第七十一回

済寧州へ行き、金目当てで師匠に近付くこと

補過処へ行き、正しい言葉で弟子を諭すこと

 

 さて、譚紹聞の最近の暮し向きは、家で金を使えば、「室人(こもご)()む」[1]の句を作りたくなるようなものでした。また、家の外で借金の催促を受けた時は、催租敗興の詩を作ることもできませんでした[2]。夏逢若からは、毎日援助を求める使いがきましたが、手元不如意でしたので、香典を送ることはできませんでした。葬式があった当初は十両を送りましたが、もとより嫌々送ったものでした。譚紹聞は、口実を設けて夏家に行かず、姜氏の深情けにも構ってはおられず、毎日、盛家から二百両の銀子を返してもらって、当面の役に立てることだけを考えていました。

 ある日、徳喜児をつれて奶奶廟街に行きました。表門につきますと、満相公に付き添われて、大広間に行きました。盛希僑はちょうど広間にいて、蘇州の役者と、劇を上演することについて話をしていました。

「今日は劇団は暇だから、劇を一つ上演して、明日、また城隍廟に上演しにいくことにしよう」

役者は客が来たのを見ますと、畏まって退出しました。盛希僑

「いいところへ来た」

譚紹聞が席に着かないうちに、盛希僑は、机から紙を持ってきますと、紹聞に手渡して言いました。

「これを見てくれ」

譚紹聞は紙を受け取りますと、そこにはこう書かれていました。

本官は祥符県知事に任ぜられてすでに久しく、兄弟同士の訴訟に会うたびに、裁判をしてきた。しかし、自分が俗吏で徳が薄く、少しも教化を行わないせいで、人倫が尽きてしまったことを深く恥じ、退職をしたいものだと思っていた。盛希僑の書状を見るに、言葉は温柔で、旧家の風格を失っていない。これは誇るべくよみすべきことである。とりあえず裁判は行わず、兄弟の諍いを防ぐことにし、事件を沙汰止みにすることを許す。

譚紹聞

「これはいつ決まったのですか」

「昨日決まったんだ。宝剣に話をさせるよ」

宝剣

「私が、あの日、書状を届けた時、知事さまは大堂に腰掛けており、たくさんの人々が訴状を提出しにきていました。知事さまは人を東に立たせたり西に行かせたりし、点呼を終えますと、公廷で書状を見、判決を下されました。そして、原告を尋問し、そいつをぶて、引き立てろなどと言われたり、その日のうちに拘束し、午後に審問を行うようにと命じられたり、判決を下すとすぐに承発房[3]に送り、掲示板に文字を書かせたりなさいました。私が承発房に判決の原稿を書いてもってくるようにと頼むと、承発吏[4]は『とても忙しいんだ。昔の知事さまは訴状を受け取ると、一二日後に判決を出していた。ところが、今度の知事さまはせっかちな方で、奥の幕僚とも相談しないで、その場で判決を下し、承発房に掲示を書かせる。そして、法廷で審問が終わると、すぐに朱筆を入れようとするんだ。外へ行ってちょっと待っていてくれ。掲示が発表されたら、書き写していってくれ』と言いました。そこで、私がすぐに代書料十銭をやりますと、承発吏はすぐに照壁から判決を書き写して戻ってきました」

譚紹聞

「今回の件で、弟さんとはどのようにかたをつけられたのですか」

盛希僑

「昨日、かたをつけたんだ。このようなことのために仲裁人を頼めば、他省に住んでいる親戚はもちろん、この城内の友人や隣近所に対しても、とても恥ずかしい思いをするよ。僕は弟を裏の楼に呼び、お袋を立ち会わせて、『あの二頃の土地を、お前とお前の女房で分けるがいい』と言ったんだ。弟は承知しないとは言わなかった。ところが、僕の女房は、その土地は、自分の父親が役人になった時に彼女にくれた財産で、盛家とはまったく関係のないものだといった。しかし、これはまったくのでたらめなんだ。僕が女房をぶとうとすると、女房は楼に上って、門簾[5]を垂らして騒ぎたてた。弟は、一千二百両の銀子は、僕が昔財産を売って、こっそり儲けたものだと言った。僕は弟と言い争うのが面倒だったから、山陝社や君の銀子であることは言わず、『五百両をやろう』と言った。すると、弟は屋敷から飛び出してわめきたてた。僕は死ぬほど腹が立ったよ。僕は『母さん、何かおっしゃってください』と言った。お袋は『土地は全部お前の女房のものだが、銀子は希瑗に全部おやり』と言った。僕は『それはいい』と言った。僕はすぐに帳房に行き、千両の銀子をもってきて、楼の下で弟に渡した。あいつは、千二百両があると聞いていると言ったが、僕が慌てて誓いを立てると、ようやく承服した。君はこれで良かったと思うかい」

