范雎よ、わたしはおんみと二人でゆっくり話そうぞ。まさに「恨みが()さくば君子にあらず、毒なくば丈夫(ますらを)ならず」。(退場)

 

第二折

(魏斉が卒子を連れて登場)それがしは魏斉。須賈大夫を遣わして、斉に入らせ、使者とさせたが、はからずも、斉王は長兄魏申を解放し、本国に帰還させた。さらに返しの礼物があったが、これらはすべて須賈大夫の功績だ。今日、あのものは、家で酒肴を調えて、それがしを宴に招いた。雪見のために宴を設けたのだろう。安車[37]を調えるように、すでに左右の者に命じた。須賈大夫の家へ行くとしよう。(退場)

(須賈が従者を連れて登場)わたしは須賈。斉に使いし、帰国した。主君は大いに喜ばれ、礼遇ははなはだ厚い。しかし、范雎の一件は、いまだにはっきり話しておらぬ。本日は家で果桌を備えて、丞相一人だけを招いて、范雎がひそかに斉の宴と賜りものを受けたのは、どうしてなのかを追究しよう。朝、すでに下役を呼びにやったが、来ないわい。時は暮冬、紛紛揚揚と国家の祥瑞[38]が降っている。気候は寒く、あちらでは、熱燗を調えて、待機している。左右の者よ、入り口で見張りして、丞相が来た時は、わたしに報せよ。

(従者)かしこまりました。

(魏斉が卒子を連れて登場、詩)紫閣黄扉相府は開く、安危は出群の材に拠るべし。車声は何事ぞ轔轔として動く、ひとへに華筵[39]に雪を賞でんとすればなり。

こちらはまさに須賈大夫どのの私宅の入り口。給仕よ、取り次げ、それがしが参りましたと。

(従者が報せる、須賈があわてて迎える)須賈(わたくし)にどのような取り柄があって、おみ足をお運びいただいたのでしょう。

(魏斉)ご厚意どうもありがとう。おそく来たことをお咎めになりませぬよう。

(須賈)滅相もございませぬ。給仕よ、あちらで楽を奏でさせ、果桌を担いでまいるのだ。

(従者が果桌を担ぎ、須賈が酒を斟ぐ)酒を持て。相国さま、この杯を干されませ。

(魏斉)おんみはこのたび使いに出られ、長兄を守って帰国させられた。すべてはおんみのお力じゃ。

(須賈)須賈(わたくし)が有能なのではございませぬ。ひとえに主君の洪福と、相国さまの余威に拠るもの。わたくしは歯牙に掛けるに足りませぬ。本日は雪の中、ご来駕を賜りまして、須賈(わたくし)は光栄の感に勝えませぬ。ただ一つ、相国さまにお知らせしたいことがございますが、申して宜しゅうございましょうか。

(魏斉)どのような事がおありか。仰って構いませぬぞ。

(須賈)須賈(わたくし)饒舌(おしゃべり)であるのではなく、ほんとうに国家の利害に関わることでございますから、言わざるを得ないのでございます。せんだって須賈(わたくし)は、斉国に使いするとき、范雎を推挙し、同行しました。仕事を終えて戻りますとき、須賈(わたくし)は斉の大夫の鄒衍に駅亭で別れることに致しました。おりしも鄒衍はその主君斉君の命を奉り、牛肉と酒の筵宴(うたげ)で范雎を持てなし、宴が終わるとさらに千両の黄金を贈りました。その時、范雎は須賈(わたくし)が来たのを見ますと、金を受けるのを辞退しました。わたしが思うに、あのものは魏の秘密を斉に告げ、褒美を得たのでございましょう。さもなければかようなことがあるはずがございませぬ。須賈(わたくし)はずっと疑っていましたが、にわかに暴露しようとはしませんでした。ただ、この件は影響が小さくはございませぬ。本日、相国さまがご来臨たまわりましたは有り難いこと、人を遣わし、あのものを召しよせて、須賈(わたくし)と差し向かいにさせ、しかと審問いたしましょう。

(魏斉)大夫どのが仰らなければ、それがしは知ることができなかった。人に范雎を呼んでこさせよ。

(卒子)范雎どのはどちらにいられる。

(正末)わたしは范雎。須賈大夫さまに従って斉に入り、使者となり、公子を守り、本国に還ってきたが、(嘆く)功労はすこしも報いられていない[40]。これこそ時運、命運なのだ。本日は冬の臘月十二日、わが誕生日、太学の同輩の書生らはわたしを招き、一杯酒を飲むことにした。さきほど飲んでいたところ、一人の書生が太公の話しをしだした。思うにかれも文王に遇うことは叶わなかったのであろう、(唱う)

【南呂】【一枝花】今なほ渭水の(かたはら)で釣糸を垂れ、溪の(ほとり)にて独り坐したり。呂望の如き才を持てども、文王に遇ふ福はなからん。ひそかに思ふ、生まれながらの窮酸[41]の相なれば、いづれの時にか栄達すべけん[42]。わたしは舌と唇に拠り、ただちに侯に封ぜられ、将を拝せん。

【梁州第七】魏公子はなにゆゑ釈放せられしや、なんぴとが斉に遊説したりしや。なにゆゑぞ功労(いさをし)のわが上に在らざる。わづかなる褒美に浴し、わづかなる旅装を壮んにせしこともなし。われは伎倆が多きほど、いやましに凄凉[43]を受く。十載の文章[44]は無駄となり、半世の風霜にむなしく耐へり。なんぴとか、なんぴとか陋巷の一瓢の書生[45]を念はん。わたしは、わたしは都堂[46]の八府[47]の宰相を願ひに願へり。かれらは、かれらはみなわれを深宮の万歳の君王に会はしめず。かやうな天気に、得やは耐ふべき。白茫茫たる氷は江海三千丈に連なれり。(かち)歩きして、いづこへ往かん。雪を冒せば氷は寒く、凍ゆれば(たふ)れんとせり。これこそわれが故郷に錦を飾るなれ。(従者に見える)わたくしを呼ばれましたは何事にございましょう。

(従者)范先生、いずかたにいられましたか。大夫さまは筵宴(うたげ)を調え、丞相さまを持てなされ、わたしにおんみを招かせたのです、急がれませ。

(正末)大夫さまがそなたにわたしを招かせたのか。(唱う)

【隔尾】おんみのもとでは、葡萄の酒に銷金の帳を設け、羅綺の筵は白玉の堂に開かる。魏相国さまはみづから屋敷に来られたりしとか。(考える)丞相さまを宴に招いたのならば、どうしてさらにわたしを呼ぶのか。

(唱う)ことさらに寒儒を褒めて、寛き度量を示せるか。

(言う)ああ、分かったぞ。

(唱う)須賈さまが好意から、范雎(わたし)の話しをされたのだろう。(見える)

(須賈)范雎どの、どちらにいられた。

(正末)本日はわたしの誕生日にございます。太学の同輩の書生らは、わたしを招き、幾杯かお酒を飲んでおりました。大人が呼ばれているのをお聴きして、わたしはぐずぐずしようとせずに、まっすぐにこちらへ参りましたのでございます。

(須賈)ああ、今日はおんみの誕生日だったのか。従者よ、きれいに掃除してくれ。先生に衣服を脱いでいただこう。

(正末)丞相さま、わたしは衣服を脱ぐわけにまいりませぬ。このままで良うございましょう。

(須賈)やはり衣服を脱いでくだされ。

(正末)分かったぞ。(唱う)

【牧羊関】細索麺[48]、醒酒湯[49]を食らはんことを恐れめや。油や汁や水を濺がれ汚るとも構ふものかは。今日は公子さまのために佳筵を設けたまひしに、なにゆゑに、わがために、誕生祝ひしたまふや。

