第二十三回

閻楷が父を思って故郷に帰ること

紹聞の愚かな母が少年と争うこと

 

 さて、蔡湘が楼に行きますと、紹聞はまだ寝ておりました。そこで、蔡湘は楼の入り口に行き、王氏に向かって言いました。

「どこからか俳優がやってきて、書斎中に箱をいっぱい積み重ねております」

「誰が呼んできたんだい」

「存じません」

王氏は奥の部屋に行き、紹聞に尋ねました。

「どうして書斎が、俳優たちに占領されたんだい。誰があの連中の面倒をみるんだい」

紹聞は布団の中から頭を出しますと、言いました。

「河北の茅団長に挨拶にいったら、家で急用があるから、部屋を貸してくれと言われたのです。承諾したわけではないのに、もう引っ越してきたなんて」

「とんでもないことだよ。ここ数年、本も読まず、書斎を楽屋にしてしまうとは」

「数日したら出てゆきます。僕は本当に承諾してはいないのです」

 話しをしておりますと、双慶児が慌てて手本[1]を持って一階に走ってきて、言いました。

「劇団の人達が奥さま、坊ちゃまに叩頭したいと申しております」

すると、九娃が楼の前の庭に来て、言いました。

「おばあさまはどちらですか」

王氏が楼の入り口に行きますと、九娃はご隠居さまを見て、地面に這いつくばって叩頭し、立ち上がると言いました。

「お義父(とう)さまはお目覚めですか。劇団の者が裏門で叩頭しようと待っております」

王氏は奥に向かって言いました。

「起きるんだよ。お前がしでかしたことなんだから、お前がかたをつけておくれ」

紹聞は起き上がりましたが、何がなんだか分からず、なす術もありませんでした。九娃は紹聞が起きてきたのを見ますと、言いました。

「劇団の者が長いことお待ちしています」

双慶児

「裏門に集まって待っております」

紹聞は仕方なく裏門に行きました。すると、老生が言いました。

「ご隠居さまに叩頭致します、それから旦那さまに叩頭致します」

紹聞

「母には僕から伝えておくよ」

「御馳走にもなりますし、いろいろお世話になるのですから、ご隠居さまはびっくりなさることでしょう、是非ともご挨拶致します」

「必要ないよ」

「旦那さまがそうおっしゃるのでしたら、旦那さまに叩頭致します」

そう言いますと、大勢の者達が、跪いて叩頭し、一斉に

「宜しくお願い致します」

と言いました。紹聞はただ一人で引き止めることもできませんでした。九娃だけは紹聞の横に立ち、にこにこしながら見ていました。人々は立ち上がりますと、ふたたび碧草軒に入ってゆきました。

 紹聞は楼の一階に戻りますと、九娃が一階までついてきて、椅子を運んできますと、言いました。

「お義父(とう)さま、お座りになってください」

王氏はそれを見ますと、話す言葉がありませんでした。紹聞も王氏には何も言わずに、言いました。

「九娃、座りなさい」

九娃

「結構です。おばあさま、針と糸があったらちょっと私に下さい。袴が切れて穴があいてしまったので、緑の糸で縫わなければならないのです。おばあさま、針と糸を下さらなければこちらに持ってきて縫わなければなりません」

王氏

「針と糸をやるから、自分で縫っておくれ」

九娃は王氏があまり親切でないのを見ますと、針と糸を受け取って、言いました。

「ちょっと失礼致します」

ゆっくりと楼の階段を下り、裏門から出てゆきました。王氏は紹聞に言いました。

「義理の息子をとるなんて、数年早いよ。あの子は、お前と二歳と違わないじゃないか」

紹聞「私が義理の息子にしたのではありません。あいつはでたらめを言っているだけです」

 以上のことを、さらに詳しくお話しすれば、譚孝移が怒るでしょうから、この辺でおしまいと致しましょう。

 皆さん、この時、王中がこの有様を見たら、きっと命懸けで反対したことでしょう。実は王中は先日少し風邪をひき、この時は発熱して、頭痛、悪心がし、布団を被って部屋で寝ていましたので、事実を知らなかったのでした。趙大児は夫の性格を知っていましたから、風も漏らさぬように事実を隠しておりました。

