巻四

陳省副[1]

慶暦[2]初年、陳吏部洎[3]は、三司副使[4]から流されて鍾離郡[5]の太守となり[6]、比曹[7]員外銭愚は、時に通倅[8]をしていた。銭は占い[9]をよくし、ある日、その県民に命じて、酒肴を調えさせ[10]、陳家の老若をすべて召し、副官の家に集めた。翌日、銭は陳のところにゆき、礼を言った。「昨日、粗菜でご家族をお迎えしましたのは、ひとまず区区(わたくし)の意を示し、後事を託したのでございます。」陳はたいへん驚いた。「足下は四体がたいへん安らかなのに、どうしてそんなことを仰る。」銭は言った。「来年の正月某日、わたしは死ぬはずでございます。遺児たちを送り、京師の旧居に帰れるようにしてくだされば、幸甚でございます。」陳は銭が占いをよくすることを知っていったが、本当だとは思わなかった。愚はかつてその妻子に言った。「陳も生ける屍にすぎない。来年を過ぎ、旧官に復するが、もうだめだ。」翌年の正月、期日通りに亡くなった。一月あまりして、陳は廬州[11]に移り、半年足らずで、また召されて三司副使となったが、数ヶ月して背疽[12]を病んで死んだ。三日後、陳の若い下女、年は十二三のものが、突然、榻に倚ると、それに憑依、降霊して語った。「昨日、王に会うと、王は酒席を設けようとしたが、わたしは(きず)が痛むことを口実にして断った。門外の従者五十人は、みな漆塗りの皮弁[13]を戴き、p(くろ)、緑、緋のェ衫を着[14]、烏[15]も、人の世と異ならず、号慕[16]してみずからを苦しめるな。」さらに数日して、また降って語り、榻を設けて賓主の位のようにするように命じ、言った。「こちらは前の濠州[17]の同僚銭比部[18]だ。わたしは今、益州[19]を治められ、また比部と同僚となった。先日すでにかつて宴会し、親しくする楽しみは、昔と異ならなかった。しもべに命じて銭家の県君[20]に伝言させ、比部がよく十一郎(比部の幼い子で、もっとも寵愛しているものである。)を見るように命じていたというとよい。今ふたたび陳吏部と同僚となってたいへん楽しいから、慕ったり悲しんだりするな。」その二日前、銭の幼い娘はまさに十余、睡眠中に悲しみ叫び、呼んでしばらくすると、目ざめた。言った。「わたしは比部と陳吏部が同じ高堂の上で宴会し、樽俎[21][22]、すべて麗しく、左右の侍衛がたいへん盛んであるのを見ました。そこで父がすでに世を去ったと思い、思わず泣き、呼ばれてはじめて意識が戻りました。」陳家の下女が降って語ったことと合っていた。昔の小説で幽冥のことを載せるものには、人の世の郡県庁が、冥府とすべて同じであるというものが多い。陳吏部が益州を治めていたことなどは、もしやそれか。比部の子閎は、今、供備庫副使をしており、言うことはたいへん詳しかった。

 

王待制

天章閣待制で平晋[23]の王公質[24]は、海陵に流されて太守となった。郡の監兵[25]の官舎の西側に射堂[26]があり、堂の前は蔬菜が植えられて畑となっていた。ある日、朝、畑を管理する(したやく)が起き、畦に灌漑していると、老媼が射堂の中に立っており、風采はたいへん悠然としていた。卒が驚いて尋ねると、媼は言った。「わたしは監兵の母です。すぐにわたしがこちらにいるとお告げください。」卒は言った。「監軍さまにお母さまがいることは聞いたことがない。なぜ嘘を言う。」媼は言った。「とにかくお告げください。よけいなことはお尋ねにならないでください。」卒が入って申し、監軍がにわかに出てきて会ったところ、姿と声は本当に母で、言葉は悲しげであった。監軍は叫び嘆き、家人はみな拝しに侍しにいった[27]。母はいそいで言った。「幕で射堂の軒を覆い、外から見られないようにしておくれ。」その後、いきさつを尋ねると、母は言った。「冥府で一件があり、生を受けていないものと現在牢に入っているものは、すべて五日の休暇を与えられたのだ[28]。わたしはおまえのことだけを思い、やってきたのだ。」監軍はにわかに休暇を申請し、さらに平晋公に申した。平晋公は朝服して拝しにゆき、ふだん疑っている鬼神のことを質したが、まったく答えず、言った。「幽冥の事が漏れれば、その罰はたいへん重く、ご命にお答えすることはございません。」平晋はさらに尋ねた。「世に閻羅王者がいると伝えていますが、ほんとうにいるのですか。また誰がそれにあたるのです。」「もとよりいます。それをするのは、近世の大臣なのでございます。」その氏名を尋ねれば、言った。「口で述べようとはいたしません。」公が家蔵の建隆[29]以来の宰輔の画像をあまねく探して示したところ、その中で寇莱公だけを指して言った。「この人でございました。」また冥土で貴ばれることと憎まれることを尋ねると、答えた。「人で物性[30]を殺害しないものがあれば、冥土では崇められます。しかし陰謀殺人は、その責めがもっとも重うございます。」このようにして五日とどまり、去った。あるひとが言うには、平晋はそれから二度と肉食しなかったそうである。平晋は記録してやっていたのであった。かれの子はさらにそのことを魏泰に示したという。

