第十五齣 越嘆(越王勾践たちが嘆く)

(越王勾践、王妃、范蠡が登場。越王勾践)

夜通し雨は潺々として

心は衰ふ

(王妃)

衾は薄く 五更の寒さをいかんともせんすべはなし

夢の中にて わが身の異郷にあるを忘れて

喜んで食事を貪る

(范蠡)

故郷はいづこ

目に満つるのは雲入る山々

(合唱)

来るは易しく 去るこそ難けれ

数多の苦しみ 嘗め尽くし

人の世の地獄のごとし

(王妃)大王さま、こんにちは。

(越王勾践)后よ、挨拶は抜きだ。

(范蠡)王さま、お后さま、范蠡が参りました。

(越王勾践、王妃)大夫よ、挨拶は抜きだ。大夫よ、聞けば呉王は先日姑蘇台で盛大な宴を催し、遠くから石室を眺め、我ら君臣夫婦の礼儀正しいありさまを見て、憐れんで許したと聞く。さらに呉王は病となって十日ほど、生死は定めがたいとも聞く。大夫よ、占ってみてくれ。

(范蠡)もうすでに占いましてございます。呉王は死んではおりませぬ。己巳の日に病は癒えて、壬申の月には全快いたしましょう。王さまとお后さまがお見舞いに行かれることを、太宰にこっそりお伝えいたしました。目通りが許されましたら、呉王の糞を口にして、賀を称え、病気の治る期日を告げれば、憐れみの心はいやまし、王さまはきっと東にお帰りになることができましょう。

(越王勾践)大夫の策はたいへんよいが、耐え難いほど臭いものだし、遜るのは恥ずべきことだが、どうしたものか。

(悲しむ。越王勾践)

身は窮し

命は危ふし

国家は滅び

社稷は毀たる

后は飢ゑと寒さに耐へて

臣下は(うれ)へと災ひに遭ふ

故国への道は山また山

(かうべ)を擡げば北からの雁

(王妃)

春衫の袖

血涙の斑

風塵は顔に満ち

黒髪の髷を巻きあぐ

思へば

庶民の家の(むすめ)でさへも

家の仕事を切り盛りし

衣食を足らしむるを得ん

この我は一国の王妃なれども

かくなる困苦に出遭ひたり

貧しき女は 家の仕事を切り盛りすれど

この我は 茶や飯を得る場とてなし

思へば

苦難に苦難が重なれば

ひたすらに恥を忍びて 賎しき仕事をするよりほかなし

(范蠡)

英雄は涙をみだりに弾くべからず

雲に入る(おほとり)の羽根はしばらく抜け落ちんとも

いづれの日にか天翔けり

長く鳴き 天に上らん

丈夫(ますらを)の志、遊子の顔[1]

志をば高くして

悲しむなかれ

(越王勾践)それならば、わしと后で明朝出掛けることとしよう。

(范蠡)恭しく、臨機応変に振る舞われよ。粗忽なことをし、災いを起こしてはなりませぬ。

(越王勾践、王妃)よく分かった。

(越王勾践)顔は衰へ彷徨す

(王妃)寂しき他郷に長き歳月

(范蠡)黄鳥は翼を垂れて燕雀にしぞ似たるなる

青松の心を持てば風、霜がありともままよ

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]義未詳。旅人のような憔悴した顔をしていても立派な志をもてとの意か。

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