巻六

 

盂潭[1]の五通神

 

武林艮山門[2]外東北一里ばかりに、水辺があり「盂潭」といった。潭の近くの桑畑に叢祠があり、「五通」[3]といい、規模は狭小であったが、土人はそれを奉って加護を求めていた。康熙年間、三人の若者が暑月に城内から出遊し、日が暮れると、祠の下を通って休んだが、一人の若者が[4]取り、地で占っていた。仲間が何を占っているか尋ねると、言った。「わたしは戯れに帰れるか否かを占いました。」兆は不可であった。若者たちはともに馬鹿にし、日が暮れてもいず、咫尺の地なのに、入れないはずがあろうかと思った。そして連れだって帰り、潭のほとりを通り、ふと見ると水辺に二尾の鮒のたいへん大きなものが、浅瀬に留まっており、身を傾けてぴちぴちとして去れずにいた。若者はたいへん喜び、下りてそれを捕らえ、顔を見あわせ、相談して言った。「わたしたちは酒を飲もうと思っていた。酒の肴が手に入ったし、日も沈んでいないから、飲み屋にいって酔ってはどうか。」潭の北一里余りにゆき、はじめて飲み屋を見つけ、しばらく魚が調理されるのを待ったが、火を通すことができず、日が暮れようとしたので、しばしばかれを促した。飲み屋は魚を出し、客に言った。「ながいこと待つことはできないとのことですが、ながいこと調理しましても、まったく火が通りません。どういたしましょう。」人々が見ると鱗や尾は生のようで、箸を入れたところ、祠の中の二つのであった。人々がたいへん驚き、立ち上がろうとすると、天が突然暗くなり、震雷急電がにわかに起こり、大雨が注ぐかのようになった。城門は閉ざされており、飲み屋に泊まったので、ほんとうに入れなかった。

 

○銀が螻蛄に化すること

 

ある行商が荷物を担ぎ、道に出、ある役所を経たところ、かれの名を呼んだので、商人は入って見た。案に坐っているものは金冠紫衣で、傍に数人の文吏が侍し、左右の部屋の角にはすべて金銀の山が幾つかあり、目は眩み、は惑った。主人は銀の山から任意に取るように命じたので、商人はたいへん喜び、たっぷり取り、荷に入れたが、担げなかったのでやめ、すぐに背負って帰った。家に着く数里前、小雨であったので、荷を下ろし、ある豪邸の下に雨宿りし、振り返って荷物の中を見ると、何かが蠢いていた。残月が明るかったので、じっくりそれを見たところ、すべて螻蟈[5]であり、一つ一つが豪邸の(おばしま)の下から入っており、一つも残っているものはいなかった。商人はたいへんがっかりし、門が開くのを待ち、主人に面会を求め、泣いてかれに事情を告げると、主人は言った。「ほんとうにそうしたことがあるなら、あなたはきっと薄命で、多く授かることができないのでしょう。二鋌をお贈りしますから、勤倹にして暮らされれば、老後を過ごせましょう。」商人は泣きながら謝し、百金を懐にして帰った。(菊公は言った。「商人が少しだけ得たことは、かれの幸いであった。力が強く、担ぐのに勝えても、三千金に過ぎない。たとえ失わなくても、きっとこれに頼って経営し、刻剥なことを行うことが多く、人に怨まれ、利は元本に倍し、その志はますます大きくなり、かならず大廈を造り、池を開き、(おか)を連ね、官僚と姻戚となり、金銭を納め、官職を買い、行頭[6]を買い、骨董を収め、劇場の中の種種の花面[7]はすべてそれをしただろ。三十年銅鑼太鼓の音が止んでいる方が、やはり本来の姿である。百金を捧げ、数多の辛苦をなくし、父老が誹謗を逃れた方がよいので、『幸いだ。』と言ったのである。」)

 

○貴人と結んで災禍を得ること

 

