巻七

 

○金を返して天に報いられること

 

仁和の陳与登は、国子生陳煋華の子であった。姿貌は魁秀[1]、年が十五で世務に通暁し、成人のようなところがあった。父の喪が明けたばかりの、丙申の落燈の日に、道で一つの綢の包みを拾ったので、開いて見。一つの紅檀[2]の匣の中に紫金の釧二双、宝珠の挿鬢[3]四本が収めてあった。そこで心のなかで考えた。「大金が忘れられているから、身命を損う恐れがある。」そこで、看板を忘れられていた所に掲げ、包みを懐にして帰り、家人にも知らせなかった。翌日、ほんとうに一人の客が訪ねて来、物と話が合ったので、それらをすべてかれに返した。その人は泣きながら謝して去った。その年の夏、与登は重病で死にそうになったが、治ると、夢で神に招かれて役所にいった。案に就いているものが言った。「以前、おまえの病は死ぬはずのものだったが、金を返した徳があったので、逃れたのだ。今後はおまえの心をしっかり保ち、つとめて善行するべきだ。」数日足らずで、ふたたび夢で神に招かれ、言った。「金を返した事はすでに帝に知らせたから、今報いを得よう。おまえは今からつとめて勉強するべきだ。さらに『春秋』経を習うべきだ。けっして諦めないように。お父さまの友人王玉枢は、過失が少ない人だから、かれに師事することができよう。」そこで目ざめた。(菊公は言った。「人の一言一動は、鬼神がほんとうに左右しており、善悪はかならず天に知らされ、長い間にかならずおのずと報いを得るが、人はまったく気づいていない。金を返した事を見れば、鑑みることができる。励まないことができようか。」

 

○豚が主人の屍を示すこと

 

湧金門外の豆腐屋の民呉翁は、勤労によって蓄財し、それを土中に隠していたが、職人に覗き見された。康熙丙申七月、一人の兵士および西湖の水夫とともに翁の店で飲み、夜になり、翁が熟睡したのを伺い、縛ってかれを縊ろうとした。翁が目ざめて救いを求めたので、斧でかれの背を斬って殺し、かれを背負って城下に置き、崩れた塀を推して隠し、ふたたびかれの家の門を閉ざし、埋蔵金を山分けし、竇[4]から逃げた。門はさらに二日開かなかったので、隣人たちがそのことを怪しみ、門を壊して入ったところ、血が床に満ちていたが、異変があることが分かっただけで、屍の在処は知れなかった。翁が養っていた雌豚が城下にいて吻で土を掘り、その屍を曳いて露わにしたので、そのことを官に知らせた。数日足らずで、三人の犯人たちはみな捕えられたので、かれらを処刑した。

 

○妻が賭け物になること

 

ある(おとこ)がおり、賭け金が尽き、家に余裕の物はないのに、興は衰えなかったので、かれの妻を孤注にしようとした。博徒はそれを承諾したので、賭博に臨んで骰を握って祈り、かならず勝つことを期したが、一擲して負けてしまった。博徒は言った。「諺にいう。『妻を送り、枕に近づけ、売って代金を収める[5]と、何の障りがあろう。」たまたま厳州の人で、杭州で商売しているものが、妾を娶ることを相談していたので、八十金でその家で成婚し、元の夫に会ったところ、言った。「兄です。」寝て、巫夢[6]が酣になり、疲れて熟睡すると、彼女の夫がつづけて殿軍を勤めた。厳州の商人は目ざめると、怒ってその事を問い質したが、その夫は坦然として言った。「もともとわたしの妻だ。わたしの妻を占有してかえってわたしを辱めるなら、明日お上に告げて懲らしめてもらおう。」商人はたいへん驚き、逃げて帰らなかった。(菊老は言った。「これは晁錯の注に勝る[7]。もう一回賭博することができるではないか。」)

 

○吐綬鳥

 

