新刻全相楊家府世代忠勇通俗演義志伝二卷
●六郎が怒って野龍を斬ること
さて、胡延賛らがまっすぐに陳家谷へ令公を救いにゆきますと、路で一人の蛮将に逢いましたので、六郎が尋ねました。「何者だ」。蛮将は言いました。「わしは野龍だ」。六郎は言いました。「わが父がどこにいるのか存じているか」。野龍は言いました。「そなたの父は逃げ道を見失い、狼牙谷へと突入してゆき、われらによって囲まれて、出ることができなくなって、李陵碑にぶつかって死んだのだ。首級は土金秀により晒されて、幽州へ送られて、太后さまへと献じられたぞ。ここにはわしが手に入れた金刀があるだけだが、そなたはそれを奪いにきたのか」。六郎はそれを聴きますと大いに怒り、馬を走らせて野龍を捕らえようとしました。野龍も勇を奮いましたが、交戦すること三合で、六郎に馬前で斬られてしまいました。六郎は馬を下りますと、金刀を取り、大哭きし、地に昏倒しました。胡延賛は慰めました。「今、死者を哭しても詮無いこと。上京し、不平を訴えられた方がよろしいでしょう。わたくしたちは、お父さまを救われるのを助けましたが、命令が仁美から出ておりませぬので、寨に戻るのも難しく、落草するしかございませぬ。あなたから便りがあれば、そのときはあなたのために証人となることができましょう」。言いますと、別れて去ってゆきました。六郎は単騎で谷を出ますと、遼の将軍の黒嗒に遇いました。交戦すること数合、たちまち山の後ろから一騎が駆けつけ、手に斧を持ち、黒嗒を切り殺し、兵士たちを追い散らしました。六郎が見ますと、兄の延徳でした。兄弟は馬を下り、抱きあって哭きました。延徳は言いました。「この遼賊の巣窟に、長居することはできない。ひとまずわたしに従って山に入って、胸の思いを訴えるのだ」。六郎は五郎に従い、五台山の方丈に行き、腰掛けました。六郎は言いました。「その昔、兄じゃとともに戦に敗れ、離れ離れになった後、杳として便りがございませんでしたが、なぜこちらに来て出家されたのでしょう」。延徳は言いました。「その昔、遼兵と激戦し、形勢がはなはだ逼迫していたために、逃れることは難しかろうと考えて、剃髪し、僧となり、五台山にやってきたのだ。先日、人々は遼、宋が交戦すると言っており、陳家谷では殺気が騰騰としていたので、心の中でとても驚き、わざわざ山を下りてきて、わが弟が敵と戦っているのを見たのだ。ところで、父上はどちらにいるのだ」。六郎に父と弟が殺されたことを話しました。五郎は大哭きして言いました。「父と弟の仇とは、共に天を頂かぬもの、きっと復讐してやろう」。六郎は言いました。「わたくしは今から汴京に戻って帝に上奏し、この怨みに報いましょう」。五郎は言いました。「都に行く必要はない。今からわたしは五百人の僧を発して、仁美の陣に殺到し、老いぼれの屍を切り刻めば、朝廷に上奏するよりましであろう」。証拠に詩がございます。
覚海[1] 澄清已に数年[2]、風波一旦起こりて天に滔つ。只奸宄[3]の根本[4]を戕ふに因り、須臾にして冤みを雪却[5]せざるを恨む。
六郎は言いました。「なりませぬ。仁美は聖上が勅旨で任命された者ですから、そのようにあのものを殺されるのは、朝廷に反することです。怨みを晴らすことはできず、怨みを結ぶことでしょう」。五郎は言いました。「それならば、わたしは父と弟を追善するから、おまえははやく都に行って、帝に上奏するがいい。母じゃに宜しく伝えてくれ。『この世では家慶を拝し[6]、お膝元にて顔色を伺って、子の道を尽くすことはできませぬ』と」。そこで六郎は別れの挨拶をし、都に戻り、黄河に至り、把守官に通行証を求めにゆきました。把守官に会いますと、大いに驚きました。その役人はほかでもない、仁美の侄の潘容でした。仁美は六郎が逃げ戻ることを恐れ、あらかじめ潘容に命じ、ここで渡し場を守らせていたのでした。六郎はそれを見ますと、東北へ逃げました。潘容は六郎であるのを見ますと、馬に飛びのり、鞭を加えて、追い掛けました。六郎は水辺に至り、船がないのを見ますと、河に沿って逃げました。すると、葦の中に一艘の漁船があり、二人の男が腰掛けているのが見えました。証拠に詩がございます。
一葉の扁舟碧水の湾、往来し人事[7] 相関はらず。網を收む煙渚微茫の外、釣を下す寒潭遠近の間。酒を沽ひ毎に明月と同に飲み、機を忘れ常に白鴎に伴ひて閑たり。沢梁况んや復官の奈んともする無きをや[8]、髀を撫して[9]
長歌し往還に任す。
六郎はまさに慌てておりましたので、漁船を見ますと叫びました。わたしを渡してくだされば、船賃を差しあげましょう」。船上の老人は訊ねました。「どちらへ行かれるのでしょうか。どのようなご用事でしょうか」。六郎は言いました。「わたくしは汴梁の者、母が病で危篤であるため、家に戻って世話するのです」。老人は六郎であることを知りますと、舟を横付けし、乗せました。潘容が後ろで叫びました。「そのものは賊だから、渡してはならぬ」。船頭は聴きませんでした。潘容は弓を執り、まさに矢を放とうとしましたが、突然、蘆の中から一人の男が出てきて、潘容を棍棒で馬から打ち落とし、人馬もろとも河に投げ込んで捨てました。船はさらに岸に近づき、その男を迎えて船に乗せました。河を渡りますと、三人は六郎を連れて村に行きました。建物に入りますと、三人は頭を低くして拝礼をしました。六郎も拜礼をして、言いました。「命を救っていただき、これより大きなご恩はございませんのに、なぜまた拝礼なさるのでございましょう」。若者は言いました。「郡馬さま、なぜお忘れになられたのでしょう。わたくしはもともと太原に住んでおりました。母が死に、埋葬するお金を持っていなかったため、夜、郡馬さまのお屋敷に入り、財物を盗み、令公さまに捕らえられ、訊問されたのですが、令公さまはわたくしを憐れまれ、母を葬るためのお金を下さりました。その後は家が貧しいために、ここに来て、魚を捕って暮らしております。恩人が災難に遭われているのに出くわしたため、わざわざお礼申しあげたのでございます」。六郎は言いました。「ご姓とお名は」。男は言いました。「わたくしは郎千ともうします。この老人はわたしの父で、この若者はわたしの弟、郎万にございます」。六郎はそれを聴きますとお礼を言い、すぐに別れを告げて行こうとしました。郎千は言いました。「一晩お泊まりになられれば、ささやかな気持を示すことができましょう」。六郎はその村に泊まりました。次の日、別れを告げますと、郎千は言いました。「郡馬さまと別れた後、わたしたちもよそへ往きます」。六郎は別れますと、汴京城外に行きましたが、お腹が空きましたので、馬を下り、店に入り、ご飯を買い、飢えを充たしました。すると市中の人々があちこちでこう言うのが聞こえました。「楊家の父子が叛逆したため、潘元帥は朝廷に上奏をした。太宗さまは上奏を聞き、大いに怒り、楊家府の家族をすべて捕まえて司直に送った。さいわいに八大王が『とりあえず天牢[10]に収監し、人を辺境に遣わし、ほんとうに叛逆していることが知れてから、斬っても遅くはございますまい。』と上奏をした」。六郎は聴きますと大いに驚き、考えました。「父は狼牙谷で死に、母は牢獄に囚われ、わたしは家があっても身を寄せられない、かように酷い目に遭うとは」。そこでひそかに入城しましたが、無佞府に入ってゆこうとはせず、酒屋に泊まっただけでした。このことはお話しいたしません。
さて蕭撻懶はしばしば蕭后に兵を発して、宋の国を取るように上奏しました。蕭后は勅旨を出し、将軍を遣わして南下させようとしましたが、たちまち賀驢児が言いました。「大宋の国には、武臣策士が車に載せ、斗で量るほどおりますから、一戦で勝利を得、中国を得ることは、ほとんど無理でございましょう。ただわたくしには一計があり、太后さまの車駕を汴梁にとどめて、宋人をなす術もなくさせることができましょう」。蕭后は言いました。「そのように素晴らしいのは、どのような計画だ」。賀驢児は言いました。「わたくしは南人を装って、汴京に入り込み、一身の学力により、かならずや出世して、宋の君主の傍らに侍し、その国内にすこしでも攻められる隙ができれば、すぐさま手紙を送ってお知らせいたしましょう。その後で太后さまが兵を起こして南下されれば、万全で、失敗はなく、中原を簡単に得られますこと、請け合いにございます」。蕭后は喜んで言いました。「成功すれば、わたしはかならず土地を分け与えてやろう。ただ、後にそなたのことを識別できない恐れがある」。そこで心に一計を案じ、左の足裏に朱砂で「賀驢児」の三文字を刺青し、しるしにしました。さらに尋ねました。「そなたは行ったら、どのような名に変えるのだ」。賀驢児は言いました。「王欽、字は招吉と改名しましょう」。そこで太后はみずから酒を三杯賜わりました。驢児は飲みますと拝礼して別れ、即日出発し、雄州にむかって進みました。賀驢児は左賢王賀魯達の嫡子でした。
さて六郎は悶々として無聊でしたので、足に任せてぶらぶら歩き、嘯いて歌いました。
仰観すれば天は蒼蒼、俯察すれば地は茫茫たり。天地も亦何ぞ極まらん、人命は朝霜の如し。霊椿[11]は狼牙に殞に、萱花[12]は縲絏に傷つく。慈烏反哺の心、悲思衷腸に結ぶ。夜夜哀音を吐き、涕泪我裳を沾す。圓景[13]淡として光無く、浮雲惨として揚がらず。奸賊毒害を肆にし、吁嗟痛むこと悽惶たり。誰か走りて天子に告げ、我の為に主張を作さん。佞頭上方を飲み[14]、黄泉に幽光[15]を耿しむ。
歌いますと、前にいた一人の男も詩を吟じました。
昂昂と策を挟み京畿に向かひ、高車もて閈閭[16]を耀かさんと準擬す。剥落[17]し文章空しく腹に満ち、漂零し何れの日か是れ帰期ならん。
六郎が見ますと、その人は姿形がとても優雅で、頭に儒巾を戴き、身に羅衣を着け、腰に絲縧を結んでおりました。六郎は揖をして尋ねました。「先生はどちらのお方でございましょう。いかなるご心配があり、市で歌ってらっしゃるのでしょう」。その人は答えました。「わたくしは雄州の者、姓は王、名は欽、字は招吉ともうします。試験に及第しなかったため、こちらをぶらぶら歩いて気を晴らしているのです」。言いますと、訊ねました。「貴殿のお名は」。六郎は隠すことなく、父と弟が苦境で死んだことをすべて告げました。招吉はそれを聴きますと、とても憤激して、言いました。「将軍さまはどうして天子に上奏なさらず、ひそかに怨み、むなしく悲しまれていらっしゃるのでしょう」。六郎は言いました。「上奏をしたいのですが、いかんせん、心がひどく憂鬱で、幾たびか筆を執り、疏を書こうとはしたものの、涙が注ぐかのように落ち、紙に染み透ってしまうために、ぐずぐずとして、まだ上奏していないのです」。招吉は言いました。「おやすいことです。わたくしは不才ではありますが、将軍さまに代わって書いてさしあげましょう」。六郎は言いました。「配慮してくださるのなら、ほんとうに三生の幸せにございます」。そして招吉を宿に迎えて、酒を買い、持てなして、平生の苦労をすべて訴えました。招吉は表情を変え、しばらく嘆息しますと、さらに尋ねました。「疏では誰を訴えますか」。六郎は言いました。「潘仁美は謀略の首魁であり、護軍の王侁、部下の劉均期、賀懐も許すことはできません」。招吉は一気に書きますと、六郎に渡しました。六郎はそれを看ますと、言いました。「先生は才が班馬[18]のように高く、青紫[19]を手に入れられるのは、芥を拾うようなもので、難しいことはございませぬ。ただ時が至らないだけにございます」。そしてさらに酒を買い、礼を言いました。六郎は言いました。「上奏が受け入れられたら、貴宅に伺い、お礼をもうしあげましょう」。招吉は別れを告げて去ってゆきました。
