第七十三回
義妹を自慢し、狡い計略で香典を求めること
父の友人に会い、冷たい言葉に心が凍ること
ふたたび五更の話しを致しましょう。徳喜児は紹聞とともに川岸に行きました。彼は子供でしたので、心をはやらせ、川岸に座りますと、靴と靴下を脱ぎ、深ければそのままで、浅ければ衣を掲げて渡ろうと準備をし、とてもわくわくしていました。そして、盧重環がすぐ隣に座っていたことには気が付きませんでした。盧重環は馬上で物音がしたのを聞きますと、徳喜児の首を押さえ付け、地面に引き倒しました。徳喜児が一声叫ぶと、重環は手ぬぐいを一本口の中に押し込みました。そして、徳喜児を倒してうつぶせにし、足で背中を踏んづけ、腰から縄を取りだして、両手を縛りました。
川下で誰かが口笛を吹きましたので、盧重環は返事をしました。二人の穴を掘る男が、走ってきました。昨日、元城へ文書を届けたと嘘をついていたあの男でした。もう一人は人殺しばかりしてきた悪党でした。もう一人は、新しく仲間に入った若いちんぴらでした。ケ林は小刀を持ってやってきますと、謝豹も濡れた靴と靴下のまま近寄ってきました。捕り手の振りをしていた悪党が尋ねました。
「どうして馬を逃がしてしまったんだ。俺はあの馬をもらおうと思っていたのに」
ケ林
「あいつが馬を飛ばして行ってしまったんだ」
「お前たちとは一緒にやっていけねえよ。みんな殻の軟らかい卵から孵ったような奴ばかりだ。弱い鴨みたいな小僧も殺せねえようじゃ、大きな仕事はできねえぞ。ついてねえな。家の外に出たのに儲けがないなんて、この馬鹿野郎をぶち殺してしまおうぜ」
そう言いながら、小刀で徳喜児の胸を刺そうとしました。謝豹は急いで腕を抑えると言いました。
「駄目だ。駄目だ。この県の沈知事さまは、俺たちの恩人だ。あのお方の下で殺人事件を起こすわけにはいかないよ。やめるんだ。知事さまのいいところを話してやろう。第一に捕り手に厳しい仕打ちをしない[1]。第二に俺たちの仲間が悪いことをしても、何回か軽い棒打ちにするだけでおしまいにしてくれる。この有り難い県では、俺たちは徒党を組むことができる。窮地に陥った時は、この県に来て商売をすれば、安心だし、堂々とやることができる。それに、この県の捕り手の王大哥[2]、張三[3]は、俺たちとは義兄弟の契りを結んでいるんだ。王大哥には十月に娘を嫁にやるんだ。彼らは婚約を交わしたので、みんなはあいつのために祝い品を送らなければならん。こんな奴の命を奪ったら、王大哥は仕事をしなければならなくなるし、俺たちは罪を犯したことになり、合わす顔がなくなるぜ。よく考えてくれ」
「この小僧を逃がしてやろう。しかし一文の銭も銀子もないんじゃ、ますます『外に出たのに儲けがない』ということだな」
盧重環は徳喜児の腰を探り、小さな財布を取りだし、小刀で切り取りますと、二両余りの銀子があったので、言いました。
「儲けがあったということにしてやろう」
そして、白けた気分で、四方に散っていきました。
徳喜児は手ぬぐいをくわえていましたが、息はできたので、窒息死することはありませんでした。話すことは一句一句はっきり聞こえましたが、声をたてる勇気はありませんでしたし、声をたてることもできませんでした。夜明けになりますと、道を人が歩き始め、徳喜児から手ぬぐいをとり、腕の細い縄をほどいてやったので、一時たつと息を吹き返し、大泣きしました。彼は、靴と靴下を手にとりますと、川の真ん中まで行きましたが、滑って倒れて、靴や靴下はみんな流されてしまいました。
岸に上がりますと、裸足になって歩きました。馬の蹄の跡を見付け、ごつごつした岩を踏み、茨を避けて、半日歩きますと、炊餅[4]屋の前の馬が目に入りました。紹聞は徳喜児が少しずつ歩く様子を遠くから見ますと、近寄って行き、歩くのを助けました。主従は店につきますと、頭を抱えて泣きました。老人は言いました。
「他に連れの方はいらっしゃらないのですか」
紹聞
「はい」
「それは大変運がよかったというものですよ。ただ、とてもびっくりされたでしょう。とんでもないことですからね」
主従は荷物を纏め、老夫婦は幾つか炊餅を食べるようにすすめ、主従は熱い茶を半杯飲みました。紹聞は、徳喜児に靴と靴下を取り出させますと、自分がはき、靴と古い靴下を脱ぐと、徳喜児にはかせました。そして、店から臼をひく驢馬を借りますと、徳喜児はそれに乗って西へ向かいました。