(魏斉)范雎どの、「恭敬は命に従うに如かず」です。

(正末が衣服を脱ぐ)

(須賈)刑具を持ってまいるのだ。

(従者が刑具を置く)

(正末が慌てる)酒席でどうしてかようなものをお使いになりますか。

(唱う)ただ見るは一条の(おも)き鐵の(くさり)の面前に在り、両束(りやうそく)の粗き荊の(つゑ)の脇に在るなり。いづくにかかく珍しき物のある。大夫どの、むりやりに持ちきたり寿觴[50]をや薦めんとせる。

(須賈)范雎よ、そなたは罪を認めるか。

(正末)罪とはいかなることでしょう。

(須賈)本日は相国さまをこちらにお招きしているから、そなたとはっきり話をつけよう。そのかみ、ともに斉国に使いしたとき、斉君が牛肉と酒、金帛で、そなただけを持てなしたのは、なぜなのだ。相国さまに正直に言え。

(正末)丞相さま、そのかみ大夫さまに従い、斉に入って、使者となり、斉君に会いましたとき、わたしは席上話をし、斉君を大いに喜ばせ、公子さまを釈放、帰国させました。これこそわたしの功績にございますのに、どうしてわたしの罪となされるのでしょうか。

(須賈)范雎よ、わが国の秘密を斉に告げなかったら、あのように厚い持てなしは受けられまい。なぜ正直に言おうとせぬのだ。

(魏斉)こ奴めは打たねば白状しないわい。

(須賈)従者よ、打ってくれ。一杖がそのものの寿命を一歳延ばすであろう。

(従者が打つ)

(正末が唱う)

【隔尾】これこそは、耕牛は(あるじ)のために鞭、杖を受け、唖婦は杯を傾けて殃を受くるなれ[51]災禍(わざはひ)は身に臨み天より降れり。われはこの一場の棍棒を受く。ああ天よ。これこそは国家のためにせし者の受くる賞なれ。

(須賈)左右の者よ、酒を持て。相国さま、諺にこう申します。「酒肉はゆるゆる(くら)ふべし、王条は正しく執り行ふべし」と。本日は、筵にて、酒を飲むものは酒を飲み、刑を受けるものは刑を受け、まさにいわゆる情法ともに尽くすということ。相国さま、一杯干されますように。

(正末)大夫さま、数九[52]の時期にございますのに、着ているものを剥がれては、凍え死にしてしまいます。

(須賈)おまえのような人間を、凍え死にさせないでどうしろと申すのだ。

(正末が唱う)

【牧羊関】泪の雹は(ほほ)に落ち、(ちしほ)の氷は(せな)に満ち、凍剥剥[53]と雪の()に霜を加へり。おんみのせゐで餓ゑたれば三魂は失はれ、打たるれば五臓は翻へされたりき。皮肉は顫へ、心髓に寒さは徹せり。かやうに范叔(われ)(とりしら)べたる森羅殿[54]、凍ゆる蘇秦の氷雪堂[55]の如きなり。

(須賈)左右の者よ、酒を持て。

(従者)お酒にございます。

(須賈が酒を斟ぐ)相国さま、一杯干されて、いささかの寒さを防がれますように。

(正末)大夫さま、おんみはわたしを一日打たれたのですから、なにか食事がございましたらすこし食べさせてくださりませ。

(須賈)腹が減ったか。礼に従えば食べさせるべきではないが、「坐せる児は立てる児の飢うるを知らず」となろうとは思わない。従者よ、どこだ。このものの食事を持て。

(従者が小道具を持ってきて置き、退場)

(須賈)従者よ、このものに、みずから開けさせ、食べさせよ。

(正末が開いて見る)馬に食わせる秣です。どうしてわたしに食べさせるのです。

(須賈)馬に食わせる秣をそなたに食わせるのかと申したな。匹夫よ、わたしはそなたを推薦し、斉国にともに入って、使者となったが、そなたは秘密を斉に告げ、かれらの金帛、牛酒を受けた。そなたは馬と異ならぬ。「槽を背にして糞をする」[56]とはまさにこのこと。食べるのだ。一本の草はそなたの寿命を千年延ばすことであろうぞ。食べぬなら、従者よ、大きな棒で殴るのだ。

(従者が打つ)

(正末が唱う)

【紅芍薬】ああ、一輪の紅き日は誰がためにしぞ蔵れたる。地は老いて天は荒れたり。われはただ見る、半空(なかぞら)に瑞雪の乱れ飛び、ひたすらに狂へるを。筵にて佳賓をかやうに持てなして、げにや華堂は格別の景色なる。置かれたる一盤の(きりくさ)は青と黄が半ばして、いささかの粗糠(あらぬか)()ず。

(須賈)おまえのような人間は、このようなものを食らうのにぴったりだ。

(正末が唱う)

【菩薩梁州】わが綿(めんとん)にも似たる衣裳(ころも)[57]、紅炉[58]土坑[59]に坐り得ず。黄齏[60]を食らへる肚腸(はら)は、

(言う)片づけられよ。

(唱う)われはこの法酒[61]肥羊を食らひ得ず。われはこの三つの地獄にいかで耐ふべき。無情の風雪、無情の棒。無心草をば食らひし(ごと)く、ひたすらにこの酷き目に耐ふ[62]。われは打たれて肉は綻び、皮は裂け、内と外とは傷つきて、あきらかにまもなく死することならん。

(正末が死ぬ)

(魏斉)范雎は打たれてどうなった。

(卒子)打ち殺されました。

(魏斉)大夫どの、酒も十分頂きました。

(須賈が酔う)

(魏斉)ああ、大夫どのは酔われたな。目醒められたら、わたしはひとりで戻っていったと申すのだ。左右の者よ、坐車[63]を引け。屋敷に還ってゆくとしよう。

(詩)主人(あるじ)はすでに泥酔すれば、老いぼれは帰りゆくべし。軒車[64]は相府に還りゆき、灯火(ともしび)は天街をしぞ出づるなる。(退場)

(須賈が醒める)丞相さまはどこにいられる。

(従者)さきほど戻ってゆかれました。

(須賈)あのかたは戻ってゆかれた。わたしが累を及ぼすことを恐れられたのだろう[65]。左右の者よ、匹夫めを引いてこい。

(従者)すでに打ち殺されました。

(須賈)ああ、死んだのか。一人を打ち殺したときはもちろんのこと、十人を打ち殺しても何事もない。従者よ、あいつを奥の厠に棄てて、明日、糞車に載せて出てゆけ。このようにしなければ、後の世の人々を戒められぬわ。范雎めは、国には不忠、家には不孝。わたしは平生、あのような仁義なき人間を憎んでいるのだ。

(詩)わたしに慈悲のなきにはあらず。王法はもともと(わたくし)なきものぞ。「人は己が侮りて、後に人より侮らるるもの」[66]。(退場)

(従者が正末を担ぎ、棄てて退場)范雎を厠に棄てた。われらは一日、宴に侍った。寒いから、ひとりで家に戻り、酒を飲み、明朝、報告すればよい。(退場)

(正末が目醒め、唱う)

【隔尾】ああ、われは酔ひて繍被[67]や流蘇[68]の帳に眠りしことなし。茅廬(しづがや)に夢は断たれて(まどべ)に雪の映ゆるにや[69]。長嘆し、やうやくに眼を睜りたり。こなたを見、あなたを見たり。天よ、わが七尺(しちせき)の身は厠に横たひたりけるか。(痛さに叫ぶ)范雎よ、そなたはまことに苦しい。大夫どの、おんみはまことに凶悪じゃ。おんみはわたしを打ち殺されても良かったに、なにゆえ厠に棄てられたのか。この穢れには耐えられぬ。とりあえず、ゆっくりと起き上がり、逃げるとしよう。

