第七十六回

冰梅が婉曲に主人を諫めること

象藎が激昂して悪人を殴ること

 

 さて、譚紹聞が家に戻りますと、ケ祥、蔡湘、双慶児はそれぞれ手分けして道士を追い掛けました。徳喜児は病気が治っておりましたので、曹門へも追い掛けていきました。しかし、どこにも人影はありませんでした。ケ祥だけは、南門の外で、一人の老人が箱をかついでいたという消息を得ましたので、大またで、一生懸命に追い掛けました。二三十里追い掛けますと、前方の遠くない所に、それらしい老人がおりました。しかし、飛ぶようにして追い付きますと、箱を担いでいたのは、省城からでんでん太鼓を鳴らしながらやってきた物売り、籠を担いでいたのは、柿売りでした。ケ祥はひどくがっかりし、しょげて戻ってきました。

 紹聞の家では、泥棒に入られたような騒ぎでした。しかし、泥棒が入った家なら、塀を越えたあとや、鍵をこじあけたあとがあったり、犬がはりねずみのように縮こまっていて役に立たななかったとか、人が死んだように眠っていて目を覚まさなかったとか言うことができるものです。しかし、道士に銀子を奪われたことについては、何も言うことはできませんでした。紹聞は戻ってきた者たちの話しを聞きました。ケ祥の話しは、前半は聞くに値するものでしたが、後半は意味のない話しでした。紹聞は、さらに人々から文句をいわれ、ひどく不愉快になりました。巫氏の部屋に行って一眠りしようとしましたが、そこでは乳を飲ませたり、臍の緒を切ったりしていました。そこで、仕方なく楼に上がり、銅銭の鋳型を冰梅の化粧箱の中に入れ、冰梅の寝台で、頭から布団を被って寝てしまいました。

 やがて、冰梅が楼に来て、茶を飲むかどうかと尋ねたので、紹聞は答えました。

「いらないよ」

冰梅は、化粧箱の中に、繋がった銅銭が置いてありましたので、取り出して明るい所で見てみましたが、とても怪しいと思いました。銅銭はとても新しく、一つに繋がっており、見たこともないものでした。冰梅は、道士が錬金術を行うことができるから、銅銭を鋳造することもできたのかもしれない、きっと違法な物に違いない、目が覚めたら事情を尋ねてみようと思いました。紹聞は一眠りすると目を覚まし、楼で点心を食べ、ふたたび興官児と一緒に眠りました。晩になって、冰梅はご隠居さまを寝かしつけますと、明かりをつけ、恭しく紹聞の前に来て、うちとけた話しをしました。紹聞は優しくされますと、だんだん嬉しそうな様子をみせました。そこで、冰梅はたずねました。

「この五つの銅銭はどうして一塊になっているのですか。これもあの道士が置いていったものなのですか」

「違うよ」

そして、朝、城隍廟で、夏鼎によって家に呼ばれ、銅銭を鋳造することについて相談したことを話しました。

「これはあいつが僕にくれた銅銭の見本なんだ。あいつは僕に銅銭を鋳造するかどうか考えてくれといったんだ」

冰梅は小声で、

「いけないことなのでしょう」

「違法な事だ。僕もやってはいけないことだと思っているんだ」

冰梅は話しを聞いてもらえると思いましたので、急いで寝台の上の掛布団と敷布団を振るって綺麗にし、紹聞の靴と靴下を脱がせ、寝台の上に座らせ、掛布団を半分被せました。そして、両手で紹聞の右手を取って、笑いながら、

