第三十七齣 同盟(呉王夫差が会盟をする)

(晋王、将校たちが登場。晋王)

河西[1]の地は久しく安泰

文公が覇たりしのちに強盛を称したり

あにはからんや 呉人が来たりて境を犯し

強きを恃み 弱きを挫き 会盟を主宰せんとは

わしは晋の君主で、名は午というもの。領土を守り、周朝に忠義を尽くせり。しかるに呉王は強きを恃み、兵を率いて境を犯し、黄池にて会盟し、盟主とならんと欲している。先日は董大夫を遣わして会盟の期日を尋ねた。今になっても戻ってこぬのは何故ぞ。

(奥で呉軍が銅鑼を鳴らして叫ぶ。晋王)将校よ、郊外で天をも揺るがす音がするのは何故ぞ。

(将校たち)申し上げます。呉王は兵を率い、自ら城下にやってきて、殺戮をしようとしております。どういうわけかは存じませぬ。話をすると、董大夫さまがやってきました。

(董褐が中に入る)王さま、董褐にございまする。

(晋王)大夫よ、挨拶は抜きだ。お前を遣わし、会盟の日を尋ねさせた。今、呉の兵が城下に来たのはどういうことだ。

(董褐)呉王に見えましたところ、呉は太伯、晋は唐叔の後裔ですから、会盟をして血を歃るなら、呉が先で、晋がその次、魯はそのまた次と言われました。時間は昼とのことでしたが、朝だというのに侵入してまいりました。必ずや理由があるのでございましょう。王さま、わたくしとともに城に登って質問し、相手の話を聞きましょう。

(晋王)その通りだな。

(董褐が城に登り、呉軍に尋ねる)晋国の君主が、謹んで呉の大王にお尋ねします。先日は日中に会盟を約しましたが、今、我が国に来られましたは、いかなるわけにございましょう。

(呉王夫差が奥で返事をする)天子さまのご命令だ。周室は微弱にして、諸侯は貢を献ずるも、王府に入らず。姫姓の国の助けもなければ、晩にしばしば使者を遣はし、寡人(われ)に告げたり。このたびは、すみやかに、会盟を行ひて、周王さまに進貢せざる一二の国を征伐せん。会期はすでに迫りたり。会盟を行はずんば、諸侯の笑ひの種とぞならん。寡人は本日、勝敗を決せんとせり。勝たばすなはち我が方が盟主となりて、汝は我に仕ふべし。勝たずば汝が盟主となりて、我は汝に仕ふべし。使者の遠路を来るを恐れて、みづから藩籬[2]の外にて命を聴くとせん。

(董褐)王さま、呉王は決戦をし、盟主となろうとしております。その顔色を窺いまするに、大いなる憂えがあるようでございます。愛妾と嫡子を失い、越軍に呉を侵されたに違いありませぬ。呉の勢いははなはだ激しく、争うことはできますまい。会盟を主宰させ、変事が起こるのを待つことにいたしましょう。

(晋王)大夫を通じ、返答すべし。すぐに呉と魯の二君を呼び、ともに黄池の会盟に赴かしめよ。

(董褐)承りました。

(ふたたび退出し、呉王に向かって)

晋国の君主より謹んで呉の大王さまに申し上げます。貴国が盟主となられれば、必ずや従いましょう。今すぐに呉と魯の二人の大王さまをお招きし、ともに黄池の会に赴くことにしましょう。

(呉王、魯君、伯嚭、季孫斯が登場。呉王、伯嚭)

千軍万馬で攻め征けば

各国の諸侯はすべておののけり

黄池へと至り、はやくも会盟す

(魯君、季孫斯)

会盟し

江左[3]の武功ははやくも成れり

すべからく反省し

おのおのが和解をすべし

向後は争ふことなかれ

(将校たちが報告する)呉と魯の二国の大王さまのおなりです。

(晋王が出迎える。呉王夫差、魯君がともに拝礼をする。呉王夫差)晋公弟、魯公弟、この我は、ただ独り、中原の数百州に覇を唱へ、本日黄池に諸侯を会せり。

(晋王、魯君)呉公兄、包茅[4]はふたたび天子に捧げられ、海辺の国はまた王祭[5]を供じたり。[6]

(伯嚭、季孫斯、董褐)伯嚭、董褐、季孫斯が参りました。

(呉王夫差、晋王、魯君)諸大夫よ、挨拶は抜きにせよ。

(呉王夫差)晋公弟、魯公弟、汝が先祖周公、唐叔はともに我が家の先祖太伯を伯祖と称した。本日、会盟をして血を歃るには、この我が最初、晋公弟はその次、魯公弟はそのまた次となるが適当。

(晋王、魯君)呉公兄のお言葉に、従いましょう。

(呉王夫差)このたびは、斉の桓公の葵丘の会の故事に倣うといたしましょう。はやく血を歃るための盆を持ってまいれ。

(呉王夫差が跪いて血を歃る)我が同盟者が、会盟を終えし後、周室を尊ばず、隣国と親しまざれば、この血のごとくなるであろう。

(晋王、魯君が呉王夫差とともに血を歃る。董褐)会盟はすでに終はれり。王さま方は宴会に赴かるべし。

(晋王)酒をもて。

(呉王夫差を送る)

呉公兄の千載をお祈りせん。

(魯君を送る)

