第六十五回

夏逢若が寝台の下で咳をもらすこと

辺知府が建物で撲刑をおこなうこと

 

 さて、秦小鷹児、張二粘竿児は轎の前に跪きました。一人はもみあげから血を流し、もう一人は小鼻の横に痣をつくっておりました。二人はぜえぜえと息をしながら、訳の分からないことを話しました。辺公は怒って、

「何と図々しい悪者だ。一人が話し終わってから話すがよい」

秦小鷹児

「私どもは譚家で賭場に伺候するために雇われた幇閑でございます。私たち二人は、お祝儀を手に入れたら、半分ずつわけることにしておりました。ところが、こいつはしばしば独り占めをし、よそから来た私を苛めたのです。この男はこの城の者です」

張二粘竿児はあまり酔っていませんでしたので、賭場という二文字をききますと、ごまかそうと思い、急いで申し上げました。

「私は譚家の雇われ人です。こいつが私の金を借りたもので─」

辺公は譚家ということを耳にしますと、昔気に掛けていたことを思いだし、門楼の上を見てみました。そこには「品(すぐ)れ行ひ(ただ)し」と書かれた金字額が掛かっており、脇の落款には、譚忠弼の名前が書いてありました。そこで、心の中で、

「これはきっと譚紹聞の屋敷だ。彼にちょっと会ってみよう」と思い、張二粘竿児が話し終わるのを待たずに、二人の酔っ払いを鎖で縛り、役所に護送させました。そして、自分は轎から下り、真っすぐ門楼の中に入っていきました。街で見ていた人々は、譚紹聞のことをとても心配しました。

 辺公は二門に入りますと、数人の軍牢が大広間にやってきました。ところが、ひっそりかんとして誰もいませんでした。テーブルは斜めに、椅子は横倒しになっており、床には四五枚の銅銭と、紙牌が二枚落ちていました。辺公は笑って、

「やはりな」

広間の軒下に立つと言いました。

「廂房の中で、誰かが鼾をかいているな」

軍牢が廂房に入りますと、虎鎮邦が仰向けになり、雷のような鼾をたて、南柯の夢の真っ最中でした。軍牢は叫びました。

「知事さまがお呼びだぞ」

虎鎮邦は辺公が来ているとは夢にも知りませんでしたから、罵って言いました。

「眠くてたまらねえよ。何を騒いでやがるんだ」

そして奥の方へ寝返りをうち、なおも眠ろうとしました。軍牢は寝台から虎鎮邦を引き摺り下ろすと言いました。

「何と図々しい奴だ。知事さまが広間で、おまえの報告を待っているぞ」

虎鎮邦が目を見開きますと、三四人の男が、黒や赤の高い帽子を被り、絹の帯、黒い衣をつけ、手には革の鞭を持っていました。冥土の下役が魂を法廷に呼びだしにきたのか、この世の下役が捕まえにきたのか分かりませんでした。そこで一声、

「私を呼んでどうなさるのですか」

軍牢は早くも虎鎮邦を引っ張って広間の前に跪かせました。辺公が尋ねました。

「お前は何者だ。ここで何をしていた」

「私は標営の兵士のかしらで、虎鎮邦と申します。こちらの譚さんは私の親戚で、昨日私が尋ねてきたので、私を泊まらせたのです」

「もう昼近いのに、なぜ寝ていたのだ。それにどうして服を脱がずに寝ていたのだ」

虎鎮邦は返す言葉がありませんでした。すると、廂房の中から咳をするのが聞えました。

「廂房の中には他に誰がいるのだ」

軍牢は廂房へ探しにゆきました。四方に壁があるだけで人はいませんでした。しかし、壁の隅の寝台の下に、人影がちらりと見えたので、手をのばして引っ張ってみますと、そこには夏逢若と劉家の豆腐屋の倅がいました。

 そもそも人々は一晩賭けをして、夜と昼が逆になり、省城の地では、役人がしょっちゅう行き来しているので、少しも気にしなかったのです。今日、突然、街から先払いの声が聞こえ、門の前で止まったので、どうやら様子がおかしいと思いました。そして、突然人が入ってきましたが、足音が普通の人とは違うので、さらに話を聞きますと、辺公が広間にきたことが分かりました。二人は虎鎮邦に声も掛けずに、一緒に寝台の下に隠れたのでした。そして、逃げられたことを喜んでいましたが、豆腐屋の倅が毎日寒気にあたっていたため、喉がおかしくなり、むずむずとして何度も咳をしようとしました。夏逢若は息を潜めて豆腐屋の倅の口をおさえました。ところが忙しい時は失敗が起こるもので、自分の喉のむずむずをおさえることができず、夏逢若の方が小さな咳をし、馬脚を現してしまったのでした。辺公に見付かり、三人は広間のある中庭に跪かされました。

