第二十齣 論侠(太子友と伍子胥が侠を論じる)

(伍子胥が登場)

年老いたるをみづから笑へり

国家の多事をいかんせん

雲山は縹緲としてむなしく佇む

いづれの年にか竹林の我が家に住まん

日夜馳するも道を恐れり。一心に呉の国を正さんとせり。生きてはかならず優れた男子たらんと願ひ、死しては卑しき丈夫といはれんことを恥ぢたり。

わしは伍員。幸いに先王さまの大恩を蒙りて、父、兄の深き恨みを雪ぐを得たり。孝道はほぼ尽くしたれども、忠義はいまだ尽くすことなし。寸草の心[1]もて報いんとして、傾葵の意[2]をぞ示さんとせる。誰か思はん、王さまは伯嚭を信じ、梟獍を宮廷に受け入れり。越王を釈放し、虎兕をして檻を出でしめたまひたり[3]。わしがしばしば諌むることを咎めたまひて、つひに斉へと遣はしたまへり。わしはいま、国の滅ぶを見るに忍びず。思へばあとは一死を欠くのみ。しかれども、このわしは死してのち、祭祀の絶えて、祖宗に害を及ぼさんこと、宮殿に荊榛を茂らしめ、社稷に背かんことを恐れり。今回使者となりたれば、息子を斉に預くべし。

(悲しむ)

わが国に人のなく、内部より変事の起こらんことを恐れり。このことをいかにぞすべき。さいはひに、呉の太子さまはふだんから仁厚の聞こえあり。昨日はこのわれが斉に遣はさるるを知り、人をしてわれを召したり。行かずばなるまじ。ゆるゆると歩みきたれば、太子さまのお部屋の入り口。しばらく待たば、太子さまが現れん。

太子が人々を率いて登場)

巧みなる讒言に父は騙され

孽子[4]と孤臣[5]は憐れむべし

赤心を述べざれば、披露すべきなり

社稷の廃墟となることを いかでか見るに忍びんや

姑蘇城頭の頭白鳥[6]、夜、金閶門[7]に飛びて鳴く。一朝にして麋鹿は(うてな)と沼に遊ばん。誰か念はん、龍孫と鳳雛を。

わしは呉国の太子友じゃ。我が父は奸臣を信用し、忠臣を退けている。忠良なる伍相国が、斉へと遣わされたなら、朝廷に人物はいなくなってしまうだろう。(あした)に人を遣わして、相国を呼び、相談をしようとしたが、何故に今になってもまだ来ぬのか。(人々が報告する)伍相国が参りました。

(太子)呼ぶがよい。

(伍子胥)殿下、伍員にございまする。

(太子)相国よ、挨拶は抜きだ。座るがよいぞ。今や奸臣は朝廷に満ち、豺狼が権力を握っておる。国家の大事は、お前一人に掛かっておる。いま父は奸臣を信用し、お前を遠く斉の地に使いにたてようとしている。国は次第に乱れゆき、大廈はまさに倒れよう。そこでわざわざ来てもらい、話しを聴こうと思ったのだ。

(伍子胥)わたくしは「君臣ほど厳しきもの、父子ほど親しきものはなし」と聞いております。わたくしと王さまには君臣の義がございますが、殿下と王さまには父子の情がございます。諌言なされますように。座視されているべきではございませぬ。

(太子)尋ねるが、その昔、晋の献公には三人の息子があり、長男を申生、次男を重耳、三男を夷吾といった。献公は驪姫の讒言を聞き、申生は自殺をし、重耳は翟[8]に逃亡し、夷吾は屈城に立て籠った。今父は伯嚭を信頼し、内乱が今にも起ころうとしておる。今、わしは申生のように自殺すべきか、重耳のように出奔すべきか。夷吾のように籠城すべきか。

(伍子胥)わたくしは献公の三人の子は、みな賢かったと聞いております。ですから出奔されるのもよし、籠城されるのも宜しいかと思われます。今、呉には殿下一人がいられるばかり、重耳や夷吾に倣われて、呉の国を去られれば、国は動揺いたしましょう。殿下なら、申生に倣われるのも、簡単なことでございましょう。