「僕の二百両だけは、すぐに必要なのです」

「僕たちは商売ができなくなってしまったが、僕は君から借りた二百両をピンはねしたりはしないよ。僕は満相公に手配させたよ。─満相公、銀子はどんな具合だ」

満相公

「もちろん借りられますが、利息を三分にするか四分にするかで、話しが折り合いませんでした。そこで、私は先方に三分半の利息を与えようといい、今日の夕方に返事がくるのを待っているのです」

譚紹聞

「それなら、僕は帰ります」

盛希僑は笑いながら、

「君の銀子を騙しとったりはしないよ。夕方に報せがあれば、明日二百両を送らせよう。足りなければ、もう一度相談しよう。今日借り出すことができなかったら、晩にまず帳房の八十両を持ち帰って使ってくれ。僕は満相公にしかるべく取り計らわせよう」

 話をしていますと、宝剣児が劇を見にくるようにと言いにきました。盛希僑「はやく弟を呼んできてくれ」

蘇州の劇団の老生が演目を持ち、劇を選んでもらいにきますと、盛希僑

「劇を選ぶ必要はない。『殺狗勧夫』[6]を上演してくれ」

役者が命令を受けて戻っていきますと、喇叭の音が聞こえ、銅鑼や太鼓が鳴り響きました。盛希僑

「さあ、行こう」

譚紹聞、満相公は一緒に東の広間に行きました。役者が関目を言いますと、演技が始まりました。

 盛希僑

「弟はどうした」

宝剣児

「希瑗さまは王府街に大事な話しをしにいかれました」

満相公は盛希僑の前に来ますと、耳打ちして言いました。

「王府街の姚家の二番目の若さまは、希瑗さまと穀物屋を開いているのです」盛希僑はハハと笑って言いました。

「金儲けか。金儲けか。俺たちは俺たちの芝居を見よう。弟さまのお仕事の邪魔をしてはいかんからな」

 さて、譚紹聞は目では劇を見ていましたが、心の中では借金のことを考えていましたので、まるで針の筵に座っているような気分でした。しかし、晩まで待てば、満相公のところに返事がきて、確かな情報が得られるので、仕方なく我慢して座っていました。劇が犬を殺すところまで演じられますと、盛希僑が宝剣児に尋ねました。

「女房は奥で劇を見ているのか」

宝剣児が堂簾の脇に行き、一声尋ねますと、簾の中から下女が返事をしました。

「奥さまはここでお茶を飲んでらっしゃいます」

宝剣児が報告をしますと、盛希僑は大声で言いました。

「ほら。この賢い夫人が夫を諭す場面を見てみろ。満相公、銅銭を二吊[7]持ってきて、旦にお祝儀をやってくれ。演技が上手なので、楽しかったぞ」

満相公は帳房へ行き、二千銭を取ってきました。盛希僑は宝剣児に命じて、舞台でお祝儀を渡しました。『殺狗勧夫』の旦は、上座に向かって、お祝儀へのお礼を言いました。盛希僑

「世の中には立派な女がいるものだな」

満相公

「劇は世の中の人を諭すためのものです。古人の善事悪事を借りて、模範を示し、人々を諭すのです」

譚紹聞

「世の中の、人を諭す文章を作る人にも、苦労はあるのです。しかし、実際は、彼とは少しも関係はないのです」

盛希僑

「彼が述べていることは彼とは少しも関係がないが、僕たちは疚しいことをしているものだから、胸がどきどきするのだ」

 まもなく、宝剣児が満相公の耳元でこそこそと何か言いました。すると、満相公が言いました。

「駄目でも仕方ないだろう」

譚紹聞は金を借りることができなかったのだと思い、思わず心の中で溜め息をつきました。

「駄目だったんだ」

 劇はすぐに終りました。食事ができますと、一同は庁へ行って食事をしました。食事が終わりますと、譚紹聞は帰ろうとしました。盛希僑は何度も引き止めましたが、譚紹聞はどうしても行こうとしました。盛希僑

「劇が今日だけ暇だったから、僕は彼らに上演をさせると言ったんだ。明日も劇があるのだったら、僕は決して君を帰らせなかったぞ。満相公、帳房の八十両を、譚君に渡してくれ。お前は明日もう一度金を貸すように頼んで、譚君に百二十両を渡し、残りは僕らが使うことにしよう」

