第五十六回

小人の家の娘が口を挾んで正しい(しもべ)を阻むこと

大悪人が嘘をついて正しい人を退けること

 

 さて、程嵩淑は、孔耘軒の家で、人々とともに、譚紹聞のために智周万を先生にすることについて相談しました。帖子を送って懇ろにお願いしたいきさつは、皆さんはご想像できるでしょうから、細かくは申し上げません。さて、二日たちますと、智周万は、碧草軒に行きました。譚紹聞は叩頭し、先祖が同年で、父と子の世代の関係にある、勉強を教わる門下生になりました。智周万が連れてきた耿葵という老僕は、廂房を掃除して寝室にし、前と同じように台所を設け、先生のために食事の面倒をみ、譚紹聞は、毎日家に帰って三度の食事をし、勉強部屋に行って、勉強をしました。

 智周万は、孔耘軒から譚紹聞の短所について聞かされていました。師弟が相対して十日が過ぎても、智周万は水のようにあっさりしていました。印刷屋がしばしば校正のために原稿をもってきますと、智周万は誤りをただしましたが、印刷屋が去っていっても、あまり喋りませんでした。譚紹聞が、本をもっていって教えを請い、質問をしますと、智周万はすぐに答えをいいましたが、余計なことは喋りませんでした。これは譚紹聞を静かに勉強に専念させようと思っていたからでした。

 ある日、譚紹聞は、問題を貰い、文を作ることになりました。智周万は『「善を為せば父母の令名を貽さんことを思いて、必ず果たす」[1]論』を書かせました。原稿を書き上げて、書き写して見せますと、智周万はとても誉めて、こう批評しました。

「文章の雰囲気は、さっぱりしていて、言葉使いも堂に入っている。父子が仲睦まじくすることを説いた部分には、感心させられる。経験をもとにして書いたようだな、普通の『箕裘』[2]『堂構』[3]などという言葉を書く者が、考え付けるものではない」

そこで、質問しました。

「お前の文章は、実に理に適っており、お父さまの躾を窺い知ることができる。だが、昨日、先生方は、お前の素行が良くないと言っていた。これはどういうわけだ」

譚紹聞は、父親が臨終の時に、自分に言い残した言葉についてしましたが、話しをしているうちに、嗚咽して話しができなくなりました。智周万

「そのようなことがあったのに、どうして下賤な者どもと付き合うようになったのだ」

「心がしっかりしていなかったからです。悪人に誘われて、賭場に入り、風に吹かれるように、悪に靡いてしまったのです。私にはもともと自制心がなく、彼らはあれこれ手を尽くし、私の謹みをなくさせたのです。これは本当のことです。決して先生を騙してはおりません。今日、先生をお招きしたのは、私のために箴[4]を作っていただき、下賤な者たちのために教えを説いて頂きたかったからです。毎日、口頭で何度も箴を唱えれば、邪念が起こった時でも、この言葉によって反省し、人が誘いにきた時でも、この言葉によって彼らを防ぐことができます。どうか痛い所を鋭く突き、すべての人が理解できるような文章を書いて下さい」

「それは簡単なことだ」

すぐに一枚の大きな紙をもってこさせ、耿葵に硯を洗って墨をすらせました。譚紹聞は向き合って紙を広げました。智周万は拱手して席に着き、筆を手にとりますと、こう書きました。

「千場賭を(ほしいまま)にし家なお富む」[5]、詩人の言葉を信じるなかれ。勝てば泥棒。負ければ乞食。行き着く先は二つのみ。人に隠れて賭けをして、心はすっかり盗人となる。負ければへつらい金借りて、すっかり乞食の顔となる。財産すべてなくなれば、五倫[6]四維[7]をば顧みず。体裁つくろい、見栄はるも、妻子は凍え、腹減らす。湯水のごとく金使い、なくした金は幾許ぞ。空の財布に苦しき暮らし。半文銭もとみにいとおし。あらゆることをしつくして、飢え死にをするどら息子。若者たちに苦言を呈す。厳しき話しと言うなかれ。子が賭けすれば父怒り、父賭けすれば子は畏る。誰でも分かるこの道理。胸に手をあて悟るべし。