六郎は午門に入ってゆきますと、たちまち七王が朝廷を出てくるのに遇いましたので、ひそかに考えました。「聖上は今、讒言により惑わされている。寿王さまに代奏をしていただいたほうが、弁明もしやすいだろう」。そこで進み出て車駕を遮り、大声で「怨みを晴らしてくださいまし」と叫びました。寿王は六郎であるのを見ますと、王府に連れてゆき、取り調べるように命じました。七王は王府に戻り、腰掛けますと、訊ねました。「潘仁美はそなたら父子が叛逆したと上奏したが、真偽はどうなのだ」。六郎は跪いて答えました。「まさにこのことのために弁明をしにまいったのです」。すぐに奏疏を七王に渡し、それを看せました。
迎州防禦使臣楊景、為に仇を挟み害せんと謀り、全軍を陷没し、反情を虚捏し、国を誤り君を欺く事を冒奏するを訴へんとす。臣は太原の降卒にして、陛下の殺さざるを荷り、復授くるに職を以てし、至徳深恩、昊天極まること罔し。曩者辺塵腥穢にして、天地神人共に怒る。皇威丕いに振ひ、潘に命じて帥為らしめ、臣父子先鋒と為り、同に出でて征剿す。臣父子報效せんと思図し、醜敵を将て草薙[20]して之を禽獮[21]せんと欲す。奈何せん仁美は王侁等と與に、昔日の仇を挟み、莫大の禍を肆にし、臣父子の進みて狼牙村に至り刃接し兵交はるを待ち、招討坐して成敗を観、半騎を発して相応ぜず。敗れて陳家谷に回るに及びて、矢尽き力疲れ、番兵[22]蟻聚蜂屯し、逐に全軍皆没するを致す。臣の父は行糧[23]に困乏し、李陵封碑の下に撞きて死し、臣の弟は回りて救兵を取らんとし、仁美の万箭の傷に遭ひて亡ぶ。全軍を陷没するに遼疆[24]に於いてし、怨みを晴らすに地無く、復反情を捏ねて冒奏すれば、情は黑天を惨む。臣零丁逃命し、孤苦依る無く、只具疏申聞し、宸衷の明断を懇乞し、父弟の九泉に、恩を啣みて暝目するを得るのみ。臣誅戮に甘んじ、万斧と雖も辞せず。某年某月某日、臣景誠に惶れ誠に恐れ、微首を稽して具疏し、戦慄に勝へず。死罪の至りなり。
七王は看おわりますと、尋ねました。「疏の言葉はきわめてすばらしく、胸の中から出たものだが、誰が代筆したのだ」。六郎は言いました。「雄州の一儒生、姓は王、名は欽、字は招吉というものが、代筆したのでございます」。七王は言いました。「郡馬どのはどちらにいらっしゃるのかな」。六郎は言いました。「東閣門龍津駅に泊まっております」。七王は人に命じて王欽を召しました。まもなく、王府に召され、七王と話しましたが、受け答えは流れるかのようでした。七王は大いに悦び、六郎に言いました。「郡馬どのが登聞鼓を撃ちにゆかれれば、申し開きするのはさらに容易であろう。すぐに往き、奸党に悟られぬようになされよ」。六郎は疏を受け取り、拝礼をして別れ、宮城の外に行き、太鼓を撃ち、番人に捕らえられ、太宗に見えました。六郎は疏を御案に差し出しました。太宗は開いてそれをご覧になりました。
●寇準が潘仁美を取り調べること
さて太宗は六郎の疏を看ますと、大いに怒って罵りました。「主君を欺く奸賊め。楊家父子が背いたと上奏するとは。誰がこの賊を捕まえてきて罪に問うのだ」。すると階の下で一人の男が上奏し、往きたいと願いました。その人は誰でしょうか。現在、殿前大尉の職にある朔州馬邑県の党進でした。八大王はさらに上奏しました。「党進が潘仁美を捕まえて戻りましたら、元帥の職は軽いものではございませぬから、人に命じて代わりをさせねばなりませぬ」。太宗は言いました。「誰がこの職を代行することができるか」。八王は言いました。「楊静が適任でございましょう」。太宗は勅旨を下し、宣旨が届き、拝礼が終わりますと、静は上奏しました。「臣は仁美が勅旨に抗い、元帥の印を渡さないと思いますが、どういたしましょう」。党進は言いました。「かくかくしかじかすれば、印を得ることができるだろう」。太宗は大いに喜びました。
二人は帝に別れて城を出、雁門関に至りますと、党進は楊静に言いました。「わたくしが先に寨に入ってゆきますから、しばらくしてから来られてください」。党進は単騎で先に寨に入ってゆきました。潘仁美はまさに劉、賀らと相談をしておりましたが、たちまち近従が報告しました。「朝廷が使臣を遣わされました」。仁美らは党進を迎えて陣幕に入らせました。相見え、挨拶を終え、腰掛けますと、党進が言いました。「太師どのは以前楊令公父子が叛逆したと上奏をされ、聖上は楊家府一門を捕まえて天牢に入れ、太師が戻られる日を待って、処刑することにしておりました。ところが間者が上京し、太師どのが蕭后と結託し、援軍を出さず、楊家の父子を陥れたと上奏しました。さらに太師の印を、すでに蕭后に献じられたとも申しております。聖上は大いに怒り、すぐさま詔を下し、太師どのを都に戻らせ、間者と弁論するよう命じられました。わたくしは御前にて『辺境は遠いので、信じることはできませぬ。わたくしが先に看にゆき、印があれば、これは誣告ということですから、太師を都に戻らせることはございますまい。』と上奏しました。太師どのには印をわたくしにお看せください」。仁美は言いました。「世のなかにそのようなことがあるはずがない」。すぐに印を取り出して、党進に渡し、それを看させました。党進は印を受け取りますと、言いました。「跪き、聖旨を宣読するのを聴け」。
詔に曰く。朕楊静に委ねて帥と為り辺を御せしめ、復党進を遣はし、潘仁美、劉、賀、王等を竟く拿へ、太原に監禁し、旨に聴はしむ。命に違はば斬に処せん。
党進が読みますと、潘仁美は言いました。「わたくしにどのような罪があり、聖上は捕らえて訊問なさるのでしょう」。党進は怒って言いました。「そなたは自分がしたことを、知らない振りをするともうすか。そなたのことを上奏したのは、楊郡馬どのだ」。仁美は言いました。「かれら父子は朝廷に叛逆いたしましたのに、今度はわたしを陥れるとは」。党進は言いました。「都に行って、かれと弁論するがよい。ここにいてよけいなことを言うことはない」。言いますと、兵卒が報せました。「新らしい元帥さまが来られました」。兵たちはかれを迎えて陣幕に入れ、拝礼がおわりますと、印を楊静に渡しました。静は印を受け取りますと、仁美に尋ねました。「胡延賛はどこにいるのだ」。仁美は言いました。「楊家の父子が叛逆してから、行方が知れませぬ」。党進は言いました。「元帥どのはすみやかにかれらを縛って太原へ護送なさいませ。訊問される必要はございませぬ」。楊静は近従に命じて仁美らを縛らせ、党進とともに太原に護送させました。日ならずして太原に着きますと、太原府判の黄進は党進を公館に迎え入れました。拝礼が終わりますと、党進は言いました。「聖旨では仁美ら四人を、それぞれ別に収容せよということだ」。黄進は命を得ますと、仁美を皈依寺に送り、劉、賀の二名を太医院に送り、王侁を申明閣に送りました。党進は都に戻り復命しました。潘仁美も人を上京させ、潘妃に頼み、太宗に上奏し、弁明をさせました。
ある日、寺の中をぶらぶら歩いておりますと、たまたま雪雲長老が僧たちを連れて寺を出て、半日してから戻ってくるのを目にしました。仁美は雪雲長老に尋ねました。「先ほどは僧たちを連れてどちらへ往かれたのですか」。雪雲は言いました。「新任の府尹さまを迎えたのです」。仁美は言いました。「その姓名をご存知ですか」。雪雲は言いました。「左丞相の寇準さまにございます」。仁美は驚いて尋ねました。「どうしてこちらへ左遷されてきたのでしょう」。雪雲は言いました。「聞けば天子があの方をお怒りになられたために、こちらへと左遷され留まっていらっしゃるのでございます」。仁美はひそかに考えました。「あの爺さんは、わしの昔の同僚だから、わたしが酒を調えて、招いて昔の誼を述べて、朝廷のことを探れば、まことによかろう」。そこで次の日、酒を調え、雪雲に寇準を呼びにゆかせました。長老は手紙を持って役所に入り、跪き、言上しました。「潘太師さまは特に拙僧を遣わされ、知事さまをお招きし、お酒を飲んでいただこうとされています」。寇準は怒りました。「わたしが来たのは、つつしんで賊めを訊問するためだ。そなたはまことに大胆な。あのものに代わってわしを招こうとするわけか」。左右に命じて捕らえさせ、厳しく四十回責めました。長老は申し上げました。「府判さまから、ねんごろに太師さまをお世話するよう命じられましたので、拙僧はほんとうにかようなことがあるとは存じませんでした。どうか拙僧をお許しください」。寇準は言いました。「知らなかったのなら、ひとまず罪を許すとしよう。ただわたしには一計がある。こっそり代わりにおこなってもらいたい。そうでなければ禿のそなたを打ち殺してやる」。長老は言いました。「知事さまの計略を実行したいと思います」。寇準は言いました。「そなたはかくかくしかじかしてくれ」。言い含めますと、こう命じました。「先に戻って、わたしがすぐに行きますと太師に報告するように」。長老は何度もはいはいと言い、寺に戻って、仁美に告げました。「寇さまはすぐに来ますとおっしゃいました」。言いますと、報せがありました。「寇さまが来られました」。仁美は寺を出て法堂に迎え入れ、腰掛けて、杯を何度も交わしました｡仁美は尋ねました。「楊景めが登聞鼓を撃ち、わたくしがかれら父子を殺そうとしたと申したとのことですが、さような事がございましたか」。寇準は言いました。「あのこわっぱはたしかに登聞鼓を撃ちましたが、その後で、さいわい潘太后さまが太師どのを庇う上奏をされました。ただ八大王は懸命に楊景の味方をし、聖上に上奏し、太師どのをこちらに収容させたのです。わたくしは承知せず、やはり太師どのを庇う上奏をいたしました。八王はわたくしを悪党であると弾劾し、帝は上奏を受け入れ、こちらに左遷し、留まらせました。もともとの天子のご意思は、潘太后さまの言葉に従うものでしたから、太師どのは何も重罪を得ることはないでしょう。ただ、わたくしは一つだけ、太師どのがよくないことをされたのを怨んでおります」。仁美は言いました。「わたくしと丞相どのはその昔、同寅で、失礼なことをしたことはないのに、何の怨みがあるのでしょうか」。寇準は言いました。「怨んでいるのはほかでもない、楊景を殺さずに、今日の禍を招いたことが怨めしいのです。そのむかし、すべてを除いて、根絶やしにしていれば、誰も怨みを晴らしにはこなかったでしょう」。仁美は言いました。「丞相どのの仰ることはご尤もです。そのむかし、人に命じて捕らえさせたのですが、どういうわけか都に逃げ戻ってきたのです」。寇準は言いました。「わたくしは令公が太師どのにうまく騙されたと聞きましたが、ここには誰もおりませぬから、わたくしにお聴かせください」。仁美は寇準が供述を引き出しにきているとは思いませんでしたし、酒を飲み、醉ってきておりましたので、言いました。「丞相どのとはふだんからお付き合いがございますから、お話ししても構いませぬ。そのむかし、令公はわたしから、反意を持っているのかと逼られて、兵を出しました。かれはわたしに、弓、弩を陳家谷に潜ませるように申しましたが、わたくしは一兵も派遣しませんでした。あのものは戦に敗れて、戻ってきましたが、伏兵がなかったために、狼牙谷に逃げ込んで、李陵碑にぶつかって死にました。七郎は援軍を得るために戻りましたが、わたくしはあのものを酒に醉わせて、樹に縛り、兵たちにさんざん矢を射て殺させました」。寇準は言いました。「それはとんでもないことですな。太師どのは嘘の話でわたしを騙しているのではございませぬか」。仁美は言いました。「丞相さまでございますから、このことをお話しもうしあげるのでございます。他のものならば、わたくしは決して明かしはいたしませぬ」。寇準は大いに怒り、考えました。「老いぼれめ、忠良を陥れ、君を欺き、国を誤り、朝廷に偽りの上奏をして、楊家の父子が叛逆したと申すとは、大いに天理を損なっておる」。左右に命じて捕らえさせました。胡必顕は返事をして入りますと、宴席で仁美を捕らえ、白状するように命じました。仁美は言いました。「この老いぼれは酔っ払い、頭がおかしくなったわい。わしに白状しろというとは」。寇準は叫びました。「雪雲はどこにいる」。長老は窓の外から入ってきますと、供述を渡して言いました。「知事さまのご命を受けて、太師さまの仰ることを、拙僧が書き写しました。間違いはございませぬ」。寇準は言いました。「供述をしなくても、どうすることもできないぞ。[25]」潘仁美は嘆きました。「うっかりとして寇の爺いに供述をとられてしまった。どうしたらいいだろう」。証拠に詩がございます。
