第一折
(冲末が王翛然に扮し、張千を連れて登場)老いぼれは王翛然、出仕してこのかた、郎主[1]に従い、いくたびも奇功を立てた。有り難い聖恩により、大興府府尹の職を拝命している。老いぼれは今、郎主の命を奉り、到るところで義軍を徴集しているところだ[2]。ぐずぐずせずに、馬に鞍を置き、探しにゆこう。
(詩)馬に乗り、紅塵を踏み、義軍を徴集したるなり。みづから郎主の命を承くれば、辛労を避けんとせめやは。(退場)
(正旦が李氏に扮し、外の楊興祖、楊謝祖、旦児の王春香を連れて登場、正旦)老いぼれは姓を李という。夫は姓を楊といい、亡くなって二十年あまり。二人の子がおり、上の子は楊興祖といい、年は二十五、一身に優れた武藝を学んでいる。下の子は楊謝祖といい、年は二十歳で、文藝を習っている。こちらは上の子の嫁で、春香という。かれは実家は王といい、東軍荘に住んでおり、わたしは西軍荘に住んでいる。わたしは軍戸[3]だが、夫が亡くなり、子は幼いため、ありがたいことに貼戸[4]がかわりに二十余年従軍していた。老いぼれは倅の嫁たちと麻を編み、布を織り、蚕を養い、絲を紡ぎ、辛苦して暮らすのは、生やさしいことではなかった。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】財は乏しく、夫は亡くなり、頑是なき小冤家を残せば、まるまる二十載貧しき寡婦暮らしに耐へたり。
【混江龍】今日子らは人と成りたり。かれらを見ること掌中の珠、懐中の宝のごとくしたりしに、など眼前の花となりたる[5]。一人は詩を詠み字を書くことを、一人は剣を振り撾[6]を回すことを学べり。願はくは、二人の子らが文武の藝を学びあげ、一心に帝王の家に貨らんとすること[7]。しかれども時運は拙く、苦難を受けたり。とりあへず菜に水をやり、とりあへず瓜を番して、とりあへず麦を種ゑ、とりあへず麻を栽ゑたり。他の人は甲第[8]に紛紜として膏梁に飽きたれど、われわれは陋巷に貧居して粗糲に甘んず。今日は茅の檐、草の舍なれども、やがて大纛高牙[9]をぞ勝ち得べき。
(楊興祖)母上、わたしは考えましたが、わたしたち百姓に、どのような良いことがございましょう。
(正旦が唱う)
【油葫蘆】わが子が耕種鋤刨[10]せりとも何をか恐れん。いづくにか人の嘲ることあらん。思へば先賢古聖の立身せざりしものは、
(楊謝祖)母上、昔から幾人いたことでしょう。
(正旦が唱う)一人は伊尹、かのひとは莘野で犁耙を扶へたり[11]。一人は傅説[12]、かのひとは岩牆[13]の下にて鍬鍤を持ちたりき。
(楊謝祖)かれら二人はどのようになりましたか。
(正旦が唱う)一方は中興を佐け、武丁に事へ、一方は成湯を輔け、太甲を放ちたり。(言う)この二人はもちろんのこと、
(唱う)名のなき草木は年年開き、春さればいづれの樹にか花のなからん。
【天下楽】この世にて誰かつねに貧しくひさしく富める家ならん。
(楊謝祖)母上、わたしは考えましたが、令史[14]に学んだ方がよろしゅうございましょう。
(正旦が唱う)ああ。倅や、令史に学ぶことなかれ。書読むものは功名を得て立身すべし。志を得ば高官となり、志を得ずんば措大とぞならん。
(言う)及第しないで戻ってきても、
(唱う)村学究を続くることも清く貴きことならん。
(王翛然が張千を連れ、雑当[15]を捕らえて登場)老いぼれは王翛然、聖上の御諚を奉じ、河南路に行き、義軍を徴集しているところだ。ほんとうは役人に徴集させるべきなのだが、役人が民を苦しめる恐れがあるので、老いぼれがみずから兵を徴集している。開封府西軍荘に来たところ、姓を楊という一軒の家があった。こいつ[16]はかれらにかわって二十余年間従軍している。わたしがこいつを捕らえたところ、楊家の二人の息子らは成人したので、かれらをみずから従軍してゆかせることができると言っている。おいおまえ、その話はほんとうか。
(雑当)嘘ではなく、真でございます。
(王翛然)それならば、かれの家へ連れてゆけ。
(張千)人はいるか。出てきて兵を徴集している大人さまにお会いしろ。
(楊興祖)かしこまりました。大人にお会いしにゆきましょう。(王翛然に見え、跪く)大人、わたしたちを呼ばれましたはなにゆえでございましょう。
(王翛然)おい若者よ、おまえは楊家のものか。おまえの家にはほかにどのような人がいる。呼び出してこい。
(楊興祖が正旦に報せる)母上。兵を集める王大人が入り口にいらっしゃいます。
(正旦)倅や、草堂を掃除したら、わたしがみずから接待しにゆくことにしよう。
(正旦が見える)
(王翛然)おい婆さん、あなたが西軍荘の楊家か。
(正旦)老いぼれの家でございます。
(王翛然)老いぼれは義軍を徴集していたところ、この若者を捕らえたのだが、かれは貼戸で、お宅のために二十年間従軍したと言っている。どうして代わりを求めたのだ。
(正旦が唱う)
【憶王孫】子供らが幼なかりしかば、ひとまず免除せられたり。
(王翛然)子供たちは成人した。
(正旦が唱う)今日人と成りたれば、われらがかれに代はるべきなり。
(王翛然)あなたの家は男子が多い[17]。
(正旦が唱う)男子は多きも暮らしは貧し。
(王翛然)かれはあなたの家のため、二十年従軍したのだ。
(正旦が唱う)かれはこの幾年か、寡婦孤児のためよく耐へたりき。(雑当に拝謝する)
(王翛然)おい婆さん、どうしてかれに拝礼するのだ。
(正旦)大人、兵役に服しますのはもともとわれらの家だったのですが、さいわいにこの貼戸はわれらのために二十年従軍してくださりました。今年はわれらの家が従軍する番でございます。
(王翛然)ほんとうにまじめな家だ。兵役に服するのなら、あの若者[18]を自由にしよう。おまえは自由に暮らしを営め。
(雑当)ありがとうございます。お役人さま。子供たちが従軍しなくてよいのでしたら、何も用事はございませんから、葱を売りにゆくことにしましょう。(退場)
(王翛然)おい婆さん、あなたには二人の息子がいるが、どちらの息子が従軍してゆくのだ。
(正旦)大人、どうか馬を下り、草堂に行き、お掛けください。老いぼれは二人の子供がございますから、大人が一人をお選びになり、従軍してゆかせてください。
(王翛然)おい婆さん、老いぼれは到るところで兵を集めて、一時も停まったことがない。あなたは老いぼれに馬から下りてくるように言い、草堂に行き、二人の若者のうち、一人を選んでゆけと言う。老いぼれは馬を下り、草堂に行き、すこし坐ればよいだろう。(王翛然が坐る。正旦が楊興祖、謝祖とともに叩頭する)
(王翛然)おい婆さん、老いぼれは公務が忙しいのだ。二人の若者のうち、どちらの若者を老いぼれとともに従軍してゆかせる。
(正旦)老いぼれには二人の子供がございます。礼に従い、上の子を従軍してゆかせましょう。
(王翛然)おい婆さん、あなたの言うとおりだ。わたしはあなたに従って、上の子をゆかせよう。おい若者よ、行きたいか。
(楊興祖)大人さま、わたしは楊興祖ともうし、幼いときから武藝を習っておりまする。弟は楊謝祖といい、幼いときからすこぶる詩書を読んでおります。「家は長子に頼り、国は大臣に頼る」と聞いておりまする。この軍役はわたしの家に課せられたもの、わたしが従軍してゆくべきでございます。
(楊謝祖が跪く)大人さま、わたしは楊謝祖、幼いときから書物を読み、武藝は得意ではございませぬが、大人が今日いらっしゃる前、わたしは夜に夢を見て、大人に従って出征し、夢の中で四句の気概詩を作りました。
(王翛然)覚えているか。
(楊謝祖)覚えております。朝にこちらに抄写しておきました。大人、ご覧になってみてください。わたしはまさに従軍してゆくべきでしょう。
(王翛然)写本があれば持ってきてわたしに見せろ。
(読み上げる)昨夢みるに王師は大いに出撃し、夢魂は先に浙江の東に到れり、軍百万を停めしは西湖の上、馬を立てしは呉山第一峰なりき。
ああ。この下の子にこのような気概があるのは、軍伍の中で縁起がよいこと。それならば、下の子の楊謝祖をゆかせよう。
(正旦)大人、下の子は軟弱ですから、行くことはできません。上の子を従軍してゆかせましょう。
(王翛然)おい婆さん、上の子を従軍してゆかせろと言うが、かれはどんな武藝が得意か。
(正旦が唱う)
【酔中天】上の子は幼小にして弓馬を習ひ、武藝にすこぶる熟達したり。凛凛としたる体は七尺八寸、佩くに宜しく、鎧ふに堪へたり。
(王翛然)この若者は行かせても障りあるまい。
(正旦が唱う)下の子は力も加はらざるものなれば、静かなる書斎にて閑話すべきなり。むかしより書を読む人はなど兵甲に任すべき。
(王翛然)おい婆さん、いったいどちらを行かせるのだ。
(正旦)上の子は膂力があるので、行くことができますが、下の子は軟弱ですから、行くことはできませぬ。
(王翛然)おい婆さん、上の子は膂力があるので、行くことができるが、下の子は軟弱なので、行くことができないと言うのだな。
(正旦)下の子はもとより行くことができません。
(王翛然)黙れ。この婆さんめ、あなたはもともと二人の若者のうち、一人を自由に選んでゆけと言っていた。下の子の楊謝祖は、老いぼれが兵を集めるのを夢見、四句の気概詩を作った。わたしは軍伍の中でこのような字の読める人がいれば、おおいに役に立つと言ったが、あなたはあれやこれやと言って、上の子を行かせようとし、かれは膂力があるから、行くことができるが、下の子は軟弱だから、行くことができないと言っている。わたしが思うに上の子は、きっとあなたの養子だから、可愛くないのだろう。下の子は、あなたの実の子なのだろう。「実の子は己が財」というからな。そのため行かせないのだろう。