(太子)丞相よ、いいことを教えてくれた。

忠臣は去り

国内は空しくなりぬ

あな寂し 朝廷で 誰とともにか語るべき

父のご恩に報いんとせば 申生にこそ倣ふべきなれ

重耳と夷吾に倣ふに忍びず

金階に衷腸を披露せん

人の世の父と子の幾人が

碌碌と生を貪り 死を恐るるに倣はんや

(伍子胥)殿下にお尋ねいたします。昔殷紂には三人の臣下がおり、一人を微子、もう一人を箕子、もう一人を比干と申しました。殷紂が崇侯[9]の讒言を聞き入れますと、微子は逃げ、箕子は奴隷に身を落とし、比干は諌言をして殺されました。父王さまは伯嚭を用い、国は滅びんとしております。わたくしは微子が国を去ったのに倣うべきでありましょうか、箕子が気違いの振りをしたのに倣うべきでありましょうか、比干が諌言をして死んだのに倣うべきでありましょうか。

(太子)殷紂の三人の臣下には聖徳があったと耳にしておる。それゆえに逃げるのも良く、奴隷となるのも良いだろう。しかし今、呉の国にはお前しか人物がおらぬ。微子、箕子のしたことに倣い、賢人が隠遁すれば、わが国に人物がいなくなってしまうだろう。相国よ、比干に倣うのが、よいだろう。

(伍子胥)ご教示ありがとうございます。

豺狼は横行し

道に盈つ

いかんせん 宴に笑ひは満ちたるも 我は一人で隅にあり

微子の去り 箕子の奴隷となりたるは

比干の諌死に比べていかん

青山に道あるも 還るは難し

わたくしは必ずや この身を捧げん

衰へしこの体をば 惜しむべけんや

(太子)相国よ、はやく行きはやく戻るべし。日夜心配しておれば、遅れてはならぬぞよ。

(伍子胥)殿下、これから旅立ち、すぐ戻ります。ぐずぐずしたりはいたしませぬ。

(太子、伍子胥が拝礼をする。太子)

雲山の道は曲がれり

ぐづぐづとして斉に留まることなかれ

朝廷で仲間もなければ

馬を馳せ、とくとく呉へと還るべし

(伍子胥)

我が身は国を離るれば つねに見返る

斉への使ひを終へたらば すぐに故郷に還るべし

恐らくは、大廈はまさに傾かんとし

一木のみにて支ふることは難からん

(太子)

伯嚭よ

悪党め

悪党め

国都をば攪乱し

生殺をほしいままにし 悪しきこと虎狼の如し

これよりは

これよりは

一封の諌書をば奉るべし

忠臣は奸臣とともにゐるわけにはいかず

(伍子胥)

斉に使ひし国に戻らば、必ずや奸雄を除き去り

兵を率ゐて越を滅ぼし、楚王のごとく鞭打たん

その時は 世間は始めて伍子胥を信ぜん

(太子)国に報ゆる赤心(まごころ)は 鏡のごとく清くして

(伍子胥)終日のこの恨み 幾年を経て消ゆべきや

(太子)世の中に、忠孝なきを恥づるのみ

(伍子胥)人の世に、生死のあるを誰か論ぜん

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]子の心のこと。寸草春暉という言葉があり、寸草は子を、春暉は親の愛情をたとえる。

[2] ひまわりが太陽に向かって傾くように、人を慕う心。

[3]虎兕は虎と野牛をいう。原文「虎兕出於柙」。『論語』季子に基づく言葉。

[4]妾腹の子。自分のこと。

[5]主君に嫌われた大臣。なお、「孤臣孽子」は『孟子』尽心上に見える言葉。

[6]白頭鳥。白頭翁とも。ヒヨドリのこと。

[7]蘇州閶門の内側をいう。

[8]狄に同じ。異民族の地。

[9]崇侯虎のこと。紂に仕え、周の文王のことを讒言したことで有名。

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