「若さまとお話がしたいのです」

紹聞は思わず楽しくなって、笑いながら

「言ってごらん」

「私はこの家の下女でしたが、若さまのお引き立てで、この家の一員になることができました。興官児も、なかなかいい子のようです。亡くなった孔奥さまは私に良くしてくださり、張さまの奥さまのように醜態をさらすことはありませんでした。私は若さまの妾ですが、年は同じぐらいです。私は貧しい家の娘で、下女に売られたのに、このような地位を得る事ができました。うまれた男の子には、将来の見込みもあります。私は若さまがいらっしゃらないところではいつも、自分は幸せだといっているのです。しかし、若さまが今までなさってきたことは、多くはご自分の意思によるものではありませんでした。夏鼎たちのあの手この手のせいで、若さまはあいつらの仲間にならざるをえませんでした。これは若さまが悪かったからではありません。私は、今まで若さまをお諫めしようと思ってきましたが、身分が低く、言葉も軽薄なので、若さまの前で勝手なことを申し上げるわけにはいかず、若さまにお仕えして喜んで頂けることだけを、私の務めとしてきたのです。お話をしても聞いていただけなければ、その次からはますます口を開くことができなくなりますからね。若さま、そう思われますでしょう」

紹聞も思わず左手をのばし、四つの手をからめあわせますと、言いました。

「僕が今までしてきたことが、おまえの気に入らないことは分かっていたよ。だが、おまえは今まで僕に一言もたてつかなかった。おまえが心の中で不満を感じていたのは、みんな僕がろくでなしだったからだ」

「若さま、そんな事をおっしゃらないでください。私は女ですので何も分かりません。それに、私はもともと若さまをお諫めするべきだったのです。私が道理をわきまえているから若さまをお諫めしているのではなく、すべては前の奥さまが亡くなられるとき、私に言い残されたことなのです」

紹聞は耳元で

「あの賢い人は、惜しいことをしたよ。今の女房は、容姿も少し劣るし、心根も、ずっと劣っているよ」

このとき、紹聞、冰梅はすでに二つの体をよせ合っていました。冰梅は紹聞が愛おしそうにしているのをみますと、自分の話を受け入れてもらえるだろうと思い、にこにこしながら、

「銅銭鋳造の件で、若さまをお諫めしようと思っていたのですよ」

「違法な事だから、やめようと心に決めていたんだ」

「やめたのなら、どうしてこんな銅銭の見本を持っているのですか。わずかな泥や水がありさえすれば、あの夏鼎はご飯を炊くことができるのですよ[1]

「銅銭鋳造は、絶対にしないから、気にする必要はない。しかし、今は負債が多すぎるために、借金取りが家に押し掛けている。済寧でもらった銀子は、奪われてしまったし、盛兄さんはまだ僕たちの百二十両を借りたまま家を留守にしている。さしあたりどうしたらいいだろう」

「私には何も分かりませんが、生活が苦しいので、三四の方策を考えてみました。若さまにお話し致しましょう。いい考えかどうかお考えになってください」

「言ってごらん」

「一つは王中を呼ぶことです。王中は真面目な男ですから、あの人がいれば丹薬を燃やしたりすることはなく、銅銭を鋳造することもないでしょう。あの人は、あらゆる害悪を防いでくれます。ご隠居さまは王中を気にいってらっしゃらないようですが、私たちでとりなしてみましょう。奥さまがあの人を受け入れないときは、私がやんわりとお諫めし、趙大児に今度産まれた若さまのおもりをさせることにすれば、このことは八割方うまくいくでしょう」

「二つ目は」

「二つ目は、下男たちを首にして、彼らに行き先を探させるのです。昔、私たちが豊かだった頃には、みんな熱心に仕事をし、気をきかせていましたが、私たちが苦しくなりますと、みんなぶらぶらし、口応えをするようになりました。それに、この家でも彼らを養いきれません。昔から、食糧をふやすには口減らしをするのが一番といいます。彼らが私たちに従おうとしないのですから、彼ら一人一人にやんわりと言葉をかけて、追い出すのがいいでしょう。水が尽きてから鵝鳥が飛ぶようなことになるよりも、水が少し残っているときに、彼らを先に飛ばしたほうがいいでしょう」

「三つ目は」

「三つ目は、おもての中庭をしきって、多額の借金がある客商を選んで、彼らに貸し、毎年家賃を借金から差し引くのです。二度とおもての中庭でろくでもないことをしてはなりません」