城狐[26]険悪にして機[27]を立つること深く、旧好相逢ひて尽く詞を吐く。早くも識る牕前に口吻を謄すを、樽前の詞話惺惺を惜しむ[28]。
さて雪雲長老は供述書を渡し、寇準はそれを看ますと、ふたたび長老に命じて仁美にそれを読み聴かせました。読みおわりますと、仁美は言いました。「醉うた者の口から出た言葉ですから、証拠とするには足りませぬ」。寇準は言いました。「酒の後にはまことのことを言うものだ」。仁美は言いました。「そなたは太原の府尹なのに、わたしのことを裁くつもりか」。寇準は言いました。「老いぼれめ。このように抵抗するとは」。黄進を呼び、詔を取ってこさせ、老いぼれに読み聴かせました。
詔に曰く。朕参政寇準に委ねて太原府を知めしめ、潘仁美一干[29]の詐りて楊家父子の反情を奏せし的実[30]を勘問せしむ。招[31]を取り申聞[32]せよ。
寇準は言いました。「この老いぼれめ。わたしが府尹になったのは、奸佞ななんじらを取り調べにくるためだったのだ」。仁美は言いました。「弁論をする楊家の縁者はいないのに、どうしてこのことを問うのだ」。寇準は一声叫びました。「楊郡馬どのはどちらにいらっしゃる」。たちまち六郎が外から入ってきて言いました。「仁美の老いぼれめ。おまえはわが父を狼牙谷に陥れ、さらにわが弟を射殺したのに、今日はなぜ罪を認めぬ」。仁美は言いました。「こわっぱめ。おまえはこっそり家族を取り戻しにきたが、かれらが獄に繋がれて、行くことができぬのを見て、われらがおまえを陥れたと御前にむかって偽りの上奏をしたのだな。奸賊め、どのような罪を得ることか」。六郎は言いました。「老いぼれめ、人々の耳と目に、事実はかくまで明らかなのに、なおでたらめを申すのか」。寇準は言いました。「ここは訊問をする所ではないから、府庁へと連れてゆき、刑具で打てば、はじめて白状することでしょう」。そこで府庁の獄に送るように命じました。
次の日、寇準は登庁し、左右を呼んで、仁美を連れ出し、階の下に縛りました。さらに黄進を呼び、言いました。「劉、賀らを呼びにゆくふりをしてくれ。酒席が整い、太師はすでに長いこと待っておりますというのだ。速く行き、速く戻って、事情を漏らしてはならぬ」。黄進は命を受け、まずは申明閣に行き、王侁に会い、太医院に行き、劉、賀らに会いますと、言いました。「府尹さまのお召しです。太師さまはすでに行かれて、お三方をお待ちしてらっしゃいます」。三人は黄進に隨って、府庁へ行き、まっすぐ建物に入りますと、仁美が地べたに縛られておりましたので、驚いて魂も体に付きませんでした。寇準は捕らえるように命じました。三人は進み出て言いました。「知事さまがわれらを捕らえられたのは、いかなるわけにございましょう」。寇準は言いました。「わたしもどうしてなのかは知らぬ。詔を読むのを聴けば分かるであろう」。黄進に命じ、詔を取って読ませました。詔を読むのがおわりますと、三人は黙然として、頭を垂れて地に伏しました。寇準は言いました。「人を害すればみずからを害するものだ。天道は昭らかで、欺くことはできないものだ。なんじらははやく供述すれば、刑具を受けるのを免れようぞ」。仁美は言いました。「楊景を呼んできて、わたしと弁論させてください」。六郎は軒の下でこの話を聴きますと、号泣しながら出てきて、言いました。「あなたは昔射られたことを怨みに思い、われら父子の全軍を陥れ、国の大事を誤ったのに、なぜ頑強に抵抗し、認めないのです」。仁美は言いました。「でたらめを言うのはやめろ。証人がここにいるぞ」。六郎は言いました。「証人は必要ありません。わたし自身がここにいるのに、あなたはなおもでたらめを仰るつもりか」。仁美は数十人の兵士を呼んできますと、言い含めました。楊家の父子は叛逆をしたことを、寇さまに申しあげるのだ」。軍人たちは跪きますと、言いました。「知事さまに申しあげます。元帥さまはほんとうに楊家の父子を陥れてらっしゃいませぬ。かれらが朝廷に背こうとしたことは事実であって、太師さまが偽りの上奏をしていたのなら、わたくしは誅戮を受けたいと思います」。寇準は言いました。「おまえに尋ねてはおらぬ。囚人どもはみな老いぼれの腹心なので、でたらめの証言をしているのだろう」。左右に命じてそれぞれを五十回厳重に打たせました。六郎は言いました。「老いぼれが証人の話をしませんでしたので、わたくしも忘れていました。その昔、仁美はわが弟を射殺し、陳林、柴敢に命じて、亡骸を河に棄てさせました。かれら二人が証しをすれば、仁美は口を閉じ、言うことがなくなりましょう」。
寇準は聴きますと、仁美を獄に監禁し、人を遣わし、鴉嶺の陣中に往かせ、二人の消息を探らせました。遣わされたものが報告をしましたが、鴉嶺の陣中には二人はいないとのことでした。寇準は触れ文を出し、七郎の亡骸がどこに埋められたかを知っている者があれば、百両の賞金を与えることにしました。掲示をして数日、人々は触れ文を看ますと、紛紛として話し合いました。「知っている者があれば、いい商売になるのだがな」。すると後ろから三人の男が看にきて、進み出て、触れ文を剥がしました。六郎に遇いますと、三人は揖をしました。三人は胡延賛、陳林、柴敢でした。仁美が取り調べられ、七郎の亡骸を証拠として要求していることを知り、すぐに来て、触れ文を剥がしたのでした。六郎はかれらを連れて役所に入り、寇準に会いました。寇準は言いました。「なんじら二人は七郎の亡骸をどこに埋めたのだ」。陳林は言いました。「桑乾河西南の樹の下に埋めました」。寇準はすぐに数十人を遣わし、陳林、柴敢とともに七郎の亡骸を取りにゆかせました。二人は人を連れて桑乾河に行き、亡骸を掘りましたが、見えませんでしたので、人々は言いました。「おまえたち二人は、まことに酷いことをするな。亡骸がなければ、どうして報告することができるだろうか」。二人は心の中でとても慌て、泣きながら言いました。「自殺した方がましだ」。そう言って、樹にぶつかろうとしますと、たちまち東北の木の梢で、青い顔をした男が言いました。「仁美はおまえたちが亡骸を掘り、証拠としようとしているのを聞き、前もって人を遣わし、亡骸を掘り起こし、あの樹の下に埋めたのだ」。言いますと、その人はたちまち見えなくなりました。人々はその樹の下に行き、掘りますと、はたして七郎の亡骸を得ました。数日足らずで、人々は太原に担いでゆき、寇準に知らせました。寇準は関係者を護送して、いっしょに検屍をしにゆかせました。見れば七郎は満身これ矢で、七十二本が胸に中っておりました。寇準は大いに哭きながら言いました。「英雄良将を、天はなぜ憐れまず、かような惨禍に遭わせるのだろう」。後の人はここまで読みますと、詩を作って嘆息しております。
世事炎凉[33]幾たびか変更す、歴推[34]すること無限にして涙交傾く。天は荒れ地は老ゆるも形猶在り、虎は闘ひ龍は争ひ血尚腥し。金谷[35]は名有るも煙漠漠として、玉堂は主無く草青青たり。英雄豪傑何処にか還る、慨き想へり何如ぞ一夢の醒むるやと。
寇準は亡骸を検分しますと、仁美を呼びました。「七郎はなぜ死んだのだ。今でも何か申すことがあるか」。仁美は言いました。「わたしではない。王侁が謀を設けて殺したのだ」。寇準は首切り役人に命じて、王侁を推し出して、斬らせました。寇準はさらに言いました。「謀を設けたのは王侁でも、実行したのはそなたであろう。楊家の父子が背いたと偽りの上奏をしたことは、主君を欺く所業だが、どのような罪に当たるであろうか」。仁美は頭を垂れて語りませんでした。寇準は推し出して斬るように命じました。まさに斬ろうとしますと、たちまち使臣がやってきて、馬を下り、詔を広げ、読み上げました。
詔に曰く。潘仁美を勘問し、既に其の情実を得れば、監押[36]し闕に赴かしめ罪に擬せよ。違ふ毋かれ。
使臣が詔を読みますと、寇準は仁美らを汴京に護送しました。六郎は言いました。「この賊は上京したら、きっと許され、怨みは雪がれないでしょう。どうしたらよろしいでしょう」。寇準は言いました。「君を欺き、国を誤った罪は、許されませぬから、郡馬どの、ご安心なさいまし」。都に着きますと、次の日、寇準は仁美の供述と七郎が矢で射られて死んだことを、すべて御前に上奏しました。
●八王が計略を設けて仁美を斬ること
太宗は供述を看ますと、怒りました。「老いぼれがこのような嘘をついていたとは。罪は死刑に値するが、潘妃との誼を考慮し、ひとまず一死を免れさせよう」。そこで仁美らの官職を返還させ、それぞれ百回杖で打ち、すべて雷州に流しました。令公を封じて衛国公とし、七郎を殿前指揮使、醴泉侯としました。胡延賛はみだりに軍隊を離れるべきではなかったため、三級降格しました。楊景はひそかに軍隊を離れるべきではなかったため、鄭州で一年の徒刑にしました。陳林、柴敢は人々を率いて落草するべきではなかったため、それぞれ八十回杖で打ち、二年の徒刑にしました。裁きがおわりますと、文武官の官はみな退散しました。六郎は午門の外に出、声を放って大哭きし、八大王に言いました。「わたくしたち父子はかような酷い目に遭わされるとは。命令に従って何になりましょう」。午門にぶつかって死のうとしました。八王は急いでそれを止め、王府に迎え入れて腰掛けますと、たちまち温太后さまが来たという報せがありました。八王は六郎を後堂に入れ、みずから王府を出て迎え入れました。茶が終わりますと、潘妃は言いました。「父は高齢で、旅路でつらい思いをすれば、余命を保つのは難しいことでしょう。今日はわざわざお話しをしにまいりました。殿下にはご配慮をたれたまわり、父を都に置かれますよう」。八王は言いました。「お妃さま、お帰りください。すぐに参内して、聖上に上奏いたしましょう」。潘妃は去りました。八王は六郎にかくかくしかじかすれば、この怨みはすぐに雪がれると言いました。六郎は計略を授かって去りました。八王は参内し、帝に上奏しました。「わたくしは夜に不吉な夢を見ました。思いがけないの禍の兆しに違いございませぬ。陛下には、独角赦[37]をわたくしに持ってゆかせて、後患を防がれますよう」。太宗はすぐに赦免状を書いて賜わりました。八王は礼を言って退きました。すると左右が上奏しました。「楊景が潘仁美ら三人を殺し、今、首を引っさげて、午門の外で待機しておりまする」。太宗はそれを聴きますと、大いに怒り、六郎を捕らえて司直に護送し、梟首して人々に示すように命じました。八王は言いました。「陛下は先ほど独角赦を出されたのですから、楊景の罪をお赦しになられませ」。太宗は言いました。「仁美らを斬ったのは、八王の計画だったか」。太宗は六郎を宮殿に入れ、言いました。「卿が車駕を守った功績の大きいことに鑑みて、罪をすべて赦すとしよう」。六郎は礼を言いますと、鄭州へ行きました。
