第一折

(老旦が卜児に扮し、正末が扮した秋胡とともに登場、卜児の詩)

花は重ねて開けども

人にふたたび若き時なし

言ふなかれ黄金は貴しと

安楽はもつとも価値あり

わたしは劉氏。夫はすでに身まかりて、息子があるのみ。息子は秋胡と呼ばれたり。今、羅大戸に娘あり。梅英と呼びなされ、わが息子に嫁し、妻となりたり。昨日の晩に嫁入りすれば、本日、われらはいささかの酒果を調え、親家(しんか)[1]に謝すべし。

息子や、行ってお義父(とう)さま、お義母(かあ)さまを呼んできてくれ。

(秋胡)お義父さま、お義母さまは、そろそろ来られることでしょう。

(浄が羅大戸に扮し、搽旦とともに登場。羅の詩)

よそさまは七人の子が団欒(まどゐ)すれども[2]

あやにくに吾が家は娘あるのみ

(搽旦の詩)

結納品を送ることなかりしかども

三朝[3]の喜びの(うたげ)に食らへり

(羅)わしは羅大戸という者じゃ。こちらはわしの女房だ。わしには一人の娘があって、梅英と呼びなされ、秋胡に嫁して妻となっている。昨日は嫁入りし、今日は親家(しんか)[4]がわれら二人を酒宴に招いた。行かずばなるまい。早くも入り口に着いたぞ。秋胡どの、われら二人がまいりましたぞ。

(秋胡)母上にお知らせします。お義父さま、お義母さまがお越しです。

(卜児)お通ししてくれ。

(秋胡)お入りください。

(会う)

(卜児)親家、お掛けください。酒果はもう調えられておりますから、わたしがお酌致しましょう。

(秋胡が酒を斟ぎ、言う)お義父さま、お義母さま、どうぞ一杯干されませ。

(羅、搽旦が飲み、言う)娘の祝い酒ですから、いただきましょう。いただきましょう。

(卜児)息子や、嫁の梅英どのをこちらへ。

(秋胡が呼ぶ)

(正旦が梅英に扮し、媒婆とともに登場、言う)お義母さま、わたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(媒婆)お嬢さま、謝親[5]のためでございます。

(正旦)恥ずかしいので、行くことはできませぬ。

(媒婆)お嬢さま、男と女の婚礼は、古からの儀礼です。恥ずかしくなどございません。

(正旦が唱う)

【仙呂点絳唇】

男女が人と成りたるは

父母の教へによれるもの

年頃になり[6]

(えにし)を結ばば

ただ要す 敬愛し たがいに睦み合はんことを

(媒婆)お嬢さま、聴けばあなたは、幼い時から勉強をなさっていたとか。わたくしは存じませぬので、お嬢さま、こころみに、わたしに話して聴かせてください。

(正旦が唱う)

【混江龍】

毛詩を講じしことありき

『関雎』は初めに人倫をしぞ正したる

それゆゑに

男は妻を()らんとし

女は婿を取らんとす

琴瑟の相和せる花燭の夜

鳳凰の(つがひ)となれる洞房の春

わたくしは大きな席に臨むに懶く

両親(ふたおや)に会ふを怕れて

羞ぢらいて(おしろい)(かほ)を垂れ

偽りて(うすぎぬ)の裙を整ふ

われら女は

一生夫の衣食をば左右せり[7]

こは人々の免れぬことなれど

いと恥づかしき思ひせり

(媒婆)お嬢さま、金持ちをお選びになられれば、よい物を食べ、よい物を着ることができ、一生楽に暮らせますのに、秋さまのように貧しい家へ、お嫁に行ってどうなさるのです。

(正旦)お婆さん、それはどういうことですか。(唱う)

【油葫蘆】

釜には蜘蛛が網を張り

甑に塵は積もれども

これぞまさしくわが定め

想へば古来将相は貧しき家にぞ出でにける

われら夫妻の齏塩(さいえん)の苦[8]を受けたるは

かの蛟龍の風雷の便を得ざるがごときなり

()はかのひとを白屋の客[9]と思へど

()はかのひとを黄閣の臣[10]と思へり

かのひとが求婚せし時

一目見て心は先に順へり

貧には()なく

富には根なし

(媒婆)お嬢さま、今、秋胡どのにはお金も、功名もございませぬ。お嬢さま、他のお金持ちに嫁がれたとて、遅くはございませんでしょう。

(旦が唱う)

【天下楽】

わたくしたちは腹の内には(たから)なければ一生貧し

他人に嫁げと仰れど

先に苦しき思ひをするにしくはなし

子供のときより夫人[11]となりたるものにはあらず

世に(をみなご)は数多く

天が下ならなほさらのことなれど

胎児(はらご)のときより県君[12]となりたる者はなかるべし

(媒婆)お嬢さま。お父さま、お母さまに会いにゆかれてくださいまし。

(会って拝礼を行い、言う)お母さま、わたしを呼ばれて、何のお話しでございましょう。

(卜児)嫁よ、おまえを呼んだは、お父さま、お母さまにお酒を斟がせるためなのだ。

(正旦)かしこまりました。お婆さん、お酒を持ってきてください。(酒を斟ぎ、言う)お父さま、お母さま、一杯干されてくださりませ。

(羅、搽旦が言う)結構、結構、祝い酒をば飲み干したぞ。

(卜児)嫁や、ゆっくりとお酒を勧め、お父さま、お母さまが何杯か飲まれるのを待つのだよ。

(外が徴兵官に扮して登場、言う)上官の命令に、従わぬわけにはゆかず。わたしは徴兵官。このたびは、お上の命を奉り、秋胡を従軍させるため、行かねばならぬ。早くも魯家荘に着いたぞ。秋胡はおるか。

(秋胡が会う)

(徴兵官)秋胡よ、わしはお上の命令を奉じておるのだ。おまえは正軍[13]なのだから、従軍させることとしよう。(縄を掛ける)

(秋胡)お役人さま、しばしお待ちを。母に知らせてまいりますから。

(秋胡が卜児に会い、言う)お母さま、徴兵官がお上の命を奉り、入り口で、従軍せよと言っております。

(卜児)息子や、どうしたらいいだろう。

(正旦)お婆さん、何ゆえかように騒がしいのです。

(媒婆)秋胡さまが軍隊に引っ張られてゆくのです。

(正旦)秋胡さま、どうしたらよいのでしょう。

(唱う)

【村里迓鼓】

一晩の恩愛のため

胸一杯の(うれへ)を抱けり

かのひとの去りたる後は

何人(なんぴと)かわれら女を憐れまん

座上の客のもとを離れて

胸の思ひは

一言で尽くすは難し

わたくしがかのひとのため

貧しさに耐へ

泪を拭ひたるを見ば

ああ 人をして娘はかやうに親身なりとぞ言はしめん[14]

(媒婆)今日はようやく三日目で、祝いの酒を飲んでいたのに、徴兵官がやってくるとは。奥さま、わたくしはまだいささかのお祝儀もいただいておりませぬ。

(正旦が唱う)

【元和令】

青灯を守りつつ苦しみを受け

黄齏(くわうさい)[15]を食らいひつつ貧しさに耐へ

かの人の玉堂金馬[16] 朝臣となるを望めど

秀才たちは正軍なりき

儒士もかへつて人に及ばず

文章は身を立つるのに宜しとは言ひ難し

(徴兵官)秋胡よ、急げ。令状に書かれた期限は、一日も遅らせることはできぬのだ。

(秋胡)お兄さん、一時(いっとき)待たれてくださいまし。

(正旦が唱う)

【上馬嬌】

王留(わうりう)は心が悪しく

伴哥(はんか)はまことに粗暴なり

牛表(ぎうへう)牛筋(ぎうきん)

手荒く太き桑棍[17]を振り回す

この者たちは凶惡なれば

めでたき麒麟を打ち殺すべし

(卜児)息子は嫁をとったのに、たった三日で、従軍せねばならなくなるとは。老いの身を誰をして養わしめよう。ああ悲しい。

(正旦が唱う)

