第一折

(冲末が裴尚書に扮し、夫人に扮した老旦を引き連れて登場、詩)

満腹の詩書に七歩の才

綺羅の袖にて香はしき埃を拂へり

今生に栄華を享くるも

読書をせずばいづこより来たるべき

工部尚書の裴行倹じゃ。夫人は柳氏、息子は少俊。今は唐高宗さまの儀鳳二年、昨年陛下は西の御園に御幸され、花や木が生い茂り、遊覧するに堪えないさまをご覧になり、洛陽にゆき、あらゆる豪族たちの家にて、珍しい花卉を選んで、苗を買い、頃合いを見て植えるようにと命じられた。このわしは老齢だから、上奏し、息子少俊に命を受け、駅に馳せ、代わりに先に行かしめた。正月より、六日の期限を与えられた。このわしはまことに幸福。少俊は三歳で言葉を喋り、五歳で字を憶え、七歳で雲のような草書を記し、十歳でよどみなく詩を吟じた。才貌はいずれもすぐれ、都の人はつねに少俊と呼びなしている。年はおりしも弱冠だが、妻を娶らず、酒色には親しまず、このたびは、公務のために派遣されたが、万に一つの過ちもあるはずはない。張千に息子の世話をさせるとしよう。旅路では勝手なことをさせないように。わしにかわって、花の苗を買ってきてくれ。(退場)

(外が李総管[1]に扮して登場)わしは姓は李、名は世傑、李広の末裔、今は陛下の一族と相成れり。家族は三人、夫人張氏に、千金という娘あり。年まさに十八歳、刺繍に巧みで、文墨にふかく通ぜり。志操は人に勝るものあり、容顔は世にぞ優るる。このわしは京兆留守[2]に任ぜられしが、則天を諌めしために、洛陽の総管に降格せられぬ。その昔、裴尚書どのと(えにし)を結ぶことを議せども、勤むる場所も異なれば、この件は沙汰止みと相成りぬ。今、左司[3]の家にてわしを召されたり。今日はすぐ行き、妻と娘を家に残して、閨門をかたく守らしむべし。戻りし後に、ほかに縁談をととのへんとも、遅くはあるまじ。(退場)

(正末が裴舎人に扮し、張千を連れて登場)工部尚書舎人の裴少俊だ。三歳で言葉を話し、五歳にて字を憶え、七歳にて雲にも似たる草書を記し、十歳にしてよどみなく詩を吟じ、才貌はともに優れて、都の人に少俊と呼ばれたり。年まさに弱冠なれど、妻は娶らず。ただ詩書にのみ親しみて、女色に通ぜず。命を受け、駅に馳せたり。洛陽に来て、ありとあらゆる豪族の家、名園で、珍しき花をば選び、花の苗を買ひ、車に積んで、明日出発せん。本日は三月八日、上巳の節供、洛陽の王孫士女は、みな花見せり。張千よ、ともに花見をしにゆかん。(退場)

(正旦が李千金に扮し、梅香を連れて登場)わらわは李千金。本日は三月上巳、良辰佳節、麗しき春景色なり。

(梅香)お嬢さま、この春の日は、まことによろしき景色にございます。

(正旦)梅香や、屏風の上の佳人才子と、士女王孫は、ほんとうに麗しゅうございます。

(梅香)お嬢さま、佳人才子がなにゆえに屏風の上に描かれているのでしょうか。素晴らしいものでございますね。

(正旦)

【仙呂点絳唇】

往にし日の夫婦

ながき(えにし)にくすしき契り

才藝が多ければ

丹青を借り、屏風に描き

蓬莱の意[4]を描きいだせり。

(梅香)お嬢さまが、この屏風をご覧になって、考えてらっしゃることが、わかりましたよ。婿がいないということを考えてらっしゃるでしょう。

(正旦が唱う)

【混江龍】

美しき婿を招くを得ば

遠山の眉を描くを学ばしめず[5]

銀缸がたかく照り

錦帳はひくく垂れ

蓮の花 深きところに鴛鴦は並んで宿り

(あをぎり)の枝 暗きところに鳳凰は並んで棲めり

千金の良夜

一刻は千金なるに

枕を置きてひとり夜の長きを数へり

錦の(しとね)をむりやりに鴛鴦被[6]とぞ呼びなせる

(梅香)老旦那さまが帰って来られたら、縁談を探されるのが、宜しくはございませぬか。

(正旦が唱う)

男はよその土地を旅して

女は深き(ねや)にて怨めり

(梅香)お嬢さま、この数日でますますお痩せになられましたね。

(正旦が唱う)

【油葫蘆】

なにゆゑぞ春風に痩する玉一囲[7]

(いたつき)になりしわけにもあらざるに

新年を迎へ 旧き衣は緩みたり

(梅香)奥さまは、お嬢さまがご不快の時は、刺繍をするのを控えられれば、湯薬を飲むよりよいとおっしゃっておりました。

(正旦が唱う)

痛みなき病を癒すことぞ(むずか)

よきお茶とご飯を(くら)ふも美味ならず

舟中に載せられし倩女の(たま)[8]のごときなり

天辺の織女のごとくに逢瀬を待ちて

疲れはて、来る日も来る日も、春の眠りを貪れり

時を見て、針と糸とをむりに收めり

【天下楽】

東を語りて西を忘れり

(梅香)昨日はいくつかの縁談がまいりましたに、お話をされなかったのは何ゆえでしょうか。

(正旦が唱う)

母上さまもご覧になってらっしゃったし

貧乏人の娘でも十六か七にもなれば

縁談を持ち込まれたり

媒酌をされたりするもの

羞ずかしく 何も話せませんでした

(梅香)今日は上巳、良家の子女は、馬車に乗り、郊外へ花見に出かけてゆきました。わたくしたちは裏の花園を見にゆきましょう。

(正旦)梅香や、紙、墨、筆に硯をもって、ゆくとしよう。(行く)

(正旦が唱う)

【那令】

草の茂れる池辺にて 春を送らんと思ひしが

荼蘼棚の下へきたりて 気をぞ晴らせる

蓬莱の洞に身を寄せ

金蓮に紅き刺繍の靴をしぞ履く

湘裙[9]は揺れ 環珮(おびだま)は鳴り

曲がりたる(おばしま)の西をめぐれり

【鵲踏枝】

花の季節を空しく過ごし

芳菲を惜しむわけにはゆかず

粉黛は憔悴し

緑は暗く紅は稀なり

九十日の春の光は(すきま)(よぎ)るがごときなり

春の逝くのを怕れども、春ははやくも去りゆけり

【寄生草】

柳は暗く 青き霧 密にして

花は散り (くれなゐ)の雨は飛びたり

人と柳はまことに似たり

花は吹かれて 人の心は碎けたり

柳眉は動かず 蛾眉は鎖せり

なにゆゑぞ西園はたちまちにかくも荒れたる

東君は人が憔悴しやうとも構ふことなし

【幺篇】

楡銭は散りて

梅の実は肥ゆ

軽やかな風は蝴蝶の群れを追ひ

霏霏たる雨は収まりて蜻蛉(とんぼ)は戯る

融融と(すな)暖かく鴛鴦(をし)は睡りて

落ちたる紅は馬蹄に踏まれ塵となり

残んの花は蜂蜜を醸し出だせり

(裴舍人が馬に乗り、張千を連れて登場)洛陽に麗しい花があるとは本当だな。城中にたくさんの名園がある。(花を指さす)この花園を見るがいい。(旦を見て驚く)この花園を…。ああ。美しい娘がいるぞ。

(正旦が末を見る)ああ。美しい秀才がいる。(唱う)

【金盞児】

美しき橋の西

たちまちに玉驄の嘶くを聴く

「杏花一色紅千里」[10]とはよくぞいひたる

花は美しき顔を隠せり

黒き靴にて美しき鐙を動かし

玉の帯をば腰に結べり

高価な馬に跨りて

はやりの服を身に着けり

(正末)霧の鬢、雲の(まげ)、氷の肌、(ぎょく)の骨。花は美しき顔に開き、星は双つの眸にめぐれり。洞府の神仙にやあらん。人の世の美女にはあらじ。

(梅香)お嬢さま、お聴きください。

(正旦が唱う)