魯公弟の千載もお祈りせん。

三国はすべて会して

同姓は時をともにす

盟をなし 語らふは最も嬉し

毎年の務めを果たし

周王さまの朝廷に貢を献ぜん

(魯君が呉王夫差、晋王に酒を注ぐ)呉公兄の千載をお祈りせん。魯公兄の千載もお祈りせん。

ただ願はくは皇国の万歳

列国の千秋

南山のごと命の永からんことを

車軌と文字とは統一せられて

周公の礼楽の興るを見るべし

(合唱)

剣履[7]は粛然

冠裳[8]は燦然として

兄弟は酬唱[9]し恭しくせり

化域[10]に登り

歓びをともにせん

(呉王夫差が晋王、魯君に酒を注ぐ)晋公弟、魯公弟、この杯を飲まれよ。

(呉王夫差)

黄花[11]の時候

清秋の風景(とき)

強き翼で大空を翔くるべし

(伯嚭の手を携えて前に進む)

蘇台は縹渺

憐れむべし 塞雁[12]の一羽征けるを

(伯嚭が低く歌う)

蘆を啣へて北に渡るは見るも恥づかし[13]

(いぐるみ)を避け 南に飛ばば

いささかも(おびや)かさるることはなからん[14]

(晋王、魯君がこそこそ話すしぐさ。呉王夫差が低く歌う)

この我は(とも)を失ひ群を求めて鳴く雁のごと[15]

(振り返り高唱する)

翼を奮ひ、高唱し、海冥(うみ)に至らん

(合唱。伯嚭、季孫斯、董褐が酒を運ぶ)王さま方の千載をお祈りせん。

(伯嚭、季孫斯、董褐)

干戈もて 四海を鎮め

安栄を享受せり

烽烟は至るところで収まりて

天王[16]は尊く

万国は安らかにして

諸侯は従ふ

姫家の盛んなありさまに誰か勝らん

必ずや天下にし名をば揚ぐべし

(呉王夫差)譙楼[17]は何更を告げたか。

(将校たち)二更になりました。

(呉王夫差)命令を下すのだ。酒宴はおしまいだ。各国王は陣を出て去るのだ。

(将校たちが命令を伝える)送別の宴は散じておのおのは陣に戻れり。営門はすみやかに命令を伝へたり。

(伯嚭、季孫斯、董褐)

楼頭に鼓角の声す

時すでに三更なり

西風は蕭瑟として征衣は冷え

旌旗は整ひ

牧馬は鳴けり

辺笳[18]は競ひ

凱歌は起こり 歓声は振るひたり

三軍は金凳[19]を敲きたり

(合唱。晋王、季孫斯、魯君、董褐は呉王夫差に分かれて先に退場。呉王夫差)王孫駱大夫は何処ぞ。

(王孫駱が登場)王孫駱がまいりました。王さまのご命を承りましょう。

(呉王夫差)わしにかわって周王に窮状を訴えよ。あわせて一軍を率い殿軍となり、斉、宋の追撃に備えるのだ。太宰よ、わしとお前は今すぐに陣を抜け国に帰るぞ。これ以上ぐずぐずすることはできぬぞ。

(伯嚭)おっしゃる通りにございます。

(呉王夫差、伯嚭が先に退場。王孫駱)王さま、王さまは奸臣の言葉を聞かれ、忠臣を誅殺せり。隣国に変事が生じ、兵を他国に駐めたり。進まんとせば、越兵の前方を阻む恐れあり、駐まらんとせば、斉、宋の後方を狙ふ恐れあり。今、この我に、周王へ窮状を訴へて、兵を率ゐて後方を守るやう命ぜられたり。君王に難あらば、生くるも死ぬるも従ふべきなり。いかでか命に背くべき。行かざるを得ず。しかれども、王さまは、これより国に戻りたまふとも、すでに手遅れ。

江東はこの地より遠き道のり

三呉の民は震駭すなり

惜しむべし 数百尺の姑蘇台の一日にして傾くを

 

蘇台の烽火に綺羅は空しく

なほ思ふ 青山の故宮を繞るを

誰かおもはん 兵を率ゐて斉に至りて

黄蝶をして春風に舞はしめんとは

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]黄河の西側、すなわち晋の地。

[2]垣根。ここでは城壁のことであろう。

[3]長江の東側。江東に同じ。呉のこと。

[4]祭祀の際に用いる、酒を漉すための茅の束をいう。

[5]王に捧げる、祭祀の際に用いる供物。

[6]原文「包茅重入帰天上、王祭還供尽海頭」。杜甫『承聞河北諸道節度使入朝歓喜口号絶句』「包茅重入帰関内、王祭還供尽海頭」。

[7]剣と靴

[8]冠と裳裾。

[9]詩歌を交わすこと。

[10]王者の教化が行われている土地。すなわち周の地。

[11]菊のこと。

[12]辺塞から来た雁。ここでは、故郷を離れている呉王自身のこと。

[13]北の地に渡った自分が危険にさらされていることを喩える。次注参照。

[14]原文「羞見啣蘆北渡、避弋南飛、不受些児驚」。雁は北から南に来るときは、痩せているので高く飛び、弋を避けることができるが、北に帰るときは太っているため、高く飛べず、弋を防ぐため、口に蘆をくわえるという話が、崔豹『古今注』に見える。

[15]原文「此身如隻侶失群鳴」。未詳。とりあえず上にように訳す。

[16]周王のこと。

[17]城門の上にある望楼。

[18]辺境で鳴らされる蘆笛。

[19] おそらくは金鐙の誤りで、金属製の鐙のこと。

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