書き終わりますと、

「言葉は素朴で卑俗で、老婆にも分かるであろう」

「下賤な者に対する説法ですから、内容が卑近でありさえすればよく、四角張ることはありません。『子が賭けすれば父怒り、父賭けすれば子は畏る』の二句は、賭博が人の守るべき道を損なうという大きな害悪を言い尽くしています。『勝てば泥棒負ければ乞食』の二句は、賭博をする者が必ず行き着く先を言い尽くしています。私は、この立派な警句を、生涯守ろうと思います。先生には、さらに、妓女に溺れることを戒める警句も作って頂きたいと思います」

「妓女に溺れることを戒める警句は、作ることはできない。つまり、卑近でないものにすれば、言葉を費やすことになるし、卑近なものにすれば、文雅でなくなるからだ。師弟の間では、汚らしい言葉を使うことはできない。この文章から類推し、ご先祖さまを汚さず、自分の体面を傷付けないようにすればいい。悪い病気にかかれば、人々から見捨てられる。模範を残せば、後世の者がそれに習う。白楽天が、妓女を皎皎と名付けたのは、古詩の河漢女の詩の趣旨に取材した のは、もっとも べきものだ。これだけでも、妓女に溺れる罪、女郎屋に入りびたる悪を言い尽くしている。わしがもう一つ書く必要はない」

譚紹聞「私は、先生のお言葉を聞いて、目から鱗が落ちました。決して間違ったことはいたしません」

 その後、譚紹聞は、勉強に専心しました。辺公は、童生を試験し、第三位にしたので、文名はふたたび大いに揚がりました。後は、学憲がやってきて、学校に入るのをまつだけでした。

 半年の間、王象藎は、ずっと喜んでいました。そして、自分もふたたび家に帰り、何とかして、今までの負債を清算しようと思いました。ある日、彼は、靴屋の家賃と、野菜を売った儲けの二十二両の銀子を持ってきますと、譚紹聞に渡して、

「これは私が今まで溜めてきたものです。全部使うことはできませんので、若さま、これで借金をお返しください。少しばかりで何の足しにもならないことは分かっていますが、今までの借金には、利息が付いていますから、これから利息が積み重なれば、財産を売り払っても返せなくなる恐れがあります。若さまは、勉強に専念され、このようなお話しを聞いて、心を乱されるべきではありません。しかし、利息付きの借金は、絶対に持ち堪えることができないものです。何とかして、草を根こそぎ切り取れば、若さまも勉強に専念できるというものです」

「お前の銀子はいらないよ。娘のために服を買っておやり。帳簿のことなら、僕も気掛かりだ。勉強をしていない時は、借金のことが急に心配になるんだ。僕は思うんだが、お前は、また家に戻ってきてくれないか。お前が借金を返すことを考えてくれれば、僕は勉強に専念できる。お前が何を質入れしても、僕は構わないよ。僕は、心の中で、ただただ後悔しているんだ。このことは、他の人には言えないが、お前にだけは言うよ」

「若さまが改心されれば、この家も良くなることでしょう。それから、もう一つ申し上げることがございます。若さまが夏鼎のような者を、蛇、蠍、虎のように思われれば、家は安泰です」

「先生に教えられて、はっきり分かったんだ。悪い奴等のことを、真夜中に思い出し、歯が砕けるほど歯がみをしたよ。お前ももう心配しなくていいよ。ケ祥に、車でお前を迎えに行かせるから、お前の女房、娘を、みんな呼んできておくれ」

「半月お待ちくだされば、小作人に菜園を引き渡して、戻って参りましょう」

「菜園から半月で得られる利益など、たかが知れている。この家の借金は、半月で菜園の収入の数年分になってしまうよ」

「私を呼び戻すことを、ご隠居さまにお伝え下さい」

「ご隠居さまが知ったら、またお前が戻ってくるのを邪魔するかもしれないから、自由に帰ってくるのがいいだろう」

「ご隠居さまが嫌だとおっしゃれば、私も、家財産を担保に入れたり、売ったりすることはできません。若さま、よくお考えになってください」

「お前が言うことも尤もだ。今晩、家に行ったら、ご隠居さまに話そう。日を改めてお前の所に車が来たら、それはご隠居さまが反対しなかったということだ。菜園は小さな問題だ。お前はこの家の大きな問題をはやく処理しておくれ」