 辺公は夏逢若を見ますと、笑いながら、

「またお前か。その男は誰だ」

豆腐屋の倅は、母の胎内を出てからというもの、役人と相見えたことがありませんでしたので、慌てて答えました。

「私は賭けはしておりません」

辺公は笑いながら、

「ここで賭けをしていたのは確かだ」

「本当に賭けをしておりません。私は知事さまのお教えを受けた者ですから、絶対悪事をしたりは致しません」

「言いわけは無用だ、お前に証拠をみせて、お前が殺されても恨みがないようにしてやろう。下役たち、賭博道具を探してこい」

軍牢は各部屋を探し、新しくてまだ使っていない賭博道具、旧くて使えなくなった賭博道具などを、山のように探してきて、広間の前に置きました。辺公

「これでも何かいうことがあるか」

人々はうなだれて言葉もありませんでした。

 辺公が尋ねました。

「家の主人はどうした」

虎鎮邦

「朝、親戚を訪ねにいきました」

「どんな親戚だ。城内に住んでいるのか。それとも城外か」

夏逢若

「多分、叔父の家に行ったのでしょう」

辺公は虎鎮邦にむかって

「お前が譚紹聞の伯父ではないのか」

「私は譚紹聞の外伯父です」

「嘘ばかり言いおって。奥へ呼びに行け」

すると、徳喜児が跪いて申し上げました。

「主人は、今朝、舅の家に誕生祝いに行きました」

「賭博道具も、賭博仲間もいる。開帳をした人間が天に飛んでいくこともあるまい」

そこで、下役に命じて、犯人たちを鎖で縛り、役所へ連れていって審問しました。辺公は譚家を出て、先払いの声を響かせながら去っていきました。

 さいわい、帳房の捜索は行われませんでした。帳房の中には、素馨と鮑旭がいました。素馨、鮑旭は、広間のある中庭が捜索される様子を戸の隙間からみる勇気もなく、紙が貼られた雪洞の中で、篩のように震えていました。

 さて、辺公は、譚家から賭博道具を押収し、賭博犯を捕縛しました。すぐに城の大半の人々がびっくりしました。人々は、譚紹聞も捕縛されたといいました。父親の友人である孔耘軒、程嵩淑たちは、譚孝移のために溜め息をつき、腕を握り締めないものはありませんでしたが、どうすることもできませんでした。

 この日、譚紹聞は、巫家の岳父の誕生日で、寿麺を食べにいきました。徳喜児は、飛ぶように曲米街に知らせにいきました。巫家に着きますと、繍春班が『封神榜』のケ嬋玉と土行孫の大戦を演じており、宴席はとても賑やかでした。徳喜児が譚紹聞の耳元で話しをしますと、譚紹聞はにわかに真っ青になりました。糸よりも細い寿麺は、瞬時に革の紐のようになり、噛みきることができず、喉を通らなくなりました。譚紹聞は、巫家の大事な客でしたので、満座の人々が注目していましたが、その様子を見て、訝かりました。簾の中では、姑が何かの病気ではないかと思い、人を遣わして譚紹聞を奥の広間に呼んで、尋ねました。

「胸がおかしいのですか。それとも頭が痛いのですか」

巫翠姐もやってきて尋ねましたが、譚紹聞は答えることができませんでした。そして

「朝、寒い空気にあたったので、少し吐き気がしたんだ」

といいました。巴氏は急いで生姜湯を出すようにいいました。

 しかし、巴庚はすでに徳喜児に事情を尋ねていました。まさに「好事は門を出でず、悪事は千里に伝わる」、「人の口は速きこと風の如し」というもので、あっという間に家の内外の男女が、譚紹聞の家で博徒の捕縛が行われた事を知ってしまいました。譚紹聞もだんだんと隠すことができなくなったので、仕方なく巴庚を奥の広間に呼び、どうしたらいいかを相談しました。巴庚

「三十六計、逃ぐるにしかずです。追及が行われている今は、賭場で事件が起こったのですから、高飛びするのが上策です」

巴氏

「それは良くない、譚さんをどこに行かせるんだい。譚さんを私たちの楼のてっぺんの部屋に泊めて、私が譚さんの面倒をみよう。時間がたてば、追及の手が緩まぬとも限らないよ」

巴庚

「おばさんのおっしゃることもご尤もです。家の中の使用人たちに、絶対にお喋りを慎むように、絶対に秘密をもらさないように、ひたすら歯を食いしばるようにと命令すれば、彼らが話しをすることはないでしょう。下役たちが私たちの家にいることを知ったとしても、銀子の包みや銭の束を与えれば、家に入り込んできて捜索をすることはないでしょう。金があれば幽霊に臼をひかせることだってできますし、下役を買収して楼にのぼらせないことだってできますよ。譚さんが金持ちだということは知られていますから、みんな賄賂をもらおうという腹積もりでいますよ。譚家の使用人にも秘密を漏らさないようにさせなければいけません」

そこで、徳喜児に、家に帰るように命じました。

 紹聞は、巴庚の話しを少し聞きますと、心の中で安心しました。そして、表へ劇を見にいかず、楼に上がって泊まることにしました。巴氏は、翠姐にお供をさせました。ところが、巫翠姐は普段から芝居見物を生きがいにしておりましたので、今まで通り簾の中で菓子をかじり、茶を飲みながら、芝居を見ていました。巴氏は心から婿を可愛く思っておりましたので、何度もやって来ました。

