第五十回

碧草軒で公子が争いを解決すること

酔仙館で新郎が辱めを受けること

 

 さて、譚紹聞は、巫家の縁談を受け入れましたが、心の中では、瘟神廟邪街の姜氏のことを気にかけていました。すると、夏逢若が、朝から碧草軒にやってきて、人を通じて、譚紹聞と話がしたいと言ってきました。二人が顔を会わせて席につきますと、夏逢若

「例のことはもうすべて話した。女の実家では乗り気だし、姑の家でも乗り気だ。結納金は五十両だ。僕は君にわざわざ伝えにきたんだよ」

「ちょっとゆっくり相談しましょう」

「両方とも結婚しようと思っているのに、何を相談するんだい」

「本当は結婚したかったのですが、叔父とお袋が、曲米街の巫家との縁談を承諾してしまったのです。一人は叔父で、もう一人はお袋ですから、僕もどうしようもなかったのです」

すると、夏逢若は、首をつきだして、尋ねました。

「何だって。巫家の縁談を受け入れたのか。じゃあ、刀を持ってきて僕の首をばっさり切り落として、誠心誠意友人のために尽くしている人のために、模範を示してくれ」

「僕のせいではありません。どうしようもなかったのですよ」

「君のせいかどうかは、問題じゃない。君はあの人から汗巾をうけとったんだろう。僕は銀子で二匹の絹、八つの大きな品物、八つの小さな品物を買って、結納品として送ってしまったんだ。瘟神廟街の人は、みんなそのことを知っているよ。君が婚約を取り消したら、明日、あの人は恥をかいたといって自殺するぞ。僕は、君と人命事件の裁判をすることになるよ。役所に訴えて、判決を下してもらうことにするのが一番だな。僕はこの城内に住むのをやめ、引っ越しをして、一生を終えるだけのことさ。しかし、僕は友人のためを思っている人間だ。このような事はいうべきではなかったな」