未の刻になりますと、使いに命じて驢馬を駆って戻らせ、さっさと宿をとって、小さな部屋に泊まり、テ─ブルでドアを塞ぎ、主従同じ床で眠りました。夜半に馬に秣をやるときも、主従は一緒に床をたちました。そして、日が高々と上がってから、ようやく店を出ました。まことに、「一度蛇に噛まれれば、十日麻縄を恐れる[5]」有様でした。
毎日この調子で、一路脇見も振らず、馬鹿げたことも話しませんでした。それからは、歩いては宿り、歩いては宿りして、黄河を渡って河南に入りましたが、何事もありませんでした。まさに、
用心したらば災が来ることはなけれど、
油断せば間違ひはかならず起こらん。
平らな道が危ふくなるは何故ぞ、
一分の油断に災の潜むればなり。
さて、紹聞は家に戻って、母親に会いますと、思わず母親を抱きかかえて、大声で泣き出してしまいました。王氏は慌てて理由をたずねました。紹聞は悲しみのあまり口もきけませんでした。徳喜児は、五更に店を出て、強盗が若さまの足を押し上げたこと、自分の口を塞いだこと、刀を手にとって自分を刺そうとしたことの一部始終を詳しく話しました。王氏は罵りました。
「人殺しめ。子孫の代まで強盗になればいいさ」
巫氏
「お義母さま、彼らはきっと子孫を残せないでしょうよ。彼らはみんなろくな死に方はしない強盗どもです。瓦崗寨[6]、梁山泊にいたのは、まともな強盗ですが、彼らのような強盗たちは、いずれ流罪になりますよ」
家中の者が慰めたり、喜んだりしたお話しはここまでと致します。さて、夏逢若は母親が死にましたので、譚紹聞に援助を求めていましたが、譚紹聞は返事をせず、突然済寧にいってしまいました。しかし、夏鼎は、終日譚家の様子を探っていましたので、譚紹聞が戻ってきたことを知りました。三日たちますと、夏鼎は、心の中で、譚紹聞は役所に行って金の無心をしたのだから、きっとたくさんの利益を得たはずだ、それに盛家が彼に香典百両を援助したのだから、自分の望み通りの金額は無理でも、少しは金があるはずだ、この気持ちは紹聞でなければ伝えることができない、酒を用意して頼み込まなければならない、と考えました。しかし、紹聞が口実をもうけて出てこないのではないかと心配でもありました。そこで、一計を案じて、碧草軒に行きました。
ちょうど双慶児が書斎で眉豆[7]を摘んでおりました。夏逢若
「若さまは戻ったかい」
「戻られて二三日になります」
「徳喜児も一緒に戻ってきたかい」
「何の因果か、旅の途中で追剥ぎにあい、びっくりして病気になってしまいました。今は横になってらっしゃいます」
「僕は喪中だから、中庭に入るわけにはいかない。済まないが、若さまに、僕が挨拶にきたと言ってくれ」
双慶児がいくと間もなく、譚紹聞が碧草軒にやってきました。彼は、稽鬨の礼[8]を行いますと、腰を掛けて言いました。
「今日僕が来たのは、一つは君が危険な目に遭ったのを慰めるため、二つ目は君のために旅の労をねぎらうため、三つ目は君にお祝いを言おうとして粗酒を用意したためだ。明日、僕の家にきて飲んでくれ」
そして、袖の中から素帖[9]を取り出し、紹聞に渡すと言いました。
「僕がおごるんだ。僕が拝匣[10]だよ」
紹聞は帖子を受けとりますと、それを見て言いました。
「お心は有難いのですが、行くことはできません。遠くから帰ってきたばかりで、かたがついていない、たくさんの雑務があります。それに、僕の最近の暮らし向きは、あなたもよく御存じでしょう。僕は街の人々に負債があるのです。昔から『人から贈り物を受けた者は常に人を畏れる』といいます。それに、僕が先生の役所から帰ってきたので、みんなは僕がたくさんのお金をもらったと思っています。僕も借金を返そう、特に多額の借金は絶対に清算しなければならないと思っているのです。人々は、まだ僕が帰ってきたことを知りませんから、家にやってきません。しかし、僕が街をちょっと歩けば、誰かに借金の清算を頼まれて、嫌な思いをします。それに、翌日に催促に来られても、僕はすぐには身動きができません。これは本当の事です。どうか悪く思わないで下さい」
