第二十一回

夏逢若が酒の後で邪悪な話を盛んにすること

茅抜茹が酒の席で美少年を見せびらかすこと

 

 さて、夏逢若は、盛家の公子、譚家の坊ちゃんと義兄弟の契りを結んでからというもの、今までにも増して、ろくでもない人物と行き来し、幇閑たちの中で、三階級特進して偉くなったような気分になりました。坊ちゃんたちの機嫌を取るために笑うのは、流れに従って船を進めるようなもの、彼らをおだてるのは、風の中で火を吹くようなものでした。

 ある日、夏逢若は碧草軒へ行き、譚紹聞を訪ねました。蔡湘は夏逢若を書斎に案内して座らせますと、言いました。

「家に行って主人を呼んでまいります」

しかし、暫くしますと、戻ってきて言いました。

「主人は家にはおりません。大王廟[1]に行って劇を見ています」

 長いこと待ちますと、紹聞が戻ってきました。紹聞は夏逢若が書斎で長いこと待っていることを聞きますと、碧草軒へ行き、夏逢若と顔を合わせました。逢若は紹聞を迎えると笑いながら言いました。

「長いこと待ったよ」

紹聞「不在で失礼致しました」

「久し振りだね。今日は相談したいことがあってやってきたんだ。君が喜んで劇を見にいったとは思わなかったよ」

「暇ですることがないので、ちょっと行ってみたのです。兄さんがこられるとは思いませんでした」

「何が上演されていたんだい」

「私が行った時には、もう半分は終わっていました。丑一人と旦一人が、軽業をしていました。人が多く、とても込んでいました、それに暑くて汗臭く、舞台からも離れていたので、『二たび邗江を下る』だと聞いただけで、戻ってきたのです」

「あの劇団は見られたものではないよ。あの劇団は繍春老劇団といって、もともとは按察司の下役頭の張春山が養っていたんだ。しかし、張春山は最近彼らが年をとったのを嫌い、綺麗で賢い少年を集め、人に頼んで教育することにしたんだ。少年たちは、まだ劇を演じることはできず、繍春小劇団と呼ばれている。老劇団の団員は食糧店の商人呉成名の下に身を寄せ、内職している。彼らは城外の小さな村の十月十日の牛王廟[2]の祭りぐらいにしか出られず、稼ぎもよくないんだ。ところが先日、どういうわけか大王廟でこの劇団を呼んだんだよ」

「道理で良くないはずです。あの旦は、少なくとも三十歳でした」

「あの旦は幼名を黒妮というんだ。何年か前まではよく通る声で歌うことができたが、今では値打ちもなくなってしまった。林騰雲という僕の友人が、母親のために誕生祝いの衝立を作る時に、劇団を呼びたいと僕に相談してきた。僕は今蘇州崑山の霓裳班といういい劇団があり、方々の役所にご奉仕していると言っておいた。林騰雲がお祝いするのは九月十日だ。万一約束しても、その日になって霓裳班が役所に呼ばれていってしまったりしたら、つまらないからね。だから、あの劇団のことを話したんだよ。君に相談だが、九月十日になったら、林騰雲の所へ行って劇を見ないか」

「林騰雲とはどういう人ですか。城内のどの街に住んでいるのですか」

「城内にはいないよ。東南の城外に住んでいるんだ。新興の金持ちなんだ。彼のお祖父さんは農民の出身で、二三十頃の田地を手に入れ、林騰雲の代になって、ようやく羽振りがよくなった。彼は力のある方のところへ熱心に出向き、人と付き合うのが大好きで、友達がたくさんいるんだよ。昨日、あの人のお母さんの誕生日の時に、衝立を作ってお祝いするために、新しく五間の大きな客間を造り、職客[3]を呼び、人を招いて、母親のためにお祝いしたので、僕も招かれた。あの人は僕に招待状をくれたんだよ。僕はいつもあの人の御機嫌取りをしているから、断るわけにもゆかなかった。だから、今日は衝立の裏に名前を付け加えることを、わざわざ君に相談しにきたんだ。五文だろうが一両だろうが自由だよ」

「普段付き合いもないのに、誕生日のお祝いに行くなんて、とんでもありません」

賢弟(きみ)、学者馬鹿みたいなことばかりを言っているね。そんなことでは世間は渡れないよ。こういうお祝いの時は、知らない客がたくさんいた方が、自分が付き合っている人が多いという証しになるものなんだよ」