「ご厚意は分かっていたのですが、母と叔父がちょっと話をし、母が承諾してしまったので、僕にはどうしようもなかったのです」

「諺に、『初婚は親に任せろ。再婚は自分で決めろ』というぞ。それに君は男だろう。明らかに、巫家が金持ちで、援助があるのをあてにしたんだろう」

紹聞も申し開きのしようがありませんでした。

 すると、中庭に、三四人が歩いてくる音が聞こえました。

「はやく茶をもってきてくれ、喉がからからだよ」

書斎に入ってきたのは、盛希僑でした。紹聞を見ますとハハと笑いながら、

「君達は何を話していたんだい。下男に、茶を大きな杯にいれて、持ってくるように言ってくれ」

「沸かして、すぐに持ってこさせます」

徳喜児がふたたび茶を注いでやってきました。希僑は三四杯飲み、喉の渇きをいやしました。夏逢若

「どちらから来られたのですか」

「この胡同の城隍廟の北の趙寡婦の家で交渉をして、ようやくけりがついたんだよ。とても喉が乾いた。ちょっと聞くが、君は長いこと劇を見にこないが、どうかしたのか」

「何度か行ったのですが、門番に取り次ぎをしてもらえなかったのです」

「どの門番か言ってくれ。家に帰ったらそいつを首にしてやる」

「そんなことをしていただかなくても結構です。今、私たちは話をしていたのですが、兄さんに批評をしていただこうと思います」

「君たち二人の間に、大事な話しなどないだろう。僕は聞く積もりはないよ。まず僕の大事な話しをさせてくれ。当ててごらん。僕が何で来たか。実は趙寡婦の息子の小鉄馬児が、昔、劇団に応募したので、僕は四両の身代金を与えたんだ。彼は今は正旦の役を与えられている。とても賢い子でね。台本を覚えるのが早いし、歌をうたうのもとても滑らかなんだ。二人の師匠もとてもあの子を気にいっているし、僕も一目置いているんだ。この前、あの子の母親が病気になって、あの子に会いたがったので、僕はあの子の師匠に二日の休みを取らせるようにいった。ところが、四五日たっても、戻ってこなかった。何度か彼を呼びにいかせたが、あの子の母親は、あれに芝居を習わせる積もりはないと言い張ったんだ。僕は腹を立てて、今日は自分であの子を呼び戻しにきたんだ。そうしたら、あの子のお袋はますますまくしたてて、自分たちはれっきとした家柄だから、芝居を習ったりするのは恥だと言ったんだ。さらに、鉄馬児はただ一人の息子だから、あちこちを回るようになったら、身寄りがなくなってしまうともいった。彼女は蘇秦よりも雄弁な口で、滔々とまくしたてた。僕は慌てて、一年に五十両の金を払うと言ったら、ようやく承服した。昨日の夜は、酒を飲み、今日は半日交渉をしたので、とても喉が乾いた。それに、譚君の家とも近いから、ついでに様子を見にきたんだ。だが、夏君もここにいるとは思わなかった。君達は車に乗って、僕についてきてくれ」

「私たちは、面倒な相談をしなければならないのです」

「面倒な相談とは何だい。僕の家に来て、劇を見ながら、ゆっくりと相談すればいい」

「譚君がしでかしたことのせいで、明日、後家が自殺するかもしれないのです」

「大したことはないじゃないか」

「兄さん、少しゆっくり座って、私に二言三言話しをさせてください。そうすれば、兄さんについていきます。兄さんのご好意なのですから、行かないはずはないじゃありませんか」

「まあいいだろう。はやく話してくれ。僕が批評をするから」

夏逢若は、瘟神廟で劇を見ていて、姜氏が汗巾を渡したこと、姜氏に縁談を持ち込んだこと、絹などを結納品として差し出したこと、約束に背いて、巫家の娘と婚約したことを話しました。

「もういい、分かったよ。これはぼんくらな譚くんが、うまい具合にあんたに出くわしたってことだな。あんたは、僕が事情を察していないとでも思っているのか。随分前から、僕はあんたをとっちめてやろうと思っていたが、その機会がなかったんだ。今日は、あんたに出会った以上、説教をして思い知らせてやろう。あんたの親父さんは、それほど高い位ではないが、一応役人になったことがあるのだから、あんたも役人の子孫だろう。どうして下賤な奴等のやり方を真似し、ずるいことをしたり、媚びをうったりし、筋の通った、立派なことをしないんだ。まずあんたに説教してやるから、すぐに改めるといい。今まで通りのことを繰り返したら、夏くん、僕はこの気性だから、僕たちが友達だとは思わないことにするぜ。僕はあんたが譚君に対して、悪いことばかりしていることをちゃんと知っているぞ。あんたは、『寸絲もて定めを為』したと言う積もりなんだろう。あんたに聞くが、この世の中に布切れで男と婚約したりする女がいるかい。これは単に女が恥知らずなだけなんだよ。あんたが絹の結納を買っていないし、送ってもいないことを、僕は知っているぞ。銀子は、あんたが使い込んでしまったんだろう。あんたは、結納を送ったと言い張るだろうが、あんたに聞こう。送ったときどんな名目で送ったんだ。あんたが送ったとしても、口止め料ということになるだろう。いずれにしても、譚君に銀子を返してくれといわせなければそれでいいだろう。姜氏がどうしても譚君に嫁ぎたいといい、三号になるのを望めば、僕が結納金を援助してやろう。しかし、もしあんたが口実を設けて、数両を脅しとろうとするなら、あんたはまったくの人でなしだ。あんたはもうこのことを話す必要はない。馬鹿な譚くんはだませても、僕はだませないぞ。あんたみたいな人間は、僕のお供をして、僕のために劇団の世話をして、僕から一月に八両の銀を貰っていれば十分だ。さあ、車に乗っていこう」

