第五十七回

悪辣な博徒がしばしば囮の網を設けること

馬鹿な書生が自分から囮に引っ掛かること[1]

 

 諺に「正を養へば邪はおのづから除かる」とありますが、正気が充実していれば、邪気が入る隙間はないものです。しかし、正気が衰えれば、邪気が襲ってくるものです。人の世の暑さ寒さは、気力が盛んな人、飲食が満ち足りている人には、少しも害を与えませんが、正気が衰えていますと、さまざまな邪悪が入り込んでくるものです。

 譚紹聞のもとから、智周万がいなくなりますと、悪人たちは、様子を探り、智周万が霊宝に行って、戻ってこないことをつきとめ、譚紹聞を賭けに誘い込むことを相談し始めました。ある日、彼らは夏逢若の家に集まりました。この頃、珍珠串児はよそへ行こうとしていましたが、服や装身具は、彼らによってすべて質入れされ、彼らの飲み食いに使われてしまっていました。そこで、彼らは、譚紹聞をやってこさせて、金を儲けようと考え、相談をして、細皮鰱にその仕事をさせることにしました。細皮鰱

「俺の代わりを行かせよう」

人々が、誰を使うのかと尋ねますと、

「珍珠串児の妓夫を行かせるのさ」

貂鼠皮

「あんたは将来妓夫になるのだろうが、今から妓夫にあんたの代わりをさせるとは思わなかったよ」

「俺は経験をたくさん積んでいる。俺はもともとは幇閑をしていたわけではないぞ。俺だって地主の息子なんだぜ。城の東の連家村には、楼や広間があり、二三頃の土地があったんだ。半分はごろつきたちにとられ、半分は妓夫にとられて、今じゃこんなざまになってしまったがな」

ちょうどそこへ、妓夫が、連日商売がないから、衣服を請け戻して出発しようと言いにきたので、

「胡同へ行って、譚さんを呼んできてもらいたいんだが。行ってくれないか」

妓夫

「行きませんよ」

夏逢若

「あんたは、あいつからどのくらいの金を儲けたんだ」

妓夫

「譚さまのお金で、金持ちになることはできませんでした。私はあの人から百両ほどの銀子を儲けましたが、賭博をするたびに負けて、一度も勝ったことがなかったものですから」

貂鼠皮

「お前が行けば、俺たちの福の神が笑って、みんな金持ちになることができるよ。お前が行かなければ、お前の家の服や装身具を、請け戻してやる金はないぜ」

妓夫

「人に見られるのが嫌なのです」

夏逢若

「譚さんの家には、下男の王中がいるだけだ。あいつは家を取り仕切り、主人を管理しているんだ。しかし、他の下男は、自分と関係のないことには係わらないよ。とにかく行ってきてくれ」

 妓夫は、客を呼ぶのを、望むものです。彼は命令を受けますと、堂々と胡同に入り、碧草軒にやってきましたが、ちょうど誰もいませんでした。碧草軒の中に入りますと、譚紹聞は、窓のもとで勉強をしていました。妓夫は、腹這いになりますと、叩頭して言いました。

「譚さま、ごきげんよう」

譚紹聞は、城内のどこかの家の者だと思って顔を上げますと、珍珠串児の妓夫でしたので、言いました。

「元気だよ。立っておくれ。今、どこに泊まっているんだ。何の用事だ」

「手前どもは、今、夏さんの家に泊まっております。うちの娘が、私に譚さまを呼んで、例の場所で話しをしたいと言っております」

「戻って伝えてくれ。本来なら会いにいくべきだろうが、学院の試験が近付いていて、暇な時に復習しなければならず、時間がないから、日を改めていくとね」

「私たちは、もうすぐいなくなってしまいますよ」

「本当に時間がないんだ。まとわりつかないでくれ」

妓夫は、譚紹聞が本をめくり始めたのを見ますと、それ以上しゃべる訳にもいかず、仕方なく帰っていきました。

 夏逢若の家に着きますと、言いました。

「譚さんは来られません。勉強をされるそうです。私たちの衣装を請け戻してください。西の城外の管九宅さんの所へ行こうと思います」

白鴿嘴

「もう一度呼びにいけば、すぐ来るよ。どんな熱心な学生でも、先生がいなければ、勉強は続けられないものさ。戻ってちょっかいを出してみろよ。あいつは、珍珠串児のことを気に掛けているから、もう一度行けば、やって来るぞ。嘘だと思ったら、とにかくもう一度行ってみろよ」

