第四十七回

程知事が法廷で教えを垂れること

孔慧娘が病床で頼みごとをすること

 

 さて、程公は、厳しい中にも優しさを秘め、愛情にあふれた心をもっていました。賭博事件の徹底的な究明が行われれば、范師傅は、追及を受け、度牒を取り上げられ、還俗させられたでしょうし、張縄祖、王紫泥は、冠服を剥奪され、王学箕、双裙児は、公案の前で刑を受け、譚紹聞も賭博の借金を払うように求められたはずです─清官は、そうすることによって、任務を全うし、貪官は、私腹を肥やすのです。しかし、程公は、慈悲の心を持ち、「士籍から除く」「賭博を開帳し、人を賭けに誘った」などと言いながら、原稿を書いて記録したものの、時間の余裕を与え、張縄祖、王紫泥が、手立てを講じて、罪を免れることができるようにしてやりました。そこで、二人は、城内の郷紳たちに、取り調べをやめるように取りなしをしてくれと頼み、(役所には)罰を受けたいと申し出ました。そして、改心するという反省書を書きましたので、程公は「とりあえず許すこととする。しかし、悔い改めなければ、倍の罰を与えることにする」という字句を書きました。翌日の朝の法廷で、賈李逵は、三十回大板で打たれ、白興吾は二十回大板で打たれ、譚家と永久に争わないという承諾書を書かされて、釈放されました。

 譚紹聞、王中の二人が法廷の前に跪きますと、程公は諭しました。

「譚紹聞よ。よく聴くのだ。わしはお前を案首にした。わしはお前が試験場で書いた文章が優れており、復試[1]の時、お前の品格が優れていたのを見て、いずれ立派な器になると思い、お前を首席にしたのだ。府試[2]のときも、お前はやはり首席だった。わしは、自分の人相見に間違いはなかった、この二つの眼も信じるに足るわいと嬉しく思ったものだ。学台が来られたとき、わしは、南陽に出張していたが、お前は必ず合格し、成功への道を歩み始めたものと思っていた。ところが、お前は、引き立ててやろうとするわしの気持ちを裏切り、あの無頼漢どもによって賭博に誘われ、賭博に負け、こっそり高飛びした。そして、白興吾、賈李逵のような賤業者、下男に殴られ、辱められ、騒ぎを裁判所に持ち込んだ。お前たちは、まるで噛み付き合って争う、鳳凰と鳶のようだったぞ。わしが『物が腐れば虫がわく』[3]という理に拘って、追及を始めれば、お前のようなやわな体では、もちろん刑具の責め苦にたえられなかっただろう。賭博の借りは一文も取り立てられる恐れはないが、お前は、一生人でなしということになってしまっていただろう。わしは、普段から、お前が旧家であること、お前の祖父が役人になり、お前の父親も貢廉に推挙されたことがあると聞いている。わしがお前を棒で打てば、わしは、お前の祖父、父親をもぶったことになる。わしはそうするに忍びなかった。これは、決してお前の試験の為ではない。お前のような者を、これ以上育てようとしても何にもならぬ。これからは、今までの非をすっかり改め、志を立てて読書に励み、上を目指せば、今回の恥を消すことができるだろう。お前が今後、少しでも法を犯した時は、わしが知らなければそれですむが、不正な事件に関係したり、情報が耳に入れば、わしは、お前に平民と同じ様な罰を与え、二倍重く罰して、わしにみる目がなかったことを戒めることにしよう」

 そう言われますと、王中は、程公が役人であること、自分が法廷の前に跪いていることを、すっかり忘れてしまい、目に涙をためながら、心の中で叩頭しました。紹聞は、良心を動かされ、両目に涙を流しました。程公は、それを見ますと、悲しい気持ちになり、主従に、帰ってよく勉強するようにと命じ、主従は、退出して去っていきました。程公がさらに別の裁判を処理したことは、くだくだしくはお話し致しません。

 さて、紹聞は、王中とともに家に戻りました。双慶児は、街で様子を探り、有利な裁判が行われていることを、王氏に報告していました。紹聞は、二階にいって腰を掛けましたが、顔色は、まだ不安そうでした。

王氏「この間、茅の奴が私たちを騙そうとして、役所で板子で打たれた。今度は、賈の奴が私たちを騙そうとして、また役所でぶたれた。私たち読書人の家の子弟が、これ以上騙されることはないだろう。お役所が厳しくしなければ、私たちはあの連中のせいで、ちゃんと暮らしていくことができなくなってしまうよ」