(外が執事に扮して突然登場)わたくしは須賈大夫さまの家の執事だ。今日、わが(あるじ)筵宴(うたげ)を設け、魏斉丞相さまを持てなし、まるまる一日、お酒を飲まれた。日が暮れたから、灯を点し、屋敷の表と奥の様子を見にゆこう。(出逢う)

(正末が慌てる)

(執事)誰がこちらで動いているのだ。

(正末が隠れる)(唱う)

【牧羊関】逃れんとしたれどもいかで逃れん。蔵れんとしたれどもいかで蔵れん。はしなくも、かのものと出くはせり。

(執事)灯を挙げ、見てみよう。誰かと思えば、范雎どのだったのですか。全身汚れてしまわれて。お酒をお控えなさいまし。

(正末が唱う)美酒羊羔[70]を飲みしにあらず、胡枷乱棒[71]を受けしのみなり。

(執事)酔われていないのであれば、なにゆえに全身が汚れているのでございましょう。

(正末が唱う)糞はわが両鬢を湿し(うるほ)し、尿(ゆばり)はわが(むね)いつぱいに浸み透りたり。

(執事)すこし離れてくださいまし。この臭気には耐えられませぬ。

(正末が唱う)わが穢気、全身の(にほひ)をば得嗅ぎたまはず。執事どの、われはかの「(かめ)を開けば十里香る」[72]を飲みしことなし。

(執事)お酒を飲まれなかったのに、なぜこのような有様なのでございましょう。

(正末が跪く)執事どの、憐れと思われ、お救いください。わたしは大夫どのとともに斉に入って、使者となり、斉王に会い、席上話しをしましたところ、斉王は大いに喜び、公子魏申を釈放、帰国させました。斉王は中大夫鄒衍に命令し、駅亭で、牛肉と酒を賜わり、わたしを持て成し、さらに黄金千両を賜わりましたが、わたしは受けませんでした、これは大夫がみずから御覧になったことです。このたびは、本国に帰られて、筵宴(うたげ)を調え、魏斉丞相さまを招かれ、酒を飲まれて、わたしが秘密を斉に告げたと仰って、わたしをさんざん取り調べられ、吊ったり()ったり(しば)ったり()いたりし、わたくしを打ち殺し、厠の中に棄てられましたが、穢気のおかげで活き返りました。執事どのにはどうかわたしをお救いくださいますように。ご恩には、後日、手厚く報いましょう。

(執事)ああ、ほんとうにお可哀想に。こちらには誰も居ませぬ。わたしについてこられませ。水を掛け、お体をきれいにしましょう。汚れた衣服を脱がれませ。かように寒い気候では、凍え死にしてしまいます。わたしは旧い綿の衣服を持っていますから、取ってきて、着せてあげましょう。(小道具を取り、登場)この服を着られませ。さらに五両の粒銀を差し上げますから、養生なされよ。今、裏の角門を開け、おんみをお出しいたしましょう。こちらに居られてはなりませぬ。他の州や府のどこへなりとも、お逃げください。お志を得られましたら、わたしの恩をお忘れなきよう。

(正末が拝する)執事どの、おんみはわたしの第二の父母(ちちはは)。わたしはほかの所へは往きませぬ。秦国のみがもっとも強うございますから、仇に報いることができましょう。これにて失礼いたします。

(唱う)

【黄鍾尾】われは伍員の楚に行くに心はなほも壮んなる、孫臏の斉に投ずるに(いかり)の収まることなきに似る。恩人の計らひたまひ、われを放ちて咸陽に入らしめしことに謝すべし。英雄[73]に拠り、抱負を示し、秦君に会ひ、事情を説かん。穰侯[74]はたちまちに丞相を辞すべけん。こは荒唐(でたらめ)にあらずして承望(のぞみ)あるなり、

(言う)執事どの、わたくし范雎は法螺を吹いてはおりませぬ。怨みに報いる(とき)は、遠くはございますまい。

(唱う)蟄龍[75]の一声に雷は響くべし。(退場)

(執事)あのひとがわたしに遇うたは幸いだった、他の人に出くわされたら、どうなっていたことか。あのように才学のある人が死んだら、まことに惜しむべきことだ。主人が問うたら、すでに糞車で城外へ送り出したと申し上げよう。そうすれば、あのひとを捜されることもなかろう。まさに「天上人間、方便第一」[76]。「他年を待たず、今日のみをしぞ思ふべき」[77](退場)

 

第三折

(須賈が従者、執事を連れて登場、詩)斉邦に使ひして風塵[78]ありき。本日は車を駆りてまた秦に入る。人は道ふ、この中は狼虎の地ぞと、関門をたやすく出づることをやは得ん。

わたしは須賈、こたび来たのは秦国があたらしく丞相を任命したため。丞相は張禄といい、人を遣わし、六国にあまねく告げ知らしたために、各国は中大夫を秦に入らせ、祝賀させることにした。こちらに来て数日になるが、各国の使臣にはまだ来ていないものもあり、張禄丞相は謁見をしようとはせぬ。時は冬、寒い気候で、風雪はとても激しい。相府へ行って、待機することにしよう。執事よ、そなたは宿舎で食事を整えよ。わたしは雪が小降りになったら、車に乗って戻るとしよう。

(執事)かしこまりました。(執事が退場)

(須賈が行く)雪は大変激しいわい。従者よ、とりあえず車を人家の軒先にしばらく避けさせ、雪が小降りになったらふたたび進むとしよう。

(正末が登場)わたしは范雎、秦に入って、名を張禄と改めて、穰侯に代わって丞相と為った。先だって人を遣わし、六国にあまねく告げると、各国は中大夫を遣わして祝いに来させた。あの須賈はこちらに着いて、もう幾日か経っている。わたしは今から、冠帯を卸し、また布衣を着け、宿舎に行って、須賈に会おう。あのものは今でもわたしに気付くだろうか。思うにわたしはあの苦しみを受けなかったら、出世することはできなかったろう。(唱う)

【正宮】【端正好】運の通ずることはなく、窮困に遭ひ、わが身は白屋寒門に居る。両輪の日月を消磨し尽くし[79]、知らぬ間に霜鬢を添ふ。

【滾繍球】人は言ふ、「文章はよく貧を済へり」と。儒冠を被りたるわれはこの身を誤り[80]、今日に到りたれどもいよよ仕進を求むることなし。もともと儒者に学ばんとしたれども、かへつて人に如くことぞなき。昨日は周、今日は秦、

(言う)このように、途路(みち)では人に逢い難いものなのか、

(唱う)げにわれは、家はあれども奔るは難く、根を断たれたる蓬の(まろ)ぶがごときなり。「地に松柏があらずんば貴きことなく、詩書を腹にし隠しなば貧しからず」と言ふを得めやは。われをしていづこにか飄淪(さすら)はしめん。

(正末が窺い見る)

(須賈が会う)これはおかしい。大雪の中、人が来たが、范雎にとても似ているぞ。范雎であると言おうと思うが、わたしはむかしあのものを打ち殺したから、范雎がふたたび来ることがどうしてできよう。范雎でないと言おうと思うが、あの体つきはとても似ている。あのものであるかないかはしばらく措いて、一声呼んでみるとしよう。范雎どの、范雎どの、こちらへ来られよ、いっしょに話しをいたしましょう。

(正末)誰かが范雎(わたし)を呼んでいる。

(唱う)

【叨叨令】かのものが二三たび叫ぶを聴きて、前へ進めり。たちまちに身を翻せば車は近し。われはこなたでいそがしく泪眼(なみだめ)(こす)り開け、かのものをしぞ認めたる、

