楔子

(冲末が張守珪に扮し、兵卒を率いて登場、詩)

貔貅(ひきう)を擁し、朔方を鎮定し

辺塞に臨むたび、降王[1]を受けいれつ

太平の世に轅門(えんもん)は静かなり

雕弓を自ら執りて、雁行を数へたり

それがしは姓は張、名は守珪。幽州の節度使に任ぜられたり。若くして儒書を読み、兼ねて韜略にも通ぜり。藩鎮の名臣となり、心膂の篤き信頼を受く[2]。嬉しきことに、近年来、辺境に烽火は収まり、兵士は閑なり。昨日は、奚、契丹[3]部がみだりに公主さまを殺せば、捉生使[4]安禄山に兵を率いて征討せしめど、報告は来ず。部下よ、轅門の前で見張りし、来たときはわしに知らせよ。

(兵卒)かしこまりました。

(浄が安禄山に扮して登場、言う)わたしは安禄山。先祖代々、営州の雑胡たり、本姓は康氏といひ、母の阿史徳は、突厥の(かんなぎ)にして、戦闘の神、軋犖山[5]に祈願してわれを生みたり。生まれし時に、光は穹廬(きゆうろ)[6]に輝きて、獣はすべて鳴きたれば、軋犖山とぞ名付けたる。母はその後、安延偃と再婚せしかば、安姓となり、安禄山と名を改めり。開元年間、延偃はそれがしを連れて帰国し、聖恩を受け、張守珪配下に属せり。それがしは六蕃[7]の言語に通じ、膂力は人に勝るれば、このたび、捉生討撃使[8]にぞ任ぜられたる。昨日は奚、契丹が反逆すれば、征討をしぞ命ぜられたる。勇力を恃んで深入りしたれども、はからざりき衆寡敵せず、師[9]を失へり。今日は戻りて大将に会ひ、ほかに手を打たずばならず。はやくも入り口にしぞ到れる。部下よ、取り次ぎせよかし。捉生使安禄山が会ひに来たりと。

(兵卒が報告をする。)

(張守珪)中へ呼んでくれ。

(安禄山が会う)

(張守珪)安禄山よ、勝敗はどうなった。

(安禄山)賊は多勢で、味方は無勢にございますれば、兵らは怯え、敗北しました。

(張守珪)軍機をば誤るは、法例で許されぬこと。部下よ、推し出して、首を斬り、報告せよ。

(兵卒が推し出す)

(安禄山が大声で叫び、言う)大将は奚、契丹を滅ぼそうとはなさらぬのですか。どうして壮士を殺されるのです。

(張守珪)こちらに戻せ。

(安禄山が戻る)

(張守珪)わしもおまえの武勇を惜しんでいるのだが、国家には決まりがあるから、法を枉げ、恩を売ることはせぬのだ。おまえを都に上らせるから、聖断を仰いではどうだろう。

(安禄山)命を助けていただいたご恩に感謝いたします。(護送されて退場)

(張守珪)安禄山は行ってしまった。(詩)

知るべし、生かすも殺すも旗牌[10]によるを

ただ陣中に将を惜しめり

しからずば 一人の(えびす)(かうべ)を斬るに

聖断を煩はす必要はなし

(退場)

(正末が唐玄宗、旦が楊貴妃に扮し、高力士、楊国忠、宮女を連れて登場)

(正末)朕は唐玄宗ぢや。高祖神堯皇帝は晋陽に兵を挙げられ、わが太宗皇帝は六十四箇所の戦塵と、年号をみだりに変へし十八人の者を滅ぼし、大唐の天下をうち立てたまひたり。高宗と中宗の頃、不幸にも宮闈[11]の変あり。朕は臨淄の郡王として、兵を率ゐて、乱を鎮めて、長兄の寧王は朕に位を譲りたり。即位して二十余年、幸ひに太平無事なり。賢相の姚元之、宋m、韓休、張九齢は、心を同じうして世を治め、朕をして安逸を遂ぐるを得しめり。六宮に嬪御(ひんぎよ)は多きも、武惠妃の死後、気に入りし者はなし。去年(こぞ)八月の中秋に、夢に月宮へと遊び、嫦娥を見たり。世にも稀なるものなりしかど、昨日見し寿邸[12]の楊妃は、いとも嫦娥に似たりしかば、道姑となして、宮中に入れ、冊立し、貴妃となし、太真院に住まひせしめり。太真の宮中に入りてより、(あした)に歌ひ、(ゆふべ)(うたげ)し、虚しく過ごす日とてなし。

高力士よ、今すぐ詔を伝え、梨園の子弟に音楽を奏でさせるのだ。気晴らしをするとしようぞ。

(高力士)かしこまりました。

(外が張九齢に扮し、安禄山を護送して登場)

(詩)

(ていだい)[13]を調整し、陰陽[14]ををさめ

位は鵷班(ゑんはん)[15]に列して官署に坐せり

四海は太平 一事とてなく

朝な朝なに(くつ)を曳き、君王に侍す

それがしは張九齢。南海[16]の者。若くして甲第に登り、聖恩を受け、丞相の位に至れり。先だって、辺地の将軍、張守珪が、軍機を誤りたる蕃将[17]、名は安禄山といふ者を護送しきたれり。その身は肥えて、背は低く、口は達者で、数々の異相あり。この者を生かしてをかば、必ずや天下を乱さん。聖上に会ひ、直々にこのことを上奏すべし。はや宮門の前に至れり。(入って会う)(言う)張九齢がまいりました。

(正末)そのほう、何をしにまいった。

(張九齢)近ごろ、辺地の臣下、張守珪が、軍機をば誤った蕃将の、安禄山を護送してまいりました。法例によれば、斬首すべきでございますが、勝手なことはできませぬので、護送して、ご裁断を仰ぐのでございます。

(正末)その蕃将を連れてきて見せてくれ。

(張九齢が安禄山を連れてきて見せ、言う)これが軍機を誤った蕃将の安禄山にございます。

(正末)すばらしい将軍じゃ、そのほうの武藝はいかに。

(安禄山)(わたくし)左手(ゆんで)でも右手(めて)でも弓を挽くことができ、十八武藝は、よくしないものはなく、六蕃の言葉に通じておりまする。

(正末)かように肥満しておるが、こやつめ、腹の中には何があるのじゃ。

(安禄山)赤心があるのみにございます。

(正末)丞相よ、この者を殺すべからず。生かして白衣[18]の将軍とせよ。

(張九齢)陛下、この男には異相があり、生かしておけば、後の患えがございましょう。

(正末)王夷甫の石勒を識りたるがごとくするなかれ[19]。生かしておいても構うまい。部下よ、こ奴を許すがよいぞ。(縄目を解く)

(安禄山が立ち上がり、感謝して言う)聖上に救はれしご恩に謝せん。(跳んで舞う)

(正末)それは何だ。

(安禄山)胡旋舞にございます。

(旦)陛下、この者は背が低く、舞うこともできるのですから、生かしておいて、気晴らしをなさいませ。

(正末)貴妃よ、そのほうの義子にするから、もらってゆけ。

(旦)ありがとうございます。(安禄山とともに退場)

(張九齢)国舅(こくきゅう)[20]、あの者は異相があれば、必ずや唐室の衣冠[21]を乱し、禍を受くること多からん。それがしは老いたれど、国舅は禍に遭ふことあらん。いかがせらるる。

(楊国忠)明日になったらまた上奏し、排除するのがよいだろう。

(正末)後宮が何ゆえかように騒がしいのだ。部下よ、見にいって報告をせよ。

(宮女)貴妃さまが安禄山と洗児会[22]をしてらっしゃいます。

(正末)洗児会をしているのなら、百文の金銭[23]を賜わり、祝儀としよう。いますぐに安禄山を呼んできてくれ。あの者に官職を与えよう。

(宮女が金銭を持って退場)

(安禄山が登場、皇帝に見え、言う)賜わり物に御礼申し上げまする。わたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(正末)そのほうを呼んだのはほかでもない。そのほうは貴妃の子だから、朕の子じゃ。白衣のものは宮中に入れねば、そのほうを平章政事[24]に任じよう。

(安禄山)聖恩に感謝いたします。

(楊国忠)陛下、かようなことはなりませぬ、なりませぬ。安禄山は、軍機をば誤った辺将ですから、法により斬刑に処せられるべきであります。その死を免れさせるだけでも、十分でございますのに、今、宮廷に仕えさせるのは、宜しくはございませぬ。どのような功績があり、平章政事となさいますのか。まして胡人は狼の野心を持っていますから、お側近くに置かれてはなりませぬ。お考えあそばされまし。

(張九齢)楊国忠どのの言葉に、従われねばなりませぬ。

(正末)尤もなる申しようじゃ。安禄山よ、まずはおまえを漁陽の節度使としよう。蕃漢の兵馬を率い、辺境を鎮守して、すみやかに軍功を立てたらば、破格の抜擢をしてやろうぞ。