【游四門】

さきほどは 宴にて杯をとり 殷勤に話をすれど

このたびは 剣にすがり 従軍せんとす

思へばわれらは昨晩に結髪[18]し秦晋[19]となりぬれど

鴛鴦(をし)(ふとん)は温まりたることぞなかりし

今日はみづから、みづから旧き(しば)()に送り出だせり

【勝葫蘆】

玉臂(ぎょくひ)[20]を交へ、粉痕(ふんこん)[21]を記すを得めや

鎧は臥して地に(うろくづ)を生ぜしむ

離乱の時は武は文に勝るを知るべし

人の(かうべ)は転がりて

熱き血は噴く

かくしなば、国に報いて

勲を得べし

(秋胡)梅英よ、わたしは従軍してゆくが。おまえは家で、よく母さまにお仕えし、十分に孝養を尽くしておくれ。

(卜児)息子や、あちらへ行ったら、頻繁に手紙をよこして、消息を知らせておくれ。

(正旦が唱う)

【後庭花】

やつとのことで三合(さんがふ)[22]に天地は(まぐは)[23]

日輪と月輪は孤虚(こきょ)を避けたり[24]

十年 功名をば望み

一朝 雨露の恩に感ぜり

翠眉を顰め

結婚の時

車から降りしとき歳君[25]にぶつかりて

先祖の霊を拝せしときに影神(えいしん)[26]に背を向けしこともなかりしに

早くも新婦は悪運に遭ひ

辺境に行かんとし

村を離るる夫を送れり

【柳葉児】

家はあれども身を寄せがたく

まことに短き新婚生活

わたしは寡鳳孤鸞(くわほうこらん)[27]にて一生を終へんとするにや

よく考へて

山人に問ふべかりしに[28]

何ゆゑぞ吉日(よきひ)を選ぶことのなき

(卜児)息子よ、行くがよい。旅路では気を付けるのだよ。頻繁に手紙を寄せて、わたしを心配させないでくれ。

(秋胡)承知いたしました。母さま、お体を大切に。

(正旦が唱う)

【賺煞】

かやうに天は(ひろ)ければ雁書(ふみ)の至るは稀ならん

人は遥かに龍荒[29]こそは近からめ

泪をこらへ 一樽の別れの酒に向かひたり

遥かに望めば 客舍は青青 柳の色は新たなり

第一程は水館(すいくわん)かはた山村か

(言う)秋胡さま。

(秋胡)なんだ。

(正旦が唱う)

かの人をお世話するのは

はやままならず

(言う)想えば夜に嫁入りし、今日は従軍なさるとは、(唱う)

これぞまさしく一夜の夫妻は百夜の恩

まずかの人の夢魂(むこん)をば煩はしめば[30]

たちまちにわが(うれへ)をぞ消しつべき

ひたすらに泪とともに黄昏を待つよりほかなし

(媒婆とともに退場)

(秋胡)お義父さま、お義母さま、わたしの母と妻梅英をよろしくお願いいたします。わたしは従軍いたしますから。

(羅、搽旦)これも御身のお勤めですが、娘にとっては不運です。お行きなされ。

(秋胡が別れを告げ、言う)徴兵官どの、ご一緒にまいりましょう。(詩)

な怨みそ 文才は完きも 幸福は完きことなし

妻を娶りて三日で別れり

軍中で文を用ゐば

かならずや栄達し、錦を着けて帰るべし

(徴兵官とともに退場)

(羅、搽旦)秋胡は従軍していった。奥さま、われらは家に戻ります。

(卜児)奥さま、息子が行ってしまいましたから、お引き留め致すわけにはまいりませぬ。お構いも致しませんで。

(詩)

(とど)めんと思ひしは偽りならず

いかんせん、秋胡は兵士(つはもの)とぞなれる

(羅、搽旦の詩)

来年、秋胡が戻り来ることなくば

われらの娘は寡婦(やもめ)暮らしか

(ともに退場)

第二折

(浄が李大戸に扮し登場、詩)

段段たる田の苗は遥かなる村へと続き

太公(ぢいさん)は村で(こそん)を弄ぶ

農家は(ぢよはう)[31]に励むのみ

冷たく酸えし一盆の酒を飲む

わたしは李大戸という者。家には金銭、糧食、田地、金銀、財宝を持ちたれど、美しい嫁はおらぬ。この事だけは、まことにつまらぬ。わたしは村の金持ちで、四つの村の家々は、みなわたしから金銭と糧食を借りているのだが、かれらはわたしをお金があっても無駄なこと、よき嫁は持ってはおらぬと笑っておる。これがどうして我慢できよう。わが村に羅大戸という老人がいる。もともとは金持ちだったが、今は貧しく、わたしからいささかの糧食を借り、今になっても返しておらぬ。かの者に梅英という娘がいる。顔はまことに麗しく、秋胡に嫁して妻となったが、今や、秋胡は従軍し、十年戻らぬ。羅大戸を呼び、秋胡は死んだのだと言って、娘をわたしの嫁にさせよう。羅大戸は、その昔、糧食四十石を借りたが、返済を免除して、さらにいささかの結納金を与えよう。羅大戸は貧乏だから、きっと承諾するだろう。朝、人を遣わして羅大戸を呼びにいかせた。そろそろ戻ってくるだろう。

(羅が登場、詩)

人々に金持ちといはるれば

(さいはひ)の星は照るべし

わたくしも金持ちなりしが

何ゆゑぞ今は他人の命に服せる

わたしは羅大戸という者。秋胡が従軍してより、早くも十年(ととせ)なり。わたくしは李大戸の四十石の糧食を借り、返しておらぬ。今日、李大戸に呼ばれたが、きっとこの件が重要なのだろう。とりあえずどんな話しか聴きにゆこう。ここには人がいないから、一人で入っていくとしよう。(会う、言う)大戸さま、わたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(李)ご老人、お呼びしたのは、話したいことがあるからじゃ。御身の婿の秋胡どのは、従軍し、豆腐を食べて、下痢をして、亡くなったのだ。

(羅)誰がそう言っていたのでしょう。

(李)人の話を聴いたのだ。

(羅)ああ。それならば、どういたしましょう。

(李)ご老人、悲しまれますな。お尋ねするが、御身の婿は亡くなられたが、娘御は、年若ければ、寡婦を通すことはできまい。娘御をわたくしに再婚させてくだされ。

(羅)大戸さま、何をおっしゃいます。

(李)承諾せぬなら、おまえはわしから四十石の糧食を借りているから、わしは役所に告訴して、取り立てをして、おまえを殺してもらおうぞ。娘をわしにくれるなら、四十石の糧食は、みなくれてやり、さらにいささかの花紅(かこう)[32]、羊酒[33]と結納金を送ろうぞ。さあどうだ。

(羅)大戸さま、ゆっくり相談させてください。たといわたしが承諾しても、妻が承諾いたしますまい。

(李)た易いことだ。おまえは先に結納品を持ってゆき、二人で相談をするのだ。先方が結納品を受け取ったとき、このわしが羊を牽き、酒を担いで後から来るのだ。

(羅)かしこまりました。大戸さま、ゆっくり来られてくださいまし。わたくしはこの結納品を持ち、先にまいります。(門を出て、言う)わしが承知したのだから、女房が承知せぬはずがあるまい。結納品をまず親家母(しんかぼ)[34]へ渡しにいこう。(退場)

(李)あの爺さんが約束したから、娘は必ずわしに嫁いでくるだろう。これから羊酒、表裏(ひょうり)[35]を持って、梅英を娶りにいこう。梅英がわしの家に着いたら、彼女をばんと押し倒し、むつごとをせば、いかばかり楽しきことか。これぞまさしく洞房花燭の夜、金榜に擂槌(らいつい)を掛くるなり[36]。(退場)