満相公は帳房に行き、銅銭を広間に持ってきました。盛希僑

「とりあえず八十両を受け取って、急場を凌いでくれ。先のことはもう一度相談しよう。いずれ商売をすればいいさ」

譚紹聞

「そうですね」

徳喜児は銀子の包みを持ちました。盛希僑

「満相公、お客様をお送りしてくれ」

さらに小声で言いました。

「僕は劇団の所へ行って、彼らに他にも何かを上演させ、家を乱す愚か者を諭してやることにしよう。彼らに『この方は私の夫の家の弟で、私の実家の兄弟ではないのですよ』という台詞をつけ加えさせるんだ」

譚紹聞は笑いながら、

「そうすればご婦人方は、教化されることでしょう」

そう言っている間に、盛希僑はすぐに東の中庭に走っていきました。満相公は、譚紹聞を表門まで送りますと、戻っていきました。

 さて、譚紹聞が家に着きますと、双慶児は今日借金の催促にきた人々の名前を並べました。譚紹聞はとても嫌な気分でした。晩になると床に就き、あれこれと考えましたが、まったく何の方法もありませんでした。ところが、ふと婁先生が、今、済寧州で任務についている、遠くでもないから、贈り物を買って、役所にいってみてはどうだろう、金の無心ができるし、借金取りを避けることもできるから、一石二鳥ではないかと思い付きました。

 一晩考えますと、次の日の朝、人を遣わして、城の南の王象藎を家に呼びました。譚紹聞

「僕はずっとお前に仕事をさせなかったが、婁先生の任地に行って金の無心をしようと思うんだ。お前はついてきてくれ。相談だが、いつ出発しようか」

王象藎

「済寧に行かれるなら、土産物を買って先生に会われるべきです。物を売りつけるのはよくありません」

譚紹聞

「お前は呑気なことを言うな。僕は今、窮地に陥っているから、婁先生の役人としての面子を借りて、物を売ろうと思うんだ。幕僚、下役だろうが、塩屋、質屋だろうが、あの土地の、役人に賄賂を贈る郷紳だろうが、彼らにちょっとした贈り物をすれば、一のものが十になって返ってくるだろう。僕は銀子を手にいれて急場をしのごうと思うんだよ」

「婁先生は絶対その様なことはなさいません。婁先生は先代さまと古くからのお付き合いがあり、若さまとは師弟の間柄です。婁先生がもし銀子を贈ろうとされているのであれば、(どれだけの銀子を贈るかということについて)当然考えは決められているはずです。若さまが物を売られても婁先生は考えた以上のお金はくださらないでしょうし、物を売らなくても考えた以下のお金はくださらないでしょう。それに、物を売ったり、長隨[8]にしてくれと頼んだりすれば、婁さまの体面に傷が付くかも知れませんし、婁先生と先代さまの誼にも傷がついてしまいます」

王氏は、それを聞きますと言いました。

「王中、お前は下で食事をおとりよ」

王象藎は引き下がって出ていきました。

 王氏

「お前は男なのだから、何かしようと思ったら、果断にやることだよ。お前が済寧へ先生の助けを求めに行こうと思っているのだから、あいつはお前を助けるべきなんだ。婁先生が『わしはお前のために臨時収入をやろうと思うが、お前は手ぶらで来たから、わしもどうしようもないのだ』と言ったら、まさに諺にいう、『賢い嫁も米のない粥は作れぬ』[9]ということだよ。その時になって、お前がまた祥符に戻ってきて物を買うわけにもいかないだろう。王中がへそ曲がりなことを言っているのは明らかだよ。よりによってあいつをよんで相談をして、心をぐらつかせてどうするんだい」

譚紹聞

「僕は遠出をするのです。王中は頼りになりますから、王中がついてくればいいのですが」

王氏「徳喜児が最近とても役に立つから、あれを連れていけばいい。王中がお前のお供をして済寧から帰ってきたら、あいつは手柄を立てたことになる。そうしたら、お前はますますあいつに指図できなくなり、あいつは私たちに指図するようになるよ。嘘だと思ったら、試してみるんだね」

「王中は頼りになりますが、徳喜児は子供です」

「王中はお前の先生に会ったら、あれこれ告げ口するから、先生はお前を叱るだろうよ。お前は銀子がもらえるとでも思っているのかい」

この「叱るだろう」という言葉が譚紹聞の弱味をつきました。譚紹聞は言いました。

「それもそうですね。もう一度考え直してみましょう」

 食事を終えますと、王象藎が楼の入り口にやってきて、何か言おうとしました。王氏

「若さまは相談をするためにお前を呼んだんだよ。若さまが出発したら、お前は城内へ様子を見にきておくれ。別に仕事はないからお帰り。これは二両の藍色の糸だ。持って帰って趙大児に使ってもらおう。これは二本の緑の帯だ。これも持っておいき。女房と子供がズボンの裾を縛るのに使わせるといい」