 譚紹聞が姑の家に身を落ち着けたことはお話し致しません。さて、豆腐屋は息子が賭けをして捕縛されたことを聞きますと、憎々しげな調子でいいました。

「ざまあみろ。俺がせっかく金を稼いだのに、毎日俺の言うことを聞こうともせず、法を犯すとはどういうことだ。あいつが尻をぶたれれば、俺は気持ちがすっきりするわい」

しかし、そう言いながら、思わずぽろぽろと涙を流し、泣きながら、

「あいつめ、かわいそうにな」

父母の苦しみを述べた『字字双』という曲がございますので、お聞きください。

憎むべき悪い息子は父母を怒らせる。愚かな有様。親は正しい道で子供を正そうとするが、子は従わない。見識は優れているが、勝手なことをする。何度も懇ろに教え諭すが、聞く耳持たない。大樹の影で涼もうとせず、ぶらぶらする。年長者が倹約をして行いを改めさせようとするが、しらばっくれる。喜ぶべし今回災いに遭い、戒め懲らしめられるを。可愛い息子を思う気持ちは変わらず如何ともし難い。放っておくことはできない。

 さて、虎鎮邦、夏逢若、豆腐屋の倅たちは、役所に連行され、秦小鷹児、張二粘竿児とともに、供述書をとられました。辺公は、譚紹聞のことを考えていましたので、ひとまずこの五人の賭博犯を捕役の監獄に護送しました。そして、譚紹聞を捕らえるために下役を遣わし、彼がやってきたら、全員を裁くことにしました。そこで、二人の干役を差し向けることにしました。─一人は呉虎山、一人は尚騰雲といいました。二人は簽を受け取りますと、一緒に蕭墻街に行き、門のところで名前を呼んで、譚紹聞を捕らえようとしました。

 王氏は慌てて、急いで城の南に王象藎を呼びにいきました。王象藎は知らせを聞きますと、すぐにやってきました。裏門から入りますと、堂楼の入り口の右側につきました。王氏

「お前が最近家にいなかったので、若さまが賭場を開帳し、どういうわけか辺知事さまがお怒りになり、表の中庭にきて、虎鎮邦と夏さん、それから豆腐屋の倅を、鎖を賭けて連れていってしまったんだよ。表の中庭にいた二人の私娼は、裏門から命からがら逃げていった。今、表の中庭に二人の下役が来て、狼か虎のように、何度も若さまを出せといっているんだ。王中、どうしたらいいんだろうねえ」

王氏はそう言いながら、早くも泣き出しました。王象藎

「ご隠居さまは、物分かりがよくなられました。しかし、手遅れでないと思われても、やはり手遅れです。若さまは、今、どこにいらっしゃるのです」

王氏は泣きながら、

「さいわいあれは嫁と一緒に舅の家に誕生祝いに出かけて、まだ戻ってこないよ」

「ご隠居さま、声を小さくなさって下さい」

 すると、表の広間で鉄の鎖がテ─ブルにぶつかる音と、大声で叫ぶ声が聞こえました。

「譚紹聞。お前は亀の甲羅の中に隠れて、一万年頭を出さないつもりか。これ以上出てこないなら、中に入って探すことにするぞ」

王氏

「どうしよう」

王象藎

「心配ございません。手元にお金をお持ちですか」

王氏はあるといい、奥の部屋から大きな包みをもってきました。王象藎は銀子を受け取りますと、表の広間に行き、何やら手を打ちました。すると、表の広間でハハと大笑いする声が聞こえ

「私たち二人がいますから、譚さまが土下座させられることはありません。王さん、安心して下さい。奥のご隠居さまにも、安心してくだされば結構ですとおっしゃって下さい」

王象藎は戻ってきますと、すぐに食事を作らせました。王氏

「でき合いのものがあるよ。昨日、向かいの家が焼き鳥、ハム、イエバト、滷腸、二三甕の酒をもってきて、商売ができなくなったと言っていた。台所で料理させよう。表へ行って、お客の相手をしておくれ」

王象藎はふたたび表の広間へ行きました。まもなく酒と肉が出されますと、王象藎はお相伴をし、二人が鯨のように飲み、虎のように食らうのを見ていました。王氏と冰梅は、衝立の後ろに立っていました。一人がこう言いました。

「譚家の兄弟が出てこられなくても構いません。この世の中に、親友に何かをさせる 人間はいませんからね」

もう一人は

「賭博など大したことではありません。金を惜しまなければいいのです。役所では金を必要としていますからね。うまく賄賂を使って、役所で南向きに座っているあの爺さんを騙せば、大事件でも追及されませんよ」

さらに、こそこそと何か話しました。王氏もはっきりと聞くことはできませんでしたが、心の中で少し安心しました。

 まもなく、王象藎が二人を送り出し、楼の下にやってきますと、言いました。

「いずれにしても、銀子を使って手を打てば、若さまが役所につれていかれることはありません。今晩、役所にいって手を打ちましょう。若さまが館陶の婁先生の任地へ行って、半年泊まっていたので、表の中庭を酒屋や惣菜屋に貸した、賭博に関しては、もともと彼らが表の中庭を借りてから法を犯したもので、家主とは何の関係もありませんと言っておきましょう」

王氏

「それなら、すぐに役所にいって話をしておくれ」

「銀子を払えば、彼らが私たちのために話しをしてくれます」

王氏は、王象藎が普段使い込みなどをしないことを知っていましたから、部屋に戻りますと、今までのへそくりをすべて王象藎に与えました。王象藎はそれをもって、役所に行き、刑房の書吏、快班[1]のかしらに、こっそり賄賂を送りました。