包漢臣の家で一羽の(とり)を飼っていたが、鶏のようで、青と黒の雑色で、頭は鶖[8]のように禿げており、頭と頚は青と紅で、しばしばその冠を変え、ある時は下垂し、初めより倍大きく、累累として垂れて綬のようであったが、人はそれを知らなかった。『禽経』の記載に拠れば、「頭に彩囊があるものは、『避株』という。」とあり[9]、注に「雉属で、華岳および盛山[10]の中に産し、晴れれば彩色を出して囊を作り、樹木に遇えばそれを避けるので、『避株』といい、『吐綬鳥』ともいう。」とある。だとすればほんとうに吐綬であることは疑いないことが分かる。

 

○瓜龍

 

康熙庚辰、東城下章孝の家に植えた南瓜が突然龍の形となったが、首、口、耳、目、爪、鬛がほぼ揃っていた。頷の前の一つの瓜はとりわけ大きく、その宝珠であった。見るものの履が満ちた。

 

○月中の桂子

 

唐人の『霊隠寺』詩にいう。「桂子(けいし)[11]月中(げつちゆう)より()ち、(てん)(かう)雲外(うんぐわい)(ひるがへ)る。」[12]言い伝えでは、天上の桂子が散じて落ちたのは、きっと霊鷲[13]だというが、人はそれを信じていない。康熙戊寅、鷲嶺でほんとうに桂子が散じて落ち、地に満ちたが、黄豆よりもっとも大きく、深い青色で、上に鳥絲紋[14]で篆字のようなものがあり、斑剥[15]として種子に満ちていた。

 

○倪七翁

 

筧橋[16]に倪七翁がおり、生前徳があったが、ある日夢に現れ、かれの妻に言った。「わたしはすでに神となり、城内の馬市口[17]にいるから、わたしを見に来てはどうか。」妻が人にそれを探させたところ、言った。「ございませんでした。」まもなくふたたび夢みたので、妻がふたたびそれを探したところ、槐管[18]の小さな祠で、神体は尺余に過ぎず、祠は新設されたばかりで、土人が落成で神を祭っているのに遇った。倪媼が紙銭を持ち神に痛哭すると、尋ねてそのわけを知り[19]、はじめて七翁であることを知ったという。

 

○紙の(あやかし)

 

明の末、杭州で妖が盛んになり、宋殿[20]で紙人を放ち、怪事を為させていると喧伝せられていたので、人家は水火を設けてそれを防ぐことが多かった。その妖はある時は人となり、ある時は獣となり、紙の形に従って変事を為し、事は残虐であることが多かった。一人の民間の婦人が一人の老婆に遇い、宿を求められたので、婦人は嫁とともに寝るように命じた。翌朝老婆は婦人を呼んで言った。「ご厚意にお報いすることができませんが、蒸餅[21]二つを(つくえ)に留めましたので、起きてそれを食べることができましょう。」そして去り、婦人が起きて見ると、案に人の乳二つがあり、嫁を呼んでも答えず、走っていって見ると、死んでいた。

 

○安溪の古玉

 

銭塘安溪の農民が湿地を掘っていて一物を得たが、碧色で、直径は八寸ばかり、真ん丸で鏡のようで、中に一つの孔が穿たれていたので、古璧であると思ったが、使いようがなかったので、それで油甕を覆っていた。ある日、新安の客商がたまたまかれの家にゆき、それを見て銅銭四百と交換して去った。農民は一つの石で厚い利を得たとひそかに喜び、さらにそこを掘ったところ、ふたたび得るものがあった。次第に人々に広め、役所に知らせ、回り回って長吏[22]に伝わり、広くそれを捜したところ、宝玉を得ることは数え切れなかった。一つの玉には、かならず一つの孔があり、一山は重さが十八觔に達した。康熙辛卯壬辰間の事であった。

 

○江豚

 

康熙丙申八月二十日、潮が湧き、ある物が崖口[23]に来た。人々がそれを見れば、江豚[24]であったが、すでに死んでいた。三頭の牛ほどの大きさで、その鰭は半分の帆のようで、尻尾は太く甑[25]のようであった。翌日それを流して去った。

 

○北斗を礼拝すること(二則)

 