「ひどいことをしてくれるね。昔から『宴席を設けるのは簡単だが、客を呼ぶのは難しい』というがね。まあそれはともかく、僕が人に頼んで宴席を設けたんだから、君は僕を『客を呼ぶのは難しい』という目に遭わせてはいけないぜ。僕は君の旅の労をねぎらおうと思ったが、残念なことに箸をつけられるような物は何もなかった。すると、姜氏は、僕のためにうまい物を幾つかもってきて、女房の代わりに料理を作ると言ったんだ。今、彼女は僕の家で料理を作っている最中さ。明日、君が来てくれなければ、僕は恥ずかしくてたまらないよ。僕の命など、大した値打ちがあるものではないが、彼女の好意を無にする積もりかい。君は優しい心の持ち主なんだから、今回は絶対に冷たい態度をとってはいけないぜ」
紹聞は少しためらうと言いました。
「ゆっくり相談しましょう」
夏逢若は急いで言いました。
「何を相談するというんだい。明日、盧家巷口を通って、双旗杆廟、耿家の堀に行って、壊れた冥府廟が見えたら、僕の家の裏門はすぐ近くだ。僕は裏門で待っているよ。大通りを通ってこないでくれ。それからもう一つ、小者は連れてこないでくれ」
「あなたの家が狭いことは、知っていますよ」
夏鼎はさらに耳元で二言三言喋りました。紹聞は笑って言いました。
「御馳走になりましょう」
「早めに来てくれ」
そして、お辞儀をすると書斎を出て、足取りも軽く帰っていきました。
次の日になりますと、紹聞は盧家巷から耿家大坑を通ってやってきました。夏鼎は裏門で紹聞を迎え、一緒に中庭に入りました。すると、姜氏が中庭におり、白い腕を半分あらわにして、盥で蓮を洗っていました。上着には赤い絹の小さな袷を着、腰から下には緑の絹のズボン下を穿き、ハンカチを頭に被り、白いリボンを出していました─これは、義母のために喪に服しているのでした。夏逢若
「挨拶は抜きにしよう。君達二人は、一人は僕の弟、一人は僕の妹なんだから、挨拶をしなけりゃいけないよ」
紹聞はお辞儀をして拱手しました。姜氏は万福[11]を返しました。夏逢若
「中庭に腰掛けよう」
姜氏は相変わらず蓮を洗っておりました。夏逢若
「君は今までしてきたことを、とても後悔しているだろう」
紹聞
「心の中では後悔しているのですが、誰にも言えません」
姜氏
「義姉さん、手拭きを持ってきてください。蓮を洗って体中びしょ濡れです」
夏鼎は二人が気持ちを通わせ合っていると考え、言いました。
「中庭は狭いから、腰を掛けることはできないし、母屋は棺が置いてあるから、宴会をするわけにはいかない。食事ができたら、台所の入り口に腰掛けよう。譚君、笑わないでくれたまえ。まず城隍廟の道房[12]にいって腰を掛けよう」
紹聞は仕方なく一緒に外に出、歩きながら言いました。
「さっき手拭きと言っていたのは、僕への当てこすりでしょう」
夏逢若はわざととぼけて、言いました。
「何でもないさ。当てこすりだなんて間違いだよ」
これは、夏鼎が紹聞に香典を援助させるための計略だったのでした。彼は、わざと嫌がらせをし、紹聞に香典を出させようとしたのでした。姜氏もそのことは知りませんでした。紹聞はさらに口を開こうとしましたが、夏鼎は、「城隍廟は綺麗に新築されて、ここ数日の間、劇が上演されることになっているんだ」
と言って、話をそらしてしまいました。
間もなく、城隍廟の裏門に着きました。夏鼎が案内をし、道房に着きました。廟守が客間に案内しました。そこでは、長い眉と髭をはやした道士が一人、本を読んでいました。彼は、客が来たのを見ますと、本を置き、それぞれに挨拶をしました。夏逢若
「この道士さまには、普段お目にかかったことがありませんが」
廟守
「最近、都から来られたのです」
紹聞
「遠くから来られた道士さま、どうかもと通りお掛けください」
道士
「私はここで修行をしたことはありませんが、ここにこられた方は施主さまですから、どうか上座にお座りください」
そこで、紹聞は上座に、夏鼎は次座に、道士と廟守は主人の席に座りました。 茶が出されますと、紹聞が尋ねました。
「道士さまの郷里はどちらですか。都では何をされていたのですか」
道士
「私の故郷は湖広の塲陽[13]です。ずっと武当山[14]で修行をしておりましたが、京師で道教が貴ばれ、都の西の白雲庵で盛大な縁日があると聞きました。白雲庵は、天下の道士や、仙人のような方々が集まる所ですから、私は丹頭[15]をもって上京したのです。私は自分の道術を試して、とりあえず軍隊に捧げるつもりでした。そして、友人の道士たちに会いましたが、みんな不老不死の術の話しをしていました。私は、彼らは葉法善[16]、林霊素[17]の真似をしており、少しも実際の役には立たないと思いました。そこで、早目に身を引き、弟子を連れて戻ってきました。私は、太和山[18]の周府庵に─この周府庵は開封の布政司さまが建てた菩提寺です─城隍廟の老師がお参りにきて、宿泊された時に、契りを結んでおりました。今日は、通り掛かりでここを訪ねたのですが、老師が亡くなってからすでに数年たっていました。師兄たちは私を泊めて数日間もてなしましたが、私は間もなく武当山に帰ります」