 晩になりますと、二堂で比較[2]が行われました。呉虎山、尚騰雲は跪いていいました。

「申し上げます。私は知事さまの命令書を奉じて、賭博犯譚紹聞を捕らえにいきました。彼の家にいきますと、譚紹聞は館陶の婁知事からの手紙を受けたため、婁知事の役所に赴き、署名の仕事をしていました。彼は、表の中庭が空くので、人に貸したのです。賭博は賭博犯たちが間借りをしてから行われたもので、譚紹聞とは何の関係もございません。それに、譚紹聞は、今、家にはおらず、本当に館陶にいるのです」

辺公は灯りのもとで笑いますと、筒の中から刑杖簽を四本抜き取り、地面に投げました。門役がぶてと命じますと、すぐに皀役が四人やってきました。呉虎山、尚騰雲は、声を揃えて冤罪ですと言いました。すると、辺公は一言いいました。

「しっかりぶつのだ。私欲にかまけて刑を軽くしたら、今度はお前たち四人が棒打ちになるぞ」

呉虎山、尚騰雲はそれぞれ二十回棒打ちになりました。

「お前たち二人は、賄賂を受けて譚紹聞を逃そうとしているのだろう。明日の朝、譚紹聞が法廷にこなければ、それぞれ二十回棒打ちにし、免職にして二度と召し抱えないぞ」

命令を終えますと、雲板が三回鳴り、明鏡止水のような辺知事は、内署に戻っていきました。

 呉虎山、尚騰雲は、足を引きずり、うんうんいいながら二堂を出ました。王象藎は、堂の入り口で彼らを迎えますと、言いました。

「お二人とも、お気の毒でした」

呉虎山

「いや、そんなことは言わなくていいよ。友達としての務めを果たしたんだから。ただ、ご主人には出てきてもらわないとな。俺たちはひどい目にあってしまうよ」

王象藎は返す言葉もなく、主人の母親にそのことを報告しました。王氏は取り乱しましたが、そのことはお話し致しません。

 さて、捕班の人々が出迎える中、呉虎山は弟の呉二山に支えられ、尚騰雲は料理人の張五海に支えられながら、捕房の宿舎に入りました。賭博犯虎鎮邦、夏逢若、小豆腐、張二粘竿、秦小鷹児は、みな鉄の鎖をかけられていましたが、慌ててやってきて、怪我はどうだと尋ねました。呉虎山

「譚の死にぞこないが役所に出頭しないとあんたたちが言ったから、俺たちは『竹の子ス─プ』を御馳走になったよ。明日の朝、出頭してこなければ、大変なことになってしまうよ」

秦小鷹児は張二粘竿をつねりました。二人は一本の鎖で繋がれたまま、壁の隅へいきますと、相談しました。

「張さんよ、見てみろ。端福児が出てこなかったら、この事件はけりがつかないぜ。あいつらは二人とも御馳走をしてもらっている。小豆腐の食事を奪って食わなければ、俺たち二人はこの二日間で飢え死にしてしまうぜ。譚福児は舅の家にいる。何とかしてあいつを騙して連れてこなければ、捕班の人たちは事情が分からないよ」

張二粘竿

「秦兄さん、あんたもケ祥みたいな口のきき方をするようになったね。捕班の人たちと相談するといい。彼らと俺たちで巫家へ行って、あいつを騙して外に出させ、鎖を掛けてしまおう。明日の朝、お上に会わせれば、きっと殴られるぜ。百年も逃げおおせることはできまい。俺たちは他に仕事を探すことができるぜ」

「お前がこの間、酒をもう一杯少なくしていれば、こんなことにはならなかったんだぞ」

「俺を責めてもしようがないよ。そんなことは言わずに、譚紹聞を捕まえるのが先決だよ」

二人はふたたび部屋の中に入りますと、譚紹聞を騙す方法を、一通り話しました。呉虎山

「それはなかなかいい。俺の弟を俺の代わりに行かせよう。俺は歩けないから」

尚騰雲も仲間のケ可道に頼みました。そして、料理人の張五海と三人で、秦小鷹児、張二粘竿をつれて、巫家にいきました。

 呉二山、ケ可道、張五海が門の脇に隠れますと、秦小鷹児は慌ただしく来訪を告げました。門の中から

「どなたですか」

と尋ねる声がしました。秦小鷹児

「蕭墻街から来ました。若さま、はやくお帰りください。ご隠居さまが痰で息がつまってお倒れになりました。これから東街の王叔父さまの家に知らせにいって参ります」

奥でどのように譚紹聞に知らせたのかは分かりませんでしたが、しばらくたちますと、巫家の門が片方開き、一人の男が出てきました。そして、辺りを見回しますと、門の中に向かって、