【後庭花】

星の眸をめぐらして、窺ふはいふまでもなく

香はしき頬に倚りそひ お側に近寄りたくてたまらず

錦の衾に紅き浪立ち

(うすぎぬ)(もすそ)は地にぞ敷かるべき

(梅香)ご覧になってはいけません。人が見ていたら…。

(正旦が唱う)

密会せんといふならば

すでに覚悟を固めたり

人を愛さば我が身も棄つべし

(梅香)お嬢さま、振り返られたので、向こうも振り返りましたよ。

(張千が登場)若さま、厄介事を起こしてはなりませぬ、城外にまいりましょう。(催す。)

(裴舍)四つの眸で見つめ合ひ、たがひに愛する心あり、これよりは、恋の病になりぬべし。

(張千が馬に鞭をくわえる)若さま、まいりましょう。

(裴舍)かように麗しき人なら、字を知っているだろうから、手紙を書いて気を引こう。張千よ、紙、筆を持ってきてくれ。分かるかどうか試してみよう。(書く)張千よ、これを娘に送るのだ。

(張千)若さまは行けとおっしゃいますが、人に逢ったら、ひどく打たれることでしょう。

(裴舍)教えてやろう。人が問うたら、花の苗を買うのだといえば、問題あるまい。娘に会ったら、若さまの手紙だというがよい。

(張千)若さま、それではまいりましょう。

(裴舎)娘が喜んだら、手招きし、呼んでくれ。すぐ行くから。罵られたら、手を振ってくれ。すぐ逃げるから。

(張千)かしこまりました。(会う)娘さん、この裏の花園に花の苗を売る方はおりますか。

(梅香)この庭の花の苗など誰も買おうといたしませぬ。

(張千)若さまは買われます。(手招きする)

(裴舎が眺める)ありがたや、事は叶った。

(梅香が叫ぶ)お嬢さま、二人の男が紙を持ってまいりました。何が書かれてあるのやら分かりませぬ、ご覧ください。

(正旦が詩を読む)「この身は武陵に遊びたるかと疑へり、流水桃花の岸を隔てて羞ぢらへり。劉郎は間近にあるも腸は断たれり、笑みを含みて塀のたもとに倚るは誰そ」。梅香や、紙、筆をもってきておくれ。(書く)梅香や、頼むから、意地悪をせず、若さまに送っておくれ。

(梅香)お嬢さま、この詩をどなたに送られるのです。詩はどのような意味なのですか。秀才に会い、何をお話しなさるのです。人に見られるかもしれませぬ。

(正旦)いい娘だから行っておくれ。

(梅香)いつもは打ったり罵ったりされているのに、今日はなぜ頼まれるのです。どなたに手紙を送られるのです。

(正旦が唱う)

【幺篇】

恋文を誰に送ると尋ぬるが

新しき詩をとりあへず仲立ちとなし

麗かなる日に塀で望まば

かの人は春風を馬上の袖に孕ませて帰らんとせず

怕るるは他人(あだびと)に知られんことぞ

天地に叫ぶ

ああ

梅香は本当に気が利かず

(梅香)これを奥さまに送りましょう。

(正旦)梅香や、頼むから、母さまに話されたら、大変だよ。

(梅香)慌てていらっしゃるのでしょう。

(正旦)慌てているのがわかるのかえ。

(梅香)怕れていらっしゃるのでしょう。

(正旦)怕れているのがわかるのかえ。

(梅香)冗談をもうしただけです。

(正旦)ほんとうにびっくりしたよ。

(梅香が裴舍に手紙を送る)お嬢さまよりお返事です、この詩をご覧下さいまし。

(裴舍が詩を見る)「深閨に閉ぢこめられて、しばしのそぞろ歩きをし、手に青梅をもぎとりて、入り口を半ば掩ひて羞ぢらへり。今宵は裏の花園に逢ふ約束にな負きたまひそ、月が移りて柳の梢に上る頃。千金作」か。あの人は国をも傾ける姿、世に抜きんでる才があるから、嚢篋の宝[11]といえよう。

(梅香)お嬢さま、今夜は裏の花園で会われるのですね。約束を違えてはなりませぬ。

(裴舎)張千よ、どこから行けばよいのかな。

(張千)塀を飛び越えてゆかれませ。

(梅香が旦を振り返る)お嬢さま、塀を跳び越えてくるそうですよ。

(小旦が唱う)

【賺煞】

白壁は低けれど

この辺りには花が茂れり

旅にある劉郎さまにお知らせいたさん

水に流るる胡麻の香りの飯はなけれど[12]

天台山より近ければ

ぐづぐづしたまふことなかれ
星が出でなば

蒼苔(あをごけ)にしるしをつくる波を凌げる(したうづ)[13]を湿らすることなかれ

湖山[14]に凭れ

角門に閂はせず

裏の花園をしばし武陵の(たに)[15]とせん

(退場)

(裴舍)ありがたや。嬉しや。素晴らしや。日も暮れたから、会いに行こう。

(詩)

ゆくりなく二人は出会ひ

春心を掻き立てられて狂はんばかり

今宵はやくも逢ひに赴き

塀のたもとと馬の()(えにし)を成就せんとせり

(退場)

第二折

(夫人が老旦の乳母とともに登場)わらわは李相公の夫人じゃ。相公は左司さまの家に呼ばれていったまま、戻ってこられぬ。本日は東の楼におばさまを訪ねてきたが、体の調子が少し良くない。日も暮れたから、梅香よ、奥の間の娘には、出てこぬように言うのだよ。乳母よ、片付けをしておくれ、休むから。(退場)

(裴舎が登場)宿駅に戻って泊まるも、心の中はくさくさとして、花の苗など買いにゆくつもりはない。日も暮れたから、今から娘に会いにゆこう。(退場)

(正旦、梅香が登場)今日、裏の花園で花を見ていたところ、塀に若者が現れた。四つの眸で見つめ合い、それぞれが思いを抱き、手紙で今宵会うことを約束した。奥の間に戻ったが、梅香や、母上はお休みになられただろうか。

(梅香)見てまいりましょう。(退場)

(正旦が眠っている。梅香が推す)お嬢さま、お嬢さま。

(正旦が目を覚ます)夢を見ていたところだよ。

(梅香)何を夢見ていられたのです。

(正旦が唱う)

【南呂一枝花】

睡魔にひどくまとはりつかれ

別れの恨みを(こら)へ忍べり

魂は夢とともに去り

いづれのときにか嬉しきことが訪れん

才多き人を一目見て

口に念じて

心に愛せり

かならずや姻縁簿にぞ記されたるべき

眉を描きし張敞[16]のごとく美しく

果物を投げられし潘郎のごとく麗し[17]

(退場)

(梅香)今晩はいずれにしてもやってきましょう、心で思っていられれば眼の前に現れることでしょう。

(正旦が唱う)

【梁州第七】

はやくもつまらぬ怨みを抱けり

運は拙く

恋煩ひさへ加はりて

災にしばしば出遭へり[18]

(言う)わたしはもちろん(唱う)

天が知りなば天さへも恋の病となりぬべし

(言う)梅香や、今、いつ頃だえ。

(梅香)申の刻にございます。

(正旦が唱う)

いづれの時にか月が海辺の山を離るる

申の刻を過ぎたばかりとは

(梅香)お嬢さま、日が暮れて、星と月とが出てまいりました。

(正旦が唱う)

露は宿れる鳥たちを驚かすべし

風は庭なる槐をぞ弄ぶべき

銀河の斜めに掛かりたる(たま)(きざはし)

細やかな塵さへたたず

月よ 初めは弓のごとく細きに

半月となり

明るくなれば鏡のごとく三千世界を照らしたり

冷たきことは氷のごとく十二の(たま)(うてな)(ひた)せり

禁炉[19]にはめでたき靄が漂ひて

まどかなる明月をふかぶかと拜したり

汝は自由で

我も妨げらるることなし

ふかぶかと嫦娥を拜し 妬むなかれと願ひたり

しばしのあひだ、霧、雲に隠れられよかし

(梅香)これは大変なことにございます。

(正旦が唱う)

【牧羊関】

月待てば簾はかすかに揺れ動き

風を受け、戸は半ば開きたり

この風月[20]の企てを見よ

(梅香)どのような計画でしょうか。

(正旦)おまえが迎えにいってくれ。

(梅香)来ないかも知れないために、迎えにいけとおっしゃるのでしょう。

(正旦が唱う)

風は花の香りを運び

雲は月の姿を隠せり

(梅香)お嬢さま、何ゆえに迎えにゆけとおっしゃるのですか。

(正旦が唱う)