譚紹聞

「僕は、他にもしていないことがあるのです」

「君は満相公の車に乗っていけばいい。満相公は、今、杭州へ舞台衣装を買いにいっているんだ。あいつが戻ってきたら、君を呼ぼう」

譚紹聞は顔を赤らめて、言いました。

「すぐ行きましょう」

 一緒に行くと言ったちょうどその時、双慶児

「王叔父さまが楼の一階で、若さまと話をするために待ってらっしゃいます」

盛希僑は笑いながら、

「これは、巫家からの知らせがきたのだ。夏君はこれ以上媒酌人になろうとする必要はないぞ。大体、若者が妻を失っているところへ、母親と叔父が結婚話しを持ち込めば、うまくいかないわけがないよ。お袋さんはもう承知しただろう。譚君は叔父さんの相手をしておいで。僕は君の叔父さんには会わないよ。巫家との婚約はきっと成立するだろう。後日、花嫁を迎えるときは─僕たちの劇も上演の練習をしているから─劇団を連れてきてお祝いしよう。その時は断らないでおくれよ」

譚紹聞は、いい加減な答えをし、胡同の入り口まで送りました。盛公子と夏逢若は、車に乗って盛家に行きました。まさに、

仲連[1]はよくいざこざを処理せども、

昨今は金のため、いざこざを解けるなり。

金なくば、捲し立つとも無駄ならん、

蘇、張[2]といへど役には立たじ。

 さて、譚紹聞は、一階に戻りますと、母と叔父に会いました。果たして巫家が縁談を受け入れたという話しでした。王氏はとても喜びましたし、紹聞も普段からの願いを適えることができました。その後、仲人を遣わしたり、結納品をおさめたり、寝台を置いたり、嫁迎えをしたり[3]、夫婦固めの杯を交わしたり、送暖を行ったりしたことは、もしも逐一お話しすれば、たくさんの筆墨を費やすことになりますが、所詮は、にわか成金の巫家が、士大夫の家との結婚をするので、持参品に気を配り、機嫌をとったということにすぎませんでした。譚紹聞は、財産を売って得た千五百両の現金があり、手元が豊かでしたし、見栄も大いにあったので、やはり金をかけました。双方の派手な様子は、想像することができようというものです。さらに、譚紹聞と巫翠姐の新婚生活をお話しすれば、小説家の常套に嵌まることになりますから、すべて省略致します。

 しかし、その中で最も悲しんでいた人がいました。冰梅は、新しい嫁を見て、昔のことを思い、孔慧娘の庇護を受けていた恩義を思いだすと、興官児を抱いて、人のいない所へ行き、密かに涙を流しました。そして、興官児に向かって溜め息をつきながら、

「おまえも不憫な子だね」

と言いました。新婚の夫婦は、曲米街の巫家へ行ったため、文昌巷の孔家にも行かざるを得ませんでした。孔耘軒夫婦は、新しい夫人を見ますと、もてなすのを忘れませんでした。しかし、夫人を見送って別れた途端、娘が死んだときの十倍の悲しみを感じました。─この二つのでき事は、すべて当然の人情ですので、私がはっきりお話ししておかなければなりますまい。

 さて、譚紹聞は嫁を迎えたのは、十二月二日で、一月後は元旦でした。夫婦二人は、いつも骨牌遊び、搶快[4]、天九[5]、サイコロ賭博、混江湖[6]をして遊びました。巫翠姐は、冰梅、趙大児が少しも遊びを知らず、女部屋で賭けをすることができませんでしたので、嫌がりました。彼女は牌の組み合わせや、サイコロの点数を、何度も教えましたが、すぐに覚えさせることはできませんでした。すると、翠姐は、いつも怒って、

「本当にのろまなんだから。すぐに覚えられるのに、全然できるようにならないなんて」

と言いました。しかし、飯炊きの樊婆は、若いときから城内の旧家に雇われ、閨房の中で賭博が行われるときは、付き合って、お祝儀をもらっていましたので、骨牌遊びやサイコロ賭博も、少し知っていました。ある日、紹聞が、翠姐と楼の窓辺で葉子[7]をしていますと、樊婆が飯をもってきました。夫婦は、まさに勝負の分かれ目でしたので、食事をしようとしませんでした。樊婆は、巫翠姐の後ろに立って、しばらく見ていますと、いいました。