「私も家に帰って女房に話しをし、戻るための準備をさせることにいたします」

そして、城の南の菜園に戻っていきました。

 その晩、譚紹聞は、碧草軒で、先生との勉強を終え、暗くなってから一階に行き、母親に、王中を呼び戻そうと言いました。王氏は、初めは嫌な顔をしていましたが、譚紹聞が説得しますと承知しました。ところが、巫翠姐が横からこう言いました。

「よそで使用人をつかっていますが、まるで走馬燈のように、呼び戻したり、追い出したり、追い出したり、呼び戻したりするのは見たことがありません。どういうことですか。ここ半年近く、この家は王中がいなくてもうまくいっているではありませんか」

「お前は分からないのか。王中はいい奴なんだよ」

「いい人なら、どうして追い出されたのです。それに私が嫁にくる前に、一回追い出しているのでしょう」

「あいつが僕を怒らせたので、追い出したんだ。だが、実際は、大した過ちではなかったんだよ」

「あなたの結義した兄弟を罵ったのも、間違いではなかったというのですか。劇の、結義をする友人たちを御覧なさい。柴世宗[8]、趙大舎[9]鄭恩[10]などの結義した兄弟は、他人が義兄弟を罵るのを許しましたか。秦瓊、程咬金、徐勣、史大奈[11]も結義した兄弟で、仲間の母親に会った時は、いつもお母さんと呼んでいたのですよ」

紹聞は怒りました

「小人の娘め。お前は劇の見すぎだぞ」

巫翠姐は、恥ずかしさの余り腹を立てて、言いました。

「小人の娘は、劇を見ませんよ。あなたの家は、ご立派な家ですよ。しかし、私の家の東隣の宋指揮の家は、あなたがたの家よりもっと大きくて、一年に十近くの劇を家で上演するんですからね。一人の下男のために、人を踏み付けにする家なんて見たこともないわ」

王氏

「お前たち二人は、今まで口喧嘩をしたことはなかったから、私は喜んでいたのに、これはどういうわけだい。劇のことで口喧嘩なんかして。王中は呼ばなければいい。何も口喧嘩することはないよ」

翠姐

「呼ばれたとしても、彼らは犬みたいな奴等なのですから、彼らに私の世話はさせませんわ。もし呼んだら、厳しい顔をして、彼らを外に住まわせるにこしたことはないわ」

 譚紹聞が腹を立てておりますと、双慶児

「先生が、明りをつけてお待ちかねです。若さまは勉強をするようにとおっしゃっています」

譚紹聞は、碧草軒に行きました。この夫婦喧嘩によって、王象藎を呼ぶ話しは棚上げになり、王象藎の、財産を売って負債を返そうという考えも、切り出すわけにはいかなくなってしまいました。さいわいだったのは、紹聞が、勉強に専念し、何とか満足な状態にあったということでした。

 大体、金持ちの子弟が下賤なことをすれば、ごろつきの福の神は笑いますが、金持ちの子弟が改心すれば、ごろつきの命脈は絶たれてしまうものです。ですから、譚紹聞が、半年勉強をしますと、夏逢若は、神さまを失った巫女、驢馬を失った馬子のようになってしまい、さらに、趙大胡子の裁判にも巻き込まれ、数十両を使い果たしてしまいました。その後、自分も賭けに負け、家でも金を使ったので、ケ三変から巻き上げた銀子は、源のない水のように、すっかり干上がってしまいました。

 ある日、小貂鼠、白鴿嘴、細皮鰱は、夏逢若の家に集まりましたが、何もすることがありませんでした。四人は、テ─ブルを囲み、一文ずつ出して、サイコロ賭博をして、昼間の暇潰しをしようとしました。すると、突然、珍珠串児が妓夫とともにやってきました。実は、珍珠串児の妓夫は、朱仙鎮でアル中の発作を起こして、街の人々にぶたれそうになったので、夏逢若の家に身を寄せていたのでした。四人は、珍珠串児を見ますと、立ち上がって荷物を運び、驢馬を繋ぎました。珍珠串児