妓夫は細皮鰱に向かって

「私の代わりに行ってください」

「お前を助けたくないわけではないんだが、俺はおまえのように運がよくないから、一緒に賭けをしたり、食事をしたりしていても、おまえのように金持ちじゃねえんだよ。もう一度行って、珍珠串児が泣いていると言うんだ」

「あいつが奥で笑っているのが聞こえるでしょう。泣いているなどとはいえませんや」

貂鼠皮

「馬鹿たれ。譚紹聞の家に行ったら、悲しそうなふりをして、珍珠串児がひどく泣いているといえばいいんだ。それから、お前に大事な話しをしてやろう。あいつが来なかったら、お前はよそへ行ってはいかんぞ」

妓夫は笑いながら、

「悲しそうなふりはできませんよ」

夏逢若

「鼻にニンニクを塗って、蓮の葉っぱをかぶせれば、涙だけでなく、小便まで出てくるだろうよ」

妓夫

「夏さんは、昨日の晩、ニンニク汁を飲まれましたが、よそさまが秋石[2]を煮詰める鍋の脇にあった金を使われたのでしょう」

「馬鹿野郎。人の悪口を言いやがって。さっさと行け」

 妓夫は、ふたたび碧草軒にやってきました。そして、譚紹聞が書斎にいるのを見付けますと、後ろ手を組みながら、行ったり来たりしました。譚紹聞は、妓夫を見ますと笑いながら、

「どうしてまた来たんだ」

「珍珠串児は、譚さまがこられないと聞いて、今、泣いております。彼女は、私に譚さまへ話しをするようにと言いました。私たちは西の城外に行きますから、譚さまはすぐに戻ってきて勉強をなさればいいのです」

「お前は先に行ってくれ」

「譚さまはいらっしゃるのですか」

「まだ分からないよ」

「いらっしゃられないのでしたら、私もここを去りません」

「人に見られるのが恥ずかしいんだよ」

「あなたは人に見られるのが恥ずかしいのでしょうが、私は人に見られるのは恥ずかしくはございません」

「先に行ってくれ。一緒に道を歩くのは恰好悪いから」

妓夫は振り向きますと、

「すぐに来てください。もしも私をだましたら、珍珠串児がやってきますからね」

譚紹聞は言いました。

「とにかく先に行ってくれ」

そして、心の中で考えました。

「僕は鉄のように堅い決心をしたのだ。行ったらすぐに戻ってこよう。あいつらだって僕の足を鎖で縛るわけではないんだから」

そして、すぐに夏逢若の家に行きました、まさに、  

明らかに猩猩を誘ふ酒[3]

唇をつけざることも無駄なこと。

 詩がございます。

賭け事と女遊びは金のため、

なだめたり脅したりして纏ひつく。

平素からあまりべたべたしなければ、

石崇に会ふもあつさりしたものぞ。

 大体、賭場には、あらゆる暇人が出入りしますから、人々は、会っても他人同士の様にしています。しかし、金持ちの子弟が足を踏み入れれば、門の隙間、壁の穴から、覗く者があります。譚紹聞は、夏逢若の家に入りましたが、珍珠串児が愛嬌をふりまいた様子、刁卓らが足をもって[4]大笑いした有様は、筆を汚す恐れがありますから、すべて省略致します。

 さて、貂鼠皮、白鴿嘴が銭をもって、街へ酒と肉を買いにいきますと、標営[5]の兵士の虎鎮邦が、斜向かいの門口で待っておりました。虎鎮邦は笑いながら、

「譚家の小僧が中に入ったのなら、白鳥の肉をみんなで食べて、俺も分け前にあずかることができるな。だが、俺は、今、暇がないんだ。俺たちの標営が、今日、俺に令箭を受けるようにと言ったんだ。何の仕事だか分からないがな。一人で食べようというなら、俺もお邪魔することにしようかな」

白鴿嘴

「俺にも分け前をくれるということにするのはどうだい」

「いいだろう」

彼らは別れて去っていきました。

 貂鼠皮、白鴿嘴は、街へ行って、酒と肉を買ってきました。譚紹聞は、首座に座り、珍珠串児は、肩を並べて付き添い、夏鼎たちは、三方にぐるりと座りました。珍珠串児は、うやうやしく酒を出して注いでやり、とても馴々しく、細皮鰱たち四人は、箸や匙をやたらにつけ、とても賑やかにしました。間もなく食事は終わり、食器が綺麗に片付けられました。貂鼠皮

