第八十八回

譚紹衣が開帰道[1]に昇任すること

梅克仁が碧草軒で傷心すること

 

 さて、蔡湘は、客がお祝いをいうため、裏門で待っている、客は張正心だ、ということを、紹聞に報告しました。紹聞は、蔡湘に鍵を与えますと、言いました。

「門を開けてきてくれ。僕は双慶児に茶をもってゆかせよう」

 蔡湘が鍵で新しい書斎のドアを開けますと、紹聞はすぐに後からやってきました。そして、張正心を書斎に案内しますと、挨拶をして腰を掛けました。張正心

「あなたの合格の報せは聞いていました。本当は、明日の朝、お祝いにくるつもりだったのですが、小さな南の中庭に来たので、ついでに来てみたのです。夕方の訪問を悪く思われないでください」

「県試にはさいわい合格しましたが、お祝いを受けるわけにはまいりません。長いこと本に親しんでおりませんから、府試でふたたびうまくゆくとは限りません。学台さまが来られた時に、学校に入れなくても、おかしくはありません。張さまは、昼食は召し上がりましたか。家の中に客席が設けてありますから、すぐに食事の用意ができますが」

「小さな南の中庭で食べてきました。今日は伯父の潔斎の日で、家中が精進ものを食べているのです。そうでなければ祝い酒をのませて頂くのですがね。家にいるのはどちらのお客様ですか」

「妻と義母がきているのです」

「お義母さんがお客というのはわかりますが、どうして奥さんもお客様なのですか」

紹聞は笑って

「話せば笑われるかもしれませんが、話さずにもいられません。孔家の死んだ妻は、父親が決めたもので、性格が良く、知恵がありました。ところが、今の妻は、母親が決めたもので、とても孔慧娘には及びません。去年の清明の時、私は彼女と口喧嘩をして、あれを実家に帰らせました。夏、母は孫の事をとても心配して、彼女の家に会いに行きました。ところが、義母と妻は親子して、母を罵り始めたのです。母は腹を立てて戻ってきました。別れて一年近く、こちらからは、誰も向こうに行く暇がありませんでした。ところが、昨日、急にたくさんの贈物が送られてきました。小者は口のきき方を知らない奴で、堂々とこう言いました。『うちのお嬢様が買った贈り物でございます。譚さまのご隠居さまにお祝い申し上げます』。世の中に姑にお祝いを言ったりする嫁がありますか。本当におかしなことです」

張正心は笑いが止まりませんでした。

 紹聞は張正心が何かを言おうとしては黙り、笑ってばかりいるのをみますと、尋ねました。

「何を笑ってらっしゃるのですか」

「私たち若者が話しをするとき、女のことに話がおよぶと、ふざけた話しになるものです。ところがご老人たちが女のことを話し出すと、私たちの話しより優雅で面白いのです。私はわざとこっそりきいたわけではありませんが、たまたま窓の前で硯を洗っていて、小耳に挟んだのです─」