(卜児が登場、言う)わたしは劉氏、秋胡の母なり。息子が従軍してより、早くも十年(ととせ)なり。音信はたえてなし。さいわいに、わが嫁は、よそさまのため綻びを縫い、衣を洗い、蚕を養い、繭を選り分け、わたくしを養えり。ここ幾日か、体が不快だ。なぜ眼がぴくぴくするのだろう。何事が起こるのだろう。とりあえず静坐して、様子をみよう。

(羅)わたしは羅大戸、魯家荘に着いた。親家母に会い、言うことがある。取り次ぎは必要なし。一人で入っていくとしよう。(会い、言う)親家母どの、お元気ですか。

(卜児)親家どの、お掛けください。本日は、どういう風の吹き回しで。

(羅)親家母どの、ご令息は久しく家にお戻りにならざれば、あなたに会って、気晴らしをしていただこうと思ってやってきたのです。こちらにお酒がございますから、わたしが三杯おつぎしましょう。

(卜児)ありがとうございます。親家どの、わたしはお酒を飲むことはできませぬ。

(羅が三杯酒を斟ぎ、言う)飲まれましたね。ほかにも紅絹(もみ)がございますから、うちの娘に着る物を作ってやってくださいまし。

(卜児)親家どの、かように出費をしていただきますとは。秋胡が家に戻りましたら、ご厚意にお礼をさせるといたしましょう。(紅絹を受け取る。羅が手を打って笑って言う)うまくいったぞ。

(卜児)親家どの、何が「うまくいったぞ」なのです。

(羅)親家どの、酒と紅絹とは、どちらもわたしのものではなく、この村の李大戸のもの。先ほどの三杯の酒は肯酒(こうしゅ)[37]で、この紅絹は結納品です。秋胡どのは亡くなられ、今、李大戸は梅英を娶ろうとしております。李大戸が羊を牽き、酒を担いでこられますから、わたしは先に帰ります。

(詩)

李大戸は機謀を用ゐ

結納品を收めしめたり

すみやかに梅英を再嫁せしむるにしくはなし

裁判をして恥を晒すを免れん

(退場)

(卜児)あの爺さんはまことに無礼。あいつは行ってしまったが、嫁に会っても、どうして口に出せようぞ。嫁や、どこだえ。

(正旦)わたしは梅英。秋胡が家を去りてより、はや十年。わたくしはよそさまのため、良き水を汲み、汚れたる水に換え、わが義母を養えり。ここ幾日か、わが義母は身にいささかの不快あり。今しがた蚕部屋から戻ったが、お義母さまに会いにいこう。秋胡さま、いつになったら帰ってこられるのでしょうか。(唱う)

【正宮端正好】

想へばわれらはたつた一夜の短き(なさけ)

千万の長嘆息をするも徒なり

むざむざと人をしてかりそめの夫婦とぞいはしめる[38]

老いたる母は残されて体には病が纏ひ

毎日ひたすら枕に臥して睡られり

(言う)ある人は「梅英さん、医者を呼び、お義母さまを治療しておあげなさい」と言いますが、言わないほうが宜しいでしょう。[39](唱う)

【滾繍球】

医者を呼び、脈を見せても

何を薬の代金にせん

この村は藪医者ばかり[40]

この幾日か天と地に訴へて

かれら母子(おやこ)がすこしでもはやく歓会することを祈願せり

諺に言ふ、「嫁は壁の()の泥なり」[41]と。

ただ願ふ、白髪頭の母親の早晩に病の癒ゆるを

(言う)天よ。

(唱う)

われらの若き婿どのは

いづれの年にか帰るべき

音信はすつかり絶えたり

(卜児に会い、言う)お母さま、少々お粥を召されませ。

(卜児)嫁や、一つ言いたいことがある。秋胡が家にいないとはいえ、おまえは若い娘なのだ。髪を梳き、物売りが来たら、臙脂や白粉を買って顔に塗り、おめかしをするべきだ。このようなぼさぼさ頭、垢じみた顔では、人さまに笑われてしまうだろう。

(正旦が唱う)

【呆骨朶】

義母さまは

おまへは女なのだから新しき服を着るべしと仰せらるれど

わたしはかくも身のほど知らずな振る舞ひをいたすわけにはまいりませぬ

(言う)秋胡さま

(唱う)

かの人が去り五年十年

千山と万水を隔てたり

姑はすでに夫なく

義母娘(おやこ)して頼る人なし

(卜児)嫁や、「瓢箪を敲き杓子を壊す」[42]するつもりかえ。

(正旦が唱う)

「瓢箪を敲き杓子を壊す」ことをいかでか得べけんや。

(言う)お義母さまは、物売りが来たら、いささかの紅白粉(べにおしろい)を買い、塗るようにおっしゃいましたが、思えば、秋胡さまは十年、着るものはなく、飲むものもなし。

(唱う)

お母さま

網杓子をば修理する無駄金はございませぬ。[43]

(李大戸が羅、搽旦とともに楽隊を連れて登場、李)これから嫁を娶りにいこう。洞房花燭の夜、金榜に擂槌を掛く[44]

(正旦)お母さま、家の入り口で楽の音が響いていますが、おそらくは牛王社のお祭りでしょう。ちょっと見てまいりましょう。

(卜児)嫁や、見にいってごらん。

(正旦が門を出て見て、言う)誰かと思えば、お父さまにお母さま。何ゆえ来られたのでしょう。

(羅)おまえに婿をとったのだ。

(正旦)お父さま、どなたに婿をとられたのです。

(羅)おまえに婿をとったのだ。

(正旦)何ですって、わたしに婿をとられたとは。

(唱う)

【倘秀才】

羊酒を持ちて

楽隊を引き連れり

わたしには夫があるに

などてか婿をとられたる

あなたがた農家の人は愚かにて、見識はなし

(羅)娘や、秋胡は死んだぞ。今、李大戸(さま)がおまえを娶ろうとされているのだ。

(正旦が唱う)

すでに張さまの妻となりしに

李さまの妻になされんとすや

かやうなる道理のいづこにあるべきや

(搽旦)娘や、父母の言葉に従うことが、大孝なりというではないか。あの人に嫁にいってもいいではないかえ。

(正旦が唱う)

【滾繍球】

わたしは今や鶏に嫁したれば、一箇所を飛び[45]

やはり婚家の嫁たらん

貧しきも富むるもわたくし次第なり[46]

朝から晩まで

上唇と下唇は水と米とに触るることなし

衣食が足るとは言ひ難し

わたくしの脊はぞくぞくとして

この三冬の冷たきに耐へ

お腹は空いて

かつて忍びし飢ゑにぞ同じき[47]

僅かなる過ちさへもあるものと思はれますな[48]

(羅)騒ぐのをやめるのだ。おまえの家の姑が結納品を受け取ったのだ。

(正旦)このような事があったとは。お義母さまに尋ねてきましょう。(会い、言う)お母さま、秋胡さまが去られて十年、わたくしはよそさまのため、良い水を担いで悪い水に換え、お義母さまを養いましたに、どうして梅英(わたし)を他の人に嫁がすのです。生きていたとて何になりましょう。死を求むるにしくはなし。

(言う)嫁や、わたしとは関係ないのだ。おまえのお父上が無理にわたしに結納品をつかませて、李大戸(さま)におまえを売ったのだ。(哭く)

(正旦が唱う)

【脱布衫】

姑は哭き

わたくしは悲しめり

(門を出て、唱う)

父さまは親類縁者にあざ笑はるることを怕れず

(羅)わしはおまえの母さんと結納金を山分けしようと思うているのだ。

(正旦が唱う)

結納品を山分けせんとせられたり

(羅)娘や、あの人に嫁入りすれば、このわしもいささかのお酒と肉にありつけるのだ。

(正旦が唱う)

【醉太平】

お父さまは

さいはひにお酒と食事を食べてをられず

(搽旦)娘や、こちらも宴を設けねばなるまいよ。

(正旦が唱う)

お母さま

そのやうに宴を設けてよきはずがございませうや[49]