「賭けでもしないか」

譚紹聞

「長いこと賭けをしていないから、したくないよ」

白鴿嘴

「貂鼠皮、譚さんと賭けをする積もりか。俺は嫌だよ。譚さんは賭けがうまくて、俺たちは負けてしまうからな。それに譚さんはとても運がいいから、俺たちみたいな貧乏人は、真っ先に負かされてしまうよ」

細皮鰱

「俺が貧乏人だなんて言うなよ。俺は最近、同じ村の金持ちの顧養性に家を半分売って、四十両の足紋を手に入れたんだ。奥においてあるぜ」

貂鼠皮

「あの銀子には紋様はなかったぞ。金持ちの家で使う銀子は、九割八分の純度のものだから、あれは細絲といえるだろう」

夏逢若

「譚君は今晩は泊まっていかなければいけないよ。まだ早いんだから、少し遊ぼう。点棒は余り多くはしないから」

譚紹聞は、長いこと賭けをしておりましたので、人々が自分を罠をかけようとしていることに気が付き、賭けはしないと言い張りました。人々は、譚紹聞が賭けをする気があまりないのを見ますと、酒の力を借りようと思い、言いました。

「譚さんが賭けをしたくないというなら、珍珠串児といっしょに何杯か飲むことにしよう。譚さんの面子を借りて、珍珠串児に歌ってもらい、俺たちも聞くことにしよう。譚さんがいないと、珍珠串児の歌は、俺たちは聞く耳を持っていないからな」

珍珠串児は笑いながら、

「耳がないとおっしゃるけど、あなたがたの頭についている二つのものは何ですの」

貂鼠皮

「耳はちゃんとついているが、譚さんほど上等でないものでね」

珍珠串児は笑いながら、

「でたらめをおっしゃらないでくださいな」

夏逢若

「それはそうと、二人は酒を持ってこいよ。暗くなってから酒を飲む時に、酒屋の入り口で、酒屋を呼ぶ手間が省ける。あいつらは開けてくれたり開けてくれなかったりするからな」

貂鼠皮

「酒屋の門が開かない時は、銅銭の束をたたけばいい。門の外で銭の音をたてれば、門の閂も音をたてるものさ」

 譚紹聞は、酒の後に負けた経験があるので、人々が自分を騙そうとしていることを見抜きました。そこで、便所に行くと称して、門を出ますと、こっそり家に戻りました。

 楼に着きますと、母親に銀一両、大銭[6]五百文を出してもらい、これは筆、墨、書籍代で、人が請求にきたときに、清算しなければならないのだと言いました。王氏は、数通りに与えました。譚紹聞は、それを書斎に持っていきますと、緋色の箱に銀一両、大銭五百文を盛って、徳喜児に言い付けました。

「この箱を、夏さんの新居に送ってくれ。銀一両は、珍珠串児への餞別だ。銭五百が、今日の酒宴の会費だ。渡したらすぐに戻ってきてくれ。僕のことを尋ねられたら、文昌巷の孔さんの家へ行ったと言ってくれ」

徳喜児は箱を受け取りますと、夏逢若の家に行き、詳しく話しをしました。夏逢若は、譚紹聞のことを尋ねました。

「若さまは家にいるのかい。それとも書斎にいるのかい」

徳喜児

「招きを受けて文昌巷へ行かれました」

人々は、銀子を受け取り、徳喜児は、空の箱を持って家に戻りました。

 細皮鰱

「珍珠串児を呼んできて、銀子を渡そう。俺たちはこの五百銭で、酒屋のつけを払うことにしよう」

白鴿嘴

「ふん。この銀子は、譚紹聞の手切れ金だよ。珍珠串児に渡しても、あいつは、最近、金を持っているようだから、絶対に欲しいとは思わないだろうし、譚紹聞に疎んじられていることを知れば、きっと別の所へ行ってしまうだろう。これでは、ますます譚紹聞を引っ張ることができなくなる。それに、俺たちには、珍珠串児たちのために衣装を請け戻してやる金がないのだから、尚更のことだ」

貂鼠皮「お前の言うことは少し的が外れているな。俺は思うんだが、珍珠串児に話をする必要はないだろう。見ろ、空がだいぶ曇って、雨がいっぱい降っているぜ。俺たちが珍珠串児のかわりに金を使ってやろう。そして、ゆっくりと機会を待とう。あの譚紹聞は、何とか来させることができるさ。それに、他の新顔や古顔の客がいないとも限らないじゃないか。いずれにしても、珍珠串児をここから去らせないというのは、正しい考えだよ」