(詩)婆さんは心に巧みな計を施し、老いぼれを面と向かって欺きて、二三たび下の子を留めんとせり。かならずや前妻の遺児ならん。おい婆さん、真を申せば、万事何事もないが、嘘を申せば、張千、大きな棒を用意せよ。
(正旦)大人、どちらも老いぼれの子でございます。老いぼれに何を言わせるおつもりでしょうか。
(王翛然)おい婆さん、話すのだ。話さないなら、大きな棒を持ってきて打つぞ。
(正旦)大哥、二哥、わたしは話そう。話すには話すが、怨まないでおくれ。
(王翛然)それみろ。わたしは前妻の遺児と言ったであろう。
(正旦)大人に申し上げます。しばし雷霆の怒りを鎮め、すこし虎狼の威を収め、老いぼれが申しあげるのをお聴きください。亡夫には生前、一人の妻と一人の妾がおりました。妻は老いぼれ。妾は康氏で、一子を生むと、一月足らずで、病によって亡くなりました。この下の子の楊謝祖は、康氏の息子でございます。二年足らずで、夫も亡くなってしまいました。亡夫は遺言し、老いぼれに康氏の子をよく世話せよと言いました。今まで十八年、忘れたことはございませぬ。老いぼれの子と同様にこの子を世話し、ひたすら夫の言葉に背きませんでした。どうして上の子だけを従軍してゆかせるのでございましょう。上の子は老いぼれの実の子ですが、戦場でもしものことがあったときには、下の子も老いぼれを埋葬することができましょう。大人、諺に、「公子が宴に登らば、酔はずんば飽き、武夫が陣に臨まば、死せずんば傷つくべし」ともうします。下の子が従軍してゆき、もしものことがあったなら、老いぼれが康氏の息子を殺したことになりまする。老いぼれは死んだ後、九泉の下でどの面提げて亡夫に見えるのでしょうか。これが老いぼれの本心でございます。どうかお察しくださいますよう。
(王翛然が驚く)お婆さん、お立ちください。それならば、老いぼれが間違っておりました。「方寸の地に香草生じ、三家の店に賢人あり」とはよくいったもの。あなたに従い、上のお子さんを従軍してゆかせましょう。軍装を調えろ。
(楊興祖)それならば、大人に感謝いたします。(楊興祖が旦児に刀を与える)妻よ、こちらへ来い。わたしの刀を、弟は何度もわたしに求めていたが、わたしはかれに与えなかった。今日は従軍してゆくが、おまえは家に戻ってゆく時、この刀を持ってゆき、弟にやれ。
(旦)楊大さま、お尋ねします。あなたがわたしに刀を下さったことを、お義母さまはご存じでしょうか。
(楊興祖)ご存じない。
(旦)義弟は知っていますか。
(興祖)やはり知らない。
(旦)楊大さま、ほんとうに粗忽なお方でございます。あなたがわたしに刀を下さったことを、お義母さまがご存じなく、義弟も知らないのなら、やがて弟が刀を帯びて出てきたときに、わたしが楊家の財産を盗んだと思われましょう。
(王翛然)誰がこのように騒いでいるのだ。
(正旦)なぜこのように騒いでいるのかえ。
(旦)この刀を、弟が何度も楊大さまに求めていたため、楊大さまは今日行くに臨んで、わたしに刀を与え、弟に与えるようにお命じになったのでございます。わたしは言いました。「お義母さまと義弟は知っていますか」と。楊大さまは言いました。「知らない」と。わたしは言いました。「知らないのなら、やがてわたしの弟が刀を帯びて出てきたときに、わたしが楊家の財産を盗んだと思われましょう」と。
(正旦)大したことではございません。大人、楊大は嫁と一振りの刀のために騒いでおります。
(旦が跪く)
(王翛然)この女は誰だ。
(正旦)楊大の嫁にございます。
(旦)大人、わたしたちの刀を、わたしの弟が何度も楊大に求めていたのでございます。楊大は今日行くに臨んで、わたしに刀を与え、わたしの弟に与えさせようとしました。わたしは言いました。「お義母さまと義弟は知っていますか」と。楊大は言いました。「知らない」と。わたしは言いました。「知らないなら、やがてわたしの弟が刀を帯びて出てきたときに、わたしが楊家の財産を盗んだと思われましょう」と。
(王翛然)ああ、この娘も賢いな。春香よ、おまえの刀を持ってきてわたしに見せろ。良いな。一振りの鑌鉄[19]の刀だ。家へ持ってゆき、弟に帯びさせよ。後日諍いが起こり、役所に来たら、兵を集めていた王翛然大人が見ていましたと言うがよい。この刀に関しては、後日わたしがおまえの証人になってやろう。
(旦)つつしんで大人のご命に従うことにしましょう。
(正旦)息子たち、酒を持て。大人、田舎のお酒は差し上げるには堪えませぬが、老いぼれの一点の敬意でございます。
(王翛然が酒を飲む)酒を持て。おい婆さん、老いぼれは到るところで兵を集めているが、人から水も飲まされたことがない。あなたは礼儀正しい人だ。幾杯か飲ませてもらおう。わたしが酒を飲み、あなたが楊興祖に何か言い含めたら、すぐに行くことにしよう。
(旦)楊大さま、お飲みください。今日、わたしの手でお酒を飲まれましたら、二度とお酒を飲まれてはなりませぬ。
(正旦)倅や、おまえは酒を飲む日があろう。(唱う)
【後庭花】志を得ば、おまへは金鑾へと上り、玉斝[20]を酌みて、宮花[21]を賜はり、鬢髪に簪すべけん。志を得ずば、老瓦盆[22]にて酒を飲み、蒺藜沙上の花[23]を見ん。
(楊興祖)母上、何か話がございましたら、仰ってくださいまし。
(正旦が唱う)人々に褒められて、天をフふる良き名声のあるを望まば、君に忠にし、よく教化して、親に孝にし、よく家を治め、師を尊びて、礼法を守るべきなり。老人は安らかにして、騒ぐことなく、若者は懐き、われらを思はん。これらのことを誤るなかれ。
(楊興祖)母上、さらにいかなるお話がございましょうか。
(正旦が唱う)
【青哥児】息子や、おまへは天に問ひ、占ふことは必要なし。人は物化の働きを受けたれば[24]、われら母子は天の涯にぞ離れたる。見れば倅は鞍に乗り、馬に跨り、袍を着て、甲を纏ひ、臂には刀を携へて、腰には箭をぞ挿せるなる。おぼえずわたしは涙はぽろぽろ麻のやう、情は牽かれり。
(楊興祖)今日は母上にお別れし、長旅せねばなりませぬ。
(正旦)倅や、旅路では気を付けるのだよ。楊謝祖、おまえは兄さんにお別れするのだ。
(楊謝祖)兄さん、旅路ではお気を付けて。
(楊興祖)弟よ、家ではよく母上をお世話するのだ。
(正旦が唱う)
【賺煞尾】上の子は戦場に赴きて、下の子はとりあへず寒窓の下にしぞある。おまへは書冊、琴嚢、硯匣を守りたれども、おまへの兄は剣洞と槍林にすみやかに突撃し、九死に一生、なまなかな事にはあらず。
(楊興祖)母上の福徳により、陣頭に行き、一戦し、功を成して、官職を得て、家柄を改めれば、母上が息子を教えた甲斐があったということでございます。
(正旦が唱う)わたしは栄華を享くるを望むこともなし。ただ願はくは、おまへの無事に家に戻らんことぞかし。(鋤を持ち、唱う)わたしが農具を調へたるはなにゆゑぞ。
(楊興祖)母上、農具を調えたのは、いったいどうしてなのでしょう。
(正旦が唱う)大哥、恐らくおまへは武は戦功を立つるあたはず、文は書札を解するなからん。
(言う)家に戻ってくれば、良田数頃、耕牛四頭がいるから、
(唱う)一つの犁と春雨に従ひて生業となせ[25]。
(正旦が楊謝祖、旦児とともに退場)
(王翛然)楊興祖、悲しむな。わたしはおまえに一通の手紙を与える。兀里不罕元帥[26]に会い、おまえの一家が礼儀正しい家であることを話せば、きっとおまえを引き立てよう。
(楊興祖)大人、大変ありがとうございます。本日はお別れし、従軍してゆきましょう。
(王翛然の詩)本日は路途で兵を徴集したり。楊家の母子は世になきものぞ。
(楊興祖の詩)帰りくるとき身に黄金の印を帯び、はじめて英雄大丈夫なるを示さん。(ともに退場)
楔子
(卜児の王婆婆が登場)老いぼれは東軍荘の人、王婆婆じゃ。娘は春香ともうし、西軍荘に嫁いで楊興祖の妻となっている。婿は従軍していって半年になる。娘の春香を家に迎えて、衣服を洗い張りさせようとして、一か月話をしたが、家に戻ってこない。わたしは今からみずから西軍荘へ、娘を迎えにゆかねばならない。
(詩)これよりは春香を迎へにゆきて、家に帰らせ旧き衣裳を拆かしめん。門と戸を閉ぢ、みづから西荘にしぞ到れる。(退場)
(正旦が旦児を連れて登場)楊大が従軍していってから、はやくも半年。親家母はしばしば手紙を寄せてきて、嫁の春香が衣裳を洗い張りしにゆくことを求めている。今はまさに農繁期、嫁や、おまえを送ってゆく人がいないが、どうしたらよいだろう。
(旦)お義母さま、義弟にわたしを送らせ、家に行かせれば、よろしいでしょう。
(正旦)それもそうだ。秀才兄さん[27]を呼んできておくれ。
(楊謝祖が登場)わたしは楊謝祖。兄さんは従軍してゆき、わたしは書斎で書を読んでいる。母上さまがお呼びだが、何事だろうか。(正旦に見える)
(正旦)倅や、親家母がしばしばおまえの義姉さんを迎えに来、家へ行かせて、衣服を洗い張りさせようとしているが、わたしは行かせなかったので、今また迎えにやってきた。いかんせん農繁期だから、送ってゆく人がいない。倅や、おまえは労苦を避けず、義姉さんを送ってゆくのだ。
(楊謝祖)他の人に命じて送ってゆかせても宜しいでしょう。母上、お考えください。義姉さんは年若く、兄さんも家にいませぬ。わたしも年若うございます。礼を弁えている者ならば、義姉と義弟を見たとて、何もしますまい。礼を弁えていない者ならば、若い男が、若い女に従っているのを見れば、嘲り笑うことでしょう。
(正旦)倅や、「父母の言葉に従うことを、大孝という」という。わたしの言葉に従って、ゆくのだよ。
(楊謝祖)母上のお言葉に、逆らおうとはいたしませぬ。義姉さんを家へ送ってゆきましょう。