某県の農夫費叟は、富豪で、力耕して富を齎したが、平生富家との交際が乏しいことを遺憾としていた。ある日、大雨があり、嫁が河岸で野菜を洗っていると、一隻の小船が柳の下に停泊した。中で一人の文士が雨漏りする篷で窮屈にしており[8]、衣履は濡れ、二人のしもべはもっともひどかったので、かれのことを水夫に尋ねたところ、城内の費孝廉であった。嫁はたまたまかれと同姓であったので、そのことを叟に話すと、叟はすぐに雨具を持ち、舟の所にゆき、迎えて言った。「雨が激しゅうございますから、しばらく拙宅をお訪ねになり、すこしお避けになられてはいかがでしょうか。」孝廉は、飢えと寒さに苦しめられていたので、言葉を聞くと欣然として、河岸に登り、草堂に入り、礼を述べ、同姓であることを尋ねて知ると、たいへん喜び、すぐにともに源流[9]に溯り、雁行し、さらに家人[10]の礼を用いた。叟はすぐに酒器を調えるように命じ、軒下で手を取り、指図して言った。「わたしは城外に住んでおり、大きな心配もございません。これはわたしの水田で、若干あり、姜芋[11]蔗田[12]若干、魚池若干、茭灘[13]若干がございます。この外、桑畑・菜園が若干あり、桑の木陰はすべて薬園です。」さらに手を取って堂左に入り、孝廉がそれを眺めると、高い建物十余間があり、言った。「こちらはわたしの倉庫で、こちらは牛羊豚舎で、その建物の左右は、いずれも佃夫の家および旅館でございます。」孝廉はひたすら唯唯とし、大いに羨んだ。家人は酒の調ったことを告げ、座に迎え入れたが、酒肴は豊富精潔で、田舎にあるものでなかった。叟は杯を握って言った。「この美酒は五年もので、今回、特別に貴人のためにわたしが調えたものでございます。」孝廉は礼を言って止まなかった。その後、酒が酣になり、孝廉は家世および交遊を盛んに語り、言った。「某官は、同年伯で、某官は、大座師[14]で、今行取[15]されている某部の某は、房恩師[16]で、その他の某某などは、いずれもわたしの中表[17]です。今、城内現任の某某は、いずれもわたしと懇意で、つうかあの仲です[18]。わたしと交わるものは、どうして禍が及ぶことがありましょう。」叟は聞くと、たいへん熱く心を傾けた。食事が終わり、雨が止み、日が傾くと、孝廉は別れを告げた。叟はさらに挽き留めて一夜を過ごさせようとしたが、できなかったので、悲しんで別れた。翌日、叟が衣を華やかにし、僕を多くし、舟に掉さし、城内に入り、孝廉を訪ねると、やはり留めて款待した。それから交情はたいへん濃やかになり、田地畜産などの所有物を、しばしば進納した。秋の収穫の時は貢新し[19]、歳除には臘[20]を献じた。孝廉はたいへんそれに感激し、つねに功を立てて報い、ただ食いを帳消しにすることを思ったが、事が実現しないことに苦しんだ。心を尽くして計略を考え、親しくしている捕役に相談し、盗賊に言い含めてもらい、叟を陥れさせた。まもなくほんとうに叟は獄に連れて来られ、叟の子は孝廉のもとに赴いて援助を求めた。孝廉は泣いて言った。「お父さまはわたしに手厚くされましたから、わたしは首を捨ててお救いしましょう。何も惜しみはいたしません。しかし罪はたいへん重く、口舌で争うことができるものでありません。どうしましょう。それに今事に当たっているものたちはすべて利益の徒です。」かれの子は言った。「父を出せれば、仰ることにすべて従い、惜しむことはございません。」孝廉は某官には幾ら贈賄するべきだ、某官には幾ら贈賄するべきだ、某下役および盗賊には幾らであるべきだ、上下に贈賄するには、半万でなければいけないと伝えた。農夫の財産は、すべて土地であり、多くの銀は篋中になく、金を工面しても足りず、田宅の証文を集め、孝廉に相談すると、孝廉は他の官員に託け、かれの田地家屋を得、さらに文書であれこれ誅求し、その子は雀を網し、鼠を掘って応じるようになり、家がすっかり空しくなって叟ははじめて許されたが、その時すでに一年であった。叟が獄に居た時、孝廉を徳として止まず、つねに「この人と知り合ったのは幸いだった。」と言っていたが、帰って費用を調べると、数人が身一つで残っているだけであった。そこで大いに慟哭したが、涙が乾かないうちに某官の、家を引き渡すことを促す人が来た。悲しみが収まると、盗賊と会ったことがないのに、何の仇によってこんなことになったのかと考えた。そして鶏を割き、酒を持ち、獄に入り、盗賊を労い、ねんごろに事情を尋ねると、盗賊は言った。「あなたの家を破産させましたのに、かえってわたしを養われるとは、君子です。わたしはこれ以上隠すに忍びません。これは他でもなく、あなたの弟の孝廉が捕り手に頼んでそれをさせたのです。」叟は聞き、はじめて気づくと、すぐに孝廉のところに赴いたが、しばしば外出していると答えた。叟はますます怒り、帰って嫁を責め、言った。「おまえの一言がなければ、禍はこれほどまでには至らなかった。」嫁は言った。「姓がたまたま同じでしたので、申し上げたのです。交わりは結ばせませんでした。」翁は恥じ、大声で彼女を罵ったので、嫁は怒って雉経して死んだ。子は妻が理不尽に死んだことを悲しみ、やはり首を吊った。叟は家が破産し、後継ぎが絶えたことを悲しみ、やはり首を吊った。(菊老は言った。「これは勢利の交わりであり、どうして災禍がなかろう。天下はみなそうで、すべて明らかにすることができようか。それを明らかにすることは、富豪が有力者と交わることの戒めとなる。」)

