望江亭中秋切鱠
第一折
(旦児が白姑姑に扮して登場)貧道は白姑姑。幼いときから俗世を捨てて出家して、この清安観で住持をしている。こちらに一人の女人がいる。譚記児といい、容姿は人に勝っているが、不幸にも夫は亡くなり、家で寡婦暮らしをしている。男子もなければ女子もなく、毎日わたしの観に来て、貧姑とお喋りをしている。貧姑には一人の甥がおり、白士中という。数年会わず、音信はまったくなく、官職を得たか否かも分からないから、とても気に掛けている。本日は何事もないから、とりあえずこの門を閉ざすとしよう。
(正末が白士中に扮して登場、詩)昨日は金門[1]に行きて上書し、今朝は墨綬[2]に魚を懸けたり。顔の玉の如きは誰が家の美女、彩球[3]を貧儒に擲つことをひとへに愛したり。
わたしは白士中、潭州に行き知事となるため、清安観を通り掛かった。観にはわたしの伯母がいる。白姑姑といい、こちらで住持をなさっているのだ。今日は白姑姑と一目会ってから、赴任しよう。入り口に到着したが、取り次ぐ人がいないから、わたしはひとりで行くとしよう。(会う)おばさん、わたしは潭州知事を授かって、まっすぐにおばさんを尋ねてきました。
(姑姑)白士中や、よい官職を得ておめでとう。わたしが話を終えたところへ甥が来た。甥や、嫁は元気かえ。
(白士中)正直に申し上げますと、亡くなりました。
(姑姑)甥や、こちらには女人がいるが、譚記児といい、大変な器量好し、毎日わたしの観で、わたしとお喋りしている。かれが来たとき、わたしが取り持ち、おまえの奥方にしてやるが、考えはいかがかえ。
(白士中)おばさん、良くないのではございませぬか。
(姑姑)構わないよ。すべてわたしが引き受けた。おまえは壁衣[4]の後ろに隠れていて、わたしが咳で合図したら、出てくるのだよ。
(白士中)つつしんでご命に従うことにしましょう。(退場)
(姑姑)そろそろ譚夫人が来るだろう。
(正旦が譚記児に扮して登場)わたしは学士李希顔の夫人、姓は譚、字は記児。不幸にも夫が亡くなり三年になる。わたしは寡婦暮らしして何事もなく、毎日ひたすら清安観で白姑姑といささか四方山話をしている。思うに女たるものは夫がなければ、身を寄せる場所がなく、ほんとうに苦しいことだ。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】錦帳に春は闌け、繍衾に香は散じ、深閨は暮れ、粉は褪せ、脂は残はれしがため、日暮に到れば愁は果なし。
【混江龍】なにゆゑぞ長嘆したる。玉容は寂寞として涙は闌干。この花の枝の裏と外、竹の影の中、気を吐けば片片として飛ぶ花は雨に似て、涙を灑げば珊珊[5]として翠竹は斑に染まれり[6]。われは思へり、香閨の少女らは、顔色はたをやかなれば、なべて朝雲暮雨[7]を愛して、一羽の鳳凰鸞鳥たるをがへんぜず。愁煩はあたかも海のごとくに深くして、岸こそなけれ。などか三貞九烈[8]をしぞ守るべき、おそらくははや取り持ちを受けたるならん[9]。
(言う)はやくも着いた。この観の入り口には取り次ぐ人がいないから、わたしはひとりで行くとしよう。(姑姑に見える)道姑さま、万福。
(姑姑)奥さま、お掛けください。
(正旦)わたしは毎日道姑さまのところにお邪魔し、たくさんのご厚意を承けております。道姑さまに従って出家したいのですが、お考えはいかがでしょうか。
(姑姑)奥さま、あなたがどうして出家できましょう。出家は草衣木食し、枯淡に耐えるに過ぎませぬ。昼はまだ宜しいですが、晩になればたった一人で、とても寂しゅうございます。奥さま、はやく嫁いでゆかれたほうが宜しいでしょう。
(正旦が唱う)
【村里迓鼓】いかでかはおんみら出家の清閑にして、一身のいと自由なるに如くべけん。われは夫が亡くなりし後、連れ合ひはなし。かつては世味をみづから嘗めて、人情を識破して、塵縁の羈絆を恐れず。われは今、蛾眉を掃きおへ、粉臉[10]を洗ひ清めて、雲鬟[11]を卸し、道姑さま、あまんじておんみの粗茶と淡飯に耐へんとす。
(姑姑)奥さま、あなたはふだんから贅沢に慣れてらっしゃいますから、ほかのことはともかく、精進料理は、やはり耐えられないでしょう。
(正旦が唱う)
【元和令】おんみらの精進料理は一たび餐ひしのみなれど、わたしが玄米御飯にも慣れたることをいかで知るべき。わたしはこれより心猿意馬をかたく縛りて、繁華を眼に掛くることなし。
(姑姑)奥さま、あなたはご存じでないはずはございますまい。「雨裏の孤村雪裏の山、見るは易きも画くは難し。時人に好まれざることをつとに悟れば、おほく臙脂を買ひて牡丹を画くべし[12]」。奥さま、あなたはどうして出家することができましょう。
(正旦が唱う)おんみは言へり「見るは易きも画くは難し」と、わたしがどうして山に住めず、坐禅ができず、薬を焼けず、丹を煉れないのでせうか。
(姑姑)奥さま、あなたほどの美しいお姿ならば、気に入った夫に嫁いでゆくことができますのに、出家をひたすら口になさるのはなにゆえでございましょう。これでは結婚することはできません。
(正旦)ああ。道姑さま、結婚の事は、わたしも考えたことがございます。わたしの夫のようにわたしを大事にしてくれる人がございますなら、嫁いでゆくのもようございましょう。
(姑姑が咳する)
(白士中が旦に見える)祗揖。
(正旦が礼を返す)道姑さま、人が来たのではございませぬか。わたしは戻ってゆきましょう。
(姑姑)奥さま、どちらへ行かれます。わたしはまさにあなたのために仲立ちになろうとしているのでございます。このかたこそはあなたの夫、まことに宜しゅうございます。
(正旦)道姑さま、それはどういうことにございましょう。(唱う)
【上馬嬌】われはいささか結婚を語りたるのみにして、この人と関はりはなし[13]。道姑さま、おんみは宴で仲立ちとならんとしたまふ。
(姑姑)あなたのために仲立ちとなっても、悪いようにはいたしません。
(正旦が唱う)などてかの塀を隔てたる花をむりに攀きよせ連理と見なせる。(逃げようとする)
(姑姑)門を閉じます。出てゆかせませぬ。
(正旦が唱う)門を閉ぢ、人をぞしかと阻みたる。
【勝葫蘆】おんみは人を怒らしめたり。「離るれば姦通せず」と言ふを得ず[14]。おんみはひそかに誰が家の漢を隠せる。われはおんみと幾年か交際し、心を傾けたりしかど、今日は態度を変ふべけん。
(姑姑)あなたたち二人が一対の夫妻となり、わが清安観がしばしのあいだ高唐となることに[15]、どのような良くないことがございましょう。
(正旦が唱う)
【幺篇】道姑さま、おんみはわたしを高唐十二山[16]へ送り、むざむざおんみの七星壇[17]を汚さしめんとしたまへり。
(姑姑)わたしが錦のような夫婦と、美しい恩愛を成就するのに、どのような良くないことがございましょう。