「奥さま、九万貫[8]を混江[9]にかえ、九銭児[10]に一索一万を組み合わせれば、『没皮虎』[11]になるじゃありませんか」

巫翠姐は、白粉をぬった顔を振り向かせますと、笑いながら、

「よくご存じですのね」

「こちらへきてから数年になりますが、誰もこれをする人がいませんでしたので、今では忘れてしまいました」

夫婦は一局終え、食事を並べ、急いで食べますと、樊婆を仲間に入れました。しかし、樊婆は醜く年をとった飯炊き女で、金も持っておりませんでしたので、面白くありませんでした。そこで、譚紹聞は、冰梅、趙大児、樊婆をよんで一組にし、冰梅に牌を持たせたり、樊婆に組み合わせを指図させたり、趙大児に茶を運ばせたり、興官児に所場代をとらせたりして、賑やかに遊ぼうと思いました。

 昼近くになりますと、王中、双慶児たちが、昼食をとりにきました。台所では食事を作るのを忘れていました。王氏は息子を溺愛をしていたために、しっかりした考えがなく、しっかりした考えがないため、ますます溺愛しておりましたので、東の楼へ行って様子を見ますと、笑って、自ら台所へ行き、食事を用意しました。正月は、酒や飯はでき合いのものを食べますので、双慶児、徳喜児に命じ、冷めた肉を切り、冷たい野菜を分けさせて、食べさせました。

 譚家代々の家風は、譚紹聞によって少し損なわれたとはいえ、奥の風紀は今まで通りでした。しかし、巫翠姐を娶ってからというもの、賭博が始まり、奥の風紀は、「魚の爛るを餒と曰う」[12]ありさまになってしまいました。

 ある日、双慶児が東の楼に招待状を持ってきました。そこには、巫岐の名前が書かれていました。巫鳳山が人を遣わして、新郎新婦を招き、一緒に上元節を過ごすための招待状でした。十四日になりますと、巫鳳山は、早くも二台の轎を迎えによこしました。夫婦二人は、華やかに着飾り、王氏はそれを見て、とても喜びました。家の者たちは、裏門まで送り、二人は、轎に乗って出掛けていきました。

 巫家の門前に着きますと、綺麗な服と、新しい帽子をつけた、五六人の人が迎えに出ているのが見えました。一人は巫鳳山の甥で、巴庚といい、一人は外甥で、銭可仰といい、もう一人は干児で、焦丹といいました。彼らは、送[ダン]の日に、贈物を包んできた人達でした。巫岐は、息子の巫守敬が十二歳になったばかりで、客の相手ができないので、これらの親戚を呼んで、客の相手をさせることにしたのでした。譚紹聞は、轎から降りますと、人々は、拱手して招き入れました。巫翠姐は、裏門で轎から降りて、家に入りました。譚紹聞は、おもての広間に着きますと、まず岳父に挨拶をし、その後、姻戚たちに挨拶をしました。挨拶が終わって、茶が出されますと、衝立の裏で、誰かが話すのが聞こえました。

「おもては寒いですから、義兄さんは、奥の楼に腰掛けていてください」

巫鳳山

「この部屋は大きすぎます。譚さん、裏へいきましょう。その方が暖かいですから」

人々は、一緒に立ち上がり、真ん中の広間を過ぎ、堂楼に入りました。岳母の巴氏が笑顔で迎え、譚紹聞は、身を屈めて挨拶をしました。

巴氏

「譚さん、お掛けください。先日、すでにご挨拶を致しました。おもての広間が寒いので、あなたが薄着だといけないと思いましたし、自分の子ということもあったので、裏にお呼びしたのです。彼らはみんな親戚なのですから、もう表へいかれる必要はありません」