(安禄山)聖恩に感謝いたします。

(正末)そのほう、朕を怨むでないぞ。これは国家の法だから、ゆるがせにできぬものなのだ。(唱う)

【仙呂端正好】

何らの奇功も建てざれば

そのはうを宰相となせりとて

朝廷のものたちは鑾輿(らんよ)[25]を責めん

平章政事は居り難ければ

朕は他の官禄をなんぢに与へん

【幺篇】

とりあへず、なんぢを漁陽節度使となし

強き(あだ)をば破らせて、永く幽都を守らしむべし

国が危ふくなりしとき、はじめて防ぐことなかれ

常に変事に先だちて、謀をば設くべし

猛将を収め

皇図をば保たしめ

鉄券を分かち

丹書をば賜はらん[26]

功労簿には背くことなかるべし[27]

(ともに退場)

(安禄山)聖上は宮中にお帰りになり、それがしは宮門を出る。楊国忠めはまことに無礼。御前にて上奏し、わしを漁陽の節度使とした。上辺は昇進、中身は左遷。他のことはどうでもよいが、貴妃さまとわしとはいささか誼がある。遠く離れて、どうして心が安らかでいられよう。まあよかろう。わしはこれより漁陽に赴き、兵馬を養い、あらためて手を打とう。これぞまさしく「虎を描きて成らねども、笑はるることなかれ。牙と爪とを用意せば、まことに人を驚かすべし」。(退場)

 

第一折

(旦が貴妃に扮し、宮女を連れて登場、言う)わらはは楊氏。弘農の者。父親は楊玄(やうげんえん)、蜀州の司戸[28]なりき。開元二十二年に選ばれ寿王の()となる。開元二十八年八月十五日、聖上の誕生日[29]、わらはは朝賀し、聖上はわらはの顔の嫦娥に似たるをご覧になられ、高力士をば遣はして勅旨を伝へ、道姑とし、内太真宮[30]に住まはせ、太真の号を賜はれり。天宝四年、册封せられて貴妃となる。皇后に半ばするお召しを蒙り[31]、寵愛は格別なりき。わが兄の楊国忠は丞相となり、三人の姉妹(あねいもうと)は、封ぜられ夫人となり、一門の栄耀栄華は極まれり。近ごろ辺境より蕃人を送り来たれり。名は安禄山。狡猾にして、よく人の機嫌取りをし、さらによく胡旋舞を舞ふ。聖上はわらはに賜ひて義子としたまひ、宮中に出入りさせたり。ところが、わが兄、楊国忠はあら捜しをし、陛下に奏し、安禄山を封じて漁陽節度使となし、辺境に送りたり。わらはは心に懐かしく想へども、ふたたび会ふはかなはねば、まことに悲し。今日は七月七夕(しちせき)なれば、牽牛織女は相逢ふて、人の世は乞巧節なり。すでに宮女に言ひ含め、乞巧筵を長生殿に設けさせたりしかば、乞巧[32]をすることとせん。宮女よ、乞巧筵は整ひたるや。

(宮女)すでに準備はできております。

(旦)では乞巧をするとしよう。

(正末が宮女を連れ、灯を持ち、小道具を持って登場、言う)朕は今日、朝廷から戻ったが何事もなく、一心に貴妃を想うている。長生殿に宴を設けさせたから、七夕を賞でるとしよう。内使[33]よ、駕を引いてゆけ。(唱う)

【仙呂八声甘州】

朝政を整ふるに倦み

昭陽に痛飲し

華清に爛酔せんとせり[34]

朕にはまさに幸あるべし

太真は国を傾け、城を傾く[35]

珊瑚の枕に、二人の心は満ち足りて

翡翠の簾に、百種(ももくさ)の媚態を生ぜり

夜はともに寝

昼はともに行き

鸞鳳の鳴き交はせるがごときなり

(言う)楊妃を得てより、まことに「朝朝寒食、夜夜元宵」なり。

(唱う)

【混江龍】

(ゆふべ)になれば興に乗り

襟に満ちたる清き気に、酒は醒めたり

龍袍の羅扣[36]を緩め

鳳帯[37]と紅[革呈][38]を斜めにし

侍女は支ふる碧玉の輦

宮女は持てる絳紗の灯

風のまにまに聞こゆるは

簫韶令[39]

(内が笛太鼓を鳴らし、笑いさざめく)

(正末)いずこでかように笑いさざめいておるのだ。

(宮女)太真さまが長生殿にて乞巧宴を催してらっしゃるのです。

(正末)宮女たち、足音をたててはならぬ。わしが自ら見にゆこう。(唱う)

恐らくは臙嬌(えんけう)[40]の群がりて

粉黛[41]の美しき姿をぞ示すらん

【油胡蘆】

お車を迎へよと告ぐる宮女よ、とりあへずゆつくり歩め

みづから聴かん

(たま)(きざはし)へと上り、歩みを進め、(はしら)の前に近付けば

ひつそりと紗の窗を掩へり

撲撲(ぷうぷうすうすう) 風は珠簾の影を揺らせり

行かんとすれば

ぎつくりとせり

怪しむらくは、玉の籠なる鸚鵡の人の(さが)を知り

止めどなく、はつきりと語りたるなり

(内が鸚鵡の鳴き声で言う)陛下が来られた。お車をお迎えせよ。

(旦が驚いて言う)陛下が来られた。

(車を迎える)

(正末が唱う)

【天下楽】

ただ見る、(はね)をひろげて[42]忙しく万歳と叫ぶ声あれば

驚きて、(へいてい)[43]は鑾駕を迎へり

(うんほう)[44]も描き得ず

描き得ず

歩みはか弱く

姿形は美しく

声は柳の外の鶯にぞ似たる

(言う)そなたはなにゆえここにいるのだ。

(旦)七夕にござゐますれば、わらはは瓜果の会を設けて、天孫[45]に乞巧せるなり。[46]

(正末が見て、言う)きれいに準備を整えたな。(唱う)

【酔中天】

龍麝[47]をば金鼎に焚き

花萼をば銀瓶に挿す

ささやかな金盆に五生[48]を植ゑて

丹青を掲げ鵲橋会(じやくけうくわい)に供へて

米ほどの大きさの蜘蛛を囲めり

六宮の寵幸を奪ひ尽くして

これ以上、いかやうに巧みならんと欲するや[49]

(正末が旦に小道具を与え、言う)この金釵一対と、鈿盒を、なんぢに与へん。

(旦が受け取り、言う)聖恩に感謝せん。

(正末が唱う)

【金盞児】

絳紗を被らせ

翠盤に置かん

二つの礼物は人に捧ぐるに堪へ

この新秋の折に乗じて

卿卿(なんぢ)に賜はん

七宝の金釵に厚き心を誓ひ

百花の鈿盒にて深き情を表す

金釵をば高く頭上に戴かせ

鈿盒を高々と手中に持たせん

(旦)陛下、秋の景色は美しければ、ご一緒にそぞろ歩きを致しましょう。

(正末がともに進む)(唱う)

【憶王孫】

(たま)(きざはし)の月の色 疏らなる(れんじ)に揺らめき

(しろがね)(ともしび)の秋の光は 画屏(ぐわへい)[50]に冷たし

この時、この夜の景色をぞ賞でんとし

月のまにまに人気なき庭に歩めば

苔は濡れ、波を凌げる(うすぎぬ)(したうづ)を冷やしたり[51]

(言う)秋の景色は四時のなかでも格別ぞ。

(旦)どうして格別なのでしょう。

(正末)わしの話を聴くがよい。(唱う)

【勝葫蘆】

露は降り、天高く、夜気清し

そよ風は羽衣(うい)を払へり

香は匂ひたち、丁東(ティントン)環佩(おびだま)の音すなり

碧天(あをぞら)は澄み

銀河は輝き

玉蓬莱にあるかと疑ふ

(旦)今宵は牽牛織女の会ふ時、一年に一度会ふのみなれば、いかでか離れしむるを得べけん。

(正末が唱う)

【金盞児】

かれらは今宵、雲路にて(おほとり)の車に乗れり

銀漢に鵲の橋は平らかなり

今宵はじめて歓会をなしたれど

たちまちに枕辺に暁の(くだかけ)を聴き

早くも別れの愁へを抱き 情は脉脉

別れの泪 雨は泠泠[52]

五更に長く溜息をつく

わづか一夜の短き情

(旦)かれらは空の星なれば、一年(ひととせ)の間、会えずとも、お互いを想うているかは分かりませぬ。

(正末)想うておらぬはずがあるまい。(唱う)

【酔扶帰】

ひそかに想ふ、牽牛織女は定めでは

老ゆることなく

とこしへに生くるものなれど

銀河を隔てて便りは通ぜず

一年(ひととせ)孤りとぞなれる

試みに天宮に訊ぬべし

かれらは恋の病にぞ罹りたるらん

(旦)わらはは陛下に侍るを得、寵幸は極まれり。ただ恐る、容貌の日々に衰へ、織女のごとく長からざるを。

(正末が唱う)