(須賈)わたしがおんみを呼んでいるのだ。

(正末が唱う)われはこなたでかのものを見て、身を退けり。(正末が恐れる)

(須賈)范雎どの、わたしに会って、このように慌てているのはなにゆえか。

(正末が唱う)大夫どの、われをまた打たんとせるにや。われをまた打たんとせるにや。われは脅えて戦戦兢兢、いそがしく逃ぐ。

(須賈)范雎どの、しばし待たれよ。一別以来、お久しゅうございます。お話ししようといたしましたに、何ゆえかように驚き恐れる。先生はお元気でしたか。

(正末が唱う)

【滾繍球】大夫どの、思へばおんみはわれを虐げ、われはおんみに虐げられぬ。おんみはわれを二三百たび(つゑ)もて打てり。

(須賈)とりあえず、旧い話は持ち出されますな。お尋ねしますが、先生はどうしてこちらに来られたのです。

(正末が唱う)災を逃れて魏国の夷門[81]を出でたり、

(須賈)先生は、西のかた、秦に入られたのですね。どのくらいになられましょうか。

(正末が唱う)今日に到るまで、両冬(ふたふゆ)を経て、一春を過ぎしかど、夢の(うち)にも安穏(やすらぎ)を得ず。

(須賈)わたしのことを思われたこともございましたか。

(正末が唱う)雪の(うち)にて、(つゑ)をもて、わが身を打たれしことを思へり、

(須賈)かように慌てていらっしゃるのはなぜですか。

(正末が唱う)おんみの姓と名を聞けば、胆は驚き、夢におんみの儀容(すがた)を見れば、

(言う)須賈大夫が来た。

(唱う)ああ、(たま)ははや脅かされて、などか気力のあるべきや。

(須賈)今日、先生にお会いして、気色を拝見いたしましたが、むかしと大いに異なっていらっしゃる。こちらで出世なさったのでしょう。

(正末)わたくしが食べているものを話題になさらず、わたくしが着ているものを御覧くだされ。(唱う)

【倘秀才】わが巾幘[82]は旧くして、氷雪はわが脳門(かうべ)()みて、衣衫は破れ、わが項筋(くびすぢ)を蔽ひ得ず。「白馬紅纓、衫色は新たなり」とはいかなることぞ[83]。ひとり悲しみ、ひとり嘆きて、ひそかに哂へり。

(須賈)ああ、范叔はこのように凍えているのか。左右の者よ、一着の綈袍[84]を取ってこい。

(従者が衣を持ってくる)

(須賈)雪は激しく、気は寒うございますから、この綈袍を、とりあえず、先生に差し上げて、寒さを防いでいただきましょう。

(正末)わたしにいかなる取り柄があるのでございましょう。大変ありがとうございます。大夫さま。(衣を受け取る)(唱う)

【伴読書】大夫の情の厚くして、綈袍を賜はりて、惜しむことなきに謝すべし。わたしはただちに受け取りて、拒まんことのあらめやは。軟設設[85]と身は綿(めんとん)の如きを覚えり。しらぬまに、喜孜孜[86]とし、にはかに心頭(むね)(うれへ)を解けり。われ、われ、われは、いかにしてなが救済の恩に報いん。

(須賈)この綈袍は着てみると、体にぴったり。

(正末が唱う)

【笑和尚】わが旧き腰身(こしのまはり)に比ぶれば二分寛く、旧き衣襟に比ぶれば三寸長し。まさにこの破れし単袴[87]はむきだしの臁刃(すね)を蔽へり。まさに凍剥剥[88]たる晩冬なりしかど、今や暖溶溶たる春となりしなる。いざ、いざ、いざ、綈袍をもてわが(きたな)き身を(よそほ)はしめしことに謝すべし。

(背を向ける)この人は、綈袍を恵んでくださり[89]、今もなお、友情を持っている。

(須賈)先生、わたしとともに宿舎に行かれ、一飯を共にして、昔語りをなされてはいかがでしょうか。

(正末)お尋ねしますが、大夫さまはどうしてこちらに来られましたか。

(須賈)先生はご存じございますまいが、わざわざ張禄丞相を祝いにきたのでございます。先生はながらく秦に居られますから、張禄丞相が、誰ともっとも親しいか、聞かれたことがございましょうか。

(正末)大夫さまは、張禄丞相を賀するため、こちらに来られたのですか。とりたてて見聞きしたことはございませぬが、張禄丞相は、わたしとも面識がございます。

(須賈)ああ、先生は張さまと親しかったのですか。(背を向ける)綈袍を送ってよかった。(振り向く)先生、秦国の大小の事どもは、みな丞相が決めているとか。現在、われらはこちらに居ますが、留まるも行くもすべて丞相さま次第。先生がすこし口利きしてくだされば、わたしは帰還することができますし、先生が旧友をお忘れにならなかったということになりましょう。口利きをしていただけましょうか。

(正末)もちろんですが、人は(いや)しく(ことば)は軽く、重くみてもらえないことでしょう。

(須賈)先生が魏国にいらっしゃった時、わたくしは先生を侮ることはございませんでした。

(正末)ありがとうございました。ありがとうございました。(唱う)

【滾繍球】思ふにおんみはあの日、あの時、われをさんざん取り調べ、車を拽ける驢馬に似しめり。憐れまれ食べものを恵まれたまひたる情、秣の恩を思ひ起こせば、われはなどてか槽に背を向け糞をすべけん。

(須賈)「君子は旧悪を念わない」もの、さようなことを話題になさる必要もございますまい。

(正末が唱う)請ふらくは、老哥哥(あにじや)の害を避けたまひ、お身を全うせられんことを。(ただ)しきものは最後までかならず(ただ)しく、大夫どの、親しきものはもとよりひたすら親しきものなり[90]。このわれは喜びありて瞋りなきことのあらめや。

(須賈)先生は書を読まれる儒者。思えばむかし春秋の趙盾が、桑の木陰で霊輒に遇ったのも、一飯の恩に過ぎませんでした。その後、趙盾が屠岸賈の災厄に遭ったとき、霊輒は車輪を支えて報いました[91]。わたしは徳が薄いため、みずからを趙盾に喩えようとはいたしませぬが、先生の義気は、霊輒に劣るものではございますまい。

(正末)分かっていますぞ[92]。(唱う)

【呆骨朶】ひたすら巧言令色をもてみだりに論ずることなかれ。今になり、そのかみの忠臣に何をや喩へん。このわれは霊輒に如くことはなく、趙盾におみが学ぶは難からん。大夫どの、おみ趙盾の身が危ふからば、われ霊輒は(うで)をもて車輪を支ふることに倣はん。槽中に草を()ぜたることさへなくば、これがすなはち桑間の一飯の恩ならん。

(須賈)今、雪はすこし小降りになりました。先生とともに数歩歩いて、丞相の屋敷に参るといたしましょう。

(正末とともに車に乗ってゆく、須賈)先生、嘘をつかれてはなりませぬ。先生は秦国で、かならずや重用されてらっしゃるのでしょう。そうでなければ、丞相の屋敷の前の従者らが、先生に会ったとき、なにゆえに凛凛然と起ちあがり、避けるのでございましょう。かならずや出世されたのでございましょう。

(正末)大夫どの、このものたちはわたしを避けはいたしませぬ。(唱う)

【滾繍球】かれらはわたしの、塵は()に満ち、垢は身に満ち、蓬鬆(ぼさぼさ)の両鬢で、相府の儀門を(いづ)るを見れば、わたしを乞食(かたゐ)乞倹身(ほいと)と罵り、みな(こけ)(よそほ)ひて構ふことなし、