「あなたち四人は真面目なことをしてらっしゃるのね。ゆるゆるお開きになさいまし」

夏逢若は笑って

「賭けにもならないんだよ。全部で四十文にもならないからな。俺たちはここで気晴らしをしていたんだよ」

そして、珍珠串児に尋ねました。

「どうして賁浩波の家にいないんだい」

「あの人は焼酎を飲むと、乱暴になって、街を騒がすので、落ちついていられないのです」

細皮鰱

「もう昼だ。珍珠串児も来たことだし、金を出しあって、食べ物を買うことにしよう。一つには珍珠串児を歓迎するため、二つには俺たちもお開きの酒を飲むためだが、どうだい」

ある者は腰を探って、十文を取り出し、ある者は財布を手にとって、九文出し、全部で四十数文が集まりました。貂鼠皮

「これでは何も買えないよ。酒はつけ買いできないし、犬の脚二本を買ったら、なくなってしまうよ」

すると、珍珠串児は

「私はそんな物は食べないわ」

といい、すぐに妓夫に褡褳から三百銭を出すように命じました。そして、細皮鰱に渡して、街から食べ物を買ってくるようにいいました。白鴿嘴

「あんたに金を出してもらうわけにはいかないよ」

貂鼠皮

「白鴿嘴、あんたは自分の渾名を変えるつもりかい」

白鴿嘴

「俺が貂に会ったら、皮や毛も一緒に食ってやるさ」

夏逢若

「細皮鰱、早く水に潜るんだ。白鴿嘴が待ちかまえているぞ」

細皮鰱

「兎絲児、どうやらお前も、白嘴[12]には歯が立たないようだな」

一同はどっと笑って、酒と肉を買いに出掛けました。

 間もなく、酒と肉が運ばれてきました、しかし、珍珠串児の姿が見えませんでした。暫くしますと、彼女は奥から出てきましたので、細皮鰱

「珍珠串児、どこへいっていたんだ」

「この間、ここで御馳走になったのです。奥へ行って、お礼を言わないわけにいかないでしょう」

貂鼠皮

「『親しくない人でも何度か通えば親しくなる』というから、たぶん奥に知り合いがいるんだろうな」

夏逢若

「変なことを言いやがって」

白鴿嘴

「お前は負けて金がなくなってしまったから、これ以外に、何ができるというんだい。あと数年たてば、こんなことももうできなくなるだろうよ」

一同は、ふたたびどっと笑いました。夏逢若

「屋敷は狭いから、聞かれたら罵られるぞ」

貂鼠皮は笑いながら、

「惣菜を並べよう。本当に腹が減っているんだ」

夏逢若

「何年飯を食ってないんだい」

「実は、俺はよその家のために仲人をして、千数銭を稼いだが、運悪く、負けてすっからかんになってしまい、十二文しか残っていない。腹が立って、昨日は一日中食事をしてないんだ」

白鴿嘴

「最近は面白いことがたくさんある。賭博をする人間が腹を立てたら、お天道様が西からのぼるだろうよ」

間もなく、大皿五六枚の惣菜が並べられ、妓夫が酒に燗をつけ、男と女、六人がテ─ブルを囲みました。珍珠串児は、ちょっと箸を動かしただけでしたが、ほかの数人はがつがつと食べました。珍珠串児は、みすぼらしい幇閑ばかりで、儲けを得られそうにないことが分かったので、言いました。