 

石比部[31]

比部外郎石公弁[32]が言った。皇祐[33]年間、初めて大理寺丞[34]となり、并州[35]の徐溝鎮[36]監督した。一年あまりして、夢みると、一人の幽鬼、朱髪青膚のものが、中霤[37]から下を見、腕を垂らし、一人の娘を引いていた。娘は髪が地から出ていたが、こう言った[38]。「おまえを李専知の家に送り、娘にさせよう。」石は目ざめると、胸がどきどきし、眠らなかった。夜明けになると、酒場の官で姓を李というものがいたので[39]石は尋ねた。「昨晩、どんな事があった。」李は言った。「四更の初めに、嫁が一人の娘を生みました。」石はしばらく驚嘆した。その後、嬰児が病になり、一人の老婆を召して見させると、言った。「もともと太原の人で、夫に従い、こちらに寓して四十年近うございます。こちらで役人となるもので、かれの家に出入りしないものはございません。この官舎も以前の都監[40]の官舎で、(徐溝では旧時、班を遣わして巡察させていた[41]。今は中央官を遣わしている。)今の中霤の下にはかつて井戸があり、李殿直[42]が監臨[43]していました時、一人の娘を鞭うたせましたところ、痛みに堪えず、井戸に身を投げて死にました。そこで廃棄して汲まず、さらに洪水に沈められたのです。」石はいよいよ驚き、はじめて前の夢の験だと悟った。

 

曹郎中

曹金部元挙は、治平年間に福建路の転運使[44]をしたことがあった。官舎の中に池亭[45]があり、曹は朝晩そこにとどまっていた。家人はかれの体が日々痩せ、心がぼんやりしてゆくのを怪しんだ。尋ねると、すぐに言った。「李家の娘がおり、たいへん美しく、二人の下女とやってきてわたしを待っているのです。」みな物怪が惑わしているのだと思い、医者を召して診させたが、まったく効果がなかった。そこで池を涸あがらせて探したところ、三尾の鱧[46]を得たが、一尾は大きく、二尾は小さかった。曹はにわかに叫んだ。「李家の娘を害するな。」そして(きりにく)にして焼いた。曹も病と称し、維揚[47]に帰り、一年あまりして亡くなった。

 

陸龍図

龍図陸公詵が成都の知事であった時、官署の建物の前の東南隅に大きな枇杷一株があった。その下には、夜になると数人の娘が集まって泣いているかのようであったが、照らすと見えなかった。その半年後、陸は在任中に亡くなった。熙寧[48]六年、成都の街道では、夜になると、邏卒が呦呦然と泣く声が、およそ数十か所でしたが、近づいて見ればいなかった。七年、八年の大旱魃になり、餓死者は路に満ち、ついで疫病があり、死ぬものは十中六七であった。麦秋になると、刈りとる人がいなかった。綾、羅、紗、錦、綵箋[49]の諸物にいたっては、売るものも少なかった[50]。兆が先に見えるのは当然であった。丁都官餗が目睹した。

 