銭塘の周麗生は北斗を礼拝してたいへん敬虔であった。ある晩礼拝して三更になると、炉の中から香煙が突然起こり、幢[26]のように集まったが、そもそも鬱として濃い雲のようであった。中から一物が出て来、蓋の中に凝立したが、垂れ耳、四つ足、白象さながらであった。そもそも亥宿[27]が斗姆[28]に乗り、降霊したのであった。周が敬い畏れ、伏して動こうとしないでいると、しばらくしてはじめて隠れた。

 

童蜚英は、博徒で、呉山水神廟に住んでいた。かれの子は晩に帰り、数匹の幽鬼に遇い、門まで追われ、逃げようとしたができなかった。すると門の中から神が金の甲に火の体で鞭を持って出て来、邪鬼たちを撃退し、子を曳いて座に入らせた。しばらくしてはじめて蘇り、「神さまに救われました。」と言ったが、そもそもその家は北斗を礼拝していたのであった。

 

○陳修常

 

海塩の銭某は故あって臬司[29]の獄に繋がれ、家には三人の娘がいるだけであったので、その友陳修常に、彼女らを杭州に連れて来、売って救済を図るように頼んだ[30]。陳は年がすでに七十であったが、娘を連れ、舟に入ると、水夫を欺き、崖に登らせ、みずから棹さして進んだ。そして強壮剤をあらかじめ用意し、つづけてその二人の娘を犯し、杭州にゆき、売ってその代金を手に入れた。徽州の人汪氏はその幼女を得たが、幼女が終日悲しみ啼いて止まなかったので、彼女に尋ねたところ、そのわけを述べたので、事ははじめて明らかになった。西蜀の運青張公[31]が浙江の巡撫となり、その事件を調査し、特に話題にしてかれを斬った。

 

○龍龍

 

塩官のある書生には、一妻一女がいたが、いずれも奴隷の龍龍に淫せられていた。ある日、女が奴隷の肩の上の塵を払ってやっていたところ、父がそれを見、怒って女を責め、さらに奴隷を罵った。「鼠め[32]、このようなことをするか。いずれおまえの首を斬ろう。」奴隷は恐れ、即日そのことをかれの兄に相談し、書生が書斎に入るのを伺い、鉈で書生を斬り、頭を割って死なせたので、松脂をかれの顔に塗り、あまねく資産を運び尽くすと、柴を積み、家を焼き、火事で死んだことにしようとした。煙と炎が起こると、村人たちは争って消火し、すこし叩くとすぐに消えたが、屍が塵の中に臥していたので、人々は二人の悪人を捕え、役所にゆき、その奴隷と女を磔にし、妻と奴隷の兄を斬った。

 

○張大漢

 

張大漢は、淮の人で、名は大漢、身長は一丈余で、総河[33]の三韓[34]の靳公[35]が見てかれを奇とし、役所に招き入れ、かれと語ったが、そもそも農夫であったので、普段武芸を習っているか尋ねると、言った。「鉄槊[36]が得意です。」かれを試そうとし、明日槊を持って来ることを望むと、言った。「昨日、十里離れた農家に預けましたので、すぐに取って来ることができます。」それを許すと、すぐに来たので、部下で槊が得意なもの十余人を選ぶように命じてかれと競わせたが、みな勝てなかった。公は喜び、どのくらい食べることができるか尋ねたところ、言った。「分かりません。平生二回満腹しただけでございます。」そのわけを尋ねると、言うには、ある日、(おじ)[37]の家を訪ねたところ、舅はかれの腹のことを知っており、肉と豆腐をそれぞれ十斤、野菜三十束を調え、一斗の米を飯にして出したので、その日は満腹することができた、翌年の春、(おじ)[38]を遠くの村に訪ねたが、叔は舅の言葉を聞き、やはり舅の食事のように調えて出し、この二回だけ満腹した、そもそも三回目があったことがないということであった。公はたいへんそれに驚き、言った。「おまえは今ここに来、三回目の満腹をすることができよう。」前のようにかれに与えるように命じ、役人たちは戯れを好み[39]、物ごとに増やさせたが、大漢は一啜りして余すことがなく、進んで跪いて謝して言った。「公が食べものをお恵み下さりましたので、大漢(わたくし)は今日ほんとうに満腹しました。」公は大いに笑い、帳下の千兵[40]に任ずるように命じたが、乗馬は足が地を離れなかったので、外出の際は徒歩で公に従ったという。

