第十一回

藪医者が薬剤を投じること

(おばさん)が巫女を薦めること

 

 さて、譚孝移は都から帰りますと、午後に家に着きました。王氏は彼を迎えますと、叫びました。

「端福児や、早く来てお父さまにお会いしなさい。お父さまのお帰りですよ」

端福児はとても喜び、進み出て叩頭しました。夫妻、父子は二年近くも顔を合わせておりませんでしたので、今日、久し振りに会って、親しみあったことはいうまでもありませんでした。王中、蔡湘、双慶らの下男も、皆主人が帰ってきたことを喜び、やってきて叩頭しました。王中は車屋の応対をしにゆきました。

 譚孝移は旅路の塵を落とし、旅装を改め、祠堂の門を開けさせ、反面の礼を行いました。昼食をとりましたが、家のことについて、尋ねるきっかけがありませんでした。まもなく、閻相公が会いにきましたので、客間に行って話をしました。王中もおもてについてゆき、京師での生活や帰途での出来事について尋ねました。

 突然、

「侯先生が来られました」

という声がし、王中が言いました。

「坊っちゃまの今年の先生です」

孝移は急いで客間を出て迎えました。挨拶して席に着きますと、孝移

「先生が拙宅においで下さり、倅が大変お世話になっております。まだお礼も致しておりませんのに、先に来て頂くとは申し訳ございません」

「義兄の王の推薦で、お宅で教師をさせて頂いておりますが、任に堪えないことを常に恥ずかしく思っております。お礼をして頂くなど、とんでもございません」

「ご謙遜を。私が家におりませんでしたので、何かと失礼があったこととは存じますが」

「お宅の待遇は素晴らしいものですし、家内も節約をしておりますので、かなり余裕がございます」

「息子が愚かで、先生もお骨折りでございましょう」

「ご子息の資質は他の者より優れています。三か月で三冊の『八股快心集』を読みました、中以上であることは勿論、上であるということができましょう」

「先生のご指導に感謝いたします」

侯冠玉は茶を飲み終えますと、言いました。

「老先生は家に着かれたばかりで、さぞやお忙しいでしょう。お子さんが読まれる文章には、截下題[1]をえらびましたが、まだ圏点を振っておらず、勉強部屋へ行って詳しく講義しなければなりませんので、おいとま致します」

孝移は

「もう夕方で残歩[2]ということになりますから、そちらに伺うのは遠慮させていただきます。明日、書斎にご挨拶に伺いましょう」

と言い、門の外まで見送りました。侯冠玉は大門から胡同の入り口に回り、碧草軒に戻りました。

 孝移は冠玉が喋っているのを見ますと、王中に尋ねました。

「先ほど侯先生が、義兄の王の推薦と仰っていたが。義兄の王とは誰のことだ」

王中

「多分曲米街の王春宇さまの事でしょう」

「先生の喋り方は、よそから来た人のようだったが、曲米街にあんな親戚がいたのを知っていたか」

「先生の奥さまが、曹氏と干姉妹だということです」

孝移はちょっと頭を振りますと、それ以上話をしませんでした。

 教師を招いて子を教育するのは、孝移にとっては一番重要なことでした。次の日の朝食の後、彼は裏門から碧草軒に行き、京師の品物を持って、先生に会いにゆきました。書斎に着き、挨拶して席に着きますと、端福児が一人で座っておりました。そこで尋ねました。

「王隆吉は勉強していないのですか」

侯冠玉

「王春宇さんが武当山へお参りに行ってからというもの、隆吉は店で帳簿をつけており、もう数日になります」

「惜しいことですね。見込みのある器なのに」

さらに尋ねました。

「端福児は『五経』をきちんと読んでいますか。本は何冊講義されましたか」

「最近の試験では、五経は、どれか一つを学んでいるだけで十分なのです。受験の時は、七八十篇を勉強すれば、問題が外れることはありません。たとい外れたとしても、同じ 人と換えるのです。早く学校に入り、優等をとろうと思うなら、たくさん文章を読むことです。千数篇を読めば、まねすることができるようになります」

「経書の研究は、有為な人材になるためにするもので、合格するためだけにするのではありません。かりに合格するためだとしても、経書を読まなければ、言葉にはしっかりしたところがありません」