 王中が病気になったことはこれまでといたします。さて、閻楷は徳喜児に坊ちゃんを呼ばせて話をしました。紹聞が帳房に行きますと、閻楷は言いました。

「私は明後日家に帰りたいので、帳簿と銀子を坊ちゃまにお渡しします」

紹聞はこの言葉を聞きますと、

「僕が悪いことをしているから、食客がやめていってしまうんだな」

と思い、顔を赤らめて言いました。

「閻相公、急に行ってしまうんだね」

「昨日、松盛号の李二が家の手紙を持ってきたのです。父が私を懐かしがっているのです。私も五年家に帰っていませんから、心の中ですまないと思っていたのです。家も貧しく、家には父の世話をする者もおりません。これ以上家を留守にしていては父が心配いたします。若さまのお父さまにはとてもよくして頂き、数年来ご恩を受け、とても感謝いたしております。今年父親はちょうど六十になりました。私はいつも故郷を離れておりますが、これでは人でなしというものです。それに、今年十一になる、死んだ兄の息子もおり、勉強を始めさせなければなりません。これ以上家を離れて、このような生活をしていては─私はこれでも読書人の家柄で、兄は死ぬ時、何度も痛哭しながら甥を私に託したのです─地下で兄に合わせる顔がありません。それに、故郷から届いた手紙には、父が私を懐かしがっているということしか書いておらず、しかも父の字ではありませんでした。何か他の理由があるのだと思います」

閻楷はそう言いながら、両目から涙を流しました。紹聞

「他の理由なんてあるはずないさ」

「父には胃痛の症状があり、しばしば発作が起きるのです。私は毎年何度か胃痛を治す丸薬を届けておりましたが、父はこの病気になったのだと思います。私は、昨晩は一晩中眠れませんでした。帳簿の計算はきちんとしておきました。少しも間違いはございません。戸棚には三百三十両八銭五分がございます。三つの大きな包みが百両で、小さい包みが三十両です。床下には銅銭が八万文以上あります。坊ちゃま、お確かめになって下さい。よそからの借りも、帳面につけてあります」

 さて、紹聞は、閻相公から家に帰りたいということを聞かされ、親子の情に関する話しを聞かされたときは、悲しい気分になりましたが、現金が三百両以上あること、八万文の銅銭があることを聞きますと、今日から自分の好きなようにできる、何度も帳房に金を出すように頼んだり、面倒な思いをすることもなくなるのだと考えました。それに、閻相公が行ってしまえば、自分も大人なのだから、帳房もこれからは必要でなくなるのです。そこで言いました。

「おまえが親父さんのことを思っているのだから、僕も引き止めはしないよ。銀子の確認はする必要もないだろう。親父が生きていた頃から今日まで、お前の気持ちは分かっていたんだよ。で、いつ戻ってくるんだ」

「父が健康でしたら、五か月以内に戻ってきます。しかし、父は健康だといっても、もう六十歳で、家も少し貧乏しておりますから、戻ってくることはございますまい」

「それなら、荷物を準備してくれ。僕も贈り物をし、今晩、送別会を開いてやろう」

 そう言いますと、紹聞は一階に戻りました。そして、母親に向かって

「閻相公が家に戻るから、今晩料理を出して送別してやりましょう」

「お前はもう大きくなったんだから、私に断ることはないよ。台所に言い付けにゆきなさい。さっきあの連中が大鍋、小鍋、碗や小皿を二三十枚欲しいと言っていたよ。何という体たらくだろうね。俳優が庭を飛び回っているなんて。お父さまが生きていた頃、こんなことがあったかえ」

「彼らに渡したのですか」

「お前はもう一家の主なんだ、お前に言われなければ、誰も渡さないよ」

「双慶児、徳喜児はどうしました。彼らが言う通り渡してやり、明日、貸し賃をとればいいでしょう」

そもそも徳喜児、双慶児は子供で、碧草軒に入り込み、鬼の面をいじったり、つけ髭をつけたりしていたため、近くにはいなかったのでした。紹聞は誰も近くにいないのを見ますと、言いました。

「まあそれはどうでもいいでしょう。ところで、料理を出して、閻相公を送ってやりたいのですが、母さん、冰梅、趙大児に一声掛けてくださいませんか」

「冰梅はここ二か月、昼間は一階に来ないよ。趙大児は夫が病気で、茶や水の世話をしているから、手が回らないよ。私はお前のことを構っている暇などないよ。まったく腹が立つよ。うちは立派な家なのに、どこからか劇団が来て騒いでいるんだから。私は俳優のおばあさんになってしまったじゃないか」

 紹聞はきまりは悪いし気は焦るしで、表へ行くと閻楷に向かって言いました。

「お前、二階の母さんが、三十両の銀子を欲しがっているんだ。東街の王叔父さんから蘇州の首飾りを買って、来年孔さんの家に挨拶へゆくときに使うそうだ。僕は、その時になったら城内で買えばいいと言ったが、母さんは承知せず、今すぐ欲しいと言うんだ。今、隆吉兄さんを一階で待たせているんだ」