【後庭花】

星宿の名を上にして

塵世の生を下にして

天上の姻縁を重んじて

人間(じんかん)の恩愛を軽んずるものにはあらず[53]

おのおのがまことを持たば

天は必ず(こた)ふべし

かれらは何ぞ称ふるに足るべけん

(旦)思うに牛郎織女(ひこぼしおりひめ)は、年ごとに相(まみ)え、天地とともに永久(とこしへ)に、ひたすらかくのごとくあれども、世の人々は、などてかは、れらのごとく(なさけ)の長きことを得ん。

(正末が唱う)

【金盞児】

日ごとに霞の(さかづき)[54]に酔ひ

夜ごとに銀の(ついたて)[55]にしぞ宿りたる

かれらは年に一日会ふため、佳き日を待てり

楽しみの多きことでは

われらが勝らん

我は君王なれどもなほも妄想し[56]

(なれ)は皇后なれどもなほも軽んぜらるることを恐れり

斗牛星畔なる客の[57]

(かうべ)をめぐらし、行く末を問ふもむべなり

(旦)わたくしは聖上の恩寵を受くること比ぶるものなし。ただ恐る、春の老い、花の窶れて、聖上の恩の移ろひ、寵の衰へゆくことを。われをして、龍陽[58](うを)に泣きたる悲しみと、班姫の扇を題せし怨みを抱かしむるを、いかにぞすべき。

(正末)妃よ、何を申すのだ。

(旦)陛下、何とぞ誓いを立てられて、思いを変えられませぬよう。

(正末)向こうへ話をしにゆこう。(進む)(唱う)

【酔中天】

半ば傾きたる肩に凭るれば

かれは百媚の顔を擡げり

これぞまさしく、金闕の西廂に玉の(とびら)を叩くなり

悄悄として回廊は静かなり

彩鳳を招き、青鸞を舞はしたる、金井[59]梧桐(あをぎり)の樹の影で[60]

人のひそかに聴くことはなけれども

小声にて海誓山盟(かたきちかひ)をなさるべし

(言う)妃よ、わしとおまえはこの世にありてはともに老い、死せし後には、世世ながく夫婦とならん。神さま、お護りくださいまし。

(旦)誰が証しとなりましょう。

(正末が唱う)

【賺煞尾】

とこしへに一双の鈿盒[61]のごとくして

金釵[62]の二つに分かるるごとくするなかれ

願はくは、世世(えにし)をば結ばんことを

(あめ)にありては鴛鴦(をし)となり常に並びて

(つち)にありては連理の枝を生ぜんことを

月は澄み、銀漢は音こそなけれ

千秋万古のことどもを説き尽くし

おのおのがまことを持てり

誰が証しとなるやと汝は問ひたれど

今宵、天河を渡りて(まみ)ゆる織姫と彦星ぞある

(ともに退場)

第二折

(安禄山が諸将を率いて登場、言う)それがしは安禄山。漁陽に来てより、番漢[63]の人馬をば操練し、精兵は四十万、戦将は千人あり。明皇は今や耄碌し、楊国忠、李林甫は朝政を弄びたり。これよりは、逆賊を討つことを名目として、兵を挙げ、長安に行き、貴妃を奪ひて、唐朝の天下を取らば、わが平生の願ひは足るべし。部下よ、軍馬は揃ひしや。

(諸将)みな揃いましてございまする。

(安禄山)軍政司をしてまず檄を発せしめ、それがしが密旨を奉じて楊国忠らを討たんとしつつありと言へかし。しかる後、史思明に兵三万を率ゐさせ、潼関をとりし後、まつすぐに都に至らば、大事をなすは手のひらを返すが如きことならん。

(諸将)かしこまりました。

(安禄山)今日は日も暮れたから、明日挙兵するとしよう。

(詩)

精兵(つはもの)を率ゐてただちに潼関をしぞめざすべき

唐朝は防ぐすべさへなかるべし

貴妃さま一人を奪はんとするのみにして

錦繍の江山のためにするものにはあらず

(ともに退場)

(正末が高力士、鄭観音を連れ、琵琶を抱え、寧王が笛を吹き、花奴が羯鼓を打ち、黄翻綽が(はん)[64]を手に、旦を取り巻きながら登場)

(正末)今日は新秋、わしは朝廷より帰り、なす事もなし。妃は霓裳羽衣の舞をし学び得たれば、ともに御園の沈香亭に赴きて、遊びせん。はやくもきたり。見よ、この秋の風物は、まことに心を動かしめたり。(唱う)

【中呂粉蝶児】

天淡く雲は閑たり

長空(おほぞら)に数列の征く(かりがね)は並びたり

御園の(うち)なる夏の(けしき)(そこな)はれ

柳は黄を添へ

(はちす)は翠を失ひて

秋の(はちす)(はなびら)は落ち

人気なき(おばしま)の近くに坐すれば

清き()を噴き、玉の(かざし)の花は綻ぶ

(言う)はやくも御園の中に来た。ささやかな宴だが、なかなかに整っている。(唱う)

【叫声】

妃とともに喜び、顔を綻ばす

やすやすと、やすやすと

御園の中に酒肴を並べ

酒は嫩鵝黄(どんがこう)[65]を注ぎ

茶は鷓鴣斑(しやこはん)[66]に点じたり

【醉春風】

酒の光は蕩へる紫金の(しよう)

茶の香は浮かぶ碧玉の(さん)

沈香亭の畔には晩凉多く

一角をみづから選び

粉黛は艶やかに装ひて

管弦はずらりと列び

綺羅は相(まじ)はれり

(外が使臣に扮して登場、詩)

長安を見返れば(あやぎぬ)(やま)をなし

山頂の千門はたちまちに開きたるなり

一騎の紅塵 妃は笑へり

人の知るなし 荔枝の来たるを

わたくしは四川道から遣はされた使臣だ。貴妃さまが新鮮な荔枝を好まれるため、詔旨を奉じ、新しいものを献上するのだ。はやくも朝門の外に着いた。宮官よ、取り次ぎをしておくれ。四川の使臣が荔枝を進上しにまいりましたとな。

(報告をする)

(正末)中に入れよ。

(使臣が駕に見え、言う)四川道の使臣が荔枝をば献上いたします。

(正末が見て、言う)妃よ、そのほうがこの果物を食べるのを好むので、ことさらに急いで献上するように命じたのだぞ。

(旦)よろしい荔枝にございます。

(正末が唱う)

【迎仙客】

香はしく味はまことに甘くして

麗しく色は初めて綻べり

疑ふらくは九重の天より人の世に落ちしかと

取ることは難くして

得し後ぞ珍しき

惜しむべし、長安に近からざれば

紅塵を駅使に践ましめたることを

(旦)この荔枝は色が美しく柔らかく、まことに愛すべきものにございます。

(正末が唱う)

【紅繍鞋】

金盤の(うち)にて美しきのみならず

玉手にとりて食らふによろし

げに(あか)(うすぎぬ)の水晶の寒きをば籠むるなり

なにゆゑに、朕の醉ひたる(まなこ)をば目覚めしめ

妃の麗しき顔を紅くせる

物の珍しく人の見ること稀なればなり

(高力士)お妃さまを盤に登らせ、霓裳の舞を演じていただきましょう。

(正末)そのほうの申すとおりにしようぞ。

(正旦が舞う)

(楽隊が興を添える)

(正末が唱う)

【快活三】

汝ら仙音院[67]に告ぐ ぐづぐづとすることなかれ

汝ら教坊司[68]に告げん 準備をなすべし

太真妃をば介添へし、翠盤[69]の間にあらしめ

盛装と化粧をさせよ

【鮑老児】

泥金衫[70]の両袖を取りて挽き

月殿に霓裳を引く

鄭観音[71]が琵琶を弾く準備をすれば

はや(かうせう)の帯を着けたり

賢王[72]の玉笛に

花奴[73]の羯鼓は

(おと)美しく繁くして

寿寧[74]の綿の(おほごと)

梅妃の玉の簫の()

嘹喨として繞るなり

【古鮑老】

かちかちと紫檀[75]を並べ[76]

黄翻綽[77]は進み出て、手に(はん)を持ち

小声にて玉環さまと呼びかけり

太真は笑へば花のごときなり[78]

紅牙箸(こうがちよ)[79]は五音に従ひ

敲きつつ梧桐に触るれば

嫩かき枝はなほ乾くことなく

瑶琴を弾く音を帯びたり[80]

卿よ

瓊珠(けいしゆ)の汗を幾粒か出だすべし

(旦が舞う)

(正末が唱う)

【紅芍薬】

腰の(つづみ)の音は尽き

羅の(したうづ)は弓なりに曲がるなり

玉佩(おびだま)丁東(ティントン)として響きは珊珊(シャンシャン)

舞へばたちまち雲鬟は傾きて

蜂腰(ほうやう)の細きを示せり

燕の体は翻り

両袖に香はしき風を拂へり

(言う)疲れたろう。一杯の酒を飲むがいい。

(唱う)