時に太宗は皇太子を立てておりませんでしたので、馮拯は上疏して、皇太子を立てるように願いました。しかし太宗は怒り、かれを嶺南に流しましたので、その後、廷臣には上奏しようとする者はありませんでした。七王は自分が立てられないのを見ますと、王欽と相談しました。「帝はすでに高齢で、斉王らも身罷った。先日馮拯は東宮を立てるように諌めたが、流罪にされた。もしや年長者を立てるため、天下を八王に伝えようとしているのではあるまいな」。欽は言いました。「結局、その考えなのでしょう。そうでなければ、殿下を立てないはずがございませぬ。聖上は遺言を重んじられているのです。はやく手を打たれなければ、後悔しても手遅れでしょう」。七王は言いました。「どうすれば太子になることができるだろうか」。欽は言いました。「わたくしの考えでは、八王を謀殺しなければ、皇位は決して得ることができないでしょう」。七王は言いました。「その謀はよくないな。八王を帝ははなはだ寵愛しており、謀が周到でなければ、禍が身に及ぶであろう」。欽は言いました。「臣にははなはだ周到な計画がございます」。七王は言いました。「こころみに申してみよ」。欽は言いました。「殿下は人を街に往かせて、きわめて巧みな銀細工師を探させて、鴛鴦壺一隻を作らせ、一辺に毒酒を盛り、一辺に美酒を入れるのです。この春の日に、八王を呼んできて、花を賞で、すぐにその壺で、一杯の毒酒を八殿下の前に斟ぎ、さらに一杯の美酒を殿下の前に斟ぎ、いっしょに杯を挙げて飲むのです。八王は毒酒を飲んで即死しますが、付き従っている者たちも、中風になったのだろうと考えて、毒殺であるとは気付かないでしょう」。七王は言いました。「その計略はとてもよい」。そこで人を遣わし、街へ往かせ、銀細工師を探させました。城の西へ行きますと、胡銀匠がきわめて巧みでしたので、王府に呼び入れ、壺を作らせました。出来上がりますと、七王に献上しました。七王はそれを看ますと、王欽に言いました。「いつ八王を呼びにゆくのだ」。王欽は言いました。「まずは銀細工師を殺して、その形迹を消しましょう」。七王は承知しました。王欽は人に命じて、美酒で胡銀匠を酔わせ、左右に命じて後花園に埋めさせました。それがおわりますと、王欽は七王に言いました。「殿下は人に手紙を持たせ、八王を招き、明日、後花園で花を賞でさせましょう」。七王は宦官に命じて、手紙を持たせ、南府[38]の八大王の前へ行き、渡させました。八王が手紙を開きますと、
門外の春光は無限に好しく、明媚なる花は柳と共にす。此の官裏[39]に余閑有るに値り、楽しまずんば虚しく過ぎ了らん。敬んで哥王[40]を邀へ明日契闊[41]の情を一叙し、共に金樽を把りて倒さん。尚冀はくは春風[42]の一恵臨し、宇第[43]に栄耀を生ぜんことを。
八王はそれを看ますと、宦官に命じて、明日かならず来ると報告させました。宦官は帰りますと七王に見えて言いました。「八殿下は承知されました」。
次の日、八王の車駕が到着したという報せがあり、七王はみずから王府の門を出て迎え、王府に入りました。腰掛けて、茶を飲みますと、七王が後苑の花亭[44]に迎え入れて、腰掛けました。見れば花は開くこと錦の如く、春光は称えるに堪うというありさま、証拠に詩がございます。
陽和は充塞す海天の涯、処として江山の物華[45]に不ざるは無し。緑偃[46]午風麦浪を生じ、緋紅の暁日桃霞[47]に絢く。燕は玉剪[48]を抛ちて春色を裁ち、鷺は金梭を擲ちて柳の斜めなるを織る。満眼の韶光[49]偏へに趣を得、黄を抽き白に対し[50]天葩[51]を競ふ。
七王は言いました。「わたしと兄じゃは兄弟ですが、誼がはなはだ薄いため、残念に思っております。それゆえに、この春光の明媚なときに、わざわざ招いてお会いして、少しく胸の思いを尽くすのでございます。『詩』[52]にはこうあります。『戚戚たる[53]兄弟、遠き莫く具に爾し。』と。わたくしが今日このようにいたしましたのも、古人のしたことに倣おうとしたからでございます」。八王は言いました。「ここ幾日か体がすこぶる不調であるため、酒は飲めない。すこし話しをすればよい。兄弟の誼がなければ、わたしはきっと断って来なかったろう」。七王は言いました。「お体がご不快ならば、痛飲されれば、愉快になられることでしょう」。そこで侍従に命じて、まず一杯の毒酒を八王の目の前に酌ませました。八王は病がそれほど癒えていませんでしたから、毒酒の匂いを嗅ぎますと、慌てて袖で鼻を掩いました。すると一陣の狂風が金杯を吹き倒し、その毒が地面に零れ、紅い光が迸り出ましたので、左右はみな驚き、戦慄しました。八王はすぐに別れを告げ、王府に戻りました。七王は謀がうまくゆきませんでしたし、八王に悟られる恐れもありましたので、とても後悔しました。王欽は言いました。「殿下、ご心配なく。八殿下は事情をご存知ないでしょうから、お咎めにならないでしょう。後でまた毒殺を図っても、宜しいでしょう」。このことはお話しいたしません。
さて、太宗はある日病を得、危篤となりましたので、寇準、八王らは参内し、お見舞いをしました。太宗は群臣が来たのを見ますと、言いました。「先帝は太后の年長者を立てよとの言葉に遵い、位を朕に伝えられた。だが朕はたちまちに病み、政務を束ねるのは難しいことだろう。今、斉王らはすでに亡くなり、八王のみが年長なので、朕は太后の教えに遵い、位を八王に伝えよう」。八王は上奏しました。「皇太子さまはすでにすっかりご成長あそばされ、人心は帰順しており、朝廷の誰にも異論はございませぬ。陛下はなにとぞ玉体をお大事にされ、万万の千秋を保たれますよう。後日、政治を委ねるときも、太子さまにお与えになられるべきです。もしも陛下が先帝さまに倣われて、位を臣に与えようとなさるなら、臣はかならず披髪して山林に入りましょう」。太宗は言いました。「卿が受けぬなら、どういたらいいだろう」。しばらく考えますと、寇準に尋ねました。「八王はどうしても受けないが、朕の諸子で誰が帝位につくことができるか申してみよ」。寇準は答えました。「君主を択び、天下を掌らせるのに、婦人に謀ることはできず、宦官や近臣に謀ることもできません。陛下のみがこのことに関与され[54]、万民を悦服させるものを見て、位を伝えられれば、宜しゅうございましょう」。太宗はさらに趙普だけを呼び、寝台の前に近づけ、左右を遠ざけて尋ねました。「朕は位を八王に伝えたいのだが、八王は受けてくれない。卿はどう思う」。趙普は言いました。「先帝さまはすでに誤まられたのですから、陛下が再び誤ることは許されませぬ」。太宗の意は決し、ふたたび寇準を召して言いました。「朕はもともと神器を八王に与えようと思ったが、いかんせん八王が受けてくれない。元侃に与えようと思うが、卿はどう思う」。準は拜賀して言いました。「万歳。万歳。臣は天下が君主を得たことを慶びましょう。陛下はもはや他の人にお尋ねになる必要はございませぬから、すみやかに太子さまを立てられるべきでしょう」。太宗はさらに八王に言いました。「朕の亡き後、卿は丹心をもち、弟を教え導いてくれ。今、鉄券免死牌[55]十二枚を賜うから、もしも乱臣賊子に遇えば、卿はすぐさま打ち殺し、許してはならぬ。朕があまねく諸将を観るに、楊景は忠実だから、兵権を授けることができるだろう。ゆくゆくは重用し、排斥をみだりに加えてはならぬ」。八王が拝受しますと、まもなく帝は崩じました。齢は五十九歳。改元をした時は、至道三年三月日、在位すること二十余年でありました。証拠に詩がございます、
太宗経世政惟勤め、二十余年にして徳民に及ぶ。惜しむべし乾符[56] 私かに子に授くるを。今に至るも人は道ふ君親に悖けりと。
太宗が崩じますと、文武官たちは七王元侃を奉じて皇帝の位につけ、真宗としました。群臣は朝賀しますと、尊母李氏を皇太后にし、王欽を東庁枢密使に封じ、謝金吾を枢密副使にし、八王の爵位を進めて誠意王としました。そのほかの文武官たちはそれぞれ昇進しました。それからは朝廷の軍政は、すべて王欽の手によって決められました。
さて八王が朝廷を出ますと、たちまち一人の男が車駕を遮って訴え、大声で「怨みを晴らしてください」と叫びました。八王は尋ねました。「どのような不満があるのだ」。その男は哭きながら言いました。「わたくしは胡銀匠の子でございます。先日、新帝さまは千歳さま[57]を殺そうと企てて、わたくしの父を召し、役所に入れて、鴛鴦壺を作らせました。その壺を作りあげますと、王欽により王府で謀殺されました。このような不満があるのに、怨みを雪ぐ所がないため、千歳さまが後ろ盾になられることをお願いするしかないのです」。八王はそれを聴きますと、怒って言いました。「あの日、わたしは酒が地面に零れたときに、焔が挙がったのを見て、心の中で訝った。王欽ははたして宴席でわたしをたばかろうとしたのだ。あいつはまことに凶悪だ」。そこで訴状を受け取りますと、左右に命じて銀一錠を取らせ、胡銀匠の子に与えました。さらに車駕を戻して、偏殿[58]に入ってゆきますと、王欽がまさに真宗と相談をしておりました。八王は進み出て上奏しました。「臣が先ほど朝門を出ましたところ、たまたま胡銀匠の息子から、王欽がかれの父親を謀殺したと告げられました。臣はその訴状を受け取り、陛下にご覧にいれるためまいったのです」。真宗は驚きました。「王欽はわたしのそばを離れたことがございませんから、さようなことをするはずがございませぬ。兄上には小人の申すことを聴かれませぬよう」。八王は言いました。「謀臣のせいで、胡銀匠にも累が及んで[59]、命をむざむざ損なわれてしまいました。わたくしは今、陛下に仕え、丹心は耿耿としておりますのに、なぜ讒佞を信じられ、忠良を謀殺しようとなさるのでございましょう。それに、わたくしが帝位に就こうと思いましたら、今日まで待ちはいたしませぬ」。王欽は言上しました。「八殿下は臣と陛下が相談していることを憎まれ、皇兄であるのを恃み、偽りの上奏をして、わたくしを虐げてらっしゃるのです。わたくしが八殿下を謀殺しようとしていたというのなら、先帝さまに訴えられるべきなのに、どうして陛下が即位してから訴えるのでございましょう。それに世間にはこのように、午門で天子を謗るような大胆なものはおりませぬ」。真宗は答えませんでした。八王は大いに怒り、金簡[60]を抜きますと、王欽の顔を打ちました。金簡は鼻に当たり、鮮血がたくさん流れ、王欽は柱を巡って逃げました。八王も柱を巡って追いかけました。真宗はあわてて王欽を助けて、言いました。「わたくしの顔に免じて、兄上、このたびはお許しください」。八王は歩みを止め、王欽を指さして罵りました。「もしもまた邪なことをして、わが国を損なえば、貴様を殴り殺すからな」。そう言いますと、怒りながら上奏しました。「陛下にはわたくしを罪せられませぬよう。わたくしは先帝さまの命を受け、公正に奸邪を排除しようとしました。まことに陛下の社稷のことを考えてしたことであり、私情ではございませぬ」。真宗はねんごろに慰めました。八王が退出しますと、王欽は御前に跪いて大哭きしました。真宗は言いました。「八王は顧命の臣[61]で、あのものが申したことはみな本当のことなのだから、そなたは嘘をつき、弁明をするべきではなかったのだ。朕でさえあのものに逆らおうとはしないのだから、ましてそなたにおいてをやだ。これからはあのものを避けるべきだな」。