宋中舎

太子中舎宋伝慶は、諌議大夫太初の子であった。みずから言うには、その父は性来鼈を嗜んでいた。ある日、数匹の鼈を得たので、台所の下女に渡して(あつもの)にさせたことがあった。その一匹はたいへん大きかったので、下女は殺すに忍びず、溝に放った。一年後、下女は疫病となり、胸を痛めて高熱となり、死にそうになった。家人はかれを担ぎ、外の家にゆかせ、伏して死を待たせた翌日見れば、敷居から下女の胸と脇の間まで、すべて青い泥で塗れており、下女もやや癒えていた。尋ねれば、言った。「泥の由来は分かりませんが、煩熱は退きました。」家人が窺ったところ、夜になると、一匹の大きな鼈が、溝から体に泥をかぶり、まっすぐ下女の胸に登って冷していた。下女は十日を越えて癒えた。その鼈が来た由来を尋ねると、下女はその顛末を述べた。天聖年間、伝慶は遂寧[51]の通守[52]となり、亡父にこのようにいった。

 

馬文思

文思副使[53]馬公仲方[54]は、尚書亮[55]の甥であった。免官に遇い、家にいることが多かった。高郵軍の細君である妹もその県に住んでおり、牝羊を公に贈ったが、まもなく一匹の(こひつじ)を生んだ。秣で数ヶ月養ったが、閑居していたために放牧する人がいず、煩わしく思ったので、肉屋に売った。肉屋は翌日、柵に臨んで煮ようとし、刀を傍らに出し、湯を沸かし、毛を毟ったり洗ったりするのに備えた。切ろうとすると刀がなくなっており、しばらくすると、その(つか)(どぶ)から見つかった。取って洗って拭き、牀に置くと、すぐにまたなくなった。羊が産んだ(こひつじ)がそれを加えて溝に投じ、さらに足で泥濘を踏み、見えなくさせていたのであった。肉屋はそれを見るとたいへん悲しみ、後に羊を馬氏に返し、以後二度と羊を屠らなかった。公も羊を仏寺に施した。公は全州の太守となったことがあるが、みずからこのことを理堂の壁に書いたことがあったという。

 

陳太博

太常博士[56]陳公舜[57]、明州[58]観察の推官に当たっていた。二人の子がおり、一男一女で、いずれも六七であった。ある日、外で遊んでいたのを、捕まえて帰ったところ、男の子は顔に墨でその左頬を丸を描かれ、女の子は朱でその右頬を丸を描かれていた。家人が怪しんで丸を描かれた由来を尋ねたが、知らないと言った。家人は子供がふざけてしたと思い、洗い去るように命じた。翌日もまたそうであった。このようなことがほとんど一月あまり続き、日々このようであったが、ほかに怪しいことはなかった。陳は(あやかし)の兆かと心配し、転運使に申し、他の部局に臨むことを求め、浙西に転任した。官署が空しくなると、郡は二人のp隷に番させた。ある日、二人はともに言った。「陳観察は以前二人の子供の顔に丸があることを怪しいと思ったが、結局ほかのことはなかった。わたしたちは調べるべきだ。ひとりで堂内に入り、朝から晩に達することができれば、銭××[59]を醵出して褒美としよう。」一人のp隷は欣然として短剣を持ち、堂の西序[60]に入り、酔って窓辺に臥した目ざめると、日はすでに(ひる)を過ぎていた。吏は(あやかし)いないことを喜び、さらに褒美を得ようことを喜び、徘徊して晩を窺って出た。するとにわかに堂扉が開き、数人の下女が一人の婦人に従い、鸚鵡を腕にし、堂の側桁立ち、丸を描いたもののようであった。吏はじっくり見ると、黙って考えた。「(あやかし)がこのようなものに過ぎないなら、恐れるに足りない。」刃で脅かそうとすると、突然、胸騒ぎがしてたいへん驚いたかのようになり、体が自由にならず、驚いて叫び、剣を持ち、門を突いて走り、[61]を犯し[62]、大路を穿ち、発狂したもののようであった。商人はかれが剣を持っているのを見、変事があると思い、みな恐れて避けた。半里足らずで、躓いて路傍に倒れた。人々が扶けおこし、剣を奪って質すと、しばらくしてはじめて癒えたが、結局それが何の(あやかし)か知らなかった。進士魏泰は明州に遊び、みずからこのことを見た。

 