朕みづからが甘く冷たき玉露[81](はい)を捧ぐれば

飲み残すことなかれ

()の静まりて更闌(こうた)くるまで飲みて酔ふべし

(旦が酒を飲む)

(浄が李林甫に扮し登場)わたしは李林甫、左丞相の職にある。今朝、急の報せがきて、安禄山の反乱があり、軍馬は多く、対抗しがたい事を知らせた。聖駕に見えなければなるまい。(聖駕に見える)

(正末)丞相よ、何事じゃ。このように慌てておるとは。

(李林甫)辺境より急報がございました。安禄山が造反し、軍馬がたくさん押し寄せてまいります。陛下、平和な日々が長かったため、人々は戦に慣れておりませぬ。どうしたらよろしいでしょう。

(正末)なにゆえに慌てておるのだ。(唱う)

【剔銀灯】

辺境の造反を奏するのみなら

閑を見て

宜しき時を見計らふべし

わが宴にて笙歌の消ゆるのも待たず

息を切らして出し抜けにわが下に現るるとは

斉管仲、鄭子産にぞ及ばざる

忠良な龍逢、比干とならんとするや[82]

(李林甫)陛下、賊兵は今や潼関をば破り、哥舒翰は守備を放棄し、逃げ帰り、間もなく長安へと到らん。京城に人はなければ、守るはかなはじ。いかがせばよかるべき。

(正末が唱う)

【蔓菁菜】

周公旦は慌てて死せんばかりなり[83]

(李林甫)陛下、ひとへに女寵、讒夫の盛んなるがため、兵士らの来るを招けり。

(正末が唱う)

このわしが、歌舞により、江山を損ひたるとそのはうはまうせども

そのはうは平素より奸悪なれば

羽扇、綸巾、談笑の間に[84]

強敵二十万人を破れはすまじ

(言う)賊兵が関中に入ってきたなら[85]、汝ら諸官は相談し、将を選んで兵を率いて出征させればそれでよかろう。

(李林甫)今、京営の兵は一万にも足らず、将官は老衰し、哥舒翰のような名将も、支えることは叶いませぬから、誰も行くことはできませぬ。

(正末が唱う)

【満庭芳】

汝ら文武両班は

烏靴(うくわ)象簡(ざうかん)金紫(きんし)羅襴(ららん)を空しく列べり

その中に英雄の

塵寰を掃蕩するなし

無道なる禄山を野放しにして

やすやすと潼関を破らしめ

まず哥舒翰を破らしめたり

怪めり、きのふの晩は

烽火を見ずに平安を報ぜしを

(言う)卿らには、賊兵を退けるべき、いかような策がある。

(李林甫)安禄山の部下たちは、番漢の兵馬四十余万、一をもって百に当たるものばかりですので、どうしてかれらを退けることができましょう。陛下は蜀に幸され、鉾先を避けられるのが宜しいでしょう。天下の兵が至りましたら、ふたたび策を講じましょう。

(正末)そなたの申した通りにしよう。勅旨を伝え、六宮の嬪御、諸王百官をば集め、明日の朝、蜀に行くことにしよう。

(旦が悲しみ、言う)わたくしはどうしたらよろしいのでしょう。

(正末が唱う)

【普天楽】

恨みの窮まることはなく

愁への果つることはなし

いかんせん倉卒の際なれば

山に登るを避くるはかなはじ

鑾駕は遷り

成都を目指せり

滻水[86]の西に飛ぶ(かりがね)

一声一声、雕鞍を送れるになどか堪ふべき

故園に心を傷ましめ

渭水には西風が吹き

長安に日は落ちゆけり

(旦)陛下、旅路の苦労になどか耐ふべき。

(正末)朕とてもどうすることもできぬのだ。(唱う)

【啄木児尾】

馬の()のか弱き(なれ)をじつと見る

蜀道の険しきになどか耐ふべき

(なれ)に替はりて嵯峨たる嶺と連雲桟を愁へたり

かねてより旅に慣れたるべくもあるまじ

いかほどで剣門関にたどり着くやら

(ともに退場)

第三折

(外が陳玄礼に扮して登場、詩)

世々君のご恩を受けて禁軍を統べ

天顔の喜怒をぞ先に聞くを得る

太平の武備はみな用もなきものなりしかど

誰か思はん、狂胡(きやうこ)[87]は戦塵をしぞ起こせる

それがしは右龍武将軍陳玄礼。近ごろ、逆胡[88]安禄山は乱を起こせば、潼関は陥落したり。昨日は、大臣たちが会議をし、聖駕はしばらく蜀川に御幸され、鉾先を避くることとなりたり。すでに急ぎの報せがあり、賊兵は京城を離るること遠からずとか。聖上はそれがしをして禁軍を統べ、駕を護らしめたまひたり。軍馬はとうに点呼を終へて、もつぱら聖駕の出発を待つ。

(正末が旦及び楊国忠、高力士、太子、扈駕(こが)[89]の郭子儀、李光弼を連れて登場)

(正末)人を見る眼のなきがため、狂胡の乱をなすを致せり。事は緊急に出でたれば、ただ西に行き、兵乱を避くるのみ。まことに悲しや。(唱う)

【双調新水令】

五方旗[90]日辺(にちへん)[91]の霞をし翻し

半張の鑾駕は侘し[92]

鞭を揮ふに倦み疲れ

鐙を踏めることぞ懶き

京華(みやこ)(かうべ)をめぐらせば

一歩を進むることもかなはず

(言う)朕は九重深くにをれば、閭閻(りよえん)[93]の貧苦をなどかは知らめ。(唱う)

【駐馬聴】

隠隠たる天涯に

()れ淋し山川(やまかは)が五つ六つ

蕭蕭たる林には

崩れし家が二三軒

秦川の遠き樹は霧に霞みて

灞橋の枯れたる柳に風は蕭蕭たり

碧窗紗[94]

明けの光の鴛鴦(をし)の瓦に輝くにまさることなし

(衆が父老に扮して登場、言う)陛下、村人たちが叩頭をいたします。

(正末)父老どの、話しは何じゃ。

(衆)宮闕(みやい)は、陛下のお住まいで、陵寝(みささぎ)は、ご先祖さまのお墓ですのに、今、これを棄てられて、いずこに行かれるのでしょうか。

(正末)やむをえず、しばらく兵を避けるのじゃ。

(衆)陛下がとどまられぬのでしたら、わたくしどもは子弟を率い、殿下に従い、東に進み、賊をば破り、長安をお取りしましょう。殿下と至尊が蜀に入られましたらば、中原の人民は、どなたを主とすればよいのでございましょう。

(正末)父老の申すことは尤もだ。部下よ、わが子をこちらへ呼んでまいれ。

(太子が会う)

(正末)父老たちはこう申しておる。中原に主はなければ、なんじは留まり、東に還り、兵を統べ、賊を殺せと。郭子儀と李光弼を元帥にして、殿軍の三千人を分け与え、なんじとともに帰らせよう。わしの話を聴くがよい。(唱う)

【沈醉東風】

父老らの忠言を聴き入れて

小儲君(ひつぎのみこ)を征伐に当たらしむ

なんぢにも些かの社稷の憂へを分け与ふべし

他の者を江山に霸となすべけんや

伝国の(はう)[95]をなんぢに与へん

(太子)兵を統べ、賊を殺さんとひとへに思へども、などかはあへて天位に登らん。

(正末が唱う)

賊を除きて

国を救ふに

天子と称することを避くべきにはあらず

(太子)国家の大事にござゐますれば、詔を受け、郭子儀、李光弼を率ゐて還るべし。(駕に別れを告げる)

(軍が進まない)

(正末が唱う)

【慶東原】

前軍よ、とく進めかし

何ゆゑぞ出発せざる

(軍が鬨の声をあげる)

一行はそれを見てみな驚けり

怒りつつ鞭を止め、馬を停めて

荒々しくも袍を着け、(かぶと)を被り

ぎらぎらと剣を匣より取り出だし

きつちりと雁行(がんかう)[96]のごとくに並び

びつしりと魚鱗にぞ相似たる

(陳玄礼)兵士らは申してをります。国に奸邪のありければ、聖駕の遷るを致せりと。君側の禍が除かれずんば、人々の心を合はすることは難しと。

(正末)どういうことだ。(唱う)

【歩歩嬌】

朕は万里の烟塵の中にしあれば

そのはうも嘆くべし

勢ひに乗じて朕を脅かし

国家はすこしもそのはうを害せざりしに

何ゆゑぞ兵に不穏の情のある

(なんぢ)に問はん

何ゆゑぞわづかなる真実さへも語らざる

(陳玄礼)楊国忠は権勢をほしいままにし、国を誤り、このたびは、吐番の使者と誼を通じ、反心を抱くに似たり。請ふらくは、かれを誅して天下に謝すべし。

(正末が唱う)