少俊さまを迎へにゆかせるそのわけは

趙杲の曾哀を送るを怕れたればなり[21]

(梅香)糸の如くにまっすぐな路なのですから、迷うはずなどございませぬ。

(正旦が唱う)

糸の如くにまつすぐな路といふても

屋敷は深く 海にぞ似たる

(梅香)お二人は、ご自分でお話をなされませ。

(正旦が唱う)

【罵玉郎】

花の(たに)にて相逢ふも

短き路地に長き通りをよぎらねばなりませぬ

(梅香)あちらに行ったらすぐさまお呼びいたしましょう。

(正旦が唱う)

秦楼[22](よる)(うたげ)の金釵の客[23]にあらざれど

危険を冒し

臆病な性格を

とりあへず抑へておくれ

【感皇恩】

広くて深き邸宅に

人気(ひとけ)なき(きざはし)あり

琴を弾く部屋、酒を売る部屋、書を読む部屋の比ではなし[24]

(梅香)ぐずぐずしても、はやくてもだめ、どうしたら宜しいのでしょう。

(正旦が唱う)

そつと翠の竹をかき分け

ゆつくりと蒼き苔を歩めり

庭の鴉を騒がせて

隣の犬を吠えしむることなかれ

園丁が来るやも知れぬ

(梅香)お嬢さま、今、いつ頃でございましょう。

(正旦が唱う)

【采茶歌】

白壁に近寄りて

角門を開け

夫人が香を焚き終ふるを待つ

月の姿は朦朧として空は暮れ

太鼓の音がし 角笛の声ぞ哀しき

(梅香)申し上げます。奥さまはお休みで、絶対に来られることはございませぬ。今晩は、乳母もおもてで倉庫の番をしておりますから、日が暮れてから、灯を点し、若さまを迎えにゆくといたしましょう。

(裴舍が張千を連れて登場)張千よ、小さなことにびくびくするな。塀のおもてで待っていろ。(塀を越えて会う)梅香、来たぞ。

(梅香)話をいたしてまいりましょう。お嬢さま、若さまがこられましたよ。お話しをなさいませ。入り口でわたしが番をいたしましょう。

(裴舍)貧乏な書生ではございますが、気に入っていただければ、死んでも報いきれぬほどです。

(正旦)契りに負かれませぬよう。(唱う)

【隔尾】

翠靨(すいよう)[25]を貼り、宮額[26]を隠し

羅の裙をたくしあげ、(ぬひとり)をせし(くつ)を現し

いそがしく鴛鴦の布団を引きよす

翡翠の(かぶり)はとるに懶く

絵屏風にぴつたりと寄り

甘えつつ

香羅の帯[27]をほどきたり

(乳母が登場)今しがた、お嬢さまのお部屋で話す声が聞こえた。窓の下にて聴くとしよう。ああ。男がいる、見るとしよう。

(梅香)お嬢さま、灯を吹いて消されませ。乳母が来ました。

(乳母)吹き消されたとて、今まで聴いておりましたから、どこにも逃げられませぬぞえ。

(裴舍と旦が跪く、正旦)契りを遂げてしまいました。両親に合わせる顔がありませぬ。憐れと思うてくださるのなら、わたくしたちをこっそり逃がして下さいまし。そうすれば死ぬまでご恩は忘れませぬ。

(乳母)未婚の娘が、男に体を汚されて、いっしょに駆け落ちなさるとは。その男は何者なのです。

(裴舍)旅の書生にございますれば、どうかお恕しくださいまし。

(乳母)この家は女郎買いをする所ではございませぬ。

(正旦が唱う)

【紅芍薬】

命を受け 駅に馳せ 公務を奉じ

花の苗をぞ買ひに来たるなる

瀛州、方丈、蓬莱[28]に迎へられしにあらずして

はるか彼方の天台に登りたるにもあらずして

画眉郎[29]よりも気概は多く

青驄[30]を走らせて 章台[31]をあまねく巡れり

(乳母)梅香が呼び寄せたのだね。

(正旦が唱う)

仲を取り持つ小女郎(こめろう)と罵りて

面とむかひて食つて掛かれり

(乳母)この娘でないならば誰なのですか。

(正旦が唱う)

【菩薩梁州】

塀のたもとに果物を抛ちし裙釵(をみな)があれば

馬の上にて鞭を揮いし狂ほしき客ぞある

聡明な乳母どのにお話しせん

春の思ひを伝へしは眼と眉による

(乳母)何とまあ。羞ずかしくないのでしょうか。眼と眉で合図するとは、本物の盗人と同じことです。お役所に取り調べをしていただきましょう。

(正旦が唱う)

この女はまことに偏屈

命を棄てて鴛鴦の借りを返さん[32]

計画がしつかりとしてゐれば事が敗るることはなからん

今日はまず怒りを鎮め 心をば改めよかし

盗人として捕わるるわけにはいかず

(乳母)貧乏な書生のどこがよろしいのです。

(正旦が唱う)

【牧羊関】

龍虎でさへも儒士を招きて

神仙さへも秀才を招くもの

凡俗の身はなほさらのこと

劉向は西岳[33]の神祠に題し[34]

張生は東洋の大海を煮る[35]

瑶池に七晩宴せんとし

銀河の水は二つに分かれり

烏鵲橋のほとりの女は

斗牛星のほとりの客をぞ得棄てざる

(乳母)内々の恥は外には漏らさぬもの。男の方、お役所に連れていったら、許されはしますまい。

(裴舍)乳母どの、花の苗を買うための銀子がほしくて、梅香にわたしをよばせたのだろう。いっしょにお上の所へ行こう。

(正旦が唱う)

【三煞】

錦の布団で床を掩はせぬといふのなら

九里山[36]前 垓下の大戦

奥の間で血は屍を潤さん

身に帯びし裙刀を解き[37]

汝が逼らばわたくしはみづからを傷つけて

逆に汝を悪者にしたてあぐべし

(梅香)秀才さまの銀子がほしくて、わたしに呼んでこさせましたね。奥さまに会い、本当のことを言いますよ。

(乳母)奥さまはお信じにならないでしょう。

(正旦が唱う)

拾った子供を地に投げつける[38]つもりだね

人を殺してお金を貪るつもりだね

【二煞】

涙を掩ひて白粉と黛を損なふわけにはゆかず[39]

門に倚り 頬杖をつく

たとひ山河は遙かなるとも いづれの時にか来ることあらん[40]

一年はいふまでもなく

一夜にて氷は消えん[41]

その時は和尚がゐれば鉢があることを知るべし[42]

満腔の文章と七歩の才を頼りにし

かならずや日に千階を巡るらん[43]

(乳母)「親しい人が親なり」ともうします[44]、奥さまがお怒りになられたら、わたくしの命が無駄になってしまいます。それでは相談いたしましょう。どちらか一つをお選び下さい。第一は秀才どのに官職を求めさせ、お迎えにきていただくのです。官職が得られぬときは、ほかの男に嫁がれるのです。第二は今夜二人を逃がし、秀才どのが役人になられたときに、夫婦と認めていただくのです。

(正旦)乳母や、逃げるのがよいでしょう。(唱う)

【黄鍾尾】

丹桂を折らば人々は驚き

()たび朱門[45]に謁するも()たび開かぬことはあるまじ

(乳母)これより後は、少しでも噂を漏らさば、むざむざと一生を損ないて、佳き連れ合いを離ればなれにすることとなりましょう。諺に、「一年の(あるじ)となるは百年の奴隷にまさる」ともうします。危険を冒してお二人を逃がしましょう。旅路ではお気をつけて。

(正旦)母さまは老齢なれば、離るることはできませぬ。

(乳母)奥さまの所には、わたくしがおりますから、ご安心くださいまし。

(正旦と裴が礼を言う)

(正旦が唱う)

わたくしは悪事をせしには非ざれど

かの人は色気もあれば策略もあり

あなたは仲を取り持つことも引き裂くこともできまする

わたくしはお世辞も言へば我慢もいたさん

人なき部屋に鎖さるるとも

よその土地へと嫁にゆくとも構ふものかは

父母は老ゆれど

娘と親の共白髪などあるはずもなし

娘とは 十五年 家に身を寄する客なり

(裴舎、梅香とともに退場)