「招待状を私に見せて下さい」

逢若は袖から招待状を取り出しました。それは、赤い全帖で、こう書かれておりました。

九月十日、漢霄林兄のご母堂陳老夫人の誕生日に、謹んでご招待いたします。錦の衝立を作り、杯を挙げて奉祝致します。事をともにすることを願われる方は、何卒左に肩書きをお書きください。

同郷某々ともに記す

後ろには数人の名が書かれていました。紹聞は仕方なく筆を執って後ろに署名しました。

 逢若が招待状をしまいますと、紹聞は彼を引き止めて食事しようとしました。逢若は辞退しませんでした。酒がたけなわになりますと、逢若は、絹織物の模様、騾馬の年齢、誰の鶉が何回闘うことができたか、誰の小犬が鷹と闘うことができたか、誰の劇団が家の中や外で劇を演じているか、誰が賭博をするときにうまく五や六を出せるか[4]、どこの私娼が礼儀をよく弁えているか、どこの与太者が世間を渡り歩いているか、といったことを、面白おかしく話しました。紹聞は最初聞いた時は、何冊かの経書と何句かの家訓のことが腹の中にありましたから、とんでもないことを言っていると思いました。しかし、聞けば聞くほど面白くなり、知らず知らずのうちに、耳を傾けて熱心に聞いてしまいました。逢若は、さらに言いました。

「人の一生は、楽しければそれでいいんだ。花柳の巷で一生楽しんでも死ぬし、こちこちにお堅く一生を過ごしても死ぬんだよ。聖賢や道学先生のようなことをされるなら、村の賢人を祀った祠の片隅に、位牌を立てられるだろう。後世に伝えられるような忠孝の行いをすれば、史書の隙間に、名が残るかも知れない。しかし位牌や名前が残っても、自分にとって何の利益があるというんだい。だから古人は『人生は楽を行うのみ』[5]とか、『世上の浮名は(まこと)に是れ閑』[6]とか達観したようなことを言っているんだよ。自分に家や財産があり、手元に幾らかの余計な金があるのをさいわい、幾人かの友達と、一生したいことをして暮らせば、それでいいのさ。僕は頭がきれるが、家財産はないから、ひたすら楽しいことを求めているんだよ。毎日お堅く過ごして、苦しみを求めたって、閻魔さまが、この世で正しいことをしたことを哀れみ、僕を生まれ変わらせ、埋め合わせしてくれる訳でもあるまい」

 この話を聞きますと、譚紹聞は壁を突き崩され、桶の底が抜けたかの様に、心の中に別の世界が開けてしまいました。そして思わず頷いて言いました。

「仰る通りです」

夏鼎は『本草綱目』を持たずに、でたらめばかりいう薬屋の様なものでしたから、たとい立て板に水でも、人をだます事はできませんでした。しかし、譚紹聞は、年は二十歳前で、心はしっかりしておらず、経験も豊富ではありませんでした。また希僑の家に二回も行き、希僑に憧れてもいましたし、家も富裕で、無駄遣いする財産もあり、未亡人の一人息子ということで、甘やかされてもおりましたから、毒薬の砒素の様な言葉を、飴の様に腹の中に飲み込んでしまったのでした。ですから、古人が命に代えた二句を、ふたたび出さざるを得ません。

読書せずとも構ふものかは、

一日も悪しき輩に親しむなかれ。

 すぐに日は西に沈み、逢若は帰ることになり、言いました。

「明日、盛兄さん、王さんも誘いにゆきましょう」

路地の入り口へ歩いてゆきますと、拱手して別れました。

 数日間は何事もありませんでした。十日ばかりが過ぎますと、双慶児が、全帖を持ってきました。そこには「九月十日、酒をお勧めし、ご厚情に報いたいと存じます」とあり、その後には「弟林騰雲頓首して拝す」と書かれていました。紹聞は帖子を受け取りますと、帳房へ行き、閻相公に言いました。