(正旦が唱う)錦のごとき結婚などはまことに罕なり。
(姑姑)奥さま、そのように気取るのはおやめなさい。誰があなたをわたしの観に来させましたか[18]。
(正旦が唱う)あるときは甜き言で熱く迫りて、あるときは無体に騒げり。道姑さま、おんみのせゐでわれらはともに人でなしとぞなれるなる[19]。
(姑姑)男の方、誰があなたをこちらに来させたのですか。
(白士中)娘さんがわたしを来させたのでございます。
(正旦)そのような言葉でわたしを陥れるとは。わたしは死んでもあなたには従いませぬ。
(姑姑)裁判を望まれますか、示談を望まれますか。
(正旦)なにが裁判、なにが示談でございましょう。
(姑姑)裁判を望まれるなら、わたしのところはお祈りをする道観ですのに、あなたは操を守らずに、男を連れてきてわたしを煩わせました。役所に告げれば、あれこれと取り調べられ、あなたはむざむざ殴られて傷つきましょう。示談なら、あなたも若く、この人も若いのですから、わたしがあなたの仲立ちになり、あなたたち二人を結婚させれば、まことに手間が省けましょう。
(正旦)道姑さま、わたしはひとりで考えましょう。
(姑姑)あきらかに、千求は一嚇に如くことぞなき。
(正旦)結構な道姑さまです。まことに狡賢いことをなさいます。道姑さま、このかたがわたしの一言に従うのなら、このかたに従ってゆきましょう。わたしに従わないのなら、わたしは断じてこのかたに従いませぬ。
(白士中)一言はもちろん、百句でも、従いましょう。
(正旦が唱う)
【後庭花】かれがたやすく忘るることのなきやうになしたまへかし。この十文字[20]をなほざりにせしむるなかれ。「芳槿は終日なるなく、貞松は歳寒に耐ふ[21]」といふことを聞かずや。道姑さま、われは勿体ぶるにはあらず。おそらくはかれはわれをぞ軽んぜん。われ、われ、われが、唆されて竿に上れば、なれ、なれ、なれは、梯を去りてしかと見るなり[22]。かれ、かれ、かれは、『鳳求凰』をひそかに弾きて、われ、われ、われは、王孫に背き、行きて返らず[23]。ただ願はくは、かれ、かれ、かれが一つ心の人となり、変心するなく、われが、かれ、かれ、かれと『白頭吟[24]』を守らんことぞかし。これはでたらめにはあらず。
(姑姑)お二人は、仲立ちとなったわたしの好意をずっとお忘れになりませぬよう。
(正旦が唱う)
【柳葉児】道姑さま、この公案を口になさらば、おんみの観は名を清安と呼ばるべし[25]。おんみは言へり、蜂の媒、蝶の使となることにかねてより慣れたりと。ある人が疾患に罹り、おんみのもとに赴いて丸散[26]を求めんときは、おんみはかれに一服の霊丹をしぞ与ふべき。道姑さま、おんみはもつぱら枕の冷たく衾の寒きを癒したまへり。
(言う)仕方ない。わたしは道姑さまに従い、この縁談を成就しましょう。
(姑姑)白士中どの、この件ではわたしが役に立ったでしょう。
(白士中)あなたはもっぱら枕の冷たく衾の寒いのを癒していらっしゃるのですね。道姑さま、ありがとうございます。わたしは今日、夫人を連れて、ともに任地に赴きましょう。あらためて人を遣わしてきてお礼しましょう。
(正旦)旦那さまが赴任してゆこうとするなら、あなたといっしょに道姑さまにお別れし、長旅せねばなりませぬ。
(姑姑)白士中どの、旅路では気を付けて。あなたたち二人はまさに才子佳人、天の定めた連れ合いで、ほんとうにぴったりにございます。
(正旦が唱う)
【賺煞尾】この行程はただ疾かるべし、晩かるべからず。われが他人に絆さるるとな思ひたまひそ。追ひすがることを用ゐず[27]。かやうなる閑人は、などてかはわが容顔を見るを得ん。道姑さま、安心なさりたまへかし。かばかりにねんごろに語るに及ばず。纜を収め、帆柱を立て[28]、跳板を踏み、この秋風に帆を掛けたり。こころみに見よかの碧雲の両岸を、軽舟はすでに過ぎたり万重の山。(白士中とともに退場)
(姑姑)今日わが甥の白士中の縁談を成就しようとは思わなかった。わたしの心はとても愉快だ。
(詩)貧姑がむりに取り持ちをしたるにあらず、かのひとの年若くして空房を守りしたがため、観の中にて色恋沙汰を起こさんことを恐るれば、機略を設け俊郎に配せしめたり。(退場)
第二折
(浄が楊衙内に扮し、張千を連れて登場、詩)花花太歳、第一のもの。浪子喪門、世に並ぶものぞなき[29]。天が下には名を聞かぬ所とてなし、われこそは権豪勢宦[30]楊衙内なれ。
それがしは楊衙内。亡くなった李希顔の夫人譚記児は、大変な器量好しだと聞いたので、一心にかれを妾にしようとしていた。白士中めは無礼者、潭州で役人をすることとなったが、赴任する前、清安観に行き、道姑に仲立ちを頼み、譚記児を娶って夫人にした。諺に言う。「恨みが小さくば君子にあらず、毒なくば丈夫にあらず」と。この理屈に従えば、どうしてかれを許せよう。かれがわたしを妬んで冤とするのなら、わたしはかれを妬んで仇とするとしよう。わたしは今日聖上に「白士中は花を貪り、酒を恋い、公務を執っていませぬ」と上奏し、聖上の御諚を奉じ、人を遣わし白士中の首級を取りにゆかせよう。わたしはついでにこう言った。「この件は他の者が行ってはまずうございます。わたしがみずから潭州に行き、白士中の首級を取り、復命すれば、万に一つの間違いはございません」と。聖上は上奏を受理せられ、わたしに勢剣金牌を賜わった。張千、おまえは李稍[31]に言うのだ。小舟に乗って、まっすぐに潭州へ、白士中の首級を取りにゆくとな。
(詩)一心に譚記児を娶らんとして、日夜思ひを費やせり。奪ひて夫婦と成るを得ば、そはまさに運の通ずる時ならん。(退場)
(白士中が登場)わたしは白士中。着任して以来、清閑無為を旨として、一郡の黎民は、おのおのがその業に安んじており、わたしはすこぶる民衆の心を得ている。ただ一つ、わたしがあらたに娶った譚夫人は、むかし楊衙内が妾にしようとしていたのだが、わたしが娶って夫人にし、ともに任地に赴いたのだ。わたしの妻は、たいへんな美貌であるのは言うまでもなく、聡明で、あらゆることに精通し、まことに佳人の領袖、美女の首領、世に並びないものなのだ。楊衙内は今でもわたしに恨みを抱いているということ、わたしもかれがわたしを害しにくるのを恐れ、日々気に掛けているところ。今朝は登庁したものの、とりたてて仕事はないから、とりあえずこの前庁でしばらく静座し、心配事をわたしの妻に知らせぬようにするとしよう。
(家僕が登場、詩)心急げば来る路は遠くして、事急なれば家を出でたり。夜は眠り早朝に起き、さらには眠らぬ人もあり。