 

○金が降ること

 

康熙丙寅丁卯の間、山東の玉峰趙公士麟[21]が浙江の巡撫となった時、富陽県に星が落ちたが、その音は雷のようであった。土人がその地を掘ったところ、一つの丸い物を見つけたが、重さは約百余斤で、それを磨けば、赤銅のようであった。土人は言った。「天は金を降らせたことがあるそうだから、これがどうしてそうでなかろう。」そこで一寸四方を削って溶かしたところ、ほんとうに紫金[22]であった。人々は隠すことができず、県知事に献呈し、県知事は中丞[23]に知らせた。公は言った。「これは天の賜物で、災祥に関わりがないから、わざわざ上奏することはない。」全省の仕籍[24]に登録されているものを数えて平等に分け与えるように命じた。西河の翰林毛大可先生は金一両八銭を得、今でもそれを蔵している。

 

○志を立てて負債を償うこと

 

杭州の陳大生は、経営で利益を失い、負債が八百金となり、計略が尽きて逃げたが、一枚の紙に債権者の姓名および金額を書き列ね、起臥それを懐にし、さらに誓って言った。「志を得れば、倍にしてそれを償おう。」風に梳り雨に浴し[25]、江湖に旅すること二十年、二千金を蓄え、はじめて帰り、紙に従って返済し、初めの誓いの通りにした。杭州の士人は詩を賦してかれを讃えた。

 

○雷斗

 

詩人王文白の妻が楼に凭れ、雨を眺めていたところ、隣家の塀の角に煙が蓬勃[26]として起こり、霹靂がすぐに起こり、神で二尺ばかり、鶏の口に蝠の翼のものが、一つの方斗[27]から出、尾に尺余の鎖を曳いていたが、すべて焼けた紅色で、火のようであった。

 

○神嫗[28]を嫁がすこと

 

亳で商いするものがおり、橋の北のある婦人がたいへん妖艶なのを見、彼女に惑い、結婚相談のために媒妁を訪ねたところ、媒妁は言った。「あのかたは寡婦で、嫁がないことを誓っていますので、どうしようもございません。」商人は痛切に計略を尋ねたので、媒妁はかれを欺くことができると思い、言った。「あのかたの夫には一人の年老いた叔父がいるだけですから、贈賄してそのことを取り仕切らせれば、良いでしょう。」商人はすぐに物品を媒酌に贈り、叔父に話をさせたところ、帰って来て報せて言った。「ご婦人の志は変えられませんが、帰寧すると欺きますから、輿が来たらあなたのご自由になさってください。そうなさらないのでしたら、賄賂はお返しいたします。他の計略はございませんので。」商人は大いに惑わされ、かならず婦人を得られようと思い、すぐにそのことを承諾し、さらに手厚く結納を送り、期日になって女を迎えようとしたが、橋を渡っていたところ、女は突然躍り出て水に入って死んだ。商人はたいへん恐れ、すぐに残りの資金を懐にして夜逃げし、終生二度と亳にゆかなかった。しかし水に入ったのは、橋の北の社廟[29]の土夫人[30]であった。