譚紹聞は受けとりますと、王象藎に渡しました。王象藎はふたたび話しをすることはできないと思い、がっかりして帰っていきました。

 譚紹聞は母親に唆されて、徳喜児を従えますと、銀子をもって文具屋、絹物屋に行き、物を買って、鞄に詰めました。さらに、客商から桐の箱を買い、筆と墨を入れました。そして、車屋へ行って、孝感車[10]を一台雇い、日を選んで出発しました。王氏は巫翠姐に餞別のための身内の宴を準備させました。次の日、譚紹聞は家を出ましたが、車に鞄と箱を積み、褡褳と布団をもう片方に積み、座ったり歩いたりする様は、誰が見ても世間を渡り、役所を歩き回る者の風体でした。

 黄河を過ぎ、朝に発ち、夜には休んで、済寧に着きました。飯屋で食事をとりますと、まず婁刺史の役人としての評判を尋ねました。人々は婁刺史を仏さまのように尊敬していました。役所にいるかどうかを尋ねますと、人々は言いました。

「噂では、朝廷が淮河の高家堰[11]を修理され、荷を積んでいない穀物運搬船を呼び戻し、山東の物資を搭載しているとのことです。婁先生は検分に行かれており、役所にはいらっしゃいません」

譚紹聞は慌てて尋ねました。

「いつ役所に戻られますか」

男達

「私たちは、知事さまがお仕事で役所にいらっしゃらないということを聞いただけです。いつ帰ってくるか、私たちが知っているはずがないでしょう。お若い方、城内に行ってお尋ねになれば、すぐに分かりますよ」

譚紹聞はそれを聞きますと、困ったことになったと思いました。しかし、ここまで来てしまった以上、城内に入るしかありませんでした。

 役所の入り口の飯屋に行きますと、旅装を解き、手と顔を洗いました。そして、鞄の中から新しい服を、護書の中から門下生用の手本を取り出し、車を儀門[12]の所に止めました。徳喜児は手本を宅門に提出し、門番は奥に取り次ぎました。奥では婁樗が家事をしていましたが、手本を見ますと、すぐに弟の婁樸を呼んで言いました。

「譚さんが来たぞ」

二人は急いで二堂[13]に行きました。呼び出しが掛かりますと、譚紹聞が入ってきました。兄弟二人は、手を引っ張って、書斎に行くと─篇額には「補過処」と書かれていました─腰を掛け、他郷で友人と会ったのが嬉しかったので、急いで荷物を運ぶようにと命じました。徳喜児は叩頭し、荷物運びの監督をしに行きました。入浴をしたことや、点心、食事をとったりしたことには、筆墨を費やす必要はございますまい。

 譚紹聞は尋ねました。

「先生はいつ役所に戻られますか」

婁樸

「昨日、使いの者がやってきて言うには、二つめの荷物は発送されたということです。今頃は三つめの荷物も送り終わるころだと思います。十日ほどしたら戻ってきます」

婁樸が省城の旧友たちのことを尋ねたので、譚紹聞は、張類村に子供が生まれたこと、さらに家の外に間借りしていることを話しました。婁樸

「その子が大きくなれば、張おじさんの今までの誠実さも無駄ではなかったというものです。張おじさんと仲良くしている人々が、毎日子供のことを心配する必要もなくなりました。あの人は君の隣人になったのだから、あなたは気を使ってあげなければいけませんよ」

晩まで話をしますと、婁樸の奥の書斎で、床を並べて眠りました。

 次の日の朝、二人の幕僚に挨拶をしました。年長の幕僚は、浙江山陰[14]の人で、六十歳以上のようでした。姓は荀、字は薬階といい、髭は長く、腰は曲がっており、長いこと婁潜斎の幕僚をしていました。もう一人は、二十五歳で、姓は莫字は慎若といい、荀薬階の外甥でした。二人はすぐに答礼を終えました。その後、東の書斎の清籟堂で食事をともにし、晩には一緒に酒を飲みました。夜がふけると、婁樸と一緒に補過処で眠り、刺史が戻るのを待ちました。