【沈醉東風】

(ばんくわ)[97]に当たる楊国忠が

禄山の中華を乱すを招きたり

いづれにしても朕の股肱は棄て難し[98]

まして妃と骨肉の繋がりたるをや

断罪をせば五刑[99]を汚し[100]

官職を奪ひ

窮民に貶めば

これもまた殺すに等しきことならん[101]

諾ふか諾はざるかを、陳玄礼将軍よ、考へよかし

(軍が怒って喚く)

(陳玄礼)陛下、軍の心はすでに変はれり。(わたくし)(とど)むることはあたはねば、いかんともせんすべはなし。

(正末)そなたの好きなようにせよ。

(衆が楊国忠を殺す)

(正末が唱う)

【雁児落】

幾重もの槍は

びつしり並び

一声叫べば

山は摧けり

そもそもこれは陳将軍の

楊国忠を処刑せよとの号令を下したるなり

(軍が剣を持ち、押し寄せる)

(正末が唱う)

【拔不断】

やかましく

さはがしく

六軍は進むことなく戈甲(かかふ)[102]を停め

馬嵬坡に群がれるなり

今度(こたび)は何をせんとせる

びつくりし、ぶるぶると全身の毛は逆立てり

いかんせん、軍隊は印を帯びたる者に隨ひ[103]

将軍の命令に威厳あり

兵権を手にもてば

主は弱く、臣こそ強けれ

(なんぢ)

朕が恐ろしからずや

(言う)楊国忠は殺されたのに、兵が進もうとしないのは、何ゆえぞ。

(陳玄礼)国忠が謀反をなせば、貴妃は供奉すべからず。願はくは陛下の情を断ちきられ、法の裁きをなされんことを。

(正末が唱う)

【撹筝琶】

高力士は陳玄礼に、無礼をやめよ

お妃さまに刑罰を受けしむべきやとぞ言へる

妃は今や、皇后中宮を授かり

兼ねてわが御榻[104]を踏みたり

罪過(つみとが)もなく、頗る賢く

火を挙げて()まひせし周の褒

脛を敲きし紂の妲己と異なれり[105]

(あした)にかれの兄を殺せば

千万の非がありとても

朕に免じて許すべきものなるに

ひたすら勝手なことをせり

(高力士)貴妃さまに罪科(つみとが)はござゐませねど、将兵たちは国忠を殺したり。貴妃さまが陛下のお側近くにあらば、安心はできませぬ。願はくは、陛下の深思せられんことを。将兵が安心すれば、陛下はご安泰ならん。

(正末が唱う)

【風入松】

鳳簫、羯鼓に琵琶を交へて

かちかちと紅牙(こうが)(はん)を並べたるのみ[106]

幺花十八(やうくわじふはち)[107]を添へたとて

国を滅ぼすものにはあらず

陳の後主の殺されたるは

みな『後庭花』を唱ひしによるを知るべし

(旦)わらわの死ぬるは惜しむに足らねど、聖上のご恩には、報いしことなし。数年の恩愛あれば、いかでお別れするを得ん。

(正末)妃よ、大変なことになったのだ。大軍の心は変じ、朕も我が身を保てぬぞ。(唱う)

【胡十八】

われらにかやうな態度をとれば

おそらくは心変はりをしたるらん

わたしが妃に恋恋とするのを見

三尺の龍泉[108]を手に持てり

たとひ妃を刺殺せずとも

妃をいたく驚かすべし

陛下であらうがお構ひなし

恐らくは帝王を重んじたるらん[109]

(陳玄礼)願はくは、すみやかに情を棄て、刑を施されんことを。

(旦)陛下、どうかわらわをお救いください。

(正末)どうしたらよいのだろう。(唱う)

【落梅風】

眼の前にやうやくに合歓樹(がふくわんじゆ)をば植ゑたるに

手の(うち)解語花(かいごくわ)[110]を持ち

玉の緒の果て、翠鸞[111]にともに跨らざるを恨めり

いかばかりかれを愛して、目を掛けたりしか

馬嵬坡に横たへしむるにえやは忍びん

(陳玄礼)禄山の反逆せしは、みな楊氏兄妹によるものにござゐます。刑を施し、天下に謝せずば、禍はいづれの時にか消えぬべき。望むらくは、陛下の楊氏に乞はれ、六軍の馬をしてその屍を踏ましめば、将兵たちははじめて陛下を信頼いたさん。

(正末)妃はどうして耐えられようぞ。高力士よ、妃をば佛堂に連れてゆき、自尽させ、しかる後、兵士らに検分させよ。

(高力士)白練がここにございます。

(正末が唱う)

【殿前歓】

かれは一朶の艶やかな海棠の花

いかで殺伐たる亡国の禍根となるべき

なだらかな遠山の眉根を(えが)

乱れたる雲鬟(うんくわん)の濡羽髪をば結ひ上ぐることもなからん

硬き馬蹄に(かんばせ)を踏まするにいかで忍びん

ただ細き咽喉を絞めんとし

はや長き白練を用意せり

妃は死をば賜はれば

悲しみて力を加ふることも能はず

(高力士)お妃さま、まいりましょう。軍が進むのが遅れますから。

(旦がふり返り、言う)陛下、まことに酷いなされよう。

(正末)このわしを怨まんでくれ。(唱う)

【沽美酒】

茫然として

などかは救ふことを得ん

いかんともすることを得ず

などかはかれを留むべき

命を奪ふ時をわづかに引き伸ばせりとて

がやがやと

陳玄礼はいとど騒がん

(高力士が旦を連れて退場)

(正末が唱う)

【太平令】

むざむざと名をひたすらに罵らせ

後ろに兵士の金瓜(きんか)をば従はせ

がさつなる宮女らに護送せしむるにえやは忍びん

か弱き妃を驚かすことなかれ

妃よ

かれらはおまへを殺せといへり[112]

憐れなる、唐の天下よ

(高力士が旦の衣を持って登場、言う)お妃さまは、すでに死を賜わられたぞ。六軍よ、中に入って検分せよ。

(陳玄礼が騎兵たちを率いて践む)

(正末が哭き、言う)妃よ、あな淋しや。

(唱う)

【三煞】

想はざりき、そのはうの今日馬嵬坡に死せんとは

長生殿での誓ひを果たす望みは断たれり

【太清歌】

無情にも、地を巻きて、狂風の吹くは恨めし

などてわが御苑の名花を吹き落としたる

妃の(たま)は断たれて天の涯へ赴き

幾縷かの彩なす霞とぞならん

ああ天よ

漢の明妃は遠く単于(ぜんう)に嫁がされども

西風に泣き、泪の胡筑を湿(うるほ)ししのみにして

六軍に踏みしだかれて

屍の黄沙に臥ししことぞなかりし

(正末が汗巾をとって哭き、言う)妃よ、いずこへ行ったのだ。この汗巾のみが残って、まことに悲しい。(唱う)

【二煞】

誰か收めん、きらびやかなる小さき呉綾(ごりよう)[113](したうづ)[114]

空しく嘆く、泪の(まだら)に染みたる襟と

【川撥棹】

いたく憐れむ、水銀を玉匣[115]にそそげぬことを

[女監][116]宮娃(きゆうあ)

麻の衣を身につけて[117]

酒と茶を捧ぐることなし

浅きところへかりそめに葬るほかなし

山陵を選びて墓を造る暇なし

【鴛鴦煞】

黄塵は散り、悲風は颯颯

碧雲は黯淡(あんたん)として、斜陽は下れり

旅ゆけば水は緑に、山青く

歩みゆく剣嶺、巴峡

げにや、嘆けば情は多く

悲しみの泪は灑げる

妃は早くも天に昇りて

やんぬるかな、この世を去りたり

このわれはやむをえず

哭きつつも緩く歩める(ぎよくそうば)にぞ乗れるなる

(ともに退場)

第四折

(高力士が登場、言う)わたしは高力士。幼きときより内廷にお仕へし、聖上の引き立てを受け、六宮提督太監となる。往にし年、聖上は楊氏の(かほ)を悦ばれ、それがしを宮中に入らしめたりき。寵愛は並ぶものなく、封じて貴妃とし、太真の号を賜はれり。その後、逆胡は兵を挙げ、楊国忠を誅することを名目となしたれば、聖上は追はれて蜀に御幸せり。道半ばにて、六軍は進まざりしかば、龍武将軍陳玄礼が上奏し、国忠を殺さしめ、禍は貴妃にも及べり。聖上はなすすべもなく、ただこれに従ひしのみなりければ、貴妃は馬嵬の駅にて縊死せり。今日、賊は平らぎて、聖上は都へ還御あそばされ、太子は皇帝とぞなれる。聖上は老いを養ひ、西宮に隠退せられ、昼夜ひたすら貴妃さまのことを想はれり。本日はそれがしに画像を掛けさせ、朝夕哭きつつ祀りたまへり。しつかり準備を整へて、こちらで伺候せずばならず。