「時文をたくさん読みさえすれば、俗にいう『良い詩を三千首読めば、詩作は駄目でも盗作ができる』というもので、たくさん読めば、借用することができるのです。『切るよりも回す方が良い』[3]といいますが、でき合いの食事を食べずに、別に食事を作れと仰るのですか。坊っちゃんは大変聡明ですから、猫を見て虎を描くことができます。ちょっと見るだけですぐにまねすることができます」

孝移は微笑んで

「端福児はあまり聡明ではございませんから、虎を描こうとしても犬になってしまうことでしょう」

そして、立ち上がりますと端福児のところへ行きました。本を取り上げてみますと、それは『繍像西廂』[4]でした。

「これはこっそり見ているものですか」

「私が読ませているのです」

「幼い者には聖人の書以外は読ませてはいけません。どうしてこんなものを読ませるのですか」

「文章の作り方を学ばせるためです。この『西廂』の文章には、様々なものが揃っています。鶯鶯は文章の中心で、寺で顔を合わせたり、白馬将軍が現れたり、手紙を送ってきたり、手紙での約束に背いたりします。これは反正開合虚実浅深の法[5]というもので、変化は測りがたいものがあります」

孝移は頷きましたが、密かに思いました。

「これは息子を殺すに等しいことだ」

侯冠玉は孝移が頷いているのを見ますと、主人が話しに賛成したのだと勘違いし、さらにぺらぺらと喋りました。

「『西廂』を読んだら、その後は『金瓶梅』を読ませます」

孝移はそれがどの様な本か知りませんでしたので、尋ねました。

「『金瓶梅』にはどの様な長所があるのですか」

「素晴らしい本です。最初は『熱結』『冷遇』で[6]、世態の盛衰を描いています。『豪華を逞しくして門前に烟火を放つ』[7]では、繁栄が頂点に達し、『春梅は旧家の池館に游ぶ』[8]では、衰退が極点に達するのです。繁栄と衰退を極端に描くのは、すべて左丘明の『左伝』、司馬遷の『史記』に倣ったものです」

さらに一くさり話しましたが、言葉は俗っぽく、内容も浅はかでしたので、人物がすぐに知れました。孝移はじっと息子を眺めますと、机に向かって無理に朗読しているものの、顔には少しも勉強した雰囲気がみられませんでした。本を読む学童には、色が黒くても秀気が漲っているものですが、本を読まないものは、たとい綺麗な白い顔でも、汚れた気が満ちてくるものなのです。これは自然にそうなるものなのです。

 孝移は端福児の心が俗になったことと、侯冠玉の様子を見ますと、とても焦りました。そして、心中悶々として家に帰りました。王中に会いますと、尋ねました。

「あの先生は普段は何をしていたのだ。先生をしたことがあるのか」

「普段のことは存じません。しかし、人の話では、あの先生は病気をみて処方を書いたり、家相をみたり、墓地をみたり、結婚の吉日を選んだり、訴状を書いたり、媒酌したりすることができるということです。さらに槍手[9]であると言う人もおり、槍架子[10]でもあるようです。奥さまは、穀物をくれれば良い、賄い付きにする必要はないと言われたので、受け入れたと仰っていました」

孝移は黙り込んでしまいました。その晩、床に就きますと、じっと考えました。そして、先生を追い出そうと思いましたが、代々読書人の家で、この様な薄情なことをして、城内の気風を損なうわけにもゆきませんでした。しかし、引き続きとどまられれば、京師で見た夢の通りになるのではないかと心配でした。あれこれ考えましたが、何の方策もありませんでしたので、密かに嘆きました。

「女が事を誤るとは、かくも憎むべきことであったか。こんなにひどいことになっているのが分かっていないのだからな」

 次の朝、起きますと、閻相公の帳房に、話をしにゆきました。侯冠玉のことを話しますと、閻相公

「古人は『師道立てば、則ち善人多し』[11]といいますが、私はあの侯先生は先生としての重々しさに欠けているように思います」

王中が口を挟みました。

「是非くびになさるべきです。旦那さまはあの人に会われる必要はございません。私が処置致しましょう」

「わしは省城内では読書人として名望がある。そのようなことをすれば、以後先生を招くことができなくなるし、城内の読書人の家でも先生を招くことができなくなるだろう。再度考えよう」