(乳母)行ってしまった、奥さまに尋ねられたら、なぜ逃げたかは知らないと嘘を言おう。奥さまは表沙汰にはなさるまい。結婚を認めてもらいにくるのを待つのも悪くはあるまい。

(退場)

第三折

(裴尚書が登場)少俊が洛陽に花の苗をば買いにゆき、戻ってきてから、七年たった。いつも公務で、よそにいることが多くて、故郷にいることは少ない。少俊は大志を抱き、毎日、裏の花園で読書している。功名を成就すれば、妻を娶ろう。今日は清明、お墓参りにゆくとしよう。風が冷たいだろうから、妻と少俊を代わりにゆかせることとしよう。(退場)

(裴舎が園丁を連れて登場)洛陽をあとにして、妻といっしょに長安にきて七年になる。一男一女を授かった。息子は端端。娘は重陽。端端は六歳。重陽は四歳。裏の花園に隠れて、父母に見えたことはない。園丁が世話をして、家の者さえ知ることはない。本日は清明節、父上は風が寒いのを畏れているので、わたくしは母上と郊外でお墓参りをすることにした。園丁よ、注意して世話するのだぞ。老旦那さまに出くわすかも知れないからな。

(園丁)若さま、「一年の(あるじ)となるは百年の奴隷にまさる」と申します。お屋敷で「李」の字を口にはいたしませぬ。すこしでも過ちがございましたら、趙盾が災いに遭ったときの、霊輒のように車輪をささえ[46]、王伯当と李密のように骸を重ねることにしましょう[47]。仕事はきちんとする必要がございます。老旦那さまが来られぬ時はもちろんのこと、来られても、四方の口[48]、三寸の舌を使って、帰らせましょう。わたくしは蒯文通、李左車です。若さま、ご安心なさいまし。わたしがいれば、万丈の水の一滴さえも漏らしはしませぬ。

(裴舍)過ちがないときは、家に戻ってきた後に、たくさん褒美を取らそうぞ。(退場)

(正旦が端端、重陽を連れて登場)若さまとここに来てから、はや七年、一男と一女を得たり。月日の過ぐるはまことに速し。(唱う)

【双調新水令】

数年間は荘周の蝴蝶の夢のごときなり

人に隠れて佳き日を過ごせり

父母は遥かに

便りは途絶えぬ

なにゆゑぞうち嘆きたる

いつの日か書室をば離れんと(ほり)すればなり

【駐馬聴】

男は豪傑なるがため

やすやすと万里の龍庭[49] 双鳳闕[50]にぞ登るらん

妻はまことに貞烈なれば

五花官誥[51]にて七香の車[52]を得べし

頭にいつぱい花を帯び

午門[53]左右に状元を迎へ

地紅(たちこう)[54]を掛け

お互ひに往来し、媒妁を交はすべし[55]

今日のひを様変はりさせ

錦繍のごとく麗しき姻縁を成就せん[56]

(言う)門を閉じ、誰が来るのか見ていよう。

(園丁が箒を持って登場)若さまはお墓まいりにゆかれてしまった。若奥さまのところへ報告しにゆこう。(会う)若奥さま、若さまがお墓まいりにゆかれました。わたくしは若奥さまにご報告しにまいりました。

(正旦)園丁さん、用心してください。老旦那さまに出会うかもしれませんから。

(園丁)話しをしたりは致しませぬ。本日は清明節、節供の酒や果物がございますから、たらふく食わせて下さいまし。入り口に腰掛けて、誰が来るかを見ておりますから。

(旦が酒と肉を食べさせる、園丁)夜に二人のお子さまが塀の上にてお花を折ってらっしゃいました。今日はおもてにお出しせず、書斎で遊んでいただきましょう。老旦那さまに見つかるといけませぬから。

(正旦が唱う)

【喬牌児】

引きとむるべきときに引きとめたまはば

園丁どのに感謝せん

昨日は棘で袂を裂きて

息子が指を切りしなり

(端端)お母さま、お父さまを迎えにいってまいります。

(正旦)まだだろう。(唱う)

【幺篇】

球と棒とを投げ捨てて

胆瓶[57]を省みることぞなき

父上は来たまはざるに

なにゆゑぞ頑固に迎えにゆかんとしたる

(園丁)門口で、一瓶の酒、お節供の料理を食らい、意識を失い、湖山に倚りてしばらく眠れり。

(端端が打つ)

(園丁)ああびっくりした。坊ちゃま、部屋でお遊びください。(ふたたび眠る。重陽が打つ。)

(園丁)お嬢さま、女の子ですのにかような乱暴をなさるとは。(また眠る、二人が打つ。)

(園丁)行くように申したでしょう、はやく書房に行かれませ。

(裴尚書が張千をつれて登場)わが妻と少俊は墓参にいった。心の中がくさくさとしていれば、裏にある花園に行き、息子の丹精を見るとしよう。(園丁に会い、いう)老いぼれめ、眠っておるな。(打つ)

(園丁が目を覚まし箒で打つ)くそったれ、この餓鬼め。(尚書に気が付き、慌てる)

(尚書)二人の子供は何者だ。

(端端)裴というんだ。

(尚書)どこの裴家だ。

(重陽)裴尚書さまの家です。

(園丁)裴尚書さまの花園なのだと言ったろう。こわっぱどもめ、さっさと出てゆけ。

(重陽)お父さまとお母さまに言いつけてやる。

(園丁)花と木を摘み取った上、両親に言いつけてやるというとは。おまえらの祖父(じい)さんが跳んできたとて殴ってやるぞ[58]

(二人が逃げる、園丁)おもてに逃げず、奥に行くとは。

(二人が旦に会い、言う)父さまを迎えにいったら、お爺さんに会いました、どなたでしょうか。

(正旦)おまえたち、出てゆくなといったのに、どういうことです。

(尚書が気が付き、言う)この子たちは普通の家の者ではあるまい。この老いぼれは嘘をついている。奥を見にいってみよう。(正旦が唱う)

【豆葉児】

若さまを迎へられずに

(ぢぢ)さまに出くはせり

魂は消え

心は慌り熱くなり

手脚をあたふた動かせり

裴相公は杖をつきつつじつと見て

園丁は帚を手にしてごまかしを言ひ

子供は衣の袂をまくれり。

(尚書)部屋に行こう。(書房に行く、正旦が入り口を閉じる)

(尚書)ほかにどこかの女がいるのか。

(園丁)我が家の花を折るために、この部屋に隠れていたのでございます。

(正旦が唱う)

【掛玉鈎】

門を閉ぢ 子供を隠せど

飛びつ跳ねつし、腕白なるをなどてか知るべき

老旦那さまに園内で出くはせり

びつくりし 言訳のことばすらなし

(尚書)芙蓉亭に連れてまいれ。

(正旦が唱う)

羞ぢらひの色を浮かべて

どきどき心は怯えたり

雷のやうに喘ぎて

烈しきさまは風車のごとし

(園丁)この女は二輪の花を折り、旦那さまに見つかるのを恐れ、こちらに隠れていたのです。許して家に帰らせましょう。

(正旦)憐れと思し召されまし。少俊さまの妻なのですから。

(尚書)媒妁は誰だったのだ。幾らの金を払ったのだ。誰が婚儀を仕切ったのだ。

(正旦が頭を垂れる)

(尚書)二人の子供は誰なのだ。

(園丁)お怒りになられてはいけませぬ。お喜びくださいまし。一分の結納さえも納めることはなく、花枝のような嫁、一男一女を得たのですから、宴を設けることにしましょう。羊を買いにまいりましょう。奥さま、書房にお戻りくださいまし。

(尚書が怒る)この女は遊び女か酒場の女に違いない。

(正旦)お役人さまの家の出で、下賎な者ではございませぬ。

(尚書)黙れ。女が男と淫行をなし、こっそりと交際するのは、恩赦でも赦されぬこと。役所に送って尋問し、尻を殴ってもらうとしよう。

(正旦が唱う)