紹聞は、何も答えませんでした。王中は、部屋にもどり、丸二日眠りました。彼の怒りは、お話ししなくてもお分かりになるでしょう。

 さて、孔慧娘は、茅家と裁判をしたとき、怒りで月のものが不調になり、一年余りたちますと、まったくなくなってしまいました。そして、今度は、密かに腹を立てたので、だんだんと咳が激しくなり、労咳になりました。王氏は、孔慧娘が賢いのを、普段から気に入っていましたから、紹聞に、薬で治療をするように命じました。姚杏庵が脈をとりますと、月経不調ということがすぐに分かりましたので、加減四物湯[4]、帰脾[5]、逍遙散[6]の類いを、交互に飲ませました。しかし、病状は、悪くこそなれ良くなることはありませんでした。さらに、知府の役所で、沈暁舫という江南の名医を呼んだということを聞きましたので、譚紹聞は、岳父の孔耘軒と相談し、ずいぶん根回しをして、沈暁舫を家に招きました。沈暁舫は、脈をとり、碧草軒に行きますと、孔耘軒に告げました。

「娘さんの病気は、気、血が衰えたものです。左の関脈に、異変が現れています。大体、婦人は喜んだり怒ったりして定めがなく、鬱屈して大病になってしまうのです。昔から、心の病はなおしにくいものですが、これは心が病んでいますと、草の根や木の皮は、役には立たないからです。とりあえず処方箋を書いて、責任を果たすことにいたしましょう。もしも良くなられたら、他に立派な方を探されるべきでしょう」

孔耘軒は、うなずきますと、それで結構ですと言いました。沈暁舫は、処方を書きますと、すぐに別れを告げました。譚紹聞は、何度も引き止めましたが、沈暁舫は、どうしても行こうとしました。これは、彼が名医で、慧娘の生命が助かる見込みが少しもないことを知っていたからでした。慧娘が沈暁舫の処方に書かれた薬をのみますと、症状は少し除かれました。そこで、もう一度沈暁舫を呼ぼうとしましたが、知府の役所は、奥深くて海のようでしたし、沈暁舫をもう一度招いたとしても、沈暁舫は、すでにはっきりと診断がついていましたので、それ以上、労多くして益少ないことをしようとはしなかったでしょう。そこで、紹聞は、ふたたび城内の新米の医者張再景を呼んで、みてもらいました。彼は、口を極めて前の医者をけなし、さらに、以前書かれた処方箋をこっぴどく批判しました。張再景の能力では、心が衰えてあまり寝ていないといわれますと、茯神[7]、遠志[8]を用いるべきだといい、口が乾いて体の一部が痛いと言われますと、五味[9]、三稜[10]が必要だと言うことしかできませんでした。そして、病気が日ごとに重くなるのを見ますと、去っていってしまいました。

 ある日、王氏が一階にいますと、裏の路地から鄭大嫂が楼に入ってきました。この鄭大嫂は、譚孝移が丹徒から戻ってきて、端福児をぶったとき、様子を見にきた鄭翁が娶った後妻でした。王氏は、席を勧めました。

「あなたは、普段は来られませんが、今日はお暇なのですね」

「私は何もないときも暇はないのです。若さまの奥さまのお体が良くないと聞きましたので、お見舞いにあがったのです」

「お心遣いありがとうございます」

「城の西南の槐樹荘で、薬が渡されています。ご隠居さま、行って薬を貰われてはいかがですか」

「そんな話は聞いていませんよ」

「去年、日照りのとき、槐樹荘で、馬子[11]が太鼓を鳴らし、自分は孫悟空だといい、清風と霧雨が降るようにと祈りました。今度は、金神薬[12]を施して、万人を救っております。助かる見込みのある者には、赤い薬、黄色い薬が、助かる見込みのない者には、黒い薬が施されたり、薬が施されなかったりします。薬は、とてもよく効きます。昨日、私の姪が病気で死にそうになったので、赤い薬を一服頂きましたが、飲んだらよくなりました。ですから、今日、ご隠居さまに話をしにきたのです」

「馬子が踊りだすと、私はとても怖くてね」

「今は馬子はいません。上等の香を焚き、水を撒けば、薬を杯の中に入れてくれます」

「城からどのくらいかかるのですか」

「近くです。恵家荘の南、半里のところです」

王氏は、突然、滑氏の事を思いだし、彼女に会おうと思い、いいました。

「今日、行くことはできますか」

「毎日人がそこにいます。行けますとも」

「私を連れていってくれませんか」

「行きましょう」

王氏は、徳喜児に、蔡湘に車の用意をさせるように命じました。

 蔡湘は、車の準備をしますと、胡同の入り口まで引いてきました。王氏は、紙銭代を持ち、鄭大嫂と一緒に、樊婆を連れて車に乗り、徳喜児がつき従いました。蔡湘が鞭をあげますと、車は角を曲がって、南門から出ていきました。