 三日目、晩酌をしていました。荀薬階はよく飲み、莫、譚、婁の三人の若者はお相伴をしました。譚紹聞が物を売りにきたという話を漏らしますと、荀薬階

「譚さんは知事さまとは師弟の間柄ですから、知事さまが便宜を図って下さらないはずがありません。ただ、私は知事さまが初めて館陶[15]知事になった時から、主人と幕僚の間柄で、ずっと親密にしていただき、その性格をよく知っております。あなたとは浅いお付き合いですが、大事なことをお話しいたしましょう。あなたの先生の人柄を一言でいえば、慈悲深く真面目な方だということです。例えば役所に医者、易者、星占い、人相見がやってくるのは、ごく普通の事ですが、先生はこのような者に出くわすと、すぐに餞別を贈られ、顔を合わされることはありません。筆墨、絹物、山海の珍味の手紙を送られても、あなたの先生はいつもほんの少し受けとられるだけで、十倍の代価を贈られるのです。劇団を送ってくる者もありますが、あなたの先生は役所に劇団を一日以上おかれることはなく、私たちと一緒に観劇すると、次の日には城隍廟に送り、城内で『神人(とも)に悦ぶ』[16]ことにします。そして、三日後には、十両の銀子をやって、おしまいにするのです。役者が他に紹介してくれと頼んでも、先生は承知しようとされません。旦が叩頭するのも見たことがありません。しばらくすると、こうした人間たちはだんだんと来なくなり、最近はまったく来なくなってしまいました。譚さんが立派な贈り物を持ってこられても、あなたの先生は決して同僚の州知事や県知事、城内の塩商や質屋に迷惑をかけようとはされないでしょう。私の考えでは、品物をお出しにならないのが得策でしょう」

譚紹聞は心の中で思いました。

「王中が婁先生のことをよく理解していたとは知らなかった」

婁樸

「父はお堅い性格ですから、失礼にあたることがあるかも知れません」

荀薬階

「私は山東で長いこと幕僚をしています。済南府に来たときは、まだ髭も生やしていませんでしたが、今では黒髭の老人になってしまいました。私は、官界でたくさんの経験をし、人にとり入ったり、気脈を通じさせようとする者たちを見てきました。彼らの中には、一二の出世していく者もありますが、結局は上官に嫌われ、同年に笑われ、挫折してしまう者が少なくありません。また、公正純朴で、心から人民の事を考えている役人で、上司の機嫌をとることができないために、損な目にあっている者も幾人かいます。しかし、上官にとても重んじられ、昇任する者もあります。あなたの先生は、気脈を通じさせたり、つてを求めたりすることをご存じありませんが、同じ様に昇任できるはずです。先日、青州府[17]で欠員が出た時、省城の友人が密かに、済寧さん[18]に見込みがあると報せてきました。ですから、せっかちな者が得をするとは限らず、落ち着いた者が損をするとは限らないのです。役人は自分の品格を保つことができれば、十年昇任しなくても構いません。そうすれば、将来、子孫たちは、清廉潔白な役人の子孫であるということができ、人前に出ても恥ずかしい思いをしなくてすみます。しかし、自分の品格を損って、一年に九回昇任すれば、紗帽をとってベッドの上で寝ている時でも、心が不安になり、子孫も恥ずかしい思いをします。章惇[19]は宰相になりましたが、子孫は彼を先祖と認めようとしないでしょう。わざわざ出世することなどないのです。婁さんがいずれ翰林学士になられる逸材であることは、言うまでもありません。地方官の任務に就かれれば、お父さまのような役人になられ、立派な業績をあげられるでしょう」

三人の若者は拱手し、心服しない者はありませんでした。やがて、夜の時報が三回鳴ったので、それぞれ別々に休みました。

 譚紹聞は婁樸と補過処に戻り、一緒に寝ました。譚紹聞

「荀先生のおっしゃっていたことは、いちいちご尤もでしたね」

婁樸

「あの人は幕僚の中で最も得難い人です。第一に品行方正で、第二に学問も広いですからね。公文書を暗記したり、算術に精通したりするのは、つまらない技能にすぎません。父はここ数年役人をしていますが、あの人とはいつも一緒にいるのです」

眠りに就いたその夜のことはお話し致しません。

 さらに数日たちますと、婁刺史が役所に戻ってきました。彼は、役所の奥の部屋に入りますと、補過処に行きました。譚紹聞は進み出て叩頭し、挨拶をしました。婁潜斎は同郷人の誼と、子弟の誼があったので、紹聞を引寄せますと、言いました。

「お前はわしに会いにくるべきだったのだ。わしもお前の事を心配していたぞ。お前の顔は、だいぶ大人びたな」

紹聞は叩頭を終えますと立ち上がり、それぞれ席に着きました。紹聞

「先生が館陶に赴任された時から、私は会いにいこうと思っておりました。しかし、いろいろと用事があって、やってくることができませんでした。最近は長いこと御無沙汰をし、ますます会いたくなったので、やって参りました」