(須賈)かれらは、今、なぜ先生を恐れているのでございましょう。

(正末が唱う)この(しろ)袍のわが身に在りてまったく新たなるを見て、なにゆゑぞかのものたちは、前へ趨き、後へ退き、恐れたる。大夫どの、衣を敬ふのみにして、人を敬ふことなきは、昔よりつねに聞きたり。

(須賈)先生、思いみますに、張さまは、秦で志を得ましたが、もとより文武両全ではございませぬのに、なぜこのようなことがあるのでございましょう。

(正末が唱う)

【三煞】かのものは竈を減らす機謀を論ぜば、斉国の孫臏をしぞ圧したる。かのものは戦策を論ずれば、屍を鞭うちし楚の伍員に劣らず。かのものの智恵は穰苴に似、文学は子夏に似て、徳行は顔渊に似て、弁舌は蘇秦に似たり。げによく国を安んじて、家を治めて、身を正したり。請ふらくは大夫の衣冠を整へんこと。われはおんみともろともに張君にしぞ謁すべき。

(須賈)先生、わたしは行くも()まるも、張さまの一言で決まりますから、こちらでお待ちいたしましょう。

(正末が唱う)

【二煞】おみはしばらく停まられ、しがなきものの交信(とりつぎ)るを待ちねかし。入りゆかば丞相さまのお瞋りを防がれよかし。このわれは、おみをしてすみやかに潼関を出で、すみやかに水に帰し、すみやかに東京に行き、すみやかに西秦を離れしむべし。おみを連れゆき、みづから相府に登らしめ、公務を終へしめ、かれ[93]をして賢門[94]を開かしむべし。帰る日はかならずあるべし。かならずやおみをして飛騎(はやうま)を走らせて疾きこと雲の如くにせしむべき。

(須賈)大雪の中、ご苦労さまにございます。日を改めてお礼しましょう。

(正末が唱う)

【煞尾】おんみのために、片片たる梨花の粉を掻き分けて、紛紛たる柳絮の塵を拂ひ散らせり。金馬門[95]へと進みゆき、われはおんみを、士を納め、賢を招ける路へ連れゆく。(退場)

(須賈)范雎が張禄丞相と面識があろうとは思わなかった。わたしの務めはかならずうまくゆくだろう。無事に還られるのならば、わたしはふたたび范雎を連れて、魏国に戻り、ともに栄華を享けるとしよう。(待つ)ながいこと、こちらで待ったが、どうして范雎が出てこないのか。進み出て、一声尋ねることにしよう。(卒子に見える)門番どのにお尋ねしたい。

(卒子)何をお尋ねか。

(須賈)さきほど相府に入ってゆかれた先生は、なぜ出てこられないのでしょうか。

(卒子が怒鳴る)ばかを言え。この屋敷には、丞相さましか出入りなされぬ。誰が入ってゆくものか。

(須賈が驚く)さようなことはございませぬ[96]。さきほど入っていったのは秀才の范雎どのです。

(卒子)なにが秀才だ。あのお方こそ丞相さまだ。

(須賈が慌てる)いましがた入っていったあの秀才が張禄丞相だったのか。ああ、須賈よ、おまえは計に嵌まったな。張禄丞相の名を聞いたとき、詳しいことを知らなかったため、列国の中大夫らはみな秦国にお祝いしにきた。范雎だと知っていたなら、わたしはどうして虎狼の地へと身を投じたりするものか。あのものは張禄と名を改めたが、その実は智恵を用いてわたしを捕らえ、むかしの仇に報いようとしていたのだな。(哭く)ああ哀しい。憐れなわたし須賈の微躯(からだ)は、本国に還れないわい。仕方ない、とりあえず、宿舎に戻り、明日になったら、膝行、肘歩、肉袒し、面会を求めよう。万が一、僥幸があるならば、死を免れることができよう。許されなくても、それはわたしの命数が尽きたということ、また何をか恨みんやだ。大丈夫(ますらお)は眼をりながら罪を犯したのだから、本日は、眼を閉じながら罪を受けよう[97]。かわいそうに、わたしの一家老若は、門に倚りつつ待っておろうが、わたしが秦で殺されて、永遠に還る日がないことは知らぬのだ。(嘆く)わたしの一家はきっと悪夢を見るだろう。(退場)


第四折

(鄒衍が諸大夫とともに張千を連れて登場)わたしは斉国の中大夫鄒衍。秦国の命を奉り、われら六国の大夫は張禄丞相を祝いにきた。こちらは楚国の大夫陳軫、こちらは趙国の大夫虞卿、こちらは韓国の大夫公仲侈、こちらは燕国の大夫劇辛。今日の筵宴(うたげ)はわが国が設け、もっぱら秦の丞相を賀するのだ。魏の須大夫は罪があるためいっしょに招いてはおらぬが、幾つかの国の大夫らはすべてこちらでながいこと待っている。秦国の丞相はそろそろやってくるだろう。

(正末が冠帯のいでたちで、卒子を連れて登場、詩)名を変へて西のかた秦に入り、六国をしてことごとく来賓せしむ。まさに、「虎を画きて成らずとも、君な笑ひそ。牙、爪を調へば、はじめて人を驚かすべし」。

わたしは范雎。わたしが相と為ってから、各国の大夫はすべて祝いにきている。今日は斉国の鄒大夫が宴を設け、招いているから、行かねばならぬ。(見える)

(鄒衍)丞相さまがご来臨されましたのに、お迎えをいたしませんで。お咎めになられませぬよう。

(正末)駅亭で一別し、しばらくお会いしないまま現在に至りましたが、遠路お運びいただいて、佳宴を設けていただきました。ただ慚じますのは、張某(それがし)の才の軽く、徳の薄いこと。今日があろうとは思いませなんだ。

(唱う)

【双調】【新水令】白身[98]は一跳びし関西に到り、都堂[99]に坐して、八位[100]に登れり。朝廷に入り相印[101]を争ひて、殿に当たりて儒衣を脱ぎたり。口からは虹霓(にじ)を吐き、三千丈の五陵[102]の気あり。

(鄒衍)給仕よ、酒を持て。

(張千)お酒でございます。

(鄒衍)各国の大夫どの、近くへ来られよ。丞相さまがめでたくも、良い職を得られましたから、拝賀するべきでしょう。

(各国の大夫がともに拝する)

(正末)立たれよ。(唱う)

【歩歩嬌】これこそは、楚趙秦韓斉燕魏、本日は七国の冠裳会[103]。干戈をこれより(をさ)むべし。わたしが歓ぶことのなく、泥酔せんとせぬことのあらめやは。

(鄒衍)丞相どの、この杯を干されませ。

(正末)待て、

(唱う)とりあへず鳳凰杯を(おさ)へたり、

(鄒衍)丞相さまはなにゆえお酒を飲もうとなされぬ。

(正末)張千。

(張千)はい。

(正末が唱う)須賈どのが来られたか否かを尋ねよ。

(言う)各国の大夫の皆さま、そのむかし、それがしは、須賈どのとともに斉に入り、使者となりましたが、斉王はそれがしの弁舌を、たいへんに喜ばれ、鄒大夫どのに命じて、駅亭で、牛肉と酒を賜わり、持てなされました。金と錦を賜わられたのですが、それがしは受けようとしませんでした。そのとき、須賈どのに出くわしましたが、あのかたは魏斉丞相に、それがしが秘密を斉に告げたと言い、それがしを取り調べ、打ち殺し、糞坑(かわや)の中に棄てられました。今、斉国の鄒大夫どのがこちらにいらっしゃいます。わたしはむかし、秘密を斉に告げたでしょうか。

(鄒衍)丞相さま、あのときは、さような事はございませなんだ。

(正末が唱う)