王欽は叩頭して礼を言い、屋敷に帰り、地団駄を踏み、胸を叩いて、八王を恨み、その仇に報いようとしました。そこで手紙を書き、人を遣わし、徹夜で幽州に届けさせ、蕭后に上奏し、太宗はすでに崩じ、新帝は幼弱であり、朝廷は人材がなく、これに乗じて兵を動かし侵攻すれば、中原を得ることができるだろうといいました。蕭后は手紙を得ますと、群臣と相談しました。蕭天右が上奏しました。「雲川の耶律休哥は、しばしば宋を伐つことを上奏されていましたが、こたびまた隙に乘じて兵を出されれば、勝たないはずがございませぬ」。土金秀は上奏しました。「宋の太宗は人を知り、適任者を置き、辺境を守るのは、かならず智勇兼備の士でした。このたびもしも王欽の手紙によって、今すぐ宋を伐たれれば、勝利するのは難しく、虚しく金銭食糧を費やしましょう。思いみますに、まずはかれらの兵の強弱を探れば、事を誤らないことでしょう」。后は言いました。「どのように探るつもりか申してみよ」。秀は言いました。「麻哩招吉の槍、麻哩慶吉の刀、わたくしの弓は、きわめて巧みであって、右に出るものはございませぬ。わたくしたちは河東の国境で兵を挙げようと思います。太后さまは人を遣わし、手紙を届け、宋とわたくしたちが観兵[62]することをお約束くださいますよう。宋人がよく抵抗すれば、ゆっくりと兵を進めて、そうでなければ、兵を動かして伐つのです」。蕭后は大いに喜び、手紙を書いて人を遣わし、汴京へ届けにゆかせました。
遼の使者が汴京に着きますと、近臣が引奏し[63]ました。真宗が手紙を広げて看てみますと、
大遼の太后蕭、書を大宋皇帝陛下に致す。茲に喪有るを聞くも、関河阻隔し、賵賻[64]未だ施さず、奈何せん、奈何せん。近く盟好[65]を締びしは、千載の盛事なり。今兵を観ず、徒らに虚文を為す。故に駕下の三臣を遣はして晋陽に駐箚せしめ、与に会猟すること一番せんことを期す。庶乎はくは両国の情の相通じ、而して四夷の風を聞き懾服[66]せんことを。謹みて此に訂約す。照鑑[67]。
●兄妹が晋陽で力比べをすること
真宗は遼の手紙を見ますと、群臣に示しました。寇準は上奏しました。「北方では刀や矢を尚びます、かれらが手紙をよこしてともに観兵しようとするのは、刀や矢を比べたいだけでしょう。陛下はなにとぞ有能な者を精選し、かれらと会わせ、その窺覦の心[68]を消されますように」。真宗は言いました。「朕が観たところ、朝廷には良将がおらぬ。楊郡馬だけは、今、鄭州にいるが、どうしているかも分からない」。寇準は言いました。「陛下ははやく使者を、鄭州に遣わして、呼び戻させませ」。真宗は上奏を受け入れ、すぐに使者を遣わし、鄭州に往かせ、楊郡馬を召しました。使者が鄭州に着き、楊郡馬を訪ねようとしますと、鄭州の太守は言いました。「楊郡馬さまは徒刑の刑期が満了し、とっくに都に送り戻されました」。使臣は真宗に報告しました。真宗は人を遣わし、無佞府に往かせ、楊郡馬を召しました。使臣が屋敷へ行きますと、令婆は勅旨を迎え、使臣にむかって言いました。「息子は鄭州に往った後、戻ってきたという便りがございませぬ」。使臣は令婆の言葉を報告しました。真宗は上奏を聞きますと、悶々として悦ばず、八王に尋ねました。「楊郡馬はすでに戻ったのに、隠れて出てこないが、どうしたらいいだろう」。八王は上奏しました。「臣が無佞王府に往き、消息を探るのはいかがでしょう」。真宗は言いました。「重要なことだから、心して探るように」。
八王は罷り出ますと、無佞府に行き、令婆と太郡に会い、六郎のことを詰問しました。令婆は言いました。「息子は鄭州におり、久しく便りがございません。本日は殿下がみずからお出でくださいましたのに、わたくしが隠したりするはずがございましょうや」。八王は言いました。「新帝さまが即位され、こたび勅旨で召されている。この機に乗じて国家と憂えを分かつのは、まことに素晴らしいことなのに、どうして隠れているのだろう」。太郡は言いました。「ひとまずお待ちくださいまし。人を遣わし、鄭州を訪ねさせましょう」。そこで、八王は行方が知れないと報告しました。真宗は憂えの表情を浮かべました。晋陽の守臣[69]が上奏しました。「遼の兵が財物を掠奪し、人民を殺傷し、とても凶悪にございますから、何とぞはやく兵を発して、防がれてくださいますよう」。真宗は表を看ますと、尋ねました。「誰が遼の兵を退けることができるか」。準は言いました。「賈能は武芸にすぐれておりますから、退けることができましょう」。帝は寇準は正統軍、賈能は副使となり、兵三万を率いて、ともに晋陽に往き、猟をするように命じました。準らは勅旨を受けますと、兵を率いて河東めざして進発しました。令婆は寇、賈が兵を率いて猟をすることを聞きますと、六郎に言いました。「賈能には遼の兵を退けることはできまい。そなたはすぐに、国難を救いにゆくべきだ」。六郎は言いました。「わたくしは行きたいのですが、いっしょに行く一二人のものがおりませぬ」。そう言いますと、八娘、九妹が言いました。「われら姉妹が兄上といっしょに行くのはいかがでしょうか」。六郎は言いました。「そなたらは女なのだからどうして行くことができよう」。八娘は言いました。「従卒を装えば、人々は気付かないでしょう」。六郎は承知し、令婆に別れを告げ、二人の妹を連れ、晋陽に赴きました。
さて遼の将軍土金秀は河東国境に駐屯し、掠奪し、厭くことを知りませんでした。すると、宋の兵が来たという報せがありましたので、すぐに麻哩招吉らと相談しました。「今や楊家の将軍たちは没落し、他の者たちはわれわれと力比べをしようとしない。そうはいっても、そなたらは力を尽くすべきであり、敵の思うがままにさせ、わが遼軍の威信を喪わせてはならぬ」。招吉は言いました。「謹んでご命に従うことといたします」。金秀は次の日に命令を下し、真ん中の紅い的を立て、陣を連ね、南の兵を待ちました。たちまち南方の旗が太陽を蔽わんばかりにやってきました。宋の兵は到着しますと、すぐに南方に陣を連ねました。北遼の土金秀は全身に鎧を纏い、陣頭に立ち、麻哩招吉は右におり、麻哩慶吉は左におり、一文字に北に展開しました。南の陣では、寇準、賈能の二騎が一斉に出撃しました。寇準は言いました。「華夷[70]の区分は、すでに一日のことではないのに、しばしば兵を侵入させて、辺境を騒がせるとは、いったいどういうことなのだ」。土金秀は言いました。「わが太后さまは宋の君主が新たに即位されたので、ともに猟をし、戦をやめて、誼を結ばれようとしていらっしゃるのに、今、新天子はどうして自ら来られないのか」。寇準は言いました。「新帝さまは即位され、大臣たちと道を論じて、国を治めるいとまさえない。そなたらと猟をして、そなたらの陋習に馴染むひまはないのだ」。土金秀は答えませんでしたが、麻哩招吉は大声で言いました。「われらは道を論じることはできず、旗を奪い、将軍を斬り、天下を定めることしかできぬ。そなたの陣に智勇の将がいるのなら、陣頭に出てきてわしと力比べをするがいい。いたずらにつまらない話をしても仕方あるまい」。そう言いますと、賈能が槍を舞わせ、馬を走らせながら進み出て、怒鳴りつけました。「生臭い奴らめが、まことに人を馬鹿にしおって。わしは今からそなたと力比べをしよう」双方は銅鑼と太鼓を一斉に鳴らしました。麻哩招吉と賈能は馬を交えること十合、勝負は着きませんでした。招吉が負けた振りをして逃げますと、賈能は追いかけました。招吉が身を捻り、馬を返して刺しますと、賈能は落馬しました。招吉が陣に突撃してきますと、宋軍の中からにわかに一騎の青驄[71]が馳せてきました。それは女の将軍で、風のように走り出ました。交戦すること三合で、招吉は女将軍に紅錦の套索[72]を投げつけられ、落馬して、生け捕られました。寇準は大いに喜んで言いました。「姓と名は何とおっしゃる」。八娘は答えました。「わらわは楊令公の長女の八娘にございます」。準は言いました。「武門の娘は、やはり手強い」。そしてその名とその功を記録するように命じました。土金秀は招吉が捕らえてゆかれたのを見ますと、大いに怒り、馬を出して交戦しようとしました。麻哩慶吉は馬に鞭打ち出陣しますと、罵りました。「南蛮め、わが兄を釈放すれば、残りの命を許してやろうぞ」。刀を揮って突進してきました。宋の陣では、趙彦がそれを見て、こちらも刀を舞わせて交戦すること二合、趙彦は防ぐことができず、馬を走らせ、本陣に戻りました。慶吉が追いかけてきますと、宋の陣からさらに一人の女将軍が出て、刀を舞わせて敵を迎えました。数合で、九妹は刀を斜めに揮い、慶吉を馬前で斬り、首を引っさげて寇準に見えました。準は尋ねました。「そなたは誰だ」。九妹は言いました。「わたくしは楊令公の次女で、九妹ともうします」。準は言いました。「なんじらは武勇が抜群だが、これはまことに皇上の福徳の致すところだ」。やはりその名と功績を記録するように命じました。土金秀は慶吉が斬られたのを見ますと、大いに怒り、馬を躍らせて出陣し、言いました。「宋人に達者がいるなら、すみやかに出陣し、矢を競え」。宋の牙将[73]楊文虎が馬を出して言いました。「わしがそなたと競うとしよう」。土金秀は弓を執り、矢を番え、馬を走らせ、つづけて三本の矢を射ますと、みな紅い的に中りました。兵たちはいっせいに喝采しました。文虎も馬を走らせ、二本の矢を射ましたが、二本の矢が中っただけでした。金秀は言いました。「そなたの負けだ、招吉どのを還すべきだ」。文虎は言いました。「わしはたまたま矢では負けたが、槍で競うなら負けないぞ。かかってくる勇気があるか」。金秀は怒りました。「匹夫め、偉そうなことを言いおって」。すぐに槍を取り、馬を出しました。交戦すること数合で、文虎は槍で刺され、敗走して陣に戻りました。金秀が突撃してきますと、六郎はそれを望み見、馬を出して敵を迎えました。金秀は防ぎきれず、馬を返して叫びました。「宋の将軍どの、ひとまず槍を競うのはやめ、紅い的を射てくだされ」。六郎は槍を停め、笑いながら言いました。「そなたの弓は何もいいところがないのに、陣頭で技をひけらかそうというのか」。そう言って、胯の後ろから強弓を取り出し、馬を走らせ、たてつづけに三本の矢を射ましすと、みな紅い的に中たりました。
南北の兵士たちはみな嘖嘖として褒め称えました。六郎は言いました。「そなたは弓がうまいことを自慢しているが、この弓をそなたに射させ、中るかどうか看るとしよう」。兵士に命じ、弓を土金秀に渡して挽かせました。金秀は弓を受け取り、挽きましたが、すこしも動きませんでしたので、心の中で大いに驚き、ひそかに考えました。「このものは、神人の、この世に降誕したものだ」。まさに馬を走らせ、逃げかえろうとしますと、寇準が陣から出て言いました。「わしは今から捕まえた将軍をそなたに返そう。そなたは帰って太后に告げよ。これからは事件を起こして辺境を騒がせるなとな。またこのようなことをすれば、決して許さず、そなたらを殺戮し尽くすことであろうぞ」。招吉の衣服を剥ぎとり、真っ裸にして北の陣に送り返しました。土金秀は満面に羞じらいの色を浮かべて、陣に戻ってゆきました。