老いぼれは白士中の家の老僕。わが家の主人は今潭州で知事をしている。楊衙内はひそかに聖上に上奏し、勢剣金牌を賜わって、わが家の主人の首級を切り取ることにした。わが老奥さまはそれを知り、わたしを遣わし一通の家書を持たせ、まずは潭州に行き、この消息をお報せし、備えをさせることとなされた。話していると、もう潭州に到着だ。取り次ぎは必要ない。そのまま行こう。
(会う)旦那さま、ご機嫌よう。
(白士中)じいやよ、なぜ来た。
(家僕)老奥さまのご命を奉じ、この家書をお持ちしたのでございます。旦那さまにお送りし、みずから開いていただきましょう。
(白士中)母上の手紙があるなら、持ってきて見せてくれ。
(家僕が手紙を渡す)手紙はこちらでございます。
(白士中が書を見る)手紙の趣旨は分かったぞ。ああ。あの賊の計略に嵌まってしまった。じいやよ、おまえは食事しにゆけ。
(家僕)かしこまりました。(退場)
(白士中)楊衙内はわたしが譚記児を娶ったために、恨みを抱き、でたらめを聖上に奏聞し、わたしの首級を切ろうとしている。このようなことになり、どうしたらよいだろう。ほんとうにひどく悲しい。
(正旦が登場)わたしは譚記児。亭主どのが着任してから、わたしはこの役所の後堂に住んでいる。亭主どのは毎日朝の仕事を終えると、わたしとお話しになるが、今日は今になってもお戻りでない。わたしはみずから亭主どのにお会いしにゆくことにしよう。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】報喏[32]の声の揃ふを聴かず。おそらくは衙に坐して今となりても退かざるらん。新たなる役人を迎へんとするときも、おんみはわれに報すべし。重要なる文書、忙しき公務もなければ、われは心に訝れり。この影壁[33]を回りつつひそかに窺ふ、そもなにゆゑぞたつたひとりでしよげ返りたる。
(言う)ひとまず行かずに、さらに見ることにしよう。ああ。亭主どのは手に一枚の紙を持ち、うなだれて左を見たり右を見たりしていらっしゃる。分かったぞ。(唱う)
【酔春風】諺に言ふ「人は死ぬれば心を知らず」と、かのひとは「海は深くとも底を見るべし[34]」。おそらくは前妻が手紙を寄越したるならん、かのひとは新妻を娶りたれども、心の中にて後悔、後悔したるらん。おんみは旧きを棄てて新しきをぞ憐れむ[35]。かのひとはわたしに意あるを見て、かやうなる奸計をほしいままにぞしたるなる。
(会う)亭主どの。
(白士中)妻よ、何事だ。たったひとりで前庁にやってくるとは。
(正旦)亭主どのにお尋ねします。なぜ後堂に戻ってゆかれないのでしょうか。前の奥さまが手紙を寄せてきたのでしょう。
(白士中)妻よ、前の夫人が手紙を寄せてくるなどということはない。処理できぬ公務があるので、憂えているのだ。
(正旦)亭主どの、嘘をついてはなりませぬ。きっと夫人が家に居て、今日は手紙を届けてきたのでございましょう。
(白士中)妻よ、よけいなことを考えるな。わたしは嘘をついたりはせぬ。
(正旦が唱う)
【紅繍鞋】ただ一家一計[36]を守るにしかず、なにゆゑぞ二婦三妻を収めたる。おんみは十中七八は疚しかるべし。守るべくんば留めて守り、別るべきなれば別れよ。公務を行ふべきものはおんみにあらず[37]。
(白士中)わたしはこれらの公務がなければ、おまえと共白髪となろう[38]。わたしの心は、天のみがご存じだ。
(正旦)亭主どのが手に一枚の紙をお持ちでいるのを見ました。きっと家から寄せてきた手紙でしょう。亭主どのは嘘をついてはなりませぬ。その手紙の趣旨を当ててみましょう。
(白士中)妻よ、当ててみよ。
(正旦が唱う)
【普天楽】旧きを棄つるはまことに難く、新しきを迎ふるはしよせんは易し。新しきは中途の姻眷、旧きは綰角[39]の夫妻なり。われは婦女の身なりといへども、われは裙釵[40]の輩なれども、他の人の眼を瞬き頭を抬げたるを見ば、われははやくも来意を知るなり。こはわれが万事に細心なることをひけらかしたるにはあらず。
(言う)亭主どの、おんみがわたしを欺かれるのはどうしてでしょうか。
(唱う)恩愛の絶え、不和となりなば、その時は水は尽き、鵝は飛ぶべし[41]。
(白士中)妻よ、わたしは裏切り者ではない。前妻が今もいるはずはない。
(正旦)亭主どの、仰いますか仰いませぬか。
(白士中)妻よ、わたしに前妻はいないのに、わたしに何を言えというのだ。
(正旦)仰らないなら、わたくしは死に場所を探すまでです。
(白士中)待て。待て。妻よ、おまえが死んだら、どうしよう。話すには話すが、妻よ、怒るな。
(正旦)亭主どの、仰れば、怒りませぬ。
(白士中)おまえは存じておるまいが、むかし楊衙内はおまえを妾にしようとしたが、わたしはおまえを娶って夫人にした。あのものはわたしに恨みを抱き、聖上にでたらめの上奏をし、わたしが花を貪り、酒を恋い、公務を執らぬと言ったのだ。今、かれは勢剣金牌を賜わって、みずから潭州にやってきて、わたしの首級を取ろうとしている。このものは家の老僕、わたしの老母の命を奉じて、この手紙を届けてきて、わたしに知らせた。わたしはそのために悩んでいるのだ。
(正旦)そういうことだったのですか。亭主どの、あのものを恐れることはございませぬ。
(白士中)妻よ、あのものを怒らせるな。あのものこそは花花太歳ぞ。
(正旦が唱う)
【十二月】おんみは言へり。かのものは花花太歳にて、われに逼りて歩歩相従はしめんとしたりと。われは天地の覆ることを恐れず、かのものとの雨約雲期[42]に順はん。この事[43]を、おんみは目を瞠りつつ見よ。いかにしてかの頼骨頑皮をあしらへるかを。
【堯民歌】ああ、かのものは利益を得んとも利益を失ひ、船にむなしく月明を載せて帰らん[44]。めそめそと胸を捶ち、脚を踏み、ひとり悲しむことなかれ[45]。見よわれは薄化粧して蛾の眉を画くを用ゐず。今日、われはみづからかなたに赴きて、かのものに備へのありやなしやを見るべし。
(白士中)かれはあちらできっと準備をしていよう。妻よ、断じて行ってはならぬ。
(正旦)亭主どの、構いませぬ。(耳打ちする)こうするよりほかございませぬ。
(白士中)かえってかれの術中に落ちるだろう。妻よ、やはり行かぬのがよいだろう。
(正旦)亭主どの、構いませぬ。(唱う)
【煞尾】かのものをして叩頭しつつ目通りし、神羊[46]のいそいで跪くかのごとくせしむべし。かのものは江の真中で船を横たへ纜を断ち、われは智をもて金牌を騙し取り、かのものをして行くことを得ざらしむべし。(退場)
(白士中)妻は行ってしまった。妻の機略をもってすれば、一人の楊衙内はもちろんのこと、十人の楊衙内でも、妻の手を逃れることはできないだろう。まさに、眼には見ん旌節旗、耳には聴かん良き消息[47]。(退場)
第三折