(正旦)深林の端に送っていったら、戻ってきて、義姉さんをひとりで行かせればよい。
(楊謝祖)かしこまりました。
(正旦が唱う)
【仙呂】【賞花時】今まさに農繁期なれば離るることは難きなり。わたしも幾度か徘徊し、せんすべもなし。
(言う)おまえを行かせないようにしようにも、
(唱う)いかんせんわたしはかれにはつきりと約束したれば、繭、麦を収むるを待ち[28]、ただちに屋敷に送りゆくべし。
【幺篇】皓首蒼顔の老いたる母に従ひて、黄巻青灯[29]の若き秀才は、ひとまず書斎を離れたり。義弟が義姉を送るとも分に外れたることにはあらず。
(言う)山を過ぎ、屋敷を望み見たとき、
(唱う)かれをひとりでゆかしめて、おまへははやく戻りくるべし。(退場)
(旦が楊謝祖とともに行く)
(楊謝祖)義姉さん、わたしは母上に従って、義姉さんを送ってゆきます。わたしはこの包みを持って後ろに従いますから、義姉さんは先をお行きになってください。
(旦)わたしはあなたに従って、先に行きましょう。
(楊謝祖)話していると、はやくも深林の端に着いた。義姉さん、この包みはご自分で持ってゆかれませ。
(旦)義弟や、林を過ぎて、屋敷が見えたが、もう何歩か送っておくれ。
(楊謝祖)義姉さん、母の話では、この深林の端まで送ってゆけということでした。送っていって、帰宅した時、母がわたしに尋ねたら、わたしは報告しにくいのですが。
(旦)あなたの言うとおりです。どうか戻っていっておくれ。
(楊謝祖)義姉さん、親家母にはよろしくお伝えくださいまし。仕事がなければはやめに家に来、母上を心配させませぬように。義姉さん、どうぞお行きください。わたしは戻ってゆきましょう。(退場)
(浄が賽盧医に扮し、唖の梅香を連れて登場、詩)わたしは賽盧医、行ひは十分卑し。常日頃、他人の婦を拐かし、人気なきところにて夫妻となれり。
わたしは賽盧医。この府の推官の家に治療しにいったが、かれの家の梅香を気に入り、さらい出してきた。途中まで来たところ、赤ん坊を産もうとしている。かれは唖で、わたしはどうしてかれを世話することができよう。こちらで眠り、お産が済んだら手を打とう。(旦を見ていそいで起つ)ご婦人、ごきげんよう。
(旦が挨拶を返す)
(賽盧医)ご婦人、わたしには女房がおり、赤子を産もうとしています。あなたは同じご婦人ですから、ご覧になってみてください。
(旦児)取り上げの婆さんになることはできません。
(賽盧医が怒る)拒むのか。こちらには人がいないから、殴り殺すぞ。
(旦児)お兄さん、騒がないでください。見にゆきましょう。(見る、旦が慌てる)お兄さん、死んでいるではございませんか。
(賽盧医)結構、結構、おまえは現に身には刀を帯びている。わたしは元気な男だから、女房が赤子を産もうとしていたところを、一刀のもとに殺されたのなら、ただでは済まさぬ。ついてくれば、万事何事もないが、ついてゆかねば、刀を奪っておまえを殺すぞ。
(旦)兄さん、何を仰います。命をお助け下さいまし。
(賽盧医が刀を奪う)
(旦が背をむける)かれは今凶行をなしている。わたしは女でどうしてかれの相手ができよう。とりあえずついてゆき、途中に役所があるときは、かれを訴えるとしよう。楊興祖さま、あなたのせいでとても悲しゅうございます。仕方ない。わたしはあなたについてゆくことにしましょう。
(賽盧医)わたしはおまえの服を剥ぎ、持ってきて梅香に着せるとしよう。この刀で、かれの顔を切り刻み、懐に押し込もう。喋らずに、ついてゆくのだ。
(旦児)楊大さま、あなたのせいでとても悲しゅうございます。
(賽盧医の詩)この女は器量良し。わたしに従ひ、悲しむなかれ。行く手で人に出くはさば、はやめに走れ、はやめに走れ。(ともに退場)
第二折
(正旦が登場)嫁が行き、半月経つが、まったく消息がない。人が行き、かれを迎えて、家に戻らせれば良いのだが。
(卜児が登場)隅を回って、角を掠めて、こちらが楊家の入り口だ。そのまま入ってゆくとしよう。(見る)親家母[30]、お元気ですか。お元気ですか。
(正旦)親家母、お久しぶりでございます。
(卜児)親家母はなぜ約束を破られたのです。わたしの娘の春香を家に戻らせ、衣服を洗い張りさせると仰ってから、もう一か月になりますよ。
(正旦)その通り、一か月滞在させております。
(卜児)娘は来てはいませんよ。
(正旦)来なくてもいいですよ。とりあえず娘さんをあなたの家に泊めておきなさい。
(卜児)親家母、あなたはほんとうにぼけてらっしゃる。
(正旦)わたしがどうしてぼけていますか。
(卜児)親家母、わたしは一か月前にあなたに頼み、娘に衣服を洗い張りさせようとしましたが、あなたはひたすら娘を来させようとはなさいませんでした。わたしが今日みずから娘を迎えにくると、あなたはわたしの家にいると仰る。これがぼけているということでございます。
(正旦)親家母、半月前に嫁を送ってゆきましたよ。
(卜児)誰に送ってゆかせましたか。
(正旦)わたしが秀才兄さんに送ってゆかせて、半月になりますよ。お会いになっていないなら、いったいどこへ行ったのでしょう。書斎の秀才兄さんはどこにいるかえ。
(楊謝祖)わたしは楊謝祖、書斎で本を読んでいると、母上が呼んでいるから、会いにゆかなければならぬ。(見える)母上、わたしはまいりましたよ。何事にございましょう。
(正旦)楊謝祖や、わたしはおまえに義姉さんを送ってゆかせた。おまえはどこまで送っていって戻ってきたのだ。
(楊謝祖)母上のお言葉を受け、深林の端まで送ってゆきました。わたしは戻ってきましたが、義姉さんはひとりでお行きになりました。
(正旦)倅や、何かしでかしたのだろう[31]。
(卜児)親家母、簡単に分かることですよ。このひとのお兄さんが家にいず、あなたがこのひとにわたしの娘を送ってゆかせたのですが、このひとも若く、わたしの娘も若いですから、このひとはきっと娘にちょっかいを出し、拒まれたことを怒って、わたしの娘を殺したのでしょう。
(楊謝祖)ひどい濡れ衣。
(卜児)あなたは書物は知っていますが、礼節を知りません。いっしょに訴訟しにゆきましょう。
(正旦)親家母、とりあえず騒ぐのはおやめください。わたしは捜しにゆきましょう。嫁の春香や。
(卜児)娘の春香や。
(楊謝祖)春香義姉さん。(つづけて叫ぶ)
(正旦が唱う)
【正宮】【端正好】わが腹に愁へあり、わが胸に悶へあり、大限の身に臨めるに比べていかん[32]。
(言う)大限が身に臨んでも、
(唱う)両眼を閉ぢて問題にせじ。今日のこの愁悶はいづれの時に尽くべき。
【滾繍球】倅や、われら母子はぴたりより添ひ、かれといつしよに箕を簸るがごとくに捜さざるをえず。土を播き塵を揚げ得ぬことぞうれたき[33]。行き来する人、左右の隣人さへもなければ、いづこに向かひて尋ぬべき。四の野はいよよ寂しく音ぞなき。そぞろに踏めり、萋萋とした芳草の荒れたる径を覆へるを。じつと望めり、段段とした田の苗の遥けき村に接するを。
(言う)嫁や。
(唱う)かれはいづこに身を置ける。(林の前に来る)
(丑が牧童に扮し、伴哥とともに登場)伴哥、われらは牛を放ちにゆこう。
(楊謝祖)お兄さんたち、女が来るのを見ましたか。
(牧童)見ましたよ。
(楊謝祖)どこにいますか。
(牧童)深林で蛆に食われておりますよ。
(楊謝祖)お兄さん、死んでいるじゃないか。
(牧童)活きているのを見てはいませぬ。伴哥よ、関わり合いになるな。われらは戻ってゆくとしよう。(退場)
(卜児)深林の中に屍骸があるそうだ。きっとわたしの娘のだろう。わたしは見にゆくことにしよう。(見る)
(正旦が唱う)
【倘秀才】避くるを得ず、耐へ難き臭気を。見るを得ず、乱れ転がる屍虫を。怪しめり、鴉鵲が群を成し、墳を囲むを。屍骸は腐りたれども、袂はなほも存したり。見ればいささか血痕を帯ぶ。
【滾繍球】わたしはこちらで孜孜として見て、悠悠[34]と魂を脅かす。
(楊謝祖)母上、どうして恐れてらっしゃる。
(正旦が唱う)倅や、いかで悲しまざるを得ん。いかにせしにや、女を送りし有能な役人よ[35]。
(卜児)死んだのはわたしの娘。
(正旦が唱う)嫁や、おまへは心は純朴、気は温和、望夫石[36]とは寸分も違ふことなし。これこそはなが墳台を築く土を包みし羅裙。半丘の黄土に誰か骨を埋めん[37]。青山に上りて化身するがごと[38]。なが芳春もむなしくなれり。
(卜児)これ以上何を話しましょう。娘はもはやいませんが、清廉なお役人はいらっしゃいます。いっしょに訴訟しにゆきましょう。
(浄が孤に扮し、丑の令史、張千、李万とともに突然登場)
(孤の詩)本官は巩といひ、あらゆることを理解せず。役人なれど、利を吸ひてごまかしをせり。
本官は当地の推官巩得中、一つには城外に行き勧農するため、二つには梅香が見えぬため、わたしは今から行って捜してみるとしよう。儀仗を列ね、ゆっくりと行け。
(卜児が跪いて告げる)ひどい濡れ衣でございます。
(孤)おまえは何を訴える。
(卜児)人命事件を訴えます。
(孤)令史よ、はやく家へ行こう。かれは人命事件を訴えているぞ。わたしを煩わせるな。
(令史)推官さま、大丈夫でございます。わたしはおのずと考えがございます。
(孤)わたしはおまえに従おう。張千、馬を繋ぐのだ。
(令史)推官さま、馬をお下りになって、裁判を処理なさってください。張千、卓を借りてこい。推官さまがお坐りになる。張千、あの者たちを連れてこい。(衆を連れてきて跪かせる)
(孤)令史よ、おまえは屁を放らなかったか。
(令史)いいえ。
(孤)嗅いでみよう。ほんとうにおまえではないな。ああ、深林にある死骸の臭いだったのか。令史よ、おまえはかれに尋ねろ。わたしは喋らないから。