正心は口を噤み、ただただ笑っていました。紹聞は何度も話すようにとうながしましたが、正心は笑って答えませんでした。紹聞が何度も促すと、正心は笑いながら、

「全部話しましょう。昔、程さん、孔さん、蘇さんと伯父たちが、いつも一緒にいたのを、あなたはまだおぼえていますか」

「よくおぼえています」

「あのご老人たちは、顔を合わせると、一日会っただけでも、たくさんの立派なことを話すのです。たまにふざけることがありますが、ちょっと笑うだけです。しかし、あなたの先生の恵聖人が加わると、老先生方は彼を笑いの的にするのです。恵人老さんはもともと『四畏堂』で第一の席を占めていた人[2]です。あなたの先生の奥さんは獅子か狻猊[3]のようで、ちょっと話しをしただけで、地が動き、山が揺らぐのです。ある日、老先生たちがうちで話をしていたとき、私はたまたま中庭で硯を洗っていました。すると、恵人老が『五経』『四書』程子の本義、朱子の集注、蔡九峰[4]の集伝の話をしだしたのです。あの数人の老先生は、先生と難しいことを論じあっていましたが、恵人老が解説することができませんでしたので、みんな嘲笑っていました。ところが、どういうわけか、あなたの先生が恐妻家であることに話がうつったのです。人々は言いました『老先生は聖人なのですから、聖人のことを話して奥さまを教化されてはいかがですか。』。恵人老『偽らずに申し上げましょう。私にはまったく非はなく、すべては家内が悪いのです。それに、家内は喜んだり怒ったりして定めがありませんから、聖人の言葉など、役にはたたないのです』。程おじさんは言いました『聖人の言葉に、奥さまを従わせることはできず、あなた自身が従っているのですね。奥さんに小さな間違いがあれば、あなたは、聖人に『小過を赦す』[5]という教えがあるといい、奥さんに大きな間違いがあるときは、あなたは、聖人に『大眚を(ゆる)す』[6]という言葉があるといい、奥さんが怒っていて、あなたに勇気がないときは、あなたは聖人の『宴昵の私は、動静に(あら)わさず』[7]という言葉に従い、奥さんが喜んでいて、あなたに勇気があるときは、あなたは、聖人の『惰慢邪僻の気は、身体に設けず』[8]という言葉に従うのですね。老先生たちは、部屋の中でどっと笑っていました。私は若造ですから、笑い声をたてるわけにもゆかず、硯を置いて、鼻をおさえて急いでかけてゆきました。私は、今日、あなたが合格されたので、聖人先生の教えを、あなたに授けましょう。あなたの奥さんが実家に戻ってあなたが迎えにくるのを待っているなら、あなたは聖人の『節若たらざれば、則ち嗟若たり』[9]という言葉に従うのです。今日は戻ってきたのですから、あなたは聖人の『すでに之を来たせば、則ち之を安んず』[10]という言葉に従うのです。ペッ、聖人を馬鹿にすることをいってしまいました。失言。失言。もう遅いですから、私は、もう一度、南の中庭に弟を見にいってから、伯母と一緒に帰ります」

 張正心は行こうとしましたが、急に用事を思い出して、言いました。

「無駄話しをしていて、大事なことを忘れていました。今朝、三皇廟[11]の入り口に、詐欺を禁じる告示が張り出されていました。二度読んだので、まだ少し覚えておりますから、お聞かせしましょう。

河南開、帰、陳、許の駅、塩、糧道の監督を任され、二級を加えられ[12]、一級を隨帯[13]され、紀録[14]を八回受け、一回の大功を紀録された譚が、詐欺を防ぐために告示する。

本官は本籍は丹徒にあり、代々科挙に合格し、国のご恩を受けてきた。そして、浙江省の官となり、軍功によって湖広荊州知府を授けられ、陛下に謁見して請訓[15]し、特別に河南観察[16]の重任を与えられた。本官は一人立っているとき、一人寝ているときでも品行を堕とさないことを誓い、薄い冰や深い淵に望むときのように恐れ慎んで言葉を喋っている。また、慈悲の心を持ち、節操を保つように努め、少しでも僣越なことをして、上は朝廷から職を委ねられたご恩、下は先祖が自分を教育してくれたご恩に背くことがないようにしている。これは、本官が暗い部屋や部屋の奥深いところでも天の太陽に顔向けでき、鬼神に誓うことができることである。しかし、江南と中州とは、二つの省に分かたれているとはいっても、実は隣同士である。不法の徒が、本官の姻親、一族の名を称し、わが故郷の言葉をまね、儒衣に着替え、寺院や道観に潜み、旅館に寄寓していることであろう。河南は純朴な地域で、民は魯鈍であり、人を騙すのは簡単である。彼らは、裁判のときは思い通りに本官を動かすことができるといったり、税金を融通することができるといったり、情実にたよるときは間に立って話をすることができるといったり、会って賄賂を贈るときは立ち会うことができるなどといったりする。しかし、本官の一族は清らかであり、ある者は遠方に仕官して長いこと音信が隔たっていたり、ある者は家塾で勉強をして家を出なかったりしており、天下を転々としたり、役所に住み込んだりするという悪い習癖はもっていない。そこで、掲示を出して寺院、道観に通知し、商店、旅館、茶屋、酒屋等に伝える。各自(本官の親戚と偽称する者の)容貌、挙止、旅装、従僕を細かく調べ、少しでも疑わしいところがあれば、すぐに申告し、追及に委ねよ。勝手に匿ったり、ぐるになって詐欺を行って、本官の調査を受けたり、人に告発されるにことがあれば、本官は必ず厳刑をもって処罰するであろう。主犯を杖で打ち殺す以外に、関連している者も、かならず草の根を分けて探しだし、法を尽くして懲罰を行うであろう。本官の言葉は矢、執行する法は山のようであり[17]、法を不肖な者のために曲げることはできない。云々。