【沽美酒】

もともとは良き家の美しき娘なりしに

訴状を書きて訴へんとす

役所に送り 痛き目に遭はせんとせり

人の心は鉄にはあらぬに

恩赦がありとも赦されぬとは

【太平令】

男とともに逃げたれば、三貞九烈[59]とはいへず

密通の手引きをすれば、棒で打たれて挟まれん

舞台のことなど知るよしもなし

茶屋酒場とは何のこと

裴相公はわたくしの

お尻をぶてと仰せなれども

わたくしは風塵[60]の煙月[61]ならず

(尚書)老いぼれを打てば、事情が知れよう。

(張千)この老いぼれはむかしから人を誘拐するのが上手。

(園丁)旦那さま、七年前に若さまがお花の苗を買われた時に、この者が若さまに誘拐をさせたのでございます。

(張千)この老いぼれはわたくしを巻き添えにしようとしているのでございます。

(尚書)そうだな、この者も事情を知っていることだろう。

(正旦が唱う)

【川撥掉】

霊輒や、蒯文通[62]や、李左車[63]にまさり

季布の舌[64]

骸を重ねし王伯当[65]に似ることなく

過ちがなきときも、人に向かひて陰口をせり

是と非とを分かつべきなり

(尚書)わが妻と少俊を呼んでこい。

(夫人、裴舎が登場、会う。)

(尚書)その方は息子とともに偽りをなし、家法を乱せり。

(夫人)老旦那さま、まったく存じませんでした。

(尚書)裏の花園で七年かけてかくなる功徳を積んでいたとは。役所に送り、法に従い、処罰してもらうとしよう。淫婦め、少俊の未来を損ない、裴家の先祖を辱しめたな。

(裴舎)わたくしは役人の子ですから、たった一人の女のために、お役所で辱められるわけにはまいりませぬ。離婚書をしたためますから、どうかお恕しくださいまし。

(正旦が唱う)

【七弟兄】

御身は何と薄情な

まことに悲し

運は拙く試練に遭へり

氷や玉のごとくに清く (よこしま)に従ふことなし

連理の枝と同心結を切り離せるはなにゆゑぞ

(尚書)このわしは八烈の周公のよう、妻は三移の孟母のようだ。淫婦のために、少俊は前途を損ない、裴家の先祖を辱しめたぞ。女よ、聴くのだ。役人の家の者なら、何ゆえ男と駆け落ちしたのだ。その昔、無塩は村で桑摘みをしていたが、斉王の車が通り、無塩を后にしようとし、車に彼女を載せようとした。無塩はいった。「なりませぬ。父母に知らせて、はじめて結婚することができるのでございます。父母に会わねば、駆け落ちになってしまいます」とな。ふん。無塩に比べて、おまえは風俗を損ない、「男は九つの郡を旅して、女は三たりの男に嫁する」というわけか。

(正旦)裴少俊さまが唯一の夫です。

(尚書が怒る)「女は貞潔なるを慕ひ、男は才の良きに(なら)ふ」「結納をせば妻となり、駆け落ちしなば妾になる」というではないか。まだ家に帰らぬつもりか。

(正旦)この縁は天の賜うたものにございます。

(尚書)妻よ、頭につけた玉簪(ぎょくしん)をもってくるのだ。天の賜うた(えにし)なら、占いをしてみよう。玉簪を石で磨いて針のようにし、折れないならば、天の賜うた縁だということになろうが、折れたら家に帰るがよいぞ。

(正旦が唱う)

【梅花酒】

裴相公は凶悪で

夫は軟弱

坊やは腕白

奥さまはわあわあ叫び 蠍のごとし[66]

望夫石[67]にて姿を変へて

墓を築きて(いしぶみ)を立て

気は塞ぎ

愁へは数多

悲しみは限りなく

心は醉ふて

茫として

眼は見えざるがごときなり

手は萎えて

そつと手にとり

ゆつくりと持つ

【收江南】

ああ

ぽつきりと二三に折れて

鸞膠[68]も玉簪を接ぐことなからん

夫妻と子供の離れ離れになりたるは

ひとへに(ごう)の深きがためぞ

参辰と日月の交はらざるがごときなり

(尚書)(ぎょく)(かざし)は折れたのに、まだ家に帰らぬつもりか。銀の壺瓶(こへい)[69]をもってこい。糸で結んで、井戸水を汲み、糸が切れねば、夫婦だということにしよう。だが瓶が墜ち、(かざし)が折れたら、故郷へ帰れ。

(正旦)どうしたらよいのでしょう。

(唱う)

【雁児落】

千丈の穴に人をぞ落とすに似たる

千堆の雪[70]の逆巻く浪にまされり[71]

石の()(ぎよく)(かざし)を損はしめて

水底(みなそこ)に明月を掬はしめたり[72]

【得勝令】

氷弦[73]は断え 情も絶え

銀瓶は水に墜ち ながく離別す

家族は二つところに分かれん

(尚書)別の男に嫁ぐがよいぞ。

(正旦が唱う)

二つの車輪は四つの轍を付くることなく

酒色淫邪に恋恋として

七出を犯ししものは追ひ払はるべきものなれど

富貴豪奢を楽しみて

三従の教へを守るわらはに勝る者はなし

(尚書)簪は折れ、瓶は墜ち、天は夫婦を離れさせようとしている。この馬鹿者に離婚書を送らせて、おまえを家に帰らせよう。少俊よ、琴剣書箱をととのえて、上京し、官位を求め、試験に赴け。一男一女は家に置くことにしようぞ。張千よ、外へ追い出せ。(退場)

(裴舎が旦に離婚書を与える)

(正旦)少俊さま、端端、重陽、とても悲しく思います。

【沈醉東風】

夢は破れて心は塞ぎ

路は遥けく 煙水は千々にしぞ畳なはるなる

諺に「産みの母者(ははじや)がましまさば、まま父は世話をすべきも

産みの母者がおはしまさずば、どなたも世話をしてくれぬ」といふ

裴さまはわたくしをお白洲へ送られんとし

横暴にふるまはれたり

頑是無き子供らの面倒をよく見たまへかし

わたくしは去りゆかんとぞしたるなる[74]

(言う)端端、重陽。分かるかい。もう会うことはできないのだよ。

(唱う)

【甜水令】

端端と重陽は

裴家の子供

子供らは

痴れたるごとくに泣き叫びたり

親と子の心は牽かれ

げにや悲しき

【折桂令】

いとも苦しきものは別れぞ

花が開かば風は吹き

月が満ちなば雲は覆ひて

これよりは 倒れて(まろ)ぶ鳳、鸞となり

蜂や蝎を刺激して

藪をつつきて蛇を出すことはなからん

塀のたもとに情を伝へし手紙を破り

柳の陰なる鶯、燕と、蜂、蝶をしぞ分かちたる

息子は嘆き

娘は行く手を遮れど

瓶は墜ち、(かんざし)は折れたれば

親子の(えにし)ははや断たれたり

(張千)若奥さま、お行きください。老旦那さまにご報告せねばなりませぬ。

(正旦)少俊さま、家まで送り帰して下さい。(唱う)

【鴛鴦煞】

破れし花や柳[75]のごとく恨みを抱くことはなし

御身のために男女を産みて、すべての借りを還したり[76]

生きては(ふすま)をともにして

死しては墓をともにせんとぞ思ひたる

これぞまさしく題柱の胸襟[77]

当壚の志節[78]

これもまた前世の(えにし)

今生の(ごう)

少俊さま、しばらくいっしょに車に乗られ、消沈をした[79]文君を送ってください。(退場)

(裴舍)お父さま、まことにひどいなされよう。あっという間に夫婦親子は離れ離れになりました。どうしたらよいのでしょう。張千よ、琴剣書箱をととのえてくれ。上京し、試験を受けよう。一方で、父には内緒で、妻をこっそり実家に送ろう。そうしても障りあるまい。

(詩)

これぞまさしく

石にて(ぎよく)(かざし)を磨き

針と成さんとせしときに真中(まなか)で折れて

井戸にて銀の(へい)を引き

水より上げんとせし時に糸は断たるる

われら二人はせんすべをなみ

今日別るとも

天縁あらば

かならずや夫婦(めをと)となるべし

第四折

(正旦が梅香をつれて登場)少俊さまに棄てられてから、洛陽に戻ったが、両親は身まかられていた。ただ使用人数名と、邸宅と荘園が残されており、あいもかわらず尽きせぬほどの富を得ている。息子と娘を置いてきぼりにしてきたが、少俊さまは試験を受けに行かれたやら、官位を得たやら。ほんとうに悲しいことだ。(唱う)

【中呂粉蝶児】

蝦鬚簾(かしゆれん)[80]を卷き

緑の窓と朱の戸は寂しく

ただ独り、離れて住めり

金の枷、(ぎよく)の鎖のことを思ひて[81]