馬仲載

熙寧六年、江南を開いて郡県にした[63]。峡州[64]を得ると、安江城[65]を築き、殿承制[66]馬公仲載に命じ、卒三百を率いて守らせた。時に石鑑[67]が兵馬ツ轄[68]で辰州[69]を治め、千兵[70]を総べ、やはり城中に留まっていた。ある晩、邏卒は言った。「蛮兵数千が、夜に城を攻めるはずでございます。」石はそれを聞くと、すぐに逃れ去ろうとした。馬は言った。「ツ轄どのが出れば、誰と守る。」そして門で剣を持ち、叫んだ。「出ようとするならば斬る。」石は留まり、蛮兵も来ず、それから石はすこぶる怨みを抱いた。数ヶ月足らずで、馬は突然地に倒れ、[71]として意識を失った。従僕は辰州に担いでゆき、医者に掛からせた。石はそこでかれが城を捨てたことを弾劾し、軍令で裁こうとした。馬は病がやや癒えると、武陵で取り調べを受けたので、食事を備え、はるか司南岳[72]に訴えた。翌日、ちょうど十になる幼子が、読書したことがなかったのに、突然、睡眠中に叫んで紙と筆を求め、こう書いた。「南岳門下が牒[73]によって馬仲載に勅する。おまえの遥祭[74]が殷勤であるのを思い、訴えが哀切であるのを聞いた。おまえの罪ならば、理として命を失うべきだ。上天はおまえがつねに善意を行い、職責を守れているのを憐れんだので、災を降し、官を奪うように命じただけだ。さらに反省すれば、福寿を得るはずだ。勉めれば、幸いがあろう[75]熙寧六年十一月二十四日。」さらに朱筆を執り、一つの印を日月の上に描いたが、篆文で判読できなかった。子供はまた眠り、まもなく目ざめた。質すと、言った。「一人の男がおり、青巾衫で、[76]をわたしに渡しました。」しかしかれが手ずから模写したのかはわからなかった。仲載のことは、武陵の人で知らないものはなく、『南岳勅』は、好事家が録して蔵していることが多い。

 

夏著作

尚書郎高公靖は、蔡州[77]の人で、官を辞め、帰郷して田舎暮らししていた。かつてに坐して農作業を見ていたところ、ある農夫が土の中から鉄牌を見つけたが、上に大きな字で「司法参軍夏鈞」とあった。高も分からなかった。数年して、道州[78]の知事を授かったが、その後長沙の人夏鈞が、その州の司法参軍に調任したので、高は鉄符が前世の定めであったことを悟った。鈞は官位が著作佐郎[79]に至った。

 

冀秘丞[80]

冀秘丞膺は、皇祐年間、河南府緱氏県[81]を治めていたが、後任者が来ようとすると、あらかじめ家を洛城[82]に移し、ひとり県庁の母屋に泊まっていた。ある晩、夢みると、二人の娘が榻の前で再拝したので、その事情を尋ねると、言った。「わたしたちは前の県尹[83]の家の下女で、ひどく鞭うたれて死に、知事さまの寝台の下に埋められたのでございます。以前、ご家族がこちらにお住まいでしたので、みだりに出ようとせず、驚かせてしまうことを恐れておりました。今晩、はじめてほんとうのことを告げたのでございます。どうか野に移してくだされば、たいへん幸いでございます。」冀は承諾した。翌日、その地を発くと、ほんとうに二体の枯骨が見つかった。紅い(くし)(ぬいとり)(くつ)はまだ残っていた。衣絮で包み、酒飯を祭り、紙銭を加え、近郊に埋めるように命じた。数晩後、夢の中で進みでて謝して去った。楽長官浩[84]がいった。

 

梁寺丞[85]

梁寺丞[86]は、相国[87]の長子で、嘉祐年間、汝[88]の梁県[89]を治めていた。その夫人はかつて一人の若者を夢みたが、衣束帯紗帽を着け、神彩俊爽で、こう言った。「あなたはわたしに仕えるべきだ。そうしなければ禍をもたらそう。」目ざめると、梁に告げたが、梁は信じなかった。その後、その衣冠簪珥を盗み、竹木の杪に掛け、変事は万であった。梁はかれが嘯くのを窺い、剣を抜いて撃った。幽鬼は言った。「ああ、わたしには中てられない。」さらに道士に命じ、醮を設けて祓わせたが、勅壇[90]するとすぐ、道士の剣を奪い、空に舞わせ、どうしようもなかった。そして梁に言った。「廟を建て、わたしを祭れば、おまえに幸いしよう。」すでにそのいたずらに苦しんでいたので、やむをえず祠を官署の傍らに建てた。さらに言った。「人はわたしの顔を知らないが、画工を召して来られれば、わたしはみずから教えよう。」絵を描くのが終わると、夫人が夢の中で見たものであった。たまたま家人が病になったので、幽鬼が薬を投与したところ、服するとすぐに癒えた。政事に関しては、理に合わないものがあれば、民間の利害秘密についてもひそかに告げた。梁は免職となると、廟は後任者に毀たれたが、幽鬼の霊験もなかった。洪正卿進士が言うのを聞いた。