「お戻りください。街に人がいませんから、失礼致します」

中では女の声がして、

「譚さん、気をつけてください」

呉二山、ケ可道は、進み出ますと、譚紹聞を掴まえました。譚紹聞は訳もわからないまま、首に鉄の鎖を嵌められてしまいました。彼は慌てて、

「僕は母に会いにいくんだ。君についていくよ」

呉二山

「私と一緒に、まず兄に会いにいってください」

巴氏は外の声を聞きますと、慌てて、

「大変だ。お役人さま、うちには、酒も肉もあります。それに銀子もありますから、使ってください」

しかし、人々は、巴氏のいうことには耳も貸さずに、譚紹聞を遠くへ引っ張っていてしまいました。

 まもなく、道を曲がり。捕役の宿舎に入りました。賭博犯たちがみんな揃いました。呉二山は宅門に行き、譚紹聞を捕まえてきたと言いました。しかし、虎鎮邦の姿は見えなくなっていました。呉二山は尋ねました、

「兄さん、虎さんは」

呉虎山

「さっき知事さまが名帖をもった兵房[3]をよこし、皀役に護送を命じ、標営の雷さまのところへ連れていかせたよ」

 人々が班房で一晩恐れおののき、灯火の下で気をもんだ事はお話し致しません。やがて、鶏が三回鳴き、更鼓はやみ、明星は消え、太陽が東からのぼり、朝になりました。最初の拍子木が鳴りますと、呉虎山、尚騰雲が賭博犯たちを引き連れ、譚紹聞、夏逢若、小豆腐、張二粘竿、秦小鷹児は、みな鉄の鎖を掛けられて、儀門の外の獅子の横でしゃがまされ、辺公が法廷で裁きをするのを待ちました。すると、標営の書吏が手に名刺をもち、一人の兵卒が虎鎮邦を引っ張ってきました。虎鎮邦は、びっこを引きながらやってきました。書吏は宅門につきますと、

「虎鎮邦はもう給料を取り消されてしまいました。知事さまのお裁きをお願い致します」

人々はそれを見ますと、叫びました。

「かわいそうに。この事件は救いようがないぞ」

虎鎮邦は、人々を見ますと叫びました。

「みんなの中で、俺だけがこんな目に遭うなんてな」

夏逢若はうなずいて

「賭けすりゃいつか殴られる、あるは遅速の違いのみ、ということだよ」

 突然、雲板が鳴り響き、皀役が叫び、清廉潔白な辺公が、ふたたび暖閣の奥に腰を掛けました。彼は、譚紹聞の件をどう処置するか、心の中ですでに考えていました。標営の兵書[4]が、虎鎮邦をつれてきて、跪いて申し上げました。

「知事さまが、昨晩護送してこられた賭博犯の虎鎮邦です。私の上官が法によって彼を処罰し、四十回棒打ちにし、兵士の頭の職を解き、給料を取り消しました。そして、私に虎鎮邦を連行して報告をするように命じました。虎鎮邦はすでに平民となり、標営とは関係ございません。知事さま、法によってご自由にご処置願います」

辺公

「送られてきた帖子を戻して、上官の雷さまにくれぐれもよろしく伝えてくれ。お前は標営に戻って仕事をするように」

兵書は一回叩頭しますと、虎鎮邦を残して、法廷から出ていきました。

 辺公は、賭博犯たちを連れてくるように命じました。呉虎山、尚騰雲は、彼らを引き連れ、法廷に跪かせました。辺公は中に譚紹聞がいるのを見ますと、言いました。

「さっきの下役二人は、まったくけしからんな。どうやって一晩で館陶県からこの者を捕まえてきたのだ」

呉虎山、尚騰雲は息をすることもできませんでした。辺公が口を噤みますと、二人はようやく立ち上がりました。辺公は秦小鷹児、張二粘竿に尋ねました。

「お前たち二人は図々しい奴だ。賭けの分け前が公平でないからといって、酒に酔って喧嘩をし、その上役人を無視して、轎の前で取っ組み合うとは。ただでは済まされぬぞ」

秦小鷹児

「私は死んで当然ですが、私には八十歳の老母がおります。知事さま、どうかご慈悲を」

張二粘竿

「私の母親は、今年ちょうど七十五です」

「お前たち二人は年は幾つだ」

秦小鷹児

「私は今年二十九です」

張二粘竿

「私は今年二十四です」

辺公は、刑杖簽を四本取りだし、地面に投げますと、

「お前たち二人の母親は、五十過ぎにお前たち二人を産んだのか。わしはまず人でなしのお前たち二人をぶってやろう」

皀隷が彼らを引っぱり、それぞれ二十回棒打ちにしました。打たれると皮は開き、肉は綻びました。彼らが叫び声をあげたことは、いうまでもありません。辺公は彼らに虎鎮邦と一緒に跪くように命じました。

 辺公は夏逢若を見ますと、冷笑して、

「お前には何も尋ねることはない」

五本の刑杖簽を投げ、やはり二十五回ぶちました。さらに、小豆腐に尋ねました。

「お前の本名は何というのだ。どうして小豆腐と呼ばれているのだ」

小豆腐は全身ぶるぶる震え、口を閉じ、返事をすることができませんでした。辺公

「お前のうちは代々豆腐屋だから、世間でお前のことを小豆腐と呼びならわしているのだろう」

小豆腐は歯の隙間から、うめくような声で

「はい」

と答えました。辺公

「お前は色物の服を着ているが、お前の父親は倹約して家を切り盛りしていた人なのだろう。財産を築くために、どれだけの苦労をし、どれだけ飢えや寒さを我慢したか分からぬ。ところが、お前のような不肖な化け物が生まれ、毎日酒や肉をくらい、絹物を着た。それはまだいい。しかし、お前は仕事にも安んじようとせず、こんな無頼漢たちと一緒になって女遊びや賭けをしている。お前の父母は真面目だが、ただ激怒するだけで、躾をする術をしらないのだ。わしは、今日、まず不孝者のお前をぶつことにしよう」