(衙内が張千、李稍を連れて登場)(衙内)わたしは楊衙内。白士中めは無礼者、おまえは大した者ではなかろう。わたしが譚記児を娶って妾にしようとしていたことを知らないはずはなかろうに、堂々とわたしに背き、譚記児を娶り、妻にして、ともに任地に臨むとは。この恨みは浅くはないぞ。今わたしはみずから潭州に行き、白士中の首級を切り取ろう。他の人をなぜ連れてこないかとお思いだろう[48]。このものは張千、このものは李稍。これら二人の小者らは、聡明で、いずれもわたしの腹心だから、この二人だけを連れてきたのだ。
(張千が衙内の鬢を持つ)
(衙内)こら。何をする。
(張千)旦那さまの鬢に一匹の虱がいます。
(衙内)こいつの言うとおりだ。この船で一月も、頭を梳かなかったからな。わが子よ[49]、ほんとうに賢いな。
(李稍が衙内の鬢を持つ)
(衙内)李稍、おまえも何をするのだ。
(李稍)旦那さまの鬢に一匹の狗鼈[50]がいます。
(衙内)こいつめ。
(従者[51]、李稍がともに衙内の鬢を持つ)
(衙内)馬鹿野郎、そんなにたくさんいるものか[52]。
(李稍)従者どの、今日は八月十五日中秋節、わたしたちはいささかの酒と果物を調え、大人と月見をすれば、まことに宜しゅうございましょう。
(張千)その通りだな。
(張千と李稍が目通りする)大人、今日は八月十五日中秋節にございます。このような月影に向かいつつ、わたしたちが大人と一杯の酒を手に月見するのは、いかがでしょうか。
(衙内が怒る)こら。馬鹿野郎。何を申すか。わたしは公務をするために来たというのに、どうしてわたしに酒を飲ませる。
(張千)大人、われらに悪意はございませぬ。これは孝順[53]の心にございます。大人が召されないなら、わたしたちは一滴も飲もうとはいたしませぬ。
(衙内)従者よ、おまえは酒を飲んだら、
(張千)わたしは一滴の酒を飲みましたら、血を飲みましょう[54]。
(衙内)その通りだな。酒は飲むな。李稍よ、おまえは酒を飲んだら、
(李稍)わたしは酒を飲みましたら、疔瘡に罹りましょう。
(衙内)おまえたち二人が酒を飲まぬなら、それもよかろう。それもよかろう。わたしは三杯だけを飲むから、酒と果物を調えてこい。
(張千)李稍よ、果卓[55]を運んでこい。
(李稍が果卓を運ぶ)果卓はこちらにございます。わたしは壺を執りますから、あなたは酒を渡してください。
(張千)わが子よ、なみなみと注いでくれ。(酒を渡す)大人、一杯干されませ。
(衙内が酒を受けようとする)
(張千が退がってひとりで飲む)
(衙内)従者よ、どうしてひとりで飲んだ。
(張千)大人、これは毒見の盞にございます。この酒は家から持ってきた酒ではなく、買った酒、大人がお飲みになって、もしものことが起こり、大人が毒殺されれば、わたしはどうしたら宜しいでしょう。
(衙内)その通りだな。おまえはわたしの腹心だ。
(李稍が酒を渡す)おまえは酒を飲もうとして、そのような口舌を弄んでいる。わたしが酒を渡すとしよう。大人、一杯干されませ。
(衙内が受け取ろうとする)
(李稍がひとりで飲む)
(衙内)おまえはどうした。
(李稍)大人、かれが飲みましたから、わたしも飲むのでございます。
(衙内)こいつめ。わたしはひとまずゆっくりと幾杯か飲むとしよう。従者よ、民間の船をみな追い払ってくれ。
(正旦が魚を持って登場)こちらには誰もいない。わたしは白士中さまの妻の譚記児。魚売りを装い、楊衙内に会いにゆこう。良い魚ですよ。この魚はあの川辺で泳ぎ、波に乗り、食べものを求めていました。わたしは舟に乗り、網を打ち、三尺の錦鱗をすくいあげたのでございます。まだぴちぴちと跳ねております。良い魚ですよ。(唱う)
【越調】【闘鵪鶉】今宵は宴を開きたり。まさに中秋令節なれば、ひくく唱ひてあさく注ぐべし、花な凋みそ月な缺けそね。見るものの珍しきこと、われが言ふことを須ゐず、この魚鱗甲鮮[56]のみは滋味は格別。この魚は水もて煮、油もて煎るべきにはあらず、ただ薄く細く切るべし。
(言う)わたしが来るのは、簡単なことではなかった。(唱う)
【紫花児序】われは渡りをつけんとしたり。施しをすることに慣れたる商人、請はずともつけ買ひにせんと言ふべし[57]。わが籃の中の魚は、案に列なる料理とはまつたく異なる[58]。われは投網し、蓑衣、箬笠[59]を着くるのみ。まづはいささか交易をせんとせり。買つてくださるおにいさん、われにいささか心配りをなさるべし[60]。
(言う)この船を繋ぎ止め、岸に上ろう。
(李稍に見える)おにいさん、万福。
(李稍)このねえさんは、わたしはすこし見覚えがある。
(正旦)わたしが誰だと思います。
(李稍)ねえさん、あなたは張二嫂[61]どのであろう。
(正旦)張二嫂でございます。どうして気付かなかったのです。あなたはどなたで。
(李稍)わたしは李阿鼈。
(正旦)あなたは李阿鼈[62]。
(正旦が打つ)坊や[63]、ずいぶん飲んでいるのですね。あなたのことを思っていました。
(李稍)二嫂、わたしを好きなのか。
(正旦)坊や、もちろん好きですよ。今から行って、旦那さまに一声掛けて、鱠を切りにゆかせてください。いささかのお金を手に入れ、暮らせるようにしてください。
(李稍)分かったよ。張千、来い。
(張千)馬鹿野郎、わたしを呼んでどうしたのだ。
(李稍)張二嫂が、大人に鱠を切ろうとしているのだ。
(張千)張二嫂とは誰だ。
(正旦が張千に見える)孝順の心から、一尾の金色の鯉を持ち、わざわざ初物を献じにきたのでございます。旦那さまに一声お掛けくださいまし。
(張千)それもよかろう。それもよかろう。わたしが言いにいってやろう。お金を得たら、わたしに与え、いささかの酒を買い、飲ませてくれよ。ついてこい。(衙内に見える)大人、張二嫂が、大人のために鱠を切ろうとしています。
(衙内)張二嫂とは誰だ。
(正旦が会う)旦那さま、万福。
(衙内がびっくりする)綺麗な女だ。娘さん、どうして来られたのですか。
(正旦)孝順の心から、この金色の鯉を持ち、まっすぐに初物を献じにきました。砧板、刀子を持ってきてください。わたしは鱠を切りましょう。
(衙内)娘さんのこのような気配りは得難いものだ。娘さんに鱠を切らせるわけにはゆかない。手が汚れてしまう。李稍、持ってゆき、生姜と辣椒で炒めてきてくれ。
(李稍)大人、このかたに切らせないとは愚かなことにございます[64]。
(衙内)娘さんが来られたことはとてもありがたい。果卓を担いでこい。娘さんと何杯か飲むとしよう。酒を持て。娘さん、一杯干されよ。
(張千が酒を飲む)
(衙内)おまえはどうした。
(張千)旦那さまはあのかたにお酒を勧め、あのかたも旦那さまにお酒を勧めれば、旦那さまも飲まず、あのかたも飲まず、この酒は冷えてしまいましょう。わたしが熱いうちに飲んだ方が、かえってさっぱりいたしましょう。