「四つ目は」

冰梅は笑って

「四つ目は、『先生』が出産されたので、若さまが勉強を教えてやらなければなりません。興官児は─自分の産んだ子だからほめるのではありませんが─、若さまもあの子が立派だと思われるでしょう。先日、叔父さまがあなたを責めてらっしゃいましたが、すべてまともなお話しでしたよ」

「お前が言ったことはどれもいいことばかりだ。ただ、今は生活が苦しいからな」

「とにかく王中を呼べば、万事うまくいきます。王中がこなければ、すべて若さまに考えていただかなければなりません。今の私たちは、ご隠居さまに生臭物を出すのを絶対に欠かしてはいけません。夏は涼しい場所が必要ですし、冬は炉に炭を入れ、寝台には綿の布団を用いなければなりません。他の者は、粗末な茶やご飯で大丈夫です。若さまが興官児に勉強をさせてくだされば、私は、豆腐をつくって売ることになろうと、モヤシをつくって売ることになろうと、台所で苦労をしようと思います」

紹聞は笑って

「誰が売りにいくんだい」

「王中が売ることができます。ケ祥、蔡湘は、売ろうとはしないでしょうし、双慶児、徳喜児は、仕事に関わろうともしないでしょう」

紹聞は溜め息をついて、

「将来、豆腐、モヤシをつくって売ることになるのか。油もきれたから、寝ることにして、明日、もう一回相談しよう」

 そして、服を脱いで眠りました。ねぐら[2]や棚にいる鶏が、早くも高らかに鳴きはじめました。

 さて、次の日の朝食の後、すぐに数人の借金取りがやってきました。紹聞は借金を返済する事ができませんでした。借金取りからは、嫌味を幾つかいわれました。

 さらに一日たちますと、朝、夏鼎が門を叩きました。双慶児が門を開けますと、夏鼎が鋳物師を一人連れ、荷物を担いで入ってきました。双慶児

「何をする積もりなのですか」

夏鼎

「あんたの家の若さまが幾つか銅器を作るから、僕に職人を呼んでくるようにと言ったんだよ。奥へ行って伝えてくれ」

双慶児は東の楼の前に来て言いました。

「表にお客さまです」

紹聞は楼の窓から頭を出して、下に向かってたずねました。

「誰だい」

「城隍廟の裏の人に決まっているじゃないですか。鋳物師を連れていますよ」

冰梅は紹聞を引っ張って、

「家にいないといってください。双慶児にあの人を追い払わせてください」

紹聞は双慶児に向かって

「僕は家にいないといってくれ」

しかし、楼が高く、大声を出したので、夏鼎に聞き付けられてしまいました。双慶児が客間に来て、口を開こうとしますと、夏鼎

「楼の上からあんたに家にいないと言ってくれという声がしたね」

双慶児

「地獄耳ですね」

「俺の耳が鋭いんじゃないよ。あんたのご主人が生まれつきの貴人さまで、声がよく響くんだよ。はやく出てきてもらいたいものだな。俺が立ちながら話しをするのを待っている、家には奪われるような物もないのに、何を恐れているんだといってくれ」

双慶児は戻ると言いました。

「あの人は帰ろうとしません。どうしても若さまに会いたいということです」

冰梅は楼で言いました。

「本当に家にいないと、返事をしておくれ」

ところが、夏鼎は早くも東の側門の入り口に来てわめきました。

「出てこいよ。ぐずぐずするなよ」

巫氏はそれを聞きますと、樊婆を呼んで言いました。

「子供が生まれたばかりだから、知らない人に大声をたてさせるのはよくない。出ていってあの人に、表で話しをしようと言っておくれ」

紹聞は仕方なく楼から降りますと、広間にやってきました。

 夏鼎

「君は先日二人の破軍星[3]を家に入れて、人に知られるのを恐れていた。今日はまともな増福財神[4]がやってきたのに、嘘をついて出てこないとはな。君は今一文の銭もなくのにびくびくするのかい。盛兄さんが戻ってきて、君に銀子を返したら、君がふたたび心配をするのも、尤もな事だがな。帳房についてきてくれ」