 

○寒さを犯して運行を妨げること

 

北方で黄河が凍結する前、悪い若者五六人が、土祠[31]に集まり、冬に乾燥して水位が落ちているのに乗じ、大きな石十余を運び、河の浅い処を塞いだ。糧船および貨載はみな進むことができなかった。悪い若者は舟に尋ね、礼金を交渉し終わると、あらかじめ火を盛んにして祠の中に集まり、火酒を温めて痛飲し、裸体で河に入り、一つの石を岸に運んでゆくのであった。すでに凍えているので、数人で火の所に連れてゆき、ふたたび火酒をかれに飲ませ、大きな裘を乾かして被せ、次の若者がさらに下るのであった。順繰りにすること数時で、大きな石はすべて引き上げられるが、舟が過ぎるのを待ち、ふたたびそれを落とすのであった。

 

○虎が撫院の橋に蹲ること

 

康熙乙亥、王公諱は維驍ヘ、満洲の進士で、浙江の巡撫となった当初、撫院の西にゆくと通江橋[32]があり、一頭の虎がその上に蹲っていた。

 

○豹が浙城を越えること

 

杭州の呉山[33]で突然一頭の豹が、人、犬、豚を食べた。その時陝西の馬如龍が郡守となり、虞人[34]に命じてそれを捕えさせた。人々が包囲網を完成すると、紫陽山[35]の穴に逃げ込み、一人の男が足でそれを探ると、傷つけられた。それをながらく桙カると、はじめて捕らえられた。

 

○長寿の人

 

杭州の黄文僖公[36]の母夫人[37]は、寿命が百四歳、彼女の後に続く者はいなかった。もっとも最近、王少仙というものがおり、大きな桃の実を珍蔵しており、しばしばそれで親戚友人を寿いでいた。百歳になると、村人が大勢で大中丞西蜀張公に吹聴し、題旌[38]を求めた。公は証人がいなかったので、許可せず、王もその年に亡くなった。

 

○青蛙将軍

 

杭州金剛寺に神物[39]がおり、俗に「青蛙将軍」と称せられていた。姿はきわめて蛙に似ており、碧色で、ある時は五色に次々に変わり、俗に「更衣」と称せられていた。蛙は四本指があるだけだが、これだけは五本指であるのが珍しかった[40]。遠近となくかれの家に来ることができたが、一年に一回現れることもあれば、一月にしばしば現れることもあった。子供が知らずに、しばしば弄んだが殺すことはできず、禍をなすこともでき、不定期に出没し、知るものはかならず牲酒香花を調えてそれを祀ったり、歌師[41]を集めてそれを祭ったりし、寺に送り返していた。祭っている時、杯に蹲って飲むことができたので、ある人が火酒で試したところ、やはり飲めたが、まもなく酔った状態になったのは見ものであった。これはそもそも神龍が変化しただけで、唐代の江湖小龍[42]の類である。鬼神の道は測り知れないものである。

 

○死んで主人の厄難に殉じること

 

禾城[43]の屠小良は、赤水先生[44]の後裔で、沙県[45]の知事となり、耿変[46]で、殺されたが、下男の海鬼が自刎して殉難した。康熙甲寅の事であった。

 

○貞女が節を守ること

 

武林江干[47]の陳惟心の子禹衡には女がおり、端淑[48]で、程近仁と婚約し、結婚しないうちに近仁が死んだが、女は死を誓って嫁がず、蔬食して一生を終えた。

 

○女色を見ないこと

 

杭州の人で武挙[49]の洪越貢は、守正[50]の士であった。平生女色を窺ったことがなく、その他も知ることができた。友人程余山がわたしにそれを言った。

 

最終更新日:2018328

山齋客譚

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[1]こちらか。

[2]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E8%89%AE%E5%B1%B1%E9%97%A8