(衙内)こら。下がれ。酒を持て。娘さん、この杯を干しなされ。
(正旦)旦那さまがどうぞ。
(張千)飲むのなら飲みなされ。飲まないのならわたしがまた飲みますよ。
(正旦が衙内に跪く)
(衙内が正旦を引く)娘さん、立たれよ。わたしがあなたの礼を受ければ、夫妻とはなれません[65]。
(正旦)わたしはこちらに来たのですから、礼を受けても、夫妻となれます。
(張千が李稍とともに卓を拍つ)すばらしい。すばらしい。
(衙内)娘さん、お掛けください。
(正旦)旦那さま、このたび来られてどちらへお往きになるのでしょう。
(衙内)わたしは公務があるのです。
(李稍)二嫂。白士中を殺そうとして来たのです。
(衙内)こら。何を言うか。
(正旦)旦那さま、白士中を捕らえるのでしたら、潭州の一害も除かれましょう。ただこの州はどうして人を遣わしてきて、旦那さまをお迎えせぬのでございましょう。
(衙内)娘さん、あなたはご存じあるまいが、わたしは人に気付かれて、事情を漏らすことを恐れているために、かれらに迎えをさせぬのだ。
(正旦が唱う)
【金蕉葉】旦那さま、人々に一声報せて遠くまで迎へしめなば、船の上に五十座の笙歌が並ばん[66]。公務のためにこなたへ来りたまひしに、なにゆゑぞこの関節をなしたまふ。
(衙内)娘さん、あなたが来るのが早くてよかった。来るのが遅かったら、わたしは寝てしまっていた。
(正旦が唱う)
【調笑令】[67]われが遅めに来たらましかば、旦那さまは船の上でぐうぐうと熟睡したらまし。おんみの傍に列なれる金牌と勢剣は、官人が遠く一射を離るれば、従者が守りたることもなからまし。犬畜生のかのものの腰を打ち、断たましものを[68]。
(衙内)李稍よ、おまえに頼むとしよう。わたしのために仲立ちとなってくれ。張二嫂に言え。正妻になることは許されないが、第二夫人となるのを許す、包髻[69]、団衫[70]、繍のある手巾は、すべて用いることができると。
(李稍)旦那さま、ご安心を。すべてわたしが引き受けました。
(正旦に見える)二嫂、おめでとうございます。旦那さまは仰いました。正妻になることは許されませんが、第二夫人となることは許されます。包髻、団衫、袖の脚絆[71]は…
(正旦)繍のある手巾のことでございましょう。
(李稍)まさに繍のある手巾のことでございます。
(正旦)信じられませぬ。わたしがみずから旦那さまに尋ねにゆきましょう。
(正旦が衙内に見える)旦那さま、さきほど李稍が言った話は、ほんとうに旦那さまが仰ったことでしょうか。
(衙内)わたしが言ったのだ。
(正旦)わたしにどんな取り柄があって、旦那さまにこのように愛していただけるのでしょう。
(衙内)ありがとう。ありがとう。娘さん、わたしに近寄り、坐っても、障りあるまい。
(正旦)滅相もございませぬ。(唱う)
【鬼三台】貞烈を誇るにあらねど、かねてより人と親しくせしことはなし。われは醜く、頑固偏屈[72]なるものなれど、官人に見ゆればしらぬまに心は淫邪とぞなれる。われも操を守り得ず。官人、おんみは黎民を救はんときは、徹底的になさるべし[73]。貪官を捕ふるときは、人を殺して血を見るべきなり。われはおんみのために秋波を送るなり、
(正旦が衙内に目配せし、唱う)氷の清さ玉の潔さも役には立たず。
(衙内が喜ぶ)ふっ、ふっ、ふっ。
(張千と李稍が喜ぶ)ふっ、ふっ、ふっ。
(衙内)おまえたち二人はどうした。
(李稍)いっしょにちょっと遊んでいるのでございます。
(正旦が唱う)
【聖薬王】珠冠はいかに戴くや。霞帔[74]はいかにして掛くべきや。三檐の傘[75]はいかにして頂門を蔽ふや。侍妾を呼びて取り囲ましむや。かねてより漁りをする船の上で身を捻りたりしかど、おんみとともに七香車[76]にぞしかと坐れる。
(衙内)娘さん、一句を示してあなたに対句を作らせましょう。「羅袖は半ば翻す鸚鵡盞[77]」。
(正旦)わたしは対句を作りましょう。「玉繊[78]は重ねて整ふ鳳凰衾[79]」。
(衙内が卓を拍つ)すばらしい、すばらしい。娘さん、字をご存じなのではございませんか。
(正旦)わたしはいささか撇、竪、点、劃を存じております[80]。
(衙内)字をご存じなら、わたしはさらに一句を示すことにしましょう。「鶏頭はみな頚を伸ばし難し」。
(正旦)わたしは対句を作りましょう。「龍眼[81]は団団[82]として睛を転ぜず」。
(張千が李稍とともに卓を拍つ)すばらしい。すばらしい。
(正旦)旦那さまにお遇いできたのは得難いことです。どうか珠玉を賜わりますよう。
(衙内)ああ、どのような詞賦を贈れと仰るのです。作りましょう。作りましょう。李稍よ、紙、筆、硯、墨を持ってくるのだ。
(李稍が小道具を持つ)旦那さま、紙、墨、筆、硯はこちらにございます。
(衙内)書き上げました。詞は『西江月』に寄せました。
(正旦)旦那さま、一遍読み上げてください。
(衙内が念じる)「夜の月に一天の秋の露、冷たき風に万里の江湖。良き花に美人は寄るべし[83]、会へば情意は抑へ得ず。仙子ははじめて月浦[84]を離れ、嫦娥はたちまち雲衢を下る」。小詞は倉卒におんみに対して書し、心知りたるおんみに送り与ふるものなり。
(正旦)優れた才にございます。優れた才にございます。わたしも旦那さまに一首お返しいたしましょう。詞は『夜行船』に寄せましょう。
(衙内)娘さん、一遍読み上げてください。
(正旦が念じる)「花の中なる鶯燕の番の声は、一羽の鳳凰、鸞鳥にしぞ勝るべき。たちまちの恩愛と、しばしの雲雨、宿縁は前世の定めに関はれり。天のご加護で今世にて眷属となり、ただ願はくは水と魚との如くせんこと。江と湖とは寂しかれども、人と月とはまどかにて、夜行船にてともにゆくなり。
(衙内)すばらしい。すばらしい。あなたの詞はわたしの詞より勝れています。娘さん、わたしはあなたとゆっくりとさらに幾杯か飲みましょう。
(正旦)お尋ねしますが、旦那さま。どうして白士中どのを殺そうとなさるのでしょう。
(衙内)娘さん、お尋ねにならないでください。
(李稍)張二嫂。旦那さまの勢剣がこちらにございます。
(衙内)見せるな。
(正旦)勢剣ですね。衙内さまがわたしを愛してくださっているのでしたら、わたしに貸して、持ってゆかせて、何日か魚を料理させてくださればよろしいですのに[85]。
(衙内)このひとに貸そう。
(張千)金牌もございます。
(正旦)金牌ですね。衙内さまがわたしを愛していらっしゃるなら、指輪を作ってくださいまし。ほかには何がございますか。
(李稍)これは文書にございます。
(正旦)これは売買の契約書ですか。
(正旦が文書を袖に入れる)旦那さま、さらに一杯飲まれませ。
(衙内)酒は十分だ。娘さん、前篇を唱わずに、幺篇[86]だけを唱ってください。(酔う)