 

○孫旭

 

呉興の孫旭は、若年で弓馬に長け、つねに集まっては強盗ていた。当時耿逆[41]は平定されていず、康親王[42]は三衢[43]に軍を留めていたので、旭は王の親筆の檄文および劄付[44]数千を借り、偽って群盗に官位を授けた。群盗はそれを信じ、かれのために働くことを願ったが、臬使[45]某はその虚偽を探知し、旭と盗賊を捕え、取り調べ、かれらを処刑することにした。ある日、護送してゆく時、撫軍[46]が占いの店に入って占いしたところ、占い師が言った。「あなたは、武科の人で、しばしば大きな厄難がありますが、かならず縁に遇って助かります。」旭はひそかにかれに金を贈り、言った。「明日、監視役といっしょに来ますから、またそのように仰ることを願います。」そもそも護送官は二人おり、旭についているものはすでに旭の彀中に入っており[47]、正護送官が通じていないことを憂えていたのであった。翌日店を訪ねると、ほんとうに前の話に合っており、さらに将来富貴隆盛であると言った。護送官はすでに心が揺らいでいたので、銀一鋌を副護送官に贈り、食べものを調えて去らせた。正護送官は旭に言った。「おまえはゆけ。さらにわたしも家族のしがらみがないから、いっしょに逃げよう。」そこで逃げ去った。まもなく楊寡婦[48]が乱を為し、旭はその先鋒となり、船数百隻を帯び、常山県に出現し、様子を窺っていた、途中で范観察の官船が転餉[49]のためにここを通るのに遇い、旭は言った。「公はかつて逃がしてくれた恩があるから[50]、今公を捕らえるべきだ。」軍にゆくと、范は旭に諭して言った。「あなたは、豪傑の士で、正道に就けば、どうして功名を愁えよう。」孫はそこで感泣し、范に従い王軍にゆき、ともに楊氏を招いて帰順させ、功によって観察使の劄[51]を授かった。耿逆が平定されると、旭は官位を授けられないうちに、突然空門で祝髪し、日々禅誦[52]を修めて老い、今まだ呉興にいるという。三韓の陳千頃[53]がその事を述べたのでここに記した。

 

○雷が不孝者を撃つこと

 

杭州江干海月橋[54]の一子は、常に母を殴っていた。ある日、子が二人の隣人とともに万松嶺[55]を訪ね、茶坊嶺[56]にゆこうとしていると、雷雨がにわかに起こったので、三人は守汛[57]の兵舎に走って避けた。かれの母は雷が撃っていることを聞くと、祈って言った。「このすばらしい雷があるのなら、わたしの不孝者を撃ってはどうか。」話していると、雷が起こり、その子を兵舎で殺した。

 

○廉直で神挙[58]すること

 

明末、杭州の処士陸嘉孚[59]は、高尚で仕官せず、人柄は廉直であった。かれの甥金氏の子がたまたまおじを訪ねたところ、陸は堂上でかれに会ったが、賓客と揖して語るかのようにしていた。金の子が進み、それを訝ると、陸は言った。「たまたま天符[60]を奉じて刀兵水火冊[61]を作った。わたしに過ちがないので、その職に当たることになっている。先ほど揖していたのは、土神だ。」甥がそのために泣くと、陸は言った。「悲しまないように。たといおまえでも、神がおまえを選んでわたしの役に充てるのからは逃れられない。」金の子は恐れて帰り、泣いて母に告げたが、まもなく訃報を届けるものが来、おじは亡くなっていた。金氏は憂えと悲しみがつぎつぎに起こり、倒れて亡くなった。土神がかれを捕らえて城隍の官署に送ると、神が馬を馳せ、符を齎して来た。見れば、金の子のおじ金龍泉であった。双方が驚き訝っていると、おじは言った。「わたしは掾曹[62]の官職を得、京師で亡くなったが、平生謹厳であったので、今は東岳の旗員[63]に充たっている。公務でこちらに来たのだ。」金の子は泣きながら母が老いているのに孝養を欠いていることを訴え、かれが神に祈ることを求めた。おじは言った。「ひとまず待て。助かるか否かははっきりしていない。」まもなく怡然として出て来、言った。「神さまはおまえが孝であることを斟酌され、すでにほかのものを派遣することを命ぜられた。」そして外に出、別れに臨んで言った。「わたしの都の邸宅には遺産五百および衣物[64]があるから、わたしの子に語り、それらを取りにゆかせ、さらに迎喪[65]して帰らせればよい。」金の子は一回倒れて甦った。(龍泉之日章[66]