 さて、王氏は、外に出るとき、堂楼の門に鍵を掛けました。冰梅は、興官児を連れて、東の楼で慧娘の世話をしていました。すると、趙大児が入ってきて、慌てて

「風呂敷包みを持った女が、病気を直すことができる、奥さまが病気であると聞いたので、治療をしたい、謝礼はいらないといっています。今、台所で待っています」

慧娘は、それを聞きますと、急いで

「多分、占い師でしょう。堂楼の入り口は閉まっているの」

「閉まっております」

「はやく行って、その女のそばから一歩も離れないようにしなさい。冰梅、この楼門に鍵を掛けて、興官児をベッドに寝かせて、私に預けておくれ。お前は楼の二階にあがって飾り模様のある楼門を開けて、頭を出して、下を見ていておくれ。物を盗まれないように注意しなさい」

冰梅は、東の楼門に上りますと、女占い師は、門屈戌児[13]を叩き、入り口で叫び始めました。慧娘は、聞こえないふりをしました。女占い師は、しばらく叫ぶと、障子をぬらして穴を開け、片目を紙の穴にあて、慧娘を見て、言いました。

「きれいな娘さんですこと、お顔はまるで神様のようですね。どうして病気になられたのですか。街の東の蘇家の娘の病気は、もうよくなりました。私は、若奥さまのお体が悪いと聞いて、ご様子をみにまいったのでございます。私は、何が欲しいわけでもございません。私めは神さまの前で、百人のご婦人の病気を治そうと願をかけたのです。すでに七七四十九人の病気を治し、奥さまをいれれば、ちょうど五十人になり、半分の約束を果たすことになります。私は河南府、南陽府へ行き、病気の治療をしました。奥さま、門をお開けください」

孔慧娘は、一言も返事をしませんでした。女占い師は、さらに言いました。

「いいお子さんをおもちですね。今日は、一人を治して、二人を生かすことになりますね。もしも治療をしなければ、この若さまがお母さんのことを慕われても、お母さんが助かる見込みはございませんでしょうよ」

慧娘は、相変わらず返事をしませんでした。女占い師は、さらに言いました。

「私のこの薬は、火で煎る必要はありませんし、丸薬でもございません。ただの赤い粉です。一口水で飲めば、利き目があるのです。体は冷えませんし、生臭くもありません。こうしてお会いできたのも、前世の姻縁でございますよ」

慧娘は、やはり返事をしませんでした。興官児は、乳を飲みたがりましたが、慧娘があやすことができませんでしたので、泣きだしました。

「私の薬を飲まれないので、誰かが泣いていますね」

冰梅は、泣き声を聞きますと、二階から降りてきて、奥の部屋の入り口に近付きましたが、慧娘は、手をふって、二階に戻らせました。女占い師は、ますます怒って、どんと窓格子を叩くと行ってしまいました。さらに、台所へ行って、趙大児に茶を沸かさせて、飲もうとしました。趙大児は、言われた通りにし、広州の錫の急須をもってきて、茶を入れました。すると、女占い師は

「私は茶をもっております」

といい、錫の急須を手にとりますと、さっと門をでていきました。趙大児は、門の外まで追い掛けましたが、飛ぶように走っていってしまいました。趙大児は、仕方なく追掛けるのをやめ、錫の急須はあきらめて、固く裏門を閉ざしました。戻ってきて、慧娘に報告をしますと、慧娘