(正末が登場、言う)朕は蜀へと御幸して、(みやこ)へ還り、太子は逆賊をば破り、帝位につけり。朕は西宮に退き、老いを養ひ、ひたすら妃のことを思へり。絵師に画像を描かしめ、供物を捧げ、日々相対せど、悲しみはいとどまされり(哭く)(唱う)

【正宮端正好】

西川に御幸(みゆき)して都に還る

月の宵、花の(あした)も何にかはせむ

この半年で白髪は添ふること幾ばくぞ

いかで愁への顔を収めん

【幺篇】

痩せこけて、群臣の笑ふを避けず

玉叉(ぎよくさ)[118]もて画軸を高く掲げたり

荔枝の果実、香檀の卓

見れば心を傷ましむ

(画像を見る)(唱う)

【滾繍球】

怒りてあやふく倒れんとせり

しきりに身を寄せ

大いなる声にて太真とぞ呼べる

呼べども応ふることはなければ

雨の泪に泣き叫びたり

この絵師は

技高く

描かば僅かの過ちさへなし

よく描けども

沈香亭[119]での回鸞の舞[120]

花萼楼[121]にて馬に乗りたる艶やかさ

艶やかなさまは描き得ず

【倘秀才】

妃よ

常に記せり、千秋節[122]に華清官にて宴楽せしを

七夕会に長生殿にて乞巧せしを

連理の枝と比翼の鳥に倣はんことを願へども

誰か想はん、()の彩鳳に跨りて

丹霄(あまつみそら)に帰りゆき

命の短からんとは

(言う)看ればいよいよ悲しみを増す。どうしたらよいのだろう。(唱う)

【呆骨朶】

楊妃廟をば建てんと思ふも

いかんせん、権勢はなく、位を退き、朝を辞ししを

孤りの日々は耐へ難く

かてて加へて離恨天[123]こそ最も高けれ

生くる時には衾枕をともにしたれど

死にし後には棺椁をともにすることはかなはず

誰か想はん、馬嵬坡の塵土の(うち)

可憐なる一輪の海棠の花の落ちんとは

(言う)たちまちに身は疲るれば、とりあへずこの亭を下り、しばらくそぞろ歩きせむ。(唱う)

【白鶴子】

身を動かして、殿宇を離れ

歩みにまかせ、水辺に下り

楊柳(やなぎ)翠藍(みどり)の絲を揺らして

芙蓉(はちす)の臙脂の萼を綻ばするを見る

【幺】

芙蓉(はす)を見て(うるは)しき(かんばせ)を懐かしみ

楊柳(やなぎ)に遇ひて(ほそ)き腰をぞ憶ひたる

二つのものは昔のままに上陽宮を彩れど

長安の道に(みたま)は淋しかるらむ

【幺】

常に記せり、碧き梧桐の下に立ち

紅牙箸(こうがちよ)を手の(うち)に敲きしを

かれは笑みつつ縷金の衣を整へて

霓裳の楽に舞ひたり

【幺】

今となりては翠盤に枯れ草は満ち

芳樹の下にかすかなる(かをり)は消えたり

空しく井梧(せいご)[124]の陰に向かへど

傾城の(かんばせ)を見ず

(嘆き、言う)そぞろ歩きに堪へざれば、還るにしかず。(唱う)

【倘秀才】

もともとは、気を晴らし、楽しみを得んと思へど

天は荒れ地は老いて、旧恨[125]に感じたるなり

怏怏として帰り来たれば、鳳幃[126]は静かに

いかにして今宵の愁へを忍ぶべき

(言う)寝殿に戻り来たれば、愁へはいとどまさりたり。(唱う)

【芙蓉花】

もうもうと煙は(たゆた)

ぼんやりと(ともしび)は照る

はるかなる玉漏[127]

初更を告げり

ひそかに清き(そら)を見て

かの人の夢に来たらんことを望めり

口は心の苗なれば[128]

絶え間なく頻りに叫べり

(言う)頭がぼんやりしてきたから、すこし眠ろう。(唱う)

【伴読書】

たちまちに心は焦がれ

あたりに秋の虫はすだけり

たちまちに見る、簾を捲ける西風の激しきを

遥かに眺む、陰雲の地を掩へるを

衣をはおり、愁へつつ幃屏(ゐへい)[129]に倚れど

業眼(ごうがん)[130]を交はすは難し

【笑和尚】

そもこれははらはらと人気なき(きざはし)敗葉(わくらば)の飄へるなり

さらさらと落つる葉の西風に掃はるるなり

ひゆるひゆると風は銀灯をば揺らし

すうらんらんと殿[131]は鳴り

ぷうすうすうと珠箔[132]を動かす

ちいてぃんたんと玉馬[133]は檐に騒ぎたり

(眠り、唱う)

【倘秀才】

悶々と衣を着けつつ倒れ臥し

ぐつたりとしてやうやく眠れり

(旦が登場)わらわは貴妃。本日は殿中に宴を設けた。宮女よ、聖上を席にお招きしておくれ。

(正末が唱う)

たちまちに見る、青衣の来たりて

妃が朕を宴に招くを報するを

(正末が旦に会い、言う)妃よ、おまえはどこにいたのだ。

(旦)本日は長生殿で宴を開きましたから、聖上には宴に赴きくださいまし。

(末)梨園の子弟を勢揃いさせるのだ。

(旦が退場)

(正末が目覚め、言う)ああ、夢だったか。はっきりと夢で妃を見たのだが、見えなくなった。(唱う)

【双鴛鴦】

斜めに垂るる翠鸞翹(すいらんぎやう)[134]

そのかみの、(ゆあみ)して出でし姿の

雲屏(うんへい)[135]に半ば隠れしごときなり

よき夢はまさに成らんとして醒めて

半襟[136]の情の泪は鮫綃をしぞ潤せる[137]

【蛮姑児】

懊悩し

相思ふ

我を驚かしめたるは

楼頭の過雁

階下の寒蛩(かんきよう)

檐前の玉馬

架上の金鶏ならずして

窓の外なる梧桐(あをぎり)()に雨瀟瀟たる

一声一声 枯れ葉に灑ぎ

一滴一滴 寒き梢に滴りて

愁ふる人を悩ましむ

【滾繍球】

この雨は

(ひでり)のときの苗をば救ひ

枯れたる草を潤して

花を開かしむるにはあらず

誰か望まん、秋雨(あきさめ)(あぶら)のごときを

青翠の枝

碧玉の梢には

砕くる音のぱらぱらと

百倍十倍にも増して

芭蕉とともに

ひたすらに千顆の珠玉(たま)を散らしたり

夜もすがら、盆、甕を覆したるがごとくに降りて

人の心を焦がれしむ

【叨叨令】

ある時は激しくなりて

玉盤に万顆の珍珠(またま)の落つるがごとし

ある時は響きをたてて

玳筵に笙歌のとよもせるがごとし

ある時は涼やかになり

翠の岩の冷たき泉、(たき)にぞ似たる

ある時は猛々しくなり

繍旗(しうき)の下に(せい)()[138]の鳴るがごときなり

まことに悲し

まことに悲し

くさぐさの雨の音こそかまびすしけれ

秀才】

この雨の降るごとに梧桐(あをぎり)の葉は打たれて凋み

滴るごとに人の心は砕けたり

金井[139]と銀床[140]を囲めるも徒にして

枝と葉を(たきぎ)とするか

切り倒すよりほかになし

(言う)そのかみ、妃が翠盤に舞ひたるも、この樹下なりき。妃と誓ひし時もまた、この樹に対せり。今日は夢にて(とぶら)へど、梧桐の雨に目覚めたり[141]。(唱う)

【滾繍球】

長生殿の(ゆふべ)には

回廊をめぐり歩きて

誓ひを語り

梧桐に向かひて肩を()め、斜めに凭れ

長々と言葉を尽くせり

沈香亭の(あした)には

『霓裳』を弾き

『六幺』を舞ひ

紅牙箸(こうがちよ)を撃ち、調べをなして

音楽は賑やかなりき

そのかみの歓会のありたればこそ

本日は寂しきことのこもごもありて

ひそかに物を想ひたるなり

(高力士)陛下、さまざまな草木には、みな雨の音がございます。梧桐だけではございませぬ。

(正末)そなたは知るまい。わしが話して聴かせてやろう。(唱う)

【三煞】

楊柳(やなぎ)の雨は濛濛と

寂しき院宇(には)の簾を侵し

細かな梅子(うめのみ)の雨は

川のほとりの楼閣に満ち

(あんず)の花にふる雨に、(くれなゐ)(おばしま)は濡れ

梨の花へとふる雨に、玉の(かんばせ)は寂しく

(はちす)の花にふる雨に、翠の(かさ)は翻り

豆の花へとふる雨に、青き葉は侘しかれども

[142]のごとく夢を破れることはなし

恨みを増して、愁へを添えて

宵を明かせり

水仙[143]がいたづらをなし[144]