「明日出発いたしますし、王中も病気ですから、銀子と鍵を坊ちゃまにお渡し致します。しかし、隆吉さまが来ていらっしゃるのでしたら、出ていってお会いしましょう。東街にお別れしにゆくこともできないでしょうから」

「あの人はお前が行くと聞いて、会いたがっていたよ。だけど、お前が荷物を整理する邪魔になると思ったから、お前が大通りの店にお別れをしにいったと言っておいた。あの人を呼んだら、僕の嘘がばれてしまう。銀子は僕に渡してくれ」

そこで、閻楷は戸棚を開きますと、銀子を紹聞に渡して、言いました。

「坊ちゃま、私は商人ですから、金が大事だというわけではございませんが、坊ちゃまはお若いのですから、無駄遣いをなさってはいけません。ある時は、金など何とも思いませんが、なくなれば、一文の銭でも英雄を追いつめて殺すことができるのです。坊ちゃま、どうかお金を大事になさってください。このお金で本を買い、先生を雇われてください」

紹聞は頷いて言いました。

「閻相公は本当にいいことを言うね」

実は王中は病気でしたし、双慶児、徳喜児は楽屋へ行って劇ばかり見ていましたし、閻相公は忙しかったので、碧草軒が俳優たちに占領されたことは、少しも知らなかったのでした。そこで、本を買って先生を雇ってくださいなどと言ったのでした。

 さて、紹聞は大小四つの包みを受け取りますと、まず三百両の入った包みをこっそりと父親の棺の下に置き、広間の入り口に鍵を掛けました。そして、小さな包みを一つ持って、表門から出てゆき、路地の入り口から裏門に回って中に入りました。そして二階に上りますと、叫びました。

「母さん、一月分の家賃です。三十両あります、お小遣いにして下さい」

王氏は嬉しそうに包みを広げてみますと、言いました。

「この三つの包みは家賃で、この一包みは何だい」

紹聞は、八銭の入った小さな包みを取り去るのを忘れていたことに気が付きましたが

「これは礼物を入れた盒子の代わりということなのでしょう、母さん、みんな受けとって下さい。彼らは、米、おかず、薪代の他にもお金を払ってくれます」

と言いました。王氏は笑いながら、

「お前が明日お金を使う時には、私に金をくれなどと言わないでおくれよ。私の金を使うのなら、私に利子をくれなきゃ駄目だよ」

 王氏は、初め俳優たちが書斎を占領したのを怒っていましたが、息子が三十両を持ってきて騙しましたので、嬉しくなりました。これはどうしてでしょうか。多くの挙人、進士は役人になりますと、数十両の銀の賄賂のために、身の破滅に陥ります。ですから、昔から「利益に聡ければ知恵は曇る」[2]というのです。婦人にももちろんそれは当てはまります。まして王氏はもともとろくでもない女だったのですからなおさらのことでした。

 以上は余計なお話です。さて、紹聞は母親をおとなしくさせますと、ふたたび広間の鍵を開け、父親の棺の下から、三百両を取りだし、東の套房に置いて鍵を掛けました。そして、帳房にやってきて、腰を掛けますと、尋ねました。

「閻相公、数年間の給料は、どのくらい払っていなかったかな」

「毎年の私の給料は、十分頂いております」

「旅費はどうだい」

「先ほど梭布[3]店から二千銭借りてきましたから、十分です」

「すぐ返してきてくれ。二十両やるから、お父さんに服を作ってあげるといい。それから旅費は三千銭やろう」

「それはお受け致しかねます。旅費は千銭頂いて、その半分を梭布店に返します。多いとかえって厄介ですから」

「お前が孝行していると思うから、二十両やるんだ。お前はご老人に代わって辞退している訳でもあるまい」

閻楷は思わず涙を流して言いました。

「本当にありがとうございます。ご恩は一生忘れません」

その後、晩に閻楷が紹聞から酒をふるまわれ、次の朝、別れの挨拶をして旅路に上ったことは、細かくは申し上げますまい。

 さて、紹聞は、次の日、閻楷が旅路につくのを見送りますと、奥の中庭に戻りました。九娃が楼の入り口の前で待っていて、言いました。

「劇団の者がお待ちしております。昨日は、どうして楽屋に来られなかったのですか」

紹聞

「僕と一緒におもての中庭に来てくれ。聞きたいことがあるから」

客間の入り口を開きますと、九娃が言いました。

「部屋の中にご遺体があります。怖くてたまりません」

「僕がいるから、怖くないさ」

部屋の入り口を開けますと、九娃が一緒に中に入りました。紹聞は戸棚を開け、銀子を財布に入れてやりますと、言いました。

「みんなで食事してくれ」

そして、すぐに外に出ますと、入り口に鍵を掛けました。 いおりました。生は書斎の軒下で立っていました、団長は太鼓を叩きながら調子をとっていました。夏逢若がいつの間にか来ていて、脇の酔翁の椅子の上で、手を叩きながらフンフンと調子を合わせていました。一同は紹聞を見ますと、一斉に立ち上がり、両手を垂れて脇に立ちました。逢若