辺公はそう言いながら、怒りの色を眉間に浮かべ、さっと七本の刑杖簽を投げました。皀隷は小豆腐を引き据えますと、ズボンを脱がせ、二回ぶちました。そこへ、一人の老人が法廷に駆け込んできて、跪いて泣きながら叫びました。

「知事さま。知事さま。これは私の息子です、許してやってくださいまし」

「お前は何者だ。何か言うことがあるのか」

「私が老豆腐でございます。ぶたれているのは息子です。知事さまが息子をぶたれるのは、私の心臓をえぐるようなものです。知事さま、息子を許してやってください」

「お前の息子は、普段からお前の躾をうけていなかったにちがいない。今日はわしがお前になりかわって躾をしてやっているのだ。お前は何を騒いでいるのだ。わしはお前が息子に激怒しているのではないかと心配していたのだ」

豆腐屋は泣きながら言いました。

「知事さま、知事さまが私の息子を捕まえてからというもの、妻はびっくりして二日間一滴の水も飲んでおりません。これがもし嘘なら、私は雷に打たれることでしょう。知事さま、息子を許してやってくださいまし」

「棒でぶたれても死にはせぬ。お前はこんなに息子をいとおしんでいるのだな。息子が賭博をしてお前たち夫婦は激怒していたのに、息子はお前たちのために心を傷ませることがなかった。これはますます許すことはできん」

「私たち夫婦はもうすぐ死ぬ身ですから、たとえ激怒して死んだとしても、前世で良い息子が生まれるための功徳を積まなかったのを恨むだけのことです。しかし、彼ら二人はまだ若いのです。私は跡取りを残して下さるよう、ひとえにお願い申し上げます」

「人情としては哀れむべきものがあるが、断じて王法をおろそかにするわけにはいかぬ。ひきずりだせ」

左右の者は、豆腐屋を引きずりだすと、ふたたび小豆腐をぶち始めました。すると、豆腐屋は跪いて上座に向かい、息子が一回棒でぶたれるたびに、一回叩頭し始めました。そして、顔をあげますと、気違いのように叫びました。

「ああ。知事さま。知事さま。私を哀れと思し召してくださいまし」

辺公が豆腐屋を見てみますと、彼は両手で法廷に敷かれた煉瓦をつかんで、二つの穴をあけていましたので、とても悲しい気持ちになりました。八回ぶちますと、辺公はぶつのをやめるように命じました。そして、小豆腐を放免し、父親の子に対する天性の愛情を説いて、小豆腐の良心を呼び起こし、心から改心させ、年老いた両親に辛い思いをさせないようにしようとしました。すると、突然一人の男が東の側門から走り込んできて、法廷の入り口に来ますと、あたふたと報告をしました。

「常平倉街で火事です。知事さま、すぐに現場へ行き、消火の指揮をなさってください」

辺公はとても驚き、すぐに椅子から立ち上がりますと、急いで命令しました。

「賭博犯たちをとりあえず拘留しておくように。戻ってきてから沙汰をするから」

 辺公は、急いで輿に乗りますと、倉巷にやってきました。すると、黒煙が地を払い、赤い炎は天を焦がしていました。叫ぶ声がひっきりなしに聞こえました。城内の役人で、保正の職にある者はみな、すでに続々とやってきていました。城外の壮丁たちも、麻搭[5]や鳶口を、担いだり、運んだりしました。街の士人や平民は、水を担ぎ、消火を行い、井戸の脇には人がごった返していました。大きな池には、人がぎっしり並び、水を運んで火にかけていました。女は衣装箱を運び、泣き声、叫び声の区別もつきませんでした。役人たちは下役を率いて、消火の指揮をしました。辺公は、干役を質屋につかわして、銅銭五千銭を持ってこさせ、水を一回運ぶごとに、二十文の賞金を与えることにしました。人々はかいがいしく働きました。さいわい、その日は風が穏やかでしたので、四五軒の家が燃えただけで、火はだんだんと収まりました。常平倉は風下にありましたが、夜回りの寝床が一か所焼けただけでした。裕字号の倉のたるき、門扉が、炎で焼けましたが、さいわい、人が多く、水もたっぷりあったので、すべて消し止めました。辺公は数人の官員とともに、廂房の穀物を徴収するための広間に腰を掛けますと、言いました。

「まったく驚いた」

しばらく休みますと、その町の保正の葛自立に火事の原因を尋ねました。

 まもなく、人々がぜえぜえと息をしながら、跪いて報告しました。

「この火事は、焦家の子供が花火、爆竹が好きで、積んであった草の上に爆竹の紙を落としたために、火が着いたのです。火は焦家から起こって、私たち四五軒は、丸焼けになってしまいました。私たちはいつも焦家の子供に爆竹をしないようにいっていたのですが、彼は『大丈夫、僕が見ているから』と言うだけでした。父親に話しをしますと、父親は馬鹿息子を甘やかして、一言も叱ろうともしませんでした。知事さま、私たちに何石かの穀物と、住む場所をください。今、食べるものがないのです」