「大したことはないわ」

冰梅は、興官児を抱きかかえ、慧娘になぜ一言も返事をしなかったのかと尋ねました。慧娘

「ご隠居さまが家にいらっしゃらないのですから、こうするのが当然です」

「ご隠居さまが家にいらっしゃれば、必ず女占い師にだまされていたことでしょう」

 このことは、これ以上お話し致しません。さて、王氏は、車の中で、徳喜児に向かって、恵家荘で車を降りたいといいました。恵養民の家の前に着きますと、

徳喜児「こちらが恵先生の表門です、車を止めましょう」

王氏は、鄭、樊二婦人とともに、中に入りました。滑氏は、中庭で洗濯をしていましたが、王氏を見ますと笑って、

「あれまあ、奥さま、どういう風の吹き回しですか」

そして、部屋の中に招き入れますと、言いました。

「今では分家して、ひどい有様になってしまいました。お笑いにならないでくださいまし」

「あなたがいなくなってから、私たちの家は、ひどい有様なのですよ」

茶を飲んで、慧娘のために薬を貰いにいく話をしますと、滑氏も一緒にいきましょうといいましたので、王氏はとても喜びました。

 人々は、車には乗らず、半里の道を歩いて、槐樹荘につきました。すると、一本の槐の古木の下に、テ─ブルが一つ置かれており、上には斉天大聖の猿の象が置いてありました。手には金箍棒をもっており、もう一方の手は、涼み棚のように額に当てていました。顔の前には、鉄製の磬が下げてあり、一人の老婆が控え、二三人の人が薬を貰っていました。樊婆は、徳喜児に命じて、木の下の老人から紙銭を買わせました。徳喜児が王氏に紙銭を渡すと、四人は、一斉にひざまずき、テ─ブルの上に杯を置きました。老婆は、磬をたたきましたが、王氏は、祝詞を唱えることができませんでした。そこで、滑氏は

「譚家の王氏、嫁の病いにより、来たりて神薬を拝領せんとす。大聖さまのすみやかに妙薬をたまいお救い下さらんことを望む。明日、銀を施さん」

と言いました。滑氏が口を閉じて王氏を見ますと、王氏は

「十両」

と言いました。滑氏は続けて

「廟宇を創修し、銅匠を請うて金箍棒を鋳ん」

すると、老婆は磬を三回ならし、四人は叩頭を始めました。まもなく、杯の上の赤紙を捲りますと、杯の底に、米粒大の四五個の真っ赤な薬がありました。人々は、王氏に向かって、お祝いを言いました。王氏は、磬を叩いた老婆に、百銭を与えるように命じ、徳喜児に、両手で杯を捧げもたせました。恵家荘に着きますと、滑氏は、大きな丼を与え、杯をその中に入れ、徳喜児に、大切に扱うようにと命じました。

 滑氏が食事にひきとめますと、王氏は

「薬を飲ませなければいけませんから」

と言いました。滑氏も引き止めようとはしませんでした。王氏と二人の婦人は、車に乗って城内に戻り、胡同の入り口に着きますと、家に入りました。徳喜児は後ろからやってきて、薬を王氏に渡しました。

 王氏は、東の楼まで薬をもっていきますと、慧娘に事情を話しました。慧娘は、飲みたくはありませんでしたが、心の中では姑の愛情に感激し、自責の念にたえませんでしたし、姑が自ら祈りを捧げて、手に入れてきてくれたものでしたので、仕方なく神薬を飲みました。そして、笑うと

「この薬は苦くも塩辛くもありません」

 王氏は、慧娘がじきに治るだろうと思いましたが、慧娘はだんだん床から立てなくなりました。王氏も病気が長引くので、二階で文句をいいました。

「『親の病気が長引くと孝行息子も孝行を尽くせなくなる』[14]というが、まったく厄介なことだね」

譚紹聞は、連日、盛希僑に招かれて、劇を見ていたため、家にはおらず、冰梅だけが日夜離れず、懇ろに慧娘の世話をしていました。

 ある晩のこと、慧娘は、こんこんと眠っていました。やがて、慧娘が目を見開きますと、冰梅が灯りの下で涙を流していました。そこで、冰梅と叫ぶと、冰梅はすぐに目を拭い、にこりと笑って、

「お茶を飲まれますか」

と言いました。お茶をもってきますと、慧娘は二口三口飲みますと

「興官児は」

「ベッドの東側で寝ています」

「さっきは何で泣いていたの」

冰梅はにっこりしながら、

「泣いておりませんよ」

「はっきり見ましたよ」

冰梅は笑って、

「灰が目に入り、目に染みたので、擦って涙を出していたのです」

「泣かなくてもいいのですよ。あなたに話しますけど、私のこの病気はあと二三日足らずで、いけなくなります」

「そんなことはございません。お楽になさってください」

「あなたとちょっと話しがしたいのです。私が死んだら、まず第一に、ご隠居さまのお食事の世話をしてください。ご隠居さまは、だんだん年をとられて、あなた以外に頼りになる人がいませんから。次に、旦那さまはしっかりしていない方で、悪の道に引き込まれてしまっています。私が死んだら、あの人の機嫌のいいときに、あの人を戒め、怒らせないようにしてください。男というものは、怒りますと、悪事を改めようとしませんし、激怒させれば、ますます悪いことをしようとします。あなたは、身分は低いから─私もあなたのために考えたのですが─あの人を諫めなくてもよいと思います。三つ目は、興官児によく勉強をさせてください。食べる物も着る物もまったくなくなった時は、勉強をやめるしかありませんが、少しでも食べるものがあるときは、勉強を遅らせてはいけません。それからもう一つ、もしも主人が再婚するときは、相手の性格を見て、性格のいい人だったら、その人を立て、性格が悪いときも、その人を立ててください。私たち二人のように仲が良くなるとは限りませんが」