 帳房に着きますと、銅匠が壁の高さ、門の曲がり具合を見定めており、紹聞を見ますと、挨拶をしました。夏鼎

「この人は何という名字で、許人という名前だ。銅器─碗、杯、小皿、匙─が必要なら、何でも上手に作れるよ」

紹聞

「古い物は壊れていますし、新しい物を作ることはできません」

銅匠

「古くて使えないのなら、溶かせばいいのです。放っておいても役にはたちませんが、壊せば役に立つのです。喉が乾いたので、一杯お茶をください」

紹聞は双慶児に茶を持ってこさせました。銅匠は誰も目の前にいないのを見ますと、いいました。

「ここに炉を掘り、ここに横穴を開けましょう。表門に鍵を掛けて、仕事にとりかかりましょう」

紹聞「話しはよく分かったよ。ただ銅の煙はひどくて、隠すことができないと聞いているよ。それに銅の臭いでいぶされて、隣近所が苦情をいって騒ぎ出すかもしれないから、どうしてもできないよ」

夏鼎「銅の臭いは最高の香りだから、隣近所も臭いを嗅げるのなら、いいことじゃないか。何さん、新しい銅銭を出して、譚君に見せてやれよ」

何銅匠は二百銭を取りだしました。紹聞は銅銭の輪郭がしっかりしていて、字もはっきりしているのを見ますと、心の中でふたたび欲心を起こしました。

銅匠「若さま、怖がられる必要はありません。私は、このお屋敷を借りて、入るときも出るときも鍵を掛け、毎日、街や盛り場で商売をするだけのことです。晩になったら戻ってきて、あなたが銅をもっていれば、あなたのために鋳造をし、私の部屋代ということにいたしましょう。毎晩百十文を造るだけですし、大きな炉も使いませんから、怖いことなんてありゃしませんよ」

夏鼎

「他にも一か所大きな郷紳の家があって、今、主人が家にいないんだ。戻ってきたら、俺たち二人が口利きをするから、大々的に仕事をしようぜ。銅を買う者は銅を、鉛を買う者は鉛を買い、銅銭を売る者は銅銭を売るんだ。そうすれば大金をもうける事ができるぞ。今はちょっとだけ鋳造をして、譚君が毎日青菜を買えるようにしてやるだけだがな」

 紹聞はもともと気の弱い性格でした。それに、人間というものは、どうしても欲に目がくらんでしまうものですから、心の中で、昨日の晩に冰梅と話したことは少し言い過ぎだったと思いました。さらに、盛公子が戻ってきたら、八九割は銅銭を鋳造するだろう。あの人の屋敷は大きいし、庭は奥深いし、満相公はあらゆる事に融通がきくから、と思いました。今、銅銭を鋳造する事を断ってしまったら、盛家で大々的に銅銭を鋳造するときには、仲間に加わりにくくなると思いました。そこで、心を変えて、話に同意してしまいました。

 さて、冰梅は銅銭の鋳造が行われるのではないかと心配になり、双慶児が戻ってきますと、尋ねました。

「何を慌てているの」

双慶児

「表で茶を出すのです」

「表へいって、何を話しているか聞いてきておくれ。私は樊婆さんに茶をもっていかせるから」

双慶児は、すぐに帳房の窓の外に行き、話をききますと、城隍廟の裏の男が銅銭を鋳造することを話していると報告しました。冰梅は怖くなりましたが、どうしようもありませんでした。

 双慶児に若さまを呼び戻させて話をしようと思ったとき、ちょうど王象藎が二つの罐をさげ、漬け込んだ鹹菜[5]をもってきました。彼は他にも籠一杯の柿をもっていました。そこで、冰梅は一計を思い付きました。王象藎は、堂楼につきますと、野菜を王氏に渡して、言いました。