「お父さまは昨年埋葬されたのか」

「あの時は、先生からお香典を頂き、ありがとうございました」

「少年の頃から肩を並べていたが、亡くなってからもう十年たった。お前の今の姿形は、お父さまの三十歳の時の顔にそっくりだ。お前はもちろん気が付いていないのだろうが、わしは亡くなった方が偲ばれてならん。樗児、樸児、お前たちは若いが、譚おじさんの若いときの顔を知りたければ、紹聞の顔をみればいい。昔から『父と子は顔は似ないが心は似る』というが、紹聞は心も似ているし顔も似ている。わしはもう老人になったが、紹聞を見ますと思わず溜息が出る」

婁潜斎は、もちろん深い友情からこのようなことを言ったのでした。しかし、譚紹聞はそれを聞きますと、胸がどきどきし、うなだれて黙っているだけでした。

 小者が顔をお洗いくださいと言いますと、婁潜斎は言いました。

「わしは腹が減ったから、とりあえず奥へ行って点心を食べる。数日間役所にいなかったので、文書が机の上にたまっているだろう。お前たちは一緒に話しをしているがよい。わしは少し休んでから、じっくり四方山話しをしよう」

そして、後署へ戻っていきました。

 翌日、紹聞が言いました。

「昨日は先生にお会いできませんでしたので、まだ奥さまにご挨拶しておりません。しかし、もう先生にお会いしたのですから、婁樗さん、三堂[20]へ行って、わたしが奥さまにご挨拶したいと言っているとお知らせください」

婁潜斎の家は家のきまりが厳しく、婦人たちは奥の間に住んでおり、よその人がそこへ行くことはまったくありませんでした。婁樗が一言報せますと、潜斎夫人は次のように言づてました。

「お話しは伺いました。奥座敷は狭苦しいので、ご挨拶には及びません」

そこで、紹聞は遥拝の礼を行い、婁樗、婁樸の二人は返礼を行いました。

 ある日、樗、樸兄弟は潜斎に報告しました。

「譚さんが物をもってきて、役所で買ってもらいたいといっています」

潜斎は思わず声を失って嘆きました。

「下品なことを」

婁樗

「昨日、聶先生が物を売りにきた時も、私たちは贈り物をあげました。まして譚さんは代々のお付き合いですから、譚おじさんの生前の平素の付き合いを忘れるわけにはいきますまい」

「まさにそのためなのだ。この間の聶先生は、まちがって冠県[21]の駱寅翁の推薦を受け、幕僚として迎えたのだ。ところが、あの人は、挨拶のために外出する時は、大きな轎に乗ろうとしたし、晩になれば、必ず提灯をともそうとした。役人というものは、常に質素にしなければいけない。しかし、あの人は、前世で功徳を積んでこの世で幕僚になったかの様に振る舞い、人の前ではわざと偉そうにしているが、影ではとても軽薄にしていた。わしは我慢できなかったが、邪険なことをするわけにもいかなかったので、何度も遠回しに交渉して、ようやくあの人を辞めさせた。すると、先日、あの人は物を売りにきた。そして、尚升を連れて簽押房[22]にきて叩頭した。わしが聶先生に近況を尋ねますと、尚升は言った。『聶先生は済南府に行かれ、様々な仕事をされたのですが、半年もたたないうちに、お金を使い果たしてしまいました。一年間職がなく、夏には革の服を質入れし、冬は薄物を質入れしています。仕方なく、物を買って役所にやってきたのです』。わしは一年あの人を雇っていたから、昨日、省城に使いを送った時、あの人に二十両の生活費を送ったのだ。しかし、自分の弟子が、こんなことをするとは思わなかった。勉強を教えたわしの恥であることはいうまでもないが、譚おじさんもきっと地下で恥ずかしい思いをされていることだろう。わしがもし世間と同じ様に、あれに援助してやれば、冥途にいる親友を裏切ることになるではないか。お前たちは世兄弟の間柄だから、話もしやすいだろう。あれがわしに対して金の無心をするようなことは絶対にあってはならん。あれを何日か引き止めるのだ。あれが帰るときにわしが手を打つことにしよう」

二人ははいと言いました。

 次の日になりますと、潜斎は酒宴を開いて譚紹聞をもてなすことにしました。小者たちは清籟堂に行きますと、床を掃き、テ─ブルを拭きました。潜斎は奥の書斎に席を設けるように命じました。昼の仕事が終わりますと、三人の主人と一人の客は、補過処で酒を酌み交わしました。潜斎は先生でしたので、南面して正座しました。譚紹聞は東に座り、樗、樸の兄弟は西の席でお相伴をしました。杯に酒をつぎますと、婁潜斎