(令史)推官さま、とりあえずあちらにいらっしゃってください。あなたにかわって尋ねましょう。おい婆さん、この死骸のために訴えるのか。
(卜児)まさにこの死骸のためでございます。
(令史)誰が遺族だ。
(卜児)ばばあが遺族でございます。
(令史)おい婆さん、訴え事を話すのだ。
(卜児)大人、憐れと思し召されませ。老いぼれは東軍荘の人、姓を王といい、娘は春香ともうします。
(令史が怒鳴る)黙れ。老いぼれが訴え事をしているが、両の唇はぺちゃくちゃと馬の尻の穴のようだ[39]。わたしには七本の脚、八本の手はないぞ。ゆっくり話せ。
(卜児)大人、憐れと思し召されませ。老いぼれは東軍荘の人、姓を王ともうします。わたしには娘がおり、春香ともうし、西軍荘の楊興祖に嫁いで妻となりました。この婆さんの上の子でございます。楊興祖は従軍してゆき、義弟の楊謝祖は、何度も娘にちょっかいを出し、拒まれますと、わたしの娘を連れてゆく途中で殺したのでございます。大人、わたしにお味方してください。
(令史)おい婆さん、この死骸がそれか。
(正旦)衣服は嫁のものですが、死骸はわたしの嫁のものではございません。
(令史)どうして衣服は嫁のもので、死骸は違うのだ。話して聴かせよ。
(正旦が唱う)
【倘秀才】鴉鵲に顔を啄まれ、狼狗に脚を咬みきられたれど、おのが娘のことなれば、わが目には間違ひなからん。
(孤)わたしに従いひたすら打て。
(正旦が唱う)お役人さま、お怒りになりませぬよう。令史さま、お怒りになりませぬよう。ひとまずわたしがゆっくりと議論するのをお聴きください。
(令史)おい婆さん、人命事件で、何を議論しようとするのだ。
(正旦が唱う)
【滾繍球】人命事件は、假のあること多く、真と限らず。
(令史)ぜひとも調べ上げましょう。
(正旦が唱う)問ふ時は、ゆつくりすべし、急ぐべからず。なにゆゑぞ事情を調べ、幾たびも問ひ質したる。これも事情の曖昧にして見分け難きを恐れたるのみならん。
(正旦が唱う)なんぢの牙爪[42]の威をな恃みそ。
(令史)わたしの筆は、人をたちまち殺せるのだぞ。
(正旦が唱う)弄ぶことなかれ、あなたの筆の力の強きを。
(令史)わたしの筆は刀よりさらに鋭い。
(正旦が唱う)なが筆先は鋭きこと刀刃のごとければ、人を殺さば甦ることはなからん。「鐘を聞き、はじめて山の寺を隠したるを悟り、岸に到り、はじめて水の村を隔てたるを知る[43]」とこそまうしたれ。無実の人を不当に取り調ぶるなかれ。
(令史)張千、このものを打ち、あの死骸を認めにゆかせろ。
(孤)そのものを打つな。打ち殺したら、命を償え。
(正旦が唱う)
【叨叨令】天に関はる人命事件は、お役所が問ひたまふべし。なにゆゑぞ検屍もせずに遺族に認めしめんとせる。今、雨は淋漓とし、おりしも暑月。屍骸はすつかり腐り、ことごとく蛆と螬の糞となりたり。わたしはまことに認め得ず。わたしはまことに認め得ず。などて以前の有様とすつかり変はれる。
(楊謝祖が刀を持つ)母上。兄さんの刀ではございませんか。
(正旦)倅や、見てはいけないよ。
(令史)推官さま、ご覧になりましたか。死骸の脇に一振りの刀が置かれていましたが、この若者はそれを見て、すぐに慌てておりました。あきらかにこの若者が兄を欺き、嫂を殺したのです。おい婆さん、この刀はおまえの家のか。
(孤)持ってきて見せてくれ。なかなか良い刀だな。わしにくれ。梨を切って食べるのによいな。
(正旦)刀は嫁のもの、服は嫁のものですが、死骸はわたしの嫁のものではございません。
(令史)おい婆さん、あなたの嫁は生きていたとき、どのような顔をしていた。
(正旦が唱う)
【四煞】わが嫁は、顔に紅粉を塗り、いと嫩らかく、眉は青山をば画き、顰むるに慣れしことなし。瑞雪のやうな肌膚は、暁花のやうに豊かにて、楊柳のやうな腰付は、秋水のやうに麗しかりき。白き皓歯に、小さき朱唇、黒き烏雲。こなたは城より遠からざるに、なにゆゑぞ、検屍人らを呼びよせて、じつくりと調べしめ、事情を報告せしむることなき。
(令史)おい婆さん、わたしに検屍しろと言うが、この夏の気候では、どうして調べることができよう。検屍はできない。
(正旦が唱う)
【三煞】濃き醋を撒きて戒[44]と潤すべし、粗き紙を被せて款款[45]と温むべし[46]。なにゆゑぞ凶行をなす。なにゆゑぞ諍ひをなす。なんぴとの謀なる。なんぴとか目撃者なる。文書に従ひ[47]、全身の垢を洗ひて痕を捜すべし。はじめて調ぶる時に審問することなくば、ふたたび調ぶる日にいかに処置すべき。
(令史)黙れ。この婆さんはほんとうにむちゃくちゃだ。わたしは法を管掌する人であるのに、わたしに検屍しろというのか。おまえも存じておろう。春正月、夏四月、秋九月、冬十月が検屍の時だ[48]。今はまさに六月で、雨も何度も降り、暑気は蒸し、蛆虫は這い回り、筋骨は崩れ落ち、眉目は見分け難く、爪髪は抜け、検屍するのは難しい。張千、おまえは城内に行き、上手な丹青を呼んできて、死骸の通りに絵図を画かせ、この婆さんに署名させ、死骸を運んでいって焼け。屍体の絵図に従って訴訟しよう。死骸は焼いてくれ。
(正旦)焼いてはなりませぬ。
(令史)どうして焼いてはいかんのだ。
(正旦が唱う)
【二煞】屍体を絵図となすくらゐなら、屍の状態を慣例に従ひて申すべきなり。たとひ死骸は傷はれ、爪髪は抜け、筋骨はこぼれ落ち、眉目は見分け難くとも。
(令史)検屍できないことは明らかだ。わたしはおまえに配慮しているのだ。とにかく死骸を運んでいって焼け。
(正旦)焼いてはなりませぬ。焼いてはなりませぬ。
(唱う)あなたは言へり、検屍することは難ければ、遺族に配慮し、焼くを許すと。わたしは思へり、殯する方が宜しと、ひとまず遺し、冤罪を裁き、清濁を弁ずべきなり。
(令史)はやく焼け。
(正旦)焼いてはなりませぬ。(唱う)
【煞尾】検分し難き死骸を焼きて灰燼とせば、証拠なき案件は真のことと見なされん[49]。
(令史)日が暮れたから、この者たちを役所へと連れてゆけ。(楊謝祖を護送する)
(正旦が唱う)明日になりなば急煎煎[50]と嫁の実家は告訴すべけん、悪[口音欠][口音欠][51]たる曹司らの罪をきびしく責むるにいかで得耐へめや。実呸呸[52]とした訴へ事は信頼せられず、碜可可[53]と人を殺めしことを承認するを求めん。生剌剌[54]たる拷問をもて不当に調べ、粗滾滾[55]たる黄桑[56]をもて腿を杖うち、硬邦邦たる竹簽をもて指を締め[57]、紇支支[58]とした麻縄をもて脳門を縛らん。直挺挺[59]と法廷で悶へ気絶し、哭吖吖[60]とつづけて助けを求むべし。冷丁丁[61]とせはしなく水を噴きかけ、雄赳赳[62]たる下役の手脚は荒きことならん。その時は軟怯怯[63]たる倅の命は損なはるべし。(退場)
(令史)推官さま、この人命事件は、ただごとではございません。とりあえず役所に行って、ゆっくりとかれに尋ねることにしましょう。
(孤)令史よ、この件ではご苦労だった。張千に一壺の焼酎を買いにゆかせて、おまえに飲ませることにしよう。(ともに退場)
第三折
(孤が令史、李万とともに登場)(孤の詩)役人となりひたすらにお金を愛し、原告被告を問ふことぞなき。上司が裁きに来んときは、法廷で打たれて狗のごとく叫ばん[64]。
本官は勧農し、夜、家に戻ってきた。訴えごとをした者たちを、連れてきてくれ。令史よ、すべておまえに任せる。わたしはひたすら喋らないから。
(令史)推官さま、あの婆さんはどうしても死骸を認めようとしませぬ。ぜひとも調べ上げましょう。あの者たちを法廷に連れてくるのだ。
(張千が悲しんでいる正旦と楊謝祖を護送して登場)
(正旦)ああ、このような冤罪があろうとは。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】天道はいかがせしにや。なにゆゑぞ善人がかやうなる汚辱を受くる。人命事件はほかの事件の比にあらず。清官がなく、良吏がなくば、わたしは誰に訴へん。活計は貧しきに、お金がなくてはならぬ事件にでくはせり。
【酔春風】ああ。この冤罪はいつ雪がれて、憂へはいづれの日にか晴るべき。わたしの雪か霜に似た白髪首さへ遺すを得なば、倅や、それはほぼ福、福なるぞかし。訴訟して、痛苦を嘗めて、恥辱を受くることならん。(跪く)
(令史)あの婆さんは、狡くて良くない。とやかく言って、死骸を認めようとせぬ。婆さん、あなたは間違っていた。こいつに嫂を送ってゆかせるべきではなかった。あきらかに、嫂にちょっかいを出し、拒まれたため、あなたに知られるのを恐れ、殺したのだろう。ほかの男に頼み、送らせていたならば、こんな訴訟はなかっただろう。
(正旦が唱う)
【迎仙客】他の人に頼まんとしたれども、工夫はなかりき。農繁期なりしかば、とにかくにせんすべをなみ、下の子をして逆らふことをなからしめたり。ぢかに頼みて、嫂を途中まで送りて戻りきたらしめ、嫂をひとりにて行かしめたりき。
(令史)若者は嫂と不和だったか。
(正旦が唱う)
【紅繍鞋】かねてより睦まじかりき。
(令史)婆さんめ、嫁を嫌っていたのだろう。
(正旦が唱う)嫁姑も諍ひなかりき。
(令史)若者は劣情を催して、嫂を殺したのだろう。
(正旦が唱う)劣情を催すなどといふことは、すこしもなからん。
(言う)大人、
(唱う)あなたは明鏡を持ち、秋月を懸け[65]、肝胆を照らし、虚実を察し、われら無実の人たちによろしく味方したまへかし。
(令史)推官さま、この若者は母親がこちらにいるので、とやかく言って、自白しようとしないのでございます。わたしがこの婆さんを遠ざければ、この若者はどのみち自供するでしょう。おい婆さん、息子が人殺しでないことを保証できるか。