「当日になったら紋銀[7]一両を包んで、帖子を書いて準備しておいてくれ。東の城外へお祝いにゆくから」

閻楷は帖子を受け取ってそれを見ますと、言いました。

「畏まりました」

 十日の朝になりますと、楼の一階で双慶児に命じて、宋禄に車を準備させ、自分は新しい服に着替え、徳喜児をお供につけました。そして、帳房から礼匣を受け取り、点心を食べ、徳喜児と一緒に城外に出て、東の城外へ行きました。

 林家に着きますと、車を降りました。そこには客がごった返しており、色とりどりで目にも鮮やかでした。門前では簫や笛が鳴り、家の中では銅鑼や太鼓が響いていました。接客をする者は身を低くして出迎え、客を客間に案内しました。すでに多くの客が来ていました。紹聞が上座に向かって挨拶をしますと、彼の服が鮮やかであるのを見て一目置く者もあり、彼が若年であるのを見て略式の礼をするだけの者もありました。一同は席を譲り合いましたが、紹聞は自分が年少でしたので、東の隅に腰を掛け、外の劇を見ていました。すると、夏逢若が前に走ってきて、言いました。

「よく来てくれたね」

そして拱手しますと言いました。

「盛兄さんは今日は来ないが、お祝いの品を送ってきた。王君も体の具合が悪く、今朝誘ったのだが、来ることはできないので、贈り物を持ってきたよ」

そして尋ねました。

「もう贈り物は渡したかい」

紹聞は徳喜児に拝匣を持ってこさせ、逢若に渡し、礼物を置くテ─ブルの上に、礼物の目録を置きました。紹聞は知らない人ばかりでしたので、逢若を他の場所に行かせず、二人は隣合って離れませんでした。

 午後になりますと、客は皆揃いました。一同は林騰雲の母親に出てきてもらい、誕生祝いをしました。すると頭は真っ白で、大きな足をした一人の老婆が現れました。お祝いの挨拶が終わりますと、主人が料理を並べ、お祝いの言葉を述べ、杯を置きました。人々は席を譲り合いました。舞台の前の二つの席は、もちろん城内の文官、武官たちが座る席でした。舞台の両脇の二つの席は、郷紳たちが座る席でした。その他の席は、城内の大商人の座る席でした。譚紹聞は譚孝移の子供でしたので、並んだ席の首座に着きました。その首席には、太ったあばた面に髭を生やした男が座っていました。同席したので、姓名をききますと、今日来ている劇団の主で、姓は茅名は抜茹という、河北の人であることが分かりました。彼は自分の劇団を、省城に連れてきており、今日上演していたのは彼の劇団でした。劇団を養っている人々は、物好きで、交際好きでしたので、贈り物を包み、お祝いを言いにきました。横に座っていたのは、夏逢若でしたが、さらに一人の金持ちが加わりました。

 まもなく、酒肴が揃えられ、酒や肉もすべて出されました。劇団が劇を選ぶように頼みますと、まず『指日高昇』[8]が演じられ、県知事を喜ばせました。次に『八仙慶寿』[9]が演じられ、奥の母親を喜ばせました。さらに『天官賜福』が演じられ、席上の主人を喜ばせました。その後で本番となりました。まず題目が読まれ、次に扮装した役者が現れ、『十美図』[10]全部が上演されました。貼旦[11]は、まるで花か玉のようでした。紹聞は彼を見ますと、思わず夏逢若に向かって言いました。

「本当に綺麗な旦だね」

劇団長は、自分の旦を褒められましたので、心の中で喜びましたが、謙遜して言いました。

「みっともなく、お恥ずかしいことでございます。譚さまにお褒めいただいて、あれも幸せというものでございます」

そして、劇団の男を呼びました。劇団の老生が、団長が呼ばれ、網巾[12]をかぶりながら、団長の言うことを聞くために、急いでやってきました。茅抜茹

「九娃を呼んでお酌させろ」

紹聞は自分のお酌であるとは知らず、断ろうともしませんでした。実際、断ろうとしても、断りきれなかったでしょう。すると、九娃は、茶と酒を置いたテ─ブルから、熱燗を貰い、黒漆に金の絵が描かれた盆の中に入れ、化粧したままの顔、色のついた薄絹の袴で、しゃなりしゃなりと劇団長の席に向かってやってきました。団長が口を尖らせて合図しますと、九娃は、真っ白な玉の筍のような腕に嵌めた銀の腕輪をあらわにしながら、両手で酒を譚紹聞に捧げました。そして愛らしい声で言いました。

