巻一

○龍(五則)

 

処州松川[1]の民が連れ立って山に入り、楊梅を採っていたところ、途中で隠隠として雷鳴が聞こえたので、それに驚き、まもなく転げて深い谷に入ったが、ふと見ると、一匹の龍が体を枯松の上に垂らし、頭を枝に隠して臥していた。鼻の涎は蟹の沫のようで、一斛ばかりで、吻に堆積していた。雷鳴は、その鼾であった。ぐっすりと眠っており、蝿蚋が群がり、微風が林に入れば、吻の沫は霧のように飄って散じ、日に輝いて五色の光となっていた。龍の頭はきわめて牛に似ており、甲は蒼黒い色で、鱗は鯉のようであったが、林の外を雲が薄く覆っており、半身が見えるだけであった。

 

前明の崇禎年間、江右吉水[2]の人で薬を呉閶で売るものがおり、紅い匣一つを手にしていた。中に枯草一本を収めてあり、草の中には一匹の龍が蟠っていた。半尺ばかりで、淡黄色、丹の吻、赤い睛、蒼い髯、翠の鬛、雕鏤しても作れないものであったが、どこからそれを得たか分からなかった。

 

順治甲申六月十一日の薄暮、空中の霞彩が突然龍の形となり、金色に光り輝き、鱗甲は燦然としていた。杭州の人民で集まって見るものは一万に満ちたが、まことに皇清開運の兆しであった。

 

康熙乙巳、杭州北関[3]の紙儈[4]朱仰亭の家で、龍が広間の東の柱の下に降ったが、その体は斛より大きく、旋回屈曲し、建物の半ばを塞ぎ、甲は蛇のようで四角く、広がって横たわることは少なく、色は真っ青で、毎日水を四五石吸った。家人は驚愕し、遠近が集まって見ることは、一月余ばかりであった。ある晩、風雨があると、龍は東の窓からゆっくりと出、瓦に昇って飛び去った。

 

わが友蕭山の茅廉毛菽畹がわたしに話したことがあった。かれの県の四人の男が一隻の米船をともにし、遠方にゆき、商いしようとしたが、大きな風雨に遭い、龍が起こった。その船は龍に持たれ、昇って雲に入り、四川成都城内の小さい河に置かれたが、そもそもわずかな時間で、浙江の米は貴く、蜀の米は安くなり、四人は乞食して帰ることになった。

 

○虎(五則)

 

一頭の虎が白日人家入り、一匹の大きな豚を銜え、塀を越えて出ようとし、一躍したが、体と豚が塀で隔てられ、虎は外、豚はになった。牙は豚に深く食い込んでいたので、堅くて外すことができず、四つ足は宙ぶらりんで、力を込めることができなかったので、人々はそれを殺した。

 

虞人[5]が山中で一頭の虎を追った。虎は大いに追い詰められたが、突然一枚の壁を破り、人家に入った。その家はその日妻を娶っており、親戚がみな集まっていたが、虎が入って来ると、家中が驚き震え、大いに恐れた。虎はまったく他を振り返る暇がなかったので、急いで身を躍らせて楼の中に入った。その楼は新築で、柵を調えたばかりで板を施していなかったため、足が楼の柵に陥り、四つの足は下に垂れ、威力を施すことができなくなった。人々はたいへん喜び、刀や棒を一斉に施し、それを調理して宴の肴にした。(汪楓山が言った。「菊公は小文にもかならず決まりがある。この文などは、窮する、恐れる、喜ぶの三つの山場によって、波を作っていてたいへん妙である。」)

 

康熙戊辰の秋、七頭の虎が江を渡って西にいったので、三竺[6]両峰[7]はみなそのために道が危険となった。十月、銭塘、禹杭[8]でそれぞれその一頭を捕えた。

 

東越の里正甲と乙がいずれも官糧を横領したので、官はかれらの腕を連ねて縛って並べた。ある日、乙と途中で虎に遇うと、乙の項を銜え、甲はともに繋がれていたのでそれに従ってゆき、山の澗を越え、荊棘を経、嶺の下にいって止まった。そこで乙を裂いて食べ、衣を紙のように剥ぎ、骨を砕いて音を立て、血と肉を飛び散らせた。甲は恐れ、伏して動こうとしなかった。まもなく二匹の子が来ると、虎は舌で肉を舐め、かれらに与え、二匹の子は争って人の頭をすこし遠くへ持っていった。すると突然、疾風が林を振るわし、風の中から一頭の雌虎が跳び下り、口を開け、甲に進んだ。虎は怒り声を出し、身で甲を蔽って食べさせず、ともに乙の断たれた腕を食べたので、甲は逃れることができた。匍匐蛇行したが、虎は結局振り返らなかったので、大樹に拠って休み、逃れることができた。

 

浙東の海の崖に大樹があり、初め風に倒されたが、その後繁茂した。それが倒れた場所は平らであり、十人ばかりを憩わせることができた。天気が良くなるたびに、海中の大きな黿で身は方舟に等しいものが、しばしばその上に蹲っており、その下は山の麓であった。一頭の虎が卒然として来、尻を崖に付け、癢いところを摩っていたが、尾の端が上がり、黿の吻を払うと、黿はゆっくりと頚を伸ばして下ろし、虎の尾を銜えてそれを挙げた。虎の足は逆さまになり、力が抜けて奮うことができず、怒って啼いた。海人はそこで虎たちを殺し、黿とともに県知事に献じ、県知事は黿の功を褒め、鉄符を肩に懸けるように命じ、漁師に取らないように戒めたという。