瀟灑なる牢獄[82]にあり

(奥で鳥が鳴く)

(唱う)

なにゆゑぞ巴蜀を飛び出で

旅人に「帰るにしかず」と呼び掛くる[83]

【醉春風】

万里の家を蝴蝶の夢に見

月は三更、聴く杜宇(ほととぎす)

塀のたもとと馬の()(たの)しめど

苦しみがあらんとは思ひもよらず

あな苦しやな

人はみな美しと言ひたれど

散り散りになり

心は乱れり

(裴舎が登場、詩)

みづから丹書をささげもち 九重をしぞ下りたる

路ゆく人は五花驄[84]をいかで知るべき

おしなべて文章[85]の力なるべし

家が善き功徳を積みたるものとは限らず

わたしは裴少俊。上京し、受験をし、あっという間に状元に及第し、洛陽の県尹の職に除せられ、洛陽城にやってきた。服を着換えて、李千金を訪ねよう。尋ねてみれば、こちらは李総管の家の入り口だとか。梅香だな。お嬢さまは家にいるのか。

(梅香が会う)知らない振りをするとしよう。お嬢さまなどおりませぬ。この男は物事が分かっておらぬ。こちらに立たれていてください。家にいってまいります。(旦に会う)お喜びくださいまし。裴さまが門口におられます。

(正旦)嘘をおっしゃい。本当にあの方なのかえ。どのような服を着ているのだえ。

(梅香)秀才の衣服を着けてらっしゃいます。お嬢さま、本当に嘘は申しておりませぬ。

(正旦)何ゆえに秀才の服を着ているのだろう。

(唱う)

【満庭芳】

長安で試験を受くるも

故郷に帰るが羞づかしく

郷里を見るが懶かりしや

巧みな口から珠玉のごとき言葉を吐きて

ひたすらに経書を唱へ

三昧の手で拇印を押して[86]

五車の書を読み 去り状を書く

斎長[87]は柱に題する[88]ことはなし

かの人は怨みを語り

漢の相如は大いに笑はん

(裴舍)梅香は入ったきり出てこない、入っていくことにしよう。(旦を見る)お嬢さん、別れていたがご無事でしたか。今日はまた訪ねてきました。元どおり仲良くし、ふたたび夫婦になりましょう。

(正旦)裴少俊さま、何をおっしゃる。(唱う)

【普天楽】

睦み合はんと思はれたとて

刑獄に遭ふは恐ろし

人の心は鉄に似て

お上の法は炉のごとし

母上さまには母子(おやこ)の情なく

父上さまは憐れみたまはず

柳下恵先生は、質問せられ、言葉なく[89]

わたくしの身持ちが悪く、風教を損なへりとぞのたまへり

家に二人の(あるじ)はなければ

たとひ男が九郡に旅をしたとて

女が三たりの夫に嫁ぐことはなし

(裴舍)お嬢さま、このたび私は役人になり、父親は致仕して閑居しましたので、あなたを妻としにきたのです。私はこの地の県尹になったのです。

(正旦が唱う)

【迎仙客】

三品官に封ぜられ

八つの椒図[90]を並べたり

ご父君は致仕せられ

京兆府をぞ離れたる

吏部は転居を決定し

戸部は俸禄の支給を終へり

尚書を授けしことも空しく

世の姻縁簿を管理せしむるほかはなからん[91]

(裴舍)今日は荷物を運んできました。

(正旦)ここには泊まらないで下さい。

(唱う)

【石榴花】

諺に「よろしき客はなきにしかず」といひたれば

出でゆかるるはいかならん

心中の怒りはいかで消ゆべきや

わたくしを棄つるとも、罪にはならじと言はれたり

役人となりたまひしに、何ゆえぞ恥ぢ入る顔をなされざる

(裴舍)私たちは幼きときより夫婦ですのに、何ゆえに夫と認めてくださらぬのです。

(正旦が唱う)

親戚の情を知らずと言はれたり

人を見る眼を持たずとも

賢と愚は辨ずべきなり

(裴舍)父親の命令で、わたしとは関係はなかったのだ。

(正旦が唱う)

【闘鵪鶉】

八烈[92]の周公に

三移の孟母[93]

わたくしはもともとは宜しき家の娘にて

娼家の娘にあらざれど

春風を行ひて夏雨を望めり[94]

眷属(うから)とならば

少俊さまの将来を損なひて

裴家の父祖を辱しむべし

(裴舎)お嬢さま、御身は書を読む聡明な方、「息子が妻と仲が良しとも、父母(ちちはは)が悦ばずんば、嫁は追はれん。息子が妻と仲が良くなきときも、父母(ちちはは)が『われらによく仕へり』といひなば、夫婦の礼は維持せられ、終生、衰ふることなし」[95]ということを聞かれたことがございませぬか。

(正旦)裴少俊さま、あなたはご存じないのです、お聴きください。(唱う)

【小上楼】

母上さまはかねてより凶悪にして

父上さまはことさら嫉み深かりき

忠実に国を治めて

清廉で有能にして志操は固きも

愚かなることをなさるは何ゆゑぞ

さいはひに鸞鳳は交はりて

琴瑟は相和して

夫婦は睦むも

裴尚書さまは嫁を嫌へり

(尚書が夫人、端端、重陽を連れて登場)裴尚書じゃ。尋ねたところ、ここが李総管のお屋敷だとか。少俊は官位を得、この土地の県尹となったのだが、嫁は夫を認めようとはしないとか。そこで二人の子供を連れて、妻といっしょに、やってきたのだ。召使いよ、取次ぎをしておくれ。裴尚書が入り口におりますとな。

(召使いが報せる。)

(裴舍)ああ。お父さまが入り口にいらっしゃる。お迎えします。お父さま、わたくしは官位を得ました。この土地の県尹でございます。嫁はわたしを認めようとせず、離婚されたと申しております。

(尚書)嫁はいずこじゃ。

(旦に会い、言う)嫁よ、李世傑どのの娘御であったとは知らなんだ。わしはもともと結婚話をもちかけていたのだが、こっそりと契りを結んでいたことは知らなかった。何ゆえに李世傑どのの娘御であることを言わなかったのだ。女優か娼婦だと思ったぞ。今、妻と二人の子供とともに羊を牽き、酒を担いで、話をしにきた。本当に悪かった。召使いよ、酒をもて。なみなみと一杯飲むといたそうぞ。

(正旦が唱う)

【幺篇】

杯を手にとりて

夫を認めん

(夫人)

わたしの顔を見てください。二人の子供をここまで育てあげたのですから、認めてください。

(端端、重陽)お母さま、認めてください。

(正旦が唱う)

陶母は苛立ち[96]

曾参は誤解せられて[97]

太公は跋扈せり[98]

一人の男児と

一人の女児は

ともに哭きたり

(言う)ああ。子供たち、懐かしくてたまらなかったよ。

(唱う)

母子の情は断ち得ぬものぞ

(尚書)ああ。わしを義父だと認めてくれ。

(正旦)離婚されたのですから、けっして認めはいたしませぬ。

(尚書)認めぬのなら、子供を連れて帰るまでだ。

(端端、重陽が悲しむ)お母さま、本当にひどいお方じゃ。とても悲しゅうございます。認められないのなら、命などいりませぬ、二人して死ぬるまでです。

(正旦)わたくしが認めずとも、二人とは関係あるまい。仕方ない、認めるとしよう。お父さま、お母さま、拜礼をお受けください。

(尚書)認めたのなら、酒をもて。お祝いをし、なみなみと一杯飲むといたそうぞ。

(正旦が拜受する)(唱う)

【十二月】

かねてより嫁なれば

今日は義父母に拜礼すべし

何ゆゑぞ酒壺(しゅこ)(さかづき)をば持てる

また策略を設けられたりしにや

玉簪と銀瓶を見て

思はず昔のことを思へり

【堯民歌】

ああ

簪は折れ、瓶は墜ち、去り状を書く

(尚書)嫁よ、旧い話はやめるのだ。

(正旦が唱う)

先方は身を低うして美酒を勧めり

なみなみとした杯を飲みたれば、醉ふてぼんやり

(裴舎)妻よ、喜んでくれ。

(正旦が唱う)