(正旦)わたしの息子なのですから、どうして保証できないことがございましょう。
(令史)司房に行って署名して、あなたの息子を連れ出してゆけば、良いではないか。
(正旦)老いぼれは署名するのはもちろんのこと、等身図[66]もあなたに描いてやりましょう。
(楊謝祖)母上、行かれてはなりませぬ。わたしは打たれてしまいます。
(正旦)令史どの、老いぼれが行った時、倅を打ってはなりませぬ。
(令史)打たないよ。(また戻る)(令史)おい婆さん、二度も三度も、行こうとせぬなら、わたしもあいつを打とうとするし、あんたもかれを守ることはできないぞ。
(正旦)倅や、わたしは行くが、打ち殺されても、白状してはならないよ。(正旦が退場)
(令史)下役よ、門を閉じろ。おい若者よ、白状しろ。
(楊謝祖)わたしに何を白状させるのでしょうか。
(令史)打たねば白状せぬのだな。とにかく打て。(打つ)
(楊謝祖)ほんとうに知りませぬ。どのように白状させるおつもりですか。
(令史)おい若者よ、来い。教えてやろう。こう言うがよい。母はわたしに命じて嫂を送ってゆかせようとしました、わたしは人がいない所にやってきますと、嫂にちょっかいを出しました、嫂は拒みましたので、わたしは刀を抜き出して、脅かして姦通しようとしましたところ、嫂はかたくなに拒みました、わたしは抜いた刀をすぐには鞘に入れられず、嫂を殺してしまったのですと。兄を欺き、嫂を殺したことを自白すれば、二三日したら、人におまえを保証させ、出てゆかせよう。
(楊謝祖)それならば、あなたがわたしにかわって白状してください。
(令史)わたしとは関わりない。おまえのために白状しろだと。張千、打て。(打つ)
(楊謝祖)どの面提げて母上にお会いできよう。兄さん。とても悲しゅうございます。
(正旦)息子を打っているのではございませんか。
(祗候)おまえの息子を打っているのではない。ほかの取り調べをしているのだ。
(正旦)兄さん、わたしの息子を打っています。
(祗侯が遮る)行ってはならぬ。ほかの取り調べをしているのだ。
(正旦が唱う)
【普天楽】虐待を受け、凌辱に遭ふ。この棍棒に情はなきも、わが子の体は限あるなり。
(祗候が叫ぶ)楊謝祖よ、目を覚ませ。
(正旦が唱う)君見よや、頭髪を引き、姓名を呼び、冷水を噴き、形容を汚すを。打たれて心は痛みたるらん[67]。われはいかでか声を放ちて哭かざらん。諺に言ふ、「なすならな避けそ、避くるならななしそ[68]」と。
(正旦がすり抜けて跪き、唱う)わたしは死んでもかまいませぬ。
(令史)張千、あいつを連れてこい。おまえに門番させたのに、どうしてあいつを来させたのだ。
(孤が怒り、祗候に怒鳴る)打て。
(令史)おい婆さん、喜べ。人殺しが分かったぞ。
(正旦)令史どの、その人殺しはどちらにいますか。
(令史)おまえの息子がわたしに話した。かれが言うには、嫂を送って戻ってゆくときに、ちょっかいを出したが、かたくなに拒まれたので、たちまち刀を抜き放ち、殺したということだ。兄を欺き、嫂を殺したことを自白したのだ。
(正旦)令史どの、あなたの家ではそのようなことがございましょう。
(令史)おまえの家でこのようなことがあったのだ。
(孤)わたしの家ではあるぞ[69]。
(正旦が不平を鳴らす)人命事件は天に関わり地に関わります、検屍しないで、どうして訴訟ができましょう。
(令史)死骸が腐り、検屍するのが難しいことはさておき、現に衣服と刀があるのが罪の証だ。
(正旦が唱う)
【上小楼】屍体は腐れば検視することは難しと言ひたれど、焼かば姿はなくならん。遺族を呼びて、はつきりと審問せりと言ひたれど、罪証は衣服に過ぎず。事件はありしやなかりしや、いづれにしても疑獄なり。とりあへず審問を止め、幾たびも思慮すべきなり。
(令史)息子が人殺しでないことを保証できるか。
(正旦)令史どの、わたしの子供をわたしが保証できないはずはございませぬ。
(令史)馬鹿婆め、おまえが息子を東へ行かせようとしたとき、息子が門を出て西へいったら、おまえはどうして知ることができるのだ。
(正旦が唱う)
【幺篇】地に種まくに、持主に勝るものなし。子を知るは、母親に勝るものなし。わが子が王条をば犯し、法度に違ひたるならば、わたしはすぐに手紙を送り、来らしめ、命をば償ひにゆかしめん。ほかに訴ふることはなし。母たるわたしをいつしよに殺し、嫁に償ひさせたまへかし。
(令史)おい婆さん、自供書は本物なのだ。どうして許すことができよう。
(正旦が不平を鳴らし、唱う)
【満庭芳】このやうに濡れ衣を着せられて、懸命に三文銭のしがなき命と、半百歳の微躯を捨てんとしたるなり。
(令史)婆め、おまえはどうするつもりだ。
(正旦が唱う)あなたがた大小の諸官府の、おしなべて愚鈍なることをぞ責め立てんとせる[70]。聡明にして正直な腹心はなく、縛り、掻き、吊るし、打ち、白状せしむるばかりなり。囚人をあれこれ縛り、打ちてたちまち殺すなり。ああ、これこそはあなたがなしたる必死の努力。
(令史)おい婆さん、あなたは田舎の婦人なのだから、法度など分かるまい。
(正旦が唱う)
【耍孩児】主なき貧しき村婦のわれをな見くびりそ、一言事情をお答へせん。わたしの倅は幼きときより儒学を学び、温良恭倹、誰かは勝らん。わたしの倅は一歩を進めばかならずや周公の礼に適ひて、一語を発せば孔聖の書を談ずべし。わたしの息子は塵俗の者の比ならず、いかでかは兄を欺き罪過を犯し、嫂を殺し凶徒とならん。
(令史)あの若者は、打ちもせぬのに、自供したのだ。
(正旦)あなたのように打つならば、白状をせぬはずはございません。ただし、白状するにはしても、人心は服していません。(唱う)
【五煞】人は死になば甦らず、弦が断たればなどてかはふたたび続がん。むかしから疑がはしくば寛大に恕すべきなり。取り調べして作りし文書は動かし難きものなれど、でつち上げたる訴状はしよせんは虚ぞ。官員たちは不当に皇家の禄を請ひ、おしなべて無辜をぞ陥るるなる。
(令史)おい婆さん、あなたは訴訟するのに慣れた、狡く良くない人間だ。
(正旦が唱う)
【四煞】麻縄で縛り、竹簽[71]を用ゐ、頭棍[72]を打ち、脳箍[73]を嵌めり。「父母は同じ皮骨」なりといはずや[74]。石をもて刻みたる骨節も槌をもて敲き砕かれ、鉄をもて鋳たる皮膚も焼かれ枯れたり。打たるればいささかの針を刺す処さへなし。はじめて信ぜり、人心は鉄のごときも、あなたがたお上の法も炉のやうなるを[75]。
(令史)おい婆さん、あれこれ言って、とてもけしからん。わたしはおまえを恐れぬぞ。かれが人を殺したのだ。
(正旦が唱う)
【三煞】言ふなかれ、あばずれの婆さんに訴ふる処はなしと。清耿耿たる龍図に勝る[76]人はゐるべし。大股でまつすぐに中都[77]への路を行くべし。見よやわたしは叩頭し、訴状を書きて都省[78]に呈し、涙を零し、怨みを含み、怨鼓[79]を叩かん。
(令史)訴えるときは、誰を訴える。
(正旦が唱う)開封府にて、令史らが片手落ちにて、官長たちが愚かなことを訴へんのみ。
(令史)枷を持ってきて、この若者を枷に掛け、死囚牢へと下すのだ。この婆さんは役所で待機させるのだ。(楊謝祖を枷に掛ける)
(孤)軽い枷に掛けるな、百二十斤の枷を持ってきて掛けるのだ。
(正旦が唱う)
【二煞】あきらかに目で見つつ、ひそかに心で苦しめり。重き枷なれば項を回すことこそ難けれ。枷止めを深く釘もて打ちつけて[80]、井口に狭く封印を貼りつけり[81]。母はあたかも刀もて腸肚を攪さるるがごときなり。後を望めば推さるるに耐へられず、進まんとすれば引かれり。
【尾煞】叫びつつ倅はいたく悲しみて、哭きつつ母はいたく慌てり。倅を死にし羊のやうに引きながら牢の中へ奔りゆく[82]。
(叫ぶ)ひどい濡れ衣。ひどい濡れ衣。
(唱う)怒りに咽喉を塞がれて、怨みを叫び出しえず。(退場)
(令史)推官さま、あの婆さんは死骸を認めようとしませんが、今や罪証は揃っており、楊謝祖もいいかげんに自白しましたので、まもなくこの件は結審しましょう。
(孤)令史よ、それはご苦労だった。今度新任官が着任するから、やはり準備をせねばならぬぞ。
(詩)これこそは「毒を食らはば皿まで」ならめ。文書を作りて死囚となさん。新任官が来て斬の字を標しなば、その時はじめてわれら二人に権謀のあるを信ぜん。(ともに退場)
第四折
(浄の賽盧医が棍棒を持ち、水桶を担いだ旦児を連れて登場)
(賽盧医)わたしは賽盧医。この女をさらってきたが、どうしてもわたしに従おうとせぬ。ただではすまさぬ。昼間は五十の棍棒、晩になっても五十の棍棒、毎日かれに水を汲ませ、畦に注がせ、苛め殺そう。春香よ、今から酒を飲みにゆくが、戻ってきたら打ち殺すからな。(退場)
(旦児)あの賊はわたしをさらってきてからは、わたしが従わないために、朝に打ち、暮に罵り、わたしに水を汲ませて畦に注がせている。訴えたいが、逃げ出せない。このようなことになり、どうしたらよいだろう。
(楊興祖が従者を連れて登場)わたしは楊興祖。母上にお別れしてから、王翛然大人の一通の手紙を得、兀里不罕元帥にお目通りした。書状を見おわると、元帥さまはとても喜び、わたしを散軍にせず、軍を率いる頭目となされた。先祖の余蔭により、陣頭に行き、三本の矢で功を成し[83]、金牌上千戸[84]となった。わたしはこのたび元帥さまのもとで、暇を取り、家に母上を訪ねてゆく。兵卒よ、遠くに井戸がある。女の水桶で、わたしの馬に水を飲ませろ。
(旦が見て驚く)楊大さまではございませんか。
(楊興祖)妻ではないか。
(旦児が哭く)
(楊興祖)妻よ、どうしてこちらに来ている。
