第十九齣 得胤
【憶秦娥】(旦が登場)災難に遭ひ、災難に遭ひ、憐れにも堪へ忍び、身二つとなる。身二つとなる。児の身はあれど、父の身はなし。
熊羆の夢は叶へば瑞気は満てるなり[1]。家は貧しく書き難し弄璋の詩[2]。
わたしは夫と別れた後、飢え凍えて過ごしている。腹の子供を守るため、張敏に限りなく酷い目に遭わされた。有り難いことに、今はもう、身二つとなり、子供を生むことができ、ようやく満月[3]になる。わたしには千万の思いがあるが、おまえに言うのは難しい。成長したら、父の怨みに報いておくれ。
【霸陵橋】七ヶ月、母の懐にありしとき、はやくも父を失へり。母は孤独に耐へたりき。誰かは倅の父となるべき[4]。蒼天にやむなく訴ふ。わたしの親は目の前の倅あるのみ。思へばおまへは周家の骨血。異日祖宗の香煙を継ぐべけん。ああ。願はくはおまへが容易に生長し、容易に育たんことぞかし。四不知荊娘の願ひを忘るることなかれ[5]。
【字字双】(丑)母親はひとり居り、ひとり寝ね、良き子を生めりと言はれたり。怪しむは、かれの夫の遠流せられて帰ることなき。憂ふるは、寡婦孤児の惨凄を受くれども、済ふものなき。
(見える仕草)周の奥さん。ご令息が満月となり、おめでとうございます。老いぼれはわざわざ小者に一碗の羹湯を煮させました。まもなく送ってくるでしょう。
(旦)大変ありがとうございます。おばあさん。
(丑)お子さんを拝見させてください。ああ。眉目清秀で、周秀才さまと瓜二つです。喜ばしや。
(末が米、肉を持って登場)白粲は芹意を表し、紅葉は題すべからず[6]。
(見える仕草。旦)執事どのはこちらへ何をしに来られました。
(末)員外がわたくしにわざわざ命じ、米、肉をこちらに送らせたのでございます。
(旦)員外さまにお気遣いいただくことはございませぬ。決してお受けいたしませぬ。お収めになり、戻ってゆかれよ。(末)
【綉停針】員外さまの言葉を伝へん。過ちて弄璋の詩を書くなかれ。わたくしをわざわざ祝ひにこさせたり。
(旦)何を祝うのです。
(末)掌上の明珠のおんみを祝ふなり[7]。満月の今日を喜び、とりあへずこれを借り、微意を示さん。ささやかな贈り物、肉と米とを持ちきたりたり。奥さまは物のささやかなることを咎めたまひそ。願はくは笑納し、咎めたまひそ。拒みたまひそ。
【前腔】(丑)寡婦孤児よ。員外は憐れみたまひ、芹意は美はし。米、肉を送りきて大いに援助したまへり。受け取り、飢ゑを充たすべし。
(旦)あなたはかれらの内心をご存じなきなり。かれらは連理を諧ふるを望みたるのみ。この小細工をわたしはつとに知れるなり[8]。送りきたれる礼物は行き届けども、
まだ一つのものが欠けています。
(末)何が欠けていますか。すぐに取ってきましょう。
(旦)一枚の去り状を欠けるなり。
お収めになり、お戻りください。わたしは決して受けませぬ。
(末)受けないのなら、員外さまに嫁ぐのを悔やんでいるのではあるまいな。
(旦)員外さまがわたしを娶ろうとなさるなら、みずから家をお訪ねになれば、はじめて結婚することができましょう。
(末)奥さん。この米、肉をお受けください。
(旦)米、肉は功がなければいかで受くべき。
(末)一言をもて夫妻となるをすでに定めぬ。
(丑)根が深ければ風の揺り動かすを恐れず。
(旦)樹が直ぐなれば月影の移るを何ぞ愁ふべき[9]。
(末が退場。丑)奥さん。あのかたの米は受けなくて結構ですが、あのかたの肉は受けるべきです。