 

楊郎中

郎中楊公異[91]は、性来清潔をひどく好み、常軌を逸していた。荊南に寓居し、向かいの民家に子が生まれたが、数年で、髪膚がすっかり白くなった。俗にいう「社公児」[92]であった。異は嫌に思い、しばしばその父を呼び、五緍を与え、殺させた。民は金銭を得ると、ひそかに移り去った。楊には一子がいるだけであったが、にわかに癩を病み、皮膚が爛れて亡くなった。近頃、ある人が死んで生き返り、言った。「冥府であらたに速報司を立てた。」楊氏の報いなどは、本当のことである。

 

張太博

治平[93]三年、太常博士張(その名は分からない)は兗州奉符県[94]を治めていたが、太山廟が県庁の中を占めており、知事が廟の仕事を兼務していた。三月になると、世間の神を祭るものたちが、奇器珍玩を持ってきて献じていたが、公はしばしばひそかにとっていた。免職となると、東平に寓居した。ある晩、中闔[95]の外に数十人がいるかのようであるのが聞こえたが、語る声は多くて聞きわけられなかった。朝に見ると、かれが盗んだ帟、器皿の類が、すべて順番に広間や回廊に列ねられていた。(ふくろ)(はこ)を見ると、封はそのままであった。このようにすることおよそ数晩であった。張はたいへん恐れ驚き、すべてとって焚いた。三日後、奉符での旧事が露顕し、州の獄吏が令状を持って捕らえにきた。捕らえられると、証拠は明白だったので、結局監獄に入れられた。

 

楊従先

殿直楊従先は、至和[96]初年、大名[97]の馬監[98]を掌監していた。その冬、夢みて枢密院の書状授かった。そこには「千里重ねて行き行く。右の書状を従先に渡せ。かくとりはからえ。」とあったが、目ざめても、その趣旨が分からなかった。翌年の春は、大雪で、牧馬はたくさん死に、監牧の使臣で衝替[99]となったものは数人であった。そこで「千里」は、「重」の字で、それを「行」に配すると、「衝」の字となることを悟った。二度いっていたのは、みな責められるということだったのであった。

 

最終更新日:201813

括異志

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[1]省の副使

[2]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%2585%25B6%25E6%259B%2586&sa=U&ei=5AAhUJa9CouziQep64HwCQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHyNIOwUMYf3Pt-l82mk04APSEfzQ

[3]http://www.gg-art.com/dictionary/dcontent_b.php?bookid=34&name=%B3%AF&columns=2&bookdetailid=55866官職は塩鉄副使。

[4]三司(ここでは塩鉄、度支司、部司のうち塩鉄)の副長官。

[5]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E9%2592%259F%25E7%25A6%25BB%25E9%2583%25A1&sa=U&ei=PwEhUKWFO-eciAefnYDYCg&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNHWOAnrD5LLwNUyRHfUxf150vbMcg

[6]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8ZdicB0ZdicAA254453.htm&sa=U&ei=umcGUJbAF_COmQWo66yOAQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNE36f-13EF25GoKmTIYVTRvGxLF-Q罪により流され、地方官となりあるいは境を守ること。

[7]未詳だが、後ろに出てくる比部曹官(属官)であろう。

[8]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A229873.htm&sa=U&ei=GjsBUMz1FaHZmAXB1KHrCQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGBo5wBZfL-CJdxsZ9EO5EQV7QODQ漢典は「高く昇任した副」と説くが、意味不明。引用されている用例から判断して通判 の副職ではないか。

[9]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE6Zdic95ZdicB0286060.htm&sa=U&ei=kBoNUI60M4XhmAWzuMCBCg&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNHp4PcyX1XHih2Z89Ix9f8riz9r5A

[10]原文「俾其邑封具酒肴」。「邑封」が未詳。とりあえずこう訳す。

[11]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/740734.htm&sa=U&ei=Qx8hUO6hDs-RiQfjnYD4AQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGJQnwMEEzV-7iZlh-OfzkS0Q2SQQ

[12]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1337483.htm&sa=U&ei=Yx8hUPnCB86UiQeglIDwBQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEwFVIblK2BPppfC431FUIT7vTl0A

[13]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic9AZdicAE193673.htm古冠名。白鹿の皮で作る。