 

○雷が義士を救うこと

 

江右[67]の臨江県で、婦人が江に身投げしようとしたが、たまたま福建商人の舟が通り、彼女を救った。理由を尋ねたところ、こう言った。「わたしの夫が役人に三十六金を借り、それを厳しく取り立てられ、わたしを売って償おうとしましたが、わたしは二姓に事えることを恥じましたので、入水したのでございます。」福建商人は蹙然として言った。「心配することはありません。わたしが代わってその宿債を償いましょう。」すぐに支度を調え、夫を連れ、官吏の家にゆくと、官吏はとっくに亡くなっており、その子が出て来て会い、言った。「わたしはほんとうに取り立てさせたことがありません。奴隷たちがそれをしたのです。あなたにはこのように高義がおありです。古人は『独り君子たるを恥』[68]じましたから、わたしは彼女の負債を免除するべきでしょう。すぐにその金を贈って生計を営ませれば良いでしょう。」福建商人がたいへん喜び、別れると、女の夫はつよく商人を挽き留めて泊まらせ、ひとまず一樽を捧げ、誠意を尽くそうとしたが、商人は舟の便があり、追い風であったのでそれを断った。夫婦はつよく頼み、さらに舟に乗るとむりにかれの襆を負って去り、さらに言った。「明日、舟を探してお送りしましょう。」 福建商人がやむを得ずかれの家にゆくと、夫はすぐに厨房で食事を調えたが、妻はひそかに商人に言った。「わたしの夫はあなたに害を加えようとしていますから、急いでお逃げなさい。」商人は信ぜず、ぐずぐずしている間に、女の夫がほんとうに刃を執って出て来、刃を下そうとした。商人は言った。「死を逃れようとはしませんが、首を全うすることができれば、幸いです。」家に古井戸があったので、商人を中に投じ、石で覆い、かれの大金を手に入れた。まもなく、飄風がすぐに起こり、雷霆驟雨がつぎつぎに落ち、雷が官吏の家に蟠って止まなかったので、官吏は恐れて自省して言った。「わたしは負債を償ったのに罪はまだ許されないのか。」天に祈ろうとし、見たところ、庭で何かが泥の中にあり、それを曳き入れたところ、まさに宿債を代わりに償った福建商人であった。しばらくしてはじめて語れるようになり、泣いてかれに事情を告げた。官吏はひどく怒り、家人を集めて夫婦を攻め、商人の襆を返し、賊を官署に送り、すぐに杖下に殺した。(菊叟は言った。「これは越井崗[69]艾任叟の事とたいへん似ている。義商、義官、義婦は、世にそれがいることがあるが、さらに義井があろうとは思わなかった。入って濡れなかったことからして、すでに奇異であるのに、さらにこの義雷があろうとは。人でありながら恩に背いて逆に恩人を殺そうとすることができようか。この雷がわたしの袖にあればよかったのに。」

 

○検屍して(あやかし)に遇うこと

 