(旦)趙おばあさん。かれの一塊の肉を受ければ、わたしの一塊の肉はどこに身を寄せるのでしょう[10]。
【山坡羊】倅はやうやく生まれたれども、家は貧しくいかで過ぐさん。いづれの時にか、いづれの時にか、かれは器と成りぬべき。倅が成長せんときは、母は幽鬼となりつべし。黄河さへ、黄河さへ澄む日あり。人たるものが運を得る時なかるべけんや。これを思へば、にはかに涙は垂るるなり。悲しめば、にはかに涙は垂るるなり。
【前腔】(丑)奥さまがご夫君を失ひたるを嘆きたり。かのひとが毒計に遭ひたまひしは、いと憐れなり。ご子息は生長し、生長しなばかならずや聡明たるべし。異日かならず父の怨みに報ゆべし。
張員外。おまえはこんなに良心に背いていたのか。
罪が満ち、罪が満ち、満ち溢るる日に、綸を収め釣を罷むる時もあるべし[11]。(前腔を合唱)
烈女は貧苦に耐ふべきぞ。交はりを絶ち富豪の翁に近づかず。
たとひ烏江の難あらんとも、誰か枯井に沈まんとせん[12]。
最終更新日:2007年12月9日
[1]原文「夢叶熊羆喜気舒」。夢に「熊羆」を見るのは男児出生の兆し。『詩』斯干「維熊維羆、男子之祥。」。
[2]原文「家貧難写弄璋詩」。「弄璋」は男児が生まれると璋を玩具として与えることから、男児の出生のこと。『詩』斯干「乃生男子、載寝之床、載衣之裳、載弄之璋。」。
[3]出産後一ヶ月の祝い。『土風録』「児生一月、染紅蛋祀先曰做満月。案唐高宗紀龍朔二年七月、以子旭輪生満月、賜酺三日、蓋始于此。」
[4]原文「有誰与孩児做主」。「做主」はここでは訳文の意であろう。
[5]原文「休忘了四不知荊娘愿」。「四不知荊娘」は未詳。文脈からすると母親のことか。
[6]原文「白粲表芹意。紅葉不須題」。「白粲」は白米のこと。「芹意」は微意。「紅葉不須題」はいわゆる「紅葉題詩」の故事にちなむ句。「紅葉題詩」は男女のどちらかが紅葉に詩を題し、それを相手が見たことが機縁となって結婚するという物語で、『雲渓友議』巻十の盧渥、『青瑣高議』流紅記の于祐、『本事詩』の顧況、『補侍児小名録』の賈全虚の故事が有名。
[7]原文「賀你掌上明珠」。「掌上明珠」は普通は父母の寵愛を受ける娘のことをいうが、ここでは張員外に恋慕された郭氏をさしていよう。
[8]原文「這些小意我先知」。「小意」が未詳。とりあえずこう訳す。
[9]原文「樹正何愁月影移」。普通は「樹正何愁月影斜」。心が正しければ行いも正しいことの喩え。「斜」が「移」となっているのは押韻の関係。また、ほかの男のもとに移ってゆくという含意もあろう。
[10]原文「我這一塊肉着於何処」。「一塊肉」は赤ん坊のこと。『宋史』瀛国公紀「楊太后聞昺死、撫膺大慟曰、我忍死艱関至此者、正為趙氏一塊肉爾、今無望矣。」。
[11]原文「一朝罪満。罪満盈餘日。也有収綸罷釣時」。「収綸罷釣」はここでは罪業を積み、その報いを受けるときになってはじめて悪行を止めることの喩えか。
[12]原文「假饒就有烏江難、誰肯沈埋枯井中」。「烏江」はいうまでもなく項羽が劉邦に追い詰められて自刎した場所。「假饒就有烏江難」は「項羽が死ぬときのような窮地に陥っても」の意であろう。『三国志演義』第十四回、麋夫人の故事と関係あるか。麋夫人は劉備の妻で、曹操に追われたとき、息子の阿斗を井戸の側らに置き、自分は枯れ井戸に飛び込んで死んだという。ここでは、張員外に逼られても、自分は息子を残して麋夫人のように死ぬわけにはゆかない、の意か。