笑まひ喜ぶ気などなく

ためらへり

賊の心は真なきもの

ふたたびわたしを故郷へと追ひやられんとしたるにや

(尚書)嫁よ、初めからこのわしが縁談をもちかけるのを待っているのがよかったのだ。わしに隠して邸内に駆け落ちしてきて、李世傑どのの娘御だとも言わなかったな。

(正旦)お義父さま、昔より今にいたるまで、わたくしだけが駆け落ちをしたのではございませぬ。(唱う)

【耍孩児】

お義父さま、お義母さまに訴へん

我が身の恥を持ち出して、昔のことに喩へたるにはあらざれど

卓王孫の気は世を巻きて[99]

卓文君の美貌に勝る者はなし

ひそかに求凰曲を聴き

他日一緒に四頭だての馬車にぞ乗れり

これもまた前生(さきつよ)(さち)なりき

塀のたもとと馬の()のわたくしたちが

燗番をして酒を売りたるものたちに劣るべきやは[100]

【煞尾】

五花官誥は言ひし通りと相成りぬ[101]

談笑しつつ七香車をぞ手に入るる

万万歳の貴き君のお陰を蒙り

天下の縁ある者たちの結婚を成し遂げんことを願へり

(尚書)本日、夫妻は団圓すれば、羊を殺し、酒を造りて、宴をなさん。

(詩)

むかしより娘は家に(とど)まらぬもの

馬の()と塀のたもととも宜しき連れ合ひなるぞかし

姻縁は天の定めしものなれば

このわれが彩楼を作らん要のあらめやは

 

最終更新日:20101122

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[1]官名。軍政長官。

[2]京城留守。皇帝が都を離れるときに、都におかれ、都の監督をする官。

[3]官名。左司禦率府のことか。左司禦率府は皇族の侍衛をつかさどる官。『文献通考』「隋文帝置左右宗衛、官制如左右衛、各掌以皇族侍衛…唐為左右宗衛率府、龍朔二年、改為左右司禦衛」。

[4]未詳。蓬莱はいうまでもなく、東海の仙島のことだが、蓬莱の意とは何のことか未詳。仙島の趣という意味で、才子佳人を仙人に喩えているか。

[5]張敞伝『漢書』巻七十六「(張敞)又為婦畫眉、長安中傳張京兆眉憮。有司以奏敞。上問之、對曰『臣聞閨房之内、夫婦之私、有過於畫眉者。』」。

[6]新婚夫婦の臥所。

[7]「囲」は腰回りのこと。玉のような腰が痩せたということか。未詳。『任風子』第三折[五煞]「我待學彈夜月琴三弄、誰待細看春風玉一圍。」。『李太白貶夜郎』第三折[鬥鵪鶉]「誰待兩白日、細看春風玉一圍、卻是甚所為。」。

[8]倩女は、唐の陳玄祐『離魂記』に登場する女主人公張倩のこと。父親によって、許婚と引き裂かれたため、魂が許婚を追い、船に乗せられ、蜀に赴き、二子をなす。元雑劇にも『倩女離魂』あり。

[9]裙の一種。周汛『中国衣冠服飾大辞典』二七八頁に長裙の意とあり。

[10]出典未詳。

[11]嚢篋は物を入れる袋や箱。ここでは秘蔵すべき宝のように素晴らしい人ということであろう。

[12] 『幽明録』「阮肇共入天台山取穀皮、迷不得返、經十三日、糧食乏盡、飢餒殆死。遙望山上有一桃樹、大有子實、而巖邃澗、永無登路。攀援藤葛、乃得至上。各噉數枚、而飢止體充。復下山、持杯取水、欲盥漱、見蕪菁葉從山腹流出、甚鮮新、復一杯流出、有胡麻飯糝」。

[13] 『文選』巻十九『洛神賦』「陵波微、羅襪生塵」。ここでは正旦が、みずからを洛浦の神女になぞらえている。

[14]太湖石。

[15]武陵桃源、桃源郷をいう。

[16]張敞伝『漢書』巻七十六「(張敞)又為婦畫眉、長安中傳張京兆眉憮。有司以奏敞。上問之、對曰『臣聞閨房之内、夫婦之私、有過於畫眉者。』」。

[17] 『晋書』潘岳伝「岳美姿儀、辭藻麗、尤善為哀誄之文。少時常挾彈出洛陽道、婦人遇之者、皆連手縈繞、投之以果、遂滿車而歸。」。

[18]原文「月値年災」。未詳だが、しばしば災いに遭うことを意味する「年災月殃」に同じであろう。「年災月殃」といわないのは、押韻、平仄の関係。

[19] 「禁炉」という言葉については未詳。宮中の香炉のようにも思えるが、関係あるまい。密やかなところで焚く香炉と解するのが穏当であろう。

[20]男女の色恋に関すること一般をいう。ここでは密会すること。

[21]原文「我則怕似趙杲送曾哀」。「趙杲送曾哀」は去ったきり戻ってこないこと。「趙老送灯台−一去更不来」という歇後語があり、「趙杲」は「趙老」、「曾哀」は「灯台」の訛ったもの。『薛仁貴栄帰故里』にも、「送曾哀趙杲不回来」の句あり。歇後語の典拠は未詳。『帰田録』「俚諺云『趙老送灯台、一去更不来。』不知是何等語。雖士大夫亦往往道之」。

[22]妓楼をいう。

[23]妓女をいう。

[24] この曲、広壮な屋敷の中には、琴を弾く部屋などよりも静かな場所がたくさんあるということをいいたいのであろうが、「酒を売る部屋(沽酒舍)」がよく分からぬ。酒蔵のようなものをさすか。

[25]靨のところに貼る化粧の一種。

[26]王学奇主編『元曲選校注』は「指貼在額頭的翠妝」といい、額飾りの一種であるとするがその根拠は未詳。李商隠『江南曲』「掃黛開宮額」。

[27]香羅帯は女子の腰帯の美称であると周汛『中国衣冠服飾大辞典』四三九頁にあり。

[28]東海にあるとされる三つの仙島。方丈は方壺とも。

[29]張敞伝『漢書』巻七十六「(張敞)又為婦畫眉、長安中傳張京兆眉憮。有司以奏敞。上問之、對曰『臣聞閨房之内、夫婦之私、有過於畫眉者。』」。

[30]白黒のまだら毛の馬。

[31]花柳街。

[32]原文「我待残生還却鴛鴦債」。「還却鴛鴦債」は夫婦となる宿縁を成就することをいう決まり文句。

[33]陝西省にある華山をいう。

[34]原文「劉向題倒西岳霊祠」。劉錫が試験に赴く途中、華山の聖母殿に泊まり、聖母の塑造の美しさを見て、詩を題し、愛慕の情を表し、聖母と結婚したという民間伝承に基づく句。劉向とあるは誤。

[35]張生が龍王の娘と結婚を約し、別れて後、娘に会おうとして仙術で海を煮るという故事の出典は未詳。ただし、金の院本、元の雑劇『張生煮海』はこのことを題材にする。

[36]江蘇省の山名。

[37]原文「解下這摟帯裙刀」。未詳。とりあえずこのように訳す。『老乞大諺解』下「我引著你、買些零碎的貨物、大小刀子共一百副、雙鞘刀子一十把、雜使刀子一十把、割紙細刀子一十把、裙刀子一十把」。

[38]原文「拾的孩儿落的摔」。成語。冷酷に振舞うこと。

[39]原文「我怎肯掩残粉泪横眉黛」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[40]原文「山長水遠幾時来」。未詳。とりあえず、こう訳す。たとえ山河が遙かでも人はいつかはやって来るということであろう。

[41]前二句原文「且休説度歳経年、只一夜冰消瓦解」。何の隠喩なのかは未詳。裴少俊が一朝にして試験に合格し、役人になり、自分と正式に結婚することをいうか。

[42]原文「恁時節知他是和尚在鉢盂在」。「和尚在鉢盂在」は、当時の成語。あるものには、それと切っても切れない関係にあるものがあるということ。『昊天塔』第三折【滾繍球】にも用例がある。ただ、この成語が何の隠喩なのかは未詳。「和尚」は裴少俊「鉢盂」は李千金を喩えるか。

[43]原文「日転千階」。一日に千回昇進するということ。

[44]原文「親的則是親」。未詳。自分を養ってくれている人、ここでは自分の女主人である裴夫人が大事だということか。『哭存孝』第二折「亞子終是親骨肉。我是四海與他人。腸裡出來腸裡熱。阿者。親的原來則是親。」。