衢州常山県の徐家で、族兄弟で争っているものがいた。甲乙はいずれも青衿[70]で、乙の子丙はかれの父を助けたが、言葉が過激であったので、甲はかれの頬を打った。一族は分裂し、まもなく丙は病を患い、七日で死んだ。はみなかれが病気で死んだことを知っていたが、甲を憎むものは乙を嗾け、人命事件として県に訴えさせた。それより前、県令は元旦に父老紳士を率い、朝賀の礼を稽古したが、礼を失していた。甲は列にあり、そのことを指摘したので、県令は黙然としてかれを恨んだ。ここに至って、その事件を扱ったが、偽って本当の人命事件だと上申した。甲は県庁から州庁に送られ、さまざまな苦痛を嘗め尽くした。しかし県知事は州知事を思い通りにすることはできず、州知事は公平な論[71]を持した。厳しく甲を拷問したが、甲は承服しなかったので、後に帰ることができた。たまたま撫軍[72]の書状が下り、州知事に檄し、法を枉げることがないように命じたが、州知事は検屍しようという言い張り、言った。「検屍しなければ、どうして判決しよう。」龍游の知事に才幹があったので、かれに檄して調べにゆかせた。常山に達すると、常山の知事は、下役を促し、柩を持って来させた。丙の父ははじめて倉皇として許しを請うたが、聴かれず、常山の知事は入って柩を取り、糞に汚れて出た[73]。龍游の知事は言った。「法が行われなければ、民はすぐに敵になる。」そこで重々しく刑具を並べた。知事は言った。「法に反するものはすぐに殺そう。」下役を叱咤して大勢でゆかせ、柩ははじめて出、斧を下していると屍場[74]の水缸がゆえなくひとりでに砕けた。その時、万民は囲んで注視していたが、突然二頭の牝牛が追い掛けて来、咆哮奮怒し、屍場で闘い、子供五人を踏んで傷つけた。追い散らすと、突然一匹の雄豚が闖入し、官案[75]から一丈ばかりで、哀鳴徘徊し、訴えることがあるかのようにし、しばらくして去った。検屍すると傷がなかったので、徐甲ははじめて縲絏を解かれ、冤罪事件は決着することができた。(菊公は言った。「人命事件を訴えることは、丙の意思でなかった。取り調べるとすぐに冤罪が定まり、父の事件が決着したので、魂が肉を駆って闘い、豚に憑いて哀しんでいたのである。そうはいっても、そもそも丙の父の意思でもなく、それを嗾けたものの罪である。天道は輝いて巡っており、災難を逃れられようか。裁判するものは慎まないことができようか。」

 

○遺金を惜しまないこと

 

陳仲衡は、諱を鼎銓といい、蘇州長洲県の学生であった。かれの祖母は貯蓄が多く、一つの匣を衡のもとに隠したことがあった。亡くなると、父は叔父と彼女の遺産を分けたが、事を終えると、仲衡は前の匣を(つくえ)に出し、言った。「これはお祖母さまが隠されたものです。」開いて見ると、すべて珠宝珍飾であった。その叔父には二着の紗衣、二本の扇を授けただけであった。子の阿恒を生むと、年が三歳で五十余字を知れた。かれの母はそれぞれ一つの字を紙に書いてそれを教え、ふたたび雑然としてそれを混ぜ、尋ねた。「どれが天の字だ。」阿恒は手ずからそれを指し、ほかも一つも間違えなかった。神童と言えた。(菊公は言った。「昨今の人で、財貨を好まないものはいない。他人が仲衡であったならば、きっと深く隠していたろう。これは管寧[76]の亜流か。遺産を争って鬩牆[77]となるものは数え切れない。わたしは仲衡をはっきり見た。昔、白香山は三歳で之無を弁じたが[78]、今の阿恒の聡明さははるかに十倍勝っており、その父子の前途は、量り知れない。」)

 

最終更新日:2018328

山齋客譚

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[1]https://baike.baidu.com/item/%E9%AD%81%E7%A7%80/6558969壮美。

[2]https://baike.baidu.com/item/%E7%BA%A2%E6%AA%80

[3]https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=637873&searchu=%E6%8C%BF%E9%AC%A2。原文同じ。装身具と思われるが未詳。