[3]https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%80%9A%E7%A5%9E

[4]で用いる道具。画像検索結果。

[5]https://baike.baidu.com/item/%E8%9D%BC%E8%9D%88ケラ。

[6]https://baike.baidu.com/item/%E8%A1%8C%E5%A4%B4役者の服装や道具。

[7]http://www.zdic.net/c/1/e8/234395.htm演劇で、悪役のことをいう。ここでは悪役のするようなことという意味であろう。

[8]原文「中一文士逼處漏篷」。「漏篷」が未詳。

[9]ここでは共通の先祖のこと。

[10]https://baike.baidu.com/item/%E5%AE%B6%E4%BA%BA/1754142同じ家の人。

[11]https://baike.baidu.com/item/%E5%A7%9C%E8%8A%8B食用カンナ。

[12]https://www.moedict.tw/~%E8%94%97%E7%94%B0甘蔗畑。

[13]原文同じ。未詳。

[14]https://baike.baidu.com/item/%E5%BA%A7%E5%B8%88は明、清両代の人、士の主考官にする尊称。

[15]https://baike.baidu.com/item/%E8%A1%8C%E5%8F%96明制で、三年の任期が満了した地方官が、地方高推挙と選考て授すること。

[16]https://baike.baidu.com/item/%E6%88%BF%E5%B8%88明清両代、科制度で、人、士の、本人の試験答案を推薦した同考官にする尊称。

[17]http://www.zdic.net/c/d/150/332885.htm父親の姉妹の子は外兄弟,母親の兄弟姉妹の子は兄弟だが,それらを合称したもの

[18]原文「無言不讎」。未詳だが訳文の意であろう。「無言不讎」は、話したことがかならず作用を生じること。

[19]https://baike.baidu.com/item/%E8%B4%A1%E6%96%B0新たに実った稲米を進貢すること

[20]https://baike.baidu.com/item/%E8%85%8A干肉。

[21]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E8%B6%99%E5%A3%AB%E9%BA%9F

[22]これであるかは疑問。

[23]https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%AD%E4%B8%9E巡撫。

[24]https://baike.baidu.com/item/%E4%BB%95%E7%B1%8D官員禄。

[25]https://baike.baidu.com/item/%E6%A0%89%E9%A3%8E%E6%B2%90%E9%9B%A8旅の苦労をいう常套句。

[26]https://cjjc.weblio.jp/content/%E8%93%AC%E5%8B%83

[27]https://kotobank.jp/word/%E6%96%B9%E6%96%97-628299

[28]この話の最後で出てくる「土夫人」のこと。いわゆる土地奶奶で、土地公の妻であろう。

[29]https://baike.baidu.com/item/%E7%A4%BE%E5%BA%99土地神の

[30]いわゆる土地奶奶で、土地公の妻。

[31]https://baike.baidu.com/item/%E5%90%8E%E5%9C%9F%E7%A5%A0后土祠。

[32]https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=95844&searchu=%E9%80%9A%E6%B1%9F%E6%A9%8B

[33]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E5%90%B4%E5%B1%B1_(%E6%9D%AD%E5%B7%9E)

[34]https://baike.baidu.com/item/%E8%99%9E%E4%BA%BA山林草木鳥獣掌管する官員。

[35]https://baike.baidu.com/item/%E7%B4%AB%E9%98%B3%E5%B1%B1

[36]https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%83%E6%A9%9F_(%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%80%B2%E5%A3%AB)

[37]https://baike.baidu.com/item/%E6%AF%8D%E5%A4%AB%E4%BA%BA/6214610他人の母する尊称。

[38]https://baike.baidu.com/item/%E9%A2%98%E6%97%8C表彰。

[39]https://baike.baidu.com/item/%E7%A5%9E%E7%89%A9神霊、怪異の物。神奇の人あるいは物。

[40]http://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/036223.html

[41]原文同じ。未詳。

[42]この話を指すか。

[43]https://baike.baidu.com/item/%E7%A6%BE%E5%9F%8E

[44]http://www.baike.com/wiki/%E5%B1%A0%E8%B5%A4%E6%B0%B4

[45]https://baike.baidu.com/item/%E6%B2%99%E5%8E%BF

[46]耿精の叛乱。

[47]https://baike.baidu.com/item/%E6%B1%9F%E5%B9%B2%E5%8C%BA#1

[48]https://baike.baidu.com/item/%E7%AB%AF%E6%B7%91端正で美しいこと。

[49]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E6%AD%A6%E4%B8%BEここではのこと。

[50]https://baike.baidu.com/item/%E5%AE%88%E6%AD%A3/8868932防守する官

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