「連日、世間話しをすることができなかったが、今日は暇だから、祥符のことを聞かせてくれ」

孔耘軒が官職を授かって赴任したこと、張類村に子供が生まれたことに話しが及ぶと、婁潜斎は思わずわがことのように喜びました。しかし、紹聞は家を売ったことを隠し、家を借りて住んでいるとだけ言い、張家で起こったやきもちの事も、詳しく話す気にはなれませんでした。程嵩淑のことを尋ねられますと、譚紹聞

「数年来あの方には会っておりません。ですから、あの方が最近どうしてらっしゃるのか存じません」

「わしはあの人が最近どうしているかを知っておる。あの人は最近『宋元八家詩選』を選ばれ、昨日役所に手紙を送ってきた。わしに序文を書いてくれということだった。程さんは、わしが毎日帳簿や公文書ばかり見ていて、文章が下手なのをご存じないのだ。わしは仏さまの頭から汚穢をかけるような真似はできん」

「八家とは」

「宋の四家は尤、楊、范、陸[23]で、元の四家は虞、楊、范、掲[24]だ」

潜斎はさらに八家の善し悪しを述べました。紹聞は返事をすることができませんでしたが、婁樸は身を屈めながら返事をしました。譚紹聞が話題を換えようとしますと、婁潜斎が言いました。

「お前の最近の行いを、わしは少し知っているぞ。女遊び、賭けをして、お父さまの戒めを破り、家はだんだん傾いているそうではないか」

「私は若くてぶらぶらしていましたので、悪人に誘われたのです。先生を騙していたわけではありません。しかし、最近は恥ずかしくてたまらず、すぐに改めたいと思っています。ですから、先生のところにやってきたのです」

「お前が悔い改めたのなら、故郷に帰って精進するがよい。程おじさんはわしの先生でもある。お前の話しだと数年来あの人と会っていないそうではないか。その訳は明らかだ。お前は程さんに会おうとせず、程さんはお前に会うのをいさぎよしとしないのだろう。あの人は性格がきっぱりしていて、歯に衣着せぬ人だ。わしはあの人と年が同じぐらいだが、あの人を畏れ敬まっている。後進を指導することにかけては、あの人が一番熱心だ。お前がお父さまの『熱心に勉強せよ』という遺言に従うつもりなら、お前が正しい人に近付く必要はない。程嵩淑さんは正しい人だから、向こうからお前に近付いてくるだろう。しかし、あの人の性格は、良い人間に出会うと、他人より丁寧に指導するが、正しくない者にあった時は、他人よりきっぱりと拒絶するのだ。お前は役所にやってきたが、向上心を持てるのなら、わしは一生懸命面倒をみよう。お前の家のことは、我々で相談し、お前のために面倒をみてやろう。先人は、子弟を任地で勉強させてはいけない、無益なばかりでなく、気質を損なう、と言っている。わしのこの役所には、紗帽[25]を被った者の他に書生がいるし、二堂の裏には家がある。『迂腐』[26]の二文字を、わしは捨て去ることはできないが、『俗吏』の二文字を、わしはそのままにしておこうとは思わない。わしはいつも省城で幕僚たちと会うが、何人かは俗吏のくせに、自分では得意になっている。わしは、今日、彼らの振る舞いを、子、甥、弟子に述べ、類村おじさんのいう『陰徳』を傷付けるには忍びぬ。だから、わしはこの役所に、子弟を住まわせているのだ。明日、徳喜児に家への手紙を持ち帰らせ、お前が役所で勉強をしていると言おう。そうすれば、お前のお母さまも心配せずにすむだろう。すぐに勉強を始め、本を読み、文を書くのだ。わしは面倒をみることはできないが、先生を呼んでもかまわないぞ。お前はどう思うか」

紹聞は勉強するのが嫌でしたが、借金取りから逃れられるのは嬉しかったので、承知しました。しかし、心の中で考えました。

「僕と婁樸は同じ年に勉強を始め、肩を並べていた。婁樸は今科挙に合格し、まもなく状元になるかもしれない。だが、僕はただの平民だ。勉強の時、婁樸は韓愈や蘇軾のようだが、僕はながいこと学問をおろそかにしてきたから、文章を書こうとすると、鄙、倍[27]の心が、筆先に現れるだろう。どうしたらいいだろう」

そこで、母親のことが心配になったといって固辞しました。実は先生が銀子を、なるたけ多くくれればいいと思ったのでした─これは譚紹聞が心の中で密かに願っていたことでした。

