第二十五齣 訓子

【疎影】(旦が登場)愁雲は海頭を遮り、月は冷ゆ空閨の裏。生離死別。両処に悲しむ。夢にて人が帰るとも、沙場の()なる嫌ひあるべし[1]。空しく遺腹(わすれがたみ)を留め詩書を読ましめ、儒風[2]の落ちざることを願へり。

ひとり学びて友なくば、孤陋寡聞となりつべし。倅は学校で勉強し、以前よりましになったろう。かれが成人できれば、無駄はなかったことになる。これぞまさしく、黄金が(かご)に満つとも[3]、子供に経書を教ふるに如くはなし。(小生が登場)

【臨江仙】母の厳命をば受けて書を読みにゆき、千万の恥を受け尽くす。

(哭いて転ぶ仕草)母上。

(旦)ああ。倅や。なぜ学校で本を読まない。どうしてすぐに戻ってきた。(小生)

【紅衫児】母上はわたしを義学に就かしめたまへど、はやくも人に苛められたり。

(旦)林醜驢がおまえを苛めたのかえ。

(小生)同窓の友人に、からかはれたり。

(旦)どのようにおまえを苛めた。

(小生)打ち罵りて苛めらるるに耐へられず。この怨みをば誰にかは訴へん。

(旦)なぜ先生に知らせない。

(小生)あの先生は、かれが富豪の子であることを憐れみて、尋ねもせざりき。

【前腔】(旦)咎むるなかれ、人がおまへを苛むるを。家に主のなきことを自ら恨む。父は死に、母は独り身。林公子よ。たとひわが子を打ち殺すとも、誰かは救ひにくることあらん。

(小生)母上、まことに悲しゅうございます。

(旦)本当に悲しいが、ひとまず耐えて、書館へお行き。書を読むに怠るなかれ。一挙に名を成すことを得ば、その時は、みんなおまへを敬ひにきたるべし。

【獅子序】(小生)かれが腕白なることを、母は知るなし。くはへてかれはひねもす暖衣飽食し、数甕の黄齏を守るわたしに異なれり[4]。さらにわたしの楊修捷対、班馬勤読を怪しみて[5]、学問が成らざれば、かへつて嫉妬を生じたり。かれはわたしを貧しき書生と罵れり。わたしはかならず万里の外に封侯せられん。毛錐は必要なからん[6]

【前腔】(旦)家は貧しく、過ぐすは難し。くはへて母は力は弱し。ただ愁ふらくはわたしが旦夕溝渠に喪ぶる[7]

(小生)母上さえも子供を庇ってくださいませぬ。

(旦)母が庇はざるにあらず。倅を憐れむ心はあれど、いかんせん家は如かず、力は如かず、(いきほひ)は如かざれば、かれらと無用の争ひをなすを得ず。

(小生)学堂の友人はみなかれに味方しています。

(旦)これぞまさしく、世情は冷暖を見、人面は高低を逐ふ[8]

倅や。立つのだ。わたしはおまえを学校へ送ってゆこう。先生はおまえをお打ちにならないだろう。

(小生)わたしは死んでもあのひとの家へ勉強をしにゆきませぬ。

(旦)まだゆかないかえ。

(小生)決してゆきませぬ。(旦が打つ仕草)

【東甌令】母の言葉に、まだ従はずや。友の中にて諍ひを起こし、打ち罵られ器と成らずば、十余年母が憂き目に遭ひたるを空しうすべきことを知るべし。他年錦の衣にて帰るを得なば、これこそまことの男児なれ。

【前腔】(小生)男は文墨。女は針指[9]。子に勉強を教ふるは父のすること、庭訓に(したが)ふを得ざるを憐れみ、機を断ちて児を教へたり[10]。他年錦衣して帰るとも、身に老莱の衣を掛くとはもはや言ひ難し[11]

人と争ふことなかれ。学校に今から(ふみ)を読みにゆけ。
龍は浅き水に逢ひなば蝦にさへ弄ばるべし。(おほとり)は深き林に入りぬれば鵲にさへ欺かるべし[12]

 

最終更新日:2008年1月7日

尋親記

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[1]原文「夢裏人歸。應嫌是沙場鬼」。未詳。とりあえずこう訳し、夫が夢で戻ってきてもすでに亡くなっている可能性があることを恐れている句であると解す。「沙場」は戦場のことだが、ここでは辺境のことであろう。

[2]読書人の家風。

[3]『後漢書』西域伝「先馴則賞籝金而賜龜綬。」。

[4]原文「不似我守着幾瓮黄齏」。「黄齏」は黄ばんだ漬物。粗末な食事の代名詞。

[5]原文「又怪我楊修捷對。班馬勤讀」。未詳。とりあえずこう訳す。「楊修捷對」は『蒙求』の標題で、曹操の謎に楊修が即座に答えたことをいう。「班馬」はいうまでもなく、班固と司馬遷のこと。「班馬勤讀」は『蒙求』の標題ではないが、班固、司馬遷のように勉学に励むことをいうのであろう。

[6]原文「管封侯萬里。索甚毛錐」。『後漢書』班超伝「祭酒、布衣諸生耳、而當封侯萬里之外。」。王侯に封ぜられるのに、文筆の力は必要ないということ。「毛錐」は毛筆のこと。

[7]原文「只愁我旦夕喪在溝渠」。喪在溝渠」は「没溝壑」に同じであろう。死んでも棺に入れられず、溝に棄てられること。『孟子』滕文公下「志士不忘在溝壑」趙岐注「君子固窮、故常念死無棺椁没溝壑而不恨也。」。

[8]原文「正是世情看冷暖。人面逐高低。」。「世情看冷暖。人面逐高低。」は諺。世の人々は相手の地位や財力によって態度を変えるものだということ。俗文学に用例多数。

[9]「針指」は針仕事のこと。

[10]原文「可憐不得趨庭訓。斷機將兒誨。」。「趨庭訓」は孔子の子鯉が孔子の庭に趨いて教えを請うたことに因む言葉。『論語』季子「陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎。對曰、未也。嘗獨立、鯉趨而過庭。曰、學詩乎。對曰、未也。不學詩、無以言。鯉退而學詩。他日又獨立、鯉趨而過庭。曰、學禮乎。對曰、未也。不學禮、無以立。鯉退而學禮。聞斯二者。陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也。」。「斷機」は孟子の母が息子の学問が進まないのを見、機を断ち、学問を廃してはならないことを示した故事に基づく句。『列女伝』鄒孟軻母「孟子之母、教化列分、處子擇藝、使從大倫、子學不進、斷機示焉、子遂成コ、為當世冠。」。この句、父がおらず、子供を教育できないため、母である自分が子を教育したことを述べた句。

[11]原文「他年便做錦衣歸。早難道身掛老萊衣」。他年、故郷に錦を飾っても、老子のように錦の衣を着て親を喜ばせることはできないという趣旨であろう。『高士伝』「老子七十衣五彩衣為嬰兒戲、匍匐于父母前。」。

[12]原文「龍逢淺水遭蝦戲。鳳入深林被鵲欺」。優れた者も不相応な場所に陥ればつまらぬ者に虐げられるという趣旨の諺。俗文学に用例多数。

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