それを聞きますと、冰梅は軒の雨垂れのように、涙をぽろぽろと流し、顔を上げることができませんでした。慧娘はふたたび言いました。

「私が死んだら、私のことは忘れてください。私はこの家にきて、先代さまの埋葬をすることができず、ご隠居さまにおつかえすることもできず、かえってご隠居さまに世話をしていただく有様でした。それに、実の親にも先立つことになります。このような不孝を犯しているので、地獄に落ちたとしても、不安です」

話しをしていますと、興官児が寝返りをうって、目を覚ましました。慧娘

「この子を抱いて、もう一度見せてください」

冰梅は興官児を呼びました。

「お母さまが呼んでいるわよ」

興官児は目を擦って起きてきますと、ベッドの西側に這い上りました。慧娘

「いい子だね。これから大きくなったら、私のことを忘れてしまうのだろうね」

冰梅

「興官児、お母さまにご挨拶なさい」

「いいのですよ。ますます胸が痛みますから。おしゃべりをしすぎて、息苦しいわ。私を寝かせてください」

そこで、冰梅は、慧娘を支えて横たえますと、興官児を抱いてベッドの東側で眠りました。

 翌朝になりますと、慧娘は、もう息も絶え絶えで、まったくいけなくなりました。冰梅は、王氏に報告しました。王氏は慌てて、徳喜児を盛家へ行かせ、譚紹聞を、双慶児には孔耘軒を呼んでこさせました。譚紹聞は、盛家で朝起きて、崑曲の師匠、劇を習いたての生や旦とともに、東の書斎で平仄を調え、訛りを正し、清平、濁平、清上、濁上[15]の音を分類していましたので、徳喜児は、すぐに会うことはできませんでした。会ったときには、もう日が高く上っていました。譚紹聞は、知らせを聞くとすぐに帰りました。孔耘軒夫婦は、とっくにやってきていました。孔耘軒は、今まで婿のすることを快く思っていませんでしたので、譚家にはあまり来ませんでしたが、今日は、娘が死にそうだというので、別れを言いにきたのでした。慧娘は、急に目を見開き、父親が枕辺の腰掛けに座っているのを見ますと、麻の茎のようにやせ細った腕を無理にのばして、父親の手を握り締め、一言、

「お父さま」

と言いました。しかし、息が続かず、それ以上話しをすることはできませんでした。目からは涙も零れず、顔に涙の痕が残っているだけでした。孔耘軒は、俯いて涙を流しました。孔夫人はさらに質問をしようとしましたが、慧娘は、星のような瞳をぱっちり開きますと、ほどなく、この世から去っていきました。

 紹聞も、慧娘が今日死ぬとは思っていませんでした。家につきますと、岳父岳母が病人のベッドを囲んでいましたので、自分も悲しくなりました。慧娘が息を引き取りますと、家中の人々が大声で泣きました。紹聞も夫婦の愛情がありましたから、もちろん大声で泣きました。

 人々が泣きやみますと、孔耘軒は、王氏と譚紹聞に向かって言いました。

「奥さま、婿どの、娘はこちらに嫁いでから、お宅のために何の仕事もせず、かえってご迷惑をお掛けしてしまいました。お宅は、この幸薄い娘のために、お金を使われたことでしょう。納棺は、すべてそちらにお任せ致します。手厚く葬られる必要はありません。死体を覆うことができさえすれば結構です」