[14]原文「衣p鵠ェ衫」。「ェ衫」が未詳。大きい上着か。

[15]未詳だが、黒のフェルトであろう。

[16]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8FZdicB7196004.htm&sa=U&ei=VDcPUN2pBsPwmAXMoYGQCw&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGEa0iTpLujS2SdJrD6-WfshC8uhw父母の哀号し、追慕の情を表すこと。

[17]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/802721.htm&sa=U&ei=X2kGUMHrNuuVmQWX2JiOAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNF38CJo83TkDuukUHGrS5b7qcnXLg

[18]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6ZdicAFZdic94306653.htm&sa=U&ei=g2kGUL-GBO-JmQXn3umOAQ&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNHazndtBbITcqpr7sdOYNojqR7WEQ刑部の下部機関。

[19]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/4201.htm&sa=U&ei=cWkGULyWC8HgmAXmo-iOAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFdvF3iT2vsD3blgfxpJe04XEDWxA

[20]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic8EZdicBF207413.htm&sa=U&ei=XJcUUNOGKpGZiAe9wYCgAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEj0ky7JTjmltH8RgjarIXEkJLf_w人の封号。宋では庶子、少卿、司、郎中、京府少尹、赤令等官の妻が「君」に封ぜられた。

[21]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE6ZdicA8ZdicBD347475.htm&sa=U&ei=uGkGULvoNOz1mAWa78mOAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNH4-CymTnDspufzX-hd6AIc4bo8Aw宴席。

[22]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5ZdicB8Zdic9F215701.htm&sa=U&ei=azgPUKD_AuaJmQWKo4CAAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEeb4nuNrKCmJZRlsR78-x0u0fddQ幕。

[23]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/3279705.htm&sa=U&ei=CSEhUIHMD-uXiQetvIDYAw&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFd2srlfz2Al_o5d4fcIqJiyIE99Q

[24]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%B3%AA_(%E5%8C%97%E5%AE%8B)

[25]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic9BZdic91190419.htm&sa=U&ei=O_gJUIz2MsXHmAW55qSECg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHtTODLFUsMLjxJBkruhXSFCdtpmA監軍http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic9BZdic91190427.htm軍隊監督する官員。

[26]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicB0Zdic8433405.htm&sa=U&ei=u0MBULKVDe6HmQWliNjuCQ&ved=0CB4QFjAE&usg=AFQjCNGg-dgZ9mkp9kWyo9NFxUjez2sF7w射撃を場所

[27]原文「家人以下皆往拜侍。」。「以下」が未詳。とりあえずこう訳す。

[28]原文「冥中有一事、應未受生與見伏牢者、皆給假五日。」。「應未受生與見伏牢者」が未詳。とりあえずこう訳す。

[29]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25BB%25BA%25E9%259A%2586&sa=U&ei=PA4OUJmNMIyHmQW26oHACA&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNESO8skvihRh8u865IlrCe4oSAjBQ

[30]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic89ZdicA9221457.htm&sa=U&ei=P2sGUL3qN62VmQXul7iOAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGnUuaZzGbwzm3aoJ3uevLDl172IQ事物の本性。

[31]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6ZdicAFZdic94306653.htm&sa=U&ei=zv0JUOzoN87wmAWKtuyNCg&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNHLnfzUlCAX0hMa9tNW_o1axQHlmQ長官

[32]未詳

[33]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E7%A5%90

[34]http://baike.baidu.com/view/989631.htm

[35]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/157362.htm&sa=U&ei=xmsGULu1AcnimAXYu7iNAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNH2ekz77qh4Nly8eR7Gfqn3N5kjfQ

[36]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1039918.htm&sa=U&ei=tmsGUIqzMsT-mAXUtNWNAQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNFgYQ1hcQfoVrddBG9J1DuunAHdPg

[37]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8ZdicAD333143.htm中央。

[38]主語は幽鬼。

[39]原文「有酒場官姓李者」。「酒場官」が未詳。酒を取り立てる場所に勤める役人か。

[40]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic83ZdicBD44543.htm&sa=U&ei=_z8PUP6-DIOPmQWEn4D4Bg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGOhfkquMou1vm-0QmB7p6alZfP0g官名。宋は路、州、府に、兵置き、「都」t略称_。『文献通考·官十三』「宋朝兵有路、分掌本路禁、屯戍、防、訓練之政令……州都監則以大小使臣充、掌本城屯、兵甲、訓練、差使之事、兼在城廵検