さらに閻相公に向かって、

「先生は生徒の模範だ。古人は子供を易えて教えたというが、それには深い意味があったのだ[12]。そして、子弟の勉強のために先生を招くときは、品行方正、学問が該博であることが最も大事だ。子供が初めて読書するときは、まず『孝経』を読ませ、朱子の『小学』に進む。これは幼児が学問するときの基礎で、浅学が考え出せるものではない。王伯厚[13]の『三字経』には、『『小学』終はり、『四書』に至る。『孝経』通じ、『四書』熟して、『六経』の如きは、始めて読むべし』とはっきり説かれている。これは千古不易の、少年教育の基礎なのだ。このように読み進めば、秀才になったときは、方正な儒者となり、官になったときは、国を救う良臣となるのだ。少なくとも博雅な文人にはなるはずだ。八股ばかり弄んでいると、焦って功名を得ようとし、急ぐあまりかえって勉強が遅れてしまうのだ。たとい学生になることができたとしても、万年秀才になるだけだ。要するに、功名を急ぎ、口を開けば破、承、小講ばかり教えたり、民間の書店が出版した薄っぺらな八股の本ばかり弄んだりすれば、急ぐあまりかえって勉強が遅れてしまうばかりでなく、得ようとしたものも失ってしまうのだ。さらに淫行の書、邪悪な言葉が加われば、子供は必ず台無しにされてしまうだろう」

言い終わりますと席を立って去ってゆきました。

 孝移は楼の下に戻りましたが、長い旅路より家での安逸の方が、疲れる旅路よりゆっくり休む方がましだと思いました。しかも、家について数日間、心神を疲れさせる仕事を片付けなければならず、命令したり受け答えしたりしてたくさん喋りましたので、その晩は疲れを感じ、床に就きますと、夢の世界に入りました。ところが、五鼓になりますと、急に目が覚め、侯冠玉のことが突然頭に浮かびましたので、枕元で一人言を言いました。

「私はこれまで少しも薄情なことをしたことがなかった。それに、京師に二年住んで、ゆったりとものを考えることができるようになった。家について門に入った途端に、先生を追い出すわけにはゆかない。もしやり方を間違えたら、開封府の教師の権威が確立されないのは、私のせいだということになる。そして、大いに読書人の気風を損なうことになってしまう。何もしないでおくしかないだろう」

夜が明けますと、すぐに起き出し、おもての広間へ行きますと王中を呼んで、言いました。

「昨晩の侯先生のことだが、追い出すのはやめにしよう」

王中「私も一晩考えましたが、ひどいことをし過ぎますと、とても面倒なことになります。私が間違っておりました。今まで通りにすることに致しましょう。九月以後になってから追い出せば、後腐れがないでしょう」

孝移は頷きますと、楼の下に戻ってゆきました。

 途中、双慶がやってきて言いました。

「孔さまが来られました」

孝移は楼を抜け、庭を過ぎ、おもての中庭で客を迎えました。そして、広間へ案内し、挨拶しますと席に着きました。程なく、程嵩淑、張類村、蘇霖臣が相次いで集まってきました。京師で二年近く待機してようやく引見を賜った話しは、

「皇居の壮麗さを見なければ、天子の貴さは分からない」の二語でそのあらましを言い尽くす事ができます。皆は去ってゆきました。

 次の日、風呂に入って服を換え、来客へのお礼の挨拶をしにゆこうとしておりますと、突然端福児が一冊の本を抱えて目の前にやってきました。孝移が受け取って見てみますと、『金瓶梅』でしたので、尋ねました。

「誰がお前に持たせたのだ」

「先生が、お父さんがこの本を見たことがないから、お父さんに見せるために持ってゆくようにと仰ったのです」

孝移は受け取って見てみますと、胸に怒りが込み上げ、腹が痛みだし、地面に昏倒しました。王氏が急いで助け起こしましたが、ふたたび胃痛が始まりましたので、布団を被って寝なければなりませんでした。そして、絶えず呻き声をあげました。

 隣人たちは、孝移が官職を得て帰ってきたことを知りました。この日は皆が相談して集まってから、家に来て祝いの言葉を述べました。王中は仕方なく、主人が病気で帰郷したことを告げました。人々は言いました。