楊柳(やなぎ)を濡らし、風を飄へしたるにや

【二煞】

ざぶざぶと泉を噴ける瑞獣の二つの沼に臨めるがごと

ざわざわと葉を食める春の蚕の(まぶし)に散れるがごときなり

瓊階(たまのきざはし)に乱れ灑ぎて

宮漏(きゆうろう)[145]に水は伝はり[146]

雕檐(てうえん)[147]に飛び上がり

新槽(しんさう)に酒は滴り[148]

夜の明くるまで降り続きたり

枕は冷えて、衾は寒く

(ともしび)は消え、香は絶えたり

まさに知るべし、夏の日に、

高鳳[149]の麦の浮かぶを悟らざりしを

【黄鍾煞】

西風に従ひて、紗の窓を低く吹き

寒気を送り、頻りに繍戸[150]を敲けるは

天のことさら人を悲しませるにあらずや

鈴の音は桟道を渡りて響き

花奴の羯鼓の調べのごとく

伯牙の『水仙操』にぞ似たる

黄花[151]を洗ひ

籬を潤し

蒼苔を湿し

(ついたて)を倒し

湖山[152]を洗ひ

石の(あな)をぞ漱ぎたる

枯れたる(はす)を潤して

池と沼をば溢れしむ

破れし蝶は濡れたれば、粉も落ち

流るる蛍は濡れたれば、焰を着くることぞなき

緑窓の前に促織は鳴き

声は近きも(かりがね)の影こそ高けれ

隣ではあちこちで砧を搗きて

新たなる凉けさはことさらに早きを増せり

想へば今宵

雨のため、まんじりともせず

点点[153]と銅壺[154]を敲くに伴へり

雨はいやましに多けれど、泪も少なからざれば

雨は冷たき梢を湿し

泪は龍の袍を染め

たがひにひけをとることぞなき

一本(ひともと)の梧桐を隔て、夜の明くるまで滴れり

 

最終更新日:20111226

中国文学

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[1]降伏してくる異民族の王。たとえば、杜甫『贈田九判官』「崆峒使節上青霄、河隴降王款聖朝」の「降王」は、吐蕃の王をさしている。

[2]原文「受心膂之重寄」。心は心臓、膂は背。人体の大事な部分。腹心、股肱などと同義。心臓とも、背とも恃まれるほどの篤い信頼を受けた。

[3] ともに北方異民族の名。

[4]未詳。

[5] 『唐書』巻二百二十五安祿山傳「母阿史コ為覡、居突厥中、禱子于軋犖山、虜所謂闘戰神者。既而妊、及生有光照穹廬、野獸盡鳴」。

[6] いわゆるパオのこと。北方遊牧民族の住居。

[7]六つの蛮族。ここではたくさんの蛮族というくらいの意味。

[8]未詳。

[9]二千五百人の部隊を師という。

[10] いわゆる令旗。朝廷が臣下に賜う旗で、これを持っていると生殺与奪の権力を行使することができた。

[11]後宮。

[12]皇太子寿王の邸宅をいう。

[13]鼎と(おおがなえ)。大臣を喩える。

[14]天地万物。ここでは天下というくらいの意味。

[15]朝官をいう。

[16]広東省の県名。

[17]異民族の将軍。蕃、番は蛮に同じ。

[18]平服。罰として平服で職務に当たらせたもの。

[19]石勒が子供の頃、行商をしていたが、王夷甫がその嘯を聞き、将来天下の禍になるであろうと予言したという『晋書』載記の故事を踏まえる。なお、石勒は胡人。

[20]皇帝の義兄弟をいう。ここでは楊国忠をさす。

[21] ここでは礼教、秩序の意。

[22]生後一ヶ月の祝いの儀式。『東京夢華録』巻五・育子参照。

[23]金で作った銭。

[24]平章事。唐、宋代、宰相のこと。

[25]鑾駕。天子の乗り物。ここでは天子をさす。

[26]鉄券丹書、丹書鉄券、丹書鉄契などという。鉄の割符に赤い文字が書かれているので、実は一つのもの。帝王が功臣に賜う、免罪符。

[27]原文「怎肯便辜負了你這功勞簿」。功勞簿は、功績を記す帳簿。功労簿に名が記されないようなことがあってなろうか。

[28]唐代、戸口などを掌った地方官。

[29]玄宗の誕生日は八月五日。『唐会要』節日「開元十七年八月五日、左丞相源乾曜、右丞相張説等、上表請以是日為千秋節」。

[30]未詳。

[31]原文「半後服用」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[32]刺繍の上達を祈願すること。七月七日の儀式。

[33]内監。宦官。

[34]昭陽、華清ともに唐の宮名。

[35]国を傾けるほどの美人だということ。

[36]扣は鈕扣で、ボタン。羅で作ったボタン。

[37]未詳。鳳凰を刺繍した帯か。李賀『洛姝真珠』「金鵝屏風蜀山夢、鸞裾鳳帯行煙重」。

[38]赤い革帯。『宋史』『金史』の輿服志に見える。

[39]楽曲の名。『書』益稷に見える楽曲の名で、これを作ると鳳凰がやってきたという。『書』益稷「簫韶九成、鳳皇来儀」

[40] 「臙嬌」という言葉については未詳。ただ、臙脂を塗った美女たちをさすのであろう。

[41]白粉と黛。それを塗った美女。

[42]主語は鸚鵡。

[43]美人。

[44] 「暈龐」という言葉については未詳。ただ、暈妝(うんしょう)のことであろう。暈妝は顔に施す化粧で、頬に薄紅を塗るもの。酒に酔っているように見えるので、この名がある。

[45]織女星をいう。『史記』天官書参照。

[46]七夕のとき、瓜を飾り、蜘蛛が瓜に網を貼ると、刺繍が上達するという。『荊楚歳時記』「七夕婦人結綵縷。穿七孔針於中庭、以乞巧、有喜子網於瓜上則為得巧」。

[47]龍涎香と麝香のこと。

[48]水栽培をして数寸に伸びた緑豆、小豆、小麦などの苗を、五彩の糸で縛り、小さな水盤に入れたもの。七夕の時の供え物のひとつ。『東京夢華録』七夕参照。

[49]原文「更待怎生般智巧心靈」。「智巧心靈」は、刺繍に巧みというばかりでなく、賢さ、美しさ、可愛らしさといった、女性の好もしさ全体をさしていよう。句の趣旨は、これ以上どれほど素晴らしくなろうというのだ、今の状態が最高だということ。

[50]絵のかかれた衝立。

[51]凌波羅襪は『洛神賦』に典拠のある言葉。神女の出で立ち。

[52]冷たいさま。

[53]原文「偏不是上列着星宿名、下臨着塵世生。把天上姻縁重、將人間恩愛輕」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[54]原文「霞觥」。流霞の杯であろう。流霞は仙人の飲み物。

[55]原文「銀屏」。銀がはめ込んである衝立。

[56]原文「我為君王猶妄想」。「妄想」がよく分からないが、貴妃に逢いたい気持ちが盛んであることをいうか。「猶」は何もかも満ち足りているはずの帝王であるにもかかわらず、それでもなおといった感じを表していよう。

[57]斗牛は斗宿と牛宿。斗宿は南斗星、牛宿は牽牛星。ここではもっぱら牽牛星をさしていよう。後ろの句との脈絡上、「斗牛星畔客」は織女星を指し、楊貴妃の暗喩となっているものと思われるが未詳。

[58]魏の安釐王の男寵。王と釣りをした折、我が身を魚に喩えて王の寵愛が衰えることを恐れた。『戦国策』魏策四参照。

[59]秋の井戸をいう。

[60]原文「靠着這招彩鳳、舞青鸞、金井梧桐樹影」。彩鳳、青鸞は玄宗と楊貴妃の暗喩。

[61]螺鈿の盒子。男女和合の暗喩。

[62]釵は先が二又になったかんざし。ここでは男女が別れることの暗喩。

[63] 蛮族と漢族。

[64] カスタネット状の楽器。

[65]鵝黄は酒のこと。古典詩によく出てくる。

[66]鷓鴣斑は、福建省に産する、茶を飲むための杯。『陶説』「清異録、閩中造茶[玉戔]、花紋鷓鴣斑、点試茶家珍之」。

[67]蒙古帝国の楽を掌る機関。元朝になって玉宸院と改称。

[68]唐代に置かれた、楽を掌る機関。

[69]未詳。『漢語大詞典』は『梧桐葉』のこの箇所を引き、「供舞蹈用的一種圓形設施」と説く。

[70]金泥で絵を描いた衫であろう。

[71]竇永麗は『楽府雑録』琵琶「文宗朝有内人鄭中丞善胡琹」に記される鄭中丞のこととする。未詳。

[72]未詳。

[73]佩文韻府引『楊妃外伝』「汝陽王璡、小名花奴、尤善羯鼓」。

[74]寿王と寧王。寿王は玄宗の第十八子李瑁、寧王は睿宗の子李憲で、寿王を自家に引き取って養育した。『新唐書』列傳・卷八十二・列傳第七・十一宗諸子・玄宗諸子・壽王瑁「壽王瑁、母惠妃頻妊不育、及瑁生、寧王請養邸中、元妃自乳之、名為己子」。