楊六郎は陣に入り、準に見えますと、準が言いました。「あなたがたが今日来なければ、われらの血が戦場の草を染めていたことでしょう。郡馬どのが朝廷に戻り、帝に見えられるときは、わたくしがつとめて保証人となり、重職に封ずるように上奏しましょう」。郡馬は礼を言いました。準は陣を抜け、汴京に戻り、参内して真宗に上奏しました。真宗は上奏を聞きますと、すぐに郡馬を昇殿させ、慰労しました。「卿が先日隠れて出てこなかったため、朕は寝食を廃していたが、このたびは郡馬どのが遼を退けたことを聞き、喜んで寝られなくなってしまった」。六郎は叩頭して拝謝しました。真宗は準に尋ねました。「このたびはどのような職を郡馬どのに授ければよいだろう」。準は言いました。「節使の職を授けるべきでございましょう」。真宗は命を下し、楊郡馬を高州節度使にしました。郡馬は命を聞きますと、参内してそれを辞退し、上奏しました。「臣は昔は敗兵であり、その罪はきわめて重く、陛下から再造のご恩[74]を受けて、ご恩返しをしようにも手立てがございませんでした。こたびはわずかな功を建てたにすぎませぬから、節使の職を受けるわけにはまいりませぬ」。真宗は言いました。「なんじら父子は忠実に公務に励み、先帝はなんじらを称えてやめず、封贈を厚くしようと思われていたのが、亡くなってしまわれたため、思いを果たしてらっしゃらぬのだ。それに、今では遼を退けた功もあるから、この職を授けるべきなのに、なぜ固辞するのだ」。六郎は上奏しました。「陛下の知遇のご恩を受けて、職を授けられるのであれば、佳山寨の巡検が宜しいでしょう。ほかの職は、臣は受けようとは思いませぬ」。真宗は言いました。「高い位を断り、低い位に就くとは、どのような料簡なのだ」。六郎は言いました。「わたくしが巡検になるのには三つの事情がございます。一つには、わたくしはもともと徒罪、流罪のために、辺地に赴き[75]、微功を立てたものですから、節使の職を授かりますのは、思いがけない昇進の端を開いて、人々が職分を越えるように導くものです。二つには、佳山と幽州は近いため、わたくしは隙を伺い、賊の巣窟を攻撃し、その地を收め、万世にわたり辺地の禍を絶とうと思っているのでございます。三つには、かの地には幾人かの盗賊で、勇力のあるものがいるとのことにございます。わたくしはかれらを捕らえ、邪を棄てて、正に付かせて、民草の害を除こうと思っているのでございます」。真宗は言いました。「卿は国を憂え、民を憂えて、まことに社稷の臣である」。上奏を受け入れ、王欽に命を下して千人の軍隊を分け与え、楊郡馬とともに率いてゆかせ、佳山を守らせることにしました。
王欽は勅旨を受けますと、府庁へ行き、兵士を点呼し、老いたり、弱かったり、疲れていたり、病であったりするために、征戦に堪えない者は、すべて郡馬に従わせました。六郎は兵士を見ますと、怒って言いました。「佳山がどんな所であるとお思いか。このように役に立たない兵士では、どうして敵を迎えることができましょう」。随行していた軍人で、姓は岳、名は勝というものは、王欽が老弱疲病の兵士をすべて郡馬に従わせておりましたので、心の中で考えました。「ここでは功を立てることができないから、楊郡馬どのに従って佳山寨に往き、出世を目指した方がよかろう」。そこで一計を案じました。「姜黄[76]の汁を顔に塗れば、王枢密が点呼しにきたときに、病兵であると思って、きっとわたしを楊郡馬どのに従わせよう」。岳勝は、済州[77]の人で、生まれつき顔は凝脂のよう、精神は溌剌として、大刀を揮えば、万夫も敵わず、人は「花刀岳勝」と称していました。さて王欽は岳勝の顔が黄色いのを見ますと、はたして病兵であると思い、六郎に従わせました。岳勝は六郎が兵たちは役に立たないと言っているのを見ますと、陣頭に進み出て叫びました。「御身は武門に生まれ、無敵であると称されているが、わたしが今から御身と力比べをするのはいかがでしょうか」。六郎は言いました。「よかろう」。そこで槍を取り、馬に乗り、交戦すること数十余合、六郎は驚きました。「刺したり撃ったりする技に、このものはすべて通じている。計略を用いて捕らえれば、心服させることができよう」。負けた振りをして逃げました。すると馬が前脚をとられたために、地面に振り落とされました。岳勝が馬を走らせ、近付いて斬ろうとしますと、六郎の頭の上に一頭の白い額の虎が現れ、牙を剥き、岳勝を咬もうとしました。岳勝は驚いて、あたふたと馬を下りますと、六郎を扶け起こして言いました。「失礼つかまつりました。眼がありながら上官であるとも気付きませんでした。どうかお許しくださいまし」。六郎は言いました。「御身が力を尽くして、わたしが佳山を守るのを助けてくれれば、朝廷に、御身を保証する上奏をして、御身に職を授けよう」。岳勝は礼を言いました。「わたくしが参りましたのは、もとより将軍さまに従い、功を立てるためでした。さいわいに引き立てていただきましたから、犬馬となって報いることといたしましょう」。六郎は岳勝を部下とすることができ、とても喜び、無佞府に戻り、令婆に別れを告げました。令婆は言いました。「そなたが巡検となっては、父上に恥をかかせることになる」。六郎は言いました。「佳山は遼と近く、ここならば最も功を立てやすいことでしょう。ほかの鎮では駄目でしょう。職というものは、功を立てることだけが肝腎で、尊卑は問題ではないのです」。令婆は酒を調え、送別しました。六郎は酒を飲みますと、軍を率いて佳山寨へと進発しました。
時は二月で、旅路はよい景色でありました。証拠に詩がございます。
遅遅たる麗日は韶光を布き、春は人間に到り景は常に異なる。雨後の江山は秀麗を增し、風前の花柳は芬芳を競ふ。香を尋ねて戯蝶は軽く拍[78]を翻し、友を求めて嬌鶯は巧みに簧を奏づ。景物は人に撩みて[79]無限に好しく、妨げず收拾し征嚢[80]に入るるを。
六郎は行くこと数日足らずで、佳山寨に着きました。もともと守備をしていた兵士が迎えて広間へと入れました。挨拶がおわりますと、六郎は言いました。「遼人はしばしば辺地の禍をなし、この地はもっとも甚だしいので、天子はわたしを遣わして守らせたのだ。なんじらはみな号令に遵うように。そうでなければ、軍法により処刑しようぞ」。人々は諾諾として退きました。
次の日、岳勝が寨を出てぶらぶらとしておりますと、向かいの高い山に樹木が茂っているのが見えましたので、昔からいる兵士に尋ねました。「あの山は何という山なのだ」。兵士は言いました。「あの山の話しをすれば、人々の胆は驚き、破れましょう」。岳勝は言いました。「狼や虎があの中にいるのであろう」。兵士は言いました。「狼や虎よりも恐ろしいものでございます」。そして、指さしますと言いました。「あの山を回ってゆくと、胡村澗という所があります。一二里進んでゆきますと、山の麓に着きますが、可楽洞といわれております。洞窟の中には盗賊の首領がおり、姓は孟、名は良といい、鄧州[81]の人、力は山のように強く、敵う者はなく、ならず者数百を集め、掠奪を生業としております。官兵は捕らえようとはいたしませぬ。今では誰もあの山を正視しようといたしませぬ」。岳勝はそれを聴きますと、寨に入って六郎に知らせました。六郎は言いました。「かねてからその者のことは知っている。帰順させることができれば、軍威を壮んにすることができるのだが」。岳勝は言いました。わたくしが軽騎となって探りにゆき、様子を看るといたしましょう」。六郎は言いました。「あの者は勇猛だから、用心せねばならないぞ」。岳勝が可楽洞に行きますと、孟良の部下劉超、張蓋らが盗人たちと洞窟の前で闘宝[82]をしておりました。岳勝は馬を下りますと、鋭い刀を抜き、まっすぐに洞窟に入り、怒鳴りつけました。「賊ども、逃げるな」。劉、張らは官軍が捕らえにきたのだと思い、みな逃げました。岳勝が進み出て、幾人かの盗人を斬り殺しますと、血が流れ、洞窟に満ちました。岳勝は考えました、「字を書いてしるしにし、かれらが佳山寨に押し寄せてくるようにしむければ、捕らえることができるだろう」。すぐに血で四句を壁に書きました。
嘍囉[83]は剣下に亡び、語を寄せん悲しむを休めよと。若し人は何れか是れなると問はば[84]、佳山の楊六郎なり。
岳勝は書き終わりますと、馬に乗り、佳山にやってまいりました。このことはお話しいたしません。
●六郎が三たび孟良を捕らえること
さて孟良は洞窟に戻りますと、盗人が殺されて地に倒れておりましたので、大いに驚き、尋ねました。「何者がここに来て人々を殺したのだ」。盗人は答えました。「先ほどの壮士はたいへん勇ましかったので、人々は官兵が捕らえにきたのだと思い、みな逃げましたが、壮士は洞窟に入って、人々を殺したのです。さらに血で壁に字を書きましたから、大王さまがご覧になれば、事情が分かることでしょう」。孟良は頭を上げて看ますと、言いました。「楊景の奴がわが部下を殺すとは、まことに大胆なことだ。この仇に報いなければ、人間ではない」。
さて岳勝は帰って六郎に見え、盗人を殺したことを知らせました。六郎は言いました。「孟良が戻ってきてそれを見れば、きっとこちらに復讐しにくることだろう。なんじらは戦う準備をするべきだ」。そう言いますと、たちまち寨の外で喊声が聞こえました。六郎が岳勝とともに寨を出、見れば孟良その人でした。濃い眉に丸い眼、顔は血を吹いているかのよう、相貌は雄偉でありました。六郎はかれを迎えますと言いました。「観たところ、おまえの顔はとても奇怪だが、なぜ理義を棄てさって、甘んじて賊となったのだ。わしに言わせれば、朝廷に帰順して、功を立てて名を顕し、後世に芳名を留めた方が、落草するよりずっとよかろう」。孟良は言いました。「おまえに言わせれば、官爵を受けるのが名誉なのだろう。わしに言わせれば、職に就き、禄を得るのは恥なのだ。それはなぜか。おまえたち父子は宋に投降したが、まっとうな死に方はできず、手と足は処を異にし、禽獣のようになり、良いことはないであろうぞ。わしはこの山にいれば、人を斬り殺すのは勝手だし、とても尊大にしていられる。おまえとわしを比べれば、天地ほどの隔たりがある。このようなつまらぬことは、さておいて、わしはおまえに尋ねるが、かねてからおまえとは怨みがないのに、わしの部下を殺したのはなぜなのだ」。言いますと、斧を揮って六郎を捕らえようとしました。六郎は槍を突き出して敵を迎え、交戦すること十合、勝負は着きませんでした。六郎が負けた振りをして逃げますと、孟良は馬に鞭打ち、追いかけました。岳勝は後ろから怒鳴りつけました。「追い掛けるな」。孟良は馬を返して岳勝と戦いにきました。六郎は弓を取り、矢を番え、その馬に中て、孟良を地面に引きずり下ろしました。兵士は進み出て、孟良を生け捕り、寨に戻り、階の下に縛りました。六郎は言いました。「自分が英雄無敵であると誇っていたのに、このたびはどうして捕らえられたのだ。おまえはわしに従うか」。孟良は言いました。「不意の矢で馬を射て、奇計によってこのわしを欺いたのは、大丈夫のすることではない、従おうとは思わぬわい」。六郎は笑いながら言いました。「おまえを逃がしたらどうする」。良は言いました。「おまえがわしを釈放するなら、わしは戻って兵を整え、ふたたびおまえと交戦しよう。正々堂々、奇計を設けず、やすやすとわしを捕らえる力があるなら、おとなしく投降しようぞ[85]」。六郎は言いました。「正々堂々かつやすやすとおまえを捕らえることを要求しているが、おやすいことだ」。そして孟良を釈放しました。岳勝は言いました｡「孟良は凶悪な賊であり、民草に禍をなしております。このたびはかれを捕らえたのですから、使えるならば留め置き、使えないならば斬り、民草の禍を除きましょう。どうして釈放なさるのですか」。六郎は言いました。「孟良は、豪傑だから、わたしはすこぶる気に入ったのだ。今の世に、英雄がどれほどいようか。わたしはかれを部下にしようと考えて、かれの心を絶対に従わせるため、釈放したのだ。明日ふたたび戦うのを看ていてくれ。わたしはまた捕らえてやろう」。岳勝は言いました。「将軍さまはどのような計略で捕まえるのでございましょう」。六郎は言いました。「孟良は勇気はあるが、謀略はない。この山の南五里の地に、深い谷がある。切り立った石の崖で、入ってゆくと出口はない。貴殿は騎兵一千を率い、谷の入り口に潜んでいてくれ。わたしはかれと交戦し、かれを導き、山の左側から入り、山の右側から出よう。わたしが出たら、貴殿はすぐに殺到し、敵を阻んで、かれらを出さぬようにしてくれ。わたしにはおのずとかれを捕まえる計略がある」。岳勝は軍を率いてゆきました。六郎はふたたび健軍[86]六七人を呼び、言い含めました。「おまえたちはあの山の頂に往き、柴を刈る樵の身なりをし、歌を応酬するがよい。孟良が路を尋ねたら、おまえたちはこれこれこう答えるがいい」。兵士は計略を授かりますと去ってゆきました。