「長旅でお疲れになったのでしょう。何日か休まれて元気になられたら、またお伺い致します」

さらに幾つかの商店の客商が来たときも、王中はやはりこの様に対応しました。この日、孔耘軒が姻戚の譚家を訪ねてきました。王中がそのことを話しますと、孝移は楼の下まで迎え入れるように命じ、布団を抱えたまま腰を掛け、耘軒に久闊を叙することにしました。耘軒は姻戚で、しかも親友でしたから、枕元にやってきて質問しました。二人はあまり喋りませんでしたが、孝移は眉を潜め、大変痛そうにしていました。そこで耘軒は尋ねました。

「孝移さんは今までこんな病気になられたことはございませんでしたのに、どうして突然病気になってしまわれたのですか」

「昨年京師にいた時から、すでにこの病気の兆しはあったのです。しかし、今日になってぶり返すとは思いませんでした。家に着いていたのがさいわいでした。帰り道だったら、もっと苦しいことになっていたでしょう」

耘軒は長居するわけにゆかず、別れを告げて去ってゆきました。侯冠玉も見舞いにやってきましたが、─彼は主人が下僕と相談した事を知らなかったのです─孝移は端福児に命じて、病気なので客には会えないと告げさせました。

 さらに一日たちますと、程嵩淑、蘇霖臣、張類村が揃って見舞いにやってきました。孝移はすぐに会おうとしましたが、病身で長く相手をすることはできないと考え、仕方なく、王中に命じて楼の一階に招き入れました。少し言葉を交わしますと、三人の客は茶を飲んで去ってゆきました。こうして、譚孝移が長旅から帰ってきて病気になったことは、城内に知れ渡ってしまいました。

 さて、この街の新任の医者董橘泉は、譚孝移が病気で、声望もあることを知りますと、治療すれば名誉と利益を得ることができると考えました。近付くすべがありませんでしたが、突然、去年正学と副学が譚家に額を送ったことを思い出し、陳喬齡に頼んで推薦してもらうことにしました。陳喬齡は門番の胡に、名帖を持たせ、一つは見舞いのため、二つには医者を推薦するため、譚家に遣わしました。王中が帖子を持っていって話しますと、孝移は礼を言うように命じ、推薦を受けた董先生を招きました。これは胃痛が激しくなり、すぐに良くなりたいと思ったからでした。まもなく、董橘泉がやってきました。彼は、客間で茶を飲みますと、楼の下にやってきて脈をとりました。

 橘泉は建物が高く聳え、衝立や幕が鮮やかなのをみますと、密かに、これは普段多くの妻妾を抱えているに違いない、この年なら、もちろん、命門[14]の火[15]が衰えた症候だ、と考えました。床の前に行きますと、孝移が布団を抱えて腰掛けていました。喋ろうとしますと、董橘泉が

「あまり喋ると(しん) [16]が損なわれます。手を伸ばして下さればすぐ分かります」

孝移が左手を伸ばしますと、橘泉は三本の指で脈をとりました。指先に触れる脈は強くなったり、弱くなったりしました。さらに右手の脈をとりますと、橘泉は首を振って

「お大事になさってください。まあ大したことはございません。両手の寸脈[17]は何ごともございません。関脈[18]も同じですが、尺脈[19]が少し心配です。老先生はみぞおちのあたりの調子がお悪いのでしょう」

「痛くてたまらないのです。良い薬を調合してください」

「大丈夫です。陰翳の気[20]がたまっただけのことですから、一つの薬できっと効き目が現れましょう。表で処方を書いて差し上げましょう」

「ありがとうございます」

 端福児は王中とともに、董橘泉を連れて帳房にやってきました。閻楷が出迎え、挨拶しますと席に着きました。橘泉は筆を執り、紅の帖子を求めますと、さらさらと、八味湯[21]の処方を書きました。王中は処方を手にとり、薬を持ってきました。橘泉は閻楷にむかって言いました。

「私の処方は他より優れています、私は処方を作るときは必ず処方箋を用い、小賢しいことは致しません。先程作った処方は、張仲景[22]が漢の武帝を治療したときの処方です。六味[23]は陰であり、肉桂、附子は陽です。一陽が二陰の間にあるのは、坎の卦にあたります。老先生は命門の火が衰えたため、龍門の火[24]を引き起こし、心臓と胃が冒されたのです。この肉桂、附子を用いて命門の火を補えば、たまった陰翳の気は消え、痛みはなくなります。これがいわゆる『火の源を益して、以て陰翳を消す』[25]ということなのです。それに王叔和[26]の『脈訣』には─」