「譚団長、本場の蘇州劇団はいかがでしょうか」

「結構だね」

俳優のかしらが近付いてきて、米、おかず、薪について相談しました。そして、さらにこう言いました

「寒くなってまいりましたが、この子たちは夏の着物を着ております。茅団長も故郷に帰ってしまいましたので、若さまが私たちのために服を買われてください。茅旦那が来たら、私どもが金を稼いで、埋め合わせ致します、若さまに損はさせません」

紹聞が返事をしないでいますと、逢若がすぐに言いました。

「袷はもちろん、冬服だって作れるよ。この子たちの靴や靴下も、換えなきゃいけないよ。みんな譚さんとお揃いのものにしよう。そして、お前たちの団長が戻ってきたら、きちんと返済してもらおう」

老生

「旦那さま方のご恩に、私どもはただただ叩頭するばかりです」

紹聞

「夏兄さん、兄さんがこの人達のために服を買って、帳簿につけておけばいいじゃありませんか」

逢若

「僕はもう昔のように金はないんだ。店へ行くと向こうは人をみるから、現金を持ってゆくべきだ。現金を持ってゆくと負けてくれるし、いい物が選べるからね。茅さんが来たら、僕たち兄弟がいいことをしてくれたと言って感心するだろうよ」

紹聞

「僕も現金を持っていないのです」

九娃

「お義父(とう)さま、あの戸棚の中の大きな包みで十分です」

逢若

「九娃が金があると言っているが、君は、どうして金がないなどと言ったんだい。取ってこいよ。柳樹巷の賀国学が、劇を呼んで、銀十五両を出そうとしているんだ。俳優のかしらは金のやりくりがつかず、君の一言を待っているんだ。彼は話がついたら、後日上演しにゆくつもりだ。もう九月も終りだ、気候が変われば、この子たちはぶるぶる凍えてしまうよ。そうなったらどうするつもりだ」