六郎が分担を決めますと、孟良が寨の外で戦を挑んでいるという報せがありました。六郎は馬を出しますと言いました。「こたびはじっくり交戦しよう。もしもふたたび捕らえられたら、釈放はせぬからな」。孟良は言いました。「偉そうなことを抜かすな。昨日はうっかり捕らえられたが、今度はかならず仕返ししてやる」。そう言いますと、斧を揮って、六郎を捕らえようとしました。六郎は交戦すること数合で、負けた振りをして山の南に逃げました。孟良は追い付きますと言いました。「おまえは今度も不意の矢でこのわしをたばかるつもりか」。六郎が戦わず、まっすぐ谷に入りますと、孟良も追いかけて谷に入りました。六郎は馬を返して、山の右側から出、孟良も右側から追いかけました。すると突然岳勝が出撃し、谷の入り口を阻みましたので、良は驚いて言いました。「また奸賊の計略に嵌まってしまった」。そこで馬を返してまっすぐ谷に入ってゆきましたが、進む路はなく、四面壁立というありさま。遠い崖の上で幾人かの樵が歌っているのが見えましたので、叫びました。「わしは楊景に騙されて谷に入ってきたのだが、わしを救い出してくれれば、たくさんの金銀で礼をしようぞ」。樵は一本の麻縄を垂らし、言いました。「わたくしたちは大王さまを救いますから、大王さまは約束を違えずに、金銀を下さりますよう」。孟良は言いました。「わしはふだんから信義ある人間だから、救い出してくれさえすれば、約束は決して破らぬ」。樵たちは言いました。「大王さまがこの縄を腰にきつく結べば、わたくしたちが引き上げましょう」。孟良は言いました。「おまえたち、ゆっくりと、心して引き上げるのだ」。そう言いますと、縄できつく腰を縛りました。人々は崖の中ほどまで引きますと、引くのをやめました。良は言いました。「どうしてもっと引き上げないのだ」。人々は言いました。「大王さまのお体がとても重いので、わたしたちは力が尽きてしまいました。さらに何人かを呼んできていっしょに引けば、はじめて引き上げられましょう」。すると、六郎、岳勝が崖の上にやってきました。六郎は言いました。「このたびは正々堂々、かつやすやすとそなたを捕らえた。孟良よ、そなたはわしに従うか」。孟良は言いました。「これは違うぞ。そなたがわしと交戦し、地面の上でやすやすとこのわしを捕らえたら[87]、それは力があるということだろう」。六郎は言いました。「穴の中から捕まえるのも、た易いことだ[88]。こたびまたそなたを釈放したら、また戦いにくるつもりか」。孟良は言いました。「今回もわしの戦いがまずかったわけではないぞ。釈放してくれるなら、ふたたび兵を整えて出撃しよう。わしを捕らえることができれば、心から投降しよう」。六郎は言いました。「それはいい。ただ、ふたたびそなたを釈放し、戻らせた後、穴の中から捕らえられたら、恥ずかしがって、またでたらめを言ってはならぬぞ」。言いますと、兵士に吊り上げさせて釈放しました。
六郎は寨に戻りますと、言いました。「計略を設けて良を二度捕まえたが、かれは決して昼間に出てきて交戦はせず、夜にわたしの寨を襲ってくるから、計略を用いて捕らえねばならぬ」。岳勝は言いました。「孟良はすでに二度、辱しめに遭いましたから、今度も自ら罠に嵌まりにはまいりますまい」。六郎は言いました。「今晩きっと来るだろう」。そこで人々に命じて帳の前に落し穴を掘らせ、木を上に被せ、土で覆いました。さらに兵士を遠くに潜ませ、ただ数十人の健軍を帳の前に潜ませて、良が坑に落ちたら、すぐに出てきて縛らせることにしました。人々は計略を授かりますと去ってゆきました。その夕方、六郎は帳の中に独りで坐し、蝋燭を掻きたてて読書しておりました。二更に近づきますと、孟良の偵察兵が、佳山寨の兵士はみな熟睡し、寂然として防備がないと報告しました。孟良は喜んで言いました。「このたびは、先の二度の辱しめをすっかり雪ぐことができるぞ」。軽騎に乘り、佳山寨に至りますと、六郎は一人帳の中で読書しており、昂昂然として傍らに人がいないかのようでした。孟良は斧を挙げ、馬に鞭打ち、帳の前に行きますと、怒鳴りつけました。「匹夫め、逃げるな」。怒鳴りつけるのがおわらぬうちに、人馬もろとも落し穴の中に落ちました。帳の外には健軍がいっせいに出てきて、縄を良の体に遶らせ、縛って引っ立てました。良が率いてきた部下三千余人は、伏兵に四方から囲まれました。盗人たちは孟良が落し穴に落ちたのを見ますと、逃げるのは難しいと考え、みな投降しました。健軍が孟良を帳の下に護送しますと、六郎は言いました。「今からそなたを釈放するから、ふたたび兵を整えて戦いに来てはどうだ」。孟良は言いました。「羞悪の心は、人がみな持っているもの。それがしは盗賊だが、良心をすっかり失ってはおらぬ。将軍さまは神さまにございます。幾たびも釈放されて、すでにたいへん羞じているのに、ふたたび逃がしてくれと願いはいたしませぬ。心から将軍さまにお仕えしたく思います。将軍さまが許してくださるのであれば、たいへん恩に感じましょう」。六郎は大いに喜んで言いました。「そなたが投降してくれるなら、わしも大いに幸せだ」。次の日、夜が明けますと、孟良は六郎に洞窟へ戻ることを言上し、劉超、張蓋、陳雄、謝勇、姚鉄旗、董鉄鼓、郎千、郎万、管伯、関均、王琪、孟得、林鉄槍、宋鉄棒、丘珍、丘謙、都合十六人の頭目を召集し、みな連れてきて六郎に拝謁しました。六郎は盛大に宴を設けました。酒が酣になりますと、六郎は言いました。「今、北遼がしばしば辺地に侵入し、わが宋は害を受けているのに、害を除くことができない。将校に人材がないからだろう。今もなお、この地は大事なところなのだが、わたしは将兵が少ないことを残念に思い、守備できず、朝廷の付託に負くことを常々心配している。おまえたちが耳で聞き、目で見た名士があるならば、千金を惜しまずに呼び寄せて、ともにこの地を守るとしよう」。孟良は答えました。「ここから六十里離れたところに、芭蕉山という山があり、山勢は険悪ですが、その中に、ならず者数百人が集っております。頭目は、姓は焦、名は光賛、生まれつき顔は丹朱のごとく、眼は銅の釘のよう、両頬は突き出して、万夫不当の勇気があります。遼を防がれたいのでしたら、かような者を得ないわけにはまいりませぬ」。六郎はそれを聴きますと大いに悦び、言いました。「わたしはみずから礼物を持ち、かれを招きにゆくとしよう」。孟良は言いました。「その者は人を食べることを好み、とても凶悪にございます。将軍さまが部下といっしょに行かれても、招くことはできないでしょう」。六郎は言いました。「わたしは腹に誠意をいだいているのだから、賓服しない心配はない」。孟良は言いました。「誠意は人を動かしますが、わたくしに言わせれば、将軍さまは行かれてはなりませぬ。わたくしはふだん親しくしておりますから、わたくしが招きにゆくといたしましょう」。この日は酒宴が果てました。
次の日、孟良は六郎に別れ、芭蕉山に往き、焦賛を招くことにしました。焦賛はちょうど寨の外で遊んでいましたが、孟良を見ますと、言いました。「孟兄じゃ、どうして来られた」。孟良は言いました。「わしはこのたび楊六郎に投降したのだ。観たところ六郎は智勇兼備で、たいへん頼りがいがある。それに落草していては、決して日の目が見られぬと考えて、かれと佳山を守っているのだ。やがて功を立てられれば、生きては爵禄を享け、死しては史書に載せられて、丈夫の志は酬われることであろう。わしは今回、わざわざ貴兄を迎えにやってきて、いっしょにかれを助けにゆこうと思うのだ」。焦賛は答えず、まっすぐ洞に入ってゆきますと、鎧を纏って寨を出て、言いました。「わたしはおまえを知っているが、手の中の鉄鎚はおまえを知らぬぞ」。孟良はかれが凶悪な様子でやってきたのを見ますと、馬に跳び乗り、まっすぐに佳山に戻り、陣幕に入って六郎に告げました。「あの者は頑固で、招いてもまいりませぬ。明日、将軍さまが兵を率いて交戦されれば、盗人たちはあの者とともに出陣し、巣窟は空になりましょう。さらに岳将軍に兵五百を率いさせ、ひそかに洞窟の前に行き、潜ませて、あの者が出てきて交戦したら、すぐさま寨を攻撃するのです。わたくしは数十の健軍を率い、芭蕉山の後ろから藤や葛に縋って上り、寨に突入して火を放ち、さらに中から出撃しましょう。将軍さまはおもてから突入し、二手から挟み撃ちにすれば、かならずやあの者を捕らえることができましょう」。六郎はその言葉に従いました。次の日、六郎は軍を率いて芭蕉山の寨の前に行き、叫びました。焦賛は盗人たちを率い、馬を出して敵を迎えました。数合で、六郎が負けた振りをして逃げますと、焦賛は馬に鞭打ち、追いかけてきました。六郎はふたたび馬を返して交戦しました。数合で、また負けた振りをして逃げ、焦賛を山から十里離れたところに誘導しました。岳勝はかれが遠くへいったのを見ますと、まっすぐ洞窟の前へ行き、喊声をあげました。四方を守っている盗人は岳勝に攻め破られることを恐れ、ともに寨の前に行き、防ぎました。ところが孟良は数十の健軍を率い、山の後ろから攀じ登り、寨に突入して火を放ちました。騰騰たる火焰に、盗人たちは驚いてみな逃げました。
さて、六郎は、はるかに火焰が天を衝いているのを見ますと、ふたたび馬を返し、焦賛と交戦すること数合、焦賛がひたすら力を奮って迎え撃つのを見ますと、六郎は鞭を揮って指さして、笑いながら言いました。「まったく事情が分かっておらぬな[89]。おまえの山寨はすでに孟良に焼かれたのに、まだここで苦労して戦っているとはな」。焦賛が振り返って看ますと、煙と焔は空に漲っておりましたので、大いに驚き、馬を走らせ寨に戻りました。六郎はふたたび後ろから追い掛け、岳勝、孟良は山寨から出撃しました。焦賛は敵わないと考え、馬を棄て、山に上りました。その山の半分は水辺の石であり、さらに苔が生えておりました。六郎の歩兵は焦賛が山に上ったのを見ますと、いっせいに山を駆け上がりました。焦賛は追われて慌て、中腹まで上りますと、苔で滑って転がり落ちました。兵たちはかれを捉え、縛って佳山寨に戻りました。六郎が陣に現れますと、人々は焦賛を階の下へ推しだしました。六郎はみずからその縛めを解き、焦賛に言いました。「英雄を驚かしましたが、お咎めになられませぬよう。目下、大遼は辺境を侵しております。貴殿がともに征討してくださるのなら、すぐに朝廷に上奏し、官職を加封いたしましょう。お考えはいかがでしょうか」。焦賛は考えました。「天下にこのような善人がいるとは。わしが人を捕らえたら、一太刀お見舞いするだけで、釈放したりはせぬのだが」。六郎の言葉を聴きますと、頭を低くし、拝礼をして、言いました。「陣中におりたいと思いますので、どうかお側に置いてください」。六郎は大いに喜び、酒を調え、宴を設けました。証拠に詩がございます。
英雄は済済として三関に萃ひ、万里の霜威[90]
攀づべからず。心豹韜[91]に熟すれば変合[92]を知り、折衝し敵を却く笑談の間。
●六郎が夜宴して詩を応酬すること
さて楊六郎は諸将を得ますと、人に表を持たせ、朝廷に上奏し、諸将に職を授け、ともに三関を守り、大遼を防がせることを請いました。真宗は上奏をご覧になりますと、群臣と相談しました。寇準は言いました。「楊景は悪党たちを服従させ、朝廷にたいへん利益をもたらしました。陛下は請求に従われ、その部下を手懐けるべきにございます。そして威光と名声を大いに示し、遼人を震え恐れさせ、南侵しようとせぬようにさせましょう」。帝は上奏を受け入れ、使者を遣わし、勅旨を届け、楊景に鎮撫三関都指揮使、岳勝、孟良、焦賛の三人を指揮副使を加え、劉越ら十六人に都総部頭を授けました。勅命が下りますと、使臣は勅旨を佳山寨に届け、宣読を行ないました。楊六郎は勅旨を授かりますと、人々とともに宮城を望んで礼を言い、使臣を持てなしました。使臣が帰りますと、六郎はさらに人を遣わして勝山寨に往かせ、陳林、柴敢を招き寄せました。かれらは日ならずしてやってきました。その後、三関には楊家の金字の旗が立てられ、威は幽州を震わせました。遼人は恐れ、辺境の災禍はやや収まりました。