[75] (はん)のこと。紫檀で作る。

[76]原文「屹剌剌撒開紫檀」。「屹剌剌」は擬音。「撒開」が未詳。とりあえず、「並べる」の意味に解しておく。第三折にも出てくる。

[77]黄幡綽。『楽府雑録』拍板「拍板本無譜、明皇遣黄幡綽造譜」。

[78]原文「太真妃笑時花近眼」。杜甫『即事』「笑時花近眼、舞罷錦纏頭」仇兆鰲注「花近眼、笑容可掬」。ただ、どうしてこう解せるのかは未詳。

[79]未詳。紅牙は紫檀のこと。とりあえず、紫檀で作った(はん)の意味に解しておく。第四折にも二例出てくる。また、第三折には「紅牙」という言葉が出てくる。

[80]原文「更帶着瑤琴音泛」。「泛」は琴を弾くこと。

[81]美酒。

[82]原文「敢待做假忠孝龍逢比干」。関龍逢は夏の桀王、比干は殷の紂王を諌めて殺された。原文、「假」がよく分からないが、「本物でない」という意味で、「假」以下全体に掛かっていると考えておく。

[83]原文「險些兒慌殺你個周公旦」。「你」と「周公旦」は同格で、李林甫を喩えている。周公旦を出したのは、管仲、子産、龍逢、比干など、古の人物を並べてきたことの続き。

[84]蘇軾『念奴嬌』赤壁懐古「羽扇綸巾、談笑間、強虜灰飛烟滅」。蘇軾の詞のこの箇所は、諸葛孔明をうたったもの。

[85]原文「既賊兵壓境」。「壓境」がよく分からないが、前後の脈絡から考えて、とりあえず、こう訳す。

[86]長安東郊を流れる川。

[87]狂おしき胡人。ここでは安禄山をさす。

[88]逆賊の胡人。

[89]車駕に付き添う者。

[90]宋代に用いられた軍旗。『事物紀原』戎容兵械部・五方旗参照。

[91]天子の側近くをいう。

[92]原文「冷清清半張鑾駕」。鑾駕は天子の乗り物。「半張」が未詳。ただ、元曲中「半張鑾駕」という言葉の用例は数多い。一例をあげる。『漢高皇濯足氣英布雜劇』第二折「(正末上)隋何、咱闌論陂b。這裏離成皋關則是一射之地、你言請我降漢、交天子擺半張鑾駕出境來接、兀的天子為甚不來接?」

[93]陋巷をいう。

[94]青いうすぎぬを貼った窓。宮中の風景であろう。

[95]玉璽。

[96]雁の隊列。

[97]万回肉をそぎ取ること。剮は徐々に肉をそぎ取り、死に至らしめる刑罰。

[98]原文「是非寡人股肱難棄捨」。「是非」がよく分からないが、「好歹」の意味に解しておく。

[99]笞、杖、徒、流、死。

[100]原文「斷遣盡枉展汚了五條刑法」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[101]原文「也是陣殺」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[102] ほことかぶと。

[103]原文「吃緊的軍随印転」。未詳。とりあえずこのように訳す。「印転」は印が揺れること。ここではそれを帯びている人を指すものと解しておく。庾信『周大将軍聞嘉公柳遐墓誌』「亀迴印転」。

[104]皇帝の寝床。

[105] 『尚書』泰誓下「斬朝渉之脛」孔安國注「冬月見朝渉水者、謂其脛耐寒、斬而視之」。殷の紂王が冬、川を渉る人を見て、なぜ寒さに耐えられるのかと訝り、その脚を斬って中を確かめたという故事を踏まえる。妲己とは直接関係ない。

[106]原文「止不過鳳簫羯鼓琵琶、忽剌剌板撒紅牙」。「忽剌剌」は擬音。「板撒」はよく分からないが、第二折に「屹剌剌撒開紫檀」の句があり、「板を並べる」の意味に解したので、ここでもそう解しておく。「紅牙」は紫檀の別名。板を作る時の素材。

[107] 『六幺花十八』という曲があり、それのこと。『六幺花十八』は『碧鶏漫志』巻三に見える。

[108]宝剣。

[109]原文「更問甚陛下、大古是知重俺帝王家」。後半部は反語、皮肉か。未詳。

[110]物言う花。ここでは楊貴妃のこと。

[111]崑崙山にいるとされる鸞鳥。『雲笈七籤』「崑崙絶頂之上、地生金根之樹、瓊柯瑤林、紫雀翠鸞、碧桃白梨、百寶妙巖、莫可紀述」。

[112]原文「見他問咱」。未詳。とりあえず、こう訳す。「見」は受身、「他」は兵士たち、「問」は要求する、「咱」は助詞と解する。

[113] 『新唐書』地理志五「明州余姚郡、…土貢呉綾」。

[114]原文「誰收了錦纏聯窄面呉綾襪」。「錦纏聯」が未詳。「きらびやかなる」は仮の訳。「窄面」も未詳。甲の部分が小さいという意味に解す。

[115]柩。

[116] 「彩[女監]」が未詳。恐らくは宮娃と同じく、宮女のこと。

[117]麻の衣は喪服。

[118]玉製のさすまた状のものか。未詳。

[119] 『楊太真外伝』「開元中、禁中重木芍薬。即今牡丹也、得數本紅紫淺紅通白者。上因移植于興慶池東沈香亭前、会花方繁開、上乗照夜白、妃歩輦従上」。

[120]張衡『舞賦』「裾似飛鸞、袖如迴雪」。

[121] 『舊唐書』志・卷三十八・志第十八・地理一・十道郡國・關内道「宮(興慶宮)之西南隅、有花萼相輝、勤政務本之樓」

[122]玄宗の誕生日をいう。

[123]仏教語。須弥山の最も高いところをいう。中国の戯曲小説では、男女の生別死別の状況をたとえるためにしばしば用いられる。

[124]井戸の傍らに生えたアオギリ。杜甫『宿府』「清秋幕府井梧寒、獨宿江頭蠟炬殘」。

[125]戻ろうにも戻れない、昔への思いということであろう。

[126] 「鳳幃」という言葉については未詳。ただ、鳳凰を縫い取りした帳のことであろう。

[127]漏刻。ここでは時報のこと。

[128]原文「卻不道口是心苗」。「卻不道〜」は「〜というではないか」ということ。「口是心苗」は、「言葉は心の表れ」という趣旨の常套句。

[129]帳や衝立。白居易『昭君怨』「只得當年備宮掖、何曾專夜奉帷屏」。

[130]眼のこと。業の字がついているのは、視覚による刺激が罪業のもとになるという仏教的な発想によるものであろう。ここの句は、楊貴妃と目をあわせることができなくなったことをいったもの。

[131] 殿鐸」という言葉については未詳。ただ、宮殿に吊り下げられた風鈴のことであろう。

[132]真珠の簾。白居易『長恨歌』「珠箔銀屏迆邐開」。

[133] 未詳だが、鉄馬が風鈴であることから推してこれも風鈴であろう。

[134]翡翠翹、翠翹といわれるものに同じいであろう。翡翠(かわせみ)の髪飾り。

[135]雲の衝立。ここでは湯気のことであろう。

[136]未詳。なぜ「半襟」なのか分からない。意味としては、襟半分を湿すほどの泪ということであろうか。泪を襟元にこぼすと、上にした襟が濡れるさまをいったものか。

[137]原文「半襟情泪濕鮫綃」。鮫綃は手巾の美称。ただ、襟と鮫綃の関係が未詳。片方の襟を示すほどの泪に手巾も湿るということを述べたものか。

[138]軍鼓。鼙は小太鼓。

[139]秋の井戸をいう。

[140]井桁のこと。庾肩吾『九日侍宴樂游苑應令』「玉體吹巖菊、銀床落井桐」。

[141]原文「又被他驚覺了」。「他」は梧桐。梧桐に降る雨のせいで目が覚めてしまった。

[142]梧桐。

[143]水中の神仙。

[144]原文「弄嬌」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[145]宮中にある漏刻。

[146]雨がしとどに降るさまの暗喩。

[147]彫刻を施した軒。

[148]原文「酒滴新槽」。槽は酒を搾るとき、酒を受ける容器。新槽は新酒を受ける容器であろう。この句は、雨がしとどに降るさまの暗喩であろう。

[149] 『後漢書』逸民伝に伝がある。若い頃、読書に没頭し、干した麦が雨に流されても気が付かなかったという逸話で有名。ここでは、干した麦が流されるほど、ひどい雨だということをいおうとしている。

[150]彫刻や絵画を施した美しい戸。

[151]菊。

[152]太湖石。

[153]擬音語。太鼓を敲く音。

[154]時報として明け方に鳴らす太鼓。羅隠『七夕』「銅壺漏報天將曉、惆悵佳期又一年」。

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