(正旦)「江と湖とは寂しかれども、人と月とはまどかにて、夜行船にてともにゆくなり」。(従者が李稍ととともに眠る)
(正旦)こいつらはみな眠ってしまった。(唱う)
【禿厮児】あいつもひどく愚かなり、玉山はひくく傾き[87]、鬼祟が着き酔眼は朦朧たるなり[88]。わたしは金牌虎符をみな袖に収めて、叫ぶらく、旦那さま、はやくお目醒めくださいまし。はやく。
【絡絲娘】わたしはひとまず身を返し、楊衙内にぞ深々と拝謝せる。おんみの妻はすみやかに船の上に行き[89]、家に着きなば夫にすべてのいきさつをしぞ話すべき。
(言う)ありがたい。ありがたい。(唱う)
【収尾】これよりは人に虐げらるることなく、かならずや美しき夫妻は百年喜ばん。われらのところは、楽しげに芙蓉の帳にて春風に笑まひたれども、かのものは、寂しげに楊柳の岸にて残月に伴はん。(退場)
(衙内)張二嫂。張二嫂はどこへ行った。(驚く)李稍よ、張二嫂はどうして行ってしまったのだ。わたしの勢剣金牌はどこにあるのだ。
(張千)金牌が消えても、さらに勢剣と文書がございます。
(李稍)勢剣と文書もあのものに持ってゆかれてしまいました。
(衙内)それならば、どうしたらよいだろう。
(李稍が唱う)
【馬鞍児】思へば、思へば、地団駄を踏みて叫べり、
(張千が唱う)思へば、思へばわれをして耐へ難からしむ、
(衙内が唱う)ひそかに腸を愁へしめひそかに焦る。
(衆が合唱)傍の人に知らしめんとせず。かのひとの良き香を焚き、良き香を焚き、かのひとの熱き体の跳ぶを祈らん[90]。
(衙内)やつらは南戯を演じておるわい[91]。(衆がともに退場)
第四折
(白士中が従者を連れて登場)わたしは白士中。楊衙内めがみだりに聖上に奏聞したため、わが首級は切り取られそうになったが、さいわいにわたしの妻は巧計を施して、かれの勢剣金牌を知恵を使って騙しとってきた。今日は役所に端坐して、あいつが何を用いて、わたしをどうするのかを見るとしよう。左右のものよ、入り口で見張りして、人が来たら、わたしに知らせよ。
(衙内が張千、李稍とともに登場)
(衙内)わたしは楊衙内。今から白士中の首級を取りにゆく。もう入り口に着いたから、そのまま行こう。(白士中に見える)下役よ、白士中を捕らえてきてくれ。
(張千が捕らえる)
(白士中)どのような令状により、捕らえにこられたのでしょう。
(衙内)わたしは聖上の御諚を奉じ、勢剣金牌を持っていたのを、盗まれたのだが、文書はあるぞ。
(白士中)文書があるなら、読みあげて聴かせてください。
(衙内が文書を読む)詞は『西江月』に寄せる。
(白末が奪い、言う)これは淫詞にございます。
(衙内)それは違うな。ほかにあるのだ。
(衙内がほかの文書を読む)詞は『夜行船』に寄せる。
(白が奪う)これも淫詞にございます。
(衙内)こいつはわたしの弱点を掴んでいるわい。構うものか。原告もいないのだから、こいつを恐れることはない。
(正旦が登場)わたしは白士中さまの夫人の譚記児。楊衙内めは、ほんとうにむちゃくちゃだ。(唱う)
【双調】【新水令】かやうに権勢をば恃み、酒色を貪る官員が、夫ある嫁を虐げたり。かれはむりやり長き連理の枝を裂き、むりやり顫ふる並頭の蓮を断たんとしたるなり[92]。げに怨めしきことなれば、われら貧しき百姓を憐れと思ひたまへかし。
(正旦が見える跪く)大人、憐れと思し召されませ。楊衙内は江の真ん中でわたしを騙しました。大人に申し上げます。お味方くださいますように。
(白士中)司房へ供述を取りにゆけ。
(正旦)かしこまりました。(退場)
(白士中)楊衙内、見ただろう。人がおまえを訴えている。どう申し開きする。
(衙内)どうしたら良いだろう。わたしはかれに頼むしかない。知事さま、申し上げることがございます。
(白士中)どのような話があるのだ。
(衙内)知事さま、わたしは今、あなたの罪を許しますから、あなたもわたしをお許しください。ただ一つ、あなたには美しいご夫人がおありだということですから、呼び出してきて、一目会わせてくださいまし。
(白士中)それもよかろう。それもよかろう。左右のものよ、雲板[93]を撃ち、後堂から妻を呼び出してまいるのだ。
(左右)奥さま、旦那さまがお呼びです。
(正旦が装いを改めて登場)わたしは白士中の夫人。今から行くが、あいつはわたしに気付くだろうか。(唱う)
【沈酔東風】楊衙内は官位は高く権勢は顕らかにして、昨晩は地を語り天を談ぜり[94]。かのものは金牌に拠り夫を誅するものなりと思ひしが、雲板を撃ち夫人を招き見えんとせり。わあわあと喚きつつ、笙歌[95]の流れ画堂の前に至るに勝れり。かのものがわたしといささか顔見知りなることを悟るかを見ん。(衙内と会う)
(言う)衙内さま、お初にお目に掛かります。(唱う)
【雁児落】かれの身はつねに柳陌[96]にて眠り、脚は花街に出入りして離るることなし。幾年か姓名を聞き、今日は顔をぞ合はせたる。
【得勝令】ああ、楊衙内さま、な怨みそ。
(衙内)この夫人は、ほんとうに顔見知りだ。
(李稍)張二嫂ではないか。
(衙内)ああ。奥さま、知恵を使って、わたしをすっかり騙しましたね。
(正旦が唱う)脅ゆればかれはしばらく茫然たるのみ、八棒十枷の罪はなく、二言三言を交はすに過ぎず[97]。この一艘の魚船にて、半夜の時を費やして纏ひつきたるのみにして、われら二人は今こそは、中秋の月のごとくに円かとなりぬれ[98]。
(外が李秉忠に扮し、突然登場)わたしは湖南を巡撫する都御史李秉忠。楊衙内がみだりに嘘を上奏したため、聖上の御諚を奉じ、ひそかに行って査察して、事実を得れば、まず尋問し、しかる後、表を書き、上奏しよう。こちらに来たが、まさに潭州の役所だ。白士中、楊衙内よ、おまえたちの事情はすべて理解したぞ。
(正旦が唱う)
【錦上花】やうやくに英士を択び、姻眷と成りつれど、ゆゑもなくごろつきに遇ひ、威権をほしいままにせられき。われはやむなくみづから漁船に上りゆき、からくりをひそかに設けき。かの勢剣と金牌がなかりせば、などてかは免るることを得ん[99]。
【幺篇】ああ、天が憐れみたまふよりほかはなかりしかども、天もまた遥けきことをいかにぞせまし。今日はさいはひ、明鏡を高く掲ぐる、清き官に対したり。かのものは人妻をむりに奪ひて、公然と律典に違ひき。すでに事情を調ぶれば、いかにして沙汰をすべけん。
(李秉忠)皆のもの、宮居を望んで跪き、わが裁きを聴け。
(詞)楊衙内は権威を恃み、多年にわたり良民を害する罪を犯したり。さらに他人の妻妾を奪はんとする心を起こし、みだりに聖主の前に奏せり。譚記児は生まれつき智慧があり、金牌を騙し取らんとみづから漁船に上りたり。わたしは勅書を奉じて査察し、世のために怨みを雪げり。衙内をば雑犯[100]に問ひ、杖すること八十にして免職帰郷せしむべし。白士中は元通り奉職せしめ、夫妻に偕老団円をしぞ賜ふべき。