夏逢若は少しも話しが理解できませんでしたので、言いました。
「僕は帰るよ」
紹聞
「僕も一緒に帰ります」
「家がとりこんでいるから、もう少ししたら呼びにくるよ」
廟守は見送りました。
紹聞はその時、借金に追われていましたので、赤い糸に関する話し[19]はどうでもよく、黄色や白いものに関する話し[20]の方が大事になっていました。そこで、腰掛けて、道士が読んでいる本を見、さらに他の本を捲ってみましたが、すべて『参同契』『道徳経』[21]『関尹子』[22]『黄庭経』[23]六壬[24]奇門[25]太乙数[26]の類いでした。紹聞は、道士の浮世離れした姿を見ますと、尋ねました。
「お金の増やし方をお聞かせ頂きたく存じます」
道士
「天の機密は漏らしてはいけないといいますが、単に煉丹術を行うだけのことにすぎません。大煉丹術は、上古の聖人が一度行ったことがありますが、われわれ道家の祖師は、その秘法を伝えたものの、用いませんでした。上古の聖人では、女媧[27]が大煉丹術を用いました。天は、金でできています。ですから、『易』に『乾は金なり』とあるのです。女媧は石を焼いて天を修理したといいますが、石を焼いたのではなく、石を焼いて金にしたのです。天を修理したときに余った石は、数千年たって落ちてきました。禹の時、三日間、金の雨が降ったというのがそれです[28]。西方の聖人も大煉丹術を用いたことがあります。釈迦がそれです。ですから祇園の給孤独長者[29]が、黄金を地に撒きますと、草が丈六の金の体に変わったのです[30]。ただ、草を探すのが難しいだけのことです。道家の祖師が伝えた丹訣[31]は、すべて『道徳経』に載っていますが、『玄牝の門』[32]のことを、人々は理解できないのです。『玄』とは、黒[33]ということです。『牝』とは、母ということです。水から金が生まれますから[34]、水は母で、金は子です。しかし、陰だけでは成長しないので、火を添えるのです。例えば儒教の煉丹術は、すべて『易経』に載っており─他の書では人に関係のあることを述べているといえます─『鼎』[35]『革』[36]の二つの卦だけが示されています。『鼎』とは、丹炉のことです。炉の中で造化が完成されるので、革に続くのです。『革』とは、変化ということです。心配なのは、この術を修めた者が疑いの心を持つことです。疑えば鼎が壊れてしまいます。ですから『二人が心を同じくすれば、その利きこと金を断つ』[37]というのです。施主さま、よくお考えになってください」
紹聞ほどの知識があれば、この様な邪説に惑わされることはなかったはずです。しかし、彼は、家をもと通りにするためにどうしたらいいか分からず、ひょっとしたら道士が言うようなこともあるかもしれないという考えを起こしてしまいました。そこで、仙薬の秘法を尋ねようとしますと、ちょうど夏家から使いが来て、中に入ってきて言いました。
「本当ならお二人ともお招きするべきですが、俗な料理ですので、失礼に当たることと思います。譚さん、失礼いたしましょう」
道士は立ち上がって拱手しましたが、門の外まで送ろうとはしませんでした。二人は家に戻って宴会をしました。
台所の入り口には、テ─ブルが一つ置かれていました。奥には生野菜や果物がテ─ブルの上に並べられ、鶏、魚、惣菜が、蒸籠の中に入っていました。夏鼎の婦人と姜氏は、竈の脇に控えていました。
台所に入り、テ─ブルの脇にきますと、夏逢若
「とても狭いが、どうか笑わないでくれ。他に誰もいないから、料理を並べてくれ」
姜氏は蒸籠を開け、夏逢若夫婦は一つ一つをテ─ブルの上に並べました。二人が箸をとって酒をすすめたことは、お話しいたしません。
譚紹聞
「品物はいいし、調理は更に上手だ」
姜氏は口を覆って笑いながら、
「まずいなどとおっしゃらないで下さいね。料理が下手で心を尽くすことができませんでしたが」
紹聞がさらに口を開こうとしますと、夏逢若