 酒を飲んでいる最中、突然小者が上申書を持ってやってきました。そこには「報告」と書かれていました─城の南四十里の所で、村人たちが殴りあいをし、死者がでたという事件でした。婁潜斎はすぐに検分にいくように命じ、検死人と刑房についてくるように命じました。紹聞

「もう暗いのですから、明日の朝、行かれてはいかがですか」

潜斎「お前は役人の辛さをしらないな。事件ははやく処理するのがいいのだ。人命事件では、一晩審理が遅れると、自供もころりと変わるし、話しも変化するものなのだ。刑房や検死人、胥吏たちは、財物を命のように好み、金を欲しがる心は天にも届かんばかりだ。電撃的に検分をするしかないのだ。そうすれば、不正を少しは防ぐことができるし、人々が死体の番をしたり、銀子や銅銭を贈る面倒を免れさせることができるのだ」

そして、婁樸の方を振り向いて言いました。

「わしはお前に熱心に勉強し、楷書を書き、古学[28]に専心するようにといっているが、進士になったら、翰林院に入るのがいい。そうすれば、将来は要職につくことができる。吏部から官職を授けられて、ずっと役人をしている間には、死体を目で見たり、手で触ったりしなければならない。強盗がいれば、手錠や鎖をはめ、幽霊や悪魔のような奴等の口から真実を聞き出さなければならない。これはとても辛いことではないか。今日は師弟、父子、叔父甥同士で四方山話しをしようとしていたのに、急に四十里離れたところへ行かなければならなくなった。お前たちはわしを憐れむのではなく、わしを見習うようにしてくれ。そうすれば勉強をしようという心が自然に沸き上がってくることだろう」

言い終わりますと、着替えをして堂から出、雲板[29]が鳴り響く中を、南の城外へと行ってしまいました。

 婁樗、婁樸は、父親が十分に教訓を垂れることができなかったのを残念に思いました。紹聞は恩師に直言されなかったのはさいわいだったと思い、心の中で喜び、同年輩の者たちと同席し、気兼ねがなくなったので、とても愉快になりました。

 次の日、潜斎は役所に戻り、荀先生とともに人命事件の上申について相談しましたが、話を脇道にそらせる必要はございますまい。譚紹聞は役所でどうしたのでしょうか。とりあえず次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1] 「家人がかわるがわる責め立てる」。『詩経』邶風、北門の「我入自外、室人交徧謫我」に因む。

[2] 「催租敗興」とは、宋の潘大臨が詩を一句作ったところ、借金取りがやってきたため、興をそがれて詩が完成せず、一句だけを友人の謝逸に捧げた、という『冷斎夜話』にみえる故事。「催租敗興の詩を作ることもできませんでした」とは、潘大臨よりも余裕がなかったということ。『冷斎夜話』「謝無逸嘗問潘大臨有新詩否。答曰、昨日得『満城風雨近重陽』句、忽催租人至、遂敗人興、只一句奉寄」。

[3]官名、清、置く。文書の往復を掌る所。

[4]清代、州県衙門又は武衙門で往来文書の受付、発送を司る吏。

[5] のれん。

[6]元代の雑劇。蕭徳祥撰。賢夫人揚氏が、仲の悪い孫華、孫栄兄弟を仲良くさせる劇。

[7]一吊は銅銭千枚。

[8]役人の従者。

[9] 「ない袖は振れぬ」の意。

[10]原注によれば、人を乗せるための一輪の手押し車という。

[11]江南、淮安府、山陽県にある堰の名。

[12]大官の邸宅にある、正門から数えて二番目の門。

[13]役所の中の、裁判をする部屋。

[14]浙江省紹興府山陰県。

[15]山東省東昌府。

[16]謝朓『哀策』。

[17]山東省。

[18]婁潜斎をさす。彼が済寧の知事をしているからこういう。

[19]宋の人。王安石の部下。政敵である元祐党人を排斥。

[20]屋敷地で一番奥にある建物。

[21]山東省東昌府。

[22]公文書の受け入れ、発送、処理を司る部屋。

[23]尤袤、楊万里、范成大、陸游。

[24]虞集、楊載、范梈、掲傒斯。

[25]紗の帽子。文官がかぶる。(図:『三才図会』衣服)

[26]野暮で融通が利かないこと。

[27]鄙は卑しいこと。倍は道理にもとること。

[28]科挙の試験において、八股文以外の経解、史論、詩賦

[29]合図に打ち鳴らす楽器の名。雲の形をしている。(図:『三才図会』器用)

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