王氏は泣きながら、

「そうするわけにはまいりません。この娘はよく尽くしてくれました。この娘を忘れることなどできません」

いい終わりますと、大声で泣きだしました。孔耘軒は涙を拭きますと、

「私は失礼致します。妻を納棺に立ち会わせ、母と娘の情を示させることにいたしますから」

譚紹聞

「岳父さまも、しばらくこちらにいらっしゃってください」

「ここでじっとしているわけにはいきませんし、納棺を見るのも辛いので、車で家に帰ります。夕方に、下男に提灯を持たせて、妻を迎えにこさせます」

裏門をでますと、孔耘軒は、顔中に涙を流し、振り返って門を見ますと、車に乗り、うつむいて大声で泣きました。

 譚紹聞は、自分の平素の行いが、この老人の気に入らなかったのだと思い、悲しい気持ちで家に入りました。そこでは、冰梅が、興官児を抱きながら、部屋の隅で、魂も消え入らんばかりに泣いていました。

 以下、棺が運ばれ、納棺が行われたことは、細かくは申し上げません。夕方になりますと、孔纉経がやってきて、大声で泣きました。納棺がすみますと、下男に提灯をもたせ、孔夫人をつれ帰りました。

 譚紹聞は、王中が家にいませんでしたので、何をどうしたらいいかまったく分かりませんでした。次の朝、すぐに南の城外へ王中を呼びにいかせました。実は、王中は、南の城外で土地を売り、借金を返済する事務にあたっていたのでした。彼は仲買人と話しをまとめ、三頃の土地を売り、呉自知という買い主に、家を一つ売りましたが、若奥さまが病死したということを聞きますと、おしのようになってしまいました。そして、地団駄を踏んで、

「譚家はこれからだめになってしまう」

と言いました。彼は、不動産屋や買い主の呉自知とともに、城内で金を渡す期日を定めますと、使いの者と一緒に家にいきました。中に入りますと、若奥さまの棺が、広間のある中庭の東廂房におかれていましたので、進みでて一回叩頭し、涙をこらえました。しかし、自分の部屋に戻りますと、思わず大声で泣きました。そして、溜め息をついて、

「賢い若奥さまだったのに、どうしてこんなに早く亡くなってしまったのだろう」

といい、急いで涙を拭いますと、外に出て葬儀を行うことにしました。

 葬儀をとりしきったのは王隆吉、雑務をしたのは王中でした。隣近所や、義兄弟たちが、弔問に来ました。やがて、五日目になると塗殯が行われ、聡明で賢い婦人は、ついに一生を終えたのでした。まさに、 

か弱き人は黄泉路に赴き、

ねんごろな頼みごとをば聞くぞ悲しき。

家中が号泣するは当たり前、

妾まで悲しむはめづらしきこと。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]県試の二次試験。

[2]童生が生員になるための試験は、三段階あり、第一が県試、第二が府試、第三が院試であった。

[3]原文「物腐虫生」。「火のない所に煙は立たぬ」の意。

[4]加味四物湯の誤りと思われる。その処方は医書によって異なる。四物湯は、熟地黄、当帰身を三銭、白芍薬を二銭、川楮を一銭使って作る薬で、加味四物湯はこれに必要に応じて別の薬を加えたもの。

[5]帰脾湯のこと。当帰身、人参、白茯苓、黄芪、白朮、龍眼肉、酸棗仁、青木香、甘草、遠志を用いて作る薬。参照『普済方』。

[6]柴胡、白朮、茯苓、当帰、白芍薬、甘草、陳皮、薄荷葉、煨姜を用いて作る薬。参照『太平恵民和剤局方』。白茯苓、白朮、白芍薬、当帰、北柴胡、甘草を用いて作る薬。参照『集成方』。

[7] 『本草綱目』巻三十七には薬効として「止消渇少睡」(消渇と不眠をとめる)とある。

[8] 『本草綱目』巻十二下には薬効として「利九竅」(九竅(体の九つの穴)の通りをよくする)とある。

[9]常緑の蔓植物で、茎に粘液を含む。葉は長い卵型で、厚くて光沢がある。夏の末に白い花をつける。『本草綱目』巻十八には薬効として「生津止渇」(唾液を発生させ乾きをとめる)とある。 (図:『三才図会』)

[10]多年生の草で、春に湿地に群生する。葉は蒲に似て狭く、夏秋は茎が四五尺になり、光沢がある。茎の端に黄紫色の花をつける。茎に三つの角があるのでこの名がある。荊三稜、京三稜。『本草綱目』巻十四には薬効として、「止痛利気(痛みを止め気を利する)」とある。(図:『三才図会』)

[11]男の巫。

[12]未詳。金丹のことか。金丹は金石から作った丹薬。

[13] ドアノッカ─。

[14]原文「百日床前無孝子」。

[15]清は清音、濁は濁音のこと。平は平声(現代中国語の第一、二声)、上は上声(現代中国語の第三声)のこと。

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