[41]原文「徐溝舊差班行監」。「班」は未詳だが、後世の「三班六房 」などの「班」で、警察の任務に当たる下役であろう。

[42]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE6ZdicAEZdicBF172562.htm皇帝の侍従官。五代の殿前承旨といい、後晋は殿直と改称した。宋の熙寧以前は左右両班の小使臣寄禄官を指した。

[43]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic9BZdic91335531.htm&sa=U&ei=UWwGUPW7J-aemQWM-JWPAQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNF8ZgsWfg33BezuGflLVaHrJsC23w漢典は「監督」と説くが、中央官が監督のため地方に臨むことであろう。

[44]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/47330.htm&sa=U&ei=liMhULjhH8-QiAeKn4CQAw&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNE8GeauYmcqHW-OAtnzWEAOHtVlKA

[45]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6ZdicB1ZdicA085857.htmの亭、水池と亭台。

[46]http://baike.baidu.com/view/44090.htmsnakehead硬骨魚綱鱸形目(Perciformes)月科(Channi-dae(Ophiocephalus)魚類総称Ophiocephalus画像検索結果

[47]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicBBZdicB4206899.htm&sa=U&ei=wSUhUKCSIufUigex0oG4DA&ved=0CBoQFjAA&usg=AFQjCNFlhnLREru5PUQ1lE74_k93cWAT5A揚州の別称。

[48]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E7%2586%2599%25E5%25AE%2581&sa=U&ei=WCYhUNe9Iu-yiQfPzIDABQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEX4qgzjSDjjed-7fx1Uci9-mWxow

[49]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicBDZdicA9216398.htm&sa=U&ei=fXkGULenCY6kiAf17rjFCA&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNGEABjvUtI0_ESyBqdtOlBiiuy3Ow

[50]原文「至於綾羅、紗錦、彩箋諸物,鬻者亦少。」。この一文、前との脈絡が未詳。とりあえずこう訳す。

[51]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/39459.htm&sa=U&ei=koEGUIjXC6eYiAf9xu21CA&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHZMeT9cC_2NvAWezw4vyvFK6xMEA

[52]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A40308.htm&sa=U&ei=xoEGUN6gBZSfiQfwyKjZCA&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNGR6OMEF6jx4a9aDRDydeDZHNES7w

[53] 文思院 の副官。

[54]未詳

[55]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1116211.htm&sa=U&ei=eCghUOTwKuuQiAew9YGACA&ved=0CBsQFjAD&usg=AFQjCNF_LTym1VWrMpLg5utpXHbkq7O2ZA

[56]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25A4%25AA%25E5%25B8%25B8%25E5%258D%259A%25E5%25A3%25AB&sa=U&ei=2CghUKLeKq6viQf2uYCoDg&ved=0CBcQFjAA&usg=AFQjCNE-DdLNL3Tkal2DbxJpwYC4LPxO0w

[57]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E9%2599%25B3%25E8%2588%259C%25E4%25BF%259E&sa=U&ei=8SghUM_dOomUiQebnoHQAw&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFVk2qH5v9VdbB8ypKl4LRV_nFfXA

[58]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1302576.htm&sa=U&ei=BSkhUPO1M7GfiAfkh4HgBA&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNGPr15B_-v71DfcI-KvMVPjkSWbeA

[59]原文「醵錢若干以賞之」。「若干」は金額を伏せている。

[60]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicA5ZdicBF186676.htm西の

[61]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE8ZdicB0ZdicAF255925.htm&sa=U&ei=9goKUPSRAoPUmAW-qKiRCg&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNELZkABOcTZzlOzEBXWuTEL9yaEZw見張りの楼のある城

[62]原文「犯譙門」。「犯」が未詳。とりあえずこう訳す。

[63]原文「開江南為郡縣」。この句未詳。とりあえずこう訳す。

[64]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/5261184.htm&sa=U&ei=hoMbUMXgPKKKmQXGmoHYCw&ved=0CB0QFjAB&usg=AFQjCNFcNqS8IDR2We0UEes0gT4jDmPQyw

[65]安江砦のことであろう。『宋史』地理志・沅州「六年、以z州新城為安江砦、富州新城為鎮江砦。」

[66]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic89ZdicBF9111.htm承制は官名。「殿承制」という語も、『宋史』に用例多数。

[67]未詳

[68]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9Zdic92ZdicA4271526.htm&sa=U&ei=QQ0KUPL1A4namAXHouWnCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGrjO--wCzVVTYP9005J6Gzz7P8KA宋代の武官名。