「疲れたわ。奥さんのベッドで寝かしてくださいな」

貂鼠皮

「誰かと二人で寝ることにしろよ」

珍珠串児は、目をやりますと、笑いながら行ってしまいました。

 夏逢若

「まったくついてないよ。どうやら引っ越しをする時がきたようだが、引っ越しの吉日はまだ見ていないんだ。ここに越してきて、いい商売をし、馬鹿息子が何人か、罠に引っ掛かってくれたが、楊三瞎子が管九宅を殴ってしまった。管九宅はすぐに仲直りしたが、実際は、あいつは、あんなひどい目にあったことはなかったんだ。だから、最近は来なくなってしまったよ。鮑旭は本籍に帰ってしまった。うまそうな羊肉の塊は、どこかの犬のものになってしまっただろうよ。賁浩波は、ここ数日のうちに来るかもしれないが、あいつはあまり賭けに熱中しないんだよ。譚紹聞は、最近また勉強を始めて、心を入れ替えて、よりつかなくなってしまった。俺もついていないよ。所場代はみんな飛んでいってしまうし、賭けをしても負けてしまう。珍珠串児は─彼女が避けているわけではないが─呼ぶことができなくなってしまった。今じゃ家の生活も苦しいし、珍珠串児をよそへ行かせるわけにもいかない。どうにかして、何人かの博徒を連れてきて、数千銭を儲け、所場代をとって、みんなで使うことにしよう。あんたたちもたくさんの人を知っているだろう。これだけ大きな省城だもの。新しくやってくる馬鹿息子がいないはずはないよ」

貂鼠皮

「いるとも。南馬道に新興の資産家で、鄒有成というのがいる。最近、数頃の土地を買い、荒物屋街でちょっとした商売をしているんだが、そいつの息子が、こっそり賭けごとや女郎買いをしているそうだ。こちらから白鴿嘴を呼びにやらせよう。そいつは家が近くだから、引っ張ってこさせよう」

白鴿嘴

「それは駄目だ。もう張さんの網に掛かってしまったよ」

夏逢若

「誰のことだ」

「没星秤じゃないか」

「没星秤だって」

「没星秤─張縄祖さ」

「あのすれっからしは、皮で作った笊のようなもので、半寸の長さの干しエビだって、放さないからな」

「何でも周橋のたもとの孫家の二番目の息子が、賭けごとが好きだそうだぜ」

「あの人は、駱駝に乗って門の扉を弄ぶような、豪勢な人で、毎日、他の州や県に出掛けて、一回に一二千両勝ったり負けたりするそうだ。俺たちのような小さな土鍋では、あのような九斤の重さのあるすっぽんを煮ることはできないよ」

細皮鰱

「観音堂の門の前にある田家の跡継ぎの田承宗は、伯父に子供がありませんでしたので、たくさんの財産を手に入れた。あいつは、毎日、腰に数十両を持って、太鼓を担いで、叩く人を探しているが[13]、あいつを引っ張ってこないか」

貂鼠皮

「ふん。知らねえのか。昨日、あいつの親戚が訴訟屋に頼んで、新任の辺知事に訴状を出したんだ。また相続争いだよ。あいつは、今頃、人に頼んで訴状を書いてもらっているから、賭けごとなんてしていられねえだろうよ」

夏逢若

「豆腐屋の息子なんて、客寄せにもならねえよ。どうして人を招くことができるんだい。ここにいる珍珠串児などは、あいつのことなど眼中になく、いつもいい加減にあしらっているんだ。譚紹聞だけがいいんだ。あいつは賭けの腕は平凡だし、気前よく負けを払うし、性格もおとなしいんだ。だが、あいつが心を入れ替えたもんだから、俺もあいつをどうすることもできないよ」

貂鼠皮はハハと笑って、

「穴ぼこを見付けて、うじ虫を生みつけなければ、立派な蠅とはいえないぜ。あいつが色盆、宝盒に手を触れるようにさせさえすればいいんだ。あいつが一度色盆、宝盒を手にとれば、俺は『仙縄』[14]であいつを縛ることができるぜ」

夏逢若

「ふん。それは難しいことではないさ。譚紹聞に下賤なことをさせようというなら、俺の力を借りる必要はない。だが、あいつは、今、先生についているんだ。先生は、あいつを拘束し、あいつの心まで変えてしまったんだ。この間、あいつに会ったが、あいつは賭けの話をすると、有無を言わさず、呪文を唱えたんだ。それから、あいつは詩を詠んでいる。詩は俺にとっては耳が痛いもので、先生があいつのために作ってやったものだ。あいつは、二度と賭けをしないと誓いを立てているんだ」