言い終わらないうちに、王中はもう向かいの商店から薬を持って戻ってきました。董橘泉は薬の包みを開き、肉桂をちょっと齧りますと、言いました。

「最上の交趾桂[27]ではありませんね。この茯苓も本当の茯苓ではありませんね。奥へ持っていって、とりあえず煎って食べてみましょう」

 董橘泉が表で閻楷と孫思邈[28]、朱丹渓[29]などの古今の医者について話をしたことはお話し致しません。さて、孝移は八味湯をのみますと、夜になって暖かくなってきました。夜、酒を飲みますと、王中は董橘泉に向かって言いました。

「薬を飲んで、ひどく熱が出てきました」

「肉桂、附子を飲まれたのですから、汗をかかれないはずがございません」

酒を飲み終わりますと、董橘泉は帳房で眠りました。真夜中になりますと、奥の方から

「熱くてたまらん」

という声がしました。王中はふたたび扉を叩いて話をしました。橘泉は仕方なく起き出して、言いました。

「あの肉桂が本物でないので、悪い熱が出たのでしょう。もしも本当の交趾桂だったら、この様なことにはならなかったのです」

夜中を過ぎますと、体の熱は少し下がりました。橘泉はまずいと考え、朝起き出すと、閻相公に向かって

「私は今日杞県[30]に行かなければなりません。杞県の程知事に招かれているのです。今日馬牌子(マァパイヅ)[31]が来るということです。杞県から戻ったら、また診察致します。まったく問題はありません」

閻楷が仕方なく大門まで送り出しますと、拱手して去ってゆきました。

 さて、昨日王中が薬を取りにいったとき、半半堂薬局に姚杏庵という医者がいました。処方を見せますと、彼は首を振って

「大変な熱が出ますよ。持ちこたえられないかもしれませんよ」

と言いました。果たして、薬を飲みますと、熱がでてきました。王中はおかしいと思い、董橘泉もいなくなりましたので、王氏に向かって言いました。

「昨日、薬を取りにいったとき、薬屋の姚さんは、熱が出ることを知っていました。ひょっとしたらあの姚さんの方が薬のことをよく知っているかも知れません」

王氏はせっかちな人でしたから、それを聞くとすぐに、王中に姚先生をつれてくるように命じました。向かいの家で近いので、王中はすぐに迎えに行きました。姚杏庵は帳房に行って腰を掛けますと、言いました。

「昨日、処方を見ましたが、でたらめだということが分かりました。私を病人のところへ連れていってください」

王中は端福児に病室へ案内するように言いました。腰を掛けますと、孝移が顔を真っ赤にしていましたので、こう言いました。

「大した病気ではないので、急激に栄養補給することはなかったのです」

脈をとりますと、言いました。

「左心、小腸、肝、腎、胆、右肺、大腸、脾、胃、門。右の関脈には力がありませんから、明らかに脾臓と胃の病気です。尺脈とは関係ありません」

孝移は「脾臓、胃」という言葉を聞きますと、当たっていると思いました。姚杏庵が別れを告げ、おもてにつきますと、王中は帳房に案内しました。

杏庵「処方は必要ありません。私の店にきて下さいませんか」

王中がついてゆきますと、杏庵は半半堂の帳場の中にとび込んで、薬のひきだしを開けたり、升を手に取ったり、包みを取り出したり、臼で薬を掏ったりして、承気湯[32]を作りました。この病気は栄養を与えても駄目だ、思い切り下してしまおうと考え、大黄を八銭用い、その他にも芒硝[33]を一つまみ加えました。

 孝移は脾臓、胃が弱く、年も五十を越えていましたので、このような強い薬には耐えられませんでした。飲み込みますと、すぐに下してしまいました。一晩で十数回も下し、床はひどく汚れましたが、腹下しは止みませんでした。家の者はみな一晩中眠リませんでした。五更になりますと、王中が扉を開き、向かいの家に行き、門を叩き、ひどい腹下しが止まらないと言いました。しかし、姚杏庵は扉を開けようとはせず、帳場の中で高い声で叫びました。

「大黄は、大将軍です[34]。病気の時に使えば、怖いものなしです」

そして、それ以上話しをしようとしませんでした。

 もともと譚孝移は水土があわず、気持ちが鬱屈しただけで、命を失うほどの病気ではなかったのです。しかし二人の藪医者が、一人は急激に栄養補給をし、一人は思い切りくださせたので、ついに大病になってしまいました。ですから古人もこんなことを申しております。