[69]http://baike.baidu.com/view/807126.htm#2

[70]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5Zdic8DZdic83324491.htm武官「千」の称。

[71]http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE6Zdic87ZdicB5148171.htm不明貌。

[72]南岳の神と思われるが未詳。

[73]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic89Zdic92.htm 令状

[74]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9Zdic81ZdicA5232644.htm&sa=U&ei=Z84UUL7uCuiRiQfKvYD4Cw&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNGVnE6NvzjDELaXuUAHEeYz5Wl29gいところにむかって祭礼すること。

[75]原文「懋哉幸矣」。未詳。とりあえずこう

[76]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicBBZdic84316554.htm&sa=U&ei=qcYGULXJBs7wmAXRm42PAQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNEzfztKUMcnjnlnfQHEQ-Pd791cbg皇帝詔書。黄いてするのでかくいう

[77]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/802757.htm&sa=U&ei=7zIhUMa4B4SfiAeh6oHoCg&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNEFanAbEYvM-FUi8c2QnsJvbNgJQg

[78]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/34755.htm&sa=U&ei=hnMFUOyfM8eKmQX8l5RD&ved=0CB8QFjAC&usg=AFQjCNH9dWtT9Qemzov8tdZnnOVyprfKgA

[79]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/4284211.htm&sa=U&ei=FzMhUInEAYqaiQf-44CgBA&ved=0CBoQFjAA&usg=AFQjCNGoGFa-NkJsrjAx_v8Qonfwyy5_qA

[80]未詳だが、秘書丞であろう。

[81]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/433728.htm&sa=U&ei=XzMhUMfsOfG8iAeL_IHACg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEkReWBxRY_kuIqIDviInNlZWL0lw

[82]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%25B4%259B%25E5%259F%258E&sa=U&ei=gTMhUPnUMtCciAe6poHoDQ&ved=0CCAQFjAA&usg=AFQjCNGob6_jZ6GyWQRtlb938dfmFx965g洛陽

[83]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic8EZdicBF38255.htm&sa=U&ei=tDMhUMDFGaqhiAfH5YB4&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNE8Xpxocr9QgZ3ojB9ARSyYeOMDpA長官

[84]未詳

[85]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicAFZdicBA33188.htm官署の中の佐吏。

[86]http://baike.baidu.com/view/1496610.htm

[87]http://baike.baidu.com/view/117043.htm

[88]http://baike.baidu.com/view/5189.htm

[89]http://baike.baidu.com/view/3066229.htm

[90]http://www.ctcwri.idv.tw/CTCWRID2/D2-11%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%8A%83/D211068%E6%95%95/D21106802%E6%95%95%E5%A3%87.htm敕水」とも汚れを除く儀式のようである。五代後晉張若海『玄壇刊誤論率敕壇品第十』「雲光先生曰:敕壇者、本是敕水也。降五方五龍真氣之水、解除淹穢也」。

[91] に出てくる楊郎中と同一人物と思われる。

[92]社公は土地神。老人の姿をしている。(画像検索結果

[93]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%25B2%25BB%25E5%25B9%25B3_(%25E5%258C%2597%25E5%25AE%258B)&sa=U&ei=7DYhUK37MbCXiAeGiIDoDQ&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNH6ljV28y9m8qW2R3xaRCQXRpJFjg

[94]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/3238172.htm&sa=U&ei=PjEhUOaNO8eQiQfzkYGoCQ&ved=0CB0QFjAB&usg=AFQjCNFmkyBmUqKK3fX_w8fH8uX6Xv8uoA

[95]未詳だが、中門であろう。

[96]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%2587%25B3%25E5%2592%258C&sa=U&ei=mzEhUIzgH4afiQfzhYGoCQ&ved=0CCUQFjAC&usg=AFQjCNG8Jwby-zsQdsrW3fCCPFtfMvZ5xA

[97]http://baike.baidu.com/view/111330.htm#sub5073016

[98]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE9ZdicA9ZdicAC67108.htm&sa=U&ei=w1YBUNKzEMXsmAXizqHrCQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNE5S92_5JNDwGEhtL_CyKxZI76asg官名、また官署名。政を掌る。

[99]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic86ZdicB2117492.htm&sa=U&ei=OkIBUK3xMOrUmAXd_LDrCQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNEm6wrirY4Cs1m4LYj3FbbLCOZfAAを降格させること

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