 

○虎の(あやかし)(三則)

 

太平県百穴山の南にはつねに虎の怪が多い。田婦が病を患い、酪を求め、薬を作ろうとし、わずか七歳の一人息子に、嶺を越えてそれを買わせた。帰る時、嶺の下で一人の老婆に遇い、酪を求められた。子が承知しないと、つよくそれを求めたので、子は泣いて言った。「もとよりお婆さんに飲ませることを惜しみませんが、母が助からなくなってしまいます。どうしましょう。」老婆は嘆いて言った。「孝子だ。わたしはおまえを許せるが、前方に二匹の怪がおり、おまえを許すことができない。」そこでいっしょに嶺を超えると、ほんとうに二人の老婆がおり、ともに田の側に立ち、子を振り返って笑った。二人の老婆は前の老婆を見ると、さらに笑った。前の老婆はすぐに進み、言った。「かれは孝子ですから、どちらもかれを許されることを望みます。」二人の老婆はそこで顔色を改め、子の背を打って言った。「おまえは帰るがよい。」そして三頭の虎に化し、跳ねて去った。(菊公は言った。「三頭の虎から一人の子を見れば、満腹することができないのに、なお眈眈としており、逃れられないところであった。世間には絲や粒のような微かなもののために、骨肉を傷つけ、命を捨てて争うに至るものがいるのは、尤もなことである。かれの孝を憐れんで許すとは、虎は彝倫[9]を知れるものである。人で、孝を知らないものは、災いに遭えば、逃れられるとは限らないだろう。そもそも孝子は、すべて虎の怪の罪人である[10]。」)

 

寧国郡の諸山にはもともと虎妖が多く、変化して人を食べたことがあった。田舎女が粥を作っていると、門で老婆が食べものを求めた。婦人が奥の棟から器を取って戻って来ると、粥の釜はすでに尽きていたので、婦人は驚いた。すると老婆は謝して言った。「さいわい粥を賜わることができましたから、明日二緡でお礼しましょう。」その夜、虎が(まがき)を壊して入り、彼女の豚を噬ったが、食べず、大いに嘯いて去った。明るくなってからそれを売ると、ちょうど二緡を得た。

 

徐州に老母がおり、年は九十余、一人の幼い孫とだけともに起臥していたが、孫は老母が夜にものを食べて音を立てるのを聞いたことがあった。そのことについて尋ねると、言った。「おまえは誤っている。夜中にどこで食べものを手に入れるのだ。」数晩足らずで、ふたたびそうであったので、孫はそれを家人に伝え、ともにひそかに簀を開きそれを探ったところ、すべて人骨であったので、たいへん驚き、ともにそれを縛って捕らえた。

 

○海魚(三則)

 

総戎某が船に乗っていたところ、風で転覆し、大魚に吞まれた。囊の中にいるのを感じたが、目に光が見えず、体の外が火のように熱かったので、魚の腹に入ったことを悟り、佩刀を抜き、何度もそれを刺したところ、魚が痛みを感じて吐いたので、外に出、浮いている木を見つけ、生きることができた。(菊公は言った。「総戎が能文であれば、きっと遊魚腹記があり、千古一題であったろう。」)

 

北海に大魚がおり、名を穴首という。頭に二つの穴があり、大量の水を収め、海の舟に遇えば頭を垂れて下に注ぎ、舟が沈み、人が浮かぶと、それを吸って吞む。さらに小さい魚が千百匹集まり、仁魚といい、穴首の形になることができ、かれが舟を妨げているのに遇えば、群れて囲んでそれを噬り、穴首は逃れるので、「仁魚」という。海辺の地ではみな漁師を戒め、小さなものでも食べられないようにしている。

 

海中に魚がおり、頭にやはり穴がある。人はその頭を買い、船中に置いて櫃に代えるが、水を中に注ぐと、味がすぐに淡泊に変わるので、舟の中ではそれに頼っていた。

 

最終更新日:2018328

山齋客譚

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[1]未詳。

[2]https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E5%90%89%E6%B0%B4%E5%8E%BF

[3]https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=95844&searchu=%E5%8C%97%E9%97%9C%E9%96%80武林門

[4]紙の仲買商人。

[5]https://baike.baidu.com/item/%E8%99%9E%E4%BA%BA苑囿田掌管する官。

[6]https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%89%E7%AB%BA浙江杭州霊来峰南の天竺山、上天竺、中天竺、下天竺三座寺院があり、「三天竺」と合称し、「三竺」称する

[7]https://baike.baidu.com/item/%E5%8F%8C%E5%B3%B0/9182750 西湖の南高峰北高峰

[8]未詳。

[9]https://baike.baidu.com/item/%E5%BD%9D%E4%BC%A6常理、常道。

[10]原文「此皆虎怪之罪人也。」。未詳。虎の怪にとっては食べるわけにゆかない相手だから利益にならないという趣旨か。

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