[45]権門をいう。

[46]趙盾、霊輒ともに春秋時代晋の実在人物。『春秋』に見える。ただし、晋の霊公が趙盾を攻めたとき、霊輒が趙盾の乗車を支えたという話は、『蒙求』に見える。

[47] 『旧唐書』李密伝「彦師伏兵山谷、密軍半度、出擊、敗之、遂斬密、時年三十七。王伯當亦死之、與密倶傳首京師。」。

[48]「江湖嘴」に同じ。人を騙す巧みな弁舌。

[49]宮廷を指していよう。

[50]鳳闕に同じ。宮門のこと。

[51]勅書をいう。五色の金花綾紙でできているのでこういう。

[52] さまざまな香を塗った車という。

[53]宮城の南にある門。

[54]結婚のとき、女子がかぶる赤い布という。

[55]前二句原文「也強如挂拖地紅、両頭来往交媒謝」。とりあえず、このように訳す。

[56]前二句原文「今日个改換別、成就了一天錦繍佳風月」。とりあえず、このように訳す。

[57]頚が長く、腹の大きな(へい)。ただ、この句、含意が未詳。

[58]原文「跳起恁公公来也打你娘」。「跳起」が未詳。「你娘」は「你媽的」に同じ。罵語。

[59]「貞烈」に同じ。数字は意味はない。三貞五烈ともいう。

[60]花柳界をいう。

[61]妓女をいう。

[62]戦国時代末期の説客蒯通のこと。「蒯文通」といっているのは詞律にあわせるためであろう。

[63]戦国時代末期の説客。

[64]漢代の侠客。二枚舌を使わなかったことで有名。

[65] 『旧唐書』李密伝「彦師伏兵山谷、密軍半度、出擊、敗之、遂斬密、時年三十七。王伯當亦死之、與密倶傳首京師。」。

[66]原文「夫人又叫丫丫似蠍蜇」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[67] 『幽明録』「武昌陽新縣北山上有望夫石、状若人立。相傳昔有貞婦、其夫從役、遠赴國難、婦攜弱子、餞送此山、立望夫而化為立石。」。

[68] 『漢武内伝』「西海献鸞膠、武帝弦断、以膠続之、弦両頭遂相著、終日射不断」。

[69]酒壺。

[70]千堆は幾つにもかさなること。雪はここでは白波を指していよう。

[71]原文「勝滾浪千堆雪」。意味はこれでよいだろうが、何を喩えているかが未詳。裴尚書の無慈悲さを喩えるか。

[72]原文「又教我水底撈明月」。「水底撈月」は「水中撈月」「水中捉月」「水底摸月」「水底撈針」などともいい、成語。空しい仕事をさせること。

[73]琴の糸をいう。琴のことを氷弦玉柱という。

[74]原文「我待信拖拖去也」。「信拖拖」が未詳。「後ろ髪を引かれるような様子で」ということか。

[75]原文「残花敗柳」。男に弄ばれた女。

[76]原文「填還徹」。「填還」の目的語は、「鴛鴦債」であろう。妻としての勤めをすっかり果たしたということ。

[77]司馬相如のように軒昂たる心。『芸文類聚』巻六十三引『華陽國志』「蜀城十里、有升遷橋、送客觀。司馬相如初入長安、題其門曰、『不乘赤車駟馬、不過汝下。』」。

[78]司馬相如と駆け落ちし、燗番をした卓文君のように夫に忠実な操。『史記』司馬相如伝「相如與倶之臨邛、盡賣其車騎、買一酒舍酤酒、而令文君當鑪。」。

[79]原文「没気性」。未詳。「没精打彩」の意に解しておく。

[80]蝦の鬚で造った簾。

[81]原文「落可便想金枷、思玉鎖」。「金枷」「玉鎖」は子供の喩え。親にとっては大事なものであるとともに、自分を束縛するものでもあるから。『任風子』第二折「児女是金枷玉鎖」。『小張屠』第二折にもまったく同じ文句が見える。

[82]自分の現在の境遇を牢獄に喩える。

[83]原文「誰教你飛出巴蜀、教離人不如帰去」。『蜀王本紀』「蜀望帝淫其臣鼈霊之妻、乃禅位而逃、時此鳥適鳴、故蜀人以杜鵑鳴為悲望帝、其鳴為不如帰去云」。

[84]杜甫『江都護驄馬行』「五花散作雲満身、万里方看汗流血」仇兆鰲注「五花者、剪鬃為瓣、或三花、或五花」。

[85] 「教養」というぐらいの意味。

[86]原文「他那三昧手能修手模」。「三昧」は雑念を離れ、妙所を得た境地。「三昧手」は妙手の意であろう。ここでは文章を書く妙手のことであろう。蘇軾『送南屏禅師』に「来試点茶三昧手」の用例あり。手模は拇印。『涪翁雑説』「今婢券不能書者、画指節、及江南田宅契亦用手也」。なお、元代、離婚書に拇印を押すことは禁じられていた。『元史』刑法二・戸婚「諸出妻妾、須約以書契、聽其改嫁。以手模為徴者、禁之」。

[87]元代、国子学の学舎の長。元代、蒙古の子弟の中から選ばれたという記載が『元史』許衡伝にある。「帝久欲開太學、會衡請罷益力、乃從其請。八年、以為集賢大學士、兼國子祭酒、親為擇蒙古弟子俾教之。衡聞命、喜曰「此吾事也。國人子大樸未散、視聽專一、若置之善類中涵養數年、將必為國用。」乃請徴其弟子王梓、劉季偉、韓思永、耶律有尚、呂端善、姚燧、高凝、白棟、蘇郁、姚燉、孫安、劉安中十二人為伴讀。詔驛召之來京師、分處各齋、以為齋長」。明代は、国子監の班長の意となり、また、家塾の教師への敬称としても用いられた。いずれにしても、高級な知識人ではない。ここでは裴少俊を喩えている。

[88] 『芸文類聚』巻六十三引『華陽國志』「蜀城十里、有升遷橋、送客觀。司馬相如初入長安、題其門曰、『不乘赤車駟馬、不過汝下。』」。

[89]原文「問的个下恵先生無言語」。下恵は柳下恵。ここでは裴舎を喩える。柳下恵は女の体を暖めてやったが、国人から淫らだと言われなかったことで有名。・小雅・巷伯』「哆兮侈兮成是南箕「毛人有男子独于室之釐又独于室。夜暴雨至而室壊而托之男子而不人自牖与之言曰、子何我乎。男子曰、吾之也男子不六十不居。今子幼吾亦幼不可以人曰、子何不若柳下恵然。不逮之女国人不称其乱。男子曰柳下恵固可吾固不可。吾将以吾不可学柳下恵之可。

[90]門の上の装飾。『菽園雑記』巻二「椒図、其形似螺螄、性好閉口、故立門上。」。

[91]前二句原文「枉教他遥授着尚書、則好教管着那普天下姻縁簿」。未詳。

[92]未詳。

[93]自分の両親を、周公や孟母に喩える。

[94]原文「也是行下春風望夏雨」。「春風」「夏雨」ともに男女の情交の暗喩と思われるが未詳。

[95] 『礼記』内則「子甚宜其妻父母不説、出。子不宜其妻、父母曰『是善事我。』子行夫婦之禮焉、沒身不衰。」。

[96]原文「陶母熬煎」。未詳。「陶母」はここでは裴夫人を指していよう。

[97]原文「曾参錯見」。『戦国策』秦策「昔者曾子處費、費人有與曾子同名族者而殺人、人告曾子母曰『曾參殺人。』曾子之母曰『吾子不殺人。』織自若。有頃焉、人又曰『曾參殺人。』其母尚織自若也。頃之、一人又告之曰『曾參殺人。』其母懼、投杼踰牆而走。夫以曾參之賢、與母之信也、而三人疑之、則慈母不能信也。」。

[98] 『史記』高祖本紀「六年、高祖五日一朝太公、如家人父子禮。」。

[99]原文「只一个卓王孫気量巻江湖」。卓文君の父である卓王孫が、豪勢な暮らしをしていたことを述べていよう。

[100]前二句原文「怎将我墻頭馬上、偏輸却沽酒当壚」。『史記』司馬相如伝「相如與倶之臨邛、盡賣其車騎、買一酒舍酤酒、而令文君當鑪。」自分たち夫婦を、司馬相如夫婦にまさるといったもの。

[101] 第三折【駐馬聴】の注参照

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