譚さん、私はあなたの家の原籍が丹徒だったように記憶していますが、このお役人はあなたの本家の人ではありませんか」

「十中八九、間違いありません。しかし、私は、先日盛家で『爵秩全冊』を見ましたが、丹徒の兄は湖広荊州府の太守[18]だと書いてありました。もう一度最新の『爵秩全冊』を見れば、はっきりするでしょう」

「それは違います。私たちのような一介の読書人の家に、急に親戚が自分のところの大官としてやってきますと、物の分からない人間は光栄だと感じますが、物の分かった人間は恐ろしいことだと思うのです。私たち無位無官の家は、決して権力をかさにきるような心はないのに、無知な小人は、私達の家に群がろうと思うのです。これは命に関わることですよ。この人が本家のお兄さんなら、譚さん、この省城の地では、門を閉ざし、塀を越えても小人から逃れることができないかもしれませんよ」

「それでは、私はどうしたらいいのですか」

「街に足を踏み入れず、巷に姿を出さず、門を閉ざして子供に勉強を教えることが、自分を大切にし、子供を愛し、族兄を愛するということです。残念ながら、あなたは役人ではありません。役人ならば、回避[19]の事例があるのですがね」

 二人は話をおえますと、門を出ました。正心は振り返ると言いました。

「始めにお話ししたご老人たちのおふざけは、ろくでもない話しですから、『白雲空に向かいて尽く』[20]ということにしてください。後で話した丹徒のことは、一句一句心に刻んで、よく覚えておいてください」

拱手するといってしまいました。

 さて、河南の開封府、帰徳府の道台とは、何者でしょうか。果たして江南鎮江府丹徒県の譚氏宜賓派の末裔譚紹衣でした。

 譚公は、赴任してから、孔子廟に参拝し、巡撫にあい、布政司、按察司にあい、官員を引見し、十日間を慌ただしくすごして、ようやく少し落ち着きました。彼は族叔の譚孝移は八十を少しすぎているはずだと思っていましたが、健康なのか弱っているのか、どうしているのかは分かりませんでした。ある日、梅克仁を書斎に呼んで話をしました─実は、梅克仁は譚家の家生子でしたが、細心できちんとしており、とても有能だったので、譚道台は彼を腹心にしていたのでした─言いました

「昔、おまえに譚孝移さんに手紙を届けてもらった。譚孝移さんも今では年をとられたはずだ。おまえは覚えているだろう。以前、手紙を出したが、譚孝移さんからは返事が来なかった。おまえは門番になってから日が浅いし、人々もお前のことをよく知らないから、変装をして役所を出て、譚孝移さんのところへご機嫌伺いに行ってくれ。そして、よく様子をみて、わしに報告をしてくれ」

 梅克仁は主人の命令を受けますと、破れた袍に古帽子、革の帯に泥靴という出で立ちで、大通りに行きました。街には楼房が増えており、店もたくさん増え、昔と比べて賑やかになっていました。それでも、譚家の旧宅らしきところをみつけることができました。昔通った門楼に着きますと、入り口に「品卓行方」の金字の慴額が掛かっており、横には譚某の諱が書かれていましたので、心の中でこう思いました。

「これは私たちの家の先代さまの名前だ。どうして倒座[21]の向かいの部屋が、北京の物産を売る店になっているのだろう」

 梅克仁は店の階段をのぼり、一本の手巾を買いたいと言いました。一人のボーイが手巾をもってきました。値段を告げられますと、梅克仁は三十文の制銭で買い、ついでに尋ねました。