(旦児)あなたが従軍してゆかれてから、わたしの実家はわたしを迎えて衣服を洗い張りさせようとしたのです。義弟はわたしを途中まで送り、家に戻ってゆきました。ところがわたしは賽盧医とかいう悪者に出くわしました。かれはわたしに妻となることを強要し、従わないと、朝に打ち、暮に罵り、わたしに毎日水を汲ませ、畦に注がせているのです。今日はさいわいあなたにお遇いすることができました。苦しみを受けている春香にお味方してくださいまし。
(楊興祖)そのようことがあったのか。その賊はどこだ。
(旦児)すぐに来ましょう。
(賽盧医が突然登場)今しがた酒を飲み、戻ってきたが、女は水を汲んでいないぞ。
(旦)楊大さま、賊が来ました。
(楊興祖)兵卒よ、こいつを捕らえてくれ。尋ねてみよう。
(賽盧医を捕らえ跪かせる)
(楊興祖)おいおまえ、この女は誰だ。
(賽盧医)わたしの妻でございます。
(楊興祖)わたしの妻だ。なぜさらってきた。
(賽盧医)あなたの奥さまだったのですか。それならば、そっくりそのまま、あなたに送り返しましょう。
(楊興祖)こいつはむちゃくちゃだ。良民の妻を拐かすとは。開封府庁に連れてゆき、王翛然大人にお会いしにゆこう。(ともに退場)
(王翛然が張千、李万を連れて登場)
(王翛然の詩)王法は条条ありて貪官をしぞ誅したる、官たるものが清廉ならば万民は安らかならん。民間に冤罪あらば、勢剣と金牌をとくと見よかし。
老いぼれは大興府尹の王翛然。兵を集めて戻ってきてから、しばしば官位を加えられ、勢剣と金牌を賜わって、先に斬り、後に奏して、貪官汚吏をみずから調査し、孝子順孫を訪問している。今日はこの河南府に、囚人を取り調べ、裁きしにきた。わたしは西軍荘の楊氏一家が礼儀正しかったため、郎主のもとに保奏[85]して、郎主の命を受け、あの一家に封贈しにゆくことにした。いかんせん囚人を取り調べ、裁きするのは、国家の大事、間違いをするわけにはゆかない。とりあえず囚人を取り調べ、裁きしてから、楊家に封贈しても遅くはないだろう。本日は登庁したが、当番の令史はどこだ。
(張千)当番の令史はどこだ。
(令史が登場、会う)
(王翛然)令史よ、おまえは存じているか。わたしは郎主の命を奉じて、囚人を取り調べ、裁きして、自由に事を処理している。わたしは勢剣金牌を持ち、先に斬り、後に奏している。おまえの文書にすこしでも間違いがあったときには、先におまえのそ首を切ろう。文書を持ってまいるのだ。
(令史)かしこまりました。まずはこの文書を、大人にご覧になっていただきましょう。(令史が文書を渡す)
(王翛然)どんな文書だ。
(令史)これは巩推官が調べ上げたものにございます。楊謝祖が兄を欺き、嫂を殺したのでございます。
(王)その名をわたしはどこかで聴いたぞ。(考えてはっと気付く)ああ、そうだ、そうだ、あの西軍荘の楊家の下の子、楊謝祖だ。令史よ、おまえは調べ上げたが、罪証は揃っているのか。
(令史)揃っております。罪証はございます。(令史が刀、衣服を渡す)
(王翛然)これが凶行に使った刀か。(刀を見る)この刀は以前見たことがあるぞ。(考える)あの若者はなぜこの罪を犯したのだろう。思うに天下にはたくさんの同姓同名のものがいる。本人であろうと他人であろうと、その楊謝祖を出してきて、尋ねよう。(張千が枷を帯びた楊謝祖を連れて登場)
(令史)張千、あのものたちを法廷に連れてまいれ。
(楊謝祖が跪く)(王翛然)おい若者よ、面を上げよ。
(楊謝祖が顔を上げる)
(王翛然が驚く)あきらかにあの下の子だ。以前かれら一家に封贈[86]しなかったのはさいわいだった。わたしはむかしこの一家の礼儀正しいことを上奏しようとしたが、今日はこいつは十悪大罪[87]を犯した。郎主が知ったら、わたしは以前不適切な保奏をしたことにより罪を得てしまうだろう。人にはやはり目の行き届かぬ所があるのだ。おい若者よ、おまえはどんな尽きせぬ訴え事があるのだ。わたしのもとで訴えれば、わたしはおまえに味方しようぞ。
(謝祖)わたしたちは西軍荘の者でございます。
(令史が口を挟む)西軍荘の人で、兄は楊興祖、弟は楊謝祖、兄が従軍していったとき、弟は嫂にちょっかいを出し、拒まれたため、嫂を殺したのでございます。
(王翛然)誰がおまえに尋ねた。おい若者よ、おまえが話せ。
(楊謝祖)西軍荘の者でございます。
(令史)西軍荘の者でございます。
(王翛然)張千、引きずり出せ[88]。かれの口に板を含ませ、吊り下げて打て。おい若者よ、おまえが話せ。
(楊謝祖)西軍荘の者でございます。
(令史も口を挟む)
(王翛然)張千、こいつを打ってくれ。(令史を打ち、さらに板を含ませる)
(楊謝祖が訴える)大人に申し上げます。お怒りをお鎮めになり、くわしく事情を申しあげるのをお聴きください。同じ父母からわれら兄弟二人は生まれ[89]、高齢の母を世話しておりました。さらに嫂春香がおり、四人家族でございました。王翛然大人はみずから兵を集めにこられたのですが、わたしの同居者のところに来られ[90]、かれは二十余年貼戸となっていたのだから、今年はおまえが従軍するべきだと言いました。わたしの兄は従軍し、わたしは書斎で相変わらず勉強しておりました。親家母はわたしの母を訪問し、暇を取り、かれの娘を実家へ行かせようとしました。その時は五月の中旬、ちょうど農繁期で、嫂を家に送りかえす人がいませんでしたので、書斎へわたしを呼びにきました。母は深林の端まで送ったら、戻ってきて、嫂をひとりで行かせるようにと言いました。半月十日たらずで、親家母はまた訪ねてきて、娘は家に来ていないと言い、わたしの母は驚いて進退窮まってしまいました。親家母はわたしと言い争い、いっしょに捜しにゆかねばなりませんでした。かれら二人は前を行き、わたしは後ろからついてゆきました。わたしたちと連れだってゆきましたが、見付かりませんでした。牛を放っている牧童に会いましたので、かれに行く手のことを尋ねました。かれは深林の中に女がいるが、どうして死んだのかは知らないと言いました。親家母は顔を見ますと、わたしたちと役所で争おうとしました。たまたま勧農しているお役人さまに出くわしましたが、お役人さまは弁明をすることを許さず、わたしを吊り、打ち、縛り、掻き、針を刺す場所さえもないありさまでした。すべてこの令史の言葉に従って、いいかげんに自供書を取りました。今でも監獄に入れられておりまする。どうか大人、お考えくださいまし。わたしたちは筆を取っても腕が震えるのでございますから、刀を提げて手荒なことをしようとはいたしません。むりにわたしに兄を欺き、嫂を殺したという罪名を押しつけたのでございます。大人、ほんとうに濡れ衣でございます。
(王翛然)法律の趣旨は深遠だが、人情は推しはかるべきだ。重罪犯らの両の涙は枷と鎖に滴って、地上に零れ落ち、まっすぐに九泉に届く。その地には一草を生じるが、それは感恨草[91]といい、種を結べば、梧桐の種ほどの大きさで、刀では砕くことができず、斧では切ることができない。天地には私心がなく、顕報[92]はこのようなものなのだ。われらの役所は鍋竈と同じ、囚人は鍋の水、下役は柴や薪、令史は鍋蓋のようなもので、柴や薪で爨がれるのには耐えられない。鍋の水は蓋を被せられ、沸き返るが、蒸気を出すことができず、水滴となり、鍋蓋に滴るのだが、これは囚人が怨みを含んでむなしく垂らす涙と同じだ。
(詩)涙は枷に滴りて恨みはすでに深きなり、怒りは胸と腹に隠され、苦しみこそは禁じ難けれ。口は語らず両の涙は滴りて、怨みを含む心を示せり。
この文書は前任官が調べ上げたものだが、准伏[93]はあるか。
(令史)准伏はございません[94]。
(王翛然の詞)人を刑するときは、遺族の准伏あらば、はじめて罪を定むるを得ん。この若者は府庁の前に跪き、眼中の垂るる涙をせきあへず。かれはもとより寒儒にて、などかは十悪大罪を犯すべき。はじめて信ぜり、日月は明るきも、伏せたる盆の内を照らさず。なにゆゑぞふたたび調ぶる。人命は天に関はり地に関はると言はざるや。
張千、ひとまず罪人を連れてゆけ。わたしはふたたび尋ねよう。
(張千が楊謝祖を連れてともに退場)
(令史が慌てる)李万を呼んでこよう。
(李万が登場)兄さんがわたしを呼ばれましたのは、いかなるご用にございましょう。
(令史)李万よ、良き弟よ、この紙と筆を持ち、どこであろうと、楊謝祖の母親を捜しだし、騙して署名させるのだ。あの若者を殺せば、この訴訟も終わるだろう。
(李万)一枚の紙を持ってゆき、あの婆さんを騙して署名させるのですね。あなたのお家も良いお子さん、良い娘さんを産んだものですね[95]。人の命は天に関わるといいますよ。かれを騙して署名させ、かれの子供を殺したら、わたしがかれを殺したということですよ。令史さま、よくもこのような良いことをなさいますね。行くことはできません。
(令史が怒る)こいつめ無礼な。張千よ。
(張千が登場)兄じゃ、わたしを呼んでどうなさいましたか。
(令史)行って楊謝祖の母親を騙して、署名させ、あの若者を殺してしまえば、この訴訟も終わるだろう。そのあとは良い仕事を与え、何度も世話してやるとしよう[96]。
(張千)兄じゃ、おやすいご用です。これも役所の仕事です[97]。行ってあの婆さんに署名させましょう。兄じゃ、とにかくご安心くださいまし。
(令史)良い弟よ、はやく行き、はやく来るのだ。
(張千が退場)
(李万)張千よ、お金がこんなに役に立つのか[98]。令史がわたしに命じたときは、わたしは行こうとしなかったのだが、おまえは行こうとするのだな。張千、おまえの家も良い子、良い娘を産んだものだな。おまえが役所を出る時、わたしは表通り、裏通りを繞り、先にあの婆さんを捜して、かれが死んでも署名せぬようにさせよう。「人生はいづこも福を積む処[99]」だからな。(退場)