学問をする者が医の道を知らざれば、

不孝と不治に当たるべし。

 さて、次の日、婁潜斎は、孝移の病気が突然重くなったと聞きますと、とても驚き、馬に乗ってやってきました。そして、入り口でばったり孔耘軒と会いました。二人は急いで床の前に行きました。見れば孝移はすっかり変わり果てていましたので、とても慌てました。王氏も出てきて、楼の西の間で話を聞きました。王中も寝室で茶を捧げて伺侯しておりました。端福児は枕辺に腰を掛けておりましたが、孝移は気息奄奄として、あまり喋ることはできませんでした。王氏は言いました。

「薬を飲んでひどい目に遭ったのです」

潜斎

「薬は軽々しく飲むものではありません。良い医者が投薬を行えば、手で取るように病気が治りますが、藪医者が間違った処方を用えば、手で推すように病状が進みます。薬を飲まないのが一番でしょう」

耘軒

「草の根や樹の皮よりも、穀物を食べるのがよいのです。薄粥と軟らかいご飯で養生するのが良いでしょう」

王氏

「先生と孔さんのお話は、覚えておきましょう」

二人は長居せずに、おもての広間へ行きました。そして、久闊を叙しますと、嘆息しました。耘軒

「孝移さんは顔色が良くないので、とても心配です」

潜斎は王中に言い付けました。

「差し障りのあることは、病室には知らせないでくれ。気持ちが高ぶるかもしれないから。おまえの主人が鬱屈症であることは、京師にいたときからよく分かっていた」

王中は

「畏まりました」

と言いながら、早くも涙を零しました。二人は暗い気持ちで去ってゆきました。

 午後になりますと、曲米街の曹氏が、王隆吉をつれてやってきました。そして姉に会いますと、言いました。

「主人が武当山から帰ってきて、今度は亳州[35]へ行きました。義兄さんが都から帰られたとは、ちっとも知りませんでした。今朝、地蔵庵の范さんが私に『蕭墻街の譚さんが都から帰って病気になった』と言いました。あの人はこの街でお布施を集めていて、そのことを聞いたのでしょう。私は急いでやってきたので、何の贈り物も持ってきませんでした」

王氏

「親戚なのだから、贈り物なんていいのだよ」

話をしておりますと、侯先生の妻の董氏も、裏門から入ってきました。王氏は彼女を迎え入れると席を勧め、薬を飲んで悪くなった話をしました。曹氏が言いました。

「私の住んでいる曲米街の火神巷には、趙大娘という人がいます。神懸かりになることができる、霊験あらたかな人です。明日、神堂[36]へいって相談をされてみてはいかがでしょう」

王氏

「門の外には出られませんよ。それに主人があの性格ですから、行くことはできません」

董氏が言いました。

「東街に住んでいたとき、趙大娘はみんなのためにいつも病気をみていました。彼女は生き神さまで、掛け軸を売ってくださいます」

王氏

「仕方ないでしょう。早めに帰って、その人を呼び、掛け軸も持ってこさせてください。法圓さんも呼んできてください。私たちに替わって神様への返事をしてもらいましょう。だけどこっそりとね。報酬は、たっぷりあげることにしよう。病気が良くなって神様にお礼をするときは、主人に知られても怖くありませんよ」

すると、楼の下で茶を求める声が聞こえたので、王氏は立ち上がって返事しました。皆は去ってゆきました。端福児は叔母や先生の女房が裏門を出てゆくのを送りました。

 次の日、曹氏、法圓が巫女を連れてきて、まず侯先生の家に行きました。王氏は知らせを聞きますと、女達を呼び、楼の東の過道を通っておもての中庭へ行き、客間につきました。趙大娘は、ようやく三十四、五という年齢でしたが、勿体ぶった雰囲気を出していました、女達は彼女に挨拶をしました。趙大児が茶をつぎ、飲み終わりますと、格子戸を閉め、軸を掛けました。その軸には、上下に神が数十描かれており。王氏は香を摘んで叩頭しました。すると趙大娘がのびをし、まがった腰を伸ばしました。そして、すぐに目を閉じ、手を握り、全身を震わせ始めました。口の中でうんうんと言い、何を話しているのかは分かりませんでしたが、それらしい雰囲気がありました。そして歌うように言いました。