「母が母屋に塗殯されているが、埋葬してやることができない。一文の銭もないので、葬式をすることができないんだ。君とはずっと仲良くしてきた。ちょっと援助してくれれば、僕は感謝するし、お袋もあの世で感謝するだろう。今度、済寧へ行って、どのくらい手に入ったんだい」
紹聞はたくさんのことを話すゆとりがありませんでしたので、一言いいました。
「大したことはありません。百四五十両だけです」
「わずかなお金でも僕が葬式を出すのには十分だよ」
「僕は最近─」
夏鼎はちょっと目配せをしました。紹聞はすぐにその意味に気が付き、姜氏の前で貧乏しているという話をするのをやめ、仕方なく
「二十両援助しましょう」
と言いました。夏逢若
「うちは小さいが、葬式を出すには馬蹄銀が一つ必要だ。二十両じゃ全然足りないよ」
「他は全部使ってしまいました」
「酒をたしてくれ」
姜氏が酒をもってきました。夏逢若は手酌をしながら、言いました。
「僕の酒、妹のお酌で、もっと飲んでくれ。二十両では足りないよ」
「三十両送りましょう」
夏逢若は、紹聞の最近の暮らし向きでは、それ以上多くはできないことを知っていましたので、それ以上金を足してくれとは言いませんでした。紹聞
「この家鴨は生姜汁がかかっていてとてもおいしいね」
姜氏
「あなたが噛みきることができないのではないかと思ったので、ぶつ切りにせず、丸ごと蒸したのです。ただ、塩辛くありませんか」
紹聞は口を開いて一言
「いいや─」
と言いました。すると、夏逢若
「君のお父さんのお葬式のときには、盛兄さんは君に百両出したが、僕のお袋の葬式のときは、山東に行ったわけでもないのに、援助をしてくれない。君からあの人にうまく頼んでくれ。君には援助したのに、僕には援助しないのなら、あの人は後で辛い気持ちになるだろうからね」
紹聞は慌てて言いました。
「もちろんあなたのために骨を折りましょう」
夏逢若は、
「二つの件は、どうかよろしくお願いするよ」
と言いますと、さっと席を立って叩頭を始めました。そして、紹聞が引き止める間もなく、何度も叩頭をしながら、言いました。
「明日、葬儀を行うんだ。譚さんはうちに泊まられるぞ。お前、接待をしてくれ」
姜氏
「もちろんそうしましょう」
日がすっかり暮れますと、双慶児が迎えに来て、門の外で夏さんと叫びました。夏逢若は応対のため外に出ていき、戻ってくると言いました。
「双慶児に肉料理と精進ものを幾つか与え、裏門の楼で一杯飲ませてやれ」そして、台所のテ─ブルを、裏門に運ぼうとしました。紹聞
「それには及びません」
姜氏はテ─ブルに近付きますと、残り物を何皿か選びました。紹聞も選んでやりました。姜氏は笑いながら言いました。
「こうすれば良いでしょう」
紹聞
「一皿でもいいよ」
夏逢若は戻ってきますと、ハハと笑いながら言いました。
「小人の家の娘だから、お客をもてなすのに慣れていないんだよ。下男をもてなすための料理がないなんて、おかしいね」
間もなく二人の女が温め直した物をいれた大皿を、夏鼎自らがもっていこうとしました。紹聞
「小者たちには勿体ないよ」
夏鼎
「君の家の料理にはかなわないよ」
盆をもちながら、女房を呼んで言いました。
「酒を持ってきてくれ。双慶児さんに飲ませてあげよう」
女房は酒を持っていきますと、台所には姜氏、紹聞の二人だけが残りました。紹聞が小声で、
「僕はとても後悔しているんだ」
と言いますと、姜氏は溜め息をついて
「私に運がなかったのですわ」
と言いました。ところが、二言会話を交わしたところで、夏鼎たち二人が一緒に入ってきました。紹聞はとても決まりの悪い思いをし、姜氏はうなだれて黙ってしまい、先ほどまでの笑顔はどこへやら、ただ火箸で地面を引っ掻くだけでした。
双慶児は食事をおえますと、急須とお碗を台所にもってきて、言いました。
「帰りましょうか」
紹聞も何も言う事はできず、一言、
「じゃあ、そうしよう」
と言いました。夏鼎
「家が狭いから、君を泊める事はできないよ。後日、葬式をする時は、馬兄さんのところに何日か泊まってくれ。約束した二つのことを、僕は毎日待ち望んでいるよ。どうか心に留めておいてくれ。いずれお礼はさせてもらうから」
紹聞は、振り向きますと、食事のお礼を言い、逢若夫婦に向かって挨拶をしました。さらに、姜氏に向かっても拱手をしました。姜氏は拝礼を行うと
「拱手はなしにしましょう」
と言いました。人々が家から出て、裏門に行きますと、夏鼎の女房が駆けてきて言いました。