辺公

「その焦という者は、名前は何というのだ」

百姓たちは言いました。

「焦新といいます」

辺公は焦新に報告をさせるように命じました。役人たちは言いました。

「あいつを厳罰に処するべきです。あいつが息子を甘やかしたために、朝廷の貯蔵庫が火災に遭うところでした。これは許されないことです」

話をしておりますと、保正の葛自立が跪いて報告しました。

「焦新は、突然火事が起こったので、自分の部屋に入って衣装箱を持ち出そうとしましたが、出てこられなくなりました。さいわい弟が命懸けで助け出しましたが、七割は死んだも同然、三割は助かる見込みはございません」

「これは天罰というものだ。息子はどうした」

「息子は消火用の水桶が家の屋根の上から転がってきて、頭にぶつかって穴があき、今でも血が止まりません」

辺公は同僚の役人にむかって

「これは天の罰です、人が罰する手間が省けましたね」

しばらく腰を掛け、裕字号の門戸、閘板[6]を、人に見張らせ、明朝、大工や左官屋に仕事をさせることにしました。さらに、被災家屋を丁寧に見回り、水を焼け跡にかけました。そして、明日の朝に裕字号から穀物を借り、人々に食べさせるように命じました。晩になりますと、轎かきが長いこと待っておりましたので、同僚の役人たちは、それぞれ馬に乗って帰りました。

 辺公は役所に帰って食事をとりますと、斯未亭に行き、幕僚の頼芷渓と、上官に報告するかどうかを相談しました。頼芷渓

「民家が数軒延焼しましたが、火は倉庫には届いていません。この県で消火が行われたことは、上官はすでに知っていますので、もとより事実を隠すべきではありませんが、穀物に損害はないのですから、消火したとだけ報告するべきでしょう。今のところは府知事さまに、明朝、救済を行うことについて報告するべきです」

辺公はうなずいて、

「そうしよう」

そして、轎に乗って府知事の役所に行きました。

 さて、譚紹聞がまさに刑を受けそうになったところで、たまたま倉巷で火事があり、辺公は細かい尋問をしないうちに、しばらく外出してしまいました。すると、刑房の草稿担当の邢敏行が、譚紹聞の富裕な財産を目当てにして、人を遣わし、王象藎に、役所にコネをつけろと言いました。王象藎

「受けるべき罪を受けても、役所の中で半文でも賄賂を使って、罪の上塗りをするわけにはまいりません」

 王象藎が賄賂を送ろうとしなかったことはお話致しません。さて、巴氏は婿を息子のように愛していましたので、巴庚を遣わして様子を伺っていました。朝、役所に審理を聞きにいきましたが、巴庚はもとよりなすすべもありませんでした。突然、辺公が消火をしにいったので、巴庚はとぶように家に戻り、巴氏に事情を話しました。巴氏

「すぐに役所に行って、手を打っておくれ。譚さんを救うことができさえすれば、金は幾らでも出そう。譚さんの家で出せなくても、私が全部だすことができるよ。譚さんも反対しはしないだろう。私に代わって、譚さんがひどい目に遭わないようにすることができるのは、お前だけだよ」

巴庚はおばの話を聞きますと、まず五十両の銀子を貰い、ふたたび役所にやってきました。そして、半日半夜の間に、すっかり手を打ちました。巴庚は、もともと馬鹿ではありませんでしたので、覿面の効果をもたらす孔方兄をばらまきました。孔方兄は事をうまく運ぶ能力を発揮し、まず関格の病を治しました[7]

 辺公が府役所から戻った時は、すでに真夜中でした。斯未亭の小部屋にいきますと、幕僚の頼芷渓はちょうど受付係の呉松廬、書記の鄭芝軒、教師の蒋嵐璋と晩酌の最中でした。ボ─イが

「知事さまが戻られました」

と言いますと、門簾が開き、辺公がやってきました。辺公は笑いながら、

「お迎えもしませんで失礼致しました」

頼芷渓たちは、立ち上がって席を勧め、ボ─イは酒をつぎ、辺公の前におきました。頼芷渓

「お帰りが遅かったですね」

「府知事さまが私をひきとめて別の話をし、私を帰らせようとしなかったので、しばらくとどまっていたのだ」

そして、杯を渡して、酒を飲みはじめ、無駄話しをし、ついでに今日の賭博犯のことを話しました。辺公

「明日、撫院にいって戻ってきたら、昼、裁判を行い、譚紹聞を二十回大板でぶちのめしてやろう。譚紹聞は何度も悪いことをしており、事件が起こるたびに、必ずこの男の名前が出てくる。昨日、譚紹聞の屋敷にいったが、立派な家だった。どうして譚紹聞はあのように不肖なのだろう。明日は絶対に許さないぞ」

蒋嵐璋

「知事さまは、役人というものは怒りを慎まなければならないと、いつも自らを戒めてらっしゃるではありませんか。よくお考えになってください。すぐにお怒りになってはいけません」