(白士中夫妻が聖恩に感謝する)
(正旦が唱う)
【清江引】「今生の夫妻は夙世の縁[101]」といへども、方便を最後に施したるは誰そ[102]。これよりは別るることなく、百くさのことどもはとことはに願ひの如くなりぬべし。賽龍図さまのご恩の浅からざることぞいと有り難き。
題目 清安観邂逅説親
正名 望江亭中秋切鱠
最終更新日:2007年4月29日
[1]金馬門。漢代の宮門の名。ここでは宮門のこと。
[2]黒い印綬。
[3]錦で作った毬。
[4]錦や布帛で作る壁掛け。
[5]ここでは涙の澄明なさま、また、翡翠のような竹がさらさら鳴るさまを兼ねていよう。
[6]舜の死を悼んだ妃の泪が、竹に掛かって斑竹となったという故事に因む句。晉張華『博物志』卷八「堯之二女、舜之二妃、曰湘夫人、帝崩、二妃啼、以涕揮竹、竹盡斑」。
[7]宋玉『高唐賦』に、楚王が夢の中で巫山の女と契り、別れる際、女が、自分は巫山の南で、朝には雲に、暮れには雨になろうと言ったという故事をふまえた句。『高唐賦』「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之臺、望高唐之觀。其上獨有雲氣、[山卒]兮直上、忽兮改容、須臾之間、變化無窮。王問玉曰、此何氣也。玉對曰、所謂朝雲者也。王曰、何謂朝雲。玉曰、昔者先王嘗遊高唐、怠而晝寢、夢見一婦人曰、妾巫山之女也、為高唐之客。聞君遊高唐、願薦枕席。王因幸之。去而辭曰、妾在巫山之陽、高丘之阻、旦為朝雲、暮為行雨。朝朝暮暮、陽臺之下。旦朝視之如言」。
[8]「貞烈」に同じ。数字は意味はない。三貞五烈ともいう。
[9]原文「敢早着了鑽懶帮閑」。「着了鑽懶帮閑」が未詳。とりあえず、このように訳し、男との仲を取り持ってもらっているという趣旨に解す。
[10]白粉を塗った顔。
[11]女性の髪をいう。雲鬢、雲鬟。
[12]原文「雨里孤村雪里山、看時容易画時難。早知不入時人眼、多買胭脂画牡丹」。含意未詳だが、「雨里孤村雪里山」は出家の境涯、「看時容易画時難」はその境涯に身を置くことの困難さを喩えているのであろう。「早知不入時人眼、多買胭脂画牡丹」は出家の境涯は一般人にとって快いものではないから、華やかな暮らしをしなさいと言っているのであろう。とりあえずこう解す。
[13]原文「咱則是語話間、有甚干」。未詳。目的語を補い、とりあえずこう訳す。
[14]原文「可甚的撒手不為奸」。「撒手不為奸」は男女が離れ離れになっていて姦通をなせない状態にあることをいう常套句。
[15]「高唐」はここでは男女の逢瀬の場のこと。楚の襄王が高唐に遊んだとき、夢で神女と契ったという故事を踏まえた句。宋玉『高唐賦』参照。
[16]巫峡の両岸にある巫山十二峰のこと。十二巫峰。
[17]北斗七星を祭る祭壇。ここではそれがある道観のこと。
[18]わたしがあなたをお呼びしたわけではございませんよという口吻。
[19]原文「只被你直着俺両下做人難」。「做人難」が未詳。とりあえずこう訳す。
[20]後ろの「芳槿は終日なるなく、貞松は歳寒に耐ふ」の句を指す。
[21]『佩文韻府』引劉希夷詩「願作貞松千歳古、誰論芳槿一朝新」。
[22]原文「我、我、我、攛断的上了竿、你、你、你、掇梯児着眼看」。未詳。とりあえずこう訳す。人を騙して酷い目に遭わせることの喩えであろう。
[23]原文「他、他、他、把『鳳求凰』暗里弾、我、我、我、背王孫去不還」。『鳳求凰』は司馬相如が卓文君に挑んだときに奏でたとされる曲名。「王孫」は卓文君の父卓王孫。
[24]司馬相如が妾を取ろうとした際、妻の卓文君がこれを作つて妾を取るのを思いとどまらせたという話が『西京雑記』巻三に見える。
[25]原文「你若提着這樁児公案、則你那観名児喚做清安」。まったく未詳。とりあえずこう訳す。
[26]丸薬と散薬。薬品。
[27]原文「休想我着那別人絆翻、不用追求相趁ー」。「相趁ー」の主語は「別人」であると解す。
[28]原文「撅了樁」。未詳。とりあえずこう訳す。
[29]原文「花花太歳為第一、浪子喪門世無対」。太歳は凶神のこと。「花花」は「花花公子」のことで、放蕩息子。「花花太歳」は凶神のような放蕩息子のことで、楊衙内が自分自身をいう。「浪子」は放蕩息子。「喪門」は「喪門神」でやはり凶神のこと。「浪子喪門」は凶神のような放蕩息子のことで、やはり楊衙内が自分自身をいう。「花花太歳為第一、浪子喪門世無対」は悪者が登場するときの元曲の常套句。
[30]権勢のある役人。
[31]稍は固有名詞ではなく「船頭」の意。船頭の李。
[32]挨拶の一種。手を組んで腰を引き「喏」と唱える。
[33]表門の外にある目隠し塀。
[34]原文「常言道人死不知心、則他這海深也須見底」。「人の心は知れないというけれど、あの人の心は分かる」ということ。杜荀鶴『感寓』に「海枯終見底、人死不知心」という句があり、これを踏まえた句。杜荀鶴の句の趣旨は「人は死んでも本当の心は分からない、枯れた海の底を見る方がまだ簡単だ」ということ。
[35]原文「你做的个弃旧怜新」。前後との脈絡が未詳。「旧」が譚記児、「新」が白士中の前妻を指していると考えれば辻褄は合うが。
[36]王学奇主編『元曲選校注』は「一夫一妻」の意とする。これに従う。『漁樵記』第三折【醉春風】に「道不的個一夫一婦、一家一計」という句がある。
[37]原文「這公事合行的不在你」。未詳。とりあえずこう訳す。「あなたは公務を行っているのではない」という趣旨か。
[38]原文「我若無這些公事呵、与夫人白頭相守」。未詳。とりあえずこう訳す。
[39]あげまき。「〜夫妻」は幼いときからの夫婦。
[40]スカートとかんざし。転じて婦女子のこと。
[41]原文「直等的恩断意絶、眉南面北、恁時節水尽鵝飛」。「水尽鵝飛」は含意未詳だが、夫婦の恩愛が絶える状態を喩えているのであろう。
[42]雲雨の約束。逢瀬。
[43]指示内容は後ろの「いかにしてかの頼骨頑皮をあしらへるかを」。
[44]原文「着那厮満船空載月明帰」。「満船空載月明帰」は得るものがないことをいうときの常套句。
[45]白士中への呼びかけ。
[46]生贄の羊。
[47]原文「眼観旌節旗、耳聴好消息」。明るい未来を予測しているときに唱われる、元曲の常套句。「旌節旗」は「旌捷旗」などとも表記される。「節」と「捷」は同音。「旌節旗」は節を表彰する旗、「旌捷旗」は勝利を表彰する旗。
[48]観客に呼びかけている句。
[49]部下に対して、親愛の情を込めた呼びかけ。
[51]原文「親随」。王学奇主編『元曲選校注』は張千のこととする。それでよかろう。