時は八月中秋の佳節にあたり、六郎は諸将とともに酒を飲み、月を賞でました。六郎は岳勝らに言いました。「この良宵に当たり、わたしは詩を吟じ、気晴らしをしようと思う。諸君よどうかお笑いになられぬように」。岳勝は言いました。「将軍さまのおっしゃることは、五臓に刻み込みましょう。どうして笑ったりいたしましょう」。六郎はさらに言いました。「諸君も吟じられるなら、数句を連ねて気晴らしをして、この月を徒にしてはならぬ」。岳勝らは言いました。将軍さまの佳作をお示しくださいまし。わたくしは謹んでご命に従うことにしましょう」。そこで六郎は一律を吟じました。
月下砧を敲けば夜寒に響き、征人寐ねずして長安を憶ふ。霧は北塞に迷り遊魂は泣き、草は中原を没し戦骨は酸しむ。直望む明河[93]の象国[94]に臨むを。誰か零露[95]を将て金盤に捧げん。何れの年にか甲を卸して天河に洗はん。酩酊して征歌すれば歳月寛し。
岳勝らは言いました。「すばらしい。将軍さまの詩は、李、杜が蘇っても、敵わないことでしょう」。六郎は言いました。「何をおっしゃる」。そこで岳勝らの句を求めました。岳勝はさらに孟良、焦賛に詩を作るように求めました。焦賛は言いました。「岳兄じゃが先に作られ、次は孟良兄じゃ、次はわたしにいたしましょう。順番にして、謙遜してはなりませぬ」。岳勝は言いました。「お二方、僭越ながら」。一闋を誦えました。
去年の今日始めて家を離れ、久しく辺関を戍り倍して嗟くべし。別話[96]想ひ来たれば深きこと海の似く、帰心動く処乱るること麻の如し。時に維八月なるも征衫薄く、節中秋に近ければ酒興賖し。遥かに憶ふ済州州上の月、清光旧に依り琵琶を照らす。
岳勝が吟じますと、孟良も八句を述べました。
天上の旌旗は暮雲を捲き、人間の鼓角は悲酸を送る。瑶池[97]の落日は青鳥[98]を回し、月殿の浮雲は素鸞を掩ふ。楊柳は漸く稀にして風瑟瑟、芙蓉は已に老い露漫漫たり。蛩声迭はる送る[99]佳山の戍、寂寞たる愁懐強めて自ら歓ぶ。
孟良が吟じますと、焦賛が続けて五韻[100]を吟じました。
緑煙散り尽くし碧空晶るく、滌海[101]の冰輪漸漸として昇る。人事此の時好尚を知り、天心今夜分明なるを見る。風波揺碎す山河の影、兔臼[102]舂残す桂子[103]の馨。世界大千[104]玉燭[105]に帰し、剣光相與に玄精[106]を並ぶ。
焦賛が吟じますと、六郎は驚きました。「はじめはそなたがただの無骨な男にすぎぬと思っていたが、今この作を観てみると、曹、林[107]であるかのようだ。すばらしい。すばらしい。今夜はひとりその趣を奪っている。刮目をして看るべきで、武弁としてそなたを論ずるわけにはいかぬ」。焦賛はかたじけないと礼を言いました。岳勝らはさらに尋ねました。「将軍さまの第二聯には、あり余る悲しみがあるかのようです」。六郎は言いました。「その通りだ。われら父子八人は宋に帰順し、遼賊の謀逆に遭い、わが父は先鋒となってこれを討ったが、仁美によって狼牙谷に陥れられ、李陵碑にぶつかって死んだのだ。その後、蕭后が父の亡骸を胡原谷に埋めたことを聴き、取り戻し、先祖の墓に葬ることをつねに望んでいたのだが、これを代わりにしてくれる有能な忍びの者がいないので、心は悲しく、いつ思いを遂げられるかも分からないのだ。だから今晩吟詠しているときに、思わず真情を露わにしたのだ」。岳勝は言いました。「将軍さまが肉親を念われるのは、大孝でございます。蒼天は感応し、かならず默佑[108]なさいますから、いずれかならず取り戻せましょう。ご心配なさるには及びませぬ。ゆるゆると事を行なわれるべきでしょう」。六郎は言いました。「その通りだ。今すぐに取ることができるものではない」。その夕方、酒宴が果てますと、孟良は六郎が父の亡骸を代わりに取る人がいないと言っていたため、考えました。「わたしは今夜、月の光に乗じて、こっそりと寨を出、ひそかに胡原谷に往き、令公さまの骸骨を取って戻って、三度殺さなれなかったご恩にいささか報いることにしよう」。そこできちんと仕度を整え、胡原谷に行きました。次の日の夜明け、寨の兵士が六郎に、孟良がいなくなったと報せにきました。六郎は大いに驚きました。「昨晩は宴席で楽しく飲んで、詩の応酬をしたというのに、なぜ今朝いなくなったのだろう」。岳勝は言いました。「あのものは賊の輩で、こちらでは束縛を受け、自由にはできないために、逃げたのでしょう」。六郎は言いました。「あのものは剛烈な性格だから、逃げて鼠輩のすることを真似することは絶対にないだろう」。人々も訝るのをやめず、六郎は悶々として楽しみませんでした。さて孟良は胡原谷に行き、令公の骸骨を探しましたが、知っている人はまったくおりませんでした。すると路で公文を運ぶ者に逢いました、孟良はこのような人なら消息を知っているかもしれないと考え、蛮族の言葉で尋ねました。「楊令公の骸骨はもともとここに埋められていたのに、今はどうしてなくなったのだ」。男は言いました｡「先だって、太后さまがどういうわけか、人に命じて掘り起こさせて、紅羊洞に埋められたのです」。孟良は聴きますと、考えました。「わたしはこの事のために来たのだ[109]。骸骨を得て戻らなければ、いたずらに苦労し、幽州に入り、様子を看、策を講じた方がよい」。そこで幽州への路を進みました。城に近づきますと、たまたま一人の漁父に逢い、尋ねました。「あなたは今日入城されるのですか」。漁父は言いました。「明朝、魚を献上しにゆかねばなりませんので、入城しないわけにはまいりませぬ」。孟良は言いました。「魚を献上されるのはなぜですか」。漁父は言いました。「明日は太后さまのお誕生日です。毎年、鮮魚を献上し、慶賀しなければなりませぬので、ぐすぐずといたすわけにはまいりませぬ」。孟良はひそかに喜びました。「わたしの謀は遂げられるぞ」。言いました。「わたしは馬を養う者で、やはり入城しようと思っておりますから、ご一緒に入城しましょう」。漁父は前、孟良は後ろになり、城の南の人気のないところに行きますと、孟良は短刀を抜き、漁父を殺して、衣服を剥がし、それを着て、牙牌を戴き、魚を提げて、入城しました。門番が問いただしますと、孟良は言いました。「わたくしは黄河の漁父で、魚を捧げて、太后さまのお誕生日を寿ぐものです。現に牙牌がここにございます」。門番は牙牌があるのを見ますと、孟良を入城させました。翌朝、太后が出御して、文武官がお祝いを申しあげますと、侍臣が上奏しました。「黄河の漁父が魚を献上し、お誕生日のお祝いをいたそうとしております。今は午門の外におり、みだりに入ろうとはしておりませぬ」。太后が召し入れますと、孟良は魚を献上しました。太后は言いました。「明日、褒美を受けにくるがいい」。孟良は拝謝して退きました。蕭后は役人に盛大に宴を開くように命じ、文武官は楽しみを尽くして飲みました。証拠に詩がございます、
輝煌する宮禁に寿筵開かれ、竹葉[110] 香はしく浮かぶ琥珀の杯。深く主人の情意の渥きに感じ、醉余覚えずして玉山頽る[111]。
文武官は漏刻が二更になるまで飲んで散会しました。
次の日、文武官は参内し、宴の礼をいいますと、たちまち左右が上奏しました。「西洋国が大宋に一頭の驌[馬霜][112]良驥[113]を献上するため、幽州を通った時に、関を守る軍人に奪われました」。蕭后は牽き入れて看せるように命じました。見れば碧い眼、青い鬣、紅い毛、渦巻の模様[114]があり、高さは六七尺でした。太后はそれを看ますと大いに喜び、役人に養うように命じました。孟良はその事を聞き、ひそかにそれを見に往きますと、はたしてすばらしい良馬でしたので、先に骸骨を取り、その後でこの馬をものにしてやろうと考え、脱け出して紅羊洞に行きました。見れば令公の骸骨は石の匣に入れられておりましたので、孟良は風呂敷を取り出して、骸骨を包みました。洞窟の入り口に行きますと、蛮人に捉えられ、怒鳴りつけられました。「何者だ。間者であろう」。孟良は言いました。「わたくしは黄河の漁父の子で、先日、魚を献上し、太后さまのお誕生日をお祝いし、父子して酒食を賜わったのですが、わが父は酒に醉い、死んだのでございます。亡骸を持って帰りたかったのですが、旅路も長うございますから、ここに来て亡骸を火葬にし、骸骨を包んで帰り、埋葬するしかございません」。言いますと大哭きしました。蛮人はその慟哭するようすを見ますと、深く信じ、洞窟から釈放しました。孟良は脱け出しますと、すぐに宿屋に帰り、骸骨をしまいました。次の日、薬屋に往き、二つの天南星[115]を買い、宿屋に戻り、舂いて粉末にし、厩に持ち込みました。見れば蛮人は豆を煮ておりましたので、孟良は飼葉桶の近くにその薬を撒き、戻ってゆきました。その馬は飼葉を食べますと、薬に痺れて倒れました。馬に餌をやる軍人が豆を食べさせにきますと、その馬は食べませんでした。軍人は慌てて司官[116]に報せ、司官は急いで太后に上奏しました。太后は言いました。「馬が飼葉を食べぬのは、なんじらが世話を怠ったからではないか」。司官は上奏しました。「わたくしたちが世話を怠ったからではございません。異郷の馬であるために、ここに来て、水と草とに馴染まなかったのでございます。太后さまには触れ文を出し、馬を治療できる者を招き寄せ、看にこさせてはいかがでしょうか」太后は上奏を受け入れ、すぐに触れ文を出し、外に張りました。孟良は行ってそれを剥がし、守軍[117]が太后に目通りさせました。太后は漁父であるのを見ますと、訊ねました。「馬も治すことができるのか」。孟良は言いました。「わたくしの祖父は馬を治すのを専門にしておりましたので、わたくしもその一二を知っているのでございます」。太后は言いました。「この馬をわたしはとても気に入っている。治療して、もとの通りにしてくれたら、そなたを職に封じよう」。孟良は拝謝しますと、司官とともに厩舎にゆき、馬を看る振りをして、しばらくしますと、言いました。「馬は初めてここに来て水土に服さず、豆をたくさん食べすぎたため、腹が膨れて、食事をせぬのでございます」。そこで軍人に命じて馬を縛って倒し、冷水でその口を洗い、甘草の粉末を水に混ぜ、幾碗か注ぎ込み、馬を放って立ち上がらせ、秣とともに与えますと、その馬は元通り食べました。翌朝、司官が太后に上奏しますと、太后は上奏を聞き、大いに喜び、すぐに孟良を昇殿させ、言いました。「そなたはこの馬を治療したので、これよりそなたに燕州総管の職を授け、馬を治した功績を表彰しよう」。孟良は叩頭して礼を言い、ひそかにこう考えました。「わたしはこの馬のために計略を施したのだ。官職のためではない」。そこで上奏しました。「このたびは太后さまに官職を授けられ、大いにご恩に感じております。ただこの馬は癒えたとはいえ、病根はすべて除かれたというわけではございませぬ。もし治療しなければ、後にふたたび病を発し、治療することはできなくなってしまうでしょう。わたくしが任地まで連れてゆき、幾日か走らせて、治療して、病根を断てば、はじめて虞えはなくなりましょう」。太后は言いました｡「卿の申すことは尤もだ」。そこで孟良に命じて、燕州に連れてゆかせました。孟良は勅旨を受けますと、叩頭して礼を言い、宿屋に退き、令公の骸骨を取り、店主に別れ、驌[馬霜]良驥に跳び乗り、燕州には行かず、佳山寨に逃げました。証拠に詩がございます。
隻身取却す令公の骸、慨想[118] 誰か彼の壮んなるに如かんや。槁木遼人機術巧みに[119]、又良驥を将て帯び将ち来たる。