「あいつが賭けをしまいとして、誓いを立てるということは、あいつにまだ賭けをしようとする気があるということじゃないか。まず師弟の間を引き裂いてみたらどうだ。ちょっと聞くが、あいつの先生を、お前は見たことがあるのか」

「街で遠くから見たことがある。道を歩くときも眼鏡を掛けていたよ」

「それは近視用の眼鏡だ。それならいい考えがある。先生は真面目な人だから、何とかして廟から離れさせてやろう」

「『井戸水は河の水とは交わらない』というのに、どうやって先生を追い出すんだい。それに、普段、恨みもないのに、どうする積もりだい」

貂鼠皮は笑いながら

「諺に、『人の商売邪魔する奴は、親の敵(かたき)と同じもの』というじゃないか。その先生が、譚福児に賭けをしないようにさせたということは、俺たちの商売の邪魔をしたということだ。これは俺たちの親を殺したも同じことさ。恨みがないはずがないじゃないか」

「あんたはどういう手を打つつもりなんだ」

「真面目な人間というのは、体面を重んじるものさ。俺がちょっとあの人を叱れば、あの人はいたたまれなくなり、人にも何もいえず、心の中で腹を立てて、自分から出ていくよ」

「もし出ていかなかったら」

貂鼠皮は大笑いして

「まあとにかく、俺が明日行って試してみよう」

「一体どうする積もりなんだい。まず俺に話してくれ」

「先生が俺の女房を見たというのさ」

白鴿嘴

「驚いたね。あんたは独身なんだろ。女房なんていないじゃないか」

貂鼠皮は笑って、

「去年、吹台の縁日で、女を一人見染めて、来世の女房ということに決めているんだ」

夏逢若

「ふん。そんなでたらめを言ったら、ビンタを食らわされるぜ」

「先生は俺をぶつことはできないさ。俺にはもともと顔がないんだからな[15]

「あんたはこの世で人でなしなのだから、来世のために功徳を積むべきなのに、本当に悪党だよ」

「ちょっときこう。あんたは今では、葉っぱも食い尽くし、汁も飲み尽くしたが、悪い物は食べようとしないし、破れた物を着ようともしない、妓夫になれといっても、あんたは承知しないだろうし、畑仕事をやらせようとしたって、あんたには何の力もないだろうし、あんたの子供を売ろうとしても、あんたは捨てることはできないだろう。それに、あんたにはまだ子供がいない。あんたは俺を悪党だというが、この省城の、役所に住んでいる多くの人間は、良心を捨てて、人様に金を要求してばかりいるんだぜ。あんたは俺に良心がないというが、あんたは前半年に家を貸し、所場代をとり、たらふく飲み食いをしていた。あれは、あんたが良心によって得たものなのかい」

「勝手にやってくれよ。おれは口出ししないよ」

細皮鰱

「もし失敗したら、俺はこいつの貂の皮をひきちぎってやるよ」

貂鼠皮は笑いながら、

「俺にはちゃんとした計画がある。いい報せを待っていてくれ」

一同は笑って、それぞれ別れていきました。

 次の日になりますと、貂鼠皮は、土地廟へ行き、じっくりと様子を探りました。そして、智周万の下男の耿葵を見付け、糞真面目そうな男であることを確かめますと、手をとって土地廟に引っ張っていき、こう言いました。

「ああ。私のような貧乏人が(お話しするのは)、大変失礼なことですが、どうしてもお話しせずにはいられないのです」

「どういうことでしょうか」

「智先生は五六十歳で、家を出て勉強を教えてらっしゃいますが、年甲斐もないことをされてはいけないはずです。それなのに、うちの女房が、家の便所に入った時に、どうして首を長くして中を覗いたりなさったのですか。うちの女房は、罵ろうと思ったのですが、智先生だと分かったので、そうするわけにもいきませんでした」

耿葵が頭のいい下男だったら、軽い場合はどなりつけ、重い場合はビンタを食らわせて、綺麗にかたをつけていたでしょう。しかし、耿葵は、幼い頃から書斎の中で働いていた、硯や水を用意するための小者でした。今日は、外に出ていましたが─智周万が、筆床、書篋のことしか考えない人だったので─まったく世の中のことを知りませんでした。耿葵は、貂鼠皮の話を聞きますと、びっくりして、言いました。