「妹が、馬兄さんの前院にお客様を泊める事ができる。泊まらないにしても、一杯飲んでいってくださいと言っていますが」
しかし、夏鼎はひきとめようとはせず、いいました。
「後日、何日か泊まればいい。今だけしか会えないわけでもあるまい」
紹聞は振り返って拱手しますと、姜氏が裏門に立って見送っているのが見えました。紹聞はさらに振り返って二回拱手をしますと、がっかりした様子で盧家巷の入り口を通って帰って行きました。
皆さんには、この一段で、作者が情欲を掻き立てる言葉を楽しみ、筆や墨を汚しているのではないということを知っていただきたいと思います。そこには理由があるのです。詩で説明いたしましょう。
愛しあふ心はまるで痴のやう、
裏門に佇みて心を傾け話する。
斉姜[38]を娶る願ひは叶はずに、
株林に夏南を訪ねり[39]。
さらに詩がございます。
嗤ふべし世の人の義理の縁を喜びて、
無理に兄弟姉妹となるは。
聖人の教へでは夫妻でさへも区別する[40]、
まして夏逢若、姜氏など言ふまでもなし。
さて、譚紹聞は盧家巷から家に戻りますと、灯ともし頃にもならないうちから、服を脱いで床に就きました。家の者は、譚紹聞が酒席で酔っ払ったのだと思いました。冰梅は、酔いざましに温かい茶を持ってきましたが、譚紹聞に思いを寄せている女がいるとは知りませんでした。巫氏も深く尋ねようとはしませんでした。譚紹聞は展転反側しました。「鶯も燕も愛すべきものだが、熊の掌と魚の肉を一緒に食べるわけにはいかない[41]」とは、まさにこのことでした。四更になりますと、ようやく夢の世界に入りました。
翌日になりますと、双慶児が手紙を一通もって、婁先生の家から来たと言いました。紹聞が「済寧の役所より譚世兄へ親展」と書かれた封じ紙を開きますと、中には帖子があり、こう書かれていました。
先日、済寧の役所を出発されてからは、連日風は穏やかで空は晴れ、道も平らであったことと思います。このことは、占いをせずとも知ることができます。あなたの荷物は、車に載せて送り返しました。しっかり封をしましたが、道が遠く、破ける恐れがあるので、棕梠の皮で包み、道々保全に注意するように命じました。他には心配はないと思います。程さん、孔さん、張さん、蘇さんへの四通の手紙は、すでにお届け下さったものと思います。駅馬は駄馬で、鞍や轡に慣れておらず、言う事をきかなかったかも知れません。それに下役も急病で戻ってきてしまい、祥符まで送っていくことができませんでした。知事は大変心配し、何度も私どもに、下役は逃げて来たのかもしれないと言いました。譚さんは馬を正しく御され、無事に故郷に帰られたものと思います。馬は徳喜児に命じて北門に転送させてください。私の家で臼を回すために使うことに致します。お別れしてから一日が長く思われます。手紙をしたため、ご多幸をお祈り申し上げます。あなたのことが懐かしくてたまりません。
世弟 婁樗、樸ともに頓首す □月□日
紹聞は読みおわりますと、言いました。
「昨日、ケ祥に、北門へ馬を送らせるように命じたが、もう出発したか」
双慶児
「私たちの家では秣が足りないので、すぐに送り届けました」
そこで、紹聞は急いで護書を開き、手紙を四通取りだし、双慶児を呼んで言いました。
「手紙が二通ある。一通は蘇さんへのものだ。送り届けてくれ。張さんへの手紙は、小さな南の中庭に送り届けてくれ。張家から坊っちゃんに会いにくる人があれば、その人にもっていってもらおう。それから、蔡湘、ケ祥に命じて、北門に荷物をとりにいかせてくれ」。
双慶児は行って間もなくしますと、戻ってきて言いました。
「蔡湘、ケ祥は行こうとしません。彼らは、壊れた車の軸をまだ直していない、彼ら二人に荷物を担がせても、担げない、荷物は北門から送ってくるだろう、と言っています。二人は向こうで文句を言っています。私の考えでは、今、胡同の入り口に張家の車が一両ありますから、若さまが手紙を届け、ご自分であの方を尋ね、早めにいって早めに戻って、張のご隠居さまが帰るのを邪魔しないようにするのが宜しいでしょう」
譚紹聞は、家が貧しくなったので、下僕たちになめられているのだということが分かりました。蔡湘、ケ祥がどんな文句をいっているのかを問い質す気にもなれませんでした。そして、双慶児から張家への手紙を受けとりますと、
「その手紙は、お前が蘇さんの家に送ってくれ」
と言い、裏門を出て、小さな南の中庭の入り口に行きますと、尋ねました。