(李)小娘め、つべこべ言うな。わが顔を見よ。醜くあるまい。

(おかしな顔をし、正旦にぶたれ、唱う)

こいつに拳で殴られた

こつちへ来い

おまえの顔を引つ掻いてやる

(言う)かように清らなる世界、穏やかな天下にて、

(唱う)

良家の娘を何ゆゑにからかはるるや

(卜児に会い、唱う)

ああ

明らかにわが老義母の身寄りのなきを虐ぐるなり

(羅)そんなに喚いてどうするのだ。親不孝者の小娘め。

(正旦が唱う)

わたくしを親不孝、父母(ちちはは)に隨はずとぞ罵れる

お父さま

かやうな仕打ちをなさるとは

(李)小娘め、騒ぐのはやめるのだ。わたしはおまえをけっして辱しめはせぬよ。「鸞凰は鸞凰の、鴛鴦は鴛鴦の連れ合いになる」というではないか。

(正旦が唱う)

【叨叨令】

鸞凰は鸞凰の連れ合ひとなり

鴛鴦は鴛鴦の連れ合ひとなる

百姓は百姓のやり方を出だし尽くせり[50]

(太鼓が響き、正旦が怒り、言う)まだ行かないかえ。

(唱う)

村の太鼓は村でのみ敲けかし

(李)娘よ、こちらへ来るのだ。わたしのような金持ちは、村にはほかにおるまいぞ。

(正旦が唱う)

ほんたうに気に入らず

ほんたうに気に入らず

銅銭を持ちたれば

銅銭を抱きつつ眠らばよからん

(羅)小娘め、おまえは貧乏なのだから、李大戸(さま)に嫁げば、楽しい暮らしを得られるだろうに。

(正旦が唱う)

【煞尾】

お父さま

何ゆゑかやうな洞房花燭(たたう)の計[51]を使はれたりしや

(李)わたしの顔はほんとうに醜くないのに。

(正旦が唱う)

わたしはおまへを盛り場で斬られよと罵らん

牛表と牛筋はおまへの親戚[52]

金持ちと、村長[53]はおまへの友達

ああ

道理を知らぬ百姓にいかなる官位のあるべきや

今わが(つま)はいづこにありや

p蓋(さうがい)雕輪(てうりん)、繍幕に囲まれて

玉轡(ぎよくらん)、金鞍、駿馬に騎りて

役人は二列にきちんと居並びて

水罐(すいくわん)[54]と銀盆[55]をまつすぐ並べ

(ます)ほどの大きさの黄金は肘の後ろに随へり[56]

簾ほどの大きさの元戎帥字旗(げんじゅうすいじき)[57]

あの方の実の母じやは今年七十路(ななそぢ)

はやくも生まれ育ちたる故郷に着けり

その時に

母子と夫妻は団円すべし

おまへに言はん おまへは讎なす驢馬、田舎者

いつになるともわたくしに近づくことはかなふまじ[58]

狼虎のごとき役人はおまへを捕らへん

(言う)あの人は言うでしょう。「誰がわが妻をからかったのだ、誰がわが母を苛めたのだ」と。

(李を推し倒し、唱う)

わたくしはやすやすとおまへを許さじ

(ともに退場)

(李)どういうことだ。娶ってもいないのに。あいつに食って掛かられて、突き倒されたぞ。ただでは済まさぬ。

(詩)

ただ洞房の花燭のために心は焦がされ

金榜の擂槌によりあやふく腰を折るところなり[59]

(羅、搽の詩)

これもまた李大戸の(えにし)なきなり

娘のはなはだ猛きにあらず

(ともに退場)

 

第三折

(秋胡が冠帯で登場)わたしは秋胡。従軍し、元帥に会ひ、文武に通じたりと称せられ、喜ばれたり。元帥の麾下で、幾たびも奇功を立てて、官は中大夫の職を加へられたり。わたくしは訴へり。故郷を離るること十年、家に老いたる母がをり、久しく孝行せざりしかば、休暇を取りて帰らんと。さいはひに、魯の昭公はわたしを憐れと思し召し、黄金一餅を下さり、母親を養ふための費えとなさしめたまひたり。このたび、故郷に錦を飾れば、母ぢやに会ひにゆくとせん。

(詩)

想へばそのかみ 哭きつつはるか彼方へと従軍すれど

このたびは笑まひつつ家に錦を飾りたり

きらきらとした黄金(こがね)をば母に捧げて

わが美しく若き夫人を慰めん

(退場)

(卜児が登場、言う)わたくしは秋胡の母。息子が去ってからというもの、音信はまったくない。昨日も親家に酷い目に遭わされた。さいわいにわが嫁は貞烈の心を持って、他の人に嫁ごうとせぬ。嫁ぐのを承知されたら、わたしは誰に養ってもらったらよいのだろう。嫁は今朝、桑の畑に葉を摘みに出かけていった。想えば嫁がかようにまめに働いているのも、老いたわたしのためだ。ただ願わくは、わたしが死んでも変わらずに息子の嫁であることを。かように息子に仕えれば、はじめて息子に報いることができるであろう。わたしは眠くなったから、休むとしよう。(退場)

(正旦が桑籃を持って登場、言う)桑摘みにゆきましょう。(唱う)

【中呂粉蝶児】

わたくしは秋胡に嫁ぎ

家に入れども生計を立つるすべなし

わたくしは鰥寡孤独の定めにもあらざるに

飢寒を忍び

凍餒に耐へ

さらにわが父母に苛められたり

生活はすでに貧しく

かてて加へて、収穫のなき凶年にしぞ当たりたる

【酔春風】

ただ見るは野樹一天の雲

江村の弥生の雨かと見まがふばかり

誰がかの天公を怒らせたるかは知るすべもなし

百姓たちは苦しみを、苦しみを受け

万種の愛は言ふに及ばず

一夜睦みしのみにして

百年の夫婦ははやくも隔たれり

(言う)桑畑に着いた。

(唱う)

【普天楽】

わが桑摘みの籃を置き

新鮮なる桑を選べり

見ればかの濃き陰は冉冉[60]として

翠の錦は模糊として

葉の下の霧を押し分けば

梢の先なるいささかの露を散らせり

(桑を摘み、唱う)

わたしはもともと繭を取り、絲を紡げる農家の娘

しかれども花を摘み、柳を弄ぶ人と相成れり

ぐづぐづとして蚕を飢ゑしむるを怕れ

摘みしため葉が腐り

折りしため枝を枯らすとも構ふものかは

(言う)熱いから、服を脱ぎ、干すとしよう。

(衣服を干す)

(秋胡が普段着に着替えて登場、言う)わたしは秋胡。こちらに来たが、家から遠く離れているから、この服に換えたのだ。ここはわが家の桑畑。桑の樹はみな育っている。近づけば、この桑畑の門はなぜ開いているのだ。見てみよう。

(正旦を見、言う)美しい女だなあ。背を向けて立っているから、顔は見えずに、後ろ姿が見えるだけ、白い(うなじ)に、黒い髪。あの人が振り向いて、あの人を看ることができたら、まことによかろう。ああ。四句の詩であの人をからかえば、あの人はきっと振り向くことだろう。(詩を読む、詩)

いづかたの二八の娘ぞ

籃を持ち 桑を摘み

羅の衣をば枝に掛け

風が動けば園に香りは満ちわたる

どうして聴いてくれないのだろう。もう一度吟じてみよう。(さらに吟ずる)

(正旦が振り向き、衣服を取り、見て言う)こちらで桑を摘んでいたが、あの人は何者だろう。畑の中にやってくるとは。服を着る暇がない。

(秋胡が揖をして、言う)娘さん、こんにちは。

(正旦が驚いて挨拶を返し、唱う)

【満庭芳】

百姓の万福をあはてて返せり[61]

(秋胡)もったいなや、娘さん。

(正旦が唱う)