「先生は近眼で、五歩以上はなれた人は見えません。奥さんの人違いではありませんか」

「間違いありません。うちの女房は、今、家で腹を立てて、血癆[16]になっています。何人も医者を頼んだのですが、良くなりません。私は先生にお話ししようと思ったのですが、先生が恥ずかしい思いをさせるといけないので、あなたにお話ししておきます。先生が私の女房を気にいられたのでしたら、こっそりこちらによこそうと思います」

耿葵は話しを聞かされますと、雲に入り、霧の中を突き抜けているような気分になり、何が何だか分からなくなってしまい、こう尋ねました。

「どちらにお住まいですか。姓は何とおっしゃいますか」

「格好悪いことですから、私の名前など申し上げられません。私がどこに住んでいるかとお尋ねですが、私の家の裏門を、先生はご存じです。戻って先生におっしゃってください。例の女の主人が、恩に感じていましたとね」

耿葵は、悶々としながら家に戻りました。

 貂鼠皮刁卓が夏鼎の家に戻りますと、人々がみんな揃っていました。刁卓はハハと笑って、

「今日は女房がないのに烏亀(かめ)[17]のふりをしてきたよ」

そして、土地廟での話をしました。

夏逢若

「体がむずむずするな」

「あんたがむずむずする必要はないぜ。これで、いいカモが、罠に掛かってくるぜ。どうだい。譚福児は俺たちに勝っても、少しも金を請求しようとしないが、俺たちがあいつに勝てば、あいつは一文残らず返してくれる。まるで、あいつが銀子や銅銭を投げたのを、俺たちがただで取ってしまうようなものだ。それに、(役所が)強盗を捕まえにくる心配もないし、こそ泥を捕まえにくる心配もない。結構なことじゃないか。智周万の爺さんがいなくなれば、俺たちは万々歳だよ」

細皮鰱

「譚家の先生が出ていくとは限らないぜ。譚家で実情を知って、役所に訴えたら、お前さんは皮を剥がされるから、気を付けろよ」

刁卓

「俺は皮を剥がれたりはしないよ。俺は、毎日、賭博をしているんだ。賭場は剥皮庁というが、俺は毛一本抜かれたことがないぜ。だが、これからは、俺はあの街には行かないから、あんたが、俺の女房を覗いた智周万爺さんが出ていったかどうかを、詳しく探ってくれ。もし出ていっていれば、うまくいったということだし、出ていっていなかったら、運が悪かったということだな」

 彼らが集まって悪巧みをした話しは、とりあえずおしまいにいたします。さて、耿葵は貂鼠皮の事を、智周万に話しました。智周万は、溜め息をついて、

「何ということだ。耿葵、もう話さないでくれ」

暗くなりますと、明りの下で、一人で考えました。

「このような汚らわしい噂は、どこからたったのだろう。多分、私がここに来たため、悪人どもが私をとても邪魔に思って、わざとこのようなでたらめをいい触らし、私を出ていかせようとしているのだろう。わしは欧陽文忠公[18]のように、近視眼だ[19]。間違って女に出くわしても、それとは分からないから、間違いがあったかも知れん。わしは生活のために勉強を教えているのではなく、人々に引き止められたから、ここに居候をしているだけだ。こんなことを言われて、むざむざ辱めをうける必要があろうか。家に帰りたいと称して、身を引くことにしよう。そして、日を改めて手紙を出し、家が恋しくて省城にはいけなくなったと言うことにしよう。そうすれば波風も立たず、実にいいことではないか。それに、詩稿ももうすぐでき上がるから、家に戻った後で、人を遣わして刊刻費を払い、原板を送ってもらうことにしよう。よその土地に止まっているわけにはいかない」