夏逢若「刁卓のいう通りだ。貂鼠皮の言う通りにしよう」

そう言っていますと、雷がごろごろと鳴り、陰気な風がびゅうびゅうと吹き、雨足が強くなり、絶え間なく雨漏りが始まりました。

 四五日雨は降りつづき、晴れ間は見えませんでした。その数日間で、銀子、銅銭は、全部使い果たしてしまいました。空は晴れておらず、街はひどくぬかるみ、遊びにくる人もいませんでした。人々は慌て、相談をして手立てを考え、妓夫によく言いふくめて、彼をふたたび碧草軒に送りました。

 雨の中の碧草軒は、とても瀟洒なものでした。その様子はといいますと、

階段濡らす小糠雨。

窓辺に吹くは清き風。

白き竹節(たけふし) 緑の()

長竹(をさたけ)の森なほ静か。

虬の枝に鉄の幹。

一本の黒松は風情を増す。

棕梠の葉は垂れ、

諸葛の清暑扇[7]の潤へるがごと。

芭蕉は斜めにひろがりて、

羊欣[8]の待書裙[9]の濡れたるがごと。

階段の下には銭のような苔。

池の中蓮の葉は珠のやう。

(すが)しき精舎の趣きは言はんかたなし。

書斎の静かなるさまは描くすべなし。

譚紹聞が読書に専念していれば、門を叩く者がなく、小道を歩く者がない時を利用して、勉強に励むことができたはずです。ところが、彼は普段飲み食いをしたり遊んだりする場所に行っていましたし、ここ七八日長雨が降っていましたので、退屈になっていました。書斎の中で行ったり来たりしながら、憂さ晴らしになる楽しいことはないかと考えていますと、妓夫が傘をさし、長靴を履いて入ってきて、こう言いました。

「譚さまは、苛々なさいませんか。お一人で、こんなところにおられては、ご退屈でしょう」

「ひどい雨だね。七八日たっても晴れないよ」

「私は用事がなければ参りません。今日は、わざわざ譚さまから雨用の帽、雨用の服、雨用の袴を貸して頂きにきたのです。私どもは引っ越しをすることにしました。晴れたらお返し致します」

「こんな雨で、ぬかるんでいるのに、どこへ行くのだい」

「西の城外の管九宅さまの家へ行くのです」

「晴れてから行ってもいいじゃないか」

「ここにとどまっていても、誰も構ってくれません。何のうま味もない所にいても仕方がありませんよ。譚さまさえ来てくださらないのに、私たちは誰を探せばいいのですか」

「雨が酷すぎるから、街に出られないんだよ」

「すぐそこですよ。下駄でも履いて、合羽でも着れば、外に出られないことはありません。旦那さまが薄情な方なのですよ。これ以上何も申し上げませんが」

譚紹聞は笑って、

「お前が何といおうと、僕は行かないよ。僕はあのごろつきたちの罠にはまるのが怖いんだ。お前たちに薄情にしているのではないのだが、あの連中は、虎か狼のようで、僕を見ますと、丸のみにしようとするんだ。僕は行くのが怖いのであって、行きたくないわけではないんだ」

「牛が水を飲みたがらない時は、頭を押さえつけることができないように、賭けをしないという気持ちが堅ければ、あいつらは何もできませんよ」

しかし、譚紹聞は、絶対に行こうとしませんでした。妓夫は、しばらく絡んでいましたが、つけこむすきがありませんでしたので、仕方なく合羽を貸してくれれば帰ろうと言いました。

「ずっと雨が降っている。お前に合羽を貸すのは、薄情というものだ。お前にあげるよ。雨具を貸さずに、お前を帰らせるわけにもいかないからな。行ってくれ。僕は作文をして読書をしなければいけないんだ」

妓夫はがっかりして帰りました。

 さて、譚紹聞は、書斎で、今まで通り本を拡げて読誦しましたが、雨は降りやみませんでしたので、だんだんと心が苛々してきました。だいたい、同じ雨の景色でも、静かだと感じる人もあれば、寂しいと感じる人もあるものです。そして、書斎の中に、賞玩できる花や樹木があり、手に取ることができる琴や書物があっても、心はますます退屈になるものです。まして雨漏りのするあばら屋、湿って煤けた貧しい家では、なおさら我慢できなくなるものです。譚紹聞は、祖先の体面を傷付け、豊かな財産を使い果たす運命にありましたから、急に心が苛々してきて、考えを変えました