この人はぶらぶら遊ぶ男ではなく

恐らくは受験するひとかどの名儒なるべし

この人は身をかがめ

腕を組み

慇勤なる口ぶりをせり[62]

御身(おみ)はかの孔聖の書を読めり

(秋胡)娘さん、瓊漿[63]があるならば、ちょっとわたしに飲ませてください。

(正旦)わたくしは桑を摘み、養蚕をする女です。田を鋤いて、ご飯を運ぶ、村娘だと思しめさるな。

(秋胡)こちらには誰もいませぬ。娘さん、こちらへ来られてくださいまし。わたくしはあなたの婿となりましょう。怖がることはございませぬ。

(正旦が怒り、唱う)

たちまち破廉恥なる言葉をぞ出だしたる

なにゆゑ立派な顔をしながら

君子にあるまじきことをしたまへる

いかがなさるるおつもりぞ

(秋胡)娘さん、どうせここには人はいませぬ。お願いします。耕作は少年を見るにしかず。桑摘みは金持ちに嫁ぐにしかず。わたくしに従いなされ。

(正旦)この者はまことに無礼。(唱う)

【上小楼】

比翼を諧へやうとして

杜宇(とう)を聴きたることもあるべし[64]

かの鳥は幾たびも

先生に

帰るにしかずと勧めたり

(秋胡)養蚕をなさるお方のはずなのに、どうして杜宇の話しをなさるのでしょうか。[65]

(正旦が唱う)

養蚕をするよりましとおほせらるとも

なんぢを引き留めたりはせじ

われわれの蚕が老いなば

いづかたへ行き いかやうに手を打たん[66]

(秋胡が背をむけて言う)ちょっと手荒なことをしてみなければなるまいな。

(正旦を掴み、言う)娘さん、わたくしに従いなされ。

(正旦が推し、言う)行ってください。(唱う)

【十二月】

いづこの男ぞ

まことに大胆

(まなこ)はぎらぎら

手脚を引けり

(秋胡)桑畑からは飛んだとて逃げられませぬぞ。

(正旦が唱う)

わたしの家路を遮れば

大声で叫ぶほかなし

(叫び、言う)沙三、王留、伴哥児、みな来てください。

(秋胡)娘さん、叫ぶのはおやめなさい。

(正旦が唱う)

【堯民歌】

桑畑にて無理やりに愉しみをなさんとし

驚かされてわたしの手脚はぶるぶる震へり

この人は頬ずりをして抱きついて服を掴めば

推したり引いたりしつつ防げり

初めは峨冠(がかん)[67]の士大夫と思ひしも

その実は道理を知らぬ大たはけなり

(秋胡が背を向けて言う)ちょっと待て。この娘は承知をせぬが、どうしたらいいだろう。手元には一餅の黄金がある。魯君がわたしに老いた母上を養わせるため賜わったものではあるが、母上はまったく知らない。諺に「財貨は人の心を動かす」というから、この一餅の黄金を娘にやれば、必ずわたしに従うだろう。

(小道具を取り、正旦に見せ、言う)娘さん、わたしに従われるのなら、一餅の黄金をあげましょう。

(正旦が背をむけて言う)この馬鹿者は無礼なり。一餅の黄金を取り出した。このようにするしかあるまい。……お兄さん、黄金があるならはやく仰ってくださいまし。こちらに来られてくださいまし。わたしはあちらへ人を見にいってまいります。

(秋胡)娘は承知し、人を見にいった。

(正旦が門を出て、言う)獣め、聴け。「男はお金を目にすれば、過ちを易え[68]、女はお金を目にしても、その志を墜とそうとせぬ」というではないか。獣はわたしが承知しないので、黄金(こがね)を取り出してきたが、黄金が役に立つものと思っているのか。(唱う)

【耍孩児】

「書中には女あり、(かんばせ)は玉のごとし」[69]といふを聞かずや[70]

(秋胡)ああ、あの人の醤瓜(しょうか)を食った。[71]

(正旦が唱う)

おんみはお金で

楽しみを買はんとすれど

黄金は散じ尽くして領収書(うけとり)となるを知るなし[72]

ああ

おんみはお金持ちの坊ちやま

真珠を使ふことに慣れ

嚢中に金があり権勢があることを頼りになされど

「お金に淡泊なるものが大丈夫(ますらを)」なりとわれは申さん

怒りは覚えずして生じ

沐猴(もくこう)の冠冕[73]

牛馬の襟裾(きんきょ)とぞ罵らん[74]

(秋胡)娘さん、承知なさらぬのでしたら、あなたといっしょに家に行き、結婚を成就すれば、よろしいでしょう。

(正旦が唱う)

【二煞】

われわれの牛屋では

いかでか麗しき眷属となるを得ん

鴉の巣より鸞鳳の雛のいかでか産まるべき

蚕繭紙(さんけんし)[75]には姻縁簿[76]をば書き難く[77]

短き桑には連枝樹は生え難し

(おうま)(あな)では比目魚は養へず[78]

轆軸(ろくじく)[79]も連環玉を作り得ず

おんみのやうに風俗を損なふかたは

地と天に滅ぼさるべし

(秋胡)娘さん、そう仰らずに。承知されぬなら、わたくしは毒を食らわば皿までで、あなたを殴り殺しますよ。

(正旦)誰を殴るというのです。

(秋胡)あなたを殴ってやるのです。

(正旦が唱う)

【三煞】

われを見ば

おんみの額に(いれずみ)せん

われを掴まば

おんみの手足を削りとるべし

われに触れなば

おんみの腰骨をぞ打たん

われを抓らば

おんみを三千里の彼方へと流罪にすべし

われを抱かば

われはおんみを十字路で木驢(もくろ)[80]にのぼせん

ああ

(ばん)(くわ)[81]の刑に遭はるるがよし

わたくしはおんみの家の墓を暴きしこともなく

おんみの家の眷属を(あや)めしこともなかりしに

(秋胡)この女はまことに無礼。承知せぬならまだいいが、何ゆえかようにわしを罵る。

(正旦が桑籃を持ち、唱う)

【尾煞】

こいつは(まなこ)を見開いて

わたしが死ねと罵るを見る

顔をつきだし[82]

わたしがこいつの先祖を呪ふに任せたり

桑の畑で人さまの妻に挑むは何ゆゑぞ

七代の先祖の霊もおまえの味方はしてくれまいぞ

(退場)

(秋胡)あいつに罵られてしまった。黄金を持ち、家に帰って、老いたる母を養おう。

(詩)

娉婷とした美貌を見

思はず心を動かせり

あの人をからかひしため

七代の先祖の(たま)を罵られたり

(退場)

 

第四折

(卜児が登場、詩)

(あした)には日の出とともに柔らかき桑を摘み

昼近くまで摘めども筐は満つることなし

はじめて信ぜり 総身に綺羅を纏へる者は

昔より蚕を養ふ娘にはあらざることを

わたくしは秋胡の母。嫁は桑の葉を摘みにいったが、今になってもどうして家に戻ってこぬのか。

(秋胡が冠帯をつけ、従者を連れて登場、言う)わたしは秋胡、こちらに着いたぞ。これぞまさしくわたしの家の入り口だ。まっすぐ入ることにしよう。お母さま、息子が戻ってまいりましたよ。

(卜児が驚いて尋ねる)お役人さまはどなたでしょうか。

(秋胡)あなたの息子の、秋胡です。

(卜児)息子や、官職を手に入れたのだね。心配でならなかったよ。

(秋胡が金を渡し、言う)母上さま、わたくしは役人となり、今、中大夫の職にあります。魯の君はわたくしに故郷へ錦を飾れと仰り、一餅(いちへい)黄金(こがね)を賜り、年老いた母を養えと仰いました。