(正旦が登場して痛哭する)楊謝祖や、おまえのせいでとても悲しい。(唱う)
【双調】【新水令】二人の子のため、一日に涙は千行、点点とわが胸にしぞ滴れる。思ふに従軍せるものは戦場に行き、牢獄に坐したるものは刑場に赴けば、わたしは焦りて肝腸を寸断せられり。この老骨を誰をして葬らしむべき。
【駐馬聴】中年で孤孀となりて、老年に臨めばさらに絶命方を施されたり[100]。一家が災禍に遭ひたるは、前生で断頭香[101]を焚きたればにや。
(言う)半夜前後に、
(唱う)罪を犯ししものは赦免し、牢屋を出でしめ、軍に従ひたるものは釈放し、故郷に還らしむるを聴く。
(言う)大哥ではないか。二哥ではないか。頭を抱いて哭こうとし、
(唱う)覚めぬればわたしの心はむなしく憂へり。ああ、夢はそもわが胸の思ひなりけり。
(張千が紙と筆を持って登場、正旦を見る)あの婆さんだ。見つけたぞ。喜べ。人殺しが捕まったぞ。さあ、さあ、さあ、身元引受書に署名して、お子さんを引き取るのだ。
(正旦が署名しようとする)
(李万が突然登場)おい婆さん、署名するな。署名すれば、あなたの息子は死んでしまうぞ。張千、おまえは良いことをしているな。
(正旦が唱う)
【喬牌児】ああ。かれは走りきたりて脚は急ぎて、言葉[102]は誑なりといひたり。李押獄があなたの嘘を説破することなからましかば、わが子は人の命をぞ償ひたらまし。
【水仙子】怨みを含める婆を欺き、倅を殺し、いかなる褒美を得んとせる。あなたには于公[103]の陰徳、門を高むる望みはたえてなかるべし。
(張千)李万、おまえは良いことをしているな。
(正旦が唱う)ああ、これでもおまへの児孫が向上することを求むるや[104]。囚人を取り調べたる役所へと飛び上がり得ぬことぞ恨めしき。わたしは手足は高下を知らず、身を置く所さへもなし、わたしは腹は熱くなり腸は慌てり。
(張千が李万を引く)李万、おまえは…。まあ良かろう。令史さまはわたしを来させ、婆さんを騙して署名させようとなさっていたのに、おまえが来て、この婆さんに話したために、婆さんは署名しようとしなくなったぞ。いっしょに令史さまに会いにゆこう。
(李万が張千を引く)おまえは令史に会いにゆこうとしているが、わたしはおまえと王翛然大人に会いにゆこう。(ともに退場)
(王翛然)令史よ、准伏を書かせたか。あの若者を護送してこい。
(張千が楊謝祖を護送して登場)
(王翛然)今日はぜひともこの裁判を終わらせようぞ。
(令史)張千、ほんとうに仕事ができぬな。あの婆さんも来たな。ただ一文字を、そんなに書くのが難しいのか。
(正旦が慌てて登場、令史に叩頭する)
(令史)おい婆さん、慌ててどうした。
(正旦)慌ててどうしたと仰いましたね。(唱う)
【沽美酒】子たるものが仕置場に行きたれば、母たるものはいたく慌てり。「河の倅と岸の母」なるかのごとし。わたしは慌てまいことか。倅が生くるも死ぬるもこの時なるぞかし。
【太平令】お白洲で人を無実の罪に問ひたり、いざゆかん、いつしよに大人さまのもとにて訴訟をなさん。
(正旦が令史を引いて役人に見え、跪き、不平を鳴らす)
(唱う)大人、あなたは筆を下せば魂は飛び、刀が過ぐれば雪は飛び、霜は降るべし。棍棒をもてわたしの脊梁を傷はるればもちろんのこと、ああ、准伏無冤[105]の自供書を与へ得ず。(不平を鳴らす)
(王翛然)どのような不平があるのだ。
(正旦)令史は検屍せず、遺族も呼びませんでした。
(王翛然)令史よ、かれはおまえが検屍せず、遺族も呼ばなかったと申しているぞ。
(令史)わたしは遺族を呼び、はっきりと確認したぞ。
(正旦)どこの家の遺族を呼んでこられたのです。
(令史)死人の実家の遺族を呼んで、はっきりと確認したのだ。
(正旦)かれの実家は遺族で、わたしたち婚家は遺族でないのでしょうか。倅にかれの命を償わせた後に、人殺しが捕まりましたら、誰に倅の命を償わせるのでしょうか。大人、わたしたち孤児寡婦にお味方してくださいますように。わたしは田舎の婆さんで、城内で訴訟することはできませぬ。
(王翛然)それならば、老いぼれはどのように裁いたものか。
(楊興祖が旦児とともに登場)妻よ、おまえは役所の入り口に停まっていろ。わたしは大人に会いにゆこう。張千、取り次いでくれ。楊興祖が会いにきたとな。
(張千)かしこまりました。喏[106]、大人にお知らせ申しあげまする。楊興祖が面会を求めています。
(王翛然)楊興祖だと。はやく来させろ。
(張千)行かれませ。
(楊興祖が見える)大人、楊興祖が戻ってまいりました。
(王翛然)楊興祖ではないか。どのような官職を得た。
(楊興祖)大人さまの虎威により、兀里不罕元帥に見え、一戦して功を成し、今は金牌上千戸を昇授せられておりまする。
(王翛然)嬉しいか。
(楊興祖)もちろん嬉しゅうございます。
(王翛然)庁の階の下の婆さんを、見てみるがよい。
(楊興祖)母上ではございませんか。
(正旦)楊大ではないか。倅や、おまえのせいでとても悲しい。
(王翛然)楊興祖、この枷を帯びている人を、さらに見ろ。
(楊興祖)弟ではないか。
(楊謝祖)ああ。兄じゃ、とても悲しゅうございます。
(王翛然)おい楊興祖、かれはおまえの仇だぞ。
(楊興祖)大人、これはわたしの実の弟、どうして仇なのでしょう。
(王翛然)おまえが従軍していった後、かれはおまえの妻春香を殺したのだぞ。
(楊興祖)大人、憐れと思し召されませ。春香は生きております。
(王翛然)春香がどこにいるのだ。はやく呼んでまいれ。
(旦児が正旦を見て悲しむ)母上、あなたのせいでとても悲しゅうございます。
(正旦)息子や、どこにいたのだえ。楊謝祖は殺されるところだったのだよ。とても心配していたよ。
(楊興祖)母上、賊の賽盧医が、春香を拐かしていったのです。その賊も捕らえてきました。
(王翛然)張千、そいつを連れてきてくれ。
(張千が賽盧医を捕らえて登場、見えさせ、跪かせる)大人、憐れと思し召されませ。巩推官の梅香を拐かしたのもわたしですし、春香に女房となることを強要したのもわたしです。大人はお許しになるなら許し、お許しにならないのなら、死囚牢に下す必要はございませぬ。わたしの家に行き、箱から一服の薬を取ってきて、煎じてわたしに飲ませてください。わたしの両脚はたちまち硬直いたしましょう。
(王翛然)皆の者、わたしの裁きを聴くがよい。当地の官吏は裁判を誤ったため、杖百回にし、ながく任用せぬこととする。賽盧医は人妻を強奪したので、仕置場で処刑する。王氏はみだりに不実を告げたので、杖八十だ。
(旦児)大人に申し上げます。母は高齢でございますから、春香がかわりに杖を受けましょう。
(王翛然)この嫁はこんなに礼儀正しいとは。とりあえず春香の顔を立て、罰銅で罪を贖わせるとしよう。罪があるものははっきり裁き、あなたたち一家には老いぼれが官職を加え、褒美を与えることにしよう。楊興祖よ、おまえは弟のために従軍し、賊を捕らえて妻を救ったから、帳前の指揮使[107]にしよう。春香、おまえは身は誘拐に遭いながら、他人に従わなかったから、賢徳夫人にするとしよう。楊謝祖、おまえは母の命令を奉り、嫂を送って家に戻り、不幸にも人命事件の訴訟に遭ったが、黙って怨み言を発しなかったのは、孝子と称するべきだから、翰林学士を加えよう。お婆さん、あなたは実の子を辺塞に従軍させ、前妻の子に家で儒学を学ばせて、あまんじて苦しみを受け、屍を認めなかった。賢母と称するべきだから、義烈太夫人を加えよう。
(正旦らが拝謝する)(唱う)
【収江南】ああ、今日はかばかりに晴れがまし。われら一家は地獄を離れ、天堂にしぞ到りたる。五花官誥[108]を受けたれば喜びは常ならず。ありがたや大恩人さま、死すとも忘れがたきなり。
(王翛然)今日、開封府庁で、酒を漉し、羊を屠り、人と天とが慶賀する宴をするのはどうしてなのだと思われる。
(詞)兄は弟のために従軍し、弟は嫂のために訴訟せり。王翛然が囚人を取り調べ、裁かざりせば、いかでかは『救孝子賢母不認屍』を終はらしむべき。
題目 送親嫂小叔枉招罪
正名 救孝子賢母不認屍
最終更新日:2007年3月18日
[1]北方民族の君主。
[2]原文「隨處勾遷義細軍」。「義細軍」は未詳。とりあえずこう訳す。細は衍字か。
[3]正軍戸のこと。元代、漢民族で、軍役に服した家のこと。二三戸の家がまとまって、その中から一人の兵を出した。兵を出さない家は貼軍戸と呼ばれた。『元史』兵志・序言「既平中原、發民為卒、是為漢軍。或以貧富為甲乙、戸出一人、曰獨戸軍、合二三而出一人、則為正軍戸、餘為貼軍戸」。
[5]原文「怎做的眼前花」。「眼前花」は『漢語大詞典』は『俚語徴実』の例を引き「一時的栄華」の意とするが、『不認屍』の文脈には合わない。ここでは才能はあるのに富貴を得られないものの喩えではないか。
[6]兵器の名。ただ、形状などは未詳。『水滸伝』第二回「那十八般武藝。矛、錘、弓、弩、銃、鞭、簡、劍、鏈、撾、斧、鉞、並戟、牌、棒、與杈」。
[7]原文「乞求的兩個孩兒學成文武藝、一心待貨與帝王家」。「貨與帝王家」は典故がありそうだが未詳。
[8]「甲第」は第一の邸宅。立派な邸宅。『漢書』霍光伝「賞賜前後黄金七千斤、錢六千萬、雜庶O萬疋、奴婢百七十人、馬二千疋、甲第一區」。
[9]大きく高々とした旗。「高牙」の「牙」は「牙旗」のこと。竿の先に象牙を飾つた旗をいう。『誤入桃源』、『楊家府通俗演義』第五巻、『玉鏡台』、『誶范叔』にも用例あり。
[10]「耕種鋤刨」は農作業。たがやし、うえ、すき、ほること。
[11]伊尹は殷の名臣。元曲では、不遇の境遇から出世した人物の例として、下に出てくる傅説とともに、しばしば引き合いに出される。『王粲登楼』、『凍蘇秦』などに出てくる。『孟子』万章上「伊尹耕於有莘之野」。