紹聞は、何も答えませんでした。巴氏は、さらにいいました。

「譚さん、火鉢にあたってください」

そして、火鉢に炭を入れさせました。さらに、下女に体を暖めるため、酒をもってくるようにと命じました。巴氏は、譚紹聞が無口なのを見ますと、巫鳳山にむかって、

「あんたは向こうにいっておいで。あなたがここにいると、譚さんたちもゆっくりできないだろうからね」

巫鳳山は「四畏堂」でテ─ブルを囲んだ人でしたから、それを聞きますと、すぐに立ち上がって笑いながら、

「今日は、店で用事があるので、譚さんには申し訳ありませんが、ちょっと失礼致します」

巫鳳山が行ってしまうと。巴庚、銭可仰、焦丹は、味もそっけもない話しを、それぞれ少しずつしましたが、譚紹聞とはまったく話が合いませんでしたので、微笑みながら無理に返事をするだけでした。

 そもそも巴庚は、酒屋を開いていましたが、酒を売るとは名ばかりで、もっぱら娼妓を蓄え、たくさんの揚げ代を稼ごうとしていました。また、賭場を開帳し、たくさんの所場代を稼ごうともしていました。銭可仰は、宿屋を開いて、官吏や商人を泊めていました。また、運送屋でもあり、 各省の車を探してやっていました。焦丹は、山西の小商人で、父親は省城で京師の物産を売る店を開いていましたが、若い時、巫鳳山の下で、巫姓を名乗り、干児となったことがありました。この三人は、譚紹聞が旧家の公子なので、笑われてはいけないと思い、あまり喋りませんでした。巴氏は、婿がつまらなそうにしているのを見ますと、少し慌てて、下女に言い付けました。

「はやく料理を並べておくれ。食事をとってから、街を歩くことにしよう。元宵節だから、故事[13]を見たり、芝居を見たりしよう」

 まもなく、小皿と杯が出てきて、宴席が堂楼の東の間に設けられました。譚紹聞

「岳父さんも呼びましょう」

巴氏

「あの人は忙しいので、呼ばなくてもいいでしょう」

人々は、譚紹聞に首席を譲り、銭可仰、巴庚、焦丹は、横に座ってお相伴しました。巫守敬は、主人の席に座りました。まもなく、料理が出されました。山海の珍味が並び、美酒や肥えた羊もみな揃っていました。巴氏は、巫守敬にしきりに命じました。

「おまえはお客様のお相手ができないのだから、あれをとって譚さんに召し上がって頂きなさい。いいのを選んでさしあげるんだよ」

巴氏は婿を尊敬し、彼が遠慮をして腹を空かせては困ると思っていたのでした。やがて、巴氏はじっとしていられなくなり、テ─ブルの前に行きますと、箸をとって、どんぶりの中身を小皿にとり、紹聞の前において、いいました。

「どうぞ召し上がってください。遠慮なさらないでください。これから二三日とまられて、食事をとらずに痩せてしまわれたりすれば、お母さまはあなたをこちらにこさせなくなってしまうでしょう」

譚紹聞は慌てて

「お岳母さま、お気遣いは御無用です」

 譚紹聞は、孔家の婿だったころは、このようなことは、経験したことがありませんでした。今日は、岳母に会い、何度も譚さん、譚さんといわれ、初めは嫌な感じがしましたが、だんだんと親しみを感じるようになりました。八母[14]の中には、岳母は入っていませんが、これは古人の粗忽といわざるを得ません。

 昼食がおわりますと、巴氏は、婿に街へ散歩にいくようにすすめました。ところが、あいにく黒雲が空を覆い、埃交じりの風が吹き、寒くなり、雪が降りそうな気配になりました。巴氏