(卜児)息子や、この数年は苦労したろう。

(秋胡)お母さま、梅英はどこへ行ったのでございましょう。

(卜児が悲しみ、言う)息子や、おまえが去ってから十年、嫁がわたしを養わなければ、とっくに餓死していただろう。今、梅英は桑の畑へ桑摘みにいっているのだ。

(秋胡)お母さま、梅英はどこにいるのでございましょう。

(言う)桑摘みをして、そろそろ戻ってくるだろう。

(秋胡)ああ。先ほど桑の畑でからかった女が、たぶんわたしの妻なのだろう。帰ってきたら、わたしには考えがある。

(正旦があわてて登場、言う)逃げろや逃げろ。(唱う)

【双調新水令】

水辺の村の四月の忙しき時にあらざらましかば

あのろくでなしを捕まへて

やすやすと逃すことなからまし

一つには鴉の飛びて空の暗くなるを恐れ

二つには蚕の老いて麦の黄になるを恐れり

満目の桑

一面の林[83]にて

隣近所はをらざりしかど

わたしは人に見られなばいかなることにならんかと恐れたり

(言う)うちは金持ちでもないのに、門前になぜ一頭の馬が繋いであるのだろう。桑籃を蚕部屋に置き、見てみよう。あの無礼な馬鹿者がいる。桑の畑でわたしをからかい、わたしが承知しなかったので、堂々と家までわたしを追いかけてきた。(唱う)

【甜水令】

このものは強きを恃み、弱きを挫き

まことに大胆

などてわれらの村に来れる

覚えず怒りは胸に満ち

わたくしは大股に歩きつつ衣を捲り

目の前に歩みゆき

(うすぎぬ)の裳を掴みたり

われら二人は堂々と争はん

(秋胡を掴む)

(卜児)嫁や、掴むでない。秋胡が家に戻ってきたのだ。

(正旦が手を離し、唱う)

【折桂令】

ああ

曾参[84]は故郷に錦を飾りたり

(門を出て秋胡を呼び、言う)秋胡さま、いらっしゃい。

(秋胡)梅英よ、わたしを呼んでどうするつもりだ。

(正旦)よそさまの女をからかいませんでしたか。

(秋胡)ばれてしまった。こうするよりほかあるまいな……梅英よ、わたしが人をからかっただって。

(正旦が唱う)

何ゆゑぞよそさまの妻を弄び

よそさまの妻をからかふ

かやうに愚かででたらめならば

烏靴象簡(うくわざうかん)[85]

紫綬金章

富貴を手に入れ

朝中の棟梁となるに値せず

(言う)わたくしは、いかにして、十年間、お義母さまを養いもうしあげたことか。

(唱う)

おんみはまことに貧しさを忍びたる糟糠の妻を辱しめたり

わたくしは寂しさに耐へ尽くし

情欲を忍び尽くせり

わづか一夜の情のために

わたくしは寂しさに久しく耐へたり

(言う)嫁よ、来てくれ。

(正旦が秋胡に会う)

(卜児)嫁や、魯の君は息子に黄金一餅を賜わって、わたくしを養うように仰った。この十年間、おまえに世話になったから、この黄金をおまえへのお礼にしよう。受け取っておくれ。

(正旦)お義母さま、いりませぬ。手元に置かれ、お義母さまが簪をお作りになり、お着けになって下さいまし。(門を出て、言う)秋胡さま、いらっしゃい。

(秋胡)もう一度、わたしを呼んでどうするのだ。

(正旦が唱う)

【喬牌児】

あなたが賊となるならば

わたくしは贓物を押さふべし[86]

ああ

水晶塔[87]は強弁をなしそ

これ[88]はまさしく魯の殿さまが宰相に賜はりて

故郷に帰り母上さまを養はしむるためのもの

(言う)この黄金は、もしよその女だったら、

(唱う)

【豆葉黄】

黄金を受け

才郎に従ひて

高堂に()す母上さまを餓ゑ死にさせることを怕れず

福が至らば心は聡く

才高ければ(ことば)は強し

記すべし「女有り春を懐ふ」の詩一章[89]

わたしはおんみとじつくりと相談すべけん

「われを桑畑にて待ち

われを淇水のほとりに送る」といふをきかずや[90]

(言う)秋胡さま、よその婦人を挑発なさいましたでしょう。

(秋胡)おまえは疑い深い奴だな。

(正旦が唱う)

【川撥掉】

女は承知したりしや

(桑籃を取り、唱う)

籃を持ち、桑の葉を摘みにゆき

むなしく父と母を恨めり

婿を選ぶに

相貌は堂堂たれど

一夜の花燭洞房を

いかで防がん

【殿前歓】

金殿に鴛鴦を閉ぢ込めやうとしたれども

わたしは麗しき花を金持ちのおんみに与へ[91]

飢ゑに耐へつつ日々大いなる通りにて

いささかの残り飯、冷たき漿(しやう)を乞はんとす

わたくしに去り状を下されよかし

(秋胡)どうしてわたしに去り状をくれというのだ。

(正旦が唱う)

堂々と訴訟を起こさば

人々の噂にぞ上るべき

「女は貞潔をば慕ひ、男は良才にぞ倣へる」と[92]

(卜児)秋胡や、どうしてこんなに騒いでいるのだ。

(秋胡)お母さま、梅英はわたくしを夫と認めないのです。

(卜児)嫁や、どうして秋胡を夫と認めぬのだえ。

(正旦)秋胡どの、聴かれませ。わが一片の貞心は氷のように清いもの、男に黄金(こがね)を贈られたとて、応じることはございませぬ。その時に笑いつつ語らえば、半生孤灯を守ったことを誰が信じることでしょう。秋胡どの、去り状を持ってきてくださいまし。去り状を持ってきてくださいまし。

(秋胡)梅英よ、それは間違いだ。わたしは五花の官誥と駟馬の高車を持ってきた。おまえは夫人県君なのだ。離婚するには忍びないのだ。

(正旦が唱う)

【雁児落】

誰か五花官誥に(さは)るべき

誰か金冠を望むべき

(言う)あったとしても、

(唱う)

しつかりと箱に収めて

いかでかは着ん

【得勝令】

ああ

またも恐れり 風が動けば園に香りの満ちわたらんを[93]

(李大戸が羅、搽旦、雑当とともに登場、李)あいつはわしの結納品を受けとったのに、このわしを罵った。諦めるわけにはゆかぬ。大勢の狼のような僕[94]を引き連れ、嫁を奪いにゆくとしようぞ。

(羅、搽旦)今日は吉日、ご一緒にあいつを奪いにゆきましょう。(会い、言う)うちの娘の梅英がいる。

(正旦が唱う)

来りしは雪の()の霜[95]

わたくしは釣鰲の客をすでに認めず[96]

ああ

百姓[97]めこれ以上恋慕するのはやめよかし

(秋胡が怒鳴って言う)こ奴め、このわしの家に来て何をするのだ。

(李が驚いて言う)ああ、秋胡は官員さまとなり、兵士ではなくなったのだ。わたしはあなたが故郷に錦を飾られたことを聞き、お祝いをしにまいったのです。

(羅、搽旦)ええっ。それならば、秋胡が死んだと仰られたが…

(李)死んではおらず、わたくしが亡くなったことにしたのです。

(秋胡)こ奴は嘘の話しをし、他人の妻を奪おうとしていたのだな。部下よ、捕らえて、鉅野県に送り、この者を重罪に問え。

(従者が縛る)

(李)わたくしが考えたのではございませぬ。あなたの義理の父上さまと母上さまが、わたしから四十石の糧食を借り、奥さまをわたくしに売られたのです。

(秋胡)それならば、いよいよ憎むべきことだ。大金を貸し、娘を売るよう逼ったことは明らかだ。部下よ、県知事さまに報告し、四十回板で打ち、三か月枷に掛け、罰穀一千石を課し、飢えている民を救わせよ。やすやすと許すでないぞ。

(従者)承知いたしました。

(李)一心に洞房の春をみだりに望めども、はからざりき金榜の擂槌の本物が現れんとは[98]

(羅、搽旦)われらもここにいるには忍びぬ。李大戸を県庁に送るふりをし、こっそりと逃げるとしよう。

(詩)