「この菜園の茄子は、私の家で酢でしめたものです。これは醤油漬けの胡瓜です。ご隠居さまのご飯のおかずにしてください」

「気を使ってくれて。娘は大きくなったかい」

「畦をかえたり、草をむしったりすることができます。若さまは」

「表に客がいてね」

「興官児さまは」

「東の楼で本を読んでいるよ」

「結構ですね。興官児様にも柿を一籠煮てさしあげました」

そして、東の楼の入り口に行きますと、興官児が楼の上で本を読んでいるのが聞こえましたので、思わず喜んで、叫びました。

「興官児さま、ちょっとお休みになって、楼から降りてきて甘い柿[6]を召し上がってください」

冰梅には計略がありましたので、興官児をひっぱって柿を受けとりにきました。そして、王象藎に近付きますと、こっそり言いました。

「表の帳房で銅銭を鋳造しようとしています」

そして、興官児が柿を受け取りますと、興官児を引っ張って楼に上がっていってしまいました。

 王象藎はその一言を聞きますと、ぞっと身震いし、心の中で思いました。

「どうしたらいいんだ」

すると、双慶児が茶を持ってきて、いいました。

「王さん、こんにちは」

「表にいるのはどこのお客様だ」

「城隍廟の裏の方です」

「城隍廟の裏の方とは誰だ」

「瘟神廟邪街の方です」

王象藎はようやく夏鼎であると分かりました。王象藎は双慶児を掴まえて

「あいつがまた何をしにきたんだ」

「口では申し上げられません。見にいかれてみてはいかがですか」

「他に誰がいるんだ」

「銅匠がいます」

王象藎は冰梅の言葉が嘘ではないことが分かりましたので、すぐに双慶児と一緒に帳房に行きました。

 王象藎は中に入りますと、紹聞に向かって言いました。

「若さま、こんにちは」

夏鼎はびっくりしてとびあがりました。王象藎は数本の炭、白い灰の山、さらに二三個の鍋があるのを見ますと、先日、錬金術を行ったときの灰とは知らず、銅銭を鋳造して出た灰だと思いました。さらにテ─ブルの上に二百銭がありましたので、手にとってみてみますと、大きくもなく小さくもなく、本物そっくりにできていて、しかも新品でした。そこで、王象藎は、夏鼎の目の前にいきますと、ぐいと喪服を引っ張り、銅銭を持ったまま顔を殴り付けました。夏鼎は後ろへよけましたが、拳は鼻に降り下ろされ、二つの穴からは血が滴りました。何銅匠は急いで手をひっぱりました。そうしなければ、夏鼎はもう一発殴られて、大変なことになっていたことでしょう。王象藎は罵りました。

「悪党め。馬鹿者め。この家の財産を失わせた上に、命まで奪う積もりか。今日はおまえと刺し違えてやる」

紹聞

「王中。気でも狂ったのか。何て乱暴なことをするんだ」

「若さま。私はこの馬鹿者を殴り殺し、牢屋に入れられ、死刑になろうと思います。こいつを殴り殺さなければ、こいつが若さまを牢屋にいれることになるでしょう。銅銭を私鋳するのは、犯罪ではありませんか。私はこいつを殴り殺し、当面の害を除き、今までの仇に報いようと思います。私の命など何の値打ちもございませんから、死んでも後悔は致しません」

手を振り上げますと、ふたたび殴り始めました。夏鼎

「王中さん。出ていけばいいんだろ。二度とこの家に来ないことにするからさ」

「馬鹿者め。逃がしてなるものか。役所に出頭すれば、まずお前たち二人は牢屋に入れられ、首をちょんぎられるぞ」

何銅匠は「役所に出頭する」という言葉を聞きますと、さっさとふいごを手にとり、天秤棒の荷物を担いで、かき消すように逃げてしまいました。紹聞は手をおさえて、言いました。