[12]傅説が鍬を執ったという話は未詳。傅説は傅険で版築していたことで有名。『史記』殷本紀「武丁夜夢得聖人、名曰説。以夢所見視群臣百吏、皆非也。於是迺使百工營求之野、得説於傅險中。是時説為胥靡、築於傅險」。
[13]高くて危うい崖。『史記』殷本紀に見える傅険のことであろう。「傅険」は「傅岩」とも。『史記』殷本紀「得説於傅險中」索隱「舊本作險、亦作巖也」。「岩牆之下」という言葉は『孟子』尽心上に出てくる。
[14]漢代は蘭台尚書の属官をいったが、ここでは書吏のこと。
[15]端役。
[16]雑当をさす。
[17]原文「你家裏丁産多」。「丁産」につき『漢語大詞典』は『宋史』蘇頌伝などの例を引き「人口与田産」の意なりとする。ここでは「人口」、さらにいえば男子の数であろう。
[18]雑当をさす。
[19]鋼鉄。
[20]玉杯。
[23]原文「看看那蒺藜沙上花」。「蒺藜沙上花」は未詳。「沙苑蒺藜」のことか。「沙苑蒺藜」は陝西省に産する蒺藜の一種。『本草綱目』蒺藜参照。
[24]原文「也只為人消、人消的這物化」。「消的」が未詳。「消受」の意に解す。
[25]原文「趁著個一梨春雨做生涯」。農業しろということ。
[26]未詳。
[27]原文「秀才哥哥」。秀才はいうまでもなく生員のこと。「秀才哥哥」は楊謝祖のこと。
[28]原文「等收了蠶麥」。「蠶麥」は未詳。とりあえずこう訳す。
[29]「黄巻青灯」は書生の苦学する境涯をいう元曲の常套句。
[30]子供が結婚している親同士が相手を呼ぶときの呼称。
[31]原文「你敢做下來也」。未詳。とりあえずこう訳す。
[32]原文「也何如大限臨身」。未詳。とりあえずこう訳す。「大限」は死期。この句の趣旨未詳。とりあえず、自分の今の苦しみは死よりも辛いという趣旨であると解す。
[33]原文「索與他打簸箕的尋趁、恨不得播土揚塵」。「打簸箕的尋趁」は箕で穀物とごみをより分けるときのように、丹念に春香を捜すことであろう。「恨不得播土揚塵」は春香が見付からないのが遺憾であることを述べているのであろう。
[34]憂えるさま。
[35]原文「怎生來、你這送女客了事的公人」。「了事」は有能なこと。「了事的公人」は楊謝祖の喩え。
[36]夫の帰りを待ち侘びる妻が化した石のことで、中国各地に存在する。
[37]原文「這的就是您築墳台包土羅裙、則這半丘黄土誰埋骨」。未詳。とりあえずこう訳す。ただ、前半の「這的就是您築墳台包土羅裙」という句は、『琵琶記』の趙五娘を連想させる。元刊『琵琶記』第二十六出、趙五娘が唱う【五更伝】に「把土泥獨抱、羅裙裹來難打熬」という句が見える。「這的就是您築墳台包土羅裙」の句、言いたいことは「這的就是您羅裙」ということ、「築墳台包土」は「羅裙」という言葉からの連想によって挿入された語句で、併せて嫁が趙五娘のように、舅姑によく尽くしたことを述べているのではないか。
[38]原文「抵多少一上青山便化身」。「一上青山便化身」は死ぬことをいっているのであろう。
[39]原文「兩片嘴必溜不剌瀉馬屁眼也似的」。「必溜不剌」はぺちゃくちゃということであろうが、それと「馬屁眼」の関係が未詳。「瀉」は糞が出てくるということと、言葉を吐き出すということが掛けられていよう。馬糞が止めどなく出てくるさまを言葉を止めどなく発するさまに喩えた表現か。
[40]地方官庁の吏、戸、礼、兵、刑、工房。中央官庁の六部に相当。
[41]孔目。役所の下役。『資治通鑑』唐玄宗天宝十載「有輕中國之心。孔目官嚴莊、掌書記高尚因為之解圖讖、勸之作亂」胡三省注「孔目官、衙前吏職也。唐世始有此名、言凡使司之事、一孔一目、皆須經由其手也」。
[42]走狗。
[43]原文「可不道聞鐘始覺山藏寺、到岸方知水隔村」。含意未詳。決定的な証拠が出てくるまでは人を犯人扱いしてはいけないということか。
[44]広いさま。また、均等なさま。
[45]ゆっくりしたさま、また、穏やかなさま。
[46]原文「則合將豔醋兒潑得來勻勻的潤、則合將粗紙兒搭得來款款的温」。何のための動作なのか未詳。とりあえずこう訳す。消臭や防腐のための措置か。
[47]原文「依文案本」。未詳。とりあえずこう訳す。
[48]原文「春正夏四、秋九冬十、才是檢屍的時分」。未詳。とりあえずこう訳す。
[49]原文「不爭難檢驗的屍首燒做灰燼、卻將那無對證的官司假認了真」。証拠もないのに真犯人にされてしまうことを述べたもの。
[50]急ぐさま。
[51]凶悪なさま。
[52]確実であるさま。
[53]惨いさま。
[54]厳しいさま。
[55]太いさま。
[56]黄桑棒、黄桑棍とも。元曲に頻出する語で、硬い棍棒。
[57]原文「硬邦邦的竹簽著指痕」。「硬邦邦」は硬いさま。「竹簽」は竹片。「指痕」は指の意で、韻字の「痕」には意味はないであろう。「著」は未詳だが、後ろの句が「紇支支的麻繩箍腦門」であることから推して動詞であろう。この句、拶子という拷問具を描写した句であると解す。拶子は指と指の間に棒を入れ、締め上げる拷問具。
[58]ざらざら、ごわごわしたさまであろう。
[59]硬直したさま。
[60]わあわあ泣きわめくさま。
[61]冷酷なさま。
[62]猛々しいさま。
[63]軟弱なさま。
[64]原文「上司若還刷卷來、庭上打的狗也叫」。「叫」の主語は孤の巩得中を指していると解す。
[65]原文「您揣明鏡、懸秋月」。「揣明鏡」「懸秋月」いずれも物事を明察する能力を持っていることの喩え。
[66]『漢語大詞典』は『摩合羅』の例を引き、等身大の図像の意とする。
[67]原文「打的來應心疼痛處」。未詳。打たれた息子が悲しんでいることを李氏が想像している句であると解す。
[68]原文「常言道做著不避、避著不做」。「做著不避、避著不做」は間違いなく当時の諺であろうが未詳。とりあえず、「物事を行うのなら避けるな、避けるのなら物事を行うな」ということで、勇気を持って物事を行うことの必要性を述べた諺であると解す。
[69]原文「我家倒有」。前後とのつながりが未詳。とりあえずこう訳す。
[70]原文「你要我數説您大小諸官府、一剗的木笏司糊突」。「木笏司」は未詳。
[72]武器と思われるが未詳。
[73]頭を締め上げる刑具。
[74]原文「可不道父娘一樣皮和骨」。「父娘一樣皮和骨」未詳。その前に「可不道」とあるから、慣用句なのであろう。とりあえず「父母と息子は一心同体」という趣旨に解す。
[75]原文「你也忒官法如爐」。「官法如爐」はお上の法律の苛烈さをいう慣用句。
[76]原文「也須有清耿耿的賽龍圖」。未詳。とりあえずこう訳す。「龍圖」は包拯のこと。北宋の名裁判官で、龍図閣大学士。
[77]京師。
[78]尚書省。
[79]未詳だが、登聞鼓のことであろう。登聞鼓は、役所に設置された、訴え事があるときに鳴らす太鼓。
[80]原文「透枷拴深使釘來釘」。「枷拴」が未詳。とりあえずこう訳す。
[81]原文「侵井口窄將印縫鋪」。「井口」はまったく未詳。王学奇主編『元曲選校注』は「疑是枷套犯人頸項之處」とする。
[82]主語は役所の下役であろう。
[83]原文「三箭成功」。たちまちに戦功を挙げることをいう元曲の常套句。
[84]『元史』百官志七・宣慰司・諸路萬戸府「上千戸所、管軍七百之上。達魯花赤一員、千戸一員、倶從四品、金牌、副千戸一員、正五品、金牌」。
[85]推薦上奏すること。
[86]栄典を授けること。封は生存者に、贈は死者に授けること。
[87]謀反、謀大逆、悪逆、不道、大不敬、不孝、不睦、不義、内乱。
[88]目的語は令史。
[89]原文「一父母生我兄弟兩人」。実際は楊興祖は李氏の子、楊謝祖は妾康氏の子なので、なぜこのような発言がなされるのか未詳。楊謝祖は兄と母親が違うことをしらないという設定になっているのか。
[90]原文「勾到俺同居共戸」。「同居共戸」が未詳。とりあえずこう訳す。
[91]未詳。
[92]明らかな因果応報。
[93]犯人の親戚が、犯人が刑罰を受けることを承伏する署名。
[94]原文「不曾有准伏支状」。「支状」は未詳。とりあえずこう訳す。「支状」は「文状」の誤字か。
[95]原文「你家裏也養著那好兒好女哩」。「好兒」は令史をさしていると解す。もちろん皮肉。
[96]原文「以後有好差使、我養活你幾遭」。未詳。とりあえずこう訳す。
[97]原文「這個都是一衙門的事務」。未詳。とりあえずこう訳す。
[98]原文「這錢這等好使」。未詳。とりあえずこう訳す。
[99]原文「人生那裏不是積福處」。どこでも善を積むべきだという趣旨の慣用句。
[100]原文「臨老也還行絶命方」。「絶命方」は未詳だが、「命を絶つ処方」ということで、ここではひどい災難のことを喩えているのであろう。
[101] 折れた香。これを焚くと良くないことが起こるとされる。
[102]張千の言葉であろう。
[103]漢の丞相于定国の父のこと。獄吏であったが、陰徳を積んでいたため、子孫が必ず出世すると言い、駟馬高蓋の車が通れるように門を高くしておいたという。『漢書』于定国伝「始定國父于公、其閭門壞、父老方共治之。于公謂曰、少高大閭門、令容駟馬高蓋車。我治獄多陰コ、未嘗有所冤、子孫必有興者。至定國為丞相、永為御史大夫、封侯傳世云」。
[104]原文「也要你兒孫向上長」。「悪いことをしていながら、于公のように子孫が出世するのを望んでいるのか」ということ。
[105]罪人の親戚が、罪人が刑せられても怨まない旨の署名。
[106]挨拶の声。
[107]「帳前」は御前。「指揮使」は軍官名。禁衛官
[108]勅書をいう。五色の金花綾紙でできているのでこういう。