紹聞

「劇団で使う金の面倒はみられません」

逢若

「衣装代や靴代は、面倒をみてやれよ」

九娃

「お義父(とう)さまと一緒にお金を取りにいってきます」

逢若は笑いながら

「この子がかけあっているんだから、持ってきてくれるね」

と言いました。

 紹聞は立ち上がり、九娃を付き従え、客間に行きました。鍵を開けて、八十両の包みを取り出しました。楼のある中庭を通りますと、王氏が楼の入り口に座っておりました。九娃

「お祖母さま、鋏を使わせて下さい」

王氏は趙大児に鋏を渡させました。九娃は紹聞と一緒に、碧草軒に戻りました。紹聞

「八十両あるから、使ってくれ」

逢若

「戻ってきてから清算して、お前たちの団長に返してもらおう」

老生

「勿論です。私も一緒に参ります」

逢若は心の中で銀子をピンはねしようと思っておりましたので、言いました。

「君達がついてきては、僕はきまりが悪くて、仕事ができないよ」

老生

「では行くのは止めましょう。ただ、子供達が好き嫌いを言うといけませんから、絹は同じ柄のものをお願いします。同じなら文句をいうことはございませんから」

逢若はふたたび紹聞に向かって言いました。

「九娃の衣装代は、茅さんから返してもらわなくていいね。別扱いにしよう」

「いいでしょう」

九娃

「私は細かい花模様の服が着たいんです。大きな花模様や大きな雲模様のものは嫌いです」

逢若は

「いい子だ、覚えておくからな」

と言いますと、銀子を持っていってしまいました。

 紹聞は俳優に言いました。

「劇の練習をしてくれ。本業をおろそかにしてはいけないよ。さあ、腰を掛けてくれ。僕もちょっと見させてもらおう」

老生

「若さまがいらっしゃるのに、私が座るわけには参りません」

紹聞

「構わないよ」

そこで、男寵は腰掛けて調子をとり始めました。九娃は沸き返った茶を持ってきました。紹聞はしばらく見ますと、母屋へ食事をしに戻りました。

 午後になりますと、九娃が楼に入ってきて、言いました。

「夏さんが買い物をして帰ってこられました。店員も一緒に来て、清算してお金を持ってゆくとのことです」

王氏

「誰が金を出すんだい」

紹聞

「劇団が出すのですよ」

紹聞が碧草軒に行きますと、もう七八人の針子がいました。逢若

「梁相公、こちらが買い主の方だ。君にきちんとお金を払うために、ついてきたんだよ」

その男は紹聞に拱手しますと、言いました。

「初めてお目にかかります」

紹聞

「こちらこそ」

品物を広げますと、絹や緞子の靴、帽子の清算をしました。九娃の二十一両は、紹聞が払うことになり、劇団の帳簿には書き込まれませんでした、さらに五十九両の現金の外、九十両四銭八分が必要になりました。紹聞は渋い顔をして、言いました。

「本当にお金がないのです。九十数両は、お店の帳簿につけておいてください。茅さんが戻ってきたら、必ず支払いをし、一分たりとも先延ばしは致しませんから」

梁相公が言いました。

「店が小さいもので、蘇州へ行きたいのです。それに夏様が現金で払うとおっしゃったので、元値以下でお売りしたのです。半分をつけにすれば、番頭に報告することができません」

九娃は緞子を見るふりをして、夏鼎の前に行きますと、こっそりと言いました。

「譚さんは他にも金の包みを持っているのですよ」

夏逢若は腹に一物ありましたから、厳しい顔をして言いました。

「譚くん、それはないだろう。八九十両も現金で払うべきだ。四の五のいうのはよくないぞ。茅さんが来たときに、清算すればいいんだよ。あの人も友達なんだから、もし一厘でも足りなかったら、あの人の箱を差し押さえてやればいい」

老生

「譚さん、ご安心ください。茅さんのことは私も保証いたしますから」

紹聞は仕方なく母屋に戻りますと、包みを持ってきて、その場で支払いをしました。老生は劇団の帳簿に「九月二十九日、譚さまの銀子百四十両四銭八分を借りる」と書き込みました。

梁相公は銀子を包みますと、

「ありがとうございました」

と言い、拱手しますと去ってゆきました。逢若

「母がさっき僕を呼びに下男をよこしたんだ。家で用事があるようだ。品物も手に入ったし、これで失礼するよ」

そして、梁相公と一緒に去ってゆきました。

 皆さん、この梁相公は、実は店の人ではなかったのです。そもそも逢若は九十数両で店の品物を買う話しをまとめますと、四五十両の上前をはねて懐にいれるため、街で山西方言を喋ることができる店員、俗にいう「咬碟子」[4]を探し、客商のふりをさせたのでした。そして、銀子が手に入りますと、ふたたび店に行って返済し、質種を請け戻し、梁相公にはこっそり七八両を与え、自分は四十両以上を手に入れたのでした。金は二人とも勝手に使ってしまいました。

 これは幇閑の常套手段で、お話しする価値もないことです。さて、碧草軒ではお針子たちが、机を並べ、毛氈を敷き、絹や緞子を広げて、霧を吹き、熨斗をかけ、寸法をとり、鋏を使って、あっという間に服地を作りました。夕方には幾つかの明りをつけ、一斉に仕事を始めました。紹聞は夜遅くまで仕事を見てから、九娃に送られて家に戻りました。次の日の晩になりますと、服はすっかり縫い上がり、城外へ上演をしにゆく時には、九娃以外はみんながお揃いの絹の服を着て、一斉に去ってゆきました。

 譚紹聞が父親の家風を傷付けた話はこれでおしまいです。同じ碧草軒が、幸福な時代と不幸な時代を経ることになったのは、遺憾なことでした。

花壇の花がことごとく芳しければ、

俗物はあへて近づくこともなし。

西施が汚穢をかぶりなば、

世の人は苧蘿村[5]を口にするさへ厭ふべし。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]面会を乞うときに差し出す書状。属吏が上官に見えるとき、門下生が師匠に見えるときなどに使われた。前者の場合は青い縁、後者の場合は紅い縁のものを用いた。『通俗篇』「明万暦間下官見上官、其名帖為青殻粘前後葉、中用綿紙六扣、称手本。門生見座師、則用紅綾殻為手本」。

[2] 『史記』平原君虞卿列伝「利に(さと)ければ智(くら)し」。

[3]手織の布。機械で織った布の対。

[4] 「小皿を噛む人」の意味。山西人が話すときの声が、皿をかちかち噛むような音に聞こえることから、この名があるという。

[5]西施の出身地。『呉越春秋』「(越王)乃使相者國中得苧蘿山鬻薪之女、曰西施」。

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