「譚さんには元宵節を過ぎたら、昼間は劇を、晩には提灯を見て頂こうと思っていたのに、あいにく天気が変わってしまった。どうしましょう」

巴庚は、譚紹聞が普段賭けをしていることを知っていましたので、言いました。

「譚さん、私の家に来られてはいかがですか。ただの格好が悪いあばら屋で、笑われるかもしれませんが」

「親戚同士なのですから、笑ったりはいたしませんが、まだ贈り物をもってご挨拶しておりませんから、軽々しく伺うわけには参りません」

焦丹は笑って、

「みんなで一緒に行けば、譚さんが挨拶をされたということになるでしょう」

銭可仰

「焦さんのおっしゃることは尤もだ」

巴氏

「おまえたちは、譚さんについていっておくれ。私はすぐに裏門からいくから、私もお前の叔母さんに会いにいきたいからね」

 四人は表門を出て、まっすぐ椿樹街の入り口にある巴家にやってきました。入り口に着きますと、門には「酔仙館」の酒屋の看板が掛かっていました。門には中から鍵が掛けられていました。巴庚は叫びましたが、門はあきませんでしたので、仕方なく隣の家から回って、表門を開けました。中では三人の男がサイコロ遊びをしていました。二人は、この街の若い学生で、一人は柴守箴、もう一人は閻慎といいました。もう一人は呉服屋の若主人で、竇又桂といいました。彼らは父親に隠れて賭博をしにきていたのでした。三人は普段から集まっており、今日は元宵節なので、街に劇を見にいくと称して、巴庚の酒屋で落ち合い、賭けをしていたのでした。巴庚の酒匠は、留守番をする人ができたので、広生祠[15]へ『百子橋』[16]を見にいきました。三人が賑やかに賭けをしているところへ、譚紹聞が入ってきますと、二人の学生は、顔を赤らめて、立ち上がりました。巴庚は、譚紹聞を呼び寄せて、言いました。

「譚さん、東の廂房にいきましょう」

 紹聞は、初めて小人の親戚の家に来て、話しができる人がいませんでしたので、半日つまらない思いをしていましたが、賭博が行われているのを見ますと、思わず心が踊り、すぐに中に入っていきますと、言いました。

「一吊銭を貸してください。僕も賭けをしてみます」

巴庚は、引きだしを開け、千枚の大銭を取り出きますと、譚紹聞の前に置きました。譚紹聞はすぐに賭けを始めました。

 晩まで賭けをしますと、二人の学生は立ち上がって、家に帰っていきました。しかし、竇又桂は帰ろうとしませんでした。巴庚

「あなたも帰りなさい。もしお父さんに知られたら、もうここにくることができなくなるよ。明日の朝、来ればいい」

竇又桂

「仕方ない。親父が十七日に実家に帰るから、その時に何日か思いっきり賭けをすることにしよう」

そこへ、巴氏が裏からやってきて、婿に帰るように促しましたので、一緒に帰ることにしました。竇又桂は家に戻り、焦丹も店に戻り、譚紹聞、巴庚、銭可仰は、ふたたび巫家にいきました。

 夕飯をとりますと、雪が降ってきました。巴氏は、腰房[17]で火鉢をたかせ、蝋燭を点し、さらに真夜中まで賭けをしました。巴氏は、月餅、餃子、麺、目玉焼きなどの点心を出しました。巫翠姐と巴庚、銭可仰は、表に何度か見物しにいったあと、ようやく床につきました。

 十五、十六日になりますと、ふたたび巴庚の酒屋で、竇又桂と一緒に二日間賭けをしました。十七日になりますと、譚紹聞は別れを告げて帰ろうとしましたが、巫鳳山夫婦は、帰そうとしませんでした。巴庚