[52]原文「直恁的般多」。未詳。とりあえずこう訳す。
[53]目上の者に対する真心。
[54]原文「我若吃一点酒呵、吃血」。「吃血」が未詳。とりあえずこう訳す。王学奇主編『元曲選校注』は、「吃血」は罵語であり、血を飲むような人でなしの意とするが、根拠が未詳。
[55]酒食、果物を置く卓。
[56]「甲鮮」という言葉を知らないが、文脈からして間違いなく魚のことであろう。「甲」はうろこ。
[57]原文「怕有那慣施舍的経商不請言賒」。「慣施舍的経商」は譚記児がみずからをいっているものと解す。慈善行為のような値段で物を売るという趣旨であると解す。「不請言賒」は「頼まなくてもつけにいたしますよ」という趣旨であると解す。
[58] 原文「則俺這籃中魚尾、又不比案上羅列活計全別」。「案上羅列活計」が未詳。とりあえず、こう訳す。「活計」につき、『漢語大詞典』はこの例を引き「泛指各種體力勞動」と語釈するが、手間暇掛けた料理のことと解す。この句、自分の魚を、それらの料理よりも優れた者として自慢している句と解す。
[59]竹の葉や皮で作った笠。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』七十七頁参照。
[60] 原文「只問那肯買的哥哥、照顧俺也些些」。「肯買的哥哥」が未詳。李稍を指しているものと解す。
[61]ここではじめて現れる人名。おそらく李稍の知り合いの女であろう。李稍は酔っているため、譚記児を張二嫂と見間違え、譚記児は張二嫂に成りすますのである。
[62]「あなたはどなたで」以下の部分、譚記児が酔漢相手にふざけているか。
[63]親愛の情を込めた呼びかけ。
[64]原文「不要他切就村了」。自分のような者に切らせるなんて馬鹿だなあという口吻。
[65]原文「我受了你的礼、就做不得夫妻了」。相手の挨拶を受けるとどうして夫婦となることができないのかが未詳。夫婦以外の者に対する挨拶をしているのか。
[66]原文「怕不的船児上有五十座笙歌擺設」。「五十座笙歌」が未詳。五十人の楽隊か。
[67]この曲、全体的に未詳。衙内が寝ているところに来ていたら打ち殺していたものをと譚記児が述べていると解釈する。原文「若是賤妾晩来些、相公船児上K齁齁的熟睡歇、則你那金牌勢剣身旁列。見官人遠離一射、索用甚従人攔当者。俺只待拖狗皮的、拷断他腰截」。
[68]原文「俺只待拖狗皮的拷断他腰截」。未詳。王学奇主編『元曲選校注』は「拖狗皮」は罵語なりとする。これに従い、とりあえず、上のように訳す。狗の皮をひきずっている者、狗の皮をかぶった奴という意味か。『剪髪待賓』第一折【寄生草】に「則你這拖狗皮纏定這謝家楼」という用例があり、これは罵語の可能性が高いが、『望江亭』の「俺只待拖狗皮的拷断他腰截」は副詞節のようにも見える。待考。
[69]まげを覆うための布。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』百十三頁参照。
[70]元代の婦人用礼服。周汛『中国衣冠服飾大辞典』二百九頁参照。
[71]原文「袖腿繃」。「繡手巾(繍のある手巾)」を言い間違えたもの。「袖の脚絆」というところがいかにも間抜けである。「袖腿繃」と「繡手巾」、「袖」と「繡」は同音だが、「腿繃」と「手巾」はそれほど音が近いわけではない。
[72] 原文「刁决古憋」。頑固偏屈の意だが、ここでは堅物というくらいの意であろう。
[73]原文「你救黎民、為人須為徹」。「須為徹」が未詳。とりあえずこう訳す。
[75]『明史』輿服志一・傘蓋「傘蓋之制、洪武元年、令庶民不得用羅絹涼傘、但許用油紙雨傘、三年令京城内一品二品用傘蓋、其餘用雨傘、十六年令尚書、侍郎、左右都御史、通政使、太常卿、應天府尹、國子祭酒、翰林學士許張傘蓋、二十六年定一品、二品傘用銀浮屠頂、三品、四品用紅浮屠頂、倶用K色茶褐羅表、紅絹裏、三簷」。
[76]さまざまな香木で作つた車という。香車とも。
[77]鸚鵡貝で作った杯。
[78]玉のような細い指。
[79]鳳凰を刺繍した掛け布団。
[80]原文「妾身略識些撇竪点划」。「划」は未詳。とりあえずこう訳す。「撇竪点划」は文字のことをこう称したもの。
[81]ムクロジ科の常緑高木。果実を食用。
[82]丸いさま。
[83]原文「好花須有美人扶」。未詳。「好花」は譚記児、「美人」は楊衙内を指しているものと解する。
[84]普通は月の照る水辺のことであるが、ここでは月のことで、「浦」には実際上の意味はないであろう。「浦」は韻字。
[85]原文「借与我拿去治三日魚好那」。「治」が未詳。とりあえずこう訳す。
[86]曲の後ろの部分。「幺」は「後」を省略したもの。
[87]原文「玉山低趄」。『世説新語』容止に見える、嵇康が酔うと玉山が崩れようとするかのようだったという故事に因んだ句。『世説新語』容止「山公曰、嵇叔夜之為人也、巖巖若孤松之獨立、其醉也、傀俄若玉山之將崩」。
[88]原文「着鬼祟醉眼乜斜」。「着鬼祟」が未詳。とりあえずこう訳す。
[89]原文「您娘向急颭颭船児上去也」。「您娘」は譚記児がみずからを指しているものと解す。「娘」は現代語の「媽的」と同じく罵語として用いられることがあるがここでは罵語ではないであろう。
[90]原文「則把他這好香焼、好香焼、呪的他熱肉児跳」。「呪的他熱肉児跳」はまったく未詳。とりあえずこう訳す。
[91]元曲は普通は一人独唱。大勢の人が唱うのは南戯の特徴。
[92]原文「他只待強拆開我長攙攙的連理枝、生擺断我顫巍巍的並頭蓮」。「連理枝」「並頭蓮」ともに夫婦や恋人同士の喩え。
[94]原文「昨夜个説地談天」。「説地談天」はあれこれ雑談すること。
[95]楽の音と歌声。
[96]後ろに出てくる「花街」とともに、花柳の巷のこと。
[97]原文「又無那八棒十枷罪、止不過三交両句言」。「八棒十枷」は未詳。さんざん棒で打たれたり、枷に掛けられたりする罪のことであると解する。「三交両句言」も未詳だが、訳文のように解釈する。
[98]原文「俺両口児今年、做一个中秋八月円」。「今年」の「年」には深い意味はないであろう。韻字。
[99]原文「若不沙那勢剣金牌、如何得免」。「勢剣金牌を奪い取ることがなかったら、楊衙内の魔手を逃れることができなかった」という趣旨に解す。
[100]法律に正条のない犯罪をおかしたもの。
[101]「今の世で夫婦になっているものは、前世からの縁がある」ということ。
[102]原文「畢竟是誰方便」。王学奇主編『元曲選校注』は「是哪個人行了方便」の意とし、「哪個人」は李秉忠であるとする。これに従う。姻縁は運命で決まるものだが、李秉忠の裁きがあってはじめて楊衙内の横恋慕がなくなったことを述べた句であると解す。