「明日、ご挨拶に伺います」

紹聞は恥ずかしさで真っ赤になり、立ち上がりますと、思わず両手で受けてしまいました。しかし、何も答えることはできませんでした。逢若はすぐに言いました。

「九娃、下がりなさい。次はお前の出番だろう。明日はおまえに毛皮の袷を着せてやろう」

九娃は下がってゆきました。

 紹聞が顔を真っ赤にし、心臓をどきどきさせますと、会場の人々が注目し、こそこそと話をしましたので、青年の父親が賢良方正に推挙された譚孝移であることが分かってしまいました。ああ、人々は今日になって初めて、

父親はあまりに早く世を去りて、

良き子は残され悪しき子となる。

世の中の悪しき息子に物申す、

父親は黄泉路にて胸を敲きて嘆けりと。

ということを知ったのでした。

 早くも夕方になりました。城内から緊急の公務の報せが届きましたので、幾人かのお役人たちは、宴会が終わるのを待たずに、急いで行ってしまいました。暫くしますと、宴会が終わり、客たちも去ってゆきました。譚紹聞も今日沢山の人に注目され、指差されましたので、心がひどく落ち着きませんでした。ところが、怖そうな劇団長と、お世辞の達者な幇閑がおりましたので、引き止められ、家に帰ることができませんでした。主人は紹聞を引き止めようとし、二つのテ─ブルを拭き、舞台の前に移し、皿と酒を置きました。紹聞は、仕方なく腰を掛けました。劇団長は、さらに幾つかの卑猥な劇を選んで、譚紹聞の機嫌をとろうとしました。紹聞はすぐに帰ろうとして、言いました。

「簾の向うでは女の御親戚が劇を見ています。みっともないでしょう。帰らせてください」

逢若

「劇には卑猥な場面があるものだよ。まともな劇でも、副浄[13]、丑[14]の口からは、必ずその手の言葉がでてきて、人々を楽しませるものなんだ。屋内で上演する劇でも、これは避けようにも避けられないものなのさ。譚くん、とにかく劇を見よう。先日、君に言ったろう。世の中を渡る時は、本に書かれた道理に拘ってはいけないって」

茅抜茹はまた九娃を呼び、酒を注がせました。みるみる日は沈みました。紹聞は酒を飲み、林騰雲に引き止められ、逢若に横から唆されましたので、八割方こちらに止まろうと思いました。そこへ蔡湘が来て、言いました。

「お母さまが帰るようにと仰っています」

林騰雲が言いました。

「もう日も暮れましたから、家に帰ることはできないでしょう」

蔡湘

「来る時に城門の番人に、門を開けておいてもらいました」

茅抜茹は行かせようとしませんでした。しかし、紹聞は酒を飲んでいたものの、良心を失ってはいませんでした。それに、遊びに耽ることにも、まだ慣れていませんでしたから、急に家に帰りたくなりました。そこで、車に乗って城内へ帰りました。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]金龍四大王を祀る廟。金龍四大王は黄河の神。

[2]牛の神をまつる社。牛王社、牛王宮。

[3]式典をとりしきる人。

[4]原文「誰的賭是能入五、能坐六」。「入五」「坐六」は未詳だが、思い通りに五や六を出す意味に解してしばらく上のように訳す。

[5]楊ツ『報孫会宗書』。

[6] 「世の中の上辺だけの名誉は誠に無意味なものだ」。岑参『暮春虢州の東亭に李司馬の扶風の別廬に帰るを送る』

[7]純銀。

[8]現在はなくなった戯曲。ただし、傅惜華編『北京伝統曲芸総録』は、八角鼓の演目として『指日高昇』を著録する。

[9]朱有燉(一三七九〜一四三九)が宣徳四(一四二九)年に作った伝奇『群仙慶寿蟠桃会』に基づくものであると推定される。『群仙慶寿蟠桃会』は、瑤池で蟠桃が実を結んだのを、西王母が東華、南極の八仙を召して寿ぐという内容。

[10] すでに亡佚した戯曲。作者は未詳。『今楽考証』『曲考』『曲海目』『曲録』などに著録される。

[11]主役女優の次に重要な女役。

[12]網状の頭巾。髪を束ねるのに用いる。 (図:「三才図会」)

[13]二番目に重要な敵役。

[14]道化役。

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