 智周万は気持を固めました。次の日、譚紹聞が碧草軒に勉強をしにやってきました。智周万は、故郷が懐かしくなったので、家にちょっと戻る、日を改めて戻ってくる、と言い、その日のうちに、孔耘軒の家にも行き、長いこと故郷を離れているので故郷が恋しくなったと言いました。程、蘇の所へ挨拶に行くことはできませんでした。そして、耿葵を運送屋に行かせ、駄轎を雇いますと、書籍と旅嚢を整えて、霊宝に戻り、半月余りたってから、力仕事用の下男を遣わして、詩稿の版木をすべて持ち帰らせました。そして、家に戻ってから病気に罹ったので、よその土地へ行くことはできなくなったという手紙を何封か書き、孔耘軒、程嵩淑に届けました。ああ、智周万は立派な人であったというべきです。

車から馬を外して西に行き、帰ることなし、

疑ひと災を避くるは当然。

士人が不当な目に遭へば、

『色みて斯に挙がる』[20]の篇を三たび復唱するがよし

 皆さんは、小人が君子を陥れるときは、必ず淫欲に関する噂を立てるということを知らなければなりません。そもそも、あれはどんな人にも備わっており、欲心はすべての人にあるものです。君子の身に淫欲に関する噂が立てば、君子は弁解することができませんし、人々の噂は、風のようにはやくひろまるものです。彼らは、主観的に他人を判断し、一人が十人に話し、十人が百人に話しますので、まるで噂が真実であるかの様になってしまいます。しかも、当の(噂を立てている)本人はそのこと(自分が立てている噂が間違っていること)を知らないのです。智周万は、私ぐらいの年寄りで[21]、淫欲があろうはずもないのですから、このような噂をたてるのはまことに下品なことではありませんか。

 

最終更新日:2010114

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[1] 「良いことをするときは父母に良い名を残そうと思って、必ず実行する」。『礼記』内則。

[2]子供が父の学業を継ぐこと。『礼記』学記「良冶之子、必学為裘。良弓之子、必学為箕」(良い鍛冶屋の息子は父親が鍋を繕うのを見て毛皮を繕うことを学び、良い弓師の息子は父が弓を作るのを見て箕を作ることを学ぶ)に因む言葉。

[3]本来は、子供が父の意思を継いで家を建てること。『尚書』周書・大誥「若考作室、既底法、厥子乃弗肯、矧肯」(これは父親が家を建てるとき、すでに家を建てる方法を決めたのに、彼の息子が土台を作らず、家を造らないようなものである)に因む。転じて、子が父の遺志を継ぐこと。

[4]人を戒める文章。

[5]高適『少年行』「千場縦博家仍富」。

[6]人が常に依拠すべき五つの道。父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信。

[7]国家を維持するに必要な四つの徳目。礼・義・廉・恥。

[8]柴栄。五代周の世宗のこと。

[9]匡胤。宋の太祖趙匡胤。

[10]字は子明。趙匡胤とともに宋を建国、汝南王に封じられる。以上の三人は、呉莚の小説『飛龍全伝』の登場人物。

[11]以上の四人はいずれも唐代の武将。『隋唐演義』などの登場人物。

[12] 「ただ飯食い」のこと。

[13]原文「背着鼓尋捶」。「人が訪ねてくるのを待っているが」ということ。

[14] 「仙人を縛る縄」の意。『綯』という戯曲があり、『蜆斗[草過]楽府本事』にその名が見える。淮安の名士周木儕が妓女の陳鰈仙の稇仙綯の秘法により、誘惑される様を描くというが佚。「捆仙縄」はこれにちなむ言葉で、貂鼠皮の言葉は「俺はあいつを賭博に引き込むことができるぜ」という意。

[15]原文「我先没臉」。「没臉」は文字通りの意味は「顔がない」だが、「恥知らずな」という意味もある。

[16]喀血性結核。

[17] 烏亀」は女房を寝取られた夫の喩え。

[18]宋の欧陽脩のこと。

[19]宋葉夢徳『石林燕語』巻十「欧陽文忠近視、常時読書甚難、惟使人読而聴之」。

[20] 「鳥が人の顔色を見てとびあがる」。『論語』郷党。

[21] 『岐路灯』の作者李海観は四十二歳のときに作品を書き始め、五十歳のときに前半八十回を書き終わっている。

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