「香はしき煙は遥か九天に昇りゆき、わらはは東頂老母[37]を俗世に招くなり。雲をかき分け下界を見れば、惑へる衆生は跪きたり」

法圓は王氏を跪かせました。王氏

「私は返事ができません」

そして法圓を引張って跪かせました。法圓

「阿弥陀仏。譚さまがご病気ですので、老母さまのご加護を求めます。阿弥陀仏。苦難を救う観世音菩薩さま」

趙大娘はまた唸り出しました。

「昨日、わらわは南天門より来て、太白李金星に会った。太白李金星は喜捨帳を取り出して私に見せた。帳簿には譚郷紳の名前が書いてあった。あの方は本来は俗世の子ではない。あの方は天上の左金童だったが、玉石盞を壊したばかりに、天宮から落とされたのだ」

法圓

「譚さまが幸福を得られたのは、俗人でなかったからなのですね」

 さて、王中は閻楷とともに帳房で悲しんでいましたが、突然、客間から歌をうたう声が聞こえてきたので、びっくりしました。そこで、急いで格子戸の外へ行き、聞いてみますと、巫女が神懸かりになっておりましたので、仏様が現れたかのようにびっくりして、あたふたと大門を閉じ、客が来るのを心配しました。急いで東の過道を通って楼院へ行きましたが、誰もいませんでした。そもそも彼の妻趙大児、徳喜児、双慶児は、みんな客間で神懸かりを見ていたのです。王中は急いで趙大児を呼びますと、こっそりと罵りました。

「死んでしまえ。楼の下へ行って、旦那さまに茶や水を差し上げるんだ」

そして、徳喜児、双慶児を庭に立たせました。主人に気付かれれば、火に油を注ぐことになると思ったからでした。しかし、自分もその場を離れようとはせず、中庭に立ちますと、ごまかそうと考えました。彼はおもての声がますます高くなってきたので、仕方なく喚きました。

「徳喜児。もう少し声を小さくしろ。旦那さまを起こしたらぶたれるぞ」

客間の声は小さくなりました。程無く、おもてでは神様が去り、神送りの紙馬を燃やし、願掛けが行われました、王氏は地蔵庵の神前に龍幔[38]と宝幡[39]を捧げることにしました。さらに、晩になってから、麺人[40]、桃条[41]、瓊漿[42]、水飯[43]を買い、斬送[44]を行いましたが、このことは、詳しくお話し致しません。

 暫くしますと、女たちが、衝立の後ろから出てきました。法圓が神像が描かれた掛け軸をもち、侯夫人も付きしたがっていました。王中はこのとんでもない有様をみますと、顔を背けて、彼らを通すしかありませんでした。さいわいこのとき孝移は眠っており、何も聞いていませんでした。女達は、台所へ入ると腰を掛けました。王中はどうしても安心できませんでしたので、台所の入り口に行きますと、尼に向かって言いました。

「范さん。うちではあなたを手厚くもてなしているのだから、あなたも悪いことをしてはいけないぜ。よく注意してくれよ」

法圓もその意味が分かりましたので、答えました。

「分かっていますよ」

これは王中が法圓をおとなしくさせようとしたものでしたが、人々は気が付きませんでした。斬送を、法圓は一人で行いました。昼食を終えますと、報酬も、みんなが持っていっていってしまいました。

 次の日、法圓は観音の霊験あらたかな籤の中から、吉祥帖を選び、曹氏に送りました。そして、観音の前で、王氏のために引いたのだと言いました、「(いたつき)は必ず()え、(あらそひごと)は必ず勝たん」という籤でした。そして、弟子に命じて怪しげな字を書かせ、隆相公に頼んで、譚家の女施主へこっそり送ってもらいました。王氏は受け取りますと、感謝しました。

 これぞまさに、

長く都に留まりて帰ることなく、

女が家を切り盛りすれば災をすでに孕めり。

太陽に雲は懸かりて、

(よろづ)禍事(まがごと)一時に来る。

 

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]截下題とは八股文の題目の種類の一つ。八股文の題目は、『四書』の原文を摘録するものと定められている。文章全部を題目にするのを全章題、前半部を取り出して題目とするのを截下題、後半部を取り出して題目とするのを截上題という。

[2]旧時、師友にあうときは、午前にまっすぐ挨拶に行くのが礼儀正しいとされていたので、夕方や何かのついでに挨拶に行くことを残歩と称し、忌むべきことであるとされた。 原注。