「こちらはどなたのお家ですか」

数人の店員は、誰も答える事ができませんでした。梅克仁はさらに言いました。

「一匹の青い絹をもってきてみせてください」

年長の者が、棚から一匹の絹を取ってきました。梅克仁は一目で気にいりましたので、言いました。

「値段を言ってください」

「包みをだして銀の質をお見せください。足紋[22]か、元絲[23]かを見てから、値段を申し上げましょう」

梅克仁は懐から財布を取りだし、七八個の粒銀を並べました。すべて氷紋でした。男「いい銀子ですね」

ボーイは茶を一杯持ってきますと、席を勧めました。梅克仁は腰掛けて値段を交渉しました。片方は値段が高いと言い、片方は値段を譲りませんでした。話の最中に、梅克仁は一言尋ねました。

「ここはどなたの市房ですか」

「弊店が抵当にとった譚若さまのお家です」

梅克仁は心の中で驚きました。

「まずい。譚孝移さんが亡くなったんだ」

そして、すぐに相手のいう通りの値段の銀子をはかりとりますと、財布に入れ、絹も懐に押し込んでゆこうとしました。男

「もっとお茶をどうぞ」

梅克仁は首をふり、拱手しますと去ってゆきました。

 幾つも角を曲がって、見覚えのある土地廟を通り、以前歩いた小さな路地を進みますと、碧草軒につきました。入り口に着きますと、すっかり家の様子がかわっていました。小さな木の牌坊には、四つの大文字で「西蓬壺館」と書かれており、下には「宴会準備いたします」という字が添えられていました。柱には赤い長い紙が貼ってあり、本館にて某月某日、宴会を開きますと書かれていました。梅克仁はそれを見て七八割方察しをつけますと、中に入りました。幾つかの新しい建物が建っていました。隣の中庭では、鶏や鵝鳥をつぶしたり、葱や竹の子をむいたり、肉をそぎ、餅を焼いたり、酒を漉し、ご飯を炊いたりで、がやがやとしていました。花壇が跡形もなくなっていたのはいうまでもなく、何本かの老梅、数本の長竹も、すべて無何有の里へと去ってしまっていました。そして、一本の曲がった老松だけが、生臭い空気の中に残っていて、ひゅうひゅうという音を響かせていました。

 梅克仁は座席を選んで腰を掛けました。建物の中を見てみますと、一つのテーブルでは、書吏、下役が客をもてなしているようでした。一つのテーブルには四五人の秀才らしき人物が座っていました。さらにもう一つのテーブルには従者の様な身なりの者もいました。あるテーブルではかなり酔いがまわり、あるテーブルではほろ酔いで、杯や盤が散らばり、話し声が騒がしく響いていました。梅克仁はとても不愉快な気分になりました。やがて、給仕人がやってきてテーブルを拭きますと、尋ねました。

「お食事になさいますか。お酒になさいますか」

梅克仁が黙っていますと、給仕人はぺらぺらと、

「蒸し肉、炒め肉、焼き鳥、裂いた鴨、鯰に鯉、豆腐干にもやし、粉湯に鶏スープ、にんにくに竹の子、紹興の木瓜老酒、山西の尊酒……」

一気に数百文字を喋りました。滑らかで、まるで繋がりあった真珠のようでした。しかし、梅克仁はそれを聞こうともせず、言いました。

「しばらく向こうへいっていてくれ」

そこで、給仕人は幾つかのテーブルゆきました。そして、戻ってきますと、

「ご注文を」

梅克仁は考えごとがありましたので、口から出任せに言いました。

「鯉を一皿、炒め肉を一皿、ご飯を二皿、紹興酒を一瓶だ」

 梅克仁が座っているテーブルは会計のテーブルの近くでした。会計をみると老人でしたので、尋ねました。

「ここは昔は譚家の家だった。私は来たことがあるんだ。譚家は、今はあんたと一緒に店を開いているのかい。他人に店を開かせて、一年に一度家賃をとっているのかい」

老人は、

「ここはもともと譚家の大旦那さまの書斎でした。ところが、大旦那さまが亡くなって─」

といいますと、口をつぐんで、勘定を始めました。そして、銅銭を銭櫃にちゃりんと入れますと、ふたたび

「大旦那さまが亡くなってから、若さまは幼く、しっかりした考えがありませんでしたので、悪の道に引き込まれ、家が没落したのです。ここは私たちの店主が一千数両で買ったものです」