「出頭するというが、僕もひどい目に遭うじゃないか」

王象藎

「私は代書屋に若さまの訴状を書かせ、私が訴状を役所に届けて訴えを起こしましょう。本来なら若さまが出頭され、この馬鹿者を告訴されるべきですが」

そして、夏鼎を門の外に引っ張っていきました。夏鼎は銅匠が逃げてしまったのを見ますと、いいました。

「出頭するというが、証拠があるのか」

王象藎

「この二百銭が動かぬ証拠だ」

「それは俺が毎年ためたものだぞ」

「まだ口答えするか。毎年ためたものというが、どうしてこんなに新しく、こんなにざらざらしているんだ。役所に行って話をしよう。俺についてこなければ、郷約や地保を呼んでくるぞ」

夏鼎は慌てて、言いました。

「王中さん、馬鹿な俺を許してくれよ。二度とこんなことはしないからさ」

紹聞は怒って

「王中、王中、もうたくさんだ。双慶児、この気違いを引っ張っていってくれ」

双慶児は、王中を力一杯引っ張りますと、言いました。

「王さん、行きましょう」

王中はなおも放そうとはしませんでした。紹聞は王中の手をひきはがし、双慶児は王中を引っ張っていきました。しかし、王中は帳房を出ても、さらに罵りました。

「あの生き馬の目を抜く奴め。今度会ったら、刀であいつを突き殺して成敗してやる」

 双慶児は、王象藎を引っ張って行ってしまいました。紹聞は拱手して跪きますと、言いました。

「すまないことをしました。叩頭いたしましょう」

そしてお詫びをしました。夏鼎も跪き、何度か頷きますと、言いました。

「何も言わないよ。いいんだ。いいんだ。鼻を洗う水を持ってきてくれ。僕は帰るから」

紹聞は双慶児に盥に入れた水をもってこさせました。夏鼎は鼻を洗いますと、言いました。

「譚君、僕の喪服についた血を見てくれ。これでは街を歩けないよ。誰かに尋ねられたら、譚家の下男にぶたれたと言えるかい。僕のまずい顔なんか、三文の値打ちもないが、君の家の躾がなっていなかったのは残念だね」

双慶児

「脱いでください。私があなたのために水でもんで、綺麗に洗えばいいでしょう」

夏鼎

「胸の前に模様がついたのは結構なことだ。これこそ友人の赤心の証しというものだからな」

双慶児は思わず笑い出しました。夏鼎は双慶児に笑われたので、自分も思わずくすっと笑いました。紹聞も笑って、いいました。

「双慶児、はやく水をかえてきて、洗ってくれ」

夏鼎

「この水はもってきたばかりのものだから、かえる必要はないよ」

紹聞

「すぐに服を脱いでください」

夏鼎は喪服を脱ぎ、双慶児に渡しました。ところが、双慶児は、受けとっても洗おうとしませんでした。夏鼎

「おまえが洗わないなら、僕がもみ洗いしよう」

双慶児

「洗ってはなりません」

紹聞

「どうしていけないんだ」

「夏のご隠居さまが最近亡くなりましたが、これは夏さんの血の涙でしょう。孝心の証しとしてとっておきましょうや」

紹聞は怒鳴りつけました。

「まったく礼儀知らずな奴だ」

 双慶児がこのように嘲笑ったのは、一つは夏鼎の人物が卑しかったから、二つ目は王象藎が客を殴ったのを見て、夏鼎など大したことはないと思ったから、三つ目は自分が譚家から出ようと思っていましたので、主人に怒られても怖くなかったからでした。

 夏鼎が顔の血を洗い、服についた赤い染みをもんで、一人でこそこそと帰っていったことはお話いたしません。さて、王象藎が奥の中庭に行きますと、王氏は尋ねました。

「おもての中庭で何を騒いでいたんだい。おまえは何で血の気がない真っ青な顔をしているんだい」

「夏鼎がおもての中庭で私銭を鋳造していたのです。これは天子さまの法を犯す事です。私は本当に腹が立って、あいつを殴ったのです」

「おまえはいつも頑固だね。あの人がうちにくると、よくないこともあるが、いいことだってあるんだよ」

「あいつがこの家にくれば、悪い事ばかりで、少しもいいことはありません。私はそのことを知っていますが、ご隠居さまは気付いてらっしゃらないのです。若さまもそのことはよく知ってらっしゃいます」