【沈酔東風】千郷万里、かのひとに従ひたりしに、わたしをあれこれ取り調べたり。雪堆の(うち)にてわたしを凍えしめ、茅坑(かはや)(うち)にわたしを棄てたり。言へばなほ、悪心嘔吐し、あたかも死にし羊のやうに総身は尿(しと)(くそ)となり、げにも汚らはしき気をぞ受け尽くしたる。

(張千が呼ぶ)須賈さま、いずこにいられましょうか。

(須賈が膝行肘歩して登場)死罪[104]。死罪。(わたくし)は丞相さまが青霄[105]の上に到るとは思いませなんだ。(わたくし)はもう天下の書物を読もうとはいたしませぬ。(わたくし)はもう天下の政事に与ろうとはいたしませぬ。(わたくし)はもう天下の人を指導しようとはいたしませぬ。(わたくし)は死罪に値いたします。(かなえ)の中にお入れください。狐貉の地へとお置きください。丞相さまがお命じください。

(正末)須賈どの、おんみにはいかほどの罪がある。

(須賈)(わたくし)は丞相さまに大変なご無礼をはたらきました。(わたくし)の髪を抜いたとて、(わたくし)の罪を数えるに足りませぬ。

(正末)おんみは今日は、どうして来るのが遅かったのだ。

(須賈)丞相さま、憐れと思し召されまし。今日は須賈(わたくし)の誕生日、丞相さまのご寛恕をお願いします。今日を過ぎ、ほかの日に、責めを受けるのはいかがでしょう。

(正末が唱う)

【沽美酒】去年のことをこのわれは記憶せり。今日はおんみの誕生日、天はこのわれをしておんみにぞ報いしめたる。

(言う)張千、

(唱う)わたしはこなたで公吏を呼べり。請ふらくは、先生のはやく衣袂を脱がれんことを。

【太平令】ああ、須賈兄じやよ、咎むるなかれ、

(言う)張千、刑具を持ってこい。

(張千)かしこまりました。(刑具を置く)

(正末が唱う)はやくも拶子[106]と麻槌[107]を備へり。降りたるは国家の祥瑞[108]、きれいな場所を選べかし[109]。このものを跪かせて、押さへつけ、杖で打ち、皮をして開かしめ、肉をして砕けしむべし。

(須賈)丞相さまは各国の大夫と宴し、須賈(わたくし)は雪中で凍え、朝から今まで、食事いたしておりませぬ。丞相さまは残忍なことはおできになりますまい。丞相さま、食べ残されたお茶やご飯を、須賈(わたくし)に食べさせてくだされば、たとい死んでも、飽鬼[110]となれることでしょう。

(正末)張千。こいつの食事を持ってきて、食べさせよ。

(張千)かしこまりました。(張千が小道具を置き、退場)

(正末)みずから開けて食べさせよ。

(須賈が開ける)丞相さま、これは馬が食べる秣にございます。どうしてわたしに食べさせますのか。

(正末)馬に食べさせる秣を、どうして人に食べさせるのかと申すのか。思えばそのかみ、おまえとともに斉に入り、使いとなって、斉君に会い、席上、話をしたところ、斉君は大いに喜び、公子申さまを解放し、帰国させた。おまえはわたしが秘密を斉に告げたと言い、打ち殺し、厠に棄てた。匹夫よ、おまえは馬と異ならぬ。張千よ、打ってくれ。

(張千が打つ)

(正末が唱う)

【川撥棹】このものは、往にし年、おんみの備へしものぞかし。おんみのために、懐中(ふところ)に入れ、跟底(あしもと)に置く。請ふらくは、先生のみづから毒を服せんことぞ。わがもとに、とりたてて、何も良き食べものはなし。

(言う)張千。(ざとう)[111]を須賈に食べさせよ。

(須賈)それは驢馬に食べさせる秣。わたしがどうして食べられましょう。

(正末)匹夫よ、おまえはそのむかし申したことを憶えておらぬか。一本の秣はわたしに千年の寿命を添えると申したな。

(唱う)

【七弟兄】かやうなことのありしかば、ながために、誕生祝ひし、一本の草をもて、なが千歳を満たすなり。往にし年、われをいと虐げしかば、本日は、なれにも滋味を知らしめん。

(鄒衍)丞相さま、各国の大夫はすべてこちらで祝賀しています。酔いを尽くしてお開きにいたしましょう。

(正末が唱う)

【梅花酒】公卿たちがうち揃ひ、紫の(たかどの)と黄の()に在りて、玉液の金杯を捧げもち、一面の(ぬひとり)(くつ)(たま)(ころも)を見るのみぞ。朝から晩まで、食に飽き、酒に酔ひたり。かれはかの大雪のなか、しばらく凍え、しばらく問はれ、しばらく問はれ、しばらく打たる。

(須賈)丞相さま、暖閣で宴なされて、わたしをこちらの大雪の中で凍えさせるとは、これぞまさしく「坐せる児は立てる児の飢うるを覚えず」[112]

(正末が唱う)

【收江南】ああ、なんぢはわれが「坐せる児は立てる児の飢うるを覚えず」なりと言ふ。本日はわれがお返しする番ぞ。なんぢは人を損なひて、己を利して、心機を用ゐて、何をか求むる。これぞまさしく「便宜を得るも便宜を失ふ」ことぞかし。

(須賈)仕方ござらぬ。今日になり、丞相さまがどうしても須賈(わたくし)の罪を許されないなら、他殺より自殺がましです。願わくは、丞相さまの宝剣を賜わって、自刎して死にましょう。

(執事が突然登場)老いぼれは須大夫の家の執事だ。今日、大夫さまは丞相さまのお屋敷で酷い目に遭われているから、見にゆこう。(窺い望む)ああ、あの張禄丞相はやはり范雎だ。わたしは今から、死を顧みず、ただちに入ってゆかずばなるまい。(叩頭する)丞相さま、執事が叩頭いたします。

(正末)執事どのはどなたかな。

(執事)わたくしにございます。

(正末が起って拝する)大恩人どの、お掛けになって、わたくしの拝礼をお受けください。

(鄒衍)丞相どの、そのものは、須賈どのの家の執事ですのに、なぜ拝される。

(正末)皆さまはご存じございますまいが、わたしはそのかみ、須賈といっしょに使者となり、斉に入ったのでございます。かれはわたしが秘密を斉に告げたと言って、打ち殺し、厠へと棄てました。わたしはもがいて起き上がり、逃げようとしましたところ、おりよく執事どのに遇い、路銀、衣服を施され、裏門から出て、秦国に来ることができました。執事どのがわたしを救われなかったら、今日はありませんでした。このかたこそはわが大恩人。

(須賈がもがいて起ち、執事を押さえつける)老いぼれが救っていたのか。おまえがむかし、かれを逃して西秦に行かせなかったら、今日の耻は受けなかったぞ。まず老いぼれのおまえを殺して、道連れにしてやろう。

(正末)給仕よ、須賈を打て。(唱う)

【清江引】執事どのは、おりよくこなたへ来たまへり。いづれにしても避くるは難し。かれはなどてか軽々しくも虎狼の(ひげ)を逆なでし、すみやかに(ましら)(うで)()きとむる[113]

(言う)須賈よ、

(唱う)おんみが老いたる執事を許さば、われもおんみを許すべし。

(執事)丞相さまはじじいのしがない顔を立て、主人をお許しくださいまし。

(正末が唱う)

【雁児落】恩人の面皮(かほ)ありといへども、われは賊子のおんみとは情意(よしみ)なし。生きながら函谷関を辞せんとすとも、夢にて夷門の地に返るよりほかはなからん。

(須賈)丞相どの、それはみな旧いお話、持ち出されなくともよろしゅうございましょう。

(正末が唱う)