「南馬道から誰かいらっしゃっていますか」
すると、張正心が出てきました。二人は拱手の挨拶をしました。紹聞
「私が先日済寧にいきましたが、婁先生が先生のお宅に手紙を一通届けるようにとおっしゃったので、持って参りました」
張正心
「午後に私がもっていきましょう。従弟が今日一日、あまり乳を飲もうとしないので、伯母が様子を見にきていますが、夕方まで帰りません。泊まる可能性もあります」
紹聞
「夕方に帰られるのなら、車を貸してください。北門に行って、二つの鞄を持ってくるのです。あなたを待たせたりは致しません」
張正心
「おやすい御用です。私の下男に車を運転させますから、譚さんは案内をなさって下さい」
すると、奥で飯炊きの婆さんが言いました。
「ご隠居さまが若さまをお呼びです」
正心は手紙を受けとり、二人は拱手して別れました。
紹聞は家に戻りますと、蔡湘を車で北門に行かせ、鞄を受けとらせました。そして、程家への手紙を、袖に入れ、銀二十両の包みをもちますと、程家へ行きました。途中、長いことこの老人に会っておらず、今までの好意を無にしている、恩師の命令を受け、手紙と銀子を届けに行けば、さんざん怒られるだろう、これからは何度か行くことにしよう、と考えました。
程家の入り口につきますと、中に入りました。程嵩淑は、庁で、印刷屋が板木を削っているのを見ていました。程績もそこで校正をしていました。紹聞が進み出て恭しく挨拶をしますと、
程嵩淑「ずいぶん久し振りだな。やって来たのにはきっと訳があるのだろう。東の書斎に行って話をしよう。績児、茶を持ってくるように言ってから、勉強をしにいくがいい」
紹聞は、話しをする程嵩淑の様子があまり親し気ではないと思いましたが、東の書斎について行きました。
書斎について腰を掛けますと、紹聞は済寧からの封筒を差し出しました。さらに銀二十両を取り出して、テ─ブルの上に置きました。程嵩淑は手紙を開くとそれを見ました。そして、詩の序を見ながら、一言、
「結構だな」
と言いました。紹聞
「これは先生からおじさんへの印刷費銀二十両です」
「頂いておこう」
茶がおわりますと、程嵩淑
「先生はどんなご様子だったかな」
「家にいた時よりも老けられたようです」
嵩淑はうなずいて
「老けられるのも無理はない。お前はいつ済寧を発ったのだ」
「先月の二十四日です」
「家に戻って何日になる」
「今日で五日になります。ちょっとした用事がありましたので、手紙をお届けする事ができませんでした」
「届けてくれたのだから結構だ」
そして、それ以上何も尋ねず、黙って向かい合って座っていました。紹聞は面白くありませんでしたが、すぐに帰るわけにもいきませんでした。そこで、話題をかえようと思い、尋ねました。
「版木は一面何行ですか」
「九行だ」
「一行何字ですか」
「二十字だ」
「圏点は」
「すべて版木にほるのだ」
「批語は」
「大きな字と同じように計算する」
「版木を煮る薪、印刷をする紙は、みんなこちらもちなのですか」
「もちろんだ」
「職人はどこの人ですか」
「江南だ」
一問一答、声を出して話しをしましたが、よく考えてみれば、文字のない石碑のように意味のないことを話しつづけているだけのことでした。
さて、紹聞は家に入って、口を酸っぱくして怒られることを恐れていましたが、嵩淑に会ってみますと、あっさりとしてそっけないので、叱られた方がましだったと思いました。そこで、説教されるきっかけをつくろうと思い、いいました。
「私は今まで道徳にもとることをし、家の財産もなくしてしまいました。そして、遠く済寧に行って、先生にも迷惑をかけました」
「師弟が仲良くするのは、珍しい事ではない」
「途中強盗に遭い、命が危うくなりました」
「外では注意するがいい」
紹聞は程老人の様子を見て、自分の犯した罪の深いことが分かりました。そして、それ以上余計な話をするわけにもいかず、しばらく嫌々腰を掛けてから、別れを告げました。
「おいとまいたします」
嵩淑はすぐに立ち上がって、
「帰るのか」
紹聞は、
「帰ります」
と言い、席から立ちました。嵩淑は後から送りました。表門を出ますと、嵩淑は拱手し、紹聞は後ろ手をしたまま腰を曲げて別れました。
すると、そこへ王象藎がやってきて、程おじさんに挨拶をしながら、言いました。
「私の村で野菜を売っていましたら、若さまが済寧から帰られたということを聞きましたので、急いで家に会いにいきました。すると、ケ祥が若さまは程様の所へ行かれたと言いましたので、急いでこちらにやってきたのです」