「おまえはどうして四五日前に来なかったんだい。もし早く来ていれば、あの道士を殴り付けて、あいつに二百三四十両の銀子を持ち逃げされることもなかったんだよ」

「その事は私は存じませんが」

「若さまが二人の道士を呼んで、家相見をさせるといっていたんだ。ところが、どういうわけか錬金術を始めて、一両なら十両に、十両なら百両にできると言ったんだ。ところが真夜中になると、道衣と道帽をおいて、銀子をもって逃げてしまったんだよ」

王象藎はようやく錬金術がおこなわれた事を知り、何度も溜め息をつきますと、言いました。

「銅銭を私鋳する事は、錬金術を行うよりも悪いことです。錬金術の件は、銀子を奪われたというだけの話しです。しかし、私銭を鋳造するのは、違法なことです。役所に知られれば、監獄に行ったり、兵隊にされたり首を切られたりしなければなりません。だから、私はあいつをぶとうとしたのです。それに、ご隠居さまに仕えるのは若さまただ一人なのですから、上はご先祖様に、下はご子孫にも迷惑が掛かります。家の財産は以前よりも少なくなっていますが、悔い改めて、やり直す事はできるのです。しかし、私鋳の罪を犯し、役所が有罪を決定すれば、悔い改めることさえできなくなります」

 話しておりますと、紹聞がやってきて、いいました。

「王中、おまえはずいぶん乱暴だな、もしも殴り殺したら、どうする積もりだったんだ」

「私はもともとあいつを殴り殺し、死刑になる積もりだったのです。そうすれば、あいつがこれ以上若さまを誘いに来る心配がなくなりますから」

そのとき、冰梅が堂楼に入ってきて、王氏に向かって言いました。

「王中はいつも若さまのことだけを熱心に考えているのです。他の者なら、私たちの家を出たら、自分と関係のないことにはかかわろうとはしないでしょう。彼が私たちのために、死刑になろうとまで思ってくれたのは、得難いことではありませんか」

王氏も少し心を動かされ、王象藎に向かって言いました。

「若さまの楼で一人子供が生まれたんだよ。いずれ客を呼んで麺をふるまうから、おまえの家の趙大児を手伝いに来させておくれ。娘もつれてきて見せておくれ」

「私もお客様の接待をしに参りましょう」

紹聞

「南関の菜園には隣家も少ない。おまえもきたら、よそ者が鍵をこじあけるかもしれない。それに、おまえは性格が良くないから、客に失礼なことをするかもしれない。母親と娘の二人だけを来させるがいい」

「一日前に野菜をもってくる時、母娘二人を連れてきて、私は家で留守番をすることに致しましょう」

王氏

「それはいい」

 そこで、王象藎を引き止めて食事をとらせました。冰梅は、ふたたび王象藎の良いところをほめ、王氏の気持ちを変えさせようとしました。

 この回を御覧になった皆さまは、王中ががさつで乱暴で、とても無礼なのではないかと疑われてはいけません。正しい者は、邪悪な道を許す事ができないのです。証拠に詩がございます。

国家には忠臣が第一のもの、

義憤は胸に満ち溢れ 我が身を案ずることもなし。

見よ唐代に笏を執り、

朝廷で朱を殴りしかの人を[7]

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1] 「わずかなすきを見て悪さをしようと企んでいるのですよ」ということ。

[2]原文「塒」。壁に掘った洞窟状の鶏のねぐら。

[3]北斗七星の第七星で、凶星とされる。

[4]増福相公。隋の名裁判官李詭。九月十七日が神誕。

[5]塩漬け野菜。

[6]原文「[水婪]柿」。渋柿を温水に浸し、渋をとったもの。

[7]唐の徳宗の時代に反乱を起こした朱を段秀実が象牙の笏で殴り、殺された故事を踏まえた句。

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