[4]http://www.zdic.net/z/20/xs/7AA6.htm傍らの小門。

[5]原文「輸婦貼枕、賣而收」。未詳。

[6]https://www.moedict.tw/%E5%B7%AB%E5%B1%B1%E4%B9%8B%E5%A4%A2男女歓合の事。

[7]原文「此勝晁錯之注」。未詳。

[8]http://www.zdic.net/z/29/xs/9E59.htm画像検索結果。

[9]https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=407971&searchu=%E9%81%BF%E6%A0%AA

[10]未詳。

[11]https://baike.baidu.com/item/%E6%A1%82%E5%AD%90/310168

[12]https://ctext.org/quantangshi/zh?searchu=%E6%A1%82%E5%AD%90%E6%9C%88%E4%B8%AD%E8%90%BD

[13]https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=95844&searchu=%E9%9D%88%E9%B7%B2%E5%B1%B1 

[14]原文同じ。未詳。黒い糸のような紋様か。

[15]https://baike.baidu.com/item/%E6%96%91%E5%89%A5、色彩が錯雑するさま。

[16]https://www.google.com.hk/maps/place/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%B5%99%E6%B1%9F%E7%9C%81%E6%9D%AD%E5%B7%9E%E5%B8%82%E6%B1%9F%E5%B9%B2%E5%8C%BA%E7%AC%95%E6%A1%A5%E9%95%87+%E9%82%AE%E6%94%BF%E7%BC%96%E7%A0%81:+310000/@30.3158915,120.218758,14z/data=!4m2!3m1!1s0x344c9eed2e3abb95:0x7c98e6ca737ea119?hl=zh-CN

[17]未詳。

[18]原文同じ。未詳。

[19]主語は土人。

[20]ここか。

[21]https://baike.baidu.com/item/%E8%92%B8%E9%A5%BC/4529841

[22]https://baike.baidu.com/item/%E9%95%BF%E5%90%8F地位がやや高い県級官吏。

[23]地名のように思われるが未詳。普通名詞としては谷の入り口。

[24]https://baike.baidu.com/item/%E6%B1%9F%E8%B1%9A%E5%B1%9E/476013?fromtitle=%E6%B1%9F%E8%B1%9A&fromid=1233636スナメリ。

[25]https://baike.baidu.com/item/%E7%94%91

[26]画像検索結果。

[27] 星宿の名と思われるが未詳。

[28]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E6%96%97%E5%A7%A5%E5%85%83%E5%90%9B

[29]https://baike.baidu.com/item/%E8%87%AC%E5%8F%B8 提刑按察使司

[30]娘を売った金を自分を解放してもらうために使うのである。

[31]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E5%BC%B5%E9%B5%AC%E7%BF%AE

[32]https://baike.baidu.com/item/%E9%BC%A0%E5%AD%90罵語。卑賎で語るに足りない人。

[33]https://baike.baidu.com/item/%E6%80%BB%E6%B2%B3明清河道の官名

[34]https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%89%E9%9F%A9遼東をいう。

[35]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E9%9D%B3%E8%BC%94

[36]画像検索結果。

[37]母方のおじ。

[38]父方のおじ。

[39]原文「群使好戲。」。河道総督は中央から派遣される官吏なので、その役所の役人たちを「使」と称するのであろう。

[40]https://bkso.baidu.com/item/%E5%8D%83%E5%85%B5武官「千」の称。

[41]https://bkso.baidu.com/item/%E8%80%BF%E7%B2%BE%E5%BF%A0

[42]https://baike.baidu.com/item/%E7%88%B1%E6%96%B0%E8%A7%89%E7%BD%97%C2%B7%E6%9D%B0%E4%B9%A6/8345584?fromtitle=%E5%BA%B7%E4%BA%B2%E7%8E%8B&fromid=8371692