嵩淑は喜んで
「王象藎、元気にしているか」
「そのようなことをお尋ね頂きますとは、勿体ないことにございます」
「とりあえず若さまと一緒に帰るがいい。若さまへの話しが終わったら、わしからお前に話しがある。家で待っているから、すぐに来てくれ」
王象藎は
「はい」
と返事をし、主従は一緒に帰ってゆきました。
最終更新日:2010年11月4日
[1]原文「第一件不肯厳比捕役」「比」とは、官庁が下役に命じて期限を定めて事務を行わせ、期限がきたら、その結果を検査し、期限内に事務を済ませることができなかった場合はその下役を竹の鞭で打つこと。「比較」ともいう。
[2] 「王兄さん」の意。
[3] 「張家の三男坊」の意。
[4]饅頭(マントウ)のこと。
[5] 「羮に懲りて、膾を吹く」と同義。
[6] 『隋唐演義』『説唐』の英雄である程咬金が三六人の好漢とともに立て籠もった砦。なお、清の劉百章撰の劇に『瓦崗寨』がある。
[8]額を地面につける礼。
[9]名刺。
[10]帖子をいれるのに用いる長方形の小箱。
(図:『清俗紀聞』)
[11]両手で軽く拳を作り、胸の右下側で重ね合わせて上下に動かし、頭を軽く下げる。婦人の礼。
[12]道士の部屋。
[13]府名。現湖北省。
[14]湖広の山名。
[15]鉛汞と薬石を錬成したもので、他の金属と化合して金銀を作り出すもとになるとされるもの。丹餌。
[16]唐の睿宗の時代の道士。『唐書』巻二百四、『旧唐書』巻百九十一 に伝がある。
[17]北宋の徽宗の時代の道士。『宋史』巻四六二に伝がある。
[18]武当山の別名。
[19]結婚に関する話し。
[20]金や銀に関する話し。
[21] 『老子』。
[22]周の尹喜撰。
[23] 『黄帝内景経』『黄帝外景経』『黄庭遁甲縁身経』『黄庭玉軸経』をいう。
[24]占法の一種。『六壬─』という書としては、『六壬五変中黄経』『六壬行軍指南』『六壬心鏡要』『六壬軍帳賦』『六壬大全』『六壬畢法賦』『六壬兵占』『六壬開雲観月経』などがある。
[25]術数のこと。『奇門─』という書としては、『奇門説要』『奇門要略』『奇門遁甲賦』などがある。
[26]太乙星を用いた占い。
[27]中国の神話中の女神。五色の石を焼いて天を修理した。
[28] 『竹書紀年』帝禹夏后氏八年「夏六月雨金于夏邑」。
[29]蘇達多、善施、阿那陀、擯荼陀などともいう。祇園精舎の人で、よく施しをしたことで有名。
[30]典故未詳。
[31]錬金術の方法。
[32] 『老子』第六章に出てくる言葉。原文は「谷神不死、是謂玄牝、玄牝之門、是謂天地」。晋の王弼の注によれば、「谷神(玄牝。)は「至物也」すなわち最高存在であると解されている。後の部分で道士が言うような、金を生み出すものとしては解されていない。
[33]黒は五行では水に配される。
[34]五行の配列に関しては、五行相勝説(土→木→金→火→水)と五行相生説(木→火→土→金→水)があるが、いずれの場合でも水が金を生むとは説かれていない。
[35]易の卦の一つ。『易経』雑の解釈によれば「新らしきを取る」象。
[36]易の卦の一つ。『易経』雑の解釈によれば「故(ふる)きを去る」象。
[37] 「二人の人間が心を同じくすれば、その鋭さは金属さえも断ち切る」。『易経』繋辞上。
[38]斉姜は、『詩経』陳風・衡門「豈其娶妻、必斉之姜」(結婚をするときに、どうしても斉の国の美女を娶ろうとするわけでもあるまい)に因む言葉。ここでは姜氏の意味で使われている。
[39] 『詩経』陳風・株林「胡為乎株林、従夏南兮」(どうして株林に行くのか、夏南(の母親)を訪ねに行くのである)に因む言葉。株林は霊公が大夫夏南の母と奸淫するのを謗った詩であると解釈され、不正な男女関係の代名詞。「夏南に従う」は「間男をしにいく」ということ。また、「夏南」は、この場合は、夏逢若のことをもさす。
[40] 『礼記』哀公問に出てくる、「夫婦の別」(夫婦の職分の相違)という言葉を踏まえたもの。
[41]原文「争乃熊魚不可兼」。『孟子』告子上「魚、我所欲也。熊掌亦我所欲也。二者不可得兼」(魚は私の欲しいものである。熊の手も私が欲しいものである。しかし二つのものを同時に得ることはできない)に因む。「熊魚」とは同時に手に入れられないもののたとえ。