「わしが初めて赴任した頃、臨潼の趙天洪の強盗事件で盗品の金の腕輪を受けとりにきた時にも、譚紹聞が関係していた。その後、管貽安が姦淫をして人命事件を引き起こした時も、やはり彼が関連していた。わしは、その時は人命事件にはたくさんの人を連座するだろうと思ったので、管貽安が他人を巻き添えにしようとするのを聞きいれなかった。昨日は、蕭墻街に行ったら、二人の無頼漢が酔っ払って、わしの轎の前で公然と殴りあいをしていた。これは天をも恐れぬ仕業ではないか。尋ねてみますと、彼らは譚家の賭博場のボ─イだった。わしがもし譚紹聞を野放しにすれば、締め付けがないために、ますますでたらめなことをするようになるだろう。これは彼の将来にとっても良くないことだ」

頼芷渓

「明日、撫院から戻られたら、賭博犯たちを二堂で審問しましょう。その時、私たちも譚紹聞がどんな顔をしているか見てみましょう。もし読書人らしさがあれば、特別に許してやることに致しましょう。棒打ちにして、刑罰を受ければ、この男の将来が台無しになってしまいますから」

「まあそうだな。みんなのいう通り、明日二堂で審理をしよう。その時に面会して考えることにしよう」

 この一言で、譚紹聞の災いは退きました。皆さんは蒋嵐璋、頼芷渓が請託を受け、譚紹聞ために口をきいたのだと疑われるかもしれません。しかし、辺公は清廉潔白で、友人も正しい人ばかり、幕僚たちも、品格のある人ばかりでした。これは、取次係の張二が、辺公が府役所に行っている間に、刑房の邢敏行の要請を受け、幕僚の部屋に、署名、書き判をする簽押の原稿の束を届けた時に、それとなく「今日の賭博事件で、知事さまはとても怒ってらっしゃいました。譚紹聞がぶたれそうになった時、ちょうど倉巷で火事があり、知事さまは消火に行かれました。譚紹聞を見ますに、顔が按察司さまの三番目の坊っちゃまにそっくりだと思われます。将来は必ず立派になることでしょう。明日、儀門[8]に斎戒[9]を告げる札を出されるべきです。知事さまは彼を二堂によんで審問を行い、私の目が正しいかどうか御覧になってください」と言ったのでした。この話によって、幕僚は才を憐れむ心を動かされ、酒の席で、辺公に譚紹聞を大目にみるように勧めたのでした。役所の人々は、少しも情にほだされてはいなかったのに、計略がうまくいったのです。お金の効用は、まことに神にも勝るというべきではございませんか。その夜、張二は斯未亭での話を、邢敏行に伝えました。

 次の日、辺公が布政司、巡撫の役所に、火災の報告をして戻ってきますと、譚紹聞は役所の入り口で跪いて迎え、一枚の反省書を手渡しました。辺公は、じっくりと譚紹聞を見ましたが、果たして立派な若者でしたので、才を憐れむ心を動かされました。そこで、二堂に連れていき、撲刑[10]をくわえ、さらに切々と説教をしました。秦小鷹児、張二粘竿たちは、それぞれ許されて枷を掛けられるのを免れ、こうして事件は解決しました。まさに、

役人に読書する人を用ふべし、

正しき心で民草を慈しむ。

狡猾な下役は悪知恵を働かせども、

清き心の役人は金に目もくるることなし。

 さらに、役人は自分自身で判断し、他人の言葉を妄りに聞いてはいけない、辺公と頼芷渓が邢敏行に買収されたことをみればそれが分かる、ということを述べた詩がございます。その詩にいわく。

人を用ゐるときは妄りに疑ふなかれと言ふなかれ、

堅き心も知らぬ間に変はるべきものなれば。

自分は三畏[11]を慎むも、

他人は四知[12]を恐れたりとは限らねば。

 

最終更新日:2010114

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[1]探偵、刑事。

[2]役人が決められた期限までに職務を果たしたかどうかを調べること。果たしていないと罰が与えられる。

[3]明清時代の府県の官府の部門の一つで、兵事をつかさどる。

[4]兵事をつかさどる幕友。

[5]火たたき。水をつけ火をたたいて消す防火用具。

[6]窓を保護する板。

[7]中国医学の用語。「関」は大小便が出ないこと。「格」はものを食べると吐いてしまうこと。

[8]役所や大官の邸宅の中にある第二の門、「宜門」ともいう。また、「旁門」といって正門と区別した。

[9]天子が天地の神を祭る日の二三日前から官吏は宮中に詰め、行いを慎むとともに、一般大衆に歌舞、音曲を禁止する。この祭りは天壇、地壇、大廟、孔子廟、日壇、月壇などの例祭。

[10]棒或いは杖でぶつ刑のことをいうと思われるが未詳。

[11]秘密は必ず露見するという戒め。王密が楊震に賄賂を贈り、夜で誰も知らないといったところ、天知る、地知る、我知る、汝知るといわれたという、『後漢書』楊震伝の故事に基づく言葉。

[12]天知る地知る我知る汝知る。後漢の楊震が王密からひそかに賄賂を贈られたとき、「暮夜知る者無し」(真夜中でだれも気が付きません)といわれたが、「天知る地知る我知る汝知る」(天が知っているし地が知っているし私が知っているしあなたが知っている)といって受けなかった故事に因む言葉。

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