「天気は雨で、七八日晴れない。一人ぼっちで、とても退屈だ。家に戻って妻と骨牌遊びをし、話をすれば、退屈しのぎになるだろう」

さらに、考えを変えました。

「珍珠串児は、何度も会いたいと言ってきたのに、僕は無礙に断りすぎた。僕は薄情者というべきだ。すぐに夏家へ遊びに行こう。僕がしっかりして、賭けをしなければ、あいつらだって僕のことをどうすることもできないだろう」

 下駄を履いて、家に行きますと、母親に雨具を出してもらいました。王氏

「どこへ行くんだい」

「ずっと雨で、退屈だから、街の誰かの家にいって、気晴らしをするのです」

「私もお前が一人で退屈しているのではないかと思っていたのだよ。すぐにお行き。雨具は、楼のてっぺんの棚にかかっている。冰梅、行って取っておいで」

巫翠姐

「とても退屈でしたら、骨牌遊びをしてはいかがでしょう」

譚紹聞は笑いながら、

「僕は負けて臆病になっているんだ。お前のようなやくざ女に会うのが怖いよ」

翠姐は笑いながら、

「私に賭けの借金を返さなければいけませんよ。孟玉楼に真珠代を払うのですから」

冰梅は雨具を取ってくると言いました。

「ご隠居さまは、私たちに酒席をもうけさせて、雨の日を過ごそうとしていらっしゃいます。もう昼近くなりますが、若さまが宴会を設けるのを待ってらっしゃいます」

王氏

「お前は、お日様を見て、もうすぐ昼だなどと言っているのかい」

巫翠姐

「お日様は水に漬かってもう腐ってしまったでしょう、あんなものを見ようとなどなさらないで下さい」

 母子妻妾が笑いさざめいたことは、お話し致しません。さて、譚紹聞は雨合羽をはおりますと、下駄を履いて、夏逢若の家にやってきました。刁卓たちは、譚紹聞が来たのを見ますと、彼が天から降りてきたかのように喜びました。雨よけ帽をとる者は、そっととってやり、雨具を脱がす者は、ゆっくりと脱がせてやりました。そして、すぐに珍珠串児を呼びました。珍珠串児は、顔をあわせますと、長いこと会えなくて辛かったということを話しました。このことは、皆さんも想像がつくはずですから、私が筆をとるまでもありますまい。

 間もなく、一人の男がやってきました。彼は羽毛の大きな服をはおり、手に皮の褡褳を持ちながら、何度も

「ひどい雨だ。ひどい雨だ。数両の銀子も、雨でびしょ濡れだよ」

と言いました。これぞまさに、

心では禍を避けんと念へど、

なにゆゑぞわれと我が身を運びくる。

先生の去りしがために、

拒めどもいくたびも来る。

 

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]原文「書愚自投酔猩盆」。「酔猩盆」は、猩猩を捕らえるための囮の酒を入れる盆。『蜀志』「封渓県有獣、曰猩猩、体似猪、面似人、音作小児啼声、既能人語、又知人名、人以酒取之、猩猩覚初暫嘗之、得其味甘而飲之、終見羈纓也」。

[2]小便を煮詰めて作る石。

[3]猩猩を捕らえるとき酒でおびき寄せるという話は『蜀志』に見える。『太平御覧』巻九百八引『蜀志』「封渓県有獣、曰猩猩……人知以酒取之」。

[4]笑う時の動作。

[5]緑営。清代、漢人で編成された軍隊。

[6]銅銭の裏面に当十の文字を彫った銭。普通の制銭の二倍に当る。五十個或は四十九個を以て一吊とし、この銭一個を一個大という。

[7]諸葛亮が用いた白羽扇のこと。『語林』「諸葛武侯与宣王在渭浜、将戦、武侯乗素輿、葛巾、白羽扇指揮三軍」。

[8]南朝、宋の人。新安太守。

[9]羊欣が白い絹の裙を穿いて昼寝をし、王献之に字を書いてもらうのを待っていたという故事に基づく。『宋書』「羊欣字敬元、年二十時、王献之為呉興太守、甚知愛之。欣嘗夏月着新絹昼寝、献之入県見之、書裙数幅而去」。

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