「今日はいい天気です。私は、昨日、粗菜を用意致しましたから、譚さん、私の家にきてください。おもてなし致しますから」

「毎日御馳走になりましたから、もう十分です」

「私の家では食事をしてらっしゃらないでしょう。銭くんを呼んでお相手させます。私が貧乏なのがお嫌でしたら、無理にお招きは致しませんが」

「とんでもございません。ご馳走になりましょう」

そこで、一緒に立ち上がりますと、巴庚の酒屋にやってきました。途中で、巴庚は言いました。

「譚さんは賭けがお上手ですね。竇の奴はいい鴨ですぜ。あいつの白布(さらし)店には三四千両の資金があります。あいつの親父が、今日、実家に戻ったので、あいつは、今日、安心して、大っぴらに賭けをしているのです。私たち三人で仲間になって、あいつから数百両を勝ち取って、山分けしましょう」

紹聞は承知して、うなずきました。

 酒屋に入りますと、竇又桂が笑いながら、

「僕は、朝、親父が出発するのを見送った。思いきり賭けをしようぜ」

巴庚、銭可仰もやってきて、賭けをしたことは、いうまでもありません。間もなく、竇又桂は百三十両負けました。賭けに熱が入りますと、みな下を向いて点棒を見て、丁半と叫びました。すると、突然声が聞こえ、色盆が打ち砕かれ、銅銭が辺りに散らばり、人々は棍棒で打たれました。そして、何度も罵る声が聞こえました。

「この馬鹿者どもめ、大層なことをしているな」─

 これぞまさに、

斉に入り、軾[18]に倚り、妙案を用ゐるも、

たちまちに遭ふは田単の火牛の計[19]

天兵はいづこより降りたるにや、

穴あらば入りぬべきなり。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

中国文学

トップページ

 



[1]魯仲連。戦国時代斉の人。喜んで人のために争いごとを解決したことで有名。『史記』巻八十三「所貴於天下之士者、為人排患釈難解紛乱」。

[2]戦国時代の弁論家蘇秦と張儀。

[3]原文「親迎」。婿が自ら嫁の家に行って嫁を迎えてくる儀式。

[4]賭博の一種、六個のサイコロを用い、組み合わせに従って点数を出し、その多寡によって勝負を決める遊び。

[5]三十二枚の骨牌を用い、四人でする遊戯。各人八枚ずつとり牌を出し合って勝負を進める。牌は文牌、武牌に分かれ、文牌は天牌が一番強く、武牌は九点が一番強い。故にこの名がある。

[6]第三十四回の注参照。

[7]明潘之恒『葉子譜』に、崑山で始まった、水滸伝の登場人物を描いた牌を使う遊戯で、のちの馬掉(馬吊)であるとある。「葉子始於崑山、初用水滸伝中名色為角抵戯耳。後為馬掉」。

[8] 『葉子譜』によれば、雷横が描かれているという。

[9] 『葉子譜』によれば、「五万」の牌に混江龍李俊が描かれているとあるので、五万の牌のことだと思われる。

[10] 『葉子譜』九銭に「如三畳峰」とある。図柄が三つの峰のように見える様をいったものであろう。

[11]明潘之恒『続葉子譜』「一索一万九銭為虎」とある。ただし、「没皮虎」という葉子の組み合わせについては未詳。

[12] 『爾雅』「魚敗曰餒」。なお、「魚爛」という言葉は、『春秋公羊伝』僖公十九年にでてくる言葉で、国家が内部から崩壊することを譬える言葉。ここでは、家が内部から崩壊することを譬えている。

[13]農民が春節から元宵灯節にかけて演ずる各種の出しもの。

[14] 『大明律』に示された八種類の母。嫡母(実母)、継母、庶母(父の妾)、慈母(父の妾で乳母になったもの)、乳母、養母、出母(離縁になった母)、嫁母(父の死後再嫁した母)。

[15] どのような神をまつる祠なのか未詳。

[16]橋の名なのか戯曲の名なのかは未詳。

[17]三棟並んだ家屋の中央部通路両側の部屋。

[18]車の前についている横木。

[19]角に刀をつけ、尾に火をつけられた牛。斉の田単がこれを燕軍の陣地に放ってから攻撃をし、勝利したという。『史記』田単伝に見える故事。

inserted by FC2 system