第十七齣 遥奠
【鷓鴣天】(旦が登場)夫は辺地に流されてすでに死したり。孤魂は主がなくわたしには親なし。憐れなり漠漠たる沙場の鬼。なほも深閨夢裏の人なり[1]。
啼き哽び、涙はこもごも加はれり。わが腸は千に結ぼる。良人は天の涯にしぞある。終生白首をともにすることを欲せど、いかで知るべき死して黄沙に臥せんとは。風は瀟瀟。雨は漠漠。魂は障海の頭に飛びて、骨は蛮山の角に冷えたり[2]。これよりは王孫は夢にも帰らじ。芳草の年年緑なることに腸を断つ[3]。
わたしは夫と再会する日があることを望んだが、張解が戻ってき、夫は途中で死んだと言った。亭主どの。わたしはあなたとふたたびは会えませぬ。これからは恩愛は絶えましょう。今日はひとまず涼漿水飯[4]、紙銭一陌を調え、空にむかって遥かに供え、夫妻の情を表さねばならない。亭主どの。あなたは人に陥れられ無辜の死を遂げたまひたり。鸞鳳は分かれ飛び両途に隔たる。天涯に埋もれたる白骨を遥かに思ひ、とりあへず一杯の酒を夫に供へてん。
【香羅引】夫周解元、あらたに亡びし逝魂よ。空中で妻が訴へたることをひそかに聴けかし。夫婦となりて、百年に到らんことを望めども、亭主どの。誰か思はん安穏を享受する福分なしとは。飢寒をともに守ること七八年。死してあなたと再会せんと欲すれど、じつくり思へば難上の難。
亭主どの。
わたしは生を貪れるものにはあらず。
あなたは別れに臨む時、お命じになりました。
懐の子供を守れと。
怨みを含み供養をすればわたしの心は悲しめり。滂沱たる両の涙は落ちて乾かず。一霊は悟るや否や、とりあへず烈火もて紙を焼くべし。
【前腔】紙銭を焼けば、なにゆゑぞ風に従ひ乱れ飛びたる。
灰よ。
なじかは亭主の骸骨の辺へ行かん。嚢中に一銭を留めて見るのみ。銀銭紙さへ多からず[5]。明らかにお金とは分縁なし。
亭主どの。
あなたは金を借りしため喪びたまひき。お金を見なば御心はますます酸しくなりたまふにや。
張員外どの。
あなたは二十錠のお金のため、夫と妻を引き裂きて、ふたたび団円することをなからしめたり。
(浄末が登場)金は石もて試せばはじめて品質を知り、人は財もて交はればはじめて心を示すなり[6]。張千。わたしがおもてにいると言え。
(末旦を見る仕草)周の奥さん。員外さまがおもてにいます。
(旦が浄に会う仕草。浄)周の奥さん。「一拝せられて一拝を還しなば、来生の債務を省くべし[7]。」。あなたはわたしから多くのお金を借り、わたしに返せませんでした。ご亭主も亡くなったのに、こちらにひとりでいらっしゃるとは、どのようなお考えか。
(旦)員外さま。義は重きこと山に似て山さへも重からず。恩は深きこと海に似て海さへも深からず。亭主は死んだばかりで、骸は冷えておりませぬ。喪が明けましたら、工面して員外さまにお返ししましょう。
(浄)そんなに元手が増えるものか[8]。太歳の頭もあなたに騙されて白くなることだろう[9]。わたしは構わない。返す金がないなら、わたしといっしょに戻ってゆこう。(旦)
【雁過沙】天涯に夫は喪びたまへば、千里に寒衣を送る孟姜女には得ならず[10]。かのひとの骸骨を持ち帰る路銀がなければ、どの面下げて他の人に従ひゆくべき。飢寒に耐ふるは節義を全うせんがためなり。とりあへず二錠のお金の返済期限を遅らせよかし[11]。(浄)
【前腔】あなたが哭くのを目にすれば、思はず人も悲しめり。あなたは独りでこちらにありて寄る辺なし。わが家に身を寄するに如かじ。さすればはじめて二錠のお金の返済期限を遅らせん。
周の奥さん。あなたはわたしに多くの銀子を借りてらっしゃる。踏み倒すのではありますまいね。
(旦が背を向ける仕草)わたしが従わないなら、かならず毒計に遭うだろう。ひとまず承諾する振りをしよう。(振り向く仕草)員外さま。わたしが子を生み一月経てば、はじめて員外さまについてゆくことができましょう。
(浄)薬を飲んで堕胎してはどうだ。
(旦)薬を飲んで堕胎すれば、かならずや一失がございましょう。腹の子を損なうのはまだ良いのですが、わたしの体を損なえば、員外さまのお気持ちに背きましょう。
(浄)張千よ、覚えておけ。奥さんが身二つになった時、多めに米、肉を送ってきて養生させろ。
(旦)ご心配には及びませぬ。
(浄)佳期はすでに定まれり一言の中、わたしの心の喜びはたちまちに濃し。
(末)縁あらば、千里なりとも会ふを得ん。(旦)縁なくば、対面すれどもそれと気付かず。
最終更新日:2008年1月2日
[1] 原文「可憐漠漠沙場鬼。猶是深閨夢裏人。」。「沙場」は砂地、また戦場。ここでは周維翰が流された辺地の意であろう。夫は憐れにも辺地で死んだが、深閨のわたしの夢に今も現れるという趣旨であろう。
[2] 原文「魂飛障海頭。骨冷蠻山角。」。
[3] 原文「從此王孫夢不歸。斷腸芳草年年香B」。「王孫」は王侯の孫をいうが、ここでは周維翰を喩える。この句の趣旨はこれからは夫が夢に現れることも稀になろう、芳草は毎年緑になるのに、夫は戻ってこず、心は傷むということであろう。
[4]供物の酒とご飯。
[5] 原文「只這銀錢紙尚猶慳。」。「銀錢紙」は未詳だが、銀箔を張った紙銭であろう。
[6] 原文「金將石試方知色。人爲財交始見心」。金は試金石を用いれば品質が分かり、人はお金が絡むと本性を現すという趣旨の諺であろう。
[7] 原文「一拜還一拜。省欠來生債。」。おそらく諺なのであろう。挨拶をされたら返さなければいけないように、借りたものは返すようにすることが、来世での負担を減らすことになるという趣旨であろう。
[8] 原文「那有許多長本錢。」。「長本錢」が未詳。とりあえずこう訳す。
[9] 原文「太歳頭也被你哄白了。」。未詳。とりあえずこう訳す。「太歳」は凶神。
[10] 原文「做不得孟姜女千里送寒衣」。孟姜女は民間伝説上の人物。秦の時代、長城建設の労役に徴発された夫のもとに寒衣を届けたが、夫はすでに死んでいたので、哭いたところ、長城が崩れたという。
[11] 原文「這兩錠生錢方可放遲。」。「放遲」は未詳だが、訳文の意味であろう。