【得勝令】ああ、なれは旧き話はふたたび持ち出すなと言へり。われをして、おんみの害をむなしく受けしめんとせるや[114]

(鄒衍が諸大夫とともに跪く)丞相さま。須賈どのの罪は重いとはいえ、須賈どのは綈袍を恵まれましたし、旧友の誼もあるのでございますから、丞相さまには、とりあえず恕されますよう。

(正末)皆さま、立たれよ、

(唱う)綈袍を恵まれしこともありしかば、とりあへず、棍棒の威を停むべし。かのものを許さんとしたれども、今もなほ昔のことぞ思はるる。かのものを許さじとしたれども、われはただ仇に報ゆるのみにして徳に報ゆることなしと言はるべし。

(言う)皆さまがこちらで許しを求めたからには、給仕よ、須賈を放て。(放つ)須賈どの、わたしは綈袍を恵まれなければ、おんみの死罪を許そうとしませんでした。今からおんみを釈放、帰還させましょう。ご主君にお伝えくだされ。はやく魏斉を護送してこい、逃がさぬようにと。

(唱う)

【收尾】われは今、しばらく須賈に驢頭(そくび)を預け、すみやかに帰りゆかしめ、梁王に報せしむべし。すみやかに魏斉を護送せしめよと、

(言う)その時はふたたび諸大夫らとともに弊国に臨まれて、

(唱う)ゆつくりとふたたび范雎(われ)を祝へかし。

(須賈が冠帯を換え、諸大夫とともに拝謝する)丞相さまの大恩に感謝いたします。ご命に従わないことがございましょうや。

(執事)この件はご承諾いたすわけにはまいりませぬ。あの魏斉の配下には、心腹の人がきわめて多く、わたしのような者もおり、ひそかに魏斉を逃がしましょうから、わたしの主人はあのものを捕らえることはできませぬ。

(鄒衍)われわれは、丞相さまに、もう一杯、奉りましょう。

(正末)酒も十分飲んだから、宴席を片づけるのだ。

(詞)忠臣を識らざる須賈は、讒言をもて、賢門を閉ぢ、僥幸を欲しいままにし、人をば陥れしかど[115]、天道の(わたくし)なきをいかでやは知る。大雪の中、袍を恵みにければ、禍を免れて、身を全うすることを得り。魏斉の首級をすみやかに取りて献じて、刀兵(いくさ)を罷めて、とこしへに征塵を滅すべし。

 

題目 須賈大夫誶范叔

正名 張禄丞相報魏斉

 

最終更新日:20101110

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[1] 原文「近日俺惠王病染不安、命俺権国、欲遣一文武全備能言快語之士、往聘斉国」。「往聘斉国」が未詳。とりあえず、このように訳す。

[2] 原文「一来還他三年貢物」。「還」が未詳。とりあえず、このように訳す。

[3] 家庭教師、幕客などをいう。

[4] 原文「怎肯道是無用也于才思」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[5] 冠と車蓋。

[6] 「興師」は戦争をすること。

[7] 原文「三寸舌為安国剣、一函書作固辺城」。典故がありそうだが未詳。口舌や書信が国家を安んじ、辺境を守るのに有益であることを述べた言葉。

[8] 原文「形据琅琊勝、財帰渤海肥」。典故がありそうだが未詳。とりあえず、このように訳す。

[9] 原文「什二在東斉」。未詳。とりあえず、このように訳し、斉が天下の十分の二を占めていることを述べた句であると解す。

[10] 公子の弟子の子夏のこと。

[11] 原文「枉了也朱門先達有同袍」。友人は自分より先に出世しているが、それは空しいことであるということを謳った句。「朱門」は高位高官の館。「同袍」は友人。

[12] 原文「甘守着陋巷的這箪瓢」。『論語』雍也「賢哉、回也。食、一飲、在陋巷」を踏まえた句。陋巷で貧しい暮らしをするにしくはないということを謳った句。

[13] 貧士の家をいう。

[14] 原文「自古来文章、可便将人都誤了」。昔から、学問をすると貧乏になる人が多いということを謳った句。

[15] 『史記』張儀列伝「陳軫對曰、亦嘗有以夫卞莊子刺虎聞於王者乎」。

[16] 『史記』夏本紀「帝太康失國」集解孔安國曰「盤于遊田、不恤民事、為羿所逐、不得反國」。

[17] 原文「抱粗腿向前跳」。「抱粗腿」は権勢のある者のご機嫌をとること。

[18] 「国家祥瑞」は雪の異称。

[19]後漢の人。光武帝の招きを断り、釣りをしていたことで有名。『後漢書』逸民伝参照。

[20]許由は堯の時代の隠者。河の水を手で掬って飲んでいたため、ある人が瓢を贈ったが、捨ててしまったという故事が蔡邕『琴操』箕山操に見える。また、堯が天子の位を譲ろうとしたところ、耳が汚れたと言い、潁水で耳を洗ったという故事が『荘子』逍遙遊に見える。

[21]一斟ぎ、一酌みの飲み物。ここでは前世で定められた運命のこと。「一斟一酌、莫非前定」「一飲一啄、莫非前定」などという慣用句があり、それを念頭に置いた句。

[22]堂飧、堂饌とも。唐、五代の頃、役所で出された公膳のこと。

[23] 大きく高々とした旗。「高牙」の「牙」は「牙旗」のこと。この句、外出の時、豪勢な儀仗を付き従えることを謳ったもの。

[24] 高い屋根、彫刻をした梁。この句、豪勢な家に住んでいることを謳ったもの。

[25] 毎日、心労が絶えないことをいう。

[26] 原文「您幾時学得俺齁嘍嘍一枕頭雞叫」。ぐうぐう寝て、鶏の鳴き声で目が醒めるような、のんびりとした自分の境遇は、あなたが真似しようとしてもできないだろうという趣旨。

[27]日の高く登ったさまを、竿三つ分の高さということで、三竿と称するが、ここでは竿半分ぐらいの高さ、地上すれすれといったぐらいの意味であろう。『倩女離魂』第三折に「半竿残日」という用例がある。

[28]布をつづり合わせて作った服。周汛『中国衣冠服飾大辞典』二百二十四頁参照。

[29]原文「不如意事常八九、可与人言無二三」。「八九」「二三」は「十分の八九」「十分の二三」ということ。

[30] 原文「厚賜回聘礼物」。「回聘」が未詳。とりあえず、こう訳す。

[31] 原文「一只脚儿来、両只脚儿来」。諺のように思われるが未詳。一度あったことは二度あるということであろう。

[32]典故がありそうだが未詳。

[33] 『論語』述而。

[34] 典故がありそうだが未詳。

[35] 原文「四下里安環」。「安環」が未詳。とりあえず、こう訳す。

[36] 原文「蔽賢者謂之不詳」。典故がありそうだが未詳。「不詳」は「不祥」に同じ。

[37]腰掛けることができる車。

[38] 前注参照。

[39] 華やかな宴。

[40] 原文「也不見一些功労在那里」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[41] 貧乏書生。窮措大。

[42] 原文「幾時行通利方」。未詳。とりあえずこう訳す。

[43] わびしい境遇。

[44]「文章」は教養のこと。十年培った教養のことであろう。

[45] 本来顔回のこと。前注参照。ここでは范雎のこと。

[46]隋唐の時代、尚書省のこと。ただ、ここでは、中央官庁というくらいの意味で使っていよう。

[47] 内八府宰相のこと。元代の職官名。『元史』百官志三参照。

[48] 細い索麺のことであろう。『居家必用事類全集』索麺「与水滑鹵同。只加油、倍用油、搓如粗箸細、要一様長短粗細。用油紙蓋、念勿令皴停両時許、上箸杆纏、展細、晒干為度。或不用油搓、加米粉[米孛]搓。展細、再入粉紐展三五次、至于圓長停細。揀不猿メ、撮在一處、再搓展、候乾、下鍋煮」。