梅克仁

「今、その若さまはどうしてらっしゃる」

老人は勘定を終えますと、さらに続けて言いました。

「今ではその若さまは改心され、最近の県試で、案首に選ばれました。そして、息子さんとともに、この西の小さな書斎で本を読んでらっしゃいます。十四歳の息子さんも上位何番目かに合格しました」

 梅克仁はその話しを心に刻み込みました。酒と食事を終えますと、代金を払い、礼を言って外に出ました。そして、西の書斎にやってきて、本を読む声を聞きましたが、顔合わせはしませんでした。掛け金は外から掛けられており、門には「無用の者入るべからず」という貼紙がありました。耳を澄まして聞いてみますと、中からは、一人が大声で朗読をする声、もう一人が幼い声で、はっきりと朗読をする声が聞こえました。梅克仁は密かにこう思いました。

「これは我々南方のやり方にそっくりだ。これなら大丈夫だ」

そして、行動を悟られないように、先ほど歩いてきた道を通って、役所に報告をしにゆきました。

 これぞまさに、

富んだとて駟馬の車を自慢すな、

驕りを捨てて粗末な家に戻るべし。

立ち戻る渡し場はいづこにありや、

書架の上なる埃まみれの数巻の書に。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]開封府、帰徳府の道台をいう。

[2]恐妻家のこと。「四畏」とは、宋の王欽若の夫人の嫉妬が激しかったので、楊文公がその庭にある三畏堂の三畏─天命、大人、聖人の言─に夫人を恐れる一事を加えて四畏とせよといって戯れたという故事に因む言葉。『聞見録』「王文穆夫人悍妬、後圃中作堂、名三畏、楊文公戯言曰『可改作四畏』、公問其故、曰『兼畏夫人』」。

[3] 『爾雅』釈獣によれば、虎や豹を食べる獣であるという。郭璞は『爾雅』に注して狻猊とは獅子であるという。『爾雅』釈獣「狻麑如[戈戈虎」猫、食虎豹」郭璞注「即師子也、食虎豹」。 図『三才図会』

[4]南宋の儒学者。

[5] 「小さな過ちを許す」。『論語』子路。

[6] 「大きな過ちを犯した者を許す」。『春秋』荘公二十二年。

[7] 「喜び、親しみの心は行動に現さない」。漢の匡衡が、『詩経』關雎「窈窕淑女、君子好仇」を解釈したときにいった言葉。本来は「宴私之意不形乎動靜」。『漢書』匡張孔馬傳「臣又聞之師曰『妃匹之際、生民之始、萬福之原』。婚姻之禮正、然後品物遂而天命全。孔子論詩以關雎為始、言太上者民之父母、后夫人之行不r乎天地、則無以奉神靈之統而理萬物之宜。故詩曰『窈窕淑女、君子好仇』。言能致其貞淑、不貳其操、情欲之感無介乎容儀、宴私之意不形乎動靜、夫然後可以配至尊而為宗廟主」。

[8] 『礼記』楽記。「怠惰、傲慢、邪悪の気を身体に潜ませない」。ここでは、臆病な態度をとらないということ。

[9] 「意志が弱くて節制を守ることを知らなければ、やがて嘆きいたむような結果をもたらす」。『周易』節。

[10] 「なつけてからそれを安定させる」。『論語』季子。

[11]上古の三人の帝王。諸説あるが、『周礼』春官、外史によれば、伏羲、神農、黄帝のこと。

[12]原文「加二級」。加級」とは官員考核の成績が優良だったり、功績があったものを奨励するための制度。紀録は一次、二次、三次の三等に分かれており、加一級は紀録四次に相当する。

[13]軍功によって級を加えること。

[14]功績を記録すること。

[15]三品以上の地方官が赴任のとき陛下に謁見して上意を受けること。

[16]道台(省と府の間に設けられた道の長官)の雅称。

[17] 「一度言ったら変更はない」の意。

[18]知府の雅称。

[19]親戚同士が同じ省で役人になってはいけないという規則。

[20] 「白雲が空で消える」。「水に流す」の意。

[21]正房の向かい側の部屋。南房ともいう。

[22]純良最上の紋銀。

[23]元宝を作るのに用いた銀。

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