[3]原文「砍的不如鏇哩圓」。無理に物事を行うよりも、方式通りにしたほうがいいということ。

[4] 挿絵入りの『西廂記』。

[5]物語に変化起伏をもたせることと思われるが未詳。

[6]清代の通行本『皋鶴堂批評第一奇書金瓶梅』は、第一回の回目が『熱結、冷遇』となっている。

[7] 『新刻繍像批評金瓶梅』第四十二回の回目。

[8] 『金瓶梅詞話』第九十六回回目は「春梅姐游旧家池館」。『新刻繍像批評金瓶梅』第九十六回回目は「春梅游玩旧家池館」で、いずれも、『岐路灯』に示されている回目とは異なる。

[9]他人に代わって科挙を受験する人。

[10]槍手を紹介する人。

[11] 「先生が立派であればよい人間が多くなる」。周敦頤『周元公集』にまったく同じ言葉がある。

[12] 『孟子』離婁上「古者易子而教之」。

[13]宋の王応麟のこと。 『宋史』巻四百三十八に伝がある。

[14]右腎をいう。精神元気のやどるところで、男は精を蔵し、女は胞をつけてあるからいう。

[15]生命の活力をいう。

[16]医学用語で、人体生命活動を主宰する生理、精神状態をいう。

[17]脈を診るとき、人差し指、中指、薬指の三本を手首に当てるが。人差し指のあたる部位をいう。手首の関節の前、手に近い部分。

[18]脈をとるとき、中指のあたる部分。手首の関節。『太素脈訣』診脈要法説「掌後有小高骨、就是関脈」。

[19]脈をとるとき、薬指のあたる部分。手首の関節の後の一寸以内の部分。尺沢。『素問』至真要大論「尺沢絶、死不治。[注」尺沢在肘内簾大文中、動脈応手、肺之気也」。王叔和『脈経』「従魚際至高骨、卻行一寸、其中名寸口、其骨自高、従寸至尺、名曰尺沢」。

[20]陰の気のことをいうと思われるが未詳。

[21]心腹の痛みに効く薬。呉茱萸、干姜、陳皮、木香、肉桂、丁香、人参、当帰を用いる。謝観等編著『中国医学大詞典』。

[22]後漢の張機の字。 著書に『傷寒論』『金匱玉函要略』。

[23]漢方には「六味〜」という名の薬品が多いが、それぞれ使われている薬の種類が異なり、六味が何かを特定するのは難しい。

[24]龍火のことか。相火ともいう。君火の対義語。怒りや欲望によって発動する火。怒りの火は肝から、欲望の火は腎から生じるとされる。 謝観等編著『中国医学大詞典』。

[25] 『黄帝内経素問』巻一「益火之源、以消陰翳」。

[26]晋代の医者。著書に『脈訣』がある。張仲景の『傷寒論』を編次した。

[27]交趾(安南北部)でとれる肉桂。肉は紫で油は黒く、甘みがあり、あまり辛くはないという。謝観等編著『中国医学大詞典』。

[28]唐の医者。著に『千金要方』など。

[29]元の医者。朱震亨。著に『局方発揮』など。

[30]河南開封府。

[31]公文を送達する馬夫。

[32]承気湯には、大承気湯、小承気湯、調胃承気湯がある。第三十七回で、姚杏庵は、譚孝移に大承気湯を用いたといっている。大承気湯は、『傷寒論』によれば、大黄 四 兩、厚 朴 半 斤、枳 實五 枚、 芒 硝 三 合から作る薬

[33]消石。薬品の一種。解熱、利尿などの効果がある。

[34] 『太平御覧』巻九百九十二に引く『呉普本草』に「大黄一名黄良、一名火参、一名[雨胃]如、神農雷公苦有毒、扁鵲苦無毒、季氏小寒為中将軍…」。とある。

[35]江南鳳陽府。

[36]神像をおいた建物。

[37]東頂は泰山、東岳のこと。東頂老母は碧霞元君のこと。泰山奶奶ともいう。

[38]龍を描いた旗。

[39]仏壇に飾り付ける旗。

[40] しんこ細工の人形。

[41]桃符のこと。

[42]鉛霜(酢酸鉛)の異名。『玄霜掌上録』参照。

[43]米飯に水をかけたもの。

[44]魔除けの儀式。

 

 

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