[49] 未詳。

[50] 誕生祝いの杯。

[51]原文「恰便似啞婦傾杯反受殃」。正妻が、夫を毒殺しようとしているのを知った妾が、毒酒をわざとこぼして夫を救ったが、夫にむち打たれたという話が『史記』蘇秦列伝に見える。「臣聞客有遠為吏而其妻私於人者、其夫將來、其私者憂之、妻曰、勿憂、吾已作藥酒待之矣。居三日、其夫果至、妻使妾舉藥酒進之。妾欲言酒之有藥、則恐其逐主母也、欲勿言乎、則恐其殺主父也。於是乎詳僵而棄酒。主父大怒、笞之五十。故妾一僵而覆酒、上存主父、下存主母、然而不免於笞、惡在乎忠信之無罪也」。

[52] 冬至以降の八十一日間をいう。

[53] 寒冷のさま。

[54] 森羅宝殿。閻魔殿のこと。

[55] 張儀が蘇秦を発憤させるため、冷たい堂で冷酒を飲ませたという物語があり、元雑劇『凍蘇秦』はそのことを演じている。

[56] 原文「背槽抛糞」。家畜が飼い葉桶に糞をすることから、恩知らずの喩え。

[57] 原文「則我這綿囤也似衣裳」。「囤」は竹・柳の枝・藁・葦などで編んだ細長い苫を巻いて作った囲い。綿囤は綿を貯蔵するための囲い。「綿囤也似衣裳」とは綿置き場のようにふかふかのということであろう。

[58]紅炉は酒爐。皮日休『酒壚』「紅壚高幾尺、頗稱幽人意。火作縹醪香、灰為冬氣。有槍盡龍頭、有主皆犢鼻。倘得作杜根、傭保何足愧」。

[59] 土で作った床下暖炉。

[60]黄ばんだ漬物。貧書生の食事として、元曲に屡見。

[61]官府の規格に従って造られた酒。『斉民要術』法酒に詳しい製法を載せる。

[62] 原文「似吃着無心草、死熬這腌情况」。「無心草」はははこぐさ。図:『三才図会』。ただ、なぜこれを食らうことが「腌情况」なのかは未詳。

[63] 坐って乗ることのできる車。

[64] 覆いのついた車。

[65] 原文「敢是怕我貽累他哩」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[66] 原文「夫人必自侮、然後人侮之」。『孟子』離婁上。

[67] 縫い取りをした掛け布団。

[68]五彩のふさ飾り。

[69] 原文「莫不是夢断茅廬映雪窗」。「夢断茅廬映雪窗」は出典がありそうだが未詳。

[70]山西省産の酒の名。元王伯仁『酒小史』参照。

[71] 枷に掛けられたり、棒で打たれたり、みだりに責めさいなまれることであろう。

[72] 酒のこと。「開埕十里香」という言葉は『燕青博魚』にも見える。

[73] ここでは自らの優れた才能のこと。

[74] 戦国時代、秦の丞相であった魏冉のこと。『史記』穰侯伝参照。

[75] 雌伏している龍。

[76] どこにあっても、困っている人を救うのが第一だという趣旨の諺であろう。

[77] 原文「莫待他年、纔想今日」。後先のことは考えず、今困っている人を救えという趣旨の諺であろう。

[78] 旅路の苦労をいう。

[79] 原文「両輪日月消磨尽」。自分がむなしく時間を費やしていることを謳った句。「消磨」は消費すること。

[80] 原文「偏我被儒冠誤此身」。儒学を学ぶことによって貧乏になったことを謳った句。「儒冠」は儒生の着ける冠。杜甫『奉贈韋左丞丈二十二韻』「紈袴不餓死、儒冠多誤身」。

[81] 戦国時代、魏の都城の東門。

[82] 頭巾。

[83]原文「甚的是白馬戲纓衫色新」。「白馬」「紅纓」は栄達した者の持ち物として元曲に屡見。この句、范雎が「白馬」「紅纓」とは関わりがない、栄達できないことを述べたもの。

[84] 厚織りの絹の袍。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百一頁参照。『史記』范雎伝「范睢既相秦、秦號曰張祿、而魏不知、以為范睢已死久矣。魏聞秦且東伐韓、魏、魏使須賈於秦。范睢聞之、為微行、敝衣阨熹V邸、見須賈。須賈見之而驚曰、范叔固無恙乎。范睢曰、然。須賈笑曰、范叔有説於秦邪。曰、不也。睢前日得過於魏相、故亡逃至此、安敢説乎。須賈曰、今叔何事。范睢曰、臣為人庸賃。須賈意哀之、留與坐飲食、曰、范叔一寒如此哉。乃取其一綈袍以賜之」。

[85]軟らかいさま。

[86] 喜ぶさま。

[87] ひとえの袴。

[88] 前注参照。

[89] 原文「此人綈袍恋恋」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[90] 原文「則咱這義的到底終須義、大夫也、你那親的原来則是親」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[91] 原文「想昔日春秋趙盾、在那翳桑下遇着靈輒、也無過一飯之恩、後来趙盾有屠岸賈之難、靈輒扶輪而報」。「霊輒扶輪」は『蒙求』の標題になっているが、出典は未詳。なお、元雑劇『趙氏孤児』楔子にも「霊輒扶輪」の故事について言及した何処がある。

[92] 原文「可知道来」。未詳。とりあえず、このように訳す。「あなたがお世辞を言っているのは分かっていますよ」という趣旨に解す。

[93] 張禄丞相(すなわち范雎自身)を指しているものと解す。

[94] 賢者を迎え入れる門。ここでは須賈を迎える張禄丞相の家の門を指す。

[95] 漢代、学士が詔を待った門。戦国時代に時代設定したこの戯曲に出てくるのは本当はおかしい。

[96] 原文「没也」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[97] 原文「大丈夫睜着眼做、到今日合着眼受」。元曲で悪事を犯した者が其の報いを従容として受ける際の常套句。

[98] 白衣に同じ。いまだ出仕していないもの。

[99]前注参照。

[100] 「八位」は「八座」と同じで、高官をいう。六部の尚書と左右の僕射。『陳母教子』に用例あり。

[101] 宰相の印。

[102] 漢の陵墓があった地。咸陽の付近。富豪、外戚をここに住まわせた。

[103] 紳士の雅会をいう。

[104] 罪を請う時の決まり文句。

[105] あおぞら。転じて朝廷のこと。

[106] 指を締めあげる拷問具。

[107]麻縄をよりあわせて棒状にしたもの。水を含ませて罪人を敲く。

[108] 前注参照。

[109] これはもちろん、一面に雪が降っているためにきれいな場所ということ。

[110] 「飽鬼」という言葉は未詳だが、「餓鬼」の対義語として造られた言葉であろう。

[111] 刻んだ藁に豆を混ぜたもの。

[112] 「善い境遇にあるものは悪い境遇にある者のつらさが分からない」という趣旨の諺。

[113] 原文「他怎敢輕撩虎狼鬚、快与我搬住猿猱臂」。「他」は執事を指しているのであろうが「虎狼鬚」「猿猱臂」何を喩えているのか未詳。

[114] 原文「我可不干吃你一場虧」。おまえに仕返しをせずにすましたりしようものかという趣旨。

[115] 原文「施僥幸将人陷害」。「たまたまうまく人を陥れたが」ということ。

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