とりあへず亀の真似をし

ひたすらに頭を縮め、人を見ず

(ともに退場)

(卜児)嫁や、わたしの息子を夫と認めないのなら、わたしは自殺するとしよう。

(正旦が唱う)

わたしはびつくりして慌て

小鹿は胸にぶつかれり[99]

相談をするといたさん[100]

(言う)お母さま。秋胡さまを夫と認めることにしましょう。

(卜児)嫁や、おまえが秋胡を認めれば、わたしも自殺しようとはせぬ。

(正旦)おやめください。

(唱う)

姑は意気地なし

(言う)嫁や、秋胡を夫と認めたのなら、着替えをし、髪梳きをして、秋胡と二人で拝礼するのだ。

(正旦が退場、着替えして登場。秋胡とともに先に卜児を拝し、次に向き合って拝礼をする)

(正旦が唱う)

【鴛鴦煞】

お世話する人もなき老いたる親が在さざらましかば

夫婦の情は絶えにけん

これより後は荊釵[101]を取りて

装ひを変へ

百歳(ももとせ)の栄華をば

二人してともに享くべし

わたくしは強情な振りをして

凶悪を装ひしわけにはあらず

これもまた妻綱(さいこう)を正さんとすればなり[102]

秦氏の羅敷とは異なりて[103]

しばし夫の(そらごと)を責めしのみ[104]

(秋胡)天下の喜事(よごと)で、母子の団円、夫婦の和合に勝るものはない。羊を殺し、酒を造り、祝いの宴を設けよう。

(詞)想へばそのかみ、結婚をせしばかりにて、徴兵官によりてたちまち引き離されたり。妻、母を棄てたることこそ悲しけれ。はや十年(ととせ)、物は換はりて星は移れり。さいはひに時は来たりて、功業を成し、錦衣を着、戎衣を脱ぎたり。君恩を受け、金餅を賜はれば、母御前のため甘肥[105]をば献ぜんとせり。桑畑に行き、糟糠に相遇へば、むりやりに歓楽を得んとして、偽りの痴態をなしたり。貞烈を守り、端然として改むることなかりしは、まことに青史に記すに堪へたり。今に至るも、鉅野を過ぐるに、古老に尋ねば、魯秋胡のその妻をからかひしことを説くべし。

 

最終更新日:20101126

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[1]婚姻関係のある家。ここでは梅英の実家

[2]原文「人家七子保団円」。典故があるように思われるが未詳。「子」はもちろん男子のこと。よそさまには七人も男子がいるが、うちには一人娘がいるだけだ。

[3]結婚して第三日目をいう。『夢粱録』嫁娶「三日、女家送冠花、彩緞、雞蛋…並以茶餅鵝羊果物等合送去壻家、謂之送三朝禮也」

[4]子供同士が婚姻関係にある場合、子供の親が相手方の親をいうときに用いる呼称。

[5]結婚後、婿が娘の家に行って挨拶すること。

[6]原文「当年分」。とりあえず、こう訳す。

[7]原文「也則為俺夫人家、一世兒都是裙帶頭這個衣食分」。未詳。とりあえず、女は男の一生を左右するという趣旨に解しておく。「裙帯頭官」は妻の力によって官を得た者をいう。『朝野類要』「親王南班之壻、號曰西官、即所謂郡馬也、俗謂裙帶頭官」

[8]粗食の苦をいう。「齏」は野菜のみそ漬け。

[9]庶民をいう。『漢書』王莽伝上・顔師古注「白屋、謂庶人以白茅覆屋者也」

[10]漢代、宰相の官署の門が黄色く塗られていたことから、宰相のこと。

[11]官員の妻に与えられた封号

[12]女子に与えられる封号の一つ。元の時代は、五品官の妻や母に与えられた。

[13]元代、二三世帯から一人の兵士を出したが、その二三世帯を正軍戸といった。『元史』兵志一「既平中原、發民為卒、是為漢軍。或以貧富為甲乙、戸出一人、曰戸軍、合二、三而出一人、則為正軍戸、餘為貼軍戸」

[14]原文「休也着人道女孩兒家恁般意親」。「休也」で停頓があるのであろう。

[15]黄ばんだ漬物

[16] 翰林学士のこと

[17] 「桑棍」という言葉については未詳。桑の木で作った棍棒か。

[18]結婚をいう

[19] 夫婦をいう

[20]玉のような腕

[21]白粉の痕

[22]陰陽家の用語。十二支と五行の組み合わせがよいこと。吉日。

[23] 原文「不甫能就三合天地婚」。「天地婚」を呉振清は「天地認可的婚姻」とするが、その根拠は未詳。「天地」は夫婦の暗喩ではないのか。

[24] 原文「避孤虚日月輪」。とりあえず、こう訳す。「孤虚」は空亡とも。厄日の一種。「日月輪」は男女を暗喩するか。

[25]太歳のこと。凶神の一つ。

[26]先祖の画像をいう。

[27]孤独な鸞鳳。みずからの境涯を喩える。

[28] 「山人」は占いをする人をいう。

[29]「龍荒朔漠」とも。塞外の荒れ地をいう。龍は匈奴が天を祭る場所を龍城ということにちなむ。

[30]「夢魂」は睡眠中に体を離脱する魂。この句、秋胡の夢魂が自分のもとにやってきてくれれば、という趣旨。

 

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秋胡戯妻

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[31]耕作。

[32]具体的にどのようなものなのかは未詳。婚礼のときに与える礼物。『東京夢華録』娶婦「迎客先回至兒家門、從人及兒家人乞覓利市錢物花紅等、謂之攔門」

[33]羊と酒。婚姻の時の贈り物。

[34]親家母は子供同士が婚姻関係にある者が、相手方の女親を称して用いる呼称。ここでは、秋胡の母の劉氏をさす。

[35]衣服の表地と裏地。布地のこと。

[36]原文「金榜掛擂槌」。「金榜」は科挙合格者名の掲示板をいう。「擂槌」は槌のこと。「掛擂槌」が未詳。「名を記される」ということか。「金榜掛擂槌」すなわち「金榜題名」ということで解釈しておく。かりに、「金榜題名」という意味だとすると、科挙に合格してもいない李大戸がこのような言葉を使っているところにおかしみがあることになる。この言葉、『秋胡戯妻』にはここも含めて四回出てくる。発話者はすべて李大戸で、彼の一種の口癖といってよい。

[37]結婚を承諾したしるしに飲む酒であろう。

[38]原文「枉教人道村里夫妻」。「村里」が未詳。おそらく、「かりそめの」とか「短い」といった方向だと思われるが分からない。

[39]原文「你可怕不説的是也」。

[40]原文「赤緊的當村里都是些打當的牙槌」。『元典章』刑部十九・禁毒薬「凡有村野説謊聚眾、打當行醫、不通經書、不著科目之人盡行斷禁」

[41]原文「常言道媳婦是壁上泥皮」。趣旨未詳。家における嫁の地位の低さをいった諺か。

[42]原文「敦葫蘆摔馬杓」。「敦」は「擲」「摔」に同じ。現代語でも用いる。「敦葫蘆摔馬杓」は当時の成語であろう。上海辞書出版社『中国俗語大辞典』はこれを「借摔東西發泄心中的怒氣」の意に解するが、「自暴自棄になる」ぐらいの意味ではないか。

[43]原文「誰有那閑錢來補笊籬」。「補笊籬」は不要不急の仕事の喩え。

[44]未詳。この折に既出。

[45]未詳。原文「我如今嫁的雞一處飛」。鶏がどこへも飛んでいかないように、再嫁しないことをいっているか。「夫妻本是同林鳥、巴到天明各自飛」の逆か。鶏が飛ぶというのはおかしいが、「飛」は韻字なので使われている。

[46]原文「貧與富是您孩兒裙帶頭衣食」。未詳。とりあえず、こう訳す。「裙帶頭」については第一折の注を参照。

[47]原文「是我舊忍過的飢」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[48]原文「休想道半點兒差遲」。「差遲」が何をさしているのか未詳。他人に嫁ぐことをさすか。