[43]https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%89%E8%A1%A2浙江

[44]http://www.zdic.net/c/4/15c/351490.htm官府が下す文書。

[45]https://baike.baidu.com/item/%E8%87%AC%E4%BD%BF按察使

[46]http://www.zdic.net/c/a/e0/222620.htm巡撫。

[47]https://cjjc.weblio.jp/content/%E5%BD%80%E4%B8%AD

[48]『明史』の用例。

[49]https://baike.baidu.com/item/%E8%BD%AC%E9%A5%B7糧を運送すること

[50]原文「公有コ於走」。未詳。

[51]http://www.zdic.net/z/16/xs/5284.htm官庁が官庁に下す公文。

[52]https://baike.baidu.com/item/%E7%A6%85%E8%AF%B5坐禅読経すること。

[53]未詳。

[54]https://www.google.com.hk/search?q=%E6%B5%B7%E6%9C%88%E6%A9%8B+%E6%9D%AD%E5%B7%9E&safe=strict&hl=zh-CN&gbv=2&oq=%E6%B5%B7%E6%9C%88%E6%A9%8B+%E6%9D%AD%E5%B7%9E&gs_l=heirloom-serp.3...4865.6957.0.7688.9.9.0.0.0.1.314.1602.1j4j3j1.9.0....0...1.1j4.34.heirloom-serp..8.1.127.Mc5z3My8GM8https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=95844&searchu=%E6%B5%B7%E6%9C%88%E6%A9%8B

[55]https://www.google.com.hk/search?safe=strict&hl=zh-CN&gbv=2&q=%E4%B8%87%E6%9D%BE%E5%B6%BA%E3%80%80%E6%9D%AD%E5%B7%9E&npsic=0&rflfq=1&rlha=0&rllag=30228143,120166666,242&tbm=lcl&ved=0ahUKEwiAj-6Xp4zaAhXJvbwKHUx0AEIQtgMIKQ&tbs=lrf:!3sIAE,lf:1,lf_ui:2&rldoc=1https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=95844&searchu=%E8%90%AC%E6%9D%BE%E5%B6%BA

[56]未詳。

[57]https://baike.baidu.com/item/%E6%B1%9B%E5%AE%88汛地の見張り場

[58]https://baike.baidu.com/item/%E7%A5%9E%E4%B8%BE神遊。『文『思玄「超踰騰躍絶世俗、飄颻神舉逞所欲。」注「與世絶而神遊逞我所欲也。

[59]http://gxgc.zjlib.cn:8081/pub/jiax_grw/pinghu/201006/t20100615_432619.html

[60]未詳だが天から下された命令書であろう。「」は下属にする命令あるいは通知。

[61]

[62]https://baike.baidu.com/item/%E6%8E%BE%E6%9B%B9掾史の合称。

[63]https://baike.baidu.com/item/%E6%97%97%E5%91%98/13133553旗人の官。ただ、時代は明末のはず。

[64]https://baike.baidu.com/item/%E8%A1%A3%E7%89%A9衣服器物。

[65]https://baike.baidu.com/item/%E8%BF%8E%E4%B8%A7他郷で客死した者の屍骸迎え故郷ること。

[66]この句、義未詳。

[67]https://baike.baidu.com/item/%E6%B1%9F%E8%A5%BF/18408283?fromtitle=%E6%B1%9F%E5%8F%B3&fromid=5980087

[68]https://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E8%98%A7%E4%BC%AF%E7%8E%89%E6%81%A5%E7%8D%A8%E7%82%BA%E5%90%9B%E5%AD%90

[69]越秀山の主峰。

[70]https://baike.baidu.com/item/%E9%9D%92%E8%A1%BF学生。

[71]https://baike.baidu.com/item/%E5%B9%B3%E8%AE%AE公平な断。

[72]https://baike.baidu.com/item/%E6%8A%9A%E5%86%9B/6150230巡撫。

[73]原文「渥糞以出」。まったく未詳。

[74]原文同じ。未詳だが検屍場であろう。

[75]原文同じ。未詳だが役人の座る机であろう。

[76]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E5%AF%A7十六歳のとき、父を亡くした。母方の親戚が裕福であったため、管寧に葬儀の香典を送ったが、管寧は受け取りをすべて拒否して、父の弔いを自力で質素に済ませた。

[77]https://baike.baidu.com/item/%E9%98%8B%E5%A2%99兄弟不和。

[78]https://baike.baidu.com/item/%E7%95%A5%E8%AF%86%E4%B9%8B%E6%97%A0

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