[49]原文「只恁般好做那筵席」。とりあえず、こう訳す。

[50]原文「莊家做盡莊家勢」。身のほどもわきまえず、みずからを鸞鳳や鴛鴦になぞらえて、求婚する李大戸の野暮ったさをいったものか。

[51]洞房花燭は結婚式のこと。拖刀計は刀を引きずって敗走すると見せかけ、反撃する計略。ここでは、普通の贈り物と見せかけて結納品を届け、結婚式を強行しようとする李大戸のやり口をいっている。

[52] 「牛表」「牛筋」ともに、熊八の意。元曲にはよく出てくる。

[53]原文「郷頭」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[54] 「水罐」という言葉を知らぬ。呉振清は「名貴的盛水罐子」とするが未詳。

[55] 「銀盆」という言葉を知らぬ。呉振清は「銀制的唾盂」とするが未詳。呉振清が正しいとすると、銀の痰壺。   

[56]原文「斗來大黄金肘後隨」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[57]元戎は戦車。帥字旗は「帥」の字を書いた軍旗。「元戎帥字旗」は戦車につけた軍旗のことか。とりあえず、こう解す。

[58]原文「那一日頭知他是近的誰」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[59]原文「只為洞房花燭惹心焦、險被金榜擂槌打斷腰」。「燭」から「焦」を、「擂槌」から「打斷」をイメージした句。「金榜擂槌」は、この折に既出。未詳。

 

 

[60] ぼんやりとしたさま。

[61]原文「我慌還一箇莊家萬福」。「萬福」は婦人の挨拶。「莊家萬福」が分からぬが、田舎臭い万福のことをいうか。

[62]原文「陪言語」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[63]瓊漿は、胡孚琛主編『中華道教大辞典』によれば鉛霜のことというが、要は仙界の飲み物で、ここでは秋胡が相手を仙女になぞらえている。原文「瓊漿児」。児化しているのは、ややくだけた感じがあるか。「瓊漿」という硬い言葉を児化させているところが面白い。

[64]原文「你也曾聽杜宇」。「杜宇」はホトトギス。「不如歸去」−「帰るにしかず」と鳴く。両句の意味は、夫婦となろうとして、「帰れ」と言われたことがおありでしょうということ。

[65]原文「你須是養蚕的女人、怎生比那杜宇」。未詳。とりあえず、こう訳す。あなたは養蚕をする人で、わたしに嫁げば今よりよい暮らしができるのに、どうしてわたしに帰れなどというのですという趣旨か。

[66]原文「則俺那蠶老了、到那里怎生發付」。「老了」がよくわからない。だめになるという意味か。「到那里怎生發付」もよくわからない。大変なことになるという趣旨か。

[67]高々とした冠。

[68]原文「男子見其金易其過」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[69]原文「書中有女顏如玉」。伝宋真宗『勧学歌』の一句。

[70] なぜこの詩をこの場面で持ち出してきたのかは未詳。女を相手にするよりも、勉強しなさい、という趣旨か。

[71]原文「倒吃了他一箇醬瓜兒」。「醤瓜」は瓜の味噌漬。大変塩辛い。「吃醤瓜」は「罵られる」の意。

[72]原文「卻不道黄金散盡為收書」。金を出して女を買っているが金がなくなったときには、手元に領収書が残るだけという趣旨か。未詳。なお、「為」は仄声に読むようであるが、意味は「なる」であろう。

[73] 「沐猴」は猿。冠冕はかんむり。冠をつけた猿。出典は『史記』項羽本紀。

[74]原文「牛馬襟裾」。典故は未詳。恐らく典故はなく、前の「沐猴冠冕」との対にするため作られた句であろう。服を着た牛馬。

[75]蚕の繭から作った紙。王羲之が『蘭亭序』を書くとき、これを用いたという話が、『世説新語』に見える。

[76]男女の婚姻を記した文書。

[77]原文「蠶繭紙難寫姻縁簿」。言いたいことは「難寫姻縁簿」ということで、相手と結婚したくないことをいっているのであろう。

[78]漚麻は麻を水につけ、腐らせて、繊維をとること。

[79]石製のローラー。

[80]刑具の一種。元雑劇中にしばしば出てくる。人を磔にし、切り刻む為の台のようなものと思われる。『竇娥冤』第四折「押赴市曹、釘上木驢、剮一百二十刀處死」。

[81]剮は生きながら肉を削ぎ落としていく刑。

[82]原文「腆着臉」。顔をぼけっとさせるということのように思われるが、「腆」は普通は突き出すという意味。

 

 

 

[83]原文「一片林荘」。とりあえず、こう解す。

[84]孔子の高弟。ここでは秋胡を暗喩しているが、なぜ、秋胡を曾参になぞらえるのかは未詳。

[85]黒い靴、象牙の笏。       

[86]原文「你做賊也呵、我可拿住了贓」。悪いことをしても証拠はつかんでいるという趣旨か。

[87]水晶は透き通っていてきれいだが、中は硬い。水晶塔は、聡明そうでも、頭が硬く、愚かな人をいう。ここでは秋胡をさす。

[88]黄金をさす。

[89] 『詩』召南・野有死麇の句。『野有死麇』は、伝統的には、無礼を憎む詩と解釈されている。『詩』小序「野有死麇、惡無禮也。天下大亂、彊暴相陵、遂成淫風、被文王之化。遂當亂世、猶惡無禮也」。

[90]原文「可不道要我桑中、送咱淇上」。『詩』鄘風・桑中「期我乎桑中、要我乎上宮、送我乎淇上」。男女密会の詩。梅英が、自分に挑んだ秋胡を当てこすっている。

[91]原文「我將那好花輸與你箇富家郎」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[92]原文「女慕貞潔、男效良才」。ここでは「女慕貞潔」に重点があるか。

[93] 第三折、秋胡が梅英を挑発したときに詠んだ詩の文句を使って、秋胡を当てこすっている。

[94]原文「狼僕」。とりあえず、こう訳す。

[95]原文「走將來雪上更加霜」。「雪上加霜」は「泣き面に蜂」に相当する慣用句。ここでは「雪」は秋胡、「霜」は李大戸や両親をさしていよう。

[96]李白は「釣鰲客」と自称していたという。『佩文韻府』引『摭遺』「李白開元中謁宰相、封一版、上題曰、海上釣鰲客李白」。「釣鰲」は大鼈を釣ること。「釣鰲客」はここでは秋胡をさす。わたしは秋胡さえ夫と認めていない。

[97]原文「使牛郎」。牛を使って耕作をする人をいう。

[98]原文「一心妄想洞房春、誰料金榜擂槌有正身」。「金榜擂槌」が未詳。第二折に三例出てくる。科挙に合格するという意味に解しておいたが、ここでは科挙合格者の意味で使っていると解しておく。

[99]原文「則這小鹿兒在心頭撞」。「小鹿兒亂撞」は現在でも用いる、胸がどきどきするという意味の常套句。

[100]原文「有的來商量」。とりあえず、こう訳す。

[101]荊のかんざし。粗末な服装をいう。

[102]原文「也則要整頓我妻綱」。「妻綱」が未詳。とりあえず、「夫」の意味に解しておく。『礼緯含文嘉』「夫為婦之綱」。

[103]原文「不比那秦氏羅敷」。「秦氏羅敷」は楽府詩『陌上桑』又名『秦羅敷艶歌行』に出てくる女性。桑を摘んでいたところ、通りかかった使君に恋慕されるが、夫の優れていることを告げ、はねつける。妻とは気付かない夫に求愛された羅梅英とは事情が異なることをいっているか。

[104]原文「單説得他一會兒夫婿的謊」。とりあえず、こう訳す。秋胡が桑畑で、妻とは気付かず、羅梅英にちょっかいを出したことに関して、しらをきっているのを責めたことをいっているか。

[105]美味をいう。

 

 

 

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